2011年1月11日火曜日

●Q&A(2)

 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【1】



●赤ちゃんがえり



北海道在住のESさんからの相談



 北海道在住のESさんから、こんな相談が届いた。



「二年ほど前にはやし先生にご著書をお贈りいただいた北海道K郡のESと申します。

その節は有難うございました。あれ以来、先生のホームページとEマガジンを楽しく読ませてい
ただき、子育ての参考にさせていただいております。



日々、子育ての奥の深さを実感すると同時に、子供を冷静に見る、距離をおいて見ることの大
切さも知ったように思います。とはいえ、ご相談があり、メールをさせていただきました。



現在、七歳の女の子(長女)、四歳の男の子(長男)、一歳の男の子(二男)がおります。

七歳の子は年少、年長と幼稚園に馴染みにくく、表情も硬く、じっと人をみすえるようなところも
あり、子供というよりは大人を相手にしているような気持ちになったものですが

年長になった頃から友達も増え、表情が生き生きと見違えるようになりました。弟に対しても以
前とは違いとてもやさしくお姉さんらしくなりました。



これも先生の子育て論がとても参考になっていたことも大きいと、嬉しく思っています。



四歳の男の子ですが、最近、しつこいほどに①「お兄ちゃんになりたくない」、「大人になりたく
ない」、まだ学校は先のことにもかかわらず「学校に行きたくない」、「勉強したくない」と言い困
っています。②弟が生まれ赤ちゃんがえりしたのかなあとは思うものの、あまりにしつこさに閉
口してしまいます。



三人いると、確かにその子に充分手をかけてやれないのは事実ですが、③わたしとしては不
安にさせるような言動はないつもりです。



「~したくない」といえば、「いいよ」と理解は示しているつもりなのですが……

性格は幼稚園では、明るく、友達ともよく遊び、活発なようです。④が、ここ二~三か月あまり
元気がないようで、先生にも甘えているようです。今日も園に用事でいった時も恥ずかしそうな
さびしそうな表情で笑いかけてきて、少し胸が痛みました。



⑤家では、明るく元気なものの神経質なところがあります。例えば、手足などの少しの汚れを
気にしたり、傷ともいえないような傷を気にしたりです。そして冗談が通じにくいのか笑わそうと
していったことにいじけたり、腹をたてたりです。同じことを姉にいった場合、笑ってくれます。



長男の否定的なところを、もっと明るいほうへ向くようにしてやりたいと思うのですが、親とし
て、どう接してやればよいでしょうか?



やまに登ったり、木の実を拾ったり、と外へ出ることがもともと好きですので、⑥主人とは、その
ようなところへ連れ出してやるのが長男の気持ちを解消させるのかなあとは話しています。



どうぞアドバイスをよろしくお願いいたします。」



【はやし浩司よりESさんへ】



 ご無沙汰しています。メール、ありがとうございました。少し、考えてみます。



①「お兄ちゃんになりたくない」、「大人になりたくない」、まだ学校は先のことにもかかわらず
「学校に行きたくない」、「勉強したくない」と言い困っています。



 ここで一番需要なポイントは、四歳の子どもが、「お兄ちゃんになりたくない」と言っている点で
す。この言葉は「お兄ちゃんでいるのは、いやだ」とも解釈できます。どこかで「兄」としてのプレ
ッシャーを感じているのかもしれません。赤ちゃんがえりを起こした子どもに、ときどき観察され
る発言です。



 赤ちゃんがえりというのは、一種の恐怖反応と理解されています。「捨てられた」「捨てられる
のでは」という妄想性が、子どもの心をゆがめます。小児うつ病(依存型うつ病)のひとつと考え
る学者もいます。どちらにせよ、下の子が生まれたことが原因による嫉妬がからむため、叱っ
たり、説教したりしても、意味はありません。少し極端な考え方ですが、もしあなたの夫がある
日突然、愛人を家に連れてきて、「今日からいっしょに住む」と言ったら、あなたはどうするでし
ょうか。子どもの置かれた立場は、それに似た立場と考えてよいでしょう。赤ちゃんがえりを、
決して、安易に考えてはいけません。



②弟が生まれ赤ちゃんがえりしたのかなあとは思うものの、あまりにしつこさに閉口してしまい
ます。



 嫉妬がからむと、おとなでも、本態的に狂うということは、よくあります。「本態的」というのは、
人間性そのものまで影響を受けるということです。乳幼児のばあい、嫉妬心をいじるのは、タブ
ー中のタブーです。で、ESさんの子どものように、赤ちゃんげりの症状が、「親が閉口するほ
ど、症状がしつこくなる」ことは、珍しくありません。子どもによっては、下の子を殺す寸前のこと
までします。この点においても、赤ちゃんがえりを、安易に考えてはいけません。



③私としては不安にさせるような言動はないつもりです。「~したくない」といえば、「いいよ」と理
解は示しているつもりなのですが……



 これは赤ちゃんがえりとは、別の問題です。子どもは、いろいろわがままを言いながら、親の
愛情を確認したり、確かめたりします。赤ちゃんがえりの症状は子どもの欲求不満に準じて、
攻撃型(下の子いじめ)、内閉型(言動が赤ちゃんぽくなる)、固着型(ものにこだわる)に分け
て考えます。子どもによっては、そのつど、いろいろな症状を示すこともあります。ときに下の子
をいじめたり、あるいは親に甘えたりするなど。心の緊張感がとれないため、ささいなことで、キ
レたり、激怒したり、かんしゃく発作を起こしたりすることもあります。



 赤ちゃんがえりと、わがままは区別して考えます。つまりそれがわがままによるものであれ
ば、親は親として、き然とした態度でのぞみます。一般的には、わがままは無視します。わがま
まを言ってもムダという雰囲気をつくります。



 ただし子どものほうから愛情を求めてきたようなときには、それには、こまめに、かつていね
いに応じてあげてください。



④が、ここ二~三か月あまり元気がないようで、先生にも甘えているようです。今日も園に用事
でいった時も恥ずかしそうなさびしそうな表情で笑いかけてきて、少し胸が痛みました。



 基本的には愛情不足と考えてよいでしょう。親は「みな平等にかわいがっているから問題は
ないはず」と考えがちですが、子どもの側からすれば、「平等」ということが納得できないので
す。先の例で、あなたの夫が、「おまえも愛人も平等にかわいがっている」と言っても、あなたは
それに納得するでしょうか。



⑤家では、明るく元気なものの神経質なところがあります。例えば、手足などの少しの汚れを
気にしたり、傷ともいえないような傷を気にしたりです。そして冗談が通じにくいのか笑わそうと
していったことにいじけたり、腹をたてたりです。同じことを姉にいった場合、笑ってくれます。



