●都会的優越感
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
都会の人(以下、「都会人」)が、みな、そうというわけではない。
が、少なくは、ない。……と思う。
しかし意識というのは、意識しないまま作られていく。
個人が抗しきれない、大きな流れの中で作られていく。
多くの人たちは、それは「ない」と思っているかもしれない。
しかし、ある。
称して、「都会的優越感」。
ひとつの例をあげる。
この例に、反論できる、都会人はいるだろうか?
たとえば都会人が、浜松へ来るときは、かならず、こう言う。
「明日、午前10時30分着の新幹線で行きます」と。
(東名高速道路なら、「午前10時30分ごろ、浜松西インターに着きます」とか言う。)
時刻や場所が、問題というわけではない。
言外で、こう言う。
「だからその時刻に、そこへ迎えに来い」と。
当たり前のように、そう言う。
が、反対に、浜松に住む私たち地方の人(以下、「地方人」)は、どうか。
私は今までに、東京へ、何百回と足を運んだ。
しかしいまだかつて、ただの一度も、東京駅まで迎えに出てくれた人はいない。
横浜駅にしても、そうだ。
千葉駅にしても、そうだ。
私たち、悲しき地方人は、相手の玄関先まで、自分で行く。
もちろん駅から、玄関先までは、タクシーを使う。
(少し前、千葉県に住んでいる人とたがいに会うことになった。
そのときのこと。
私が「そちら(千葉)へ行きましょうか」と言ったら、その人(男性)はこう言った。
「東京までなら出て行ってもいいです」と。
わかるかな?
「行くと言っても、東京までしか行かないぞ!」と。)
こうした都会的優越感は、根底で、日本人独特の上下意識と結びついている。
興味深いのは、元都会人。
会社を定年退職したような、元都会人。
元都会人というだけで、威張っている。
(もちろん当人たちには、威張っているという意識はないだろうが……。)
私はあるとき、ある元都会人と、あるところへ旅をしたことがある。
そのときのこと。
ある地方の駅に着いた。
が、その元都会人のしたことは、電話をかけることだった。
「今、○○駅に着きました。(だから迎えに来い)」と。
私は、これには驚いた。
すぐ制した。
「タクシーで行こう」と。
で、結局、その元都会人は、相手の人をわざわざ○○駅まで、迎えに来させてしまった。
片道、車で、40~50分の距離である。
あきれるというより、その元都会人が、本当にバカに見えた。
元大会社の部長である。
現役時代の肩書が何であれ、私にはバカに見えた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●地方コンプレックス
一方、地方人には、地方人の、地方コンプレックスというものがある。
この浜松の人にも、ある。
「東京から来た」というだけで、何でもかんでも、ありがたがる。
講演会の講師を例にあげるまでもない。
講演会を裏方で準備したことがある人なら、みな知っている。
今どき、東京から講演会の講師を呼ぶと、ワン・ステージ、100万円が相場。
もちろん全額が講師の懐(ふところ)に入るというわけではない。
3~6割が、プロモーターの手に渡る。
講師料は、もちろんテレビの露出度で決まる。
で、一方、地方人が都会へ出たばあいは、どうか。
実際に、あった話を、正直に書く。
こんな話だ。
数か月前、東京都のS区の担当者から、電話があった。
「○月○日、講演会の講師として来てほしい」と。
直接、講演の話があったときは、料金の話はしない。
常識的な範囲というものがある。
それに講演というのは、どういう団体が、どういう規模で開くかが重要。
つまり(やりがい度)。
(やりがい度)で決まる。
それを感ずれば、手弁当でも行く。
講師料など、問題外。
(旅費だけは、何とかしてほしいが……。)
で、日時は決まった。
が、そのあと、先方の担当者は、こう言った。
「旅費込みで、2万円でいいですか?」(事実)と。
浜松と東京の往復旅費だけで、1万6000円前後。
S区まで行ったら、丸1日、仕事になる。
しかし私は引き受けた。
S区の大会のような場所での講演会である。
名誉なことである。
で、それから数日後のこと。
同じ担当者から、また電話があった。
いわく、「で、みなが言うには、本当にその料金でいいかどうか、確かめてほしいということになりまして……」と。
つまり「本当に、旅費込みで、2万円で来てもらえるか」と。
私は、「そう答えました」「それで結構です」と話したが、つぎの一言が、私を失望させた。
自分の中のプライドが、粉々に飛び散った。
その担当者は、こう言った。
「では、これから林先生にしてもらうかどうか、会にもちかえって相談して決めます」「先生にするかどうか、しばらくお待ちください」と。
つまり、ほかにも、何人か、候補者がいる、と。
私は、すかさず、こう答えた。
「そういうことなら、はっきりとお断りします」「ほかの方にしてもらってください」と。
わかるかな?
