2012年6月29日金曜日

Free Schools in USA

【BW教室】(幼児、年中児くらす)+(小2、3児の折れ線グラフの学習)

●年中児(3~4歳児)



●小1児+小2児



●小2児+小3児




Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【上海の地下鉄の警告書】女性の服装と痴漢

●古いヤツとはお思いでしょうが……

 昔、鶴田浩二は、こう歌った。
「♪古いヤツだと、お思いでしょうが、古いヤツほど、新しいモノを欲しがるものでございいます……」と。

正確には「古いヤツだと、お思いでしょうが、古いヤツこそ、新しいモノを欲しがるものでございます。どこに新しいものがございましょう。生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真暗闇じゃござんせんか」(「傷だらけの人生」より)。

 で、Record Chinaに、こんな記事が載った。
いわく『こんな格好して地下鉄に乗ったら、痴漢に遭わない方がおかしいですよ。
女性の皆さん、気をつけて」。
スケスケのワンピースの女性の写真とともに、上海地下鉄の運営会社がこう呼びかけたところ、「何を着ようが私たちの勝手」と、女性2人が抗議のパフォーマンスを展開し、注目を集めている。
山東商報が伝えた。

 事の発端は20日の晩。
上海地下鉄第二運営有限公司が公式ミニブログで、痴漢防止策の一環として、「地下鉄にはオオカミが多い。
女性の皆さん、格好にはお気を付け下さい」と呼びかけた。
添付の写真に写る女性はスケスケの黒いワンピース姿。
後ろ姿だけだが、黒いブラジャーとショーツがくっきり見えている」』と。

ところが、地下鉄側のこの親切の呼び掛けが「どんな服を着ようが、個人の自由」だと多くのネットユーザーの反感を買ってしまった。
ネット上には「法律や地下鉄の法規で『スケスケの服を着てはいけない』と決まっているのか」「その理論でいけば、プールに行く男性は全員痴漢を働くということになる」「痴漢を女性の薄着のせいにするな」と批判の書き込みが殺到。
(Record Chine 2012-06-28)

●ある航空会社のコマーシャル

 つぎのコマーシャルを見てほしい。
ある航空会社のコマーシャル写真である。
中央の2人は、日本人と思われる。
それを囲む2人の男性は、現地人(ハワイ人)と思われる。



挑発
 こういう写真を、堂々と載せるところが、恐ろしい。
とくに向かって左の女性の水着は、スレスレというか、古いヤツと思われるかもしれないが、裸そのもの。
この水着で無事にすむはずがない。
まさに「挑発スタイル」。
右下には、「女子2人旅」とある。

 このコマーシャルを見て、あなたはどう思うか。
もしあなたが若い男性なら、「オレもハワイへ行こう」となるだろう。
「オンナが簡単に手に入る」と。
(女性の気持ちは、私にはわからないが……。)

両横の2人の男性は、明るく笑っている。
いやらしさは、どこにもない。
それもそのはず、欧米人は、子どものころからそういう訓練を徹底的に、受けている。
日本人のように、ニヤつくということをしない。
女性に警戒心を与えるような、ドジなことはしない。

●男の性欲

 男というのは、視覚的に刺激され、性欲を覚える。
男と女とでは、性欲中枢の位置も、大きさもちがう。
女性には何でもない行為でも、男性には、大きな刺激を与える。
そうした基本的なちがいをさておき、「どんな服を着ようが、個人の自由」は、ない。

 そこで上海地下鉄は、「地下鉄にはオオカミが多い。
女性の皆さん、格好にはお気を付け下さい」と呼びかけた。
添付の写真に写る女性は、スケスケの黒いワンピース姿。
後ろ姿だけだが、黒いブラジャーとショーツがくっきり見えている。

 これをいらぬ節介ととるか、親切ととるか。
私はあまりにも無防備な女性の衣服を見るにつけ、ふとこう思うときがある。
「女性たちは、無意識であるにせよ、男たちを挑発している」と。
つまり、この警告書を「親切」ととる。