 いくつか神経症による症状も出ていると思われます。神経症の原稿は、ここに張りつけてお
きますので参考にしてください。



⑥主人とは、そのようなところへ連れ出してやるのが長男の気持ちを解消させるのかなあとは
話しています。



 最後に、この問題は、結局は、子どもに、いかにすれば安心感を与えることができるかという
点に行きつきます。おとな的な発想で、「外へ連れ出せばよいのでは」と考えることはムダでは
ありませんが、方向性が少し違うように思います。あくまでもお子さんの気持ちを大切に、お子
さんの気持ちを確かめながら行動するのがよいかと思います。強引にあちこちへ連れまわす
のは、かえって逆効果になるのではと心配しています。



++++++++++++++++++++++

参考①(子どもの欲求不満)



子どもが欲求不満になるとき



●欲求不満の三タイプ

 子どもは自分の欲求が満たされないと、欲求不満を起こす。この欲求不満に対する反応は、
ふつう、次の三つに分けて考える。



①攻撃・暴力タイプ

 欲求不満やストレスが、日常的にたまると、子どもは攻撃的になる。心はいつも緊張状態に
あり、ささいなことでカッとなって、暴れたり叫んだりする。私が「このグラフは正確でないから、
かきなおしてほしい」と話しかけただけで、ギャーと叫んで私に飛びかかってきた小学生(小四
男児)がいた。あるいは私が、「今日は元気?」と声をかけて肩をたたいた瞬間、「このヘンタイ
野郎!」と私を足げりにした女の子(小五)もいた。こうした攻撃性は、表に出るタイプ(喧嘩す
る、暴力を振るう、暴言を吐く)と、裏に隠れてするタイプ(弱い者をいじめる、動物を虐待する)
に分けて考える。



②退行・依存タイプ

 ぐずったり、赤ちゃんぽくなったり(退行性)、あるいは誰かに依存しようとする(依存性)。こ
のタイプの子どもは、理由もなくグズグズしたり、甘えたりする。母親がそれを叱れば叱るほ
ど、症状が悪化するのが特徴で、そのため親が子どもをもてあますケースが多い。



③固着・執着タイプ

 ある特定の「物」にこだわったり(固着性)、あるいはささいなことを気にして、悶々と悩んだり
する(執着性)。ある男の子(年長児)は、毛布の切れ端をいつも大切に持ち歩いていた。最近
多く見られるのが、おとなになりたがらない子どもたち。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえりを起
こす。ある男の子(小五)は、幼児期に読んでいたマンガの本をボロボロになっても、まだ大切
そうにカバンの中に入れていた。そこで私が、「これは何?」と声をかけると、その子どもはこう
言った。「どうチェ、読んでは、ダメだというんでチョ。読んでは、ダメだというんでチョ」と。子ども
の未来を日常的におどしたり、上の兄や姉のはげしい受験勉強を見て育ったりすると、子ども
は幼児がえりを起こしやすくなる。



 またある特定のものに依存するのは、心にたまった欲求不満をまぎらわすためにする行為と
考えるとわかりやすい。これを代償行為というが、よく知られている代償行為に、指しゃぶり、
爪かみ、髪いじりなどがある。別のところで何らかの快感を覚えることで、自分の欲求不満を
解消しようとする。



●欲求不満は愛情不足

 子どもがこうした欲求不満症状を示したら、まず親子の愛情問題を疑ってみる。子どもという
のは、親や家族の絶対的な愛情の中で、心をはぐくむ。ここでいう「絶対的」というのは、「疑い
をいだかない」という意味。その愛情に「ゆらぎ」を感じたとき、子どもの心は不安定になる。あ
る子ども(小一男児)はそれまでは両親の間で、川の字になって寝ていた。が、小学校に入っ
たということで、別の部屋で寝るようになった。とたん、ここでいう欲求不満症状を示した。その
子どものケースでは、目つきが鋭くなるなどの、いわゆるツッパリ症状が出てきた。子どもなり
に、親の愛がどこかでゆらいだのを感じたのかもしれない。母親は「そんなことで……」と言っ
たが、再び川の字になって寝るようになったら、症状はウソのように消えた。



●濃厚なスキンシップが有効

 一般的には、子どもの欲求不満には、スキンシップが、たいへん効果的である。ぐずったり、
わけのわからないことをネチネチと言いだしたら、思いきって子どもを抱いてみる。最初は抵抗
するような様子を見せるかもしれないが、やがて静かに落ちつく。あとはカルシウム分、マグネ
シウム分の多い食生活に心がける。



 なおスキンシップについてだが、日本人は、国際的な基準からしても、そのスキンシップその
ものの量が、たいへん少ない。欧米人のばあいは、親子でも日常的にベタベタしている。よく
「子どもを抱くと、子どもに抱きグセがつかないか?」と心配する人がいるが、日本人のばあ
い、その心配はまずない。そのスキンシップには、不思議な力がある。魔法の力といってもよ
い。子どもの欲求不満症状が見られたら、スキンシップを濃厚にしてみる。それでたいていの
問題は解決する。



++++++++++++++++++++++

参考②(幼児がえり)



おとななんかに、なりたくない



 赤ちゃんがえりという、よく知られた現象が、幼児の世界にある。下の子どもが生まれたこと
により、上の子どもが赤ちゃんぽくなる現象をいう。急におもらしを始めたり、ネチネチとしたも
のの言い方になる、哺乳ビンでミルクをほしがるなど。定期的に発熱症状を訴えることもある。
原因は、本能的な嫉妬心による。つまり下の子どもに向けられた愛情や関心をもう一度とり戻
そうと、子どもは、赤ちゃんらしいかわいさを演出するわけだが、「本能的」であるため、叱って
も意味がない。



 これとよく似た現象が、小学生の高学年にもよく見られる。赤ちゃんがえりならぬ、幼児がえ
り、である。先日も一人の男児(小五)が、ボロボロになったマンガを、大切そうにカバンの中か
ら取り出して読んでいたので、「何だ?」と声をかけると、こう言った。「どうせダメだと言うんで
チョ。ダメだと言うんでチョ」と。



 原因は成長することに恐怖心をもっているためと考えるとわかりやすい。この男児のばあい
も、日常的に父親にこう脅されていた。「中学校の受験勉強はきびしいぞ。毎日、五、六時間、
勉強をしなければならないぞ」「中学校の先生は、こわいぞ。言うことを聞かないと、殴られる
ぞ」と。こうした脅しが、その子どもの心をゆがめた。

 ふつう上の子どものはげしい受験勉強を見ていると、下の子どもは、その恐怖心からか、お
となになることを拒絶するようになる。実際、小学校の五、六年生児でみると、ほとんどの子ど
もは、「(勉強がきびしいから)中学生になりたくない」と答える。そしてそれがひどくなると、ここ
でいうような幼児がえりを起こすようになる。



