2011年11月17日木曜日

*As a country man in Japan

●「地元に張りつく」?(日本人の島国根性と、都会的優越感)

++++++++++++++++++はやし浩司

 産経ニュースは、つぎのように伝える(11・17)。

『……民主党の小沢一郎元代表は16日夜、東京・赤坂のレストランで同党所属の衆院当選1回の若手議員5人と会食し、「年が開ければ、翌年(平成25年)が任期満了で選挙の空気が強まる。みんな、地元に張り付いてどぶ板でがんばれ」と語った』(産経ニュース)と。

++++++++++++++++++はやし浩司

●「上」からの視点

 2006年に、こんな原稿を書いた。
私たち浜松に住む人間は、「田舎者」だそうだ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●田舎者はイチコロよ!

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片山さつき氏は、私の選挙区から選出された、
国会議員である。

ふつうは、こうしたエッセーでは、実名を伏せる
ことにしているが、ここでは、あえて、実名で
書かせてもらう。

雑誌「諸君」の中に、こんな記事があった。

「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、
イチコロよ」(片山さつき談)と!

++++++++++++++++++++++

 06年の8月。先の衆議院議員選挙(05年8月)が終わって、ちょうど1年になる。
同じ自民党の城内実氏を僅差で破って、衆議院議員になった。それが片山さつき氏である。
城内実氏は、郵政民営化に反対して、K首相の反感をくらった。

 つまり片山さつき氏は、城内実氏をたたき落とすために、中央から送り込まれた、刺客
ということになる。片山さつき氏は、財務省主計局主計官(防衛担当)を退官し、静岡県
7区から立候補した。

 私が住む、この選挙区で、である。

 その片山さつき氏について、倉田真由美氏(マンガ家)が、こんな気になる記事を書い
ている。

 『……片山さつきさんの地元代議士への土下座は、毒々しさすら漂っていた。謝罪では
ない、媚(こび)の土下座は見苦しいし、世間からズレている。未だに「ミス東大→財務
省キャリア」という自意識に浸(つ)かり、「謙虚」のケの字もわからないまま、「私が土
下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」と高を括(くく)る。

 そうしたバランス感覚の欠如も、いくら揶揄(やゆ)されても変えない髪型や化粧も、
自分が客観視できない、強すぎる主観の表れだ。

 「私いいオンナだから、これでいいの」という思い込みに対して、周りの人間も、もは
やお手上げなのだろう』(以上、原文のまま。雑誌「諸君」・05年11月号・P87)と。

 この記事の中で、とくに気になったのは、「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、
イチコロよ」という部分である。本当にそう言ったかどうかは、この記事を書いた、倉田
真由美氏に責任を取ってもらうことにして、これほど、頭にカチンときた記事はない。

 片山さつき氏が、どこかの席で、土下座をして、「当選させてほしい」と頼んだという話
は、当時、私も耳にしたことがある。しかしそのあと、東京に戻って、「私が土下座なんて
したら、この辺の田舎者は、イチコロよ」と話した部分については、私は知らなかった。

 何が、「田舎者」だ! 「イチコロ」とは何だ! しかしこれほど、選挙民をバカにした
発言はない。民主主義そのものを否定した発言はない。そういうタイプの女性ではないか
とは疑っていたが、片山さつき氏は、まさにその通りの女性だった。

 私たちが、田舎者? ならば聞くが、いまだにあちこちに張ってある、あのポスターは
何か? あれが都会人の顔か? あれが元ミス東大の顔か? 笑わせるな!

 もしこれらの発言が事実とするなら、私は片山さつき氏を許さない。片山さつき氏は、
まさに選挙のために地元へやってきて、私たち選挙民を利用しただけ。しかも利用するだ
け利用しておきながら、その私たちを、「田舎者」とは!

 そして先の選挙からちょうど1年になるが、片山さつき氏が、この1年間、この地元に
帰ってきて、何かをしたという話を、私は、まったく知らない。念のためワイフにも聞い
てみたが、ワイフも、「知らない」と言った。ワイフの知人も、「知らない」と言った。

 つまり、片山さつき氏は、選挙のために、私たちを利用しただけ。もっとはっきり言え
ば、自己の名聞名利のために、私たちを利用しただけ。

 しかしこれがはたして、民主主義と言えるのか? こんな民主主義が、この日本で、ま
かり通ってよいのか?

