2011年1月20日木曜日

*Nervous Breakdown of Mothers

●映画『ソーシャル・ネットワーク』  ●教師が親を訴えた?!

 昨夜、映画『ソーシャル・ネットワーク』を観てきた。
ストーリー性に乏しい、ただの映画。
娯楽性も、ほとんどゼロ。
ネット・ユーザーには興味深い映画かもしれない。
が、その範囲。
つまりその範囲に収まる映画。
一般性のある映画ではない。
星は、1つか2つの、★。

 劇場を出たのが、午後11時過ぎ。
そのままワイフと近くのビジネスホテルへ。
そこで一泊。
今朝、早く、帰宅。

+++++++++++++++++++

●「人体の不思議展」

 私は、子どものころから、ああいうのが苦手。
道路にころがっている、動物の死骸を見ただけで、吐き気を催す。
少なくとも、あえてお金を出してまで見たい展覧会ではない。
称して「人体の不思議展」。
この浜松市でも10年ほど前から、ときどきその「不思議展」が、催されている。
で、見てきた子どもたちに「どうだった?」と聞くと、みな「おもしろかった」と。

 おもしろい?
人間(もちろん死体)を、盾に薄く切った現物を、パネルに挟んで展示してある。
それがおもしろい?
学生時代、医学部へ遊びに行くと、よくホルマリン漬けの標本が並べられていた。
臭いも不快だったが、それを見るたびに、私はゾッとした。
私は、「おもしろい」と思ったことは、ない。
それが今では、「展覧会」として、堂々と市中で公開されている。
どんなものかは、直接は見たことがないので、ここではコメントできない。

しかし率直に言えば、ああいうものは、子どもには見せない方がよい。
10人のうち8人までは大丈夫であるとしても、残りの2人の子どもが心配。
大きなショックを受ける。
そのショックが、トラウマ(傷)になることもあれば、ひょっとしたら残忍性の
引き金を引くことにもなりかねない。

 また見せたところで、それがどういう意味があるのか。
どういう教育的効果があるのか。
みながみな、ドクター(医師)になるというわけでもあるまい。
「腹の中には腸がある」と教えて、イラストで見せれば、それですむ。
それを現物まで見せて、「これが腸です」と。
(「人体の不思議展」に、そういうものがあるかどうかは、知らないが……。)

 むしろ映画『ミクロの決死圏』のような提示の仕方のほうが、好ましい。
どこかの大学付属の科学館に、そういうところがあった。
大きな口(これが入り口)を入っていくと、食道や胃を通り、最後は肛門から出てくる。
肛門が出口になっていた。
全体が、大きなお化け屋敷のようになっていた。
そういうものなら、楽しめる。

 「科学展示会」というのは、口実。
実際には、興業屋の金儲け。
私も若いころ、そういう仕事を手伝ったことがあるので、内情をよく知っている。

「人体の不思議展」は、どうか?


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●教師が親を訴える

 新聞などで報道されている程度の情報しかない。
だから本当のところは、どうなのか?
それはよくわからない。
だからあくまでもここでは、一般論として、自分の考えを書いてみたい。
学校の教師が、親を訴えた!
そういう事件である。

Jcastは、つぎのように伝える。

++++++++++以下、Jcastより++++++++++++

S県の市立小学校に勤務する女性教師が、女児の親から何度もクレームを受けて不眠症に陥ったとして、慰謝料500万円の支払いを求めて係争中の騒動。「とくダネ!」は騒動の原因に迫った。

女性教師が提訴したのは昨年9月(2010年)。担当していたクラスの女子児童2人が喧嘩となり、それを仲裁したときに一方の保護者から差別をしていると非難された。さらに、背中を触れただけで警察に暴行容疑の被害届が出されたという。

取材したKAキャスターによれば、「2人の喧嘩はクラスでも話し合いが行われました。でも、提訴している親は、もめ事は喧嘩ではなくイジメであると思ったようです。それで、連絡帳に娘が差別されていると30行から80行にわたる教師批判の文章を何回も書いたようです」

女性教師の言質を取るために、親がICレコーダーを密かに子供に持たせていたことも紹介、メインキャスターのOGは「モンスターペアレントではないのか」と疑問を投げかけた。

