●9月30日
【幼稚園児に方程式を教える】2011年9月30日
●はじめてのチャレンジ!
今日、幼稚園児を相手に、方程式を教えてみた。
私にとっても、はじめての試み。
おそらく、世界でもはじめての試みではないか?
「できるかな?」という心配と不安は、あった。
それもあって、レッスンの前、いつもになく緊張した。
気合いを入れた。
「やってやる!」という、意気込み。
それがないと、失敗する。
自分でも、それがよくわかっていた。
だから気合いを入れた。
入れながら、「ええい、ままよ!」と、レッスンを始めた。
一度、途中で「このあたりでやめて、ふつうのレッスンに
戻そうか……」と迷った。
しかし子どもたちのほうが、私を支えてくれた。
レッスンに乗ってくれた。
で、結果は、大成功!
めでたく最後まで教えることができた。
幼稚園児が、方程式を解くところまで、指導することができた。
うれしかった。
楽しかった。
またまた幼児のもつ能力のすばらしさに、驚いた。
これがあるから幼児教育は、やめられない!
今回は、高画質版で、YOUTUBEにUPした。
私にとっても、記念すべき録画となった。
(1)
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(4)
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Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司
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私の兄が、ボケたときのこと。
兄が67、8歳のときのことだった.
兄は、近所のあちこちで、おかしな行動を繰り返した。
植木鉢の葉を摘んでしまう。
小鳥を籠から逃がしてしまう。
ゴミを他人の家の隅に、捨ててしまう。
車のナンバープレートに落書きをする。
そのつど、近所の人たちから、苦情が届いた。
同じく、そのつど、私たち家族は身を切られるようなつらい思いをした。
それから7、8年。
今度は逆の立場になった。
私の近所に、少し頭のボケた人がいる。
あちこちで、おかしな行動を繰り返している。
近所といっても、私の教室のある地域でのこと。
たとえば道路脇にじっと立ち、私の教室の生徒が出入りするのを、見つめるなど。
男性。
75歳前後。
そのつど私は、「何か用ですか?」と声をかける。
声をかけたとたん、サッと振り向いて、去っていく。
こういうことが、ここ1、2年の間に、何回もあった。
が、そのたびに、私は兄のことを思い浮かべた。
黙った。
その男性……。
どこのどういう人か、よく知っていた。
20年ほど前には、ある時期、毎日のように会っていた。
が、断絶した。
私がその男性の信仰を批判したのがきっかけだった。
以後、私のところへやってきては、「林さん、あなたは地獄へ落ちる」と言った。
ほかにもいろいろあって、私はその男性から遠ざかった。
……というより、無視して、避けた。
それはともかくも、家族も、きっとつらい思いをしているにちがいない。
その気持ちはよくわかった。
が、とうとう、実害が現れるようになった。
その男性が、私の教室の前に立ち、生徒たちに声をかけるようになった。
ワイフにも、声をかけるようになった。
「林さんは、まだいるかね?」とか、「まだこの教室をやっているかね?」とか。
意味のない質問である。
よほど私のことが気になるらしい。
で、ワイフに相談すると、ワイフはこう言った。
「私たちだって、ああなるかもしれないから……」と。
つまり許してやれ、と。
やがてその男性を生徒たちが気味悪がるようになった。
「また、あのおじいさん、立っている!」と。
が、今回、つまり数日前、生徒に話しかけたのが、私は許せなかった。
私のことを、あれこれ、聞いていたという。
もちろん危害を加えるような男性ではない。
それはよくわかっていたが、私は電話した。
電話口に、その店の従業員が出た。
私は、最初は穏やかに、話した。
が、その従業員も、神経質になっていた。
あちこちで、何かのトラブルを起こしているにちがいない。
私が何かを言うと、即座に反論してきた。
「言っても、すぐ忘れます」「私が言っても、聞きません」とか。
すなおに「すみません」とでも言ってくれれば、私も救われる。
が、そう反論されると、こちらとしては、強く出るしかない。
「ともかくも、ですね、私の教室の前に立って、教室を見上げるような行為だけは、やめてください。
