2010年11月14日日曜日

●自己愛者

【GI様へ】(自己愛性人格障害について)

 長い電話で、すみませんでした。
美里様(以下、M様)についてですが、かねてより、ある種の人格障害をもった人ではな
いかと判断しています。
「ある種」というのは、「自己愛性人格障害」という意味です。
簡単には、「自己愛者」といういいます。

(ただし「障害」というときは、「他者との良好な人間関係が結べない」という意味で、
使います。
他者と良好な人間関係が結べれば、「障害」ではないということです。)

 要するに自己中心性が、極端な段階にまで、肥大化した人をさします。
決して好ましい人格とは言えません。
自分勝手でわがまま、好き嫌いが極端にはげしく、批判されると異常なまでに反発します。
またどんな場でも、自分がその中心にいないと気がすみません。
このことは、すでにGI様が、お気づきの上、かつご指摘になったとおりです。

 念のため、DSMの診断基準をここに載せておきます。

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●自己愛性人格障害 (DSMの診断基準より)
Narcissistic personality

A 自己の重要さ又はユニークさをおおげさに感じること
(例:業績や才能の誇張、自己の問題の特殊性の強調)

B 再現のない成功、権力、才気、美貌、あるいは理想的なあいの空想に夢中になること

C 自己宣伝癖
(例:絶えず人の注意と称賛を求める)

D 批判、他者の無関心、あるいは挫折に際しての反応がそ知らぬふりであるか、憤激、
劣等感、羞恥心、屈辱感、または、空虚感といった目立った感情である

E 以下のうち少なくとも2項目が対人関係における障害の特徴である。

(1)権利の主張:それに見合っただけの責任を負わずに、特別の行為を期待すること、
(例:望むことを人がしてくれないと言って驚き、怒る)

(2)対人関係における利己性:

 ●自己の欲求にふけるため、又は自己の権力の拡大の為に他者を利用する。
 ●他者の自己保全や権利をないがしろにする。

(3)対人関係で、過剰な理想化と過小評価との両極端を揺れ動く特徴を持つ。

(4)共感の欠如:他者がどう感じているかわからない。

(注:以上、人格障害 DSMー3(第3版)「精神障害診断基準」(DSM-3/1980年)
より)

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●GI様へ

 これを読んでも、M様が、すべて診断基準通りと言うことに、お気づきかと思います。
またM様だけではなく、G様(あなた様のお姉様)も、すべて診断基準通りということに、
お気づきかと思います。

 加えて加齢による、記憶力の低下、融通性の欠如などが現われ、さらにここにあげた
ような性格が、極端化してきているように判断しています。

 前回も指摘しましたが、M様については、文字を読めない(簡単な手紙のようなものは
読める)という点から察しても、別の障害が疑われます。
M様の周辺には、本らしい本が1冊もないことに、ご注目ください。
それはそういう障害によるものです。
私もM様が、若いころから本を、まったく読めない……あるいは読まないということを、
聞いています

たとえば重要な法律書類を、「私はこんなもの読んでも、しかたない!」と言って、手で
払いのけられたような行為が、その一例とということになります。
本当に理解できないから、そういう行動に出るのです。
またそれを悟られるのを、極度に警戒します。
で、もしそうなら、識字障害者ということになります。

 本来なら正式な診断機関で診断してもらうのがよいのですが、このタイプの女性に
かぎって、それをはげしく拒絶します。
自己愛者の特徴のひとつです。

 自分を過大に自己評価する一方、他人にそれを否定されると、狂ったように反発します。
診断機関で診断を受けるなどということは、考えられないことです。
だから結局は、その周囲の人たちが、苦労するということになります。

●相手にしないこと

 そこで重要なことは、M様にせよ、お姉様にせよ、そういう人たちに、引き回されない
ようにするということです。
わかりやすく言えば、心に大きなキズをもった人たちであることを理解し、その上で、
交際していくということです。
いちいち相手にしていると、今度はGI様自身が、相手のペースに取り入れられてしまい
ます。
ですから鉄則は、相手にしないこと。
できれば遠ざかること。
この一言に尽きます。

いろいろ不愉快に思っておられる気持ちは、よく理解できます。
私も別の世界で、似たような経験をしています。

 参考までに、私が今まで書いてきた原稿を添付します。
どうか心安らかに。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己愛者( Narcissism person)
The more he or she is a self-centerness person, the lower his or her mental IQ is.

