2010年12月17日金曜日

*People to be despised

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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      12月   17日号
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選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

休みます。

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●他人の不幸をのぞく人

+++++++++++++++++

現実には、いる。
いるから、書く。
他人の不幸をのぞいては、それを楽しむ。
酒の肴(さかな)にして、楽しむ。
みなに話す。
「あいつは、かわいそうな人だよ。
息子が2人いるんだが、2人とも離婚していてね」と。
そんな人たちがいる。

同情しているわけではない。
相手の悲しみや苦しみを、共有しているわけではない。
一応顔をしかめ、悲しそうな声で、そう話す。
が、演技は演技。
その実、それをみなに伝えて、おもしろがる。

+++++++++++++++++++

●BLOGへのコメント

 少し前、「他人の不幸をのぞく人」というテーマで、原稿を書いた。
つい数日前は、「下劣な人」というテーマで、別の原稿を書いた。
それについて、BLOGのほうに、いくつか書き込みがあった。
その中のひとつ。
「私の姉がそうです」と。

 用もないのに、不幸な人の家に出かけていく。
相談に乗るフリをして、その人の話を聞く。
あるいは「見舞い」と称して、不幸な人の家に出かけて行く。
行って、話を聞く。
さらにこんなこともするという。

 その家の人に何か不幸があったと聞くと、すかさず「見舞い」と
称して、菓子などを送る。
500円とか1000円とかの安い菓子である。
送られたほうは、戸惑いながらも、礼の電話をする。
そのときあれこれと相手の状態を聞きだす。

 私も若いころ、似たようなことをされたことがある。
のぞくほうは楽しいかもしれない。
しかしのぞかれたほうは、そうでない。
身を切られるような、つらい思いをする。
悲しい思いをする。
そのつらさは、言葉では言い表しがたい。

●最低限のマナー

 どんな家庭にも、それぞれ事情というのがある。
その事情は、千差万別・・・というか、複雑。
1日や2日、説明したところで、説明しきれるものではない。
そうした複雑な事情を知らず、そこに自分の判断を加える。
「かわいそうな人だ」と。

 しかし先に書いた「離婚」にしても、今どき、離婚など珍しくも
何ともない。
たまたま2人の息子が離婚したとしても、それはそれ。
人生の失敗者でもなければ、敗残者でもない。
ひとつの結果に過ぎない。

 その人自身から相談でもあれば、話は別。
そのときは、そのとき。
そうでなければ、そっとしておいてやることこそ、肝要。
知っていても知らぬフリをする。
説教など、もってのほか。
たとえ相手が年下でも、だ。
これは人間が守るべき、最低限のマナーと考えてよい。

●私の経験

 私もいろいろな経験をした。
その中でも、G県のNさんから届いたメールには、驚いた。
私がした経験と、あまりにもよく似ていた。
転載は不許可とあったので、私自身の体験も織り交ぜて、こちらで文章を書き
なおさせてもらう。

+++++以下、N氏からのメールより(要約)++++++++++++++++

【N氏(55歳)のメールより】

 私の実兄が入院したときのことです。
その3日前と2日前に、私はつづけて実兄を病院へ見舞いました。
そのときのことです。
いとこの1人から、電話がかかってきました。
いわく、「Jちゃんが、入院したぞ」「入院したぞ」と。
いやみを感ずる、不愉快な言い方でした。

 そこで私が、「おとといも見舞いに行ってきましたから、知っています」と。

 そう言い終わらないうちに、そのいとこは、「アッ、そう、ハハハ」「アハハハ」と。
気まずそうな笑い方でした。
もちろんそれを機会に、私はそのいとことは、縁を切りました。

念のため申し添えるなら、そのいとこは、口は出すことはあっても、
金銭的な援助など、そうした援助などはいっさいしてくれたことはありません。
家父長意識だけはやたらと強い。
年長風を吹かして、威張っています。
縁を切りましたから、事実だけをここに書きます。
低劣な人間というのは、そういう人間をいうのですね。

