2010年12月24日金曜日

*What is the UFO for me?

●眠られぬ夜(2010-12-24記)

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昨日は、仕事も順調。
体調もよかった。
自分なりに満足できる1日だった。
が、床に入ると、どうも寝付きが悪い。
安定剤を半分に割ってのむ。
舌の先でなめていると、やがて眠くなる。

1度、トイレに起きた。
再び床に就いてから、PSPで将棋を指した。
勝った。
そのあと「おめでとう、5戦連勝」と表示された。

時計を見ると、午前1時。
ワイフは横で寝息をたてていた。

私は静かに目を閉じ、巨大なUFOを
思い浮かべた。
何でも土星の輪の中には、日本列島を
2倍したほどの大きさのUFOが常駐
しているという。
何かの本で、そう読んだ。
写真も添えられていた。

半端な大きさではない。
長さだけでも4000キロ!
それが尾部(あるいは頭部)から、岩石を
吹き出しているという。
またそれによって、なぜ土星の輪の模様が
変化するか、その説明ができるという。

何とも信じがたい話だが、あまりにも
突飛すぎるが故に、かえって真実味がある。

私はそのUFOの内部を想像した。
円筒形ということだから、回転しながら
遠心力を利用した人口重力を作っているに
ちがいない。
ということは、UFO内側の壁面に張りつくように、
生活空間があるということになる。
地球で見るような山や川もあり、草原もある。

眠られぬ夜は、私は決まってそんなUFOを
頭の中で空想する。
子どもの世界でいう、おとぎ話。
それと同じ。
私もそんなことを空想しながら眠る。

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●現実性と空想性

 子どもの世界では、空想性はあまり好ましくない。
イギリスの教育格言にも、『空中の楼閣を想像するのはよいが、子どもを空中の楼閣に
住まわせてはならない』というのがある。
現実は現実。
空想は空想。
その両者は、はっきりと区別する。

言い替えると、現実性のあるなしで、その子どもの精神の発達度を知ることができる。
たとえば乳幼児期のある一時期、子どもは空想の世界にハマることがある。
が、その時期を過ぎると、子どもは急速に現実的なものの考え方をするようになる。
言い替えると、少年、少女期に入って、空想性が強すぎるというのは、好ましいこと
ではない。

 占いやまじない、さらには「スピリチュアル」。
ゲームの世界にハマるのも、そのひとつ。
そういうものにハマるということ自体、精神の発達が未熟と考えてよい。

●UFO

 UFOが存在するとか、しないとかいう議論はさておき、地球を宇宙からながめる
という点では、UFO問題を考えることは、それなりに楽しい。
視野が広くなる。
冒頭に書いた、長さ4000キロのUFOでもよい。

 しかしまったくのデタラメかというと、私はそうは思わない。
私とワイフは、長さ数キロもあるようなUFOを目撃している。
さらに月には、「オニール橋」と呼ばれる橋があったという(後述)。
(現在、その橋は消えている。)
子どものころ、どこかの科学展示会に行ったとき、その橋のことを知った。
長さは、20キロ前後もあったという。
その空想図が、大きく描かれていた。
あのオニール橋にしても、UFOだったと考えると、辻褄(つじつま)が合う。
4000キロなら4000キロでもよい。
人間には想像を絶する大きさだが、ものごとは人間中心に考えてはいけない。
一匹のアリが、100万トンの石油タンカーを想像するばあいを考えてみればよい。
この宇宙では、人間は、アリのようなもの。

●空想性

 広く考えれば、人間が「あの世」を想像するのも、空想性のひとつということになる。
天国でも、極楽浄土でもよい。
言い替えると、人は加齢とともに、その空想性が強くなる。
またそういった空想をすることによって、一抹の安堵感を覚える。
孤独な夜も、それによって癒される。

 つまり加齢とともに、精神の発達が萎縮する。
後退する。
現実から離れて、空想の世界を生きるようになる。
私について言えば、この傾向はますます強くなることはあっても、弱くなることはない。
そのことは、老人たちを観察してみれば、よくわかる。

 たとえば私の母は、特養にいたころ、介護士の人たちをみな、親類の人や、昔なじみ
の人に置き換え、その名で呼んでいた。
「あの人は、隣のXさんの息子さんの、~~さんや」
「この人は、在所のK村から来ている、~~さんや」と。

