●溺愛ママの子育てブルース
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ある日、ある母親(47歳)は、娘(22歳)
から、三下半(みくだりはん)を突きつけられた。
娘が大学を卒業した直後のことだった。
江戸時代、簡略に離婚事由と再婚許可文書を、
3行半で書いた。
そのことから、そういう。
ふつうは、夫から妻に出す離縁状をいう。
が、実際に、三下半だった。
携帯電話のメールで、娘は母親にこう伝えた。
「今後生涯にわたって、絶縁します。
一切、連絡はしないでほしい。
私を捜すこともしないでほしい。
○○圭子」
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●ヤボな話
これはヤボな話かもしれない。
しかしこういうケースのばあい、母親は、娘を訴えることができるか。
それまでの養育費と学費、それに慰謝料を請求することができるか。
法律的には可能かもしれない。
しかし実際には、子育てに対する構え方によってもちがうが、裁判沙汰にする親は
いない。
泣き寝入りするのが、ふつう。
実際、その母親はそれがきっかけで、うつ病を発症し、気が変になってしまった。
●溺愛の果て
親が子どもを溺愛して、よいことは何もない。
親はよかれと思い、子どもを溺愛するが、子どものほうこそ、ありがた迷惑。
親が思うほど、子どもは感謝していない。
そればかりか、それを過干渉ととる。
ある男子高校生は、母親にこう言って叫んだ。
「いつオレが、お前に産んでくれと頼んだ!」と。
母親の存在感が大きすぎた。
その男子高校生は、それに反発した。
●溺愛ママ
溺愛ママについては、たびたび書いてきた。
全体としてみると、もっぱら、子どもの立場で書いてきた。
しかしここでは親の立場で考えてみたい。
というのも、「溺愛ママ(パパでもよいが)」というと、自業自得と考える人が多い。
子育ての失敗が原因で、結果として、親自身がひどく傷つく。
だから自業自得、と。
しかしそうとばかりは言えない。
溺愛ママと呼ばれる人は、それなりに愛情も深い。
子育てに没頭する分だけ、子どもに時間とヒマ、それにお金をかける。
子どものためならと、どんな苦労も厭わない。
ただ子どもを溺愛する母親(父親でもよい)には、情緒的な欠陥があることが多い。
未熟性といってもよい。
それが母親をして、子どもを溺愛に走らせる。
が、それは母親自身の責任ではない。
その母親を育てた、両親の責任である。
溺愛ママだけに、自業自得と、責任をおおいかぶせるのは、あまりにも酷。
かわいそう。
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溺愛ママについて書いた原稿を
さがしてみます。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●溺愛
親が子どもに感ずる愛には、3種類ある。本能的な愛、代償的な愛、それに真の愛である。
本能的な愛というのは、若い男性が女性の裸を見たときに感ずるような愛をいう。たとえ
ば母親は赤ん坊の泣き声を聞くと、いたたまれないほどのいとおしさを感ずる。それが本
能的な愛で、その愛があるからこそ親は子どもを育てる。もしその愛がなければ、人類は
とっくの昔に滅亡していたことになる。
つぎに代償的な愛というのは、自分の心のすき間を埋めるために子どもを愛することをい
う。一方的な思い込みで、相手を追いかけまわすような、ストーカー的な愛を思い浮かべ
ればよい。相手のことは考えない、もともとは身勝手な愛。子どもの受験競争に狂奔する
親も、同じように考えてよい。「子どものため」と言いながら、結局は親のエゴを子どもに
押しつけているだけ。
三つ目に真の愛というのは、子どもを子どもとしてではなく、一人の人格をもった人間と
意識したとき感ずる愛をいう。その愛の深さは子どもをどこまで許し、そして忘れるかで
決まる。英語では『Forgive & Forget(許して忘れる)』という。つまりどんなに子ども
のできが悪くても、また子どもに問題があっても、自分のこととして受け入れてしまう。
その度量の広さこそが、まさに真の愛ということになる。
それはさておき、このうち本能的な愛や代償的な愛に溺れた状態を、溺愛という。たいて
いは親側に情緒的な未熟性や精神的な問題があって、そこへ夫への満たされない愛、家庭
不和、騒動、家庭への不満、あるいは子どもの事故や病気などが引き金となって、親は子
どもを溺愛するようになる。
溺愛児は親の愛だけはたっぷりと受けているため、過保護児に似た症状を示す。
(1)幼児性の持続(年齢に比して幼い感じがする)、
(2)人格形成の遅れ(「この子はこういう子だ」というつかみどころがはっきりしない)、
(3)服従的になりやすい(依存心が強いわりに、わがままで自分勝手)、
(4)退行的な生活態度(約束や目標が守れず、生活習慣がだらしなくなる)など。全体にちょうどひざに抱かれておとなしくしているペットのような感じがするので、私は「ペット児」(失礼!)と呼んでいる。柔和で、やさしい表情をしているが、生活力やたくましさに欠ける。
溺愛ママは、それを親の深い愛と誤解しやすい。中には溺愛していることを誇る人もい
る。が、溺愛は愛ではない。このテストで高得点だった人は、まずそのことをはっきりと
自分で確認すること。そしてつぎに、その上で、子どもに生きがいを求めない。子育てを
生きがいにしない。子どもに手間、ヒマ、時間をかけないの3原則を守り、子育てから離
れる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ブルース
自分の中に溺愛性を感じたら、子どものためというよりは、自分自身のために、子育てから離れたほうがよい。
その時期はできるだけ早いほうがよい。
溺愛にのめりこめばのむほど、あとあと傷口が深くなる。
親が子どもを溺愛して、子どもが親の望み通りになるケースは、100に1つもない。
ご注意!
