2011年1月6日木曜日

*Irago View Hotel, Aichi Japan

●2011年1月5日(はやし浩司 2011-01-05)

●伊良湖ビューホテルへ

 浜松周辺で、景観第一のホテル言えば、伊良湖ビューホテル。
渥美半島(愛知県)の先端にある。
このホテルに泊まるようになって、もう4、5回目になる。
電車で豊橋まで。
豊橋から迎えのバスで、1時間10分。

 あいにくの曇り空。
どんよりとした灰色の雲が、下のほうまで降りている。
寒いというよりは、冷たい。
冬の冷気が体の芯までしみる。
バスが出る時刻まで、40分ほどあった。
駅構内のパン屋で
コーヒーを飲んで時間をつぶす。

●夢の中の家

 豊橋へ着く直前、私は一軒の家を見て、驚いた。
夢の中にときどき出てくる家、そのものだった。
小高い丘の上にあって、左右対称の形をした家だった。
赤い屋根に白い壁。
玄関は中央にあって、モダンな感じの家だった。

 「おい、夢の中に出てくる家があった!」と声をかけると、ワイフはこう言った。
「その反対じゃ、ないの?」と。

 実は、その通り。
私はこの当たりは何十回となく、電車で往復している。
そのときその家が、何らかの形で、記憶に残った。
記憶したという意識もないまま、記憶に残った。
どう記憶に残ったかも、わからないまま記憶に残った。
しかし残った。
それがときどき、私の夢の中に出てくる。

 つまり夢の中に出てくる家と同じ家を見たのではなく、脳のどこかに記憶された家を、
私は夢の中で見ていた。

●脳内ストレス

 ストレスが慢性化したり、許容限度を超えると、脳内でサイトカインが分泌
される。
脳内ストレスを引き起こす。
症状は、今の「私」。

 食欲が減退し、体が冷える。
性欲も減退するというが、これはもとから減退している。
やる気を失い、何を考えても、憂うつになる。

 「うつ」というのは、「こだわり」をいう。
何かのことでそれにこだわると、そればかりを考える。
取り越し苦労が多くなる。
被害妄想も強くなる。

 ……それではいけないということで、暮れの30日から、こうして
遊び回っている。
自宅で寝たのは、1日だけ。

 言い忘れたが、脳内ストレスを軽く考えてはいけない。
心臓疾患(心筋梗塞)や脳疾患(脳梗塞)の原因となる。
私も一時、心臓の変調を感ずるようになった。
それだけではない。
免疫機能が低下するため、がんを引き起こすこともあるという。

●ワイフ

 そういう私を心配して、……というか、それにかこつけて、ワイフは
私をあちこちへ連れ出す。
昨日は、法多山(はったさん)へ、初詣に行ってきた。
浜松から車で1時間半ほどのところにある。
1月4日に初詣?
去年は、12月末に初詣の先取りをした。
人の混雑は、あまり好きではない。

 ふだんはもの静かな女性だが、ワイフは若いころから行動派。
「趣味は旅行」などと、平気で人に言う。
(旅行というのは、お金がかかるんだぞ!)

私も若いころは、ワイフに負けないほどの行動派だった。
しかしこのところ、「出かけたい」という気力そのものが、弱ってきた。
もしワイフの誘いや励ましがなかったら、今ごろは家の中でゴロゴロしていたはず。

●豊橋

 よその町に来てみると、それがよくわかる。
官民格差というか、「公・官」と結びついた業種は、立派。
結びついていない業種は、みすぼらしい。

 たとえば病院や医院など。
豪華な建物。
つぎに建設業や銀行など。
鉄筋のビル。。
昔は、米屋や酒屋が保護を受けたが、今は自由化された。
タバコ屋もそうだ。
とたん、みな、店を閉めた。

