2011年8月20日土曜日

@Kinosaki by Hiroshi Hayashi

● 城之崎にて(by はやし浩司)地元のバス会社、EバスのBツアー旅行記

城之崎にて(2011-8-19)

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明日は、城之崎に向かう。
「城崎」とも書く。
「城の崎」とも書く。
長いバス旅行。
東名から名神を通り、中国(播但道)を経て、
生野、竹田城へ。
明日の夜は、丸山川温泉に一泊。

城之崎へは、明後日、到着。
楽しみ。+ワクワク。
志賀直哉の「城之崎にて」の城之崎。
高校2年生のころ、私は志賀直哉に夢中になった。
志賀直哉の本を、片っ端から、読んだ。

その城之崎。
何しろ半世紀近くも前のことで、内容は
よく覚えていない。
志賀直哉がどこかの旅館の一室で書いた
エッセーだった。

「……が静寂だった」「……が静寂だった」という、
表現が印象に残っている。
一度は、訪れてみたかった場所。
春に、そこへ行ったオーストラリアの友人がいた。
その友人も、こう言っていた。
「よかった」と。
明後日、その夢がかなう。

「お前は志賀直哉の本を読んだことがあるか」と
聞くと、「ウ~ン、読んだことがある……」と、
どこか、いいかげんな返事。

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● 城之崎(『城の崎にて』志賀直哉

ウィキペディア百科事典には、「城の崎にて」のあらすじが載っていた。
それをそのまま紹介させてもらう。

『東京山手線の電車にはねられ怪我をした「自分」は、後養生に城崎温泉を訪れる。「自分」は一匹の蜂の死骸に、寂しいが静かな死への親しみを感じ、首に串が刺さった鼠が石を投げられ、必死に逃げ惑っている姿を見て死の直前の動騒が恐ろしくなる。そんなある日、何気なく見た小川の石の上にイモリがいた。

驚かそうと投げた石がそのいもりに当って死んでしまう。哀れみを感じると同時に生き物の淋しさを感じている「自分」。これらの動物達の死と生きている自分について考え、生きていることと死んでしまっていること、それは両極ではなかったという感慨を持つ。そして命拾いした「自分」を省みる』(ウィキペディア百科事典より)と。

● 志賀直哉

ついでに、志賀直哉について、ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある

『「城の崎にて」(きのさきにて)は、志賀直哉の短編小説。1917年(大正6年)5月に白樺派の同人誌『白樺』に発表。
心境小説の代表的な作品とされる。志賀直哉は1910年(明治43年)に『白樺』を創刊し作品を発表しており、実父との対立から広島県尾道に住み、夏目漱石の奨めにより後に『暗夜行路』の原型となる「時任謙作」を執筆していた。
1913年(大正2年)4月には上京していたが、同年8月に里見弴と芝浦へ涼みに行き、素人相撲を見て帰る途中、線路の側を歩いていて山手線の電車に後からはね飛ばされ重傷を負う。

東京病院に暫く入院して助かったが、療養のため城崎温泉(「三木屋」という旅館(現存)に宿泊)を訪れる。その後は松江や京都など各地を点々とし、1914年(大正3年)には結婚する。1917年(大正6年)には「佐々木の場合」「好人物の夫婦」「赤西蠣太の恋」などの作品を発表し、同年10月には実父との和解が成立している。

事故に際した自らの体験から徹底した観察力で生と死の意味を考え執筆され。簡素で無駄のない文体と適切な描写で無類の名文とされている』(ウィキペディア百科事典より)と。

