【「死」を考えたら、それは「心の病気」(Depression、私のばあい)】
●NG先生の死を考えながら……
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私もあぶなかった。
もともとうつ病気質。
ささいなことがきっかけで、うつ病ぽくなる。
(あくまでも自己診断によるものだが……。)
NG先生が亡くなってからというもの、
かなり落ちこんだ。
連絡を受けたのが、12月2日の朝。
以来、「死とは何か」と。
いっぱしの哲学者にでもなったかのように、
そんな文章ばかりを書いていた。
が、BLOGにはアップロードしなかった。
つまり原稿としては、ボツ。
読み返せば、読み返すほど、へん。
まともではない。
自分でも、それがよくわかった。
だからボツ。
結論を先に言えば、こういうこと。
「死」を考えたら、それは「心の病気」。
健康な心の持ち主は、「死」など考えない。
心の病気にかかっているから、「死」を
考える。
だからこの一週間、こんなおかしな経験をした。
私の中に2人の「私」がいた。
その2人の「私」が、心の中で綱引きをしていた。
「がんばって生きよう」と、前向きに引っ張る「私」。
「どうせ長生きしても、無駄」と、後ろ向きに引っ張る「私」。
あぶなかった!
もしそのとき、「どうせ長生きをしても、無駄」と
考える力のほうが大きかったら、私はさらに
深く落ち込んでしまっていたかもしれない。
そこで重要なこと。
これは精神病一般に通ずることだが、まず「それ」
に気がつくこと。
これを精神医学の世界では、「病識」という。
常識のある・なしで、軽重が決まるともいう。
また病識があれば、治るのも早いという。
つまり「私は病気である」という意識をもつこと。
自分を客観的にながめる冷静さをもつこと。
つぎにどこがどのように「へん」か、自分でそれを
知ること。
昨日(12月6日)は、本当に苦しかった。
何を考えても、「死」に結びついてしまった。
が、それも限界へ来たとき、私はハタと気がついた。
「私は病気」と。
とたん、目の前が、パッと明るくなった。
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●みんな、死ぬな!
警察庁のまとめによれば、こうだ(2009年度)。
自殺者の男女別では、
男性が2万3472人(71.5%)、
女性が9373人(28.5%)。
男性のほうが、圧倒的に多い。
原因・動機が特定できた自殺者2万4434人のうち、
「経済・生活問題」が前年比13.1%増の8377人。具体項目では、「生活苦」が前年同期比で34.3%増の1731人、
「失業」が65.3%増の1071人
とそれぞれ大幅に増加したそうだ。
また、「事業不振」も1254人。
生活で追い詰められて「死」を選ぶ人が多いということらしい。
一方、「健康問題」を原因・動機とする自殺は1万5867人。
このうち「うつ病」が前年比7.1%増の6949人。
すべての具体項目の中で最も多かったという。
このあたりから、私に関係してくる。
「うつ病によるものが、前年比7・1%増の6949人」とか。
「そんな少ないのかなあ?」と思うと同時に、その一歩手前でふんばっている人たちの
姿が目に浮かぶ。
その何十倍、あるいは何百倍はいるはず。
アメリカ人のばあい、3人に1人が、うつ病にかかっているとも言われている。
日本人も、それに近づいてきた(?)。
年代別では50歳代が6491人で全体の19.8%を占めて最多。
以下、60歳代(5958人、18.1%)
40歳代(5261人、16.0%)
30歳代(4794人、14.6%)
70歳代(3671人、11.2%)
20歳代(3470人、10.6%)
80歳以上(2405人、7.3%)など。
要するに、50代、60代が多いということ。
10万人当たりの自殺者数を示す「自殺率」は、20歳代で24.1、30歳代で26.2と、統計開始後最高を記録した。
職業別では、主婦や失業者、年金生活者などを含む「無職者」が全体の57.0%を占める1万8722人。
細目では「年金・雇用保険等生活者」が18.4%に上り、際だっているそうだ。
やはり仕事をもつということは、大切なことのようだ。
仕事という連続的な緊張感があればこそ、人は自分の心を正常に(?)保つことができる。
(もちろん仕事が原因でうつ病になる人も多いが……。)
●私のばあい
落ち込んでくると、脳のCPU(中央演算装置)が狂ってくる。
そのため自分が狂っていることがわからなくなる。
反対に、正常な人のほうが、おかしく見えてくる。
たとえば私はあれこれ、ワイフに話しかける。
が、ワイフは上の空。
ぜんぜん話に乗ってこない。