 話は少しそれるが、こんなこともあった。ある母親が私のところへやってきて、こう言った。「う
ちの息子(高二)が家業である歯科技工士の道を、どうしても継ぎたがらなくて、困っています」
と。それで「どうしたらよいか」と。そこでその高校生に会って話を聞くと、その子どもはこう言っ
た。「あんな歯医者にペコペコする仕事はいやだ。それにうちのおやじは、仕事が終わると、
『疲れた、疲れた』と言う」と。そこで私はその母親に、こうアドバイスした。「子どもの前では、家
業はすばらしい、楽しいと言いましょう」と。結果的に今、その子どもは歯科技工士をしている
ので、私のアドバイスは、それなりに効果があったということになる。さて本論。



 子どもの未来を脅してはいけない。「小学校では宿題をしないと、廊下に立たされる」「小学校
では一〇、数えるうちに服を着ないと、先生に叱られる」などと、子どもを脅すのはタブー。子ど
もが一度、未来に不安を感ずるようになると、それがその先、ずっと、子どものものの考え方
の基本になる。そして最悪のばあいには、おとなになっても、社会人になることそのものを拒絶
するようになる。事実、今、おとなになりきれない成人(?)が急増している。二〇歳をすぎて
も、幼児マンガをよみふけり、社会に同化できず、家の中に引きこもるなど。要は子どもが幼
児のときから、未来を脅さない。この一語に尽きる。



+++++++++++++++++++

参考③(子どもの神経症)(中日新聞発表済み)



子どもの神経症



 心理的な要因が原因で、精神的、身体的な面で起こる機能的障害を、神経症という。脳の機
能が変調したために起こる症状と考えると、わかりやすい。ふつう子どもの神経症は、①精神
面、②身体面、③行動面の三つの分野に分けて考える。そこであなたの子どもをチェック。次
の症状の中で思い当たる症状(太字)があれば、丸(○)をつけてみてほしい。



 精神面の神経症……精神面で起こる神経症には、恐怖症(ものごとを恐れる。高所恐怖症、
赤面恐怖症、閉所恐怖症、対人恐怖症など)、強迫症状(ささいなことを気にして、こわがる)、
不安症状(理由もなく思い悩む)、抑うつ症状(ふさぎ込んだり、落ち込んだりする)、不安発作
(心配なことがあると過剰に反応する)など。混乱してわけのわからないことを言ったり、グズグ
ズするタイプと、大声をあげて暴れるタイプに分けて考える。ほかに感情面での神経症として、
赤ちゃんがえり、幼児退行(しぐさが幼稚っぽくなる)、かんしゃく、拒否症、嫌悪症(動物嫌悪、
人物嫌悪など)、嫉妬、激怒などがある。



 身体面の神経症……夜驚症(夜中に突然暴れ、混乱状態になる)、夢中遊行(ねぼけてフラ
フラとさまよい歩く)、夜尿症、頻尿症(頻繁にトイレへ行く)、遺尿(その意識がないまま尿もら
す)、睡眠障害(寝つかない、早朝起床、寝言、悪夢)、嘔吐、下痢、原因不明の慢性的な疾患
(発熱、ぜん息、頭痛、腹痛、便秘、ものもらい、眼病など)、貧乏ゆすり、口臭、脱毛症、じん
ましん、アレルギー、自家中毒(数日おきに嘔吐を繰り返す)、口乾、チックなど。指しゃぶり、
爪かみ、髪いじり、歯ぎしり、唇をなめる、つば吐き、ものいじり、ものをなめる、手洗いグセ
(潔癖症)、臭いかぎ(疑惑症)、緘黙、吃音(どもる)、あがり症、失語症、無表情、無感動、涙
もろい、ため息なども、これに含まれる。一般的には精神面での神経症に先だって、身体面で
の神経症が現われることが多い。



 行動面の神経症……神経症が行動面におよぶと、さまざまな不適応症状となって現われる。
不登校もその一つだが、その前の段階として、無気力、怠学、無関心、無感動、食欲不振、過
食、拒食、異食、小食、偏食、好き嫌い、引きこもり、拒食などが断続的に起こることが多い。
生活習慣が極端にだらしなくなることもある。忘れ物をしたり、乱れた服装で出歩いたりするな
ど。ほかに反抗、盗み、破壊的行為、残虐性、帰宅拒否、虚言、収集クセ、かみつき、緩慢行
動(のろい)、行動拒否、自慰、早熟、肛門刺激、異物挿入、火遊び、散らかし、いじわる、いじ
めなど。



こうして書き出したら、キリがない。要するに心と身体は、密接に関連しあっているということ。
「うちの子どもは、どこかふつうでない」と感じたら、この神経症を疑ってみる。ただし一言。こう
した症状が現われたからといって、子どもを叱ってはいけない。叱っても意味がないばかりか、
叱れば叱るほど、逆効果。神経症は、ますますひどくなる。原因は、過関心、過干渉、過剰期
待など、いろいろある。



 さて診断。丸の数が、一〇個以上……あなたの子どもの心はボロボロ。家庭環境を猛省す
る必要がある。九~五個……赤信号。子どもの心はかなりキズついている。四~一個……注
意信号。見た目の症状が軽いからといって、油断してはならない。



+++++++++++++++++

参考④(子どもへの愛情)



愛情は落差の問題



 下の子どもが生まれたりすると、よく下の子どもが赤ちゃんがえりを起こしたりする。(赤ちゃ
んがえりをマイナス型とするなら、下の子をいじめたり、下の子に乱暴するのをプラス型という
ことができる。)本能的な嫉妬心が原因だが、本能の部分で行動するため、叱ったり説教して
も意味がない。叱れば叱るほど、子どもをますます悪い方向においやるので、注意する。



 こういうケースで、よく親は「上の子どもも、下の子どもも同じようにかわいがっています。どう
して上の子は不満なのでしょうか」と言う。親にしてみれば、フィフティフィフティ(50%50%)だ
から文句はないということになるが、上の子どもにしてみれば、その「五〇%」というのが不満
なのだ。つまり下の子どもが生まれるまでは、一〇〇%だった親の愛情が、五〇%に減ったこ
とが問題なのだ。もっとわかりやすく言えば、子どもにとって愛情の問題というのは、「量」では
なく「落差」。それがわからなければ、あなたの夫(妻)が愛人をつくったことを考えてみればよ
い。あなたの夫が愛人をつくり、あなたに「おまえも愛人も平等に愛している」とあなたに言った
としたら、あなたはそれに納得するだろうか。



