2010年12月31日金曜日

*New Familism






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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 1月 28日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


【歌をみなの前で、ひとりで歌う】

何でもないことのようですが、みなの前で、ひとりで、立って歌を
歌うというのは、幼児にとっては、たいへんなことです。
またそれができる子どもは、少ないです。

で、今日は、歌を歌うというレッスンをしてみました。
みなが、「歌いたい」「歌わせろ」と言うようになるよう、指導してみました。
結果は、大成功でした。
最初は、「歌いたくない」と言っていた子どもも、中盤くらいから、「歌いたい!」と
自分から言うようになりました。
その変化を、どうかご覧ください。

なおこうして歌うことによって、子どもは、発表力、発言力を身につけていきます。
幼児のこの時期に、そういう力が一度身につくと、一生の財産になります。

またこの時期に、それができる子どもは、その後、心を開放できるようになります。
何でもないことのようですが、みなの前で、ひとりで、立って歌を
歌うというのは、幼児にとっては、とても大切なことです。

●年長児クラス(12月13日)

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児 独りで歌を歌う ひとりで歌を歌う 幼児の発表力 発言力)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●家族主義の限界(新・家族主義に向かって)What is Family for us?

++++++++++++++++++

家族主義にも条件がある。
家族主義が、ベストというわけではない。
問題がないわけではない。

「核家族」からさらには、「カプセル家族」へ。
それがさらに極限化した家族主義。
もしそれを家族主義と呼ぶなら、
家族主義など、クソ食らえ(尾崎豊)!

私が説く「家族主義」には、2つの条件が
ある。

(1)家族に、両親を加えること。
(2)「私の住む世界だけが大切」という壁を
取り払うこと。

それが家族主義ということになる。

+++++++++++++++++++

●利己主義としての、家族主義

 利己主義がワクを広げる。
その中に家族を取り込む。
多くの人たちは、その状態を、「家族主義」と誤解している。
しかしそれは家族主義ではない。
私が20年に渡って説いてきた、家族主義ではない。

 「自分だけがよければ、それでいい」と。
そこに家族が入ると、「私の家族だけがよければ、それでいい」となる。
平たく言えば、個人的な利己主義が、少しワクを広げて、家族主義になっただけ。
「家族主義」という言葉が利用されただけ。

●出世主義から家族主義へ

 当初、私は日本にはびこる出世主義を批判した。
その反対側に位置する「主義」として、「家族主義」を説いた。
とくに団塊の世代は、「家族よりも仕事」と考えた。
戦後の経済高度成長の荒波の中で、家族を犠牲にした。
が、2000年を境に、日本人の心は大きく変化した。
「サイレント革命」という名前を使った人もいる。

 「仕事より家族が大切」と考える人が、アンケート調査をするたびに、多くなった。
40%から50%に。
50%から80%に。
1年単位で、変化した。

 こうした変化は当然であるとしても、ここにきて、大きな曲がり角にやってきた。
「家族主義」が誤解され、変形した。
それが「利己主義的家族主義」ということになる。

●親不在の家族主義

 今、若者たちの中で、「将来、親のめんどうをみる」と考えている人は、驚くほど少ない。
内閣府(総理府)の調査結果を見るまでもない。
それについては何度も書いてきた。

 若い人たちがいう「家族主義」の中には、「両親」は含まれていない。
彼らが第一に考える「家族」というのは、自分たち夫婦と、その子どもたちだけの
世界をさす。
核家族からカプセル家族へ。
人間関係だけではない。
価値観も、自分たちの中だけで熟成させる。
世代から世代に連続する価値観の橋渡しをしない。
「カプセル家族」という名前は、そういうところから生まれた。

 が、これは若人たちにとっても、不幸なことである。
「私たちは古い世代とはちがう」と言いながら、古い世代がしてきた経験や、得てきた
知恵を生かさない。
そしてすべてをゼロから始めてしまう。

