2011年3月30日水曜日

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 3月 30日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●情愛論(心の暖かい子どもvs冷たい子ども)

++++++++++++++++++

基本的には、子どもの(=人の)の情愛は、
母親によって、乳幼児期に作られる。
この時期、母親の暖かい情愛に恵まれた
子ども(=人)は、暖かい情愛をもつ。
そうでなければ、そうでない。

++++++++++++++++++

●心の暖かい人vs冷たい人

 情愛の深さは、相対的なもの。
情愛の深い人には、心の冷たい人がよくわかる。
が、心の冷たい人からは、情愛の深い人が、わからない。
お人好しか、ばあいによっては、ただのバカに見える。

 その情愛の深さは、共鳴性によって決まる。
相手の悲しみや苦しみ、さみしさやつらさを、より深く共鳴できる人を、情愛の深い
人という。
が、これには個人差がある。
程度の差もある。
幅のちがいもある。

 その情愛は、母親によって、乳幼児期に作られる。

●8%!

 前もって誤解がないようにしておきたい。
「母性愛」という言葉がある。
本能に根ざした「愛」と考えている人は多い。
しかし実際の調査によると、約8%の母親(私の調査では10%の母親)は、
自分の子どもを愛することができず、人知れず、悩んでいる。
10人に1人!

母親だから……という、『ダカラ論』ほど、アテにならないものはない。
またそういうものを、頭から肯定し、すべての女性に押しつけてはいけない。
みながみな、母性愛があるわけではない。
押しつければ押しつけるほど、その女性を苦しめることになる。
「母親だから、子どもを愛しているハズ」という『ハズ論』も、同じように考える。

 それはともかくも、そういう母親をもった子ども(人)は、不幸である。
日常的に愛情飢餓の状態に置かれる。

●愛情飢餓

 が、愛情飢餓は、母親自身の愛情の欠損だけによって起こるものではない。
離婚、家庭不和、騒動、母親との死別などなど、「母性愛不在」の状態がつづくと起こる。
愛情飢餓が慢性的につづくと、子どもは飢餓感から、じゅうぶんな情操を築けなくなる。

 言うまでもなく、健全な母子関係は、(絶対的なさらけ出し)と(絶対的な受け入れ)が
基本となって育つ。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。
子どもの側からみると、「どんなことをしてもいい」という安心感。
親の側からみると、「どんなことをしても許す」という寛大さ。
この両者が基盤にあって、基本的信頼関係が結ばれ、それが子どもの豊かな心作りに
つながっていく。

●ぬいぐるみ

 私がそれに最初に気づいたのは、教室の入り口に大きなクマのぬいぐるみを置いた
ときのこと。
もう20年近くも前のことだった。
子どもによって、その反応が2分されるのを知った。

 たいはんの子ども(幼児)は、ぬいぐるみを見ると、「かわいい」と言い、抱いたり、頬
ずりしたりする。
が、中には、ぬいぐるみを見ても、反応しなかったり、さらに中には、足でキックする
子どももいる。
その割合は、8対2。
つまり10人のうち、8人くらいが、好意的な反応を示し、2人くらいが拒絶的な反応
を示す。

 この現象だけをもって、情愛の深さをしることはできない。
しかしひとつの目安にはなる。

●私はどうか

 この問題は、即、私たち自身の心の問題と直結する。
つまり私(あなた)自身はどうか?
私(あなた)自身は、情愛の深い人だろうか。
それとも心の冷たい人だろうか。

 が、ここでまた別の問題にぶつかる。
これは脳の中でも、CPU(中央演算装置)の問題。
情愛の深い人にしても、またそうでない人にしても、それを客観的に知ることはできない。
自分がそうであるため、自分を基準にして考える。
自分がそうであるから、人もみな、そうであると考える。
またよほどのきっかけがないかぎり、自分がそうであることに気づかない。

●A氏の妻

 少し前、妻と離婚した知人のA氏(55歳)が、こんな話をしてくれた。
離婚のきっかけは、人間ドックを受けたときのことだったという。
肝臓に影が見つかり、がんの疑いがかけられた。
そのあとA氏は、放心状態になり、家に帰るまで涙が止まらなかったという。

 で、その夜は、なんとかやり過ごしたが、翌日の夜、絶望的な孤独感が襲った。
そこでその夜だけでもと思い、妻のベッドにもぐりこもうとした。
「助けてほしい」と。
声にもならないような声だった。
が、それに答えて、妻が、「もう寝てるんだから、静かにしてよ! 私に
何ができるのよ!」と。

 A氏はその夜は別の部屋で寝た。
はげしい孤独感を闘いながら、朝まで眠られなかった。
と、同時に、妻との離婚を決意した。

 心の冷たい人というのは、A氏の妻のような人をいう。

●受験戦争で壊れる心

 一般論として、はげしい受験戦争を経験した子ども(人)ほど、心が冷たい。
たった1か月程度、進学塾の模擬特訓を受けただけで、別人のようになってしまう。
そんな子どもも、珍しくない。
(これは本当だぞ! おおげさに書いているのではないぞ!)

当然のことながら、年少であればあるほど、影響は大きい。
親は、「勉強に対する心構えができました」と喜んでみせる。
しかし壊れた心には、気づかない。

 皮肉なことに、親自身もはげしい受験競争を経験している。
暖かい情愛を、こなごなに破壊されている。
だから自分の子どもの情愛がこなごなに破壊されても、それに気づかない。

 結果、「親の恩も遺産次第」と。
実際、そういう子どもは、多い。
そのひとつの例として、韓国や日本など、受験競争のはげしい国の子どもほど、
「将来、親のめんどうをみる」と答える子どもが少ない。
もう一度、内閣府のした調査結果をよくみてほしい。

++++++++++++++++++++


●第8回世界青年意識調査より


(将来、親のめんどうをみるか?)


