2010年7月17日土曜日

*What is the Character for Man?




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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      8月   6日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●内罰型(内責型)vs外罰型(外責型)

++++++++++++++++++

あなたは内罰型か、それとも外罰型か。

それによって、あなたの性格は、おおきく
ちがってくる。

++++++++++++++++++

●絶妙なバランス

 子育ては絶妙なバランスの上に成り立っている。
ほんの少しそのバランスがずれただけで、子どもはちがった性質を示す。
そのことは、双子の子どもをみると、わかる。

 両親の接し方は、ほぼ同じ。
育児姿勢も、ほぼ同じ。
環境は、もちろん同じ。

 が、それを受け止める子どもは、それぞれ。
もちろん子どもどうしの影響もある。
しかしときとして、正反対の性質をもつことがある。
ほんのわずかな(差)。
それを「絶妙なバランス」という。

●M君とHさん

 M君とHさん。
ともに小学5年生。
双子。
母親が私の教え子だったということで、この2人については、話しやすい。
母親は、天才的な頭脳の持ち主で、地元の進学校から国立大学の医学部へ推薦で、
入学している。

 中には遺伝的影響を否定する人もいる。
多分に「悪い要素は遺伝しない」という意味で、そう言う。
しかし頭のよい親の子どもは、頭がよい。
そうでない親の子どもは、そうでない。
M君とHさんは、学校でも、めったに100点以外は取らない。
勉強癖がしっかりしていることはある。
かと言って、ガリ勉タイプではない。

●内罰型vs外罰型

 が、M君とHさんは、性格が正反対。
どう性格をみるかにもよるが、M君は内罰型。
内責型ともいう。
一方、Hさんは外罰型。
外責型ともいう。

 簡単なテストをしてみよう。

 あなたが子どもだったころを、思い出してみてほしい。
そのあなたが、不注意でテーブルの上のお茶をこぼしたとする。
そのとき母親の鋭い視線が飛び込んできた。
そういうとき、すかさず「ごめんなさい。私が不注意だった」と、自分に責任を
求めるだろうか。
そういうタイプを、内罰型(内責型)という。
反対にすかさず、「こんなところにお茶を置いておいた、お母さんが悪い!」と、
責任を他人に転嫁するだろうか。
そういうタイプを、外罰型(外責型)という。

 内罰型であるか、外罰型であるか。
この両者は、おもしろいほど2つのタイプに、明確に分かれる。
中間型の人というのは、ほとんどいない。
一度あなた自身のこことして、確かめてみるとよい。
(ちなみに、私はこうして評論ばかりしているが、内罰型。
どうでもよいことだが……。)

●微妙な差

 もし環境や親の育児姿勢が、子どもの性格を決定するというのなら、M君と
Hさんは、同じような性格になったはず。
あるいはたがいの微妙な(差)が、それ以後の成長過程で、極端化したのかも
しれない。
能でいう、ワキとツレ?
どちらか一方が凸になり、どちらか一方が凹になる?
たがいに役割分担をし、補完し合うようになる?

 ただ興味深いのは、見た目にはM君は行動的で積極的。
とても内罰型には見えない。
一方Hさんはもの静かで、沈思黙考型。
とても外罰型には見えない。
わかりやすく言えば、M君は、「やんちゃ坊主風」。
Hさんは、「姉さん女房型」。
見た目と正反対。

 2人は心底信頼しあっている夫婦のように、仲がよい。
たがいにたがいを、よく助け合う。
たとえばM君が、おもちゃのバットを見つけたとする。
そのM君が喜ぶように、Hさんは、ボールを投げてみせたりする。

●母親

 母親については、私の教え子だったこともある。
まれに見る聡明な女性だったこともある。
印象も強く残っている。

 行動的でもちろん、頭のキレもよい。
ただ内罰型だったのか、外罰型だったのかは、わからない。
当時の私には、そういう知識はなかった。
私が推理するところ、Hさんと同じ、外罰型ではなかったか。
こういうケースのばあい、女性である母親は、男である息子の教育にとまどう。
その(とまどい)が、支配的になることが多い。

