【気力との勝負】6月14日(木曜日)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
老後の健康を、どう守るか。
健康といっても、「精神の健康」。
このことは、近くの老人ホームへ行ってみればよくわかる。
老人というと、「脳の健康」、つまり痴呆症ばかりが目立つ。
しかし実際には、その多くが、「精神の病気」をかかえている。
たとえばうつ病にしても、痴呆症が原因でうつ病になった人もいる。
反対に、うつ病が原因で、痴呆症になった人もいる。
もちろん同時進行の形で、症状が進む人もいる。
専門家でも区別はむずかしいそうだ。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●持病
精神にも、「持病」というものがある。
もともと精神力が強靱な人もいれば、そうでない人もいる。
たとえば数日前、『娘に「死ね」と言われた母親』という題で、エッセーを書いた。
この原稿に対する反響には、すさまじいものがあった。
同時に、いろいろなコメントが寄せられた。
こんなのもあった。
「……私も、高校生の息子にいつも、「死ね」「死ね」と言われています。
息子はそれほど深く考えて、そう言っているのではないということは、よくわかっています。
本気ではないと信じています。
しかし実は、私は、若いころ、リストカットをした経験があります。
だからそういう言葉を聞くと、そのつど、心にその言葉が、鋭く胸に突き刺さります」と。
同じ状況でも、受け止め方はさまざま。
その人の精神力、さらには、過去までもが影響してくる。
そういうとき自分をどう支えていくか。
これはかなり深刻な問題と考えてよい。
つまりいかにして、精神の健康を守るか。
●持病
結論から先に言えば、他人との接触を欠かさないということ。
「内」へこもったとたん、そこで水はよどみ、腐る。
そのための仕事や活動は、不可欠。
どんな小さなことでもよいから、夢や希望をもつ。
その先に目的をもつ。
何か持病のある人は、なおさら。
こわいのは、先に書いた、うつ。
妄想、恐怖症、不安症、パニック障害、それに情緒不安。
「内」へこもったとたん、こうした症状が、どっと表に出てくる。
言い換えると、これは何も老人だけの問題ではないことが、わかる。
若い人にしても、そうだ。
大切なことは、持病を作らないということ。
●気力
若いときは、それなりの気力がある。
その気力で、自分をカバーできる。
ごまかすことができる。
言うなれば、仮面をかぶることができる。
しかし加齢とともに、気力が弱くなる。
弱くなったとき、その陰に隠れていた持病が顔を出す。
ねたみ、嫉妬、不平、不満、恨み、つらみ、不安、心配……など。
気力がじゅうぶんなときは、それを自分の中で押し殺すことができる。
が、弱くなると、そうはいかない。
それがそのまま表に出てくる。
●では、どうするか
つまりは気力との勝負ということになる。
「待ち」の姿勢ではいけない。
攻撃的。
攻撃的に出てはじめて、精神の健康は維持できる。
方法は簡単。
とにかく前向きに、前に向かって進む。
「やってやる!」と。
……ということで、今朝も始まった。
今日も、やってやる!
2012/06/14記
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 6月 27日号
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【1】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【人間不信論】(マドンナ論)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
少し前、高校の同窓会に出た。
楽しかった。
その席でのこと
昔の恋話(こいばなし……若い人たちは、「恋バナ」という)に花が咲いた。
こうした恋話に花を咲かせたのは、15年ぶり、それとも20年ぶり?
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●デフォルメ
絵画、彫刻の世界には、デフォルメという言葉がある。
写実主義に対して、「デフォルメ」という。
同じように、もの書きの世界でも、ときどき「デフォルメ」という言葉を使う。
当の本人とわからないように、「形」を変える。
「内容」を変える。
「ストーリー」を変える。
そうでもしなければ、当の本人の名誉に傷がつく。
高校の同窓生ともなれば、なおさら。
が、いくらデフォルメしても、その向こうにある事実は、ひとつ。
まずその事実。
●A子さん(女性)
私はある時期、高校の同級生の女の子とつきあっていた。
名前を「A子さん」としておく。
「つきあう」というのは、「つきあう」という意味。
プラトニックな関係から、濃密な肉体関係まで、いろいろある。
幅が広い。
年齢(学年)があがれば、当然、後者の関係に近づく。
そのA子さんの話を、だれかがしていた。
名前が聞こえたので、その輪に、私も加わった。
「あの人、どうしている?」「わからないわ」と。
で、私は、こう言った。
「ぼくね、A子さんと、~~時代、つきあっていましたよ」と。
今さら隠すような話でもない。
すると、すかさず、A子さんをよく知るという、つまりA子さんの実家の近くに住んでいるB子さんが、こう言った。
「あらっ、そんなはずないわよ。A子さんが好きだったのは、X男君よ。林君(=私)じゃあ、ないわよ」と。
実は、X君の名前は、記憶のどこかで聞いた覚えがある。
が、その当時、Aさんにとっては、すでに過去の人と思っていた。
私「なんだ、好きな人がいたのか」
友「そうよ。ずっと好きだったみたいよ」
私「ぼくは、純愛かと思っていた」
友「そんなわけないでしょう」と。
X君はスポーツマンで、背が高い。
私は背が低い。
見てくれも、悪い。
どう考えても、勝ち目はない。
●純愛?
