●信仰のもつ愚鈍性(Blindness of Religion)
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1人の韓国系アメリカ人が、神への
信仰を信じ(?)、単独で豆満江(中国と
K国の国境を流れる川)を渡った。
「話せばわかるはず」式の手紙をもって、
である。
そのアメリカ人が、43日目に解放された。
で、解放直後には、「北朝鮮は人権を守った。
信仰の自由が保障された」などと発言していた。
K国の朝鮮中央通信の報道なので、そのまま
信ずるわけにはいかない。
……と考えていたら、韓国の朝鮮N報が、
こんな記事を配信した。
それをそのまま紹介させてもらう。
この記事を読んで、いろいろ考えさせられた。
*************以下、朝鮮N報より***************
北朝鮮による43日間の抑留から解放された韓国系米国人の人権運動家、ロバート・パクさん(韓国名パク・ドンフン)が、北朝鮮で受けた拷問の後遺症で精神病院に入院した。
パクさんが師としているジョン・ベンソン牧師は4日、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)放送のインタビューに対し、「(パクさんは)恐怖に直面したような不安症状を見せており、会話時にも呼吸が乱れるほど落ち着かない状況だ。両親や知人が先月27日にカリフォルニア州内の病院に入院させた」と語った。
韓国でパクさんと共に北朝鮮の人権運動を繰り広げてきた市民団体「パックス・コリアナ」のチョ・ソンレ代表も入院の事実を認めた上で、「平壌に護送された後、口に出せないような性的な拷問を受けた。パクさんは北朝鮮について、ナチスドイツよりも悪らつな政権だと話している」と語った。
パクさんは昨年12月25日、金正日(キム・ジョンイル)総書記に人権問題の改善を求めるために、中朝国境の豆満江を渡り逮捕され、先月6日に解放された。
パクさんは釈放直前、北朝鮮の朝鮮中央通信とのインタビューで、「北朝鮮は人権を守った。信仰の自由が保障された」と答えている。北朝鮮消息筋は「パクさんは北朝鮮入りした後、北朝鮮の警備兵に『半殺し』状態にされたと聞いている」と語った。
ベンソン牧師はVOA放送に対し、パクさんは心的外傷後ストレス障害(PTSD)による不安症状で意思疎通が容易にできない状況だ説明した。(朝鮮N報・3月6日)
*************以上、朝鮮N報より***************
●「?」
当初、いさましいいでたちで、豆満江を渡るパク氏の姿を、写真で見たとき、
そこにどこか狂信的なものすら、私は感じた。
パク氏は、金xxと直談判で、人権問題を話し合うというようなことを口に
していた。
だから私は、「?」マークを、何十個も並べたあと、「そんな甘い政権では
ないのだがなあ」と思った。
アメリカから見るK国と、日本のように、近くの国から見るK国は、かなり
ちがう。
その(ちがい)は、豆満江を渡る前のパク氏と、解放されてからのパク氏を
見ればわかる。
豆満江を渡る前のパク氏は、やる気満々の、はつらつとして好青年といった
感じだった。
が、解放されたニュースサイトに載ったパク氏は、どれも目を閉じたまま。
明らかに心が壊れているといった感じだった。
●神の教え
おそらくパク氏は、「話せばわかる」式の希望をもっていたにちがいない。
ホワイトハウスへ、手紙をもって乗り込むような心境ではなかったか。
それにどこかのサイトに書いてあったが、パク氏は、「私は神に守られている
からだいじょうぶ」というようなことまで言っていた。
「だから、心配ない」と。
しかし結果は、朝鮮N報が報道しているとおり。
「平壌に護送された後、口に出せないような性的な拷問を受けた。パクさんは北朝鮮について、ナチスドイツよりも悪らつな政権だと話している」と。
それがどういう拷問であったかは、私にはわからない。
しかし1人の青年が、たった43日間で、まったく別人になってしまったのだから、
相当な拷問だったらしい。
しかしそうした拷問は、あの国を考えるときには、常識。
言い替えると、そういう常識もないまま、パク氏は、K国に渡ったということになる。
私は、この朝鮮N報の記事を読みながら、アメリカの国務次官補のC・ヒル氏や、
現在、対北特使を務めているボズワース氏を、即座に思い浮かべた。
彼らもまた、「話せばわかる式」の幻想にしがみついていた。
が、K国は、そういう国ではない。
そういう甘い国ではない。
そんなことは、ほんの少しでもカルトをかじった人なら、わかるはず。
心理学でもよい。
●勇気ある行動?