 半面、女である娘は、女性である母親の理解を得て、力を得やすい。
より自由な雰囲気で、成長する。
母親の気楽さが、娘によいほうに作用する。

●子どもの性質

 話がまとまらなくなってきた。

 つまり私が書きたいことは、内罰型であれ外罰型であれ、それは微妙な(差)で決まる
ということ。
最初は、ほんの小さな分かれ道だったかもしれない。
その分かれ道が、時間の経緯とともに、どんどんと広がり、固定化する。
その(差)が、子どもの性質に大きな影響を与える。

 ここに書いた内罰型の人は、あらゆる面で内罰型になり、生活面においても、大きな
影響を与える。
外罰型の人にしても、そうだ。
 
 ただし一言。
この問題は、どちらがよいかということには、つながらない。
ただ一般的に言われていることは、外罰型の人は、うつ病にはなりにくいということ。
反対に内罰型の人は、うつ病になりやすいということ。
何か問題が起こるたびに、自分を責める。
それが心の中にうっ積して、うつ病を引き起こす(?)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 内罰 外罰 内責 外責 内罰型 内罰型人間 外責型 外責型人間)

++++++++++++++

2007年11月に書いた
原稿を添付します。
この中に出てくる双子の兄弟というのは、
先に書いた双子の兄弟と同じ兄弟です。

++++++++++++++

●他責型人間vs自責型人間

+++++++++++++++++

何か問題が起きると、すぐ「あいつが
悪い」「こいつが悪い」と訴える人がいる。

このタイプの人を、他責型人間という。

一方、何か問題が起きると、すかさず、
「ごめんなさい」「すみません」と、
謝る人がいる。

このタイプの人を、自責型人間という。

「他責型人間」「自責型人間」というのは、
私がつけた名前である。

+++++++++++++++++

 先日、「PーFスタディと呼ばれるテスト法」について、原稿を書いた。投影法の一種で、
心の中の欲求不満がどこにあるかを調べるための、テスト法である。

 私の教室でも、30~40人の子どもについて、それを調べてみた。結果、おもしろい
ことがわかった。

【テスト法】

 「昨日はキミが遊びに来たから、今日のテストはできなかった」と友だちが言ったこと
に対して、あなたなら何と答えるかを質問。回答を、口頭で言わせたり、作文させたりす
る。

 このテストで、

(1)他責型人間は、どこまでも相手が悪いと主張し、自分への責任を回避する。
(2)自責型人間は、自分の非をすなおに認めて、自分に責任があるとして謝罪する。

 その間にあって、だれの責任でもないとあいまいにしてすませてしまうタイプを、無責
任型人間というが、ここでは考えない。

 このテストは、別名「絵画欲求不満テスト」(「臨床心理学」・稲富正治著)とも呼ばれて
いる。
つまり心の奥底に潜む、欲求不満の原因が、どこにあるかを、このテストを通して、知る
ことができる。

 たとえば悶々と、いつ晴れるともわからない気分でいたとする。何かわからないが、モ
ヤモヤしている。不平、不満も多い。すっきりしない。そういうとき、このテストをして
みるとよい。その原因がどこにあるかを知ることができる。

 欲求不満の原因が他人にあるときは、他人に向かって責任を求める。たとえばこのテス
トでは、こう書く。

 「あなたが遊びに来いと言ったから、来た。それをどうして私のせいにするの。そんな
のはあなたの勝手よ」と。

 一方、欲求不満の原因が自分にあるときは、自分に向かって責任を求める。たとえばこ
のテストでは、こう書く。

 「ごめんなさい。テストがあるって、私は知らなかった。言ってくれれば、じゃましな
かった。気がつかなくて、ごめん」と。

 このテストをしてみて、とくに私の注意をひいたのは、双子の兄弟(男児と女児、小3)
である。見た感じででは、性格は対照的なほど、大きくちがう。

 男児をA君とする。女児をBさんとする。

 A君は活発で、行動派。わんぱく盛りといった子どもである。自己主張もはげしく、ど
こかわがまま。いつもどこか、ガサガサしているといったふう。

 それに対してBさんは、慎重派。理知的で、繊細な感覚をもっている。人格の完成度も
高い。聡明。いつも静かに落ち着いている。

 A君は、このテストでは、あきらかに自責型人間と出た。一方、Bさんは、そのB君と
は対照的に、あきらかに他責型人間と出た。私は当初、この結果にとまどった。しかしや
がてすぐ、その背景が理解できた。