 ミニスカートにしても、そうだ。
そんなにスカートの下をのぞかれたくなかったら、長いスカートをはけばよい。
けっして暴論を書いているのではない。
もう40年も前のことだが、(40年も前ですら)、オーストラリアの女性たちもミニスカートをはいていた。
が、下着のパンティを見せることなど、平気。
まったく平気。
隠そうともしなかった。
中には下着のパンティすら、はいていない女性もいた。
そういう女性が、平気で、あぐらをかいて座る。

 スレスレのミニスカートをはきながら、「見るな」は、ない。
もちろんカメラで撮影するのは、別問題。
それはそれ。

 なおこの記事に対して、
「法律や地下鉄の法規で『スケスケの服を着てはいけない』と決まっているのか」、
「その理論でいけば、プールに行く男性は全員痴漢を働くということになる」、
「痴漢を女性の薄着のせいにするな」という反論が届いているという。

 ハッキリ書こう。
スケスケの服は着てはいけない。
薄着が痴漢行為を誘発しているのは、事実。
どう誘発しているかは、男ならみな、知っているはず。

 またプールの男性について。
(思い)と(行為)の間には、距離がある。
性的に扇情されれば、まともな男なら、発情する。
が、行為に移すかどうかは、その男の理性の問題ということになる。
理性によるブレーキが働けば、実際に行為に移すということはしない。
そうでなければ、そうでない。
ほとんどの男は、周囲に目があるから、痴漢行為に進むということはない。
(プールのような衆目が集まるようなところで、痴漢行為を働くバカはいない!)
しかし目がなければ……。
(思い)と(行為)の間の距離は、ぐんと縮まる。
つまりこれは「理論」というほど大げさなものではなく、ただの「常識」。

●性欲中枢について

 もう一度、性欲中枢について、復習をしておきたい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

食欲中枢と性欲中枢について書いた原稿が、
つぎのもの。
日付は、2009年7月27日になっている。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●満腹中枢と摂食中枢(男と女)(Man and Woman)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 脳幹に視床下部と呼ばれる部位がある。
その中に、「食欲中枢」と呼ばれる部分がある。
その食欲中枢は、満腹中枢と摂食中枢に分かれる。
満腹中枢というのは、「お腹(なか)がふくれた」ということを感じ取る部分。

摂食中枢というのは、「お腹がすいた」ということを感じ取る部分。

ここまでは私も知っていたが、最近、こんなことを知った。
女性の性欲本能、つまりSックス中枢は、このうちの満腹中枢に隣接しているという。

一方、男性の性欲本能、つまりSックス中枢は、摂食中枢に隣接しているという(「人体の不思議」日本文芸社)。

新しい考え方、ゲット!

(ネット禁止用語に抵触するため、「交尾行為」を、「Sックス」など
というように、表記します。)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●男性と女性のちがい

 「人体の不思議」(上述)は、こう書いている。

『……一般に、女性は恋愛をすると食欲を感じなくなることがあるといわれますが、それは、このSックス中枢が活発に働くため、満腹中枢までもが満たされているからとも考えられます。
 
 男性のSックス中枢は、女性とは異なり、空腹を感ずる摂食中枢に隣接しています。
生命の危険を感ずると、男はB起してしまうといわれることもありますが、これもSックス中枢の位置に関係していそうです。

 つまり飢餓で死に直面すると、なんとしてでも種族を保存しなくては、という感情が起こるように脳がつくられているのです』と。

 しかも、だ。
第一性欲中枢(異性を求める性欲中枢)について言えば、男性のそれは、女性のそれの約2倍もの大きさがあるという。
つまりその分だけ、男性のほうが、Sックスに関して、女性より攻撃的ということになる。

 なるほど!

