2009年12月11日金曜日

*Mr. Leader has come!

【統領様が、やって来た!】

●とある工場で……

 第一報が入ったのは、その3日前のことだった。
その工場長の工場に、何と、あの統領様が視察にやってくるという。
どういうわけか、そういうことになった。
軍の地方幹部からその第一報が届いたとき、工場長は気を失った。
椅子からころげ落ちた。
何しろ、この数日間、食べたものと言えば、トウモロコシの入ったお粥だけ。
それも全部で、4杯。

 工場長はそれでも気を取り直すと、工員たちに総動員をかけた。
工場長といっても、名ばかり。
「工場」というのも、これまた、名ばかり。
手で運べるような工具や工作機械は、とっくの昔に消えてなくなっていた。
残った工員にしても、ほかに何もできないから、そこにいるだけ。
つまりどうしようもない工員たち。
そういう工員が数人。
それなりに力のある工員たちは、みな、闇市での商売や行商に精を出していた。

●製品?

 工場長は、その少し前、「工場の自社製品」と偽って、ピルピル市(首都のある町)へ、ステンレス製の鍋や食器を送っていた。
隣の中京国から仕入れたものだった。
何も出すものがなかったから、そうした。
軍の幹部から、「100日闘争の成果を見せろ」と迫られたから、そうした。
で、そのときはそれで、何とか、その場をやり過ごした。
しかし先にも書いたように、工場とは名ばかり。
残ったのは作業台と、それを取り囲むようにして残った、大型機械だけ。
もともとは、プレス加工の工場。
軍用トラックのボンネットなどを作っていた。

 が、それでも「統領様が来る」というニュースに驚いたのか、その日の午後までには、工員たちがほぼ全員、集まった。
サボタージュしているとわかったら、それこそ家族もろとも、公開処刑。
命がけ。

●体裁

 工場長は、それらしい体裁だけは整えようと、みなに提案した。
異議を唱えるものは、いなかった。
その日のうちに、新たにいくつかの台が並べられた。
それらしい部品もいくつか、並べられた。
つかなくなった電球は、別の工場からもってきたものと取り替えられた。
が、肝心の製品がない。

 そこで工場長はありったけの金を集めると、工員の2人に、中京国国境まで行って、かってくるように命じた。
工場には、古いトラックが1台あった。
が、このところ仕事もなく、死んだ人を運ぶ霊柩車として使っていた。
葬式だけは、派手にやる国である。

 幸い中京国国境までは、トラックで、2時間あまり。
朝早く出発すれば、午前の検問時刻には間に合う。
その時間帯をのがすと、つぎの検問時刻は、昼からになる。
ということで、みなの期待を一身に背負いながら、運転手は、トラックを国境に向けて走らせた。

●水洗トイレ

 問題はトイレ。
工場には、2つのトイレがあった。
が、2つとも汚れて、使い物にならなかった。
そのあたりでは、ボットン便所が当たり前。
座式の水洗トイレは、隣町の駅の中にしかない。
しかもそのトイレというのは、政府高官用。

 工場長は何とか頼み込んで、そのトイレを1日だけ、借りることに成功した。
そして工場長の隣にある、小さな物置部屋を、トイレに改装することにした。
工員たちは汗を流しながら、その日だけは、懸命に仕事をした。

壁に板を打ち付ける者。
床に、タイルを敷く者。
壊れた窓枠を、直す者、などなど。

便器は台の支柱ごと、土の中に埋められた。
そのまわりを、大きな石で囲んだ。
最後に床の上に板を敷き、ジュータンでそれを隠した。
また道路から玄関先までは、木が植えられた。

 人手だけは、たくさんある。
困らない。
工場内は、足の踏み場もないほど、人でごったがえした。

 さらにあちこちの家を回って、家具をもってきた。
それを工場の中に並べた。
町にひとつしかない電話機も、並べられた。
が、そのとき1人の工員が、工場長にこう言った。
「水はどうしますか?」と。

 水洗トイレである以上、水が流れなければ意味がない。
が、そこで議論が始まった。
「統領様は、トイレを使わない」
「いや、使うかもしれない」
「見るだけだ」
「いや、大便だったら、どうする?」と。

●問題は水

 つぎの日の午後、隣町の駅から、便座式のトイレが届いた。
工員の妻たちが、それをていねいに手で洗った。
その一方で、男たちは穴を掘り、排水用の土管を通した。
土管を通しただけで、その先は、ボットン。
みな、穴掘りだけは、得意だった。

