2012年6月30日土曜日
Only stupid men rush in
【矛盾だらけの日本の国家行政】はやし浩司 2012-06-30
●運動不足
数日前、重い荷物をもって、1キロ前後、歩いた。
内心、「まずいな」と思ったが、すでに歩き出していた。
で、1キロ近くも、歩いた。
重さは、合計で、15キロ前後はあっただろうか。
その直後から、右足のひざが痛み出した。
歩くときに、キリリと、痛みが走る。
が、以前にも同じような症状があった。
だからそのうち治るだろうと思っていた。
「こういうときは無理をしない」と。
その「無理をしない」という部分で、運動不足になってしまった。
具体的には、この数日間、何も運動をしていない。
自転車にも乗っていない。
おかげで、今朝は、起きたすぐから体がだるい。
頭の中も、ぼんやり。
使い物にならない。
が、だからといって、だらしない生活は禁物。
……ということで、今朝も、こうしてパソコンの前に座った。
●税金
税金が高いのには驚いた。
住民税もあがっている。
あるサイトには、こうあった。
「11か月分の給料で、1年を生きるようなもの」と。
その一方で、こんなニュースも載っていた。
何でもあの東京電力には、社員専用の病院があるとか。
社員とOBだけが、利用できるそうだ。
もちろん院内は、がらがら。
ベッド数も、110床近くあるのだが、約20床しか使われていないとか。
写真で見てもわかるように、かなり大きな病院である。
たったひとつの、1企業のために!
『「資産価値は約120億円以上ある。
(都は)国有化される以上、売却して還元するべきだ」などと要求しました。
都によりますと、東京電力病院は、東電の社員とOB専用の病院で、113床のうち約20床しか使われていないということです。
東電の勝俣会長は、売却を検討する考えを示しました』(某ニュースサイト)と。
が、こうした専用施設は、何も東京電力にかぎったことではない。
国家公務員の専用施設、地方公務員の専用施設、さらには、財団や公団の専用施設など。
銀行ならびに、大企業と呼ばれる企業は、おしなべて、みなもっている。
その中には、専用の宿泊施設も含まれる。
しかしどうして?
常識で考えてみよう。
現在、こうした関連機関で働く人は、それでよい。
しかしそういう人たちの子ども、さらに孫はどうなのか、と。
子どもや孫も、そうした機関で働けるようになれば、それはそれでよい。
世襲的に、そういった施設を利用することができる。
が、そうでなければ、そうでない。
長い目で見れば、つまり世代を超えた長い目で見れば、みなが等しく使える施設にしておいたほうがよい。
言い換えると、こうした専用施設を作るということは、その組織の人間が、それだけ自己中心的であることを示す。
つまり人格の完成度は低い。
もっとも日本人は、もとから平等意識が乏しい民族である。
不平等であることを、もとから受け入れてしまっている。
NHKの大河ドラマを例にあげるまでもない。
水戸黄門のような、あんなバカげた番組ですら、いまだに視聴率20%前後というのも驚きである。
「何が、葵の紋章だ!」……というのは、書き過ぎ。
それはよくわかっている。
しかしその延長線上に、東京電力の専用病院がある。
ご存知の方も多いと思う。
東京電力が所有する、超豪華専用保養施設は、全国に散らばっている。
で、あの福島第一原発事故のあと、そうした施設を、被災者の人たちに開放したらどうかという話もあった。
が、それ以後、今に至るまで、そういった話は、聞いていない。
なお、東京電力の無駄遣いを指摘した東京都を、ほめてばかりいてはいけない。
東京都は、「病院」については問題にした。
が、「保養施設」については、不問。
それもそのはず。
東京都だって、保養施設を箱根、那須などにもっている。
「東京都職員共済組合施設」というのが、それ。
へたに保養施設を問題にすれば、まさにやぶヘビ!
さらに今朝のニュースによれば、あの大阪府だけでも、11兆円もの負債があるとか(2011年度、大阪府と大阪市の合計額)。
まあ、役人のみなさん、国民の無知、無関心をよいことに、やりたい放題。
東京電力は、ここにきてその矛盾の一角を、露呈したにすぎない。
●20万人vs2万人
なお昨日、官邸の前で、近年にはない大規模のデモが実行された。
反原発デモである。
で、そのデモについて、主催者側は、「参加者数は、20万人」と発表した。
一方、警備当局側(警察側)は、「2万人弱」(TBS)と発表した。
どちらが正しいのだろう。
差は、10倍もある!
で、自分なりに調べてみた。
TBSーiでは、デモの様子を動画で配信している。
その動画を検証してみる。
ざっと見た感じ、20万人というのはおおげさ。
しかし2万人弱ということはありえない。
方法は簡単。
まず動画上で、1センチ画に何人いるかを調べる。
あとは面積に、その人数を掛ければよい。
おおざっぱな計算だが、幅1センチで、約11人(28インチモニター上、デモの中央部でカウント)。
1平方センチメートルで、約120人。
画面上のデモの規模は、幅14センチ、縦6センチ。
その周囲は木々に覆われていて、どういう状況なのかわからない。
が、それで計算してみると、1万0080人という数字が出てきた。
警備当局側の発表の約半数ということになる?
(警備当局側は、いつも少なめに発表する。
それでもその約半数?)
この計算方法は、どこがまちがっているか。
(1)まちがいの第一は、デモの中央部の1センチ画で、基本人数を計算したこと。
距離が遠ざかれば、距離の2乗に比例して、人数は多くなる。
遠方部では、1センチ画で、数千人近くになる。
一方、手前では、1センチ画では、数十人前後。
正確に人数を知るためには、上空、真上から写真撮影するしかない。
その写真をもとに、人数を計算する。
さらにデモ隊は、日本の法律では、立ち止まることを許されていない。
(今回は、「官邸前を埋め尽くした」とあり、立ち止まっているよう。)
動いているばあいは、当然、多くなる。
また先にも書いたように、周囲は木々におおわれている。
木々に隠れている人までは、数えられない。
どうであるにせよ、この日本で、物言わぬ従順な民が立ち上がったという、その意味は大きい。
2万人でも、この日本では、超大規模!
つまりそれくらい多くの人たちが、原発再開に反対している。
事実、この時期に、原発再開は、バカげている。
まだ事故の全容そものが、明るみになっていない。
何も解決していない。
つい数日前も、1号機で、10シーベルト以上のもの、放射線量が観測されている。
また放射線による人的被害が明らかになるのは、2013年の3月以後である。
この先、DNAや染色体に影響を受けた人たちは、何世代にもわたって、その後遺症に苦しむことになる。
今の段階で、原発再開、反対!
つでに……
(1)年金を一元化せよ
(2)行政改革を推進し、簡素化せよ
そう叫んだところで、ワイフが台所で、「できたわよ」と。
つまり朝食の用意ができた。2012/06/30朝記
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
2012年6月29日金曜日
Urban People in Japan look down local people
●都会的優越感
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
都会の人(以下、「都会人」)が、みな、そうというわけではない。
が、少なくは、ない。……と思う。
しかし意識というのは、意識しないまま作られていく。
個人が抗しきれない、大きな流れの中で作られていく。
多くの人たちは、それは「ない」と思っているかもしれない。
しかし、ある。
称して、「都会的優越感」。
ひとつの例をあげる。
この例に、反論できる、都会人はいるだろうか?
たとえば都会人が、浜松へ来るときは、かならず、こう言う。
「明日、午前10時30分着の新幹線で行きます」と。
(東名高速道路なら、「午前10時30分ごろ、浜松西インターに着きます」とか言う。)
時刻や場所が、問題というわけではない。
言外で、こう言う。
「だからその時刻に、そこへ迎えに来い」と。
当たり前のように、そう言う。
が、反対に、浜松に住む私たち地方の人(以下、「地方人」)は、どうか。
私は今までに、東京へ、何百回と足を運んだ。
しかしいまだかつて、ただの一度も、東京駅まで迎えに出てくれた人はいない。
横浜駅にしても、そうだ。
千葉駅にしても、そうだ。
私たち、悲しき地方人は、相手の玄関先まで、自分で行く。
もちろん駅から、玄関先までは、タクシーを使う。
(少し前、千葉県に住んでいる人とたがいに会うことになった。
そのときのこと。
私が「そちら(千葉)へ行きましょうか」と言ったら、その人(男性)はこう言った。
「東京までなら出て行ってもいいです」と。
わかるかな?
「行くと言っても、東京までしか行かないぞ!」と。)
こうした都会的優越感は、根底で、日本人独特の上下意識と結びついている。
興味深いのは、元都会人。
会社を定年退職したような、元都会人。
元都会人というだけで、威張っている。
(もちろん当人たちには、威張っているという意識はないだろうが……。)
私はあるとき、ある元都会人と、あるところへ旅をしたことがある。
そのときのこと。
ある地方の駅に着いた。
が、その元都会人のしたことは、電話をかけることだった。
「今、○○駅に着きました。(だから迎えに来い)」と。
私は、これには驚いた。
すぐ制した。
「タクシーで行こう」と。
で、結局、その元都会人は、相手の人をわざわざ○○駅まで、迎えに来させてしまった。
片道、車で、40~50分の距離である。
あきれるというより、その元都会人が、本当にバカに見えた。
元大会社の部長である。
現役時代の肩書が何であれ、私にはバカに見えた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●地方コンプレックス
一方、地方人には、地方人の、地方コンプレックスというものがある。
この浜松の人にも、ある。
「東京から来た」というだけで、何でもかんでも、ありがたがる。
講演会の講師を例にあげるまでもない。
講演会を裏方で準備したことがある人なら、みな知っている。
今どき、東京から講演会の講師を呼ぶと、ワン・ステージ、100万円が相場。
もちろん全額が講師の懐(ふところ)に入るというわけではない。
3~6割が、プロモーターの手に渡る。
講師料は、もちろんテレビの露出度で決まる。
で、一方、地方人が都会へ出たばあいは、どうか。
実際に、あった話を、正直に書く。
こんな話だ。
数か月前、東京都のS区の担当者から、電話があった。
「○月○日、講演会の講師として来てほしい」と。
直接、講演の話があったときは、料金の話はしない。
常識的な範囲というものがある。
それに講演というのは、どういう団体が、どういう規模で開くかが重要。
つまり(やりがい度)。
(やりがい度)で決まる。
それを感ずれば、手弁当でも行く。
講師料など、問題外。
(旅費だけは、何とかしてほしいが……。)
で、日時は決まった。
が、そのあと、先方の担当者は、こう言った。
「旅費込みで、2万円でいいですか?」(事実)と。
浜松と東京の往復旅費だけで、1万6000円前後。
S区まで行ったら、丸1日、仕事になる。
しかし私は引き受けた。
S区の大会のような場所での講演会である。
名誉なことである。
で、それから数日後のこと。
同じ担当者から、また電話があった。
いわく、「で、みなが言うには、本当にその料金でいいかどうか、確かめてほしいということになりまして……」と。
つまり「本当に、旅費込みで、2万円で来てもらえるか」と。
私は、「そう答えました」「それで結構です」と話したが、つぎの一言が、私を失望させた。
自分の中のプライドが、粉々に飛び散った。
その担当者は、こう言った。
「では、これから林先生にしてもらうかどうか、会にもちかえって相談して決めます」「先生にするかどうか、しばらくお待ちください」と。
つまり、ほかにも、何人か、候補者がいる、と。
私は、すかさず、こう答えた。
「そういうことなら、はっきりとお断りします」「ほかの方にしてもらってください」と。
わかるかな?
これが先に書いた、「都会的優越感」。
地方の人間を、徹底的に「下」に見ている。
悪しき、中央集権国家の亡霊である。
以前、これに似たエッセーを書いたことがある。
NHKの「ひるどき、~~」とかという番組について、である。
その原稿を探してみる。
2000年ごろに書いた原稿が出てきた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●見えない過去
あなたの、ごく日常的な生活を、できれば他人の目で観察してみてほしい。
「私は私」と決めてかかる前に、謙虚な気持ちで、観察してみてほしい。
そのとき、あなたはそれでも、「私は私」と言いきることができるだろうか。
私たちは無数の過去をもっている。
もっているだけならまだしも、その過去に引きずりまわされている。
つまり日常的な生活というのは、あくまでもその結果でしかない。
たとえば……。
NHKに、『ひるどき、日本』という番組があった。
司会者とタレントが、地方を訪れ、その地方の名物や名物料理を楽しむという番組であった。
私はあの番組が、どうしても好きになれなかった。
しばらく見ていると、やがて不愉快になった。
長い間、その理由がわからなかった。
が、ある日、その理由に気づいた。
私は若いころ、あるテレビ放送局で下請けの仕事を手伝ったことがある。
そのときのこと。
「いつか、大きな仕事をさせてもらえるのではないか」「テレビの表舞台に立たせてもらえるのではないか」という期待を、私はもっていた。
そのため、犬のようにシッポを振った。
いや、まさに犬そのものだった。
一方、テレビ局の人たちは、そういう私の「下心」を見抜いていた。
そして何だかんだと理由をつけては、この浜松へやってきた。
いわゆる「たかり」である。
私は内心ではそれと知りつつも、飲み食いの接待はもちろんのこと、さらには宿泊のめんどうまでみた。
短い期間だったが、延べにすれば、100人以上もの人を接待しただろうか。
が、結局は利用されただけ。
あの『ひるどき、日本』を見ているとき、私は心のどこかで、あの当時の「東京人」のずうずうしさを思い出していたのかもしれない。
慣れた口調で、ぺラぺラと調子のよいことを言う。
地方の人間をおだてる。
「おしいですね」「こんなところに住んでみたいですね」「空気は新鮮で、うらやましい」と。
地方の人間は地方の人間で、その言葉に乗せられるまま、相手がNHKの人間というだけで、手厚くもてなす。
……それはまさに、自分自身の姿でもあった。
これはほんの一例だが、私たちはそのつど、過去のわだかまりに、こだわりながら生きている。
ひょっとしたら、「私」という部分のほうが少ないのかもしれない。
趣味や好みはもちろんのこと、不安になったり、悩んだり、苦しんだりすることも、すべて、どこかで過去のこだわりにつながっている。
そこでもあなたが、心のどこかに「自分でない私」を見つけたら、それが自分の過去とどこかで結びついていないかをさぐってみるとよい。
何か、あるはずである。
私はそれを「見えない過去」と呼んでいる。
その過去に気づくことは、自分を知る、第一歩でもある。
それはある意味で、こわいことかもしれないが、勇気を出して、自分を見つめてみてほしい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●NHKの「ひるどき、日本」
NHKの「ひるどき、日本」では、都会からやってきた連中が、突然、民家を訪れる。
カメラを従えているから、まさにやりたい放題。
ときには、その家にあがりこみ、昼食まで、食べていく。
で、その逆のことはあるのだろうか。
たとえば地方人の私たちが、東京へ行き、どこかの家を突然、訪問する。
訪問し、その家にあがりこむ。
食事までごちそうになり、食べて帰る。
そういうことはあるのか。
答など、ここに改めて書くまでもない。
……とまあ、どこかグチぽいエッセーになってしまった。
先にも書いたように、この日本は、奈良時代の昔から中央集権国家。
中央が「上」で、地方が「下」。
それが日本人の骨のズイにまで、しみ込んでいる。
私ひとりくらいが、それに逆らっても、しかたない。
どうにもならない。
だから、グチ。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 中央集権国家 都会的優越感 都会人のおごり はやし浩司 NHK ひるどき日本)
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【高校1年生に英語を教える】
●今夜でOさんとお別れ
はやし浩司 2012-06-29
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
都会の人(以下、「都会人」)が、みな、そうというわけではない。
が、少なくは、ない。……と思う。
しかし意識というのは、意識しないまま作られていく。
個人が抗しきれない、大きな流れの中で作られていく。
多くの人たちは、それは「ない」と思っているかもしれない。
しかし、ある。
称して、「都会的優越感」。
ひとつの例をあげる。
この例に、反論できる、都会人はいるだろうか?
たとえば都会人が、浜松へ来るときは、かならず、こう言う。
「明日、午前10時30分着の新幹線で行きます」と。
(東名高速道路なら、「午前10時30分ごろ、浜松西インターに着きます」とか言う。)
時刻や場所が、問題というわけではない。
言外で、こう言う。
「だからその時刻に、そこへ迎えに来い」と。
当たり前のように、そう言う。
が、反対に、浜松に住む私たち地方の人(以下、「地方人」)は、どうか。
私は今までに、東京へ、何百回と足を運んだ。
しかしいまだかつて、ただの一度も、東京駅まで迎えに出てくれた人はいない。
横浜駅にしても、そうだ。
千葉駅にしても、そうだ。
私たち、悲しき地方人は、相手の玄関先まで、自分で行く。
もちろん駅から、玄関先までは、タクシーを使う。
(少し前、千葉県に住んでいる人とたがいに会うことになった。
そのときのこと。
私が「そちら(千葉)へ行きましょうか」と言ったら、その人(男性)はこう言った。
「東京までなら出て行ってもいいです」と。
わかるかな?
「行くと言っても、東京までしか行かないぞ!」と。)
こうした都会的優越感は、根底で、日本人独特の上下意識と結びついている。
興味深いのは、元都会人。
会社を定年退職したような、元都会人。
元都会人というだけで、威張っている。
(もちろん当人たちには、威張っているという意識はないだろうが……。)
私はあるとき、ある元都会人と、あるところへ旅をしたことがある。
そのときのこと。
ある地方の駅に着いた。
が、その元都会人のしたことは、電話をかけることだった。
「今、○○駅に着きました。(だから迎えに来い)」と。
私は、これには驚いた。
すぐ制した。
「タクシーで行こう」と。
で、結局、その元都会人は、相手の人をわざわざ○○駅まで、迎えに来させてしまった。
片道、車で、40~50分の距離である。
あきれるというより、その元都会人が、本当にバカに見えた。
元大会社の部長である。
現役時代の肩書が何であれ、私にはバカに見えた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●地方コンプレックス
一方、地方人には、地方人の、地方コンプレックスというものがある。
この浜松の人にも、ある。
「東京から来た」というだけで、何でもかんでも、ありがたがる。
講演会の講師を例にあげるまでもない。
講演会を裏方で準備したことがある人なら、みな知っている。
今どき、東京から講演会の講師を呼ぶと、ワン・ステージ、100万円が相場。
もちろん全額が講師の懐(ふところ)に入るというわけではない。
3~6割が、プロモーターの手に渡る。
講師料は、もちろんテレビの露出度で決まる。
で、一方、地方人が都会へ出たばあいは、どうか。
実際に、あった話を、正直に書く。
こんな話だ。
数か月前、東京都のS区の担当者から、電話があった。
「○月○日、講演会の講師として来てほしい」と。
直接、講演の話があったときは、料金の話はしない。
常識的な範囲というものがある。
それに講演というのは、どういう団体が、どういう規模で開くかが重要。
つまり(やりがい度)。
(やりがい度)で決まる。
それを感ずれば、手弁当でも行く。
講師料など、問題外。
(旅費だけは、何とかしてほしいが……。)
で、日時は決まった。
が、そのあと、先方の担当者は、こう言った。
「旅費込みで、2万円でいいですか?」(事実)と。
浜松と東京の往復旅費だけで、1万6000円前後。
S区まで行ったら、丸1日、仕事になる。
しかし私は引き受けた。
S区の大会のような場所での講演会である。
名誉なことである。
で、それから数日後のこと。
同じ担当者から、また電話があった。
いわく、「で、みなが言うには、本当にその料金でいいかどうか、確かめてほしいということになりまして……」と。
つまり「本当に、旅費込みで、2万円で来てもらえるか」と。
私は、「そう答えました」「それで結構です」と話したが、つぎの一言が、私を失望させた。
自分の中のプライドが、粉々に飛び散った。
その担当者は、こう言った。
「では、これから林先生にしてもらうかどうか、会にもちかえって相談して決めます」「先生にするかどうか、しばらくお待ちください」と。
つまり、ほかにも、何人か、候補者がいる、と。
私は、すかさず、こう答えた。
「そういうことなら、はっきりとお断りします」「ほかの方にしてもらってください」と。
わかるかな?
これが先に書いた、「都会的優越感」。
地方の人間を、徹底的に「下」に見ている。
悪しき、中央集権国家の亡霊である。
以前、これに似たエッセーを書いたことがある。
NHKの「ひるどき、~~」とかという番組について、である。
その原稿を探してみる。
2000年ごろに書いた原稿が出てきた。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●見えない過去
あなたの、ごく日常的な生活を、できれば他人の目で観察してみてほしい。
「私は私」と決めてかかる前に、謙虚な気持ちで、観察してみてほしい。
そのとき、あなたはそれでも、「私は私」と言いきることができるだろうか。
私たちは無数の過去をもっている。
もっているだけならまだしも、その過去に引きずりまわされている。
つまり日常的な生活というのは、あくまでもその結果でしかない。
たとえば……。
NHKに、『ひるどき、日本』という番組があった。
司会者とタレントが、地方を訪れ、その地方の名物や名物料理を楽しむという番組であった。
私はあの番組が、どうしても好きになれなかった。
しばらく見ていると、やがて不愉快になった。
長い間、その理由がわからなかった。
が、ある日、その理由に気づいた。
私は若いころ、あるテレビ放送局で下請けの仕事を手伝ったことがある。
そのときのこと。
「いつか、大きな仕事をさせてもらえるのではないか」「テレビの表舞台に立たせてもらえるのではないか」という期待を、私はもっていた。
そのため、犬のようにシッポを振った。
いや、まさに犬そのものだった。
一方、テレビ局の人たちは、そういう私の「下心」を見抜いていた。
そして何だかんだと理由をつけては、この浜松へやってきた。
いわゆる「たかり」である。
私は内心ではそれと知りつつも、飲み食いの接待はもちろんのこと、さらには宿泊のめんどうまでみた。
短い期間だったが、延べにすれば、100人以上もの人を接待しただろうか。
が、結局は利用されただけ。
あの『ひるどき、日本』を見ているとき、私は心のどこかで、あの当時の「東京人」のずうずうしさを思い出していたのかもしれない。
慣れた口調で、ぺラぺラと調子のよいことを言う。
地方の人間をおだてる。
「おしいですね」「こんなところに住んでみたいですね」「空気は新鮮で、うらやましい」と。
地方の人間は地方の人間で、その言葉に乗せられるまま、相手がNHKの人間というだけで、手厚くもてなす。
……それはまさに、自分自身の姿でもあった。
これはほんの一例だが、私たちはそのつど、過去のわだかまりに、こだわりながら生きている。
ひょっとしたら、「私」という部分のほうが少ないのかもしれない。
趣味や好みはもちろんのこと、不安になったり、悩んだり、苦しんだりすることも、すべて、どこかで過去のこだわりにつながっている。
そこでもあなたが、心のどこかに「自分でない私」を見つけたら、それが自分の過去とどこかで結びついていないかをさぐってみるとよい。
何か、あるはずである。
私はそれを「見えない過去」と呼んでいる。
その過去に気づくことは、自分を知る、第一歩でもある。
それはある意味で、こわいことかもしれないが、勇気を出して、自分を見つめてみてほしい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●NHKの「ひるどき、日本」
NHKの「ひるどき、日本」では、都会からやってきた連中が、突然、民家を訪れる。
カメラを従えているから、まさにやりたい放題。
ときには、その家にあがりこみ、昼食まで、食べていく。
で、その逆のことはあるのだろうか。
たとえば地方人の私たちが、東京へ行き、どこかの家を突然、訪問する。
訪問し、その家にあがりこむ。
食事までごちそうになり、食べて帰る。
そういうことはあるのか。
答など、ここに改めて書くまでもない。
……とまあ、どこかグチぽいエッセーになってしまった。
先にも書いたように、この日本は、奈良時代の昔から中央集権国家。
中央が「上」で、地方が「下」。
それが日本人の骨のズイにまで、しみ込んでいる。
私ひとりくらいが、それに逆らっても、しかたない。
どうにもならない。
だから、グチ。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 中央集権国家 都会的優越感 都会人のおごり はやし浩司 NHK ひるどき日本)
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【高校1年生に英語を教える】
●今夜でOさんとお別れ
はやし浩司 2012-06-29
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
Ugly Ozawa Ichiro (Ichiro Ozawa)
●民主党マニフェスト(小沢一郎について)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
国会は、小沢一郎という政治家1人のために、大混乱。
「消費税導入反対」を口実にしている。
で、改めて、民主党のマニフェストは、何だったのか。
何なのか。
それを調べてみた。
正直に言うが、消費税問題はともかくも、こんなにもたくさんのマニフェスト(選挙公約)があったとは、知らなかった。
以下が、民主党マネフェストである(2010年度・菅直人総理就任前後)。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
+++++++++++以下、参考:日経225サイト++++++++++++
【民主党マニフェスト・2010年度】
★事業仕分けなどによって全ての特別会計の見直しを行って不要なものは廃止していくこと。
★新政策の財源については、既存予算を削減するか収入増によって捻出すること。
★消費税を含む税制改革に関しての協議を超党派にて行うこと。
★20年度までには基礎的財政収支が黒字になるようにすること。
★法人税制は簡素化を前提として、見直しを実施すること。
★中小企業向けの法人税率は引き下げをすること。
★連帯保証人制度や個人保証の廃止について見直すこと。
★自動車重量税や自動車取得税について簡素化して全体的に負担を軽減することなど。
★20年度までの平均経済成長率の名目成長率は3%、実質成長率は2%を目指すこと。
★日銀と協力して早期にデフレを克服すること。
★官民一体となり、高速や鉄道、原発や上下水道などインフラシステムについて国際的な展開ができるようにすること。
★先端医療技術をいかして国際的な医療交流の促進を行うこと。
★映像、アニメ、音楽などを通じて海外への情報発信を強化していくこと。
★幼保一元化へ向けて施設区分を撤廃すること。
★首都圏などの大都市活性化をするために「大都市圏戦略基本法」を制定すること。
★介護ロボットの実用化や再生医療支援、医療機器などのイノベーションを支援すること。
★「消えた年金」について11年度までに集中して取り組み、納めた保険料や受け取る年金額がすぐにわかる年金手帳を作る。
★年金制度を一元化して、1ヶ月7万円の最低保障年金の実現のために抜本改革を行うこと。
★後期高齢医療制度の廃止をして、13年度から新たな高齢者医療制度にしていくこと。
★診療報酬の引き上げを行うこと。
★地域の医師不足解消のため、医師を増やせるように医学部生を増やしていくこと。
★がん予防のため検診体制を強化して、肝炎治療への支援なども行う。
★ヘルパーの給与を挙げるなどして介護職の人材を確保することなどを掲げています。
★財源を確保して、現在支給されている子ども手当の1ヶ月13,000円に上積みをしていくこと。
★地域の実情によって保育園の定員増のため、子どもの医療費の負担を減らすため、給食の無償化をするためなどのサービスへ換えられるようにすること。
★出産育児一時金、不妊治療支援といった出産関係の支援策の拡充を行うこと。
★大学生や専門学生に対して希望者全てが受けることのできる奨学金制度を創ること。
★就学前の子どもに関して保育と教育の提供をしていくこと。
★少人数学級の推進をしていくことなどが掲げられています。
★日米同盟の深化、普天間基地移設問題での沖縄負担軽減へ力を尽くすこと。
★中国や韓国などアジアの国々との信頼関係構築のため「東アジア共同体」を実現すること。
★国連安全保障理事会において常任理事国入りを目指すこと、自衛隊などによる海外への対処活動を継続すること。
★北東アジア地域での非核化、北朝鮮の拉致問題解決へ全力を尽くすこと。
★参議院の定数を40ほど減らして衆議院では比例代表の定数を80ほど減らすようにしていこと。
★国会議員の歳費は日割り、国会委員長手当の見直しなどによって議員経費を削減していくこと。
★通年国会を目指すこと。
★各種公法人を廃止にして天下りをなくすこと。
★国家公務員の総人件費を削減すること。
★幹部職員の降格人事を可能として、民間登用を勧めていくことなど。
★高速道路を無料化にするとどうなるのか状況を確認しながら段階的に無料化を行っていくこと。
★農業以外にも所得補償制度を拡大していくこと、トレーサビリティーを義務付けしていくこと。
★「地産地消」を学校給食や老人ホームにて進めていくこと。
★口蹄疫の感染を阻止、全国のダム事業について検証を行う、ハブ空港の整備を行うことなど。
★再生可能エネルギーの買い取り制度の導入すること。
★スマートグリッドの開発と普及を支援すること。
★エコカーやエコ家電、エコ住宅の普及について支援していくこと。
★11年度に地球温暖化税の導入を検討していくいこと。
+++++++++++以上、参考:日経225サイト++++++++++++
●ただの口実?
消費税導入問題は、国民全体に与える影響、生活全般に与える影響という点では、大問題である。
それはわかる。
しかしそれだけがマニフェストではない。
ないことは、ここにあげた民主党マニフェスト(2010)を見てもわかる。
が、私の印象では、(あくまでも私個人の印象だが)、小沢一郎という政治家は、己の権勢欲実現のために、消費税を口実にしているとしか、見えない。
中身は、旧態依然の国盗り物語。
ちょうど北朝鮮が、ありもしない日本やアメリカの侵略を口実に、核武装しているのと同じ。
中身は独裁政権の維持のため。
もし公約違反を内部で取りあげるなら、ほかにもいろいろある。
たとえば……
★参議院の定数を40ほど減らして衆議院では比例代表の定数を80ほど減らすようにしていこと。
★国会議員の歳費は日割り、国会委員長手当の見直しなどによって議員経費を削減していくこと。
★通年国会を目指すこと。
★各種公法人を廃止にして天下りをなくすこと。
★国家公務員の総人件費を削減すること。
★幹部職員の降格人事を可能として、民間登用を勧めていくことなど。
これらのマネフェストは、いったい、どうなっているのか。
それに有権者の1人として一言。
民主党に前回の総選挙で1票を入れた人にしても、マニフェストすべてに目を通し、賛成したからではない。
「おおかた、こんなものでよいだろう」ということで、票を入れたはず。
(当時の世相によれば、「麻生総理大臣ではだめだ」という、反自民票が民主党候補に流れた。
小沢一郎は、「民主党が支持された」とはしゃいでいたが、民主党が支持されたわけではない。
行き場を失った浮動票層が、民主党に流れた。)
だいたい私にしても、今日はじめて、こうしてマニフェストなるものを、精読してみた。
ほかにも未達成の重要案件が、ごろごろしている。
正義の味方よろしく、「増税強行なら離党」と声を荒げなければならないほど、……というか、私はそれほどの信念を、小沢一郎の中に感じない。
最近の週刊誌によれば、小沢一郎には愛人がいた。
隠し子までいた。
「妻」という最重要の「友」ですら、平気で裏切るような男である。
そんな男なら、平気で、仲間を裏切る。
国民を裏切る。
ウソもつくだろう。
少なくとも、私は信用しない。
どこかのBLOGで、ある政治評論家が、こう書いていた。
「今の日本の政治で、いちばん重要なことは、小沢一郎が消えることである」と。
まったく、同感である。
離党するなら、子分たちを道連れにしないで、ひとりで堂々と離党すればよい。
何人小沢一郎についてくるか。
それはあくまでも結果。
報道によれば、何回もそれぞれの国会議員を呼びつけ、その意思を確認しているそうだ。
その見苦しさ。
おぞましさ。
2012/06/29朝記
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
国会は、小沢一郎という政治家1人のために、大混乱。
「消費税導入反対」を口実にしている。
で、改めて、民主党のマニフェストは、何だったのか。
何なのか。
それを調べてみた。
正直に言うが、消費税問題はともかくも、こんなにもたくさんのマニフェスト(選挙公約)があったとは、知らなかった。
以下が、民主党マネフェストである(2010年度・菅直人総理就任前後)。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
+++++++++++以下、参考:日経225サイト++++++++++++
【民主党マニフェスト・2010年度】
★事業仕分けなどによって全ての特別会計の見直しを行って不要なものは廃止していくこと。
★新政策の財源については、既存予算を削減するか収入増によって捻出すること。
★消費税を含む税制改革に関しての協議を超党派にて行うこと。
★20年度までには基礎的財政収支が黒字になるようにすること。
★法人税制は簡素化を前提として、見直しを実施すること。
★中小企業向けの法人税率は引き下げをすること。
★連帯保証人制度や個人保証の廃止について見直すこと。
★自動車重量税や自動車取得税について簡素化して全体的に負担を軽減することなど。
★20年度までの平均経済成長率の名目成長率は3%、実質成長率は2%を目指すこと。
★日銀と協力して早期にデフレを克服すること。
★官民一体となり、高速や鉄道、原発や上下水道などインフラシステムについて国際的な展開ができるようにすること。
★先端医療技術をいかして国際的な医療交流の促進を行うこと。
★映像、アニメ、音楽などを通じて海外への情報発信を強化していくこと。
★幼保一元化へ向けて施設区分を撤廃すること。
★首都圏などの大都市活性化をするために「大都市圏戦略基本法」を制定すること。
★介護ロボットの実用化や再生医療支援、医療機器などのイノベーションを支援すること。
★「消えた年金」について11年度までに集中して取り組み、納めた保険料や受け取る年金額がすぐにわかる年金手帳を作る。
★年金制度を一元化して、1ヶ月7万円の最低保障年金の実現のために抜本改革を行うこと。
★後期高齢医療制度の廃止をして、13年度から新たな高齢者医療制度にしていくこと。
★診療報酬の引き上げを行うこと。
★地域の医師不足解消のため、医師を増やせるように医学部生を増やしていくこと。
★がん予防のため検診体制を強化して、肝炎治療への支援なども行う。
★ヘルパーの給与を挙げるなどして介護職の人材を確保することなどを掲げています。
★財源を確保して、現在支給されている子ども手当の1ヶ月13,000円に上積みをしていくこと。
★地域の実情によって保育園の定員増のため、子どもの医療費の負担を減らすため、給食の無償化をするためなどのサービスへ換えられるようにすること。
★出産育児一時金、不妊治療支援といった出産関係の支援策の拡充を行うこと。
★大学生や専門学生に対して希望者全てが受けることのできる奨学金制度を創ること。
★就学前の子どもに関して保育と教育の提供をしていくこと。
★少人数学級の推進をしていくことなどが掲げられています。
★日米同盟の深化、普天間基地移設問題での沖縄負担軽減へ力を尽くすこと。
★中国や韓国などアジアの国々との信頼関係構築のため「東アジア共同体」を実現すること。
★国連安全保障理事会において常任理事国入りを目指すこと、自衛隊などによる海外への対処活動を継続すること。
★北東アジア地域での非核化、北朝鮮の拉致問題解決へ全力を尽くすこと。
★参議院の定数を40ほど減らして衆議院では比例代表の定数を80ほど減らすようにしていこと。
★国会議員の歳費は日割り、国会委員長手当の見直しなどによって議員経費を削減していくこと。
★通年国会を目指すこと。
★各種公法人を廃止にして天下りをなくすこと。
★国家公務員の総人件費を削減すること。
★幹部職員の降格人事を可能として、民間登用を勧めていくことなど。
★高速道路を無料化にするとどうなるのか状況を確認しながら段階的に無料化を行っていくこと。
★農業以外にも所得補償制度を拡大していくこと、トレーサビリティーを義務付けしていくこと。
★「地産地消」を学校給食や老人ホームにて進めていくこと。
★口蹄疫の感染を阻止、全国のダム事業について検証を行う、ハブ空港の整備を行うことなど。
★再生可能エネルギーの買い取り制度の導入すること。
★スマートグリッドの開発と普及を支援すること。
★エコカーやエコ家電、エコ住宅の普及について支援していくこと。
★11年度に地球温暖化税の導入を検討していくいこと。
+++++++++++以上、参考:日経225サイト++++++++++++
●ただの口実?
消費税導入問題は、国民全体に与える影響、生活全般に与える影響という点では、大問題である。
それはわかる。
しかしそれだけがマニフェストではない。
ないことは、ここにあげた民主党マニフェスト(2010)を見てもわかる。
が、私の印象では、(あくまでも私個人の印象だが)、小沢一郎という政治家は、己の権勢欲実現のために、消費税を口実にしているとしか、見えない。
中身は、旧態依然の国盗り物語。
ちょうど北朝鮮が、ありもしない日本やアメリカの侵略を口実に、核武装しているのと同じ。
中身は独裁政権の維持のため。
もし公約違反を内部で取りあげるなら、ほかにもいろいろある。
たとえば……
★参議院の定数を40ほど減らして衆議院では比例代表の定数を80ほど減らすようにしていこと。
★国会議員の歳費は日割り、国会委員長手当の見直しなどによって議員経費を削減していくこと。
★通年国会を目指すこと。
★各種公法人を廃止にして天下りをなくすこと。
★国家公務員の総人件費を削減すること。
★幹部職員の降格人事を可能として、民間登用を勧めていくことなど。
これらのマネフェストは、いったい、どうなっているのか。
それに有権者の1人として一言。
民主党に前回の総選挙で1票を入れた人にしても、マニフェストすべてに目を通し、賛成したからではない。
「おおかた、こんなものでよいだろう」ということで、票を入れたはず。
(当時の世相によれば、「麻生総理大臣ではだめだ」という、反自民票が民主党候補に流れた。
小沢一郎は、「民主党が支持された」とはしゃいでいたが、民主党が支持されたわけではない。
行き場を失った浮動票層が、民主党に流れた。)
だいたい私にしても、今日はじめて、こうしてマニフェストなるものを、精読してみた。
ほかにも未達成の重要案件が、ごろごろしている。
正義の味方よろしく、「増税強行なら離党」と声を荒げなければならないほど、……というか、私はそれほどの信念を、小沢一郎の中に感じない。
最近の週刊誌によれば、小沢一郎には愛人がいた。
隠し子までいた。
「妻」という最重要の「友」ですら、平気で裏切るような男である。
そんな男なら、平気で、仲間を裏切る。
国民を裏切る。
ウソもつくだろう。
少なくとも、私は信用しない。
どこかのBLOGで、ある政治評論家が、こう書いていた。
「今の日本の政治で、いちばん重要なことは、小沢一郎が消えることである」と。
まったく、同感である。
離党するなら、子分たちを道連れにしないで、ひとりで堂々と離党すればよい。
何人小沢一郎についてくるか。
それはあくまでも結果。
報道によれば、何回もそれぞれの国会議員を呼びつけ、その意思を確認しているそうだ。
その見苦しさ。
おぞましさ。
2012/06/29朝記
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
Free Schools in USA
【BW教室】(幼児、年中児くらす)+(小2、3児の折れ線グラフの学習)
●年中児(3~4歳児)
●小1児+小2児
●小2児+小3児
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【上海の地下鉄の警告書】女性の服装と痴漢
●古いヤツとはお思いでしょうが……
昔、鶴田浩二は、こう歌った。
「♪古いヤツだと、お思いでしょうが、古いヤツほど、新しいモノを欲しがるものでございいます……」と。
正確には「古いヤツだと、お思いでしょうが、古いヤツこそ、新しいモノを欲しがるものでございます。どこに新しいものがございましょう。生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真暗闇じゃござんせんか」(「傷だらけの人生」より)。
で、Record Chinaに、こんな記事が載った。
いわく『こんな格好して地下鉄に乗ったら、痴漢に遭わない方がおかしいですよ。
女性の皆さん、気をつけて」。
スケスケのワンピースの女性の写真とともに、上海地下鉄の運営会社がこう呼びかけたところ、「何を着ようが私たちの勝手」と、女性2人が抗議のパフォーマンスを展開し、注目を集めている。
山東商報が伝えた。
事の発端は20日の晩。
上海地下鉄第二運営有限公司が公式ミニブログで、痴漢防止策の一環として、「地下鉄にはオオカミが多い。
女性の皆さん、格好にはお気を付け下さい」と呼びかけた。
添付の写真に写る女性はスケスケの黒いワンピース姿。
後ろ姿だけだが、黒いブラジャーとショーツがくっきり見えている」』と。
ところが、地下鉄側のこの親切の呼び掛けが「どんな服を着ようが、個人の自由」だと多くのネットユーザーの反感を買ってしまった。
ネット上には「法律や地下鉄の法規で『スケスケの服を着てはいけない』と決まっているのか」「その理論でいけば、プールに行く男性は全員痴漢を働くということになる」「痴漢を女性の薄着のせいにするな」と批判の書き込みが殺到。
(Record Chine 2012-06-28)
●ある航空会社のコマーシャル
つぎのコマーシャルを見てほしい。
ある航空会社のコマーシャル写真である。
中央の2人は、日本人と思われる。
それを囲む2人の男性は、現地人(ハワイ人)と思われる。
こういう写真を、堂々と載せるところが、恐ろしい。
とくに向かって左の女性の水着は、スレスレというか、古いヤツと思われるかもしれないが、裸そのもの。
この水着で無事にすむはずがない。
まさに「挑発スタイル」。
右下には、「女子2人旅」とある。
このコマーシャルを見て、あなたはどう思うか。
もしあなたが若い男性なら、「オレもハワイへ行こう」となるだろう。
「オンナが簡単に手に入る」と。
(女性の気持ちは、私にはわからないが……。)
両横の2人の男性は、明るく笑っている。
いやらしさは、どこにもない。
それもそのはず、欧米人は、子どものころからそういう訓練を徹底的に、受けている。
日本人のように、ニヤつくということをしない。
女性に警戒心を与えるような、ドジなことはしない。
●男の性欲
男というのは、視覚的に刺激され、性欲を覚える。
男と女とでは、性欲中枢の位置も、大きさもちがう。
女性には何でもない行為でも、男性には、大きな刺激を与える。
そうした基本的なちがいをさておき、「どんな服を着ようが、個人の自由」は、ない。
そこで上海地下鉄は、「地下鉄にはオオカミが多い。
女性の皆さん、格好にはお気を付け下さい」と呼びかけた。
添付の写真に写る女性は、スケスケの黒いワンピース姿。
後ろ姿だけだが、黒いブラジャーとショーツがくっきり見えている。
これをいらぬ節介ととるか、親切ととるか。
私はあまりにも無防備な女性の衣服を見るにつけ、ふとこう思うときがある。
「女性たちは、無意識であるにせよ、男たちを挑発している」と。
つまり、この警告書を「親切」ととる。
ミニスカートにしても、そうだ。
そんなにスカートの下をのぞかれたくなかったら、長いスカートをはけばよい。
けっして暴論を書いているのではない。
もう40年も前のことだが、(40年も前ですら)、オーストラリアの女性たちもミニスカートをはいていた。
が、下着のパンティを見せることなど、平気。
まったく平気。
隠そうともしなかった。
中には下着のパンティすら、はいていない女性もいた。
そういう女性が、平気で、あぐらをかいて座る。
スレスレのミニスカートをはきながら、「見るな」は、ない。
もちろんカメラで撮影するのは、別問題。
それはそれ。
なおこの記事に対して、
「法律や地下鉄の法規で『スケスケの服を着てはいけない』と決まっているのか」、
「その理論でいけば、プールに行く男性は全員痴漢を働くということになる」、
「痴漢を女性の薄着のせいにするな」という反論が届いているという。
ハッキリ書こう。
スケスケの服は着てはいけない。
薄着が痴漢行為を誘発しているのは、事実。
どう誘発しているかは、男ならみな、知っているはず。
またプールの男性について。
(思い)と(行為)の間には、距離がある。
性的に扇情されれば、まともな男なら、発情する。
が、行為に移すかどうかは、その男の理性の問題ということになる。
理性によるブレーキが働けば、実際に行為に移すということはしない。
そうでなければ、そうでない。
ほとんどの男は、周囲に目があるから、痴漢行為に進むということはない。
(プールのような衆目が集まるようなところで、痴漢行為を働くバカはいない!)