あわれなのは、一般商店。
何の保護もなく、みすぼらしい姿を、さらけ出している。
少し郊外へ行くと、正月の5日というのに、シャッターを下ろしたまま。
そんな商店が、ズラズラと並ぶ。

 ある程度の「格差」なら、まだがまんできる。
しかしここまで格差が広がってしまうと、そうはいかない。
心の下から怒りがわいてくる。
「公・官」が潤い、「民」は、重税であえぐ。
「公・官」は我が世の春を謳歌し、「民」は明日の仕事を心配する。

●被害妄想

 先ほど「被害妄想」という言葉を使った。
不安神経症ともいう。
最近ではパニック障害という。
心配ごとだけが、どんどんと勝手に膨(ふく)らんでいく。
動悸と胸騒ぎ。
体全体がフワフワと宙に浮いたようになる。
その恐怖感は、経験したものでないとわからない。

 が、おかしなもので、そういう状態になると、そういう状態のほうが、
ふつうとなる。
自分がおかしいと思う前に、みながおかしく見える。
が、やがて心が落ち着いてくる。
静かになる。
今度は逆に、「どうしてあんなことを心配したのだろう」となる。

●ハエ

 窓の外に、一匹のハエがいる。
大きな黒いハエで、それが上下、左右に動き回り、もがいている。
何とかして部屋の中に入ろうとしている。
私にはそう見える。

 この寒さ。
明日の朝には、死ぬだろう。
ハエにしてみれば、命がけの闘いということになる。

 ところでこの伊良湖ビューホテルは、東向きの部屋と西向きの部屋に
大きく分かれている。
今日は東向き。
明日は日の出が、部屋から見えるはず。
楽しみ。
で、その東向きの部屋。
眼下に渥美半島が豊橋のほうまでつづいているのがわかる。
通りの明かりが筋となって、遠くまで連なっている。

 ハエと明かり。
おかしな取り合わせだが、私はその2つを見ながら、この原稿を書いている。

●脱水症状

 食事は7時15分から。
たった今、大浴場から戻ったところ。
体中がすっきりした。
ついでに頭の中も。

 ワイフは目の前で、ガラスに顔をつけて外をながめている。
長男は、何かの本を読んでいる。
「何時?」と聞くと、「(6時)半」と、ワイフは言った。

 今日は一日中、ほとんど水を飲まなかった。
そのせいか、現在は、脱水状態。
自分でも、それがよくわかる。
その話をすると、ワイフがコップに水を入れて、もってきてくれた。

●食事から帰る

 食事のとき、ワイフとこんな話をする。
「ぼくたちは、よく今まで(=この年齢まで)、無事で生きてこられたね」と。
ワイフはそれに軽く同意してくれた。

 食欲が満たされると、人間は幸福感を覚えるという。
脳下垂体の一部にそういう機能がある。
反対に空腹になり、血糖値がさがると、イライラしてくる。
神経が過敏になる。

 今が、そういう状態。
つまり満腹感+満足感。

料理はバイキング方式。
このホテルのバイキング料理は、種類が豊富で、質もよい。
ジュース類の飲み物だけは、有料。
残念と言えば、残念。

 が、これはホテル側の判断ミス。
私が支配人なら、ジュース類を無料にする。
甘味料の入ったジュースは、それだけで血糖値をあげる。
食欲を減退させる。
つまりその分だけ、客の食べる料理の量が減る。

 フルーツ類は食べ放題なのだから、どう考えても矛盾している。
ジュースを飲む代わりに、フルーツをかじればよい。

ワ「本当ね。それだけでも感謝しなくちゃあ」
私「だろ。息子たちもみな、それなりに育ったしね」と。

(注:朝食もバイキング方式だったが、朝食の方では、ジュース類は飲み放題
だった。)

●「給料よりも、心の豊かさ」(C新聞・1面コラム)

 昨日、C新聞のコラム(1面)に、こんなエッセーが載っていた。
題して「給料よりも、心の豊かさ」と。
内容は、読まずとも、私にはすぐわかった。
言いたいことも、私にはすぐわかった。
が、読んでみた。