 で、これで今まで私が感じていた謎のいくつかが、解けた。
男性と女性の、(性)がもつ、基本的な(ちがい)といってもよい。
その理由が、わかった。

●男と女

 所詮、人間も動物。
同じというか、どこもちがわない。
動物時代からの本能(脳幹)を、しっかりと保持している。
が、こうした本能、つまり脳自体が構造的にもつ能力のままに行動したら、「人体の不思議」の中にもあるように、人間社会は、メチャメチャになってしまう。

 そこでこうした本能をコントロールするのが、大脳連合野ということになる。
(私はこの仮説を、すでに10年以上も前から、考えていたぞ!)
人間のばあい、大脳連合野の発達がとくに進んでいる。
その大脳連合野が、中心部からわき起きてくる(性欲)を、コントロールする。
それが「知性」ということになる。

 それにもし男性のみならず、女性までもが、性欲について攻撃的になったら、それこそたいへんなこと(?)になってしまう。
人間もいたるところで、交尾を始めるようになるかもしれない。

(反対に女性のように、男性までもが、受動的になってしまっても、困るが……。)
要するに、長い間の進化の過程を経て、人間も、「実にうまく」できているということになる。

●満腹中枢vs摂食中枢

 満腹感を感ずる満腹中枢。
空腹感を感ずる摂食中枢。
何かのタンクの警報機にたとえるなら、満タン警報機と、カラ警報機ということになる。
それを脳の中心部にある視床下部という部位が、担当している。
私自身も、実は、こうした機能について、「本で読んで知った」というだけの立場でしかない。
が、それにしてもおもしろい。

 が、疑問がないわけではない。

 女性のSックス中枢は、満腹中枢の隣にある。
男性のSックス中枢は、摂食中枢の隣にある。
それはわかるが、これらの両社はそれぞれ、どのように関連しあっているのか?
単純に考えれば、女性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に満腹中枢も刺激され、満腹感が生まれるということになる。

 他方、男性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に摂食中枢も刺激され、空腹感が生まれるということになる。

 ……あるいは、その反対なのか?
 そこで自分自身のことを振り返ってみる。
(私も「男」だぞ!)

 腹が減ったときと、満腹のときと、どちらのときのほうが、性欲をより強く感ずるか?
……というより、経験的に、Sックスしたあとなど、よく空腹感を覚えることがある。
(あるいまはげしい睡魔に襲われることも多い。)
「終わったから、食事に行こうか」というような会話を、ワイフとした記憶がある。
……あるいは、その逆かもしれない。

 ともかくもどのように影響しあっているのか、それがよくわからない。
あるいは、影響しあうといっても、そのレベルの話ではないのかもしれない。
たとえばここでいう「空腹感」というのは、「危機状態」をさすのかもしれない。
それも極限的な危機状態。
その本にも書いてあったが、生命の危機を覚えたりすると、B起することもあるそうだ。
「最後に種族を残そう」という本能が働くためらしい。

 どうであるにせよ、たいへん興味深い。
「私は私」と思って、みな、考え、行動している。
が、実際のところ、脳に操られているだけ。
それだけは確かなようだ。

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Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

【ある相談より】

【 お子さんの年齢(現在の満年齢) 】:6歳(小1)
【 お子さんの性別(男・女) 】:女
【 家族構成・具体的に…… 】:
父(4年間単身赴任中)、母、娘(6歳)、息子(2歳)

【KMさんより、はやし浩司へ】

小学校1年生の娘が、5月下旬から突然一人で学校へ行けなくなりました。
きっかけは「忘れ物」。
一度登校したものの忘れ物を取りに帰宅。そのまま「ママがいい」と号泣し一人で学校へいけなくなりました。
それ以来、毎朝下駄箱まで送り、担任の先生に引き渡しています(先生に引き渡さないと上履きのまま帰宅してしまいます)。
学校では普通に過ごしているようですが、最近では帰宅した時の顔つきや態度は力なく、朝も腹痛を訴えたり、朝ご飯がのどを通らないようになってきました。

