2011年5月1日日曜日

*Pachinko in Japan

●勇気ある石原東京都知事発言(パチンコについて)

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石原東京都知事が、「やめちまえ」という
言葉を使って、「パチンコ店」の全廃を
主張した(4月30日、注※)。

賛否両論もあるだろう。
しかし今まで、そういうことを主張する
政治家がいなかった。
万事、「いいわ、いいわ」で、その場を
ごまかしてきた。
逃げてきた。
そういう意味で、石原東京都知事の発言を
支持したい。
この日本にあっては、まれにみる、勇気ある
発言ということになる。

パチンコは、娯楽なのか、遊戯なのか、
はたまた賭博なのか。

答は「賭博」。
だれがみても、「賭博」。
みな、裏で、堂々と現金と交換している。

が、賭博が悪というわけではない。
(善でもないが……。)
総じてみれば、資本主義社会における
経済活動は、例外なく、「賭博」。
「賭博」という言葉に問題があるなら、
「賭け」でもよい。

賭博性がない経済活動は、ない。
もし賭博性を否定したら、経済活動そのものが
成り立たなくなってしまう。

新しい商品を開発する。
広告、宣伝を打つ。
商機に乗る。
……すべて「賭け」。

それが凝縮したものを、私たちは「賭博」と
呼んでいる。
パチンコもそのひとつ。

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●パチンコ

 パチンコ店の是非はともかくも、何のためにパチンコがあるのかというと、
それがよくわからない。

この世の中には、生きたくても生きられない人は、ゴマンといる。
一瞬一秒を、それこそ金の粉のように思いながら、生きている人も多い。
人生は、まさに砂時計。
刻一刻と、時間は過ぎていく。
そういう中で、……というか、その一方で、パチンコ店で一日をつぶす人も
これまたゴマンといる。
もったいないというか、バカげている。

 パチンコ店が悪というのではない。
そういう形でも、気分を紛らわさなければならない人も多い。
それは事実。
ガンガンと音楽が鳴る部屋で、落ちていく玉を見つめる。
一心に見つめる。
それだけで頭の中を空っぽにすることができる。
何もかも、忘れることができる。
職場や家庭でいやなことがあっても、パチンコをすることで忘れることができる。
そういう形でパチンコを利用している人も多い。

●生きる意味

 「パチンコは時間の無駄」と言い切るのは簡単。
が、そうは言い切れないところに、私たちの弱さというか、社会全体がかかえる
問題が隠されている。

またこう書くからといって、パチンコ店を支持しているわけではない。
ただ私が書きたいのは、「仕事」と呼ばれる仕事にしても、時間の無駄ではないと
言えるものが、どれだけあるだろうかということ。
無駄なことを、無駄でないと信じながら、無駄にしている。

 実のところ、今の私もそうだ。
日々に同じことを繰り返しながら、残り少ない人生を食いつぶしているだけ。
健康は不可逆的に、マイナス方向に向かっている。
頭だって、ボケ始めている。
が、身のまわりの問題は、何一つ、解決していない。
「明日には何とかなるだろう」
「来年には何とかなるだろう」と。
淡い期待を抱きながら、毎日をごまかして生きている。
だから一日が終わり、床に入って目を閉じるたびに、こう思う。

「ああ、今日も1日、無駄にしてしまった」と。

●石原発言について

 人の心には、4割の善があれば、同時に4割の悪もある。
その善と悪が、無数の衝突を繰り返しながら、人間のドラマを生み出している。
またそれがあるから、人間の世界は豊かで、おもしろい。

 そこで問題なのは、仮にここでパチンコ店を「悪」と決めつけ、つぶしてしまった
としても、先に書いた「賭博性」がなくなるかということ。
答は「NO!」。

 そういう形でも、自分をごまかさないと生きていけない人たちも多い。
この世の中、不安と心配が渦を巻いている。
不公平感も頂点に達している。
仕事はおもしろくない。
家庭もおもしろくない。

石原東京都知事のように、名声も地位も権力も、そして財力も、すべて手に入れた
人には、それがわからないかもしれない。
しかしその一方で、何をしても失敗。
すべてが裏目裏目と出る。
退職金もなければ、年金もない。
日々の生活費もままならない。

 パチンコがそれを救うというのではない。
が、ほとんどの人は、パチンコが好きでパチンコをしているわけではない。
怒りやさみしさを爆発させる力もない。
度胸も知恵もない。
かといって、犯罪を犯すほどの悪人でもない。
だから手っ取り早く、パチンコを……となる。

 つまりパチンコ店が、(何もパチンコにかぎらないが……)、そのグレーゾーンとして、
善と悪の緩衝地帯になっている。
私が書きたいのは、仮にパチンコ店をつぶしたとしても、それで「悪?」がなくなる
というわけではないということ。
「悪」のもつエネルギーは、そんな甘いものではない。
そのエネルギーは別の方向に向かう。
地下にもぐる。

