2011年8月4日木曜日

@Kokumin-Shukusha Oku-Hamanako

●国民宿舎・奥浜名湖にて(8月3日)

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今日は、「国民宿舎・奥浜名湖」へやってきた。
宿泊料金も安く、ロケーションもよい。
ときどきやってくる。
息抜きには、もってこい。
そのつど、満足して帰る。

時刻は今、ちょうど午後4時を回ったところ。
夕食は6時半から。
それまでに風呂に入り、このあたりを散策するつもり。
暑いが、風がさわやか。
窓からは、遠く浜松市内が一望できる。
手前に広がるのは、もちろん浜名湖。

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●旅館業

 今、旅館業は、冬の時代。
こういう時節だから、経営もたいへん。……だろうと思う。
この国民宿舎も、昨日、予約した。……できた。
「夏休みだから、だめかな?」と思っていたが、長男の部屋も含めて、2部屋取れた。
私たちが、2xx号室。
長男が、2xx号室。
隣の部屋。

 私たちのような客にはありがたい。
つまり私たちはいつも、ものごとを衝動的に決める。
計画性がない。
……というか、へたに計画を立てると、息苦しくなる。
だから衝動的。
そういう客にはありがたい。
ありがたいが、旅館の経営者にとっては、そうでないだろう。
今は、夏休み。
本来なら、子連れ客でにぎわっていても、おかしくない。

●風呂

 風呂を出たところに、1人の男性客がいた。
袋井市から来たという。
(袋井市というのは、浜松からJRで、30分くらいのところにある町。)
日帰りの入浴客。
年齢は、60歳くらい。
奥さんが出てくるのを待っていた。

 しばらく話す。
あちこちの温泉の話し。
「ここはいい、あそこはいい」と。

 私はどこの温泉へ行っても、こうしてすぐだれかと友だちになる。
私の特技のようなもの(?)。
それがまた楽しい。
たいていは、「どちらから……?」と言って話しかける。
会話は、そこから始まる。

 ところで、ここは、温泉なのか?
それともただの風呂なのか?

(宿の案内によれば、人工的に成分を加え、下呂温泉、あるいは愛媛の道後温泉と成分を同じにしてあるとのこと。)

●悪夢

 今朝は、恐ろしい夢を4回も見た。
昨夜も、ふとんの中で、『2012年、日本経済は大崩壊する』(幻冬舎)を読んで寝た。
その前には、『超大恐慌の時代』(日本文芸社)を読んでいた。
そのせいだと思う。
ワイフがそう言った。

 「このごろあなたは、あんな本ばかり読んでいるからよ」と。

 そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
というのは、世界経済は、今、危機的な状況にある。
それは現実であって、推察ではない。
みな、見て見ぬフリをしているだけ。
アメリカは何とか危機を乗り越えたが、ギリシアの債務問題がある。
どこからどう考えても、ギリシアはもう救いようがない。
ゆいいつの救済法と言えば、各国銀行による債権放棄。
つまり徳政令。
借金の棒引き。
しかしそんなことをすれば、それこそEU経済は、メチャメチャ。
モラルハザードだって起こる。

が、それだけではない。
中東問題がある。
中国問題がある。
もちろんこの日本も、あぶない。

●ボケ防止

 ワイフもときどき、こう言う。
「あなたが国際経済を心配しても、しかたないでしょ」と。
教育問題にしても、そうだ。
確かにそのとおりだから、反論のしようがない。
町のオジチャンたちが、酒場で経済談義をするようなもの。
したところで、だれも相手にしない。
世の中、何も変わらない。

 で、私はそのつど、いつもこう答える。
「ボケ防止のため」と。
こうしていろいろものを考えることによって、脳の老化を防ぐ。
効果のほどはわからないが、今のところ、ボケていないところをみると、それなりに効果があるのでは?
が、本当のところは、こうだ。