しかし目がなければ……。
(思い)と(行為)の間の距離は、ぐんと縮まる。
つまりこれは「理論」というほど大げさなものではなく、ただの「常識」。
●性欲中枢について
もう一度、性欲中枢について、復習をしておきたい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
食欲中枢と性欲中枢について書いた原稿が、
つぎのもの。
日付は、2009年7月27日になっている。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●満腹中枢と摂食中枢(男と女)(Man and Woman)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
脳幹に視床下部と呼ばれる部位がある。
その中に、「食欲中枢」と呼ばれる部分がある。
その食欲中枢は、満腹中枢と摂食中枢に分かれる。
満腹中枢というのは、「お腹(なか)がふくれた」ということを感じ取る部分。
摂食中枢というのは、「お腹がすいた」ということを感じ取る部分。
ここまでは私も知っていたが、最近、こんなことを知った。
女性の性欲本能、つまりSックス中枢は、このうちの満腹中枢に隣接しているという。
一方、男性の性欲本能、つまりSックス中枢は、摂食中枢に隣接しているという(「人体の不思議」日本文芸社)。
新しい考え方、ゲット!
(ネット禁止用語に抵触するため、「交尾行為」を、「Sックス」など
というように、表記します。)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●男性と女性のちがい
「人体の不思議」(上述)は、こう書いている。
『……一般に、女性は恋愛をすると食欲を感じなくなることがあるといわれますが、それは、このSックス中枢が活発に働くため、満腹中枢までもが満たされているからとも考えられます。
男性のSックス中枢は、女性とは異なり、空腹を感ずる摂食中枢に隣接しています。
生命の危険を感ずると、男はB起してしまうといわれることもありますが、これもSックス中枢の位置に関係していそうです。
つまり飢餓で死に直面すると、なんとしてでも種族を保存しなくては、という感情が起こるように脳がつくられているのです』と。
しかも、だ。
第一性欲中枢(異性を求める性欲中枢)について言えば、男性のそれは、女性のそれの約2倍もの大きさがあるという。
つまりその分だけ、男性のほうが、Sックスに関して、女性より攻撃的ということになる。
なるほど!
で、これで今まで私が感じていた謎のいくつかが、解けた。
男性と女性の、(性)がもつ、基本的な(ちがい)といってもよい。
その理由が、わかった。
●男と女
所詮、人間も動物。
同じというか、どこもちがわない。
動物時代からの本能(脳幹)を、しっかりと保持している。
が、こうした本能、つまり脳自体が構造的にもつ能力のままに行動したら、「人体の不思議」の中にもあるように、人間社会は、メチャメチャになってしまう。
そこでこうした本能をコントロールするのが、大脳連合野ということになる。
(私はこの仮説を、すでに10年以上も前から、考えていたぞ!)
人間のばあい、大脳連合野の発達がとくに進んでいる。
その大脳連合野が、中心部からわき起きてくる(性欲)を、コントロールする。
それが「知性」ということになる。
それにもし男性のみならず、女性までもが、性欲について攻撃的になったら、それこそたいへんなこと(?)になってしまう。
人間もいたるところで、交尾を始めるようになるかもしれない。
(反対に女性のように、男性までもが、受動的になってしまっても、困るが……。)
要するに、長い間の進化の過程を経て、人間も、「実にうまく」できているということになる。
●満腹中枢vs摂食中枢
満腹感を感ずる満腹中枢。
空腹感を感ずる摂食中枢。
何かのタンクの警報機にたとえるなら、満タン警報機と、カラ警報機ということになる。
それを脳の中心部にある視床下部という部位が、担当している。
私自身も、実は、こうした機能について、「本で読んで知った」というだけの立場でしかない。
が、それにしてもおもしろい。
が、疑問がないわけではない。
女性のSックス中枢は、満腹中枢の隣にある。
男性のSックス中枢は、摂食中枢の隣にある。
それはわかるが、これらの両社はそれぞれ、どのように関連しあっているのか?
単純に考えれば、女性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に満腹中枢も刺激され、満腹感が生まれるということになる。
他方、男性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に摂食中枢も刺激され、空腹感が生まれるということになる。
……あるいは、その反対なのか?
そこで自分自身のことを振り返ってみる。
(私も「男」だぞ!)
腹が減ったときと、満腹のときと、どちらのときのほうが、性欲をより強く感ずるか?
……というより、経験的に、Sックスしたあとなど、よく空腹感を覚えることがある。
(あるいまはげしい睡魔に襲われることも多い。)
「終わったから、食事に行こうか」というような会話を、ワイフとした記憶がある。
……あるいは、その逆かもしれない。
ともかくもどのように影響しあっているのか、それがよくわからない。
あるいは、影響しあうといっても、そのレベルの話ではないのかもしれない。
たとえばここでいう「空腹感」というのは、「危機状態」をさすのかもしれない。
それも極限的な危機状態。
その本にも書いてあったが、生命の危機を覚えたりすると、B起することもあるそうだ。
「最後に種族を残そう」という本能が働くためらしい。
どうであるにせよ、たいへん興味深い。
「私は私」と思って、みな、考え、行動している。
が、実際のところ、脳に操られているだけ。
それだけは確かなようだ。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 満腹中枢 摂食中枢 視床下部 はやし浩司 食欲中枢 食欲と性欲 視床下部 脳下垂体 空腹のメカニズム はやし浩司 空腹 食欲中枢と性欲 満腹中枢と性欲 男と女のちがい)
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【ある相談より】
【 お子さんの年齢(現在の満年齢) 】:6歳(小1)
【 お子さんの性別(男・女) 】:女
【 家族構成・具体的に…… 】:
父(4年間単身赴任中)、母、娘(6歳)、息子(2歳)
【KMさんより、はやし浩司へ】
小学校1年生の娘が、5月下旬から突然一人で学校へ行けなくなりました。
きっかけは「忘れ物」。
一度登校したものの忘れ物を取りに帰宅。そのまま「ママがいい」と号泣し一人で学校へいけなくなりました。
それ以来、毎朝下駄箱まで送り、担任の先生に引き渡しています(先生に引き渡さないと上履きのまま帰宅してしまいます)。
学校では普通に過ごしているようですが、最近では帰宅した時の顔つきや態度は力なく、朝も腹痛を訴えたり、朝ご飯がのどを通らないようになってきました。
登校しぶりは幼稚園時代からもあり、大きな行事の前には精神的頻尿になりましたし、息子が生れた4か月後にも極度の頻尿になりました。
幼少期から(産まれた当初からといっても過言ではないくらい)ママから離れられない子で、また喘息もあったせいで、健康管理のため、私の管理下においていました。
どこに相談しても父親の力を借りて・・といわれますが、我が家は夫婦不仲で私は単身赴任で主人が不在なことに救われています。
が、娘は私たちの喧嘩の末、私が泣いている姿も何度もみていますし、「ママはパパとは合わない」と日ごろから言ってしまっていました。
私の責任であることはわかっています。
それでも主人と協力して、は無理です。
でもなんとか娘を立ち直らせてあげたい、楽しい学校生活を送らせてやりたい。
なにかアドバイスをいただけないでしょうか。
(H県在住、KMより)
【はやし浩司よりKMさんへ】
たいへんよくある問題です。
同じような相談を、もう何百回と受けました。
原因は、基本的信頼関係の構築の失敗です。
子どもというのは、絶対的な安心感の中で、基本的信頼関係を築きます。
とくに母子関係が重要です。
「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味です。
「私はどんなことをしても、受け入れられる」という安心感です。
その安心感がもてなくなると、子どもの心は、一気に不安定になります。
KMさんのお子さんは、残念ながら、どこかでその不安感をもってしまいました。
家庭騒動が原因というよりは、KMさん自身の不安定な育児姿勢が、そうしました。
(あなたが夫にもっているだろう不安感を、子どもがそのまま受け継いでしまったというわけです。)
さらに下の子が生まれ、心、つまり情緒は、さらに不安定になりました。
今の状況は、その結果ということになります。
では、どうするか。
もう一度、全幅の愛情を、上の子どもに注ぐしかありません。
100%です。
子どもの側からみて、「私は完全に守られている」という安心感をもてるようにします。
子どもが何か、アクションを示してきたら、(すかさず)、ぐいと抱くなど。
(すかさず)、です。
「あとでね」とか、「ママは、今、忙しいのよ」は、禁句です。
添い寝、手つなぎ、抱っこは、いとわずします。
年齢的に、半年単位の根気と努力が必要です。
不登校問題は、あくまでも、副次的なものです。
基本的な信頼関係が構築できれば、自然と、子どもは学校へ行くようになります。
なおこういうケースのばあい、親は、子どもに向かって、子どもを直そうとしますが、直すべきは、親の育児姿勢ということになります。
そのためにも、自分自身を、客観的に見る。
客観的に判断する。
すべては、そこから始まります。
子どもはあくまでも、「家族の代表」にすぎません。
わかりやすく言えば、家族の心を映す、カガミというわけです。
ともかくも、今は、100%の愛情を戻す……ということを心がけてみてください。
子どもは、学校へ行くのが不安なのではない。
あなたの愛情に不安感を抱いている。
で、今は無理をしないこと。
「ズル休み」をしながら、子どもとの人生を、おおいに楽しんでください。
「ズル休み」について書いた原稿を添付します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
以前書いた原稿を1作、紹介する(中日新聞掲載済み)。
+++++++++++++++++
【学校神話を打ち破る法】
常識が偏見になるとき
●たまにはずる休みを……!
「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、たいていの人は目を白黒させて驚く。
「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。しかしそれこそ世界の非常識。
あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。
アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が18歳のときにもった偏見のかたまりである」と。
子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。たとえば……。
●日本の常識は世界の非常識
★かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。
希望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。
日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。
アメリカだけでも97年度には、ホームスクールの子どもが、100万人を超えた。
毎年15%前後の割合でふえ、2001年度末には200万人に達するだろうと言われている。
それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。
「真に自由な教育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。
地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。
またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。
★おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通う。
早い子どもは午後1時に、遅い子どもでも3時ごろには、学校を出る。
ドイツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることができる。
そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。
学習クラブは学校の中にあって、たいていは無料。
学外のクラブも、月謝が1200円前後(2001年調べ)。
こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども1人当たり、230マルク(日本円で約1万4000円)の「子どもマネー」が支払われている。
この補助金は、子どもが就職するまで、最長27歳まで支払われる(01年)。
こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性に合わせてクラブに通う。
日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対する世間の評価はまだ低い。
ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をもたない」という制度が徹底している。
そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら親には教えない。
私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。
「そういうときは、まず親が学校に電話をします。
そしてしばらく待っていると、先生のほうから電話がかかってきます」と。
★進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中高一貫校の入学案内書を送ってくれた。
全部で70校近くあった。が、私はそれを見て驚いた。
どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。
別紙として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。
この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。
そこで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。
「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。
そこはチャールズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校がカリキュラムを組んでくれる。
たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。
木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。
そういう学校をよい学校という」と。
なおそのグラマースクールには入学試験はない。
子どもが生まれると、親は出生届を出すと同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。
つまり早いもの勝ち。
●そこはまさに『マトリックス』の世界
日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。
日本人が常識と思っているようなことでも、世界ではそうでないということもある。
それがわかってほしかった。
そこで一度、あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。
学校とは何か。
教育はどうあるべきか。
さらには子育てとは何か、と。
その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。
学校神話とはよく言ったもので、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校神話を信仰している。
「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。
それはまさに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。
仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だと気づかない。
気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。
●解放感は最高!
ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。
実は私も何度となくそうした。
平日に行くと、動物園もガラガラ。
あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。
「私が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。
冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよい。
あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。
※……1週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。
だから月曜日には、午後3時まで学校で勉強し、火曜日は午後1時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決めることができる。
●「自由に学ぶ」
「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。
「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えてよい。
そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。
それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政治を行うための手段として用いられてきている」と。
そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。
いわく、「民主主義国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているではないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れてはならない」と。
さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見には、次のように反論している。
「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率はむしろ増加している。
学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくない。
学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所システムの改革によるところが大きい。
青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。
日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえている。
なお2000年度に、小中学校での不登校児は、13万4000人を超えた。
中学生では、38人に1人が、不登校児ということになる。
この数字は前年度より、4000人多い。
++++++++++++++++++
世界は、ここまで進んでいる。にもかかわらず、(4)教育委員会改革だの、(5)大学9月入学だのと、そんなことを論じていること自体、バカげている。
ノーベル賞を受賞した偉い(?)先生かも知れないが、世の中には、「専門バカ」という人もいる。
「塾を禁止して、(勉強が)できない子どものための塾だけにせよ」(野依座長)という提言にいたっては、「?」マークを、10個ほど、並べたい。
むしろ世界は、教育の自由化(=民営化)をこぞって選択している。
カナダでは、そこらの塾が塾をたちあげるほど簡単に、学校の設立そのものを自由化している。
その学校で使う言語も、自由である。
たとえば、ヒンズー語で教える学校を作りたいと思えば、それもできる。
(これに反して、アメリカでは、学校では英語で教育すべしというのが、原則になっている。またそういう学校しか認可されていない。)
ドイツ、イタリアにいたっては、ここにも書いたように、「クラブ」が、教育の自由化を側面から支えている。野依座長も、もう少し、研究室から出て、世界を見てきたらどうか。
少なくとも、もう少し教育の現場をのぞいてみてから、意見を述べるべきである。
教育再生会議のメンバーたちは、「提言がことごとく無視された」と怒りをぶちまけているが、それもしかたのないことではないかと、私は思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 教育再生会議 再生会議提案 中間報告 中間報告原案 はやし浩司 ズル休み ズル休みもゆとり)2012/06/29再掲載
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●年中児(3~4歳児)
●小1児+小2児
●小2児+小3児
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【上海の地下鉄の警告書】女性の服装と痴漢
●古いヤツとはお思いでしょうが……
昔、鶴田浩二は、こう歌った。
「♪古いヤツだと、お思いでしょうが、古いヤツほど、新しいモノを欲しがるものでございいます……」と。
正確には「古いヤツだと、お思いでしょうが、古いヤツこそ、新しいモノを欲しがるものでございます。どこに新しいものがございましょう。生まれた土地は荒れ放題、今の世の中、右も左も真暗闇じゃござんせんか」(「傷だらけの人生」より)。
で、Record Chinaに、こんな記事が載った。
いわく『こんな格好して地下鉄に乗ったら、痴漢に遭わない方がおかしいですよ。
女性の皆さん、気をつけて」。
スケスケのワンピースの女性の写真とともに、上海地下鉄の運営会社がこう呼びかけたところ、「何を着ようが私たちの勝手」と、女性2人が抗議のパフォーマンスを展開し、注目を集めている。
山東商報が伝えた。
事の発端は20日の晩。
上海地下鉄第二運営有限公司が公式ミニブログで、痴漢防止策の一環として、「地下鉄にはオオカミが多い。
女性の皆さん、格好にはお気を付け下さい」と呼びかけた。
添付の写真に写る女性はスケスケの黒いワンピース姿。
後ろ姿だけだが、黒いブラジャーとショーツがくっきり見えている」』と。
ところが、地下鉄側のこの親切の呼び掛けが「どんな服を着ようが、個人の自由」だと多くのネットユーザーの反感を買ってしまった。
ネット上には「法律や地下鉄の法規で『スケスケの服を着てはいけない』と決まっているのか」「その理論でいけば、プールに行く男性は全員痴漢を働くということになる」「痴漢を女性の薄着のせいにするな」と批判の書き込みが殺到。
(Record Chine 2012-06-28)
●ある航空会社のコマーシャル
つぎのコマーシャルを見てほしい。
ある航空会社のコマーシャル写真である。
中央の2人は、日本人と思われる。
それを囲む2人の男性は、現地人(ハワイ人)と思われる。
こういう写真を、堂々と載せるところが、恐ろしい。
とくに向かって左の女性の水着は、スレスレというか、古いヤツと思われるかもしれないが、裸そのもの。
この水着で無事にすむはずがない。
まさに「挑発スタイル」。
右下には、「女子2人旅」とある。
このコマーシャルを見て、あなたはどう思うか。
もしあなたが若い男性なら、「オレもハワイへ行こう」となるだろう。
「オンナが簡単に手に入る」と。
(女性の気持ちは、私にはわからないが……。)
両横の2人の男性は、明るく笑っている。
いやらしさは、どこにもない。
それもそのはず、欧米人は、子どものころからそういう訓練を徹底的に、受けている。
日本人のように、ニヤつくということをしない。
女性に警戒心を与えるような、ドジなことはしない。
●男の性欲
男というのは、視覚的に刺激され、性欲を覚える。
男と女とでは、性欲中枢の位置も、大きさもちがう。
女性には何でもない行為でも、男性には、大きな刺激を与える。
そうした基本的なちがいをさておき、「どんな服を着ようが、個人の自由」は、ない。
そこで上海地下鉄は、「地下鉄にはオオカミが多い。
女性の皆さん、格好にはお気を付け下さい」と呼びかけた。
添付の写真に写る女性は、スケスケの黒いワンピース姿。
後ろ姿だけだが、黒いブラジャーとショーツがくっきり見えている。
これをいらぬ節介ととるか、親切ととるか。
私はあまりにも無防備な女性の衣服を見るにつけ、ふとこう思うときがある。
「女性たちは、無意識であるにせよ、男たちを挑発している」と。
つまり、この警告書を「親切」ととる。
ミニスカートにしても、そうだ。
そんなにスカートの下をのぞかれたくなかったら、長いスカートをはけばよい。
けっして暴論を書いているのではない。
もう40年も前のことだが、(40年も前ですら)、オーストラリアの女性たちもミニスカートをはいていた。
が、下着のパンティを見せることなど、平気。
まったく平気。
隠そうともしなかった。
中には下着のパンティすら、はいていない女性もいた。
そういう女性が、平気で、あぐらをかいて座る。
スレスレのミニスカートをはきながら、「見るな」は、ない。
もちろんカメラで撮影するのは、別問題。
それはそれ。
なおこの記事に対して、
「法律や地下鉄の法規で『スケスケの服を着てはいけない』と決まっているのか」、
「その理論でいけば、プールに行く男性は全員痴漢を働くということになる」、
「痴漢を女性の薄着のせいにするな」という反論が届いているという。
ハッキリ書こう。
スケスケの服は着てはいけない。
薄着が痴漢行為を誘発しているのは、事実。
どう誘発しているかは、男ならみな、知っているはず。
またプールの男性について。
(思い)と(行為)の間には、距離がある。
性的に扇情されれば、まともな男なら、発情する。
が、行為に移すかどうかは、その男の理性の問題ということになる。
理性によるブレーキが働けば、実際に行為に移すということはしない。
そうでなければ、そうでない。
ほとんどの男は、周囲に目があるから、痴漢行為に進むということはない。
(プールのような衆目が集まるようなところで、痴漢行為を働くバカはいない!)
しかし目がなければ……。
(思い)と(行為)の間の距離は、ぐんと縮まる。
つまりこれは「理論」というほど大げさなものではなく、ただの「常識」。
●性欲中枢について
もう一度、性欲中枢について、復習をしておきたい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
食欲中枢と性欲中枢について書いた原稿が、
つぎのもの。
日付は、2009年7月27日になっている。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●満腹中枢と摂食中枢(男と女)(Man and Woman)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
脳幹に視床下部と呼ばれる部位がある。
その中に、「食欲中枢」と呼ばれる部分がある。
その食欲中枢は、満腹中枢と摂食中枢に分かれる。
満腹中枢というのは、「お腹(なか)がふくれた」ということを感じ取る部分。
摂食中枢というのは、「お腹がすいた」ということを感じ取る部分。
ここまでは私も知っていたが、最近、こんなことを知った。
女性の性欲本能、つまりSックス中枢は、このうちの満腹中枢に隣接しているという。
一方、男性の性欲本能、つまりSックス中枢は、摂食中枢に隣接しているという(「人体の不思議」日本文芸社)。
新しい考え方、ゲット!
(ネット禁止用語に抵触するため、「交尾行為」を、「Sックス」など
というように、表記します。)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●男性と女性のちがい
「人体の不思議」(上述)は、こう書いている。
『……一般に、女性は恋愛をすると食欲を感じなくなることがあるといわれますが、それは、このSックス中枢が活発に働くため、満腹中枢までもが満たされているからとも考えられます。
男性のSックス中枢は、女性とは異なり、空腹を感ずる摂食中枢に隣接しています。
生命の危険を感ずると、男はB起してしまうといわれることもありますが、これもSックス中枢の位置に関係していそうです。
つまり飢餓で死に直面すると、なんとしてでも種族を保存しなくては、という感情が起こるように脳がつくられているのです』と。
しかも、だ。
第一性欲中枢(異性を求める性欲中枢)について言えば、男性のそれは、女性のそれの約2倍もの大きさがあるという。
つまりその分だけ、男性のほうが、Sックスに関して、女性より攻撃的ということになる。
なるほど!
で、これで今まで私が感じていた謎のいくつかが、解けた。
男性と女性の、(性)がもつ、基本的な(ちがい)といってもよい。
その理由が、わかった。
●男と女
所詮、人間も動物。
同じというか、どこもちがわない。
動物時代からの本能(脳幹)を、しっかりと保持している。
が、こうした本能、つまり脳自体が構造的にもつ能力のままに行動したら、「人体の不思議」の中にもあるように、人間社会は、メチャメチャになってしまう。
そこでこうした本能をコントロールするのが、大脳連合野ということになる。
(私はこの仮説を、すでに10年以上も前から、考えていたぞ!)
人間のばあい、大脳連合野の発達がとくに進んでいる。
その大脳連合野が、中心部からわき起きてくる(性欲)を、コントロールする。
それが「知性」ということになる。
それにもし男性のみならず、女性までもが、性欲について攻撃的になったら、それこそたいへんなこと(?)になってしまう。
人間もいたるところで、交尾を始めるようになるかもしれない。
(反対に女性のように、男性までもが、受動的になってしまっても、困るが……。)
要するに、長い間の進化の過程を経て、人間も、「実にうまく」できているということになる。
●満腹中枢vs摂食中枢
満腹感を感ずる満腹中枢。
空腹感を感ずる摂食中枢。
何かのタンクの警報機にたとえるなら、満タン警報機と、カラ警報機ということになる。
それを脳の中心部にある視床下部という部位が、担当している。
私自身も、実は、こうした機能について、「本で読んで知った」というだけの立場でしかない。
が、それにしてもおもしろい。
が、疑問がないわけではない。
女性のSックス中枢は、満腹中枢の隣にある。
男性のSックス中枢は、摂食中枢の隣にある。
それはわかるが、これらの両社はそれぞれ、どのように関連しあっているのか?
単純に考えれば、女性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に満腹中枢も刺激され、満腹感が生まれるということになる。
他方、男性のばあいは、Sックス中枢が刺激されると、同時に摂食中枢も刺激され、空腹感が生まれるということになる。
……あるいは、その反対なのか?
そこで自分自身のことを振り返ってみる。
(私も「男」だぞ!)
腹が減ったときと、満腹のときと、どちらのときのほうが、性欲をより強く感ずるか?
……というより、経験的に、Sックスしたあとなど、よく空腹感を覚えることがある。
(あるいまはげしい睡魔に襲われることも多い。)
「終わったから、食事に行こうか」というような会話を、ワイフとした記憶がある。
……あるいは、その逆かもしれない。
ともかくもどのように影響しあっているのか、それがよくわからない。
あるいは、影響しあうといっても、そのレベルの話ではないのかもしれない。
たとえばここでいう「空腹感」というのは、「危機状態」をさすのかもしれない。
それも極限的な危機状態。
その本にも書いてあったが、生命の危機を覚えたりすると、B起することもあるそうだ。
「最後に種族を残そう」という本能が働くためらしい。
どうであるにせよ、たいへん興味深い。
「私は私」と思って、みな、考え、行動している。
が、実際のところ、脳に操られているだけ。
それだけは確かなようだ。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 満腹中枢 摂食中枢 視床下部 はやし浩司 食欲中枢 食欲と性欲 視床下部 脳下垂体 空腹のメカニズム はやし浩司 空腹 食欲中枢と性欲 満腹中枢と性欲 男と女のちがい)
Hiroshi Hayashi+++++++March. 2012++++++はやし浩司・林浩司
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【ある相談より】
【 お子さんの年齢(現在の満年齢) 】:6歳(小1)
【 お子さんの性別(男・女) 】:女
【 家族構成・具体的に…… 】:
父(4年間単身赴任中)、母、娘(6歳)、息子(2歳)
【KMさんより、はやし浩司へ】
小学校1年生の娘が、5月下旬から突然一人で学校へ行けなくなりました。
きっかけは「忘れ物」。
一度登校したものの忘れ物を取りに帰宅。そのまま「ママがいい」と号泣し一人で学校へいけなくなりました。
それ以来、毎朝下駄箱まで送り、担任の先生に引き渡しています(先生に引き渡さないと上履きのまま帰宅してしまいます)。
学校では普通に過ごしているようですが、最近では帰宅した時の顔つきや態度は力なく、朝も腹痛を訴えたり、朝ご飯がのどを通らないようになってきました。
登校しぶりは幼稚園時代からもあり、大きな行事の前には精神的頻尿になりましたし、息子が生れた4か月後にも極度の頻尿になりました。
幼少期から(産まれた当初からといっても過言ではないくらい)ママから離れられない子で、また喘息もあったせいで、健康管理のため、私の管理下においていました。
どこに相談しても父親の力を借りて・・といわれますが、我が家は夫婦不仲で私は単身赴任で主人が不在なことに救われています。
が、娘は私たちの喧嘩の末、私が泣いている姿も何度もみていますし、「ママはパパとは合わない」と日ごろから言ってしまっていました。
私の責任であることはわかっています。
それでも主人と協力して、は無理です。
でもなんとか娘を立ち直らせてあげたい、楽しい学校生活を送らせてやりたい。
なにかアドバイスをいただけないでしょうか。
(H県在住、KMより)
【はやし浩司よりKMさんへ】
たいへんよくある問題です。
同じような相談を、もう何百回と受けました。
原因は、基本的信頼関係の構築の失敗です。
子どもというのは、絶対的な安心感の中で、基本的信頼関係を築きます。
とくに母子関係が重要です。
「絶対的」というのは、「疑いを抱かない」という意味です。
「私はどんなことをしても、受け入れられる」という安心感です。
その安心感がもてなくなると、子どもの心は、一気に不安定になります。
KMさんのお子さんは、残念ながら、どこかでその不安感をもってしまいました。
家庭騒動が原因というよりは、KMさん自身の不安定な育児姿勢が、そうしました。
(あなたが夫にもっているだろう不安感を、子どもがそのまま受け継いでしまったというわけです。)
さらに下の子が生まれ、心、つまり情緒は、さらに不安定になりました。
今の状況は、その結果ということになります。
では、どうするか。
もう一度、全幅の愛情を、上の子どもに注ぐしかありません。
100%です。
子どもの側からみて、「私は完全に守られている」という安心感をもてるようにします。
子どもが何か、アクションを示してきたら、(すかさず)、ぐいと抱くなど。
(すかさず)、です。
「あとでね」とか、「ママは、今、忙しいのよ」は、禁句です。
添い寝、手つなぎ、抱っこは、いとわずします。
年齢的に、半年単位の根気と努力が必要です。
不登校問題は、あくまでも、副次的なものです。
基本的な信頼関係が構築できれば、自然と、子どもは学校へ行くようになります。
なおこういうケースのばあい、親は、子どもに向かって、子どもを直そうとしますが、直すべきは、親の育児姿勢ということになります。
そのためにも、自分自身を、客観的に見る。
客観的に判断する。
すべては、そこから始まります。
子どもはあくまでも、「家族の代表」にすぎません。
わかりやすく言えば、家族の心を映す、カガミというわけです。
ともかくも、今は、100%の愛情を戻す……ということを心がけてみてください。
子どもは、学校へ行くのが不安なのではない。
あなたの愛情に不安感を抱いている。
で、今は無理をしないこと。
「ズル休み」をしながら、子どもとの人生を、おおいに楽しんでください。
「ズル休み」について書いた原稿を添付します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
以前書いた原稿を1作、紹介する(中日新聞掲載済み)。
+++++++++++++++++
【学校神話を打ち破る法】
常識が偏見になるとき
●たまにはずる休みを……!
「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、たいていの人は目を白黒させて驚く。
「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。しかしそれこそ世界の非常識。
あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。
アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が18歳のときにもった偏見のかたまりである」と。
子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。たとえば……。
●日本の常識は世界の非常識
★かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教材一式を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。
希望すれば、州政府が家庭教師を派遣してくれる。
日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。
アメリカだけでも97年度には、ホームスクールの子どもが、100万人を超えた。
毎年15%前後の割合でふえ、2001年度末には200万人に達するだろうと言われている。
それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。
「真に自由な教育は家庭でこそできる」という理念がそこにある。
地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。
またこの運動は世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(LIFレポートより)。
★おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通う。
早い子どもは午後1時に、遅い子どもでも3時ごろには、学校を出る。
ドイツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることができる。
そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。
学習クラブは学校の中にあって、たいていは無料。
学外のクラブも、月謝が1200円前後(2001年調べ)。
こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども1人当たり、230マルク(日本円で約1万4000円)の「子どもマネー」が支払われている。
この補助金は、子どもが就職するまで、最長27歳まで支払われる(01年)。
こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性に合わせてクラブに通う。
日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対する世間の評価はまだ低い。
ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任をもたない」という制度が徹底している。
そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら親には教えない。
私が「では、親が先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。
「そういうときは、まず親が学校に電話をします。
そしてしばらく待っていると、先生のほうから電話がかかってきます」と。
★進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中高一貫校の入学案内書を送ってくれた。
全部で70校近くあった。が、私はそれを見て驚いた。
どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。
別紙として、はさんであるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。
この話をオーストラリアの友人に話すと、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。
そこで私が、では、オーストラリアではどういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。
「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。
そこはチャールズ皇太子も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校がカリキュラムを組んでくれる。
たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。
木工が好きな子どもは、毎日木工ができるように、と。
そういう学校をよい学校という」と。
なおそのグラマースクールには入学試験はない。
子どもが生まれると、親は出生届を出すと同時にその足で学校へ行き、入学願書を出すしくみになっている。
つまり早いもの勝ち。
●そこはまさに『マトリックス』の世界
日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。
日本人が常識と思っているようなことでも、世界ではそうでないということもある。
それがわかってほしかった。
そこで一度、あなた自身の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。
学校とは何か。
教育はどうあるべきか。
さらには子育てとは何か、と。
その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。
学校神話とはよく言ったもので、「私はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校神話を信仰している。
「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。
それはまさに映画『マトリックス』の世界と言ってもよい。
仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だと気づかない。
気づかないまま、仮想の価値に振り回されている……。
●解放感は最高!
ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。
実は私も何度となくそうした。
平日に行くと、動物園もガラガラ。
あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。
「私が子どもを教育しているのだ」という充実感すら覚える。
冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよい。
あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。
※……1週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。
だから月曜日には、午後3時まで学校で勉強し、火曜日は午後1時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決めることができる。
●「自由に学ぶ」
「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。
「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えてよい。
そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。
それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政治を行うための手段として用いられてきている」と。
そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。
いわく、「民主主義国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始まっているではないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるということを忘れてはならない」と。
さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見には、次のように反論している。
「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率はむしろ増加している。
学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくない。
学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所システムの改革によるところが大きい。
青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべきではないのか」と(以上、要約)。
日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえている。
なお2000年度に、小中学校での不登校児は、13万4000人を超えた。
中学生では、38人に1人が、不登校児ということになる。
この数字は前年度より、4000人多い。
++++++++++++++++++
世界は、ここまで進んでいる。にもかかわらず、(4)教育委員会改革だの、(5)大学9月入学だのと、そんなことを論じていること自体、バカげている。
ノーベル賞を受賞した偉い(?)先生かも知れないが、世の中には、「専門バカ」という人もいる。
「塾を禁止して、(勉強が)できない子どものための塾だけにせよ」(野依座長)という提言にいたっては、「?」マークを、10個ほど、並べたい。
むしろ世界は、教育の自由化(=民営化)をこぞって選択している。
カナダでは、そこらの塾が塾をたちあげるほど簡単に、学校の設立そのものを自由化している。
その学校で使う言語も、自由である。
たとえば、ヒンズー語で教える学校を作りたいと思えば、それもできる。
(これに反して、アメリカでは、学校では英語で教育すべしというのが、原則になっている。またそういう学校しか認可されていない。)
ドイツ、イタリアにいたっては、ここにも書いたように、「クラブ」が、教育の自由化を側面から支えている。野依座長も、もう少し、研究室から出て、世界を見てきたらどうか。
少なくとも、もう少し教育の現場をのぞいてみてから、意見を述べるべきである。
教育再生会議のメンバーたちは、「提言がことごとく無視された」と怒りをぶちまけているが、それもしかたのないことではないかと、私は思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 教育再生会議 再生会議提案 中間報告 中間報告原案 はやし浩司 ズル休み ズル休みもゆとり)2012/06/29再掲載
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
2012年6月28日木曜日
The Japan Committee for UNICEFF
●6月28日(怒りがないと、文章は書けない)
どこか蒸し暑いが、それでも初夏の冷気を肌のどこかで感ずる日がつづいている。
ものを書くには最高の季節……と書きたいが、こういうときほど、人間は怠け者になる。
今日も義兄に会い、義兄にこう言った。
「ものを書くには、怒りが必要です」と。
このことは先にも書いた。
事実、そのとおりで、(怒り)が、ものを書く原動力になる。
平凡は美徳だが、平凡な生活からは、何も生まれない。
ただし(怒り)といっても、個人の、つまらない人を相手にしても意味はない。
社会や政治、不公平や不平等……。
(怒り)にも、普遍性が必要。
明日になれば、ひっくり返るかもしれないような、そんな不安定なものを相手にしてもしかたない。
その(怒り)。
たとえば今、私は「日本ユニセフ協会」に、大きな疑問(怒り)を覚えている。
昨日も、協会から、寄付金募集の書類一式が届けられた。
今日、義兄の家にも届いたという。
どこでどう、私たちの住所と名前を調べたのか。
(私は自分の住所名前は、電話帳にも出していない!)
宗教団体であるにせよ、慈善事業団体であるにせよ、人の心を対象に募金活動を行う団体は、慎重の上に慎重に行動してほしい。
けっして人の心をもてあそんではいけない。
(難民救済)という高邁な精神と、(寄付金をダイレクトメールで募(つの)る)という低次元な行為は、矛盾する。
有名人を広告塔に仕立て、募金活動をするというのも、これまた低次元。
そういった救済活動を、下から積み重ねてきた人が、寄付金を募るというのなら、まだ話もわかる。
が、実際には、日本ユニセフと国連のユニセフは、「密接に連絡を取りあっている」程度の、関係(ウィキペディア百科事典)という。
もちろんまったくの別組織。
詳しくは、ウィキペディア百科事典で調べてみたらよい。
つまりわかりやすく言えば、日本ユニセフは、ただの集金団体。
募金の20~30%は、そのまま日本ユニセフの活動資金として使われている。
が、こんなおいしい話はない。
見方によっては、国連の1機関の名を語り、現金を集め、その一部(上限30%)を自分たちで使用している。
その(おいしい)という部分に、私はかねてより、胡散(うさん)臭さを覚えている。
百歩譲っても、今の日本は、それどころではない。
3・11大震災、それにつづく原発事故……。
問題はまだ何一つ、解決していない。
放射線被害が顕在化するのは、これから。
また「難民」といっても、現在の北朝鮮を見ればわかるように、そこには政治問題が複雑にからんでいる。
金正恩政権になってからでも、すでに2万人ほどの餓死者が出ているという(報道)。
が、日本は、食糧援助を停止している。
「難民がいる。さあ、援助!」というのは、ものの考え方が、少し短絡的すぎるのではないか。
が、私たちがもっとも心配するのは、「偽善」。
この世の中には、弱者や貧者を理由(口実)に、そういった人を利用しながら、自分の名誉や地位、さらには財力や権力に結びつけていく人がいる。
そういう偽善者の、「餌(えさ)」にだけは、なってはいけない。
日本ユニセフ協会がそうであるというのではない。
ないが、どうも内容がよくわからない。
日本ユニセフ協会の行動については、これからも注視していきたい。
(届いた封書)
(封書の裏面)
(同封されたシール。どうしてこんな無駄遣いをするのか?)
(活動資金の流れ)ここには、日本ユニセフ協会が、20~30%、自分用に使用している旨は、いっさい、説明されていない。
(同じく、お金の流れ)
(日本もかつて助けられた。その恩返しをしようという趣旨の説明文。)
(かつて名簿の入手に関して、問題になったことがある。それでこうした断りを入れるようになったのか? 「各種の地図」とは、何か?)