それと生徒に話しかけるのもやめてください。
生徒たちが気味悪がっています。
私が言いたいのは、それだけです」と。
相手の女性はまだ何か言いたそうだったが、私は、電話を切った。
気分はよくなかった。
兄のことがその男性にだぶった。
その従業員のつらさが、よくわかった。
……「明日は、わが身」。
ボケた人でも、温かく迎える。
迎えて、私たちの仲間に入れてやる。
それが理想。
それはよくわかっている。
わかっているが、現実は、そんなやさしくない。
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●32インチテレビ
昨夜、32インチ液晶テレビを買ってきた。
近くのショッピングセンターで、3万2000円前後で売っていた。
シャープのAQUOS。
現在、韓国のサムスン製の27インチモニターを使っている。
その替わりに、……ということで買ってきた。
モニターは大きければ大きいほど、使いやすい。
21インチより、27インチ。
27インチより、32インチ。
しかしテレビ用はテレビ用。
パソコンにつないでみたが、文字がどうも荒い。
いろいろ調整してみたが、どうも荒い。
そこでHDMIでの接続をあきらめ、アナログで接続してみた。
少し改善した。
しばらく、これで使ってみる。
【読者のみなさんへ】
★ パソコンには、パソコン用のモニターのほうがよい。
パソコンとパソコン用モニターを、デジタルで接続する。
ただし27インチまでは、安いものがあるが、それを超えると値段が4~5倍にはねあがる。
文字を打つときは、モニターは大きければ大きいほど、よい。
そのほうが疲れない。
●生き様
生き様を変更して、もう2年になる。
2年より、もう少し長いかもしれない。
それまでは「老後」を意識して、何かにつけ小さく生きようと心がけてきた。
「コンパクト」という言葉を使う人もいる。
「老後はコンパクトに生きるのがよい」と。
が、今は、ちがう。
「どうして小さく生きなければならないのか」。
歳を取ったからといって、小さく生きる必要はない。
死ぬまでの命。
その命に、年齢はない。
年齢制限もない。
死を意識して生きる必要もない。
死の準備をする必要もない。
年齢というのは、あくまでも数字。
今日できることは、今日、する。
懸命にする。
明日は、その結果としてやってくる。
●爽快感
たしかに体力は弱ってくる。
気力も弱ってくる。
それは、今、私が経験しつつある。
しかし一方、こんな喜びもある。
たとえば昨夜も、怠けた心にムチを打って、自転車にまたがった。
30分ほど、全力で走った。
家に戻るころには、全身、汗で濡れていた。
額からは、ポタポタと汗が落ちていた。
それは「運動した」という満足感より、「怠けた心を叩きのめした」という満足感。
もしあのとき、「今夜は疲れているから、運動をやめよう」と、やめてしまっていたら、今ごろは敗北感を味わっていたことだろう。
その敗北感が、不愉快。
それを知っているから、自転車にまたがる。
あえて自分にムチを打つ。
その爽快感。
その爽快感がたまらない。
●「週刊新潮」(10月6日号)
週刊新潮(10月6日号)を読む。
「大増税のその前に一言、言いたいことがある」という特集。
それを読みたかった。
内容は、
(1)国会議員の定数を半分にせよ。
(2)宗教法人に課税せよ。
(3)医師の優遇税制を見直せ。
(4)学校法人の減免措置を見直せ。
(5)公務員の天下りを見直せ。
(6)特別会計400兆円を見直せ、ほか。
一読したあと、「ホウ~」と、息だけが漏れた。
どれもすでに知っている話だが、だからといって、どうにもならない。
だれも動かない。
その前に、だれも怒らない。
だから何も変わらない。
言うなれば、こうした記事は「ガス抜き」のようなもの。
国民が日ごろ感じている不平、不満を、こうして週刊誌が代弁する。
それを読んで、私たちは、「これで何とかなる」という淡い希望をいだく。
あるいは「だれかが、何とかしてくれるだろう」という淡い期待をいだく。
つまりそのままこの問題を、自分から切り離してしまう。
だから「ガス抜き」。
その証拠に、こうした問題は、10年後も解決していないはず。
むしろ悪化しているはず。
賭けてもよい。
というのも、どの問題も、すでに20~30年前から、あった。
いまだに何一つ、解決していない。
解決していないばかりか、むしろ悪化した。
●コオロギ
昨日、山荘の庭で、コオロギを10匹ほど捕まえた。
成虫になる、やや前の大きさ?