年老いた親を養うことの意識は、欧米に比べ、日・韓で弱い。


★年老いた親を養うことについてどう思うか


『どんなことをしてでも親を養う』(1)
イギリス  66.0%、
アメリカ  63.5%、
フランス  50.8%、
韓国    35.2%、
日本    28.3%


++++++++++++++++

 すべてが受験競争が原因とは言っていない。
ほかにもいろいろ考えられる。
しかし受験競争が原因でないとは、もっと言えない。
受験競争といっても、韓国や日本では、すでに何世代にも渡って、つづいている。
それが親から子へと連鎖し、それがこうした結果となって表れている。

●子どものほうから縁を切る?

 最近多いのが、子どものほうから縁を切るケース。
その直前まで、親から金を借り放題だった子どもが、社会人となり、結婚したとたん
縁を切る。
理由など、何でもよい。
しかもたった一枚の手紙。
それにはこうある。

 「今後、いっさい、連絡をしてくるな。
私(ぼく)と連絡を取りたかったら、直接ではなく、XさんやYさんを通してしてほしい」
「これが私(ぼく)のこの30年間の結論だ」と。

 つまり子どもの側が、親に向かって、「連絡は、XさんやYさんを介してしろ」と。
自分では、どこかの社長にでもなったようなつもりでいる。
が、先にも書いたように、今、こういう子どもがふえている。

 氷のように冷たい心。
が、その冷たさもわからない。
あるいは自分では、それなりに心の暖かい、やさしい人間と思っているのかもしれない。
脳のCPUが狂っているため、自分ではそれがわからない。
わからないほどまで、心がこなごなに破壊されている。

●子どもの心を育て、守る

 ではどうするか?
もう改めてここに書くまでもない。
そのカギを握るのが、母親ということになる。
で、子どもの心は、それでできる。
あとは、それを壊さないようにする。
一度壊れた心は、二度と修復されることはない。
そう断言してよいほど、子どもには、決定的な影響を与える。
それがそのままその子どもの心として、定着する。

 最近、こんな話を聞いた。

 知人のAさんが、実の母親を介護するようになって、数日目のこと。
どこでどう情報を得たのかはしらない。
すかさず、イトコのX(女性)から、1000円にもならない菓子を送ってきたという。
それ以前から、AさんはXが、Aさんの家庭をあれこれと詮索し、うわさ話の具に
していたことは、よく知っていた。

 が、一応、「礼」はしなくてはならない。
が、Aさんにしてみれば、Xの意図は見え見え。
Aさんと家族との確執については、よく知っていたはず。
で、電話を入れると、いきなり「どう?」と。

 つまり「どんな具合か?」と。

A「いったい、これはどういうつもりですか?」
X「(あなたの)お母さんには世話になったから」と。

 心の壊れた人というのは、そういうことが平気でできる。
他人の家の不幸をのぞいては、それを楽しむ。
楽しみながら、それができる。
Xは、昔からそういう女性だったそうだが、60歳を過ぎてもそれができるところが
恐ろしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 心の冷たい人 壊れた人 情愛 情愛論 心の暖かい人)


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ある老人】


●金指から伊目へ


 ときどき何のために生きているか、わからなくなる。
何のために生きてきたのかも、わからなくなる。
私の人生は、何だったのか、と。


 そのときもそうだった。
健康を考えての散歩だったが、ふとこう思った。
「どうしてこんなことをしているのだろう?」と。


 そのとき私は、浜名湖に沿って歩いていた。
細江(かなさし・浜名湖の北にある田舎町)から、
伊目(いめ・浜名湖沿いにある小さな村落)へ。
そこから内陸部に向かって、左に曲がる。
広い公道で、ゆったりと歩ける歩道が気持ちよかった。
ゆるい坂だった。


 山荘へ行ったとき、「帰りは歩いてみよう」と思い立った。
半端な距離ではない。
一度、正確に測ったことがある。
片道、27キロ。
その途中でのことだった。


少し前までは、秋になると、このあたり一帯、みかんの花が咲いた。
今は、みかん畑など、さがしても見つからない。
高齢化が進み、離農する人がふえた。


風は強く冷たかったが、体の熱気と打ち消しあい、寒くはなかった。
低い雲の間から、時折、白い太陽の光が、頬を照らした。


 私はその坂を、やや歩幅を狭くしながら歩いていた。
そのとき、そう考えた。
「どうしてこんなことをしているのだろう?」と。


●長い坂


 長い坂だった。
車だと、5分前後で登りきってしまう。
が、歩くと、結構、距離がある。
それまでの疲れが、足の裏に響いてきた。
歩くたびに、ツンツンと痛い。


 と、そのとき向こう側から、1人の老人が歩いてきた。
年齢は75歳前後か。
80歳を過ぎていたかもしれない。
体が左に傾いている。
2本の脚も、左右不ぞろいで、同じように左に傾いている。
歩くたびに、体が大きく揺れる。
ヒョコタン、ヒョコタン……。
そんな歩き方だった。


瞬間、何かの病気かと思った。
が、脳梗塞の人の歩き方とは、ちがっていた。
右手には、ポリ袋に入った食料らしきものを、ひとつもっていた。


 細い顔。
彫りの深いしわ。
色も浅黒く、目は、下を向いたままだった。
私はだまって、すれちがった。


●老人


 が、その瞬間、その老人が気になった。
気になって、立ち止まり、振り返った。
老人は、相変わらず、独特の歩き方で坂をくだっていった。
「あの歩き方では、さぞかし疲れるだろうな」と。
体のどこかに不自然な力が加わる。
それが体のどこかを傷(いた)める。
あるいはどこか痛いから、それをかばいながら歩いていたのか。