 当然のことながら、A君とBさんは、いつも行動をともにしている。通っている学校も
同じ。クラスも同じ。きわめて接近した関係にある。

 そういう関係の中で、何かにつけて、A君はBさんに、やりこめられている。勉強とい
う面では、いつも負けている。

 一方、Bさんは、A君という兄弟をもちながら、いつも手を焼いている。内心では、「あ
まり自慢できない弟(兄)」と思っているのかもしれない。A君を、やんちゃな弟とするな
ら、Bさんは、できのよい姉ということになる。(実際には、双子だが……。)

 こういう関係の中で、A君は、自分に対する評価(=自己評価)をさげていった。一方、
Bさんは、自分に対する評価をあげていった。結果、A君は、自責型人間になり、Bさん
は、他責型人間になった。

 わかりやすく言えば、2人の間で何か問題が起きるたびに、A君は、「どうせ、ぼくが悪
い」「ぼくの責任」と思うようになった。一方Bさんは、「何でも、あなたが悪い」「あなた
の責任」と思うようになった。そのちがいが、このテストで、顕著に現れた。

 が、問題がないわけではない。

 他責型人間は、欲求不満の原因を、いつも他人のせいにする。それゆえに、自分の非を
認めない。タイプとしては、姉御(あねご)タイプ。あるいは親分タイプということにな
る。

 一方自責型人間は、欲求不満の原因を、いつも自分のせいにする。それゆえに、ときと
して自分を必要以上に、過小評価してしまう。子分タイプ。あるいは隷属タイプというこ
とになる。

 どちらがよいとか、悪いとかいうことではない。このテストは、あくまでも、心の奥底
をのぞくためのもの。だからといって、A君に、こうしなさいとか、Bさんに、こうしな
さいとかいう類(たぐい)のものではない。

 しかしこのテストを通して、私は、たいへん興味深いことを発見した。見かけでは、A
君は他責型人間、Bさんは、自責型人間に思っていたからである。つまり心の奥底という
のは、その見かけでは、わからないということ。

 あなたも一度、このテストをして、自分の心の奥底をのぞいてみたらよい。

 ところで、私は自責型人間。私のワイフは他責型人間である。先のA君とBさんの関係
と、たいへんよく似ている。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●外責型人間VS内責型人間

+++++++++++++++++

何かのことで、責任を問われたりすると、
「お母さんが悪い」「友だちが悪い」と、
その責任を、他人に転嫁するタイプの子どもがいる。
このタイプの子どもを、(おとなもそうだが~)、
外責型人間という。

心理学の世界には、「帰属理論」という言葉も
ある。責任をだれに帰属させるかという点で、
同じように、外的帰属型、内的帰属型に分けて
考える。

用語はちがうが、中身は、同じ。

外責型人間=外的帰属型、内責型人間=
内的帰属型ということになる。

このほかに、その中間にあって、責任を
問われても、へらへらと茶化してしまう、
無罰型というのもある。

たとえば子どもがお茶をこぼしたばあいを
考えてみよう。

子どもが部屋を走っていて、たまたまそこに
客に来ていた人の、お茶をこぼしてしまった
とする。

そのとき、「お母さんが、そんなところに
お茶を置くから悪いのよ」と、即座に、
他人のせいにするのを、外責型人間(外的
帰属型)という。

一方、すかさず、「ごめん。私が走っていたから
悪かった」とあやまるのを、内責型人間(内的
帰属型)という。

その中間にあって、ヘラヘラと笑いながら、
「お茶がこぼれちゃった。ぞうきん、ぞうきん!」と、
その場をやりすごしてしまうタイプを、無罰型と
いう。

外責型人間は、それだけ無責任で、責任を
いつも他人に向けるので、ストレスを内に
ためない。

内責型人間は、それだけ責任感が強く、ストレス
を内にためやすい。「まじめ」という評価を受けるが、
社会生活がその分だけ、ぎくしゃくしやすい。

+++++++++++++++++

 これは私たち夫婦のことだが、私のワイフは、完全に、外責型人間。一方、私は、完全
に、内責型人間。まったくタイプのちがう人間が、今、(夫婦)をしている。(あるいは長
い時間をかけて、たがいに分業するようになったのかもしれない。)