 さらに言い替えると、こうした空想性が強くなったら、それだけ老人に近づいたという
こと。
けっして好ましいことではない。
だから闘う。
そういう自分と闘う。
「あの世」を信ずるにしても、そんなことは、死の直前でじゅうぶん。
それから信じても、遅くはない。

●現実性

 一方、現実性は、現実の世界を現実的に生きることで養われる。
簡単に言えば、仕事をする。
お金を稼ぐ。
そういう連続性のある緊張感の中で、養われる。
釈迦もこう言っている。
『己(おのれ)こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』と。

 それについて以前、こんな原稿を書いた。
話が少し脱線するが、許してほしい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●己こそ、己のよるべ

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。
法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。
釈迦は、「自分こそが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。
つまり「自分のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。
自由というのは、もともと「自らに由る」という意味である。
つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとる」ことをいう。
好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。子育ての基本は、この「自由」
にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれ
るタイプの母親は、それを許さない。
先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。
私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう
言いなさい」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」
と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。
その不信感が姿を変えて、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となること
もある。
ある母親は今の夫といやいや結婚した。
だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃんとできるように
なるの!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。
あるいは自分で行動させない。
いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面での過保護。「乱暴
な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護(ひご)のもとだけで子育てをするな
ど。子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。
俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもになる。外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。
自分と子どもの間に垣根がない。自分イコール、子どもというような考え方をする。
ある母親はこう言った。
「子ども同士が喧嘩をしているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子
どもを殴り飛ばしたい衝動にかられます」と。
また別の母親は、自分の息子(中2)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。
警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。
たまたまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机
を叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。
一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子どもを自立させること。
その原点をふみはずして、子育てはありえない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●検証

 現実的に生きようとする私。
その私が別のところで、空想の世界に生きている。
この矛盾?
そこで私はその矛盾を合理化するために、「UFOは迷信ではなく、科学である」と主張
する。

 が、「見たことがある」というだけで、そこから話が前に一歩も進まない。
そういう「会」が、この浜松市にもいくつかあるらしい。
一度は顔を出してみたいと思いつつ、まだ一度も、実行していない。
その会の人たちにしても、立場は、私と同じではないか?
言うなれば、小田原評定。
ああでもない、こうでもないという議論ばかりしていて、先に進まない。
みなで調査に行くというわけにも、いかない。

 が、ここにきて、ひとつ、新しい検証手段が見つかった。
YOUTUBEという検証手段である。
YOUTUBEには、土星のUFOについての映像もアップしてある。
そういうものを検証しながら、自分でそれを確認することができる。
「これは本物だ」とか、「これは怪しい」とか。

 そう言えばこんなUFOもあった(YOUTUBE)。

 そこかの空にUFOが現れた。
そのUFOのこと。
空に浮かんでいたのだが、移動するときだんだんと薄くなり、やがて空に溶け込むよ
うに消えていった。
透明化したとも考えられる。
そのYOUTUBEを見たとき、「このUFOは本物」と、私は確信した。
私が40近くワイフと見たUFOも、そうだったからである。
また当時、そのように文として記録した。
「私が見たUFOは、スーッと空を横切ると、そのまま空に溶け込むようにして
消えていった」と。

 YOUTUBEでその画像を見る、何十年も前のことである。

 ……ということで、眠られぬ夜は、目を閉じて、UFOのことを考える。
しばらくしていると、そのまま眠ってしまう。
それが私にとっての「おとぎ話」。
母親が寝床で子どもに話して聞かせる、「おとぎ話」。
昨夜の私がそうだった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
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Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

●UFO(2007年12月の原稿より)

Have you ever seen an UFO? My wife and I did. It was a midnight after 12:00 o’clock.
We were walking in a narrow street near our flat. It was a huge one, which might be 2 or
3 kilometers in width. Of course it was not a plane. It was so huge. Then if someone asks
me if I believe in UFO’s, I would say, “Yes”. These days at the Parliament House of
Japan, some congressmen discuss about UFO’s in the public. Does this have something
to do with “Kaguya”, a Japanese moon-search rocket? Kaguya is now on the orbit of the
moon, taking photos from the space. I hope the government show us everything about
the Moon. Some scientists as well as people say that the Moon is a giant space-craft for
the aliens. Do you think so too?