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自己中心性が極端なまでに肥大化した
状態の人を、自己愛者という。

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●ジコチュー

自己中心性(ジコチュー性)が、極端なまでに
肥大化した人を、「自己愛者」という。
自己中心性が強い分だけ、人格の完成度は、低い。
ほかに、たとえば異常なまでの完ぺき主義、
他人の批判を許さないなどの特徴がある。
その自己愛者については、たびたび書いてきたので、
ここでは、その先を書く。

私は、現在、こんな経験をしている。
私の身近にいる知人だが、このところ、認知症と
思われる症状が、急速に進んでいる。
アルツハイマー病の初期症状かもしれない。
ときどき、記憶の一部が、脳みそから欠けるように消えてしまう。
前の晩に何を食べたかを忘れるのは、よくあること。
が、その人のばあい、前の晩に食事をしたことそのものを、
忘れてしまう。

電話で話していても、一方的に、しゃべるだけ。
しゃべるだけならまだしも、しばらくすると、
また同じ話を繰りかえす。
そして私が何か、その人について批判めいたことを
口にすると、その瞬間、狂乱状態になってしまう。
「以前、その話はもう聞きました」と言っただけで、
ギャーッとなってしまう。
「私は、言っていない!」「どうして、そういうウソを言うの!」と。
言い忘れが、その知人というのは、今年、59歳になる。
女性である。

ワイフの長い友人で、いつしか家族ぐるみでつきあうようになった。
が、このところ、ワイフが言うには、「つきあいにくくなってきた」
「10年前には、ああではなかった」とのこと。
つまり、回りくどい言い方になってしまったが、認知症のはじまりには、
ものの考え方が、自己中心的になり、自己愛的な症状が出てくる。
言いかえると、自己中心性が出てきたら、あぶないということ。

(その人が、認知症というわけではない。あくまでも私が、
そう疑っているだけ。念のため。)

認知症になることによって、人格そのものが、崩壊してしまう人がいる。
そう考えれば、認知症の初期症状のひとつとして、ものの考え方が
自己中心的になったところで、何ら、おかしくはない。

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もう一作……。

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●自己概念

 「自分は、人にどう思われているか」「他人から見たら、自分は、どう見えるか」「どん
な人間に思われているか」。そういった自分自身の輪郭(りんかく)が、自己概念というこ
とになる。

 この自己概念は、正確であればあるほどよい。
 しかし人間というのは、身勝手なもの。自分では、自分のよい面しか、見ようとしない。
悪い面については、目を閉じる。あるいは人のせいにする。

 一方、他人というのは、その人の悪い面を見ながら、その人を判断する。そのため(自
分がそうであると思っている)姿と、(他人がそうであると思っている)姿とは、大きくズ
レる。

 こんなことがあった。
 ワイフの父親(私の義父)の法事でのこと。ワイフの兄弟たちが、私にこう言った。
 「浩司(私)さん、晃子(私のワイフ)だから、あんたの妻が務まったのよ」と。

 つまり私のワイフのような、辛抱(しんぼう)強い女性だったから、私のような短気な
夫の妻として、いることができた。ほかの女性だったら、とっくの昔に離婚していた、と。
 事実、その通りだから、反論のしようがない。
 で、そのあとのこと。私はすかさず、こう言った。「どんな女性でも、ぼくの妻になれば、
すばらしい女性になりますよ」と。

 ここで自己概念という言葉が、出てくる。
 私は、私のことを「すばらしい男性」と思っている。(当然だ!)
だから「私のそばにいれば、どんな女性でも、すばらしい女性になる」と。
そういう思いで、そう言った。

 しかしワイフの兄弟たちは、そうではなかった。私のそばで苦労をしているワイフの姿
しか、知らない。だから「苦労をさせられたから、すばらしい女性になった」と。だから、
笑った。そしてその意識の違いがわかったから、私も笑った。

 みんないい人たちだ。だからみんな、大声で、笑った。

●自分を知る

 ……という話からもわかるように、自己概念ほど、いいかげんなものはない。そこで、
私たちはいつも、その自己概念を、他人の目の中で、修正しなければならない。「他人の目
を気にせよ」というのではない。「他人から見たら、自分はどう見えるか」、それをいつも
正確にとらえていく必要があるということ。

 その自己概念が、狂えば狂うほど、その人は、他人の世界から、遊離してしまう。
 その遊離する原因としては、つぎのようなものがある。

(1) 自己過大評価……だれかに親切にしてやったとすると、それを過大に評価する。

(2) 責任転嫁……失敗したりすると、自分の責任というよりは、他人のせいにする。

(3) 自己盲目化……自分の欠点には、目を閉じる。自分のよい面だけを見ようとする。

(4) 自己孤立化……居心地のよい世界だけで住もうとする。そのため孤立化しやすい。

(5) 脳の老化……他者に対する関心度や繊細度が弱くなってくる。ボケも含まれる。

 しかしこの自己概念を正確にもつ方法がある。それは他人の心の中に一度、自分を置き、
その他人の目を通して、自分の姿を見るという方法である。

 たとえばある人と対峙してすわったようなとき、その人の心の中に一度、自分を置いて
みる。そして「今、どんなふうに見えるだろうか」と、頭の中で想像してみる。意外と簡
単なので、少し訓練すれば、だれにでもできるようになる。

 もちろん家庭という場でも、この自己概念は、たいへん重要である。
 あなたは夫(妻)から見て、どんな妻(夫)だろうか。さらに、あなたは、子どもから
見て、どんな母親(父親)だろうか。それを正確に知るのは、夫婦断絶、親子断絶を防ぐ
ためにも、重要なことである。

 ひょっとしたら、あなたは「よき妻(夫)であり、よき母親(父親)である」と、思い
こんでいるだけかもしれない。どうか、ご注意!


