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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10月 28日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【米アップルの共同創業者、スティーブ・ジョブズ会長の死去について】
●ジョブズ氏の死
私のBLOGには、毎日、いろいろなコメントが寄せられる。
その中でも、気になったのがいくつかある。
たとえば昨日、アップル社会長のジョブズ氏の死について書いた。
その中で、私は、ジョブズ氏のことを、「うまく時流に乗っただけ」「運がよかっただけ」
と書いた。
この部分が、ネット・ユーザーの反発を買った。
しかし事実を、ここに書く。
年代は忘れた。
しかし順番は、よく覚えている。
私は毎週のように、その店に足を運び、今で言うパソコンと遊んでいた。
私が27、8歳のときのことである。
●ムーンベース
浜松の北に、一軒の小さな店がオープンした。
「ムーンベース」という名前だった。
間口が、2~3間しかないような、小さな店だった。
入ると、数台のパソコンが並んでいた。
奥にもう一部屋あったように記憶している。
その店に、まず最初に並んだのが、TOSHIBAのTK-BSという、パソコンだっ
た。
パソコンというより、内部基盤むき出しの電子製品だった。
(そのため「ワンボードマイコン」と呼ばれていた。)
それにマシン語で、プログラムを打ち込む。
表示は1行だけの、今の電卓風のものだった。
私は迷わず1台購入したが、番号(命令)を覚えるだけで、たいへん。
ギブアップ。
が、そのあとすぐ、コモドール社から、PETというパソコンが売りに出された。
そのすぐあとにタンディ社という会社から、専用モニターに画像を映すパソコンが発売さ
れた。
(「タンディ・ラジオシャック」と呼んでいたように記憶しているが……。)
私はそのPET社の(PET2001)を購入した。
ムーンベースは、当時、浜松では、たった一軒のパソコンショップだった。
そのムーンベースで、最初にPETを買ったのは、私。
(そのあと、店の主人が、「浜松で3台売れた」というような話をしたのを、記憶のどこか
で覚えている。)
PETは、BASIC言語で、プログラムを打ち込むことができた。
たいへん珍しいパソコンで、東京のG社(出版社)から、うわさを聞きつけ、編集者がわ
ざわざ取材に来たほど。
私は毎晩、仕事から帰ると、そのパソコンを相手にプログラムを打ち込み、遊んだ。
●アップルの登場
私はPETを、33~4万円(当時)で購入した。
TK-BSについては記憶は定かではないが、それでも8~9万円くらいではなかったか。
この日本では、アップル社のパソコンが登場したのは、その後のことである。
「Apple ?」というのが、それで、値段は、42~5万円だったように記憶してい
る。
厚みはあったが、平べったい、箱のようなパソコンだった。
りんごのロゴが、印象的だった。
が、私はタンディ社のパソコンのほうに興味があった。
青いモニターに、白い点で文字を表示することができた。
PET2001より、画面がはるかに大きかった。
キーボードも打ちやすかった。
それが魅力的だった。
言い忘れたが、当時この日本には、日本語(カタカナ)表示できるパソコンは、まだなか
った。
アップル社のパソコンは、PETと比べても、ダントツに性能がよかった。
それは記憶しているが、値段が高くて、買えなかった。
たった今、念のため……と思い、タンディ社のパソコンについて調べてみた。
ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
『1977年8月3日、タンディ TRSー80 Model !) が発表された。
これがタンディ社がホームコンピュータ市場に参入し、コモドールPET 2001や
Apple IIと対抗するきっかけとなった。
価格は599ドルで、当時のラジオシャック店が扱っていた中では最も高価な製品だった。
同社はコンピュータの市場に入ることが出来るのか確信を持っていなかったため、とりあ
えず3000台を製造し、もし売れなかったら3000ある各店舗の業務に使用する予定だった。
タンディは最初の一ヶ月で1万台を販売し、一年で5万5000台を販売した。
1981年1月に販売終了するまで、Model!) は 25万台も売れた』と。
●PET2001
こうしてウィキペディア百科事典を読みなおしてみると、当時のパソコンの流れが、整
理できて、おもしろい。
やはりコモドール社のPET2001のほうが、先だった。
Apple ?が、出てきたのは、そのあと。
が、ムーンベースでは、入り口のところに、タンディ社のパソコンが、誇らしげに飾って
あった。
専用のモニターつきで、キーボードもかっこよかった。
あのときのあれが、「TRSー80」だった。
……と、今、その名前を思い出した。
私は、アップル社のパソコンより、タンディ社のパソコンがほしかった。
が、迷っているうちに、日本のシャープが、この世界に参入してきた。
NECも参入してきた。
私はそれらをつぎつぎと買い換えていった。
(アップル?と、TRS-80は購入していない。)
ウィキペディア百科事典には、PET2001について、こうある。
『……世界初のオール・イン・ワン ホームコンピュータPET 2001である。
メモリ(RAM)は 4Kバイトか8Kバイトであり、基本的にはKIM-1の新たなディスプレイ
用チップ (MOS 6545) を加えて、内蔵モノクロディスプレイ(40×25文字表示)を駆動し
た。
画面にはキャラクタ表示しか出来ないが、1キャラクタを縦横各2分割した16パターンの
図形キャラクタを持ち、それを画面に並べることによって80×50ドットの疑似グラフィッ
クス表示をすることができた(キャラクタグラフィックス)。
また、データ記録用のカセットテープレコーダーもキーボードの横に装備していた。PET
2001は、1977年9月ごろ出荷を開始した』と。
「1977年出荷」とあるから、私が30歳のときということになる。
しかしそれはおかしい(?)。
あるいは私の記憶違いによるものなのか。
私は今まで、私が27~8歳のときにPET2001を購入したと、記憶していた。
ついでにAPPLE ?については、ウィキペディア百科事典には、こうある。
『……Apple IIの販売台数は 1978年に7,600台、1979年に35,100台、1980年に78,100
台、1981年には約18万、1982年に約30万台と毎年倍々に増加し、
パーソナルコンピュータの普及に貢献すると共にアップルコンピュータ社の礎を築いた。
Apple IIの生産は1993年まで続き、総計500万台が生産された』と。
1977年から78年。
たった2年!
