2010年12月15日水曜日

*New "Family-ism"

●家族主義の限界(新・家族主義に向かって)What is Family for us?

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家族主義にも条件がある。
家族主義が、ベストというわけではない。
問題がないわけではない。

「核家族」からさらには、「カプセル家族」へ。
それがさらに極限化した家族主義。
もしそれを家族主義と呼ぶなら、
家族主義など、クソ食らえ(尾崎豊)!

私が説く「家族主義」には、2つの条件が
ある。

(1)家族に、両親を加えること。
(2)「私の住む世界だけが大切」という壁を
取り払うこと。

それが家族主義ということになる。

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●利己主義としての、家族主義

 利己主義がワクを広げる。
その中に家族を取り込む。
多くの人たちは、その状態を、「家族主義」と誤解している。
しかしそれは家族主義ではない。
私が20年に渡って説いてきた、家族主義ではない。

 「自分だけがよければ、それでいい」と。
そこに家族が入ると、「私の家族だけがよければ、それでいい」となる。
平たく言えば、個人的な利己主義が、少しワクを広げて、家族主義になっただけ。
「家族主義」という言葉が利用されただけ。

●出世主義から家族主義へ

 当初、私は日本にはびこる出世主義を批判した。
その反対側に位置する「主義」として、「家族主義」を説いた。
とくに団塊の世代は、「家族よりも仕事」と考えた。
戦後の経済高度成長の荒波の中で、家族を犠牲にした。
が、2000年を境に、日本人の心は大きく変化した。
「サイレント革命」という名前を使った人もいる。

 「仕事より家族が大切」と考える人が、アンケート調査をするたびに、多くなった。
40%から50%に。
50%から80%に。
1年単位で、変化した。

 こうした変化は当然であるとしても、ここにきて、大きな曲がり角にやってきた。
「家族主義」が誤解され、変形した。
それが「利己主義的家族主義」ということになる。

●親不在の家族主義

 今、若者たちの中で、「将来、親のめんどうをみる」と考えている人は、驚くほど少ない。
内閣府(総理府)の調査結果を見るまでもない。
それについては何度も書いてきた。

 若い人たちがいう「家族主義」の中には、「両親」は含まれていない。
彼らが第一に考える「家族」というのは、自分たち夫婦と、その子どもたちだけの
世界をさす。
核家族からカプセル家族へ。
人間関係だけではない。
価値観も、自分たちの中だけで熟成させる。
世代から世代に連続する価値観の橋渡しをしない。
「カプセル家族」という名前は、そういうところから生まれた。

 が、これは若人たちにとっても、不幸なことである。
「私たちは古い世代とはちがう」と言いながら、古い世代がしてきた経験や、得てきた
知恵を生かさない。
そしてすべてをゼロから始めてしまう。

 私たちの世代の60%が、やがて独居老人となり、孤独死、あるいは無縁死をする。
そういう運命にある。
それはそれで構わない。
自業自得と心得る。
しかし自分たちもまた、同じ道をたどることになる。
それに気づいていない。
「私たちだけはだいじょうぶ」と。
それがいかに幻想であるかは、もう少し時間がたってみるとわかる。

●利己主義

 若い人たちがますます利己主義的になってきている。
私はそれを強く感じている。
あなたも心のどこかで、それを感じているはず。
自分のことしか考えない。
自分の利益しか考えない。
それが高じて、自分さえよければ、それでよいと考える。
またそれでもって、「個人主義」と誤解する。

 誤解がないように書いておきたい。
個人主義というのは、生き様の問題。
「私は私」と、自分の生き方を貫く。
それが個人主義。

 その「自分さえよければ、それでよい」という世界に、家族が加わる。
夫や妻、子どもが加わる。
そこで「私たち家族がよければ、それでよい」となる。
しかし繰り返すが、これは家族主義ではない。
利己主義という。
利己主義をごまかすために、家族主義という言葉を使ってはいけない。

●家制度

 昔ながらの「家制度」にどっぷりとつかっている人には、それがわからないかもしれ
ない。
しかし家制度ほど、利己主義でかたまった世界はない。
「家を守る」ということは、同時に、他者の侵入を徹底的に排除することを意味する。
「家」がもつ権限と利得にしがみつく。
「家」の一員であるかどうかで、明確な差別意識をもつ。