 こうした予備知識をもって旅に出るのは、楽しい。
旅の奥行きが、倍加する。

●8月18日

 志賀直哉と言えば、『暗夜行路』。
読んだはずだが、内容が思い出せない。
もう一度、ウィキペディア百科事典の助けを借りる。
こうある。

『主人公時任謙作(ときとうけんさく)は、放蕩の毎日を送る小説家。あるとき尾道に旅に出た彼は、祖父の妾お栄と結婚したいと望むようになる。そんな折、実は謙作が祖父と母の不義の子であったことを知り苦しむ。ようやく回復し直子という女性と結婚するが直子が従兄と過ちを犯したことで再び苦悩を背負い、鳥取の大山に一人こもる。大自然の中で精神が清められてすべてを許す心境に達し、「暗夜行路」に終止符を打つ』と。

 ナルホド!
思い出した!
そういう話だった。

● 8月19日

今回は、ワイフと2人の2人旅。
地元のバス会社が運営する、Bツアーを利用することにした。
ワンランク上の「ゆとりの~~」とかいう、コース。
ワンランク上級のコース。
座席数が、20%ほど、少ない。

 天気は曇り。
浜名湖を渡るとき、鉛色の低い雲が、重苦しそうに空を覆っていた。
空に広がった雨雲。
新聞の天気予報によれば、関西方面は、雨。
よかった!
このところの猛暑。
猛暑はこりごり。

● 520ドル安

昨日(8月19日)、ニューヨークの株式市場が、520ドルも暴落した。
製造業の指標が悪かったこと。
失業保険の申請件数がふえたこと。

 こういうときは、「株」に手を出してはいけない。
プロというより、ロボットが、1000分の1単位で、コンピューター取り引きを繰り返す。
ロボット取り引きともいう。
素人の私たちが入り込むスキはない。
……というか、カモにされるのは、私たち。
統計的にも、95%の個人投資家は、損をすることがわかっている。
こういうふうに、乱高下するときは、さらに危険。

● Bツアーが変わった?

バスが走り出すと、ガイドがこう言った。
遠まわしな言い方だったが、「おしゃべりは静かに」と。
当然のことだが、Bツアーも進化した。
そういう印象をもった。

 この40年間。
当初は、喫煙は自由。
カラオケは定番。
バスに乗ると、まず自己紹介。
それが徐々に少なくなって、つぎに始まったのが、ビデオ上映。
で、最後の残ったのが、「おしゃべり」。
ガッハハハ、ゲラゲラ、ギャーギャー。
そのおしゃべりに、注意が入るようになった。
しかし長い時間だった。

●夫婦喧嘩

 豊橋を過ぎるころ、激しい雨が窓を叩き始めた。
数分間、窓の外が、真っ白になった。
雨を嫌う人も多いが、私は好き。
心が落ち着く。
脳みその働きも、よくなる。

 ……つい数日前、『福井県越前大野への旅』について書いた。
ワイフと喧嘩をし、家出をした。
家出をし、越前大野まで行ってきた。
が、今日は、ワイフといっしょ。
仲直りしたというわけではない。
平常に、戻った。
離婚話は、どこかへ吹き飛んでしまった。

 私たち夫婦は、いつもこのパターンを繰り返している。

●サイクル

 夫婦論というのがある。
はやし浩司流に解釈すると、こうなる。

(安定期)→(不安定期)→(緊張期)→(葛藤期=爆発期)→(冷却期)→(修復期)→(安定期)→……。

 で、今は、冷却期から修復期。
嵐が去り、(少し大げさかな?)、今は、こうしていっしょに、城之崎に来ている。
毎度のことだから、だれも私たちの離婚話を本気にしない。
義兄ですら、「あらあら、ごくろうさま」などと言ったりする。
で、そういうとき、私は、こう訴える。
「今度は、本気です。あんなヤツとは、来週中に離婚します」と。

 が、結果は、このザマ。
長くつづいて、2~3日。
3日もすると、また元に戻る。
多少のタイムラグはあるが、まずワイフのほうが平常に戻り、つづいて私のほうが謝る。
それでおしまい。

(林夫婦は、どうなるんだろう?、と期待していた人をがっかりさせて、ごめん……。)