が、話はそこで終わらなかった。
そばにいた、Y男君まで、こう言い出した。
「実はね、ぼくね、大学1~2年のころ、A子さんとつきあっていた」と。
私「お前もか?」
Y「そうだよ。いいとろこまでいったよ。A子さんの家の2階でね……」と。
私「ぼくがつきあっていたころと、重なるよ」
Y「そう。林君の名前は、聞いていた。『林君ともつきあっている』とね」と。
知らなかったのは、私だけ。
ああ、神様、仏様、……私だけ。
「ぼくはね、純愛かと思っていた」と。
Y「林君は、純情だなあ」
私「そうだなあ。ぼくは、A子さんと別れてから、A子さんを忘れるのに苦労したよ」
Y「そうだったのか。そうならそうと言ってくれれば、いろいろ話してやったのに」
私「当時は、言えなかったよ」
Y「つまりね、遊び。A子さんにしてみれば、林君は、ただの遊び友だち」
私「遊び友だちね? ぼくは結構、真剣だったよ」
Y「そんなわけないだろ。A子さんは、大学生のときも、X男と交際していたぞ。よく2人でドライブしていたぞ」と。
あとは、お決まりの笑い声。
ハハハ、アハハハ……、と。
●人間不信
A子さんは、高校時代から大学時代まで、私を含めて、4人の男性とつきあっていたことになる。
わかっているだけで、4人!
同級生だけで、4人!
私はただのワン・オブ・ゼム。
もちろんそのほかにも、いただろう。
が、私が知るところではない。
何人かと顔を見合わせ、「女性って、すごいね」「ホント!」と。
そのときはそれで終わった。
が、私に与えたショックは、大きかった。
浜松に帰ってから、ボディブローのように、じんわりと痛みが大きくなってきた。
「人間不信」。
その不信感に襲われた。
●C子さん
まず、ワイフに聞いてみた。
私「なあ、お前、結婚前のお前の話はたくさん聞いた。でも、それはみんな、本当のことか?」
ワ「何よ、今さら」
私「だってさ、あのA子さんね、ぼく以外にも3人の男と同時に交際していたよ」
ワ「あら、すごいわね。田舎の人って、そんなにすごいの?」
私「都会も田舎もないよ。お前は、どうなんだ?」
ワ「私は、ウソはつかないわよ」
私「いえね、ぼくはね、それが信じられなくなった」と。
同窓会で聞いた話ではないが、別の機会に、こんな話も聞いたことがある。
同じクラスに、C子さんという、見るからに静かで、純情そうな女の子がいた。
ほのかな恋心を抱いたこともある。
そのC子さんも、これまた、メチャメチャ。
同級生の何人かと、肉体的な関係をもっていた!
しかも高校時代に!
一度は、高校の近くの林の中で、それをしているところを、みなに見つかっている。
当初、私はその話が信じられなかった。
何度も、否定した。
「あのC子さんが、そんなことをするわけがない!」と。
しかしそれは事実だった。
残念ながら、事実だった。
その様子を直接目撃した友人がいて、それを詳しく話してくれた。
●マドンナ論
要するに、聖母はいない。……ということ。
一般論からすると、マザコンタイプの男性ほど、マドンナ(聖母)を求めやすい。
女性の理想型を、相手の女性に求めやすい。
私は、そのマザコンだった。
いつも女性に、聖母的な潔癖さと、包容力を求めていた。
だからいつも、その女性の言葉を、そのまま信じていた。
「疑う」ということすら、しなかった。
私自身も、生涯、そのときどきにつきあうのは、1人だけ。
真剣。
遊びで、女性と交際したことはない。
また交際した以上、いつもその責任を取ってきた。
今のワイフとも、そういういきさつの中で、結婚した。
この性分は、私の実父譲りと思う。
私の父は、大のかたぶつ。
くそまじめで、融通がきかなかった。
浮いた話とは、まるで無縁の世界に住んでいた。
が、私のような人間は、少数派。
50年前の高校時代においてですらも、少数派?
●被害者
ここに書いたことは、かなりデフォルメしてある。
しかしウソでないという点で、A子さんやC子さんが、これを読めば自分とわかるはず。
それを心配して、ワイフがこう言った。
「あなた、A子さん、怒るわよ」と。
私「だって、ぼくはだまされた被害者だよ。もてあそばれただけだよ」
ワ「いくらそうでも、本人が読んだら、怒るわよ」
私「そうかなあ。ぼくは真剣に結婚まで考えた……」
ワ「だから、あなたはおめでたいのよ。相手の女性は、そういうあなたを、うるさく感じて、去っていったのよ」と。
うるさい?
