2009年8月20日木曜日

*Metacongnitive Ability






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子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 9月 21日祭日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●掲示板より

【Yさんより、はやし浩司へ】

1学期出席日数不足で成績の出なかった高校2年の娘の件です。
終業式も欠席したので、通知表を昨日、もらいに行く予定でした。
私には行くと言い、夜も行ったと話していたので、見せなかったので 
不審感はありましたが、うるさく言ってもよくないと思い 何も言いませんでした。
やはり行かなかったようで、先ほど担任の先生から連絡がありました。
とりあえず、娘には学校に連絡して、すぐに行くようメールで伝えましたが・・・
どのように対応したらよいのかわかりません。
2学期からは行くと言っていたので それも心配です。

暖かい無視・・・難しいです。

【はやし浩司より、Yさんへ】

 前にも書きましたが、(1)学校、進学、進級は、あきらめなさい。
お嬢さんは、もうあなたの手の届かないところにいます。
あなたがガタガタしたところで、この問題は解決しないばかりか、かえって
より悪い方へ、お嬢さんを追いやってしまうだけです。

 こうした問題には、二番底、三番底があります。
「まだ以前のほうがよかった……」ということを繰り返しながら、あなたの
お嬢さんは、その二番底、三番底へと向かっていきます。

 「やるべきことはする」という姿勢に徹し、あとの判断は、お嬢さんに任せなさい。
退学するもよし。
またその覚悟をもち、退学してきても、あなたはお嬢さんを、暖かく迎え入れます。
あたかも何ごともなかったかのように、です。

 投稿記事によれば、あなたはその旨、メールで伝えたというのですから、それで
じゅうぶんです。
それ以上の対応はする必要ありませんし、なにもできることはありません。

 あなたはぬか喜び(「2学期からは行く」と言っていると喜び)と、取り越し苦労
(「成績表がどうのこうの」と言って心配する)を、ドタバタと繰り返しています。
あなた自身に、一本の筋の通った一貫性(=哲学)がないのが、気になります。
周囲の状況に応じて、アタフタしているだけ。
ドタバタしているだけ。
その一方で、「許して忘れるはむずかしい」とか、「暖かい無視はむずかしい」とか、
たいした努力もしていないのに(失礼!)、つまり自分と闘うこともせず、結論ばかり、
急ぎます。
もう少し、デンと構えなさい。
「許して忘れる」にしても、「暖かい無視」にしても、そんな簡単なことではありません。
すこしくらいマネごとしたからといって、会得できるようなことではないということです。

 あなたはあなたなで自分のしたいこと、すべきことをするのです。
1人の人間として、です。
いまだに子離れできていない、未熟な母親を想像してしまいますが、ちがうでしょうか。
また「学校、学校」と、おおげさに考えないこと。
税金と、あなたの払う月謝で運営しているのですから、あなたのほうが、もっと威張れ
っていればよいのです。

 「おい、ちゃんとうちの娘の面倒を、しっかりとみろ!」と、です。

それくらいの気持ちで、あなたはあなたのお嬢さんのほうを守ります。
立場が逆ですよ。
あなたは学校側に立って、学校といっしょになってお嬢さんを責めている!
あなた自身が、学校絶対教の信者になっていますよ!

 ……とまあ、かなりきびしいことを書きましたが、あなたは一歩退いて、お嬢さんに
こう言うのです。

 「あなたの人生だから、どんな道を進むかは、あなたが決めなさい。
どんな人生を選んでも、私はあなたを信じていますからね。
応援しますよ。
よく考えて、自分の進路を決めなさい」と。

 結果として、退学しても、よし。
学校へ通うのも、よし。
あなた自身の17歳のときを思い出してみてください。
あなたはすばらしい女子高校生でしたか?
そういう視点で、あなたのお嬢さんを見るのです。

 今、大切なことは、お嬢さんの逃げ場をつぶしてしまわないこと。
あなたが今の状態で、ワーワーとわめいてしまったら、お嬢さんは、帰る場所を
なくしてしまいますよ。
退学どころか、家出、さらにどこかの男性と同棲、妊娠……とつづきますよ。

 「今の状態を、これ以上悪くしないことだけ」を考えて、対処してください。

これで私からの返事は終わりますが、ひとつだけ気になっていることがあります。
いただいた相談には、「お父さんの影」が、どこにもないのは、なぜでしょうか?
よけいなことですが……。

 で、繰り返しますが、高校2年生は、もうおとなです。
ひょっとしたら、あなたのお嬢さんは、あなたより、おとなです。
少なくとも、あなたのお嬢さんは、あなたをそういう目で見ていますよ。
「うちのママったら、どうしようもないわ」と、です。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●メタ認知(認識)(解離性人格障害)

++++++++++++++++++++

自分の現在の脳みその活動を、客観的に
認識することを、「メタ認知(認識)」という。
「メタ」というのは、「超えた」という意味。
「認識を超えた認識」という意味で、「メタ
認識」という。

たとえば空腹感を覚えたようなとき、
「ああ、血糖値がさがっているぞ。視床下部の
センサーがそれを感知しているぞ。
ドーパミンが線条体を刺激し始めたぞ……」と。

目には見えないが、脳のメカニズムがある程度
わかってくると、具体的にそれを知ることができる
ようになる。
自分の中に起きている変化を、客観的に認識する
ことができるようになる。
それが「メタ認知(認識)」。
新しい言葉なので、用語の使い方がまちがっているかも
しれないが、大筋ではそれほどまちがっていないと思う。

で、たとえばパソコンのOSにビスタがある。
このビスタには、自己評価能力という機能が
ついている。
それぞれの機能を、6点満点法で表示してくれる。
これなどは、メタ認知(認識)ということになる。
自分で自分をテストして、自分の能力を調べる。

で、ふとこんなことを考える。
人間も、似たようなことはできないものか、と。

++++++++++++++++++++

●解離性人格障害

 「人格障害」というと、ゾッとする人も多いかもしれない。
しかしこと、この「解離性人格障害」について言えば、程度の差こそあれ、ほとんどの
人に、その傾向が見られる。

 本来の「私」はいるのだが、興奮したようなとき、あるいは攻撃的になったようなとき、
もっとわかりやすい例では、カッと頭に血が上ったようなとき、別人のようになる人は
多い。
そのとき、通常の人とちがう点は、人格そのものまで変化するということ。
ふだんは平和主義者の人が、そういう状態になったとたん、虚無主義者になったりする。
淋しがりやの人が、孤独に強くなったりする。

 実は、私もそうで、それに気づくまでに、20年以上の年月がかかった。
つまり病識そのものが、なかった。
そういう自分を薄々知りながらも、「私はまとも」と思っていた。
しかし私は、(まとも)ではなかった。

 「解離(かいり)」というのは、主人格がちゃんとあって、そのつど、副人格が優勢に
なる状態をいう。
主人格との間に、連続性はない。
あるいは副人格になったときでも、主人格ははっきりとそれを自覚していて、一方の側から、「やめろ」とか、「今のお前はおかしい」とか、口を添えたりする。