 ある日、突然、中央から、天下り官僚がやってくる。それまで名前のナの字も知らない。
もちろん地元のために、何かをしてきた人でもない。そういう人が、うまく選挙だけをく
ぐりぬけて、国会議員になり、また中央へ戻っていく! どうしてそういう人が、地元の
代表なのか?

 そののち片山さつき氏は、派手なパフォーマンスを繰りかえし、政界ではさまざまな話
題をふりまいている。しかしそれらは、あくまでも、自分のため。私たちの住むこの地元
の利益につながったという話は、まったく聞いていない。少なくとも、私は、まったく知
らない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」

 先の原稿は、2006年に書いたもの。
あの国会議員のパフォーマンスには、どこか不自然なものを感じていた。
そんなとき、雑誌「諸君」は、先の記事をあげた。
「田舎者」と。

 片山さつき氏の選挙区(つまり私の選挙区)は、浜松市の西に位置する。
半分程度は、浜松市内に隣接しているが、「田舎」といえば「田舎」。
しかしそれにしても、「私が土下座なんてしたら、この辺の田舎者は、イチコロよ」(片山さつき氏談)とは!

 ……この種の発言は、ときどき中央からこの地方まで、漏れてくる。
冒頭にあげた、「張りつけ発言」(小沢一郎氏談)も、そのひとつ。
中央集権意識がかなり強くなければ、こういう言葉は出てこない。
つまり「主体」は、東京にあり、地方はただの「借り家」?
視点が「上」にある。
地方を上から見ている。
だから下にある地元に、「張りつけ」?

 一方、地方に住む私たちは、そういう考え方をしない。
国会議員というのは、あくまでも私たちの住む地方を代表する議員。
「国会でがんばってきてほしい」とは言うが、「張りついてほしい」とは言わない。

 言葉の切れ端を問題にするつもりはない。
しかし全体としてみると、小沢一郎氏というのは、そういう人物だろうなということが、よくわかる。
失言というより、「しっぽ」。
まさに氷山の一角。
私にはこう聞こえた。

「土下座でも何でもして、また東京へ戻って来い」と。

●中央集権意識

 中央集権意識というのが、どういうものか。
それはアメリカやオーストラリアへ行ってみると、よくわかる。
とくにオーストラリア。

 もともとは州ごとに独立していた。
列車の線路の幅もちがっていた(1970年当時)。
だから首都をどこにするかで、もめた。
結果、シドニーとメルボルンの間にあるキャンベラに首都が置かれた。

 で、こんなことがある。
「♪ウォルチング・マチルダ」と言えば、だれもが知っているオーストラリアのブッシュ・ソングである。
しかし南オーストラリア州の人たちは、それを歌わない。
「浩司、あれはニュー・サウス・ウェールズ州(NSW)の歌だよ」と。

 「東京から来た」というだけで、何でもかんでもありがたがる田舎根性。
アホでもバカでもよい。
インチキでもよい。
それを知りたければ、年末恒例のディナーショーをみればよい。
少し大きなホテルになると、東京からタレントを呼んできて、ディナーショーを開く。

 一方、中央(東京)に住む連中は、みな、こう言っている。
「東京で有名になって、地方で稼げ」と。
私は若いころ、NETのアフターヌーショー(川崎敬三)や、11PM(水曜)の脚本を書いていた。
そのあたりの事情をよく知っている。

 その集約されたものが、「政治」ということになる。

●都会的優越感

 都会的優越感が、いかに幻惑であるかは、都会の中を走る電車に乗ってみればわかる。
私のいちばん記憶に残っているのは、京急久里浜線(神奈川県)に乗ったときのこと。
たしか三崎口(始発)というところから、横浜まで乗った。

 乗ったときは、ガラガラ。
まわりにはまだ田園風景も見られた。
が、4~5駅も過ぎると、ラッシュアワー時ということもあって、急に混み始めた。
ふつうの混み方ではない。
私はそれを見ながら、こう思った。
「このあたりの人たちは、毎日1時間も、こんな環境の中で過ごしているのか」と。
とたん、都会がもつ「幻惑」が、ガラガラと音をたてて崩れていくのを感じた。
私たち地方人のほうが、はるかに人間らしい生活をしている。

