2011年8月7日日曜日

*Aug 6th A-bomb Day

●8月6日(今日、ありのまま)

++++++++++++++++++

山荘を建てるとき、手伝ってくれた人がいた。
KWさんという人だった。
私より20歳も年上で、そのときすでに
60歳を超えていた。

年齢も年齢だからということで、毎日では
なかった。
体の調子のよいときだけを見計らって、週に
数日、手伝ってくれた。

そうして6年。
山荘の土地は、完成した。

で、久しぶりに、KWさんの話しを聞いた。
KWさんの近くに、農家の人たちが集まって
開く、青空市がある。
そこで「KWさんは、元気?」と聞いた。
が、レジの女性はこう言った。

「KWさんは、昨年(2010)の暮れ、
亡くなりましたよ」と。

++++++++++++++++++

●夢

 家に帰って、昼寝をした。
このところそれが日課になっている。
その昼寝で目を覚ますとき、こんな夢を見た。

 それまであちこちを旅行していた。
電車に乗ったようだが、その部分はよく覚えていない。
が、気がついてみると、私は美濃の実家へ来ていた。
実家の居間で、赤い飛行機を手にしていた。
ゴム動力で飛ぶ飛行機だった。
私はそれをもって、外に飛ばしに行こうと考えていた。

 で、通路を通って、店のほうへ行くと、そこに
兄が座っていた。
ニコニコと笑っていた。
私はそれを見て、兄に、こう聞いた。

「これは夢? それとも現実?」と。
するとその向こうに母が立っていて、こう言った。
「もちろん夢だよ」と。

 そこで私はこう切り返した。
とても夢には思えなかった。
「じゃあ、道路で裸で踊っても、だれも笑わないのか」と。
すると母がまた答えた。
「だれも笑わないよ」と。

 私はゆっくりと兄の体に手を回した。
兄も私の体に手を回してくれた。
私は兄に、こう言った。
「ぼくは、ずっとさみしかったよ」と。
とたん、夢の中で私は涙をこぼした。
と、同時に、目が覚めた。

 横を見ると、ワイフも眠っていた。
私はワイフに悟られないよう、静かに泣いた。
目頭に涙が数滴たまった。

 さみしかった。
生きていること自体が、さみしかった。

●KWさん

 昨年の終わりごろ、KWさんに会ったことがある。
脳梗塞を患い、そのときは、大きなマッサージチェアに座っていた。
週に何回かは、デイサービスを受けているということだった。
顔を合わせると、こう言った。

「こんなになっちゃってねえ」と。

 そのKWさんには、悲しい思い出がある。
KWさんは、そう言って、こんな話しをしてくれた。

 KWさんには、1人の娘さんがいた。
その娘さんが、24歳のときのこと。
いつものように、「これから仕事に行ってくる」と家を出た。
が、元気な姿を見たのは、それが最後だった。
その日のうちに、娘さんは、仕事場で急死。
夕方には遺体で、家に戻ってきた。
あまりにも急な死だった。

 KWさんは、いつもそこまでしか私に話してくれなかった。
私も、それ以上のことは、聞かなかった。
ただKWさんは、こう言った。

 「死んだ娘ほど、いい娘とは言いますがね、本当に親思いのいい娘でした」と。

 ときどきKWさんは、娘さんの話しをしてくれた。
が、話しの内容はいつも、同じ。
そこまで。
いつかもっと話してくれるかなと思っていたが、KWさんは、それ以上のことは
話してくれなかった。

 そのKWさんが、亡くなっていた。
知らなかった。
10年ほど前、膵臓ガンを患ったという話しを聞いた。
が、青空市のレジの女性は、梗塞による、臓器不全が原因で亡くなったと話して
くれた。

 私とワイフは、そこから歩いてKWさんの家に行った。
家は留守だったが、離れようとすると、息子さんの嫁さんが畑のほうから出てきた。
私は悔やみの言葉を伝えた。
とたん、涙がこぼれた。
熱い涙だった。

 嫁さんは、別れ際、こう言った。
「今年は初盆です。13日からします」と。

●処分

 このところ私にとって大切な人が、つぎつぎと亡くなっていく。
さみしいというより、心細い。
自分だけが取り残されていくよう。

 ただどうか誤解しないでほしい。
私はもう死ぬのは、こわくない。
去年のはじめ、それを経験した。
激しい後頭痛を感じ、床に倒れたとき、こう思った。
「ああ、これで死ねる」と。
自分でも信じられないほど、穏やかで、冷静だった。

 ときどき神経痛の発作に襲われるが、そのときは格別だった。
それにたいていは夜中だが、そのときは、廊下を歩いているときだった。
あれほど死を恐れていた私だったが、いざ、そのときになってみると、
「ああ、これで死ねる」と。

 恐怖感はほとんどなかった。
いや、まったくなかった。
だから今、ときどき人に、こう言う。
「死の瞬間というのは、何もこわくないですよ」と。

 ……つまり、私も私なりに、死の覚悟をし始めている。
話しを聞くと、どうやらワイフもそうらしい。
それもあって、先週からアルバムの整理を始めた。
アルバムから写真を抜き取り、それを息子たちに分け与える。
その準備を始めた。
とくにアメリカに住む二男は、何かにつけ、さみしい思いをしていることだろう。
その気持ちは、よくわかる。
私もこの浜松で、同じような思いをした。
で、メールで、「近く写真を送る」と連絡した。
今のところ、返事はないが、私の方で勝手に送る。

 ……ということで、ここ1年、家の中がすっきりしてきた。
飾り物などの小物は、子どもたち(生徒)に、どんどんと分け与えている。
今まで買い集めたみやげや、もらったみやげなど。
そのうち家の中は、からっぽになるだろう。
が、そのとき同時に、私もこの世を去ればよい。

 たいした人生ではなかったが、思う存分、自由に生きた。
ほかの人たちのことは知らないが、思い残すことは、もうない。
(少しはあるが、ほとんど、ない。)
息子たちも含めて、あとの人たちは、あとの人たちで、勝手に生きていけばよい。
成功組か失敗組かと聞かれれば、私は失敗組。
が、たいした不幸も経験せず、この年齢まで健康で過ごせた。
それについては、感謝している。
「運がよかった」と感謝している。

●原爆記念日

 8月6日。
広島に原爆が落ちた日。
KWさんの死去を知り、今日は一日中、さみしかった。
何をしても、さみしかった。

 夕方遅く、ワイフと長男と3人で、近くのマックへハンバーガーを
食べに行った。
そのときも、さみしかった。
今日は、そういう一日だった。
こういうときは、安定剤でものんで、早めに床に就いたほうがよい。

 日記、おしまい!
みなさん、おやずみなさい!


Hiroshi Hayashi++++++Aug. 2011++++++はやし浩司・林浩司

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。