 私たちの世代の60%が、やがて独居老人となり、孤独死、あるいは無縁死をする。
そういう運命にある。
それはそれで構わない。
自業自得と心得る。
しかし自分たちもまた、同じ道をたどることになる。
それに気づいていない。
「私たちだけはだいじょうぶ」と。
それがいかに幻想であるかは、もう少し時間がたってみるとわかる。

●利己主義

 若い人たちがますます利己主義的になってきている。
私はそれを強く感じている。
あなたも心のどこかで、それを感じているはず。
自分のことしか考えない。
自分の利益しか考えない。
それが高じて、自分さえよければ、それでよいと考える。
またそれでもって、「個人主義」と誤解する。

 誤解がないように書いておきたい。
個人主義というのは、生き様の問題。
「私は私」と、自分の生き方を貫く。
それが個人主義。

 その「自分さえよければ、それでよい」という世界に、家族が加わる。
夫や妻、子どもが加わる。
そこで「私たち家族がよければ、それでよい」となる。
しかし繰り返すが、これは家族主義ではない。
利己主義という。
利己主義をごまかすために、家族主義という言葉を使ってはいけない。

●家制度

 昔ながらの「家制度」にどっぷりとつかっている人には、それがわからないかもしれ
ない。
しかし家制度ほど、利己主義でかたまった世界はない。
「家を守る」ということは、同時に、他者の侵入を徹底的に排除することを意味する。
「家」がもつ権限と利得にしがみつく。
「家」の一員であるかどうかで、明確な差別意識をもつ。

 中には「家制度など、残っていない」と主張する人がいる。
本当にそうか?
そう断言できるか?
あと数週間で2011年になろうという今、いまだに家制度を意識として引きずっている
人は、ゴマンといる。
私の実家がそうだった。
私の親類がそうだった。
地方の町や村へ行くと、いまだに血縁だけで動いているところは、いくらである。

 方向はまったく別かもしれないが、この家制度と、利己主義的な家族制度は、どこか
よく似ている。
自分の周囲に厚い壁を作り、その中だけで生きている。
一見、居心地のよい世界だが、その分だけ風通しが悪い。
悪い分だけ、思想が極端化しやすい。

 たとえば子どもの世界。
同じ過保護、過干渉、過関心でも、カプセル家族の中では、それが極端化しやすい。
子どもに現れる症状も、当然のことながら極端化する。

●家族主義の是正

 何ごとも「中庸」が肝心。
過ぎたるは、及ばざるがごとし。
家族主義も、度が過ぎると、かえって弊害が現れる。
その2つが、(1)世代間の断絶と、(2)極端な利己主義化。

 自己愛者といえば、個人の問題。
それが家族にもワクを広げることがある。
言うなれば、「自己愛家族」ということになる。
言い忘れたが、自己中心性が極端化した状態を、「自己愛」という。
恥ずべきことであって、何ら自慢すべきことではない。
では、どうするか。

●意識改革

 家族主義というのは、意識の問題。
それだけに、その意識を改革するのは、むずかしい。
「改革」というよりも、自分でそれに気づくまでがたいへん。
脳のCPU(中央演算装置)にかかわる問題だけに、ほとんどの人は、自分を基準にする。
つまり「私は正しい」という前提で、ものを考える。
だから気づかない。

 自分が利己主義的であるかどうか。
それを知るためには、2つの方法がある。
ひとつは、他人と比較してみる。
もうひとつは、絶え間ない自己改革を繰り返し、10年単位、20年単位で、自分を
振り返ってみる。
早ければ早いほど、よい。
若ければ若いほど、よい。
ある程度の年齢になると、自己改革そのものがむずかしくなる。
「私は正しい」と思う刀で、そうでない相手を、「まちがっている」と言って切り捨てる。
ある男性は、私にこう言った。

「無料で原稿を読ませている? 道楽でも、私にはそんなことはできません」と。

 ものを書くということは、自分の経験を切り売りするようなもの。
自分の命を削りながら、それを収入に換えていく。
が、その人は、私がそれを無私無欲でしていることに、驚いていた。

(ただし誤解がないように、断っておく。
いくら無料でも、無断転載、盗用、盗作は、ぜったいに許さない!)