●解離性性格

 で、こういう話をすると、たいていの人は、「そういえば、私にも似たようなところが
ある」と言い出す。
他人の心の奥までは覗くことはできないが、もしそうであるなら、「人格障害」という
診断名は、少し仰々しすぎるのでは?
「解離性性格」でもよいのではないか。
たとえばアルコールが入ったとたん、別の人間のようになる人は多い。
ふだんは、気が弱く、おとなしく静かだった人が、アルコールが入ったとたん、気が
大きくなり、大声でわめき散らしたりする。

●病識の自覚

 ここでの目的は、解離性人格障害について書くことではない。
目的は、そうした問題が自分自身にあるとき、どうすれば、それを自分で知ることが
できるかということ。

 たとえば精神疾患の世界には、「病識」という言葉がある。
同じ精神疾患でも、「私は病気」と気がついている、つまり病識がある人は、まだ軽いの
だそうだ。
が、それがさらに進むと、その病識がなくなる。
「私はどこもおかしくない」とがんばる人ほど、重症ということになる。

 では、病識のある・なしは、どこで決まるのか。
 
 ひとつには、知識と経験ということになる。
そういう点では、他人の病気を知ることは、たいへん、役に立つ。
たとえば今、私は認知症の高齢者にたいへん興味がある。
そういう人たちをたくさん見ておくことによって、自分の変化をより的確に知ること
ができるようになる。

●脳のCPU

 が、脳のCPUそのものが狂ってしまっていたら、どうなのか。
言うなれば狂った頭を、狂った頭で判断するようなもので、理論上は、メタ認知(認識)
できない
ということになる。

 よい例が、幻覚。

 私はチョコレートをたくさん食べると、脳の様子が変調する。
おかしくなる。
一種の覚醒作用か?

具体的にはどういう作用によるものかはわからないが、脳みそが勝手に暴走し始める。
10年ほど前、一度、そういう経験をしてから、それが恐ろしくなり、以後、チョコ
レートは、ほとんどといってよいほど、口にしていない。
(そのときは、バレンタインディーか何かで、休み時間ごとに、パクパクと
チョコレートを食べた。)
 
 そのときの症状は、別のどこかですでに書いたことがある。
たとえばこうである。
 
 頭の中に、2本の物干し竿が浮かんでくる。
具体的に、その映像が頭の中に映ってくる。
それについて、「人生の真理は、2本の物干し竿である」というように考え始める。
私が意図的に考えるのではなく、勝手に脳みそがそう考え始める。
(物干し竿)と(真理)の間には、連続性は、まったくない。
で、ふと、我に返る。
我に返って、それを頭から、振り払う。
が、つぎの瞬間には、また別のことを考え始める……。

 それは不気味というよりは、恐怖だった。
「頭が狂うということは、こういうことだ」と知った。

 そのときの経験から、CPUが狂ったときには、それを自分でコントロールするのは、
たいへんむずかしいということを知った。

●では、どうすればよいか
 
 要するに、(心の問題)は、それがどんなものであれ、うまくつきあうしかない。
たとえばうつ病にしても、約30%の人が罹患すると言われている(アメリカ)。
日本人は、どこかいいかげんな精神構造をもっているので、それよりは少ないと
言われている。

 仮に30%とするなら、それは「病気」というよりは、(病気であることには
まちがいはないが……)、「人間が本来的にもつ性質」のようなもの。
少なくとも、特別視するほうがおかしい。

 だったら、あとはうまくつきあう。
つきあうだけ。
つきあいながら、それ以上、症状を重くしないことだけを考える。
「直そう」とか「治そう」と考えれば考えてはいけない。
そう考えて、自分を追い込めば追い込むほど、自分を苦しめることになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 メタ認知(認識) 病識 解離性人格障害 剥離性人格障害 はやし浩
司 メタ認識 メタ認知)

(補記)

●メタ認知(追記)

 今日、ドライブしながら、ワイフに、メタ認知の説明をした。ワイフは、たいへん興味
深そうに、私の話を聞いてくれた。

 メタ認知……わかりやすく言えば、自分の思考プロセスを、客観的に意識化することを
いう。私が、「人間が知覚する意識の中でも、最高度のものだよ」と説明すると、「ふ~ん」
と。

私「なぜ、自分がそのように行動し、考えるかという、そのプロセスを知ることだよ」
ワ「それがわかったからといって、どうなの?」
私「自分で、自分をコントロールすることができるようになる」
ワ「そうねえ。自分がなぜ、そのように行動し、考えるかがわかれば、自分で自分をコン
トロールするのは、簡単ね」
私「そうなんだよ」と。

 私が、なぜ、こうして毎日文を書いているかと言えば、その原点に、(生)があるからで
ある。その(生)を確認するために、文を書いている。それはまさしく、(生との闘い)と
言ってもよい。そういうプロセスを知ることが、メタ認知ということになる。それを話し
ているとき、若い男が運転する、ランドクルーザーとすれちがった。横には、若い女性が、
乗っていた。

私「ほら、あの男。自分では、自分で考えてあの車を買ったつもりでいる。しかし実際に
は、自分の力不足を、ごまかすために、あの車を買ったのかもしれない。ランクルに乗っ
ているだけで、大物になったような気分になれる」
ワ「でも、本人は、それには気づいていないわね」
私「気づいていない。自分の中の、奥深くに潜む意識によって、操られている。おそらく
説明しても、あの男性には、理解できないだろうね」と。

 その男性は、(生的エネルギー)(ユング)というよりは、(性的エネルギー)(フロイト)
のほうに、強く操られていたかもしれない。常識で考えれば、あれほどまでに若い男が、
600~800万円もするような高級車に乗れることのほうが、おかしい。

 言いかえると、性的エネルギーは、それほどまでに強力ということ。が、それはそのま
ま私たち自身の問題ということになる。

 私たちは、今、なぜ、今のような行動をし、今のように考えるか。行動の内容や、考え
の内容は、どうでもよい。問題は、なぜそのような行動をし、考えるかを知る。それがメ
タ認知ということになる。

私「もし精神疾患をもった人が、自分を客観的にメタ認知できるようになったら、自分で
自分の病気を克服できるようになるかもしれないね」
ワ「すごいことね」
私「そう、すごいことだ。が、重度の患者ほど、『私は正常だ』『どこも悪くない』と言っ
てがんばる。つまりメタ認知ができないということになる」と。

 こんな例が適切かどうかは、知らない。が、こんなこともある。

 空腹になってくると、血糖値がさがってくる。同時に脳間伝達物質が、減少してくる。
すると、精神的に不安定になる。人によっては、怒りっぽくなったり、イライラしたりす
るようになる。

 その怒りっぽくなったり、イライラしたようなとき、自分を客観的にメタ認知できたら、
どうだろうか。「ああ、今、怒りっぽくなっているのは、空腹のせいだ」と。それが自分で
わかる。そうすれば、自分の感情を、その時点でコントロールすることができるようにな
る。

 で、そのときも、そうだった。私はそれを感じたので、ワイフに、「どこかで食事しよう
か」と声をかけた。ワイフは、それに快く応じてくれた。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

【生の源泉】

● 生(なま)のエネルギー(Raw Energy from Hypothalamus)
In the middle of the brain, there is hypothalamus, which is estimated as the center of
the brain. This part of the brain shows the directions of other parts of the brain. But it is
not all. I understand the hypothalamus is the source of life itself.

