2012年8月14日火曜日

異星人的視野論

【異星人的視野・論】(異星人との知恵比べ)



Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

異星人的視野をもつことは、悪いことではない。
人間ではない。
地球の外に住む、異星人。
つまり彼らの立場になり、彼らの目を通して、地球やそこに住む人間を見る。

実は私は、この2週間、それに没頭した。
きっかけは、DVD『ピラミッド』を見たこと。
バリバリと電撃的な衝撃を受けた。
自分でも、それがよくわかった。
以来、グーグル・アースにクギづけ。
何本か動画を作り、YOUTUBEにUPした。

あれこれと思い違いもあったが、それはそれ。
弁解がましいが、「たったの2週間」。
まだ始めたばかり。
が、その「2週間」で、ものの見方が、大きく変わり始めた。
地球や人間を、宇宙から見るようなった。
宇宙から考えるようになった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●世界から宇宙へ

 よくこう言う人がいる。
「日本を本当に知りたかったら、世界へ出ろ」と。
世界的なものの見方が身につくと、日本の見方が一変する。
外国から、日本をながめる。
日本という国が、より輪郭をともなった「形」となり、浮びあがってくる。

 たとえばそれまで何とも思っていなかった風俗や習慣。
それらが、「日本の風俗」「日本の習慣」と、区別できるようになる。

●視野

 同じように、異星人的視野をもつと、より地球やそこに住む人間が、よくわかる?
そう、あのときの気分に似ている。
私がオーストラリアへ学生として、はじめて飛び立ったときのことである。
見るもの、聞くもの、すべてが驚きの連続だった。
今回も、そうだ。
その道の研究家にとっては、常識的なことかもしれない。
が、私にとっては、はじめての経験だった。

たとえば南米大陸。
その上を、縦横無尽に走り回る。
もう、そこには、国名は、ない。
そこにあるのは、大地と、人間が生活しているという、その「形」だけ。
道路や家々……。
そういった「形」だけ。

 当たり前のことだが、あのピラミッドにしてもそうだ。
横から見るのと、上から見るのとでは、大違い。
上空から見ると、的当てゲームの的(まと)のように見える。
たとえば3段式のピラミッドは、三重丸。
7段式のピラミッドは、七重丸。
それまで、ピラミッドを、そういうふうに見たことはなかった。

 さらに……。
今までは、北極を「上」にした地図しか知らなかった。
が、今では、南アメリカ大陸を逆さまにしても、平気。
オーストラリア大陸にしても、クルクルと回しながら見ている。

●カビ

 当然のことながら、宇宙から地球を見ても、人間の姿はない。
細い道路までは見ることができても、人間の姿はない。
地表面を拡大すれば、自動車くらいまでは見ることはできる。
が、そこまで拡大すると、「地球」そのものが見えなくなる。

 地球が「主」とするなら、人間はあくまでもそこに「はびこる」、「カビ」のようなもの。
異星人的視点というのは、まず、そこから始まる。
まず地球。
そこに住む人間は、無数の生き物のひとつ。

●暗い世界

 異星人……。
どんな姿をしているのか?
それを考えるだけで、空想はかぎりなくふくらむ。

 で、私がまず考えるのは、目の大きな人だろうということ。
彼らは人間が想像もつかないほど、暗い世界に住んでいる。
元の母星がどうかは知らないが、少なくとも、宇宙というのは、そういう世界。
宇宙船から見える世界は、まさに漆黒の暗闇。
虚空の空に輝く星々が、彼らの世界を照らすゆいいつの光。

 だから……というか、まず目の大きさを考える。
(あるいはそれなりに進化しているかもしれない。
超好感度の目をしている、とか。)

