2010年9月16日木曜日

●Sep 15th 2010

●9月16日(木曜日)

●20世紀フランス絵画の美」展

昨日(9月15日)は、午前中は美術館で「20世紀フランス絵画の美」という
展覧会を見てきた。
星は文句なしの5つ。
圧倒された。
すばらしかった。
展覧会を通して、なぜピカソがピカソなのか、はじめて理解できた。
シャガール、ビュッフェ、ミロ……など、巨匠と言われる画家たちの絵画と
比較してみると、それがよくわかる。(……わかった。)
徹底した技巧の放棄……それがピカソ。
ほかの画家たちは、(あくまでもピカソとの比較においてだが)、どこか技巧に
こだわっている。
媚を売っている。
が、ピカソにはそれはない。
ありのままを、そのままに描いている。
見る人を意識しないで描いている。
そのちがいが、ピカソということになる。
今回、それがわかっただけでも大収穫だった。

(補記)
幼児はときとして、ハッと驚くようなすばらしい絵を描く。
幼児もまた、見る人を意識していない。
媚を売らない。
それがそういうすばらしい絵につながる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●WTT演奏会

 夜は、WTT演奏会に行ってきた。
(演奏会というよりは、音楽会?)
U国(アフリカ)の子どもたちの「歌と踊りの演奏会」ということだった。
チケットは、前売り券で1500円。
当日券で2000円。
浜松のC会館(定員1200人)は、ほぼ満席だった。
(これだけで、実収入、200万円前後?)

 が、コンサートとしては、かなり期待はずれ。
楽器は太鼓だけ。
あとはマラカスとか小楽器。
その程度。
あらかじめ録音された伴奏と斉唱に合わせて、舞台上の子どもたちが歌を歌いながら
踊った。
それだけ。

ゴスペル(黒人霊歌・福音歌)のコンサートということは、わかっていた。
そのため、最初から最後まで、「神よ……」「神よ……」の一色。
キリスト教の信者の人たちには、それでもよかったのかもしれない。
が、私たちのように、一歩はずれてその外にいる者たちにとっては、耳障りでしか
なかった。
おまけに運悪く(?)、どこかの熱心な信者らしき人にはさまれてしまった。
その人たちは始終、涙をこぼしながら、狂ったように大きな手拍子を加えていた。
それが耐えられないほど、うるさかった。

 気になったのは、数曲ごとに、子どもたちが順にWTTのすばらしさを口上したこと。
が、これまたWTT賞賛一色。
「WTTのおかげで……」「WTTがなかったら……」「WTTに救われて……」と。

 子どもたちが自分の頭で、自分で考え、自分の言葉としてそれを言うのなら、よい。
しかしまさに(ヤラセ)。
WTTの趣旨の尊さは理解できる。
またそういう活動の崇高さも認める。
しかし貧しい子どもを利用してはいけない。

 よい例が毎年広島で開かれる、子どもによる平和宣言。
子どもたちの未来を守るのはおとなの責務。
それを子どもに「宣言」という形でさせる。
それについての原稿は以前にも書いたので、あとで添付しておく。

 で、最後に募金の勧誘。
募金袋は最初に配られていた。
驚いたのは、パンフレット(14~6ページ前後の冊子)が、超豪華なオール
カラー版だったこと。
紙質もよく、分厚い印刷用紙を使っていた。
どこかチグハグ?
違和感を私は覚えた。

 で、私も募金をするつもりだったが、最後に、司会者がこう言ったとき、その気持ちは
失せた。

「これからこの子どもたちは東京へ向かいます。
新幹線に乗って行きます。
その旅費をどうか募金してください」(聞き覚えなので、内容は不正確)と。
(そんなはずはない!)

 全体としての私の印象は、こう。

 「アフリカの子どもたちは不幸」という前提で、私たちはものを考えやすい。
実際、WTTの演奏会では、繰り返し、それが語られた。
しかし本当に、そうか?
私たちがそう思うのは、私たち日本人のもつ幸福感を基準にしているから。
つまり私たちにも、ある種の思い上がりがある。
「子どもたちは、こうあるべき」という思い上がりである。

 たとえば教育にしても、日本式の教育法は貧しい国々では、ことごとく拒否されている。
理由は、その背景に受験につながる競争主義があるからにほかならない。
またそういう教育をもって、日本人は、最高の教育と思いこんでいる。
(それ以外の教育法を知らないのだから、当然と言えば、当然だが……。)

 同じようにエイズが蔓延し、戦争と飢餓で苦しんでいるU国。
それはわかるが、その問題と、子どものもつ幸福感とは別問題。
たとえば同じコンサートを通して、こんなことも言っていた。
「U国は、チャーチルにも『アフリカの真珠』と評されるほど、美しい国です」と。
ならば聞くが、都会のビルの隙間で、受験勉強をしている日本の子どもが幸福なのか
ということになる。
心はすでに氷のように冷たい。

 つまり私たちは先進国の人間がもつ(おごり)を、けっして貧しい国の人たちに、
押しつけてはいけない。
同時にそういう子どもたちを救済している団体にしても、自分たちの価値観を、
私たちに押しつけてはいけない。
「私たちは正しいことをしている」と思うのはその人たちの勝手。
しかしその返す刀で、「あなたたちは、救済すべきだ」というのは、ここでいう
(押しつけ)。

 とても残念だが、どこか押しつけがましい音楽会だった。

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7年前に書いた原稿より

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【子どもによる平和宣言】

あどけない小学生に、平和宣言など、させてはいけない。
平和を守るのは、私たちおとなの責務。
こういう場で子どもを利用するのは、どこかのテロ組織が、自爆攻撃用にと、
子どもを利用するのと同じ。
「平和目的ならいい」「戦争目的は、だめ」というのは、おとなの勝手な論理に
すぎない。
あるいはどこでどう、線を引くというのか?