++++++++++++++++++++

おおざっぱに言えば、こうだ。
(あるいは、はやし浩司の仮説とでも、思ってもらえばよい。)

脳の奥深くに視床下部というところがある。

視床下部は、いわば脳全体の指令センターと考えるとわかりやすい。
会社にたとえるなら、取締役会のようなもの。
そこで会社の方針や、営業の方向が決定される。

たとえば最近の研究によれば、視床下部の中の弓状核(ARC)が、人間の食欲を
コントロールしていることがわかってきた(ハーバード大学・J・S・フライヤーほか)。
満腹中枢も摂食中枢も、この部分にあるという。

たとえば脳梗塞か何かで、この部分が損傷を受けると、損傷を受けた位置によって、
太ったり、やせたりするという(同)。

ほかにも視床下部は、生存に不可欠な行動、つまり成長や繁殖に関する行動を、
コントロールしていることがわかっている。

が、それだけではない。

コントロールしているというよりは、常に強力なシグナルを、
脳の各部に発しているのではないかと、私は考えている。
「生きろ!」「生きろ!」と。
これを「生(なま)のエネルギー」とする。
つまり、この生のエネルギーが(欲望の根源)ということになる。(仮説1)

フロイトが説いた(イド)、つまり「性的エネルギー」、さらには、ユングが説いた、
「生的エネルギー」は、この視床下部から生まれる。(仮説2)

こうした欲望は、人間が生存していく上で、欠かせない。
言いかえると、こうした強力な欲望があるからこそ、人間は、生きていくことができる。
繁殖を繰りかえすことが、できる。
そうでなければ、人間は、(もちろんほかのあらゆる動物は)、絶滅していたことになる。
こうしたエネルギー(仏教的に言えば、「煩悩」)を、悪と決めてかかってはいけない。

しかしそのままでは、人間は、まさに野獣そのもの。
一次的には、辺縁系でフィルターにかけられる。
二次的には、大脳の前頭前野でこうした欲望は、コントロールされる。(仮説3)

性欲を例にあげて考えてみよう。

女性の美しい裸体を見たとき、男性の視床下部は、猛烈なシグナルを外に向かって、
発する。
脳全体が、いわば、興奮状態になる。
(実際には、脳の中にある「線状体」という領域で、ドーパミンがふえることが、
確認されている。)

その信号を真っ先に受けとめるのが、辺縁系の中にある、「帯状回」と呼ばれている
組織である。

もろもろの「やる気」は、そこから生まれる。
もし、何らかの事故で、この帯状回が損傷を受けたりすると、やる気そのものを喪失する。
たとえばアルツハイマー病の患者は、この部分の血流が著しく低下することが、
わかっている。

で、その(やる気)が、その男性を動かす。
もう少し正確に言えば、視床下部から送られてきた信号の中身を、フィルターにかける。
そしてその中から、目的にかなったものを選び、つぎの(やる気)へとつなげていく。
「Sックスしたい」と。

それ以前に、条件づけされていれば、こうした反応は、即座に起こる。
性欲のほか、食欲などの快楽刺激については、とくにそうである。
パブロフの条件反射論を例にあげるまでもない。

しかしそれに「待った!」をかけるのが、大脳の前頭前野。
前頭前野は、人間の理性のコントロール・センターということになる。
会社にたとえるなら、取締役会の決定を監視する、監査役ということになる。

「相手の了解もなしに、女性に抱きついては、いけない」
「こんなところで、Sックスをしてはいけない」と。

しかし前頭前野のコントロールする力は、それほど強くない。
(これも取締役会と監査役の関係に似ている?
いくら監査役ががんばっても、取締役会のほうで何か決まれば、
それに従うしかない。)

(理性)と(欲望)が、対立したときには、たいてい理性のほうが、負ける。
依存性ができているばあいには、なおさらである。
タバコ依存症、アルコール依存症などが、そうである。
タバコ依存症の人は、タバコの臭いをかいただけで、即座に、自分も吸いたくなる。

つまり、ここに人間の(弱さ)の原点がある。
(悪)の原点といってもよい。

さらに皮肉なことに、視床下部からの強力な信号は、言うなれば「生(なま)の信号」。
その生の信号は、さまざまな姿に形を変える。(仮説4)

(生きる力)の強い人は、それだけまた、(欲望)の力も強い。
昔から『英雄、色を好む』というが、英雄になるような、生命力の強い人は、
それだけ性欲も強いということになる。

地位や名誉もあり、人の上に立つような政治家が、ワイロに手を染めるのも、
その一例かもしれない。

つまり相対的に理性によるコントロールの力が弱くなる分だけ、欲望に負けやすく、
悪の道に走りやすいということになる。

もちろん(欲望)イコール、(性欲)ではない。
(あのフロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使って、性欲を、心理学の中心に
置いたが……。)

ここにも書いたように、生の信号は、さまざまな姿に変える。
その過程で、さまざまなバリエーションをともなって、その人を動かす。

スポーツ選手がスポーツでがんばるのも、また研究者が、研究で
がんばるのも、そのバリエーションのひとつということになる。
さらに言えば、女性が化粧をしたり、身なりを気にしたり、美しい服を着たがるのも、
そのバリエーションのひとつということになる。

ほかにも清涼飲料会社のC社が、それまでのズン胴の形をした瓶から、
なまめかしい女性の形をした瓶に、形を変えただけで、
現在のC社のような大会社になったという話は、よく知られている。
あるいは映画にしても、ビデオにしても、現在のインターネットにしても、
それらが急速に普及した背景に、性的エネルギーがあったという説もある。

話がこみ入ってきたので、ここで私の仮説を、チャート化してみる。

(視床下部から発せられる、強力な生のシグナル)
      ↓
(一次的に辺縁系各部で、フィルターにかけられる)
      ↓
(二次的に大脳の前頭前野で、コントロールされる)

こう考えていくと、人間の行動の原理がどういうものであるか、それがよくわかる。
わかるだけではなく、ではどうすれば人間の行動をコントロールすることができるか、
それもよくわかる。

が、ここで、「それがわかったから、どうなの?」と思う人もいるかもしれない。
しかし自分の心というのは、わかっているのと、わからないのでは、対処のし方が、
まるでちがう。

たとえば食欲を例にあげて、考えてみよう。

たとえば血中の血糖値がさがったとする。
(実際には、食物の分解物であるグルコースや、インスリンなどの消化器系ホルモン
などが、食欲中枢を刺激する。)
すると視床下部は、それを敏感に関知して、「ものを食べろ!」というシグナルを
発する。
食欲は、人間の生存そのものに関する欲望であるだけに、そのシグナルも強力である。

そのシグナルに応じて、脳全体が、さまざまな生理反応を起こす。
「今、運動をすると、エネルギー消費がはげしくなる。だから動くな」
「脂肪内のたくわえられたエネルギーを放出しろ」
「性欲など、当座の生命活動に必要ないものは、抑制しろ」と。

