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【講演会のお知らせ】
11月30日(水曜日)
午後6時30分開場
午後7:00~8:30
場所:浜北文化センターにて
主催:浜北区健全育成会
入場は自由(無料)
『こうすれば、伸びる3つの話し』
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【11月14日】(落ち込み)
浜北区での講演会に向けて……(浜松市内では今年度最後の講演会)
●時の流れ
「時」は流れに沿って、すべてを変えていく。
つい先日までそこにいた人が、今は、いない。
反対につい先日までそこにいなかった人が、今は大きな顔をして、そこにいる。
モノにしても、そうだ。
つい先日までカタログでながめていたパソコンが、今は、目の前にある。
●64歳
大切なことは、時の流れを感じたら、それに逆らわないこと。
やって来る人もいれば、去って行く人もいる。
モノにしても、いつまでもそこに「形」があるわけではない。
私自身にしてもそうだ。
いつの間にか、64歳。
50代の記憶は、あるにはあるが、どれも断片的。
40代の記憶は、さらに断片的。
シワだらけの自分の手や顔を見る。
64歳であることを実感する。
しかしそんな「数字」に、どれほどの意味があるというのか。
●人来たりて、また去る
フランスの詩人、ジャン・ダルジーはかつてこう歌った。
『……人来たりて、また去る
人来たりて、また去る
かくして、私の、あなたの、彼の、彼女の、彼らの人生が流れる
あたかも何ごともなかったかのように……』と。
詩の内容は、記憶によるものなので、不正確。
しかし私はこの詩の意味が、歳を経るごとに、よくわかるようになった。
「まさにそうだ……」というよりは、人生の悲哀感が、この詩の中に深くこめられている。
その悲哀感に、共鳴するようになった。
●失敗組
率直に言えば、私は失敗組。
自分でもよくわかっている。
地位にも肩書にも、一生、縁がなかった。
いろいろやってはきたが、いろいろやってきたというだけ。
今の今だって、そうだ。
虚勢こそ張らないが、……というか、張れるようなものは何もないが、私を飾るものは、何もない。
見たまま。
裸のまま。
●負け戦
が、体質というのは、恐ろしい。
そうでありながら、まだどこかに、出世主義が残っている。
ときどきそれが顔を出す。
出して、こう言う。
「お前の人生も、たいしたことなかったな」、
「若いときは、あんなに偉そうなことを言っていたのに」と。
この無念さは、いったい、どこから来るのか。
劣等感に近い。
それとも不完全燃焼感?
考えてみれば、いつも負け戦。
その連続だった。
●原因
今夜の私は、落ち込んでいる。
理由がある。
浜松市のX区に、SN医院という医院がある。
かなり前から、別の同級生から、その医院の院長は、金沢大学出身と聞いていた。
学年も同じだった。
一度は、私はそれを確かめたかった。
同じ合唱団に、SNという名前の仲間がいた。
もしそうなら、ふつう以上に親しい間がらだった。
合唱団での練習が終わると、よく香林坊の盛り場を飲み歩いた。
で、今夜いろいろあって、その医院に電話をしてみた。
夜、6時を過ぎていた。
自分なりに失礼でない時刻を選んだつもりだった。
が、電話口に出た、SN医師は、きわめて傲慢だった。
傲慢というより、強圧的。
威張っていた。
私の話をほとんど聞かないうちから、「どこのだれだ!」「何の用だ!」「用件を早く言え!」と。
私のほうがたじろいでしまった。
説明したくても、それができなかった。
SN医師は、私を何かのセールスマンと誤解したようだ。
ワイフはあとで、そう言った。
SN医師は、一方的に電話を、そのままガチャンと切った。
私もこういう性格だから、かなり頭に来た。
そこらのヤワな男とは、ちがう。
しかし自分を抑えた。
抑えて、怒りを鎮めた。
●無念さ
怒りはしばらくすると、収まった。
が、それと反比例する形で、無念さが、胸の中に充満してきた。
「どうしてあんなバカな電話をしたのだろう?」と。
と、同時に、自分がかぎりなく小さくなっていくのを感じた。
自分のしていることが、かぎりなくつまらなく思えてきた。
●SK君
金沢市にSK君というのがいる。
同じ法科出身。
合唱団でもいっしょだった。
そのSK君だったら、SN君のことを知っているはず。
私はそのあとしばらくしてから、電話をした。
私「SN君というのがいたよな?」
S「ああ、彼なら金沢市で開業しているよ」
私「金沢でか?」
S「そうだよ」
私「ナーンダ」と。
しばらく話していると、話が混乱してきた。
S「林君ねえ、君ねえ、SN君とNT君をまちがえているんじゃないか」
私「……ああ、そうだ、NT君だ。今、思い出した……」
S「君が言っているのは、NT君だよ。ほら、NT君」
私「そうだ、あいつだ。同じ名前だったから、それでまちがえた」
S「あのNT君も、金沢にいるよ。今は、金沢大学の付属病院で、院長をしているよ」
私「院長か?」
S「そうだ。ほら、あのNT君は、MBさんと結婚したよ。合唱団のMBさんだよ」
私「ああ、その話なら覚えている。MBさんが好きだという話は、NT君から直接、聞いていた」
S「そのあと、結婚したんだよ」と。
それを知って、少しだけだが、胸がスカッとした。
SK君はある都市銀行の取締役まで務めた。
今は定年退職し、金沢大学で教壇に立っている。
●しょせん……
……とは、書きつつ、しょせん、私も、この程度。
今夜は、それがよくわかる。
わかりすぎるほど、よくわかる。
わかるから、落ち込んでいる。
朝までの元気は、どこへ消えたのか。
……ということで、これからサイクリングに行ってくる。
時刻は午後9時。
一汗もかけば、気分も収まるだろう。
●サイクリング
今夜は、思いっきり全力で道路を走った。
薄着だったが、寒さは感じなかった。
途中、何人かの人を、追い抜いた。
が、足を休めなかった。
近く大きな講演がある。
その講演に向け、体力をつける。
整える。
浜松市内では、今年最後の講演。
真剣勝負で臨みたい。
2011/11/14夜記
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【講演会のお知らせ】
11月30日(水曜日)
午後6時30分開場
午後7:00~8:30
場所:浜北文化センターにて
主催:浜北区健全育成会
入場は自由(無料)
『こうすれば、伸びる3つの話し』
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【英語教育、ひとつの提言】
●小学校での英語教育が今、デッドロックに乗り上げている。
どう乗り上げているかは、みなさんすでにご存知の通り。
そこで私はそれを打開するため、ひとつの方法を提案する。
「英会話」ではなく、「言葉として英語を教える」。
その具体的な方法を、今週は年長児、年中児のみなさんで試してみた。
「英語の前に日本語」とか、「論語を教えろ」という暴論もある。
この方法なら、そういう人たちも、反対をしないはず。
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Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司
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