 が、都会に住んでいる人たちには、それがわからない。
「自分たちは地方に住んでいる人間より、(偉い)」と思い込んでいる。
馬鹿げた優越感だが、都会に住んでいる人にはわからない。
その理由のひとつが、「田舎根性」。
つまり田舎に住む私たち自身にも、責任がある。

●慇懃無礼

 現在、東京には友人は1人もいない。
親類もいない。
少し前までは、何人かいたが、仕事上のつきあいだった。
だからあえて、書く。……書ける。

 東京から来る人は、それなりに電話などで連絡をしてくる。
「それなり」というのは、「慇懃無礼(いんぎんぶれい)」という意味。
が、決まってこう言う。
「○○時○○分に、浜松駅へ着くから」と。

 その言葉の向こうで、「当然、浜松駅まで、迎えに来い」と。
いまだかって、「あなたの自宅へ、何時ごろ着く」と言った人は、1人もいない。
JR浜松駅から、私の自宅まで、タクシーで約25分。
料金は2000円とちょっと(2011年現在)。
この浜松市を、地図上の「点」としか考えていない。

 帰るときもそうだ。
いまだかって、「タクシーを呼んでください」と言った人は、これまた1人もいない。
が、その一方で、礼儀正しいのは、むしろオーストラリア人。
どう礼儀正しいかは、今さらここに書くまでもない。

●「地元に張りつく」

 恐らく東京に住んでいる人には、理解できないだろう。
「地元に張りつく」という言葉を聞いても、それを当然と思うかもしれない。
それ以前に、疑問にも思わないだろう。

 が、私はちがう。
この浜松市に住んで40年。
50歳になるころまで、浜松と東京の間を行き来しながら、仕事をしてきた。
だから東京に住む都会人がどのように考え、一方地方に住む「田舎人」がどのように考えるか、それがよくわかる。

 さいごに今朝の中日新聞に載った、放射線拡散の様子をシミュレーションした図を紹介する(気象研究所発表)。
3・11大震災のあと、3月19日と3月20日の拡散様子図である。

 ここで見てほしいのは、放射線の拡散した様子ではない。
いかにこの日本が小さいかということ。
こんな小さな国で、中央だの、地方だの言っていること自体、馬鹿げている。
それがわかってほしかったから、あえて紹介する。

img230.jpg

 ……改めて、日本が島国であることを知る。
本当に日本は、小さな国。
この図をじっとながめていると、それがよくわかる。


Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司
 
●映画『インモータルズ』

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今夜、映画『インモータルズ』を観てきた。
が、驚いたのは、観客。
観客は、私たち2人だけ。
(あの広い劇場で、私たち2人だけだぞ!)

3D映画で、アメリカでは大好評だったとか。
しかし私はあの手の映画は、見飽きた。
いつもパターンは同じ。

で、ほしはきびしいく、2つの★★。

で、再び、観客の話。
私たちだけということで、おしゃべり自由。
それが楽しかった。

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●浜松駅前

 駅前は活気を取り戻しつつある。
それは私にもわかる。
が、その一方で、駅(JR浜松駅)から歩いて数分も離れると、とたんに人影はまばらになる。
5分も歩けば、ザザ・シティというショッピング・センターにやってくる。
現在、中央館と西館が営業している。
しかし大理石のらせん階段をおりると、そこはスーパー。
たこ焼き屋に、いくつかの飲食店。
占いのコーナーもある。
少し前まで、100円ショップもあった。

 無残なのは、中央館。
1階ですら、人影はまばら。
2~4階は、まばらどころか、空き部屋だらけ。
エスカレーターで上がってくる人も、ほとんどいない。

 駅前にEデパートがオープンしてから、人足がさらに遠のいた。

●失敗の連続

 私が浜松に住むようになってしばらくしてからのこと。
そのザザ・シティのあったところに、西武デパートができた。
当初はたいへんなにぎわいようだった。
が、駅前に、イトーヨーカー堂ができた。
その前にJR浜松駅が大改修を行い、メイワンというデパートもできた。
とたん、西武デパートから人が去った。