提訴するまでに、両親と女性教師の話し合いの場が設定されていたが、両親は拒否したという。

++++++++++以下、Jcastより++++++++++++

 その親がどうであったかは、知らない。
またこう書くからといって、その親がそうであるというのではない。
ただ一般論として、10人の親がいれば、そのうち1人くらいの割合で、「たいへんな親」
がいるのは事実。
「たいへんな親」というのには、いろいろな意味が含まれる。
教える側からみて、「たいへん」。
そういう親をいう。
受験ノイローゼの親も、それに含まれる。

 以前、(もう20年以上も前のことだが)、書いた本に、こんな話を書いた。
BLOGに紹介したのは、2006年8月の日付になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【受験ノイローゼ】

●受験ノイローゼ

 子どもが受験期を迎えると、受験ノイローゼになる親は多い。子どもではない。親がなる。ある母親はこう言った。「進学塾の光々とした明かりを見ただけで、カーッと血がのぼりました」と。「家でゴロゴロしている息子(中2)を見ただけで、気分が悪くなり、その場に伏せたこともあります」と言った母親もいた。

 親が受験ノイローゼになる背景には、親自身の学歴信仰、それに親自身の受験体験がある。「信仰」という言葉からもわかるように、それは確信を超えた確信と言ってもよい。学歴信仰をしている親に向かって、その信仰を否定するようなことを言うと、かえってこちらが排斥されてしまう。

「他人の子どものことだから、何とでも言えるでしょ!」と。話の途中で怒ってしまった母親もいた。私が、「これ以上ムリをすると、子ども自身が、燃え尽きてしまう」と言ったときだ。

 また受験体験というのは、親は自分の子どもを育てながら、そのつど自分の体験を繰りかえす。とくに心の動きというのは、そういうもので、子どもが受験期を迎えるようになると、親自身がそのときの心を再現する。将来に対する不安や、心配。選別されるという恐怖。そしてそれを子どもにぶつける。

もっと言えば、親自身の心が、極度の緊張状態におかれる。この緊張状態の中に、不安が入り込むと、その不安を解消しようと、一挙に情緒が不安定になる。

 「受験ノイローゼ」と一口に言うが、それは想像を絶する「葛藤」をいう。そういう状態になると、親は、それまで築きあげた家族の絆(きずな)すら、粉々に破壊してしまう。家族の心を犠牲にしながらも、犠牲にしているという感覚すらない。小学5年の女児をもつある母親はこう言った。

「目的の中学入試に合格すれば、それですべてが解決します。娘も私を許し、私に感謝するはずです」と。その子どもは毎晩、母親の前で、泣きながら勉強していた。

 その受験ノイローゼにはきわだった特徴がいくつかある。そのひとつ、ふつうの育児ノイローゼと違うところは、親自身が、一方でしっかりと自分をもっているということ。たとえば人前では、「私は、子どもが行ける中学へ入ってくれれば、それでいいです」とか、「私はどこの学校でもいいのですが、息子がどうしてもS高校へ入りたいと言っているので、何とか、希望をかなえさせてやりたい」とか、言ったりする。

外の世界では、むしろ温厚でものわかりのよい親を演じたりすることが多い。

 もちろん育児ノイローゼに似た症状も出てくる。育児ノイローゼの症状を、まず考えてみる。

●育児ノイローゼ

 育児ノイローゼの特徴としては、次のようなものがある。

(1) 生気感情(ハツラツとした感情)の沈滞……どこかぼんやりとしてくる。うつろな目つき、元気のない応答など。

(2) 思考障害(頭が働かない、思考がまとまらない、迷う、堂々巡りばかりする、記憶力の低下)……同じことを考えたり、繰り返したりする。

(3) 精神障害(感情の鈍化、楽しみや喜びなどの欠如、悲観的になる、趣味や興味の喪失、日常活動への興味の喪失)……ものごとに興味がみてなくなる。

(4) 睡眠障害(早朝覚醒に不眠)……朝早く目が覚めたり、眠っても眠りが浅い。

(5) 風呂に熱湯を入れても、それに気づかなかったり(注意力欠陥障害)……不注意による事故が多くなる。

(6) ムダ買いや目的のない外出を繰り返す(行為障害)……万引きをしてつかまったりする。衝動的に高額なものを買ったりする。同じものを、あるいは同じようなものを、同時にいくつか買う。