 が、意外と軽そうな足さばきだった。
不自然な歩き方だったが、リズミカルだった。
私は、じっとその後ろ姿を見ていた。


が、突然、その男性が止まった。
150メートルほど行ったところのことだった。
止まると同時に、体をくるりと回すと、私のほうを見た。
すばやい動きだった。
男の鋭い視線が、そのままズバリ、私の視線をとらえた。
視線をはずす余裕がなかった。
私はそのまま棒立ちになってしまった。


 不思議な光景だった。
その老人は、私の心を見透かしたかのようだった。
「ジロジロ見るな」と。
鋭い視線だった。
そんなふうに言っているようにも、見えた。


●元気


 時間にすれば、10秒とか20秒前後ではなかったか。
私たちは、たがいを見つめあった。
が、再びその老人が体をくるりと回し、また歩き始めた。
機械的な動きだった。
それを見届けて、私も体を回した。


「あんな老人でもがんばっている」と。
「あの老人と比べたら、私など、ただの小僧。まだがんばれる」とも。
そう思った瞬間、消えかけていた元気が、ポーッとまた燃え出した。
歩幅が大きくなった。


 「とにかく私たちは生きてきたし、今も生きている。これからも生きていくしかない」。
トルストイの書いた『戦争と平和』の一節を思い出した※。
理由など、ない。
目的もない。
夢や希望など、とっくの昔に消えた。
それでも生きていく。


●坂の上


 長い坂を上りきると、今度は道は大きく右へ曲がる。
あたりにはどこにもスーパーらしきものはない。
小さな店は1つ、2つあったが、食料品店とはちがう。
「あの老人は、どこで何を買ったのだろう?」と、そんなことを考えた。
酒だったのだろうか、それともタバコだったのだろうか。
袋の中のモノは、3~4個程度だった。
 

 道はまだつづいていた。
長い道だった。
このあたりの人たちがよく使う幹線道路になっている。
数秒ごとに、乗用車が行き交った。
ときどき大型のダンプも通り抜けた。
そのたびに乾いたほこりが舞いあがった。


 相変わらず冬の冷たい風が吹いていた。
やがて私は東名高速道路のガードを抜けると、大きな四つ角へ出た。
右へ行けば、舘山寺温泉。
左へ行けば、浜松市内。
道路標識には、「市内まで10キロ」とあった。
「あと一息」と、私は自分に気合を入れた。


(注※) 生のむなしさを感ずるあまり、現実から逃避し、結局は滅びるアンドレイ公爵。
一方、人生の目的は生きることそのものにあるとして、人生を前向きにとらえ、最終的に
は幸福になるピエール。そのピエールはこう言う。『(人間の最高の幸福を手に入れるため
には)、ただひたすら進むこと。生きること。愛すること。信ずること』(第五編四節)



Hiroshi Hayashi++++++Feb 2011++++++はやし浩司(林浩司)

●生きることは書くことbyはやし浩司

++++++++++++++++++

メキシコの作家の、Carlos Fuentes
は、こう言った。

Writing is a struggle against silence.

「書くことは、静寂との闘いである」と。

今の私が、そうだ。

++++++++++++++++++

●大病の宣告

大病を宣告されたら、あなたはどうするか?
あるいは、だれかに大病を打ち明けられたときでもよい。
あなたは、どう応対するか?

参考になるのが、有名人。
有名人の中には、自らマスコミに向かって大病を告白する人がいる。
「私は乳ガンです」と。

反対に、死ぬまでまったく秘密にする人がいる。
有名人でなくても、自らの大病を告白する人もいる。
人、それぞれ。
それぞれの思いの中で、告白したり、秘密にしたりする。
大病を患った人には、患った人にしかわからない心理がある。
もしあなたが健康人なら、あるいは若いなら、そういう人たちのことを
とやかく言うのは許されない。
あなたの近親者についても、そうだ。
できることと言えば、相手の気持ちを思いやり、そっとしておいてやること。
仮にそういう噂を耳にしたとしても、こちらから聞き出すようなことをしてはいけない。
それが最善。

そこで「私なら・・・」と考えてみる。
実のところ、私は過去に数回、大病の疑いをかけられた経験がある。
そのつど、私のとった行動は、完全に秘密主義。
家族でも、ワイフだけにしか話さなかった。
話したところで、どうにもならない。
あの「死を前にした不安感」は、同時に隔離感をともなう。
裸で断崖絶壁に立たされたような、隔離感である。
あるいは巨大な鉄壁に囲まれたような隔離感。
あの隔離感だけは、どうしようもない。

●心のポケット

 先に、「大病を患った人には、患った人にしかわからない心理がある」と書いた。
それが「心のポケット」ということになる。
それがある人には、相手の心がよく理解できる。
それがない人には、理解できない。
そのポケットのない人に、いくら大病の話をしても意味はない。
心のポケットにない人は、まずこう考える。
「その人がいなくなったら、自分はどうなるか?」と。
まず自分の損得を優先させる。

 実のところ若いころの私がそうだった。
そのころの私は、死とは無縁の世界に住んでいた。
だからそう考えた。
つまり人の死ですら、自分にとっての「損得論」の中で処理した。
「この人がいなくなったら、自分はどうなるのだろう?」と。
このことは、子どもたちの世界をのぞいてみると、よくわかる。
ほとんどの子どもたち(幼児、小学生)は、「老人は死ぬもの」と考えている。
「死んで当然」と。

 だからほとんどの子どもたちは、(特別なケースをのぞいて)、こう答える。
「悲しくなかった」と。
「おじいちゃん、おばあちゃんが死んだとき、悲しかったか」と聞いたときのことである。
子どもたちは、「老人は死ぬもの」という前提で、老人をみる。

 言い換えると、私が秘密主義なのは、ここに理由がある。
大病を告白して、それがどうだというのか。
何がどうなるというのか。
それが何かの役に立てばよい。
しかしそうでなければ、たいはんの人は、他人のことなら世間話としてすませてしまう。
みながみな、心のポケットをもっているわけではない。