 ……あるサラリーマンが会社をやめ、どこかの島に移住した。
そこで鍼灸師の資格を取り、今はその島で生活している。
収入は何分の1かに減ったが、心豊かな生活を楽しむことができるようになった、と。

 ありきたりの幸福論である。
貧しさや苦労を知らない世代の、たわごとである。
こんなふうに考える人が多くなったら、それこそこの日本は沈没してしまう。
すでに日本は、1人当たりの国民所得で、シンガポールに抜かれている。
2025年までには、韓国にも抜かれると予想されている。
GDPでは、すでに中国に抜かれてしまった。

 タイトルが、『モノよりも、心の豊かさ』というのなら、まだ私も納得する。
しかし今の若い世代は、あの「貧しさ」を知らない。
知らないから、今のままの繁栄が、この先もずっとつづくと錯覚している。
だから平気で、こう言う。

 『給料よりも、心の豊かさ』と。
その記事をまとめたのは、たぶん若い編集者なのだろう。
生活の苦しさを知らないロマンチスト?
あるいは女性?
中高年の編集者なら、こういう記事は書かない。

 たしかにお金では、幸福は買えない。
心の豊かさも買えない。
しかしお金がなくなったら、まちがいなく不幸になる。
心も貧しくなる。
「現実」のもつきびしさが、まるでわかっていない。

●苦労

 私の息子たちにしても、こう言う。
『パパは、仕事ばかりしていて、家族をかまってくれなかった。
家族はバラバラだった』と。

 それはその通りだったかもしれない。
いや、たしかにそうだった。
認める。
しかし私はこう言いたい。
「もっと不幸な家庭を、たくさんのぞいて来い!」と。

 私が子どものころ住んでいた隣の人は、OTさんと言った。
今でも、よく覚えている。
OTさんの家業は、キャラメルを紙を包む仕事。
仕事といっても、内職仕事。
その仕事を朝から夜中までしていた。
2人の子どもがいた。
1人は、私より1級、年上。
その同級生が、家事全体を担当していた。

 そういう苦労を、今の若い人たちは知らない。
知らないから、平気で言う。
「仕事よりも家庭が大切」と。

 が、今のままでは、やがて日本も、あの時代に逆戻り。
すでにそのようになりつつある。
国際経済を戦争にたとえるなら、戦争というのは先手、先手で攻めてこそ、勝てる。
守勢に回ったとたん、負ける。
世界中が血眼(ちまなこ)になって戦争をしているのに、『給料より……』とは!

●日本は貧しい

 またまた愚痴になってしまった。
が、これだけは言える。
苦労を知らないから、感謝の念も生まれない。
今のこの日本の繁栄にしても、自分たちが作り上げたものと錯覚している。

 いつだったか、私が息子の1人に、「戦後の日本は貧しかった」と言ったときのこと。
息子はこう言い返した。
「パパ、そんなのは、自業自得だよ」と。

 しかし今でも日本は、貧しい。
土地も狭い。
農地もない。
資源もない。
あるのは、「日本人」というマンパワーだけ。
そのマンパワーが、パワーを失いつつある。

 公務員が就職人気業種の1位になり、外国へ出たいという若者が
どんどんと減っている。
恋愛ごっこだの、家族ごっこだの、そんな遊びに明け暮れている。
言うなれば、ままごと。
だから義兄は、こう言った。

 「もう一度、日本を貧乏のドン底に叩き落してやればいい。
そうすれば、今の若い人たちも、目が覚めるだろう」と。

 暴論に聞こえるかもしれない。
しかし私は少しも暴論とは思わない。
苦労をしていないから、富や幸福は、「もらうもの」と思っている。
この依存性をぶち壊すには、一度貧乏を、自ら経験させるしかない。