 つい先日も、2人で、コンサートに行くことになっていた。しかし会場に行ってみると、
コンサートはすでに終わっていた。

 「16:00会場、16:30開演」を、ワイフは、「6時会場、6時半開演」と読みま
ちがえた。それを指摘すると、ワイフはすかさず、こう言った。

ワ「あら、このチケット、時間がちがっている」
私「ちがっていない」
ワ「だって、6時なのに、16:00と書いてあるわ」
私「ちがう。お前が読みまちがえた」
ワ「まぎらわしいわね。ちゃんと、午後4時からと書いてくれればいいのに」と。

 私ならこういうケースでは、即座に、あやまる。「ああ、ごめん。まちがえた。16:0
0会場を、午後6時会場と思いこんでしまった」と。

 が、ワイフは、その段階でも、まだ自分の非を認めない。私が、「お前は、16:00と
午後6時のちがいもわからないのか」となじると、「だれだって、まちがえること、あるで
しょ」「あなただって、この前、講演時間をまちがえたじゃない」と。

 すなおに、「ごめん、まちがえた」と言ってくれれば、私も救われる。が、ワイフはちが
う。つまりワイフのようなタイプの人間を、外責型人間、あるいは外的帰属型という。

 外責型人間は、言い訳がうまく、自分への圧力を、外の世界にかわす。だから
ストレスをためない。うつ状態になることも少ない。

 一方、内責型人間は、自分の中にストレスをためるので、先にも書いたように、責任感
が強い分だけ、うつ状態になることも多い。

 そこであたた自身は、どうかということ。少し前に書いた原稿を、そのままここに転載
する。

********絵画欲求不満テストより***********

【友だちに、あなたはこう言われた。「昨日は君が遊びに来たから、ぼくは(私は)今日の
テストができなかった」と。そのとき、あなたはどう言い返すだろうか?】(「絵画欲求不満
テスト」(「臨床心理学」・稲富正治著より)

******************************

★A(小3・男児)「ごめんね。キミとあそびたかったもんで、あそびにいきたかったんだ。
ほんとうに ごめんね」(自責・固執型)

☆B(小3・女児)「しょうがないじゃん。キミがあそびに きてっていったから、いったんだよ。ボクのせいじゃ、ないよ。それにボクと いっしょに やらないから わるいじ
ゃん。それに、キミ めんどくさいって いったじゃんか」(他責・固執型)

★(小2・男児)「キミがあそびにくるっていったからだよ」(他責・固執型)

★(小2・男児)「ごめんね。ぼくのせいでテストができなくて、ごめんね。でもぼくだっ
て、あそびたかった。けれど、きみだって、テストがあるって、言ってくれればよかった」
(自責・逡巡型)

☆(小3・女児)「ごめん。きのうあそびにいったから、きみがきょう、テストができなか
ったんでしょ。本当にごめん」(自責・固執型)

★(小3・男児)「なぜ、ぼくのせいにするの」(他責)

★(小3・男児)「そんなこというなよ。いやだな。ぼくそういうこと言われると、気ぶん
がわるくなるんだけど」(他責・逡巡型)

★(小5・男児)「なんで? そんなの ぼくがなんで おこられるの。ぼくが帰ってから 
べんきょうすればよかったじゃん。これからは ぼくにもんくを つけないで」(他責・固
執型)

★(小5・男児)「なんで ぼくが わるいんだよ。遊びにきたからじゃ ないよ」(他責・
固執型)