●受諾

 私のような人間を、心気症という。
いつも死の影におびえ、ビクビクしている。
だからときどき、こう思う。
「そんなに私の命がほしければ、とっとと持って行け!」と。

 そのかわり、いつその「時」が来てもよいように、心の準備だけはしておく。
「準備」というか、「完全燃焼」。
とことん自分を燃やしつくし、あと腐れのないようにしておく。
わかりやすく言えば、悔いのない人生にしておく。
が、これがむずかしい。
むずかしいというより、できない。

 日々に決意し、日々に後悔する。
毎日が、この繰り返し。
が、どんなにがんばっても、死を避けることはできない。
キリストも、釈迦も、ムハンマドも、孔子も、みな、死んだ。
いわんや、あなたをや。
いわんや、私をや。

 つまり死はいつも、時間の問題。
が、こういうこともある。
数週間前、私ははげしい神経痛を覚え、床に倒れこんでしまったことがある。
そのとき不思議なことに、本当に不思議なことに、私は何もこわくなかった。
「ああ、これで死ねるのか」と。
そんなふうに考えた。

 心気症の私が、「ああ、これで死ねるのか」と。
私はその瞬間、死をすなおに、受け入れていた。
どうしてそういう心境になったのかは、わからない。
しかしそう考えた。

●猶予期間

 もっとも大病といっても、そこには猶予期間がある。
脳梗塞や心筋梗塞のような病気は別として、すぐ死ぬわけではない。
うまくいけば、6か月とか1年は生きられる。
その間に、何かができる。
(実際には、そんな甘いものではないが・・・。)

 それに6か月にしても、10年にしても、同じ。
同じ瞬時。
総じて言えば、60歳を過ぎたらみな、死の待合室に入る。
平均余命は80歳前後。
健康余命は、それから10年を引いた、70歳前後。
70歳を過ぎたら、病魔との闘い。
病気のない人はいない。
ダラダラとした闘いが、平均して10年、つづく。
だからときどきこう思う。

 「老人は、総じてみな、『老』という大病を患っている」と。
だから当然のことながら、加齢とともに、先に書いた心のポケットができる。
大病を患った人の気持ちが、よくわかる。
が、誤解しないでほしい。
私にしても、死ぬのがこわいのではない。
老人になるのが、こわいのではない。
こわいのは、そのプロセス。
苦痛と孤独。
それがこわい。

●これからの老後

 私はいろいろなことを書いてきた。
ありのままを書いてきた。
しかしこと「大病」ということになったら、恐らく何も書かないだろう。
書いたところで、何も役に立たない。
読む人にしても、気が重くなるだけ。
たいはんの人は、「ジーさん、バーさんは、死んで当然」と考える。
老人の死に際のグチなど、だれも聞きたくない。

 一方、死ぬ側の私にしても、人知れず、死にたい。
いつかどこかで、だれかがふと私のことを思い出す。
そしてこう思う。
「ああ、あのはやし(=私)は、死んでいたのか」と。
それでよい。
だからやはり、私なら、だれにも言わない。
秘密主義。
自信はないが、たぶん、秘密主義。

(補記)

 この肉体という乗り物は、もちろん私であって、私でない。
そのことは、自分の手のひらを見ただけでも、わかる。
私の意思で、手のひらが手のひらになったわけではない。

 が、私はその乗り物に乗っている。
ただふつうの乗り物とちがうところは、乗り物が壊れれば、「私」も死ぬと
いうこと。

 そこで「私」とは何か。
私論。
私にとって私とは、今、この見える世界、感ずる世界、その中心にいるのが、
私ということになる。
が、一歩、その私から離れてみる。
たとえばあなたなら、あなたでよい。
あなたから見た(はやし浩司)は、どうだろうか。
あなたは何を見て、(はやし浩司)という「私」を判断するだろうか。

 それが私のばあい、「文」ということになる。
「文で書かれた人間」、それが「私」ということになる。
つまり私が乗っている、この乗り物が動かなくなっても、今度は別の
乗り物に乗った(あなた)が、私を見る。
つまり「文」が残るかぎり、「私」は死なない。

平たく言えば、「私が乗っている乗り物」は、ただの乗り物。
壊れて動かなくなってしまったとしても、気にすることはない。
(気にすることも、ないだろうし・・・。)
言い換えると、私たちは乗り物が動かなくなるまでは生きている。
動かなくなれば、何もわからなくなる。
が、「私」は、ちゃんと残る。
「あなた」の中で、ちゃんと残る。

 いつだったか、私は新聞(中日新聞)のコラム(第110回、最終回)で、
「生きることは書くこと」と書いた。
その意味が、これでわかってもらえたと思う。

+++++++++++++++++

そのときの原稿です。

+++++++++++++++++

●生きることは、考えること

 毎週土曜日は、朝四時ごろ目がさめる。そうしてしばらく待っていると、配達の人が新
聞を届けてくれる。聞きなれたバイクの音だ。が、すぐには取りにいかない。いや、とき
どき、こんな意地悪なことを考える。配達の人がポストへ入れたとたん、その新聞を中か
ら引っ張ったらどうなるか、と。きっと配達の人は驚くに違いない。

 今日で「子どもの世界」は終わる。連載一〇九回。この間、二年半あまり。「混迷の時代
の子育て論」「世にも不思議な留学記」も含めると、丸四年になる。

しかし新聞にものを書くと言うのは、丘の上から天に向かってものをしゃべるようなもの。
読者の顔が見えない。反応もわからない。だから正直言って、いつも不安だった。中には
「こんなことを書いて!」と怒っている人だっているに違いない。

