2013年1月24日木曜日

アタカマの巨人は、エイリアンによって描かれた、その証拠


171 Aliens created Gigante de Atacama, and here is the evidence

アタカマの巨人は、エイリアンによって描かれた、その証拠

 


 

http://youtu.be/O2MDMAKdVPI

 

Gigante de Atacama was created by Aliens and I show you here in this video the evidence of it. Before you think I am mad, please give me 4

minutes and you will know the fact.

 

アタカマの巨人はエイリアンによって描かれたものです。

その証拠をお見せします。

私について、頭がおかしいと思う前に、4分間だけ、時間をください。

あなたも、それについて納得するでしょう。

 

なおこのビデオの中で示した事実について、盗用、転用、流用は、禁止です。

どうかお守りください。

 

No one is allowed to use my ideas in this video in any case without my permission and my names, Hiroshi Hayashi, Japan

 

Write to me: bwhayashi(at)vcs.wbs.ne.jp

 

Hiroshi Hayashi+++++Jan.2013+++++はやし浩司・林浩司

 

【同窓会】

 

○豊橋へ

 

 駅のキオスクで、雑誌を買う。

先ほどまで、読む。

眠い。

時刻は、午後4時15分。

電車の中。

通勤電車。

パソコンを叩く。

隣の人の肩を感ずる。

 

 これから名古屋へ。

同窓会。

豊橋から、名鉄に。

午後6時までには、着くつもり。

 

○曇り空

 

 プラットフォームに立つ。

高校時代を思い出す。

数人の高校生を見たせいかもしれない。

「ぼくにも、あんなときがあったなあ」と。

が、楽しかった思い出は、ほとんど、ない。

イヤ~な時代だった。

 

 ひょうきん者で、笑わせ上手だった私。

その私が、高校生になると同時に、変わった。

アルバムを見ても、笑っている顔は、ほとんどない。

とくに高校3年生のとき。

最悪。

私は毎朝、起きると自分の足が鉄のように重くなっているのを知った。

その足をひきずるようにして、学校へ通った。

イヤ~な高校時代だった。


○長い昔

 

 こういう曇天の夕方は、苦手。

おまけに周りは、冬景色。

気分まで重くなる。

 

 ……長い時間を生きてきた。

遠いとは、思わない。

「遠い昔」ではない。

「長い昔」。

(どうして、「遠い」と言うのだろう。

英語では、「long(長い)」という言葉を使う。)

高校時代と現在の間を、長くは感ずる。

が、「遠く」には、感じない。

高校時代が、つい先日のできごとのように、よみがえってくる。

 

○検索

 

 記憶というのは、そういうもの。

地層のように、層になって蓄積されるのではない。

それぞれの記憶が、てんでバラバラに、あちこちに格納される。

言うなれば広い倉庫のようなもの。

記憶という本が、無造作にあちこちに積まれている。

だから記憶を取り出す側にすると、「遠近感」はない。

どの記憶も、等距離。

「古い記憶」「新しい記憶」という言い方、そのものが、おかしい。

 

 そこでテスト。

勝手に自分に質問を投げかける。

 

(1)  高校1年生のとき。

(2)  冬のころ。

(3)  場所は山の中。

(4)  何かを食べている。

 

 検索のワクをせばめていく。

そのつど脳みその中が、クルクルと目まぐるしく動く。

が、答が出てこない。

「何を食べているのだろう?」と。

 

 ……山の中で、何かを食べた記憶がない?

中学3年生のときには、ある。

しかし高校1年生のときには、ない(?)。

 

○名鉄に

 

 寒い。

特急に乗った。

1号車。

指定席車両。

それでも寒い。

 

 車内には、私を含めて、客は2人だけ。

……と思いながら、うしろを見る。

いつの間にか、客は、4~5人にふえていた。

 

○大学時代

 

 反対に、大学時代は、楽しかった。

思う存分、羽を伸ばした。

空を、はばたいた。

好き勝手なことをした。

今から思うと、高校時代の反動だった。

もちろん学生運動もした。

デモにも出た。

時は1970年。

安保闘争の時代。

 

 が、もとから主義主張など、どこにもなかった。

マルクス主義の、「マ」の字も知らなかった。

言うなれば、祭り騒ぎ。

私だけではない。

おおかたの学生が、そうだった。

 

