●意欲
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このところ、ときどき、スーッと
意欲そのものが減退していくのを
感ずることがある。
「やりたい」と思う意識そのものが、
薄れる。
恐らく視床下部あたりから出る信号が
弱くなり、その瞬間、ドーパミンの
分泌が減少するためではないか。
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●マイナスの一次直線
何ごとも、「やりたい」と思ったときにする。
それが老後を、前向きに生きるコツ。
最近、それを強く思うようになった。
そのことは、反対に、意欲を喪失した老人たちを見ると、わかる。
何もしないで、ただボーッと、テレビの前に座っているだけ。
もちろんテレビなど、見ていない。
何も考えていない。
画面に映る光の信号を、目で追っているだけ。
だれしも、ある日、突然、ああなるわけではない。
マイナスの一次直線的に、長い時間をかけて、ああなっていく。
であるとするなら、すでに今、私たちは、そのマイナスの一次直線に乗っている
と考えたほうがよい。
その第一が、意欲の減退ということになる。
●「今度は、海のそばに建てる!」
私は40代のはじめ、山荘造りに執念を燃やした。
小さな山を買い、毎週、ワイフと2人で、ユンボを操り、土地を造成した。
石を組み、ダンプで砂利を運んだ。
土地づくりだけで、6年もかかった。
そのころの私を思い出しながら、今、自分でも、「よくやったなあ」と思う。
で、そのあと1年で、山荘を建築した。
山荘本体だけは、地元の建築会社に建ててもらった。
で、その直後のこと。
私は、ワイフにこう宣言した。
「今度は、海のそばに建てる!」と。
もちろん今は、もうそんな元気はない。
意欲もない。
むしろ今は、山荘をどうやって売るか、そればかりを考えている。
●意欲
意欲は、それがあるうちに、生かす。
なくなったら、最後。
そのままどこかへ消えてしまう。
だから、今、したいことがあったら、する。
しなければならない。
「また、今度」とか、「気が向いたらしよう」などと考えていたら、そのうち
何もしなくなる。
好奇心にしても、そうだ。
このところときどき、ものを書いているときも、そのことがどうでもよくなって
しまうことがある。
今朝も久しぶりに経済問題について、自分の考えを書いていた。
が、そのときも、「こんなことを書いて、何になるのだろう」と思ってしまった。
おまけに正義感も薄れてきた。
ズルイ人を見かけても、「まあ、いいじゃないの」と思うことが多くなった。
その分、人間が丸くなったというか、自分自身が、ズルくなったというか。
よくわからないが、その一方で、「これではいけない」と、自分で自分に
言って聞かせる。
●体力と気力
気力も体力と同じ。
あるいはたがいに連動している。
東洋医学では、気力も体力も、同じものと考える。
区別しない。
だから加齢とともに、体力が衰えるように、気力も、衰える。
これはしかたのないことかもしれないが、だからといって、何もしないでよい
ということでもない。
体力を鍛えるように、気力も鍛える。
東洋医学的な発想によれば、体力を維持することによって、気力も維持することが
できる。
言い換えると、体力を鍛える。
その結果として、気力も増進する(?)。
●確実性の問題
そこでワイフに、先ほど、こう言った。
「ぼくは、今、新しいパソコンがほしい。
が、そういう意欲も消えたら、ぼくもおしまいだね」と。
それを聞いて、ワイフは、ややきびしい表情をしてこう言った。
「そうね、だったら、今、買えばいいのよ」と。
あと10年もすると、新製品にすら、興味を示さなくなるかもしれない。
「新しいパソコンがほしい」という気持ちも、なくなるかもしれない。
これは可能性の問題ではなく、確実性の問題である。
だれだって、そうなる。
私だって、あなただって、例外はない。
私だって、あなただって、最後は、ああなる。
それだって、運がよければ……という話だが……。
が、そうなったら、私も、おしまい。
だから今日も、何冊か、新しい本を買ってきた。
手当たりしだいというか、私の知らない世界について書いてある本を選んだ。
とにかく、新しい世界に挑戦していくしかない。
つまりそういう形で、自分の意欲を、奮(ふるい)い立たせる。
●生きがい
で、こうした意欲を支えるのが、(生きがい)ということになる。
それについては何度も書いてきた。
生きがいさえあれば、……といっても、その生きがいをもつのはたいへんな
ことだが、何とか、老後を前向きに生きていくことができる。
生きる意欲も、そこから生まれる。
そこで私は気がついた。
最近、私の生活から、緊張感が薄れてきた。
ときどき意欲の減退を感ずるのは、そのためではないか。
日々は平和で、平穏。
それに平凡。
今のところ、大きな問題はない。
それが心のどこかで、意欲の減退とつながっている(?)。
では、どうするか?