 そこに(私の知らないこと)があると、私は歯がゆくてならない。
私が知らないことがあること自体、不愉快。
これは私の性分のようなもので、どうしようもない。

 そこでそれについて調べ始める。
あとはそのまま、その(こと)について、のめり込んでいく。

 そう言えば、趣味にしてもそうだ。
若いころは、周期的に、趣味が変化した。
だいたい3~4か月。
長くて、半年。
一通りやると、つぎの趣味へと移っていく。
こうして、私はいろいろなことをした。

 ラジコンから始まり、模型作り。
木工から、畑。
絵も描いたし、ネックレスづくりにも、挑戦した。
骨とう品や絵画を買い集めたこともある。
で、最近は、温泉巡り。
こうして数え出したら、キリがない。

 それが私ということになるが、最近、私のような人が、結構多いのを知った。
何かの雑誌で、そう書いている人もいた。
ひとつのことを長くつづけるのが、「趣味」ということになる。
しかし「いろいろなことをする」という趣味もある。
私には、そのほうが楽しい。

●辛辣な酷評

 YOUTUBEの画像について、ときどきコメントがつく。
昨日も、ついた。
読むと、「こいつのしゃべっていることは……」と。
私をさして「こいつ」とは?
かなり辛辣な言い方である。

もっとも最近の若い人たちは、こういう言葉を平気で使う。
使いながら、自分の品格を落としていることに気づかない。
つまり自分を客観的に評価する能力に乏しい。

 で、年齢を調べてみたら、16歳。
16歳の少年が、私のYOUTUBEを批評して、「こいつの……」と。

 もっともそういった批評をいちいち気にしていたら、YOUTUBEに画像など、アップできない。
即、削除。
それにかぎる。
が、今回は、相手が16歳。
私の生徒たちの年齢。
だからていねいに反論のコメントを書いてやった。
気まぐれだった。

 が、すかさず返事が届いた。
その返事の末尾には、こうあった。
「……発達障害の専門家でもない、あなたへ」と。

 つまり「発達障害の専門家でもないあなたが、偉そうなことを言うな」と。
最近の若い人たちは、一語で相手の心をグサリと突き刺す。
そういう言い方が、実にうまい。
巧み。

●発達障害の専門家?

 そのYOUTUBEは、「AD・HD児」について述べたものだった。
が、これについては、一言、申し添えたい。

 この日本でAD・HD児が話題になり始めたのは、1999年ごろ。
厚生省の委託を受けて、K大学に研究班ができたのは、2001~2年だったと記憶している。
診断基準も、そのあと、できた。
そのころ「アスペルガー」という言葉も、聞かれるようになった。
が、それ以前はというと、AD・HD児は、教育の世界では、「活発型遅進児」(1980年代)とか、「多動児」(1990年前後)とか、呼ばれていた。
「アスペルガー」については、その言葉すらなかった。
診断基準もなかった。
さらに最近では、自閉症についても、「スペクトラム」という言葉を使うようになった。
ここ4~5年のことである。

 が、私は30代のころ、そういう子どもだけを集めて、指導していた。
相手によっては、毎回、レスリングをしているようなレッスンだった。
そういう経験を、学校の先生たちを相手に、説いて回った。

 が、突如として、「発達障害」という言葉が出てきた(2000年ごろ)。
「学習障害」という言葉も出てきた。
そして「専門家?」と呼ばれる人たちが、出てきた。
たいていはドクターで、数回~10回程度の研修会(研究会)を経て、そういった看板をかかげるようになった。

 何もドクターにたてつくわけではないが、実際に子どもを指導したことがない人たちである。
今でこそ少なくなったが、当初はトンチンカンな診断名をつけるドクターが続出した。
赤ちゃん返りによる情緒不安症状を、自閉症と診断したドクターもいた。
が、私たちは、それに逆らうことさえできなかった。

たとえば投薬にしても、当時(2002~7年ごろ)は、AD・HD児には、リタリンという薬を投与していた。
効果も4~5時間しかつづかない。
それにすでに2000年ごろ、アメリカではリタリンの副作用が問題になり始めていた。
脳間伝達物質をいじるときには、慎重の上に、慎重であるのが好ましい。
とくに相手が子どものばあいは、そうである。

 私はその文献を翻訳し、私のHPに載せた。
(今でもどこかに載っているはず。)

 で、ここ数年、リタリンの投与は、禁止されている。
「禁止」だぞ。
表にこそ出てきてはいないが、リタリンの投与で、どれだけ多くの薬害被害者が出たことか!