(7) ささいなことで極度の不安状態になる(不安障害)……ささいなことが頭から離れず、それが苦になってしかたない。

(8) 同じようにささいなことで激怒したり、子どもを虐待するなど感情のコントロールができなくなる(感情障害)……怒っている最中は、自分のしていることが絶対正しいと思うことが多い。ヒステリックに泣き叫んだりする。

(9) 他人との接触を嫌う(回避性障害)……人と会うだけで極端に疲れる。家の中に閉じこもる。

(10) 過食や拒食(摂食障害)を起こしたりするようになる。……過食症や拒食症になる。体重が極端に変化する。

(11) また必要以上に自分を責めたり、罪悪感をもつこともある(妄想性)……ささいなことで、相手に謝罪の電話を入れたりする。自分のしていることが客観的に判断できなくなる。

こうした兆候が見られたら、黄信号ととらえる。育児ノイローゼが、悲惨な事件につながることも珍しくない。子どもが間にからんでいるため、子どもが犠牲になることも多い。

●受験ノイローゼ

 受験ノイローゼも、ノイローゼという意味では、育児ノイローゼの一種とみることができる。しかし育児ノイローゼに見られない症状もある。先に述べたように、「自分をしっかりもっている」のほか、ターゲットが、子どもの受験そのもの、あるいはそれだけにしぼられるということ。

明けても暮れても、子どもの受験だけといった状態になる。

むしろ子どもの受験以外の、ほかのことについては、鈍感になったり、無関心になったりする。育児ノイローゼが、生活全体におよぶのに対して、そういう意味では、限られた範囲で、症状がしぼられる。が、その分だけ、子どもの「勉強」「成績」「受験」に対して、過剰なまでに反応するようになる。

 毎日、書店のワークブックや参考書売り場へ行っては、そこで1~2時間過ごしていた母親がいた。あるいは子どもの受験のためにと、毎日、その日の勉強を手作りで用意していた母親もいた。しかしその中でもナンバーワンは、Tさんという母親だった。
 
 Tさんは、私のワイフの友人だった。あらかじめ念のために書いておくが、私はこういうエッセーを書くとき、私が直接知っている母親のことは書かない。書いても、いくつかの話をまとめたり、あるいは背景(環境、場所、家族構成)を変えて書く。それはものを書く人間の常識のようなもの。そのTさんは、私が教えた子どもの母親ではない。

 そのTさんは、子どもが小学校に入ると、コピー機を買った。それほど裕福な家庭ではなかったが、30万円もする教材を一式そろえたこともある。さらに塾の送り迎え用にと、車の免許証をとり、中古だが車まで買った。そして学校の先生が、テストなどで採点をまちがえたりすると、学校へ出向き、採点のしなおしまでさせていた。

ワイフが「そこまでしなくても……」と言うと、Tさんはこう言ったという。「私は、子どものために、不正は許せません」と。

 こういう母親の話を聞くと、「教育とは何か」と、そこまで考えてしまう。そのTさんは、いくつか、Tさん語録を残してくれた。いわく、「幼児期からしっかり子どもを教育すれば、東大だって入れる」「ダ作(Tさんは、そう言った)を二人つくるより、子どもは一人」と。

Tさんの子どもが、たまたまできがよかったことが、Tさんの受験熱をさらに倍化させた。いや、もっともTさんのように、子どものできがよければ、受験ノイローゼも、ノイローゼになる前に、ある程度のレベルで収めることができる。が、その子どものできが、親の望みを下回ったとき、ノイローゼがノイローゼになる。

●特徴

 受験ノイローゼは、もちろんまだ定型化されているわけではない。しかしつぎのような症状のうち、5個以上が当てはまれば、ここでいう受験ノイローゼと考えてよい。

あなたのためというより、あなたと子どもの絆(きずな)を破壊しないため、あるいはあなたの子どもの心を守るため、できるだけ早く、あなた自身の学歴信仰、および自分自身の受験体験にメスを入れてみてほしい。