私にはその2年間が、長い年月だったように思われる。
その間に、パソコンの世界は目まぐるしく変化した。
ともあれ私が言いたかったのは、「ジョブズ氏がいなかったら、パソコンはなかった」(某
誌氏コメント)というのは、まちがいということ。
もしあのとき、コモドール社やタンディ社が、そのまま売り上げを伸ばしていたら、ジ
ョブズ氏はいなかったということになる。
ここにもあるように、タンディ社のTRS-80は、25万台。
アップル?は、500万台。
その結果、ジョブズ氏は、アップル社のジョッブズ氏になった。
その点、Basic言語を開発し、WINDOWを開発した、マイクロソフト社のビル・
ゲーツ氏とは、一線を画すものである。
だから私は、こう書いた。
「時流に乗っただけ」「運がよかっただけ」と。
が、私の意見に対して、怒りを覚えるのは、少し待ってほしい。
●日本の遅れ
当時の私は、毎日がもどかしくてならなかった。
NECもTOSHIBAも、さらにFUJITSUも、大型のコンピューターを製造して
いた。
その気になれば、ホームパソコン(当時は、そう呼んでいた)など、簡単に製造できたは
ず。
日本の電子技術のほうが、はるかに進んでいた。
が、私が知るかぎり、(当時、私がもった印象では)、日本の会社は、お高くとまったまま。
何も動こうとしなかった。
そのうちシャープがオールインワン(PETの類似型)のパソコンを売り出し、NEC
は独自のOSをもった、8000シリーズを売り出した。
しかしそのときには、すでに世界の勝者は決まっていた。
ついでながら、私はあのシャープが発売した、MZ-80についても書いておきたい。
(TOSHIBAやFUJITSUではない、弱電メーカーのシャープだったという点に
も注目!)
使ったのはわずかな期間だったが、(……というのもそのあとすぐ、NECのPC8001
に乗り換えたので)、よいパソコンだった。
デザインも、日本人向けだった。
で、たった今、そのMZ-80について調べてみたが、1978年発売とある。
またPC8001については、翌年の1979年発売とある。
つまり1977~79年は、まさにパソコンの黎明(れいめい)期。
今から思うと、そんな感じがする。
●日本が敗れる
パソコンの世界で、日本がアメリカに敗れた理由は、私が知るかぎり、2つある。
ひとつは、NECの98(OS)に代表されるように、日本人は日本製にこだわりすぎた。
「日本で勝てば、世界の勝者になれる」と思い込んでいた。
そんな奢(おご)りがあったのではないか。
それは私自身の個人的な経験とも重なる。
私はIBM仕様のパソコンがすでに世界制覇を成し遂げたあとですら、まだNECの98
にこだわっていた。
で、結果は、ご存知の通り。
IBM仕様のパソコンに乗り換えたとき、私の家の中には、8000シリーズ、9000
シリーズのパソコンが、4~5台、まだそのまま残っていた。
もうひとつは、お馬鹿な政治家たちに、未来を見通す力がなかったこと。
パソコンより、土木事業ばかりに力を注いでいた。
はっきり言えば、知的能力に欠けていた。
OSの開発においても、アメリカから圧力が加わると、即座にそれに従った。
まさにアメリカの言いなり。
東大の坂村健氏が開発したBTRONなどもその一例※。
当時の私はこんなふうに思った。
「あの田中角栄さんに、ベーシック言語を教えるのは不可能だろうな」と。
ともあれ、今が、その結果。
もし私たちがアメリカ人なら、ジョブズ氏を称えるのもよいだろう。
たしかにアメリカ人にとっては、英雄。
しかし日本人の私たちが、ジョブズ氏を称えて、どうなる?……どうする?
「ジョブズ氏は時流に乗っただけ」と書いた私を叩いて、どうなる?……どうする?
中には、「ジョブズ氏のいないパソコンの世界は考えられない。ジョブズ氏の死を心から悼
む」(日本人)というようなことを、書いているBLOGまであった。
すばらしい人物であったことは認める。
しかし、そこまで。
そこでSTOP!
……ということをわかってほしかったから、この原稿を書いてみた。
私たちは、そのジョブズ氏との戦いに敗れた日本の日本人。
アメリカは国策として、ジョブズ氏らを応援した。
それを忘れてはならない。
ついでながら日本の政治家たちのお馬鹿ぶりは、これだけではない。
つぎの原稿も、ぜひ、読んでみてほしい。
Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司
【デジタル教科書について】2010年に書いた原稿より
【デジタル教科書】(どうして時代の流れに反対するのか?)
+++++++++++++++
昨日(2010年12月17日)、書店に
立ち寄った。
驚いた。
デジタル教科書など、時代の
常識と考えていた。
が、そこにはズラリと、
「デジタル教科書・反対論」なる
タイトルの書籍が、並んでいた。
平積みではない。
棚に、同じ本が、表紙を前に、
10冊前後ずつ、並んでいた。
かなりの威圧感があった。
が、即座に私の脳みそが反応した。
デジタル教科書に反対?
これはどういうことなのか?
どうしてデジタル教科書に、
反対なのか?
隣の韓国では、2011年の4月から、
すべての学校でデジタル教科書が
使われるようになるという(報道)。
それが時代の流れなら、デジタル教科書
に反対する理由などない。
近未来の学校教育を想像してみればよい。
「紙」を使った、現在の教科書の
ほうが、時代遅れ。
地球温暖化防止を理由にするまでもない。
++++++++++++++++
●SONYのPSP
私は現在、SONYのPSP(電子ゲーム機器)を使って、遊んでいる。
「モンスター・ハンター2G」(通称「モンハン」)。
現在、「3G」が発売になっている。
が、「2G」だけでも、精一杯。
買って、もう10日になるが、いまだに初期ステージの村で、うろうろしている。
そのゲーム。
子どもたちの心を捕らえて放さない。
ゲーム機器を見せただけで、目の色を変える。
PSPをもっているというだけで、私はみなの人気者になってしまった。
毎日のように子どもたちがいろいろなソフトを見せてくれる。
ゲームの仕方を教えてくれる。
おとといは(15日)は、ゲームを無線LANでつないで、たがいに対戦する方法
を教えてもらった。
私はそういう子どもたちを見ながら、どうしてこういう機器を、教育に
もっと利用しないのか、と考えた。
●パソコンの世界
パソコンを使っていない人に、いくらそのすばらしさを説明しても無駄。
理解すらできない。
しかしパソコンがそこにあり、ネットにつながっているということは、
座右に、巨大な図書館があるようなもの。
しかも司書つき。
最近では、私は語句の使い方まで、検索をかけて調べるようになった。
辞書がわりにもなる。
そのパソコンの世界は、まさに日進月歩。
たった10年前には、10GBのハードディスクの出現に目を丸くした。
それまでは「メガバイト」の時代だった。
それがやっと「ギガバイト」の時代になったと思っていたら、友人から電話。
「台湾製だが、10GBのパソコンが出た。買わないか?」と。
私は、すぐとびついた。
今では、デスクトップパソコンともなると、1TB(1000GB)
は当たり前。
2TBの時代になりつつある。
搭載するメモリーについても、そうだ。
現在私が使っているデスクトップは、12GBのメモリーを搭載している。
仮に1TBもあれば、全世界の全学年の教科書を丸コピーしても、おつり
がくるはず。
しかしそんな必要はない。
ネットでつなげば、その?億倍の情報を、居ながらにして、自分のものに
することができる。
私など、この数年、ほとんど図書館へ行っていない。
それまでは毎週のように、図書館へ通っていたが……。
これが時代の流れ。
●可能性
デジタル教科書の是非を争っても、意味はない。
というのも、デジタル教科書そのものが、無限の可能性を秘めている。
すでに紙のようにペラペラと曲がるモニター(表示装置)も開発されている。
その気になれば、現在使っている教科書とそっくり同じよな教科書も作る
こともできる。
どうしても……ということなら、それも可能。
(そんな必要はないと思うが……。)
が、そこで進歩が止まるわけではない。
デジタル教科書といっても、将来的には、かぎりなく薄く、軽くなる。
さらに学校と子どもを、デジタル教科書を介して、直接つなぐことも可能。
もし「性能がよすぎる」というのであれば、いくらでもダウンサイズできる。
大は、常に小を兼ねる。
反対派の人たちは、「無駄になる」というようなことを言っているようだ。
そういう話は聞いたことがある。
どうして?