 中には「家制度など、残っていない」と主張する人がいる。
本当にそうか?
そう断言できるか?
あと数週間で2011年になろうという今、いまだに家制度を意識として引きずっている
人は、ゴマンといる。
私の実家がそうだった。
私の親類がそうだった。
地方の町や村へ行くと、いまだに血縁だけで動いているところは、いくらである。

 方向はまったく別かもしれないが、この家制度と、利己主義的な家族制度は、どこか
よく似ている。
自分の周囲に厚い壁を作り、その中だけで生きている。
一見、居心地のよい世界だが、その分だけ風通しが悪い。
悪い分だけ、思想が極端化しやすい。

 たとえば子どもの世界。
同じ過保護、過干渉、過関心でも、カプセル家族の中では、それが極端化しやすい。
子どもに現れる症状も、当然のことながら極端化する。

●家族主義の是正

 何ごとも「中庸」が肝心。
過ぎたるは、及ばざるがごとし。
家族主義も、度が過ぎると、かえって弊害が現れる。
その2つが、(1)世代間の断絶と、(2)極端な利己主義化。

 自己愛者といえば、個人の問題。
それが家族にもワクを広げることがある。
言うなれば、「自己愛家族」ということになる。
言い忘れたが、自己中心性が極端化した状態を、「自己愛」という。
恥ずべきことであって、何ら自慢すべきことではない。
では、どうするか。

●意識改革

 家族主義というのは、意識の問題。
それだけに、その意識を改革するのは、むずかしい。
「改革」というよりも、自分でそれに気づくまでがたいへん。
脳のCPU(中央演算装置)にかかわる問題だけに、ほとんどの人は、自分を基準にする。
つまり「私は正しい」という前提で、ものを考える。
だから気づかない。

 自分が利己主義的であるかどうか。
それを知るためには、2つの方法がある。
ひとつは、他人と比較してみる。
もうひとつは、絶え間ない自己改革を繰り返し、10年単位、20年単位で、自分を
振り返ってみる。
早ければ早いほど、よい。
若ければ若いほど、よい。
ある程度の年齢になると、自己改革そのものがむずかしくなる。
「私は正しい」と思う刀で、そうでない相手を、「まちがっている」と言って切り捨てる。
ある男性は、私にこう言った。

「無料で原稿を読ませている? 道楽でも、私にはそんなことはできません」と。

 ものを書くということは、自分の経験を切り売りするようなもの。
自分の命を削りながら、それを収入に換えていく。
が、その人は、私がそれを無私無欲でしていることに、驚いていた。

(ただし誤解がないように、断っておく。
いくら無料でも、無断転載、盗用、盗作は、ぜったいに許さない!)

 しかしこうした心境に到るまでには、いろいろあった。
簡単な道ではなかった。
私は人一倍、利己主義的であった。
若いころは、お金のためにものを書いた。
それが当たり前という世界で、生きていた。

 家族にしてもそうだ。
最近になってやっと、私と世間を隔てる壁を取り払うことができるようになった。
(最近だぞ!)
そこにいる子どもたち(生徒たち)が、私の息子や娘、孫に見えるようになった。
言い替えると、意識を変えるということは、それくらいむずかしい。
アインシュタインは、常識について、「常識などというものは、その人が18歳のと
きにもった偏見のかたまりである」と言った。
その偏見を取り除くのは、さらにむずかしい。

●終わりに

 金融街で、金融ビジネスをしている人には、ボランティア活動をしている人が
バカでアホに見えるかもしれない。
しかしその一方で、ボランティア活動をしている人には、金融街で血眼(ちまなこ)に
なっている人が、バカでアホに見える。

 意識というのはそういうもの。
立場によって、相対的に変化する。
そのひとつが、家族主義ということになる。

 あなたは今、どのような家族像をもっているだろうか。
家族はどうあるべきと、考えているだろうか。
一度、ここで立ち止まって考えてみてほしい。
よりよい家族をもつために。
より太い家族の絆で結ばれるために。
(あるいは私のように失敗しないため……と書いた方が、正直なところかもしれない。)

 今朝は、家族主義について考え方を訂正してみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 家族主義 新家族主義 新・家族主義 家族主義の訂正、悪玉家族主義、
善玉家族主義)


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

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