○ 子どもの受験の話になると、言いようのない不安感、焦燥感(あせり)を覚え、イライラしたり、情緒が不安定になる。ちょっとしたことで、ピリピリする。

○ 子どもがのんびりしているのを見たりすると、自分の子どもだけが取り残されていくようで、心配になる。つい、子どもに向かって、「勉強しなさい」と言ってしまう。


○ 子どもがテストで悪い点数をとってきたり、成績がさがったりすると、子どもがそのままダメになっていくような気がする。何とかしなければという気持ちが強くなる。

○ 同年齢の子どもをもつ親と話していると、いつも相手の様子をさぐったり、相手はどんなことをしているか、気になってしかたない。話すことはどうしても受験のことが多い。


○ 子どもが学校や塾へ言っているときだけ、どこかほっとする。子どもが家にいると、あれこれ口を出して、指示することが多い。子どもが遊んでいると、落ち着かない。

○ 子どものテストの点数や、順位などは、正確に把握している。ささいなミスを子どもがしたりすると、「もったいないことをした!」と残念に思うことが多い。


○ テスト期間中になると、精神状態そのものがおかしくなり、子どもをはげしく叱ったり、子どもと衝突することが多くなる。たがいの関係が険悪になることもある。

○ 明けても暮れても、子どもの学力が気になってしかたない。頭の中では、「どうすれば、家庭での学習量をふやすことができるか」と、そればかりを考える。

○ 「うちの子はやればできるはず」と、思うことが多く、そのため「もっとやれば、もっとできるはず」と思うことが多い。勉強ができる、できないは、学習量の問題と思う。

○ 子どもの勉強のためなら、惜しみなくお金を使うことが多くなった。またよりお金を使えば使うほど、その効果がでると思う。今だけだとがまんすることが多い。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●結局は犠牲者

 繰り返すが、こう書くからといって、今話題になっている親が、そうと言うのではない。
その親のことは知らない。
テレビなどではキャスターのインタビューに答えているようだが、それも見たことがない。
本当に教師による体罰があったのかもしれない。
本当に教師による差別があったのかもしれない。
それはこれからの裁判の中で、明らかになっていくだろう。

 しかしその前に、受験ノイローゼと言われる親にしても、現在の日本がかかえる、
学校神話、受験競争、学歴主義の犠牲者にすぎないということ。
他の多くの親同様、現代の日本がもつ価値観の中で、踊らされているだけ。
「私」を見失っているだけ。
やがて時がくれば、それに気づく。
が、今は、わからない。

 が、本当の犠牲者は、子ども自身。
それを忘れてはならない。
同じく以前、こんな原稿を書いたことがある。
これがこの原稿の結論ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【ある母親からの相談】(先生の誤解で、自分の子どもが叱られた)


++++++++++++++++++


息子が先生に叱られた。
それに納得できないという、母親からの
相談が届いた。
そのまま紹介させてもらう(一部、変更)。


【Aさんよりはやし浩司へ】(掲示板より)


[投稿者] 小6の母
こんばんは。先生のご意見が聞きたくてメールしました。
先ほど息子が2泊3日の修学旅行から帰ってきました。
さぞ楽しんできたのだろうとバスの到着を待っていると何とも不機嫌そうにバスから息子が下りてきました。


解散の合図が出ないうちにさっさと帰ろうとしたので私は息子に勝手なことをしたらいけないと注意をしました。その時の息子の目つきが鋭く、私を不安にさせました。
車に乗り込み2人になってから「修学旅行楽しかった?」と声をかけました。
ムッスとした声で「別に」・・・「叱られた」と答えました。
少しずつ重い口が開いてきました。


2日目の旅館で大浴場で入浴をしたそうです。
15人の生徒に男の先生が1人で一緒に入りました。
お風呂からあがるとその後夕食になり、大広間に集まったとき
息子ともう1人の生徒Aくんがみんなの前で呼ばれ、「入浴はルールを守りなさい」と注意されました。息子はなぜ自分が注意されているのかわからず「なんのことですか?」「僕ではない」とみんなの前で言ったそうです。ルールとは洗いおけで水の掛け合いをしたというのです。