 しかしこうした心境に到るまでには、いろいろあった。
簡単な道ではなかった。
私は人一倍、利己主義的であった。
若いころは、お金のためにものを書いた。
それが当たり前という世界で、生きていた。

 家族にしてもそうだ。
最近になってやっと、私と世間を隔てる壁を取り払うことができるようになった。
(最近だぞ!)
そこにいる子どもたち(生徒たち)が、私の息子や娘、孫に見えるようになった。
言い替えると、意識を変えるということは、それくらいむずかしい。
アインシュタインは、常識について、「常識などというものは、その人が18歳のと
きにもった偏見のかたまりである」と言った。
その偏見を取り除くのは、さらにむずかしい。

●終わりに

 金融街で、金融ビジネスをしている人には、ボランティア活動をしている人が
バカでアホに見えるかもしれない。
しかしその一方で、ボランティア活動をしている人には、金融街で血眼(ちまなこ)に
なっている人が、バカでアホに見える。

 意識というのはそういうもの。
立場によって、相対的に変化する。
そのひとつが、家族主義ということになる。

 あなたは今、どのような家族像をもっているだろうか。
家族はどうあるべきと、考えているだろうか。
一度、ここで立ち止まって考えてみてほしい。
よりよい家族をもつために。
より太い家族の絆で結ばれるために。
(あるいは私のように失敗しないため……と書いた方が、正直なところかもしれない。)

 今朝は、家族主義について考え方を訂正してみた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 家族主義 新家族主義 新・家族主義 家族主義の訂正、悪玉家族主義、
善玉家族主義)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●クリスマス

 クリスマスが近くなってきた。
この5~6年、ワイフと2人だけで、クリスマスを祝っている。
正月も、似たようなもの。
それを今朝、ワイフに話すと、ワイフはこう言った。

「別にいいんじゃな~い。私たち、クリスチャンというわけでもないから」と。

 ワイフは、どこまでも楽天的。
うらやましい。
「2人だけというのも、さみしいね」と追い打ちをかけると、さらにこう言った。
「私の友だちなんかも、みんな、そうよ」と。

 もっともその分だけ、教室での行事が多くなる。
忙しくなる。
年末には、生徒たちを連れて、近くのレストランへ行くことにしている。

 で、スケジュールを見ると、12月24日は金曜日。
この日の最終クラスは、小4クラス。
私がいちばん大切にしているクラス。
このクラスのあとに、クリスマスパーティができる。
決定!

 私には、すばらしい友だちが、たくさんいる。
その友だちと、パーティをすればよい。
ものごとは何でも、前向きに考えよう!


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●友情(はやし浩司 2010-12-14朝記)

++++++++++++++++++

私はひとりぼっちではなかった。
それを知ったとき、熱い涙が、とめども
なく流れた。

++++++++++++++++++

●友の死

 この広い世界で、自分の心の内を話せる友人は、私のワイフだけ。
この浜松市では、ワイフだけ。
今は、そういう状態。
学生時代からの友人の1人は、2年前に他界した。
それほど親しくはなかったが、何かにつけ、彼が近くにいるというだけで、心の支えに
なっていた。

 もう1人いたが、この12月1日(2010年)に、同じく他界した。
だれも予想すらしなかった、突然の死だった。
それまでは毎日のように、その朝に書いた原稿を、メールで送っていた。

 ほかに3人の息子たちがいるが、「心の内」を話すといっても、どうしても愚痴になって
しまう。
息子たちにしても、不愉快だろう。
老後の不安を口にしただけで、顔をそむける。
何も、めんどうをみてほしいと言っているわけではないのだが……。