私はいつしか、コラムを書きながら、未踏の荒野を歩いているような気分になった。果て
のない荒野だ。孤独と言えば孤独な世界だが、それは私にとってはスリリングな世界でも
あった。書くたびに新しい荒野がその前にあった。

 よく私は「忙しいですか」と聞かれる。が、私はそういうとき、こう答える。「忙しくは
ないですが、時間がないです」と。つまらないことで時間をムダにしたりすると、「しまっ
た!」と思うことが多い。

女房は「あなたは貧乏性ね」と笑うが、私は笑えない。私にとって「生きる」ということ
は、「考える」こと。「考える」ということは、「書く」ことなのだ。私はその荒野をどこま
でも歩いてみたい。そしてその先に何があるか、知りたい。ひょっとしたら、ゴールには
行きつけないかもしれない。しかしそれでも私は歩いてみたい。そのために私に残された
時間は、あまりにも少ない。

 私のコラムが載っているかどうかは、その日の朝にならないとわからない。大きな記事
があると、私の記事ははずされる。バイクの音が遠ざかるのを確かめたあと、ゆっくりと
私は起きあがる。そして新聞をポストから取りだし、県内版を開く。私のコラムが出てい
る朝は、そのまま読み、出ていない朝は、そのまままた床にもぐる。たいていそのころに
なると横の女房も目をさます。そしていつも決まってこう言う。

「載ってる?」と。その会話も、今日でおしまい。みなさん、長い間、私のコラムをお読
みくださり、ありがとうございました。」 

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 中日新聞コラム 生きることは書くこと 大病の宣告)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●心気症(2008年3月記)

●心気症

++++++++++++++++++

ささいな病気を、ことさら大げさに
考えて、心配する。不安になる。

「もしや……?!」と思って、悩む。

そういうのを「心気症」という。

何を隠そう、私がその心気症なのだア!

++++++++++++++++++

 病気でもないのに、自分の心身のささいな変調にこだわり、苦痛を訴える症状を、心気
症という(「心理学用語辞典」・かんき出版)。

 つまりささいな病状を、ことさら大げさに考えて、あたふたと心配する。「もしや…
…!?」と思うこともある。つまり「がんではないか?」と。そういう症状を、心気症と
いう。

 「心気症」という用語があるほどだから、かなり一般的な症状と考えてよい。不安神経
症、あるいは強迫神経症の仲間と考えてよい。とくに病気と結びついた不安神経症、ある
いは強迫神経症を、「心気症」という。

 程度の差もあるのだろうが、何を隠そう、私が、その心気症なのだ。実は、数日前もあ
った!

 夜中に目が覚めると、のどが乾いたようになって、痛い。が、よく観察してみると、右
側の奥歯が痛い。ズーンとした痛み。その痛みが、のどから、上の歯のほうまで、響く。

 その奥歯は、治療して、金冠がかぶせてあるはず。指を口の中に入れて、その歯をさわ
ってみる。が、さわった感じでは、どうということはない。もっと奥のほうから痛みが骨
のほうに伝わっている。そんな感じがする。

 「風邪で、歯が痛むというようなことはあるだろうか?」と、最初は、そう考えた。し
かしそんなことはありえない。

 夜、ふとんの中で、暗い天井を見あげながら、いろいろ考える。考えては、それを打ち
消す。「しかし……。もしや……?」と。

 数年前に、脳腫瘍で死んだ、友人のことを思い浮かべる。その彼は、こう言っていた。
私が、「ぼくも、よく頭痛に悩むよ」と言うと、「林、何を、バカなことを言っているんだ!
あのな、脳腫瘍の痛さは、想像もつかん痛さだよ」と。

 どんな痛さだろうと考えながら、口の中から伝わってくる痛さに、静かに耐える。眠れ
ないほどの痛さということでもないが、しかし安眠できるような状態でもない。

 「しかし、初期症状というのもあるだろう。初期症状のときは、それほど、痛くないの
かもしれない。だんだんと痛くなって、やがて耐えきれなくなる……」「このまま、痛みが
どんどんひどくなったら、どうしよう?」と。

 横を見ると、ワイフが軽い寝息をたてていた。起こすのも悪いと思って、じっとそのま
まにしている。10分、20分……。と、そのとき、ワイフの寝息が止まった。モゾモゾ
と体を動かした。すかさず、話しかけた。

 「なあ、風邪みたいだよ……」
 「風邪……?」
 「なあ、歯が痛いよ……」
 「薬をのんだら……?」
 「うん……」と。 

 私は起きあがって、台所へ行くと、バナナとジュースをお湯に溶かしたものをもってき
た。枕元にはいつも、薬が一式、置いてある。湿布薬に頭痛薬、睡眠薬に精神安定剤、そ
のほかもろもろの漢方薬にハーブなどなど。もちろん風邪薬も置いてある。

 「どれにしようか?」
 「風邪薬にしたら?」
 「でも、歯が痛い……」
 「だったら、バッファリンがいいんじゃない?」
 「うん、……ノーシンではだめだろうか?」
 「じゃあ、それにしたら」
 「うん」と。

 私はバナナを食べながら、ジュースを飲んだ。時計を見ると、午前4時を少し回ったと
ころ。時計を見ながら、粉薬を口に入れた。

 「なあ、がんじゃないだろうか?」
 「どうしてがんなの?」
 「骨の奥が痛い……」
 「どんなふうに?」
 「ズーン、ズーンと痛い」
 「きっと虫歯よ」
 「だって、ちゃんと治療したところだよ」
 「金冠の中で、虫歯になることだってあるわよ」
 「そうかなあ……?」と。

 この世界には、骨まで腐るという、恐ろしいがんもあるそうだ。詳しい病名は知らない
が、昔、そんな病気になった女性の映画を見たことがある。私はそれかもしれないと思っ
た。思いながら、「ああ、これでぼくも死ぬ……」と思った。