でも先生たちには信じてもらえず「自分がしてしまったことをどうして認めないのか?」と逆にまた叱られたのだそうです。素直ではないように見えたのだと思います。A君はすみませんと謝りました。


いやな気分のまま翌日を迎え帰りのバスの中で、今度は担任の女教師が近づいてきて「自分のしたことを反省して、これからリベンジしなさい」と話しました。
息子はカチンと来たまま帰ってきたからあんな態度をしたのだと思いました。
息子を信じてあげたいけれど一緒に入浴していた先生がおっしゃるのだから、なにかしらない間に友達に水をかけてしまったのではないのか?と息子に聞きました。
本当にやっていないならどうして最後まで「自分ではない」と言い張らなかったの?とも言いました。


というと余計に息子は無口になり、「誰も信じてくれない」「どうして」・・・
それから一言も話さなくなりました。
私はA君のお母さんに電話をして聞いてみました。
A君はすぐに電話口で答えてくれました。
「水の掛け合いはしたけれど相手はB君だよ。」と。
A君のお母さんはA君に対して「どうして●●君が一緒に叱られたときに人違いだと言ってあげられなかったの?」と話してくれました。
息子もA君も同じことを言うのですが「とてもそんな雰囲気ではなかった」というのです。口を挿むすきがなかったというのです。


息子にとってみんなの前で叱られたこと、旅館の人たちもみんな見ていたと話します。
旅館のおばさんたちはそんな事何とも思っていないよ。と言って聞かせましたがて聞かせましたが本人にとってはすごく恥ずかしかったのだそうです・
まるで口答えをしたように息子は見られたのでしょう。
私は月曜日に学校に行ってこようかと今思っています。でも心の片隅でこんなことで親が出ていくことだはないだろうとも思います。息子が納得できる解決法ってあるのでしょうか?
このまま修学旅行が嫌な思い出になってしまわないようにできる方法ってあるのでしょうか。


私が学校に行って話をすることは間違っていますか?


【はやし浩司より、Aさんへ】


 この種のトラブルは、日常茶飯事。
よくあることです。
お子さんの気持ちもよくわかりますが、どうか、ここはがまんしてください。
つまり子どもは、こうした経験を通して、たくましくなっていきます。
社会のありかた、その中での生き方を学んでいきます。
お母さんとしては、つらいでしょうが、『負けるが勝ち』。
もしどうしても納得できないなら、子ども自身が、先生に抗議する形で、自分でするよう、しむけます。


一度子ども自身と話し合ってみてはどうですか。
「私が先生のところへ行こうか?」とです。
おそらく子どもは、「放っておいてほしい」と言うはずです。
つまりこんな程度の問題で、親は出ない!
小学6年生という年齢からして、親が出なければならない問題ではありません。
 修学旅行に行って、その先の風呂で、お湯をかけあってふざけた。
それを先生が叱った。


そのとき、まちがえて、自分の子どもが叱られた……。
それだけのことではありませんか。
私なら、笑ってすませます。
 で、あなたは……


(1)不機嫌そうな顔を見て、親のほうから、理由を問いただした。


(2)仲間の親に電話をかけて、内容を確かめた。


(3)あたかも自分が恥をかかされたかのように、それを問題視する。


(4)先生に抗議しようと考える。


 こうした一連の行為から想像できるあなたの育児姿勢は、過干渉、過関心+
溺愛ということになります。
あるいは心配先行型の過保護?