++++++++++++++++++++

7年前に書いた原稿を、そのまま紹介します。

+++++++++++++++++++++++++++

●子どもによる平和宣言(Declaration for Peace by Children)

+++++++++++++++++++++++++++

今年も、広島、長崎で、子どもを使った
平和宣言がなされた。
それについて、私はかねてより、「子どもに
そんなことをさせてはいけない」と書いて
きた。
平和を守るのは、おとなである私たちの
責任。
子どもたちの未来を守るのも、おとなで
ある私たちの責任。
子どもを使うのは、卑怯だ!

+++++++++++++++++

8月8日、韓国で奇妙な事件が起きている。
どこかに立てこもった一群の中の子どもたちが、韓国の大統領である、イ大統領を
口汚く、ののしっているという。
文章を簡潔にして、紹介させてもらう。

+++++++++以下、朝鮮N報++++++++++++

「李明博(イ・ミョンバク)、なんでそんなやり方で国を治めるんだ」
「お前が死んだら僕は気持ちよく笑えるだろう。この××野郎よりダメなやつ!」
「お前がそんなことをするなら、僕はお前を殺してやる」

 先月23日、体験学習のためソウルにやってきた地方の小学生たちが、曹渓寺(ソウル市鍾路区)に立てこもっている、「狂牛病(BSE)の危険のある米国産牛肉の全面輸入に反対する国民対策会議」(以下、対策会議)の芳名録に書いた、文や動画が公開され、韓国社会は衝撃を受けた。

この小学生たちは10歳前後、小学3~5年生の子どもたちだった。「立てこもっている人たちがけしかけた」という学校側の主張と、「自発的に書いた」という対策会議側の主張は食い違っている。
これについては警察の捜査で明らかになるだろう。

+++++++++以上、朝鮮N報++++++++++++

少しわかりにくい話なので、解説してみる。
現在、ソウルの曹渓寺というところに、アメリカ産の牛肉の輸入に反対する団体が、立てこもって、それに反対しているという。
その寺の芳名録に、その小学校を訪れた子どもたちが、芳名録に書き込みをした。
それが冒頭にあげた、文章である。
「李明博(イ・ミョンバク)、なんでそんなやり方で国を治めるんだ」
「お前が死んだら僕は気持ちよく笑えるだろう。この××野郎よりダメなやつ!」
「お前がそんなことをするなら、僕はお前を殺してやる」と。

これについて、(1)立てこもっている人たちが、子どもたちにけしかけた。(2)子どもたちが自主的に書いたと、意見が分かれているという。
が、どちらであるにせよ、つまりけしかけられたにせよ、自主的に書いたにせよ、その背後には、(おとなたちの意思)が、感じられる。

少なくとも、こうした言葉は、子どもたちだけの発想では生まれない。
そこで日本の子どもたちによる、平和宣言。
私は、平和宣言がまちがっているというのではない。
それ自体は尊いものであり、世界に向かって宣言して、当然である。
しかし、子どもを使って、それをしてはいけない。
5年前(03年)に、こんな原稿を書いたことがある。

++++++++++++++++++

●子どもによる平和宣言

 よくどこかの会場で、小学生くらいの子どもが、平和宣言をすることがある。「私たちは、平和を守り……。戦争に反対し……。核兵器を廃絶し……」とか。たいていは、……というより、ほとんどは、おとなたちが用意した原稿を、子どもが読みあげているだけ。たまたま、この原稿を書いている今日も、「地雷をなくそう、全国子どもサミット」(03年2月8日)があった。疑問がないわけでもないが、しかしそういうのなら、私も、まだ理解できる。

 しかし子どもを使って、平和宣言など、子どもに言わせてはいけない。子どもをそういうふうに利用してはいけない。それはあまりにも酷というもの。だいたいそんな子どもに、戦争だとか、平和がわかるわけがない。だれだって、戦争より平和のほうがよいと思っているに決まっている。

しかし平和というのは、それを求めて積極的に戦ってこそ、得られるもの。皮肉なことに、戦争のない平和はない。ただ「殺しあいは、いやだから」という理由だけで、逃げまわっている人には、平和など、ぜったいにやってこない。世界は、そして人間が本来的にもつ性(さが)は、そんな甘いものではない。

 たとえば戦後、つまりこの58年間、日本がかろうじて平和を保つことができたのは、日本人がそれだけの努力をしてきたからではない。日本人が平和を愛したからでもない。日本が、戦後、58年間という長きにわたって平和を保つことができたのは、アメリカという強大な軍事力をもった国に、保護されていたからにほかならない。

もし日本がアメリカの保護下になかったら、60年代には、中国に。70年代には、韓国や北朝鮮に、そのつど侵略されていただろう。台湾やマレーシアだって、だまっていなかった。フィリッピンに袋叩きにされていたとしても、おかしくはない。日本は、そういうことをされても文句は言えないようなことを、ほかの国に対して、してしまった。
しかももっと悪いことに、いまだに、公式には、日本はその戦争責任を認めていない。中には、今でも「あの侵略戦争は正しかった」と言う日本人すら、いる。今の北朝鮮を容認するわけではないが、彼らが日本を憎む理由には、そういう時代的背景がある。