 本来こういうことにならないために、下の子を妊娠したら、上の子どもを孤立させないように、
上の子教育を始める。わかりやすく言えば、上の子どもに、下の子どもが生まれてくるのを楽
しみにさせるような雰囲気づくりをする。「もうすぐあなたの弟(妹)が生まれてくるわね」「あなた
の新しい友だちよ」「いっしょに遊べるからいいね」と。まずいのはいきなり下の子どもが生まれ
たというような印象を、上の子どもに与えること。そういう状態になると、子どもの心はゆがむ。
ふつう、子ども(幼児)のばあい、嫉妬心と闘争心はいじらないほうがよい。



 で、こうした赤ちゃんがえりや下の子いじめを始めたら、①様子があまりひどいようであれ
ば、以前と同じように、もう一度一〇〇%近い愛情を与えつつ、少しずつ、愛情を減らしていく。
②症状がそれほどひどくないよなら、フィフティフィフティ(五〇%五〇%)を貫き、そのつど、上
の子どもに納得させるのどちらかの方法をとる。あとはカルシウム、マグネシウムの多い食生
活にこころがける。



+++++++++++++++++++++

参考⑤(赤ちゃんがえり)



赤ちゃんがえりを甘く見ない



 幼児の世界には、「赤ちゃんがえり」というよく知られた現象がある。これは下の子ども(弟、
妹)が生まれたことにより、上の子ども(兄、姉)が、赤ちゃんにもどる症状を示すことをいう。本
能的な嫉妬心から、もう一度赤ちゃんを演出することにより、親の愛を取り戻そうとするために
起きる現象と考えるとわかりやすい。本能的であるため、叱ったり説教しても意味はない。子ど
もの理性ではどうにもならない問題であるという前提で対処する。



 症状は、おもらししたり、ぐずったり、ネチネチとわけのわからないことを言うタイプと、下の子
どもに暴力を振るったりするタイプに分けて考える。前者をマイナス型、後者をプラス型と私は
呼んでいるが、このほか情緒がきわめて不安定になり、神経症や恐怖症、さらには原因不明
の体の不調を訴えたりすることもある。このタイプの子どもの症状はまさに千差万別で定型が
ない。月に数度、数日単位で発熱、腹痛、下痢症状を訴えた子ども(年中女児)がいた。ある
いは神経が異常に過敏になり、恐怖症、潔癖症、不潔嫌悪症などの症状を一度に発症した子
ども(年中男児)もいた。



 こうした赤ちゃんがえりを子どもが示したら、症状の軽重に応じて、対処する。症状がひどい
ばあいには、もう一度上の子どもに全面的な愛情をもどした上、一からやりなおす。やりなおす
というのは、一度そういう状態にもどしてから、一年単位で少しずつ愛情の割合を下の子ども
に移していく。コツは、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、根気よく子どもの症状に対
処すること。年齢的には満四~五歳にもっとも不安定になり、小学校入学を迎えるころには急
速に症状が落ち着いてくる。(それ以後も母親のおっぱいを求めるなどの、残像が残ることは
あるが……。)



 多くの親は子どもが赤ちゃんがえりを起こすと、子どもを叱ったり、あるいは「平等だ」という
が、上の子どもにしてみれば、「平等」ということ自体、納得できないのだ。また嫉妬は原始的
な感情の一つであるため、扱い方をまちがえると、子どもの精神そのものにまで大きな影響を
与えるので注意する。先に書いたプラス型の子どものばあい、下の子どもを「殺す」ところまで
する。嫉妬がからむと、子どもでもそこまでする。

 要するに赤ちゃんがえりは甘くみてはいけない。

(030213)



読者のみなさんへ、……無断での転載、転用はご遠慮ください。

















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【2】



●総合学習について



【掲示板より】



長男の初の中間テストの結果に打ちのめされ苦しんでいた時、偶然はやし先生のページに出
会いました。まさに目からうろこで、今までの私の苦しみはいったい何だったのだろう、と滑稽
(こっけい)にさえ思えました。残念ながら学歴へのこだわりが完全になくなったわけではないの
ですが、こどもへの接し方は劇的にかわりました。本当に感謝しています。ありがとうございま
した。



ところで、先日テレビで小学校の総合学習で、企画から販売までのノウハウを数か月かけて外
部から講師を呼んで学習する、という報道がありました。職業意識を身につけさせるための教
育だそうです。とても好意的な報道の感じで保護者の評判もよい、とのことでしたが私は、ちょ
っと腑に落ちない感じがしました。林先生は小中学校の総合学習についてどのようなお考えを
おもちですか。



【はやし浩司より、k様へ】



無数の試行錯誤。失敗と成功。賞賛と批判。隆盛と衰退。こういうのが渦を巻くところに、教育
の活性化が生まれます。総合学習というより、アメリカでは、学校単位で総合学習をしているよ
うな状況です。バウチャースクール、チャータースクールなど。公立小学校でも、PTAが納得す
れば、四歳児から教え、小三で卒業ということまで可能です。学校単位で、独自のカリキュラム
を組んでいます。(実際に見てきました。一応、州政府が示すおおまかなガイダンスはあります
が、たいへんおおらかなものです。)



日本の総合学習は、基本的には、その流れをまねたものです。(日本の文部科学省あたりが
出す改革は、そのほとんどが、外国のマネです。)ですから、これから先、この学習時間を通し
て無数の試行錯誤が繰りかえされると思いますが、それはそれとして、マクロな視点で、考えて
みてはいかがでしょうか。



日本の教育はあまりにも、画一的すぎた。金太郎アメのアメのような子どもばかりつくってき
た。それではいけないということです。自由であるからこそ、そこから活力が生まれます。その
活力が、これからの日本を支えます。A小学校では、スペイン語を教え、B小学校では、株式
の運用を教え、C小学校では、いけばなを教え……ということであっても、まったく問題はない
わけです。またそういう試行錯誤の中から、多少の失敗が生まれたからといって、大切なこと
は、それをつぶすことではなく、それを教訓として前に進むことです。



kさんも、まだ旧態の学校意識をもっておられるのかもしれません。「学校は絶対」「学校がす
べて」「勉強は大切」と。しかしもうそういう時代は、終わりつつあります。ドイツやイタリアでは、
子どもたちはたいてい、午前中で学校を終え、それぞれがクラブに通っています。科学クラブ、
スポーツクラブなど。好き勝手なことをしています。



アメリカでは、学校へ行かない、いわゆるホームスクーラーが、二〇〇万人を超えました(〇二
年末推計)。もうそういう時代が、そこまできています。「企画から販売まで教えた」というのもそ
の一つですね。全国一律にそれをすれば問題ですが、そうでなければ、その独自性を評価し
てあげましょう。「日本の学校もなかなかやるじゃん」とです。