たとえばもっともシンプルにデジタル教科書を考えてみよう。
(1)教科書を、SDカードのようなものにコピーする。
あとはそのSDカードを学年ごとに、差し替えればよい。
子どもたちは、何冊も教科書をもって歩く必要はない。
(2)全国の教師が、自作のテキストやワークブックを共有する。
それだけでも、膨大な情報量になる。
いいことづくめで、悪いことは何もない。
どうしてもっとシンプルに、ものごとを考えることができないのか。
●反対論者
私は私で、白紙の状態から、この問題について考えたかった。
どういう理由で反対しているのか、今の段階では、私にはわからない。
しかしこの問題を考えるとき、ひとつの大きな問題をクリアしなければならない。
それが「知識と思考」の問題。
この先、知識は、かぎりなく価値を失う。
知りたいことがあれば、パソコンを使い、その場で知ればよい。
言い換えると、「もの知り」は、お呼びではない。
その半面、「思考」が重要な意味をもつようになる。
わかりやすく言えば、「自ら考える子ども」。
「自ら考える人間」。
考えるということは、そこにある事実を加工、分析、さらに論理的に
積み重ねることをいう。
その意識、つまり教育に対する考え方を、基本的な部分で、まず変えなければ
ならない。
すでに多くの大学では、「辞書、参考書、持ち込みOK」という入試方法を
とっている。
(AO入試方法については、学力の低下を理由に、見直す大学がふえているのも
事実だが・・・。)
つまり「学校教育イコール、知識教育」という、旧態の固定観念を捨てる。
「知識」にこだわるかぎり、便利すぎる文明の利器は、人間をかえって怠惰にする。
それはそうだが、暗記に始まって、暗記に終わる現在の教育システムが、だれも正常
とは考えない。
●過去
少し話を過去に戻す。
戦後のある時期までは、日本の電子機器は、世界をリードしていた。
が、それは今では、当時の面影は見る影すらない。
ほとんどの分野を、とくに韓国、台湾に奪われてしまった。
コンピューター教育にしても、しかり。
なぜに、現在の韓国があり、台湾があるか、それを考えてみればよい。
日本が二の足を踏んでいる間に、彼らは、小学レベルから、コンピューター教育を
始めた。
オーストラリアでさえ、現在34歳の二男が11歳だったから、23年以上も前から、
小学レベルでコンピュータ教育をしていた(南オーストラリア州)。
私が目撃した。
さらにアメリカでは、10年以上も前から、しかも4歳児からコンピューター教育を
していた。
私が目撃した(アーカンソー州)。
が、この日本では、「教員がいない」「教員資格がどうの」「教授を育てるまでに
20年」「カリキュラムが定まらない」などという、理由にもならない理由を並べて、
結局、コンピューター教育は実現しなかった。
少し乱暴な意見に聞こえるかもしれないが、まず、やってみること。
多少の試行錯誤はあるかもしれない。
失敗もあるだろう。
しかしそんなことを恐れていて、何ができる?
●否定派
……という段階で、今朝、反対派の人たちが、どんな理由を並べているか、調べて
みた。
書店にあった本を書いた著者のHPを開いてみた。
そこには、同じようにズラリと、いろいろな人が反対意見を並べていた。
それを箇条書きに、整理してみる(以下、池田信夫氏のウェブサイトより)。
(1)同じような話は20年前からあった。
当時の文部省は、BTRONという日の丸パソコンを全国に配布しようとしたが、
失敗した。
(2)ソフトバンクが、全国2000万人の学生と教員全員に、無料でiPadを
配布すると宣言した。
実態は、デジタル教科書のリース料(ひとり月額280円)を子ども手当てでまかなおう
というもの。
これは税金の食い逃げ。
(3)英語教育ひとつとっても、北朝鮮に負けるような状態。
英語のできない教師をクビにすることもできない。
こんな状態で、生徒に端末を配っても無駄。
(4)ハコモノのばらまき行政では、何も解決しない。
まずやるべきなのは、非効率な教育システムをITで合理化し、無能な教師や
不要な事務員を削減すること。
教育バウチャーなどによって、学校間の競争を導入すること。
(以上、池田信夫氏のウェブサイトより)
●順に検討してみよう
(1)同じような話は20年前からあった。
当時の文部省は、BTRONという日の丸パソコンを全国に配布しようとしたが、
失敗した。
★20年前というと、コンピューターの世界では、やっとラップトップ・パソコンが
TOSHIBAから発売になったころ。
そんなとき、今と同じデジタル教科書の話があった?
少なくとも私は知らない。
(なおBTRONについては、池田氏は誤解している。後述。)
私はそのころ東京の秋葉原まで二男を連れて行き、その1台、買った。
値段は40万円を超えていた。
そんな時代の失敗を、今、どうして持ち出すのか?
(2)ソフトバンクが、全国2000万人の学生と教員全員に、無料でiPadを
配布すると宣言した。
実態は、デジタル教科書のリース料(ひとり月額280円)を子ども手当てでまかなおう
というもの。
これは税金の食い逃げ。
★280円なら、安い!
280円x12か月x12年=40320円。
リースだから、12年後には、さらにすぐれた機能をもった端末機が、現れるはず。
子ども手当てだけも、じゅうぶん、おつりがくる。
教科書会社は巨億の利権にぶらさがり、好き勝手なことをしている。
教科書会社ならよくて、どうしてソフトバンクだと、だめなのか。
(3)英語教育ひとつとっても、北朝鮮に負けるような状態。
英語のできない教師をクビにすることもできない。
こんな状態で、生徒に端末を配っても無駄。
★どうしてここで「英語」が出てくるのか。
「英語教育をやめて、論語を読ませろ」と主張する学者も多い。
英語ではなく、数学や理科では、どうしていけないのか。
英語という「言語」教育であれば、英会話ができる・できないは、つぎの問題。
それに今どき、英語の話せない英語教師はいない!
いつの話をしているのか。
現に今、税金の食い逃げをしている教科書会社を、どうして問題にしないのか?