 わかりやすく言えば、子どもが平和宣言をして、それで平和な国がやってくるというのは、まったくの幻想。平和というのは、それ自体は、薄いガラスでできた箱のように、もろく、こわれやすい。ときには、戦争そのもののように、毒々しく、醜い。仮に今、平和であるとしても、その底流では、つぎの戦争を求めて、人間のどす黒い欲望が渦巻いている。つまり、平和を口にするものは、一方で、そういうものと戦わねばならない。その戦う意思、その戦う勇気のあるものだけが、平和を口にすることができる。

子どもを使って平和宣言をさせるというのは、子どもを使って宣戦布告するのと同じくらい、バカげている。それがわからなければ、子どもに、援助交際反対宣言をさせてみればよい。子どもに、政治家の汚職追放宣言をさせてみればよい。あるいは覚せい剤禁止宣言でもよい。環境保護宣言でもよい。

そういうものが何であるかもわからないまま、無知な子どもに、そういうことを言わせてはいけない。そうそう、あのK国では、幼児までもが、「将軍様を、命がけで守ります」などと言っているという。幼児が自分の意思で、自分で考えてそう言うのなら話はわかるが、そんなことはありえない。繰りかえすが、子どもを、そういうふうに利用してはいけない。
 そんなわけで、私は、小学生や中学生が、片手を空に向けて平和宣言をしている姿を見ると、正直言って、ぞっとする。あるいはあなたは、アメリカやヨーロッパや、オーストラリアの子どもたちが、そういうふうに宣言をしている姿を、どこかで見たことがあるとでもいうのだろうか。残念ながら、私はないが、ああいうことを子どもに平気でさせる国というのは、全体主義国家か、あるいはその流れをくむ国と考えてよい。

 「地雷をなくそう、全国子どもサミット」では、ある子ども(滋賀の小学生)は、つぎのように話している。
「地雷でケガをした人を見るのは初めてで、結構びっくりしたからそんなにしゃべったりできなかったけれど、何かちょっとずつだけど、声がかけられるようになったからよかったと思っています」(TBS報道)と。私たちが聞きたいのは、子どもたちのそういう生の声である。

子どもたちのために平和を守るのは、私たちおとなの義務なのだ。どこまでいっても、私たちおとなの義務なのだ。それを忘れてはいけない。
(030209)

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さらに進むと、自爆攻撃がある。
テロリストたちは、まだあどけない子どもを利用して、アメリカ軍などに対して、ゲリラ攻撃をしかけている。

一度、その指導風景がテレビで紹介されていたが、指導者らしき男は、子どもたちに向かってこう説明していた。

「死んでも、この世とまったく同じ世が、向こうの世界にある。だから恐れるな」と。
もしそうなら、テロなどしても意味はないということになるのだが、それはともかくも、子どもを使うということは、そういうことをいう。
平和宣言だからよい。
ゲリラ戦だからよくない。
そういうふうに線引きすること自体、まちがっている。
それこそ「平和のための戦争」ということになれば、どんな戦争だって、
肯定されてしまう。

どうであるにせよ、おとなたちは、自分が信ずる「正義」に従って、子どもを利用する。
それぞれのおとなたちは、それぞれの思惑をもって、子どもを利用する。
つまり「正義」ほど、いいかげんなものもない。
私はそれがおかしいと言う。
それがわからなければ、もう一度、最初に引用した、朝鮮N報の記事を読みなおしてみることだ。

(子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 子供による平和宣言 子どもの平和宣言)


(補記)

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 この原稿を書いて、4か月になる(03年)。いろいろな原稿を書いているが、4か月前に書いた原稿という気がしない。遠い昔に書いたような気がする。ただ子どもに平和宣言させることに、全面的に反対というわけではない。子どもに戦争の悲惨さを教え、ついで平和の尊さを確認させるという点では、意味がある。しかしそれでも、私は、「それでいい」とは、どうしても思えない。

 いつだったか、どこかのカルト教団の取材に行ったときのこと。全国大会とかで、全国から数万人の信者が集まっていた。その席でも、やはり小学生代表が、こう叫んでいた。
「私たちは、○○導師様の教えを守り、この信仰を、世界に広めていきます!」と。小学生による平和宣言などというものは、私には、その延長線上にあるとしか思えない。

 繰りかえすが、平和を守り、子どもたちを守るのは、私たちおとなの義務である。しかしその平和というのは、自ら戦って、勝ち得るもの。「殺しあいはいやだ」と逃げてまわっていては、平和は絶対に守れない。

 同じく繰りかえすが、平和主義には、二つある。「殺されても、抵抗しません。文句を言いません」という平和主義。もう一つは、「平和のためなら、命すらおしくない。いざとなったら、戦争も辞さない」という平和主義。ここにも書いたように、「殺しあいはいやだ」と逃げてまわるのは、平和主義でも何でもない。ただの逃避主義でしかない。

 また先の原稿の中で書いたように、戦後の日本がかろうじて平和を保つことができたのは、それだけ日本人が平和を守ったからではない。また日本人が平和を愛したからでもない。日本がかろうじて平和を保つことができたのは、たまたまアメリカという国に占領され、その保護下にあったからである。

 私は60年代に、交換留学生として、韓国に渡ったが、彼らがもつ反日感情というのは、感情というレベルを超えた、「憎悪」そのものだった。今でも基本的には、その構図は、変わっていない。仮に北朝鮮が日本にめがけて核ミサイルを撃ち込んだとしても、それを喜ぶ韓国人はいても、悲しむ韓国人はいない。そういう現実を前にして、小学生を仕立てて平和宣言をする。そのオメデタサは、いったいどこからくるのか。(だからといって、私が戦争を求めているのではない。どうか誤解のないように!)