しかしレストラン街までの距離は、かなりある。
遠くても、そこへ行くしかない。
あなたは辺縁系の中にある帯状回の命ずるまま、前に向かって歩き出した。

そしてレストラン街まで、やってきた。
そこには何軒かの店があった。
1軒は、値段は安いが、衛生状態があまりよくなさそうな店。それに、まずそう?
もう1軒は。値段が高く、自分が食べたいものを並べている。

ここであなたは前頭前野を使って、あれこれ考える。

「安い店で、とにかく腹をいっぱいにしようか」
「それとも、お金を出して、おいしいものを食べようか」と。

つまりそのつど、「これは視床下部からの命令だ」「帯状回の命令だ」、さらには、
「今、前頭前野が、あれこれ判断をくだそうとしている」と、知ることができる。
それがわかれば、わかった分だけ、自分をコントロールしやすくなる。

もちろん性欲についても同じ。

……こうして、あなたは(私も)、自分の中にあって、自分でないものを、
適確により分けることができる、イコール、より自分が何であるかを知ることが、
できる。

まずいのは、視床下部の命ずるまま、それに振り回されること。
手鏡を使って、女性のスカートの下をのぞいてみたり、トイレにビデオカメラを
設置してみたりする。
当の本人は、「自分の意思で、したい」と思って、それをしているつもりなのかも
しれないが、実際には、自分であって、自分でないものに、振り回されているだけ。

それがわかれば、そういう自分を、理性の力で、よりコントロールしやすくなる。

以上、ここに書いたことは、あくまでも私のおおざっぱな仮説によるものである。
しかし自分をよりよく知るためには、たいへん役に立つと思う。

一度、この仮説を利用して、自分の心の中をのぞいてみてはどうだろうか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 視床下部 辺縁系 やる
気)


Hiroshi Hayashi++++++++MAR.08++++++++++はやし浩司

●仮説(Hypothesis)
In the middle of the brain, there may be a center which gives orders to the whole brains.
The limbic system filters these orders to the one, which may be understood by other
brains. Then brains give orders to each part of the body. The orders are controlled by the
frontal part of the brain. This is my hypothesis. …sorry about my improper use of
words )

+++++++++++++++++

電車の中。
春うららかな、白い光。
その白い光の中で、1人の若い女性が
化粧を始めた。
小さな鏡をのぞきこみ、
口紅を塗っていた。

私はその光景を見ながら、
ふと、こう思った。

「彼女は、自分の意思で化粧をしているのか?」と。

私がその女性にそう聞けば、100%、その女性は、
こう答えるにちがいない。

「もちろん、そうです。私の意思で、化粧をしています」と。

しかしほんとうに、そうか?
そう言い切ってよいのか?

ひょっとしたら、その女性は、
「私でない、私」によって、操られているだけ。

+++++++++++++++

昨日、新しい仮説を組み立てた。
人間の生命と行動に関する仮説ということになる。
それについては、昨日、書いた。

仮説(1)

人間の脳みその奥深くに、(生命力)の中枢となるような部分がある。
最近の研究によれば、視床下部あたりにそれがあるらしいということが、わかってきた。
視床下部というは、脳みその、ちょうど中心部にある。

仮説(2)

その(生命力の根源)となるような部分から、脳みそ全体に、常に、
強力なシグナルが発せられている。
「生きろ!」「生きろ!」と。

生命維持に欠かせない、たとえば食欲、生存欲、性欲、支配欲、闘争欲などが、
そのシグナルに含まれる。

これらのシグナルは、きわめて漠然としたもので、私は、「生(なま)の
エネルギー」と呼んでいる。

仮説(3)

この生のエネルギーは、一次的には、辺縁系という組織で、フィルターに
かけられる。
つまり漠然としたエネルギーが、ある程度、形をともなったシグナルへと
変換される。

やる気を司る帯状回、善悪の判断を司る扁桃核、記憶を司る海馬などが、
辺縁系を構成する。

つまりこの辺縁系で一度フィルターにかけられた生のエネルギーは、志向性を
もったエネルギーへと、変換される。
このエネルギーを、私は、「志向性エネルギー」と呼んでいる。

仮説(4)

この志向性エネルギーは、大脳へと送信され、そこで人間の思考や行動を決定する。
ただそのままでは、人間は野獣的な行動を繰りかえすことになる。
そこで大脳の前頭前野が、志向性エネルギーをコントロールする。
この前頭前野は、人間の脳のばあい、全体の28%も占めるほど、大きな
ものである。

以上が、私の仮説である。

具体的に考えてみよう。

たとえばしばらく食べ物を口にしていないでいたとする。
が、そのままでは、エネルギー不足になってしまう。
自動車にたとえるなら、ガス欠状態になってしまう。

具体的には、血中の血糖値がさがる。
それを視床下部のセンサーが感知する。
「このままでは、ガス欠になってしまうぞ」
「死んでしまうぞ」と。

そこで視床下部は、さまざまな、生のシグナルを中心部から外に向かって発する。
そのシグナルを、一次的には、視床下部を包む辺縁系が、整理する。
(これはあくまでも、仮説。こうした機能を受けもつ器官は、ほかに
あるかもしれない。)

「食事行動を取れ」
「運動量を減らせ」
「脂肪細胞内の脂肪を放出せよ」と。

その命令に従って、脳みそは、具体的に何をするかを決定する。
その判断を具体的にするのが、前頭前野ということになる。
前頭前野は、脳みそからの命令を、分析、判断する。

「店から盗んで食べろ」「いや、それをしてはいけない」
「あのリンゴを食べろ」「いや、あのリンゴは腐っている」
「近くのレストランへ行こう」「それがいい」と。

そしてその分析と判断に応じて、人間は、つぎの行動を決める。

これは食欲についての仮説だが、性欲、さらには生存欲、支配欲、所有欲
についても、同じように考えることができる。

こうした仮説を立てるメリットは、いくつか、ある。

その(1)……「私」の中から、「私であって私である部分」と、
「私であって私でない部分」を、分けて考えることができるようになる。

たとえば性欲で考えてみよう。

男性のばあい、(女性も同じだろうと思うが)、射精(オルガスムス)の
前とあととでは、異性観が、まったくちがう。
180度変わることも珍しくない。

たとえば射精する前に、男性には、女性の肉体は、狂おしいほどまでに魅力的に見える。
女性の性器にしても、一晩中でもなめていたいような衝動にかられることもある。
しかしひとたび射精してしまうと、そこにあるのは、ただの肉体。
女性器を目の前にして、「どうしてこんなものを、なめたかったのだろう」とさえ思う。

つまり射精前、男性は、性欲というエネルギーに支配されるまま、「私で
あって私でない」部分に、操られていたことになる。

では、どこからどこまでが「私」であり、どこから先が、「私であって
私でない」部分かということになる。

私の仮説を応用することによって、それを区別し、知ることができるようになる。

こうして(2)「私であって私である」部分と、「私であって私でない」部分を
分けることによって、つぎに、「私」の追求が、より楽になる。
さらに踏み込んで考えてみよう。