 が、やはり問題は、水だった。
以前、製品を洗浄するための水道管をとりつけたが、それは15センチもある大口径のもの。
しかし迷っている暇はない。
その水道管をトイレに取り付けた。
そのころ、中京国国境から、トラックが戻ってきた。

●メイド・イン・チュウキョー

 工場長は玄関先の陳列ケースに、(これは近くの中学校から持ち出したものだが)、それに食器を10点ほど、並べた。
「Made in Chukyo」と刻印が押してあるところには、紙テープを張った。
あの中京国という国は、それこそ箸一本にも、「Made in Chukyo」と書く。
工場長は、それをうらめしく思った。

 が、予算が足りなくて、鍋は、60個あまり、食器は大小さまざまなものが、100個あまりしか買えなかった。
「とりあえず」ということで、工場長は、それらの製品を台の上に並べた。
いくつかは茶色い紙でくるんだあと、小さな箱の中につめた。
ほかにも箱だけはたくさんあったが、もちろん中はカラ。

●再びトイレ

 再び問題は、トイレということになった。
もし統領様がトイレを使い、コックをひねったら、どうするか。
そこで工場長は、一案を思いついた。
コックの軸の先を壁の外に出す。
外でそのコックが動くのをみたら、別の工員が、水道管のコックをゆるめて水を流す。
しばらく流したあと、またコックを閉じればよい。

 そのために1人の若い男が、トイレの水係りとして選ばれた。

で、何とか夜中までには、リハーサルまでできるようになった。
徴兵前の、まだ17歳の若い工員だった。
 工場長が「大」のほうへコックをひねると、それを見て、外の若い工員が、水道管のコックをひねって、水を送る。
そして元に戻す。
「小」のほうへコックをひねると、やや少なめに、水を送る。
若い工員は、その手順を懸命に頭の中に、叩き込んだ。

 が、工場長は、その夜は一睡もできなかった。

●緊張感

 統領様の到着時刻は、その前日の夜にならないとわからない。
遠くの通りを見ると、兵隊たちが忙しそうに動き回っているのが見えた。
ときどき怒号と悲鳴も聞こえる、何とも訳の分からない声も聞こえた。
殺気立った兵隊たちが、住民に命令して、徹夜で道路の清掃作業をさせていた。

統領様がいるところから、半径1キロ以内にある銃器からは、すべて弾を抜かれる。
半径2キロ以内にある大口径の銃器は、銃口が反対側に向けられ、鉄線ですべて固定される。
町中が、その町はじまって以来の、大騒動となった。

工場長はそれを見ながら、ピルピル市に、鍋や食器を送ったことを、後悔した。
心底、後悔した。
「家族もろとも銃殺刑!」。
そんな言葉が、聞こえてきそうだった。

●やって来た!

 その日はやってきた。
到着の前日の午後に、連絡が入った。
そしてその朝。
兵隊たちが、線路脇に、ズラリと並んだ。
時刻は午前7時。
ふつうの人には、早朝だが、統領様にとっては、就寝前。
生活時間がちょうど10時間ほど、ずれていた。

で、統領様は、専用列車でやってきた。
豪華な専用列車だった。
町中が緊張感で包まれた。
住民たちは一着しかない民族服を着て、懸命に旗を振った。
その笑顔で忠誠度が調べられる。
笑顔を作るのも必死。
旗を振るのも、これまた必死。
保安員ににらまれたら最後。
そのまま収容所送り。

 統領様は駅で車に乗り換えると、そのまま工場のほうに向かってやってきた。
その様子は、通りに立っていてもよくわかった。
駅のほうから歓声があがった。
その歓声がだんだんと、工場のほうに近づいてきた。
工場長は、生きた心地がしなかった。

●世界の水準

 幸い(?)、統領様は、立っても20メートルほどしか、歩けなかった。
持病の糖尿病が悪化し、足の末端部は、紫色に腫れ上がっていた。
車から出るところから、統領様は大きな車輪付きの椅子に座った。
「車椅子」ではない。
彫刻をほどこした、金ピカの木製の椅子である。
それに4個の車輪がくっつけてあった。
それを3人の女官が動かしていた。