(はやし浩司 自己概念 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教
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Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●愛他的自己愛者(偽善者)

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私の知人に、こんな女性(当時55歳くらい)がいた。
その女性は、何でも、ボランティア活動として、近所の
独居老人の世話をして回っているという。
そういう話を、その女性から直接、聞いた。

「どんなことをしているのですか?」と聞くと、
その女性は、ことこまかに、あれこれと説明してくれた。
で、あるとき、こんな会話をしたのを覚えている。

私がその話に少なからず感動し、「すばらしいことです」と
言ったときのこと。
その女性は、さらにこう言った。
「いえいえ、私なんか、何でもありません。
私の友人のHさんなんかは、独居老人の入浴を手伝っていますよ。
でね、入浴中に、老人が、便をもらすこともあるそうです。
が、Hさんは、そうした便を、手ですくって、外へ捨てていますよ」と。

さらに驚いたことに、話を聞くと、そのHさんというのは、まだ
20代の後半の男性と言った!

私は当時、この話を聞いて、心底、感動し、エッセーも書き残した。

しかし、である。
どうも、この話は、おかしい。
どこか、へん。

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●周囲文化

その人が善行をなすには、その人自身を支える、(周囲文化)というものが必要である。
たとえば自動車産業というものを考えてみよう。
自動車産業が生まれるためには、それを支える周辺の技術、研究、環境が必要である。
人材ももちろん、育成しなければならない。
そういった(周囲)もないまま、自動車産業だけが、忽然(こつぜん)と、
姿を現すということはありえない。

そこで私は、その女性の周辺に興味をもつようになった。
どういう生い立ちで、どういう人生を送ってきたか、などなど。
またその女性を支えている哲学は何か、とも。

しかし、である。
それから5、6年になるが、どこをどうつついても、その(周囲文化)というものが、
浮かび上がってこない。
それなりの基礎があったとか、経験があったとかいうなら、まだ話がわかる。
また会話をしていて、それなりの(深み)を感ずるというのなら、まだ話がわかる。
しかしそういうものが、まったく、ない。
だいたい、本を読んだことさえないという。
音楽も絵画もたしなまない。

そのうち私は、「どうしてそんな女性が、ボランティア活動?」と、疑問に思うように
なった。
が、やがていろいろな情報が入ってくるようになった。

●情報

その女性は、ケチの上に、「超」が三つも四つも重なるような女性である。
子どもの教育費すら、惜しんで出さなかったという。
2人の娘がいたが、「大学を出すと、遠くの男と結婚するから」という理由で、
娘たちには、大学へは行かせなかった。
が、世間体だけは人一倍気にしていた。
見栄っぱりで、虚栄心が強かった。
が、決定的だったのは、その女性が、一方でボランティア活動を他人に吹聴しながら、
その前後から始まった実父の介護では、虐待に近いことをしていたということ。

この話を、私はあるケアマネ(ケア・マネージャー)をしている人から聞いた。
そのときには、「ヘエ~、あの女性がですか……」と言ったきり、言葉が詰まってしまった。

つまりその女性は、ボランティア活動を、自分を飾るための道具として利用していただけ。
口もうまい。
言葉も巧み。
それとなく会話の中に、自分の善行を織り交ぜながら、相手を煙に巻く。
結果として、他人に、自分はすばらしい人間と思わせる。

「明日、町内の会合があるそうですが、私は行けません。
主人に代わりに行ってもらいます。
私には、一人、近所で、気になっている老人がいますので、その人を見回って
あげなければなりません。
かわいそうな人でね。
子どもは1人いるのですが、数年に1、2度、やってくるかどうかという人です。
あわれなもんです。
先日も、何かの書類が必要だというので、その老人のために、私は半日かけて
書類を集めてやりました」とか、何とか。

つまり一貫性がない。

そこまで親身になって独居老人の世話をしているというのなら、それなりの一貫性が
なければならない。
その一貫性が、こちら側に伝わってこなければならない。
さらに言えば、そこに至るまでのプロセスに、(自然さ)がなければならない。

たとえば以前、ある大学の教授の家を訪問したときのこと。
たまたまそこに、カンボジアの難民キャンプから帰ってきたばかりという女性がいた。
その女性は、左手を怪(けが)したとかで、まだ大きな包帯を幾重にも巻いていた。
「暴動に巻きこまれて、怪我をしました」「それで休暇をもらって、日本へ帰ってきて
います」ということだった。

そういう女性と話していると、(自然さ)を感ずる。
深い人間愛というか、人間味を感ずる。
哲学や人生観を感ずる。
どこにもスキがない。
私がここでいう(一貫性)というのは、それをいう。

で、私たちの世界では、先に書いたような女性のことを、「愛他的自己愛者」、つまり、
「偽善者」という。
もっとも軽蔑すべき人間ということになる。
なるが、先に書いたケアマネの人は、こう言って教えてくれた。

「そういう女性だとわかっていますが、そういう人でも、何かと助かっています」と。
偽善がときには、真善になるということもあるということか。
私には、とてもマネできないことだが……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 偽善 偽善者 自己愛 愛他的自己愛 自己愛者 自己愛性人格障害)

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