 それがわかれば、彼らがもともとどんな世界に住んでいたかがわかる。
大きければ大きいほど、彼らは暗い世界に住んでいたことになる。
恐らくそうだろう。

言い換えると、この地球は、明るすぎて、彼らの移住の場としては、適さない。
地球の大気圏に入ったとたん、煌々(こうこう)たる光のシャワーで、何も見えない。
そこでサングラスということになる。
遮光性の防御服ということもありえる。
少なくとも、異星人たちは、いきなり地球に降りたつということはできない。

●重力

 加えて重力の問題がある。
宇宙を自由に航行しているならなおさら、重力の問題がある。
仮に筋肉なるものがあるとしても、無重力に近い状況の中でのみ、有効。
言うなれば、異星人の筋肉構造は、「魚」に近い。
陸に降り立ったその瞬間、地面にはりつくように倒れてしまう。

 異星人が、自ら肉体を支え、地表面を歩くなどいうことは、ありえない。
当然、何らかの補助装置が必要ということになる。

●現実

 ……というように、今まで考えたこともないことが、つぎつぎと頭の中に浮かんでくる。
SF小説的だが、まったくの作り話ではない。
たとえば現に、ナスカの地上絵は存在する。
無数の直線は、存在する。

 が、あれを「人間」が描いたと言う人のほうが、おかしい。
宇宙から見れば、たしかに直線である。
しかし「平原」といっても、ナスカ平原には、かなりの凹凸がある。
周囲には山々もある。
そういった大地や山を通り抜け、真一文字に、直線がつづく。

 線によっては、幅が200メートルもある。
大地に立ってみると、それが直線であるかどうかも、わからないという。
ただ、高い空の上からは、直線とわかる。

 ……というような回りくどい言い方はやめよう。
ナスカ平原に残る直線は、まさに異星人たちによって、描かれた。

●ピラミッド

 となると、なぜピラミッドかということになる。
が、これも視点を宇宙に置けば、その理由は、簡単にわかる。

 太古の昔、人間の数は少なかった。
1000年前であるにせよ、あるいは1万年前であるにせよ、少なかった。
そういった人間が、かびのように、地面にはいつくばって生きていた。
森はあっただろうが、その森が、人間をおおいつくしていた。

 そういった人間や、その人間の集落を、どうやって発見するか。
異星人たちも、それについては、いろいろ考えたのではないか。
当然、目印を考えただろう。
ということで、ピラミッドになった。
森を突き出て、上に出る標識。
しかも石がよい。
岩石がよい。

●基準

 いろいろな遺跡が残っている。
しかし今回、私は「ピラミッド」を、ひとつの基準にした。
ピラミッドの残っている遺跡。
さらに言えば、巨石建造物でもよい。
世界には、人間の能力をはるかに超えた巨石建造物は多い。

 たとえばイースター島のモアイは、3~20メートルの高さがあるという。
3メートルくらいなら、まだ何とかなる。
が、20メートルとなると、そうはいかない。
重さにしても、5~50トンもあるという。
(高さが20メートル、重さ50トンだぞ!)

 そんな石の像が、大小さまざま、867体。
材料となった石切り場は、島の東部にある火山口の火口近くにあるという。
その場所から、中には、20キロも離れたところへ、運んだものもあるという。
(東端から西端まで、約23キロ。)

 目的も不明なら、運搬手段も不明。
木のコロを利用したという説もある。
が、そうした運搬途中につきものの傷は、どこにも見当たらないという。
その前に、イースター島には、それに使う材木すら、なかった?