(会長は赤松良子氏になっている。理事には著名人がずらりと並んでいる。)
(ここに示されている金額に注目してほしい。)
【以下、ウィキペディア百科事典より】
★公益財団法人日本ユニセフ協会(にほんユニセフきょうかい)は、東京都港区高輪に本部を置く日本の公益財団法人である。
英語名はthe Japan Committee for UNICEFF。
別名としてユニセフ日本委員会(ゆにせふにほんいいんかい)を用いる。
36の国と地域にある「ユニセフ国内委員会(Committee for UNICEF)」のうちの1つであり、国際連合児童基金(ユニセフ)の日本事務所ではない。
★日本ユニセフ協会が集めた寄付金等の収入は、ユニセフ本部に、その全額が送金されるのではない。
募金活動の際にその旨明記されていないことが多い点や、その用途が適切かについて議論がある。
★2007年度は、日本ユニセフ協会は176億5671万円を集め、その81%をユニセフ本部に拠出した。
【内訳】
●ユニセフ本部拠出金 15,200,000,000円(82%)
●本部業務分担金 842,114,854円(4.6%)ユニセフ本部と国内委員会が共同で行うキャンペーン分担金
●管理費(事務運営費・人件費)13,758,860円(0.1%)うち、配賦されている総額の経常費用にしめる割合約2.6%
●東日本特別会計へ 100,000,000円(0.5%)
●他事業費 2,376,674,230円(12.8%)
【他事業内訳】
●募金活動事業費 1,430,298,551円(資料、領収書の作成、郵送、決済システム維持管理、活動報告作成)
●啓発宣伝事業費 492,850,426円(世界子供白書、ユニセフ年次報告等刊行物の作成配布、ホームページ作成更新、現地報告会やセミナー、シンポジウム開催、広報・アドボカシーキャンペーン等の費用)
●グリーティングカード募金事業費365,175,207円(グリーティングカード、ユニセフグッズの頒布)
●啓発宣伝支部強化費 78,328,422円(全国26の地域組織による広報、啓発活動関係費)
●国際協力研修事業費 10,021,624円(国際協力に携わる人材育成にかかる費用)
となっている。
★名簿の流用
日本ユニセフ協会では、近年、ダイレクトメールの活用で、募金額が急増しているが、日本ユニセフ協会は、他国のユニセフ国内委員会が同手法を用いている先例があるとして、これを1993年から本格実施しているとしている。
このダイレクトメールは厳密には「日本ユニセフ協会」だけのダイレクトメールではない。
ニューヨーク国連本部から、国際連合児童基金が差出人となって発送するもので、ユニセフ事務局長と日本ユニセフ協会会長がそれぞれ日本ユニセフ協会宛の募金・献金を求めるという形式になっている。
かつて、『東京新聞』は「『地球の歩き方』読者の名簿を出版社から入手し、これを同協会が使用した」ことを報じた。
このときのダイレクトメールは同じく国連本部から送付され、ユニセフ事務局長、日本ユニセフ協会会長とともに、『地球の歩き方』の出版元の社長が共同でユニセフ募金を求めるという形をとった。
2006年末には複数の名簿業者から個人情報を買取り、苗字だけのダイレクトメールを送り、受取人からの問合せが、消費生活センターに相次いだ。
なお、日本ユニセフ協会は「宛て名については、電話帳やダイレクトメールを取り扱う会社の各種名簿を基に」送付していると説明している。
この「個人情報を本人に無断で使用したダイレクトメール」の発送は2012年6月現在も確認されている。
★協会ビルの建設
2001年6月、25億円を使って、都内でも有数の一等地である港区高輪に、協会のビル「ユニセフハウス」(地下1階、地上5階建、延床面積3,702平方メートル)を建設した。
そこで、このようなビルを建てるのが寄付金の具体的使い道の妥当性として問題にされている。
日本ユニセフ協会の説明によると、1969年度から「会館建設積立金」を計上しており、31年間で25億円が準備できたため建設したとしている。
また、建設のメリットとして「賃貸ビルを借用し続けるより、土地・建物を所有するほうが、当協会の財産として残り、かつ経費の節減にもつながる」としている。
(以上、ウィキペディア百科事典より。記事内容の責任については、以下参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%83%95%E5%8D%94%E4%BC%9A
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
ダイレクトメールによれば、「2012年4月23日までに、9億6913万円あまりを、拠出した」とある。
一方、ウィキペディア百科事典によれば「日本ユニセフ協会は176億5671万円を集め、その81%をユニセフ本部に拠出した」(2007年)とある。
(数字が大きくちがうが、これについては、私が調べた範囲では、理由がわからない。)
単純に計算すれば、176・5億円の81%、つまり約143億円を、ユニセフ本部に拠出。
残りの19%、つまり約33億円は、日本ユニセフ協会が、自家使用したことになる。
この33億円を多いとみると、少ないとみるか。
気になるのは、募金事業活動費。
約14億円とある(ウィキペディア百科事典)。
???よくわからない???
「2012年4月23日までに、9億6913万円あまりを、拠出した」(ダイレクトメール)とあり、一方で、「募金事業活動費として約14億円」(ウィキペディア百科事典)とある。
●最大の疑問
最大の疑問は、こうだ。
ダイレクトメールは、国連PLAZAから届いている。
しかし現金の振込先は、「日本ユニセフ協会」になっている。
ならば、どうして、振込先を、直接、国連PLAZA宛にしないのか?
私のところには、海外からの募金要請が、毎年多く届く。
たとえばこれは、オーストラリアのM大学から届いた募金要請書(2012)である。
そこ(左上)には、募金方法として、3つの方法が示されている。
(1)オンラインによる送金方法、(2)郵送による送金方法、(3)電話による送金方法。
国(地方自治体)が窓口になり、集めた募金は、全額、国連のユニセフへ直接届けるという方法も、やろうと思えば、可能なのである。
かかる費用といえば、翻訳料程度。
●そろそろ就寝
時刻は午前0時を過ぎた。
6月27日になった。
そろそろ就寝。
午前中に、友人の奥さんを病院に見舞う。
もちろんドリンク剤を見舞い品に。
3箱、買って届けた。
元気そうだった。
あとはいつもルーティーン(日常ごと)。
たいした成果もなく、今日(26日)も、終わった。
これからあちこちのニュースサイトを見て、床に就く。
では……。
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
どこか蒸し暑いが、それでも初夏の冷気を肌のどこかで感ずる日がつづいている。
ものを書くには最高の季節……と書きたいが、こういうときほど、人間は怠け者になる。
今日も義兄に会い、義兄にこう言った。
「ものを書くには、怒りが必要です」と。
このことは先にも書いた。
事実、そのとおりで、(怒り)が、ものを書く原動力になる。
平凡は美徳だが、平凡な生活からは、何も生まれない。
ただし(怒り)といっても、個人の、つまらない人を相手にしても意味はない。
社会や政治、不公平や不平等……。
(怒り)にも、普遍性が必要。
明日になれば、ひっくり返るかもしれないような、そんな不安定なものを相手にしてもしかたない。
その(怒り)。
たとえば今、私は「日本ユニセフ協会」に、大きな疑問(怒り)を覚えている。
昨日も、協会から、寄付金募集の書類一式が届けられた。
今日、義兄の家にも届いたという。
どこでどう、私たちの住所と名前を調べたのか。
(私は自分の住所名前は、電話帳にも出していない!)
宗教団体であるにせよ、慈善事業団体であるにせよ、人の心を対象に募金活動を行う団体は、慎重の上に慎重に行動してほしい。
けっして人の心をもてあそんではいけない。
(難民救済)という高邁な精神と、(寄付金をダイレクトメールで募(つの)る)という低次元な行為は、矛盾する。
有名人を広告塔に仕立て、募金活動をするというのも、これまた低次元。
そういった救済活動を、下から積み重ねてきた人が、寄付金を募るというのなら、まだ話もわかる。
が、実際には、日本ユニセフと国連のユニセフは、「密接に連絡を取りあっている」程度の、関係(ウィキペディア百科事典)という。
もちろんまったくの別組織。
詳しくは、ウィキペディア百科事典で調べてみたらよい。
つまりわかりやすく言えば、日本ユニセフは、ただの集金団体。
募金の20~30%は、そのまま日本ユニセフの活動資金として使われている。
が、こんなおいしい話はない。
見方によっては、国連の1機関の名を語り、現金を集め、その一部(上限30%)を自分たちで使用している。
その(おいしい)という部分に、私はかねてより、胡散(うさん)臭さを覚えている。
百歩譲っても、今の日本は、それどころではない。
3・11大震災、それにつづく原発事故……。
問題はまだ何一つ、解決していない。
放射線被害が顕在化するのは、これから。
また「難民」といっても、現在の北朝鮮を見ればわかるように、そこには政治問題が複雑にからんでいる。
金正恩政権になってからでも、すでに2万人ほどの餓死者が出ているという(報道)。
が、日本は、食糧援助を停止している。
「難民がいる。さあ、援助!」というのは、ものの考え方が、少し短絡的すぎるのではないか。
が、私たちがもっとも心配するのは、「偽善」。
この世の中には、弱者や貧者を理由(口実)に、そういった人を利用しながら、自分の名誉や地位、さらには財力や権力に結びつけていく人がいる。
そういう偽善者の、「餌(えさ)」にだけは、なってはいけない。
日本ユニセフ協会がそうであるというのではない。
ないが、どうも内容がよくわからない。
日本ユニセフ協会の行動については、これからも注視していきたい。
(届いた封書)
(封書の裏面)
(同封されたシール。どうしてこんな無駄遣いをするのか?)
(活動資金の流れ)ここには、日本ユニセフ協会が、20~30%、自分用に使用している旨は、いっさい、説明されていない。
(同じく、お金の流れ)
(日本もかつて助けられた。その恩返しをしようという趣旨の説明文。)
(かつて名簿の入手に関して、問題になったことがある。それでこうした断りを入れるようになったのか? 「各種の地図」とは、何か?)
(会長は赤松良子氏になっている。理事には著名人がずらりと並んでいる。)
(ここに示されている金額に注目してほしい。)
【以下、ウィキペディア百科事典より】
★公益財団法人日本ユニセフ協会(にほんユニセフきょうかい)は、東京都港区高輪に本部を置く日本の公益財団法人である。
英語名はthe Japan Committee for UNICEFF。
別名としてユニセフ日本委員会(ゆにせふにほんいいんかい)を用いる。
36の国と地域にある「ユニセフ国内委員会(Committee for UNICEF)」のうちの1つであり、国際連合児童基金(ユニセフ)の日本事務所ではない。
★日本ユニセフ協会が集めた寄付金等の収入は、ユニセフ本部に、その全額が送金されるのではない。
募金活動の際にその旨明記されていないことが多い点や、その用途が適切かについて議論がある。
★2007年度は、日本ユニセフ協会は176億5671万円を集め、その81%をユニセフ本部に拠出した。
【内訳】
●ユニセフ本部拠出金 15,200,000,000円(82%)
●本部業務分担金 842,114,854円(4.6%)ユニセフ本部と国内委員会が共同で行うキャンペーン分担金
●管理費(事務運営費・人件費)13,758,860円(0.1%)うち、配賦されている総額の経常費用にしめる割合約2.6%
●東日本特別会計へ 100,000,000円(0.5%)
●他事業費 2,376,674,230円(12.8%)
【他事業内訳】
●募金活動事業費 1,430,298,551円(資料、領収書の作成、郵送、決済システム維持管理、活動報告作成)
●啓発宣伝事業費 492,850,426円(世界子供白書、ユニセフ年次報告等刊行物の作成配布、ホームページ作成更新、現地報告会やセミナー、シンポジウム開催、広報・アドボカシーキャンペーン等の費用)
●グリーティングカード募金事業費365,175,207円(グリーティングカード、ユニセフグッズの頒布)
●啓発宣伝支部強化費 78,328,422円(全国26の地域組織による広報、啓発活動関係費)
●国際協力研修事業費 10,021,624円(国際協力に携わる人材育成にかかる費用)
となっている。
★名簿の流用
日本ユニセフ協会では、近年、ダイレクトメールの活用で、募金額が急増しているが、日本ユニセフ協会は、他国のユニセフ国内委員会が同手法を用いている先例があるとして、これを1993年から本格実施しているとしている。
このダイレクトメールは厳密には「日本ユニセフ協会」だけのダイレクトメールではない。
ニューヨーク国連本部から、国際連合児童基金が差出人となって発送するもので、ユニセフ事務局長と日本ユニセフ協会会長がそれぞれ日本ユニセフ協会宛の募金・献金を求めるという形式になっている。
かつて、『東京新聞』は「『地球の歩き方』読者の名簿を出版社から入手し、これを同協会が使用した」ことを報じた。
このときのダイレクトメールは同じく国連本部から送付され、ユニセフ事務局長、日本ユニセフ協会会長とともに、『地球の歩き方』の出版元の社長が共同でユニセフ募金を求めるという形をとった。
2006年末には複数の名簿業者から個人情報を買取り、苗字だけのダイレクトメールを送り、受取人からの問合せが、消費生活センターに相次いだ。
なお、日本ユニセフ協会は「宛て名については、電話帳やダイレクトメールを取り扱う会社の各種名簿を基に」送付していると説明している。
この「個人情報を本人に無断で使用したダイレクトメール」の発送は2012年6月現在も確認されている。
★協会ビルの建設
2001年6月、25億円を使って、都内でも有数の一等地である港区高輪に、協会のビル「ユニセフハウス」(地下1階、地上5階建、延床面積3,702平方メートル)を建設した。
そこで、このようなビルを建てるのが寄付金の具体的使い道の妥当性として問題にされている。
日本ユニセフ協会の説明によると、1969年度から「会館建設積立金」を計上しており、31年間で25億円が準備できたため建設したとしている。
また、建設のメリットとして「賃貸ビルを借用し続けるより、土地・建物を所有するほうが、当協会の財産として残り、かつ経費の節減にもつながる」としている。
(以上、ウィキペディア百科事典より。記事内容の責任については、以下参照)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%A6%E3%83%8B%E3%82%BB%E3%83%95%E5%8D%94%E4%BC%9A
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
ダイレクトメールによれば、「2012年4月23日までに、9億6913万円あまりを、拠出した」とある。
一方、ウィキペディア百科事典によれば「日本ユニセフ協会は176億5671万円を集め、その81%をユニセフ本部に拠出した」(2007年)とある。
(数字が大きくちがうが、これについては、私が調べた範囲では、理由がわからない。)
単純に計算すれば、176・5億円の81%、つまり約143億円を、ユニセフ本部に拠出。
残りの19%、つまり約33億円は、日本ユニセフ協会が、自家使用したことになる。
この33億円を多いとみると、少ないとみるか。
気になるのは、募金事業活動費。
約14億円とある(ウィキペディア百科事典)。
???よくわからない???
「2012年4月23日までに、9億6913万円あまりを、拠出した」(ダイレクトメール)とあり、一方で、「募金事業活動費として約14億円」(ウィキペディア百科事典)とある。
●最大の疑問
最大の疑問は、こうだ。
ダイレクトメールは、国連PLAZAから届いている。
しかし現金の振込先は、「日本ユニセフ協会」になっている。
ならば、どうして、振込先を、直接、国連PLAZA宛にしないのか?
私のところには、海外からの募金要請が、毎年多く届く。
たとえばこれは、オーストラリアのM大学から届いた募金要請書(2012)である。
そこ(左上)には、募金方法として、3つの方法が示されている。
(1)オンラインによる送金方法、(2)郵送による送金方法、(3)電話による送金方法。
国(地方自治体)が窓口になり、集めた募金は、全額、国連のユニセフへ直接届けるという方法も、やろうと思えば、可能なのである。
かかる費用といえば、翻訳料程度。
●そろそろ就寝
時刻は午前0時を過ぎた。
6月27日になった。
そろそろ就寝。
午前中に、友人の奥さんを病院に見舞う。
もちろんドリンク剤を見舞い品に。
3箱、買って届けた。
元気そうだった。
あとはいつもルーティーン(日常ごと)。
たいした成果もなく、今日(26日)も、終わった。
これからあちこちのニュースサイトを見て、床に就く。
では……。
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
2012年6月27日水曜日
BW Children’s Learning Club by Hiroshi Hayashi
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. mQQQm 発行人 はやし浩司(ひろし)
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.こんにちは! (″ ▽ ゛)○
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(BW公開教室・まぐまぐプレミアム読者のみなさんへ)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
子育て最前線の育児論byはやし浩司 2012年 7月 6日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★ ★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page015.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【文字は楽しい】(BW教室より)(はやし浩司 2012-05-07)
●文字遊びを展開しました(年長児)。
「文字は楽しい」という印象作りをしました。
文字そのものを教えるのではなく、「文字は楽しい」という意識作りです。
それをしっかりと作っておけば、子どもは、あとは、自分で伸びてくれます。
どこかで文字を見たとき、「楽しい」と思ってくれれば、しめたもの。
家に帰り、「ママ、ひらがなを教えて!」と言うように、指導してみました。
幼児教育は、「種まき」です。
何かを教え込んでやろうと考えるのではなく、興味に灯をともし、能力を引き出す。
それが子ども自身を内部から、引っ張ります。
強化の原理とも言います。
子どもたちの楽しそうな学習風景を、お楽しみ下さい。
●小1用、小2用、小3用の教材
今週は、「大きな数」をテーマに、小学1~3年生を指導しました。
各学年用の教材を、小4児のみなさんに、してもらいました。
「教材紹介号」です。
子どもたちが、できる、その限界ギリギリまで教えます。
「楽しく学ぶ子は、よく学ぶ」ですね。2012/05/07
ばあいによっては、小2児でも、小3用の教材を使うこともあります。
あくまでも子ども次第です。
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【はやし浩司 2012-05ー11】
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
昨日は、朝4:30まで作業をしていた。
そのころ床に就いたが、朝、9時ごろ、目を覚ましてしまった。
睡眠時間は、たったの4事件前後。
「だいじょうぶだろう?」と思っていたが、夕方から、猛烈な睡魔。
レッスンの途中で、はじめて居眠りをしてしまった。
幸い、ワイフが横にいて補助してくれたからよかった。
でなければ、クビ!
(この40年間で、レッスン中に居眠りしたのは、はじめて!)
この世界も、たいへんきびしい!
居眠りをしたりすると、即、クビ!
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【動画・BW教室の様子】
●5月10日収録
BWの子どもたちは、全員、例外なく、元気です。
またそういう元気な子どもになるよう、指導しています。
子どもたちが元気なのは、あくまでも、その結果です。
今回は、「どう元気か?」という面をよく見てほしいです。
やる気200%、能力全開で、子どもたちは、私に飛びかかってきます。
ものすごい迫力とパワーです。
さあ、みなさんも、子どもたちから元気をもらいましょう。
なお私は、この日、完全に睡眠不足で、フラフラでした。
私のほうが、圧倒されてしまいました。
どうか、ビデオをみながら、お笑いください。
【年中児クラス(この4月からスタートの教室です)】
【小1~2児のクラスです】
【小2~3児のクラスです】
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【UTさんからの相談】
昨日、こんな相談が届いていた。
3人の子どもをもつ母親からのもの。
中の子どもが、愛情飢餓状態で、親子の関係にキレツが入りつつあるというもの。
【UTさんから、はやし浩司へ】
初めてメールにて相談させていただきます。
以前からよくホームページを読ませていただいて大変参考にさせていただいています。
現在三人の育児をしていますが、真ん中の娘についての相談です。
上の子供が3歳のときに2番目を出産しました。
一人目ときよりじっくり相手をしてあげる余裕がないまま、ミルクもよく飲んでぐっすり寝ているこでした。
いわゆる手がかからない子でしたので、割と一人で遊んでいました。
表情がとぼしく上の子供より、私も愛情がわきにくく、引っ込み思案な子でした。
私自身、今思えば私の責任が多く、もっとスキンシップをしてあげたらよかったと思っています。
さらにその下に、弟が生まれてからは、はじめての男の子で素直なかわいい子で、私自身もよくかわいがっていました。
次女も弟の面倒をよくみているようでした。
上の長女も素直で、すぐママと言って寄って来る感じで、過ごしてきました。
率直に私自身、長女と弟とは気が合うと思っていました。
次女が年中ぐらいからつめをかむくせがありましたが、そんなに気にとめていませんでした。
次女が2年生になって、学校のお友達のふでばこと下敷きを持ってきてしまいました。
すぐに長女が気づいて、お友達に電話をして返しに行きました。
その後いろいろ話しているうちに、次女が大泣きしながら、手紙を書いてくれました。
内容は、「ママは、一番は長女の姉で、2番が弟で、私のことは好きじゃないんでしょ?、とわかってるよ。
ずっと前から知ってるもん」と。
そういう内容でした。
姉には怒ってもいつも仲良しだし、弟はいつもかわいがっている。
私のことはご飯と勉強だけ教えてくれたらそれでいいです。
ママのこと大好きだよ。と
先生の言われる親の愛情に疑問を持っているように思いました。
その後、うちにお友達がきたときに、にランドセルを持ってと言って帰ってきていたと、長女から聞きました。
どうして自分でも持たないとだめでしょ、と言うと泣きながら、姉がお父さんにくつをかってもらっていたことや本を買うときも自分は1冊だったけど、姉は2冊だった、といって泣き崩れました。
母子関係が構築できないまま、それに気がつかないまま、7歳まできてしまったように感じています。
このことに気づくまでは、習い事も、現在5個していて、(3人とも習いごとがあります)、ついつい教育熱心に家で、ワークさせたりしています。
私の兄弟が近くにいて、皆、学校の出来がよく、特に、妹とは昔からライバル意識があって、妹の子供ができがいいので、プレッシャーを感じていたと思います。
すごくしかりながら、あれもしてこれもしてと強制させていました。
このままではいけないような気がしています。
習い事も減らしてその分二人っきりの時間も持てたら方がいいかなと思っていますが、具体的にどうしたらいいのかわからないでいます。
私と次女との関係はもう最初からやりなおせないのでしょうか?
自分自身も鈍感な親だったと反省しています。
よいアドバイスをいただけたら幸いに思います(佐賀県T町)。
【はやし浩司より、UTさんへ】
子育てというのは、そういうものです。
親は日々に(やり残し感)を残し、反省する。
しかし翌朝になると、またその忙しさの中で、我を忘れる。
子育てはまさに、戦場!
その繰り返し。
問題の芽というのは、そのときは、見えない。
「まさか……」「うちの子にかぎって……」と。
前もってわかっていれば、それなりの予防もできますが、何しろどんな問題が起きるかわからない。
子どもの問題は、無数にあり、また問題のない子どもはいない。
しかも1つや2つなら、まだよいほう。
川面の浮かぶアワのように、あちらで起き、こちらで起きる。
ときにはブクブク、ブクブクと、同時に起きる。
子育てというのは、そういうものです。
もちろんその間にあって、子どもの心には、無数の傷がついていきます。
が、親のできることにも限界があります。
親だって、自分の生活を守るのに、精一杯。
追いかけるだけで、必死。
子どもの心を静かに見守る時間さえない。
ましてや3人も子どもがいれば、なおさらです。
……ということでは、返事になりませんね。
この際「修復」ということは、考えないこと。
やがて子どもは、あなたを蹴飛ばすようにして、あなたのもとを去っていくかもしれません。
それはそれでしかたないこと。
すばらしいこと。
あとは子ども自身に任せます。
さみしい思いはしているでしょうが、やがて友を見つけ、恋人をみつけ、自ら「修復」していきます。
それを見守るのも、親、親の愛。
愛というのは、それほどまでに、さみしく、つらいものです。
あなたは自分の子どもを見るたびに、つらい思いもし、後悔をするかもしれません。
が、すでにあなたはそれに気づいている。
すばらしい母親と思います。
ほとんどの母親は、(父親もそうですが)、子どものそうした心の変化にすら気づかないものです。
で、問題の件ですが、「泣いた」段階で、すでに問題の90%は解決しています。
いうなれば、グチ。
不平不満。
ぐいと抱き、「そうではない」ということを、語りかけるだけで、子どもは安心します。
つまり「わかっているよ?」と書きながら、母親であるあなたが、それを否定してくれるのを、待っているのです。
で、盗みと、愛情飢餓の問題は、分けて考えます。
底流ではつながっている部分もありますが、愛情があっても、盗みをする子どもはいくらでもいます。
愛情飢餓があるからといって、盗みをするというわけでもありません。
この時期の子どもは、(盗み、うそ、悪口)を繰り返しながら、おとなに抵抗を始めます。
盗みを許せというのではありません。
ていねいに、やさしく説教しながら、それですまします。
あとは時間が解決してくれます。
(なお友だちの持ちものをもって帰ってくるというようなことは、日常茶飯事です。
それに気づいた姉(長女)のほうが、むしろ要領よく盗みをしているかもしれませんよ。
ふつうは、気がつかないものですから……。
私なら、告げ口をした、姉のほうを強くたしなめます。
「あなたが自分で、妹に注意しなさい、とです。
盗みより、告げ口のほうが、陰湿です。
価値観の相違かもしれませんが……。)
おけいこ塾の数は、尋常ではありません。
やらせればやらせるほど、「虐待」と考えてください。
私は「間接虐待」と呼んでいます。
親はそれをよかれと思いながらしているかもしれませんが、子どもにとっては、虐待です。
もちろん効果はありません。
子どもの側からの、感謝もありません。
効果や感謝がないばかりか、親子の間に大きなキレツを入れることになります。
子どもの気持ちを、一度、確かめてみてはどうでしょうか。
ともあれ、よくある問題です。
3人子どもがいると、真ん中の子どもは、愛情飢餓状態になるのは、よくあることです。
が、その分、(それが好ましいということではありませんが)、他人に愛想がよくなったり、だれかにベタベタ甘えたりするようになります。
さみしい思いをしていますが、その分だけ、たくましくなります。
なお、過去を振り返らないこと。
子育ては、常に「今」を前提に、「今」を基盤に組み立てていきます。
7歳(小2?)ということですから、そろそろ親離れの時期にさしかかります。
その(揺り戻し)時期と考えてください。
この時期の子どもは、赤ちゃんに戻ったり、ときに、妙におとなびた様子を見せたりしながら、つぎの思春期前夜を迎えます。
これを私は「揺り戻し」(はやし浩司)と呼んでいます。
情緒も不安定になります。
あまり気になるようなら、いっしょに風呂に入ってあげたり、添い寝をしてあげたり、あなたのほうから、ときどきぐいと抱いてあげるだけでも、効果的です。
子どもに安心感を与えるようにするのが、コツです。
ともあれ、数多くある子どもの問題の中でも、たいした問題ではありませんので(失礼!)、あまりおおげさに考えないこと。
子どもは傷まるけになりながら、成長していきます。
それを見守るのも、これまた親の努めです。
今のうちに、子育てのドラマをおおいに楽しんでください。
こういう時期は、あっという間に終わりますよ!
では、
はやし浩司
2012/05/11
【UTさんからの返信】
はやし先生へ
先生の丁寧なアドバイスが心にしみ、涙が出ました。
悔やんでもあのころの過ぎた時間を戻すことはできないし、今を基盤にこれから前を向いて進んで行く勇気をもらいました。
私だけでなく、みんないろいろな悩みや葛藤を抱えながら育児をしていることもわかりました。
そんなにたいした問題ではないと言ってくださったことも救われる気持ちでいます。
そして今回のことを通して、過去の自分、そしてあたりまえのありがたさに気がつけないほど傲慢だった自分に気づかせてくれた次女に今は愛おしい気持ちでいっぱいです。
子供はいつもどんな悪い母親であろうと、お母さんの愛情を自分に注いでくれることを貪欲に見ているのだなあと感じています。
私もそういえば、子供のころ私のことをもっと見て欲しいと思っていました。
産むのは簡単ですが、本当の母親になるのは大変なんだなあと痛感しています。
これからは、もうすこし習い事を減らして、私自身もゆとりを持って子供たちと過ごしたいと思います。
子供のためだと思って、環境を作るのは親だから、習い事に一生懸命になりすぎて、結局は親のエゴで子供を振り回すことはもうやめにしたいです。
これからも先生のホームページを参考にさせていただきます。
先生もどうかお体を大切に無理をせず、これからもお過ごしください。
私の急なメールにもかかわらず、先生の暖かいメールに感謝しています。
本当にありがとうございました
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●無断転載
私の原稿が、あちこちで無断転載、流用されている。
昨年は、N県の県警本部が発行するホームページで、20枚前後が流用されていた。
私の文章をバラバラに切り離し、それをつなぐという手の込んだものだった。
悪質だった。
(県警本部だって、そういうインチキなことをするぞ!)
で、電話をすると、いきなり、「証拠はあるのか!」と。
で、電話口で双方の原稿を読み聞かせてやったが、それだけでも、1時間半以上もかかった。
……というようなことは、ときどきある。
が、今回の無断転載は、これまた悪質。
何と、コピー用紙に印刷した状態で、1500枚前後。
(印刷して、1500枚だぞ!)
その印刷と、原稿の照らし合わせのために、昨日は、午前4時半までかかった。
刑事告発するつもりでいた。
悪質というか、この手の無断転載は、どれも悪質だが、「はやし浩司」の名前は、きれいに消されてあった。
(こういうことを意図的にするところが、恐ろしい!)
弁護士をしている学友に連絡すると、間に弁護士を置けとのアドバイス。
起きてから、市内の弁護士に連絡を取る。
が、今回も、刑事告発は、やめにした。
電話で相手の意図を問いただすと、こう言った。
「よい内容だったので、つい……」と。
すなおに無断転載を認めた。
ていねいにわびた。
どこかの同業者だった。
だから許した。
が、さらに悪質なのもある。
間に、コピーラーター(ゴーストライター)が入って、書籍化しているのもある。
この手のライターは、文章そのものを変えると同時に、いろいろな情報を上塗りする。
素人の人が、文章を読み比べただけでは、まず、わからない。
が、その底流を流れる「哲学」は同じ。
つまり育児論というのは、「哲学」。
その人によって、みな、ちがう。
その哲学が同じということは、ありえない。
が、その本の底流を流れる哲学が同じ?
文を読むと、その哲学が、スーッと自分の頭の中を流れていくのがわかる。
ところどころに、私がよく使う専門用語や、具体例が挿されている。
あるところでは、「宏君の背中がチョークで落書きされた」が「聡君の傘がチョークで落書きされた」になっていた。
その本は、100万部以上も売れたという。
ズルイ学者は、こういうライターを巧みに使い、自分の名誉につなげる。
ライターは、そういう学者に寄生し、魂を売る。
金を儲ける。
●今朝は、12時間
昨夜は、睡眠導入剤を口にした。
午後9時、就寝。
起きたのが、今朝は、9時。
12時間、眠ったことになる。
(途中、午前6時ごろ、トイレに行くため、目を覚ましたが……。)
軽い頭痛が残った。
偏頭痛と判断したので、「Z薬」を、半分に割って、のんだ。
20~30分で、偏頭痛は、消えた。
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【私のメール作法】
●件名
毎日多くのメールが届く。
そのほとんどが、スパムメール(広告を目的とした、大量配布メール)。
フィルターをかけ、かなりのメールを、「サーバーから削除」している。
が、それでも毎日200~300通のメールが、すり抜けてくる。
スケベ・メールも多い。
もちろんウィルス入のメールもある。
2重、3重のガードをかけているが、それでも届く。
(私のばあい、サーバー側で、有料のウィルスチェックサービスを受けている。
またパソコンごとに、ウィルスソフトをインストールしている。
パソコンは、メール用、ホームページ(ウエブサイト)用と、使い分けている。)
が、困るのが、件名が「?」のメール。
「先日は、ありがとうございました」とか、「返事が遅れてすみません」とか、など。
そういうメールが届くと、開くべきかどうかで、しばらく考え込んでしまう。
メールアドレスに心当たりがあるからといって、安易に開いてはいけない。
悪質なスパムメールになると、その人のアドレスを勝手に盗んで使う。
だから……。
(1)メール作法の基本として、件名には、相手方の名前、自分の名前を書くべき。
封書だって、そうだ。
相手方の住所氏名はもちろん、自分の住所氏名を書く。
それがあるから私たちは、安心して、その封書を開くことができる。
そうでなければ、そうでない。
差し出し人の名前の書いてない封書を受け取ったら、あなたはその封書を開くだろうか。
開くにしても、かなりの勇気(迷い?)が必要。
実際には、そんな封書は、めったに、ない。
(2)できれば、件名だけで、メールの内容がわかるようにする。
件名というのは、メールの概要と考えたほうがよい。
件名を読んだだけで、大まかな内容がわかるようにする。
そうすれば、メールを開く方も、安心してそのメールを開くことができる。
(3)感情表現を豊かに
ここがいちばん重要だが、メールというのは、当然、「文章」。
この文章というのは、読む側の心の状態によって、どういうふうにも読める。
たとえば読む側が、たまたま落ち込んでいるようなとき。
「お前も、馬鹿だ」と書いてあると、その一文だけで、激怒してしまう。
書いた方は、軽い気持ちでそう表現したとしても、それは通じない。
つまりこうして誤解が誤解を生み、たがいの間を決裂させる。
そういう例は、少なくない。
つまり文章というのは、読む側の心理状態によって、赤くもなれば、青くもなる。
だから相手を批判するようなときには、とくに注意する。
あるいはそういうメールは書かない。
そういうときは、電話を使う。
電話なら、こちらの感情を、うまく伝えることができる。
実際、私のばあい、何かの仕事の依頼などがあたったようなときは、すかさず電話を入れるようにしている。
(メールではなく、声の電話。)
相手が見知らぬ人のばあいは、さらにそうである。
声には心をつなぐ作用があるが、文章にはそれがない。
それに一度、たがいに声を聞けば、そのあとの連絡が、スムーズになる。
以上が、私の「メール作法」ということになる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【日本の無駄づかい】
●お人好し外交
先月のこと(2012年4月)、日本政府は、600億ドル(5兆円)もの大金を、IMFに追加出資した。
頼まれもしないのに、「主導権」を握った(?)。
それまでは「日本はカヤの外」。
それ以後は、チヤホヤ。
あの財務大臣の、子どものような笑顔が、それを象徴している。
まず、そのときに書いた原稿を読んでほしい。
日付は、2012年4月22日になっている。
++++++++++++以下、4月22日
●IMF(国際通貨基金)への拠出金
日本政府は、IMFに、600億ドルの拠出金を決めた。
報道によれば、(1)円高対策になる、(2)将来の保険金的色彩が濃いなどとある。
しかしそれにしても、600億ドルとは!
ちなみに、アメリカはゼロ。
国別に今回の拠出国を並べてみる。
日本……600億ドル
イギリス……150億ドル
韓国……150億ドル
オーストラリア……70億ドル
シンガポール……40億ドル
アメリカは財政難を理由に、ゼロ。
ブラジルは、「自国の地位向上が見られない」という理由で、ゼロ。
あのね、IMFというのは、もともとは、ヨーロッパの、ヨーロッパのための機関。
そのことはIMFの理事国メンバーを見ればわかるはず。
日本は、「自国の地位向上」をめざし、600億ドルを拠出した?
が、今の日本に、そんな余裕、どこにある?
600億ドルということは、約5兆円。
日本人1人当たり、5万円(成人人口約1億人として計算)。
もしあなたの家に、町内会の班長が回ってきて、こう言ったとする。
「今度、EUを救済することになりました。
ついては、あなたの家は3人家族ですから、15万円出してください」と。
あなたは何も言わず、「はい」と言って、15万円、差し出すだろうか。
それとも、しぶるだろうか。
が、私なら、はっきりと断る。
ちなみに、IMFの歴代(専務)理事(=理事長、理事国)は、つぎのようになっている。
べルギー(1946)
スウェーデン(1951)
スウェーデン(1956)
フランス(1963)
オランダ(1973)
フランス(1978)
フランス(1987)
ドイツ(2000)
アメリカ(2011)(2か月で退官)
フランス(2011)
これを見てもわかるように、IMFは、国際機関とは、とても言い難い。
さらにウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
日本人としては、たいへん気になる。
『……日本の場合、大口出資国である等の立場から財務官僚が多く出向しており、融資が行われていないにもかかわらず「消費税を上げるべきだ」等のIMFの討議内容の報道がなされる。
これは、IMFの正式発表ではなく、財務官僚が出向者を使いさも、まるで、IMFが全体がその様に述べているかのように見せ、自分たちの都合の良いようにマスコミを通じ国内世論を操作する道具にしている』(以上、ウィキペディア百科事典)と。
そういうIMFに、600億ドル!
財務官僚のメンツを立てるために、600億ドル!
アメリカはもっと、クールだぞ。
ユーロが崩壊すれば、アメリカ・ドルの独壇場。
ユーロは、もとは言えば、アメリカのドルに対抗して生まれたもの。
ユーロの台頭とともに、アメリカのドルは弱体化した。
ついでに日本の円も、脇に追いやられた。
どうして今、そのユーロを助けなければならないのか。
アメリカ人なら、みな、そう考える。
今の日本人に欠けるのは、大局に立った戦略的視野。
それに野生臭。
ドロ臭さ。
結局は、最後にババを引くのは、この日本。
日本人の私たち。
++++++++++++以上、4月22日
●閑古鳥が鳴く新東名(第二東名)
報道によれば、(1)円高対策になる、(2)将来の保険金的色彩が濃いなどとある。
が、円高対策のためということなら、600億というのは、あまりにも弱い。
世界中が、札の印刷合戦をしている。
日本だけが、かたくなに約束を守り、優等生ぶっている。
現在の円高の最大の理由は、ここにある。
それを「円高対策」と言うのは、あの新東名(第二東名)をさして、「渋滞緩和」と言うのと同じくらい、バカげている。
開通してから2週間目。
数日前、近くを走ってみたが、車はまばら。
閑古鳥が鳴いていた。
あれほどまでに豪華な道路は、そうはない。
インフラ整備とはいうが、明らかに過剰。
今朝の日経新聞は、EUの現状について、つぎのように結んでいる(2012/05/07)。
最後の一文をよく読んでほしい。
『労働市場改革の断行は難しく危険でさえある。
イタリアでは近年、労働市場改革について政府に助言していたエコノミストが2人暗殺された。
だが、そうした改革は長期的には雇用創出を拡大する唯一の道だ。
対照的に、欧州は支出拡大で債務から抜け出すべきという意見は幻想だ。
もちろん、財政赤字削減のペースには議論の余地がある。
しかし、欧州のように多額の税金を課され、厳しく規制され、多大な債務を背負った大陸では、国費による公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけだ』(以上、日本経済新聞)と。
これはEUの現状を訴えた意見だが、それはそのままこの日本にも当てはまる。
つまり「公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけ」。
もしあなたが新東名で浜松周辺を走る機会があったら、眼下に交差する道路を見てほしい。
どの道路も、立派。
豪華。
県道や市道もあるが、林道や農道が、縦横無尽に走っている。
たとえば三ヶ日の国民宿舎から引佐町へ抜ける道(農道)などは、片側1車線だが、そこらの高速道路より立派。
直線距離にして3キロ程度(グーグルアース上で測定)。
いつ走っても、すれちがう車さえない。
まさに「公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけ」。
こんなアホなことばかりしているから、国の借金はふえつづける一方!
またこんな方法で景気を刺激しようとしても、そこには限界がある。
工事中は、土建業者が潤う。
しかしそのあと、経済は、ドカッと停滞する。
その象徴が、新東名。
この先の維持費(つぎの世代に残すツケ)を考えたら、ゾッとする。
●本論
さて本論。
今朝の報道によれば、フランスでは左派政権(大統領)が誕生した。
ギリシャでも、与党は過半数を取れないかもしれないという(2012/05/07)。
それを先読みして、ユーロは、下落。
何度も書くが、ギリシャを含め、EUの金融危機は、何一つ解決していない。
むしろ悪化の一途をたどっている。
そんな中、日本は、お先走り、頼まれもしないうちから、600億ドルの追加支援。
まさに大国意識。
お人好し。
世界の経済の中心は、EUから中国、さらにはインド、ブラジル……へと、移動しつつある。
日本からも、東南アジアへと、移動しつつある。
動いてるマネーは、100兆円単位。
そんな中、5兆円程度で、その流れを変えられるはずもない。
が、日本にとっては、大金。
多くの経済学者たちが口をそろえて言っているように、「最後にババを引くのは、この日本」。
つまり日本は、もう少し野生味を表に出し、国益第一に行動すべき。
最後に、こんなニュースもある(Yahooニュースより)。
『[東京 23日(2012年4月23日)
ロイター] 韓国サムスングループが日本人技術者の引き抜き攻勢を強めている。
巨額の赤字に苦しむ国内電機各社による事業縮小と人員削減。
開発環境や処遇が悪化すれば優秀な技術者が自ら会社を離れても不思議はない。
(中略)
<年収10倍の提示も>
(中略)
ある技術者に提示されたサムスンの処遇はこうだ。
役職は取締役。年収は6000万―1億円で、契約期間は3―5年。
年収とは別に、転職に伴う契約金が数千万円支払われる。
専属秘書と運転手付きの車が支給されるほか、30坪超の家具付きマンションが無償貸与される。
日本への帰省費用、家族の韓国への招待等も会社が実費負担する』(以上、Yahooニュース)と。
日本の外では、猛烈な風が吹いている。
いいのか、日本!