●老後

 そんな中、最近ワイフがよくこう言う。
「オーストラリアへ移住しない?」と。
移住といっても、数年、あるいはもう少し長く、オーストラリアに住んでみないか、と。
ワイフ自身のためというよりは、私のことを考えてのことらしい。
このところずっと落ち込んでいる。
気分が重い。
老後のことはできるだけ考えないようにしている。
が、いつも心から離れない。
打ち寄せる渚(なぎさ)の波のように、折につけ、心を塞(ふさ)ぐ。
ザザー、ザザーと。

 それに……。
ワイフは、こう言う。
「人生も短いのだから、したいことをしましょうよ」と。
そういう話の流れの中で、「オーストラリア」という名前が浮かんできた。

●解放

 オーストラリアといっても、今は大きく変わった。
私の知っているオーストラリアは、昔のオーストラリア。
あのメルボルン市(当時の人口は300万人)にでさえ、日本人の留学生は、私、
1人だけだった。
そんな時代のオーストラリア。
が、今は、多くのアジア人たちが、ひしめくように住んでいる。
犯罪も多くなり、男性でも夜のひとり歩きは危険になったという。

私「今のオーストラリアは、ぼくが知っているオーストラリアとはちがうよ」
ワ「知っているわ」
私「向こうの人は、日本人といっても、ほかのアジア人と区別しないよ」
ワ「知っているわ」
私「それでも、お前は、オーストラリアに住みたいのか?」
ワ「……あなたのためよ」と。

 私の夢は、いつかオーストラリアに移住することだった。
しかしそれができなかった。
郷里に母と、病弱な兄がいた。
生活力が、ほとんどなかった。
が、2年前、兄が。
つづいて母が、他界した。

 私はやっと「家」から解放された。

●孤独

 私は孤独だった。
ずっと孤独だった。
今も、孤独。
「友」と呼べるような人は、ワイフしかいない。
それが不満というのではない。
私にとって老後の不安というのは、ワイフのいない世界をいう。
もしワイフが先に逝ってしまったら、私はどうなるのか。
どうしたらよいのか。

 親類といっても、面従腹背。
つきあいといっても表面的なもの。
家庭の事情を話すと、その話は、1、2週間のうちに、みなに伝わってしまう。
みながみな、私に好意的というわけではない。
いつも私が話す話は脚色され、どこかでゆがめられてしまう。
たとえばいとこの1人に、(いとこといっても、60数人のいとこがいるが)、今日、
電話で、「最近、腰がこわばることがあって、痛い」と話したとする。
すると1週間後には、別のいとこから、こんな電話が入る。
「浩司君、あんたは車椅子に乗っているのか?」と。

 言うなれば、私の親類たちは、自分を「家」という砦で囲み、その中だけで生きている。
その「ワク」から外れる者を許さない。
昔ながらの利己主義的な「家意識」。
それが亡霊となって、そのまま生きている。
つまり私が住む世界ではない。

●限界

 私とワイフが出した結論は、こうだ。
もし来年(2011年)、仕事に限界を感じたら、オーストラリアへ行こう、と。
私も来年64歳になる。
自由業に定年はないとはいうものの、しかしここ数年、限界を感ずることが多くなった。
少子化に不景気。
加えて私の教え方は、どこか古典的。
古臭い。
今の若い親たちには、受けない(?)。

私「でもね、ぼくは慎重の上に、慎重に考えたい。住んでみたが、やっぱり日本のほう
がいいというのでは、困る。若いときならまだいい。しかしこれからはやり直しがきか
ない」
ワ「……」
私「行くのは簡単なこと。しかし向こうで、ぼくは何をすればいいのかな。毎日、景色
だけを見て過ごすわけにはいかない。仕事をしたい。が、ぼくの年齢では無理」