2010年から、新しい企画として、たとえば、映画評論もしてみたい。
旅行記も別コーナーで、立ち上げてみたい。
それとこの浜松市の紹介を、1住民の立場で取り上げてみたい。
……などなど。
この1年間、「BW公開教室」に力を入れてきた。
収録したYOUTUBEは、現在、1400本になりつつある。
(1400本だぞ!)
1本が、平均9分として、9x1400÷60で、210時間ということになる。
何度か迷ったことはあるが、とにかく、やり遂げた。
2010年も、何か目標を決めて、それをやり遂げたい。
批判したい人がいれば、すればよい。
笑いたい人がいれば、笑えばよい。
私はだれもしなかったことを、した。
そこに私がしたことの意味がある。
(自画自賛!、それとも慰め?)
●あとは健康論
意欲の減退は、要するに脳間伝達物質によるところが大きい。
だから栄養面、精神面、生活面、プラス、運動面でのケアを大切にする。
ひとつずつクリアしていくしかない。
その努力を怠ったとたん、あの暗くてジメジメした、死の待合室に向かって、
まっしぐら!
ところで最近、たいへん気になっていることがある。
余計なことで、不愉快に思う人もいるかもしれないが、こういうこと。
定年退職と同時に、家の中でブラブラし始める人がいる。
そういう人が、多い。
私の周辺でも、7人のうち、5人が、そういう生活をしている。
それを理想の老後生活と考えている人も多いようだが、本当にそう考えてよいのか。
話をよく聞くと、「仕事は、もうこりごり」と言う人が多い。
しかし一度、なまった体は、もとには戻らない。
若いときならまだしも、60歳を過ぎたら、そうである。
「2、3年、休養でもして、65歳くらいになったら、また仕事をしよう」などと
考えていたら、それはまちがい。
そのときは、働きたいという意欲そのものが消える。
働いても、長つづきしない。
体がそれについてこない。
さらに言えば、脳みそそのものが、柔軟性を失う。
新しい仕事を覚えられなくなる。
新しい環境に適応できなくなる。
こればかりは、自分の意思ではどうにもならない。
だから……。
これは余計なことかもしれないが、仮に退職しても、何らかの形で、(仕事)を
つづけたほうがよい。
エンジンでいえば、軽くかけたままの状態にしておく。
いきなりスイッチを切るようなことをすると、エンジンはそのまま冷えて使いものに
ならなくなってしまう。
似たようなことは子どもの世界でも、よく起こる。
たとえば燃え尽き症候群などになり、やる気をなくしてしまう子どもがいる。
親は、オール・オア・ナシング(All or Nothing)とばかり、すべての塾やおけいこごとを
やめたりする。
が、そんな極端なことをすれば、今度は、立ちあがりに苦労する。
少しでもよいから、子どもの好きなことを残し、それをさせておく。
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Hiroshi Hayashi++++++++Dec. 09+++++++++はやし浩司
●遊戯王(カード・ゲーム)
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昨日、生徒を連れて、近くのビルの
地下にある、お化け屋敷へ連れていった。
小学4年生の子どもたちである。
2人だけが、「入る」と言った。
S君(男児)と、Sさん(女児)である。
が、入ったとたん、私の体に
しがみついてきた。
あとはキャーッ、ギャーッの連続。
要所ごとに、「もうリタイアする」と。
それでも子どもバージョン。
以前、聞いた話によると、台の上に
封筒を置いたとき、死人の手がその
台の向うから出てきて、置いた人の
手をつかむということだった。
が、それはなかった。
そんなことをすれば、子どもたちは、
気を失ってしまったかもしれない。
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そのお化け屋敷の隣が、カード・ゲーム・コーナーになっていた。
遊戯王とか、ポケモンのカードを使って、若い人たちが、ゲームに夢中になっていた。
年齢は、20~30歳前後か。
ときどき、「ターン・エンド」とか、「ドロー」とか、小さな声を出してする人もいたが、