このままで!
ちなみに今朝、7日午前の東京株式市場では、日経平均株価が200円超安の9122円で取引されている。
2012/05/07
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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(BW公開教室・まぐまぐプレミアム読者のみなさんへ)
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
子育て最前線の育児論byはやし浩司 2012年 7月 6日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
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どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【文字は楽しい】(BW教室より)(はやし浩司 2012-05-07)
●文字遊びを展開しました(年長児)。
「文字は楽しい」という印象作りをしました。
文字そのものを教えるのではなく、「文字は楽しい」という意識作りです。
それをしっかりと作っておけば、子どもは、あとは、自分で伸びてくれます。
どこかで文字を見たとき、「楽しい」と思ってくれれば、しめたもの。
家に帰り、「ママ、ひらがなを教えて!」と言うように、指導してみました。
幼児教育は、「種まき」です。
何かを教え込んでやろうと考えるのではなく、興味に灯をともし、能力を引き出す。
それが子ども自身を内部から、引っ張ります。
強化の原理とも言います。
子どもたちの楽しそうな学習風景を、お楽しみ下さい。
●小1用、小2用、小3用の教材
今週は、「大きな数」をテーマに、小学1~3年生を指導しました。
各学年用の教材を、小4児のみなさんに、してもらいました。
「教材紹介号」です。
子どもたちが、できる、その限界ギリギリまで教えます。
「楽しく学ぶ子は、よく学ぶ」ですね。2012/05/07
ばあいによっては、小2児でも、小3用の教材を使うこともあります。
あくまでも子ども次第です。
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【はやし浩司 2012-05ー11】
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
昨日は、朝4:30まで作業をしていた。
そのころ床に就いたが、朝、9時ごろ、目を覚ましてしまった。
睡眠時間は、たったの4事件前後。
「だいじょうぶだろう?」と思っていたが、夕方から、猛烈な睡魔。
レッスンの途中で、はじめて居眠りをしてしまった。
幸い、ワイフが横にいて補助してくれたからよかった。
でなければ、クビ!
(この40年間で、レッスン中に居眠りしたのは、はじめて!)
この世界も、たいへんきびしい!
居眠りをしたりすると、即、クビ!
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【動画・BW教室の様子】
●5月10日収録
BWの子どもたちは、全員、例外なく、元気です。
またそういう元気な子どもになるよう、指導しています。
子どもたちが元気なのは、あくまでも、その結果です。
今回は、「どう元気か?」という面をよく見てほしいです。
やる気200%、能力全開で、子どもたちは、私に飛びかかってきます。
ものすごい迫力とパワーです。
さあ、みなさんも、子どもたちから元気をもらいましょう。
なお私は、この日、完全に睡眠不足で、フラフラでした。
私のほうが、圧倒されてしまいました。
どうか、ビデオをみながら、お笑いください。
【年中児クラス(この4月からスタートの教室です)】
【小1~2児のクラスです】
【小2~3児のクラスです】
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【UTさんからの相談】
昨日、こんな相談が届いていた。
3人の子どもをもつ母親からのもの。
中の子どもが、愛情飢餓状態で、親子の関係にキレツが入りつつあるというもの。
【UTさんから、はやし浩司へ】
初めてメールにて相談させていただきます。
以前からよくホームページを読ませていただいて大変参考にさせていただいています。
現在三人の育児をしていますが、真ん中の娘についての相談です。
上の子供が3歳のときに2番目を出産しました。
一人目ときよりじっくり相手をしてあげる余裕がないまま、ミルクもよく飲んでぐっすり寝ているこでした。
いわゆる手がかからない子でしたので、割と一人で遊んでいました。
表情がとぼしく上の子供より、私も愛情がわきにくく、引っ込み思案な子でした。
私自身、今思えば私の責任が多く、もっとスキンシップをしてあげたらよかったと思っています。
さらにその下に、弟が生まれてからは、はじめての男の子で素直なかわいい子で、私自身もよくかわいがっていました。
次女も弟の面倒をよくみているようでした。
上の長女も素直で、すぐママと言って寄って来る感じで、過ごしてきました。
率直に私自身、長女と弟とは気が合うと思っていました。
次女が年中ぐらいからつめをかむくせがありましたが、そんなに気にとめていませんでした。
次女が2年生になって、学校のお友達のふでばこと下敷きを持ってきてしまいました。
すぐに長女が気づいて、お友達に電話をして返しに行きました。
その後いろいろ話しているうちに、次女が大泣きしながら、手紙を書いてくれました。
内容は、「ママは、一番は長女の姉で、2番が弟で、私のことは好きじゃないんでしょ?、とわかってるよ。
ずっと前から知ってるもん」と。
そういう内容でした。
姉には怒ってもいつも仲良しだし、弟はいつもかわいがっている。
私のことはご飯と勉強だけ教えてくれたらそれでいいです。
ママのこと大好きだよ。と
先生の言われる親の愛情に疑問を持っているように思いました。
その後、うちにお友達がきたときに、にランドセルを持ってと言って帰ってきていたと、長女から聞きました。
どうして自分でも持たないとだめでしょ、と言うと泣きながら、姉がお父さんにくつをかってもらっていたことや本を買うときも自分は1冊だったけど、姉は2冊だった、といって泣き崩れました。
母子関係が構築できないまま、それに気がつかないまま、7歳まできてしまったように感じています。
このことに気づくまでは、習い事も、現在5個していて、(3人とも習いごとがあります)、ついつい教育熱心に家で、ワークさせたりしています。
私の兄弟が近くにいて、皆、学校の出来がよく、特に、妹とは昔からライバル意識があって、妹の子供ができがいいので、プレッシャーを感じていたと思います。
すごくしかりながら、あれもしてこれもしてと強制させていました。
このままではいけないような気がしています。
習い事も減らしてその分二人っきりの時間も持てたら方がいいかなと思っていますが、具体的にどうしたらいいのかわからないでいます。
私と次女との関係はもう最初からやりなおせないのでしょうか?
自分自身も鈍感な親だったと反省しています。
よいアドバイスをいただけたら幸いに思います(佐賀県T町)。
【はやし浩司より、UTさんへ】
子育てというのは、そういうものです。
親は日々に(やり残し感)を残し、反省する。
しかし翌朝になると、またその忙しさの中で、我を忘れる。
子育てはまさに、戦場!
その繰り返し。
問題の芽というのは、そのときは、見えない。
「まさか……」「うちの子にかぎって……」と。
前もってわかっていれば、それなりの予防もできますが、何しろどんな問題が起きるかわからない。
子どもの問題は、無数にあり、また問題のない子どもはいない。
しかも1つや2つなら、まだよいほう。
川面の浮かぶアワのように、あちらで起き、こちらで起きる。
ときにはブクブク、ブクブクと、同時に起きる。
子育てというのは、そういうものです。
もちろんその間にあって、子どもの心には、無数の傷がついていきます。
が、親のできることにも限界があります。
親だって、自分の生活を守るのに、精一杯。
追いかけるだけで、必死。
子どもの心を静かに見守る時間さえない。
ましてや3人も子どもがいれば、なおさらです。
……ということでは、返事になりませんね。
この際「修復」ということは、考えないこと。
やがて子どもは、あなたを蹴飛ばすようにして、あなたのもとを去っていくかもしれません。
それはそれでしかたないこと。
すばらしいこと。
あとは子ども自身に任せます。
さみしい思いはしているでしょうが、やがて友を見つけ、恋人をみつけ、自ら「修復」していきます。
それを見守るのも、親、親の愛。
愛というのは、それほどまでに、さみしく、つらいものです。
あなたは自分の子どもを見るたびに、つらい思いもし、後悔をするかもしれません。
が、すでにあなたはそれに気づいている。
すばらしい母親と思います。
ほとんどの母親は、(父親もそうですが)、子どものそうした心の変化にすら気づかないものです。
で、問題の件ですが、「泣いた」段階で、すでに問題の90%は解決しています。
いうなれば、グチ。
不平不満。
ぐいと抱き、「そうではない」ということを、語りかけるだけで、子どもは安心します。
つまり「わかっているよ?」と書きながら、母親であるあなたが、それを否定してくれるのを、待っているのです。
で、盗みと、愛情飢餓の問題は、分けて考えます。
底流ではつながっている部分もありますが、愛情があっても、盗みをする子どもはいくらでもいます。
愛情飢餓があるからといって、盗みをするというわけでもありません。
この時期の子どもは、(盗み、うそ、悪口)を繰り返しながら、おとなに抵抗を始めます。
盗みを許せというのではありません。
ていねいに、やさしく説教しながら、それですまします。
あとは時間が解決してくれます。
(なお友だちの持ちものをもって帰ってくるというようなことは、日常茶飯事です。
それに気づいた姉(長女)のほうが、むしろ要領よく盗みをしているかもしれませんよ。
ふつうは、気がつかないものですから……。
私なら、告げ口をした、姉のほうを強くたしなめます。
「あなたが自分で、妹に注意しなさい、とです。
盗みより、告げ口のほうが、陰湿です。
価値観の相違かもしれませんが……。)
おけいこ塾の数は、尋常ではありません。
やらせればやらせるほど、「虐待」と考えてください。
私は「間接虐待」と呼んでいます。
親はそれをよかれと思いながらしているかもしれませんが、子どもにとっては、虐待です。
もちろん効果はありません。
子どもの側からの、感謝もありません。
効果や感謝がないばかりか、親子の間に大きなキレツを入れることになります。
子どもの気持ちを、一度、確かめてみてはどうでしょうか。
ともあれ、よくある問題です。
3人子どもがいると、真ん中の子どもは、愛情飢餓状態になるのは、よくあることです。
が、その分、(それが好ましいということではありませんが)、他人に愛想がよくなったり、だれかにベタベタ甘えたりするようになります。
さみしい思いをしていますが、その分だけ、たくましくなります。
なお、過去を振り返らないこと。
子育ては、常に「今」を前提に、「今」を基盤に組み立てていきます。
7歳(小2?)ということですから、そろそろ親離れの時期にさしかかります。
その(揺り戻し)時期と考えてください。
この時期の子どもは、赤ちゃんに戻ったり、ときに、妙におとなびた様子を見せたりしながら、つぎの思春期前夜を迎えます。
これを私は「揺り戻し」(はやし浩司)と呼んでいます。
情緒も不安定になります。
あまり気になるようなら、いっしょに風呂に入ってあげたり、添い寝をしてあげたり、あなたのほうから、ときどきぐいと抱いてあげるだけでも、効果的です。
子どもに安心感を与えるようにするのが、コツです。
ともあれ、数多くある子どもの問題の中でも、たいした問題ではありませんので(失礼!)、あまりおおげさに考えないこと。
子どもは傷まるけになりながら、成長していきます。
それを見守るのも、これまた親の努めです。
今のうちに、子育てのドラマをおおいに楽しんでください。
こういう時期は、あっという間に終わりますよ!
では、
はやし浩司
2012/05/11
【UTさんからの返信】
はやし先生へ
先生の丁寧なアドバイスが心にしみ、涙が出ました。
悔やんでもあのころの過ぎた時間を戻すことはできないし、今を基盤にこれから前を向いて進んで行く勇気をもらいました。
私だけでなく、みんないろいろな悩みや葛藤を抱えながら育児をしていることもわかりました。
そんなにたいした問題ではないと言ってくださったことも救われる気持ちでいます。
そして今回のことを通して、過去の自分、そしてあたりまえのありがたさに気がつけないほど傲慢だった自分に気づかせてくれた次女に今は愛おしい気持ちでいっぱいです。
子供はいつもどんな悪い母親であろうと、お母さんの愛情を自分に注いでくれることを貪欲に見ているのだなあと感じています。
私もそういえば、子供のころ私のことをもっと見て欲しいと思っていました。
産むのは簡単ですが、本当の母親になるのは大変なんだなあと痛感しています。
これからは、もうすこし習い事を減らして、私自身もゆとりを持って子供たちと過ごしたいと思います。
子供のためだと思って、環境を作るのは親だから、習い事に一生懸命になりすぎて、結局は親のエゴで子供を振り回すことはもうやめにしたいです。
これからも先生のホームページを参考にさせていただきます。
先生もどうかお体を大切に無理をせず、これからもお過ごしください。
私の急なメールにもかかわらず、先生の暖かいメールに感謝しています。
本当にありがとうございました
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●無断転載
私の原稿が、あちこちで無断転載、流用されている。
昨年は、N県の県警本部が発行するホームページで、20枚前後が流用されていた。
私の文章をバラバラに切り離し、それをつなぐという手の込んだものだった。
悪質だった。
(県警本部だって、そういうインチキなことをするぞ!)
で、電話をすると、いきなり、「証拠はあるのか!」と。
で、電話口で双方の原稿を読み聞かせてやったが、それだけでも、1時間半以上もかかった。
……というようなことは、ときどきある。
が、今回の無断転載は、これまた悪質。
何と、コピー用紙に印刷した状態で、1500枚前後。
(印刷して、1500枚だぞ!)
その印刷と、原稿の照らし合わせのために、昨日は、午前4時半までかかった。
刑事告発するつもりでいた。
悪質というか、この手の無断転載は、どれも悪質だが、「はやし浩司」の名前は、きれいに消されてあった。
(こういうことを意図的にするところが、恐ろしい!)
弁護士をしている学友に連絡すると、間に弁護士を置けとのアドバイス。
起きてから、市内の弁護士に連絡を取る。
が、今回も、刑事告発は、やめにした。
電話で相手の意図を問いただすと、こう言った。
「よい内容だったので、つい……」と。
すなおに無断転載を認めた。
ていねいにわびた。
どこかの同業者だった。
だから許した。
が、さらに悪質なのもある。
間に、コピーラーター(ゴーストライター)が入って、書籍化しているのもある。
この手のライターは、文章そのものを変えると同時に、いろいろな情報を上塗りする。
素人の人が、文章を読み比べただけでは、まず、わからない。
が、その底流を流れる「哲学」は同じ。
つまり育児論というのは、「哲学」。
その人によって、みな、ちがう。
その哲学が同じということは、ありえない。
が、その本の底流を流れる哲学が同じ?
文を読むと、その哲学が、スーッと自分の頭の中を流れていくのがわかる。
ところどころに、私がよく使う専門用語や、具体例が挿されている。
あるところでは、「宏君の背中がチョークで落書きされた」が「聡君の傘がチョークで落書きされた」になっていた。
その本は、100万部以上も売れたという。
ズルイ学者は、こういうライターを巧みに使い、自分の名誉につなげる。
ライターは、そういう学者に寄生し、魂を売る。
金を儲ける。
●今朝は、12時間
昨夜は、睡眠導入剤を口にした。
午後9時、就寝。
起きたのが、今朝は、9時。
12時間、眠ったことになる。
(途中、午前6時ごろ、トイレに行くため、目を覚ましたが……。)
軽い頭痛が残った。
偏頭痛と判断したので、「Z薬」を、半分に割って、のんだ。
20~30分で、偏頭痛は、消えた。
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【私のメール作法】
●件名
毎日多くのメールが届く。
そのほとんどが、スパムメール(広告を目的とした、大量配布メール)。
フィルターをかけ、かなりのメールを、「サーバーから削除」している。
が、それでも毎日200~300通のメールが、すり抜けてくる。
スケベ・メールも多い。
もちろんウィルス入のメールもある。
2重、3重のガードをかけているが、それでも届く。
(私のばあい、サーバー側で、有料のウィルスチェックサービスを受けている。
またパソコンごとに、ウィルスソフトをインストールしている。
パソコンは、メール用、ホームページ(ウエブサイト)用と、使い分けている。)
が、困るのが、件名が「?」のメール。
「先日は、ありがとうございました」とか、「返事が遅れてすみません」とか、など。
そういうメールが届くと、開くべきかどうかで、しばらく考え込んでしまう。
メールアドレスに心当たりがあるからといって、安易に開いてはいけない。
悪質なスパムメールになると、その人のアドレスを勝手に盗んで使う。
だから……。
(1)メール作法の基本として、件名には、相手方の名前、自分の名前を書くべき。
封書だって、そうだ。
相手方の住所氏名はもちろん、自分の住所氏名を書く。
それがあるから私たちは、安心して、その封書を開くことができる。
そうでなければ、そうでない。
差し出し人の名前の書いてない封書を受け取ったら、あなたはその封書を開くだろうか。
開くにしても、かなりの勇気(迷い?)が必要。
実際には、そんな封書は、めったに、ない。
(2)できれば、件名だけで、メールの内容がわかるようにする。
件名というのは、メールの概要と考えたほうがよい。
件名を読んだだけで、大まかな内容がわかるようにする。
そうすれば、メールを開く方も、安心してそのメールを開くことができる。
(3)感情表現を豊かに
ここがいちばん重要だが、メールというのは、当然、「文章」。
この文章というのは、読む側の心の状態によって、どういうふうにも読める。
たとえば読む側が、たまたま落ち込んでいるようなとき。
「お前も、馬鹿だ」と書いてあると、その一文だけで、激怒してしまう。
書いた方は、軽い気持ちでそう表現したとしても、それは通じない。
つまりこうして誤解が誤解を生み、たがいの間を決裂させる。
そういう例は、少なくない。
つまり文章というのは、読む側の心理状態によって、赤くもなれば、青くもなる。
だから相手を批判するようなときには、とくに注意する。
あるいはそういうメールは書かない。
そういうときは、電話を使う。
電話なら、こちらの感情を、うまく伝えることができる。
実際、私のばあい、何かの仕事の依頼などがあたったようなときは、すかさず電話を入れるようにしている。
(メールではなく、声の電話。)
相手が見知らぬ人のばあいは、さらにそうである。
声には心をつなぐ作用があるが、文章にはそれがない。
それに一度、たがいに声を聞けば、そのあとの連絡が、スムーズになる。
以上が、私の「メール作法」ということになる。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【日本の無駄づかい】
●お人好し外交
先月のこと(2012年4月)、日本政府は、600億ドル(5兆円)もの大金を、IMFに追加出資した。
頼まれもしないのに、「主導権」を握った(?)。
それまでは「日本はカヤの外」。
それ以後は、チヤホヤ。
あの財務大臣の、子どものような笑顔が、それを象徴している。
まず、そのときに書いた原稿を読んでほしい。
日付は、2012年4月22日になっている。
++++++++++++以下、4月22日
●IMF(国際通貨基金)への拠出金
日本政府は、IMFに、600億ドルの拠出金を決めた。
報道によれば、(1)円高対策になる、(2)将来の保険金的色彩が濃いなどとある。
しかしそれにしても、600億ドルとは!
ちなみに、アメリカはゼロ。
国別に今回の拠出国を並べてみる。
日本……600億ドル
イギリス……150億ドル
韓国……150億ドル
オーストラリア……70億ドル
シンガポール……40億ドル
アメリカは財政難を理由に、ゼロ。
ブラジルは、「自国の地位向上が見られない」という理由で、ゼロ。
あのね、IMFというのは、もともとは、ヨーロッパの、ヨーロッパのための機関。
そのことはIMFの理事国メンバーを見ればわかるはず。
日本は、「自国の地位向上」をめざし、600億ドルを拠出した?
が、今の日本に、そんな余裕、どこにある?
600億ドルということは、約5兆円。
日本人1人当たり、5万円(成人人口約1億人として計算)。
もしあなたの家に、町内会の班長が回ってきて、こう言ったとする。
「今度、EUを救済することになりました。
ついては、あなたの家は3人家族ですから、15万円出してください」と。
あなたは何も言わず、「はい」と言って、15万円、差し出すだろうか。
それとも、しぶるだろうか。
が、私なら、はっきりと断る。
ちなみに、IMFの歴代(専務)理事(=理事長、理事国)は、つぎのようになっている。
べルギー(1946)
スウェーデン(1951)
スウェーデン(1956)
フランス(1963)
オランダ(1973)
フランス(1978)
フランス(1987)
ドイツ(2000)
アメリカ(2011)(2か月で退官)
フランス(2011)
これを見てもわかるように、IMFは、国際機関とは、とても言い難い。
さらにウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。
日本人としては、たいへん気になる。
『……日本の場合、大口出資国である等の立場から財務官僚が多く出向しており、融資が行われていないにもかかわらず「消費税を上げるべきだ」等のIMFの討議内容の報道がなされる。
これは、IMFの正式発表ではなく、財務官僚が出向者を使いさも、まるで、IMFが全体がその様に述べているかのように見せ、自分たちの都合の良いようにマスコミを通じ国内世論を操作する道具にしている』(以上、ウィキペディア百科事典)と。
そういうIMFに、600億ドル!
財務官僚のメンツを立てるために、600億ドル!
アメリカはもっと、クールだぞ。
ユーロが崩壊すれば、アメリカ・ドルの独壇場。
ユーロは、もとは言えば、アメリカのドルに対抗して生まれたもの。
ユーロの台頭とともに、アメリカのドルは弱体化した。
ついでに日本の円も、脇に追いやられた。
どうして今、そのユーロを助けなければならないのか。
アメリカ人なら、みな、そう考える。
今の日本人に欠けるのは、大局に立った戦略的視野。
それに野生臭。
ドロ臭さ。
結局は、最後にババを引くのは、この日本。
日本人の私たち。
++++++++++++以上、4月22日
●閑古鳥が鳴く新東名(第二東名)
報道によれば、(1)円高対策になる、(2)将来の保険金的色彩が濃いなどとある。
が、円高対策のためということなら、600億というのは、あまりにも弱い。
世界中が、札の印刷合戦をしている。
日本だけが、かたくなに約束を守り、優等生ぶっている。
現在の円高の最大の理由は、ここにある。
それを「円高対策」と言うのは、あの新東名(第二東名)をさして、「渋滞緩和」と言うのと同じくらい、バカげている。
開通してから2週間目。
数日前、近くを走ってみたが、車はまばら。
閑古鳥が鳴いていた。
あれほどまでに豪華な道路は、そうはない。
インフラ整備とはいうが、明らかに過剰。
今朝の日経新聞は、EUの現状について、つぎのように結んでいる(2012/05/07)。
最後の一文をよく読んでほしい。
『労働市場改革の断行は難しく危険でさえある。
イタリアでは近年、労働市場改革について政府に助言していたエコノミストが2人暗殺された。
だが、そうした改革は長期的には雇用創出を拡大する唯一の道だ。
対照的に、欧州は支出拡大で債務から抜け出すべきという意見は幻想だ。
もちろん、財政赤字削減のペースには議論の余地がある。
しかし、欧州のように多額の税金を課され、厳しく規制され、多大な債務を背負った大陸では、国費による公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけだ』(以上、日本経済新聞)と。
これはEUの現状を訴えた意見だが、それはそのままこの日本にも当てはまる。
つまり「公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけ」。
もしあなたが新東名で浜松周辺を走る機会があったら、眼下に交差する道路を見てほしい。
どの道路も、立派。
豪華。
県道や市道もあるが、林道や農道が、縦横無尽に走っている。
たとえば三ヶ日の国民宿舎から引佐町へ抜ける道(農道)などは、片側1車線だが、そこらの高速道路より立派。
直線距離にして3キロ程度(グーグルアース上で測定)。
いつ走っても、すれちがう車さえない。
まさに「公共事業は、どこにも行けない道をつくるだけ」。
こんなアホなことばかりしているから、国の借金はふえつづける一方!
またこんな方法で景気を刺激しようとしても、そこには限界がある。
工事中は、土建業者が潤う。
しかしそのあと、経済は、ドカッと停滞する。
その象徴が、新東名。
この先の維持費(つぎの世代に残すツケ)を考えたら、ゾッとする。
●本論
さて本論。
今朝の報道によれば、フランスでは左派政権(大統領)が誕生した。
ギリシャでも、与党は過半数を取れないかもしれないという(2012/05/07)。
それを先読みして、ユーロは、下落。
何度も書くが、ギリシャを含め、EUの金融危機は、何一つ解決していない。
むしろ悪化の一途をたどっている。
そんな中、日本は、お先走り、頼まれもしないうちから、600億ドルの追加支援。
まさに大国意識。
お人好し。
世界の経済の中心は、EUから中国、さらにはインド、ブラジル……へと、移動しつつある。
日本からも、東南アジアへと、移動しつつある。
動いてるマネーは、100兆円単位。
そんな中、5兆円程度で、その流れを変えられるはずもない。
が、日本にとっては、大金。
多くの経済学者たちが口をそろえて言っているように、「最後にババを引くのは、この日本」。
つまり日本は、もう少し野生味を表に出し、国益第一に行動すべき。
最後に、こんなニュースもある(Yahooニュースより)。
『[東京 23日(2012年4月23日)
ロイター] 韓国サムスングループが日本人技術者の引き抜き攻勢を強めている。
巨額の赤字に苦しむ国内電機各社による事業縮小と人員削減。
開発環境や処遇が悪化すれば優秀な技術者が自ら会社を離れても不思議はない。
(中略)
<年収10倍の提示も>
(中略)
ある技術者に提示されたサムスンの処遇はこうだ。
役職は取締役。年収は6000万―1億円で、契約期間は3―5年。
年収とは別に、転職に伴う契約金が数千万円支払われる。
専属秘書と運転手付きの車が支給されるほか、30坪超の家具付きマンションが無償貸与される。
日本への帰省費用、家族の韓国への招待等も会社が実費負担する』(以上、Yahooニュース)と。
日本の外では、猛烈な風が吹いている。
いいのか、日本!
このままで!
ちなみに今朝、7日午前の東京株式市場では、日経平均株価が200円超安の9122円で取引されている。
2012/05/07
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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よろしくお願いします。 はやし浩司
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. ○ ~~~\\//
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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Holiday Paradox
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
今日「休日パラドックス」という言葉を知った。
前から、体験的には知っていたが、それを定義づけた学者がいた。
納得!
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●MSNトッピクスより(2012-05ー06)
**********以下、MSNトッピクスより抜粋***********
……新しい出会いがあったり、初めての場所に出かけた休日は、あっという間に過ぎてしまう。
でも後から振り返ると、単調な平日と比べて、長い時間だったような気がすることはないだろうか?
時間が過ぎてゆくその瞬間は速いのに、後から振り返ると長いという、この休日によくある時間の感覚は「休日パラドックス」と呼ばれる。
こうした現象が起きるのは、時間に対する感覚と記憶できる行動の数が影響しているらしい。
「休日パラドックス」という呼び名を生み出したのは、心理学の講師であるクラウディア・ハモンド氏だ。
ハモンド氏は心理学の学会で、このパラドックスの仕組みを次のように説明した。
普段の生活は一般的に、単調でパターン化されているので、二週間でせいぜい6~9つのことしか記憶に残らない。
しかし、充実した休日では一日に6~9つの記憶に残る経験をする。
そのため、その瞬間はあっという間に過ぎてしまうものの、後から振り返ると記憶に残っていることが多いので、長い時間だったように感じるのだという。
**********以上、MSNトッピクスより抜粋***********
で、調べてみると、英語の原文が見つかった。
それをそのまま紹介する。
(出典:Science & Tech ”Mail Online")
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2132993/Why-holidays-fast-memorable.html#ixzz1suzvPiwK
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
We have all experienced it – a holiday that whizzes by at the time but, in retrospect, seems to have gone on forever. Scientists say it is all to do with how our perception of time is affected by the number of memories we form.
When we are doing something new, the hours pass quickly. But all the experiences lead to lots of memories – and when we look back, there are so many that it feels as if we were away for ages.
When we are in our normal routine, fewer memories are laid down. The days seem to drag… but fly by in retrospect.
Holidays are so memorable because of our perception of time, scientists say
The phenomenon has been called the holiday paradox by psychology lecturer Claudia Hammond. She told the British Psychological Society’s conference in London that our lives are normally so humdrum that only six to nine experiences a fortnight are worth committing to memory.
On holiday, we remember six to nine things from each day.
It is something we have all experienced: a holiday that whizzes by at the time but, in retrospect, seems to have gone on forever.
Scientists say it is all to do with our perception of time and how it is affected by the number of memories we form.
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●二重過程理論
なぜ、英文の原文を掲載するか。
それには同じMSNニュースには、つぎのようにあったから。
『……4月18日付けの『Psychological Science』に掲載されている論文には、次のように書かれている。
「直観的に考えると、使う言語にかかわらず同じ判断が行われる、もしくは、外国語で考えたほうがより体系的でない判断をしてしまうように思われるが、実際にはその反対が正しい。
つまり、外国語を使うと、意思決定をするときのバイアスが減少するのだ」
心理学において、人間の判断は、2つの異なる思考法によって導き出されると考えられている。
ひとつは、体系的・分析的で、高度に認知的な思考法。
もうひとつは、手早く無意識的で、感情的な思考法だ。
二重過程理論と呼ばれ、長期的な利益を勘案することができ主に大脳新皮質に司られている「理性的システム」と、即座に働き短期的な利益(主に生存・繁殖)に関わり主に大脳辺縁系に司られている「情動システム」の両方が、判断や意思決定に関わっているとされる。
これに照らし合わせると、母国語でなく、無意識には使いこなせない言語で思考することは、認知的に負荷のかかる行為であり、脳の処理能力を奪われるため、そのような場合には、手早く短絡的な思いつきに頼る傾向が強くなるように思われる』(以上MSN)と。
●二重過程理論
ここで重要なキーワードは、「二重過程理論」。
人間の判断は、つぎの2つの異なる思考方法によって導き出されるという。
(1)体系的・分析的で、高度に認知的な思考法。(大脳新皮質に司られている。)
(2)手早く無意識的で、感情的な思考法。(主に大脳辺縁系に司られている。)
何やら難しいことが書いてあるように思う人がいるかもしれない。
しかしこんなことは経験的に、当たり前のこと。
たとえば何かの記事を読んだとする。
そのとき直感的に、「これはおかしい?」と感ずる。
これが(2)の「手早く無意識的で、感情的な思考法」ということになる。
つぎにその直感に基づいて、自分の思考を注入し、理論化したり体系化したりする。
それが(1)の「体系的・分析的で、高度に認知的な思考法」ということになる。
そういう意味では、先の(1)と(2)は、順序が逆のように思う。
それはさておき、(2)から(1)へ結びつけるには、それなりの経験と訓練が必要である。
(2)の能力のある人は、多い。
しかしそれを(1)の段階まで、昇華できる人は、少ない。
いわんやそれを文章にしたり、さらに読んでくれた人を納得させるには、経験と訓練が必要である。
だれでもできるわけではない。
……という意味で、この2つの記事は、たいへん興味深い。
今まで私たちが、体験として知っていたことを、じゅうぶん、納得させてくれた。
ひとつは、記憶(=時間の長さ)というのは、密度で決まるということ。
もうひとつは、ものごとはまず直感で判断し、それを別の脳で体系化、理論化するということ。
新しい知識、ゲット!、ということで、この話は、ここでおしまい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 二重過程理論 記憶 記憶と時間の長さ はやし浩司 記憶の密度と時間の長さ はやし浩司 直感の体系化 理論化)
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【消息・調査】(はやし浩司 2012-05-07)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
最近、強く、こう思うときがある。
昔出会った人たちや、私が教えた生徒たちは、今、どうなっているか、と。
それを知りたい、と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●インターネット
インターネットの進歩には、驚く。
インターネットを使えば、たいていのことは調べられる。
さらにグーグルアースを使えば、その人の住んでいる場所や家の様子まで調べられる。
場所によっては、「ストリート・ビュー」が使える。
周辺の様子を、車の中から見るように、知ることができる。
たとえば「AAさんのことを知りたい」と思ったとする。
そういうときは、「AA」という名前で、検索をかければよい。
今ではその町内で発行する機関誌まで、ネットで公開されていることが多い。
それを手がかりに、AAさんの住所を絞り込むことができる。
職業もそれでわかることが多い。
何かの活動を、公にしていれば、さらに詳しく知ることができる。
が、いつもここで、強いブレーキが働く。
「それを知ったところで、どうなのか?」と。
言うなれば、安っぽい、好奇心。
もっと平たく言えば、「のぞき見」。
●興味
が、それでも知りたい人というには、いる。
学生時代の親友とか、恋人とか……。
が、そこまで。
消息を知ったところで、何かをしようという気はない。
「元気かなあ?」と思う程度。
が、これは好奇心ではない。
興味。
どうしてだろう?
どうして、そういうことを今になって、知りたがるのだろう?
理由のひとつに、私自身の人生が秒読み段階に入っていることがある。
言うなれば、あと片づけの段階。
整理。
ちょうど古い骨董品を処分するように、過去のひとつずつに決着をつけておきたい。
心に踏ん切りをつけておきたい。
「糞切り」と書いてもよい。
長い「糞」をぶらさげたままでは、死ぬこともできない。
そう思うようになった理由のひとつに、最近、こんなことがあった。
●独りよがり
学生時代、1人のガールフレンドがいた。
美しい人だった。
半年ほど、つきあった。
私は真剣だった。
で、そのガールフレンドについて、前回、同窓会に出たとき、いろいろな話を聞いた。
結果、「ナーンダ!」となってしまった。
つまり彼女には、私のほかに何人かのボーイフレンドがいた。
私は、ただのワン・オブ・ゼム(多数の中の1人)にすぎなかった。
しかもそのガールフレンドには、本命のボーイフレンドが、ほかにちゃんといた。
それを知ったとき、「ナーンダ!」と。
……私には子どものころから、そういう面がある。
思い過ごし。
思い込み。
それがはげしい。
だからそのガールフレンドとの思い出についても、別のとらえ方をしていた。
勝手に美化し、同時に、2人の関係を悲恋化していた。
が、そのガールフレンドと言えば、私のことなど、何とも思っていなかった。
そういう私を、うるさい男と思っていた(?)。
私とは、遊びに過ぎなかった(?)。
が、その私といえば、本気になってしまった。
「さあ、たいへん!」ということで、(たぶん?)、そのガールフレンドは、あれこれ理由を並べ、私から去っていった。
当時のいきさつをあれこれ総合すると、どうやら、そういうことになる。
私はあまりにも純朴で、そういった女性の心理を理解できなかった。
はっきり言えば、悲劇ではなく、喜劇!
みなで、ハハハと笑っておしまい。
みなに、ハハハと笑われておしまい。
同窓会では、そうだった。
●一縷(いちる)の望み
で、そのときは、それで終わった。
しかし数日もすると、それがジンワリと私の心の中で、大きく膨らみ始めた。
「ならば、今、どうしているか、調べてやろう」と。
……というのも、自分の中で、その残り火が今でもチラチラと燃えている。
青春時代の美しい(?)思い出として、ずっと大切にしてきた。
が、今回、それが粉々に破壊されてしまった。
ア~ア、という感じ。
映画『タイタニック』の中に出てくるジャックとローズの話とは、大違い。
私には、その雰囲気さえない。
それはわかっているが、それでも私は、自分の思い出に、一縷(いちる)の望みをかけていた。
いつか通りで会ったとき、「あっ、AAさん……」「浩司さん……」とか、など。
そんな会話ができればよいと願っていた。
映画『ドクトル・ジバゴ』の1シーンのように。
(こう見えても、私はロマンチストなのだ!
もっともあの映画の中では、そういう会話もできないまま、ジバゴは心臓発作を起こし、その場で倒れてしまうが……。)
が、今は、ちがう。
「会って、ぶん殴ってやりたい」と思っている。
「さんざん、人の心をもてあそびやがって、この野郎!」と。
●恋愛詐欺
で、おととい、いろいろ調べてみた。
インターネットの助けを借りた。
住所は、XX県XX町XX番地。
たまたまそのあたりを、グーグルアースのストリートビューで見ることができた。
マウスを動かせば、360度、その周辺を見回すことができる。
近所の商店とか、そういったものまでわかる。
あとはNTTの104を使い、その商店の電話番号を調べる。
それとなくその商店に電話をかけ、相手の様子を聞く……。
……というような、姑息(こそく)なことはしない。
調べるなら、現地まで行き、堂々と、それをしたい。
ばったり顔を合わせたところで、どうということはない。
無視して、その場をやり過ごせばよい。
言うなれば、私は被害者。
恋愛詐欺の被害者。
相手のAAさんは、いやがるだろうが、それは私の知ったことではない。
つまり私は私のやり方で、最後の、そのまた最後の残り火を消しておきたい。
残り火を残したままでは、冥土へは行けない。
●STOP
ほかにも、それぞれの理由があって、調べてみたい人はいる。
が、「みたい」と思うだけで、そこでSTOP。
先にも書いたように、それはただの好奇心。
のぞき。
私の生活にも、思想にも、何ら役に立たない。
意味もない。
そんな暇があったら、現在、よく知る人の過去を知ったほうがよい。
またそういう人たちを大切にしたほうがよい。
共に、人生は短い。
……というか、最近、「私」「他人」という垣根が、少しずつ低くなってきたように感ずる。
私と他人を区別するほうが、おかしい。
共にこの地球で、共に「現在」という時間を共有した。
言うなれば、一心同体。
その人がどんな人生を送ったにしても、その人の人生は、私のもの。
同時に、私の人生は、その人のもの。
みなが、ひとつの坩堝(るつぼ)の中で、いっしょくたになって生きている。
それが今という時代を作っている。
それがわからなければ、江戸時代なら江戸時代という時代を思い浮かべてみればよい。
あの時代にも無数の人が生きていた。
無数のドラマがあった。
しかしそういった人の間には、垣根はない。
みな、いっしょくたになり、あの時代を作った。
私たちも、やがてすぐ、そうなる。
……ということで、今夜はここまで。
近く、AAさんの家の近くまで行き、AAさんの消息をたずねてみたい。
会うことはない。
ただ長くぶらさがった「糞」だけは、そのとき、その場で、しっかりと切っておきたい。
2012/05/07記
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【ブラック・ビジネス】(はやし浩司 2012-05-06)
●宝島社
昨夜、床に入ってから、1冊の本を読んだ。
宝島社の『ブラックビジネス』。
表紙には、「知らずにハマる、ブラックビジネス」とある。
宝島社といえば、若いころ、よく足を運んだ。
そのころから、こうした告発本を、多く出版していた。
それもあってか、玄関が、ふつうの出版社とはちがっていた。
どこかの暴力団の襲撃を受けたこともあった。
閉鎖的というか、外部の人が、すぐには中に入れないしくみになっていた。
が、社員の方は、たいへん親切だった。
私が持ち込んだ企画を見ながら、いろいろアドバイスをしてくれた。
出版先を探し、紹介してくれたこともある。
だから……というわけでもないが、今でも「宝島社」という社名を見ると、すぐ手が伸びる。
奥付の住所を見ると、「千代田区1番町25」とある。
それを見ながら、「ああ、あそこが千代田区だったのか」と思う。
道路の反対側に、大火災を起こしたホテルが、当時はまだそのまま残っていた。
また帰るときは、いつも、地下鉄は、「四谷」というところで、乗った。
(たった今、グーグル・アースを使い、会社の場所を調べてみた。
が、当時とは、会社の場所がちがうように思う。
会社が大きくなって、現在の位置に移転したのか。
さらにウィキペディア百科事典を使って調べてみると、1980年代当時は、『赤坂の(株)宝島社、発行は飯田橋の(株)JICC出版局、と別会社になっていた』とある。
私が知っているのは、その「赤坂」のほうだった。
(それとも飯田橋のほう?)
また火災事故を起こしたのは、ホテル・ニュー・ジャパン(千代田区永田町)。
1982年に火災とあるから、私が宝島社に通っていたのは、その前後ということになる。)
話はそれたが、『ブラックビジネス』。
読んで、こう思った。
「よくもまあ、ここまで金に毒された人たちがいるものだ」と。
まさに、あの手この手を使い、人をだます。
しかもこの本のすごいのは、(宝島社という会社はそういう出版社だが)、堂々と実名公を表しているところ。
たとえば「高島易断」。
「インチキすぎる荒稼ぎのトリック」(P41)とある。
(いいのかなあ?
こういう形で実名を出して……。)
●ブラックビジネス
目次を並べてみる。
(1)最新振り込め詐欺事情
(2)悪徳マルチ商法は人生崩壊ゲーム
(3)高齢者をしゃぶりつくす、未公開株詐欺・通貨詐欺・押し売り
(4)”悪徳詐欺師系”占い師が語るスピリチュアル商法の闇
(5)詐欺ビジネスに変化が起きている。
(6)最新の「押し買い」事情
(7)二極化する新興の「闇金融」
(8)危険な罠だらけの競馬情報
(9)「海外投資」欲望のトラップ!
(10)催眠商法の底なし沼
(11)迷惑メール、真の目的とは
(12)被害者増加中! 民間資格商法
(13)問題山積みの開業支援ビジネス
(14)偽造サプリで今のうちに大儲け
(15)でっちあげ募金! 通称「犬詐欺」
(16)要求はどんどん過激に! 「チャイルド・ポルノ」
(17)ママサークルが、怪しい商売の温床に!?