 私はそういうとき、すぐ「死に方」を考えてしまう。
死ぬのがこわいというのではない。
死ぬまでのプロセスがこわい。
どう死ぬか。
つまり「死に方」。
それを考えると、こわい。

ワ「じゃあ、こうしたら……。つまりね、とにかく1週間だけでも行ってみるのよ。
2人で、住めるかどうか、確かめてきましょうよ」
私「そうだな。それがいいかな。それを何度か繰り返したあと、その後、どうするかを
決める……っていうことだね」
ワ「そうよ……」と。

●準備

 パスポートの準備を始めた。
が、これは第一歩……というより、ほんの一部。
ほかの国とはちがう。
ただの旅行ともちがう。
私にとってオーストラリアというのは、そういう国。
私の青春時代、そのもの。

 あの時代はたしかに私の出発点だった。
すべてがそこから始まった。
が、今、この40年を振り返ってみると、あの時代が、そのまま私のゴールになって
いるのを知る。
私の人生のすべてが、加齢とともに、そのゴールに向かい動き出している。

 ……あの時代が、つぎつぎと私の脳裏に浮かんでくる。
しかも遠い昔の日々としてではなく、つい昨日のように浮かんでくる。
「オ~イ」と声をかければ、すぐそこから返事が返ってくる。
この空の向こうには、同じ別の空があって、そこに私の青春時代がある。
私はあの世界で、1日1日を1年のようにして生きた。
ウソでも誇張でもない。
本当に、1日1日を、1年のように長く感じた。

 オーストラリアへ行くということは、いつもそうだが、私にとっては、その青春時代
に戻ることを意味する。
それなりの心の準備なくして、私にはオーストラリアへ行くことはできない。

●友情

 で、昨日、2人の友人にメールを出した。
メルボルン市に住む、D君。
それにアデレードの近郊の町に住む、R君。
軽い気持ちで、連絡した。
少なくとも、メールでは、そう書いた。
「来年X月XX日、1週間の予定で、オーストラリアへ行く」と。

 簡単な予定も書いた。
アデレードで2泊、列車の中で1泊、そしてメルボルンで2泊、と。
往復の飛行機の中で、1泊ずつ過ごす。
すかさず、返事が入った。
が、その返事を読んだとき、私の心の内から熱いものが、こみあげてくるのがわかった。
「私は、ひとりぼっちではなかった」と。

 D君は、ちょうどそのころ、中国→韓国→日本への旅行を計画していた。
「ヒロシがオーストラリアへ来るなら、それをとりやめる」と。
R君は、「小型飛行機でアウトバック(荒野)を案内する」と。
それに「アデレードからメルボルンまで、車で行こう」とも。

 40年前と何も変わっていなかった。
オーストラリアには、私を迎えてくれる人たちがいる。
それを知ったとき、大粒の涙が、とめどもなく頬を伝わった。

●「♪Rosin the Beau(ロウザン・ザ・ボー)」

 学生時代、そのD君が、こんな歌を教えてくれた。
アイルランドのドリンキング・ソング(民謡)である。
私はその歌を、全部、ソラで歌える。
が、歌の題名が長くわからなかった。

 アイルランドへ行くという人が近くにいると、いつもその人にこう頼んだ。
「もし、こんなメロディ(歌詞)をどこかで聞いたら、題名を調べてきてほしい」と。
そんなこともあって、いつだったか、SKさん(前S大学教授)が、アイルランドで
CDを何枚か買ってきてくれた。
が、その中には、その歌はなかった。

 が、簡単なことだった。
旅行の連絡をするとき、その歌のことを書いた。
「君が教えてくれた、あの歌の題名を教えてほしい」と。
するとD君が、同じメールの中でこう教えてくれた。
「♪Rosin the Beau(ロウザン・ザ・ボー)だよ」と。