登校しぶりは幼稚園時代からもあり、大きな行事の前には精神的頻尿になりましたし、息子が生れた4か月後にも極度の頻尿になりました。
幼少期から(産まれた当初からといっても過言ではないくらい)ママから離れられない子で、また喘息もあったせいで、健康管理のため、私の管理下においていました。
どこに相談しても父親の力を借りて・・といわれますが、我が家は夫婦不仲で私は単身赴任で主人が不在なことに救われています。

が、娘は私たちの喧嘩の末、私が泣いている姿も何度もみていますし、「ママはパパとは合わない」と日ごろから言ってしまっていました。
私の責任であることはわかっています。
それでも主人と協力して、は無理です。
 でもなんとか娘を立ち直らせてあげたい、楽しい学校生活を送らせてやりたい。
なにかアドバイスをいただけないでしょうか。

(H県在住、KMより)

【はやし浩司よりKMさんへ】

 たいへんよくある問題です。
同じような相談を、もう何百回と受けました。

 原因は、基本的信頼関係の構築の失敗です。
子どもというのは、絶対的な安心感の中で、基本的信頼関係を築きます。
とくに母子関係が重要です。
「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味です。

「私はどんなことをしても、受け入れられる」という安心感です。
その安心感がもてなくなると、子どもの心は、一気に不安定になります。
KMさんのお子さんは、残念ながら、どこかでその不安感をもってしまいました。
家庭騒動が原因というよりは、KMさん自身の不安定な育児姿勢が、そうしました。
(あなたが夫にもっているだろう不安感を、子どもがそのまま受け継いでしまったというわけです。)
さらに下の子が生まれ、心、つまり情緒は、さらに不安定になりました。
今の状況は、その結果ということになります。

 では、どうするか。

 もう一度、全幅の愛情を、上の子どもに注ぐしかありません。
100%です。
子どもの側からみて、「私は完全に守られている」という安心感をもてるようにします。
子どもが何か、アクションを示してきたら、(すかさず)、ぐいと抱くなど。
(すかさず)、です。
「あとでね」とか、「ママは、今、忙しいのよ」は、禁句です。
添い寝、手つなぎ、抱っこは、いとわずします。
年齢的に、半年単位の根気と努力が必要です。
不登校問題は、あくまでも、副次的なものです。
基本的な信頼関係が構築できれば、自然と、子どもは学校へ行くようになります。

 なおこういうケースのばあい、親は、子どもに向かって、子どもを直そうとしますが、直すべきは、親の育児姿勢ということになります。
そのためにも、自分自身を、客観的に見る。
客観的に判断する。
すべては、そこから始まります。
子どもはあくまでも、「家族の代表」にすぎません。
わかりやすく言えば、家族の心を映す、カガミというわけです。

 ともかくも、今は、100%の愛情を戻す……ということを心がけてみてください。
子どもは、学校へ行くのが不安なのではない。
あなたの愛情に不安感を抱いている。

 で、今は無理をしないこと。
「ズル休み」をしながら、子どもとの人生を、おおいに楽しんでください。

 「ズル休み」について書いた原稿を添付します。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

以前書いた原稿を1作、紹介する(中日新聞掲載済み)。

+++++++++++++++++

【学校神話を打ち破る法】

常識が偏見になるとき 

●たまにはずる休みを……!