(18)ギャル詐欺、騙されて覚える大人の世界
(19)不動産業界にはびこる、抵抗不能の搾取構造
(20)共犯ヘルパーが増殖中
(21)俺ならこの家狙って、空き巣に入る!
(22)リフォーム業界は”ウソの匠”だらけ
どれも私たちの生活と直結している。
●リフォーム業界
読めば読むほど、まさに人間不信になる。
「リフォーム業界」については、「悪徳業者以外を探すのが難しい」(P111)とある。
私も「リフォーム」をと考えていたので、これは参考になった。
そのリフォーム会社。
リフォーム会社というのは、「建築業」ではないそうだ。
「解体屋」とか「産廃業者」とかが組んで、リフォーム会社を開業しているとか。
正式の図面は引けないから、客にはイラストを示して工事にかかるという。
が、自分では、しない。
工事は、それなりの仕事ができる大工に丸なげ。
たとえば1700万円のリフォームだと、1000万円分くらいが、丸々、会社の取り分。
残りの700万円が、大工に渡される実費。
リフォーム会社にしてみれば、「これほどうまい、儲け話はない」(本書)となる。
●スピチュアル商法
「ブラックビジネス」は、11Pもさいて、「スピリチュアル商法」を解説している。
「数百円の石ころが、数万円の商品に化けるカラクリ」というのもある。
「ただの石を問屋から買い、パワーストーンとして売る」(P47)と。
少し前、A・チャンというタレントが使った商法が、これである。
当の本人は、「事務所の人が勝手にして、私は知らなかった」と弁解しているが、それを信ずる人はいない。
A・チャンは、「A大学」という架空の大学まで設立し、資格商法にまで手を染めている。
ともあれ、騙す方も騙す方だが、ことこのスピリチュアル商法に関して言えば、騙される方も、騙される方。
どうしてこういう馬鹿なものを信ずるのかと言いたいが、それぞれの人には、それぞれの事情というものがある。
本のなかには、占い師に手相をみてもらっている男性の写真も載っていた。
占いといえば、若い女性の趣味のようなものかと思っていたが、どうもそうでもないようだ。
事業に行き詰まった人は、それこそ「藁(わら)にもすがる」。
●若い女性
こうしたブラックビジネスに共通しているのは、「若い女性」。
若い女性が、まず電話口に出る。
客と応対する。
「日本人は、若い女性は安心と、脳の奥まで、刷り込みがなされている」(本書)と
「若い女性が、人を騙すはずがない」と信じている人も多い。
つまりブラックビジネスを展開する、ブラック企業は、若い女性を巧みに利用する。
客(カモ)を、安心させる。
無知ということもある。
(実際、無知だが……。)
それゆえに若い女性は、確信犯的に行動する。
「私はちゃんとしたビジネスをしている」と、信じ切っている。
だから客の方は、騙される。
言いかえると、あやしくない会社ほど、あやしいということ。
若い女性が、ソフトな言い方で電話口に出たら、まず疑ってかかる
それくらいの警戒心は必要。
……そう言えば、銀行にせよ、証券会社にせよ、ブラック企業に含めてもよいのではないか。
やっていることは、まさにブラックビジネス。
現金(マネー)は、神に近いか、悪魔に近いかと問われれば、悪魔のほうに、はるかに近い。
その悪の権現(ごんげん・化身)が、銀行であり、証券会社ということになる。
●老人組よ、警戒しよう!
ともあれ、我ら、老人組は、警戒する。
この先、この種のブラックビジネスは、ふえることはあっても、減ることはない。
たとえば闇金融にしても、今では「ソフト闇金融」というのまで横行しているそうだ。
それがどういうものかは、宝島社の「ブラックビジネス」を読んでみたらよい。
それにしてもまあ、よくもここまで考えるものだと、感心する。
……ということで、今朝は、かなり人間不信に陥っている。
ズルイ人間は、どこまでもズルイ。
だから……。
どう生きるか。
どう死ぬか。
もうひとつ加えれば、どう自分を守るか。
老後を生きる、これが3本の柱ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ブラックビジネス ブラック企業 老人組みの生き方)
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●老後の住居(終の棲家と帰巣本能)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
老後をどこで、どのように過ごすか?
ときどき、そんなことを考える。
もちろん第一の候補地は、この浜松市ということになる。
ちょうど40年+半年、住んだことになる。
しかしここは私の故郷ではない。
知り合いはいるが、知り合いという程度。
どの人も、表面的なつきあいだけ。
花にたとえるなら、私は、水耕栽培で育ったチューリップのようなもの。
「根」そのものが、地面についていない。
で、私としては、老後は、故郷の美濃市、もしくはその周辺に住みたい。
最期は、そのあたりで自分の人生を終えたい。
心のどこかで、いつも、そう考えている。
が、ワイフは、「いや」という。
美濃の町を、よほど嫌っている……らしい。
一方、この浜松は、ワイフの故郷。
7人の兄弟姉妹は、いまだ、健在。
「いや」という理由は、よくわかる。
私「もし、ぼくが美濃に戻ると言ったら、どうする?」
ワ「私は、行かないわ」
私「だったら、離婚ということになるよ」
ワ「そのときはそのとき。また考えましょう」と。
……こんな会話を、すでに何十回も繰り返してきた。
堂々巡りというか、結論は、いつもあいまい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●夫婦
夫婦といっても、基本的には他人。
溶け合える部分もあるが、そうでない部分も、ある。
その溶け合えない部分をどうするか。
もちろん内容にもよる。
ワイフは熱い風呂が好き。
私は、ぬるい風呂が好き……というような部分は、どうでもよい。
しかし時として、人生観の根幹にかかわるような問題もある。
人生観、育児観、哲学など。
老後の住、つまり終の棲家(ついのすみか)もそのひとつ。
そういったもので違和感を覚えると、とたんに「他人意識」が強くなる。
「やはり他人だな」と。
●一心同体
技術的には、同居は可能。
共助共存。
が、そのレベルを超え、一心同体となると、ことは簡単ではない。
それこそ10年、20年単位で、苦楽を共にしなければならない。
が、それには共通の基盤がなければならない。
共通の目標、共通の価値観……。
「たがいの愛と理解で克服」などという、生やさしいものではない。
寛容と妥協、それを許す度量の広さ。
さらに平たく言えば、「あきらめ」。
結婚生活というのは、まさにその連続。
それなくして、結婚生活というのは、成り立たない。
が、私のワイフは、「いやよ」と言う。
オーストラリアや東南アジアならよいが、私の故郷の美濃市は、「いやよ」と。
理由はよくわからないが、魚ひとつ取りあげても、口に合わないらしい。
「岐阜の魚は、ヌルヌルして、気持ち悪い」と。
川魚というのは、そういうものなのだが……。
●夢と現実
そこで私なりにシミュレーションをしてみる。
「はたして美濃の、あの町に住めるか」と。
つまり(夢)と(現実)の間には、大きな距離がある。
今までにも、そういう経験は、何度かしてきた。
「最期は故郷で……」と思う気持ちはあっても、現実には、それはむずかしい。
で、先ほど私は、「水耕栽培で育ったチューリップのようなもの」と書いた。
が、故郷の美濃市となると、すでに「根」そのものを切られている。
知人、友人といっても、もちろん昔の知人、友人とは、ちがう。
考え方も、大きくちがう。
気軽にあいさつ程度のことはできるかもしれない。
が、それ以上に、彼らの世界に入り込んでいく自信はない。
ここ浜松で感ずる孤独感以上の孤独感を、覚えるかもしれない。
だから最期は、この浜松で……となる。
●晩年の母
ところで私の実母は、最期の2年間を、この浜松市で過ごした。
1年は、私の自宅で。
つぎの1年は、近くの特養で。
その特養でのこと。
母はしきりに、生まれ故郷のK村に帰りたがった。
何度も私に、せがんだ。
一度、脳梗塞で倒れるまで、それはつづいた。
そういった症状は、どの老人にも見られるらしい。
ホームのヘルパーの人たちは、こう言った。
「老人は、みな、そうですよ」と。
……ということは、私とて例外であるはずがない。
私も、最期に近づけば近づくほど、帰巣(きそう)本能が強くなるかもしれない。
事実、このところ、それをときどき感ずる。
「ここで死ぬのはいやだな」という思いが、そのまま「故郷で死にたい」という思いに変わる。
●老後の問題
老後には老後の問題が、山のようにある。
これもそのひとつ。
つまりこの先、何かにつけ、じっと耐えて生きていく。
心の壁にペタリと張りついた不完全燃焼感に、じっと耐えて生きていく。
老後の住居問題だけではない。
もろもろの問題が、薄い地層のようになって、心の中に山積する。
孤独、不安、心配、健康問題などなど。
が、どれも、自分の力では解決できない。
「命」の壁が、大きく立ちはだかる。
つまりどうしようもない。
どうしようもないから、じっと耐える。
耐えて生きるしかない。
●結論
「老後は故郷で……」というのは、言うなれば、わがまま。
ぜいたく。
それまで、「浜松」という「地」があるだけでも、御の字。
感謝しなければならない。
というのも、そういうわがままや、ぜいたくができる人のほうが、はるかに少ない。
反対に地元に残った人には、地元に残ったという不完全燃焼感があるかもしれない。
先日、高校の同窓会に出たときも、そう言った男性が、1人いた。
「私は生まれも育ちも、そして今まで、この美濃町を一歩も出たことがありません」と。
自慢して、そう言ったのではない。
どこかさみしそうな言い方だった。
それを思えば、自由に、空をはばたくことができた私は、幸福だったかもしれない。
で、その点、私のワイフは、正直な人だ。
そのままストレートに心の内を表現する。
「いやよ」と。
それはその通りで、もし私が逆の立場だったら、やはり同じように言うだろう。
「いやだ」と。
で、このエッセーの結論。
老後というのは、耐えて生きるもの。
それがいやなら、できるだけ自分の心をごまかして生きる。
そういう心の操作が、加齢とともに、ますます必要になってくる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 終の棲家 最期の住居 老人組の心理 耐えて生きる はやし浩司 不完全燃焼感)
休みます。
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
今日「休日パラドックス」という言葉を知った。
前から、体験的には知っていたが、それを定義づけた学者がいた。
納得!
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●MSNトッピクスより(2012-05ー06)
**********以下、MSNトッピクスより抜粋***********
……新しい出会いがあったり、初めての場所に出かけた休日は、あっという間に過ぎてしまう。
でも後から振り返ると、単調な平日と比べて、長い時間だったような気がすることはないだろうか?
時間が過ぎてゆくその瞬間は速いのに、後から振り返ると長いという、この休日によくある時間の感覚は「休日パラドックス」と呼ばれる。
こうした現象が起きるのは、時間に対する感覚と記憶できる行動の数が影響しているらしい。
「休日パラドックス」という呼び名を生み出したのは、心理学の講師であるクラウディア・ハモンド氏だ。
ハモンド氏は心理学の学会で、このパラドックスの仕組みを次のように説明した。
普段の生活は一般的に、単調でパターン化されているので、二週間でせいぜい6~9つのことしか記憶に残らない。
しかし、充実した休日では一日に6~9つの記憶に残る経験をする。
そのため、その瞬間はあっという間に過ぎてしまうものの、後から振り返ると記憶に残っていることが多いので、長い時間だったように感じるのだという。
**********以上、MSNトッピクスより抜粋***********
で、調べてみると、英語の原文が見つかった。
それをそのまま紹介する。
(出典:Science & Tech ”Mail Online")
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2132993/Why-holidays-fast-memorable.html#ixzz1suzvPiwK
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
We have all experienced it – a holiday that whizzes by at the time but, in retrospect, seems to have gone on forever. Scientists say it is all to do with how our perception of time is affected by the number of memories we form.
When we are doing something new, the hours pass quickly. But all the experiences lead to lots of memories – and when we look back, there are so many that it feels as if we were away for ages.
When we are in our normal routine, fewer memories are laid down. The days seem to drag… but fly by in retrospect.
Holidays are so memorable because of our perception of time, scientists say
The phenomenon has been called the holiday paradox by psychology lecturer Claudia Hammond. She told the British Psychological Society’s conference in London that our lives are normally so humdrum that only six to nine experiences a fortnight are worth committing to memory.
On holiday, we remember six to nine things from each day.
It is something we have all experienced: a holiday that whizzes by at the time but, in retrospect, seems to have gone on forever.
Scientists say it is all to do with our perception of time and how it is affected by the number of memories we form.
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●二重過程理論
なぜ、英文の原文を掲載するか。
それには同じMSNニュースには、つぎのようにあったから。
『……4月18日付けの『Psychological Science』に掲載されている論文には、次のように書かれている。
「直観的に考えると、使う言語にかかわらず同じ判断が行われる、もしくは、外国語で考えたほうがより体系的でない判断をしてしまうように思われるが、実際にはその反対が正しい。
つまり、外国語を使うと、意思決定をするときのバイアスが減少するのだ」
心理学において、人間の判断は、2つの異なる思考法によって導き出されると考えられている。
ひとつは、体系的・分析的で、高度に認知的な思考法。
もうひとつは、手早く無意識的で、感情的な思考法だ。
二重過程理論と呼ばれ、長期的な利益を勘案することができ主に大脳新皮質に司られている「理性的システム」と、即座に働き短期的な利益(主に生存・繁殖)に関わり主に大脳辺縁系に司られている「情動システム」の両方が、判断や意思決定に関わっているとされる。
これに照らし合わせると、母国語でなく、無意識には使いこなせない言語で思考することは、認知的に負荷のかかる行為であり、脳の処理能力を奪われるため、そのような場合には、手早く短絡的な思いつきに頼る傾向が強くなるように思われる』(以上MSN)と。
●二重過程理論
ここで重要なキーワードは、「二重過程理論」。
人間の判断は、つぎの2つの異なる思考方法によって導き出されるという。
(1)体系的・分析的で、高度に認知的な思考法。(大脳新皮質に司られている。)
(2)手早く無意識的で、感情的な思考法。(主に大脳辺縁系に司られている。)
何やら難しいことが書いてあるように思う人がいるかもしれない。
しかしこんなことは経験的に、当たり前のこと。
たとえば何かの記事を読んだとする。
そのとき直感的に、「これはおかしい?」と感ずる。
これが(2)の「手早く無意識的で、感情的な思考法」ということになる。
つぎにその直感に基づいて、自分の思考を注入し、理論化したり体系化したりする。
それが(1)の「体系的・分析的で、高度に認知的な思考法」ということになる。
そういう意味では、先の(1)と(2)は、順序が逆のように思う。
それはさておき、(2)から(1)へ結びつけるには、それなりの経験と訓練が必要である。
(2)の能力のある人は、多い。
しかしそれを(1)の段階まで、昇華できる人は、少ない。
いわんやそれを文章にしたり、さらに読んでくれた人を納得させるには、経験と訓練が必要である。
だれでもできるわけではない。
……という意味で、この2つの記事は、たいへん興味深い。
今まで私たちが、体験として知っていたことを、じゅうぶん、納得させてくれた。
ひとつは、記憶(=時間の長さ)というのは、密度で決まるということ。
もうひとつは、ものごとはまず直感で判断し、それを別の脳で体系化、理論化するということ。
新しい知識、ゲット!、ということで、この話は、ここでおしまい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 二重過程理論 記憶 記憶と時間の長さ はやし浩司 記憶の密度と時間の長さ はやし浩司 直感の体系化 理論化)
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【消息・調査】(はやし浩司 2012-05-07)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
最近、強く、こう思うときがある。
昔出会った人たちや、私が教えた生徒たちは、今、どうなっているか、と。
それを知りたい、と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●インターネット
インターネットの進歩には、驚く。
インターネットを使えば、たいていのことは調べられる。
さらにグーグルアースを使えば、その人の住んでいる場所や家の様子まで調べられる。
場所によっては、「ストリート・ビュー」が使える。
周辺の様子を、車の中から見るように、知ることができる。
たとえば「AAさんのことを知りたい」と思ったとする。
そういうときは、「AA」という名前で、検索をかければよい。
今ではその町内で発行する機関誌まで、ネットで公開されていることが多い。
それを手がかりに、AAさんの住所を絞り込むことができる。
職業もそれでわかることが多い。
何かの活動を、公にしていれば、さらに詳しく知ることができる。
が、いつもここで、強いブレーキが働く。
「それを知ったところで、どうなのか?」と。
言うなれば、安っぽい、好奇心。
もっと平たく言えば、「のぞき見」。
●興味
が、それでも知りたい人というには、いる。
学生時代の親友とか、恋人とか……。
が、そこまで。
消息を知ったところで、何かをしようという気はない。
「元気かなあ?」と思う程度。
が、これは好奇心ではない。
興味。
どうしてだろう?
どうして、そういうことを今になって、知りたがるのだろう?
理由のひとつに、私自身の人生が秒読み段階に入っていることがある。
言うなれば、あと片づけの段階。
整理。
ちょうど古い骨董品を処分するように、過去のひとつずつに決着をつけておきたい。
心に踏ん切りをつけておきたい。
「糞切り」と書いてもよい。
長い「糞」をぶらさげたままでは、死ぬこともできない。
そう思うようになった理由のひとつに、最近、こんなことがあった。
●独りよがり
学生時代、1人のガールフレンドがいた。
美しい人だった。
半年ほど、つきあった。
私は真剣だった。
で、そのガールフレンドについて、前回、同窓会に出たとき、いろいろな話を聞いた。
結果、「ナーンダ!」となってしまった。
つまり彼女には、私のほかに何人かのボーイフレンドがいた。
私は、ただのワン・オブ・ゼム(多数の中の1人)にすぎなかった。
しかもそのガールフレンドには、本命のボーイフレンドが、ほかにちゃんといた。
それを知ったとき、「ナーンダ!」と。
……私には子どものころから、そういう面がある。
思い過ごし。
思い込み。
それがはげしい。
だからそのガールフレンドとの思い出についても、別のとらえ方をしていた。
勝手に美化し、同時に、2人の関係を悲恋化していた。
が、そのガールフレンドと言えば、私のことなど、何とも思っていなかった。
そういう私を、うるさい男と思っていた(?)。
私とは、遊びに過ぎなかった(?)。
が、その私といえば、本気になってしまった。
「さあ、たいへん!」ということで、(たぶん?)、そのガールフレンドは、あれこれ理由を並べ、私から去っていった。
当時のいきさつをあれこれ総合すると、どうやら、そういうことになる。
私はあまりにも純朴で、そういった女性の心理を理解できなかった。
はっきり言えば、悲劇ではなく、喜劇!
みなで、ハハハと笑っておしまい。
みなに、ハハハと笑われておしまい。
同窓会では、そうだった。
●一縷(いちる)の望み
で、そのときは、それで終わった。
しかし数日もすると、それがジンワリと私の心の中で、大きく膨らみ始めた。
「ならば、今、どうしているか、調べてやろう」と。
……というのも、自分の中で、その残り火が今でもチラチラと燃えている。
青春時代の美しい(?)思い出として、ずっと大切にしてきた。
が、今回、それが粉々に破壊されてしまった。
ア~ア、という感じ。
映画『タイタニック』の中に出てくるジャックとローズの話とは、大違い。
私には、その雰囲気さえない。
それはわかっているが、それでも私は、自分の思い出に、一縷(いちる)の望みをかけていた。
いつか通りで会ったとき、「あっ、AAさん……」「浩司さん……」とか、など。
そんな会話ができればよいと願っていた。
映画『ドクトル・ジバゴ』の1シーンのように。
(こう見えても、私はロマンチストなのだ!
もっともあの映画の中では、そういう会話もできないまま、ジバゴは心臓発作を起こし、その場で倒れてしまうが……。)
が、今は、ちがう。
「会って、ぶん殴ってやりたい」と思っている。
「さんざん、人の心をもてあそびやがって、この野郎!」と。
●恋愛詐欺
で、おととい、いろいろ調べてみた。
インターネットの助けを借りた。
住所は、XX県XX町XX番地。
たまたまそのあたりを、グーグルアースのストリートビューで見ることができた。
マウスを動かせば、360度、その周辺を見回すことができる。
近所の商店とか、そういったものまでわかる。
あとはNTTの104を使い、その商店の電話番号を調べる。
それとなくその商店に電話をかけ、相手の様子を聞く……。
……というような、姑息(こそく)なことはしない。
調べるなら、現地まで行き、堂々と、それをしたい。
ばったり顔を合わせたところで、どうということはない。
無視して、その場をやり過ごせばよい。
言うなれば、私は被害者。
恋愛詐欺の被害者。
相手のAAさんは、いやがるだろうが、それは私の知ったことではない。
つまり私は私のやり方で、最後の、そのまた最後の残り火を消しておきたい。
残り火を残したままでは、冥土へは行けない。
●STOP
ほかにも、それぞれの理由があって、調べてみたい人はいる。
が、「みたい」と思うだけで、そこでSTOP。
先にも書いたように、それはただの好奇心。
のぞき。
私の生活にも、思想にも、何ら役に立たない。
意味もない。
そんな暇があったら、現在、よく知る人の過去を知ったほうがよい。
またそういう人たちを大切にしたほうがよい。
共に、人生は短い。
……というか、最近、「私」「他人」という垣根が、少しずつ低くなってきたように感ずる。
私と他人を区別するほうが、おかしい。
共にこの地球で、共に「現在」という時間を共有した。
言うなれば、一心同体。
その人がどんな人生を送ったにしても、その人の人生は、私のもの。
同時に、私の人生は、その人のもの。
みなが、ひとつの坩堝(るつぼ)の中で、いっしょくたになって生きている。
それが今という時代を作っている。
それがわからなければ、江戸時代なら江戸時代という時代を思い浮かべてみればよい。
あの時代にも無数の人が生きていた。
無数のドラマがあった。
しかしそういった人の間には、垣根はない。
みな、いっしょくたになり、あの時代を作った。
私たちも、やがてすぐ、そうなる。
……ということで、今夜はここまで。
近く、AAさんの家の近くまで行き、AAさんの消息をたずねてみたい。
会うことはない。
ただ長くぶらさがった「糞」だけは、そのとき、その場で、しっかりと切っておきたい。
2012/05/07記
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
Hiroshi Hayashi+++++++June. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【ブラック・ビジネス】(はやし浩司 2012-05-06)
●宝島社
昨夜、床に入ってから、1冊の本を読んだ。
宝島社の『ブラックビジネス』。
表紙には、「知らずにハマる、ブラックビジネス」とある。
宝島社といえば、若いころ、よく足を運んだ。
そのころから、こうした告発本を、多く出版していた。
それもあってか、玄関が、ふつうの出版社とはちがっていた。
どこかの暴力団の襲撃を受けたこともあった。
閉鎖的というか、外部の人が、すぐには中に入れないしくみになっていた。
が、社員の方は、たいへん親切だった。
私が持ち込んだ企画を見ながら、いろいろアドバイスをしてくれた。
出版先を探し、紹介してくれたこともある。
だから……というわけでもないが、今でも「宝島社」という社名を見ると、すぐ手が伸びる。
奥付の住所を見ると、「千代田区1番町25」とある。
それを見ながら、「ああ、あそこが千代田区だったのか」と思う。
道路の反対側に、大火災を起こしたホテルが、当時はまだそのまま残っていた。
また帰るときは、いつも、地下鉄は、「四谷」というところで、乗った。
(たった今、グーグル・アースを使い、会社の場所を調べてみた。
が、当時とは、会社の場所がちがうように思う。
会社が大きくなって、現在の位置に移転したのか。
さらにウィキペディア百科事典を使って調べてみると、1980年代当時は、『赤坂の(株)宝島社、発行は飯田橋の(株)JICC出版局、と別会社になっていた』とある。
私が知っているのは、その「赤坂」のほうだった。
(それとも飯田橋のほう?)
また火災事故を起こしたのは、ホテル・ニュー・ジャパン(千代田区永田町)。
1982年に火災とあるから、私が宝島社に通っていたのは、その前後ということになる。)
話はそれたが、『ブラックビジネス』。
読んで、こう思った。
「よくもまあ、ここまで金に毒された人たちがいるものだ」と。
まさに、あの手この手を使い、人をだます。
しかもこの本のすごいのは、(宝島社という会社はそういう出版社だが)、堂々と実名公を表しているところ。
たとえば「高島易断」。
「インチキすぎる荒稼ぎのトリック」(P41)とある。
(いいのかなあ?
こういう形で実名を出して……。)
●ブラックビジネス
目次を並べてみる。
(1)最新振り込め詐欺事情
(2)悪徳マルチ商法は人生崩壊ゲーム
(3)高齢者をしゃぶりつくす、未公開株詐欺・通貨詐欺・押し売り
(4)”悪徳詐欺師系”占い師が語るスピリチュアル商法の闇
(5)詐欺ビジネスに変化が起きている。
(6)最新の「押し買い」事情
(7)二極化する新興の「闇金融」
(8)危険な罠だらけの競馬情報
(9)「海外投資」欲望のトラップ!
(10)催眠商法の底なし沼
(11)迷惑メール、真の目的とは
(12)被害者増加中! 民間資格商法
(13)問題山積みの開業支援ビジネス
(14)偽造サプリで今のうちに大儲け
(15)でっちあげ募金! 通称「犬詐欺」
(16)要求はどんどん過激に! 「チャイルド・ポルノ」
(17)ママサークルが、怪しい商売の温床に!?
(18)ギャル詐欺、騙されて覚える大人の世界
(19)不動産業界にはびこる、抵抗不能の搾取構造
(20)共犯ヘルパーが増殖中
(21)俺ならこの家狙って、空き巣に入る!
(22)リフォーム業界は”ウソの匠”だらけ
どれも私たちの生活と直結している。
●リフォーム業界
読めば読むほど、まさに人間不信になる。
「リフォーム業界」については、「悪徳業者以外を探すのが難しい」(P111)とある。
私も「リフォーム」をと考えていたので、これは参考になった。
そのリフォーム会社。
リフォーム会社というのは、「建築業」ではないそうだ。
「解体屋」とか「産廃業者」とかが組んで、リフォーム会社を開業しているとか。
正式の図面は引けないから、客にはイラストを示して工事にかかるという。
が、自分では、しない。
工事は、それなりの仕事ができる大工に丸なげ。
たとえば1700万円のリフォームだと、1000万円分くらいが、丸々、会社の取り分。
残りの700万円が、大工に渡される実費。
リフォーム会社にしてみれば、「これほどうまい、儲け話はない」(本書)となる。
●スピチュアル商法
「ブラックビジネス」は、11Pもさいて、「スピリチュアル商法」を解説している。
「数百円の石ころが、数万円の商品に化けるカラクリ」というのもある。
「ただの石を問屋から買い、パワーストーンとして売る」(P47)と。
少し前、A・チャンというタレントが使った商法が、これである。
当の本人は、「事務所の人が勝手にして、私は知らなかった」と弁解しているが、それを信ずる人はいない。
A・チャンは、「A大学」という架空の大学まで設立し、資格商法にまで手を染めている。
ともあれ、騙す方も騙す方だが、ことこのスピリチュアル商法に関して言えば、騙される方も、騙される方。
どうしてこういう馬鹿なものを信ずるのかと言いたいが、それぞれの人には、それぞれの事情というものがある。
本のなかには、占い師に手相をみてもらっている男性の写真も載っていた。
占いといえば、若い女性の趣味のようなものかと思っていたが、どうもそうでもないようだ。
事業に行き詰まった人は、それこそ「藁(わら)にもすがる」。
●若い女性
こうしたブラックビジネスに共通しているのは、「若い女性」。
若い女性が、まず電話口に出る。
客と応対する。
「日本人は、若い女性は安心と、脳の奥まで、刷り込みがなされている」(本書)と
「若い女性が、人を騙すはずがない」と信じている人も多い。
つまりブラックビジネスを展開する、ブラック企業は、若い女性を巧みに利用する。
客(カモ)を、安心させる。
無知ということもある。
(実際、無知だが……。)
それゆえに若い女性は、確信犯的に行動する。
「私はちゃんとしたビジネスをしている」と、信じ切っている。
だから客の方は、騙される。
言いかえると、あやしくない会社ほど、あやしいということ。
若い女性が、ソフトな言い方で電話口に出たら、まず疑ってかかる
それくらいの警戒心は必要。
……そう言えば、銀行にせよ、証券会社にせよ、ブラック企業に含めてもよいのではないか。
やっていることは、まさにブラックビジネス。
現金(マネー)は、神に近いか、悪魔に近いかと問われれば、悪魔のほうに、はるかに近い。
その悪の権現(ごんげん・化身)が、銀行であり、証券会社ということになる。
●老人組よ、警戒しよう!
ともあれ、我ら、老人組は、警戒する。
この先、この種のブラックビジネスは、ふえることはあっても、減ることはない。
たとえば闇金融にしても、今では「ソフト闇金融」というのまで横行しているそうだ。
それがどういうものかは、宝島社の「ブラックビジネス」を読んでみたらよい。
それにしてもまあ、よくもここまで考えるものだと、感心する。
……ということで、今朝は、かなり人間不信に陥っている。
ズルイ人間は、どこまでもズルイ。
だから……。
どう生きるか。
どう死ぬか。
もうひとつ加えれば、どう自分を守るか。
老後を生きる、これが3本の柱ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ブラックビジネス ブラック企業 老人組みの生き方)
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●老後の住居(終の棲家と帰巣本能)
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
老後をどこで、どのように過ごすか?
ときどき、そんなことを考える。
もちろん第一の候補地は、この浜松市ということになる。
ちょうど40年+半年、住んだことになる。
しかしここは私の故郷ではない。
知り合いはいるが、知り合いという程度。
どの人も、表面的なつきあいだけ。
花にたとえるなら、私は、水耕栽培で育ったチューリップのようなもの。
「根」そのものが、地面についていない。
で、私としては、老後は、故郷の美濃市、もしくはその周辺に住みたい。
最期は、そのあたりで自分の人生を終えたい。
心のどこかで、いつも、そう考えている。
が、ワイフは、「いや」という。
美濃の町を、よほど嫌っている……らしい。
一方、この浜松は、ワイフの故郷。
7人の兄弟姉妹は、いまだ、健在。
「いや」という理由は、よくわかる。
私「もし、ぼくが美濃に戻ると言ったら、どうする?」
ワ「私は、行かないわ」
私「だったら、離婚ということになるよ」
ワ「そのときはそのとき。また考えましょう」と。
……こんな会話を、すでに何十回も繰り返してきた。
堂々巡りというか、結論は、いつもあいまい。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●夫婦
夫婦といっても、基本的には他人。
溶け合える部分もあるが、そうでない部分も、ある。
その溶け合えない部分をどうするか。
もちろん内容にもよる。
ワイフは熱い風呂が好き。
私は、ぬるい風呂が好き……というような部分は、どうでもよい。
しかし時として、人生観の根幹にかかわるような問題もある。
人生観、育児観、哲学など。
老後の住、つまり終の棲家(ついのすみか)もそのひとつ。
そういったもので違和感を覚えると、とたんに「他人意識」が強くなる。
「やはり他人だな」と。
●一心同体
技術的には、同居は可能。
共助共存。
が、そのレベルを超え、一心同体となると、ことは簡単ではない。
それこそ10年、20年単位で、苦楽を共にしなければならない。
が、それには共通の基盤がなければならない。
共通の目標、共通の価値観……。
「たがいの愛と理解で克服」などという、生やさしいものではない。
寛容と妥協、それを許す度量の広さ。
さらに平たく言えば、「あきらめ」。
結婚生活というのは、まさにその連続。
それなくして、結婚生活というのは、成り立たない。
が、私のワイフは、「いやよ」と言う。
オーストラリアや東南アジアならよいが、私の故郷の美濃市は、「いやよ」と。
理由はよくわからないが、魚ひとつ取りあげても、口に合わないらしい。
「岐阜の魚は、ヌルヌルして、気持ち悪い」と。
川魚というのは、そういうものなのだが……。
●夢と現実
そこで私なりにシミュレーションをしてみる。
「はたして美濃の、あの町に住めるか」と。
つまり(夢)と(現実)の間には、大きな距離がある。
今までにも、そういう経験は、何度かしてきた。
「最期は故郷で……」と思う気持ちはあっても、現実には、それはむずかしい。
で、先ほど私は、「水耕栽培で育ったチューリップのようなもの」と書いた。
が、故郷の美濃市となると、すでに「根」そのものを切られている。
知人、友人といっても、もちろん昔の知人、友人とは、ちがう。
考え方も、大きくちがう。
気軽にあいさつ程度のことはできるかもしれない。
が、それ以上に、彼らの世界に入り込んでいく自信はない。
ここ浜松で感ずる孤独感以上の孤独感を、覚えるかもしれない。
だから最期は、この浜松で……となる。
●晩年の母
ところで私の実母は、最期の2年間を、この浜松市で過ごした。
1年は、私の自宅で。
つぎの1年は、近くの特養で。
その特養でのこと。
母はしきりに、生まれ故郷のK村に帰りたがった。
何度も私に、せがんだ。
一度、脳梗塞で倒れるまで、それはつづいた。
そういった症状は、どの老人にも見られるらしい。
ホームのヘルパーの人たちは、こう言った。
「老人は、みな、そうですよ」と。
……ということは、私とて例外であるはずがない。
私も、最期に近づけば近づくほど、帰巣(きそう)本能が強くなるかもしれない。
事実、このところ、それをときどき感ずる。
「ここで死ぬのはいやだな」という思いが、そのまま「故郷で死にたい」という思いに変わる。
●老後の問題
老後には老後の問題が、山のようにある。
これもそのひとつ。
つまりこの先、何かにつけ、じっと耐えて生きていく。
心の壁にペタリと張りついた不完全燃焼感に、じっと耐えて生きていく。
老後の住居問題だけではない。
もろもろの問題が、薄い地層のようになって、心の中に山積する。
孤独、不安、心配、健康問題などなど。
が、どれも、自分の力では解決できない。
「命」の壁が、大きく立ちはだかる。
つまりどうしようもない。
どうしようもないから、じっと耐える。
耐えて生きるしかない。
●結論
「老後は故郷で……」というのは、言うなれば、わがまま。
ぜいたく。
それまで、「浜松」という「地」があるだけでも、御の字。
感謝しなければならない。
というのも、そういうわがままや、ぜいたくができる人のほうが、はるかに少ない。
反対に地元に残った人には、地元に残ったという不完全燃焼感があるかもしれない。
先日、高校の同窓会に出たときも、そう言った男性が、1人いた。
「私は生まれも育ちも、そして今まで、この美濃町を一歩も出たことがありません」と。
自慢して、そう言ったのではない。
どこかさみしそうな言い方だった。
それを思えば、自由に、空をはばたくことができた私は、幸福だったかもしれない。
で、その点、私のワイフは、正直な人だ。
そのままストレートに心の内を表現する。
「いやよ」と。
それはその通りで、もし私が逆の立場だったら、やはり同じように言うだろう。
「いやだ」と。
で、このエッセーの結論。
老後というのは、耐えて生きるもの。
それがいやなら、できるだけ自分の心をごまかして生きる。
そういう心の操作が、加齢とともに、ますます必要になってくる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 終の棲家 最期の住居 老人組の心理 耐えて生きる はやし浩司 不完全燃焼感)
Game Maniac
【ゲームははたして、安全か?】
●子どもとゲーム
(Children & their TV Games)
TV games apparently affect children badly. The English Government has submitted a report,
regarding TV games and its possible dangerousness to children.)
+++++++++++++++++
「ゲームは安全だ」と、がんばっている、愚か者どもよ、
少しは、世界に目を開き、世界の人の意見を聞け!
イギリス政府は、つぎのような報告書を提出した。
まず、それをそのまま紹介する。
+++++++++++++++++
【ロンドン27日・時事通信】
イギリス政府は3月27日(2008)、ビデオゲームやインターネットが、子どもに及ぼす影響に関する報告書を公表、産業界や家庭と協力して対策に取り組む方針を明らかにした。
ゲームのパッケージに「子どもの健康を害する恐れがある」といった警告文が印刷される可能性もありそうだ。
報告書は政府の委託を受けた臨床心理学者が作成。
ゲームによって子供は暴力に対して鈍感になるなどと結論づけた。
また、英国では性と極端な暴力描写を含むゲームについてのみ、年齢制限が設けられているが、制限の拡大を求めた。(ヤフー・ニュースより抜粋)
+++++++++++++++++
この日本でも、「ゲーム脳」という言葉を使って、その危険性を説いた教授がいた。
が、その直後から、その教授のところには、抗議の嵐!
どうして?
一方、「ゲーム脳というのは、ない」「安全です」と説く教授も現れた。
こちらの教授は、ゲームの世界では、今、神様のような存在になっている。
どうして?
危険か、危険でないか、そんなことは、ゲームに夢中になっている子どもを見れば、わかる。
(もちろんゲームの内容にもよるが……。)
明らかに、どこかヘン。
おかしい。
様子もおかしいが、目つきもおかしい。
そうなる。
あるいはあなた自身が、あのテレビゲームをしてみればよい。
数分もしないうちに、頭の中がクラクラしてくるはず。
「殺せ!」「やっつけろ!」と騒ぐ子どもは、まだよいほう。
ほとんどは、無表情のまま。
無表情のまま、うつろな目つきで、指先だけを動かしている。
隣の韓国では、その中毒性が問題になり、各学校に、カウンセラーまで配置される状況になっ
ている。
(知っているか?)
が、この日本では、野放し! まったくの野放し!
私が書いた「ポケモン・カルト」(三一書房)にしても、書いてから9年にもなるのに、いまだに、抗議の書き込みがあとを絶たない。
どうして?
いったい、この日本は、どうなっているのだ!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ゲーム脳 子どもとゲーム 子供とゲーム ゲームの問題性 テレビゲーム はやし浩司 ゲームの危険性 子ども脳 ポケモンカルト はやし浩司 ポケモン・カルト)
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【ゲーム中毒の子どもたち】
●韓国のネット中毒(ゲーム脳)
+++++++++++++++
相変わらず韓国では、ネット中毒
患者による、悲惨な事件がつづいて
いる。
今朝の時事通信も、こんなニュースを
伝えている。
しかしこういうニュースが話題になるだけ、
韓国社会は健全と考えてよい。
この日本では、ニュースにもならない。
なぜか?