 先生に抗議して、得られるものは何ですか?
むしろやり方をまちがえると、先生との信頼関係を破壊することにも、なりかねません。


 少し先生の立場で、ものを考えてみましょう。
 もしあなたが30人近い子どもを連れて、修学旅行に行ったとします。
(2人や3人ではない。30人ですよ!)
おそらく目が回るほど、先生は、忙しかったと思いますよ。
児童たちが床に就いたあとは、反省会。
翌日の予定の確認などなど。


それがいかに重労働であるかは、経験した人なら、みな、知っています。
そういう中で、人まちがいで、あなたの子どもが叱られた。
……といっても、先生は、本気で叱ったわけではないと思いますよ。
(本気で叱るような話でもありませんし……。)
修学旅行先で、子どもがハメをはずした。
それを叱った。
いちいちそんなことで、本気で叱っていたら、先生だって、神経がもちません。
先生にしても、つぎつぎと類似の問題が起きたはずですから、もう覚えては
いないでしょう。
あるいは仮に問題であったとしても、時間が解決してくれます。


 それよりも疑問なのは、(1)あなたの子どもが、なぜ自分で、そのとき、「ぼくでは
ない!」と言えなかったのか、ということ。


(2)風呂場でのトラブルが、どうして家に帰ってくるまで、尾を引いたかということ。
 このあたりに、もっと別の基本的な問題があるように思います。
もともとそれほど、おおげさな問題ではないのですから……。


 で、それはそれとして、結論は、同じ。
「この程度の問題で、親はカリカリしない」です。
繰り返しになりますが、「うちの息子が、人まちがいで叱られた。水をかけあって
遊んでいたのは、うちの子どもではない」と主張して、その結果、何が、どうなる
というのでしょうか。


 次回、どこかで先生に会ったようなとき、「修学旅行ではすみませんでした。
いろいろあったようですね。ハハハ」と、笑えばよいのです。
またそれですませます。


 こんなこまかいことで、それをおおげさにとらえて、(名誉)だの(誤解)だの、
さらには(信ずる・信じない)だのと、言っていたら、この先、あなた自身の神経が
参ってしまいますよ。


(私は、先生のほうにむしろ同情してしまいます。ごめん!)
子どもはすでに親離れを完成させています。
(年齢的にはそうです。
もし親離れしていないとするなら、やはりあなたの育児姿勢のほうに問題がある
ということになります。)
で、今は、あなた自身が、子離れをするときです。
あなたはあなたで、好き勝手なことをすればよいのです。
子育てから離れて、あなたは1人の人間として、別の生き様を確立する。
子どもの方から、相談でもあれば、話は別ですが、そうでなければ、静かに、暖かく
無視します。
「暖かく無視」です。


子どもというのは、最後の最後で、1人でも、自分を信じてくれる人がいれば、それで
安心します。
その重役を担うのは、(あなた)です。


その(あなた)が、この程度の問題で、動揺してはいけません。
「お母さんは、あなたを信じているからね」と言えば、それでよいのです。
またあなたの子どもは、すでに思春期前夜から思春期に入っています。
すでにあなたの手の届かないところに、入りつつあるということです。
なお「リベンジ」というのは、「復讐」という意味です。
何かのまちがいか思います。


+++++++++++++++++


『負けるが勝ち』


これは子育ての鉄則です。
以前書いた原稿をさがしてみます。
(あなた)や(あなたの子ども)が
そうだと言うのではありません。
あくまでも参考のため、です。
大切なことは、子どもが楽しく
学校へ通うことです。
そのために、負けるところは
負け、引き下がります。
もちろん重大な問題のときは
そうでありません。
子どもの方から、相談でもあれば、
話は別です。
しかしたかが(失礼!)、風呂場の
水のかけあいではないですか。
そんなことで、親は出ない。
私も中学生のとき、旅館で
枕のぶつけあいをして、先生に叱られ
ました。
小学生のときは、廊下で騒いでいて
叱られました。
その程度のことは、みな、しています。


+++++++++++++++++


●負けるが勝ち


 この世界、子どもをはさんだ親同士のトラブルは、日常茶飯事。言った、言わないがこじれて、転校ざた、さらには裁判ざたになるケースも珍しくない。ほかのことならともかくも、間に子どもが入るため、親も妥協しない。が、いくつかの鉄則がある。
 まず親同士のつきあいは、「如水淡交」。水のように淡く交際するのがよい。この世界、「教育」「教育」と言いながら、その底辺ではドス黒い親の欲望が渦巻いている。それに皆が皆、まともな人とは限らない。情緒的に不安定な人もいれば、精神的に問題のある人もいる。さらには、アルツハイマーの初期のそのまた初期症状の人も、40歳前後で、20人に1人はいる。このタイプの人は、自己中心性が強く、がんこで、それにズケズケとものをいう。そういうまともでない人(失礼!)に巻き込まれると、それこそたいへんなことになる。