「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、たいていの人は目を白黒させて驚く。
「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。しかしそれこそ世界の非常識。
あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。

アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が18歳のときにもった偏見のかたまりである」と。
子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。たとえば……。

●日本の常識は世界の非常識

★かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。
希望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。

日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。
アメリカだけでも97年度には、ホームスクールの子どもが、100万人を超えた。
毎年15%前後の割合でふえ、2001年度末には200万人に達するだろうと言われている。

それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。
「真に自由な教育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。

地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。
またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。

★おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通う。
早い子どもは午後1時に、遅い子どもでも3時ごろには、学校を出る。

ドイツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることができる。
そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。
学習クラブは学校の中にあって、たいていは無料。
学外のクラブも、月謝が1200円前後(2001年調べ)。

こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども1人当たり、230マルク(日本円で約1万4000円)の「子どもマネー」が支払われている。
この補助金は、子どもが就職するまで、最長27歳まで支払われる(01年)。

 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性に合わせてクラブに通う。

日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対する世間の評価はまだ低い。
ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をもたない」という制度が徹底している。

そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら親には教えない。
私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。

「そういうときは、まず親が学校に電話をします。
そしてしばらく待っていると、先生のほうから電話がかかってきます」と。

★進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中高一貫校の入学案内書を送ってくれた。
全部で70校近くあった。が、私はそれを見て驚いた。

どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。
別紙として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。
この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。
そこで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。
そこはチャールズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校がカリキュラムを組んでくれる。

たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。
木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。
そういう学校をよい学校という」と。
なおそのグラマースクールには入学試験はない。
子どもが生まれると、親は出生届を出すと同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。
つまり早いもの勝ち。

●そこはまさに『マトリックス』の世界

 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。
日本人が常識と思っているようなことでも、世界ではそうでないということもある。
それがわかってほしかった。
そこで一度、あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。
学校とは何か。
教育はどうあるべきか。
さらには子育てとは何か、と。

その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。
学校神話とはよく言ったもので、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校神話を信仰している。
「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。
それはまさに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。
仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だと気づかない。
気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。

●解放感は最高!

 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。
実は私も何度となくそうした。
平日に行くと、動物園もガラガラ。
あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。
「私が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。
冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよい。
あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。

※……1週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。
だから月曜日には、午後3時まで学校で勉強し、火曜日は午後1時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決めることができる。

●「自由に学ぶ」

 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。

 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えてよい。
そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。
それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政治を行うための手段として用いられてきている」と。

 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。

いわく、「民主主義国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているではないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れてはならない」と。
 
さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見には、次のように反論している。
「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率はむしろ増加している。
学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくない。

学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所システムの改革によるところが大きい。
青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。

 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえている。
なお2000年度に、小中学校での不登校児は、13万4000人を超えた。
中学生では、38人に1人が、不登校児ということになる。
この数字は前年度より、4000人多い。
 
++++++++++++++++++

 世界は、ここまで進んでいる。にもかかわらず、(4)教育委員会改革だの、(5)大学9月入学だのと、そんなことを論じていること自体、バカげている。
ノーベル賞を受賞した偉い(?)先生かも知れないが、世の中には、「専門バカ」という人もいる。

 「塾を禁止して、(勉強が)できない子どものための塾だけにせよ」(野依座長)という提言にいたっては、「?」マークを、10個ほど、並べたい。
むしろ世界は、教育の自由化(=民営化)をこぞって選択している。

 カナダでは、そこらの塾が塾をたちあげるほど簡単に、学校の設立そのものを自由化している。
その学校で使う言語も、自由である。
たとえば、ヒンズー語で教える学校を作りたいと思えば、それもできる。

 (これに反して、アメリカでは、学校では英語で教育すべしというのが、原則になっている。またそういう学校しか認可されていない。)

 ドイツ、イタリアにいたっては、ここにも書いたように、「クラブ」が、教育の自由化を側面から支えている。野依座長も、もう少し、研究室から出て、世界を見てきたらどうか。
少なくとも、もう少し教育の現場をのぞいてみてから、意見を述べるべきである。

 教育再生会議のメンバーたちは、「提言がことごとく無視された」と怒りをぶちまけているが、それもしかたのないことではないかと、私は思う。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 教育再生会議 再生会議提案 中間報告 中間報告原案 はやし浩司 ズル休み ズル休みもゆとり)2012/06/29再掲載


Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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