(4)ハコモノのばらまき行政では、何も解決しない。
まずやるべきなのは、非効率な教育システムをITで合理化し、無能な教師や
不要な事務員を削減すること。
教育バウチャーなどによって、学校間の競争を導入すること。
★教育は、能率だけではできない。
「カリキュラム」という言葉を使って反対する人も多い。
しかし教育は、カリキュラムどおりには、進まない。
相手は、子どもという「人間」である。
そのときの様子をみて、臨機応変に対処する。
それが教育である。
また「無能」という言葉を安易に使ってほしくない。
同じ公務員の中でも、もっともハードな仕事を強いられているのが、学校の教師。
1週間の間に、「空き時間(=休み時間)」が、カリキュラム通りだと、1~2時間
しか取れない。
それを教師たちがみな、たがいにやりくりしあって、3~4時間にしている(静岡県)。
「無能」という言葉を使うなら、まず自分でやってみること。
●「やらまいか精神」
浜松に住むようになって、40年。
当初、この浜松へ来て、驚いたことが2つある。
ひとつは、「文化」の「ブ」の字も感じなかったこと。
おそろしく文化の低い町と思った(失礼!)。
たとえば私が学生時代を過ごした金沢では、毎週のように近くの公民館で、
講演会があった。
大学やその道の専門家が、町の人たちに何かの講演をしていた。
夕方になると、あちこちから三味線や謡(うたい)の音や声が聞こえてきた。
祭りともなると、城内の大学生が率先して参加していたし、コンサートも頻繁に
行われていた。
浜松には、静岡大学の工学部もあったが、学生の「臭い」すら、どこにもなかった。
しかし、この話は、今回のテーマには関係ない。
もうひとつは、「やらまいか精神」。
無責任と言えば、無責任。
無謀と言えば、無謀。
しかしこの浜松の人たちは、何でも新しいものが、好き。
当時私はいくつかの会社を回りながら、貿易の手伝いをしていた。
社内報も書いていた。
そんなとき私が何か新しいことを提案すると、経営者たちはみな、即座に、
「やらまいか(やってみよう)!」と答えてくれた。
ポンと言えば、ポンと返ってくる。
そんな感じだった。
これを称して「やらまいか精神(魂)」という。
金沢は何かにつけて、保守的。
それに対比して、浜松は何かにつけて、革新的。
今では、そうした土着性はともに、かなり薄められてしまったが、なくなってしまった
わけではない。
逆算すると、50年前には、その「やらまいか精神」は、もっと強かった。
100年前には、もっと強かった。
だからこの浜松から、HONDAが生まれ、SUZUKIが生まれた。
YAMAHAが生まれ、KAWAIが生まれた。
ROLANDもうまれた。
ホトニクスも生まれた。
ついでにあの豊田左吉も、この浜松(浜名湖の西)で生まれ育っている。
TOYOTAの豊田左吉だぞ!
もしこの浜松がなかったら、その後の、そして現在の日本はなかった!
●BTRON
日本全体が、今風に言えば、草食系になってしまった。
おとなしく、万事、事なかれ主義。
池田信夫氏のウェブサイトを読んでいると、それを強く感ずる。
BTRONの話が出たので、ついでに一言。
BTRONというのは、東京大学の坂村健氏によって開発された、ビジネス向き
OS。
(デジタル教科書の話ではなく、OSの話だぞ!)
当時日本には、アップルのOSのみがあり、Windowsは、まだ実用段階には
入っていなかった。
それで時の政府が、BTRONに目をつけ、全国の学校を基盤に普及させようとした。
が、これに「待った!」をかけたのが、時のアメリカ政府。
「スーパー301条」の適応をちらつかせ、それを抑え込んでしまった。
池田氏が言うように失敗したのではない。
日本が二の足を踏んでいるちょうどそのとき、アメリカによってつぶされてしまった。
またBTRONは、OS(オペレーティング・システム)の話であって、今回の
デジタル教科書の話とは、まったく関係がない。
BTRONが失敗したから、今度も……という主張には、無理がある。
池田氏は、デジタル教科書とBTRONの失敗(?)を、たくみにすりかえている!
一方、この日本でもコンピューター教育の動きはあった。
やはり20年ほど前のことである。
それを全国に普及させようとしたのが、時の通産省。
反対したのが、時の文部省。
失敗したのでは、ない。
その理由は、先に書いた。
再度、平たく言えば、「教員免許をもった工学系の教師がいない」「教員免許をもたない
教師は、教壇に立たせるわけにはいかない」「コンピューターの指導資格をもった
教員を育てるためには、教育学部に、その学部を作らねばならない。そのためには、
20年かかる」と。
●終わりに
あのとき、BTRONを全国に普及させていたら、その後の日本は大きく
変わっていただろう。
日本には電子産業の分野で、世界をリードする底力があった。
現にアメリカにさえ、一歩も二歩もリードしていた。
もしあのとき、日本がコンピューター教育を推進していたら、その後の日本は
大きく変わっていただろう。
今ごろ世界中のコンピューターで、BTRONが活躍していたかもしれない。
少なくとも韓国や台湾に、遅れを取ることはなかった。
今や日本の電子産業は、風前の灯火(ともしび)。
今では国民1人あたりの所得では、シンガポールに抜かれてしまった。
2025年には、韓国にも抜かれる。
どうして「やってみないのか!」。
それがわからなければ、40年前の映画、『2001年、宇宙の旅』を観てみる
ことだ。
あの映画の中に、紙製の本でも出てくれば話は別。
近未来の世界というのは、そういう世界。
どうして今、紙製の教科書にこだわるのか。
その理由が、まったく私には理解できない。
迷っているヒマはない!
デジタル教科書は、いますぐ軌道に乗せたらよい。
何を迷っているのか!
「まず、羽ばたけ。体はあとからついてくる!」。
このつづきは、またあとで書いてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 デジタル教科書 電子教科書 教科書のデジタル化)
池田信夫氏のサイト
http://agora-web.jp/archives/1065328.html
Hiroshi Hayashi++++++Oct. 2011++++++はやし浩司・林浩司
【こういう議論は、疲れる!】(ジョブズ氏の死についての原稿・PART3)
●どうして追悼番組?
Apple社の会長、ジョブズ氏についての原稿を書いた。
「時流に乗っただけ」「運がよかっただけ」と。
その私の原稿に対して、「偉そうなことを書くなら、自分でやってみろ」と、
そんなコメントを書いてきた人がいた。
ジョブズ氏は、ネットの世界では神様のような存在である。
それは知っている。
わかっている。
が、「追悼番組」(N動画)まで、流す必要はない。
それがわからなければ、1978~9年時の、
パソコン黎明期を思い出してみればよい。
日本のメーカーは、つぎつぎと敗退していった。
まさにAPPLEのひとり勝ち。
(日本ではともかくも、世界ではそうだった。)
前回の原稿(PART2)では、その当時の様子を詳しく書いた。
●ジョブズ氏は、アメリカ人
が、忘れてはいけない。
APPLE社は、アメリカの会社である。
日本の会社ではない。
ジョブズ氏は、その会社の会長。
アメリカ人である。
どうしてその会社の会長の死を、私たち日本人が
悼まねばならないのか。
さらにわからなければ、こんなふうに考えてみればよい。
リッター30キロというハイブリッド車を生み出したのは、
日本のTOYOTAである。
ハイブリッド社のおかげで、排出二酸化炭素の量は、ずいぶんと減ったはず。
もしここでTOYOTAの豊田S氏が亡くなったとしたら、
アメリカ人は、追悼番組など、流すだろうか。……流してくれるだろうか。
だれかがアメリカで、豊田S氏を批判したら、
そのだれかを、べつのだれかが批判するだろうか。
●私は国粋主義者ではない
私は国粋主義者ではない。
ただの日本人である。
しかしAPPLE社のジョブズ氏を称える人たちは、
自分たちをいったい、何人と思っているのか。
が、ネットの世界は、たいへん異質な世界である。
現実離れしている。
たとえばテレビゲームを批判しただけで、猛烈な抗議の嵐が、襲ってくる。
「ゲーム脳」という言葉を使っただけでも、そうだ。
中国や韓国では、ゲーム中毒の若者たちの更正施設までできている。
が、日本には、ない。
日本にはゲーム中毒の若者はいないということなのか?