そのヒントは、このニュースの末尾に
ある。
よく目を凝らして読んでみてほしい。
++++++++++++++++
********以下、韓国・より**********
【ソウル時事】
韓国南部の釜山で最近、オンラインゲームのやり過ぎをとがめられたことに激高した中学3年の少年が、母親を絞殺し、自らも命を絶つ事件が起きた。
ネット先進国といわれる韓国では、青少年の「ゲーム中毒」が深刻な社会問題となっており、対策が求められている。
韓国メディアによると、少年は幼いころからオンラインゲームにのめり込み、銃や剣を使うゲームを好んでいた。
母親を殺害後、「コンピューターのことでお母さんとけんかをし、興奮してしまった」との遺書を残し、首をつった。
同国では今年2月にも20代の男性が同様の理由で母親を殺害している。
行政安全省傘下の情報化振興院によれば、同国青少年(9~19歳)の12.8%に当たる93万8000人が「ネット中毒」で、このうちの大部分が「オンラインゲーム中毒」とされる。
ゲームをしないと禁断症状が現れ、日常生活への支障がある状態で、アルコールや幻覚剤の中毒と症状が近いという。
学力が低下し、社会に適応できなくなるほか、釜山の事件のように暴力性の高いゲームをやり過ぎ、実際の暴力に及ぶ例もある。
背景には激烈な受験戦争のストレスもあるといわれる。
同院は、ゲーム中毒のまん延は国家的損失とみなし、小中高校への訪問相談や、ゲーム禁止のキャンプなどの対策に取り組んでいる。
午前0~6時の青少年のオンラインゲームを禁じる法改正案も国会に提出された。
しかし、有力な輸出産業であるゲーム業界の反対もあり、立法化に至っておらず、有効な対策をなかなか打ち出せていない。
********以上、韓国・より**********
●禁断症状
時事通信は、「行政安全省傘下の情報化振興院によれば、同国青少年(9~19歳)の12.8%に当たる93万8000人が「ネット中毒」で、このうちの大部分が「オンラインゲーム中毒」とされる」と伝えている。
が、この日本では、ゲームを批判しただけで、熱心なゲーマーから嵐のような抗議を受ける。
どう受けるかは、「ゲーム脳」という言葉を最初に使った、某教授も告白している。
その一方で、「ゲーム脳などというのはありません」と主張した某教授のところには、仕事が殺到し、今ではこの世界では、カリスマ的な存在になっている。
その韓国。
数字が具体的に表示されている。
「……同国青少年(9~19歳)の12.8%に当たる93万8000人がネット中毒」と。
どの程度のレベルを「ネット中毒」と診断してよいのか。
その診断基準はあるのか。
そういった問題点もある。
さらに「パソコン中毒」「携帯電話中毒」とどう区別するのか。
そういった問題点もある。
またゲームといっても、内容はざまざま。
将棋のようなゲームもあれば、スピードを競う、ドライブゲームのようなものもある。
問題になっているのは、「少年は幼いころからオンラインゲームにのめり込み、銃や剣を使うゲームを好んでいた」(時事通信)ということらしい。
が、健全なゲーム(?)だからといって、安心できない。
TBS-iは、こんなニュースも報道している。
**********以下、TBS-iより(2010-11-18)*******
……韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦そろって「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社会問題化しています。
さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大することが決まっています。
**********以上、TBS-iより(2010-11-18)*******
「夫婦そろって、育児ゲームにのめりこみ……」と。
「育児ゲームなら問題ないのでは?」という常識は、この世界では、通用しない。
●禁断症状
ゲーム漬けの子どもに、特異な症状が現れることは、教育界では常識。
ほかの子どもたちと比較してみると、それがよくわかる。
「どこかおかしい?」「どこかへん?」という症状に併せて、一度ゲームをさせると、今度は一転、別人のようになってしまう。
その「落差」が、ここでいう「特異な症状」ということになる。
「どこかおかしい?」というのは、たとえばゲームをしていないときは、
(1)ボーッとした表情で何を考えているかわからない。
(2)突発的に、ふつうでない行動に走る。
(3)ものの考え方が衝動的、ゲーム的になる。が、ひとたびゲームをはじめると、
(4)別人のように無表情になり、能面的になる。
(5)何時間もゲームをつづける、など。
もちろん
(6)他者との良好な人間関係が結べなくなる。
そうした子どもについては、たびたび書いてきた。
で、禁断症状についてもたびたび書いてきた。
たとえば携帯電話症候群というのもある。
これは子どもにかぎらない。
おとなでも、さらに家庭の主婦でも、携帯電話を片時も離さない人は多い。
『弁当を忘れても、携帯電話は忘れない』と、そういう人は、よくそう言う。
そういう人から携帯電話を奪ったら……。
やはりここでいう禁断症状が現れる。
中には落ち着いて仕事ができなくなる人も多い。
●ゲーム業界
『……有力な輸出産業であるゲーム業界の反対もあり、立法化に至っておらず、有効な対策
をなかなか打ち出せていない』と。
少し前、「ゲーマーの世界がカルト化している」と書いたことがある。
こうした記事を書くと、すかさず反応(コメントや書き込み)が入る。
「このオッサン……頭がおかしいんじゃないの。
ゲームと現実の区別くらい、つくヨ~~。
テメエの息子たちは、大丈夫なのかヨ~~」と。
こうした批判は、ネットのあちこちに書き込まれているから、興味のある人は、検索をかけてみたらよい。
「はやし浩司」で検索してみれば、100~150番目あたりから、急速にそういった批判が目にとまるようになる。
が、問題は、「ゲーム業界」。
韓国でさえ、こうした「ゲーム業界の力」が働いている。
いわんやこの日本をや……と書きたいが、この日本では、不思議なことに、本当に不思議なことに、「ゲーム中毒」すら話題にならない。
現実はむしろ逆で、あのポケモンにしても、ゲーマーの世界では、「子どもの夢」と位置づけられている。
言い替えると、それだけゲーム業界の「力」が、韓国とは比較にならないほど強いと考えてよい。
日本人の脳みそだけ、ほかのアジア人とはちがうということは、ありえない。
●脳のCPU(中央演算装置)
話はぐんと脱線するが、私はこんな経験をしている。
私が子どものころは、まだ馬に引かれた馬車が、通りを歩いていた。
車も走っていたが、どこか遠慮がちだった。
町中で、庭のある家は、ほとんどなかった。
つまり道路が私たちの遊び場であり、おとなにとっては、職場だった。
私の実家は小さな自転車屋だったが、道路があったおかげで、それなりに仕事ができた。
道路に大きく自転車を並べても、文句を言う人はいなかった。
が、車社会の発展とともに、道路の性格は大きく変わった。
その結果が「現在」ということになる。
とくに歩道のない旧街道のような通りは、悲惨である。
店という店は、総じてシャッターを下ろした。
私の近所にも、「雄踏(ゆうとう)街道」と呼ばれる昔からの街道がある。
が、その街道で今でも商売をつづけている商店は、ほとんどない。
この問題と脳のCPUとどう関係があるか?
つまり今の若い人たちに、「道路の性格は変わった」という話をしても、恐らく理解できないだろうということ。
昔から道路というものは、そういうものだったと思っているにちがいない。
またそういう前提で、ものを考える。
だから道路に植木鉢をひとつ置いただけでも、「じゃま」と、それを排除してしまう。
こうしたズレが積み重なって、「狂い」となる。
あまりよいたとえではないことはわかっている。
たまたまこの原稿を書いているとき、ふと「道路」の話が横切った。
それで書いたが、しかし人は、ある日突然、狂うわけではない。
徐々に少しずつ、時間をかけて狂う。
もちろんたいはんの子どもは、(おとなも)、現実とゲームの世界を区別できる。
が、中には、その区別ができなくなる子どもが、現れる。
それをどう防ぐか。
それが問題と、私は書いている。
++++++++++++++++
古い原稿だが、2003~5年に
かけて書いた原稿を紹介します。
++++++++++++++++
【ゲーム脳】
++++++++++++++++++++
「ゲーム脳はあるのか、それともないのか?」
これについての記事を、「毎日JP」より、抜粋
してみる。
++++++++++++++++++++
●火付け役は、、森昭雄・日本大教授(脳神経科学)。
曰く、
『・・・「15年間、ゲームを毎日7時間やってきた大学生は無表情で、約束が100%守れない」「ゲームは慣れてくると大脳の前頭前野をほとんど使わない。
前頭前野が発達しないとすぐキレる」
森教授は02年、「ゲーム脳」仮説を提唱した。テレビゲームをしている時には脳波の中のベータ波が低下し、認知症に似た状態になると指摘。
その状態が続くと前頭前野の機能が衰えると警告した。
単純明快なストーリーはマスコミに乗って広がり、暴力的な描写に眉(まゆ)をひそめる教育関係者や、ゲームをやめさせたい親に支持された』(毎日JPより)と。
これに対して、「森教授の意見には、学術的な裏付けがない」と批判する人も多い。
『・・・森教授は一般向けの本や講演を通して仮説を広めてきた。
本来、仮説は他の科学者が同じ条件で試すことで初めて科学的な検証を受けるが、その材料となる論文はいまだに発表されていない。
手法にも批判がある。森教授は自ら開発した簡易型脳波計による計測で仮説を組み立てたが、複雑で繊細な脳機能をその手法でとらえるのは不可能、というのが専門家の共通した見方だ』(毎日JPより)と。
●利潤追求の世界
こうした批判を尻目に、ゲーム業界は、大盛況。
その先頭に立たされているのが(?)、東北大加齢医学研究所の川島隆太教授(脳機能イメージング)。
ここで注意しなければならないのは、川島隆太教授自身は、「加齢医学」が専門。
その研究に基づいて、
『・・・認知症の高齢者16人に半年以上学習療法を受けてもらった結果、認知機能テストの成績が上がったと報告。
何もしなかった16人の成績が低下傾向だったことから「認知機能改善に効果がある」と考察した』(2003年)(毎日JPより)と。
これにゲーム業界が飛びついた(?)。
『・・・こうした成果を企業が応用したのが、脳を鍛えるという意味の「脳トレ」だ。06年の流行語となり、川島教授の似顔絵が登場する任天堂のゲームソフト「脳を鍛える大人のDSトレーニング」は、続編も含め1000万本以上を売り上げた』(毎日JPより)と。
こうして今やこの日本は、上も下も、「脳トレ」ブーム。
「1000万本」という数字は、そのほんの一部でしかない。
もちろん批判もある。
『・・・ ただ、脳トレの過熱を心配する声もある。日本神経科学学会会長の津本忠治・理化学研究所脳科学総合研究センターユニットリーダーは、「川島氏の研究は科学的な手続きを踏んでいるが、認知機能の改善が本当に学習療法だけによるかはさらなる研究が必要だ。『改善した』という部分だけが拡大解釈され広がることで、計算さえやれば認知症にならないと思い込む人が出てくるかもしれない」と話す』(毎日Jより)と。
●三つ巴の論争
現在、「ゲーム脳支持派の森教授vsゲーム脳否定派の川島教授」という構図ができあがってしまっている。
しかし実際には、この両教授が、ゲーム脳を間に、対立しているわけではない。
森教授は、「ゲームばかりしていると、危ない」という警鐘を鳴らした。
一方川島教授は、ここにも書いたように、「老人の認知機能」が専門。
その立場で、「脳トレは(ボケ防止には)効果がある」と、自説を発表した。
が、一方、教育の世界には、『疑わしきは罰する』という原則がある。
(私が考えた原則だが・・・。)
完全に安全が確認されるまで、あやしげなものは、子どもの世界からは遠ざけたほうがよい。
事実、私は1日に何時間もゲームばかりしている子どもを、よく知っている。
中には、真夜中に突然起きあがって、ゲームをしている子どももいる。
もともとおかしいから、そうするのか、あるいはゲームばかりしているから、おかしいのか?
それは私にもわからないが、このタイプの子どもは、どこか、おかしい。
そういう印象を与える子どもは、少なくない。
(1)突発的に感情的な行動を繰り返す。
(2)日中、空をぼんやりと見つめるような愚鈍性が現れる、など。
「ゲーム脳」があるかないかという論争はさておき、その(おかしさ)を見たら、だれだって、こう思うにちがいない。
「ゲームは本当に安全なのか?」と。
そうでなくても、「殺せ!」「つぶせ!」「やっつけろ!」と、心の中で叫びながらするゲームが、子どもの心の発育に、よい影響を与えるはずがない。
ものごとは常識で考えたらよい。
(もちろんゲームといっても、内容によるが・・・。)
仮に百歩譲っても、認知症患者に効果があるからといって、子どもや、若い人たちにも効果があるとはかぎらない。
●脳トレへの疑問
私も脳トレなるものを、さまざまな場面で経験している。
それなりに楽しんでいる。
しかし子どもの知能因子という分野で考えるなら、脳トレで扱っている部分は、きわめて狭い世界での訓練にすぎない。
たとえば教育の世界でいう「知的教育」というのは、広大な原野。
脳トレというのは、その広大な原野を見ないで、手元の草花の見分け方をしているようなもの。
あまりよいたとえではないかもしれないが、少なくとも、脳トレというのは、「だからそれがどうしたの?」という部分につながっていかない。
仮にある種の訓練を受けて、それまで使っていなかった脳が活性化されたとする。
それはそれで結構なことだが、「だからといって、それがどうしたの?」となる。
もう少し具体的に書いてみたい。
たとえば脳トレで、つぎのような問題が出たとする。
+++++++++++++
【問】□には、ある共通の漢字が入る。それは何か。
□草、□問
+++++++++++++
答は※だが、こうした訓練を重ねたからといって、それがどうしたの?、となる。
というのも、私はこうして今、文章を書いているが、こうした訓練は、常に、しかも一文ごとにしている。
的確な言葉を使って、わかりやすくものを書く。
的確な言葉をさがすのは、ほんとうに難しい。
さらにそれを文章にし、文章どうしをつなげるのは、ほんとうに難しい。
つまりこうした脳トレを繰り返したところで、(よい文章)が書けるようになるとは、かぎらない。
・・・書けるようになるとも、思わない。
それ以上に重要なことは、本を読むこと。
文章を自分で書くこと。
つまり本を読んだり、文章を書くことが、先に書いた「広大な原野」ということになる。
(※の答は、「質」。)
●疑わしきは罰する
子どもの世界では、疑わしきは罰する。
先手、先手で、そうする。
以前、ゲーム脳について書いた原稿をさがしてみた。
5年前(05年9月)に書いた原稿が見つかった。
それをそのま、手を加えないで、再掲載する。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【ゲーム脳】(05年9月の原稿より)
++++++++++++++++++++++
ゲームばかりしていると、脳ミソがおかしくなるぞ!
+++++++++++++++++++++++
最近、急に脚光を浴びてきた話題に、「ゲーム脳」がある。
ゲームづけになった脳ミソを「ゲーム脳」いう。
このタイプの脳ミソには、特異的な特徴がみられるという。
しかし、「ゲーム脳」とは、何か。NEWS WEB JAPANは、つぎのように報道している(05年8月11日)。
『脳の中で、約35%をしめる前頭葉の中に、前頭前野(人間の拳程の大きさで、記憶、感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分)という、さまざまな命令を身体全体に出す司令塔がある。
この司令塔が、ゲームや携帯メール、過激な映画やビデオ、テレビなどに熱中しすぎると働かなくなり、いわゆる「ゲーム脳」と呼ばれる状態になるという。
それを科学的に証明したのが、東北大のK教授と、日大大学院のM教授である』(以上、NEWS WEB JAPAN※)。
つまりゲーム脳になると、管理能力全般にわたって、影響が出てくるというわけである。
このゲーム脳については、すでに、さまざまな分野で話題になっているから、ここでは、省略する。要するに、子どもは、ゲームづけにしてはいけないということ。
が、私がここで書きたいのは、そのことではない。
この日本では、(世界でもそうかもしれないが)、ゲームを批判したり、批評したりすると、ものすごい抗議が殺到するということ。上記のK教授のもとにも、「多くのいやがらせが、殺到している」(同)という。
考えてみれば、これは、おかしなことではないか。たかがゲームではないか(失礼!)。
どうしてそのゲームのもつ問題性を指摘しただけで、抗議の嵐が、わき起こるのか?
K教授らは、「ゲームばかりしていると、脳に悪い影響を与えますよ」と、むしろ親切心から、そう警告している。それに対して、(いやがらせ)とは!
実は、同じことを私も経験している。5、6年前に、私は「ポケモンカルト」(三一書房)という本を書いた。
そのときも、私のところのみならず、出版社にも、抗議の嵐が殺到した。名古屋市にあるCラジオ局では、1週間にわたって、私の書いた本をネタに、賛否両論の討論会をつづけたという。
が、私が驚いたのは、抗議そのものではない。
そうした抗議をしてきた人のほとんどが、子どもや親ではなく、20代前後の若者、それも男性たちであったということ。
どうして、20代前後の若者たちが、子どものゲームを批評しただけで、抗議をしてくるのか?
出版社の編集部に届いた抗議文の中には、日本を代表する、パソコン雑誌の編集部の男性からのもあった。
「子どもたちの夢を奪うのか!」
「幼児教育をしながら、子どもの夢が理解できないのか!」
「ゲームを楽しむのは、子どもの権利だ!」とか何とか。
私の本の中の、ささいな誤字や脱字、どうでもよいような誤記を指摘してきたのも多かった。
「貴様は、こんな文字も書けないのに、偉そうなことを言うな」とか、「もっと、ポケモンを勉強してからものを書け」とか、など。
(誤字、脱字については、いくら推敲しても、残るもの。
100%、誤字、脱字のない本などない。その本の原稿も、一度、プロの推敲家の目を経ていたのだが……。)
反論しようにも、どう反論したらよいかわからない。
そんな低レベルの抗議である。で、そのときは、「そういうふうに考える人もいるんだなあ」という程度で、私はすませた。
で、今回も、K教授らのもとに、「いやがらせが、殺到している」(同)という。
これはいったい、どういう現象なのか? どう考えたらよいのか?
一つ考えられることは、ゲームに夢中になっている、ゲーマーたちが、横のつながりをもちつつ、カルト化しているのではないかということ。
ゲームを批判されるということは、ゲームに夢中になっている自分たちが批判されるのと同じ……と、彼らは、とらえるらしい(?)。
おかしな論理だが、そう考えると、彼らの心理状態が理解できる。
実は、カルト教団の信者たちも、同じような症状を示す。
自分たちが属する教団が批判されたりすると、あたかも自分という個人が批判されたかのように、それに猛烈に反発したりする。
教団イコール、自分という一体感が、きわめて強い。
あのポケモン全盛期のときも、こんなことがあった。
私が、子どもたちの前で、ふと一言、「ピカチューのどこがかわいいの?」ともらしたときのこと。子どもたちは、その一言で、ヒステリー状態になってしまった。
ギャーと、悲鳴とも怒号ともわからないような声をあげる子どもさえいた。
そういう意味でも、ゲーム脳となった脳ミソをもった人たちと、カルト教団の信者たちとの間には、共通点が多い。
たとえばゲームにハマっている子どもを見ていると、どこか狂信的。
現実と空想の世界の区別すら、できなくなる子どもさえいる。
たまごっちの中の生き物(?)が死んだだけで、ワーワーと大泣きした子ども(小1女児)もいた。
これから先、ゲーム脳の問題は、さらに大きく、マスコミなどでも、とりあげられるようになるだろう。これからも注意深く、監視していきたい。
ところで、今日の(韓国)の新聞によれば、テレビゲームを50時間もしていて、死んでしまった若者がいるそうだ。
たかがゲームと、軽くみることはできない。
注※……K教授は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)と、ファンクショナルMRI(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置で、実際にゲームを使い、数十人を測定した。
そして、2001年に世界に先駆けて、「テレビゲームは前頭前野をまったく発達させることはなく、長時間のテレビゲームをすることによって、脳に悪影響を及ぼす」という実験結果をイギリスで発表した。
この実験結果が発表された後に、ある海外のゲーム・ソフトウェア団体は「非常に狭い見識に基づいたもの」というコメントを発表し、教授の元には多くの嫌がらせも殺到したという(NEWS WEB JAPANの記事より)。
(はやし浩司 ゲーム ゲームの功罪 ゲーム脳 ゲームの危険性)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●ゲーム脳(2)
【M君、小3のケース】
M君の姉(小5)が、ある日、こう言った。
「うちの弟、夜中でも、起きて、ゲームをしている!」と。
M君の姉とM君(小3)は、同じ部屋で寝ている。
二段ベッドになっていて、上が、姉。
下が、M君。そのM君が、「真夜中に、ガバッと起きて、ゲームを始める。
そのまま朝まで、していることもある」(姉の言葉)と。
M君には、特異な症状が見られた。
祖父が、その少し前、なくなった。その通夜の席でのこと。
M君は、たくさん集まった親類の人たちの間で、ギャーギャーと笑い声で、はしゃいでいたという。
「まるで、パーティでもしているかのようだった」(姉の言葉)と。
祖父は、人一倍、M君をかわいがっていた。
その祖父がなくなったのだから、M君は、さみしがっても、よいはず。
しかし、「はしゃいでいた」と。
私はその話を聞いて、M君はM君なりに、悲しさをごまかしていたのだろうと思った。
しかし別の事件が、そのすぐあとに起きた。
M君が、近くの家の庭に勝手に入り込み、その家で飼っていた犬に、腕をかまれて、大けがをしたというのだ。
その家の人の話では、「庭には人が入れないように、柵がしてあったのですが、M君は、その柵の下から、庭へもぐりこんだようです」とのこと。
こうした一連の行為の原因が、すべてゲームにあるとは思わないが、しかしないとも、言い切れない。こんなことがあった。
M君の姉から、真夜中にゲームをしているという話を聞いた母親が、M君から、ゲームを取りあげてしまった。
その直後のこと。M君は狂ったように、家の中で暴れ、最後は、自分の頭をガラス戸にぶつけ、そのガラス戸を割ってしまったという。
もちろんM君も、額と頬を切り、病院で、10針前後も、縫ってもらうほどのけがをしたという。
そのあまりの異常さに気づいて、しばらくしてから、M君の母親が、私のところに相談にやってきた。
私は、日曜日にときどき、M君を教えるという形で、M君を観察させてもらうことにした。
そのときもまだ、腕や顔に、生々しい、傷のあとが、のこっていた。
そのM君には、いくつかの特徴が見られた。
(1)まるで脳の中の情報が、乱舞しているかのように、話している話題が、めまぐるしく変化した。
時計の話をしていたかと思うと、突然、カレンダーの話になるなど。
(2)感情の起伏がはげしく、突然、落ちこんだかと思うと、パッと元気になって、ギャーと騒ぐ。
イスをゴトゴト動かしたり、机を意味もなく、バタンとたたいて見せたりする。
(3)頭の回転ははやい。しばらくぼんやりとしていたかと思うと、あっという間に、計算問題(割り算)をすませてしまう。
そして「終わったから、帰る」などと言って、あと片づけを始める。
(4)もちろんゲームの話になると、目の色が変わる。
彼がそのとき夢中になっていたのは、N社のGボーイというゲームである。
そのゲーム機器を手にしたとたん、顔つきが能面のように無表情になる。
ゲームをしている間は、目がトロンとし、死んだ、魚の目のようになる。
M君の姉の話では、ひとたびゲームを始めると、そのままの状態で、2~3時間はつづけるそうである。
長いときは、5時間とか、6時間もしているという。
(同じころ、12時間もゲームをしていたという中学生の話を聞いたことがある。)
以前、「脳が乱舞する子ども」という原稿を書いた(中日新聞発表済み)。
それをここに紹介する。もう4、5年前に書いた原稿だが、状況は改善されるどころか、悪化している。
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●子どもの脳が乱舞するとき
●収拾がつかなくなる子ども
「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、
ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。
ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立!
そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。
多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。30年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。小1児で、10人に2人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。
●崩壊する学級
「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答えた先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。
「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、「1名以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、90%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友だちをたたく」(66%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(52%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。
●「荒れ」から「新しい荒れ」へ
昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。
「新しい荒れ」とい言葉を使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。
日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」(14%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)と続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「かなり感ずる」「やや感ずる」という先生が、60%(同調査)もいるそうだ。
●原因の一つはイメージ文化?
こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊家庭は少なくなった。
むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。
「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。
●ゲームは右脳ばかり刺激する
こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができない。
浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。
テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。
学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊をあげる。
(付記)
●ふえる学級崩壊
学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。99年1月になされた日教組と全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告されている。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海道や東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにされた」(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。
北海道のある地方都市で、小学一年生70名について調査したところ、
授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……19人
教師の指示を行動に移せない ……17人
何も言わず教室の外に出て行く ……9人、など(同大会)。
●心を病む教師たち
こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在籍する約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から4年間は毎年210人から220人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は355人にふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・99年)。
この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、96年度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。
この数字は全休職者の約五二%にあたる。(全国データでは、97年度は休職者が4171人で、精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者などの対人関係のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。
●その対策
現在全国の21自治体では、学級崩壊が問題化している小学1年クラスについて、クラスを1クラス30人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策をとっている(共同通信社まとめ)。
また小学6年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的には、小学1、2年について、新潟県と秋田県がいずれも1クラスを30人に、香川県では40人いるクラスを、2人担任制にし、今後5年間でこの上限を36人まで引きさげる予定だという。
福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小1でクラスが30~36人のばあいでも、もう1人教員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部の小学校では、6年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入している。大分県では、中学1年と3年の英語の授業を、1クラス20人程度で実施している(01年度調べ)。
(はやし浩司 キレる子供 子ども 新しい荒れ 学級崩壊 心を病む教師)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●失行
近年、「失行」という言葉が、よく聞かれるようになった。
96年に、ドイツのシュルツという医師が使い始めた言葉だという。
失行というのは、本人が、わかっているのに、できない状態をいう。
たとえば風呂から出たとき、パジャマに着がえなさいと、だれかが言ったとする。
本人も、「風呂から出たら、パジャマに着がえなければならない」と、理解している。
しかし風呂から出ると、手当たり次第に、そこらにある衣服を身につけてしまう。
原因は、脳のどこかに何らかのダメージがあるためとされる。
それはさておき、人間が何かの行動をするとき、脳から、同時に別々の信号が発せられるという。行動命令と抑制命令である。
たとえば腕を上下させるときも、腕を上下させろという命令と、その動きを抑制する命令の二つが、同時に発せられる。
だから人間は、(あらゆる動物も)、スムーズな行動(=運動行為)ができる。
行動命令だけだと、まるでカミソリでスパスパとものを切るような動きになる。
抑制命令が強すぎると、行動そのものが、鈍くなり、動作も緩慢になる。
精神状態も、同じように考えられないだろうか。
たとえば何かのことで、カッと頭に血がのぼるようなときがある。
激怒した状態を思い浮かべればよい。
そのとき、同時に、「怒るな」という命令も、働く。
激怒するのを、精神の行動命令とするなら、「怒るな」と命令するのは、精神の抑制命令ということになる。
この「失行」についても、精神の行動命令と、抑制命令という考え方を当てはめると、それなりに、よく理解できる。
たとえば母親が、子どもに向かって、「テーブルの上のお菓子は、食べてはだめ」「それ
は、これから来る、お客さんのためのもの」と話したとする。
そのとき子どもは、「わかった」と言って、その場を去る。
が、母親の姿が見えなくなったとたん、子どもは、テーブルのところへもどってきて、その菓子を食べてしまう。
それを知って、母親は、子どもを、こう叱る。
「どうして、食べたの! 食べてはだめと言ったでしょ!」と。
このとき、子どもは、頭の中では「食べてはだめ」ということを理解していた。
しかし精神の抑制命令が弱く、精神の行動命令を、抑制することができなかった。
だから子どもは、菓子を食べてしまった。
……実は、こうした精神のコントロールをしているのが、前頭連合野と言われている。
そしてこの前頭連合野の働きが、何らかの損傷を受けると、その人は、自分で自分を管理できなくなってしまう。
いわゆるここでいう「失行」という現象が、起きる。
前述のWEB NEWSの記事によれば、「(前頭連合野は)記憶、感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分」とある。
どれ一つをとっても、良好な人間関係を維持するためには、不可欠な働きばかりである。
一説によれば、ゲーム脳の子どもの脳は、この前頭連合野が、「スカスカの状態」になっているそうである。
言うまでもなく、脳には、そのときどきの発達の段階で、「適齢期」というものがある。
その適齢期に、それ相当の、それにふさわしい発達をしておかないと、あとで補充したり、修正したりするということができなくなる。
ここにあげた、感情のコントロール、集団におけるコミュニケーション、創造性な学習能力といったものも、ある時期、適切な指導があってはじめて、子どもは、身につけることができる。
その時期に、ゲーム脳に示されるように、脳の中でもある特異な部分だけが、異常に刺激されることによって、脳のほかの部分の発達が阻害されるであろうことは、門外漢の私にさえ、容易に推察できる。
それが「スカスカの脳」ということになる。
これから先も、この「ゲーム脳」については、注目していきたい。
(補記)大脳生理学の研究に先行して、教育の世界では、現象として、子どもの問題を、先にとらえることは、よくある。
たとえば現在よく話題になる、AD・HD児についても、そういった症状をもつ子どもは、すでに40~50年前から、指摘されていた。
私も、幼児に接するようになって36年になるが、36年前の私でさえ、そういった症状をもった子どもを、ほかの子どもたちと区別することができた。
当時は、もちろん、AD・HD児という言葉はなかった。
診断基準もなかった。だから、「活発型の遅進児」とか、「多動性のある子ども」とか、そう呼んでいた。
「多動児」という言葉が、雑誌などに現れるようになったのは、私が30歳前後のことだから、今から、約30年前ということになる。
ゲーム脳についても、最近は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)や、ファンクショナルMRI(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置などの進歩により、脳の活動そのものを知ることによって、その正体が、明らかにされつつある。
しかし現象としては、今に始まったことではない。私が書いた、「脳が乱舞する子ども」というのは、そういう特異な現象をとりあげた記事である。
(はやし浩司 脳が乱舞する子ども 子供 ゲーム脳 前頭連合野 管理能力 脳に損傷
のある子ども 子供 失行 ドイツ シュルツ 医師 行動命令 抑制命令 はやし浩司
家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし
浩司 ゲーム脳 森教授 川島教授 韓国のゲーム中毒)
Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司
(付記)
●ネット中毒(TBS・News-i)」より
+++++++++++++++++
韓国内のネット中毒患者は、190万人。
悲惨な事件も、毎日のように起きている。
こうしたネット中毒患者のために、救済
施設まである。
かたや、この日本はどうか?
人口比からして、その約3倍の中毒患者
がいてもおかしくない。
約600万人?
そういった隠れ患者は、どこに消えてい
るのか。
まず、TBS-iの報道を紹介する・
+++++++++++++++++
**********以下、TBS-iより(2010-11-18)*******
いわゆる「インターネット中毒」が社会問題化している韓国で、ネットゲームをめぐって14歳の少年が母親を殺害し、自らも命を絶つ事件が起きました。
韓国警察によりますと、プサン市内のマンションの一室で16日、この部屋に住む女性(43)が首を絞められて殺害されているのが見つかりました。
女性の長男で中学3年生の少年(14)がベランダで首を吊って自殺していて、祖母に宛てた遺書には「お母さんとケンカをして許されないことをした」などと書かれていました。
少年は学校を遅刻・欠席しがちなほどネットの戦闘ゲームにのめり込んでいて、事件の前日にはそのことで母親と口論になっていたということです。
韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦そろって「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社会問題化しています。
さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大することが決まっています。
**********以上、TBS-iより(2010-11-18)*******
●猛烈な攻撃
この日本では、テレビ・ゲーム、あるいはネットゲームを批判しただけで、猛烈な抗議の嵐にさらされる。
ボロクソに叩かれる。
私も11年前に『ポケモン・カルト』という本を書いた。
が、いまだに、それがつづいている。
興味のある人は、ためしに、「はやし浩司 ポケモンカルト」で検索をかけてみるとよい。
いつも「トンデモ本」のトップにあげられている。
はげしい攻撃の文句もさることながら、どういう人たちが、私を攻撃しているか、どうかそれも知ってほしい。
が、問題は、このことだけではない。
「190万人」という数字である。
人口比からすれば、この日本では、600万人となる。
(日本の人口は、韓国の約3倍。)
そういう人たちは、今、どこで何をしているのか。
何を考えているのか。
日本人だけが特別ということもないだろうし、韓国人だけが特別ということもないはず。
あの事件、つまり光性てんかん事件が起きたとき、全国で数百人の子どもたちが倒れた。
テレビアニメの『ポケモン』を見ていた子どもたちである。
あの事件で不思議なのは、(「謎」と言ってもよいが)、そのあとだれひとり、当該テレビ局に対して、損害賠償、医療費を公(おおやけ)で請求した人がいなかったこと。
裁判にもならなかった。
倒れた子どもたちは闇から闇へと、葬られた。
ついで、あの事件そのものも、闇から闇へと、葬られた。
いったいあの事件は、だれが、どのような形で幕を引いたのか?
実は、今の今もそうである。
数か月前、ある教材社から仕事の依頼があった。
私は引き受けるつもりで、用意していた。
が、そのちょうど1週間後、今度は断ってきた。
いわく「うちもS社(出版社)と取り引きがありまして……」と。
「S社を敵に回したら、仕事もできなくなります」とも。
つまり私が書いた『ポケモン・カルト』が、問題というわけである。
ポケモンは、現在も全盛期。
それはそれで結構なこと。
それが問題というのではない。
私はこの世界は、何かがおかしいと書いている。
それがわからなければ、もう一度、冒頭のあげた記事を読みなおしてみてほしい。
日本の600万人は、どこに隠れているのか?
何をしているのか?
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ポケモンカルト ポケモン・カルト 三一書房 ゲーム中毒 韓国)
(付記)
この問題は、脳のCPU(中央演算装置)がからんでいる。
それだけに、やっかい。
やっかいというのは、中毒患者が自ら、それに気づくということは、まずありえない。
「私は正常」と思い込んでいる。
しかし正常ではない。
正常でないことは、彼らが書く(文章)を読んでみればわかる。
支離滅裂というか、感情をそのまま叩きつけている。
文章というよりも、「文」そのものになっていない。
たとえば……
「お前の子ども……MMMM……ゲームと現実の区別、
ちゃんと、つくのかよ~~~~」(某サイト)と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2010年の4月に書いた原稿を
添付します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ゲーム脳(ゲーム中毒)
+++++++++++++++++++
この日本では、どうして「ゲーム脳」が
問題にならないのか。
「ゲーム脳」という言葉が悪いなら、
「ゲーム中毒」でもよい。
隣の韓国では、すでに10年以上も前から、
また最近では中国でも、「ゲーム中毒」の
若者たちが、問題になりつつある。
ゲーム中毒の子ども(若者も)を集めた
更正施設や、更正プログラムまで、用意
されている※。
が、この日本では、問題にならない。
「ゲーム脳」という言葉を使って、エッセーを
書いただけで、猛烈な抗議に嵐にさらされる。
ゲームの世界そのものが、カルト化している。
ゲームに日夜夢中になっている子ども(若者)は、
まさにその信者ということになる。
(ためしに、「はやし浩司」で検索してみるとよい。
私を、口汚く中傷しているサイトやBLOGがある。
そのほとんどが、ここでいう「信者」たちである。
私が書いた『ポケモンカルト』(三一書房)などは、
出版してから11年になるが、いまだに叩かれつづ
けている!)