 「このまま死んだら、どうしよう?」
 「死なないわよ」
 「どうして?」
 「バカねえ、虫歯で死んだ人の話なんか、聞いたことないわよ」
 「虫歯かねえ……?」
 「虫歯よ。ハーッて息を吐いてみたら」
 (ハーッ)
 「……おかしいわね、虫歯臭くないわよ」
 「だろ、虫歯じゃあ、ないよ」と。

 不安で、心臓がドキドキするのがわかった。いやな気分だ。ただほかに風邪の症状もあ
ったので、それに希望をつないだ。「風邪だ、風邪だ。これは風邪による症状だ」と。しか
し風邪で歯が痛くなったという話は、聞いたことがない。そう考えたとたん、また不安に
なった。

 で、その朝は結局、そのまま起きた。ふだんならそのまま書斎に入って原稿を書くのだ
が、そんな気は起きなかった。「まだ、やりたいことはあるのに……」「まだ、58歳じゃ、
ないか」「がんとわかっても、ぼくは治療しない。そのままオーストラリアへ行く」などと、
あれこれ考える。

 が、しばらく体を起こしていると、痛みがやわらいできた。薬がきいてきた。

 こういうとき、私のような心気症の人間は、頭の中で、2人の人間が戦うような状態に
なる。ボクシングで言えば、デス・マッチのようなもの。どちらか一方が死ぬまで、戦う。

 「風邪だ、虫歯だ! お前は、バカだ。いつもの取り越し苦労だ!」
 「何だと! 油断していると、命取りになるぞ。これはがんだ。がんの初期症状だ!」
 「前にも、似たような痛みがあったではないか。虫歯の治療のときを思い出してみろ!」
 「あったかもしれないが、その歯は、たしか神経を抜いているはず」と。

 「何でもない!」という私。「がんだ」という私。そういう2人の私が交互に現れては、
消える。おまけにのども、痛い。のどの奥に痰がからんでいる感じ。何度も、うがいを繰
りかえす。

 これは生への執着によるものか、それとも死がもたらす絶望感との戦いによるものなの
か。……わけがわからない状態で、朝を迎え、その日が始まった。

 「どう、具合は?」と、のんきな様子で、ワイフが起きてきた。「起きたら、痛みが収ま
ってきた」と私。「でしょ、心配ないわよ」とワイフ。

 そのときになって、恐る恐る、手鏡をもってきて、口の中をのぞく。「もし、大きな病変
でもあったら……」と、不安になる。心臓の鼓動が高まる。が、押しても引いても、歯は
ビクとも動かない。(動くはずもないが……。)とくに変わった様子もない。

 歯間ブラシを歯と歯の間に入れてみる。「がんなら、出血があるはずだ」と。以前、どこ
かの病院で、ドクターがそう言っていたのを思い出していた。「がんだとね、組織が破壊さ
れますから、出血があるはずです」と。

 しかし出血はなかった、が、よく見ると、金冠の下、つまり歯ぐきと、金冠の間のすき
間に、小さな薄茶色の穴が見えるではないか! 虫歯! そうだ、虫歯! 歯の側面から、
虫歯になっていた!

 とたん、安堵感で、胸のつまりが消えた。「ナーンダ、虫歯だア!!」と。

 「虫歯だよ、これは!」
 「でしょ、だったら、歯医者へ行ってきたら?」
 「うん、そうだな。風邪の様子をみてから行くよ」
 「そうね」と。

 で、その日は、歯医者へ行かなかった。昨日も、行かなかった。で、そのまま今日にな
った。時計は、午前8時、少し前。あれからも、ずっと、ズーン、ズーンとした痛みが、
ときおり、つづいている。これから行きつけの歯医者に電話をして、そこへ行くつもり。

 しかし心気症というのは、いやなもの。いつも早合点と、取り越し苦労。この繰りかえ
し。ときどきこう思う。「死神よ、そんなにぼくをいじめるなら、さっさと殺しに来い!」
と。

 が、ひとつだけ、変化がある。若いころとくらべると、「死」への恐怖感が、変わってき
たということ。若いころは、一度心気症になると、居ても立ってもおられなかったが、つ
まりそのままあわてて病院へ駆けこんだものだが、今は、ちがう。

 「勝手にしろ」という、どこか投げやりな気持ちも生まれてきた。「まあ、今まで健康に
生きてこられたのだから、文句はないだろう」と、自分をなぐさめる気持ちも生まれてき
た。多少、「死」への覚悟もできてきたということか。

 そして今。私は、改めて健康で生きている自分が、うれしい。「今日こそは、悔いのない
人生を、思う存分生きてみる」と、そんな思いさえわいてくる。心気症というのは、悪い
ばかりではないようだ。
(はやし浩司 心気症 不安神経症 強迫神経症)

【追記】

 やはり虫歯だった。金冠の中の詰め物が、欠けていたという。そこから虫歯が進んだら
しい。

 で、その治療中、正確には、麻酔をかけられ、歯科助手の若い女性が、歯の間の歯石を
取ってくれている間、不思議な経験をした。

 それはうっとりとするほど、気持ちのよいひとときだった。カリコリ、カリコリと、歯
石を削る音がする。そのたびに、その女性の胸が、頭に触れる。強いライトが、春の陽気
を思わせる。縁側で日なたぼっこをしているような気分にさせる。

 そのときだ。私の目の中に、女性のS器が、超リアルに浮かんできた。最初は、まぶた
の模様が、強いライトで、そう見えたのかと思った。しかしそのうち、それがより鮮明に
なってきた。たしかに女性のS器だった。何度も確かめたが、女性のS器だった。

 いつものような卑猥(ひわい)感は、まったく、なかった。もちろん美しいとか、美し
くないとか、そういう感じもなかった。ただどういうわけか、女性のS器が、至近距離で、
超リアルに見えてきた。どうリアルだったかということについては、ここには書けないが、
ともかくも、リアルだった。