少し脱線したが、言い換えると、ネットの世界で、ネットにハマっている人たちは、
「ネット人」であって、日本人ではない。
そう言い切ってもおかしくないほど、私を攻撃してくる人は、
私が住んでいる世界とは、異質の世界に住んでいる。
●「ぼくは欧米人だ」
そう言えば、現在、20~30代の人たちが小学生だったころのこと。
私はある日、その小学生たちにこう言った。
「君たちは、何人か?
アジア人か、欧米人か?」と。
するとほとんどの子どもたち(全員)は、こう答えた。
「欧米人に近い日本人」と。
「欧米人」とはっきりと答える子どもも、少なくなかった。
そこで私が「君たちは、アジア人だよ」と言うと、「ぼくたちは
アジア人ではない。肌も白い」と。
これについては、その当時出版した本の中でも書いた(「受験に克つ子育て法」)。
その当時、そう考えていた子どもたちが、今、20代、30代の若者
になっている。
行きすぎた民族主義には反対する。
危険な思想と断言してもよい。
しかしその反対に、ここまで無国籍人間になるとは?
「ネット人間」と呼ばれる人たちは、そういう人たちをいう。
●頭を冷やそう
今、中学生や高校生に、こう聞いてみたらよい。
「北朝鮮が日本へ攻めてきたら、君たちはどうする?」と。
するとやはりたいはんの子どもたちは、こう答える。
「アメリカが叩いてくれる」とか、「アメリカに頼めばいい」と。
これはウソでも誇張でもない。
私は、毎日、そういう中学生や高校生に、仕事上、接している。
が、どうしてアメリカが、アメリカ人の命をかけて、日本を守らなければならないのか。
反対に、アメリカとメキシコが戦争を始めたばあい、日本の軍隊は、アメリカまで行って、
アメリカを助けるのか。
オメデタイというより、バカげている。
日本人よ、日本の若者たちよ、頭を冷やせ。
もう少し自分たちの姿を冷静に見ようではないか。
私たちは日本人だぞ。
日本に住む、日本人だぞ。
君たちは、飽食とぜいたくの中で、自分の本来の姿を見失ってしまっている。
●12時間で、20万台!
ロイターは、つぎのように伝える。
『……米アップルの高機能携帯端末(スマートフォン)「iPhone(アイフォーン)」
の新機種「4S」について、予約販売開始後の12時間で20万台以上の注文が入ったと
し、「桁外れの需要」があると明らかにした」と。
12時間で、20万台!
結構な話である。
まことにもって、うらやましい話である。
日本人の中にも、「4S」に飛びついた人は、多いはず。
が、それはそれ。
が、私たち団塊の世代は、ちょっとだけだが、別の考え方をする。
一線を引く。
「どうして日本のメーカーには、それができないのか」と。
「ただアメリカの成功を指を食わえて見ているだけなのか」と。
さらに言えば、「あの電子立国だった、日本は、どこへ消えたのか」と。
その(別の……)という部分が、今回の私の原稿の趣旨である。
私の原稿を批判する前に、今一度、私たちは何人なのか、その原点の立ち返ってほしい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2年前の2009年10月に、
以下のような原稿を書いたことがある。
ちょうど2年前の原稿である。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
以下、2009年10月記
【東アジア共同体構想】(脱・アメリカ追従外交の危険な落とし穴)
++++++++++++++
東アジア共同体構想は、見かけは
ともかくも、失敗する。
日本の外資が威力を失ったとき、
命運は尽きる。
++++++++++++++
●アジアのリーダーとして
今からちょうど40年前。
日本は、新幹線を走らせ、東京オリンピックを成功させ、かつ大阪万博を開き、まさに破
竹の進撃をつづけていた。
高度成長期に突入していた。
そのころアジア各国の人たちは、日本を、畏敬の念と、脅威の念の、2つの入り混ざった
目でながめていた。
「畏敬の念」というのは、「アジア人でも、やればできるのだ」という自信の先頭、それを、
日本が切ったということ。
「脅威の念」というのは、当然のことながら、第二次世界大戦の後遺症をさす。
同時に日本の軍事的脅威論も、このころあちこちで論じられるようになった。
が、もうひとつ、日本人が読めなかった心がある。
たとえば、アジアの人たちは、日本人が作る自動車を見て、「同じアジア人が作った」と喜
んだ。
理由のひとつとして、日本以外のアジアの国の人たちは、長い間、欧米諸国の植民地であ
ったことがあげられる。
当時の日本人がもつ欧米コンプレックスには、相当なものがあった。
欧米人と見ただけで、頭をさげた。
しかし他のアジア各国、とくに東南アジア各国の人たちがもつ、欧米コンプレックスには、
独特のものがあった。
隷属意識、劣等意識、逆差別意識……そういったものが、渾然一体となって、彼らの欧米
コンプレックスを作りあげていた。
彼らは、欧米に、彼らの植民地として隷属したという、暗い歴史がある。
私は、『世にも不思議な留学記』の中で、こんなことを書いたことがある。
ある朝のこと、突然、私はアジア各国からの留学生たちに起こされた。
「何だ!」と思って起きてみると、いちばん仲がよかったタン君(マレーシアン中国人)
が、こう言った。
「ホロシ(私のこと。タンは、いつも私をそう呼んでいた)、来てみろ、すごい車がある」
と。
みなといっしょに道路へ出てみると、そこにマツダのサバンナという車が置いてあった。
ダッシュボードが、ボンネット側に湾曲している、それまでに見たことのないデザインの
車だった。
タンは、こう言った。
「白人が、アジア人の作った車に乗っている!」と。
当時の日本人は、そうしたアジアの人たちの心を読めなかった。
今も、今度は、逆の立場で読めないでいる。
話を先に進める前に、『世にも不思議な留学記』の1作を紹介する。
内容的に、話が脱線するが、許してほしい。
東南アジアで、日本がどういう立場にあるか、それをわかってもらえると思う。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●人種差別
大学のカフェで食事をしていると、私を取り囲むようにして、4、5人のオーストラリ
ア人がすわった。そして手にしたスプーンの腹で、コツコツとテーブルをたたき始めた。
「立ち去れ」という合図である。気まずい時間が流れた。私はすでに食事を始めていた。
が、そのとき、身長が1メートル90センチはあろうかという大男が、私の横に座った。
長い髪の毛で、顔中、ヒゲでおおっていた。その男が、スプーンをならしている学生たち
に向かって、低い声でこう言った。「ワット・アー・ユー(お前たちは何だ)」と。
その一言で、学生たちはスプーンをたたくのをやめた。やめて、その場を離れた。その
大男というのが、デニス君だった。本名は、デニス・キシアという。今でも私の無二の親
友だ。