今朝の報道によれば、あの北朝鮮は、すでに核兵器を数個もち、さらに今後、半年の間に、5~6発の核兵器を製造する能力があるという。さらに今年の終わりには、核実験もするかもしれないという(クリントン政権時代の北朝鮮担当官・ケネス・キノネス氏)。そうなれば日本は、もうおしまい。金XXの影におびえながら、毎日ビクビクしながら、生活をしなければならない。

 小学生による平和宣言の話を書いているうちに、またまた頭が熱くなってしまった。私の悪いクセだ。しかし、これだけは言える。どんな形であるにせよ、おとなたちは自分たちの政治的エゴを追求するために、子どもを利用してはならない。子どもには、子どもの人権がある。その人権だけは守らねばならないということ。決して、子どもたちを、猿まわしのサルのように利用してはいけない。
(030628) 

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
平和論 日本の平和 日本人 広島 原爆の日 はやし浩司 子どもによる平和宣言 子供による平和宣言)

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併せて、もう1作、6年前に書いた原稿を
添付します。

【SKさんからの反論に答えて……】

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●平和教育について



【SKより、はやし先生へ……】



今日(8月6日は朝のサイレンがなり、それがきっかけで、

娘に「広島」について話をする

機会がありました。もう、来年で60周年。今の国際情勢を

考えると、広島の原爆も、昔話になってしまうのでしょうか。



さて、メルマガにあった文章で、気になったことについて

書き添えたいと思います。





<国旗、国歌について>



(国旗について……)「日本は、そもそも単一民族だから、国旗や国歌にこだわる必要はない
のではないか。国旗や国歌が必要なのは、多民族国家である。そういう国では、国をまとめる
ために、国旗や国歌が必要である。しかし日本には、そもそも、その必要性がない。なりゆき
に任せればいい」(53歳・男性)





この意見を読んで、日本人は、単一民族である、

という発想がまだまだ強いところがこわいなぁ、と

思いました。



国旗、国歌が必要になってくるのは、自分の国にいるときではなく、

「外国にでた」ときだと私は考えます。自分が「どこの」所属かを

相手に明確にするためのものですよね。



浜松で、浜松祭りで、どこの町の法被を着ているか、のように。



だからこそ、自分の国から一歩もでない、鎖国状態の人には

「必要が無い」で済むのかもしれません。



アメリカで、高校の英語の授業でも、歌舞伎や能を扱うことが

あります。イギリスの作家でも、能の影響を受けて劇を書いている

人もいますし。(アイルランドのイエイツ、ノーベル賞作歌もそのひとり)