+++++以上、N氏からのメールより(要約)+++++++++++

●魔力

 低劣な人間とは、つきあわない。
つきあっても意味がないばかりか、低劣な人間には、恐ろしい魔力がある。
あなた自身を、低劣な世界へと、引きずり込んでしまう。
そして気がついてみると、あなた自身も、同じようなことを言ったり、するようになる。
夏目漱石も、同じような問題をかかえて悩んだことがある(『こころ』)。

 低劣な世界では、あなたが学んできた深い人間性や、道徳、哲学、それに
人生論が、粉々に引き飛んでしまう。
もしあなたが高邁(こうまい)であればあるほど、ばあいによっては、
魂そのものが、引きちぎられてしまう。
夏目漱石も、そうだった。
N氏がいとこと縁を切った(=いっさいの交際を打ち切った)というのは、やむを
えない判断ということになる。

 言い換えると、人間には、本来的にそうした低劣さが心のどこかに潜んでいる。
嫉妬にからんだ欲望、羨望、恨み、それらが心の底流でウズを巻いている。
さらに言えば、そうした人たちは、いつも相対的な幸福観の世界で生きている。
他人より幸福であれば(?)、幸福。
そうでなければ、そうでない(?)。
それが世間体、見栄、体裁へと進み、ここでいう「相対的な幸福感」へとつながって
いく。

●防衛機制

 防衛機制には、いくつかある。
心というのは、外敵に遭遇すると、自ら心を守ろうとさまざまな反応を示す。
それを「防衛機制」という。
「置き換え」「補償」「合理化」「投影」などなど。

 それにもうひとつ、私は、「自己慰労」を考える。
「慰労」でもよい。
「自分より劣った人、あるいは不幸な人をみつけて、自らの劣等性や
不幸を慰める」。
心が疲労したとき、自己慰労によって、それを解消しようとする。
それを「自己慰労」という(私の造語)。
(天下の「防衛機制」論の不備を突くようで、申し訳ないが・・・。)

 たとえばあのバラエティ番組。
バカ丸出しのような人がいて、これまたバカ丸出しの行為をする。
聴衆を笑わせる。
以前見た番組の中に、1人の男性に多量の下剤をのませて、苦しませる
というのがあった。
その男性はたまたまバスに乗っていて、「降ろしてくれ!」「がまんできない!」
と言って、涙声で叫んでいた。

 それを観て、徴収は笑いこげる。
喜ぶ。
自分より劣った人間がいることを知るのは、それ自体、快感(?)。
楽しい(?)。
またそれがああした番組の視聴率が高いという理由でもある。
それがここでいう「自己慰労」ということになる。

●自己慰労

 この自己慰労を、防衛機制に含めると、冒頭に書いたような事例が、ひとつの
心理反応として、うまく説明できる。
他人の不幸をのぞいて、それを酒の肴にする人は、まさにその自己慰労をしている
ことになる。

また自分自身がその不幸(?)の最中にいる人ほど、自己慰労しやすい。
自分より不幸な人を見つけては、自分で自分を慰(なぐさ)める。
そのために他人の不幸を利用する。

●紙一重

 他人の不幸を笑ってはいけない。
(のぞくなどというのも、もってのほか。)
笑えば笑った分だけ、今度は自分が追いつめられ、苦しむ。
「ああ、自分でなくてよかった」と、思ってもいけない。
幸福にせよ、不幸にせよ、紙一重。
今、幸福だからといって、慢心してはいけない。
今、不幸だからといって、それがいつまでもつづくと考えてはいけない。
いわんや自分の価値観を、他人に押しつけてはいけない。
幸福にせよ、不幸にせよ、それは順繰りにやってくるもの。