 ……体をがんじがらめにしているクサリをほぐしたかった。

ワーワー騒いで、抑圧されたうっぷんを晴らしたかった。

それだけ。

それが私にとっての、学生運動。

たいていの学生にとっての、学生運動。

 

○軍事同盟

 

 結果としてみる。

現在から、あの時代の政治を考える。

あの時代に、日本は、アメリカと軍事同盟を結んだ。

「安保」というのは、官僚政治独特の、造語。

「軍隊」を「自衛隊」と言い換えるのと同じ。

中身は、軍事同盟。

 

 ……しかし官僚というのは、造語がうまい。

「官僚政治の是正」を、「行政改革」と言い換えたりする。

最近では、「2%の調整インフレ」という言葉がある。

中身は、通貨の切り下げ。

プラス、消費税のUP。

 

私の試算では、これらによって、この先20%ほど、通貨の価値がさがる。

(それで止まれば、まだよいほう。

古今東西、今まで調整インフレがうまくいった国など、どこにもない。

いったん堰(せき)を切ると、あとは暴走。

それが常識。)

 

わかりやすく言えば、国が、個人から、貯金を盗むようなもの。

1000万円の貯金のある人の家にあがり込み、200万円、持ち去る。

それと同じ。

 

 話がそれた。

が、もしあのとき、日本がアメリカとの軍事同盟を破棄していたら……。

現在の日本は、なかっただろう。

韓国、朝鮮、中国、それにソ連……。

繰り返し、日本は、そういった国に侵略された。

戦後、日本は、かろうじて平和を守ることができた。

が、それとて、日本人が平和を愛する(?)国民だったからではない。

アメリカという強大な後ろ盾があったからに、ほかならない。

世界は、当時も、今も、そんなに甘くない。

 

 半世紀を過ぎ、あの時代を振り返ってみると、それがよくわかる。

 

○午後5時20分

 

 もうすぐ名古屋。

あたりはすでに真っ暗。

かすかに明るさを残している。

こういう時刻を、昔は、「たそがれどき」と言った。

「他そ、彼?」というのが、もとの意味。

「あれは、彼かな?」と。

夕暮れどきになると、人の顔が見えなくなる。

だから、そう言った。

 

 反対に、早朝のことを、「かはたれどき」と言った。

「彼は誰?」というのが、もとの意味。

「たそがれ」「かはたれ」、ともに風流な言葉。

今が、その「たそがれどき」。

遠くの地平線だけが、かすかに白く光っている。

 

○名古屋市

 

 こういう大都会へ来るたびに、こう思う。

「多くの人が、生きている」と。

どこを見ても、人、また人。

車、また車。

駅にも、街にも、ビルの中にも。

 

 ……私もあの中の1人と思った瞬間、自分がどんどんと小さくなっていく。

際限なく、小さくなっていく。

私にとって都会というのは、そういうもの。

どこにいても、自分の居場所がない。

人はたくさんいる。

たくさんいるはずなのに、さみしい。

 

○謎の点と線

 

 謎の点と線。

今日の成果は、なし。

あれこれ調べてみた。

が、これといった成果は、なし。

脳みその働きが悪くなった?

それとも疲れた?

 

 それに眠い。

 

○シラフ

 

 同窓会は、午後9時30分に終わった。

みな、ほろ酔いかげん。

ビアホールを出た。

私だけ、シラフ。

一滴も、飲まなかった。

 

 ……しかし、みな、よく飲む。

生ビールをジョッキで、軽く2~3杯。

日本酒を、コップで、数杯。

それにショーチューも。

 

 あとはお決まりの、大騒ぎ。

ワイワイと騒ぎ、言葉をぶつけあう。

楽しそう。

が、うらやましいと思う前に、どうしてみな、ああまでハッピーになれるのか。

酒には、そういう力があるのか。

酒は脳内で、どういうホルモン分泌を促すのか。

あるいは、しないのか。

私には、それが不思議でならない。

 

○帰りの電車

 

 帰りも、名鉄電車を利用した。

いつも、そうしている。

静かな車内。

みな、だまって下を向いている。

ほとんどが目を閉じ、眠っている。

今、時刻は、午後10時10分。

 

○アテ

 

 ふと明日のことを考える。

『1日、1作』。

毎日、1作は、ビデオを作るようにしている。

が、今日は、それができなかった。

軽い敗北感を覚える。

 

 が、ここはふんばるしかない。

どんなに眠くても、今夜は寝ない。

徹夜。

徹夜で、1作、作る。

 

 アテがないわけではない。

「アタカマの巨人」「猪群山(いのむれ・やま)」などがある。

 

そうそう、朝、アタカマの巨人の近くに、別のライン・ピクチャを見つけた。

まだほとんど知られていない。

(まったく知られていないのでは、ないか?)