が、日本人だけが特別ということは、ありえない。
日本人の脳みそだけが、韓国人や中国人と、構造が
ちがうということは、ありえない。
今の今も、この日本には、ゲーム中毒の子ども(若者)は、
いる。
日に、何時間も何時間も、ゲームに夢中になっている。
真夜中でも、ゲームに夢中になっている。
が、日本では、そういう子ども(若者)が、どういうわけか、
問題にならない。
考えてみれば、これほどおかしな話はない。
ここでは、別の角度から、「ゲーム脳」について
考えてみたい。
+++++++++++++++++++++++++
●まねる(観察学習)
発達心理学の世界には、「観察学習」という言葉がある。
子どもは、教えられて学ぶことよりも、まわりを観察しながら、自ら学ぶことのほうが多い。
量的に、はるかに多い。
「学習効果」ということを考えるなら、またそのほうがはるかに効果的。
たとえば以前、何かにつけ、ツッパリ始めた子ども(小5男児)がいた。
言動が粗野になり、独特の目つきで、独特の話し方で話すようになった。
「ウッセー」「コノヤロー」と。
紫の地に、金色の刺繍をほどこしたコートを着てきたこともあった。
で、その子どもを、高校生の受験クラスに入れてみた。
高校生の間に座らせて、好きな勉強をさせてみた。
最初は、体をかたくしていたが、週を追うごとに、ぐんぐんと変化していった。
あとで聞いたら、高校生の中の1人を、自分の理想像のように思いようになったらしい。
その高校生は、野球部の部員だった。
その子どもは、日曜日など、こっそりとその試合の応援に出かけたりしていた。
家に帰っても、その高校生の話ばかりするようになった。
これは観察学習というわけではないが、その子どもは、まわりの様子から、多くのものを学んだことになる。
それは「学ぶ」という行為というよりは、「まねる」に近い。
その「まねる」という行為を、「モデリング」という。
●自己認識能力
ものごとは常識で考えよう。
まだ判断力や自己管理能力がじゅうぶん育っていない子どもが、ゲームを相手に、「殺せ!」「やっつけろ!」と叫んで、心によい影響を与えるはずがない。
こんな実験が知られている。
ある一定時間、暴力映画を見せた子どもは、その直後、行動が暴力的になるという(バンデュラ、ほか)。
多くの研究者が、同じような実験結果を報告しているので、今さら改めて説明するまでもない。
つまり子どもというのは、そのつど環境の中で、自分を作っていく。
作られていく。
それもそのはず。
子どもが現実検証能力、つまり自分、あるいは自分と他者との関係、さらには自分の置かれた立場を、客観的に判断できるようになるのは、小学3年生(9歳)以上。
それ以前の子どもには、その能力はない。
たとえば病院や図書館で騒いでいる幼児がいる。
そういう幼児に向かって、「静かにしなさい!」と叱っても、意味はない。
「騒いでいる」「迷惑をかけている」という意識そのものがない。
そういう行為がどういうものかさえ、わかっていない。
叱られたあと静かになるのは、こわいからそうしているだけ。
つまり小学3年生(9歳)以前の子どもに、その判断能力はない。
判断能力がないというよりは、思考力が未熟。
だからこの時期の子どもは、理性や知性を使って「学ぶ」ことよりも、周囲を観察し、それを「まねる」ことによって、自分の思考パターンや行動パターンを
形成していく。
それがモデリングということになる。
●疑わしきは罰する
法律の世界では、『疑わしきは罰せず』という。
が、教育の世界では、『疑わしきは罰する』という。
なんでもあやしいものは、先手先手で、子どもの世界から遠ざける。
安全性が確認されるまで待っていたら、それこそ手遅れになってしまう。
ゲームにしても、しかり。
もちろん中には、良質なソフトもある。
そういうものまで、ひとまとめにして、「反対!」と、私は言っているわけではない。
しかし良質なソフトにまぎれて、悪質なソフトがあるのも事実。
そういう悪質なソフトまで野放しにしては、いけない。
有害とは証明できないかもしれない。
しかし少なくとも、安全と証明されたわけでもない。
だったら、遠ざける。
それくらいの配慮というか、子どもの世界に対する思いやりは、あって当然のことではないか。
……と私は書いている。
●付記
あるBLOGには、こうあった。
「(右脳教育を創始者の)SDも、(ゲームを批判する)はやし浩司も、同じようなもの。
一度、この2人を、バトルさせてみたい」と。
SD氏(2009年死去)は、ゲームは、右脳の刺激になると説いていた。
そのSD氏と私も、同じ、と。
しかし(右脳教育)と(ゲーム脳)とは、どこでどう結びつくのか。
その右脳教育にしても、安全が確認されたわけではない。
むしろ幼児期においては、左脳教育(論理と分析)こそ、重要。
そうでなくても、映像文化に発達とともに、あえて右脳を刺激しなくても、子どもたちは、じゅうぶん過ぎるほどの刺激を受けている。
反対に、今、静かにものを考える子どもが少なくなった。
頭に飛来した情報を、ペラペラと口にする。
しかし中身がない。
薄っぺらい。
子どもたちの世界が、バラエティ番組化している。
「これでいいのか!」と叫んだところで、この話はおしまい。
【補記】
私は、右脳教育には、懐疑的である。
10年以上も前から、そういう趣旨で、原稿を書いてきた。
その気持ちは、いささかもゆらいでいない。
「まちがっている」と言っているのではない。
「あえて必要ない」と言っている。
フォト化とか、直観像とか、いろいろ言われているが、安全が確認されたわけではない。
ある幼児教室の案内書には、こうあった。
「これからは、右脳教育を受けた子どもたちが、ゾロゾロと(東大の)赤門をくぐることになるでしょう」と。
それから10年。
そろそろその結果が出ているはず。
もしSD氏とバトルするようなことがあれば、(天国なら天国でもよいが)、まずそのあたりの資料を出してもらうところから始めたい。
(注※)
●ゲーム脳
+++++++++++++++++
「ゲーム脳」というのは、大脳生理学上の
問題ではない。
「現象」の問題である。
「大脳生理学上、ゲーム脳というのはない」と
説く学者もいる。
その世界では神格化され、「つぎつぎと商品企画
が、もちこまれている」(某雑誌)とか。
結構な話だが、こういう学者は、つぎのような
現象を、どう考えるのだろうか。
産経新聞をそのまま転載させてもらう。
+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++
【産経新聞・10-02-08】
『・・・世界最大となる3億3800万人のインターネット人口を抱える中国で、2400万人の青少年がオンラインゲームやチャットにのめり込む(ネット中毒)に陥っている。中国青少年インターネット協会が8日までに発表した調査結果で明らかになった。
中国のネット人口のうち3分の1は、19歳以下の青少年が占めている。6~29歳の青少年7千人を対象に行われた調査結果によると、ネットに依存している青少年は2007年の9・7%から14%に増加。「ネット中毒」が社会問題化し始めた05年ごろは400万人程度で、4年間で6倍に増えた計算だ。娯楽の少ない発展が遅れている地域に中毒者が多いことも、特徴の一つに挙げられている。
中毒を誘因している一番の原因はオンラインゲームだ。「ネットを通じて何をしているか?」と
の問いに対し、47・9%が「ゲーム」と回答。2位の「アニメや映画、音楽のダウンロード」の23・2%、3位の「チャットで友達を作る」の13・2%を大きく引き離した。
中国では08年11月、人民解放軍北京軍区総医院が策定した「ネット中毒臨床診断基準」を公表し、ネット中毒を「繰り返しネットを使用することで一種の精神障害をきたした状態」と定義
付けた。今回の調査でも、ネット中毒になっていない人の66・5%は「他人を殴るのは間違っている」と答えたのに対し、中毒者は48%にとどまった。
国際情報紙、環球時報(英語版)によると、中国青少年精神保健センターの創設者は「ネット中毒者の40%は、(不注意や衝動的な症状などが出る)注意欠陥・多動性障害といった精神疾患にかかっている」と警鐘を鳴らしている』(以上、産経新聞)。
+++++++++++++以上、産経新聞より++++++++++++++
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ゲーム脳 中国の現状 ゲーム中毒 ネット中毒者 障害 中国のネット中毒者 ゲーム 疑わしきは罰する)
Hiroshi Hayashi++++++April.2010++++++はやし浩司
【韓国・朝鮮日報紙の記事より】(はやし浩司 2012-05-05)
●子どもとゲーム脳
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
どういうわけか、この日本では、「子どものゲーム」が、
ほとんど問題にならない。
……というか、話題にもならない。
が、隣の韓国では、ゲーム中毒の子どもが続出し、その
更正施設まである。
日本人と韓国人の脳の構造は、ちがうのか。
が、それはない。
つまり(ちがい)があると考えるほうが、おかしい。
ちがわないとするなら、どうしてこの日本では、「ゲーム」が、
問題にならないのか。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●朝鮮日報紙
このほど朝鮮日報紙が、たいへん骨太の記事を掲載した。
読みごたえのある長編の論文である。
ひとつひとつを吟味していたら、何日もかかるかもしれない。
が、どの一部を取りあげても、かなり衝撃的な内容である。
私たち日本人も、この論文のもつ重大性を、しっかりと認識しなければならない。
じっくりと読んでみたい。
(資料)以下、韓国朝鮮日報紙から転載**********************
【1】
幼児期のゲーム中毒は、脳の正常な発達を阻害する。嘉泉医科大学のキム・ヨンボ教授は「人が頻繁に通る道路が先に舗装されるのと同じで、発達が旺盛な幼児の脳も、刺激を多く受ける部分が特に発達する。幼児期にゲーム中毒に陥ると、脳が視覚的な刺激だけに集中するようになり、嗅覚や触覚などほかの感覚処理能力が低下する」と指摘する。
2010年には米国アイオワ州立大学の研究チームが「1日2時間以上ビデオゲームで遊ぶ子どもは、注意欠陥・多動性障害(ADHD)を発症する可能性が2倍高くなる」と発表した。同研究チームは「子どもがゲームに集中するのは、画面が目まぐるしく切り替わるのが原因」と指摘し、ゲームに熱中する子どもたちは学校の授業をつまらないと感じるようになると説明した。また「ゲームに集中すると、休みなく押し寄せる刺激に脳が適応するようになる。たばこによって、がんを発病する危険性が高まるように、ゲームによってADHDを発症する可能性が高まる」とも説明した。
さらに問題なのは、ゲーム中毒に陥って脳が損傷すると、中毒になる前の正常な状態に戻るのが困難という点だ。韓国科学技術研究院(KIST)脳科学研究所のシン・ヒソプ所長は「麻薬中毒者は治療を受けると、ひとまず正常な行動を取るが、再び麻薬に接すると、一般の人に比べ麻薬に対する欲求がかなり強くなる。ゲーム中毒もこの症状と同じ」と指摘した。
国内外でさまざまな議論があるものの、日本の脳神経科学者、森昭雄・日本大学教授は『ゲーム脳の恐怖』という著書で「脳の神経回路は通常、10歳以前に形成されるが、幼児期にビデオゲームばかりやっていると、ゲームをやめることができなくなる」という論理を展開した。同教授は「幼児期に形成された脳の神経回路のせいで、ゲームをやめることができず、ゲーム機を見ただけで自然に手が動くようになる。ゲームをする年齢は中学生以降、できれば大学生になってからが望ましい」と主張している。
【2】
午後2時。目を覚ますと窓の外が明るい。すぐにパソコンの前に座る。電源を入れっぱなしのパソコンのチャットウィンドウに友人たちが残したメッセージを読みながら、ゲームトーク(音声メッセージをやり取りできるプログラム)を立ち上げ、ヘッドフォンををセットする。長い言葉は必要なかった。
「よく寝たか。ゲームを始めよう」
いつアクセスしても、友人10人ほどがログインしている。私の『スタークラフト』(オンラインゲームの一種)の通算戦績は10万戦7万5000勝。この世界で私を知らない人はいない。かなり実力のある友人たちと2対2で対戦した。私はいつものごとく「ザーグ」(「プロトス」「テラン」と共にスタークラフトの3種族の一つ)を選択し、仲間はプロトスを選んだ。相手も同じ種族を配置する。私は兵力を減らしてドローン(ワーカー)を増やす「12ドローン」という戦略を準備し、偵察したところ、相手は兵力を強化する「9ドローン」の戦略を使っていることが分かった。
ヘッドフォンのマイクで仲間に序盤の戦闘を避けるよう伝えると、防御に専念した。12ドローン戦略は、序盤の防御さえうまく行えば、絶対に9ドローン戦略に勝てる。頭の中には数百、数千パターンの状況に対応する戦略が思い浮かぶ。思ったより時間がかかったが、9分40秒で無難に勝利した。
何時間経過したのか分からない。空腹を感じ、中華料理店にチャジャン麺(ジャージャー麺、日本のラーメンのように庶民的な食事メニュー)とチャンポン、そして焼き餃子を注文した。いつの間にか、暴食した後に眠る習慣がついた。きょうも14時間ほどゲームをしたようだ。普段もこのくらいはプレーしている。
私はこの4年間、親に学費を負担してもらい江原道の大学に籍を置き、小遣いをもらって生活している。だが、大学に行った日数は1カ月に満たない。4年の間、勉強するために親が借りてくれた部屋でゲームばかりしていたことを告げたら、親は何と言うだろうか。不安が募り、暴食しなければ眠れなかった。いつの間にか、70キロ後半だった体重は113キロにまで増えた。
ゲームの世界では、まさに戦績が序列だ。年齢が上でも、ゲームが下手なら敬意を払うことはしない。強い人が指揮を執ってこそ勝てるからだ。ゲーム仲間の中には工場や飲食店で時々働く人もいるが、皆私と似たような状況だ。
【3】
科学者たちは最近、ゲーム中毒に陥った子どもたちの脳が麻薬中毒の脳の状態と同じで、認知能力や感情をコントロールする機能が大幅に低下するという事実を明らかにした。このような子どもたちはさらに暴力的になり、ひどいケースでは注意欠陥・多動性障害(ADHD)のような精神疾患を発症することもあるという。ゲームが子どもたちの脳を破壊しているというわけだ。
ビデオゲームが子どもたちに有害かどうかという問題は、世界中で絶えず議論されている。ゲームが子どもたちの創意・工夫能力や運動能力を発達させるという肯定論もあるが、子どもの脳がゲームによって破壊されるという反対論も根強い。2010年にはこのような議論が米国の最高裁にまで持ち込まれたが、「児童の脳に長期的に悪影響を及ぼすという科学的な証拠がない」との理由でで結論は出なかった。
だが昨年11月、科学専門誌「ネイチャー」が発行する精神医学専門誌「トランスレーショナル・サイキアトリー」に、ゲーム中毒に陥った青少年の脳は麻薬中毒の脳の状態に似ているとの研究結果が掲載され、状況は一変した。ビデオゲームが子どもたちの脳に変化を及ぼすという事実が、科学的に初めて立証されたのだ。
ベルギー・ゲント大学のシモン・クーン博士による国際共同研究チームは、ベルギー、英国、ドイツ、フランス、アイルランドで14歳以下の少年少女154人の脳を撮影し分析を行った。その結果、ゲームで遊ぶ時間が調査対象の平均値(1週間に9時間)を上回る少年少女の脳は、左側の線条体が非常に大きくなっていた。この部分は、脳の中でも快楽に関わる部分で、麻薬中毒に陥ると肥大化することが分かっている。
先日、中国・上海精神健康センターは、オンライン科学誌「公共科学図書館(PLoS)ワン」に、ゲームに熱中するインターネット中毒者の脳で、白質の損傷が確認されたと発表した。白質とは、感情処理や注意・集中、意思決定、認識コントロールなどをつかさどる領域を結ぶ神経線維で、コカインのような麻薬を常習的に乱用すると、この部分が損傷する。
韓国でも09年に同様の研究結果が発表された。盆唐ソウル大学付属病院のキム・サンウン教授(核医学科)は、ゲーム中毒者の脳について、コカイン中毒者と同様の異常が認められることを明らかにした。脳の眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ=前頭葉のうち眼球周辺の一部分)の機能に異変が生じるという。キム教授は「眼窩前頭皮質は、合理的な意思決定や衝動性のコントロールと密接に関わっている領域。ゲーム中毒や麻薬中毒に陥った人は、この部分に異変が生じ、将来のことについて考えることができず目先の利益だけを追求するようになる」と説明した。
ゲーム中毒によって脳が変化すると、行動にも変化が現れる。嘉泉医科大学のキム・ヨンボ教授は「前頭葉は仮想と現実を区別し、刺激を自制する働きを担う。ゲームによる短期的な快楽・刺激が大幅に増えれば、前頭葉が正常に反応しなくなり、その結果、我慢できず深く物事を考えずに行動するADHDを発症する恐れがある」と指摘する。昨年12月には、ドイツのボン大学の研究チームが「生物心理学」誌に掲載した論文で、1週間に平均15時間、1人称シューティングゲーム(ゲームの中の主人公になりきり、的を狙って銃を発射するゲーム)を行った場合、前頭葉中部の活動がゲームをしない人に比べて弱まることが確認されたと発表した。前頭葉中部は、恐怖や攻撃性をコントロールする部分だ。ゲームの影響で脳が暴力に対して鈍感になることが、立証されたわけだ。
韓国国内の脳科学者たちは「ゲーム中毒は一方的に規制したところで根本的な解決は困難だ。政府とゲーム業界が一丸となって、暴力的なゲームが子どもたちの脳に与える影響について研究し、解決策を見いださなければならない」と口をそろえた。
【4】
ソウルに住む主婦イ・ジャヨンさん(35)=仮名=は、タブレット型パソコン「iPad」に夢中の娘ヘインちゃん(3)に絵本を与えたとき、とても驚いた。ヘインちゃんが絵本を指でタッチし、ドラッグするなど、「iPad」を操作するように扱っていたからだ。さらに、「iPad」のように画面が変わるなどの反応がないことに気づくといら立ち、絵本を投げつけて泣き叫んだ。
イさんが子どもに「iPad」を与えたのは教育的な目的からだった。ハングル教育用アプリケーションのクイズゲームなどを利用し、ハングルを楽しく覚えさせようと思ったのだ。ヘインちゃんは一日に何時間もハングルの勉強に集中し、IT(情報技術)機器を上手に使いこなすなど、最初は成功したかのように見えた。外出するときも来客時にも、「iPad」で静かに勉強する娘を、イさんはえらいと感心していた。
しかし数カ月後、事態の深刻さに気づき始めた。同年代の友人が遊びに来ても、ほかの子どもたちが人形やおもちゃのロボットで遊んでいても、ヘインちゃんは「iPad」に夢中だった。初めは目を輝かせていたハングルの学習も進展がなく、同年代の子どもたちに比べ言語駆使能力も遅れを取るようになった。最近イさんは、ヘインちゃんから「iPad」を取り上げるために毎日が「戦争」だ。イさんは「一瞬の間違った考え方が子どもをだめにしてしまったのではないかと思うと、とてもつらい」と話した。
スマートフォンやタブレット型パソコン、携帯ゲーム機などが広く一般家庭に普及し、子どもたちの周囲にはゲームがあふれている。言葉を学び、同世代の子どもたちとの集団生活を学ばなければならない幼児が「ゆりかご」からゲーム中毒の危険にさらされている。初めてゲーム機に触れるときから時間制限などの管理をきちんと行っていればゲーム中毒を防ぐことはできるが、保護者がゲーム中毒の深刻さを知らずに放置していると、子どもたちは文字を読んだり、言葉を習うよりも前からゲームの画面が与える面白さに目がくらみ、ゲーム中毒への道を歩み始める。
カトリック大学ソウル聖母病院のキム・デジン教授は「ゲームをすると、楽しみや快楽を与えるホルモン、ドーパミンの量が増加し、脳がこれに作用することで、ゲーム以外の楽しみを感じられなくなってしまう。そして、大人になってからも本能であるかのようにゲームを求めてしまう危険性がある」と話した。専門家たちは、ゲームを始める時期をできるだけ遅らせることが望ましいと話す。しかし実際に、ゲームに初めて触れる年齢は下がり続けている。
幼児用ゲームの内容が暴力的だったり、扇情的ではないからといって安心してはいけない。インターネット夢希望広場のイ・ヒョンチョセンター長は「美しく穏やかそうなゲームが最も危険だと考えるべきだ。実際に幼いゲーム中毒者の場合は『子ども用』ゲームから始まって、次第に暴力性や扇情性が強いゲームに移行するケースが多い」と話した。
あまり認識されていないが、幼児・小児期のゲーム中毒が青少年になってから深刻化するケースも多い。今年中学校2年のチョ君(14)の母親は「10年前に戻ることができれば…」と毎日後悔している。4歳のときからコンピューターを上手に使いこなしていたチョ君は、共働きの親が放置している間に、メイプルストーリー、スタークラフトのような、中毒性の強いゲームに没頭するようになった。そのためチョ君の父親がパソコンに暗証番号を設定し使えないようにすると、今度はインターネットカフェに出掛けるようになった。チョ君のゲーム中毒で離婚の危機にまで追い詰められた母親は、勤めていた会社を辞めてチョ君の治療に専念するという。母親は「一人でゲームをさせるというのは、子どもに刃物を持たせるのと同じくらい危険なことだと今になって分かった」と話した。
【5】
ギョンス(仮名)=ソウル市江西区加陽洞=は今年4歳だが、言葉をうまく話せない。「水」「お菓子」「ママ」のような短い単語を発するだけで、うまく文章にして話せない。実際、ギョンスの一日の生活の中では言葉があまり必要ない。同年代の友だちとも遊ばず、家に親戚や客が来ても見向きもしない。
ギョンスは1歳を過ぎたばかりのときからゲーム機で遊び始めた。有名なインターネットカフェの運営を手掛ける母親は、結婚後に夫と不和になり、パソコンに没頭するようになった。ギョンスにはゲーム機を与え、一人で遊ばせた。ギョンスは今、オンラインゲームもスマートフォンのゲームも自由に操作する。言葉を覚えるよりも、同世代の友人と過ごすよりも、ゲームに没頭した。母親がゲーム中毒に陥ったギョンスの深刻な症状に気づいたときには、時すでに遅しだった。ゲームを取り上げようとすると泣き叫び、母親をたたくなど、ギョンスは乱暴な行動も見せた。
一日中ゲームに没頭していたギョンスの脳は、世の中との間に壁を作ってしまった。言葉を学び、社会性を身に付け、人間らしい性格を育み、素質を啓発すべきギョンスの脳には、ゲーム以外の何も入り込むことはできなかった。
子どもが喜んで遊ぶからと、深く考えずにゲーム機を与える親、IT機器を上手に使いこなす子どもを「IT神童」と勘違いする親、ゲームでもほかの子に負けてはならないとライバル意識の強い親たちが「幼児ゲーム中毒」の悪影響に頭を抱えている。パソコン、ゲーム機、スマートフォンが各家庭にあふれている昨今、幼い子どものゲーム中毒をめぐり親子げんかをしたことがない家庭はほとんどないだろう。
特に、ゲームに初めて触れる年齢が年々下がっており、ゲーム中毒が韓国の子どもたちに及ぼす影響が次第に増大している。また、幼い子どもほどゲームをする時間が長くなっているのも実情だ。
昨年ゲーム等級委員会が行った実態調査によると、ゲームに初めて触れた平均年齢は2009年の5歳から、昨年は4.8歳へと低下し、1週間にゲームを利用する平均回数も、3-7歳の幼児・児童(3.7回)が、9-18歳の青少年(3回)より多いことが分かった。また、1週間に7回以上ゲームをする幼児・児童も13.5%と、青少年(11.4%)に比べ多かった。チャンセム精神科相談センターの関係者は「病院を訪れる幼児のゲーム中毒者が毎年30%程度増加している」と話した。
ゲーム中毒は、視力・成長発達障害など身体的問題を引き起こすが、最も恐ろしいのは、幼児の脳を破壊してしまうという点(こと)だ。
関東大学明知病院神経精神科のキム・ヒョンス教授は「3-6歳児の脳の発達過程では、脳梁(左右の大脳半球を接続する部分)が著しく発達し、高次的な判断力、思考力、注意集中力と関連する前頭葉が急速に成長する時期。幼児期のゲーム中毒は前頭葉の機能に相当な影響を及ぼし、脳の非正常的発達を招く恐れがある」と警告した。
さらに中毒性も幼児の方が強いと指摘する。ディディム・クリニック(ソウル市蘆原区)のチェ・サンチョル院長は「幼児期のゲーム中毒は、成長過程でいつでも再発する可能性があると言えるほど中毒性が強く、精神健康の問題を引き起こす可能性もある」と警告した。
2012/05/05
**************************以上、韓国朝鮮日報紙から転載
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
●子どもとゲーム
(Children & their TV Games)
TV games apparently affect children badly. The English Government has submitted a report,
regarding TV games and its possible dangerousness to children.)
+++++++++++++++++
「ゲームは安全だ」と、がんばっている、愚か者どもよ、
少しは、世界に目を開き、世界の人の意見を聞け!
イギリス政府は、つぎのような報告書を提出した。
まず、それをそのまま紹介する。
+++++++++++++++++
【ロンドン27日・時事通信】
イギリス政府は3月27日(2008)、ビデオゲームやインターネットが、子どもに及ぼす影響に関する報告書を公表、産業界や家庭と協力して対策に取り組む方針を明らかにした。
ゲームのパッケージに「子どもの健康を害する恐れがある」といった警告文が印刷される可能性もありそうだ。
報告書は政府の委託を受けた臨床心理学者が作成。
ゲームによって子供は暴力に対して鈍感になるなどと結論づけた。
また、英国では性と極端な暴力描写を含むゲームについてのみ、年齢制限が設けられているが、制限の拡大を求めた。(ヤフー・ニュースより抜粋)
+++++++++++++++++
この日本でも、「ゲーム脳」という言葉を使って、その危険性を説いた教授がいた。
が、その直後から、その教授のところには、抗議の嵐!
どうして?
一方、「ゲーム脳というのは、ない」「安全です」と説く教授も現れた。
こちらの教授は、ゲームの世界では、今、神様のような存在になっている。
どうして?
危険か、危険でないか、そんなことは、ゲームに夢中になっている子どもを見れば、わかる。
(もちろんゲームの内容にもよるが……。)
明らかに、どこかヘン。
おかしい。
様子もおかしいが、目つきもおかしい。
そうなる。
あるいはあなた自身が、あのテレビゲームをしてみればよい。
数分もしないうちに、頭の中がクラクラしてくるはず。
「殺せ!」「やっつけろ!」と騒ぐ子どもは、まだよいほう。
ほとんどは、無表情のまま。
無表情のまま、うつろな目つきで、指先だけを動かしている。
隣の韓国では、その中毒性が問題になり、各学校に、カウンセラーまで配置される状況になっ
ている。
(知っているか?)
が、この日本では、野放し! まったくの野放し!
私が書いた「ポケモン・カルト」(三一書房)にしても、書いてから9年にもなるのに、いまだに、抗議の書き込みがあとを絶たない。
どうして?
いったい、この日本は、どうなっているのだ!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist ゲーム脳 子どもとゲーム 子供とゲーム ゲームの問題性 テレビゲーム はやし浩司 ゲームの危険性 子ども脳 ポケモンカルト はやし浩司 ポケモン・カルト)
Hiroshi Hayashi+++++++Feb. 2012++++++はやし浩司・林浩司
【ゲーム中毒の子どもたち】
●韓国のネット中毒(ゲーム脳)
+++++++++++++++
相変わらず韓国では、ネット中毒
患者による、悲惨な事件がつづいて
いる。
今朝の時事通信も、こんなニュースを
伝えている。
しかしこういうニュースが話題になるだけ、
韓国社会は健全と考えてよい。
この日本では、ニュースにもならない。
なぜか?
そのヒントは、このニュースの末尾に
ある。
よく目を凝らして読んでみてほしい。
++++++++++++++++
********以下、韓国・より**********
【ソウル時事】
韓国南部の釜山で最近、オンラインゲームのやり過ぎをとがめられたことに激高した中学3年の少年が、母親を絞殺し、自らも命を絶つ事件が起きた。
ネット先進国といわれる韓国では、青少年の「ゲーム中毒」が深刻な社会問題となっており、対策が求められている。
韓国メディアによると、少年は幼いころからオンラインゲームにのめり込み、銃や剣を使うゲームを好んでいた。
母親を殺害後、「コンピューターのことでお母さんとけんかをし、興奮してしまった」との遺書を残し、首をつった。
同国では今年2月にも20代の男性が同様の理由で母親を殺害している。
行政安全省傘下の情報化振興院によれば、同国青少年(9~19歳)の12.8%に当たる93万8000人が「ネット中毒」で、このうちの大部分が「オンラインゲーム中毒」とされる。
ゲームをしないと禁断症状が現れ、日常生活への支障がある状態で、アルコールや幻覚剤の中毒と症状が近いという。
学力が低下し、社会に適応できなくなるほか、釜山の事件のように暴力性の高いゲームをやり過ぎ、実際の暴力に及ぶ例もある。
背景には激烈な受験戦争のストレスもあるといわれる。
同院は、ゲーム中毒のまん延は国家的損失とみなし、小中高校への訪問相談や、ゲーム禁止のキャンプなどの対策に取り組んでいる。
午前0~6時の青少年のオンラインゲームを禁じる法改正案も国会に提出された。
しかし、有力な輸出産業であるゲーム業界の反対もあり、立法化に至っておらず、有効な対策をなかなか打ち出せていない。
********以上、韓国・より**********
●禁断症状
時事通信は、「行政安全省傘下の情報化振興院によれば、同国青少年(9~19歳)の12.8%に当たる93万8000人が「ネット中毒」で、このうちの大部分が「オンラインゲーム中毒」とされる」と伝えている。
が、この日本では、ゲームを批判しただけで、熱心なゲーマーから嵐のような抗議を受ける。
どう受けるかは、「ゲーム脳」という言葉を最初に使った、某教授も告白している。
その一方で、「ゲーム脳などというのはありません」と主張した某教授のところには、仕事が殺到し、今ではこの世界では、カリスマ的な存在になっている。
その韓国。
数字が具体的に表示されている。
「……同国青少年(9~19歳)の12.8%に当たる93万8000人がネット中毒」と。
どの程度のレベルを「ネット中毒」と診断してよいのか。
その診断基準はあるのか。
そういった問題点もある。
さらに「パソコン中毒」「携帯電話中毒」とどう区別するのか。
そういった問題点もある。
またゲームといっても、内容はざまざま。
将棋のようなゲームもあれば、スピードを競う、ドライブゲームのようなものもある。
問題になっているのは、「少年は幼いころからオンラインゲームにのめり込み、銃や剣を使うゲームを好んでいた」(時事通信)ということらしい。
が、健全なゲーム(?)だからといって、安心できない。
TBS-iは、こんなニュースも報道している。
**********以下、TBS-iより(2010-11-18)*******
……韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦そろって「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社会問題化しています。
さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大することが決まっています。
**********以上、TBS-iより(2010-11-18)*******
「夫婦そろって、育児ゲームにのめりこみ……」と。
「育児ゲームなら問題ないのでは?」という常識は、この世界では、通用しない。
●禁断症状
ゲーム漬けの子どもに、特異な症状が現れることは、教育界では常識。
ほかの子どもたちと比較してみると、それがよくわかる。
「どこかおかしい?」「どこかへん?」という症状に併せて、一度ゲームをさせると、今度は一転、別人のようになってしまう。
その「落差」が、ここでいう「特異な症状」ということになる。
「どこかおかしい?」というのは、たとえばゲームをしていないときは、
(1)ボーッとした表情で何を考えているかわからない。
(2)突発的に、ふつうでない行動に走る。
(3)ものの考え方が衝動的、ゲーム的になる。が、ひとたびゲームをはじめると、
(4)別人のように無表情になり、能面的になる。
(5)何時間もゲームをつづける、など。
もちろん
(6)他者との良好な人間関係が結べなくなる。
そうした子どもについては、たびたび書いてきた。
で、禁断症状についてもたびたび書いてきた。
たとえば携帯電話症候群というのもある。
これは子どもにかぎらない。
おとなでも、さらに家庭の主婦でも、携帯電話を片時も離さない人は多い。
『弁当を忘れても、携帯電話は忘れない』と、そういう人は、よくそう言う。
そういう人から携帯電話を奪ったら……。
やはりここでいう禁断症状が現れる。
中には落ち着いて仕事ができなくなる人も多い。
●ゲーム業界
『……有力な輸出産業であるゲーム業界の反対もあり、立法化に至っておらず、有効な対策
をなかなか打ち出せていない』と。
少し前、「ゲーマーの世界がカルト化している」と書いたことがある。
こうした記事を書くと、すかさず反応(コメントや書き込み)が入る。
「このオッサン……頭がおかしいんじゃないの。
ゲームと現実の区別くらい、つくヨ~~。
テメエの息子たちは、大丈夫なのかヨ~~」と。
こうした批判は、ネットのあちこちに書き込まれているから、興味のある人は、検索をかけてみたらよい。
「はやし浩司」で検索してみれば、100~150番目あたりから、急速にそういった批判が目にとまるようになる。
が、問題は、「ゲーム業界」。
韓国でさえ、こうした「ゲーム業界の力」が働いている。
いわんやこの日本をや……と書きたいが、この日本では、不思議なことに、本当に不思議なことに、「ゲーム中毒」すら話題にならない。
現実はむしろ逆で、あのポケモンにしても、ゲーマーの世界では、「子どもの夢」と位置づけられている。
言い替えると、それだけゲーム業界の「力」が、韓国とは比較にならないほど強いと考えてよい。
日本人の脳みそだけ、ほかのアジア人とはちがうということは、ありえない。
●脳のCPU(中央演算装置)
話はぐんと脱線するが、私はこんな経験をしている。
私が子どものころは、まだ馬に引かれた馬車が、通りを歩いていた。
車も走っていたが、どこか遠慮がちだった。
町中で、庭のある家は、ほとんどなかった。
つまり道路が私たちの遊び場であり、おとなにとっては、職場だった。
私の実家は小さな自転車屋だったが、道路があったおかげで、それなりに仕事ができた。
道路に大きく自転車を並べても、文句を言う人はいなかった。
が、車社会の発展とともに、道路の性格は大きく変わった。
その結果が「現在」ということになる。
とくに歩道のない旧街道のような通りは、悲惨である。
店という店は、総じてシャッターを下ろした。
私の近所にも、「雄踏(ゆうとう)街道」と呼ばれる昔からの街道がある。
が、その街道で今でも商売をつづけている商店は、ほとんどない。
この問題と脳のCPUとどう関係があるか?
つまり今の若い人たちに、「道路の性格は変わった」という話をしても、恐らく理解できないだろうということ。
昔から道路というものは、そういうものだったと思っているにちがいない。
またそういう前提で、ものを考える。
だから道路に植木鉢をひとつ置いただけでも、「じゃま」と、それを排除してしまう。
こうしたズレが積み重なって、「狂い」となる。
あまりよいたとえではないことはわかっている。
たまたまこの原稿を書いているとき、ふと「道路」の話が横切った。
それで書いたが、しかし人は、ある日突然、狂うわけではない。
徐々に少しずつ、時間をかけて狂う。
もちろんたいはんの子どもは、(おとなも)、現実とゲームの世界を区別できる。
が、中には、その区別ができなくなる子どもが、現れる。
それをどう防ぐか。
それが問題と、私は書いている。
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古い原稿だが、2003~5年に
かけて書いた原稿を紹介します。
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【ゲーム脳】
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「ゲーム脳はあるのか、それともないのか?」
これについての記事を、「毎日JP」より、抜粋
してみる。
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●火付け役は、、森昭雄・日本大教授(脳神経科学)。
曰く、
『・・・「15年間、ゲームを毎日7時間やってきた大学生は無表情で、約束が100%守れない」「ゲームは慣れてくると大脳の前頭前野をほとんど使わない。
前頭前野が発達しないとすぐキレる」
森教授は02年、「ゲーム脳」仮説を提唱した。テレビゲームをしている時には脳波の中のベータ波が低下し、認知症に似た状態になると指摘。
その状態が続くと前頭前野の機能が衰えると警告した。
単純明快なストーリーはマスコミに乗って広がり、暴力的な描写に眉(まゆ)をひそめる教育関係者や、ゲームをやめさせたい親に支持された』(毎日JPより)と。
これに対して、「森教授の意見には、学術的な裏付けがない」と批判する人も多い。
『・・・森教授は一般向けの本や講演を通して仮説を広めてきた。
本来、仮説は他の科学者が同じ条件で試すことで初めて科学的な検証を受けるが、その材料となる論文はいまだに発表されていない。
手法にも批判がある。森教授は自ら開発した簡易型脳波計による計測で仮説を組み立てたが、複雑で繊細な脳機能をその手法でとらえるのは不可能、というのが専門家の共通した見方だ』(毎日JPより)と。
●利潤追求の世界
こうした批判を尻目に、ゲーム業界は、大盛況。
その先頭に立たされているのが(?)、東北大加齢医学研究所の川島隆太教授(脳機能イメージング)。
ここで注意しなければならないのは、川島隆太教授自身は、「加齢医学」が専門。
その研究に基づいて、
『・・・認知症の高齢者16人に半年以上学習療法を受けてもらった結果、認知機能テストの成績が上がったと報告。
何もしなかった16人の成績が低下傾向だったことから「認知機能改善に効果がある」と考察した』(2003年)(毎日JPより)と。
これにゲーム業界が飛びついた(?)。
『・・・こうした成果を企業が応用したのが、脳を鍛えるという意味の「脳トレ」だ。06年の流行語となり、川島教授の似顔絵が登場する任天堂のゲームソフト「脳を鍛える大人のDSトレーニング」は、続編も含め1000万本以上を売り上げた』(毎日JPより)と。
こうして今やこの日本は、上も下も、「脳トレ」ブーム。
「1000万本」という数字は、そのほんの一部でしかない。
もちろん批判もある。
『・・・ ただ、脳トレの過熱を心配する声もある。日本神経科学学会会長の津本忠治・理化学研究所脳科学総合研究センターユニットリーダーは、「川島氏の研究は科学的な手続きを踏んでいるが、認知機能の改善が本当に学習療法だけによるかはさらなる研究が必要だ。『改善した』という部分だけが拡大解釈され広がることで、計算さえやれば認知症にならないと思い込む人が出てくるかもしれない」と話す』(毎日Jより)と。
●三つ巴の論争
現在、「ゲーム脳支持派の森教授vsゲーム脳否定派の川島教授」という構図ができあがってしまっている。
しかし実際には、この両教授が、ゲーム脳を間に、対立しているわけではない。
森教授は、「ゲームばかりしていると、危ない」という警鐘を鳴らした。
一方川島教授は、ここにも書いたように、「老人の認知機能」が専門。
その立場で、「脳トレは(ボケ防止には)効果がある」と、自説を発表した。
が、一方、教育の世界には、『疑わしきは罰する』という原則がある。
(私が考えた原則だが・・・。)
完全に安全が確認されるまで、あやしげなものは、子どもの世界からは遠ざけたほうがよい。
事実、私は1日に何時間もゲームばかりしている子どもを、よく知っている。
中には、真夜中に突然起きあがって、ゲームをしている子どももいる。
もともとおかしいから、そうするのか、あるいはゲームばかりしているから、おかしいのか?
それは私にもわからないが、このタイプの子どもは、どこか、おかしい。
そういう印象を与える子どもは、少なくない。
(1)突発的に感情的な行動を繰り返す。
(2)日中、空をぼんやりと見つめるような愚鈍性が現れる、など。
「ゲーム脳」があるかないかという論争はさておき、その(おかしさ)を見たら、だれだって、こう思うにちがいない。
「ゲームは本当に安全なのか?」と。
そうでなくても、「殺せ!」「つぶせ!」「やっつけろ!」と、心の中で叫びながらするゲームが、子どもの心の発育に、よい影響を与えるはずがない。
ものごとは常識で考えたらよい。
(もちろんゲームといっても、内容によるが・・・。)
仮に百歩譲っても、認知症患者に効果があるからといって、子どもや、若い人たちにも効果があるとはかぎらない。
●脳トレへの疑問
私も脳トレなるものを、さまざまな場面で経験している。
それなりに楽しんでいる。
しかし子どもの知能因子という分野で考えるなら、脳トレで扱っている部分は、きわめて狭い世界での訓練にすぎない。
たとえば教育の世界でいう「知的教育」というのは、広大な原野。
脳トレというのは、その広大な原野を見ないで、手元の草花の見分け方をしているようなもの。
あまりよいたとえではないかもしれないが、少なくとも、脳トレというのは、「だからそれがどうしたの?」という部分につながっていかない。
仮にある種の訓練を受けて、それまで使っていなかった脳が活性化されたとする。
それはそれで結構なことだが、「だからといって、それがどうしたの?」となる。
もう少し具体的に書いてみたい。
たとえば脳トレで、つぎのような問題が出たとする。
+++++++++++++
【問】□には、ある共通の漢字が入る。それは何か。
□草、□問
+++++++++++++
答は※だが、こうした訓練を重ねたからといって、それがどうしたの?、となる。
というのも、私はこうして今、文章を書いているが、こうした訓練は、常に、しかも一文ごとにしている。
的確な言葉を使って、わかりやすくものを書く。
的確な言葉をさがすのは、ほんとうに難しい。
さらにそれを文章にし、文章どうしをつなげるのは、ほんとうに難しい。
つまりこうした脳トレを繰り返したところで、(よい文章)が書けるようになるとは、かぎらない。
・・・書けるようになるとも、思わない。
それ以上に重要なことは、本を読むこと。
文章を自分で書くこと。
つまり本を読んだり、文章を書くことが、先に書いた「広大な原野」ということになる。
(※の答は、「質」。)
●疑わしきは罰する
子どもの世界では、疑わしきは罰する。
先手、先手で、そうする。
以前、ゲーム脳について書いた原稿をさがしてみた。
5年前(05年9月)に書いた原稿が見つかった。
それをそのま、手を加えないで、再掲載する。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
【ゲーム脳】(05年9月の原稿より)
++++++++++++++++++++++
ゲームばかりしていると、脳ミソがおかしくなるぞ!
+++++++++++++++++++++++
最近、急に脚光を浴びてきた話題に、「ゲーム脳」がある。
ゲームづけになった脳ミソを「ゲーム脳」いう。
このタイプの脳ミソには、特異的な特徴がみられるという。
しかし、「ゲーム脳」とは、何か。NEWS WEB JAPANは、つぎのように報道している(05年8月11日)。
『脳の中で、約35%をしめる前頭葉の中に、前頭前野(人間の拳程の大きさで、記憶、感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分)という、さまざまな命令を身体全体に出す司令塔がある。
この司令塔が、ゲームや携帯メール、過激な映画やビデオ、テレビなどに熱中しすぎると働かなくなり、いわゆる「ゲーム脳」と呼ばれる状態になるという。
それを科学的に証明したのが、東北大のK教授と、日大大学院のM教授である』(以上、NEWS WEB JAPAN※)。
つまりゲーム脳になると、管理能力全般にわたって、影響が出てくるというわけである。
このゲーム脳については、すでに、さまざまな分野で話題になっているから、ここでは、省略する。要するに、子どもは、ゲームづけにしてはいけないということ。
が、私がここで書きたいのは、そのことではない。
この日本では、(世界でもそうかもしれないが)、ゲームを批判したり、批評したりすると、ものすごい抗議が殺到するということ。上記のK教授のもとにも、「多くのいやがらせが、殺到している」(同)という。
考えてみれば、これは、おかしなことではないか。たかがゲームではないか(失礼!)。
どうしてそのゲームのもつ問題性を指摘しただけで、抗議の嵐が、わき起こるのか?
K教授らは、「ゲームばかりしていると、脳に悪い影響を与えますよ」と、むしろ親切心から、そう警告している。それに対して、(いやがらせ)とは!
実は、同じことを私も経験している。5、6年前に、私は「ポケモンカルト」(三一書房)という本を書いた。
そのときも、私のところのみならず、出版社にも、抗議の嵐が殺到した。名古屋市にあるCラジオ局では、1週間にわたって、私の書いた本をネタに、賛否両論の討論会をつづけたという。
が、私が驚いたのは、抗議そのものではない。
そうした抗議をしてきた人のほとんどが、子どもや親ではなく、20代前後の若者、それも男性たちであったということ。
どうして、20代前後の若者たちが、子どものゲームを批評しただけで、抗議をしてくるのか?
出版社の編集部に届いた抗議文の中には、日本を代表する、パソコン雑誌の編集部の男性からのもあった。
「子どもたちの夢を奪うのか!」
「幼児教育をしながら、子どもの夢が理解できないのか!」
「ゲームを楽しむのは、子どもの権利だ!」とか何とか。
私の本の中の、ささいな誤字や脱字、どうでもよいような誤記を指摘してきたのも多かった。
「貴様は、こんな文字も書けないのに、偉そうなことを言うな」とか、「もっと、ポケモンを勉強してからものを書け」とか、など。
(誤字、脱字については、いくら推敲しても、残るもの。
100%、誤字、脱字のない本などない。その本の原稿も、一度、プロの推敲家の目を経ていたのだが……。)
反論しようにも、どう反論したらよいかわからない。
そんな低レベルの抗議である。で、そのときは、「そういうふうに考える人もいるんだなあ」という程度で、私はすませた。
で、今回も、K教授らのもとに、「いやがらせが、殺到している」(同)という。
これはいったい、どういう現象なのか? どう考えたらよいのか?