もう一度、『金xx総書記に人権問題の改善を求めるために、中朝国境の豆満江を渡り逮捕され、先月6日に解放された』という部分を読んでみてほしい。
結果が最悪だったから、こういう書き方は、パク氏の親族の人たちには、失礼な言い方
になるかもしれない。
しかしこの現実認識の甘さは、いったいどこから生まれるのか。
もっと端的に言えば、「思い上がりも、はなはだしい」。
熱心な信仰者であることは、私も認める。
しかしそれでもって、つまり自分が神か何かになったつもりで、こうした軽率な行動
に出ること自体、ふつうではない。
ふつうでない部分に、パク氏の勇気ある行動をたたえる前に、そこに狂信性を覚えて
しまう。
ときとして、人は、狂信に走るあまり、ロジカル(論理的)な思考を放棄してしまう。
それが恐ろしい。
たとえば私の家にも、毎月のようにどこかの宗教団体の信者が布教にやってくる。
断っても断っても、やってくる。
そしてたいてい、こう言う。
「私たちはぜったい、正しい」と。
この言葉を裏から読むと、「あなたがたは、まちがっている」となる。
しかしこれほど、失敬な言葉はそうはない。
その失敬さに、彼らは気づいていない。
パク氏にしても、しかり。
●問題はつづく
ともかくもこの事件を通して、改めて、K国という国が、どういう国かがわかった。
ふつうの国ではない。
人心そのものが、すでに破壊されている。
そして一度破壊された「心」というのは、簡単には、もとにはもどらない。
仮に6か国協議が成功し、K国が核兵器を放棄したとする。
そのあと、天文学的数字の援助が、K国になだれこんだとする。
で、それで問題が解決するわけではない。
日本という国にしても、そのあと、そういうK国を相手に、外交を進めなければ
ならない。
しかしそれは想像するだけでも、ぞっとする。
その一端は、現在進行中の、もろもろの南北会議の内容をみてもわかる。
議論そのものが、かみ合わない。
価値観の相違というよりは、その価値観を支える、常識そものが、ちがう。
そしてその常識は、私たち日本人が想像もつかないほど、かけ離れている。
日本は、そういう国を相手に、これから先、どうやってつきあっていけばよいのか。
想像すればするほど、ぞっとする。
●パク氏
パク氏もさることながら、パク氏を送り込んだ、市民団体「パックス・コリアナ」
にも、責任がないとは言わせない。
さらにパク氏が師とあおぐ、ジョン・ベンソン牧師にしてもそうだ。
詳しい関係はわからないので、それ以上のことは書けないが、みな、認識が甘すぎる。
いつだったか、アメリカの政府高官が、K国を評して、「狂った犬」と言ったが、
狂った犬を相手に、人権を説いても、意味はない。
しかもたった、1人で!
この記事を読んだとき、K国の問題もさることながら、一方で、信仰のもつ愚鈍性も
問題とされるべき。
そこらの個人が、熱心に祈ったくらいで、世界が変わるわけがない。
また変わってもらっても、困る。
病気すら、治すことはできないだろう。
こんな話を思い出した。
ポケモンブームが全盛期のころのこと。
1999年ごろのことだった。
1人の中学生が、窓から外に向かって、あやしげな呪文を唱えて祈っていた。
で、私が「何をしているのだ?」と聞くと、その中学生は、こう言った。
「超能力で、あのビルを破壊してみたい」と。
そこで私はこう言った。
「破壊してみたいと思うのは君の勝手だが、破壊されるほうの人たちは、困るよ。
死人だって出るかもしれない」と。
ここでいう「信仰のもつ愚鈍性」というのは、それをいう。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 信仰 信仰のもつ愚鈍性 信仰と盲信性 妄信性)
Hiroshi Hayashi++++++++March.2010+++++++++はやし浩司
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