 日本の教育は、その道の学者になるには、きわめてすぐれた教育体系をもっています。英語
は、英文法の学者になるため。数学は、数学者になるため、と。それは当然です。もともとこう
した教育は、その道のエラーイ大家先生がつくったからです。だからおもしろくない。だから役
にたたない。それともあなたは、高校を卒業してから、一度でも、微分、積分はおろか、方程式
を日常生活で使ったことがありますか? 私はありません。



 アメリカでは、中学校で、中古車の買い方から教えます。そして金利計算、損得計算、さらに
は小切手の切り方まで教えます。大都市以外の高校では、運転免許まで取れるようになって
います。「社会へ出ても、子どもが困らないようにするのが、教育」と、彼らは考えているからで
す。



 しかしこの日本では、教育が人間選別の道具になっていまっている。あるいは「役にたたない
のが教育」と考えているフシすらあります。諸悪の根源は、すべてこの一点にあります。親や子
どもは、無知なまま、それに踊らされているだけです。



 だから総合教育なのです。文部科学省あたりは、「改革」と自慢していますが、本当はすべて
欧米に、追従しているだけです。それも恐る恐る、小出しに……。アメリカでは、大学にせよ、
入学後の学部変更はもちろん、転籍も自由です。ユーロッパでは全域で、大学の単位が共通
化されました。どこの大学に入っても、同じという状態になりました。つまりそれが世界です。
(これだけマスコミが発達していても、そういう情報だけは、親のところに届かないというのは、
不思議な気がしますね。)



 さあ、k様も、重苦しい衣を脱いで、自由にはばたいてみましょう。あなたも、中学生のとき、
ずいぶんといやな思いをしたはずです。そうした「いやな思い」というのが、本当に必要なもの
だったのかどうか、改めてここで考えなおしてみてください。それで結論は、おのずと出てくるは
ずです。

(030709)







【掲示板より】



総合学習に関してお答えありがとうございました。確かに私はかなり視野が狭く、思いこみが強
いので、なかなか今の時代の流れについていけないところがあります。



ただこどもによっては難しい学習ではないかとも感じています。テーマを決め、調べて分析し、
それについて考察、まとめ、という作業にはやはりある程度の能力が必要ではないかと思いま
す。



実際、授業を見たことがありますが、いきいきと学習している子は積極的にどんどん取り組ん
でいますが、ボーッとして今何をしているのか、自分は何をしたらよいかわからない、というよう
な子もいました。先生方の工夫次第ですばらしい効果が生まれるのでしょうが、やはり取り残さ
れていくこどもはいるだろうな、と不安に思いました。



話題を変えます。中学生で友だちがいない事(学校で孤立しているわけではないが、休み時間
は、ひとりで本を読んでいる、休日に一緒に遊んだりしない)が心配です。担任はとくに問題な
し、といいます。家ではリラックスしています。最近いろいろな中学生の事件があるので気にな
っています。



【はやし浩司より】



教育には、ふたつの限界がある。教える側の限界と、学ぶ側の限界である。集団教育では、な
おさらで、ともに、その限界は、最小限であればあるほど、よい。しかし、その限界をなくすこと
はできない。



野球を例にとって、考えてみよう。かりに一一人のメンバーに選ばれたとしても、フィールドに出
られるのは、九人だけ。あとの二人は、スペアということになる。その二人は、交代の声がかか
るまで、ベンチで待つしかない。



野球と教育とは違うが、しかし問題は、そういう限界があるということではなく、どう、その限界
を、受け入れるかということ。あるいはどう、その限界をカバーするかということ。たとえばこの
掲示板に書いてあるように、つまり、中には、興味を示さず、ボーッとしている子どもがいたとし
ても、それはそれでどうしようもないことではないのか。中学生ともなれば、教師のできることに
もさらに限界がある。もちろん子ども自身にも、限界がある。



そこでどうだろう、こう考えては。オールマイティの子どもをつくろうとしないこと、と。また求めな
いこと、と。九つの教科を受けたら、そのうち、一つか二つ、それなりにできればよしとすると、
と。あとの八つか九つは、取り残されてもよいではないか、と。一つがダメでも、すべてがダメと
いうわけではない。一見、いいかげんな意見に聞こえるかもしれないが、そういういいかげんな
部分で、子どもは、前に向って、伸びることができる。



親の立場でいうなら、要は、完ぺきさを学校に求めないこと。教育に求めないこと。教師に求め
ないこと。これには日本人独特の、依存性の問題がからむが、今のように、教育はもちろん、
しつけから道徳、健康管理から家庭管理まで、すべて学校に押しつけることのほうが、おかし
い。「取り残されていく子どもはいるだろうな、と不安に思いました」という、この投稿者の気持
は、そういう「おかしさ」の中から生まれる。つまり、もっと言えば、不安になるほうが、おかし
い。



もう少しわかりやすい例で考えてみよう。もしあなたの子どもが、野球チームで、スペアになっ
ても、あなたは、不安にはならないだろうと思う。もともと「野球なんて、できても、できなくても、
どちらでもいい」と思っているからだ。だからこそ、スペアになった子どもでも、それなりに楽し
く、自分の番を待つことができる。



しかし、勉強は、そうでない? つまりそこに、親側の学歴信仰がある。日本には、「学歴」とい
うコースがあって、それからはずれることを、親たちは、恐れる。つまりその時点で、子どものこ
とを心配しているフリをしながら、その実、親自身が感ずる不安や心配を、教育にぶつけてい
るだけ。こういうのを、心理学で、「投射」という。あなたは気づいていないかもしれないが、私
はあなたの中に、カルトに近い、学齢信仰を感ずる。



また「中学生で友だちがいない事(学校で孤立しているわけではないが、休み時間はひとりで
本を読んでいる、休日に一緒に遊んだりしない)が心配です」について。



子どもが中学生なら、親としてできることは、もうない。先生が「とくに問題なし」と言っているな
ら、その言葉を信じるしかない。今度は、親の限界ということになるが、これから先、こうした限
界は、砂浜に打ち寄せる波のようにやってくる。で、そのときどきに、親は、そういう限界をズシ
リ、ズシリと感じながら、じっと、その限界の重みに耐えることでしかない。親がせいぜいできる
ことと言えば、子どもがその疲れた体や心をいやすための場所を、提供することでしかない。
暖かく包んであげることでしかない。



今、大切なのは、「うちの子は、こういう子なんだ」という視点で、あるがままを受け入れること。
問題が見つかるたびに、(あくまでも親がそう思うだけだが……)、「ああしよう」「こうしよう」と、
あがけばあがくほど、子どもは、親の望む方向とは、別の方向に進む。あるいはさらに悪いこ
とに、二番底、三番底へと落ちていく。むしろ心配なのは、親のこうした不安感が、子どもの情
緒を、さらに不安にするのではないかということ。子どもの表情が暗いとしたら、その表情をつく
っているのは、親自身にほかならない。そのことに、あなたは、気づいているだろうか。



