2010年7月6日火曜日

*A Bad Experience

【ひとつの経験】

●盗作・盗用

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昨夜は、午前0時ごろまで、眠られなかった。
怒りで、体がほてった。
一度、精神安定剤をいつもの2倍、のんだ。
そのあと、睡眠導入剤を、やはりいつもの2倍、のんだ。

今朝は、そのせいか、午前8時過ぎまで、眠った。
が、目を覚ますと同時に、また体がほてり始めた。

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●自分の原稿

 自分の書いた文章かどうかは、一読すれば、わかる。
何千枚書いていようが、何万枚書いていようが、すぐわかる。
原稿というのはそういうもの。
盗作する側は、「そんなにたくさん書いているなら、わからないだろう」と
思うかもしれない。
しかしそれは誤解。
一読すれば、すぐわかる。

●盗作の証明

 しかしそれを盗作と証明するのは、たいへんむずかしい。
むずかしいというより、めんどう。
まずその元原稿を、さがさなければならない。
書庫をひっくり返すような、大作業。
が、元原稿が見つけるだけでは、すまない。
書いた日付のはっきりしたものでなければならない。
相手が、「私のほうが先に書いた」と主張すれば、こちらとしては
打つ手がない。
しかもその相手というのが、巨大な組織であればなおさら。
日付がはっきりしなければ、盗作疑惑が、逆に私のほうに向けられる。

●証拠能力

 今回、元原稿をさがすにあたって、ひとつのことに気づいた。
ネットで発表した原稿には、証拠能力がないということ。
日付の特定が、むずかしい。
特定するのは、不可能ではないが、たいへんむずかしい。
仮に見つかったとしても、日付など簡単に上書きができる。
元原稿の証拠とするには、さらにいくつものステップを踏まなければ
ならない。

 ただ電子マガジンのばあいは、削除はできるが、改作できないものが
多い。
が、それでも日時が特定されたことには、ならない。
電子化された文字の弱みは、ここにある。

 が、さらに問題はつづく。

●盗作

 たとえば10年前に『許して、忘れる』というテーマについて書いたとする。
新聞にも発表し、そのあと本にもした。
が、そこでそれについての原稿が完成したわけでない。
そのあと、同じテーマで何度も書いたとする。
当然、内容も、そのつど少しずつ変化する。

 で、そういう「変化した」原稿がそのまま盗作されたとする。
こういうとき、証拠として出した元原稿と、内容が大きくとは言わないが、
同じであっても、「同じ」とは言いにくい。

 相手が、「同じではない」と主張すれば、どうやってそれに反論すれば
よいのか。

●不快感

 盗作されるのは、不愉快。
本当に不愉快。
どう不愉快かは、盗作されたものでないとわからないだろう。
何も悪いことをしたのではないのだが、神経をすり減らす。
昨夜は、客人が3人来た。
いっしょに食事をした。
が、私は、ほとんど何も食べられなかった。

 一方、盗作する側はどうなのか。
最初電話に出た担当者(N県警察本部の役人)は、かなり高姿勢だった。
「証拠が明確でない」
「原稿を書いたライターの責任」というようなことを言った。

 しかしこういう言い方は、私を怒らせる。
だから私は、2つの原稿を、電話口で読み合わせてやった。
「こちらが、あなたがたのHPに載っている原稿です」
「これから読むのが、私が本に書いた原稿です」と。

 こうしたやりとりが、1時間近くもつづいた。

●弁護士

 弁護士をしている友人のK君に、連絡を取った。
「弁護士を入れるかどうか、50、50だな」と言った。
「相手が高飛車なら、入れろ。徹底的に闘え。しかし穏便に話し合いが
つくようなら、必要ないな」と。

 まずは、様子見というところか。
弁護士が入れば、当然費用という点で、慰謝料の請求、損害賠償の請求とつづく。
弁護士も、ただでは仕事をしない。

 が、私とて、こうしたトラブルは、避けたい。
その一方で、盗作、盗用が、あまりにも多い。
「個人」の世界では、日常茶飯事と言ってもよい。
ネットの世界では、とくにそうだ。
(コピー)(張り付け)が簡単にできる。
その分だけ、罪の意識が薄い。