 ここで私が、「異星人たちが運んだ」と言えば、ほとんどの人は、こう言う。
「バカも休み休み、言え」と。
が、私は反対に、「あれは人間が運んだ」と言えば、こう言う。
「バカも休み休み、言え」と。

 なおモアイは、現在では、「墓」説が常識になっている。
モアイの下から、人骨が多数、見つかっているのが、その根拠になっている。
が、これもおかしい。

……というような議論は、もうやめよう。
たかが墓石。
どこのバカが、そんな巨大な墓など作るか!
今も昔も、人間がもつ常識というのは、それほど変わらない。

●直角二等辺三角形

 ここでいう異星人たちは、おそろしく土木建設に、たけた人たちである。
モアイどころか、島ごとどこかへ運ぶということも、平気でできたらしい。
あのイースター島にしても、人工的に造成された島。
「造形」でもよい。

 ほぼ完ぺきに近い、左右対称になっている。
距離を測ったら、二等辺三角形。
それも直角二等辺三角形。
(厳密には、92~3度だが……。
またどこに3点をとるかによっても、距離は異なる。)

 それはまさに、ギザのピラミッドを、45度、斜め方向から見た形。
底辺の長さを高さで割ってみたが、ほぼ同じ。
そのイースター島は、ナスカとギザのピラミッドと、真一直線でつながっている。
(真・一直線だぞ!)

 こうした一連の事実を「偶然」というのは、あまりにも現実離れしている。
私が「イースター島は人口造成された島」と言う以上に、現実離れしている。

●周囲環境

 ものごとは常識で考えたらよい。
いくら古代の人間が、天文学や建築学にたけていたとしても、だ。
できることと、できないことがある。

 文明の発達には、周囲環境というものがある。
天文学にしても、そうだ。
まず数学がある。
数学を支える教育機関がある。
教育を支える、観測態勢がある。
何十年、何百年と熟成され、その結果として「天文学」が生まれる。

 そういう周囲環境がないまま、突如として、ピラミッドが生まれた。

●ギザのピラミッド

 仮にそういうものがあったとするなら、それはそれでよい。
学校がある。
数学を教える。
幾何学を教え、方程式を教える。
が、そういった科学の片鱗でもよいが、それが後世に残っていないのは、なぜか。
前後に何もないまま、たとえばあのギザのピラミッドは建造された。

石造。
部屋らしいものは、数えるほどしかない。
そんなピラミッドを寸部の狂いもなく、建造する。
クフ王のピラミッドにしても、縦横の差は、わずか20センチ。
誤差にもならない。

 で、そのピラミッドは、まさに数学のかたまり!
……ということが、最近になってつぎつぎとわかってきた。
(どう数学のかたまりかは、DVD『ピラミッド』を見れば、わかる。)

 コンクリートで作るというのならまだしも、石材を切り出して作る。
使った道具は、手で握る、小さな丸い石。
それだけ。
それだけを使って、ピラミッドを作った(?)。

●基軸

 私は(イースター島)(ナスカ)(ギザのピラミッド)を、基軸にした。
DVD『ピラミッド』の中でも、こう言っていた。
「これら3点は、真・直線でつながっている」と。

 同時に、これら3点にあるものは、人間がもつ能力をはるかに超えている。
考古学者たちは、いろいろと説明はしているが、どれにも説得力はない。
だいたい「異星人がからんでいた」という話は、タブー中のタブー。
「異星人」という言葉を出しただけで、学会からはじき飛ばされてしまう。

 が、異星人たちは、確実にからんでいた。
また宇宙を自由に航行するほどの力をもった人でないと、不可能。
ここで「人間がもつ能力をはるかに超えている」というのは、そういう意味。

 で、私は、この3点を「基軸」とした。
実際、ギザとイースター島を直線で結んでみた。
その直下に、ナスカがあった。
それを知ったとき、鳥肌が立つというか、背筋が凍った。

 で、それ以後は、迷ったり、気が弱くなったりするたびに、この3点に戻った。
3点があるのは、まぎれもない「現実」。
そこに自分を置いた。

●異星人

 ただ誤解してはいけないことがある。
異星人というと、神々しい「人」を想像する人も多いかもしれない。
が、地球へやってきた異星人は、それほどレベルは高くなかった。
寿命も長いだろうから、それにふさわしい知識や知恵はあるだろうが、その程度。
けっして、「神」のような存在を想像してはいけない。