授業で、「能について、知っていることを教えてください」と

問いかけを先生からされたときに、答えることができない日本人と

しての所在のなさ! 今でも忘れません。



日本に帰ってきてから、能について、勉強をしていないところに私の

怠慢がありますが……。



国旗を、国旗といえない国には、どうしても問題があると思うのです。

幼稚園でも小学校でも「ひのまるのうた」を歌ってきます。じゃ、

どうして「国旗」と言わずに、「ひのまる」というのでしょう。

国歌も、「きみがよ」という別名をもうけてあります。



主人が柔道を趣味でしているので、彼の恩師に警察大学校で教壇に

立っている方がいます。主人が会話の流れで「日の丸」と言ったときに、

先生は毅然と、「ひのまるではない! 国旗だ!」と言ったそうです。

会話の流れとはいえ、選ぶ言葉は「意識」の問題である、と。



国の、国民としての、自覚の問題ですね。考え方は十人十色かも

しれません。



国旗の扱いについても、日本人は自覚がなさすぎることはよく

指摘されていることです。主人の手伝いで、かれこれ10年ぐらい前に

千葉の幕張で行われた柔道世界選手権の舞台裏を覗いたことがあります。



国旗の扱いはどこまでも丁重に。日本人だと、たたむときに、床に

べろーーん、と広げてから畳んだりしてしまいます。もう、こんな

ことが相手国の人々の目にとまれば、大政治問題です。



降ろすときも、畳むときも、複数の人間が各角をもち、角をあわせて

畳みます。決して床にはついてはいけない。



国旗を重ねてしまう事があろうものなら、その順序(どちらが上、

どちらが下)も、神経質になります。あくまでアルファベット順に徹する

などの工夫が必要です。



しまうときも、「くっつかないように」ひとつひとつビニール袋に入れて

しまいます。国旗そのものが、お互いにくっつかないように。



レプリカをつくって、シャツのデザインにしたり、なんていうのは

「相手国に対する冒涜」なんです。こういう視点で国旗を考えた

ときに、小学校の運動会でかかっている「万国旗」には、つい、

意味を考えたくなってしまいます。



国旗、国歌の議論が必要がない、とおっしゃる方は、くれぐれも

渡航中にトラブルに巻き込まれないようにお気をつけいただきたい

ものです。



日本人、国旗、国歌。日本をでれば、みなが日本の代表ですので。



ふと、サッカーアジアカップの、日本・中国の決勝が頭をよぎります。

とても、とても、恐ろしい政治の問題です。





<平和宣言>



私が大学生のとき、大学生協の平和活動に参加をしていました。

全国津々浦々の大学生協から、学生達が集まって平和アピールを

するという主旨のものです。



東京だと、江戸川区にある、第五福竜丸のおいてあるところから

平和アピールが始まります。8月6日の、広島の式典にあわせて

行進をし、たすきをつないでいくというものです。ピースウォークという

名称のものでした。



それに参加するほど根性はなかった私は、6日に広島入りをしました。

で、大学生どうしで、ひたすら「平和ってなあに?」という話し合いを

して、「ほら、平和って大事だよね。」と言い合って終わるのです。



完全に、自己満足の世界です。「ふつうの大学生とちがって」、自分は

「平和のことを考えている」というのをお互いに認め合うための会合

です。それも、広島で、大集会と化して。大声で平和をイメージした

歌を歌ってみたりして。



大学生協だけでもかなりの規模ですし、各地生協、平和団体などなど

集まってきます。海外からも、水素爆弾禁止運動をしているフランス人

やら、いろんな人がいました。それはそれは、8月6日だけは、きっと

残り364日の広島の景色とは違ってしまうのでしょう。



朝の式典は、原爆の投下された時間の黙祷で始まります。そのために

平和公園に集まるために、寝ぼけ眼で、大学生達がタクシーに

乗って「すべりこみセーフ」で式典に、参加するのです。(と、集会の

人ごみにまぎれているだけなのですが。)



タクシーの運転手さんがつぶやいてました。「今日だけはね、どこも

かしこも、馬鹿騒ぎでね。ほんとに広島の人とか、戦争関係の

人なんていないだろうよ」って。広島に来た自分が、おろかだったなと、

痛感した瞬間でした。



8月6日の広島。それは、青空の広がる暑い夏だったはずです。

今年は、台風やらの影響での独特な湿気。こうやって感覚がずれて

いくのでしょうか。





<マガジンについて>



先生のマガジンを通して、日常の忙しさにかまけて、考えないような

話題がたくさん提示されています。ほんとに、たくさん。思うことが

あっても、返信できないほどです。



今年の暑さは、例年とは明らかに違います。どうぞ、お身体を第一に

なさってください。このうえで、楽しいマガジンの配信をお願します。





<読書感想文>



娘の宿題の読書感想文を眺めながら、ふと思ったことがあります。

そういえば、私がアメリカでいたときの5年間、読書感想文って

書いただろうか? 書いてない!(そうか、だから娘に指導できない

んだ!って開き直ったほどです。)



日本は識字率が高いので、こういう宿題が可能だと思いますが、

それだけが理由なのでしょうか。



私が過ごした5年間でこなした作文課題といえば…。

ショートストーリーを書く、詩を書く、俳句を書く、などでした。

いわゆる creative writingです。 

エッセーといっても、レポートと同じように「批評する」文章でした。



日本の、いわゆる読書感想文の、「○○に感動しました。☆☆が

面白かったです。私にもこういう経験があります。この本を読んで

とても心が打たれました」的なものではなかったです。



本について書く文書といえば、ブックレビューでした。これも、

本の批評です。critical writingといわれていました。それこそ、

作品の中の、フレーズや単語ひとつを、とことん批評するという

ような主旨のもの。または、作品の歴史背景等を鑑みた批評など。



アメリカの、私が住んでいた町だけ読書感想文の指導がなかった

のでしょうか。よその国でも、日本の読書感想文にあたるような

もの(原稿用紙3枚ぐらいの分量のもの)があるのでしょうか。



ふと、気になってしまいました。





とてもとても長くなりました。適当に読み流していただけると

幸いです。



SKでした。



【はやし浩司よりSKさんへ……】



 昨夜(8・7)は、アジアカップの決勝戦が、ペキンでありました。私の教室の父親が、2人、出場しているということで、ふつうでない緊張感を覚えました。(いつもなら、菓子をポリポリ食べながら、気楽に観戦していたと思いますが……。)



 中国の人たちのもつ、根深い反日感情を知るにつけ、改めて、「国とは何か」を、考えさせられました。選手の人たちは、若い人ばかりです。戦前の日本とは、関係のない人ばかりです。



 それが、戦後60年近くもたった今、ペキンで、反日攻撃の矢面に立たされている!



 私も、1967年に、UNESCOの交換学生で、韓国に行きましたが、歓迎されたのは、当初の1日だけ。あとはどこへ行っても、日本攻撃の矢面に立たされました。戦後生まれの、私が、です。



 国歌斉唱のとき、またまた大ブーイング。それを見ていたとき、何もしてこなかった私たちの世代。それを知り、申し訳ない気持ちにかられました。多分、選手の奥さんたちや、生徒たちも観客席にいるでしょう。何か、ものを投げつけられなければよいがと、どこかハラハラして見ていました。



 あんな気持ちで、サッカーの試合を観戦したのは、はじめてです。



 で、日本が優勝。何ごともなかったようです。(もし2対1なら、大抗議が起きていたかもしれませんね。うち日本の1点は、どこかファウルゴールぽかったですから……。しかし実際には、3対1で、勝った! これなら中国側も文句を言えない!)



 よかった! 