そうかもしれない。
相手の立場で考えれば、それがよくわかる。
相手は、私をただの遊び相手と考えていた。
そんな相手が真剣になったら、たしかに、「うるさい」。
しかし私は、A子さんとの思い出を、死ぬまで大切にしたいと思っていた。
それが今回の同窓会で、ものの見事に、破壊されてしまった。
フーッと、家の中にたまったほこりのように、散ってしまった。
何という虚脱感。
バカ臭さ。
「今度会ったら、あいつの顔をぶん殴ってやる」と。
ワ「私がA子さんだったら、とても同窓会には出られないわ」
私「そうだなあ……。ふつう同窓生というのは、大切にする。汚れた思い出を作らない」
ワ「親類みたいなものだからね」
私「そうなんだよ。そう言えば、それ以後、一度も同窓会に出てこない……」と。
●性欲の奴隷
さらに一歩踏み込めば、こういうこと。
別に難しい話ではない。
最近の若い人たちを見れば、それがよくわかる。
つまりその年齢の男女は、性欲の奴隷。
性欲の奴隷となって、無数のドラマをつくる。
その一語につきる。(2012/05/03)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
マドンナ論について書いた原稿を探してみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●聖母か娼婦か?
女性は、元来、聖母か娼婦か。どちらか。
ただし、聖母のように見えても、決して、聖母とは思ってはいけない。
一人の女性が、相手に応じて、聖母になったり、娼婦になったりする。
だから見た目には、つまり男によっては、その女性は、聖母にも見えることがあるし、娼婦に見えることもある。
わかりやすく言えば、男しだいということ。
若いころ、こんな経験をした。高校を卒業してから、まもなくのことだった。
私には、その女性(C子さんとしておく)は、聖母に見えた。
高校時代、隣のクラスの女の子だった。
おしとやかで、恥ずかしがり屋だった。
その上、理知的で、分別もある人に見えた。
が、その女性が、別の世界では、まったくの別人?
男を、まさにとっかえひっかえ、遊んでいた!
ある友人が、こう言った。「あのな、林、あのC子さんな、高校生のとき、草むらで、男とSクスをしていたぞ。
自転車で家へ帰るとき、オレ、見てしまったぞ」と。
私が驚いて、「そんなことあるかア!」と言うと、その友人は、「ウソじゃない。オレは、ちゃんと見た」と。
それでも私は、信じなかった。
「きっと見まちがえたのだろう」とか、「何か、ほかのことをしていたのだろう」とか。
「C子さんではなかったのかもしれない」とも。
しかしそれから20年くらいたってからのこと。
別の友人が、こう言った。
「ぼくは、あのC子さんと、高校3年生のとき、つきあっていた。そのとき、C子さんは、すでにバージンではなかった」と。
私は「ヘエ~」としか、言いようがなかった。
私がC子さんにもっていたイメージとは、あまりにも、かけ離れていたからだ。
私「女って、わからないものだあ」
友「お前は、C子さんをどう思っていたんだ?」
私「とにかく、信じられない。ぼくにとってC子さんというのは、マドンナだった」
友「あのC子さんが、マドンナだったってエ? お前は、いったい、C子さんの、どこを見ていたんだい?」
私「そう、ぼくには、マザコン的なところがあるからな」と。
一般論として、マザコンタイプの男は、女性に、理想像を求める。
そして好意を寄せる女性を、マドンナ化する。
日本語で言えば、聖母化する。(マドンナのことを、聖母という。
少しニュアンスがちがうような気もするが……。)
聖母化するのは、その人の勝手だが、聖母化された女性のほうは、たまらない。
とくに夫に聖母化されると、妻は、困る。
これもまた一般論だが、マザコンタイプの男性は、離婚率が高いという。
浮気率も高いという。
1990年に発表されたキンゼイ報告によれば、アメリカ人のうち、37%の夫が、少なくとも、1回以上の浮気をしているという。
この数字を多いとみるとか、少ないとみるか。
日本には、宗教的制約がないから、日本人の夫の浮気は、もう少し、多いのではないか。
それはともかくも、マザコンタイプの男性は、理想の(?)女性を求めて、つぎからつぎへと、女性を渡りあるく傾向が強い。
新しい女性とつきあっては、「こんなはずではなかった」「この女性は、ぼくの理想の女性ではない」と。
だから離婚しやすい。
浮気しやすい。(多分?)
要するに、女性を聖母化するというのは、それ自体が、マザコン性のあらわれとみてよい。
このタイプの男性は、肉欲的な荒々しい性的関係を結ぶことができない。
女性を聖母化する分だけ、成熟したおとなの関係を結ぶことができない。
で、問題は、まだつづく。
さらに一般論として、女性は、自分がどう見られているかを敏感に察知し、その見られている自分を、男の前で演ずることがある。
「聖母に見られている」と感じたとたん、その人の前では、聖母のように振る舞うなど。
つまりC子さんは、私の前では、聖母を演じていただけ?
しかしそう考えると、すべて、つじつまが合う。
が、これは私自身の問題でもある。
私は、ここにも書いたように、かなりマザコンタイプの人間だった。
母親を絶対化する分だけ、若いとき、私とつきあう女性にも、それを求めた。
私と結婚したワイフでさえ、あるとき、私にこう言った。
「私は、あんたの母親じゃないのよ!」「あんたの母親のかわりは、できないのよ!」と。
そのときはなぜワイフがそう言ったのか、その意味がわからなかった。
しかし当時の私は、ワイフに、いつも、女性としての完ぺきさを求めていたように思う。
そこであなたの(あなたの夫の)マザコン度チェック!