★(小6・男児)「人のせいに するなよ。なら、約束しないか、早めに帰らせれば、よか
ったじゃないか」(他責・固執型)

++++++++++++++++

 ざっと読んだところ、子どもの世界では、「多責・固執型」が目立つ。他人のせいにして、
どこまでも自分には責任がないとがんばるタイプである。

 この中で「オヤッ」と思ったのは、最初のA君と、Bさんの回答である。双子の兄弟だ
が、A君は、やんちゃな、わんぱく少年といった感じ。そのA君とは対照的に、Bさんは、
思慮深く、静かな落ち着きのある優等生といった感じ。精神の完成度も高い。

 そのA君が「ごめんね」とあやまる、(自責・固執型)であるのに対して、Bさんが、相
手を責めまくる、(他責・固執型)であるということ。常識で考えれば、それぞれが反対の
回答を書いたとしても、おかしくない。

 A君のもっている深層心理と、Bさんがもっている深層心理に迫ったのではないかとい
う点で、たいへん興味深かった。

 なおこの(PーFスタディ)では、

(1)他責型(相手の責任を追及する)
(2)自責型(自分の非を認め、謝罪する)
(3)無責型(どちらの責任でもないとする)の3つに分けて考える。

 さらにそれぞれの内容を、

(1)逡巡型=障害優位型(あいまいで、迷いのあるタイプ)
(2)自我防衛型(相手や自分を罰することによって、自分を守る)
(3)固執型=要求固執型(どこまでも、相手か自分が悪いと、固執する)の3つに分け
て考える(同書)。

 計9タイプの子ども(おとな)に分けて考える。

 さて、あなたの子どもは、どんな回答をするだろうか。一度、家庭で試してみるとおも
しろい。

 なおこのテスト法は、もともとは、欲求不満の原因がどこにあるかを知るためのもので
ある。

 欲求不満の原因は、大きく分けると、2つに分類される。

(1)自分自身の中に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。
(2)自分自身の外に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。

 前者を、「超自我阻害場面」、後者を、「自我阻害場面」という(同書)。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
 P-F
スタディ PFスタディ 絵画欲求不満テスト はやし浩司 外責型人間 内責型人間 
帰属理論 外的帰属型 内的帰属型 「絵画欲求不満テスト」(「臨床心理学」・稲富正治著) 


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●人間の性格

++++++++++++++++++++++

PーFスタディでは、

(1)他責型(相手の責任を追及する)
(2)自責型(自分の非を認め、謝罪する)
(3)無責型(どちらの責任でもないとする)の3つに分けて考える。

 さらにそれぞれの内容を、

(1)逡巡型=障害優位型(あいまいで、迷いのあるタイプ)
(2)自我防衛型(相手や自分を罰することによって、自分を守る)
(3)固執型=要求固執型(どこまでも、相手か自分が悪いと、固執する)の3つに分け
て考える。

 計9タイプの子ども(おとな)に分けて考える(以上、「絵画欲求不満テスト」
(「臨床心理学」・稲富正治著より)。

 さて、あなたの子どもは、どんな回答をするだろうか。一度、家庭で試してみるとおも
しろい。

 なおこのテスト法は、もともとは、欲求不満の原因がどこにあるかを知るためのもので
ある。

 欲求不満の原因は、大きく分けると、2つに分類される。

(1)自分自身の中に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。
(2)自分自身の外に原因があって、それが欲求不満の元となっているケース。

 前者を、「超自我阻害場面」、後者を、「自我阻害場面」という(同書)。

+++++++++++++++++++++++

●なぜ、こうした性格に分かれるか

 PーFスタディで興味深いのは、またそこまでPーFスタディでは
踏み込んでいないが、なぜ、こうした性格に分かれるかということ。
遺伝説、環境説の2つが考えられるが、(性質)そのものは、遺伝的要素による
影響を無視することはできない。

 たとえば幼児のばあい、敏感性、鈍感性(知的能力をさすのではない)などの「質」は、
遺伝的要素によって大きく影響を受ける。

 が、外罰型(外責型)、内罰型(内責型)については、生後の家庭環境が大きく
影響していると考えてよい。
そのことは、今まで書いてきた、双子の兄弟(兄、妹)の例をみればわかる。

 もしこうした性格のちがいが、環境によるものならば、つぎにどのような環境で、
子どもたちがどのような性格をもっていくようになるか。
それがわかれば、「私」を知る手がかりを得ることにもなる。

 「私」は、いつ、どのようにして「私」になったのか?