その遺跡には、動物の絵が描いてある。

それを見て、私は即座に、「ブライスの巨人(Blythe Intaglios)」を思い出した。

ブライスの巨人の横にも、動物の絵が描いてある。

何か、共通性はあるのか。

ないのか。

 

 猪群山については、今朝、資料が届いた。

地元の町の観光課に、礼の電話を入れた。

さっそく、謎解き。

が、かなり手ごわそう。

ワイフに、コピーを1枚、渡す。

「謎を解いてみたら」と、私。

「……」と、ワイフ。

 

○フグ料理

 

 今度、ワイフとフグ料理を食べに行くことにした。

実のところ、正式なフグ料理は、食べたことがない。

フグの粕漬けというのは、食べたことがある。

そのホテルのメニューを見ると、1人前、1万円。

(1万円!)

 

 「冥土のみやげだね」と私。

「そんなの食べたくない」とワイフ。

「でもさ、一生に一度は、食べておこうよ」

「イカの刺身のほうが、おいしいと思うわ」

「そうかなア」

「そうよ、そうに決まっているわよ」と。

 

○文章

 

 このところ、文章の書き方を少し、変えている。

その結果が、この文章。

短く、ポツポツと、文章を切るようにしている。

読む人が、ななめにでも、サッサと読めるようにしている。

 

 どうかな?

最近の私の文章はどうかな?

呼んでいる人の気持ちが、直接わからないので、あくまでも自画自賛。

未来的には、こういった書き方になるのでは。

 

 それにもうひとつ。

英文のように、単語と単語の間には、(、)を多く入れるようにしている。

(日本語のばあい、「単語」という言葉は、使わないが……。)

以前、「君の文章には、句点(、)が多すぎる」と言った人がいた。

好き嫌いがある。

多すぎてもいけない。

少なすぎてもいけない。

 

 が、私は私。

しばらく今の書き方を、つづけてみる。

どうかな?

 

○文章

 

 一方、ある雑誌に、ある女性の文章が載っていた。

各学校を回りながら、作文指導をしているという。

自宅で、文章教室も開いているという。

が、私は、その女性の文章が、嫌い。

技巧的で、回りくどい。

文章が、ダラダラと長い。

「短気な人向けではないな」と感じた。

 

 大切なことは、(あくまでも私流の書き方だが)、いちばん書きたいことを、まず書く。

吐き出す。

そのあと、またいちばん書きたいことを、書きつなげる。

けっして出し惜しみしない。

……つまりこうして全体として、まとまりのある文章にしていく。

 

 この文章そのものが、その一例ということになる。

つまり私なら、その文章教室では、完全な落第生。

私も、そんな教室で学びたいという気持ちは、みじんもない。

まっぴら、ごめん。

 

○空腹

 

 そう言えば、腹が減ってきた。

けっこう食べたはずなのに、?。

どうしてだろう。

「家に帰ったら、茶漬けでも食べよう」と。

今、そう思った。

 

○同窓会

 

 次回の同窓会は、岐阜市で開くという。

どこかの旅館に一泊するという。

 

 ……どうも、私は、のけ者。

酒が飲めない。

騒げない。

そう感じたから、静かに、黙っていた。

「麻雀をやろう」「酒釣りもしよう」と。

話は、どんどんと盛りあがっていった。

 

 麻雀もできない。

魚釣りも苦手。

「どうしよう?」と考えながら、私は黙っていた。

 

 ともあれ、こうして同窓会出られるだけでも、感謝。

健康でいられるだけでも、感謝。

 

 ……眠いので、今日は、ここまで。

では、またこのつづきは、あとで……。

(はやし浩司 2013年01月23日、夜記)

 

 

Hiroshi Hayashi+++++++Jan. 2013++++++はやし浩司

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。