( )あなたは妻に、いつも完ぺきな女性であることを求める。(あなたの夫は、あなたに完ぺきな妻であることを求める。)
( )あなたはいつも、女性に、母親的な女性像を求める。(あなたの夫は、あなたに母親的な女性像を求める。)
( )あなたは妻に、動物的な妻であることを許さない。(あなたの夫は、あなたに動物的な妻であることを許さない。)
( )あなたは、いつも妻に、完全に受けいれられていないと気がすまない。(あなたの夫は、あなたに完全に受け入れられている状態を求める。)
( )あなたは妻に、かつてあなたの母親がしてくれたことと同じことを、求めることが多い。(あなたの夫は、夫の母親が夫にしたことと同じことを求めることが多い。)
要するに、妻を聖母化するということは、その夫自身が、マザコンであるという証拠。(……と、言い切るのは危険なことだが、それほど、まちがってはいない。)
ワイフ「本人自身は、それに気づいているのかしら?」
私「さあね。たぶん、気がついていないだろうね。マザコンタイプの人は、そうであること自体、自分のことを、親思いのいい息子と考えているから」
ワイフ「でも、そんな夫をもったら、奥さんも、たいへんね」
私「お前も、苦労したな」
ワイフ「ホント!」(ハハハハ)と。
人生も半世紀以上生きてみると、いろいろなことがわかるようになる。
男も女も、ちがわないというのも、その一つ。
どこもちがわない。この世の中には、聖母も娼婦もいない。
みんな、そのフリをしているだけ。
そうでないフリをしているだけ。
だからこの議論そのものが、意味がない。
男性に、聖人も、男娼もいないように、女性にも、聖母も娼婦もいない。……ということで、この話は、おしまい。
●女性とおとなのセックスができない男性
概して言えば、日本の男性は、総じて、マザコン的?
母系社会というより、母子関係の是正をしないまま、子どもは、おとなになる。
つまり父性社会の欠落?
よい例が、ストリップ劇場。
私も若いころは、ときどき(ときどきだぞ!)、見にいったことがある。
日本のストリップ劇場では、中央の舞台で、裸の女性が、服を一枚ずつ脱ぎながら、なまめかしく踊る。
観客の男たちは、それを見ながら、薄暗い客席で、シコシコとペニスをマッサージする。
この関係が、実にマザコン的? 女がほしかったら、「ほしい」と言って、飛びついていけばよい。
セックスをしたかったら、「したい」と言って、飛びついていけばよい。
が、舞台の女性に、「あんた、ここへあがってきなさいよ。抜いてあげるからさア」と声をかけられても、その場で、照れて見せるだけ。
どうも、はっきりしない。そのはっきりしないところが、マザコン的?
マザコンの特徴は、女性を美化し、絶対化するところにある。
あるいは母親としての理想像を、相手の女性や妻に求める。
そのため女性の肉体は、おそれおおい存在となる?
……という心理は、私にはよく理解できないが、多分、そうではないか。
このことは、子どもたちの世界を見ていると、よくわかる。
数は少なくなったが、今でも、雄々しい男の子というのは、いるにはいる。
(反対に、ナヨナヨした男の子は、多いというより、ほとんどが、そう。)
そういう男の子は、女の子に対して、ストレート。
こんなことがあった。
私が、何かのきっかけで、「騒いでいるヤツは、ハサミでチンチンを切るぞ」と言ったときのこと。
一人の女の子(小5)が、すかさずこう言った。
「私には、チンチンなんて、ないもんね」と。
それを聞いた別の男の子(小5)が、「何、言ってるんだ。お前らには、クリトリスがあるだろ!」と。
私はこのやりあいには、驚いた。
「今どきの子どもは……!」と。
しかし思い出してみると、私たちが子どものころには、そういう言葉こそ知らなかったが、相手に対して、今の子どもよりは、ものごとをストレートに表現していたと思う。
「おい、セックスをさせろ」というなことまでは言わなかったが、それに近い言葉を言っていたように思う。
だから同じ男として、「お前らには、クリトリスがあるだろ!」と言いかえす男の子のほうが、好きと言えば、好き。
一応、たしなめるが、それは立場上、そうしているだけ。
そういえば、マザコン的といえば、マザコン的?
かなり昔、こんなことを言う男子高校生がい
た。その高校生は、ま顔で、私にこう言った。
「先生、ぼくの彼女ね、本当にウンチをするのかねエ?」と。
その高校生に言わせれば、「彼女は、ウンチをしない」とのこと。
そこで私が「じゃあ、彼女は、何を食べているの?」と聞くと、「ごはんだけど、彼女は、ウンチをしないと思う」と。
また反対に、こんなことを言う男子高校生もいた。
「先生、ぼく、ブルック・シールズ(当時のアメリカの女優)のウンチなら、みんなの前で食べてみせることができる」と。
彼は、そのブルック・シールズの熱狂的なファンだった。
こうして考えてみると、初恋時には、男はみな、多かれ少なかれ、マザコン的になるのか?