もっとはっきり言おう。



あなた自身が、不安を基底とした子育てをしている。あなた自身が、子どもとの信頼関係を築
けないでいる。その原因は何かといえば、ひょっとしたら、あなたとあなたの両親との、不幸な
関係があるかもしれない。あなた自身もまた、あなたの親に、信頼されていなかった。あなたも
あなたの親を信頼していなかった。今のあなたは、それをあなたの子どもに繰りかえしている
だけ? ……こう決めてかかるのは、危険なことだが、こうした問題の「根」は深い。一度、あな
たも、それを疑ってみてほしい。



そこで私の結論。



ボーッとしていても、気にしない。私もときどき、ワイフといっしょにテニスクラブに行く。しかし自
分の出番を待っている間は、ただひたすらボーッとしている。女性たちは、ペチャクチャと、しゃ
べっているが、私は、そういう会話は、得意ではない。しかしだからといって、私は、「取り残さ
れている」とは思わない。自分がダメになっていくとは、思わない。人は、人、みな、それぞれな
のである。



もっとあなたの子どもを信じなさい。「休み時間は、ひとりで本を読んでいる」なら、すばらしいこ
とではないか。どうしてひとつひとつの行為を悪いほうに、悪いほうに考えるのか。本を読むと
いうことが、いかにすばらしいことであり、大切なことであるかは、日本を離れてみればわか
る。



アメリカの小中学校では、ほとんどどの学校も、図書室は、玄関を入ってすぐ、つまり校舎の中
央にある。しかもその図書室で、子どもを指導する教師(ライブラリアン)は、修士号をもってい
ないとできない。つまりふつうの教師より、「格」が上。



くだらない騒音にひとり背を向け、本を読む……。私なら、「お前はすばらしい子だ」と、その生
徒をほめる。実際、そうほめている。だいたい日本の子どもというのは、イワシの缶詰のような
世界で、ぎゅうぎゅうに詰められて勉強している。「友だち」「友だち」と意識するほうが、これま
たおかしい。そういう子どもが、「取り残される」? ……とんでもない。あなたの子どもが、何か
ら取り残されるというのか?



さあ、あなたの子どもは、すばらしい子どもだ。自信をもちなさい。その自信が、あなたの子ど
もの表情を明るくする。先生の言葉をすなおに信じて、「うちの子は、問題はない」と思いなさ
い。

(030711)



【追記】最後に、世間をにぎわしている凶悪事件について、不安になっている親も多いと思う。
しかしあなたの子どもは、絶対に、そういう子どもにはならない。なぜなら、あなたは今、私のマ
ガジンを読んでいるから。私が、あなたを、そういう子どもをつくらない親にする! (少しどこか
教祖的? ははは。一度、こう言ってみたかった。)











 Q&A INDEX   はやし浩司のHPへ 
【3】



●かん黙児について



【かん黙についての相談より】



はじめまして。やっと先生のHPにたどりつきました。

私には年中の七月に五歳になったばかりの長男と、三歳の二男がおりますが、長男のことで
ご相談いたします.



長男は、家では明るくひょうきんでお調子者の元気な子ですが、一歩外へ出ると、なぜかほか
の子どもとは話しをすることができません。(大人とは会話をすることもあるのですが)。話し始
めたのは割と早かったのですが、五歳になる現在まで息子が友だちと楽しくおしゃべりする姿
をみたことがありません。



赤ちゃんの頃から人見知りが激しく、私からなかなか離れられない子だったので、性格かな?
 と思っていたのですが、いまだに治らないので、これは何かほかに問題があるのかなと思い
始めました。



幼稚園でも友だちの間には入っていけないらしく、担任の先生が友だちとの中に入って仲立ち
をしてくれています。



友だちから誘われると遊びはするものの、なぜか話しをすることができないということです。(し
てもあいづちを打ったり、うんとかううんとか言う程度だそうです)。先生には話しはできます。



四月より二年保育で幼稚園に通い始めましたが、喜んで通ってはいません。時々園バスを待
つとき泣いたり、行きたくないようなことを言います。でも帰ってくると幼稚園は楽しいとは言い
ます。



公園で遊んでいても、同じ年くらいの子がそばに寄ってくると顔がくもったり、逃げたり、不安そ
うな顔をしたりします。



息子は家では電車や車で町をつくったり、絵を描くのがすきです。それと数字や字を書くことに
とても興味があり、教えることもないのにどんどん覚えていきます。それとピアノがすごく好き
で、耳から聞く曲を、ピアノでそのまま弾いてみせたりしてびっくりすることがあります。



子どもと話しのできないかんもく症というのはあるのでしょうか? 親としてどうこの子に接して
やればいいのでしょう?



少しでも友だちと遊ぶことの楽しさを子どもに味あわせてやりたいのです。先生のアドバイス心
よりお待ちしております。

(長野県S市・SY母親より)



【はやし浩司より、SYさんへ】



 かん黙傾向というのは、広く、いろいろな情緒障害の随伴症状として見られるものです。です
から、かん黙傾向があるからといって、かん黙児ということにはなりません。たとえば対人恐怖
症の子どもは、やはり人前では、ほとんどしゃべりません。



 で、そのかん黙傾向が、ふつうの人間関係を結べないほどまでに強くなった状態を、かん黙
と言います。かん黙児の特徴については、ここに原稿を添付しておきます。参考にしてくださ
い。いただいたメールだけではよくわかりませんが、私は、心配されるようなかん黙児ではな
く、ここに書いた対人恐怖症ではないかと思います。「時々園バスを待つとき泣いたり、行きた
くないようなことを言います。でも帰ってくると幼稚園は楽しいとは言います」という、一日の中に
おいて、症状が変化するところに、それを感じました。これを「症状の日内変動」と言いますが、
広く、恐怖症全体に共通して見られる症状だからです。



 原因については、今さら問題にしても意味はありませんが、考えられるのは、最初の段階で、
人に対して、恐怖心を覚えたということです。つまり親と子だけのマンツーマンの子育てが中心
だったのが、外へ出され、そこで人に対して、恐怖心を覚えたということです。「人見知りが強
かった」ということですが、そのとき、親が無理をしたか、あるいは突き放すようなことをしたの
かもしれません。