 ある男性は、ダウン症の子どもをもった両親を、「不幸だ」と決めつけていた。
(自分自身も、重度の自閉症児をかかえていた。)
しかし当の両親は、ダウン症のことなど、どこ吹く風。
いつもみなで連れだって、レストランで食事をしたりしていた。
休みには、みなで旅行をしていた。
私たちはむしろそちらの行為のほうに、すがすがしさを覚える。
親の深い愛情を感ずる。
人間的な深みを感ずる。

(どうして自分の子どもに障害があるからといって、それを「隠さねばならない
こと」と、とらえるのか。
こうした発想は、発想そのものが、バカげている。
が、低劣な人には、それがわからない。)

●加齢とともに

 何度も書くが、加齢とともに、人格が完成するというのは、ウソ。
むしろ低劣な人は、ますます低劣になっていく。
低劣になって、やがてすぐ、「メシ(飯)はまだかア!」と叫ぶようになる。
そういう女性(年齢は90歳くらい)が、近くの特養にいた。
美しい顔立ちの人だったが、繰り返し、一日中、そう叫んでいた。

 つまり人は、ある日突然、低劣になるのではない。
負の一次曲線的に、徐々に低劣になっていく。
しかもさらに悪いことに、加齢とともに、自分を支える気力が弱くなる。
それまで内に隠していた人間性が、表に出てくる。
60歳を過ぎて、加速度的に低劣になっていく人は、多い。
これがこわい。

 ……そういう点では、すでに私たちは、その過程にいるのかもしれない。
日々に、低劣になっていく・・・。

●低劣性

 数日前、「低俗性と低劣性」について書いた。
低俗的であることは、何も恥ずべきことではない。
俗世間とのかかわりを失ったら、そのとたんにその人は、人間的なハバを
失う。
たまには、(ときどきは)、ハメをはずしてバカになる。
バカなことをする。

しかし低劣性は、別。
低劣性は、人間性の否定と考えてよい。
いくら人間らしい顔をしていても、中身は動物以下。
動物でも、そこまで落ちない。
言い換えると、私たちは常に、その低劣性と闘う。
方法は簡単。

 低劣な人と、低劣な話をしない。
常に高邁さを求めて、前に向かって進む。
その一語に尽きる。

(1)愚痴は言わない、聞かない。
(2)悪口は言わない、聞かない。

 陰口、不平、不満は言わない、聞かない。
近親者のゴシップ、詮索は、タブー。
それを繰り返していると、その人の人間性は、どんどんと腐っていく。

 ついでに一言。

 50歳を過ぎると、その人のもつ人間性が、明確な方向性を示すようになる。
低劣な人かどうか、方向性がはっきりとしてくる。
つまりそれまでの生き様が、そこで集約される。
大切なことは、それまでに、いかに自分の生き様の基盤を作っていくかということ。
だれのためでもない。
自分のため。

(補記)

 この1年以上、地元の観光バス会社が運営する観光旅行には、参加していない。
たいてい何組かのおしゃべりオバサンがいて、(オジサンも多いが)、一日中、大声で
しゃべっている。
そのうるさいことと言ったら、ない。
しかも話の内容が低劣。

「親の三回忌に来ないような息子は、人間のクズ」
「あゆを送ってやったが、礼は電話だけ。あの人は一流大学を出ているかもしれないが、
人間のクズ」
「病気の母を見舞ったが、ふとんの下に浴衣が丸く、ぺっしゃんこになっていた」
「弟は借家の家賃をネコババし、税金は私に払わせている」と。

 それに答えて横にいた女性が、「そうよ、そうよ、そういう人は地獄に堕ちるわよ」と。

 話の内容もコロコロと変化する。
脳に飛来した情報を、音声を換えているだけ。

 で、私が「少し静かにしていていただけませんか?」と声をかけると、こう言った。
「私ら、おしゃべりが楽しみで、旅行に来ているのよねエ」と。

 旅行が終わってそのバスを出るときも、こう言った。
「さようなら。おかげで楽しかったです」と。
以来、その観光バスを利用するのを、や・め・た!