あるいはプラトニック・ラブを、そのままマザコンと結びつけて考えることのほうが、そもそも、おかしいのか?
ただ、こういうことは言える。
マザコンタイプの男性ほど、その女性のすべてを受け入れる前に、自分をすべて受け入れてくれる女性を求める。
そしてその女性に、母親的な完ぺき性を求めて、その女性を追いつめやすい、と。
恋人関係ならまだしも、結婚生活となると、ことは深刻。
いろいろ問題が起きてくる。離婚率や浮気率が高いという説があるのも、その一つ。
それについてワイフに話すと、ワイフは、こう言った。
「夫がマザコン的だと、奥さんも、疲れるわよ。
夫が望むような妻にならなければならないから」と。
私「夫がマザコンだと、離婚率が高いという説があるよ」
ワイフ「当然でしょうね。そんな男と、生活するのは、たいへんよ」
私「妻より、母親のほうが大切と考えている男性も、多いよ」
ワイフ「だったら、母親と結婚すればいいのよ」
私「ワア、それこそ、マザコンだあ」と。
そういう意味でも、母親は、ある時期がきたら、子どもを、自分から切り離していかねばならない。
いつまでも、濃密な母子関係に溺れていると、子ども自身が、自立できなくなってしまう。
本来なら、父親が、母子関係に割ってはいり、その母子関係を調整しなければならない。が、今、その父親不在の家庭が多い。
あるいは、父親自身が、マザコン的であるというケースも、少なくない。
最後に、タイトルに、「女性とおとなのセックスができない男性」と書いたので、一言。
もう10年近くも前になるだろうか。中学3年生になったばかりの女の子が、私に、こう言った。
「先生、あんな男とは、もう別れた」と。
その中学生には、ボーイフレンドがいた。そこで私が理由を聞くと、こう言った。
「だって、先生、3回もデートしたけど、何もしてくれないのよ」と。
私「何もしてくれないって?」
中学生「手も、握ってくれないのよ」
私「で、君は、どんなことをしてほしいと思っていたの?」
中学生「ふふふ。わかっているくせに……」と。
性的な男女交際を奨励するわけではないが、私はその話を聞きながら、そのとき内心では、「だらしない男もいるもんだ」と思った。
(はやし浩司 マザコン マザーコンプレックス マドンナ論 聖母 聖母意識 でき愛ママ 溺愛 溺愛ママ はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●『自動車技術 2012年05月号』
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
昨夕、郡上八幡+同窓会から帰ってきたら、
『自動車技術』(自動車技術界発行・定価2500円)
が届いていた。
全世界配布版である。
で、問題は、これをどうBLOGにUPLOADするかということ。
方法としては、(1)1度、スキャナーでパソコン本体に取り込み、
(2)たとえばFrickr」のようなストーレッジ・サービスに、
保存する。
(3)そこから埋め込みコードを引き出し、それをBLOGに貼り付ける。
従来はそういう方法を繰り返してきた。
が、今回の『自動車技術』誌は、A4サイズの大型雑誌。
スキャナー時の解像度を落とすと、文字が読めなくなる。
かといて、300dpiで収録すると、画像が大きくなり過ぎ、
通常のノートパソコン(12~13インチ)では、画面からはみ出してしまう。
・・・ということで、いろいろなサイズをここに収録してみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
++++++++++++++++以上、300dpi版+++++++++++++++++++++++
一度BLOGに実験的に、UPLOADしてみたが、ほぼだいじょうぶかな(?)というところ。
みなさん、おはようございます。
はやし浩司 2012-04-30
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●5月xx日(不潔な日本の温泉?)
★年長5歳児(指導1か月目)
★小4(組み合わせと場合の数)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
5月xx日に、オーストラリアの友人が来る。
その連絡が、今朝(5月1日)、届いた。
楽しみ。
北海道へ行ったついでに、浜松へ寄ってくれる、と。
詳しい日程は、まだわからない。
ところで、こんな深刻な話。
少し前、別の友人夫婦が、オーストラリアから来た。
日本の旅館へ連れていった。
やや古い、どこかかび臭い温泉だった。
(どこも温泉というのは、かび臭いものだが……。)
そこでのこと。
オーストラリアの友人夫妻は、それが原因で、奥さんのほうは尿道炎になってしまった。
ダンナ(友人)のほうは、夜中にダニに刺されてしまった。
大きく、真っ赤に腫れた。
私のワイフも、少し前、古い温泉に入り、水虫をもらってしまったことがある。
いろいろ思い起こしてみるが、風呂場の周囲の石が原因ではなかったかと思う。
軽石のようにざらざらしていた。
ワイフが言うには、ワイフは、その石の上で、足をこすってしまったという。
オーストラリアの友人夫妻にしても、また私たち夫婦にしても、抵抗力が弱い。
温泉にしても、掛け流しを歌っているからといって、安心できない。
浴場を洗ったり、消毒をしているというところは、めったにない。
つまり雑菌だらけ。
しかも温泉ほど、あぶない!