 広島の原爆について、「小学生に平和宣言などさせるものではない」と書いた私の意見に、
やはり反論してきた人がいました。



 わかります。



 私は平和宣言に反対しているのでは、ありません。「平和を、つぎの世代のための子どもたちのために用意するのは、私たち、おとなの役目だ」と書いたのです。「そのために、子どもを利用してはいけない」と。



 同じようなテーマに、環境問題があります。おとなの私たちが、さんざん、環境をよごし放題よごしておいて、子どもたちに向かって、「環境を守れ」はないとと思います。



 それともSKさんは、アメリカで、子どもが、平和宣言しているような光景を見たことがありますか? 子どもが自分で考えて、そう言うならまだしも、子どもを操り人形のように、操ってはいけない。それが私の意見です。(何なら、幼児に平和宣言させてみればよいのです。どうしても、子どもにさせたいのなら……。)



 平和の問題は、高度に政治の問題であり、それゆえに、それは純粋に、おとなの問題なのです。たとえば今、天然ガスの採掘をめぐって、日中関係がギクシャクしています。たがいに、まさに(やられたら、やり返す)の応報を繰りかえしています。こうした応報が、やがて戦争につながらないとは、いったい、だれに言えるでしょうか。



 「平和を守ります」と、子どもに宣言させて、それで平和を守ることにはならないのです。



 私は、こうした、つまりおとなたちの責任をタナにあげ、子どもを利用する行為が、どうにもこうにも、許せないのです。プラス、どうにもこうにも、理解できないのです。



 そうそう、その「日本人には、国旗はいらない」と言ってきた人は、現在、インドネシア在住の男性(50歳)です。前後を少し省略しましたが、彼が言うのは、こういう意見です。



 「インドネシアは、いろいろな民族でなりたっている。そういう国を一つにまとめるには、国旗が必要だ。しかし日本は、そもそもそういふうに、一つにまとめる必要はない。少なくとも、インドネシアのようにはない」と。



 それで冒頭のような意見を書いてくれました。少し、誤解があったかもしれません。



 「能」で思い出しましたが、私が学生時代、2年間だけですが、その能(私は声を出す、謡)をしました。加賀宝生流です。京都の能舞台で、うなったこともありますよ。



 外国へ行くたびに、何かの場で、披露しています。ああいうのを、何か一つ、得意芸として、身につけておくと、よいですね。「これがジャパンだ」と、誇ることができます。



 またアメリカには、(ライブラリー)という授業があります。週1回程度、図書室で、指導を受けるというものです。ご存知のように、アメリカでは、読書指導が、教育の柱になっています。



 驚いたのは、(ライブラリー)の指導だけは、修士号をもった教師でないと、できないということです。(ほかの教科は、学士号で、教壇に立つことができますが……。)



 「図書館の司書」というと、日本では、どうしても「下」に見られますが、欧米では逆のようですね。オーストラリア人の友人も、オーストラリアのM大学の図書館で、司書をしていますが、教授と同じあつかいです。あらゆる教授の相談にのるという意味で、重要な仕事と考えられているようです。



 SKさんのメールを読みながら、改めて、ナットクしたというわけです。ありがとうございました。



 言うまでもなく、(作文)が、文字、言葉教育の目標であり、要(かなめ)ですね。本を読んで、作文を書く。これから日本でも、もっと重要になってくると思います。



 メール、ありがとうございました。またまたマガジンへの掲載を、許可していただければ、うれしいです。(すでに発行予約してしまいましたので、事後承諾になります。どうか、お許しください。9月6日号に、掲載します。よろしかったでしょうか。)



 そうそう、きのう、「スパイダーマン」を見ました。ああいう映画は、肩がこらなくて、よいですね。ハハハと笑って見ました。

(040808)


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司

●怒り、そして無力感

++++++++++++++++++

教育というのは、20年後、30年後の
日本を見据えて、する。
今、教育していることは、20年後、
30年後に、その結果となって現われてくる。

++++++++++++++++++

●40年前

 今から40年以上も前のこと。
「40年」といっても、けっして古い話ではない。
「今」の話である。

 私は当時、オーストラリアの大学にいた。
そのときのこと。
アジア各国から来た留学生たちと、こんな会話をした。
今とちがって、その国でもエリート中のエリートたちである。
日本は貧しかった。
アジアの国々は、もっと貧しかった。
が、みな、こう言った。
「日本へは留学しない」
「日本へ留学しても、むだ」と。

 理由は私もよく知っていた。
日本でいくら資格を取っても、そうした資格は日本以外の国では通用しない。
たとえば日本で医師免許を取っても、日本以外の国では通用しない。
当時の日本は、(今でもそうだが)、こと教育に関しては、鎖国主義を
貫いていた。
「外国の医師免許を認めない」と。
だから相互主義として、外国も日本の医師免許を認めない。

 私も一時期、オーストラリアでの就職を考えたことがある。
で、いくつかの会社をあたってみたが、私はオーストラリアでは、
「高卒扱い」だった。
「週給は、550ドル」と。
で、私がいくら、「私は日本の大学で学位を取っている」と主張しても、
受け入れられなかった。

●教育の鎖国主義

 医師免許だけではない。
ありとあらゆる免許、資格が、そうだった。
「日本はアジアでもナンバーワンの教育立国」という自負心が、かえって
災いした。
建築士、弁護士、看護士などなど。
日本は、外国のあらゆる免許を認めなかった。
今も認めていない。
ゆいいつの例外は、自動車免許。
しかしその免許も、1年ごとの更新制をとっていた。

 一方、オーストラリアの大学で学位を取ると、その学位は、ほぼ全世界
で通用した。
旧大英帝国圏はもちろん、アジア各国でも通用した。
学位どころか、単位の交換(単位の共通化)も進んでいた。
メルボルン大学で2年過ごしたあと、北京大学で1年を過ごす。
その北京大学で得た単位は、そのままオーストラリアでは、取得単位
として認められた。

 しかも欧米を中心に、大学の移籍は自由。
入学後の学部変更も自由。
学生たちは、自由に大学間を、渡り歩いていた。

 では、日本はどうだったか?
今さら、説明するまでもない。
その結果が今。
いまだに東南アジアからの看護士ですら、日本では自由に仕事ができない。
「言葉の問題」があるとか?