 もちろん私はドクターではない。
発達障害の専門家でもない。
だからその少年のコメントには、何も反論できない。
「偉そうなことを言うな」と言われれば、それまで。

(しかし私はそんなことでへこたれない。
これからも主張つづける!
だいたい、「専門家でないから、黙れ」という意見のほうが、おかしい。
まさに官僚的発想。
資格、認可、許可で、国民を縛りあげる。
身動きが取れないようにする。
言うまでもなく、民をして、「もの言わぬ従順な民」にするため。
一方、民は民で、「私は専門家ではないから」と言って、黙ってしまう。
しかしこれでは民主主義は、この日本には根付かない!

 自由とは、「自らに由る」こと。
何があっても、「国が……」「国が……」と言っている国民には、それがわからない。)

●幼児教育教材(雑誌)
 
 若い人たちは、日本という国は、40年前、50年前も、「今」のようだったと考えるかもしれない。
しかし私がこの世界に入ったときには、幼児教育の教材すらなかった。
だから私は香港やシンガポールへ行くたびに、イギリスの教材を買いあさった。
それを翻訳して、日本で使った。

 が、そのうち自分のところだけで使うのはもったいないということで、それを学研という出版社に送りつづけた。
それがのちに、「幼児の学習」「なかよしがくしゅう」という雑誌につながった。
両誌で毎月、47~8万部も売れた。

 編集長は斉藤洋三氏という人だった。
その斉藤洋三氏の名誉にかけて言う。
その両誌が、この日本における幼児教育雑誌(教材)の先駆けになった。
つまりこの両誌が、日本の幼児教育雑誌(教材)の幕を開いた。

 それ以前はというと、迷路と点つなぎ。
その程度の教材しかなかった。
それ以上のものは、なかった。

 その16歳の少年について言うなら、その少年の父親、母親の約50%が、私が作った教材で勉強したはずである。
そんな少年に、「こいつ」と呼ばれる。

 今は、そういう時代なのかもしれない。
飽食とぜいたくの中で、子どもたちが自分の姿を見失ってしまっている。
そこにモノがあるのが当たり前と、そう思い込んでいる。
年配者に対する畏敬の念など、微塵もない。
 
 発達障害?
そんな言葉は、どこかの大学の教授が、外国(主にアメリカ)の文献を翻訳し、日本へもちこんだだけ。
「害」という言葉にしても、これほど、不愉快な言葉はない。
英語では、「disable(機能できない)」という。

 ……ともあれ、今の若い人たちは、もう少し年配者に対して謙虚であったほうがよい。
否定するのは簡単なこと。
(これはグチかな?)

が、ある賢人は、こう書いた。
『若者から見れば、老人はみな、バカに見える。しかし老人から見れば、若者はみな、バカに見える』と。
記憶によるものなので、内容は不正確。
私のHPのどこかに、その原文が載っているはず。

 そこでネットを使って、調べてみた。
2009年に書いた原稿の中に、それがあった。
「……かつてあのバーナード・ショーは、こう言った。『若者から老人をみると、老人はみな、バカに見えるかもしれない。しかし老人から若者をみると、若者はみな、バカにみえる』」と。