Hiroshi Hayashi++++++Nov 2010++++++はやし浩司(林浩司)

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【R天へのコメントより】

●隠れマザコン(=女性のマザコン)

++++++++++++++++++

マザコンというと、男性だけの問題と
考える人は多い。
しかし女性にも、同じくらい、あるいは
それ以上に多い。
称して「隠れマザコン」(=はやし浩司の造語)。

R天BLOGにこんなコメントが寄せられて
いた。

いわく、

『……ここしばらく「親離れ子離れ」ということについてチト頭をとられています。

カミサンとカミサンの母親がその関係で、どうもこの先よからぬ・・・ と杞憂しており
ます。

カミサンはそのあたりを少しわかってきたのか上手に離れるようにしているので、まぁこ
ちらは時間をかければうまくいきそう。 ・・だといいな。

が、カミサンの母親がいけない。
40年近くも娘を手元に置いていたから完全に頼り切ってしまっている。
実家に遊びにいくと分かるのだが、手より口が動くタイプなんですな。
カミサンの身の回りトラブルで話し合いにいくと毎回娘(カミサン)をかばうことばかり
なんで、こりゃマズイなぁ~と思っておりました。

もっともこんなハナシはアダムとイヴのころからあるでしょうから別にワタクシだけって
ことでもないかと思います。

問題は「親離れ子離れ」の先にある子供を育てていくということを気にしています。

「子供の手本をみせられない」
「叱ることのできない」

等々、親として「それはどうよっ」と思うのです。
もっともなるようにしかならないんでしょうが』と。

●隠れマザコン

 隠れマザコン(マザコン女性)については、たびたび書いてきた。
いくつか原稿をさがしてみる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【マザーコンプレックス】

●依存と愛情(Mother Complex)

+++++++++++++++++

「マザコン」というと、男性だけにある
特異な現象と思っている人は多い。

しかし女性にも、マザコンの人は
いくらでもいる。
同性というだけで、目立たない。

これについては、何度も書いてきた。
ここでは、さらにもう一歩、話を進めて
みたい。

これには男性も女性も関係ないが、
母親にベタベタと甘えているからといって、
それだけ、母親への愛情が深いかという
と、そういうことはない。

マザコン性というのは、母親への依存性を
いう。
依存性イコール、愛情の深さではない。

よくあるケースは、それまではマザコンで
あった女性が、母親が認知症になったとたん、
母親への虐待し始めるというもの。

依存できなくなったときが、縁の切れ目(?)
ということか。

もちろん、中には、そのままの状態で、見た目には
良好な(?)人間関係をつづける親子もいる。
しかしそういうケースは、少ない。

つまりマザコンタイプの人は、常に「理想の
女性像(マドンナ)」を、母親に求める。
母親は、常に、その理想の女性でなければ
ならない。

が、母親がその期待(?)に応えられなく
なったとき、マザコンタイプの人は、それを
すなおに受け入れることができない。
あるいはそれを許すことができない。

たいてい、その段階で、はげしく葛藤する。

ある女性(60歳くらい)は、自分の母親が
認知症になりつつある段階で、そのつど、
パニック状態になってしまった。

母親が、就寝中に尿を漏らしただけで、親戚中に
電話をかけたりした。

「お母さんが、オシッコを漏らしたア~!」と。

が、先にも書いたように、依存性イコール、愛情の
深さではない。

たとえば夫婦についても、そうで、配偶者に
強い依存性があるからといって、つまり見た目には
ベタベタに仲のよい夫婦に見えたとしても、
たがいに深い愛情があるとはかぎらない。