 つぎに「負けるが勝ち」。子どもをはさんで何かトラブルが起きたら、まず頭をさげる。相手が先生ならなおさら、親でも頭をさげる。「すみません、うちの子のできが悪くて……」とか何とか言えばよい。あなたに言い分もあるだろう。相手が悪いと思うときもあるだろう。しかしそれでも頭をさげる。あなたががんばればがんばるほど、結局はそのシワよせは、子どものところに集まる。


しかしあなたが最初に頭をさげてしまえば、相手も「いいんですよ、うちも悪いですから……」となる。そうなればあとはスムーズにことが流れ始める。要するに、負けるが勝ち。
 ……と書くと、「それでは子どもがかわいそう」と言う人がいる。しかしわかっているようでわからないのが、自分の子ども。あなたが見ている姿が、子どものすべてではない。すべてではないことは、実はあなた自身が一番よく知っている。あなたは子どものころ、あなたの親は、あなたのすべてを知っていただろうか。


それに相手が先生であるにせよ、親であるにせよ、そういった苦情が耳に届くということは、よほどのことと考えてよい。そういう意味でも、「負けるが勝ち」。これは親同士のつきあいの大鉄則と考えてよい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司


【親の欲目】


●親の欲目


 「己の子どもを知るは賢い父親だ」と言ったのはシェークスピア(「ベニスの商人」)だが、それくらい自分の子どものことを知るのは難しい。


親というのは、どうしても自分の子どもを欲目で見る。あるいは悪い部分を見ない。「人、その子の悪を知ることなし」(「大学」)というのがそれだが、こうした親の目は、えてして子どもの本当の姿を見誤る。いろいろなことがあった。


●やってここまで


 ある子ども(小6男児)が、祭で酒を飲んでいて補導された。親は「誘われただけ」と、がんばっていたが、調べてみると、その子どもが主犯格だった。またある夜1人の父親が、A君(中1)の家に怒鳴り込んできた。「お宅の子どものせいで、うちの子が不登校児になってしまった」と。A君の父親は、「そんなはずはない」とがんばったが、A君は学校でもいじめグループの中心にいた、などなど。こうした例は、本当に多い。子どもの姿を正しくとらえることは難しいが、子どもの学力となると、さらに難しい。


 たいていの親は、「うちの子はやればできるはず」と思っている。たとえ成績が悪くても、「勉強の量が少なかっただけ」とか、「調子が悪かっただけ」と。そう思いたい気持ちはよくわかるが、しかしそう思ったら、「やってここまで」と思いなおす。子どものばあい、(やる・やらない)も力のうち。子どもを疑えというわけではないが、親の過剰期待ほど、子どもを苦しめるものはない。そこで子どもの学力は、つぎのようにして判断する。


●子どもを受け入れる


 子どもの学校生活には、ほとんど心配しない。いつも安心して子どもに任せているというのであれば、あなたの子どもはかなり優秀な子どもとみてよい。しかしいつも何か心配で、不安がつきまとうというのであれば、あなたの子どもは、その程度の子ども(失礼!)とみる。そしてもし後者のようであれば、できるだけ子どもの力を認め、それを受け入れる。早ければ早いほどよい。


そうでないと、(無理を強いる)→(ますます学力がさがる)の悪循環の中で、子どもの成績はますますさがる。要するに「あきらめる」ということだが、不思議なことにあきらめると、それまで見えていなかった子どもの姿が見えるようになる。シェークスピアがいう「賢い父親」というのは、そういう父親をいう。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【Aさんへ】


 かなりきびしい意見を書きましたが、この問題は、もう忘れなさい!
おいしいものでも食べて……。
あとは時間が解決してくれますよ。

 
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 先生の誤解 負けるが勝ち 濡れ衣 子どもの名誉 はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 負けるが勝ち 教師が親を訴える モンスターママ論 育児ノイローゼ 受験ノイローゼ)


Hiroshi Hayashi+++++++JAN. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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