●皿に口をつけてズルズルとスープを飲んだ
同じころK大学医学部の講師たち3人が、一週間の予定で、メルボルン大学へやってき
た。そしてハウスのゲストルームに滞在した。豪快な人たちだ……と、最初はそう思った。
しかし品位に欠けていた。スープ皿に口をつけてズルズルとスープを飲んだり、ハウスの
飯はまずいと言っては、どこで手に入れたのか魚の目刺しを買ってきて、それを部屋の中
で焼いて食べたりしていた。
その中の1人が、こう言った。「オーストラリアも、ギリシャ人やイタリア人なんか、移
民させるもんじゃないよな。雰囲気が悪くなる」と。
当時の日本人で、自分がアジア人だと思っている日本人は、ほとんどいなかった。世界
の人は、半ば嘲笑的に日本人を、「黄色い白人」と呼んでいた。が、日本人は、それをむし
ろ光栄なこととしてとらえていた。
しかしアジア人はアジア人。オーストラリアでは、第2級人種として差別されていた。
結婚しても、相手がアジア人だったりすると、そのオーストラリア人も、第2級人種に格
下げされた。その法律は、それから10年ほどしてから撤廃されたが、オーストラリアは
まだ、白豪主義(ホワイト・ポリシー)にこだわっていた。
つまりもしこの医師の話をイタリア系オーストラリア人が聞いたら、怒る前に吹き出し
てしまうだろう。そういう常識が、その医師たちには、まったくわかっていなかった。い
や、医師だけではない。当時、アボリジニーと呼ばれている原住民を見ると、日本の若い
女性たちはキャーキャーと声を出して騒いでいた。なぜ騒いでいたかは、ここには書けな
い。書けないが、日本人ならその理由がわかるはずだ。
しかし念のために言っておこう。あのアボリジニーは、4~5波に分けて、アジア大陸
から移住してきた民族である。そのうちの一波は、私たち日本人と同じルーツをもってい
る。つまり私たち日本人は、白人よりも、はるかにアボリジニーに近い。騒ぐほうがどう
かしている。
●人種差別
人種差別。それがどういうものであるか、それはされたものでないとわからない。「立ち
去れ」という合図を受けたときの屈辱感は、今でも脳に焼きついている。それはそれだが、
問題はその先だ。人種差別をされると、人は2つの考え方をするようになる。
1つは、「だから自分の属する民族を大切にしなければならない」という考え方。もう1
つは、「民族という名のもとに、人間を分類するのはおかしい」という考え方。
どちらの考え方をもつにせよ、1つだけ正しいことがある。それは人種や民族の優位性
などというものは、いくら論じても意味がないということ。大切なことは、互いに相手を
認め、尊重しあうことだ。それがあってはじめて、日本を、そして世界を論ずることがで
きる。
が、そうした世界観は、当時の日本人にはまだ育っていなかった。同じアジア人であり
ながら、日本人は自らを欧米人と位置づけることによって、ほかのアジア人とは一線を引
いていた(中日新聞で発表済み)。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●黄色い白人
今思い起こしても、当時の日本人は、目が、欧米のほうだけを向いていた。
子どもでも、「自分はアジア人」と自覚している子どもは、皆無だった。
私が、「ぼくたちはアジア人だよ」と教えても、みな、「ちがう」と答えた。
中に、「ぼくたちは、欧米人だ」と言う子どもさえいた。
こうした意識は、現在の30代、40代の人たちが、今でも共通してもっている。
あるいは自分自身の子ども時代を振り返ってみて、「私はそうでなかった」と自信をもって
言える人は、まずいない。
つぎの原稿は、10年ほど前に書いたものである。
切り口が少し脱線するが、ここに書いたことは、今でもそのまま通用する。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●教科書の検定制度って、本当に必要なの?
オーストラリアにも、教科書の検定らしきものはある。しかしそれは民間団体によるも
ので、強制力はない。しかもその範囲は、暴力描写と性描写の2つの方面だけ。特に「歴
史」については、検定してはならないことになっている(南豪州)。
私は1967年、ユネスコの交換学生として、韓国に渡った。プサン港へ着いたときに
は、ブラスバンドで迎えられたが、歓迎されたのは、その日1日だけ。あとはどこへ行っ
ても、日本攻撃の矢面に立たされた。私たちを直接指導してくれたのが、金素雲氏であっ
たこともある。
韓国を代表する歴史学者である。私はやがて、「日本の教科書はまちがってはいない。しか
しすべてを教えていない」と実感した。たとえば金氏は、こんなことを話してくれた。「奈
良は、韓国から見て、奈落の果てにある都市という意味で、奈良となった。昔は奈落と書
いて、『ナラ』と発音した」と。今でも韓国語で「ナラ」と言えば、「国」を意味する。も
し氏の言うことが正しいとするなら、日本の古都は、韓国人によって創建された都市とい
うことになる。
もちろんこれは一つの説に過ぎない。偶然の一致ということもある。しかし一歩、日本
を出ると、この種の話はゴロゴロしている。事実、欧米では、「東洋学」と言えば、中国を
意味し、その一部に韓国学があり、そのまた一部に日本学がある。そして全体として、東
洋史として教えられている。
話は変わるが、小学生たちにこんな調査をしてみた。「日本人は、アジア人か、それとも
欧米人か」と聞いたときのこと。大半の子どもが、「中間」「アジア人に近い、欧米人」と
答えた。中には「欧米人」と答えたのもいた。しかし「アジア人」と答えた子どもは1人
もいなかった(約50名について調査)。先日もテレビの討論番組を見ていたら、こんなシ
ーンがあった。
アフリカの留学生が、「君たちはアジア人だ」と言ったときのこと。1人の小学生が、「ぼ
くたちはアジア人ではない。日本人だ!」と。そこでそのアフリカ人が、「君たちの肌は黄
色ではないか」とたたきかけると、その小学生はこう言った。「ぼくの肌は黄色ではない。
肌色だ!」と。
2001年の春も、日本の教科書について、アジア各国から非難の声があがった。韓国
からは特使まで来た。いろいろいきさつはあるが、日本が日本史にこだわっている限り、
日本が島国意識から抜け出ることはない。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
話を「東アジア共同体構想」に戻す。
●東アジア共同体構想
民主党政権になって、鳩山首相は、「東アジア共同体構想」というものを、ぶちあげた。
「脱・アメリカ追従外交」を一方で唱えながら、「アジア重視の外交」を主張した。
私も30~40年前の私なら、鳩山首相のこの発想を支持しただろう。
またそのときなら、日本は、そのままアジアのリーダー(宰主)として、中国をも東アジ
ア共同体構想の一員として、取り込むことができた。
が、今ごろ、どうして、東アジア共同体構想なのか?