言うまでもなく、「愛」というのは、どこまで
相手を「許して忘れるか」、その度量の深さで決まる。
つまりその分だけ、愛には、常に孤独と苦しみが
ともなう。

さらに言えば、愛には熟成期間が必要。
たがいに困苦を乗り越え、その結果として、
人は「愛」を自覚することができるようになる。

一方、依存性は、その人自身の情緒的欠陥、精神的
未熟性に起因する。
情緒的欠陥、精神的未熟性をカバーするために、
相手、つまり母親(父親、配偶者)に依存する。

「母親に依存する」ということと、「母親を愛する」
ということは、まったく異質なものである。

このことは子どもの世界を見れば、よくわかる。

親に依存している子どもは多いが、親を愛している
子どもというのは、皆無とみてよい。
あっても、「思いやり」程度。
たとえば病気になった親を、看病するとか、など。
年少の子どもであれば、なおさらである。

子どもが「愛」を自覚するのは、思春期前夜から
思春期にかけてである。

また話は少しそれるが、よく「マザコン男性ほど、
離婚率が高い」と、言われる。
それもそのはずで、つまりその分だけ、マザコン男性は、
配偶者に、理想の女性(マドンナ)像を求めすぎる。
あるいは押しつけすぎる。
それが夫婦の間に、キレツを入れる。

さらにマザコンタイプの人ほど、自分がマザコン的で
あることを正当化したり、ごまかすため、
母親を、ことさら美化する傾向が強い。

(ファザコンも同じように考えてよい。)

「私の親を批判したり、悪口言ったりするヤツは、
たとえ女房、子どもでも許せない」と息巻くのは、
たいていこのタイプの男性と考えてよい。
(男性にかぎらない。女性でもよい。)

話をもどす。

人間関係、とくに親子関係、夫婦関係を見るときは、
この(依存)と(愛情)に焦点をあてて考えて
みるとよい。

また別の人間関係が見えてくるはず。

+++++++++++++++++++

以前書いた原稿を添付します。

+++++++++++++++++++

●マザコンの果てにあるもの

++++++++++++++++

マザコンについて、補記します。

++++++++++++++++

 子どもをでき愛する親は、少なくない。しかしでき愛は、(愛)ではない。自分の心のす
き間を埋めるために、親は、子どもをでき愛する。自分の情緒的不安定さや、精神的欠陥
を補うために、子どもを利用する。つまりは、でき愛の愛は、愛もどきの、愛。代償的愛
ともいう。

 これについては、何度も書いてきたので、ここでは、省略する。

 でき愛する親というのは、そもそも、依存性の強い親とみる。つまりそれだけ自立心が
弱い。で、その結果として、自分の子どもがもつ依存性に、どうしても、甘くなる。この
タイプの親は、自分にベタベタ甘えてくれる子どもイコール、かわいい子イコール、いい
子と考えやすい。

 そのため自分にベタベタ甘えるように、子どもを、しむける。無意識のまま、そうする。
こうしてたがいに、ベタベタの人間関係をつくる。

 いわゆるマザコンと呼ばれる人は、こういう親子関係の中で生まれる。いくつかの特徴
がある。

 子どもをでき愛する親というのは、でき愛をもって、親の深い愛と誤解しやすい。でき
愛ぶりを、堂々と、人の前で、誇示する親さえいる。

 つぎにでき愛する親というのは、親子の間に、カベがない。ベタベタというか、ドロド
ロしている。自分イコール、子ども、子どもイコール、自分という、強い意識をもつ。あ
る母親は、私にこう言った。

 「息子(年中児)が、友だちとけんかをしていると、その中に割りこんでいって、相手
の子どもをなぐりつけたくなります。その衝動をおさえるのに、苦労します」と。

 本来なら、こうした母子間のでき愛を防ぐのは、父親の役目ということになる。しかし
概して言えば、でき愛する母親の家庭では、その父親の存在感が薄い。父親がいるかいな
いかわからないといった、状態。

 で、さらに、マザコンというと、母親と息子の関係を想像しがちだが、実は、娘でも、
マザコンになるケースは少なくない。むしろ、息子より多いと考えてよい。しかも、息子
がマザコンになるよりも、さらに深刻なマザコンになるケースが多い。