 そういう意味では、情緒が不安定な子どもということになります。ただ誤解してはいけないの
は、情緒が不安定というのは、あくまでも結果でしかないということです。わかりやすく言えば、
あなたの子どもは、心の緊張感がとれない、ほぐれない状態にあるということです。その緊張し
ている状態のところに、心配や不安が入りこむと、それを解消しようと、一挙に、情緒が不安定
になる。それが今の状態だということです。



 この緊張感は、なかなかとれません。五、六歳児ならなおさらで、それこそ一年単位のケアが
必要です。あるいは安静になったと思っても、簡単なきっかけで再発します。心というのは、そ
ういうものです。もっと言えば、SYさん自身も、子どもに対して、全幅に心を開いていない、つま
り日常的に、ある種の緊張感を覚えている可能性もあります。子どもの心というのは、そういう
意味で親の心を写す、カガミのようなものです。あなた自身のことも反省してみてください。なお
恐怖症の原稿も、ここに添付しておきます。



 さてSYさんの相談で、一番気になるのは、三歳の二男のことです。逆算すると、人見知りを
始める、ちょうど、満一歳前後から、満一・五歳前後にかけて、下の子どもが生まれたことにな
ります。もっとも親に甘えたいときに、下の子が生まれたということになります。この段階で、子
どもの情緒が一挙に不安定になったと考えられます。いただきましたメールを読むかぎり、赤
ちゃんがえりの一つの変形タイプではないかと推察されます。どこかで「あなたはお兄ちゃんだ
から」式の、突き放しをしていませんか。決して、赤ちゃんがえりを安易に考えてはいけませ
ん。それはちょうど、あなたの夫が、ある日突然、愛人をあなたの家に連れこむようなもので
す。あなたははたして平静でいられるでしょうか。



 あくまでもいただいたメールの範囲ですが、いわゆるかん黙児ではないと思います。考えられ
るのは、赤ちゃんがえりがこじれた、対人恐怖症ではないかと思います。あくまでも一つの意見
として参考にしてください。かん黙児は、おとなとは、絶対に話をしません。



 ただ一つ気になるのは、自閉傾向があるということ。(自閉症ではありません。誤解のないよ
うに!)カラに閉じこもるような傾向を見せたら、何らかの方法で、外へ引き出してあげるとよい
でしょう。(ただし無理をしてはいけません。)「それと数字や字を書くことにとても興味があり、
教えることもないのにどんどん覚えていきます。それとピアノがすごく好きで、耳から聞く曲を、
ピアノでそのまま弾いてみせたりしてびっくりすることがあります」というところに、私は、それを
感じます。



 心のケアとして大切なことは、濃厚なスキンシップを与えるということです。とくに子どもがとき
どき、思いついたように求めてくるスキンシップについては、絶対に(絶対に!)拒んではいけま
せん。求めてきたら、グイと力強く抱く。しばらく抱いていると、やがて満足して体を離すようにな
ります。それまで、子どもを抱きます。



 またこの際、弟さんには悪いですが、全幅の愛情を、もう一度、子どもに戻してみます。添い
寝、手つなぎ、抱っこなど。そして半年単位で、少しずつ、離れていきます。スキンシップには魔
法の力があります。どうかそれを信じて、一度、ためしてみてください。



 なお。こうした心の問題は、「なおそう」と考えてはいけません。「今の状態をより悪くしないこ
と」だけを考えて対処します。「あなたはよくがんばっているよ」「すてきだわ」式の前向きなスト
ロークをかけてあげます。今、あなたの子どもは、体を使って、愛情不足を訴えています。



 最後に「ほかの子どもと楽しく遊ばせてあげたい」という、親のエゴを子どもに押しつけてはい
けません。五歳前後から、子どもは、幼児期から少年期への移行期(中間反抗期)に入りま
す。この時期、子どもは、カラを脱ぐようにして、少年になっていきます。決して、あせってはい
けません。あなたがそれを「悪いこと」と決めてかかればかかるほど、自我の同一性が乱れま
す。あるがままを認めながら、「あなたはそれでいいのよ」と自信をもたせてあげてください。



 今、たいへん微妙な段階にあると思います。幼稚園にせよ、無理をしないで、ときどき行けば
よい式に考えてください。心が発熱していると思えば、よいのです。それともあなたは熱がある
子どもを、幼稚園へ行かせますか? だいたい幼稚園へ、喜んでいく子どもなど、少ないので
す。とくにあなたの子どもはそうではないでしょうか。



 あとはCA、MGの多い食生活に心がけ、「暖かい無視」のある生活をしてみてください。で
は、また何か、変化があれば、ご連絡ください。お待ちしています。



 なおこの原稿は、七月二一日号のマガジンに掲載しますが、よろしくご了解ください。不都合
な点があれば、至急、ご連絡ください。改めます。



++++++++++++++++++++++

(参考)



●かん黙児

 かん黙児……家の中などではふつうに話したり騒いだりすることはできても、場面が変わると
貝殻を閉ざしたかのように、かん黙してしまう子どもを、かん黙児という。通常の学習環境での
指導が困難なかん黙児は、小学生で一〇〇〇人中、四人(〇・三八%)、中学生で一〇〇〇
人中、三人(〇・二九%)と言われているが、実際にはその傾向のある子どもまで含めると、二
〇人に一人以上は経験する。



●ある特定の場面になるとかん黙するタイプ(場面かん黙)と、場面に関係なくかん黙する、全
かん黙に分けて考えるが、ほかにある特定の条件が重なるとかん黙してしまうタイプの子ども
や、気分的な要素に左右されてかん黙してしまう子どももいる。順に子どもを当てて意見を述
べさせるようなとき、ふとしたきっかけでかん黙してしまうなど。



 一般的には無言を守り対人関係を避けることにより、自分の保身をはかるために、子どもは
かん黙すると考えられている。これを防衛機制という。幼稚園や保育園へ入園したときをきっ
かけとして発症することが多く、過度の身体的緊張がその背景にあると言われている。



 かん黙状態になると、体をこわばらせる、視線をそらす(あるいはじっと相手をみつめる)、口
をキッと結ぶ。あるいは反対に柔和な笑みを浮かべたまま、かん黙する子どももいる。心と感
情表現が遊離したために起こる現象と考えるとわかりやすい。

かん黙児の指導で難しいのは、親にその理解がないこと。幼稚園などでその症状が出たりす
ると、たいていの親は、「先生の指導が悪い」「集団に慣れていないため」「友だちづきあいが
ヘタ」とか言う。「内弁慶なだけ」と言う人もいる。そして子どもに向かっては、「話しなさい」「どう
してハキハキしないの!」と叱る。しかし子どものかん黙は、脳の機能障害によるもので、子ど
もの力ではどうにもならない。またそういう前提で対処しなければならない。



++++++++++++++++++++++

(参考②)