 バーナード・ショーだった!
どちらがどっちという話しではない。
若者の中にも、賢い人はいくらでもいる。
老人の中にも、バカな人はいくらでいる。

 しかし本当の意味は、それぞれの人は、それぞれの分野では賢者だが、それ以外の分野では、バカというのが正しい。
大切なことは、それぞれの分野で、相手の専門知識を認めあうこと。
資格とか、肩書にまどわされてはいけない。
それはそれ。
しかしそれがすべてではない。

つまり自分が知っていることを、相手が知らないからといって、バカと決めつけてはいけない。
わかりやすく言えば、若者にせよ、老人にせよ、この世の中には、バカはいないということ。

(「バカなことをする人をバカというのよ。頭じゃないのよ」(『フォレスト・ガンプ・一期一会』と。)

 ……それにしても、わずか16歳の少年にして、かくも官僚主義的なものの考え方をするとは!
この日本が、官僚主義国家と呼ばれる所以(ゆえん)は、こんなところにもある。

●ダイエット

 風呂から戻った。
あと半時間で、食事。
が、私は目下、ダイエット中。
昨日やっと、64キロ台に戻ったところ。
ここで一人前食べたら、また65キロ台に逆戻り。

 しかしこの空腹感だけは、どうしようもない。
今、ポップコーンをほお張りながら、このエッセーを書いている。
多少なりとも血糖値をこうしてあげておけば、食欲も減衰するはず。

 さあ、これから私と私の食欲との闘いが始まる。
私の自制心が勝つか。
それとも私の食欲本能が勝つか。
それが試される。
その結果は、もう少しあとで書く。

(これからネットに接続し、Eメールをチェックする。)

●夕食

 一応、自制心のほうが、勝った。……ようだ。
全体に食事の量が少なかったことが幸いした。
終わりは、ご飯とみそ汁、それに漬物。
ご飯は、8割程度、残した。

 あとは水をたくさん飲んだ。
それで胃袋を、ごまかした。

●DVD「V」

 隣で、ワイフと長男が、DVD「V」を観ている。
宇宙人による地球侵略ビデオである。
ここへ来る前、ビデオショップで借りてきた。
すでに5~6巻まで出ている。

 人間の顔をしているが、中身は、爬虫類に似た生物。
それが地球征服をもくろむ。
が、このビデオ、おもしろそうで、おもしろくない。
かったるいというか、ゴタクが多すぎる。
それほどまでの技術と能力があるなら、さっさと地球を征服してしまえばよい。
私は、横でそれを見ながら、そう思った。

 が、これでは評論にならない。
そこで一言。

 このビデオに出てくる宇宙人を、どこかのカルト教団に置き換えてみたらどうか。
少しずつ人間を洗脳しながら、自分の味方(=信者)に引き入れていく。
とたん、このビデオが、光り出す。

 「V」は、実は宇宙人を扱った映画ではなく、どこかのカルト教団を扱った映画。
逆に言えば、カルト教団の恐ろしさを、宇宙人に置き換えて、私たちに教えている。
そういう目で見ると、どこかバカげたSF映画が、とたんに現実味を帯びてくる。
まだ1巻しか見ていないが、そこに出てくる青年は、まさにそのカルト教団に洗脳された、狂信的な信者そのもの。

●給料

 昨日、ワイフとこんな話しをした。
実にせこい話しだが、こういうこと。

 現在、教室の仕事をワイフに手伝ってもらっている。
それについて、ワイフが、「私は無給ね」と。
つまり給料をもらっていない、と。

私「そうだな。家族経営だからな」
ワ「他人に手伝ってもらえば、給料を払わなければならないわよ」
私「そうだなあ。25万円くらいかな。ボーナス分などを積み立てると、30万円くらいになるかな」
ワ「だったら、その分を私に払ってほしいわ」
私「……ぼくだって、考えてみれば、無給だよ」
ワ「そうねえ」と。