●自責型の逡巡型

 稲富正治著「臨床心理学」の分類法によれば、私(=はやし浩司)は……

(1)自責型の(2)逡巡型ということになる。

 自分を責めながらも、同時にそのつど迷う。
おそらく自責型になったのは、乳幼児期前後にその方向性が決められたせいではないか。
私は子どものころ、そして大学生のころまでは、自責型だった。

 その私に変化が見られるようになったのは、「私」が何であるかわかり始めた、大学生
以後のことではないだろうか。
それまでの私は、批判力も弱く、だれにでもシッポを振るようなタイプの人間だった。
宗教団体からの誘いがあれば、そうした会合にも出た。
学生運動への誘いがあれば、そうした運動にも参加した。
一時は、ヤクザの世界にも、あこがれた。
深い考えがあって、そうしたのではない。
付和雷同、まさにそのものだった。

 が、「それではいけない」と、(しかしそのように意識した記憶はないが……)、現在の
逡巡型になっていった。
つまり乳幼児期に形成された「内罰型(内責型)」を基本に、その後の環境の中で、逡巡型
へとなっていった。
もちろん逡巡型になるについては、私の不幸な家庭環境が大きく影響している。
(それについては、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。)

●「私」とは?

 こうしてながめていくと、その向こうにおぼろげながら、「私」が見えてくる。
つまり「私」の中には、(私であって私でない部分)がたくさんある。
大部分が、そうではないか。
その(私であって私でない部分)を、「私」から引いていく。
残った部分が「私」ということになる。

 ……といっても、その正体をつかむのは、むずかしい。
入り込めば入り込むほど、その先が混沌としてくる。
原型のようなものが、見えなくはないが、しかし「形」があるわけではない。
心理学の教科書のように、分類できるものでもない。
暗闇に包まれている。

 いったい、それは何なのか……。
というところで、この稿をいったん、停止する。
このつづきは、場所を変え、気分を変えて、考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 PーFスタディ 私とは 「私」論)


Hiroshi Hayashi+++++++July. 2010++++++はやし浩司

【老齢期論】(さわやかに老齢期を生きるための鉄則論)

●居直って生きる

 クヨクヨ悩まない。孤独、喪失、不安……。老齢期では、避けようもない。
避ける方法もない。だったら、仲よく生きる。居直って生きる。孤独、当たり前。
喪失、当たり前。不安、当たり前、と。そこに運命を感じたら、受け入れる。
とたん、目の前に道が見えてくる。


●のたれ死に

 道路でのたれ死ぬことを恐れない。心配しない。またそれでもって、人生の
敗残者と思うことはない。動物はもちろん、古今東西、ほとんどの人は、そういう
死に方をしている。またそれがふつう。大切なのは、どう死ぬかではなく、それまでに、
どう生きるか。


●運命

 人にはそれぞれ無数の「糸」がからんでいる。社会の糸、家族の糸、過去の糸などなど。
そうした「糸」が、ときとしてあなたの進むべき道を決める。それを「運命」という。
その運命を感じたら、逆らわない。受け入れる。逆らえば逆らうほど、運命はキバを
むいてあなたの襲いかかってくる。


●脳みその穴に注意

 老齢期に入ると、脳みその底に、穴があいたような状態になる。そこから知恵や知識が
容赦なく、こぼれ落ちていく。10年一律のごとく、同じような話や会話をするように
なったら、要注意。話題の幅が狭くなったら、要注意。話の内容が浅くなったら、要注意。
ユーモアのセンスがなくなったら、要注意。