●なぜ反対なのか

 石原東京都知事は、「電力の消費の抑制」という意味で、「やめちまえ」と言った。
けっして賭博性を問題にしたわけではない。
またそれほどの哲学的見地から、そう発言したわけではない。
もしそうだとするなら、あのサッカー賭博はどう理解したらよいのか。
しかもあろうことか、サッカー賭博については、文部科学省が統括している。
石原都知事自身も、公設カジノの開設について、たびたび言及している。

 もちろんパチンコにも大きな問題がある。
「パチンコ依存症」という問題である。
が、「依存症」ということになれば、ほかに「アルコール依存症」もある。
最近では「ゲーム依存症」もある。

 要するに、善と悪は複雑にからみあいながら、有機的に結合している。
「あんなもの」と吐き捨て、それで廃業に追い込めば、それでよいというような
問題ではない。
では、どうするか?

●電力消費の抑制と自粛

 パチンコ店の大型化には、目を見張るものがある。
広大な敷地に、駐車場。
煌々(=光々)と輝く電飾。

 店内もそれ以上に明るい。
が、それでも電力消費という点では、微々たるもの。
パチンコというよりは、今では、すべてがコンピュータ化され、膨大な電力を
消費する。
そちらの電力消費量のほうが、はるかに大きい。
もっともパチンコ店のほうは、それでも儲かるから、経営をつづけられるのだろう。
もし今、電力消費の抑制を迫られたら、パチンコ店は廃業するしかない。
あるいは50年前にさかのぼり、機械仕掛けだけのパチンコ台に戻るか?

 が、それもできないというのであれば、10年単位で、少しずつ業界を縮小
していく。
今まで、あまりにも野放しにしすぎた。
その(野放し)した部分を、ワクの中に収めなおす。

もっとも簡単な方法は、換金制度を禁止にする。
現行の換金方法は、あまりにも見え見え。
賭博ではありません……と見せながら、実際には賭博。
客は店で交換商品を受け取り、一度店の外に出て、その交換商品と現金を交換する。
しかも知っている人も多いと思うが、あの「遊戯組合」は、警察官の天下り先にも
なっている。

 つまりこういうインチキをやめる。
禁止する。

●換金制度の禁止

 ……むずかしい話はさておき、もっとみなさん、「時間」を大切にしよう。
人生80年とはいうが、瞬時のまた瞬時。
先にも書いたように、人生は砂時計の「砂」のようなもの。
刻一刻と、砂は下へ下へと落ちていく。

 そういう意味では、パチンコほど、時間の無駄はない。
頭の中を空っぽにするだけに、余計に時間の無駄。
(あのガンガンと流れるBGMにしても、思考を停止させるという働きがある。)
玉が入れば喜び、入らなければ落胆する。
それをさざ波のように、繰り返す。
それが連続した思考力を奪う。
麻痺させる。

 仮にそれで数千円、あるいは数万円の現金を手に入れたとしても、その現金で、
砂時計の「砂」を買うことができるのか。
が、ほとんどの人は、お金を失う。
失うから、パチンコ店は、あれほどまでに豪華な建物を建てることができる。
タバコと同じ。
よいことは、何もない。

 石原東京都知事も、こう言っている。

「……その(在日の)一部の人が、『これは自分の母国の韓国でも流行るだろう』と
(パチンコを)持って帰ったら、面白かったんでしょう、たちまち人気になった。
これは人間を怠惰にして、人生を狂わせるということで、当局が乗り出して、
韓国ではパチンコは全廃されました」(Jcastニューズ)と。

 ……あとは個人の判断。
やりたい人はやればよい。
やりたくない人は、やらなければよい。
石原東京都知事の発言には敬意を表する。
しかしいきなり「あんなもの」「やめちまえ」というのは、言い過ぎ。

もし言うべきことがあるとするなら、あのインチキそのものの換金制度。
パチンコ業界も、「娯楽だ」と反論するくらいなら、率先してあの換金制度を
廃止したらよい。
景品は、家庭で使う家庭用品だけ。
そうすればよい。

 私の予想では、それで消費電力の抑制という目的も達することができるはず。

(注※)(以下、Jcastニューズより)

「自動販売機なんてやめちまえ。コンビニで買って家で冷やせばいいじゃない」
「パチンコはジャラジャラと音を立てるために電気を煌々とつけるのは、世界中で日本だけだ」
原発事故に伴う電力不足について、こう持論を展開した。石原慎太郎氏は、これまで震災対応の公務を優先しており、街頭演説はこの日が初めてだった。
10日夜の当選後も、各社のインタビューに熱弁を振るった。石原氏は、自販機とパチンコの両業界で年間の電力消費がそれぞれ450万キロワットで、合わせて1000万キロワット近い電力が浪費されていると強調。これは、福島第1原発とほぼ同じ電力消費だとした。そして、国は、オイルショック時に出したように、節電のための政令を出せばよいとまで言い切った。
(以上、Jcastニューズより)


Hiroshi Hayashi+++++++May. 2011++++++はやし浩司・林浩司

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