●無事

 が、私たちが「無事で生きてこられたね」というときの「無事」には、もっと
別の意味がある。
たとえばバブル経済のころ、私の教室の周辺だけでも、10教室ほど、幼児教室や
小学生対象の個人塾があった。
しかし今、残っているのは、私の教室だけ。

 また私は学G研という塾連盟のメンバーにもなっていた。
最盛期には、50~60人のメンバーがいた。
アカデミックな雰囲気をもった、すぐれた連盟だった。
が、現在、その中で、生き残っている教室(塾)は、ほとんどない。
私の教室を含めて、1~2教室程度ではないか。
この10年、音信が途絶えてしまったから、詳しくは知らない。

 そういう現実をふまえて、「無事」という言葉を使う。
もっともワイフが「無事」というときは、「健康」をさすことが多い。
「大きな病気をしなかったから、よかった」と、いつも言っている。
そのワイフにしても、0~2歳のころは、やせ細り、「2歳まで生きている
かどうかわからない」と言われていた。

●つぎの世代

 では、どうするか?
どう考えたらよいのか?

 ひとつには教育がある。
教育によって、日本の活力を生み出す。
が、私たちの世代が、つぎの世代に残せるものとしたら、それしかない。
それ以外の部分については、無力でしかない。
はっきり言えば、どうしようもない。

 つぎの世代の世界は、つぎの世代の人たちが作っていく。
「元気」といっても、私たちに残された元気は、もうどれほどもない。
現状を生きるだけで、精一杯。
どうであれ、私たちは、その世界を見ることはないだろう。

●中国人

 ワイフが2度目の入浴から戻ってきた。
濡れたタオルを、物干しに掛けている。
「隣の4部屋くらいは、中国人みたいよ」と。

 前回、秋に来たときも、中国人がたくさん来ていた。
たまたま尖閣諸島付近で、日本の海上保安庁の船と、中国の漁船が衝突したころだった。
中国政府は、日本への観光旅行を中止するなどと言っていた。
が、このホテルには影響はなかった(?)。
そのときも、結構、混雑していた。
ただ回を重ねるごとに、つまり毎年、見るたびに、中国人の態度が大きくなっていく
のには、驚く。
今の今も廊下で、甲高い声をあげて、騒いでいる。
傍若無人。

 このホテルにとっても、また日本全体にとっても、今は、中国サマサマ。
日本のバブル経済がはじけたとき、日本は経済破綻の崖っぷちに立たされた。
その日本経済をかろうじて支えてくれたのが、実は中国だった。
中国の高度成長の波に乗って、日本は何とかもちこたえた。
もし中国からの観光客が来なかったら、このホテルも、経営が成り立たない
だろう。

 ここはじっとがまんのとき。
そのうち静かになるだろう。

●時刻は10時

 時間のたつのは早い。
夕食をとり、2度目の風呂につかって戻ったら、もう10時!
1~2時間という時間が、あっという間に過ぎてしまった。
これはどうしたことか。

 眠りたいという思いと、もっと文を書いていたいという思いが、交互に
現れては消える。
どうしよう?
ワイフと長男は、ベッドの上で、本を読んでいる。

 そう言えば、この1~2日、PSP(ソニーのゲーム機)将棋では、負けてばかり。
集中力がつづかない。
これもサイトカイン(脳内ホルモン)によるものか。
このつづきは、明日の朝、また書く。
この部屋からは、もし天気がよければ、すばらしい朝日が拝めるはず。
では、おやすみ。
1月5日、午後10時。

●午前6時

 時刻は午前6時。
真っ暗闇の中で、パソコンを立ち上げる。
この文を書き始める。

 ……目が覚める前、こんな夢を見ていた。

 私はどこかの(自宅?)にいた。
裏のほうを見ると、雑草の生えた広場になっていて、子どもが何人か遊んでいた。
ワイフは家の中にいて、家事をしていた。
が、そこへ2人の子どもが、家の中に入ってきた。
あとを追いかけるようにして、ブラジル人の母親が入ってきた。
日本語が話せない。
が、どうやら「しばらく子どもを預かってくれ」と言っているようだ。
私とワイフは、2人の子どもを預かることにした。