「お前は、そうは思わないのか」と何度も言うのだが、ワイフは、「私はそうは思わない」
と。
それを私の方が、腹立たしく思う。
「どうしてぼくの気持ちがわかってくれないのだ!」と。
しばらく、この繰り返し。
当然、口げんかも多くなる。
●被害妄想
ささいなことが、気になる。
「あの人がこう言った」とか、「こんなことを書いてきた」とか、など。
それだけですめばよいのだが、それに被害妄想が重なってくる。
「あの人は、私に悪意をもっている」とか、「私にいやがらせをしている」とか、など。
そればかりを考えているから、当然、妄想がどんどんとふくらんでくる。
頭の中がいっぱいになる。
が、ふと我に返る。
我に返って、それを頭の中から、振り払う。
ワイフに「なあ、今のぼく、おかしいか?」と聞く。
ワイフはああいう人だから、ストレートにこう答える。
「あなたは、おかしい」と。
するとまた口げんか。
私「こういうのを性格の不一致というのだ」
ワ「あなたに合う人はいないわよ」
私「お前は、一度だって、そうねと言ってくれたことがない」
ワ「あるわよ」
私「ない!」と。
さらにエスカレートする。
私「お前とは、もう離婚だ」
ワ「しかたないわね」と。
●ということで……
今朝、目を覚ますと、ワイフが横から聞いた。
「頭、痛いの?」と。
「うん、少しね。風邪ではなく、軽い偏頭痛だ」
「薬、もってきてあげようか?」
「いい。自分で取ってくる」と。
……ということで、私は起きてしまった。
時計を見ると、午前5時。
外は、まだ真っ暗。
私「あのなあ、来週あたり、ディズニーランドへでも行ってみるか」
ワ「そうねえ……。友だちがユニバーサル・スタジオへ行ってきたんだって。いろいろ
新しいアトラクションがふえたみたいよ」
私「じゃあ、ユニバーサル・スタジオにしようか」と。
……ということで、教訓。
とにかく「死」を考えたら、「心の病気」と思うこと。
それには段階がある。
あくまでも私のばあいだが……。
(前兆段階)愚痴が多くなる。取り越し苦労、ぬか喜びが多くなる。ささいなことが
気になる。それについてあれこれと考える。
(第一段階)「死」についての原稿を書く。自責の念が強くなる。自分は生きていても無駄
とか、そんな思いが強くなる。あるいはみなに迷惑をかけていると悩む。ひがみやすく
なったり、いじけやすくなったりする。
(第二段階)「死」を近くに感ずる。あるいは「老後」を悲観的にとらえるようになる。
老後に強い不安を覚える。愚痴や取り越し苦労が、被害妄想と重なり、ふくらんでくる。
(第三段階)「死んだ方が楽」とか、「死ねば楽になる」とか考える。生きていることの
虚しさを強く感ずるようになる。生きていても無意味と考えるようになる。
(第四段階)死に方を具体的に考えたり、「どう死ぬか」を考える。何を考えても、悲しくなる。反対にイライラしたり、突発的にカッとなって怒る。
(第五段階)部屋に引きこもり、悶々と悩みつづける。だれにも会いたくなくなる。
電話さえも、うるさく感ずる。
第一段階から第五段階にまで分けて考えてみたが、第一から順に第五へ進むというわけ
ではない。
こうした症状が軽重をともなって、複合的、かつ、重複して現れる。
なお自分にわかる変化としては、脳の働きが重くなる。
鈍くなる。
どんよりとした感じになる。
前頭部がボーンと詰まったような感じになる。
これにはセロトニン(脳間伝達物質)が関係しているよう。
●では、どうればよいか
とにかくこの病気は、自分でそれと気がつくこと。
気がつくだけで、ほとんど治ったとみてよい。
(これは私の素人判断。)
そのために、日ごろから自分を客観的に見つめる訓練をしておく。
その訓練をしておくと、「今は正常だ」とか、「今はおかしい」とか、そんなことが
自分でもわかるようになる。
それともうひとつ気をつけなければならないのは、この病気は、どうしても
まわりの人たちに迷惑をかけてしまうということ。
ある会社で、課長がうつ病になったら、その半年後には、その課の社員全員も、うつ病
になってしまった。
一家の主人(夫)がうつ病になったら、家族もみな、おかしくなってしまった。
そういうケースも多い。
自分がそうなるのはしかたないとしても、どうしてもみなに、迷惑をかけてしまう。
(こんなことを書くと、うつ病の人は、ますます気が重くなってしまうかもしれない
が……。)
あとは、私のばあい、体がヘトヘトになるまで、歩く。
あるいは運動する。
ほしいものを、パッパッと買う。
もっとも効果的なのは、子どもたち(=生徒たち)と、バカ話をする。
いっしょになって、騒ぐ。
子どもたちの顔を見ただけで、気分がパッと晴れる。
……ということで、今朝は気分一心。
もう悩まない。
私は今日は、前向きに生きていく!