 あるいはひょっとしたら、胎児のころの記憶が、麻酔の作用で、呼び起こされたのかも
しれない。……しかし、胎児はまだ目が見えないはず。

 麻酔のせいだろうか? それとも私に頭にときおり触れる女性の胸のせいだろうか? 
それとも強いライトのせいだろうか? 私は、半分、夢を見ていたのかもしれない。とも
かくも、それは不思議な経験だった。

 あとでそのことをワイフに話すと、ワイフも、「きっと麻酔のせいよ」と言った。そして
こう言った。「あなた、そんなことマガジンに書いてはだめよ」と。

 「しかしね、これは不思議な経験だ。だれかが書きとめておかないといけない。きっと、
同じような経験をしている人は、多いはずだよ」
 「でも、へんね。どうしてそんなものが見えたのかしら?」
 「女性だとね、きっと、ペニスか何か、そんなものが見えてくるのかもしれないね」
 「そんなこと、ないわよ。絶対に!」と。

 春は近い。そのあと家に帰ると、強い睡魔に襲われた。それはまちがいなく、かけられ
た麻酔のせいだと思う。コタツに入ると、そのままウトウトと眠ってしまった。

【補記】

●強迫神経症(こだわり)

 何かのことで不安になると、その不安が、ペッタリと頭にくついてしまう。そしてその
不安を消すために、(そんなことでは決して消せないのだが)、何か儀式的な行為を何度も
何度も繰りかえすようになる。

 子どものよく見られる、手洗いぐせ(潔癖症)も、そのひとつ。「手にばい菌がついた」
「手のばい菌が、取れない」などと言って、手を洗ってばかりいる。トイレから帰ってき
た父親に対して、「パパは、きたないからさわらないで!」と泣き叫んだ子ども(年長女児)
もいた。その子どもは、手の皮膚が破れるほどまでに、暇さえあれば、繰りかえし、石鹸
をつけて手を洗っていた。

 こうした症状を、強迫神経症という。心理学の本などによると、不安神経症のひとつに
位置づけられている。大きなちがいは、何かの儀式的行為をともなうこと。宗教の世界で
も、同じようなことを経験する。

 ある女性は、毎日3~5時間、仏壇の前に座って、念仏を唱えていた。また別の女性は、
同じように、目をさましているときは、手に数珠を握って、それを指先でクルクルと、何
やら呪文のようなものを唱えながら、回していた。そうすることによって、不安を紛らわ
しているというよりは、そういう行為そのものが、やめられないといったふうであった。
念仏を唱えていた女性は、「やめると、バチがあたって、地獄へ落ちる」と本気で信じてい
た。

 こうした症状を示す子どもの特徴としては、何かのものやことに対して、(こだわり)を
もつこと。その(こだわり)の内容は、そのときどきによって、変化することもある。母
親が、ベッドの位置をほんの少し動かしただけで、「精神状態がおかしくなってしまった」
(母親談)子ども(中学男子)もいた。

 この先のことはよくわからないが、今では、(こだわり)を和らげるための、新しい薬も
開発されているとのこと。症状があまりひどいようであれば、一度、心療内科か精神科の
ドクターに相談してみるとよい。
(はやし浩司 手洗い癖 潔癖症 強迫神経症 不安神経症 こだわり はやし浩司 子
供のこだわり)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●崖に立たされた日本経済(2011年2月12日記)


+++++++++++++++++


「サドン・デス」という言葉がある。
スポーツの世界での言葉である。
映画にも、そういう題名のがあった。
つまり「突然死」。

日本の国家経済が破綻するとき。
それは突然、やってくる。
つまりサドン・デス。
過去の歴史の中でも、じわじわと
国家破綻した例は、一度もない。
ワーッと始まり、ワーッと終局を迎える。
それが国家破綻(=債務超過)。
「デフォルト」。


+++++++++++++++++

●日経新聞より

 まず、日本経済新聞を並べて読んでみる。(2月12日)

+++++++++++以下、日経新聞より+++++++++++


●公的債務残高


 公的債務残高の国内総生産(GDP)比率は200%超と、主要国の中では突出して高い。
S&Pはこの比率が20年半ばまで悪化し続けると予想。国と地方の基礎的財政収支を20
年度に黒字化するとの政府目標は「大規模な財政再建策が実施されない限り、達成できな
い」と分析した。

 財務省の試算によると、長期金利(新発10年物国債利回り)が1%上昇した場合、利払
い費を含む国債費は12年度に1兆円、13年度に2.5兆円、14年度に4.2兆円それぞれ増
える。

 野田佳彦財務相は格下げ発表を受け「節目、節目で財政規律を守るメッセージを出して
いくことが重要だ」と語った。(日経・1・27・2011)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●ガラガラポン


 「ずるずると債務残高が積み上がり、マクロ経済もパッとしないとなると、もう一回(格
下げを)検討せざるを得ないリスクはある。上にいくシナリオは、何らかの形で税制や年
金制度改革で政治的な妥協が図られる場合だ。日本の社会保障制度は高度成長や人口増を
前提にしたモデル。このあたりでガラガラポン(大改革)すべきだ」(日経新聞・1・30・
2011)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●217%


 「日本の公的債務残高が先進国の歴史上、最悪の水準に迫りつつあることが分かった。
国際通貨基金(IMF)によると、地方も含む一般政府の債務残高は2009年に名目
国内総生産(GDP)の217%に達し、統計で確認できる1875年以降で最悪となった。
このまま債務が増え続けると、5年程度で第2次世界大戦直後の英国を抜き、先進国史上、
最も悪い状況に陥る可能性がある」(日経新聞・2・12・2011)