一つ考えられることは、ゲームに夢中になっている、ゲーマーたちが、横のつながりをもちつつ、カルト化しているのではないかということ。
ゲームを批判されるということは、ゲームに夢中になっている自分たちが批判されるのと同じ……と、彼らは、とらえるらしい(?)。
おかしな論理だが、そう考えると、彼らの心理状態が理解できる。
実は、カルト教団の信者たちも、同じような症状を示す。
自分たちが属する教団が批判されたりすると、あたかも自分という個人が批判されたかのように、それに猛烈に反発したりする。
教団イコール、自分という一体感が、きわめて強い。
あのポケモン全盛期のときも、こんなことがあった。
私が、子どもたちの前で、ふと一言、「ピカチューのどこがかわいいの?」ともらしたときのこと。子どもたちは、その一言で、ヒステリー状態になってしまった。
ギャーと、悲鳴とも怒号ともわからないような声をあげる子どもさえいた。
そういう意味でも、ゲーム脳となった脳ミソをもった人たちと、カルト教団の信者たちとの間には、共通点が多い。
たとえばゲームにハマっている子どもを見ていると、どこか狂信的。
現実と空想の世界の区別すら、できなくなる子どもさえいる。
たまごっちの中の生き物(?)が死んだだけで、ワーワーと大泣きした子ども(小1女児)もいた。
これから先、ゲーム脳の問題は、さらに大きく、マスコミなどでも、とりあげられるようになるだろう。これからも注意深く、監視していきたい。
ところで、今日の(韓国)の新聞によれば、テレビゲームを50時間もしていて、死んでしまった若者がいるそうだ。
たかがゲームと、軽くみることはできない。
注※……K教授は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)と、ファンクショナルMRI(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置で、実際にゲームを使い、数十人を測定した。
そして、2001年に世界に先駆けて、「テレビゲームは前頭前野をまったく発達させることはなく、長時間のテレビゲームをすることによって、脳に悪影響を及ぼす」という実験結果をイギリスで発表した。
この実験結果が発表された後に、ある海外のゲーム・ソフトウェア団体は「非常に狭い見識に基づいたもの」というコメントを発表し、教授の元には多くの嫌がらせも殺到したという(NEWS WEB JAPANの記事より)。
(はやし浩司 ゲーム ゲームの功罪 ゲーム脳 ゲームの危険性)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●ゲーム脳(2)
【M君、小3のケース】
M君の姉(小5)が、ある日、こう言った。
「うちの弟、夜中でも、起きて、ゲームをしている!」と。
M君の姉とM君(小3)は、同じ部屋で寝ている。
二段ベッドになっていて、上が、姉。
下が、M君。そのM君が、「真夜中に、ガバッと起きて、ゲームを始める。
そのまま朝まで、していることもある」(姉の言葉)と。
M君には、特異な症状が見られた。
祖父が、その少し前、なくなった。その通夜の席でのこと。
M君は、たくさん集まった親類の人たちの間で、ギャーギャーと笑い声で、はしゃいでいたという。
「まるで、パーティでもしているかのようだった」(姉の言葉)と。
祖父は、人一倍、M君をかわいがっていた。
その祖父がなくなったのだから、M君は、さみしがっても、よいはず。
しかし、「はしゃいでいた」と。
私はその話を聞いて、M君はM君なりに、悲しさをごまかしていたのだろうと思った。
しかし別の事件が、そのすぐあとに起きた。
M君が、近くの家の庭に勝手に入り込み、その家で飼っていた犬に、腕をかまれて、大けがをしたというのだ。
その家の人の話では、「庭には人が入れないように、柵がしてあったのですが、M君は、その柵の下から、庭へもぐりこんだようです」とのこと。
こうした一連の行為の原因が、すべてゲームにあるとは思わないが、しかしないとも、言い切れない。こんなことがあった。
M君の姉から、真夜中にゲームをしているという話を聞いた母親が、M君から、ゲームを取りあげてしまった。
その直後のこと。M君は狂ったように、家の中で暴れ、最後は、自分の頭をガラス戸にぶつけ、そのガラス戸を割ってしまったという。
もちろんM君も、額と頬を切り、病院で、10針前後も、縫ってもらうほどのけがをしたという。
そのあまりの異常さに気づいて、しばらくしてから、M君の母親が、私のところに相談にやってきた。
私は、日曜日にときどき、M君を教えるという形で、M君を観察させてもらうことにした。
そのときもまだ、腕や顔に、生々しい、傷のあとが、のこっていた。
そのM君には、いくつかの特徴が見られた。
(1)まるで脳の中の情報が、乱舞しているかのように、話している話題が、めまぐるしく変化した。
時計の話をしていたかと思うと、突然、カレンダーの話になるなど。
(2)感情の起伏がはげしく、突然、落ちこんだかと思うと、パッと元気になって、ギャーと騒ぐ。
イスをゴトゴト動かしたり、机を意味もなく、バタンとたたいて見せたりする。
(3)頭の回転ははやい。しばらくぼんやりとしていたかと思うと、あっという間に、計算問題(割り算)をすませてしまう。
そして「終わったから、帰る」などと言って、あと片づけを始める。
(4)もちろんゲームの話になると、目の色が変わる。
彼がそのとき夢中になっていたのは、N社のGボーイというゲームである。
そのゲーム機器を手にしたとたん、顔つきが能面のように無表情になる。
ゲームをしている間は、目がトロンとし、死んだ、魚の目のようになる。
M君の姉の話では、ひとたびゲームを始めると、そのままの状態で、2~3時間はつづけるそうである。
長いときは、5時間とか、6時間もしているという。
(同じころ、12時間もゲームをしていたという中学生の話を聞いたことがある。)
以前、「脳が乱舞する子ども」という原稿を書いた(中日新聞発表済み)。
それをここに紹介する。もう4、5年前に書いた原稿だが、状況は改善されるどころか、悪化している。
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●子どもの脳が乱舞するとき
●収拾がつかなくなる子ども
「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、
ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞しているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。
ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立!
そしてそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほうがヘンになる。
多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。30年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。小1児で、10人に2人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの子どもが、一クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えればこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。
●崩壊する学級
「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」と答えた先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。
「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、「1名以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を出さない」子どもについては、90%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものをいじめる」(75%)、「友だちをたたく」(66%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち歩く」(66%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(52%)などの授業そのものに対する反発もみられるという(同、調査)。
●「荒れ」から「新しい荒れ」へ
昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、それが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。
「新しい荒れ」とい言葉を使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子どもが、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまどい、「子どもがわからなくなった」とこぼす。
日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の差を感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が難しい」(14%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)と続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「かなり感ずる」「やや感ずる」という先生が、60%(同調査)もいるそうだ。
●原因の一つはイメージ文化?
こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビやゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔のような崩壊家庭は少なくなった。
むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味もなく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、アメリカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児期に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。
「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームもそうだ。動きが速い。速すぎる。
●ゲームは右脳ばかり刺激する
こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわかりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられなくなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、静かに聞くことができない。
浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろいが、直感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。
テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがない新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。その一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。
学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪弊をあげる。
(付記)
●ふえる学級崩壊
学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。99年1月になされた日教組と全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告されている。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、北海道や東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫りにされた」(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がっている」とも。
北海道のある地方都市で、小学一年生70名について調査したところ、
授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……19人
教師の指示を行動に移せない ……17人
何も言わず教室の外に出て行く ……9人、など(同大会)。
●心を病む教師たち
こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在籍する約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から4年間は毎年210人から220人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は355人にふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・99年)。
この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、96年度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。
この数字は全休職者の約五二%にあたる。(全国データでは、97年度は休職者が4171人で、精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、うつ病、うつ状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者などの対人関係のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。
●その対策
現在全国の21自治体では、学級崩壊が問題化している小学1年クラスについて、クラスを1クラス30人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策をとっている(共同通信社まとめ)。
また小学6年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的には、小学1、2年について、新潟県と秋田県がいずれも1クラスを30人に、香川県では40人いるクラスを、2人担任制にし、今後5年間でこの上限を36人まで引きさげる予定だという。
福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小1でクラスが30~36人のばあいでも、もう1人教員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部の小学校では、6年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入している。大分県では、中学1年と3年の英語の授業を、1クラス20人程度で実施している(01年度調べ)。
(はやし浩司 キレる子供 子ども 新しい荒れ 学級崩壊 心を病む教師)
++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●失行
近年、「失行」という言葉が、よく聞かれるようになった。
96年に、ドイツのシュルツという医師が使い始めた言葉だという。
失行というのは、本人が、わかっているのに、できない状態をいう。
たとえば風呂から出たとき、パジャマに着がえなさいと、だれかが言ったとする。
本人も、「風呂から出たら、パジャマに着がえなければならない」と、理解している。
しかし風呂から出ると、手当たり次第に、そこらにある衣服を身につけてしまう。
原因は、脳のどこかに何らかのダメージがあるためとされる。
それはさておき、人間が何かの行動をするとき、脳から、同時に別々の信号が発せられるという。行動命令と抑制命令である。
たとえば腕を上下させるときも、腕を上下させろという命令と、その動きを抑制する命令の二つが、同時に発せられる。
だから人間は、(あらゆる動物も)、スムーズな行動(=運動行為)ができる。
行動命令だけだと、まるでカミソリでスパスパとものを切るような動きになる。
抑制命令が強すぎると、行動そのものが、鈍くなり、動作も緩慢になる。
精神状態も、同じように考えられないだろうか。
たとえば何かのことで、カッと頭に血がのぼるようなときがある。
激怒した状態を思い浮かべればよい。
そのとき、同時に、「怒るな」という命令も、働く。
激怒するのを、精神の行動命令とするなら、「怒るな」と命令するのは、精神の抑制命令ということになる。
この「失行」についても、精神の行動命令と、抑制命令という考え方を当てはめると、それなりに、よく理解できる。
たとえば母親が、子どもに向かって、「テーブルの上のお菓子は、食べてはだめ」「それ
は、これから来る、お客さんのためのもの」と話したとする。
そのとき子どもは、「わかった」と言って、その場を去る。
が、母親の姿が見えなくなったとたん、子どもは、テーブルのところへもどってきて、その菓子を食べてしまう。
それを知って、母親は、子どもを、こう叱る。
「どうして、食べたの! 食べてはだめと言ったでしょ!」と。
このとき、子どもは、頭の中では「食べてはだめ」ということを理解していた。
しかし精神の抑制命令が弱く、精神の行動命令を、抑制することができなかった。
だから子どもは、菓子を食べてしまった。
……実は、こうした精神のコントロールをしているのが、前頭連合野と言われている。
そしてこの前頭連合野の働きが、何らかの損傷を受けると、その人は、自分で自分を管理できなくなってしまう。
いわゆるここでいう「失行」という現象が、起きる。
前述のWEB NEWSの記事によれば、「(前頭連合野は)記憶、感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分」とある。
どれ一つをとっても、良好な人間関係を維持するためには、不可欠な働きばかりである。
一説によれば、ゲーム脳の子どもの脳は、この前頭連合野が、「スカスカの状態」になっているそうである。
言うまでもなく、脳には、そのときどきの発達の段階で、「適齢期」というものがある。
その適齢期に、それ相当の、それにふさわしい発達をしておかないと、あとで補充したり、修正したりするということができなくなる。
ここにあげた、感情のコントロール、集団におけるコミュニケーション、創造性な学習能力といったものも、ある時期、適切な指導があってはじめて、子どもは、身につけることができる。
その時期に、ゲーム脳に示されるように、脳の中でもある特異な部分だけが、異常に刺激されることによって、脳のほかの部分の発達が阻害されるであろうことは、門外漢の私にさえ、容易に推察できる。
それが「スカスカの脳」ということになる。
これから先も、この「ゲーム脳」については、注目していきたい。
(補記)大脳生理学の研究に先行して、教育の世界では、現象として、子どもの問題を、先にとらえることは、よくある。
たとえば現在よく話題になる、AD・HD児についても、そういった症状をもつ子どもは、すでに40~50年前から、指摘されていた。
私も、幼児に接するようになって36年になるが、36年前の私でさえ、そういった症状をもった子どもを、ほかの子どもたちと区別することができた。
当時は、もちろん、AD・HD児という言葉はなかった。
診断基準もなかった。だから、「活発型の遅進児」とか、「多動性のある子ども」とか、そう呼んでいた。
「多動児」という言葉が、雑誌などに現れるようになったのは、私が30歳前後のことだから、今から、約30年前ということになる。
ゲーム脳についても、最近は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)や、ファンクショナルMRI(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置などの進歩により、脳の活動そのものを知ることによって、その正体が、明らかにされつつある。
しかし現象としては、今に始まったことではない。私が書いた、「脳が乱舞する子ども」というのは、そういう特異な現象をとりあげた記事である。
(はやし浩司 脳が乱舞する子ども 子供 ゲーム脳 前頭連合野 管理能力 脳に損傷
のある子ども 子供 失行 ドイツ シュルツ 医師 行動命令 抑制命令 はやし浩司
家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし
浩司 ゲーム脳 森教授 川島教授 韓国のゲーム中毒)
Hiroshi Hayashi++++Nov. 2010++++++はやし浩司・林浩司
(付記)
●ネット中毒(TBS・News-i)」より
+++++++++++++++++
韓国内のネット中毒患者は、190万人。
悲惨な事件も、毎日のように起きている。
こうしたネット中毒患者のために、救済
施設まである。
かたや、この日本はどうか?
人口比からして、その約3倍の中毒患者
がいてもおかしくない。
約600万人?
そういった隠れ患者は、どこに消えてい
るのか。
まず、TBS-iの報道を紹介する・
+++++++++++++++++
**********以下、TBS-iより(2010-11-18)*******
いわゆる「インターネット中毒」が社会問題化している韓国で、ネットゲームをめぐって14歳の少年が母親を殺害し、自らも命を絶つ事件が起きました。
韓国警察によりますと、プサン市内のマンションの一室で16日、この部屋に住む女性(43)が首を絞められて殺害されているのが見つかりました。
女性の長男で中学3年生の少年(14)がベランダで首を吊って自殺していて、祖母に宛てた遺書には「お母さんとケンカをして許されないことをした」などと書かれていました。
少年は学校を遅刻・欠席しがちなほどネットの戦闘ゲームにのめり込んでいて、事件の前日にはそのことで母親と口論になっていたということです。
韓国政府によると、韓国国内のネット中毒患者はおよそ190万人。今年3月には夫婦そろって「育児ゲーム」にのめり込み、生後3か月の娘を餓死させる事件が起きるなど社会問題化しています。
さらにネット中毒の低年齢化も進んでいて、来年から予防対象を幼児にまで拡大することが決まっています。
**********以上、TBS-iより(2010-11-18)*******
●猛烈な攻撃
この日本では、テレビ・ゲーム、あるいはネットゲームを批判しただけで、猛烈な抗議の嵐にさらされる。
ボロクソに叩かれる。
私も11年前に『ポケモン・カルト』という本を書いた。
が、いまだに、それがつづいている。
興味のある人は、ためしに、「はやし浩司 ポケモンカルト」で検索をかけてみるとよい。
いつも「トンデモ本」のトップにあげられている。
はげしい攻撃の文句もさることながら、どういう人たちが、私を攻撃しているか、どうかそれも知ってほしい。
が、問題は、このことだけではない。
「190万人」という数字である。
人口比からすれば、この日本では、600万人となる。
(日本の人口は、韓国の約3倍。)
そういう人たちは、今、どこで何をしているのか。
何を考えているのか。
日本人だけが特別ということもないだろうし、韓国人だけが特別ということもないはず。
あの事件、つまり光性てんかん事件が起きたとき、全国で数百人の子どもたちが倒れた。
テレビアニメの『ポケモン』を見ていた子どもたちである。
あの事件で不思議なのは、(「謎」と言ってもよいが)、そのあとだれひとり、当該テレビ局に対して、損害賠償、医療費を公(おおやけ)で請求した人がいなかったこと。
裁判にもならなかった。
倒れた子どもたちは闇から闇へと、葬られた。
ついで、あの事件そのものも、闇から闇へと、葬られた。
いったいあの事件は、だれが、どのような形で幕を引いたのか?
実は、今の今もそうである。
数か月前、ある教材社から仕事の依頼があった。
私は引き受けるつもりで、用意していた。
が、そのちょうど1週間後、今度は断ってきた。
いわく「うちもS社(出版社)と取り引きがありまして……」と。
「S社を敵に回したら、仕事もできなくなります」とも。
つまり私が書いた『ポケモン・カルト』が、問題というわけである。
ポケモンは、現在も全盛期。
それはそれで結構なこと。
それが問題というのではない。
私はこの世界は、何かがおかしいと書いている。
それがわからなければ、もう一度、冒頭のあげた記事を読みなおしてみてほしい。
日本の600万人は、どこに隠れているのか?
何をしているのか?
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ポケモンカルト ポケモン・カルト 三一書房 ゲーム中毒 韓国)
(付記)
この問題は、脳のCPU(中央演算装置)がからんでいる。
それだけに、やっかい。
やっかいというのは、中毒患者が自ら、それに気づくということは、まずありえない。
「私は正常」と思い込んでいる。
しかし正常ではない。
正常でないことは、彼らが書く(文章)を読んでみればわかる。
支離滅裂というか、感情をそのまま叩きつけている。
文章というよりも、「文」そのものになっていない。
たとえば……
「お前の子ども……MMMM……ゲームと現実の区別、
ちゃんと、つくのかよ~~~~」(某サイト)と。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
2010年の4月に書いた原稿を
添付します。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●ゲーム脳(ゲーム中毒)
+++++++++++++++++++
この日本では、どうして「ゲーム脳」が
問題にならないのか。
「ゲーム脳」という言葉が悪いなら、
「ゲーム中毒」でもよい。
隣の韓国では、すでに10年以上も前から、
また最近では中国でも、「ゲーム中毒」の
若者たちが、問題になりつつある。
ゲーム中毒の子ども(若者も)を集めた
更正施設や、更正プログラムまで、用意
されている※。
が、この日本では、問題にならない。
「ゲーム脳」という言葉を使って、エッセーを
書いただけで、猛烈な抗議に嵐にさらされる。
ゲームの世界そのものが、カルト化している。
ゲームに日夜夢中になっている子ども(若者)は、
まさにその信者ということになる。
(ためしに、「はやし浩司」で検索してみるとよい。
私を、口汚く中傷しているサイトやBLOGがある。
そのほとんどが、ここでいう「信者」たちである。
私が書いた『ポケモンカルト』(三一書房)などは、
出版してから11年になるが、いまだに叩かれつづ
けている!)
が、日本人だけが特別ということは、ありえない。
日本人の脳みそだけが、韓国人や中国人と、構造が
ちがうということは、ありえない。
今の今も、この日本には、ゲーム中毒の子ども(若者)は、
いる。
日に、何時間も何時間も、ゲームに夢中になっている。
真夜中でも、ゲームに夢中になっている。
が、日本では、そういう子ども(若者)が、どういうわけか、
問題にならない。
考えてみれば、これほどおかしな話はない。
ここでは、別の角度から、「ゲーム脳」について
考えてみたい。
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●まねる(観察学習)
発達心理学の世界には、「観察学習」という言葉がある。
子どもは、教えられて学ぶことよりも、まわりを観察しながら、自ら学ぶことのほうが多い。
量的に、はるかに多い。
「学習効果」ということを考えるなら、またそのほうがはるかに効果的。
たとえば以前、何かにつけ、ツッパリ始めた子ども(小5男児)がいた。
言動が粗野になり、独特の目つきで、独特の話し方で話すようになった。
「ウッセー」「コノヤロー」と。
紫の地に、金色の刺繍をほどこしたコートを着てきたこともあった。
で、その子どもを、高校生の受験クラスに入れてみた。
高校生の間に座らせて、好きな勉強をさせてみた。
最初は、体をかたくしていたが、週を追うごとに、ぐんぐんと変化していった。
あとで聞いたら、高校生の中の1人を、自分の理想像のように思いようになったらしい。
その高校生は、野球部の部員だった。
その子どもは、日曜日など、こっそりとその試合の応援に出かけたりしていた。
家に帰っても、その高校生の話ばかりするようになった。
これは観察学習というわけではないが、その子どもは、まわりの様子から、多くのものを学んだことになる。
それは「学ぶ」という行為というよりは、「まねる」に近い。
その「まねる」という行為を、「モデリング」という。
●自己認識能力
ものごとは常識で考えよう。
まだ判断力や自己管理能力がじゅうぶん育っていない子どもが、ゲームを相手に、「殺せ!」「やっつけろ!」と叫んで、心によい影響を与えるはずがない。
こんな実験が知られている。
ある一定時間、暴力映画を見せた子どもは、その直後、行動が暴力的になるという(バンデュラ、ほか)。
多くの研究者が、同じような実験結果を報告しているので、今さら改めて説明するまでもない。
つまり子どもというのは、そのつど環境の中で、自分を作っていく。
作られていく。
それもそのはず。
子どもが現実検証能力、つまり自分、あるいは自分と他者との関係、さらには自分の置かれた立場を、客観的に判断できるようになるのは、小学3年生(9歳)以上。
それ以前の子どもには、その能力はない。
たとえば病院や図書館で騒いでいる幼児がいる。
そういう幼児に向かって、「静かにしなさい!」と叱っても、意味はない。
「騒いでいる」「迷惑をかけている」という意識そのものがない。
そういう行為がどういうものかさえ、わかっていない。
叱られたあと静かになるのは、こわいからそうしているだけ。
つまり小学3年生(9歳)以前の子どもに、その判断能力はない。
判断能力がないというよりは、思考力が未熟。
だからこの時期の子どもは、理性や知性を使って「学ぶ」ことよりも、周囲を観察し、それを「まねる」ことによって、自分の思考パターンや行動パターンを
形成していく。
それがモデリングということになる。
●疑わしきは罰する
法律の世界では、『疑わしきは罰せず』という。
が、教育の世界では、『疑わしきは罰する』という。
なんでもあやしいものは、先手先手で、子どもの世界から遠ざける。
安全性が確認されるまで待っていたら、それこそ手遅れになってしまう。
ゲームにしても、しかり。
もちろん中には、良質なソフトもある。
そういうものまで、ひとまとめにして、「反対!」と、私は言っているわけではない。
しかし良質なソフトにまぎれて、悪質なソフトがあるのも事実。
そういう悪質なソフトまで野放しにしては、いけない。
有害とは証明できないかもしれない。
しかし少なくとも、安全と証明されたわけでもない。
だったら、遠ざける。
それくらいの配慮というか、子どもの世界に対する思いやりは、あって当然のことではないか。
……と私は書いている。
●付記
あるBLOGには、こうあった。
「(右脳教育を創始者の)SDも、(ゲームを批判する)はやし浩司も、同じようなもの。
一度、この2人を、バトルさせてみたい」と。
SD氏(2009年死去)は、ゲームは、右脳の刺激になると説いていた。
そのSD氏と私も、同じ、と。
しかし(右脳教育)と(ゲーム脳)とは、どこでどう結びつくのか。
その右脳教育にしても、安全が確認されたわけではない。
むしろ幼児期においては、左脳教育(論理と分析)こそ、重要。
そうでなくても、映像文化に発達とともに、あえて右脳を刺激しなくても、子どもたちは、じゅうぶん過ぎるほどの刺激を受けている。
反対に、今、静かにものを考える子どもが少なくなった。
頭に飛来した情報を、ペラペラと口にする。
しかし中身がない。
薄っぺらい。
子どもたちの世界が、バラエティ番組化している。
「これでいいのか!」と叫んだところで、この話はおしまい。
【補記】
私は、右脳教育には、懐疑的である。
10年以上も前から、そういう趣旨で、原稿を書いてきた。
その気持ちは、いささかもゆらいでいない。
「まちがっている」と言っているのではない。
「あえて必要ない」と言っている。
フォト化とか、直観像とか、いろいろ言われているが、安全が確認されたわけではない。
ある幼児教室の案内書には、こうあった。
「これからは、右脳教育を受けた子どもたちが、ゾロゾロと(東大の)赤門をくぐることになるでしょう」と。
それから10年。
そろそろその結果が出ているはず。
もしSD氏とバトルするようなことがあれば、(天国なら天国でもよいが)、まずそのあたりの資料を出してもらうところから始めたい。
(注※)
●ゲーム脳
+++++++++++++++++
「ゲーム脳」というのは、大脳生理学上の
問題ではない。
「現象」の問題である。
「大脳生理学上、ゲーム脳というのはない」と
説く学者もいる。
その世界では神格化され、「つぎつぎと商品企画
が、もちこまれている」(某雑誌)とか。
結構な話だが、こういう学者は、つぎのような
現象を、どう考えるのだろうか。
産経新聞をそのまま転載させてもらう。
+++++++++++++以下、産経新聞より++++++++++++++
【産経新聞・10-02-08】
『・・・世界最大となる3億3800万人のインターネット人口を抱える中国で、2400万人の青少年がオンラインゲームやチャットにのめり込む(ネット中毒)に陥っている。中国青少年インターネット協会が8日までに発表した調査結果で明らかになった。
中国のネット人口のうち3分の1は、19歳以下の青少年が占めている。6~29歳の青少年7千人を対象に行われた調査結果によると、ネットに依存している青少年は2007年の9・7%から14%に増加。「ネット中毒」が社会問題化し始めた05年ごろは400万人程度で、4年間で6倍に増えた計算だ。娯楽の少ない発展が遅れている地域に中毒者が多いことも、特徴の一つに挙げられている。
中毒を誘因している一番の原因はオンラインゲームだ。「ネットを通じて何をしているか?」と
の問いに対し、47・9%が「ゲーム」と回答。2位の「アニメや映画、音楽のダウンロード」の23・2%、3位の「チャットで友達を作る」の13・2%を大きく引き離した。
中国では08年11月、人民解放軍北京軍区総医院が策定した「ネット中毒臨床診断基準」を公表し、ネット中毒を「繰り返しネットを使用することで一種の精神障害をきたした状態」と定義
付けた。今回の調査でも、ネット中毒になっていない人の66・5%は「他人を殴るのは間違っている」と答えたのに対し、中毒者は48%にとどまった。
国際情報紙、環球時報(英語版)によると、中国青少年精神保健センターの創設者は「ネット中毒者の40%は、(不注意や衝動的な症状などが出る)注意欠陥・多動性障害といった精神疾患にかかっている」と警鐘を鳴らしている』(以上、産経新聞)。
+++++++++++++以上、産経新聞より++++++++++++++
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ゲーム脳 中国の現状 ゲーム中毒 ネット中毒者 障害 中国のネット中毒者 ゲーム 疑わしきは罰する)
Hiroshi Hayashi++++++April.2010++++++はやし浩司
【韓国・朝鮮日報紙の記事より】(はやし浩司 2012-05-05)
●子どもとゲーム脳
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
どういうわけか、この日本では、「子どものゲーム」が、
ほとんど問題にならない。
……というか、話題にもならない。
が、隣の韓国では、ゲーム中毒の子どもが続出し、その
更正施設まである。
日本人と韓国人の脳の構造は、ちがうのか。
が、それはない。
つまり(ちがい)があると考えるほうが、おかしい。
ちがわないとするなら、どうしてこの日本では、「ゲーム」が、
問題にならないのか。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●朝鮮日報紙
このほど朝鮮日報紙が、たいへん骨太の記事を掲載した。
読みごたえのある長編の論文である。
ひとつひとつを吟味していたら、何日もかかるかもしれない。
が、どの一部を取りあげても、かなり衝撃的な内容である。
私たち日本人も、この論文のもつ重大性を、しっかりと認識しなければならない。
じっくりと読んでみたい。
(資料)以下、韓国朝鮮日報紙から転載**********************
【1】
幼児期のゲーム中毒は、脳の正常な発達を阻害する。嘉泉医科大学のキム・ヨンボ教授は「人が頻繁に通る道路が先に舗装されるのと同じで、発達が旺盛な幼児の脳も、刺激を多く受ける部分が特に発達する。幼児期にゲーム中毒に陥ると、脳が視覚的な刺激だけに集中するようになり、嗅覚や触覚などほかの感覚処理能力が低下する」と指摘する。
2010年には米国アイオワ州立大学の研究チームが「1日2時間以上ビデオゲームで遊ぶ子どもは、注意欠陥・多動性障害(ADHD)を発症する可能性が2倍高くなる」と発表した。同研究チームは「子どもがゲームに集中するのは、画面が目まぐるしく切り替わるのが原因」と指摘し、ゲームに熱中する子どもたちは学校の授業をつまらないと感じるようになると説明した。また「ゲームに集中すると、休みなく押し寄せる刺激に脳が適応するようになる。たばこによって、がんを発病する危険性が高まるように、ゲームによってADHDを発症する可能性が高まる」とも説明した。
さらに問題なのは、ゲーム中毒に陥って脳が損傷すると、中毒になる前の正常な状態に戻るのが困難という点だ。韓国科学技術研究院(KIST)脳科学研究所のシン・ヒソプ所長は「麻薬中毒者は治療を受けると、ひとまず正常な行動を取るが、再び麻薬に接すると、一般の人に比べ麻薬に対する欲求がかなり強くなる。ゲーム中毒もこの症状と同じ」と指摘した。
国内外でさまざまな議論があるものの、日本の脳神経科学者、森昭雄・日本大学教授は『ゲーム脳の恐怖』という著書で「脳の神経回路は通常、10歳以前に形成されるが、幼児期にビデオゲームばかりやっていると、ゲームをやめることができなくなる」という論理を展開した。同教授は「幼児期に形成された脳の神経回路のせいで、ゲームをやめることができず、ゲーム機を見ただけで自然に手が動くようになる。ゲームをする年齢は中学生以降、できれば大学生になってからが望ましい」と主張している。
【2】
午後2時。目を覚ますと窓の外が明るい。すぐにパソコンの前に座る。電源を入れっぱなしのパソコンのチャットウィンドウに友人たちが残したメッセージを読みながら、ゲームトーク(音声メッセージをやり取りできるプログラム)を立ち上げ、ヘッドフォンををセットする。長い言葉は必要なかった。
「よく寝たか。ゲームを始めよう」
いつアクセスしても、友人10人ほどがログインしている。私の『スタークラフト』(オンラインゲームの一種)の通算戦績は10万戦7万5000勝。この世界で私を知らない人はいない。かなり実力のある友人たちと2対2で対戦した。私はいつものごとく「ザーグ」(「プロトス」「テラン」と共にスタークラフトの3種族の一つ)を選択し、仲間はプロトスを選んだ。相手も同じ種族を配置する。私は兵力を減らしてドローン(ワーカー)を増やす「12ドローン」という戦略を準備し、偵察したところ、相手は兵力を強化する「9ドローン」の戦略を使っていることが分かった。
ヘッドフォンのマイクで仲間に序盤の戦闘を避けるよう伝えると、防御に専念した。12ドローン戦略は、序盤の防御さえうまく行えば、絶対に9ドローン戦略に勝てる。頭の中には数百、数千パターンの状況に対応する戦略が思い浮かぶ。思ったより時間がかかったが、9分40秒で無難に勝利した。
何時間経過したのか分からない。空腹を感じ、中華料理店にチャジャン麺(ジャージャー麺、日本のラーメンのように庶民的な食事メニュー)とチャンポン、そして焼き餃子を注文した。いつの間にか、暴食した後に眠る習慣がついた。きょうも14時間ほどゲームをしたようだ。普段もこのくらいはプレーしている。
私はこの4年間、親に学費を負担してもらい江原道の大学に籍を置き、小遣いをもらって生活している。だが、大学に行った日数は1カ月に満たない。4年の間、勉強するために親が借りてくれた部屋でゲームばかりしていたことを告げたら、親は何と言うだろうか。不安が募り、暴食しなければ眠れなかった。いつの間にか、70キロ後半だった体重は113キロにまで増えた。
ゲームの世界では、まさに戦績が序列だ。年齢が上でも、ゲームが下手なら敬意を払うことはしない。強い人が指揮を執ってこそ勝てるからだ。ゲーム仲間の中には工場や飲食店で時々働く人もいるが、皆私と似たような状況だ。
【3】
科学者たちは最近、ゲーム中毒に陥った子どもたちの脳が麻薬中毒の脳の状態と同じで、認知能力や感情をコントロールする機能が大幅に低下するという事実を明らかにした。このような子どもたちはさらに暴力的になり、ひどいケースでは注意欠陥・多動性障害(ADHD)のような精神疾患を発症することもあるという。ゲームが子どもたちの脳を破壊しているというわけだ。
ビデオゲームが子どもたちに有害かどうかという問題は、世界中で絶えず議論されている。ゲームが子どもたちの創意・工夫能力や運動能力を発達させるという肯定論もあるが、子どもの脳がゲームによって破壊されるという反対論も根強い。2010年にはこのような議論が米国の最高裁にまで持ち込まれたが、「児童の脳に長期的に悪影響を及ぼすという科学的な証拠がない」との理由でで結論は出なかった。
だが昨年11月、科学専門誌「ネイチャー」が発行する精神医学専門誌「トランスレーショナル・サイキアトリー」に、ゲーム中毒に陥った青少年の脳は麻薬中毒の脳の状態に似ているとの研究結果が掲載され、状況は一変した。ビデオゲームが子どもたちの脳に変化を及ぼすという事実が、科学的に初めて立証されたのだ。
ベルギー・ゲント大学のシモン・クーン博士による国際共同研究チームは、ベルギー、英国、ドイツ、フランス、アイルランドで14歳以下の少年少女154人の脳を撮影し分析を行った。その結果、ゲームで遊ぶ時間が調査対象の平均値(1週間に9時間)を上回る少年少女の脳は、左側の線条体が非常に大きくなっていた。この部分は、脳の中でも快楽に関わる部分で、麻薬中毒に陥ると肥大化することが分かっている。
先日、中国・上海精神健康センターは、オンライン科学誌「公共科学図書館(PLoS)ワン」に、ゲームに熱中するインターネット中毒者の脳で、白質の損傷が確認されたと発表した。白質とは、感情処理や注意・集中、意思決定、認識コントロールなどをつかさどる領域を結ぶ神経線維で、コカインのような麻薬を常習的に乱用すると、この部分が損傷する。
韓国でも09年に同様の研究結果が発表された。盆唐ソウル大学付属病院のキム・サンウン教授(核医学科)は、ゲーム中毒者の脳について、コカイン中毒者と同様の異常が認められることを明らかにした。脳の眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ=前頭葉のうち眼球周辺の一部分)の機能に異変が生じるという。キム教授は「眼窩前頭皮質は、合理的な意思決定や衝動性のコントロールと密接に関わっている領域。ゲーム中毒や麻薬中毒に陥った人は、この部分に異変が生じ、将来のことについて考えることができず目先の利益だけを追求するようになる」と説明した。
ゲーム中毒によって脳が変化すると、行動にも変化が現れる。嘉泉医科大学のキム・ヨンボ教授は「前頭葉は仮想と現実を区別し、刺激を自制する働きを担う。ゲームによる短期的な快楽・刺激が大幅に増えれば、前頭葉が正常に反応しなくなり、その結果、我慢できず深く物事を考えずに行動するADHDを発症する恐れがある」と指摘する。昨年12月には、ドイツのボン大学の研究チームが「生物心理学」誌に掲載した論文で、1週間に平均15時間、1人称シューティングゲーム(ゲームの中の主人公になりきり、的を狙って銃を発射するゲーム)を行った場合、前頭葉中部の活動がゲームをしない人に比べて弱まることが確認されたと発表した。前頭葉中部は、恐怖や攻撃性をコントロールする部分だ。ゲームの影響で脳が暴力に対して鈍感になることが、立証されたわけだ。
韓国国内の脳科学者たちは「ゲーム中毒は一方的に規制したところで根本的な解決は困難だ。政府とゲーム業界が一丸となって、暴力的なゲームが子どもたちの脳に与える影響について研究し、解決策を見いださなければならない」と口をそろえた。
【4】
ソウルに住む主婦イ・ジャヨンさん(35)=仮名=は、タブレット型パソコン「iPad」に夢中の娘ヘインちゃん(3)に絵本を与えたとき、とても驚いた。ヘインちゃんが絵本を指でタッチし、ドラッグするなど、「iPad」を操作するように扱っていたからだ。さらに、「iPad」のように画面が変わるなどの反応がないことに気づくといら立ち、絵本を投げつけて泣き叫んだ。
イさんが子どもに「iPad」を与えたのは教育的な目的からだった。ハングル教育用アプリケーションのクイズゲームなどを利用し、ハングルを楽しく覚えさせようと思ったのだ。ヘインちゃんは一日に何時間もハングルの勉強に集中し、IT(情報技術)機器を上手に使いこなすなど、最初は成功したかのように見えた。外出するときも来客時にも、「iPad」で静かに勉強する娘を、イさんはえらいと感心していた。
しかし数カ月後、事態の深刻さに気づき始めた。同年代の友人が遊びに来ても、ほかの子どもたちが人形やおもちゃのロボットで遊んでいても、ヘインちゃんは「iPad」に夢中だった。初めは目を輝かせていたハングルの学習も進展がなく、同年代の子どもたちに比べ言語駆使能力も遅れを取るようになった。最近イさんは、ヘインちゃんから「iPad」を取り上げるために毎日が「戦争」だ。イさんは「一瞬の間違った考え方が子どもをだめにしてしまったのではないかと思うと、とてもつらい」と話した。
スマートフォンやタブレット型パソコン、携帯ゲーム機などが広く一般家庭に普及し、子どもたちの周囲にはゲームがあふれている。言葉を学び、同世代の子どもたちとの集団生活を学ばなければならない幼児が「ゆりかご」からゲーム中毒の危険にさらされている。初めてゲーム機に触れるときから時間制限などの管理をきちんと行っていればゲーム中毒を防ぐことはできるが、保護者がゲーム中毒の深刻さを知らずに放置していると、子どもたちは文字を読んだり、言葉を習うよりも前からゲームの画面が与える面白さに目がくらみ、ゲーム中毒への道を歩み始める。
カトリック大学ソウル聖母病院のキム・デジン教授は「ゲームをすると、楽しみや快楽を与えるホルモン、ドーパミンの量が増加し、脳がこれに作用することで、ゲーム以外の楽しみを感じられなくなってしまう。そして、大人になってからも本能であるかのようにゲームを求めてしまう危険性がある」と話した。専門家たちは、ゲームを始める時期をできるだけ遅らせることが望ましいと話す。しかし実際に、ゲームに初めて触れる年齢は下がり続けている。
幼児用ゲームの内容が暴力的だったり、扇情的ではないからといって安心してはいけない。インターネット夢希望広場のイ・ヒョンチョセンター長は「美しく穏やかそうなゲームが最も危険だと考えるべきだ。実際に幼いゲーム中毒者の場合は『子ども用』ゲームから始まって、次第に暴力性や扇情性が強いゲームに移行するケースが多い」と話した。
あまり認識されていないが、幼児・小児期のゲーム中毒が青少年になってから深刻化するケースも多い。今年中学校2年のチョ君(14)の母親は「10年前に戻ることができれば…」と毎日後悔している。4歳のときからコンピューターを上手に使いこなしていたチョ君は、共働きの親が放置している間に、メイプルストーリー、スタークラフトのような、中毒性の強いゲームに没頭するようになった。そのためチョ君の父親がパソコンに暗証番号を設定し使えないようにすると、今度はインターネットカフェに出掛けるようになった。チョ君のゲーム中毒で離婚の危機にまで追い詰められた母親は、勤めていた会社を辞めてチョ君の治療に専念するという。母親は「一人でゲームをさせるというのは、子どもに刃物を持たせるのと同じくらい危険なことだと今になって分かった」と話した。
【5】
ギョンス(仮名)=ソウル市江西区加陽洞=は今年4歳だが、言葉をうまく話せない。「水」「お菓子」「ママ」のような短い単語を発するだけで、うまく文章にして話せない。実際、ギョンスの一日の生活の中では言葉があまり必要ない。同年代の友だちとも遊ばず、家に親戚や客が来ても見向きもしない。
ギョンスは1歳を過ぎたばかりのときからゲーム機で遊び始めた。有名なインターネットカフェの運営を手掛ける母親は、結婚後に夫と不和になり、パソコンに没頭するようになった。ギョンスにはゲーム機を与え、一人で遊ばせた。ギョンスは今、オンラインゲームもスマートフォンのゲームも自由に操作する。言葉を覚えるよりも、同世代の友人と過ごすよりも、ゲームに没頭した。母親がゲーム中毒に陥ったギョンスの深刻な症状に気づいたときには、時すでに遅しだった。ゲームを取り上げようとすると泣き叫び、母親をたたくなど、ギョンスは乱暴な行動も見せた。
一日中ゲームに没頭していたギョンスの脳は、世の中との間に壁を作ってしまった。言葉を学び、社会性を身に付け、人間らしい性格を育み、素質を啓発すべきギョンスの脳には、ゲーム以外の何も入り込むことはできなかった。
子どもが喜んで遊ぶからと、深く考えずにゲーム機を与える親、IT機器を上手に使いこなす子どもを「IT神童」と勘違いする親、ゲームでもほかの子に負けてはならないとライバル意識の強い親たちが「幼児ゲーム中毒」の悪影響に頭を抱えている。パソコン、ゲーム機、スマートフォンが各家庭にあふれている昨今、幼い子どものゲーム中毒をめぐり親子げんかをしたことがない家庭はほとんどないだろう。
特に、ゲームに初めて触れる年齢が年々下がっており、ゲーム中毒が韓国の子どもたちに及ぼす影響が次第に増大している。また、幼い子どもほどゲームをする時間が長くなっているのも実情だ。
昨年ゲーム等級委員会が行った実態調査によると、ゲームに初めて触れた平均年齢は2009年の5歳から、昨年は4.8歳へと低下し、1週間にゲームを利用する平均回数も、3-7歳の幼児・児童(3.7回)が、9-18歳の青少年(3回)より多いことが分かった。また、1週間に7回以上ゲームをする幼児・児童も13.5%と、青少年(11.4%)に比べ多かった。チャンセム精神科相談センターの関係者は「病院を訪れる幼児のゲーム中毒者が毎年30%程度増加している」と話した。
ゲーム中毒は、視力・成長発達障害など身体的問題を引き起こすが、最も恐ろしいのは、幼児の脳を破壊してしまうという点(こと)だ。
関東大学明知病院神経精神科のキム・ヒョンス教授は「3-6歳児の脳の発達過程では、脳梁(左右の大脳半球を接続する部分)が著しく発達し、高次的な判断力、思考力、注意集中力と関連する前頭葉が急速に成長する時期。幼児期のゲーム中毒は前頭葉の機能に相当な影響を及ぼし、脳の非正常的発達を招く恐れがある」と警告した。
さらに中毒性も幼児の方が強いと指摘する。ディディム・クリニック(ソウル市蘆原区)のチェ・サンチョル院長は「幼児期のゲーム中毒は、成長過程でいつでも再発する可能性があると言えるほど中毒性が強く、精神健康の問題を引き起こす可能性もある」と警告した。
2012/05/05
**************************以上、韓国朝鮮日報紙から転載
Hiroshi Hayashi+++++++May. 2012++++++はやし浩司・林浩司
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