Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司
●電子名刺を作成してみました。
何の役に立つのか、まだよくわかりませんが、こうして張りつけておきます。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●しくまれた自由(尾崎豊「卒業」)からの解放
がんじがらめの規制と許認可、規則と資格。
生活のあらゆる部分にまで、それが浸透している。
私たち日本人はそんな中で、小さく、小さく、生きている。
小さく生きていることにすら気づかないまま、小さく生きている。
仮に小さく生きるにしても、キバまで抜かれてはいけない。
声をあげるときは、声をあげる。
行動するときは、行動する。
でないと、私たち日本人は、ますます小さくなってしまう。
見よ、万事、事なかれ主義で生きている日本人を!
見よ、「自分だけよければそれでいい」と考えている日本人を!
社会の歯車になりながら、歯車であるこにさえ気づかない。
またそれがあるべき、自分の姿と捕えている。
あの尾崎豊がそこまで意識していたかどうかは、知らない。
しかしそれこそまさに、「しくまれた自由」。
エセの自由。
その自由をもって、「私は自由」と思ってはいけない。
このままでは、この日本は、本当に押しつぶされてしまう。
日本の外へ一歩出れば、そこは怪獣と野獣の住む海千山千の世界。
おとなしく、穏やかで、お人好し……。
そんなヤワな人間が住める場所ではない。
自由とは、「自らに由る」という意味。
自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取る。
それを自由という。
権利と権限と資格にぶらさがり、人の後をついていくのは楽。
しかしそれは自由ではない。
さあ、あなたも、鎖を解いてみよう。
心を空に向かって解き放ってみよう。
そして声を出して、「私は自由だ」と叫ぼう。
体は、あとからついてくる。
Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司
●1・2人で、1人の老人
今朝のエッセーの中で、こう書いた。
『……この先何年かすると、1・2人の人が、1人の高齢者を支えなければならなくなるという(週刊現代)。
試算によれば、2050年以後。
逆算すると、現在、現在25~26歳の人が、65歳になるころということになる。
が、常識で考えても、不可能。
つまり満足な老人福祉など、とうてい不可能。
(現在の今でも、約2・6人の人が、1人の老人を支えている。)……』と。
今日は、一日中、この中の数字が気になった。
現在の今ですら、約2・6人の人が、1人の老人を支えている。
それがこの先(2050年)、約1・2人の人が、1人の老人を支えなければならなくなる。
2人の夫婦が、2人の老人を養う……というような単純な問題ではない。
医療費、介護費、生活費、すべてを含めて、1・2人に1人ということ。
が、そんなことは、常識で考えても、不可能。
実のところ私は、少子化が、そこまで深刻な問題をはらんでいるとは、知らなかった。
●老人はゴミの時代に
すでに老人はゴミの時代に入りつつある。
それがわからなければ、ネットの世界をのぞいてみたらよい。
年を追うごとに、私たち老人組に対する風当たりは強くなることはあっても、弱くなることはない。
辛らつな言葉も並ぶ。
が、もちろん私たちはゴミではない。
ゴミであってはいけない。
またそういう私たちを、もっと積極的に、社会に訴えていかねばならない。
こぢんまりと小さく生きるのが、あるべき老人の姿と思ってはいけない。
週刊現代誌を100%信ずるわけではない。
そこに出てくる数字については、この先、ゆっくりと検証してみたい。
しかし年金問題ひとつあげても、現在の65歳支給開始年齢は、70歳になる。
さらに75歳になる。
もちろん年金額は引き下げられる。
週刊現代誌によれば、「1人一律5万円になる」という(?)。
が、その額とて、「よくみて……」の話。
日本経済が崩壊すれば、さらに低くなる。
ハイパーインフレが襲ってくれば、それこそ「タクシーの初乗りが1万円」ということになる。
そうなったときの自分を、ほんの少しだけ、頭の中で想像してみればよい。
「私はどうなっているか」と。
●悲観論
が、現状は、どう見ても、おかしい。
保護される人は、徹底的に保護されている。
そうでない人は、孤独死、無縁死……。
そういう老人を見て、「自業自得」と言う人は、あなた自身がその自業自得の道を歩むことになる。
2050年といえば、あと39年後。
それまで一次曲線的に少子化は進む。
あなたの年齢に、+39を加えてみればよい。
もしその数字が、平均余命の約80歳を超えていれば、あなたはラッキーなほうだ。
そうでなければ、そうでない。
が、この問題は、「では、私たちは何のために生きているのか」という問題に直結してくる。
あるいはあなたは何のために生きているのか。
何のために生きてきたか、でもよい。
が、ひとつだけ、はっきりしている。
私たちはゴミになるために、生きてきたのではない。
……生きているのでもない。
●還元
老人よ、やがて老人になる人たちよ、私たちは自分の命を、社会に還元しよう。
そこにいて、小さく生きていてはいけない。
自分のことだけをしていてはいけない。
肉体労働が無理なら、あなたがもてる知恵や知識を、分け与えるだけでもよい。
自分たちの存在感を、もっと社会に訴えていこう。
つぎにつづく人たちに、「ゴミ」と言わせないために。
が、その還元に失敗すれば、私たちは本当にその「ゴミ」になってしまう。
またそう扱われたからといって、文句を言えなくなってしまう。
今まで私は「老後の統合性」を、私たち自身のためにと考え、説いてきた。
しかしそれでは足りない。
つまり自分のことだけをしていたのでは、いけない。
真・善・美の追求も結構。
が、自己満足で終わってはいけない。
「統合性」と「還元」。
この2つが融合したとき、はじめてそれが私たちの「生きがい」につながる。
またそうであってこそ、私たちはつぎの世代の人たちの支持を集めることができる。
さあ、あなたも勇気を出して、私たちが残してきた負の遺産を、精算しよう。
若い世代に残すべきものと、残してはいけないものを区別し、残していけないものについては、精算しよう。
それは私たちの責任でもある。
改革の第一。
不公平社会の是正。
とりあえずは、この一言に尽きる!
Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。