そのあとまたその夫婦は、日本へやってきた。
が、こう言った。
「温泉へは、二度と行きたくない(Never again)」と。
で、理由を聞いたら、先に書いたように教えてくれた。
で、実は今度来るオーストラリアの友人も、同じようなことを言っている。
「日本の温泉は、不潔だから、入りたくない」と。
こうも言った。
「日本では、お尻を洗った湯で、顔を洗っている」と。
日本の温泉に入って、何かあったらしい。
今度会ったら、それを聞いてみる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【日本の温泉業界のみなさんへ】
「日本の温泉は不潔」という、風評(?)が、世界的にかなり広がっている。
実際、不潔。
日本人の私でさえ、そう思っている。
だから温泉では、湯につかるだけ。
けっしてその周辺では、体を洗わない。
洗っても、かならずシャワーで体を流してから出る。
見た目には美しい。
(また美しく、清潔そうな写真を並べているが……。)
が、昔とちがい、今は、日本全体が清潔になった。
つまりその分だけ、日本人の抵抗力が落ちた。
だから不潔な温泉に入ると、いろいろな細菌性の病気をもらってしまう。
かなり大規模な温泉になると、毎日1度は、清掃しているよう。
が、そうでないところは、そうでない。
不潔というか、不潔極まりない。
……ということを、みなが、薄々、気がつき始めている。
厚労省の検査が入る前に、温泉業界は自主的に「清潔検査」なるものをしたらよい。
殺菌処理も必要。
外人観光客を呼び込むのは、そのあと。
あるいは日本の外で、どのような風評が広がっているか、一度、自分たちで調べてみたらよい。
それを知ったら、温泉業界の人たちも、かなりがっかりするはず。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 日本の温泉 病原菌がいっぱい 不潔)
●郡上八幡町vs美濃市
昨日、郡上八幡町に一泊し、浜松へ帰ってきた。
私は同窓会に出た。
その間、ワイフは美濃町(美濃市)の町中を散策した。
ともに、古い街並みを売り物にし、観光事業に力を入れている。
以下、ワイフの評論。
(1)郡上八幡町には、活気があったが、美濃町にはなかった。
(2)郡上八幡町では、町の人たちが道路へ出て、仕事をしていた。
美濃町では、みな、家の中に引っ込んでいた。
(3)郡上八幡町では、みな、やる気を出していた。
美濃町では、店の中も、がらんとしていた。(売り子の姿さえ、見えなかった。)
(4)郡上八幡町では、若い人たちが楽しめるグッズを、あちこちで売っていた。
美濃町では、客が入っているのは、うどん屋とか、食べ物屋だけだった。
(5)郡上八幡町では、古い家並みはほとんどそのまま。
美濃町では、通りは、見た目にはきれいで、さっぱりしているが、どの店もドアが閉まっていて、入りにくかった。
(6)郡上八幡町には、博覧館のような展示館があったが、美濃町にはなかった。
(7)郡上八幡では目立たなかったが、美濃町ではシャッターをおろしている店が目立った。
つまり郡上八幡町では、観光客がお金を落とす。
しかし美濃町では、落としにくい、と。
このちがいが、5年、10年と積み重なり、現在の「差」となった?
観光客が来ても、そのまま素通りしてしまう。
私「美濃町の人は、昔からプライドが高いからね。世間体ばかり、気にしている」
ワ「そんなところがあるわね」
私「通りに出て、観光客を呼び込むということができない」
ワ「客が入るのを待っているというわけ」
私「まあ、そんなところだね。が、それでは勝負にならない」と。
町興(おこ)しで成功しているのは、滋賀県の長浜市。
美濃町の人たちも、一度は、長浜の町をのぞいてみたらよい。
【提案】
(1)もっと泥臭くなる。お金がほしかったら、「欲しい」と言って、表に出る。
(2)町中の人たちが、大正時代の服装をするのも一案。
(3)家だけではなく、籠(かご)や大八車を置いたりし、町全体を博物館化する。
つまり観光客を、もっと楽しませる。
そういう工夫が必要。
「どうだ、これが明治、大正の町だ」と威張っていてはいけない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 美濃町論 美濃市論 美濃市はどうあるべきか 美濃町の観光 美濃市の観光)2012/05/01
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【日本政府の放射線対策・論理の穴】
●乗馬
朝起きると30分のウォーキングとランニング。
それがすんだら乗馬マシンで、運動。
その乗馬マシンに乗っていたら、ワイフが起きてきた。
私「ぼくは、今、馬に乗って牧場を見回っている」
ワ「あら、どこの牧場?」
私「ワイオミングの牧場……。広いんだよ。何百エイカーもある」
ワ「何を見回っているの?」
私「野菜と……境界……。あの山の向こうにはインディアンが住んでいる」
ワ「インディアン?」
私「そう、ときどきぼくの牧場を荒らすからね」
ワ「野菜って……ネギとレタス?」
私「そうだよ。それにトマトとキュウリ……」
ワ「本物の馬でなくて、残念ね」
私「ううん、本物だよ。こうして乗っていると、本物だよ」
ワ「楽しいわね」
私「そう、とっても楽しい」と。
乗馬マシンは、庭のほうに向けてある。
ときどき「ハイヨー」と声をかける。
馬の名前は、「ハンナ」。
先日死んだ、犬のハナの名前をつけた。
少し前まで、ウィンチェスターの銃をもっていた。