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このところ、国会議員たちが、「UFO」
という言葉を、よく口にする。

国会という、公式の場でも、この問題
が取りあげられた(07年12月)。

一応、政府見解は、「存在しない」だが、
一部の議員たちは、「信じている」、「いる
と思う」などと発言している。

こうした一連の発言は、日本が打ちあげた
月探査衛星「かぐや」と、どこかでつながって
いるのではないだろうか?

「かぐや」は、とんでもない映像を地球へ
送り届けてきた(?)。

「とんでもない」というのは、「ありえない」
という意味であり、私はそれがUFOであって
も、少しも、おかしいとは思わない。

アポロ宇宙船で、月の裏側に回ったある宇宙
飛行士は、こう言ったという。

「まるでラッシュ・アワーのように、UFO
が飛び交っている!」と。

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●オニール橋

 月の内部には、巨大な空間がある。その中心部では、プラズマの人工太陽が、さんさん
と輝いている。月の内側に住む住人たちは、地球人の私たちと同じような生活をしている。

 一見、荒唐無稽(むけい)のような話だが、こうした説を信じている人は多い。科学者
の中にも、いる。たとえば私が子どものころには、月には、オニール橋※というのがあっ
た。「オニール」というのは、その橋を発見した人物の名前である。

 オニールは、ある日、望遠鏡で月を見ていたとき、斜め方向からの太陽光線を浴びて、
そこに橋のような影ができているのを発見した。それでそれを「オニール橋」と名づけた。

 私はその橋のことを、どこかの博覧会に行ったときに知った。巨大なアーチ型の橋で、
全長はたしか、20キロ近くあると聞いたのを記憶している。

 しかし、だ。今、同じところをさがしても、その橋はない。「ない」というより、「消え
た」。今にして思えば、その橋というのは、山から山へと、ちょうどそれらにまたがるよう
に着陸していたUFOではなかったかと思う。

 私自身も、巨大なUFOを目撃している。ブーメラン型のUFOである。全長が2~3
キロはあったかと思う。あるいはもっと長かったかもしれない。よく「葉巻型UFO」が
話題になるが、葉巻型UFOともなると、全長が20~30キロもあるという。

 こういう話を聞くと、月へのロマンが、かぎりなく、ふくらむ。

 月の住人たちは、どこから来たのか?
 月の住人たちは、何をしているのか?
 月の住人たちは、地球人の私たちを、どうしようとしているのか?

 あの月をくりぬいて住むほどの宇宙人だから、かなり頭のよい人たちとみてよい。私た
ち人間より、ひょっとしたら、何千年も、何万年も進化しているかもしれない。あのUF
Oにしても、光速に近いスピードで、宇宙空間を自由自在に動き回れるという。

 私が見たUFOにしても、空にそのまま溶け込むかのようにして、消えていった・・・。

 「かぐや」は、どんな映像を送ってきているのか? その一部は、インターネット上で
も公開されているが、どれも高・高度からのものでしかない。私(=私たち)が見たいの
は、もっと低高度で撮った、倍率の高い写真である。
 
 そこには、月に住む住人たちの、その直接的な証拠が写っているかもしれない。どうか
ウソ隠しなく、(=修正しないで)、すべての写真を公開してほしい。

(注※)(以下、月探査情報ステーションの公式HPより、転載)

オニール橋事件を振り返ってみます。1953年7月、ニューヨーク・ヘラルド・トリビ
ューン紙の科学部長であったJ・J・オニール氏は、月面の「危難の海」の西側に人工的
に作られた橋のようなものを発見したと発表しました。この橋は二つの峰をまたぐような
形で、20kmにもおよび、日没時には観測できましたが、日の出の時には見えなかった、
ということです。

同年8月、英国天文学協会の月研究部長だったH・P・ウィルキンス氏らも同じ構造を確
認したと発表しました。しかし、その後この構造は観測できなくなり、見まちがいだった
のではないかという批判が起こりました。ウィルキンス氏はその批判に抗議し、月研究部
長を辞任したそうです。

当時、オニール橋はかなりの話題を呼び、一部UFO研究家などからは巨大なUFOが一
時的に着陸していたのではという推測もされたそうです。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist UFO オニール オニール橋)


Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司

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