たとえばここに1人の女性がいる。

朝、起きると、シャワーを浴びたあと、毎日1~2時間ほどもかけて化粧をする。
その化粧が終わると、洋服ダンスから、何枚かの衣服を取りだし、そのときの自分に
合ったものを選ぶ。
装飾品を身につけ、香水を吹きかける……。

こうした一連の行為は、実のところ「私であって私でない」部分が、
その女性をウラから操っているために、なされるものと考えられる。

もちろんその女性には、その意識はない。化粧をしながらも、「化粧を
するのは、私の意思によるもの」と思っている。
いわんや本能によって操られているなどとは、けっして、思っていない。

しかしやはり、その女性は、女性内部の、「私であって私でない」部分に操られている。
それを意識することはないかもしれないが、操られるまま、化粧をしている。

++++++++++++++++++

こう考えていくと、「私」の中に、「私であって私」という部分は、
きわめて少ないということがわかってくる。

たいはんは、「私であって私でない」部分ということになる。
あえて言うなら、若い女性が口紅を塗りながら、「春らしいピンク色にしようか、
それとも若々しい赤色にしようか?」と悩む部分に、かろうじて「私」があることに
なる。

しかしその程度のことを、「私」とはたして言ってよいのだろうか?
「ピンク色にしようか、赤色にしようか」と悩む部分だけが、「私」というのも、
少しさみしい気がする。

さらにたとえばこの私を見てみたばあい、私という人間は、こうして
懸命にものを考え、文章を書いている。

この「私」とて、生存欲に支配されて、ものを書いているだけなのかもしれない。
つまり、私の脳みその中心部から発せられる、生のエネルギーに操られているだけ?
……と考えていくと、「私」というものが、ますますわからなくなってくる。

しかしこれが、「私」を知るための第一歩。
私はやっと、その(ふもと)にたどりついたような気がする。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 私論 私で会って私でない
部分 視床下部 大脳前頭前野)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●糸の切れた凧(たこ)

+++++++++++++

ただ勉強さえできれば、それで
いいと考えている親は、多い。

若い親たちは、ほとんどが、みな、
そうではないか。

しかし指針のない教育ほど、
恐ろしいものはない。それは
たとえて言うなら、糸の切れた
凧のようなもの。

風が吹くのに任せて、右往左往する
だけ。

やがて子どもは、ダメ人間に……。
親は親で、深い、絶望の谷底に
……。

+++++++++++++

 もう20年以上も前のこと。あるとき1人の母親が私のところへきて、こう相談した。「う
ちの息子(5歳男児)が通っている英語教室の先生は、アイルランド人です。アイルラン
ドなまりの、へんな発音が身につくのではないかと、心配です」「だからどうしたらいいで
しょうか」と。

 この話は、ほんとうにあった話である。あちこちの本や雑誌にも、紹介させてもらった。

 たしかにアイルランド人は、やや独特の英語を話す。「W」の発音を、「ウォ~」と延ば
したりする。オーストラリアやアメリカには、アイルランド系の移住者も多い。

 しかしネイティブは別として、日本人で、アイルランド英語を、ほかの英語と区別でき
る人は、いったい、どれだけいるだろうか? 私はその相談を受けたとき、「そんな問題で
はないのだがなア」と思った。

 その子どもには、多動性に併せて、多弁性も見られた。きびしいしつけが日常化し、そ
れが原因と思われるチックと吃音(どもり)も見られた。幼児期はともかくも、小学校へ
入学したあと、伸び悩むことは、明白だった。が、その母親は、英語教室の先生の、なま
りを気にしていた!

 ……というような例は、多い。子育てイコール、(子どもが勉強ができるようにすること)
と考えている。もっとはっきり言えば、進学競争のため。ほとんどの親は、「うちの子は、
やればできるはず」「うちの子にかぎって、今より悪くなるはずはない」と信じている。つ
まり、前しか見ない。上しか見ない。

 が、子どもの世界には、うしろもある。下もある。幼児期の、あの穏やかさ、すなおさ
が、いつまでもつづくと考えるのは、幻想以外の何ものでもない。やがてつぎつぎと問題
が起こり、それが怒濤のように親を襲う。

 それには、理由がある。

 親の欲望には、際限がない。少し子どもができるようになると、「もっと」「もっと」と
言って、子どもを追いまくる。が、子どもとて、1人の人間。やがてその限界にやってく
る。よく家庭内暴力が問題になるが、子どもが暴力をふるうのは、何も、家庭だけではな
い。学校という場で、教師に向かって暴力をふるう子どもが、近年、急速にふえている。

 いつだったか、私は『子どもの心は風船玉』という格言を考えた。学校でしめつけられ
た子どもは、家庭で荒れる。反対に、家庭でしめつけられた子どもは、学校で荒れる。

 ふつうの荒れ方ではない。「テメエ、この野郎!」と言って、本気で足蹴りを入れてくる。
本気だ。しかも高校生や中学生ではない。まだあどけなさの残る、小学生。それも、小学
3、4年生。たいていは、女児である。

 が、親というのは、悲しい。子どもがそういう状態になっても、気がつかない。気がつ
かないフリをする。私がそれとなく指摘しても、「まさか……」「そんなはずは……」と、
それを否定してしまう。ことの深刻さが、理解できていない。

 この時点で、子どもの心は、粉々に破壊されている。やさしい心は消え、心は、とげと
げしくなる。ささいなことでキレやすくなり、暴れる。「勉強どころの話ではないのだが…
…」と私は思うのだが、親は親で、拍車をかけて、子どもの受験競争に狂奔する。症状も、
この程度ですめば、まだよいほう。さらに心をゆがめれば、行き着く先は、不登校、家庭
内暴力、陰湿ないじめなどなど。

 ……というような、その親子の未来像が、私には、手に取るようにわかる。40年近く
も幼児を見ていると、それがわかるようになる。が、それを口に出すことは、タブー。わ
かっていても、今度は、私の方が知らぬフリをする。冷酷なようだが、その人の子育てに
は、その人すべての哲学や人生観が集約されている。さらに、その人自身の過去が集約さ
れている。

 仮に問題があったとしても、親自身がそれに気がつくのは、むずかしい。心理学の世界
にも、「メタ認知」という言葉がある。自分自身の思考プロセスを、意識化することをいう。
人間がもつ意識の中でも、最高度の意識といってもよい。

 「なぜ私は、子どもの受験競争に狂奔するのか」と。それが自分でわかる親は、まずい
ない。どの親も、もっと深い部分からの命令によって、動かされているだけ。それを認知
する力が、「メタ認知」ということになる。

 私はその母親と別れるとき、「道は遠いだろうな」と思った。その母親が、自分の愚かさ
(失礼!)に気がつくことはあるのだろうかとさえ、思った。と、同時に、そのときほど、
やる気をなくしたことはない。おかしな無力感だけが、いつまでも残ったのだけは、今で
もよく覚えている。

 学生時代、私のガールフレンドは、そのアイルランド移民だった。若くして白血病でな
くなってしまった。今でもアイルランド英語を耳にするたびに、切ない思いにかられる。
これは余談だが……。