● 城之崎

城之崎には、午後3時ごろ、着いた。
一見してわかる。
活気がある。
行きかう温泉客。
老若男女、さまざま。
客層が広い。
小さな店まで、本気!
その本気が、がんがんと伝わってくる。

 で、私たちが泊まった旅館は、『銀花』。
郊外の海沿いにあるが、この城之崎でも、超一級旅館だそうだ。

 各部屋の中に温泉がある。
室内のベランダも広い。

いろいろな旅館に泊まったが、ここも文句なしの5つ★の、★★★★★。
「上には上があるものだ」と、感嘆のため息。

● 9時からは、花火大会

夜、9時から花火大会があるという。
ちょうど川向こうのホテルの横から打ち上げられるという。
今、その9時を待っているとき。
時刻は、8:57。
あと3分。

 ビデオカメラは、スタンバイ。

● 花火は終わった

私たちの泊まっている部屋は、101号室。
部屋の名前は、「直哉」。
志賀直哉の「直哉」。
ワイフは、それを見て、「あなたが特別に頼んだの?」と。
が、私は頼んでない。
偶然。
しかし、どういうわけか、うれしかった。

 旅には、何かの目的があるとよい。
それについては、先に書いた。
が、これは生きる「目的」にも共通する。
たいしたものでなくてもよい。
些細なものでよい。
私たちは、それにしがみついて、生きる。

● 事件

ところで今日、ここへ来る途中、バスの中でこんな事件があった。
私が叩くパソコンの音がうるさい、と。
ガイドさんのほうに、苦情が寄せられた。
が、こんな経験は、はじめて。

 もってきたパソコンは、TOSHIBAのMX。
部屋の中で叩いていても、無音と言うわけではないが、静か。
ほとんど音はしない。
またそのときは、パソコンたちあげ、メールを読んでいただけ。
今どき、飛行機の中でも、電車の中でも、パソコンは必需品。
それが「うるさい!」と。
私はすなおに謝罪し、パソコンをカバンの中にしまった。

 苦情を言った人は、70歳前後の老夫婦。
通路をはさんだ反対側の席の人たちだった。
多分、パソコンと携帯端末(携帯電話)の区別もつかない人たちではなかったか。
あるいはパソコンに対して、強度の嫌悪感をもっている(?)。
そういう人は多い。

自分が扱えないから、それを扱う人を、徹底的に毛嫌いする。
パソコンで仕事をしている人を、徹底的に軽蔑してみせる。
そういう人は、あなたの周りにも、1人や2人はいるはず。
60歳以上の人に多い。

 「あんなもの使っている人間に、ロクなのはいない!」と。
簡単にそう決めつけてしまう。
今日バスの中で会った老夫婦も、そんな人たちだったかもしれない。

 サービスエリアで買ってきた、「きんつば」を2個、分け与え、「すみませんでした」
と謝ると、一瞬戸惑ったが、つぎの瞬間には、やさしい笑顔を見せた。

●8月20日

 平凡な朝。
静かな朝。
目覚ましは、朝、6時にセットした。
昨夜は10時ごろ床に入ったので、睡眠時間は8時間。

 窓の外は、内浦湾になっていて、漁船が数隻、右から左へ通り過ぎていった。
「どちらが海なのだろう?」と。
城之崎が左方面にあるから、左方面が海?
よくわからないが、波は静か。
山の間を流れる雲も低く、厚い。

●Bツアー

 Bツアーを利用するのは、1年半ぶり?
それまでは、毎月のように利用していた。
が、最後に、おしゃべりオバちゃんたちと口論をし、すっかり嫌気がさした。

 で、今回も、こう思った。
便利で料金も安いが、やはり私たちには向かない、と。
ワイフがそう判断した。

 バス会社のサービスはよい。
ガイドもよい。
コースも旅館も、よい。
しかし客層がよくない。
昨夜も、会席料理を食べながら、ガハハ・ゲラゲラと、傍若無人に騒いでいるオバちゃんたちがいた。
その声が、部屋の端から端まで聞こえてきた。
廊下を歩いているときも、同じ。
部屋の中まで、その大声が聞こえてきた。
残りの20数人は静かでも、こういうオバちゃんが2~3人でもいると、旅行も台無し。
 