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 溺愛 でき愛 溺愛ママ でき愛ママ でき愛ママブルース)
●モンスターママvsヘリコプターママ
●ヘリコプター・ママ(Helicopter Mothers in South Korea)
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韓国には、「ヘリコプター・ママ」と呼ばれる
母親たちがいるそうだ。
「ヘリコプターのように子どもの周囲を駆けずり回り、
あれこれ世話をする母親」(朝鮮N報)という意味だ
そうだ。
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朝鮮N報、8月10日付け(2008)に、こんな興味深い記事が載っていた。
少し日本語を読みやすくして、紹介する。
+++++++++++++以下、朝鮮N報より+++++++++++++
ある名門大学の経営学科に通うキム某君(19)は、夏休みを利用してソウル・鐘路にある有名な公認会計士試験予備校に通っている。母親が「次の学期の“会計原理”の授業で良い成績を取らなければならないから、夏休みに予備校へ通っておく必要がある」という話を周囲の人たちから聞き、どの予備校が良いか調べた上で、登録までした。
キム君の母親は、息子が次の学期に履修する科目をすべて決めていた。「公認会計士試験に向け、徹底的に準備するためには、会計分野の専門教育科目が重要だから、この科目は英語ではなく国語の授業として臨めばよい。○○教授の講義は上手いというから、必ず取らなければならない」といった形だ。
大学1年のチェ某君(19)は、ある金融機関でインターンとして働いている。まず大学の就職情報センターや学科のホームページで情報を集めた後、「ここ(金融機関)で働いた経歴は、就職の際に一番プラスになるだろうから、ここへ行きなさい」という母親のアドバイスを聞き、その通りにしている。チェ君の母親は、息子に代わって自動車教習所の登録もしている。
キム君やチェ君の母親のような人が最近増え、「ヘリコプター・ママ」と呼ばれている。ヘリコプターのように子どもの周囲を駆けずり回り、あれこれ世話をする母親という意味だ。自分の子どものことを何でもしてあげることで、子どもを「マザコン」に仕立て上げているともいえる。
ソウル大宗教学科のユ・ヨハン教授は「成績を出した後、教授に直接会って“うちのこの成績が良くないと、専攻を決める際に人気のない学科に行かされるかもしれないから、成績を上げてくれ”と懇願する母親もいた」と話す。
釜山に住む主婦のユン某さん(49)は、大学1年の息子が「ほかの人よりも早く司法試験の準備をしたい」と言ったため、その願いを叶えるために東奔西走した。息子の軍隊への入隊や大学の休学の時期をすべて調整し、さらに自らソウルへ行って、司法試験の合格者を多く出しているという冠岳区新林洞一帯の予備校を探し歩いた。
京畿道に住む主婦キム某さん(54)は、31歳になる会社員の息子の「金融アドバイザー」だ。銀行や不動産鑑定士に依頼して綿密な分析をし、利回りが良いファンドや株式投資、積立口座などを選んで、息子に代わって加入するとともに、毎月の収益実績をチェックして資金の運用までしている。息子の月給の管理も母親の役目だ。息子が女性と会えば、条件や趣向などを把握し、引き続き会ってもよいかどうかを息子に言い聞かせてもいる。
問題はこうした「ヘリコプター・ママ」の下で過保護に育てられた子どもたちが、困難な状況に直面したとき、自らの力で問題を解決していく経験が絶対的に不足しているということだ。その子どもたちもまた、「マザコン」になってしまうのではないかという不安を感じているという。
高麗大社会学科の玄宅洙(ヒョン・テクス)教授は「就職難が続き、“ニート”が増える中、子どもが大学を卒業した後の進路を決めることも、親(特に母親)の役目になっている。母親の“行き過ぎた親心”が、成人した子どもの親への依存度を高め、“一人では何もできない”大人に仕立て上げている」と苦言を呈した。
+++++++++++++以上、朝鮮N報より+++++++++++++
日本でいう「モンスター・ママ」に似ている。
少し前は、「教育ママ」と読んだ。
要するに、過干渉、過関心、過保護、それに溺愛を複合した母親ということになる。
本来なら、社会や自分自身に向けるべき生きがいまで、すべて子どもに向けてしまう。
その結果、朝鮮N報にもあるように、子どもは、マザコン化する。
50代、60代になっても、母親のうしろを、いそいそとついて歩いたりする。
が、もちろん、本人自身に、その自覚はない。
自分では、「親孝行の、すばらしい息子」と思っている。
あるいは「自分の親は、自分がそうするに足る、すばらしい親」と思いこんでいる。
問題は、なぜ、こういう母親が生まれるかということ。
それには、社会の不備があげられる。
女性は結婚し、家庭に入ると、その時点から、子どもを産み、子どもを育てる(道具)としか見られなくなってしまう。
いくら才能やキャリアがあっても、家庭の中では、それを生かすこともできない。
またその途中で、自分を磨くこともできない。
勉強といっても、せいぜい資格試験のため。
その先がない。
約30%の女性は、それでよいと考えている(某、調査)。
しかし大半の女性は、不完全燃焼症候群の中で、悶々とした日々を過ごす。
それから生まれるストレスは相当なもので、「家庭は、女性にとっては監獄である」と説いたイギリスの評論家さえいた。
つまりそうしたエネルギーを、すべて子どもに向けてしまう。
モンスター・ママにせよ、ヘリコプター・ママにせよ、ゆがんだ男女差別観が生んだ、犠牲者にすぎない。
韓国も日本も、この点では、よく似ている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist はやし浩司 ヘリコプターママ ヘリコプター・ママ モンスター・ママ モンスターママ)
Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司
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