●著作権

が、このままでよいとは、だれも思っていない。
だれかが、どこかで歯止めをかけなければならない。
盗作は、窃盗である。
立派な窃盗である。
つまり、ドロボー。
「すみません」ですむような話ではない。
またそれですませてはいけない。

●正義感

 正義感とは、何か。
その前に「正義」とは何か。

 たまたま今回は、元原稿がしっかりしていた。
新聞で発表済みの原稿や、本に書いた原稿が多かった。
(そうでないものも、あったが・・・。)

 もしそうでないなら・・・。
つまり私がただの物書きだったら、どうか?
証拠となるような、元原稿さえないような人間だったら、どうか?
相手は証拠がそろわないことをよいことに、「盗作はしていない」と
言い張るかもしれない。
いろいろ考えているうちに、不快感だけが、頭の中で増幅する。

 正義を貫こうとする私。
「どうでもいいや」と投げやりになる私。
その2人の「私」が、頭の中で交互に現れては消える。
やはり弁護士のK君が言うように、「相手の出方しだい」というところか。

●悪質性
 
 こんどの盗作は、ふつうの盗作ではない。
悪質。
文章を切り張りしながら、前後を入れ替えている。
あちこちから私の原稿を寄せ集めている。
会話文を、わざと関西弁に書きなおしている。
部分によっては、私の原稿を、句読点まで含めて、そっくりそのまま
というところもある。

 それでいて、文末には、「Copyright All Reserved」と。
「すべての著作権は、当HP(警察本部)にある」という意味である。
で、今朝の電話では、当該HPは、すでに10年の歴史があるという。
「10年以上、盗作されたままだった」と考えられなくもない。
その多くは、私が10年ほど前に書いた原稿である。

●空しさ

 私は2000年を過ぎるころから、無料で原稿を公表してきた。
「無私、無欲」。
それが私のモットーだった。
私の生きがいにもなっていた。

 だからそういう公的な機関からの依頼があれば、むしろ積極的に
原稿を提供してきたであろう。
(もちろん「はやし浩司」のクレジットは守ってもらう。
原稿の改変は許さない。)

 そういう私であることをよいことに(?)、私の原稿を盗作する。
そのせいだろうか。
私は今、心から力が抜けてしまったかのような空しさを覚える。

●法の番人

しかも相手は、法を守るべき、その番人。
その番人が、法を破って、弱者である私の原稿を盗作する。
はがゆいのは(?)、私は警察に対して、敵意がないこと。
私は日本の警察を信頼してきたし、今までも、たいへん協力的だった。

 怒りがあるはずなのに、その(怒り)が、警察に向かったとたん、
途中で消えてしまう。
(怒り)がつづかない。
怒っているはずなのに、(怒り)がつづかない。
私の警察への信頼感というより、親しみは、今回の盗作だけでは、
消えない。

●好意

 しかしなぜそうまで露骨な盗作をしたのか?
それを考えているうちに、やがてその向こうに、「好意」のようなものを
私は感ずるようになった。

 ライターは、私の文章が気に入った。
だから、盗作した。
悪意からというよりは、私の文章に惚れてくれた。
言い換えれば、私のファンということになる。

望ましくない人だが、悪人ではない。
それにそのHPは、公的機関が発行する、公的なもの。
どこかのインチキ医師が、ライターを雇って本を書かせるのとは、
基本的な点で、姿勢がちがう。
(そういう医師がいるぞ!)

●さて、どうするか。

 ワイフの結論は、「弁護士を通しましょう」ということらしい。
私は、迷っている。
わずらわしいことは、できるだけ避けたい。
若いときならまだしも、そういう点では、盗作するひとたちの罪は重い。
被害者のほうが、かえって不愉快な思いを強いられる。
で、私は、こう考える。

 もし立場が逆だったら、どうだろうか、と。
相手は許してくれるだろうか、と。
「法の番人」である以上、それはないだろう。
ショッピングセンターの店長が、万引きを見逃すのとは、わけがちがう。

・・・などなど。

●結論

 7月6日。
担当者から、朝、2度も電話がかかってきた。
1度目は無視した。
2度目は出た。
誠意が感じられた。
私の決意はぐらついた。
弁護士との約束の時刻が近づいていた。

 どうしようか?