●シンガポール

 こうした日本の硬直性を横目で見ながら、たとえばシンガポールは、
教育と制度を開放した。
たとえばアメリカで医師免許を取った医師でも、シンガポールでは自由に
開業できる。  
医療ですらそうなのだから、あとは推して量るべし。

 その結果、日本に駐在員をおいていた各国の大企業は、そのほとんどが、
シンガポールへ移った。
今でも日本がアジアの中心と思っている人は、よほどのバカか、世間知らず。
アジアの経済ニュースは、一度すべてシンガポールに集められる。
そこから世界中に発信される。

●崩れた電子立国

 もう20年前になる。
近くの小学校で、実験的だが、コンピューター授業をしようとしたところ
がある。
時の通産省が音頭を取った。
が、それに「待った!」をかけたのが、ほかならぬ時の文部省だった。
「教員免許のない教師を、教壇に立たせるわけにはいかない」と。

 免許にこだわった。
カリキュラムにこだわった。

 しかしコンピューター(電子工学)の教員免許を認めるまでには、
何年かかる?
まず教育学部内に講座を用意する。
その前に教授を育てなければならない。
そんなことをしていたら、20年はかかる!

 だったら、工学部を卒業した学生を教壇に立たせればよい。
(中学、高校では、専門学部の学生でも、教育原論などの単位を取れば
教師になることはできた。)
だれしもそう考える。
しかしそれを認めたら、日本の官僚社会そのものが、総崩れになる。

●資格、許可

 もう10年も前の話。
私の山荘のあるI村の下を、単線の電車が走っている。
その電車に乗ると、季節の行楽シーズンには、女性のガイドが同乗して
くれた。
(最近は、その姿が消えたが・・・。)
そのガイドが、こんな話をしてくれた。
「こういう仕事にも、資格が必要なんです」と。

 バカげている、と私は思った。

 田舎の小さなローカル線。
どうしてそんなところで、ガイドとして働く人にも、資格が必要なのか。
つまりこれも官僚主義制度の弊害のひとつと考えてよい。

 ありとあらゆることを、許認可制にする。
免許、資格制にする。
そしてそのひとつずつに役所を置き、役人を置く。
その多くは、役人たちの天下り先として、そのまま利用できる。
が、この制度は、ミスを減らすかわりに、社会のダイナミズムを奪う。
今の日本を見れば、それがわかる。

●職業観

 日本というより、日本人は、ダイナミズムを失ってしまった。
こじんまりしているというか、おとなしい。
たとえば就職にしても、「就職」しか考えない。
どこかの組織に入ることだけが、就職と思い込んでいる。
が、「仕事」は、自分で作るもの。
原点は、そこにある。
その原点を見失ってしまった。

 たとえば私が浜松に住むようになったときのこと。
1971年の秋ごろだった。
商工会議所へ行くと、翻訳の仕事をすぐ回してくれた。
通訳の仕事も回してくれた。
当時はまだ登録制で、浜松には私を含めて、そうした仕事をしている人は、
私を含めて2人しかいなかった。

 また仕事は、工場通りの電柱に張り紙をして、取ってきた。
縦20センチ、横10センチほどの張り紙で、それに「翻訳します」と
書いた。
電話番号をその横に添えた。
それだけで翌日には、2つや3つの仕事が飛び込んできた。

 日本全体がまだ不完全というか、おおらかな時代だった。
私はそうした隙間を巧みに生き抜くことができた。

 が、やがて通訳も翻訳も、資格制になった。
そのための試験も始まった。
今では、そんな簡単な仕事ですら、一度は役所を通らないとできない。
つまりその分だけ、息苦しくなった。

●鎖国主義

 鎖国主義は、現在も進行中。
あの鳩山前総理大臣がアジアの何かの会議へ出かけていって、大学間の単位の交換を
しようと呼びかけた。
が、どこの国も反応しなかった。
それもそのはず。
そんなことは、すでに世界の常識。
それ以上に、日本はすでにアジアのリーダー国としての地位を失っていた。
今ではすでに逆転しているかもしれない。
日本人が、アジアの他の国々で、より高度な勉強する時代になりつつある。
「今はまだいい」と思っている人は多い。
私もその1人。
だが、やがて追い抜かれる。
すでに追い抜かれつつある。
前にも書いたように、教育というのは、20年とか30年先を見ながら
組み立てる。

言い換えると、日本は20年前、30年前にしておくべきことをしなかった。
・・・しておかなかった。
その結果は、やがて出てくる。

 たとえば英語教育にしても、20年は遅かった。
コンピューター教育にしてもそうだ。
あの韓国は、2011年の春から、教科書を電子ブック(iPad方式)に
切り替えるという。
紙製の教科書ではなく、電子教科書だ。
本来なら日本が、そういう改革を率先して進めてよいはず。
が、その日本がほかの国々の尻を追いかけている。

●武士道

 話は変わるが、いまだに「武士道だなんだ」と言っている人が多いのには、
驚かされる。
武士道などというものは、日本でしか通用しない。
私が韓国へ交換学生で行っていたときのこと。
こんな話を聞いた。