これが先に書いた、「都会的優越感」。
地方の人間を、徹底的に「下」に見ている。
悪しき、中央集権国家の亡霊である。
以前、これに似たエッセーを書いたことがある。
NHKの「ひるどき、~~」とかという番組について、である。
その原稿を探してみる。
2000年ごろに書いた原稿が出てきた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●見えない過去
あなたの、ごく日常的な生活を、できれば他人の目で観察してみてほしい。
「私は私」と決めてかかる前に、謙虚な気持ちで、観察してみてほしい。
そのとき、あなたはそれでも、「私は私」と言いきることができるだろうか。
私たちは無数の過去をもっている。
もっているだけならまだしも、その過去に引きずりまわされている。
つまり日常的な生活というのは、あくまでもその結果でしかない。
たとえば……。
NHKに、『ひるどき、日本』という番組があった。
司会者とタレントが、地方を訪れ、その地方の名物や名物料理を楽しむという番組であった。
私はあの番組が、どうしても好きになれなかった。
しばらく見ていると、やがて不愉快になった。
長い間、その理由がわからなかった。
が、ある日、その理由に気づいた。
私は若いころ、あるテレビ放送局で下請けの仕事を手伝ったことがある。
そのときのこと。
「いつか、大きな仕事をさせてもらえるのではないか」「テレビの表舞台に立たせてもらえるのではないか」という期待を、私はもっていた。
そのため、犬のようにシッポを振った。
いや、まさに犬そのものだった。
一方、テレビ局の人たちは、そういう私の「下心」を見抜いていた。
そして何だかんだと理由をつけては、この浜松へやってきた。
いわゆる「たかり」である。
私は内心ではそれと知りつつも、飲み食いの接待はもちろんのこと、さらには宿泊のめんどうまでみた。
短い期間だったが、延べにすれば、100人以上もの人を接待しただろうか。
が、結局は利用されただけ。
あの『ひるどき、日本』を見ているとき、私は心のどこかで、あの当時の「東京人」のずうずうしさを思い出していたのかもしれない。
慣れた口調で、ぺラぺラと調子のよいことを言う。
地方の人間をおだてる。
「おしいですね」「こんなところに住んでみたいですね」「空気は新鮮で、うらやましい」と。
地方の人間は地方の人間で、その言葉に乗せられるまま、相手がNHKの人間というだけで、手厚くもてなす。
……それはまさに、自分自身の姿でもあった。
これはほんの一例だが、私たちはそのつど、過去のわだかまりに、こだわりながら生きている。
ひょっとしたら、「私」という部分のほうが少ないのかもしれない。
趣味や好みはもちろんのこと、不安になったり、悩んだり、苦しんだりすることも、すべて、どこかで過去のこだわりにつながっている。
そこでもあなたが、心のどこかに「自分でない私」を見つけたら、それが自分の過去とどこかで結びついていないかをさぐってみるとよい。
何か、あるはずである。
私はそれを「見えない過去」と呼んでいる。
その過去に気づくことは、自分を知る、第一歩でもある。
それはある意味で、こわいことかもしれないが、勇気を出して、自分を見つめてみてほしい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●NHKの「ひるどき、日本」
NHKの「ひるどき、日本」では、都会からやってきた連中が、突然、民家を訪れる。
カメラを従えているから、まさにやりたい放題。
ときには、その家にあがりこみ、昼食まで、食べていく。
で、その逆のことはあるのだろうか。
たとえば地方人の私たちが、東京へ行き、どこかの家を突然、訪問する。
訪問し、その家にあがりこむ。
食事までごちそうになり、食べて帰る。
そういうことはあるのか。
答など、ここに改めて書くまでもない。
……とまあ、どこかグチぽいエッセーになってしまった。
先にも書いたように、この日本は、奈良時代の昔から中央集権国家。
中央が「上」で、地方が「下」。
それが日本人の骨のズイにまで、しみ込んでいる。
私ひとりくらいが、それに逆らっても、しかたない。
どうにもならない。
だから、グチ。
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Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【高校1年生に英語を教える】
●今夜でOさんとお別れ
はやし浩司 2012-06-29
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
2012年6月29日金曜日
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