もちろんおもちゃだが、それをもって乗馬マシンに乗ると、さらに楽しい。
私「あのね、広い牧場も、ぼくの家の庭も、同じだよ。ともに光が織りなす無の世界」
ワ「……?」
私「広いと思えば、広い。空間というのは、そういうもの」
ワ「……?」
私「あのね、空間の広さはね、見えるものを基準にして考えてはだめということ」と。
自分でも、何を言っているかわからなくなったので、この話はここまで。
大切なことは、運動をすること。
つづけること。
が、ただ運動しているだけでは、おもしろくない。
だから、何かの空想をする。
その空想が、単調な運動を楽しくする。
さあ、今日も始まった。
がんばろう。
午後から、ワイフとドライブ。
今日は、隣町の豊橋まで行き、八丁味噌を使った、鍋料理を食べてくるつもり。
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●論理の帰結
●毒だんご
ここに10個のだんごがある。
うち、1個には、毒が入っている。
そういうとき、あなたは、そのだんごを食べるだろうか。
あるいは、子どもに、それを食べさせるだろうか。
答は「NO!」。
これは論理の問題ではない。
常識。
では、どうするか。
まず一時的であるにせよ、だんごを食べるのを禁止する。
その上で、だんごを1個ずつ、調べる。
安全とわかったものだけを、食べる。
子どもに食べさせる。
これが論理(ロジック)である。
が、今、この日本では、その逆のことが起きている。
(1)部分的な検査(=サンプル検査)だけをする。
(2)放射性物質の値が基準値以下であれば、安全と宣言する。
(3)全国に出荷する。
が、すべての食品を検査するわけではない。
あくまでも「サンプル」。
が、それだけではない。
中には、こうした検査を通さないで、出荷する人もいる。
こうして多くの、汚染された食品が、全国に出回る。
「たまたま検査してみたら、放射性物質が見つかりました」と。
この「たまたま」という部分が、恐ろしい。
先月は、愛知県の岡崎市でも、汚染されたシイタケが、見つかった。
幼稚園の給食に出されていたという※。
ある親が、たまたま検査してみたら、見つかったという。
そのシイタケは、東北のある県で栽培されたものだった。
●出荷停止
論理的に考えてみよう。
まず毒が入っただんごがあったとする。
放射性物質に汚染された食品でもよい。
そういうときは、全量すべて、一時的であるにせよ、出荷停止にする。
そのうち、検査により安全と確認されたものだけを、出荷する。
これが論理(ロジック)である。
が、これに対して、「検査が間に合わない」と主張する人がいる。
だったら、検査態勢を徹底すればよい。
間に合わないから、サンプル検査ですます……というのは、あまりにも危険。
危険というより、非ロジカル。
またそれによって被害を被(こうむ)る人がいるなら、それは国が補償する。
つまり出荷停止により、産品を出荷できなくなった人に対しては、国が補償する。
それには、ちゃんとした理由がある。
(1)放射能被害には、「しきい値」なるものは存在しない。
(2)潜伏期間は、2~5年。放射線による被害が顕在化するのは、10~40年後。
●しきい値
私も3・11大震災後、はじめてこの言葉を知った。
「しきい値」。
「閾値」と書く。
たとえば毒物でも、薄めれば薬にもなるという。
若いころ、ブラジルの毒蛇研究所というところへ行ったとき、それを知った。
毒物は、ある一定以上の濃度になると、毒物になる。
それ以下では、害はない。
害がないどころか、薬にもなるという。
その境目の値を、「しきい値」という。
が、放射性物質には、それはない。
たとえば「500ベクレル以上は危険」とか、「500ベクレル以下だから、問題はない」とか、言う。
しかしこういう定め方そのものが、ナンセンス。
10ベクレルでも、1ベクレルでも危険。
たとえば放射性プルトニウウムのばあい、たった1粒(何十分の1ミリ)でも体内へ入れば、確実にがんを引き起こす。
遺伝子や染色体に影響を与えるから、たとえその人は無事だったとしても、子どもの代、孫の代に、症状が出ることもある。
「水で薄めれば安全」というような問題ではない。
●たまたま……
こうして放射性物質は、ありとあらゆるものにしみ込み、全国に拡散する。
食品だけではない。
建設資材、木材、砂利などなど。
そのつど、みな、「たまたま……」という言葉を使う。
「たまたま見つかった」と。
が、問題は、その(たまたま)以外のもの。
それがこの先、5年とか、10年をかけ、全国に拡散し、それぞれの場所で、人体に蓄積する。
一説によると、この先、100万人単位でがん患者が激増するだろうと言われている。
が、そうなったとき、過去を悔やんでも、始まらない。
「どうして、出荷を停止しなかったのか」と。
●論理の欠落
東北の人たちですら、現地の農産物を食べていないという。
少し離れた千葉県の人たちですら、食べていないという。
どの家にも、ペットボトルの水が、山のように積んであるという。
一方、東北地方で作られた産品は、全国に広がっている。
たとえば今年に入ってから、横浜市で、汚染シイタケが見つかった。
これも「たまたま」見つかった※。
販売業者は、静岡県の藤沢市にある会社だった。
その会社は、東北のある県からシイタケを買い、袋詰めにし、横浜で売っていた。
グーグルアースで私が測定してみたら、なんと直線距離にして、800キロも移動していたことになる。
岡崎市で「たまたま」見つかったシイタケは、もっと長い距離を移動していた。
たかがシイタケが、800キロ!
