2010年9月1日水曜日

*Vacant Mind

【雑感】(9月1日)「虚しさ」をテーマに

●老いる

 老いることは、たしかにさみしい。
失ったもの、去っていった人たち、なくした時間などなど。
そういった思い出が、波打ち際にヒタヒタと打ち寄せる波のようにやってきては、
また去っていく。

 さみしいと言えば、さみしい。
さみしくないと書けば、嘘になる。
しかしそのさみしさに、時として、酔いしれる。
静かに時の流れの中に身を置き、ふと涙ぐむ。
それが老いるということではないか。

 ときどきあのときの、あの人は今ごろ、どうしているだろうと思う。
元気でいるだろうか。
それとも、もう亡くなっているだろうか。
確かめる方法がないわけではない。
しかしそれを確かめたところで、どうなる?
そのあと何をする?

●虚しさ

 定年後の再就職という言葉もある。
しかし定年後の再就職というのは、若いときの就職とは、本質的にちがう。
もしだれかが私にこう言ったとしよう。
「一生懸命がんばってください。10年後は、課長になってもらいます」と。

 しかしそんな申し出に応ずる人はいない。
課長職に魅力を感ずる人はいない。
またその目的のためにがんばる人もいない。
私たちはすでに、その虚しさというのを、いやというほど知っている。

 ただ私のばあい、その虚しさを、オーストラリアで学生をしていたころ知った。
当時の日本は、まさに高度成長期。
だれもが迷わず大企業を選択し、出世を夢見て、企業戦士としてがんばった。
当時の日本で、つまり日本の若者たちの中で、その虚しさを知っている人は、
いったいどれくらいいただろうか。

●教育学博士?

 ところで昨日、アグネス・チャンというタレントについて書いた。
肩書は「教育学博士」ということになっているが、教育学の博士?
(教育学だぞ!)
何度かテレビで講演をしているのを聞いたことがあるが、私は何も得るものはなかった。
専門用語もまったくと言ってよいほど、口から出てこなかった。

たとえば日本では、「○○大学教育学部教授」という肩書を使う人はいる。
しかし「教育学博士」という肩書を使う人はいない。
が、その博士?
私よりはるかに高い立場にいる人ということになる。
私よりはるかに高い見識と学識のある人ということになる。

 ああいうタレントが、(いくら肩書きがそうであっても、私は学者とは認めない)、
教育者として活躍しているのを見ると、いつもある種の虚しさを覚える。
恐らくその虚しさは、アフリカやアジアのへき地でボランティア活動をしている人が
感ずる、それと同じではないか。
ああいう一部のはねあがった人たちが、底辺でまじめにがんばっている人たちの心を、
平気で踏みにじる。

 難民救済活動?
アフリカの難民救済活動?
ふつうの常識のある人なら、そんなおこがましいことはとてもできない。

●偽善

 生きることには、いつも連続性がある。
その人がその人になるには、その土台に過去とのつながりがある。
それを連続性という。

 たとえば教育学博士であるにしても、日本ユニセフの親善大使であるにしても、
そこに至る過去があるはず。
つまり積み重ねがあるはず。
さらに言えば、その周辺に、心理学でいうところの役割形成があるはず。
つまりその人らしい、(それらしさ)があるはず。

たとえば大学の教壇に立って、教育者を教育したという経験、あるいは街中のホーム
レスの人たちの食事をしたという経験。
さらに言えば、学校の先生たちを指導しているという経験、(子どもたちを教えている
という経験でもよい)、あるいは孤児を預かって世話をしているという経験。
それがここでいう(それらしさ)。
そういうものをいっさい省略して、いきなり「王手!」は、ない。

 が、中には、(アグネス・チャンがそうというわけではないが)、善意ある人たちから
金をまきあげ、貧しい人たちを利用して、自分の利益や名声につなげていく人もいる。
私の恩師の松下哲子(のりこ)先生(幼稚園元園長)は、いつもこう言っていた。
「林さん(=私)、悪人の餌(えさ)にだけは、なってはいけませんよ」と。
悪人の餌になることは、自分で悪事をすることより、悪いことという。
その餌に、私たちはなっていないか?