+++++++++++以上、日経新聞より+++++++++++

●国家破綻

 では、いつか。
いつ日本は、破綻を迎えるか。

(1)日本政府が、予算を組めなくなったとき。
(2)国債の買い手が、つかなくなったとき。

 その時期は、この4月期と10月期と言われている。
が、その不安が市場を襲ったとき、国家破綻は、一気に起こる。
何度も書くが、日本の国家破綻は、可能性の問題ではなく、時間の問題。
確実にやってくる。

 が、救済方法がないわけではない。

(1)大増税
(2)社会保障費の大幅削減

 しかしどちらも、今の政局を見るかぎり、実現困難。
大増税をすれば、……たとえば消費税を20~50%にするとか……、そうでなくても
目下、この日本は大不況下。
経済活動は、さらに萎縮する。

 社会保障費にしても、年金の一元化すら、ままならない。
足や腰の曲がった老人が、3か月ごとに100万円の札束を手にする一方、我々のように、
63歳になった今も、1円も手にできない人も多い。
65歳からもらっても、月額6万4000円足らず!

 こういう不公平を野放しにし、何が行政改革だ!……ということになる。

 今、この日本に必要なのは、強力な内閣。
超強力な内閣。
官僚たちの不満や抵抗を、吹っ飛ばすほど力のある内閣。
しかし現状は、?????。
訳のわからない内部紛争に明け暮れている。

●札が紙くずに

 皮肉なことに、破綻するなら破綻するで、1日も早いほうがよい。
自己破産に似ている。
1日延ばしを繰り返すたびに、借金は、雪だるま式にふえていく。
そのツケは、結局は、役人をのぞく、国民にのしかかってくる。

 国債が信用力を失えば、それを大量にかかえている銀行、証券会社は、倒産する。
銀行や証券会社が倒産すれば、会社が倒産する。
(役所は倒産しない!)
人々は失業者となって、街にあふれる。
(役人は失業者にはならない!)
 株価は暴落し、ハイパーインフレが始まる。
(役人の給料だけは、物価スライド制によって、増額される。)

円は暴落し、90%以上を輸入に頼っている食料品が値上がりする。
わかりやすく言えば、「札」が紙くずと化す。
一説によると、1ドルは1000円近くまで暴落するという(某経済評論家)。
当然、原油も、現在より、12倍高騰する。
現在リッター140円前後(レギュラー)だから、単純に計算しても、
6倍の約1000円になる。
(ガソリンのばあい、約50%が税金。)

 それが起こるのは来週かもしれない。
しかし2年後ということはない。
「この1~2年以内」ということは確実。
今のままでは、もう救いようがない。

が、私のようなド素人でも、この程度のことがわかるようになった。
そういうときが、あぶない。
日本の経済は、この3月を乗り切ることはできないのではないか。
私はそう心配している。

●現物資産

 この道に詳しい友人に電話をかけてみた。
その結果、「土地、金、資源」を「現物資産」というらしい。
しかし土地については、逆に暴落する可能性もあるとか。
加えてこの日本では、すでに投資として、土地を買う人はいない。
「20年分の税金と、土地の価格は同じ」(友人談)と。
つまり20年間、土地を保有していると、土地の価格と、それに支払う税金額は同じ
になる、と。

また売れば100%、税務署に把握される。
20%~40%の所得税が課せられる。
遺産相続も楽ではない。
週刊誌情報によれば、相続税を80%にするという案も出ているとか。

また資源といっても、庭に、鉄くずを積むわけにもいかない。
そうなるとやはり「金(ゴールド)」ということになる。

 しかしこのところ、金の売買も、うるさくなってきた。
どううるさいかは、実際、自分で金の売買をしてみればわかる。
身分証明書だの、印鑑だの、そういう手続きをしないと、売買できなくなってきた。
それに常識で考えても、あんな小さな金塊が、1キロ400万円弱というのは、
おかしい。
どう考えても、おかしい。
1キロバーで、ふつうの小型車だったら、2台も買える!

 いちばんよい方法は、現在タンス預金をしている人たちが、イチ・ニのサンで、
いっせいに約半分を浪費すること。
市中に放出すること。
それで市場が活性化する。
しかしこの方法には、現実性がない。

●国家破綻
 
 みなが「あぶない」と思ったときが、あぶない。
けっして私がそれを助長しているわけではない。
しかしあぶない。

 ……ということで、現在、金(プラチナ)価格は、不気味な上昇をしつづけている。
10年ほど前には、一時、グラム1000円になったこともある。
それが今は、4000円弱。
とても手が出る価格ではない。
ないが、それでも上昇をしつづけている。

 かといって、私たちの資産は、私たち自身で守るしかない。
そこで自分なりに、いろいろと考えてみる。

(1)銀行などに預けておく現金は、必要最小限にする。
   かならず1000万円以下にしておくこと。
(2)証券会社に預けておく現金(MMFなど)も、必要最小限にする。
(3)ネット証券はどうか? ……私にはよくわからない。
   わからないから、私なら手を引く。
   倒産したとき、そのあとがめんどう。
   会社の所在地すら、はっきりしていない。
(4)売り先が確実ならよいが、そうでないなら、今は、土地に手を出してはいけない。
(5)貴金属の売買については、信用のある店でする。
   町中にある「貴金属買います」という店だと、高く売りつけられるか、安く買い
   叩かれる。
   店によっては、「鑑定料?」という料金を5~20%も取られる。

 いろいろ考えるが、以上は私というド素人の意見。
あとはみなさんご自身の判断を加味して、利用してほしい。
「はやしって、バカなこと書いている」と思ってもらってもよい。
(しかし私は、あのリーマンショックを、ほぼ1年前に予測していたぞ!)

ともかくも、今や日本経済は、存続のがけっぷちに立たされている。
その危機感だけは、しっかりともったほうがよい。
2011/02/12記


Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2011++++++はやし浩司・林浩司


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