むしろ立場は、すでに逆転している。
逆転していないまでも、東南アジア各国の人たちは、「日本なしでもやっていける」と考え
始めている。
つまり「東南アジア諸国連合(ASEAN)」に、頭をさげるべきほうは、むしろこの日本
なのである。
「どうか、日本も、ASEANに加入させてください」と。
それを大上段に構え、「ASEANプラス3」とは!
「プラス3」というのは、日本、中国、韓国の3か国をいう。
が、このプラス3は、中身にも問題がある。
(1) 韓国のもつ反日感情、あるいは日本へのライバル意識。
(2) 東南アジア各国の、反中国感情、もしくは反中国意識。
この2つをさておいたまま、鳩山首相は、「ASEANプラス3」を唱えている。
さらに問題が起きた。
側近を、「脱・アメリカ追従外交論者」で固め、反米とまではいかないにしても、アメリカ
にそのような印象を与えるような行動を始めてしまった。
毎日新聞は、つぎのように伝えている。
●アジア重視の外交政策?
+++++以下、毎日新聞+++++
鳩山由紀夫首相は9、10両日、韓国、中国を相次いで訪問する。
9日午前にはソウルで韓国の李明博(イ・ミョンバク)大統領との首脳会談、10日は北
京で中国の温家宝首相、李大統領との日中韓首脳会談に臨む。
首相就任後、国際会議出席以外では初めての外国訪問で、アジア外交重視の姿勢をアピー
ルする。
日韓首脳会談は、両首脳間の信頼関係の構築が主要な目的。北朝鮮の核問題を巡る6カ
国協議への早期復帰に向けた連携を確認する。
日韓連携を重視する姿勢を示すことで、「東アジア共同体構想」をはじめとするアジア外交
を主導的に進めたい狙いもある。
(中略)
鳩山首相も「東アジア共同体構想」についての理解と協力を求める。3カ国会談後、両首
相の個別会談もある。
+++++以上、毎日新聞+++++
さらに、鳩山首相は、岡田外務大臣をアジア各国に派遣した。
同じく毎日新聞は、つぎのように伝えている。
●受けたのは、外交的虚礼
+++++以下、毎日新聞+++++
岡田克也外相は13日、インドネシアを訪問し、ハッサン外相と会談した。
鳩山政権が推進する東アジア共同体構想について、「インドネシアは重要なパートナーだ」
として協力を要請し、この問題で両国が協議していくことで一致した。
東アジア共同体構想について岡田外相は「東南アジア諸国連合(ASEAN)の中で存
在感を高めているインドネシアと協力しながら、具体化に努めたい」との考えを示した。
これに対しハッサン外相は「包括的でバランスの取れたものにすべきだ」と述べた。
その上で、ASEANプラス3(日中韓)や東アジア首脳会議などの枠組みを踏まえ、両
国が統合に向けて協力し、協議を続けることで合意した。
+++++以上、毎日新聞+++++
当然のことながら、これに「待った!」をかけたのが、アメリカ。
こうした一連の日本の動きをとらえながら、「日本は中国よりも、やっかいな国になった」
(オバマ政権)と、鳩山外交を評した。
英語で、何と言ったかはわからない。
しかし日本は、すでに40年以上も前から、「異質な国」と位置づけられている。
アメリカ人にしてみれば、東南アジアの人たちの方が、まだわかりやすい。
欧米の植民地だったということで、欧米流のものの考え方が定着している。
が、この日本は、ちがった。
わかりやすく言えば、日本、さらに日本人は、彼らの理解の範囲を超えていた。
そうした流れは、今でもつづいている。
「日本は中国よりも、やっかいな国になった」と言いながら、アメリカは、日本に向かっ
て、「アメリカはずしは許さない」と警告した。
そして今月(09年10月)、タイのフアヒンで、東南アジア諸国連合(ASEAN)の
首脳会議が始まった。
そこへ鳩山首相は出かけていき、東アジア共同体構想を正式にぶちあげ、アメリカの参加
を求めることを提唱した。
鳩山首相の一連の動きを、順に追ってみたい。
●無意味な外交巡礼?
+++++以下、毎日新聞+++++
鳩山由紀夫首相は24日にタイ中部のフアヒンで開かれる東南アジア諸国連合(ASEA
N)との首脳会議など一連の会合で、自らが提唱する東アジア共同体構想に関して、米国
の参加を求める考えを表明する。
松野頼久官房副長官がバンコクに向かう政府専用機内で、同行記者団に明らかにした。
首相は「ASEANを含む東アジア諸国は東アジア共同体構想の中核で、米国の関与は
極めて重要だ」との考えを表明する。
これまで首相は「米国を排除する発想は持っていない」としていたが、参加国の枠組み
などについては明確な言及を避けており、米国の参加を明言するのは初めて。
米軍普天間飛行場の移設問題で日米間の相違が顕在化しており、配慮をする必要があると
判断したとみられる。
+++++以上、毎日新聞+++++
+++++以下、毎日新聞+++++
鳩山由紀夫首相は24日午前(日本時間同日午後)、タイのアピシット首相ら東南アジア諸
国連合(ASEAN、10カ国)の首脳と会談した。
ASEAN各国を自ら提唱する「東アジア共同体構想」の中核メンバーと想定する鳩山首
相は、同構想を長期的なビジョンとして説明し、協力を呼びかける。
また、タイやベトナム、カンボジアなどメコン川流域国の経済成長へ向けた支援を表明す
る。
これに先立ち、鳩山首相は議長国のアピシット首相と個別に会談し、東アジア共同体構
想を説明した。
+++++以上、毎日新聞+++++
+++++以下、毎日新聞+++++
鳩山由紀夫首相は24日、東南アジア諸国連合(ASEAN、10カ国)との首脳会議、
さらに中国と韓国を加えたASEANプラス3首脳会議に出席し、自ら提唱する東アジア
共同体構想への支持を呼びかけた。
首相はASEANが共同体構想の中核になるとの認識を示し、各国首脳も「長期的な目標」
として協力していくことで一致した。
今後は将来の共同体構築につながる具体的な地域協力の推進が課題となる。
一連の会議で首相は共同体構想について「長期的なビジョンを掲げて、開かれた地域協
力の原則に立って着実に進めていきたい」と説明。
「日本の外交政策として日米同盟を基軸と位置付けている」とも述べ、何らかの形で米国
が関与できる仕組みを検討する姿勢を強調した。
具体的な協力分野としては経済や新型インフルエンザ対策、情報通信などを挙げ、理解を
求めた。
ASEANや中韓側からは「長期的な目標として取り組んでいきたい」「東アジア協力の
議論を再活性化した」と評価する意見が相次いだほか、「統合が進むASEANが主導的な
役割を果たす」との発言もあった。
ASEANプラス3では、首相は「日中韓協力を東アジア協力の推進力とする」と強調。「過
去を直視しながら未来志向の関係をアジア各国と築いていく」と述べた。
また通貨危機に対応して外貨を融通し合う「チェンマイ・イニシアチブ」などアジア地域
の金融安定化に貢献する考えも表明した。
+++++以上、毎日新聞+++++
●アメリカはずしは、時期尚早
