【ぼたんインコ】
●ぼたんインコのPippi
子育てを模擬体験してみたかったら、インコを飼ってみるとよい。
セキセイ・インコよりも、ぼたん・インコ。
(おかめ・インコのほうがよいと言う人もいる。
頭もよく、感情も豊かという。)
生後3~4週間目ごろに、信頼のおける小鳥やで、買い受けるとよい。
それ以前だと飼育がむずかしい。
それ以後だと、飼い主に馴れるのに時間がかかるという(小鳥屋の主人の話)。
中には、劣悪な環境で、生まれ育ったインコもいるという。
人間並みに、大きな心の傷をもっていることが多いという。
その3週間目あたりから、インコは、人間でいうなら、幼児期に入る。
幼児期前期(自律期)。
「しつけ」の時期と考えるとわかりやすい。
この時期は、静かに、穏やかに育てる。
この飼育方法も、人間の子どもと同じ。
またこの時期に甘やかしたり、好き勝手なことをさせると、やがて手に負えなくなる。
自分が「主人」で、人間のほうが、「従者」になる。
自分のわがままが通らなくなると、攻撃的になる。
もちろん乱暴に扱うと、攻撃的になる。
あの太いクチバシで、人間の指を強くかんだりする。
人間の耳程度なら、かみちぎってしまうという。
ぼたんインコは、きわめて好奇心が旺盛な鳥である。
一通り何でも、やってみないと気が済まないらしい。
たとえば人間の私が、何か新しいものを使っていたとする。
食べ物でもよい。
ぼたんインコは、かならずそばに来て、それが何であるかを確かめようとする。
その時期はずっとつづくという。
飼育本によれば、それが2~3年もつづくという。
で、生後2か月ほどで、飛び回るようになる。
それ以前は、二足歩行で、トコトコと歩き回る。
穴を見つけると、そこへ入っていく。
が、飛び始めると、今度は、穴には入らなくなる。
鳥のばあい、(飛び立つ前)と(飛び立つようになった後)とでは、行動パターンがまったくちがう。
飛び回るようになると、日に日に、行動半径を広げていく。
飛び方も、速くなる。
人間の子どもでいうなら、幼児期後期(自立期)。
ぼたんインコの翼は、たとえば文鳥のそれとは比較にならないほど、厚みがある。
その分だけ、飛び方も荒い。
(パッと飛び立ち、その瞬間ガクンと方向を変え、ストンと下降したあと、前に進んだりする。)
もちろん動きも、速い。
(20畳程度の部屋でも、1~2秒前後で1周する。)
生後3か月ほどで、人間でいうなら、児童期(学童期)に入る。
で、この時期までに、いかにして、人間との信頼関係を築くか、
それがぼたんインコを飼うときには、きわめて重要である。
たとえばときに、強く叱らなければならないときがある。
(ぼたんインコには、ぼたんインコなりの理由があるのだが)、ときに、人間の指に強くかみつくことがある。
「痛い!」と声をあげるほど、痛い。
そういうときは、思いっきり強く息を吹きかけるとよい。
それによって怒っていることを示す。
(この方法は、飼育本で知った。)
叩いたりしてはいけない。
息を吹きかける。
ぼたんインコは、その息でひるむ。
またその後は、人間の指をかみつくようなことはない。
で、そのとき信頼関係ができあがっていれば、そのあとすぐ、関係は修復される。
口元にやってきて、餌をねだったりする。
が、信頼関係ができていないと、今度は人間を避けるようになる(……という。)
あとはこの悪循環の中で、たがいの心は離れていく。
つまり、この点も、人間の子どもそっくり。
「同じ」と断言してもよい。
で、我が家のぼたんインコは、もうそろそろ3か月目から4か月目に入る。
私が家にいる間は、ほとんど部屋の中で放し飼いにしている。
出かけるときだけ、鳥かごに入れる。
頭のよい鳥だから、雰囲気でそれを察知する。
が、私はだますようなことはしない。
まず手の指の上に乗せる。
何度も、説得する。
「これから出かけるから、かごの中で待っていてよ」と。
その状態で、ゆっくりと体をつかみ、そのままそっと、かごの中に入れる。
……だませば、やがて「だまされた」ことを学ぶようになる。
信頼関係は、そのとき崩れる。
小鳥といっても、知的能力が高い分だけ、気を使う。
●ペット
私が小鳥を飼い始めたのは、高校1年生の終わりごろだったと記憶している。
冬の寒い日だった。
岐阜市まで何かのことで、母と行ったついでに、文鳥を買ってもらった。
すでに成長になっていて、手を出しても乗ることはなかった。
が、寝食を共にするうち、やがて私に馴れた。
期間は忘れたが、2~3か月もかからなかったのでは?
もともと手乗り文鳥として、育てられた鳥だった。
(写真は、その文鳥の「フレンド」。新聞記事からして、東京オリンピックのころと思われる。フレンドは、いつも私の弁当の残り物を食べていた。)
「寝食」というのは、本当で、私は毎晩、その文鳥を手に抱いて寝た。
冬の寒い日はもちろん、夏の暑い日でも、その文鳥は私の顔に体をすり寄せて寝た。
1~2度、体で押しつぶしそうになったことはある。
しかしその文鳥は、私が大学4年生のときまで生きた。
私はあの文鳥で、ずいぶんと心を癒された。
学校から帰ってくると、まっ先にあいさつを交わした。
……というか、私の声を聞くと、かごの巣から落ちるようにして、私を迎えてくれた。
(ほかの人間には、指一本、体をさわらせなかったが……。)
今でも、Pippiを抱くと、あのときの手の感触が戻ってくる。
フワフワとした羽。
腹のやわらかな皮膚。
安心しきった表情で、手の中で眠っているのを見ると、心が癒される。
私まで、つられて眠くなる。
私にとって、小鳥というのは、そういうもの。
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Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
2012年6月27日水曜日
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