(補記)【メタ認知】

 医学の世界にも、「病識」という言葉がある。精神疾患を病んだような人が、「自分はお
かしい」と認識することを、病識という。

 この病識がある、なしで、精神疾患の重大さを判断することができるという。「私はおか
しい」「私は狂っている」と、認識できる病人は、まだ症状が軽いという。

 しかし病状が進むと、それすら、わからなくなる。「私はどこもおかしくない」「私の精
神状態は健康だ」とがんばる病人ほど、症状が重いという。

 自分で自分の(おかしさ)に気づくことは、それほどまでに、むずかしい。同じように、
自分の思考プロセスを、意識化することは、むずかしい。たとえばDV(家庭内暴力)が
ある。たいていは夫が妻に暴力をふるうケースだが、なぜ暴力をふるうのか。その思考プ
ロセスを、夫自身が気がつくのは、むずかしい。

 とくに心のキズというのは、そういうもの。無意識の世界から、その人を操(あやつ)
り人形のように、操る。夫自身も、幼少時代、親に虐待されていたかもしれない。

 わかりやすく言えば、哲学の世界で、「今の自分を知る」ということが、心理学の世界で
は、「メタ認知」ということになる。

 まず手始めに、「なぜ、私はこうまで、子どもの受験競争にカリカリするのか」と、自問
してみるとよい。そこからメタ認知は、始まる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
メタ認知 思考過程 思考プロセス 無意識下の意識)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司※

●自分を知る

++++++++++++

ほとんどの人は、「私のことは
私がいちばんよく知っている」
と思っている。

しかしその実、自分のことは、
まったくわかっていない。そう、
自分で思いこんでいるだけ。

よい例が、「病識」。「私は病気で
ある」という意識があることを、
病識という。

精神疾患の世界でも、この病識
のあるなしで、病気の軽重が
決まるという。

同じように、心理学の世界には、
「メタ認知」という言葉がある。
自分の思考プロセスを客観的に
知り、それを意識化することをいう。

「なぜ、私はこう考えるのか」と。
考えている内容ではない。なぜ、
そのように考えるか、そのプロセスを
意識化することをいう。

さらに哲学の世界では、「汝自身を
知れ」が、究極の目標になっている。

精神医学、心理学、そして哲学の
世界で、それぞれ言っていることは、
みな、同じ。

つまり、「私を知ること」は、それほど
までにむずかしい。

……それでもあなたは、「私のことは
私がいちばんよく知っている」と、
言い張ることができるだろうか?

+++++++++++++

 たとえば若い女性が、胸や太ももをあらわにした服を着たとする。その女性にしてみれ
ば、それが流行であり、そのほうが自分に似合うと思うから、そうする。

 そこでさらに、店にでかけ、あれこれ迷いながら、自分に合った(?)服を買おうとす
る。そういう女性に向かって、「どうしてそういう服を買うのですか」と質問しても、意味
はない。その女性はその女性なりに、懸命に考えながら、色やデザインを選んでいる。

 が、もしその女性が、こう考えたらどうだろうか。

 「私はフロイトが説いたところの、イド、つまり性的エネルギーに支配されているだけ」
と。

 そう、その女性は、無意識の世界からの命令によって動かされているだけ。そしてその
命令は、種の保存本能に根ざしている。胸や太ももをあらわにするのも、結局は、(男)と
いう異性をを意識しているからにほかならない。が、もちろんその女性には、その意識は
ない。

私「男を意識するから、そういう服を着るの?」
女「男なんて、関係ないわよ。ファッションよ」
私「ファッションって?」
女「自分に似合った服を選んで、身につけることよ」と。

 つまり精神疾患でいうところの「病識」が、その女性には、まったくないということに
なる。「私は正常だ」「ふつうだ」と思いこんでいる。しかし若い男性にとっては、そうで
はない。あらわになった胸や太ももを見ただけで、性的な情欲にかられる。女性には、そ
の意識はなくても、男性は、そうなる。

 「どんな服装をしようとも、女性の勝手」というわけにはいかない。

 もっとも、その女性が、性的エネルギーにすべて支配されていると考えるのも、まちが
いである。動機の原点に、性的エネルギーがあるとしても、そこから先は、(美の追求)と
いうことになる。ファッションショーに、その例を見るまでもない。

 しかしそのつど、もし私たちが、自分の思考プロセスを、客観的に認知することができ
るようになったら、またそういう習慣を身につけることができたら、自分の見方が大きく
変わるかもしれない。それを心理学の世界では、「メタ(高次)認知」という。

 たとえばこの私。毎日、ヒマさえあれば、こうしてパソコンのキーボードをたたいてい
る。実際には楽しいから、そうしている。頭の中の未知の世界を探索するのは、ほんとう
に楽しい。毎日、何か、新しいことを発見することができる。

 が、なぜ、そうするかというと、そこからが、「メタ認知」の領域ということになる。哲
学の世界でいう、「私自身を、知る」という世界ということになる。

 基本的には、大きな欲求不満があるのかもしれない。あるいは心のどこかで女性という
読者を意識しているのかもしれない。さらに言えば、(生)に対して、最後の戦いをいどん
でいるのかもしれない。フロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使ったが、弟子のユ
ングは、「生的エネルギー」という言葉を使った。

 「性」も「生」の一部と考えるなら、私は、今の自分が、その生的エネルギーによって
支配されているということになる。

 その生的エネルギーが姿を変えて、私を動かしている。それを知るということが、つま
りは、メタ認知ということになる。「私自身を知る」ということになる。

(補記)

 子どもの世界をながめていると、メタ認知というものが、どういうものか、よくわかる。

 たとえば心理学の世界にも、「防衛機制」という言葉がある。自我が危機的な状況に置か
れると、子どもは、(おとなもそうだが)、その崩壊を防ぐために、さまざまな行動に出る
ことが知られている。

 たとえば学習面では目立たない子どもが、スポーツ面でがんばるなど。非行や暴力、つ
っぱりも、その一部として理解されている。

 が、当の本人たちには、その意識はない。「私は私」と思って、(思いこんで)、そういう
行動を繰りかえす。

 相手は子どもだから、ここでいうメタ認知を求めても、意味はない。心を知り尽くした
心理学者でもむずかしい。あのソクラテスですら、「汝自身を知れ」という言葉にぶつかっ
てはじめて、「無知の知」という言葉を導いた。

 しかしメタ認知は、同時に、他人をよく知る手助けにもなる。

 出世主義に邁進する人も、金儲けに血眼になっている人も、あるいはスポーツの世界で
華々しい成果をあげている人も、心のどこかで、何かによって動かされている。それが手
に取るように、よくわかるようになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
メタ認知 認識 病識 汝自身を知れ 汝自身を、知れ)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●空腹のメカニズム(メタ認識・メタ認知)

+++++++++++++

昨夜、床につく前、猛烈な空腹感
に襲われた。

「パンでも食べようか……」と思ったが、
やめた。

そういうときの空腹感は、幻覚の
ようなもの。

朝、起きると、空腹感は消える。
今までの経験で、それがよくわかって
いる。

それに寝る前に食べると、肥満に
つながる。

+++++++++++++

 人間の空腹感は、(ほ乳動物もみなそうだが)、2つの相反する作用によって決まるとい
うことがわかっている。「食べたい」という作用と、「食べたくない」という作用である。「食
べたい」という作用が、「食べたくない」という作用よりも強くなったとき、空腹感が起き
てくる。順に考えてみよう。