「プラス3」というが、まず、日本は、どうやって、あの中国と韓国を、仲間にまとめ
るというのか。
1回や2回、首脳会談をもったくらいのことで、中国や韓国の、反日意識や反日ライバル
意識が氷解するなどということは、ありえない。
ありえないことは、ここ10年に渡ってつづいた、日韓経済戦争を見ればわかる。
日中経済戦争でもよい。
その戦争は、今の今も、つづいている。
むしろ今年に入ってからも、生き残りをかけて、さらに熾烈さを増している。
そんなこともあって、今、日本からアメリカをはずすのは、時期尚早。
あまりにも稚拙。
たしかに「追従」しているが、追従しなければならない歴史的、かつ外交的背景が、そこ
にある。
なぜ、日本が戦後60年以上に渡って、平和を保つことができたか。
かつ国防費を対GDP比で、1%以下に抑えることができたか。
何もアメリカの高官にあえて脅されるまでもなく、アメリカ軍が日本に駐留していたから
にほかならない。
何度も繰り返すが、もしアメリカ軍が駐留していなかったら、今ごろ日本は、跡形もな
く粉々にされていた。
スターリン・ソ連、毛沢東・中国、李承晩・韓国、金日成・北朝鮮、さらにマルコス・フ
ィリッピン連合軍が、繰り返し、日本を襲ったであろう。
悲しいかな、粉々にされてもしかたないことを、日本は、先の戦争でしてしまった。
外交面においても、そうだ。
あんな北朝鮮ですら、日本はもてあましている。
拉致問題ひとつ解決できないでいる。
が、「日本のうしろには、アメリカがいる」。
それが日本の外交を、裏から支えてきた。
今も、支えている。
もし、日本が本気で追従外交から脱するときがあるとすれば、日本が軍事面、外交面で、
中国を含む他のアジア諸国から、認知されたときである。
「認知」という言葉を、「融和」という言葉で置き換えてもよい。
「日本は危険な国ではない」「日本は信頼できる」という、2つの側面が、アジア各国の中
で融和したとき、日本は、はじめて対米追従外交から脱却できる。
が、今の日本にあるのは、経済力のみ。
(その経済力も、風前の灯だが……。)
そのことは、今回の鳩山総理の動きを見てもわかる。
言うなれば、札束をパラパラと見せつけながら、ASEANの会場に乗り込んだ。
今はまだ、多少なりとも、ジャパン・マネーに威力が残っているからよいようなものの、
しかしこんな方法は、いつまでも長つづきしない。
2015年どころか、来年の2010年には、アジアにおいて、日本と中国の立場は、逆
転する。
また「東アジア共同体構想」という名称そのものが、「東」、つまり「日本を中心とした」
という意味である。
この国際性のなさ。
東南アジアの人たちは、日本人が、自分たちを東南アジア人と思っていないのと同じよう
に、自分たちは東アジア人とは、思っていない。
むしろ「東アジア共同体構想」というのは、先の戦争中に日本の軍部がぶちあげた、「大東亜共栄圏」の流れの中にある。
少なくとも中国を含む東南アジアの人たちは、そう考えている。
「東アジア……」ではなく、ぶちあげるとしても、「東」を取って、「アジア共同体構想」
とすべきだった。
●どうして、今?
日本には日本のプライドがある。
それはわかるが、10年後、20年後の日本を考えるなら、今はそのプライドを捨て、A
SEANに頭をさげるべき。
「どうか、仲間に加えてください」と。
何も、中国や韓国を、いっしょに連れて行くような話ではない。
もっとはっきり言えば、中国や韓国を無視して、ASEANに加入すればよい。
もし逆の立場だったら、つまり中国や韓国の経済力が、日本を凌駕(りょうが)するよう
になったら、彼らは日本は完全に無視されるだろう。
簡単に言えば、どこかの社交クラブに行くとき、自分ひとりでは心細いからという理由
で、隣人とはとても言えないような隣人を、連れていったようなもの。
こういうのを、(お人好し外交)と呼ぶ。
韓国は、それによって、ASEANの中で独自の立場を構築するだろう。
しかし問題は、中国。
中国など連れていったら、まとまる話も、まとまらなくなる。
もともとASEANというのは、対中国脅威論がベースになって、誕生した。
そんな歴史的経緯すら、鳩山総理は知らないというのか!
どうであるにせよ、鳩山首相の一連の行動は、このまま「勇み足」につながりかねない。
もう少しじっくりと考え、時間をかけるべき。
何かのアドバルーンは必要かもしれないが、それは二期目でもよかった。
総理大臣になったとたん、いきなり「東アジア共同体構想」とは?
こうした大構想には、根回しというか、地道な基礎づくりが必要。
その基礎を積み重ねながら、道筋を作っていく。
以上のことを総合すると、(1)東アジア共同体構想は、失敗する。
日本は残った財力を使い果たすような形で、結局は失敗する。
また(2)そうでなくても、日米関係は崩壊寸前。
これを機会に、日本は丸裸のまま、中国という猛獣の前に放り出されることになる。
その覚悟も、またその準備もないまま、今、ここで「脱・アメリカ追従外交」を唱えるの
は、危険、きわまりない。
さらに言えば、アメリカに脅されて、(3)東アジア共同体構想に、アメリカを加えると
宣言したが、それ自体が、すでにこの構想を破壊したことを意味する。
アメリカは、ASEANを、アメリカの支配下に取りこもうと、あの手、この手を使って
画策してきた。
東南アジアの人たちは、そのアメリカをうまくかわしてきた。
アメリカへの警戒心も強い。
その警戒心も冷めやらぬ今、「アメリカも」ということになれば、崩壊するに決まっている。
鳩山総理も海外留学組だから、その発想とするところは、よくわかる。
しかしそれは30~40年前の発想。
今は、時代も中身も変わった。
アジアにこだわらなければならない理由はない。
が、批判ばかりしていては、いけない。
そこで発想を変えて、日本は、アジアを飛び越えて、一気に、インド、ブラジルと共同体
を組んではどうか。
(韓国政府は、すでにそういう方向で動いている!)
そして中国そのものを、取り囲んでしまう。
どうしても「共同体」ということであれば、そのほうが実現性は高い。
将来のメリットも大きい。
(以上、2009年10月25日朝・記)
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 東アジア共同体 共同体構想 大東亜共栄圏 脱アメリカ追従外交
追従外交)(以上、2009年10月記)
(付記)2011/10/08記
鳩山由紀夫首相(当時)の「共同体構想」は、入り口のところで頓挫した。
結局、日本は、恥をかいただけ。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
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2011年10月28日金曜日
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