私はこの「800キロ」という距離の中に、作為的な悪意を覚えてしまう。
それともそれ以前から、シイタケというのは、そういう食品だったのか?
●危険な4号機
前にも書いたが、危険なのは、4号機。
もし4号機に何らかの事故が起きれば、その被害は今まで程度ではすまない。
東京はもちろん、この浜松市あたりまで、人は住めなくなる。
4号機にだけでも、今までの核実験すべてで排出された放射性物質以上の、放射性物質が詰め込まれているという。
それがわかっただけでも、「安全宣言」など、とんでもないこと。
注※
『愛知県豊橋市保健所は5日(2012年4月5日)、改定前の国の暫定規制値(1キログラム当たり500ベクレル)の2・8倍に当たる1400ベクレルの放射性セシウムを検出した茨城県産干しシイタケが、愛知県岡崎市内の幼稚園の給食に使われたほか、豊橋市の店頭で販売されたと発表した』
注※(産経MSNニュースより)
『横浜市は9日(2012年2月9日)、港北区内のスーパーで販売されていた袋入り乾燥シイタケから、食品衛生法の定める暫定基準値1キロ当たり500ベクレルの4倍を超える同2077ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。
すでに7袋が販売されており、市は出荷した加工業者のある静岡県に通報、販売したスーパーに回収を指示した。
独自に調査した市民からの通報を受け市が9日に検査した。
高濃度のセシウムが検出されたのはスーパーチェーン「BY」の綱島樽町店が販売していた賞味期限が来年1月10日の乾燥シイタケの袋詰め「小粒どんこ」。
静岡県藤枝市の「Oフード」が80グラムずつ袋詰めして出荷した同スーパーの専売品。
加工業者によると、乾燥シイタケの産地は主にI県という。
スーパーによると、綱島樽町店では20袋を入荷し、うち7袋を販売。
ほか2店でも店頭に並んだが、購入者はいないという』(以上MSNニュースより)と。
【付記】
●アーニー・ガンダーセン
アーニー・ガンダーセンは、週刊朝日誌へのインタビューで、こう述べている。
『……(アーニー・ガンダーセンの)著書では、「4号機のプールで火災が起きたら、日本を脱出せよ」と警告していますね。
(ガンダーセン、アメリカ原子力技術者)「4号機の核燃料プールは、今も日本列島を物理的に分断するほどの力をもっています。
震災時、このプールには炉心数個分もの使用済み核燃料が入っていたのです。
大気圏内で行われた過去の核実験で放出された総量に匹敵するほどの、放射性セシウムが眠っています』(以上、週刊朝日誌より)と。
4号機の事故は、日本だけの問題ではない。
また日本だけの問題ではすまない。
だから今、世界中の科学者たちが、4号機を問題にしている。
●終わりに
今の段階で、原発賛成とか、反対とか、そういう段階の議論をしても、意味がない。
まず5年、待つべき!
10年でもよい。
その結果を見て、賛成、反対を論ずればよい。
何ごともなければ、それでよし。
私もそう願うが、もしそうでなければ、そうでない。
あのチェルノブイリでは、半径600キロあたりで境界線が引かれている。
(ちなみに、福島第一原発から、この浜松市まで、直線距離にして、420キロ!)
そして今の今も、(25年もたった今の今も)、被害者たちは、その後遺症で苦しんでいる。
もし今、そのチェルノブイリ周辺で、原発賛成か反対かを聞けば、恐らく、「お前、アホか」と笑われるだろう。
が、それはそのまま、この日本の近未来図と考えてよい。
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩
読売新聞(2012-04-28)全国版
●2歳児を殺害した、母親について
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●モーフィング
今朝自分の顔をモーフィングしてみた。
うまくBLOGに載せられるかどうか、実験してみる。
(1)HTML版で保存したため、ワードには張りつけられなかった、
(2)見てくださるかたは、以下のアドレスをクリックしてみてほしい。
http://saizensen101114.ninja-web.net/
左上画面で、14歳から64歳までの変化を見ていただける。
人間の顔の変化を改めて、知る。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 モーフィング はやし浩司 読売新聞)
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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2012年6月14日木曜日
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