前だけを見て、生きていく!
みなさん、おはようございます。
2010年12月7日。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 うつ病 鬱病 死を考える 自殺願望 死を考えたら心の病気 心の病気)
(補記)
50代、60代の男性の自殺が多いという。
しかもふえつづけているという。
私にとっては、けっして他人事ではない。
が、今、私はこう断言することができる。
「死を考えたら、それは心の病気」と。
心だって、肉体と同じように、病気になる。
東洋医学でも、その両者を区別しない。
だから病気は病気として、病院へ行って、治せばよい。
すぐれた薬もあるという。
私もそのうち世話になるかもしれない。
が、今は、女性用の精神安定剤と、睡眠導入剤、それに市販されているハーブ系の安定剤、
カルシウム剤で、自分の心を調整している。
最後に一言。
みなさん、死ぬことなど考えてはいけない。
そのときがきたら、ぼんやりとした状態で、安らかに死ねるから……。
それまでは、現役。
前だけを見て、前に向かって進んでいこう!
(補記2)
60歳を過ぎたら、涙がこぼれるような葬儀には、参列しないほうがよいのかも
しれない。
涙をこぼすことには、カタルシス効果もあるようだが、しかしそれがきっかけで、
落ち込んでしまうということも、よくある。
今回の私がそうだった。
「あいつは早々と逝ってしまったなあ」程度で、軽く受け流す。
受け流して、あとは忘れる。
国によっては、葬儀が終わったら、みなでどんちゃん騒ぎをするところもある。
飲んで笑って、ワイワイと騒ぐ。
楽器を鳴らして、みなで踊る。
遺族の人たちにとっても、そのほうがよいのかもしれない。
その人の死を喜べということではない。
死んだ本人の気持ちになって、楽しく過ごす。
今朝も死んだNG先生から、メールが届いていた。
「林さん、早々と、死んでしまいましたよ。
私もこんなに早く死ぬとは思っていませんでした。
ハハハ、うかつでした。
80になったら、いっしょにピンコロしようと約束していたのに、ごめん」と。
……とまあ、そんなメールを、私は勝手に想像してみた。
日本の葬儀は、どうも湿っぽくていけない。
「死」とはそういうものという先入観だけで、葬儀をしてしまう。
もっとも三日目の儀式にでもなると、結構、みなさん、楽しそうに振る舞っているが……。
要するに生きることを前向きにとらえるということは、死ぬことも前向きにとらえる
ということ。
繰り返しになるが、そのときがきたら、そのとき。
大切なことは、そのときまでに、自分を完全燃焼させておくこと。
それさえしっかりとしておけば、そのときがきても、こう思えるようになる。
「これでやっと、私も死ねる」と。
死など、恐れるにたりず!
Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司
【楽しい子どもたち】(年長児5、6歳児のみなさん】Happy Learners at BW Club
●子どもたちとのやり取りが、楽しいですよ!
Hiroshi Hayashi++++Dec. 2010++++++はやし浩司・林浩司
2010年12月7日火曜日
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