 30年もさがしつづけてきた歌が、たった1日でわかった。
1日というより、一瞬!
そのあっけなさに、驚いた。
「♪Rosin the Beau(ロウザン・ザ・ボー)」!

http://www.youtube.com/watch?v=kI8bPVw3scA&feature=related

♪オレは、この世界中を旅してきた。
 今、オレは、もうひとつの世界に行く。
 オレにはわかっている。
 そこでは親友だちが、みな、待っている。
 ローザン・ザ・ボーを迎えるために。
 ローザン・ザ・ボーを迎えるために。

♪オレが死んで、バーのカウンターの
 上に置かれたら、みんなはその下から
 声が聞こえてくるのを知るだろう。
 オレにウィスキーのブタ樽をもってこい、と。
 オレとウィスキーを飲むために。
 オレとウィスキーを飲むために。

 YOUTUBEに題名を書き込むと、すぐその歌が見つかった。
「ザ・ダブリナーズ」というグループが、それを歌っていた。
2、3度、それを聴いていると、またあの涙が、とめどもなくあふれ出てきた。
いっしょに歌っていたが、声にならなかった。

 ……あのノートンの酒場で、私たちは顔を合わせると、いつもこの歌を歌っていた。
それが昨日とか、おとといとかではなく、その瞬間の現実として、よみがってきた。

 ……そういう私をワイフがどこで見ていたのかは知らない。
が、そのあと、横から私にこう言った。

「あなたには、すばらしい思い出があるのね」と。
私はためらわず、頭を小刻みに、何度も縦に振った。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 ローザン・ザ・ボー Rosin the Beau Roisin the 
Bowアイルランド民謡 青春時代International House Melbourne University Australia
241 Royal Parade)

(追記、SKさんへ)

 ご無沙汰しています。
お元気ですか。
京都も寒いですか。
今朝、久しぶりにSKさんのことを書きました。
この原稿を送ります。


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●オーストラリア(2)

+++++++++++++++++++++

2011年、X月XX日。
ワイフと私はオーストラリアへ「行く」。
「行く」と構えるほど、私にとっては、重大事。
サケが長い回遊を経て、ふるさとの源流に
もどるようなもの。
私にとっては、オーストラリアは心の源流。

それをメールで知らせると、2人の友人から、すかさず
返事が届いた。
アデレードで2泊の予定だった。
が、2泊ではとても足りそうにない。
それにアデレードからメルボルンまでは、列車で移動する予定だった。
が、友人が言うには、車でオーストラリア大陸を縦断しよう、と。
そうなると、とても2泊では足りない。

+++++++++++++++++++++

●Rosin the Beau

 オーストラリアの友人が教えてくれた歌に、「ローザン・ザ・ボー」
というのがある。
アイルランドの民謡(drinking song)ということだが、私はその歌を
今でもソラで歌える。
しかし歌の題名がわからない。
YOUTUBEで調べてみた。
「Rosan the Ballか?」・・・ということで、調べてみたが、
うまくヒットできなかった。

 が、今日、その歌を教えてくれた友人から、返事が届いた。
正しくは、「Rosin the Beau」。
さっそくYOUTUBEで検索。
いくつかのシンガー・グループが歌っているのがわかった。
その中でも、「ザ・ダブリンズ」のが、そのままの歌い方だった。
こうした民謡は、歌手によって、アレンジの仕方がまちまち。
その歌を聴いていると、ポロポロと涙がこぼれた。
そのときの情景が、そのままそこにあった。
私はちょうど40年前に、タイムスリップした。

 それを横で見ていて、ワイフがこう言った。
「あなたには、すばらしい思い出があるのね」と。

 私は名前を教えてくれた友人に、返事を書いた。
「30年間、ぼくはこの歌をさがしつづけた。
やっとこの歌に、めぐり会えた。
ありがとう」と。

●1日が1年

 あのころの私は、1日を1年のように長く感じながら生きていた。
けっして大げさな言い方ではない。
本当に、そう感じた。
1日が終わり、ベッドに体を横たえた瞬間、そう感じた。
そんなある日のこと。
ちょうど3か月目のことだった。
私はこう思った。
「まだこの先、こんな生活が9か月もつづくのか!」と。
うれしかった。
それがたまらなく、うれしかった。