みな、黙々と、それをしていた。
おもしろそうだった。
そこでそこにいたF君に、「遊び方を知っているか?」と聞くと、「ぼくは2位に入賞した
ことがある」と。
どこかで、そういう試合(?)に出たことがあるらしい。
そこで教室に返って、20分ほど、遊戯王の遊び方の講義を受けた。
実のところ、それほど長い時間、受けるつもりはなかった。
私だって、ある程度の遊び方は知っていた。
が、F君の得意そうな顔を見て、そのままつづけてもらった。
私という「先生」に、ものを教えるのが、うれしくてたまらないといったふうだった。
その興奮状態は、帰るときまでつづいた。
「今度、カードをもってきてあげる」
「先生にも、カードを分けてあげる」
「最強カードは、(神)だよ」と。
で、その(神)のカードは、3種類あるのだそうだ。
値段は、3000円とか。
「神様が3人もいたら、喧嘩になってしまうぞ」と言ったが、F君には理解できなかった
らしい。
しかし久しぶりに、楽しいときを過ごした。
遊戯王……それぞれのカードに、攻撃力と防御力が、数字で表示してある。
そのカードを交互に出しあって、相手を倒したり、相手に倒されたりする。
持ち点(4000点)が、ゼロになったら、その人の負け。
これが遊び方の基本だが、その間に、カードの攻撃力を2倍にしたりする隠し技など
がある。
カードとカードが合体すると、(これを「融合」というが)、攻撃力がさらに強く
なったりする。
どこか麻雀の遊び方に似ている。
カードゲームというのは、そういう遊びをいう。
●金(ゴールド)の暴騰
金価格が、暴騰している。
明らかに、バブル。
金そのものの需要は減っている。
にもかかわらず、暴騰している。
昨日は、1グラムあたり、3600円前後で取り引きされている。
わかりやすく言えば、行き場を失った投資資金が、金に向かっているということ。
さらに不気味なのは、同時に、ドルの価値が下がっていること。
簡単に言えば、ドル・キャリー・トレードであぶれた資金が、金というバクチの
世界に流れこんでいる。
しかしこれは「投資」という「投資」ではない。
何も産み出さない。
不毛の投資。
簡単に言えば、バクチ。
ドルをもっている人が、ドルをもっていても、目減りするから……という理由だけで、
金を買っている。
2012年ごろまで、アメリカは現在の金利政策をつづけるということだから、
当分は、金価格の暴騰はつづくかもしれない。
……と、だれしも考える。
経済雑誌も、おおむね、そのような筋書きで、金の価格を予想している。
が、国際経済というのは、その裏をかいて、突然ひっくり返る。
そういうことがあるから、この先のことは、だれにも予想できない。
つまり最後に、だれがババを引くか。
そこへ行き着く。
ババを引いた人が、大きく損をする。
昨年、プラチナは、1グラム7000円前後まで暴騰したあと、一気に、3000円台
まで急降下した。
そういうこともある。
売り逃げた人は、儲けた。
しかしそれができた人は、プロ中のプロだけ。
そこらのオバチャンまで、「金だ」「金だ」と騒ぐようになったら、金取り引きからは、
手を引いたほうがよい※。
街中でも、「金を、高価買い取り」という看板が目につくようになった。
今が、そのとき?
ところで私は知らなかったが、投資信託で損を出した人は、多いという。
某経済雑誌によると、総じて約20%分の資産が、投資家から消えたという。
銀行や郵便局の窓口で、簡単に申し込めるのも、わざわいした。
そのため高齢者に被害者が多いとか(週刊B春誌)。
お金(マネー)というのは、汗水流して、稼ぐもの。
バクチをするとしても、その基本だけは、忘れてはいけない。
数字だけを見て、それに踊らされるようになったら、子どものするカードゲームと同じ。
その先に待っているのは、破産。
(注※)「そこらのオバチャン」説
つまりそこらのオバチャンまで騒ぐようになったら、(オジチャンでもよいが)、
すでに過熱状態にあるということ。
車にたとえて言うなら、ボンネットの上から、蒸気が出ているようなもの。
いつエンジンが爆発してもおかしくない状態とみてよい。
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