 で、ワイフの結論は、こうだ。
ワイフの給料分で、こうして温泉や旅館に泊まったりする。
つまりこうして温泉や旅館に泊まるのは、ワイフの(おごり)と。

私「ぼくはね、温泉に泊まるのは、社員研修会と位置づけていた」
ワ「そんなこと、税務署は認めてくれないわよ」
私「だって、今夜だって、S社(自動車会社)の人たちが、このホテルに研修会で来ているよ。それと同じだよ」
ワ「形だけでも、研修会をすればいいってこと?」
私「形だけでは、まずいだろうね。何か書類でも用意するとか……」と。

 私のような、たった1人の人間が生きていくだけでも、たいへん。
何年にもわたって、安定した収入が保証されているなら、まだよい。
それが保証されていないと、たいへん。
よい例が食堂経営。

 ある程度経営が軌道に乗ってくる。
客がふえる。
経営者は、従業員を雇う。
しばらくはそういう状態がつづく。
が、ひとたび従業員を雇うと、小回りがきかなくなる。
食堂経営は、景気の影響をモロに受ける。
景気が悪くなったとたん、給料が負担になる。
さらに景気が悪くなると、給料が払えなくなる。
経営者は自分の取り分をゼロにしても、給料を払いつづけなければならない。
が、それも限界にくる。
限界にきて、閉店。
その浮き沈み。
その繰り返し。

 中小企業も、事情は同じ。
ある会社の社長は、こう言った。
「従業員のために仕事を作るのが、社長業。仕事を作っては、従業員にそれをさせる。
一日とて気が抜けることがありません」と。
岐阜市で縫製業を経営している社長である。
私のしていることも、基本的には、それと同じ。

●10シーベルト

 ところでまたまた原発事故の話し。
できるだけこの話題には触れないようにしている。
が、いくつか気になることがある。

 そのひとつ。

福島第一原発の1号機から、高濃度の放射線が測定されたという。
その量は、「1時間当たり10シーベルト」(報道各社)と。
7シーベルト前後で、人は即死するという。
10シーベルトは、それを上回る。
が、実際には、それ以上かもしれない。
測定器の限界を超えていたという。

 が、新聞にはこうある。
「1時間、10シーベルトの放射線を浴びると、人は死ぬ」と。
つまりここが、おかしい。

 私は瞬間的であるにせよ、10シーベルトの放射線を浴びると、人は即死すると理解していた。
「即死」といっても、バタンとその場に倒れて死ぬわけではない。
10分後かもしれない。
1時間後かもしれない。
しかし即死は即死。
が、新聞の報道では、(おそらく保安院側の説明と考えられるが)、「1時間、浴びつづけたら」とある。
1時間も、10シーベルトもの放射線を浴びるということが、現実にありえるだろうか。
もしこの説明が正しいとするなら、30分なら、死亡する確率は2分の1にさがることになる。
10分だけなら、6分の1にさがることになる。

 反対に、たとえ1シーベルトでも、10時間浴びれば、同じように死亡することになる?
0・1シーベルトでも、100時間浴びれば、同じように死亡することになる。
放射線量には、「しきい値」(=これ以下なら安全という数値)というのは、ない。
私が言っているのではない。
これは科学の世界での常識。

 放射線量は、(受けている放射線)x(受けている時間)で計算する。
だから、「1年間に、200ミリシーベルトなら安全」という説も、おかしい。
同じように放射線を受けつづければ、10年で、2シーベルト。
50年で、10シーベルト、……つまり致死量に達することになる。

 いったい、そのあたりはどうなっているのか?
新聞報道のように、「1時間、浴びつづけたら……」というのが正しいのか、それとも「瞬間でも浴びたら……」が、正しいのか。

 ちなみに、筬島正夫氏のBLOGには、こうある。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●放射線を短期間に全身被曝した場合の致死線量は、

5%致死線量・・・2シーベルト(2000ミリシーベルト)
50%致死線量・・・4シーベルト(4000ミリシーベルト)
100%致死線量・・・7シーベルト(7000ミリシーベルト)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 ここでも「短期間」という言葉が使われている。
「短期間」とは、1分なのか?
それとも1時間なのか?
「100%の致死量」といっても、期間はどれくらいなのか。
1週間以内に死ぬということなのか。
それとも1年以内に死ぬということなのか。
あちこちのサイトを調べてみたが、明確にそれについて説明しているところはなかった。