それを今日、自宅へもってきて、自宅の庭へ、放した。
数年ごとにそうしているが、数年もすると、コオロギの数が減ってくる。
今年は、1匹しか、自宅の庭で鳴かない。
どこかさみしそう……。
ということで、10匹ほど、自宅の庭へ、放した。
例年だと、これから秋が深まるにつれ、にぎやかに鳴き出すはず。
楽しみ。
●プルトニウムの発見
福島第一原発の事故地から、45キロも離れたところで、放射性プルトニウムが発見されたという。
それについてNHKラジオは、簡単に事実を伝えたあと、「(たいへん重い)プルトニウムがそんなに遠くで発見されたことに驚いている」「改めて放射性物質が広く拡散されているのがわかった」などと、報道していた(2011年10月1日)。
しかしこれは、「?」。
放射性プルトニウムは、すでに4月の段階で発見されていたはず。
何かのニュースでそう知ったのを覚えている。
それに対して当時の枝野官房長官は、「重い金属なので、遠くへは飛びません」などと言っていたはず。
プルトニウムの比重は、約19。
たしかに重い。
しかしいくら重くても、微細であれば、風に舞って飛び散る。
大きさは、大腸菌ほど。
プルトニウムの毒性は、他の放射性物質の比ではない。
たった一個(大腸菌の大きさ)でも肺に入ると、そこにとどまって肺の細胞を破壊しつづける。
肺ガンを引き起こす。
つまり私のような素人にも、そんなことまでわかる。……わかるようになった。
が、NHKラジオは、その毒性にまでは言及しなかった。
本来なら、そこまで報道して、NHK。
で、その放射性プルトニウムはどこから来たか?
もちろん1号機や2号機ではない。
プルサーマル発電を試みていた3号機。
3号機から来た。
つまり3号機は、やはり爆発していた!
原子力発電事故で、最悪のことが起きたと考えてよい。
この先、どんな被害が出てくることやら。
それを考えると、ゾッとする。
「避難勧奨地区が、解除されました」と聞いて、喜んでいるばあいではない。
改めて原子力発電所、とくにプルサーマル発電所には、強く反対したい。
●おい、そこの老人! ずるいぞ!
老人たちよ、もっと声をあげよう。
もっと行動しよう。
死の待合室で、おとなしく椅子に座って並んでいてはいけない。
「自分さえよければ」と、小さな世界に閉じこもっていてはいけない。
私たちがすべきことは、今まで生きてきた「生」を、つぎの世代に還元すること。
藤沢市で塾の教師をしている池田英雄先生が、そう教えてくれた。
……私の知人の中に、55歳で退職、以後30年間、自分の家の庭いじりだけで過ごしている人がいる。
(この話は、本当だぞ!)
元国家公務員。
が、そういう生活を、けっして理想の老後生活と思ってはいけない。
この30年間を、1日にして生きてきただけ。
大切なことは、「還元する」こと。
でないと、私たち老人組は、やがて社会の粗大ゴミ程度では、すまなくなる。
廃棄物からじゃま物。
そうなったら、私たちの居場所すらなくなる。
私たちは私たちで、社会の中に、自分をしっかりと組み込んでいく。
近所の空地の草刈りでもよい。
ゴミ拾いでもよい。
そういう形で組み込んでいく。
で、そういう人たちの決まり文句は、ただひとつ。
「私たちは払った分を、返してもらっているだけです」と。
つまり在職中に支払ったお金を、年金として返してもらっているだけ、と。
しかしこんな話は、ウソ。
ウソであることは、みな、知っている。
もしそんな老人が、あちらにも、こちらにもいて、若い人たちの目に付くようになったら、私たちはどうなるか。
いや、若い人たちは、どう考えるようになるか。
それをほんの少しでも想像してみればよい。
それが私たちの近未来像ということになる。
さあ、老人たちよ、もっと声をあげよう。
もっと行動しよう。
死の待合室で、おとなしくしていてはいけない。
もう一度、「週刊新潮」を読んでみよう。
そこには、こうある。
(1)国会議員の定数を半分にせよ。
(2)宗教法人に課税せよ。
(3)医師の優遇税制を見直せ。
(4)学校法人の減免措置を見直せ。
(5)公務員の天下りを見直せ。
(6)特別会計400兆円を見直せ、ほか。
どれもこれも、私たち老人組が作った、悪習、悪法ばかり。
その責任を取るのは、私たち。
それとも、私たちは、死が近いことをよいことに、「尻をまくり、逃げて」よいのか?
自分だけ、こっそり、豊かな年金生活をしていてよいのか?
おい、そこの老人!
ずるいぞ!
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 鵠沼 池田英雄先生)
Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司
2011年10月1日土曜日
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