 私は留学する前、4年間、金沢の大学に通った。
そういう自分を振り返りながら、その密度のちがいに驚いた。
4年間、通ったはずなのに、その4年間の重みがどこにもない。
思い出がない。
あるにはあるが、オーストラリアでの経験があまりにも濃密すぎた。
そのため金沢での学生生活がかすんでしまった。
その感覚は、今でもそうで、青春時代というと、あの時代ばかりが光り輝く。
金沢での4年間もそうだが、さらに高校時代の3年間となると何も残っていない。
単調な生活。
スケールの小さな生活。
刺激のない生活。

「勉強」と言っても、暗記また暗記。
受験のための暗記。
あの時代には、(今でもそうだが)、自分で考えるということすら許されなかった。
疑問をもてば、なおさら。
疑問をもったとたん、「学校」というコースからはじき飛ばされてしまった。

●不思議な世界

 そうした様子は、『世にも不思議な留学記』に書いた。
地元の中日新聞と、金沢学生新聞に、あしかけ5年に渡って、連載させてもらった。
興味のある方は、ぜひ、読んでほしい。
私のホームページ(ウェブサイト)から、『世にも不思議な留学記』へと進んでもらえば
よい。

 が、時代が変わった。
今では高校の修学旅行で、オーストラリアへ行く時代になった。
私たちが学生のころには、考えられなかった。
往復の旅費(羽田・シドニー間)だけで、42、3万円。
大卒の初任給がやっと5万円を超え始めた時代である。

 私には、見るもの、聞くもの、すべてが珍しかった。
日本には綿棒すら、まだなかった。
バンドエイドもなかった。
風邪を引けば、風呂へ入ることを勧められた。
医学部の学生が部屋までやってきて、注射を打ってくれた。
こんなこともあった。

 カレッジ対抗で、演劇会をもつことになった。
大学の構内では、壁紙を張ることが、きびしく禁じられていた。
が、友だちが、「これからその案内のポスターを貼りに行く」と。
驚いてついていくと、彼らはそれを地面に貼っていた。
(地面だぞ!)

 あるいは冬の寒い日。
1人の女の子が私を、海へ誘ってくれた。
水着をもってくるように言われた。
今となっては本当かウソかよくわからないが、・・・というのも、
オーストラリア人は、この種のウソを平気でつくので、・・・名前をタマラ・ファクター
といった。
自分で、「私は、(化粧品の)マックス・ファクターの孫」と話していた。

 で、海へ行くと、・・・そういえばそこで私ははじめて、「ミート・パイ」という
パイを食べた。
オーストラリアでもっともよく食べられているパイである。
それを食べていると、彼女は、水着姿になってしまった。
泳ぐためではない。
「サン・ベイジング(日光浴)」のためだった。
・・・などなど。

言い忘れたが、冬に浜辺でサン・ベイジングなるものをするという
習慣は、当時の日本人にはなかった。
そう言えば、同じカレッジにいた友人は、冬の日でも、また雨の日でも、
金曜日の夕方になると、キャンピング道具をもって、近くの森へキャンプ
に出かけていた。
そういう習慣も、当時の日本人にはなかった。

 こうして書き出したら、キリがない。

●常識論

 アインシュタインは、常識について、「常識などというものは、その人が18歳のと
きにもった偏見のかたまりである」と言った。
たしかにそれはそうで、子どもたちにしても、綿棒を見て驚く子どもはいない。
そこにあるものを、当然のものとして、受け入れていく。
が、それは18歳ごろ、常識として脳の中で、固まる。
それ以後は、その常識に反するものを、「異質なもの」として処理しようとする。
ときにそれが脳の中で、それまでの常識とはげしく対立することもある。