 ただ重要なことは、それほどまでに強力な放射線が、1号機の外で観測されたということ。
つまりそこに放射性物質が、存在するということ。
言うなれば、野ざらし!
今の今も、風に乗って、周囲に飛び散っている。
想像するだけでも、ゾッとする。

●城崎(きのさき)

 話題を変えよう。
こんなことばかり考えているから、悪夢を見る。
気が晴れない。
何か楽しい話題に切り替えよう。

 ……ウ~ン。

 楽しいと言えば、近く、城崎(きのさき・兵庫県豊岡市)へ行くことになっている。
高校生のとき、志賀直哉に傾注し、そのとき「城崎にて」という短編を読んだ。
その城崎。

 少し前、オーストラリアの友人のD君がそこへ行ってきた。
そのD君は、「すばらしいところだった」と言った。
楽しみ。
ワイフもうれしそう。

 が、もうひとつしてみたいことがある。
これも旅行だが、岐阜県の板取村から、福井県の大野市へ抜ける街道がある。
途中、グランドキャニオンにも引けを取らない渓谷がある。(これは大げさ)
一度、途中まで行ったことがあるが、落差は100~200メートルはある。
その街道を通って、板取村から、大野市まで歩いてみたい。
かなりの距離だが、大野市まで歩くつもりはない。
福井県側へ出たら、そこからバスか何かに乗ればよい。

 目下ワイフを説得中だが、今のところよい返事はもらっていない。
それに夏場は、危険かも。
熱中症にでもなったら、たいへん。
ハチに追いかけられても、たいへん。
慎重に計画している。

●図説『聖書の世界』(学研)

 このところワイフは、毎日、『聖書の世界』(学研)という本を読みふけっている。
私もときどき目を通すが、結構、おもしろい。
キリストの生き様について書いたところも、多い。
新約聖書で読むのも、キリストの教えだが、説話や逸話を通して知るのもキリストの教え。
結構、私の人生と重なる部分もある。
それだけに親近感を覚える。

 こう言うとキリスト教徒の人たちに叱られるかもしれない。
しかし私はキリストの人間的な部分を知るたびに、ほっとした安堵感を覚える。
手の届かない神というよりは、手の届く人間。
私にはそのほうが、よっぽどキリストらしい。
少なくともキリスト自身も、私たちと同じ肉体と脳みそをもっていた。
腹も減っただろう。
のども乾いただろう。
叩かれれば、痛かっただろう。
そういうキリストである。

●荷をおろす

 考えてみれば、私は自負心だけで生きてきたような感じがする。
つまり「気負い先行型の親」。
この言葉は、私が考えた。
あちこちの原稿の中で、使った。

 しかし荷をおろせば、何でもない。
で、あるとき、気がついた。
「気負いなど、クソ食らえ」と。
とたん、気が楽になった。

 無責任になれというのではない。
必要以上に、自分を責任感で縛ってはいけない。
手を抜くときは、抜く。
ニヒルになるときは、ニヒルになる。
そういう(いいかげんさ)が、心に風穴をあける。

 が、それに気がつくのが、遅すぎた。
年齢を数えてみたら、63歳。
もうすぐ64歳。
もっと若いときから、こうして遊べばよかった。
温泉へ行ったり、旅行したり……。
ワイフも息子たちも、みな、こう言う。
「パパは、仕事ばかりしていた」と。

 まあ、それに対しては、弁解の余地はない。
事実、そうだった。
だから、この年齢になって、若いときに遊べなかった分だけ、遊ぶ。
今、こうして、国民宿舎に泊まっているのも、それ。
相手はワイフしかいないが、同時に、ワイフへの罪滅ぼしの意味あいもある。
ワイフも、私が私だから、遊べなかった。
だから今、遊ぶ。
ワイフの望むようにする。