 が、決定的だったのは、昔からあった松菱デパートの倒産。
駅とザザ・シティの中間あたりに位置していた。
その数か月前、つまり松菱デパートが倒産する数か月前、ザザ・シティと松菱デパートをつなぐ空中歩道を市が建設した。
空中歩道は、まったくの無駄づかいになった。
もちろん税金の無駄づかいである。

●ザザ・シティの不振

 今日も映画の帰りに、ザザ・シティの中を歩いてみた。
(映画館はそのザザ・シティの西館にある。)
が、今夜も、人影はほとんどなかった。
あやしげな雰囲気の男子高校生、女子高校生が、あちこちに数人ずつのかたまりをつくっていた。
それだけ。
1階には店が並んでいるが、客のいる店はなかった。

 ザザ・シティは、今、沈没しかかっている。

●行政不信

 考えてみれば、浜松市はおかしなことばかりしている。
たとえば駅前に巨大なビルを建てた。
アクトタワーというビルである。
が、フタをあけてみると、新規に外からやってきて事務所を開いた会社はゼロ(当時)。
みな、市内から、横滑りで入居していった。

 その結果、市内の貸しビルは、空き室だらけになってしまった。
不動産業を営んでいた友人(学生時代の同級生)は、こう言った。
「3分の2が空き室だ」(当時)と。

 それからもう12、3年になる。
その状況は、今も変わっていない。

 で、今回の駅前開発。
駅前に力を注げば注ぐほど、その直近にある外側のデパートや商店街から客足が遠のく。
市内へやってくる客の数は、ほとんど変わらない。
たとえば駅から歩いて1~2分のところにある、「べんがら横丁」は、今、3分の1ほどが店を閉めている。

 で、今度は、ザザ・シティ。
笛吹けど、(客は)、踊らず。
そのつど、いったいいくらの税金が無駄になっていることやら。

●発想の転換

 何度も書くが、「駅前は浜松市の顔」という発想を捨てる。
よくても、悪くても、浜松市の工業にはほとんど影響はない。
無理に活性化させようとしても、うまくいくはずがない。
それが世界の常識。
郊外に大型店があれば、なおさら。

 外国へ行っても、駅前はどこもガランとしている。
倉庫街の真ん中にあるところもある。
どうして日本人だけが、(浜松だけが)、駅前に、こうもこだわるのか。
そんな化粧をしても、見る人が見れば、わかる。
そういうのを「化けの皮」という。

●映画『源氏物語』

 まだ予告編しか観ていない。
映画『源氏物語』。
その予告編の中で、男女が接吻(=口と口の接吻)するシーンが出てくる。
まことにもって、生々しいシーンだが、ちょっと待った!

 平安時代の昔、日本人は、接吻などしただろうか?
私が子どものころですらなかった。
日本人が接吻をするようになったのは、戦後のこと。
アメリカ映画の影響とされる。
(つまり映画のもつ影響力には、ものすごいものがある。)
ときのGHQは、日本映画界に対して、1回はかならず接吻シーンを入れろという命令を出したとか。
昔、そんな風説を耳にしたことがある。

 そこであちこちを調べてみた。
この分野の研究は、みなが関心をもっているだけに、かなり進んでいる。
その中でも、「教えて、GOO」の中に、こんな記述があった。
そのまま一部を紹介させてもらう。

『……文献にも、平安初期の「土佐日記」に

「ただ押鮎の口をのみぞ吸ふ。この吸ふ人々の口を押鮎もし思ふやうあらむや」

船旅の途中、正月に祝い膳もなく、口吸いたい恋人もいないから、押し鮎を(彼女に見立てて)吸ってみたりしたよ。鮎も、口吸ってる相手(=人)の事を、愛しいと思ってくれるかなぁ~(笑)(私訳)

と言う記述があります』と。

 「ああ、日本にもあったんだ!」というところで、この話はおしまい。
しかし、だ。
日本人がこうまで接吻をするようになったのは、最近のことだぞ!
2011/11/17朝記
 

Hiroshi Hayashi++++++Nov. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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