●愚痴(ぐち)を言わない

 愚痴を言わない。イヤミを言わない。不平不満を口にしない。
同時に愚痴を聞かない。イヤミに同意しない。不平不満は、聞き流す。
愚痴(Complainment)は、それ自体が精神疾患の主症状(アメリカ)になっている。
愚痴をこぼす人は、それだけで精神が腐っている。そう判断して、相手にしない。


●人を選ぶ

 老齢期に入ったら、つきあう人を選ぶ。つねに邁進し、愚劣な人は避ける。
切り捨てる。人間関係をさわやかにする。
老齢期になると、その人の人生観が集大成される。生き様が確立される。
それを適確に判断して、少人数の人と、深く静かに交わる。


●過去を悔やまない

 過去の「損」にこだわらない。今、ここに生きている価値を認める。
息ができる。ものが聞こえる、見える。歩くことができる。話せる。
その価値を認め、そこに生きる原点を置く。「損」という言葉は使わない。
「損をした」という話は、それ自体が人生の敗北を認めることになる。


●運動するという習慣

 大切なのは「運動」ではなく、「運動するという習慣」。
その習慣があれば、よし。そうでなければ、10年単位で、作る。
とくに重要なのが、腰と膝(ひざ)。腰と膝が、老後の健康を決める。
取って付けたような運動は、かえって健康を損ねる。


●今日があって明日がある

 今日がんばれば、明日がある。今週がんばれば、来週がある。
今月がんばれば、来月がある。今年がんばれば、来年がある。
それを心に刻みながら、「今」がんばる。とくに健康については、そうで、
けっして「今」をさぼらない。


●ボケ防止

 もっとも有効なボケ防止策は、(それでもボケる人はボケるが)、「障子を
開けて、外に出る」(豊田左吉、改)。音楽を聴き、絵画を楽しみ、旅行をする。
努めて、つまり無理をしてでも、外に出る。人と交わる。新しい情報を
手に入れる。それを日常生活の中で、習慣化する。


●前向きに生きる

 老後の先細り感は、どうしようもない。解決のしようもない。
すべてが、先細り。健康も、仕事も、人間関係も、そして名誉、地位も。
つまりクヨクヨ悩んでも、しかたない。あきらめ、受け入れる。
そこを原点に、今、そこにあるものに向かって、前向きに生きる。


●流水は腐らず

 人、とくに若い人たちとの接点を失わない。仕事ができれば、喜び、感謝する。
老後の仕事は、金儲けのためではない。金を払ってでも、仕事をつづける。
水がよどめば、そこで水は腐る。同じように、生活から(流れ)が消えると、
そこで精神が腐る。


●「頭とシッポはくれてやれ」(某経済誌)

 老後は、ケチケチしない。「頭とシッポはくれてやれ」(某経済誌)。
その気前のよさが、人間関係をさわやかにする。わかりやすくする。
老人のケチほど、見苦しいものはない。友を遠ざける。万事、質素に。
それ以上のものは、人に「くれてやれ」。


●ウソをつかない、ルールを守る

 老齢期になったら、ウソをつかない。ルールを守る。この2大鉄則を守る。
(今回の選挙で、どこかの政党がこの言葉を使っている。私は10年以上も
前から、本に書いている。)
ウソをつきたくなったら、黙っていればよい。ルールを破りたくなったら、
静かに立ち止まっていればよい。


●食べたら損(そこ)ねる

 食物を前にしたら、常に、「食べたら損(そこ)ねる」を、心の中で念ずる。
少食を旨とし、決してむさぼらない。体重も、平均体重x0・8程度を基準とする。
(若い人の平均体重を基準にしてはいけない。)太りすぎは、万病のもと。
レストラン食は、残して、捨てる。


●依存心と闘う

 だれかが何とかしてくれる……という依存性は、捨てる。闘って、捨てる。
『老いては子に従え』ではなく、『老いては、子をアテにするな』。
子に媚を売るな。孫に媚を売るな。自分の生き様こそ、最高の遺産と知る。
だれのためでもない。自分の遺産と知る。