 先ほど、2度目の入浴をすませたところ。
小さいがサウナ風呂もあった。
そこで6分間、がんばった。
乾式のサウナ風呂で、暑いだけで、汗はほとんど出なかった。

 ほどよい疲れ。
心地よい疲れ。
この年齢になってはじめて、「荷をおろす」という言葉の意味がわかった。
人は人生に疲れたら、荷をおろせばよい。
裸になればよい。
気負うことはない。
飾ることはない。
明日は明日。
明日になれば、また人生は動き始める。

 ……ということで、そろそろ就寝タイム。

 今日の反省。

(1) 午前中は、体がだるく、眠かった。
(2) 昼寝を1時間ほどした。
(3) 夕食はほぼ1人前、食べてしまった。

明日からまたダイエット。
目標は63キロ。
たった2キロだが、その2キロが苦しい。
がんばろう!
(はやし浩司 2011-08-03)

●翌朝(8月4日)

 やはり昨夜はよく眠れなかった。
エアコンというのは、どうも私の肌に合わない。
これも慣れの問題かもしれない。
が、私には、いくら暑くても、扇風機のほうがよく眠れる。

 おかげで、午前4時起き。
今が、その時刻。
で、こういうときは、自然体。
無理に眠ろうとしても、無駄。
また眠くなったら、眠ればよい。

 その点、ワイフがうらやましい。
ワイフは、いつでも、どこでも、朝までしっかりと熟睡できる。
私のような睡眠問題(Sleeping Problem)はない。
ワイフは、睡眠時無呼吸症候群ではないかと疑っている。
私がいつも悪夢で目が覚めるのも、そのため、と。

 睡眠時無呼吸症候群……私の年齢になると、がぜん多くなる。
友人の1人は、CPAPという睡眠補助器具を使っている。
そこで調べてみる。

 「快眠への扉HP」には、診断基準として、つぎのようにある。

++++++以下、「快眠への扉HP」より++++++++

【睡眠時無呼吸症候群の症状】

 ★激しいいびきがある(はげしくはないが、いびきはある。)
 ★睡眠中の体動が激しい(私は子どものころから、そうだった。)
 ★無呼吸によって夜間の睡眠が分断化されるため、中途覚醒の頻度が
  多くなる(精神安定剤をのんで寝ると、朝まで目を覚ますことはない。)
 ★日中の眠気が強くなり、集中力の低下が認められる(血圧が常時低いから、とくに食後、眠くなることが多い。)
 ★疲れやすい(60歳を過ぎてから、疲れやすくなったよう。)
 ★顔面のむくみがある、顔色がすぐれない(赤黒く、口唇がチアノーゼ
  状態を呈する)(それは、ない。)
 ★長期的に続くと性格的な変化も現れるという(たとえば几帳面な性格が、
  無造作で投げやりになる等)(ケースバイケースで、これについては、何とも言えない。)
 ★起床時の頭痛(ときどき、ある。)
 ★インポテンツ(ED)(年齢相応と、自分ではそう判断している。)

++++++以上、「快眠への扉HP」より++++++++ 

 肥満気味の人に、この病気の人が多いとか。
肥満があれば、まず肥満を治す。
言い換えると、肥満は万病の元。
「肥満(=油断)、大敵」?
私のばあいは、とくにそう。
ほんの少し油断しただけで、あっという間に、3~4キロも太ってしまう。
そのため2~3か月ごとに、肥満とダイエット。
それを、性懲りもなく繰り返している。

 今日も、運動をしよう。
運動あるのみ。
もうすぐ朝風呂が開く。
今朝はいちばん乗り!

では、「国民宿舎・奥浜名」記は、ここまで。
はやし浩司 2011-08-04朝記


Hiroshi Hayashi+++++++August 2011++++++はやし浩司・林浩司

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