 たとえば私たち人間にしても、いろいろある。
高度に知的な人もいれば、そうでない人もいる。
高邁な精神の持ち主もいれば、そうでない人もいる。
で、地球へやってきたような異星人は、その中でも、最低レベルの異星人と考えてよい。

 あえて言えば、そこらのオジちゃん、オバちゃんレベルの人。
電車の中で、周囲の迷惑も考えず、ギャーギャー、ガハハハと、大声で話している人。
あるいは徴兵制か何かでやってきた、外国の軍人程度といってもよい。
だから過剰な期待は、禁物。

 だから私はそういう話になると、みなにこう言う。
「UFOを近くに見ても、近づいてはいけない」「逃げろ」と。

●人間とのコンタクト

 太古の昔のことは知らない。
しかしイエス・キリストの時代以後は、人間とのコンタクトは、禁じられているらしい。
異星人の乗り物……UFOと呼ばれているが、目撃例は、たいへん多い。
今、この時点においても、毎日、何10例と、報告されている。
しかし実際のコンタクト(接触)となると、皆無。
ロズウェル(1947年)で起きた事故のようなケースは別として、皆無。

 理由は、いろいろ考えられる。
その第一。
異星人たちもまた、人間を恐れている。
なぜ恐れているかについても、理由は、いろいろ考えられる。
人間の知的能力のレベルが、異星人のそれに、かなり近づいてきた。

 今までは下等動物で、どうにでもなる存在だったが、対等に並ぶようになった。
へたに武器でも渡したら、逆に自分たちが攻撃されるかもしれない。
そういう存在になった。

 昔はピラミッドの建造程度のことで、人間は恐れおののき、異星人に従った。
が、今は、ちがう。
こと「技術」ということになれば、ピラミッドがもつ技術は、低い。
東京にあるスカイツリーと比べても、比較にならないほど、低い。
巨大建造物というだけで、それ以上のものは、何もない。

 だから「禁止されているらしい」と書いた。

●UFO乞いの儀式

 話はぐんと現実的になる。

 現在、UFOを「本尊?」としたカルト(狂信的集団)が、増加している。
夏ということもある。
そういった集団の中には、UFO乞いの儀式までしているのもあるという。
(UFO乞い、だぞ!)
高い山の上や、それらしいパワースポット(?)と呼ばれる場所が選ばれる。
そういうところで、怪しげな儀式を繰り返す。
「UFO、おいで」「UFO、おいで」と。
週刊誌や雑誌などで、広く紹介されている。
 
 が、こうした活動が、いかに低劣かも、視点を宇宙に移してみると、よくわかる。
異星人がいるとしても、異星人は、残念ながらそういう人たちを相手にしない。
相手にしても、意味はない。
相手にしなければならない理由さえ、ない。

へたにコンタクト(接触)をとれば、それこそめんどうなことになる。
人間社会が、大混乱に陥ってしまう。
それがわからなければ、逆に考えてみればよい。

●猿の世界

 あるときあなたのところに、どこかの猿のボスがやってきた。
話を聞くと、「我々のリーダーになってほしい」と。
ついては「あなたのもっている車に、一度、乗せてほしい」と。

 あなたなら何と答えるだろうか。
が、私なら、即座に断る。

猿の世界に入って、猿のボスになっても、意味はない。
その猿は、人間と友だちになったと自慢するかもしれない。
「パワーを得た」と、猿の世界では、さらに強力なボスになるかもしれない。
が、それがどうしたというのか。

つまり、異星人の話をするとしても、この「現実感」は、見失ってはいけない。
繰り返すが、異星人といっても、「神」ではない。
ただの「人」。

●現実感
 
 そう、「現実感」。
ギザのピラミッドも、現実。
ナスカの地上絵も、現実。
イースター島のモアイも、これまた現実。
この「現実感」を見失うと、それこそ「超常現象」となってしまう。
どこかの頭のおかしいオバちゃんが説く、あの話と同じになってしまう。
つまり科学性から、遊離してしまう。