 夢は、私が何かの遊具を取り出すところで終わった。
そこで目が覚めた。
(自宅?)と言っても、見覚えのない家だった。
古い農家のような家で、土間は、黄色の土がむき出しになっていた。
どうしてそんな夢を見たのだろう。

●1月6日

 今年の日本経済について、どこかの雑誌がその特集を組んでいた。
5~6人ほどの学者や研究者が、その予想を書いていた。
立ち読みだったので、記憶をたどってみる。

(1) 中国のバブル経済が崩壊する。
(2) 日本のインフレが進む(円安になり、1ドルが100円になる。)
(3) 株価があがり、景気がよくなる。
(4) 韓国が「失われた10年に突入する」などなど。

 こうした予想は、例年だと、それほどの幅もなく一致するもの。
が、今年の予想は、みな、バラバラ。
X氏は、景気はよくなると主張し、Y氏は、景気は悪くなるという。
Z氏は、第二、第三のリーマンショックが襲ってくるという。
つまりそれだけ今年の景気は予想がしにくいということらしい。
ひとつの問題として、日本の航空業界を考えてみる。

●J社問題(航空業界)

 J社がかかえる問題は、いくつかある。
ひとつは旧態依然の経営体質。
ひとつはLCC(激安運賃運行)時代への対応。
ひとつはオープンスカイ問題。

 この先、J社が生き残っていこうとすれば、現在のような鎖国状態を政府に維持して
もらう。
国内便専門会社として、国内便だけに徹する。

EUでは、すでにLCCは、日常化している。
わかりやすく言えば、街中の乗り合いバスのような存在になっている。
場合によっては、パリから地方空港まで、300円(日本円で300円だぞ!)で
乗れる時代になった。
客はネットを見ながら、最低料金になったところでチケットを買う。
それをプリントアウトして、空港へかけつける。
そのまま飛行機に乗る。

 そんな芸当が、日本の航空会社にできるだろうか?
とくにJ社にできるだろうか?
プライドばかりが、やたらと強い。
そのプライドをかなぐり捨てて、そこまでLCCに徹することができるだろうか?
できないとするなら、従来どおり、鎖国主義を貫くしかない。
日本の空を細々と飛ぶしかない。
が、それで安泰かというと、そうでもない。

 近く、東京―大阪間が、リニアモーター列車で結ばれる。
新幹線網がさらに充実する。

さらに世界中のLCCが、日本へ参入しつつある。
すでにたとえば札幌から福岡へ行くとき、札幌から仁川(韓国)まで
大韓航空を使い、同じ大韓航空を使って仁川から福岡まで行く。
そんな人がふえている。
そのほうが料金にしても、はるかに安い。

 当の昔に、日本の航空会社は、国際競争力を失っている。
J社はさかんに「黒字になった」とはしゃいでいるが、中身は赤字路線を廃止しただけ。
余剰人員をクビにしただけ。
体質は何も変わっていない。
問題は何も解決していない。

 J社がかかえる問題は、日本経済全体がかかえる問題と考えてよい。
つまりJ社は、日本経済の縮図。

製造会社は海外で活路を見出しているが、航空会社にはそれができない。
できるとすれば、逆に人件費の安いパイロットや客室乗務員を、外国から雇うという
方法がある。
整備は外国の整備会社に任す。
つまり日本の航空会社を、外国の航空会社と同じレベルに置く。
そこからスタートする。
何なら、J社の本店を、タイのバンコクに置けばよい。 