 ただ、目だたないだけである。たとえば40歳の息子が、実家へ帰って、70歳の母親
といっしょに、風呂に入ったりすると、それだけで大事件(?)になる。が、それが40
歳の娘であったりすると、むしろほほえましい光景と、とらえられる。こうした誤解と偏
見が、娘のマザコン性を見逃してしまう。

 ……というようなことも、何度も書いてきたので、ここでは、もう少し、先まで考えて
みたい。

 冒頭にも書いたように、でき愛は(愛)ではない。したがって、それから生まれるマザ
コン性もまた、愛ではない。

 子どもをでき愛する親というのは、無私の愛で子どもを愛するのではない。いつも、心
のどこかで、その見返りを求める。

 ある母親は、自分の息子が、結婚して横浜に住むようになったことについて、「嫁に息子
を取られた」と、みなに訴えた。そしてあちこちへ電話をかけて、「悔しい、悔しい」と、
泣きながら、自分の胸の内を訴えた。

 で、今度は、その反対。

 親にでき愛された子どもは、息子にせよ、娘にせよ、親に対して、ベタベタの依存性を
もつ。その依存性が、その子どもの自立をはばむ。

 よく誤解されるが、一人前の生活をしているから、自立心があるということにはならな
い。マザコンであるかどうかというのは、もっと言えば、親に依存性がもっているかどう
かというのは、心の奥の内側の問題である。外からは、わからない。

 一流会社のバリバリ社員でも、またいかめしい顔をした暴力団の親分でも、マザコンの
人はいくらでもいる。

 で、このマザコン性は、いわば脳のCPU(中央演算装置)の問題だから、本人自身が、
それに気づくことは少ない。……というより、まず、ない。だれかが、その人のマザコン
性を指摘したりすると、こう答えたりする。

 「私の母は、それほどまでにすばらしい人だからです」「私の母は、世の人のためのカサ
になれと教えてくれました」と。

 つまりマザコンの人は、息子であるにせよ、娘であるにせよ、親に幻想をいだき、親を
絶対視しやすい。美化する。親絶対教の信者になることも少なくない。つまり、自分のマ
ザコン性を、正当化するために、そうする。

 で、その分だけ、親を愛しているかというと、そうでもない。でき愛で愛された子ども
もまた、同じような代償的愛をもって、それを(親への深い愛)と、誤解しやすい。

 本来なら、子どもは、小学3、4年生ごろ(満10歳前後)で、親離れをする。また親
は親で、子どもが中学生くらいになったら、子離れをする。こうしてともに、自立の道を
歩み始める。

 が、何らかの理由や原因で、(多くは、親側の情緒的、精神的問題)、その分離がままな
らなくなることがある。そのため、ここでいうベタベタの人間関係を、そのまま、つづけ
てしまう。

 で、たいていは、その結末は、悲劇的なものとなりやすい。

 80歳をすぎて、やや頭のボケた母親に向って、「しっかりしろ」と、怒りつづけていた
息子(50歳くらい)がいた。

 マザコンの息子や娘にしてみれば、母親は絶対的な存在である。宗教にたとえるなら、
本尊のようなもの。その本尊に疑いをいだくということは、それまでの自分の生きザマを
否定することに等しい。

 だからマザコンであった人ほど、母親が晩年を迎えるころになると、はげしく葛藤する。
マザコンの息子にせよ、娘にせよ、親は、ボケてはならないのである。親は、悪人であっ
てはならないのである。また自分の母親が見苦しい姿をさらけ出すことを、マザコンタイ
プの人は、許すことができない。

 そして母親が死んだとする。依存性が強ければ強いほど、その衝撃もまた、大きい。そ
れこそ、毎晩、空をみあげながら、「おふくろさんよ、おふくろさ~ん」と、泣き叫ぶよう
になる。

 さらにマザコンタイプの男性ほど、結婚相手として、自分の母親の代用としての妻を求
めるようになる。そのため、離婚率も高くなる。浮気率も高くなるという調査結果もある。
ある男性(映画監督)は、雑誌の中で、臆面もなく、こう書いている。