 たとえば私は向こうの女子学生たちが、みなノーブラで、それこそ乳首が飛び出て
いるような状態で、薄いシャツを着ているのを見て驚いたことがある。
その(驚いた部分)というのが、私の常識ということになる。

 では、何歳くらいの子どもだったら、驚かなかっただろうか。
15歳くらいか。
16歳くらいか。
それともアインシュタインが言うように、18歳くらいだろうか。
少なくとも私は驚いた。
そのとき私は23歳だった。
ということは、やはり18歳前後ということになる。
(アインシュタインという人は、本当にすごい!)

 そのころまでに「常識」が形成される。
それがその人の意識の基盤になる。

●自由

 が、今では、高校生でも驚かない。
綿棒を見ても、バンドエイドを見ても、驚かない。
むしろそちらのほうこそ、不思議!、ということになる。
彼らもまた、生まれながらにして、そこにあるものを、当然と思い込んでいる。

 話は大きく脱線したが、私には毎日が驚きの連続だった。
が、その中でも最大の驚きといえば、彼らの「自由」に対するものの考え方だった。
彼らがもっている自由の意識は、私がもっていた意識とは、明らかに異質のもの
だった。
たとえば職業観。
たとえば家族観。
たとえば人生観。
それを知るたびに、私の頭の中で火花がバチバチと飛び散るのを感じた。

 当時の私たちは職業といえば、迷わず、大企業への就職を選んだ。
「寄らば大樹の影」。
それが常識だった。
が、オーストラリア人には、それがなかった、などなど。
私などは、友人の父親たちが、収入に応じて、つぎつぎと家を移り替えていく。
「家」に対する意識も、ちがっていた。

 また私が大学で使ったテキストには、こうあった。
「日本は、君主(Royal=天皇)官僚主義国家」と。
が、これには私は反発した。
「日本は民主主義国家だ」と。
しかしだれも相手にしてくれなかった。

 日本は奈良時代の昔から、官僚主義国家。
今の今も、官僚主義国家。
首相以下、国会議員の大半は、元官僚。
県知事の大半も、元官僚。
大都市の知事も、これまた元官僚。
40年前の日本は、さらにそうだった!

●自由の意識

 もちろんオーストラリアでの生活は、私の人生観に大きな影響を与えた。
それがよかったのか、悪かったのか。
現在の私が、その「結果」とするなら、よい面もあるし、悪い面もある。
この日本は、組織社会。
組織に属している人は、実力以上の「得」をする。
たいした努力をしなくても、「得」をする。
今の公務員たちをみれば、それがわかる。
組織に属していない人は、実力があっても、「損」をする。
努力に努力を重ねても、「損」をする。
今の商工店主の人たちをみれば、それがわかる。

 「自由」を知らない国民には、それが常識かもしれない。
しかもそうした常識は、遠く江戸時代の昔から、しっかりと日本の社会に根を
おろしている。
そう簡単には、なおらない。
この国で組織に背を向けて生きるなどということ自体、常識ハズレ。
ほとんどのばあい、生きていくことすら、むずかしい。

 が、あえて私は自由の道を選んだ。
たいへんな道だったが、私は私の生き様を貫くことができた。
その原点が、あのオーストラリアでの学生生活にある。

 人は、友だちや師、さらには社会や国から、さまざまなものを学ぶ。
何を学ぶかは、それぞれの人によってちがう。
私のばあい、「生き様」を学んだ。
一編の論文を書いたわけではない。
もしあの時代の論文があるとすれば、今の私自身ということになる。
オーストラリアという国は、私にはそういう国。
・・・というより、「オーストラリア」という国の名前には、そういう意味がある。

 「旅行に行こう」「はい、行きます」と、安易に考えることは、私にはできない。
(International House in Melbourne Univ.)

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