いっそのこと、日本、台湾、韓国、マレーシア、シンガポール、フィリッピンで
共同して、1つの航空会社を作ったらどうか。
そのほうがわかりやすい。

かなり乱暴なJ社再建論だが、大筋ではそれほどまちがっていないと思う。

 ……それにしても、1企業を救済するために、国税を1兆円も使う必要は
本当にあったのだろうか。
国民1人当たり、約1万円。
浜松市の人口は80万人だから、浜松市だけで、80億円。
カルフォルニア州より小さな国に、航空会社が2社。
子会社も含めると、10社以上。

●ロビーで

 先ほどワイフがホテルのアンケート用紙に、意見を書いた。
それには「大満足」とあった。
よかった。

 私はロビーにあった椅子を窓側に向けた。
そこに座り、今、この文を書いている。
眼下には、渥美半島の先が見える。
小さな小山があり、灯台はその小山に隠れて見えない。
先ほど自動車運搬船が、左方面からやってきて、右方面へと消えていった。
空は相変わらず曇り。
鉛色の黒い影を伴った雲が、すぐ上に見える。

 風は強い。
朝、露天風呂に入ったが、風で湯しぶきがあがり、私の顔面を叩きつけた。
波も荒いはずだが、ここから見るかぎり、のどかな冬の海。
幾重にも皺(しわ)になった海面が、ゆっくりと岸へ打ち寄せている。

 「いい正月だったね」と言うと、ワイフは満足そうに笑った。
やりたいことは、すべてした。
そんな満足感が私の心を満たした。

 で、今度の正月を総括すると、こうなる。

「子離れと、居直りの正月」。
やっと子離れができた。
子離れを完成させた。
「これからは私の人生」と。

「居直り」というのは、「私の人生は、こんなもの」と、自分に納得できた。
たいしたことはできなかった。
これからもできないだろう。
あるがままの自分を認め、そのまま残りの人生を生きていく。
つまり、これからは、もうだれにも邪魔されず、自分の人生を生きていく。

 ……2年前、実兄と実母を亡くした
昨年、実家を処分した。
姉との5年闘争にも、ケリをつけた。
そして今年、2011年の1月。
息子たちとも、ケリをつけた。
私は生まれて始めて、「自由」を勝ち取った。
今の私を束縛するものは、何もない。
「私は自由だ!」と。

 もっともワイフに言わせると、「何よ、今ごろ」となる。
「あなたはね、若いころは、どうしようもないマザコンだったのよ。
60歳を過ぎて、やっと子離れできたのよ」と。
先ほども、ここまで書いたことを読み聞かせてやったら、そう言った。

私「でもね、つい昨年まで、ぼくはこう考えていたよ。
もし息子たちの身に何かあれば、家や土地を売ってでも助けてやろうと」
ワ「今どき、そんな親はいないわよ。息子たちだって、そんなこと望んでいないわよ」
私「そうだね。でもね、ぼくはお前と結婚する前から、収入の半分を、
実家へ送っていたよ。息子たちには、そんな気持ちはみじんもないよ」
ワ「今どき、そんな若い人はいないわよ。時代が変わったのよ」
私「そうだね」と。

●常識と意識

 一度心の中にできた常識を変えるのは、容易なことではない。
意識を変えるのは、さらに難しい。
が、私には私の常識があった。
その常識に従って、自分の意識を作りあげた。
私なりの家族像、親像、親子像、家庭像を作りあげた。

 が、時代は変わった。
たしかに変わった。
その変化を知りつつ、その変化に順応できなかった。
できないから、がんこ親父となり、それをワイフや息子たちに押しつけた。
が、そこで猛烈な反発を食らった。
考えてみれば、それだけのこと。

 本当によい正月だった。
2011年1月6日。
伊良湖ビューホテル・ロビーにて。
近く、改装工事に入るという。
それが終わったら、また泊まる予定。
最後に繰り返しになるが、伊良湖ビューホテルほどの景観を備えたホテルは、
そうはない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 2011年正月 伊良湖ビューホテル はやし浩司 2011-0106)


Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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