 大脳の視床下部に、血糖値を感知するセンサーがある。一般的には、血糖値がさがると、
そのセンサーが機能し、空腹感をもたらすと考えられている。

 しかし空腹感のメカニズムは、そんな単純なものではない。私の例で、考えてみよう。

 たとえば昨夜、私は寝る前に、猛烈な空腹感に襲われた。人間には、(ほ乳動物はみなそ
うだが)、ホメオスタシス効果というのがある。「ホメオスタシス」というのは、人間内部
の生理的環境を一定に保とうとする機能を総称したもの(付記、参照)。

 もっともわかりやすい例が、食欲である。体内のエネルギーが不足してくると、生理的
バランスを一定に保つために、ホメオスタシス効果が機能し始める。それが食欲につなが
る。

 猛烈な空腹感に襲われたのは、血中の血糖値がさがったため。それを大脳の視床下部の
センサーが感知した。それが猛烈な空腹感へとつながった。

 しかしならば、朝になると、どうしてその空腹感が消えるのか? 血糖値は、昨夜のま
まのはず。あるいは睡眠中に、ホメオスタシス効果が機能して、血糖値を調整したのか。
その可能性は、ある。あるが、どうも合点がいかない。血糖値だけで、食欲の有無は、決
まるのか?

 この謎を解くカギが、拒食症や過食症の患者にある。

 食欲……正確には、「摂食行動」というが、その摂食行動は、2つの相反する作用によっ
て、決まるという。ネズミの実験だが、ネズミの視床下部の外側野に電気刺激を与えると、
摂食行動が活発化し、反対にその部分を破壊すると、摂食行動が停止するという(春木豊
氏「心理学の基礎」)。

 が、反対に、その視床下部の外側野に隣接した、腹内側核を刺激すると、摂食行動が起
きなくなり、反対にその部分を破壊すると、摂食行動が止まらなくなり、ネズミは過食し
始めるという(同)。

 わかりやすく言えば、視床下部の外側野と、それに隣接する腹内側核が、たがいに相反
した機能をもちながら、人間の食欲を調整しているということになる。以上の話を、もう
一度、まとめると、こうなる。

(1) 視床下部の外側野……(刺激すると)→(摂食行動が起きる)
               (破壊すると)→(摂食行動が停止する)

(2) 視床下部に隣接する腹内側核……(刺激すると)→(摂食行動が起きなくなる)
                    (破壊すると)→(過食が始まる)   

 脳の機能も外部からの刺激で、変調しやすい。ここに書いたマウスの実験では、脳の一
部を破壊することによって、摂食行動の変化を確かめたが、機能が変調しても、同じこと
が起きると考えるのは、ごく自然なことである。 

 たとえば拒食症の人は、視床下部の外側野の機能が、低下した人ということになる。一
方、過食症の人は、腹内側核の機能が、低下した人ということになる。(かなり乱暴な書き
方で、ごめん!)

 で、私のばあいは、どうか?

 昨夜、猛烈な空腹感が、私を襲った。原因として考えられるのは、夕食を、一気に食べ
たこと。つまり短時間で食べた。

 短時間で食べたため、血糖値が、急激に上昇した。それと並行して、(ややタイムラグ=
時間的なズレはあるが)、インシュリンが分泌された。昨夜は、それがやや多めに分泌され
たらしい。

 結果、血糖値はさがったが、インシュリンは、血中に残って、さらに血糖値をさげつづ
けた。そのため寝る前に、私は、低血糖の状態になった。それを大脳の視床下部にあるセ
ンサーが感知した。そしてその信号を、視床下部の外側野に伝えた。

 私は猛烈な空腹感に襲われた。

 しかし私は、それをがまんした。一連のメカニズムがわかっていると、がまんするのも、
それほどつらいことではない。「この空腹感は、幻覚」と自分で自分に、言って聞かせるこ
とができる。

 眠っている間に、ホメオスタシス効果が機能した。体内の生理的バランスを調整した。
結果として、朝起きたとき、空腹感は消えていた。

 ……というように、自分の欲望や行動を、客観的に意識化することを、「メタ認知」とい
う。人間がもつ認知力の中でも、最高度のものである。少し前、ワイフが、「それ(=メタ
認知)ができたからといって、それがどうなの?」と聞いた。私は、それに答えて、「メタ
認知ができるようになれば、さらに自分がよくわかる。自分で自分をコントロールできる
ようになる」と答えた。

 以上、「空腹のメカニズム」。おしまい!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
空腹のメカニズム 過食症 拒食症 ホメオスタシス メタ認知 視床下部 外側野 腹
内側核 はやし浩司 メタ認識)

(付記)

ホメオスタシス……「平衡状態」「定常状態」の意。生物が環境のさまざまな変化に対応し、
生物体内の形態的、生理的状態を安定な範囲に保ち、生存を維持する性質。アメリカの生
理学者のキャノンが提唱(国語大辞典)。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●時代遅れ(ネット時代)

++++++++++++++++

総務省の調査でも、インターネットの人口普及率は、75%を超えた。
75%と言えば、「ほぼ全世帯」と考えてよい。
(75%の人なのか、75%の世帯なのかによっても、中身はちがってくるが……。
それに子どもや老人が、この数字の中に含まれているか、いないかによっても、
中身はちがってくるが……。)

ともかくも、今や、ネット時代。
そんな時代にあって、今朝(19日)、ヤフー・ニュースに、こんな記事が載っていた。
何でも「あれもダメ」「これもダメ」式の公職選挙報が、時代に流れに即していないという。
たとえば、マニフェストの配布場所は決められている。
インターネットで選挙を呼び掛ける行為は禁止されている、などなど。
一部を紹介する。

『……ネットの人口普及率は総務省調査で75%を突破したものの、本来ネットは選挙運
動には使えない。しかし、各党は事実上のマニフェストをホームページ上に公開。K党広
報部長は「事前運動と指摘されないようテキスト版を載せた」とし、各党とも表向きは「選
挙公約ではなく、政権政策」。公示後は更新もできないため、「こうでもしないと政策が伝
わらない」というのが本音だ』(時事通信・8月19日)。

●私の経験から

 本(=書籍)とインターネット。
私はこの9年近く、本を、まったく書いていない。
「本」の限界を強く感ずるようになった。
だいたい私の書いた本は、売れない。
この世界、知名度が何にもまして、優先する。
知名度といっても、(テレビへの露出度)を意味する。

 頭をさげながら、本を出してもらう。
頭をさげながら、本を売ってもらう。
しかし本は売れない。
今度は、売れなかったことで、頭をさげる。
毎回、この繰り返し。

 本を出してもらうまでが、これまたたいへん。
何度も東京まで足を運ばねばならない。
加えて無駄な接待。
頭ペコペコ、またペコペコ……。

●インターネットの可能性

 そこで私は、(本)から(ネット)に、発表媒体を替えた。
とたん、目の前の世界が、変わった。
広がった。
ネットのすばらしいところは、(地域性)がないということ。
(地方性)と言うべきか。
(東京)という(中央)を飛び越えて、一気に(世界)に向かって、原稿を発表できる。
この狭い日本の中だけで見ていると、(東京)と(浜松)の落差は大きい。
しかし(世界)から見ると、(北海道)も、(沖縄)も、同じ。
(東京)と(浜松)のちがいなど、(点)に過ぎない。