 統領様が立つのは、写真撮影のときだけ。
それ以外のときは、その椅子に座ったまま。
で、玄関のところで統領様はこう言った。

 「この工場の製品は、世界の水準に達している」と。

 それを聞いて、工場長は、あふれんばかりの涙を流した。
もちろん喜びの涙ではない。
恐怖の涙である。

●視察

 視察は、数分ほどで終わった。
終わったというより、終わらざるをえない状況になった。

その間、駆り出された工員たちは、統領様の前で、忙しそうに動き回って見せた。
鍋を磨きながら箱につめる工員。
その裏で、箱から鍋を取り出し、また作業台に並べる工員。
裏のほうから、食器を運んでくる工員。
その食器を再び、裏へ運んでいく工員。
食器だけが、ぐるぐると工場の中を回っていた。

 工場長は、統領様の気を引こうと、わざと大泣きをしてみせたり、反対に統領様の一言一句に、大笑いをしてみせたりした。
が、つぎの一言で、工場長は、あやうく気を失うところだった。

「トイレを使いたい」と。

●大洪水

 外で待機していた若い工員に、即座に、合図でそれが伝えられた。
若い工員は、トイレの外で待機していた。
その国の冬は早い。
若い工員は、カチカチになった手で、水道管のコックを握った。
「大」のほうにコックが回れば、水道管を大きく開いて、パッと水を止める。
「小」のほうにコックが回れば、それよりは、小さく開いて、パッと水を止める。

 電気もガスもない国だが、水だけは、豊富にある。
豊富にあるといっても、冬場だけだが……。

 若い工員はその瞬間を待った。
1秒、2秒、3秒……、と。
それが若い工員には、気が遠くなるほど、長い時間に思えた。
「まだか……」「まだか……」と。
若い工員は、コックが回るのを待った。
じっとそこを見つめた。
まばたきもしないで、そこを見つめた。

 が、その瞬間は、意外と早く来た。
コックが、一度、大きく「大」のほうへ振れた。
若い工員は、水道管のコックを大きく開いたあと、すぐさまコックを閉めた。
壁の向こうで、ザーッと、勢いよく水が流れる音がした。
「ホーッ」と息をついだつぎの瞬間、今度は、コックが左右に、カチャカチャと動いた。
「大なのか、小なのか……?」と。
何しろその若い工員は、生まれてこの方、水洗トイレというのを使ったことがない。
見たこともない。
「大なのか、小なのか……?」と。

 若い工員はあわてた。
コックは左右にまた揺れた。
中で統領様がコックを、カチャカチャと動かしている……。
そこで若い工員は、思いっきり水道管のコックを大きく開けた。
とたん、中から、ワーッという悲鳴が聞こえた。

 そのときトイレの中では、便器から洪水のように水が溢れ出し、大便もろとも、統領様の下半身全体をドドーッと濡らしていた。

●土下座

 みな、公開処刑を覚悟した。
その町でも、1~2か月ごとに、墓場の横にある空き地で、公開処刑がなされていた。
相手が統領様では、弁解の余地はない。
みな、その場で土下座した。
額を地面にこすりつけた。

 が、同時に統領様は気分屋としても、よく知られている。
そのときの気分で、判断が、180度変わることも、珍しくなかった。

あいさつの仕方をまちがえて、処刑になった兵士もいる。
しかしまちがえたあと、統領様の靴に、顔をすりつけて泣いた兵士もいた。
その兵士のばあいは、そのあと反対に、昇進している。

トイレから出てくるときには、付き添いの女官たちが、すでに統領様の衣服を取り替え、もとどおりのピカピカの防寒服になっていた。
そしてガタガタと震えながら土下座している工場長を見ると、こう言った。

「気にしなくてもよい。
トイレの故障は、今度来るときまでに、直しておくように」と。

また別れ際、こうも言った。
「お前の工場の製品は、ピンピン市でも、特設売り場を作って売るようにしてやる」と。

●みやげ

 こうして統領様の視察は終わった。
トイレでのハプニングのおかげで、視察も、最初の数分足らずで終わった。
鍋や食器などの製品については、地方軍部も事情をよく知っていた。
だから、お咎(とが)めなし。

 で、今でも、その工場は、開店休業状態。
工場長と数人の、どうしようもない工員たちが、ひまそうにタバコを吸っている。

 で、あの鍋や食器は、どうなったかって?

 鍋や食器は、みんな、軍の幹部たちが、みやげものとして、持ち帰っていった。
そのあとに残ったのは、「Made in Chukyo」と書かれた、カラ箱だけ。
それを横目で見ながら工場長は、何度も何度も、あくびを繰り返していた。

(以上の話は、すべてフィクションです。)


Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。