 何度も私は「まだ覚悟が決まっていませんから」と言った。
そのころになると、(怒り)は消えていた。
相手が警察では、先にも書いたように(怒り)もつづかない。
どこかのカルト教団とか、あのK国とかなら、猛烈な(怒り)を覚えた
だろう。
1時間近くも話しているうちに、相手の誠意に包まれてしまった。
何かのミスでそうなってしまった。
それがよくわかった。
刑法でいう、「犯意の認定」ができない。

 横でワイフが、「(弁護士との)約束の時間よ」とサインを送ってきた。
とたん、「やめた!」となった。

●平穏な生活
 
 こうして私の生活は、再び平穏になった。
ざわついた騒音が消えた。
心のどこかで、「これでいいのかなあ」という思いは残った。
正義を握りつぶしたような不快感は残った。
しかしそれもすぐ消えた。

 やはり心穏やかな生活のほうこそ、重要。
ストレスは体に悪い。
・・・というより、あれほどダイエットに苦労していたが、この
2日で、2キロも体重が減った。
ワイフは、「怪我の巧名ね」と言って、笑った。
「そうだな」と言って、私も笑った。

●盗作する人へ 

 盗作は立派な犯罪。
窃盗罪。
そういう認識を、しっかりともってほしい。
引用するならするで、しっかりと引用先を明記する。
出典先を明記する。
これはものを書くときの常識。

 実のところ、私の原稿も、あちこちで盗作、盗用されている。
巧みに盗用され、本になっているのもある。
10数万部以上も売れているのもある。
しかし優秀な(?)ライターほど、尻尾をつかまれるような文章を書かない。
いろいろな手法を使う。

いちばん簡単な方法は、盗んできた原稿に、さらに専門用語を付け足して、
元の原稿をカモフラージュするというもの。
瓶詰めのワサビダコを、九谷焼の小物に入れて、その上に珍しいトッピング
をかける。
それを会席料理として出す。
そういう手法を使う。

 しかし見抜ける人には、見抜ける。
私にも見抜ける。
一般の人にはわからないかもしれないが、文章というのはそういうもの。

 台所の椅子に座っていたら、心地よい睡魔が襲ってきた。
どこかで空腹感を覚えながら、私はそのままうたた寝をしてしまった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 盗作 盗作劇 ある盗作 原稿の盗用)

(補記)

●TWという作家

少し前、TWという作家が死んだ。
私と同年齢だった。
彼はマスコミに発覚しただけでも、2度も、盗作事件を引き起こしている。
2度目のときは、「執筆者に(示談で)許してもらえました」と、テレビ
カメラに向かって、泣きじゃくっていた。

 私の経験からしても、盗作ができる人というのは、相当の悪人と考えて
よい。
とくに(もの書き)と呼ばれる人なら、なおさら。
(もの書き)は、自分の魂を文に織り込む。
盗作するということは、自分の魂を捨てることを意味する。
自己否定そのものと言ってもよい。
それが平気でできる。
魂が腐っている。
つまり他人を裏切るのも、平気。

 また2度も発覚したということは、盗作の常連者と考えてよい。
それがものを書くときの手法として、定着している(?)。
そう疑われてもしかたない。

 この私は・・・と書くのも、はばかれるが、それほどの善人ではない。
しかしこと文章に関しては、そこに魂をこめる。
それゆえに、「盗んだら、おしまい」。
いつも自分にそう言って聞かせている。

 だからもしみなさんが、どこかで私の書いた文章と似たような文章、
あるいは私の哲学と似たような哲学をもった文章に出会ったら、まず、
相手のほうを疑ってほしい。
(同時に、私に知らせてほしい。)
私は無名の、しがない(もの書き)だが、心意気だけは、人一倍高い!


Hiroshi Hayashi++++++July 2010++++++はやし浩司

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