一度、アグネス・チャンという人を観察しながら、私たちはそれを冷静に見つめなおして
みる必要がある。

 また雑誌や写真雑誌の報道によると、同じ日本ユニセフの重鎮であるKT氏は、
写真撮影のときだけ、やせ細った難民の子を抱きあげ、そのあとすぐ体中を消毒して
いたという。
もしこれが事実とするなら、これほどまでに悪意に満ちた偽善はない!

●30兆円

 つい1か月ほど、「砂漠に水をまくようなもの」と書いた。
案の定、政府の対策は、何ら効果をもたらさなかった。
もたらさなかったばかりか、かえって円高を誘導してしまった。
某新聞は今朝になって、「焼け石に水だった」と書いている。

 私のようなド素人にもわかるようなことが、どうして日銀の総裁や政府の指導者
たちに、わからないのだろう。
30兆円もバラまけば、その後遺症はかならずあとになって出てくる。
そのときが、心配。
へたをすれば、ハイパーインフレ!
日本経済の崩壊は、可能性の問題ではない。
時間の問題。
それが秒読み段階に入った。

 日本と中国は2010年になって、16%以上も株価をさげている。
注視すべきは、その中国。
バブル経済が音をたてて崩れ始めている。
その威力は、ドバイショックの1000倍以上と言われている(某経済誌)。

 また今年になって、6~7年も書きつづけてきた『日韓経済戦争』の記事を
停止した。
「今さら、何を!」と言った状態になってしまった。
この虚しさ。
脱力感。

 イルボネ(日本人)よ、もう少し外の世界を見ろ!
緊張感をもて!
このままでは、日本は本当に沈没してしまうぞ!

●JAL問題

 JAL問題は、日本の官僚社会の縮図。
そう思って、日本の官僚社会を見ればよい。

 今の日本にとって重要なことは、JAL並みに、日本の官僚社会を破綻させること。
公務員の数を、半減、もしくは3分の1にすること。
人件費を減らし、無駄を省くこと。

 日本という国そのものが、JALと同じ問題をかかえている。
「一度日本経済を破綻させるしかない」と考えるのではなく、「破綻する前に、やるべき
ことはやる」。
それが官僚社会の破綻。
……というか、行政改革の大断行。
ふつうの「改革」では、だめ。
「破綻」に近い、「改革」。
それにはちゃんとした理由がある。

 今のまま日本経済が破綻したら、イのいちばんに復活するのも、また官僚社会という
こと。
敗戦直後の日本を見れば、それがわかる。
あの文部省にしても、敗戦と同時にクビになった役人は1人もいない。
もっとも早く、きちんとした給料を受け取ったのは、ほかならぬ役人たちであった。
次回もそうなる。

●民主党の小沢一郎

 民主党が、解党か沈没かという瀬戸際に立たされている。
仮に小沢一郎が党首になり、総理大臣になったら……。
現在、小沢一郎の支持率は、15%前後。
たったの15%前後。

「私が党首になれば、支持率は回復する」というようなことを言っている。
そうかな?
そうなるかな?
小沢一郎は、現実検証能力を完全に失っている。
つまり外から見た自分の姿が、わからなくなっている。
これは日本人の私たちにとっても、たいへん悲しむべきことと考えてよい。
そういう人物が総理大臣に就任したら、それこそ日本はメチャメチャになってしまう。

 なお小沢一郎は、どこかの講演で、尊敬すべき人物として織田信長をあげている。
中日新聞8月26日(2010)は、つぎのように報道している。

『……講演の中で尊敬する人物として、ふだんはあまり挙げたことのない好戦的な
織田信長に言及したのも、不気味といえば不気味』と。

 アノネ、織田信長は、民衆のために立ちあがった人でも、また日本の民主主義を
求めて立ちあがった人でもないノ!
ただの餓鬼。
権力の亡者。
『世界の暴君』という本があるが、その中でも1、2を争う暴君。
そういう頭の狂った人を尊敬して、どうする?

 ……ということで、「虚しさ」についての原稿はおしまい。
今朝のテーマは、「虚しさ」。
本当にこの世の中、考えれば考えるほど、虚しさばかりが襲ってくる。
まじめに生きるのが、バカバカしくなる。

 が、がんばるしかない。
今朝もメールで相談が、3通も届いている。
まずそれから返事を書こう。

 今日から9月1日。
2010年9月1日。
気温は早くも26度。
今日も30度を超えそう。
おはようございます。

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Hiroshi Hayashi++++++++Sep. 2010+++++++++はやし浩司

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