心の病気



 心も、ときに病気になる。その代表的なものに、①抑うつ神経症、②不安神経症、③強迫神
経症、④心気神経症、⑤恐怖症などがある。この中でとくに①抑うつ神経症を、「心の風邪」と
言う人がいる。となると、②不安神経症は、下痢、③強迫神経症は、頭痛、④心気神経症は、
胃炎、⑤恐怖症は、二日酔いということか。あまりよいたとえではないかもしれないが、要する
に、だれでも、下痢をしたり、頭痛になったりするように、簡単に不安神経症になったり、強迫
神経症になったりするということ。



 私のばあい、いつもこのどれかを経験している。



⑥抑うつ神経症

ときどきワイフが先に死んだら、どうしようかと考える。ひとりで生きていく自信は、私には、まっ
たくない。しかし一度、そう考えだすと、生きる目的すら、なくしてしまう。今までの人生があっと
いう間に終わったように、これからの人生も、あっという間に終わってしまうだろうとか、私の老
後は、孤独であわれなものになるだろうとか、そんなことまで考える。ただ私のばあい、病識
(自分で病気とわかること)があるので、それなりに対処できる。「今の私は、本当の自分では
ない」と考えて、カルシウム剤をたくさんとって、睡眠時間を長くしたりする。軽いばあいには、
たいてい翌朝にはなおっている。心がふさいで重苦しく、晴れないことを、抑うつ神経症という。



⑦不安神経症

一度、パソコンにウィルスが侵入したのではないかと、大あわてしたことがある。心臓はドキド
キし、体中から冷や汗が出た。最終的には、パソコンをリカバリーをすることで問題を解決した
が、夜中に始めて、一段落したころには朝になっていた。ほかに私はちょっとしたことで、被害
妄想がとりとめなく大きくなることがある。つぎつぎとものごとを悪いほうへ、悪いほうへ考えて
しまう。俗にいう、とりこし苦労タイプの人間である。あとになって、「どうしてあんなことで悩んだ
のだろう」と思うことが多い。突発的にはげしい不安感に襲われ、呼吸が苦しくなったり、動悸
がはげしくなることを、不安神経症という。



⑧強迫神経症

山荘には、防犯装置と、自動火災連絡装置が設置してある。自動火災連絡装置というのは、
山荘内で、ガス漏れや火災があったとき、私の自宅のほうに電話がかかってくるしくみの装置
をいう。で、一度だけだが、それがかかってきたことがある。私はあわてて山荘へ向ったが、そ
のときは、本当に生きた心地がしなかった。途中、携帯電話で隣人に電話をしたが、あいにくと
隣人は不在。が、その直後からおかしな現象が起きた。山荘でたき火をしたあとなど、水で火
を消すのだが、いくら消しても、どこかもの足りなさを覚えた。たき火コーナーが、プールのよう
に水びたしになっても、不安感が消えなかったこともある。自分の意思に反して、勝手に悩んだ
り、心配したりすることを、強迫神経症という。



⑨心気神経症

今まで経験しなかったような病状が現れたりすると、「もしや」と思うことがある。数か月前だ
が、生徒たちからたくさんのチョコレートをもらった。そのチョコレートを食べ過ぎたせいか、脳
が一時的に覚醒(興奮)状態になってしまった。(私は本当はチョコレートは食べられない体
質。)脳が勝手に乱舞してしまった。私はそのときはチョコレートのせいだとはわからなかった
ので、脳腫瘍ではないかと疑ってしまった。とたん、極度の不安状態になってしまった。ワイフ
が「何でもないわよ」となだめてくれたが、私はフトンの中で、体を丸めてガタガタ震えていた。
悪い病気にかかってしまったのではないかと、極度の不安状態になることを、心気神経症とい
う。



⑩恐怖症

私には高所恐怖症や閉所恐怖症にあわせて、飛行機恐怖症などがある。恐怖症というのは、
一度なると、いろいろな形で現れてくる。数年前は、あやうく交通事故を起こしかけたが、その
あと、私は自転車に乗られなくなってしまった。夜、自転車で道路を走っていたが、走っている
車が、どれも私のほうに向って走ってくるように感じた。私は数百メートル走っては自転車から
おり、また走ってはおりた。あとでみたら、手が、汗でべっとりと濡れていた。何かとくべつのこ
とで、ものごとに激しい恐怖感を覚えることを、恐怖症という。ほかに動物恐怖症、お面恐怖
症、先端恐怖症などもある。



 私のばあい、肉体的には健康だが、精神的にはあまり健康ではない。よく落ちこむし、ときに
激怒して、自分がわからなくなることがある。ここにあげた恐怖症にせよ、強迫神経症にせよ、
いろいろな形で、よく経験する。



 こういう心の病気になったとき、こわいのは、脳のCPU(中央演算装置)が狂うためか、狂っ
ている私のほうが正しいのか、そうでないときの私のほうが正しいのか、それがわからなくなる
こと。たとえば抑うつ状態になったとき、かえってそうでない人のほうが、おかしく見えるときが
ある。私のことで言うなら、落ちこんでいる自分のほうが、本当の自分のように思うことがある。
そして「今まで落ちこまなかったのは、私がバカだったから」というような考え方をしてしまう。



 また恐怖症にせよ、心気神経症にせよ、私の経験からしても、自分ではコントロールできない
ということ。自分に「だいじょうぶだ」と何度言い聞かせても、もう一人別の自分が、それを打ち
消してしまう。あるいは頭の中ではだいじょうぶと思っていても、体は勝手に動いてしまう。もう
二〇年近くも前のことだが、私はテレビのアンテナをつけるために、屋根にあがったことがあ
る。しかしおりるとき、勝手に足がすくんでしまい、それ以上、動けなくなってしまった。結局、近
くの電気屋さんに来てもらい、助けてもらったが、そのときも、いくら「だいじょうぶだ」と自分に
言ってきかせても、自分では、どうしようもなかった。



 だから……。今、いろいろな心の病気をかかえた子どもに接すると、そういう子どもの心の状
態がよくわかる。親は、「気のせいだ」「気はもちようだ」などと言うが、私はそうは言わない。先
日も「トンネルがこわい」と訴えてきた小学生(小一男児)がいた。その子どもに接したときも、
私は、こう言った。「こわいよね。ぼくもトンネルがこわくて、ときどき入れないときがある。天井
がコンクリートか何かで、しっかりしていればいいけど、岩がむき出しであったりすると、ぞっと
するね」と。



 熱を出して苦しんでいる子どもに無理をさせないように、心の病気にかかっている子どもに無
理をしてはいけない。心の病気は、外から見えないだけに、親は安易に考える傾向があるが、
決して安易に考えてはいけない。こじらせればこじらせるほど、立ちなおりがむずかしくなる。

(030713)

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