 「もうやめようね」と私。
「そうね」とワイフ。
 
●城之崎にて

 志賀直哉の『城の崎にて』。
はやし浩司の『城之崎にて』。
今はもう文人の時代ではない。
娯楽も多様化し、無数にある。
志賀直哉の昔には、すべての娯楽が文学に集中した。
文人にとっては、古き良き時代ということになる。

 うらやましいとは思わない。
私が志賀直哉の時代に生きていたとしても、私はただのもの書き。
文に書いたところで、目に留めてくれる人もいなかったことだろう。

●帰宅

 8月20日、午後8時すぎに、浜松へ戻ってきた。
今回も、運の悪いことに、(本当に運の悪いことに)、真うしろの席に、2組の夫婦。
女どうし、2人のおばちゃんたちが陣取った。
ともに70歳くらい。
私たち夫婦は、後ろから2列目の席。

 2度、注意したが、帰ってきたのはイヤミ。
「ア~ラ、うるさいって注意されたから、いちばんうしろの席にいきますよオ~」と。
わざとみなに聞こえるような大声で、席を離れていった。
が、それで静かになったわけではない。
耳が不自由なのか、その中の1人が、一方的に大声でしゃべりまくる。
が、相手の声は聞こえないらしい。
相手が何かを言うたびに、「えっ、何?」を繰り返していた。

 ほかのほとんどの客は静かだった。
みな、それぞれの旅を楽しんでいた。
が、今回も、運が悪かった。

 Bツアーへ:

「ゆとりの~~」では、6人以上の団体客は申し込みを断っているとか。
たいへんすばらしいことだが、できれば、3人以上にしてはどうか?
そうすれば、ああいう客を排除することができる。

 もっとも、ワイフの意見通り、Bツアーは、しばらくはコリゴリ。
そういう客がいても、ガイドは何も注意しない。
知らぬ顔。
最前列に座っているから、後部座席のことはわからない。

 が、あえて言うなら、つぎの進化を期待して、私はこう要望する。

(1)ポイントガイド……必要なことだけをガイドするというのは、よかった
(2)BGM……うるさいビデオをなくなったのは、よかった
(3)団体客の制限……よかったが、おしゃべりが目的のおばちゃんには、きびしくしてほしい。
(4)時間の取り方……ゆったりとしていて、よかった。

●総括

 学生時代からの念願がかなった。
志賀直哉ゆかりの「城の崎」を自分の目で見ることができた。
ワイフも満足そうだった。

 あのオバちゃんたちが静かだったら、星は4つの、★★★★。
あのオバちゃんたちのおかげで、バスそのものが、拷問室に。
バスを降りたとき、ほっとしたのは、無事着いたからではない。
オバちゃんたちと別れることができたから。

(そうそう、オバちゃんたちのおしゃべりを不愉快に思っているのは、私たちだけではなかった。
一度、私が注意したとき、前の席の人が振り向いて、こう言った。
「ありがとうございます」と。

(しかし、どうしてこの日本では、ああいうオバちゃんたちの話し声だけは、野放しになっているのか?
携帯電話にはうるさい。
しかしオバちゃんたちは、野放し。
おかしい。
日本だけではない。
ああいう日本人が、世界中へ出かけていき、日本人の恥をさらしている!)

 なお運転手とガイドは、たいへん質が高かった。
「ゆとりの~~」ということで、選りすぐられた人たちなのだろう。
ともに理知的で、気持ちのよい人たちだった。
それだけに、今回の旅行は、残念!
「バスの中で読書……」と考えていたが、その余裕は、最後までできなかった。

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Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司



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