●やるべきこと

 朝、起きてそこに(やるべきこと)がある人は、幸福と知るべし。
朝、起きてそこに(話し相手)がいる人は、幸福と知るべし。
朝、起きてそこに「病」を感じなければ、幸福と知るべし。
最高の名誉、地位をもった人より、幸福と知るべし。


●老人臭くなるな

 口臭、体臭、加齢臭に注意せよ。ジジ臭い格好、ババ臭い格好をするな。
目の前の老人を手本とするな。見本とするな。まねをするな。
人は老人になるのではない。老人に作られていく。それに警戒せよ。
あなたはあなたを貫け。


●その日を覚悟せよ

 その日はかならずやってくる。「うしろから突然、やってくる」(O氏談)。
それを覚悟して、「今」できることを、後に回すな。明日に回すな。
「今」を燃焼させろ。完全に燃焼させろ。常にその日を覚悟せよ。
覚悟して、油断するな。


●孤独には、居直れ

 老齢には、孤独はつきもの。避けようがない。だったら、仲よくつきあう。
「孤独、当然」と、居直る。居直って、孤独であることを、受け入れる。楽しむ。
独居老人、おおいに結構。孤独死、おおいに結構。それを不幸と結びつけるな。
人生の結論と結びつけるな。


●不安は友だち

 不安でない老齢者はいない。ぜったいにいない。つまり不安なのは、あなただけ
ではない。だったら、不安とは、仲よくつきあう。孤独にせよ、不安にせよ、
それから逃げようともがけばもがくほど、キバをむいて、あなたに襲いかかってくる。
が、受け入れてしまえば、向こうからシッポを巻いて、逃げていく。


●なるように、なる

 どんな高齢者も、かならず、なるようになる。あなたも、私も、やがてなるように
なる。勝手に未来像を作り、そこに自分を当てはめてはいけない。自分を束縛
してはいけない。またそうならないからといって、嘆いたり、もがいたりしてはいけない。
老後というのは、万事、そういうもの。


●介護と遺産

 「親の介護が3年つづけば、兄弟姉妹はバラバラ」(某看護士談)。親の介護が
原因で、兄弟姉妹が縁を切る例は、多い。ほとんどがそうなる。またわずか
10万円の遺産が原因で、兄弟姉妹が縁を切った例もある。自分の介護と遺産には、
じゅうぶん注意して、後に残せ。


●つねに精進

 体力が落ちてくると、持病がどっと表に出てくる。
同じように気力が弱くなると、それまで(気力で)隠していた人間性が、
モロに外に出てくる。老齢期になればなるほど、ごまかしがきかなくなる。
老齢期になったら、精進あるのみ。日々の研鑽のみが、あなたの人間性を維持する。


●喪失には慣れろ

 喪失することを恐れない。老後に喪失はつきもの。最終的には、すべてを失い、
この世を去る。財産価値の乏しいモノは、どんどんと人にくれてやれ。身軽にしながら、
喪失することに慣れろ。モノにこだわるな。「どうせ死ぬときは裸」と考えるのも、よい。
要するに老齢期に入ったら、モノに執着しないこと。


●無私・無欲

 無私・無欲をめざせ。体にしみついた、貪欲さと闘え。ほんの少しでも、
自分の中に無私・無欲を感じたら、それにしがみつけ。大切にして、守れ。
無私・無欲の中にこそ、あなたが今、なぜここに生きているかを教えるヒントが
隠されている。


●世間体・見栄・体裁

 世間体・見栄・体裁に毒されない。人の目を気にしない。評判を気にしない。
「私は私」を貫く。同時に、「あなたはあなた」を貫く。自分を相手に押しつけない。
そこに相手がいるなら、認め、受け入れる。相手を世間体・見栄・体裁で判断
してはいけない。


●回顧と展望

 退職したら、過去の名誉、地位、肩書きを捨てる。しがみつくな。バカになって、
ゼロから始める。「私は偉い」と主張すればするほど、あなたのまわりから人は、逃げる。
回顧(過去を振り返る)と展望(未来をめざす)は、老後の両輪。つねに展望を回顧に
優先させろ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 老齢期100の箴言 老齢期教訓 老人の生き方 老齢訓 生き様論)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□


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