 植民地時代、日本の兵隊たちはことあるごとに武士道なるものを口に
したという。
そこで韓国人が、「武士道とは何か」と、よく聞いたそうだ。
それにたいして、日本の兵隊たちは問答無用式に、こう言って韓国人たちを
殴り飛ばしたという。
「貴様らに、日本の武士道がわかってたまるかア!」と。

 日本の力が残っている間は、まだよい。
日本が、力がある間は、まだよい。
しかしこの先、日本がやがてアジアの国々の中に埋没するようになったとき、
そのときでもはたして日本は、日本人は、武士道なるものを口にすることが
できるだろうか。
かえって奇異な目で見られるだけ。

 あの封建時代においてでさえ、武士階級はほんの5%前後(家族を含む)。
たいはんはその武士階級に虐げられた庶民ではなかったのか。
その虐げられた側にいた私たち庶民が、今になって武士道をたたえてどうする?
どうなる?
どうして武士道が、日本人の精神のバックボーンなのか?

●繁栄ボケ

 さて、20年後、30年後の日本は、どうなっているか。
それを考えると、そら恐ろしい思いすらする。
今の子どもたちは、平和ボケしている。
繁栄ボケしている。
「現実」を論ずることすらしない。
生き方そのものが、内向き。
ダイナミズムそのものもない。
学生たちの就職先人気ナンバーワンが、公務員となって、もう10年
以上になる。
その公務員だけが、今の今も数がふえつづけ、勢力を拡大しつつある。
公務員の人件費だけで、総額38兆円(日本の国家税収は40兆円前後)。
今では、旅館の温泉に入るだけでも、入浴税なるものが徴収される。
市の出先機関で、各種書類をプリントアウトしてもらうだけで、一枚(一通)、
500円。
紙一枚が、500円だぞ!
こんな商売が、ほかのどこにある?
そのほとんどを人件費に使っているから、こうバカげたことが起こる。

●教育の自由化

 「Independent Thinker(自分で考えられる子ども)」「Active Learner
(積極的な子ども)」……言葉は何でもよい。

 大切なのは、ダイナミズム。
自由なるダイナミズム。
そのためには、隙間を多くする。
たった10年前だが、私はアメリカで、こんな経験をした。

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そのとき書いた原稿より

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●日本は超管理型社会

 最近の中学生たちは、尾崎豊をもうすでに知らない。そこで私はこの歌を説明したあと、中学生たちに「夢」を語ってもらった。私が「君たちの夢は何か」と聞くと、まず一人の中学生(中二女子)がこう言った。「ない」と。「おとなになってからしたいことはないのか」と聞くと、「それもない」と。「どうして?」と聞くと、「どうせ実現しないから」と。もう一人の中学生(中二男子)は、「それよりもお金がほしい」と言った。そこで私が、「では、今ここに一億円があったとする。それが君のお金になったらどうする?」と聞くと、こう言った。「毎日、机の上に置いてながめている」と。ほかに五人の中学生がいたが、皆、ほぼ同じ意見だった。今の子どもたちは、自分の将来について、明るい展望をもてなくなっているとみてよい。このことは内閣府の「青少年の生活と意識に関する基本調査」(二〇〇一年)でもわかる。

 一五~一七歳の若者でみたとき、「日本の将来の見とおしが、よくなっている」と答えたのが、四一・八%、「悪くなっている」と答えたのが、四六・六%だそうだ。

●超の上に「超」がつく管理社会

 日本の社会は、アメリカと比べても、超の上に「超」がつく超管理社会。アメリカのリトルロック(アーカンソー州の州都)という町の近くでタクシーに乗ったときのこと(二〇〇一年四月)。タクシーにはメーターはついていなかった。料金は乗る前に、運転手と話しあって決める。しかも運転してくれたのは、いつも運転手をしている女性の夫だった。「今日は妻は、ほかの予約で来られないから……」と。

 社会は管理されればされるほど、それを管理する側にとっては便利な世界かもしれないが、一方ですき間をつぶす。そのすき間がなくなった分だけ、息苦しい社会になる。息苦しいだけならまだしも、社会から生きる活力そのものを奪う。尾崎豊の「卒業」は、そういう超管理社会に対する、若者の抗議の歌と考えてよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●ではどうすればよいか……

 規制緩和は当然のこと。
構造改革(=官僚主義制度の打破)は当然のこと。
少なくとも外国並みに、緩和する。
またそうでないと、日本は世界の荒くれ男たちとは、戦えない。

 たとえばアメリカでは、学校の設立がほぼ自由化されている。
カナダでは、もっと自由化されている。
学校で使う言語すら自由!

 ……こう書くからといって、何も「学校教育」を否定しているわけではない。
方法はいくらでもある。
たとえばドイツ、フランス、イタリアのように、クラブ制の充実など。
子どもたち(たとえば中学生)は、午前中で学校での授業をすませ、午後はみな、
それぞれクラブへ通って、好き勝手なことをしている。
水泳が好きな子どもは、毎日水泳クラブに通っている。

 その費用は、チャイルドマネー(クーポン券、バウチャー券)として、国から
支給されている。

 が、この日本では、あえてそれに逆行するようなことばかりしている。
「学校教育をより充実させる?」という理由のもと、さらに教師を3万人もふやすとか
(2010年以後)。
しかしいくら教師をふやしても、授業中に居眠りする子どもは減らない。
そういう基本的なことが、まったくわかっていない!

 (教育の自由化については、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。
正直言って、疲れた!)

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 子どもたちによる平和宣言 子供による平和宣言 教育改革 ダイナミズム 教育のダイナミズム 日本の将来)


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2010++++++はやし浩司

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