 もし私たち人間が、異星人とコンタクトすることができるとするなら、方法はひとつ。
科学性の追求でしかない。
現実にある証拠を積み重ね、その証拠でもって、異星人を追いつめていく。
「さあ、どうだ!」と。

 が、そのときでも異星人がコンタクトをとるとしても、「あなた」ではない。
「私」でもない。
異星人とて、人間を選ぶ。
どういう基準で、どういう人を選ぶかは知らない。
が、少なくとも「あなた」や「私」ではない。
(だからといって、アメリカの大統領のような政治家でもないだろうが……。)

●笑いたければ、笑え

 いろいろなエッセーを書いてきた。
が、このエッセーほど、書いている私が、宙に浮いているのを感じたことはない。
まるで、おとぎ話。
よくて、SF小説。

 そこに異星人がいるのは、確実。
私とワイフは、あの夜、UFOなるものを、はっきりと目撃している。
巨大なブーメラン型のUFOだった。
いろいろ批判的な人は多いが、「見たものは、見た」。
それ以上でもないが、それを否定しろといくら言われても、できないものはできない。
繰り返す。
見たものは、見た。

 ただ私は、その正体を知りたい。
あれが何だったのか、その正体を知りたい。
それがこの2週間、私を動かす強力な原動力となった。
「忘れて遠ざかりたい」という私。
「しかしこのままにしておいてはいけない」という私。
そういう2人の私が、この40年近く、私の中で悶々と葛藤した。

 それが今回、圧力に耐えきれず、爆発した。

●知恵比べ

 が、その私ももうすぐ65歳。
「笑いたければ、勝手に笑え」という心境に近づいてきた。
冒頭に書いたように、まだ始めたばかり。
2週間。
この先、何年で、どこまで書けるかわからない。
しかしやるしかない。
状況証拠は、それこそ山ほど、ある。
それをひとつずつ、切り崩していく。

 まちがいはある。
すでに何度か、まちがえた。
思い違いと、勘違い。
それに思い過ごし。
が、それを恐れていたら、前には進めない。
なぜなら、異星人は、確実に、そこにいる。
夢やまぼろしではない。
確実にそこにいる。

 そういう意味では、古代文明の謎の点と線を結ぶのは、異星人との知恵比べ。
彼らは彼らなりに、そこに何かのメッセージを織り込んでいる。
なぜ、そこにイースター島を置いたのか。
ナスカの地上絵を描いたのか。
そしてギザのピラミッドを建造したのか。
何かの理由があるはず。
それを知るのは、まさに知恵比べ。

 その謎が解けたとき、私は異星人の正体を知ることができる。
あの夜の自分に決着をつけることができる。

(はやし浩司の仮説)

●異星人たちは、何度もこの地球を訪れている。
●異星人の中には、人間を教育したのもいる。
●異星人の中には、人間を奴隷として使ったのもいる。
●異星人たちは、キリスト以後、人間との直接的な接触を避けている。
●それぞれの地で、文明を築いた人間たちは、ときどき別の場所に大移動している。
(民族ごとの大移動、である。)
 たとえばアンコールワットから、テオティワカンへ、など。
 もとはシュメール人だったかもしれない。
 ヤンシャオ人にしても、シュメールから来た人たちかもしれない。
●異星人の数は、それほど多くない。
●異星人たちは、自分の姿に似せて、人間を改造した。
●彼らは地球ではないが、たいへん近いところに住んでいる。
 いちばん可能性の高いのが、「月」ということになる。
●異星人たちは、今も、人間社会を観察(偵察)している。

 さあ、夏休み。
この夏休みに、私は調べまくってやる!
真夏の夜の大ロマン。
失敗しても、ダメもと。
失うものは何もない。
(はやし浩司の信用は失うかもしれないが……。)


Hiroshi Hayashi+++++++August. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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