 「私は、永遠のマドンナを求めて、女性から女性へと、渡り歩いています」「男というの
は、そういうものです」と。(自分がそうだからといって、そう、勝手に決めてもらっては、
困るが……。)自ら、「私は、マザコンです」ということを、告白しているようなものであ
る。

 子育ての目的は、子どもをよき家庭人として自立させること。子どもをマザコンにして、
よいことは、何もない。

(はやし浩司 マザコン 息子のマザコン 娘のマザコン 代償的愛 親の美化 偶像
化)

【補記】

【マザコンの問題点】

(親側の問題)

(1)情緒的未熟性、精神的欠陥があることが多い。
(2)その時期に、子離れができず、子どもへの依存性を強める。
(3)生活の困苦、夫婦関係の崩壊などが引き金となり、でき愛に走りやすい。
(4)子どもを、自分の心のすき間を埋めるための所有物のように考える。
(5)親自身が自立できない。子育てをしながら、つねに、その見返りを求める。
(6)父親不在家庭。父親がいても、父親の影が薄い。
(7)でき愛をもって、親の深い愛と誤解しやすい。
(8)親子の間にカベがない。子どもがバカにされたりすると、自分がバカにされたかの
ように、それに猛烈に反発したり、怒ったりする。
(9)息子の嫁との間が、険悪になりやすい。このタイプの親にとっては、嫁は、息子を
奪った極悪人ということになる。

(息子側の問題)

(1)親に強度の依存性をもつ。50歳をすぎても、「母ちゃん、母ちゃん」と親中心の生
活環境をつくる。
(2)親絶対教の信者となり、親を絶対視する。親を美化し、親に幻想をもちやすい。
(3)結婚しても、妻よりも、母親を優先する。妻に、「私とお母さんと、どちらが大切な
のよ」と聞かれると、「母親だ」と答えたりする。
(4)妻に、いつも、母親代わりとしての、偶像(マドンナ性)を求める。
(5)そのため、マザコン男性は離婚しやすく、浮気しやすい。
(6)妻と結婚するに際して、「親孝行」を条件にすることが多い。つまり妻ですらも、親
のめんどうをみる、家政婦のように考える傾向が強い。

(娘側の問題)

(1)異常なマザコン性があっても、周囲のものでさえ、それに気づくことが少ない。
(2)母親を絶対視し、母親への批判、中傷などを許さない。
(3)親絶対教の信者であり、とくに、母親を、仏様か、神様のように、崇拝する。
(4)母親への犠牲心を、いとわない。夫よりも、自分の生活よりも、母親の生活を大切
にする。
(5)母親のまちがった行為を、許さない。人間的な寛容度が低い。母親を自分と同じ人
間(女性)と見ることができない。
(6)全体として、ブレーキが働かないため、マザコンになる息子より、症状が、深刻で
重い。

(はやし浩司 マザコン マザコンの問題点 娘のマザコン マザコン息子 マザコン娘
   はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW はやし浩司 隠れマザコン 女性のマザコン)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●コメント

 冒頭にあげた男性は、妻のマザコン、子離れできない妻の母親を問題にしている。
が、この問題だけは、相互の「依存性」がからんでいるだけに、解決は容易ではない。
つまり「精神の未熟性」がからんでいるだけに、解決は容易ではない。
まず本人がそれに気づくことが重要だが、実際には、そういう関係であることを、
「いい関係」と誤解しているケースが多い。
「親孝行の子」「子を思う親の深い愛」と。

 コメントを書いた男性は、こう言っている。

『……カミサンはそのあたりを少しわかってきたのか上手に離れるようにしているので、
まぁこちらは時間をかければうまくいきそう。 ・・だといいな』と。

 つまり時間をかけて、少しずつ、親に子離れを促していく。
どうやらそれしか方法は、ないようだ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 子離れできない親 子離れできない母親)


Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司


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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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