 ネットを通して、少なくとも私は、(地方コンプレックス)を、完全に吹き飛ばすことが
できた。

 それ以後のネットの発達には、驚くべきものがある。
たとえば昨年の2月ごろ、アクセス数を合計してみた。
すべてのページにアクセスカウンターを設置しているわけではないが、それでも
合計してみると、月間10万件を突破していた。
(1人で、10回アクセスしても、10件とカウントされるので、10万件イコール、
10万人という意味ではない。)

 それがこの5月には、何と、30万件を突破した。
1年とちょっとの間に、3倍以上になったことになる。
ネットが、確実に世論のみならず、逆に、印刷媒体を凌駕(りょうが)しつつある。

 つい先日も、ある知人から、こんなニュースがもたらされた。

「(林さんの原稿が、以下の雑誌で紹介されます。)……広告媒体は10/1発売 COMO、10/2
発売 オレンジページ 、10/7発売ESSE、10/7発売 LEE、などを想定しているとのこ
とです。
全国区の有名雑誌での掲載は初めてですので、本当に嬉しく思っております」と。

●時代錯誤

 こういう(流れ)の中、いまだに(印刷物)にこだわる人も多い。
それはそれでしかたないとしても、(法律)そのものが、(印刷物時代)を、ベースに
して作られているというのは、おかしい。
これを時代錯誤と言わずして、何と言う?
時代遅れと言ってもよい。

 その一例が、先にあげた公職選挙法である。
「あれもダメ」「これもダメ」という規制、規制の網をくぐりぬけて、ネット人口は、
好き勝手なことをしている。……好き勝手なことができる。

 たとえば今、こうして書いている文章は、10分後には、ネットに乗る。
(「載る」ではなく、「乗る」。)
Goo-Blogのばあい、24時間後には、約2000人の人の目にとまる。
反応も速い。
(「早い」ではなく、「速い」。)
私の書いた文章について、コメントがズラリと並ぶ。
「はてなBLOG」だけでも、毎日、40~60件の書き込みがある。
多いときは、200件を超える。

●誤解

 これに対して、ネットに対する誤解と偏見も、根強い。
よく聞かれるのは、「ネットの情報は、信頼性がない」「ネットの情報は、軽い」など。
つまり情報源としては、それなりの価値はあるが、本のそれには、とてもかなわない、と。

 ある読者は、ていねいにこう書いて教えてくれた。

「本は、出版されるまで、編集部や販売部の担当者の目をくぐり抜けなければなりません。
その間に文章は洗練され、内容も整えられます。
しかしネットに流される文章には、そうしたプロセスがないのです」と。
つまり「いいかげん!」と。

 ならば聞きたい。
私がここに書いている文章と、書店で並んでいる本に載っている文章を、くらべて
読んでみてほしい。
「本に載っている文章だからすばらしいとか、ネットに乗っている文章だから、意味が
ない」というのは、偏見もよいところ。
私のばあい、本を書いているときも、こうしてネットに文章を書いているときも、
真剣度は同じ。
手は抜かない。
量を多く書いているから、その分、校正、推敲に書ける時間が少なくなるのは、しかたの
ないこと。
誤字、脱字は、いくら注意していても、避けられない。
(本のばあいは、出版社が、校正屋と呼ばれる、プロに文章を校正させている。)

 しかしそれを除けば、「ネットに乗っている文章だから……」という批判は、こと私の
書いている文章について言えば、当てはまらない。

●今は過渡期

 現在は、(印刷物)から(非印刷物)への過渡期と考えてよい。
ネットにも、いろいろな問題点がある。
未熟な点もある。
改善すべき点も多い。
それは認める。

しかしそれらの問題点は、日進月歩の時代の中にあって、日々に解決されつつある。
が、それ以上に、ネットのもつすばらしさが、ますます見なおされてきている。
動画や音声が、そのまま送信できるようになった。
それがいとも簡単にできるようになった。

 やがて「ネットに乗っている文章だから……」と陰口をたたく人もいなくなるだろう。
念のため、このエッセー(「時代遅れ」)については、一度、きちんと推敲、校正をして
からネットに乗せてみたい
「いいかげん」という陰口を叩かせないぞ!

 さあ、どうだ!


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●「偉そうなこと言うな!」

+++++++++++++++++++

今日、ある人(女性・60歳くらい)から、
こう言われた。

「偉そうなこと言うな!」と。
いきさつがある。
その場の雰囲気もある。

が、それについては、ここには書けない。
ともかくも、その女性は、私に、そう言った。

この言葉は、強烈に私の心に打撃を与えた。
つまりその一言で、私はその女性への思いが、
消えた。
完全に消えた。
今まで積み重ねてきた関係が、土台から
崩れ去った。

その女性が、まさか、そう言うとは、
思ってもみなかった。
ある程度の信頼関係はできあがっていると
思っていた。
しかし内心では、強く私に反発していたらしい。
だからこそ、とっさの拍子に、そういう言葉が出てきた。

心理学の世界でも、ときとしてこうした現象が起こる
ことが、証明されている。
いわゆる「思わず本音が……」という、あれである。
「言ってはいけない」と思っていると、かえって
そのことが口から出てきてしまう。

60歳ともなるとなおさらで、自分をコントロールする
気力そのものが、弱くなる。
だからよけいにそういう現象が起きやすくなる。

「なるほど」と思ったとたん、残念だが、その女性への
思いが、すべて吹き飛んでしまった。
恐らくその女性は、私という人間を外から見ながら、
いつも、「何を偉そうに!」と思っていたにちがいない。
私自身は、偉そうにしていたつもりはないのだが……。

しかしよい勉強になった。
こうしてものごとを評論すること自体、(偉そうなこと)。
地位も肩書きもない私が、教育を論じ、社会を論じ、世界を
論ずる……。
なるほど私がしていることは、(偉そうなこと)そのもの。
その女性は、それをわかりやすい言葉を使って、指摘した。

これからは気をつけよう。
人というのは、わからない。
本当にわからない。
外の様子からだけでは、ぜったいにわからない。
その気はなかったのだが、私も知らず知らずのうちに、
偉そうにしてみせていた。

これからは、もう少し謙虚になろう。
ただし一言。
『口は禍(わざわい)の門』という。
『舌は禍の根』※ともいう。
一度出た言葉は、簡単には消えない。
この先のことはわからないが、その女性との関係が
修復されることは、ないだろう。
人生は、それ以上に短い。
修復するための時間があったら、ほかの人との親交を深めることに
使いたい。

(注※)
『口は是れ虎に似て、人われの身を害す。
舌は是れ剣に似て、人われの命を絶つ』(古事)ともある。
舌の一撃は槍の一撃より悪いことを言ったもの。


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