2010年3月31日水曜日

*Obedience of Children

【児童心理・思いつくまま】(わんぱく少年+子どもの服従的態度)

●おとなしくなった男児

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最近の子どもたち、とくに男児が、
おとなしすぎる。
柔和で、やさしく、覇気がない。
小学1~2年生でも、いじめられて泣くのは
男児。
いじめるのは女児と決まっている。
こうした逆転現象(?)は、すでに15~20
年以上も前から始まっている。
そうした傾向が、このところ、少子化の進行とともに、
さらに加速している。
今では、小学3、4年生でも、いじめられて
泣くのは男児。
いじめるのは女児と決まっている。

++++++++++++++++++

●わんぱく少年

私たちが子どものころには、わんぱく少年は
どこにでもいた。
私も、その1人だった。
乱暴で、喧嘩ばやかった。
しかしその半面、学校の「教室」という場では、
おとなしかった。

当時、近くの山をはさんで、山の反対側に住む
子どもたちと、戦争ごっこをよくした。
「ごっこ」というレベルを超えていたかもしれない。
はげしかった。
山の中で相手を見つけると、リンチをした。
私たちも、リンチされた。
私も一度、つかまってしまい、チxチxの先に、
かぶれの木の樹液を塗られたことがある。
あれをやられると、そのあと1週間ほど、
痛くて排尿がうまくできなくなる。

しかし学校という場では、おとなしかった。
私たちは「敵」と呼んでいたが、学校で
敵を見つけても、あいさつこそしなかったが、
たがいに知らぬ顔をして、その場をやり過ごした。

●荒れる教室

 つまり私たちが子どものころは、子どもが本来もつ
エネルギーを発散する場所を、別にもっていた。
私のばあい、「山」だった。
が、最近の子どもには、それがない。
家の中に閉じこもったまま。

 数年前のこと。
浜松の郊外、郊外といっても、山奥に近いが、そこで
講演をさせてもらったときのこと。
校長から、こんな話を聞いた。
「このあたりの子どもも、外で遊ばなくなりました」と。

 いろいろな調査結果を見ても、農村や山村地域の子どもの
ほうが、都会に住む子どもよりも、家の中にいる時間が長い。
理由は言わずと知れた、テレビゲーム、ゲーム機器。
つまりそれでは、エネルギーを発散できない。
そこでそのエネルギーを学校の教室という場で、
発散するようになった(?)。
つまり子どもたちを取り巻く環境が、質的に変化してきた。
それに並行して、少子化。
それぞれの子どもが、必要以上に、ていねいに(?)、
育てられるようになった。
とくに男児。

 言葉は悪いが、母親に(飼い殺されてしまっている)。
「飼いつぶされてしまっている」のほうが、よいかも
しれない。
過関心と過干渉。
それに溺愛と過保護。
今では昔風のわんぱくな男児というと、10人に
2~3人程度しかいない(年長児)。
これとて多めにみた数字。

 こうして「荒れる教室」が生まれ、「女児化した
男児」が生まれた。
もっとも、ほかにもいろいろな見方があるだろうが、
ひとつの見方として、参考にしてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 わんぱく少年 男児の女児化 環境の質的な変化)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●服従的態度

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だれかに服従して生きるというのは、
一見すると、「たいへんだな」と思う
人もいるかもしれない。
しかし実際には、楽。
何も考えなくてよい。

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●リーダー不在

 良好な人間関係が結べない子どもは、(1)攻撃的態度、(2)依存的態度、(3)同情
的態度、それに(4)服従的態度のうちの、どれかをとることが知られている。
これらについては何度も書いてきたので、ここでは(4)の服従的態度について、考えて
みたい。

 つまりだれかに徹底的に服従することによって、自分の立場を確保しようとする。
よくあるケースが、親分・子分の関係。
思春期の子どもによく見られる現象である。

 ところで少し話が脱線するが、私たちが子どものころは、子どもたちが集まる場所では、
すぐこの親分・子分関係が生まれた。
私もずっと子分だったときがあり、それが終わると、今度は親分になった。
が、今は、それがない。

 すでに15年ほど前に書いた本の中で、私はこの問題を指摘した。
たとえば幼稚園の砂場でも、珍現象が起きていた。
40年前には、砂場でも、すぐ親分・子分関係が生まれ、リーダー格の子どもの指示に
従って、みなが動いた。
みなが力を合わせて、大きな山を作ったりした。
が、最近は砂場でも、子どもたちが互いに背を向けあいながら、それぞれがチマチマと、
勝手に遊んでいる。
こうした傾向は、さらに最近、強くなってきている。
「ぼくがリーダーだ」と声をあげる子どもが、いない。
その雰囲気さえ、ない。

 それはそれとして、服従的態度にも、さまざまな問題がある。

●カルト教団

 話は一足飛びに飛躍するが、世の中には、「カルト教団」と呼ばれる宗教団体が、数
多くある。
そういう教団の中では、信者たちは、それを意識することもなく、人間ロボットとして、
幹部の指導者の意のままに動いている。
一度、そういう信者の1人と、個人的に話したことがある。
(詳しくは私の書いた『ポケモンカルト』の中に収録。)

 私が「あなたは、だれかに操られていると思いませんか」と聞いたときのこと。
その信者は、こう答えた。
「私は自分の意思で動いています。
それに教祖様(=指導者)は、万巻の本を読んでおられます。
まちがっていません」と。
こうした盲目性が、カルト教団の信者の特徴のひとつということになる。

 が、同時に、そこは甘美な世界でもある。
教団を中心に、信者どうしが、兄弟以上の兄弟、親子以上の親子になったりする。
一瞬にして、孤独感が消える。
その魅力があるからこそ、信者は、その教団から離れることができない。
またそういう力を利用して、教団は、自らの勢力を拡大していく。
つまり信者は徹底した服従を誓うことによって、自らの立場を確保していく。

 私の知っているK教団では、信仰年数によって、序列が決まる。
当然「信仰年数」が長い信者ほど、立場が上。
だから50歳くらいの信者が、30歳くらいの信者に頭をさげたりする。
そういう光景をよく目撃する。

 しかし子どもの世界では、この服従的態度は、心理的な発育ということを考えると、
好ましくない。

●自己の同一性(アイデンティティ)

 「自分はこうありたい」「こうしたい」という(自己概念)。
「私は、今、こうだ」「現実に、こうしている」という(現実自己)。
この2つが一致した状態を、「自己の同一性」という。

 思春期前夜から思春期にかけて、子どもは、この自己の同一性を確立する。
またそれができるよう、周囲の者(教師や親)は、子どもを声援し、見守らなければ
ならない。
が、そうした確立が軟弱なまま、思春期を過ごしてしまう子どもも多い。
その原因のひとつとして、服従的態度がある。

 もっとも服従することが、すべてまちがっているわけではない。
それによって、そのノウハウが蓄積され、今度はそれが親分(リーダー)としての素質に
つながっていくこともある。
先に、私は子分時代を経て、親分になったと書いた。
具体的には、幼稚園へ通っているころは、ずっと子分だった。
小学2、3年生になって、親分になった。
現在、そのころの経験が、自分の仕事(=幼児教室)で、役に立っている。

 が、一方的に服従する。
言われたまま行動する……というよりは、自分でものを考えない。
自分がどうあるべきかも、考えない。
こうした姿勢が一度身につくと、ここに書いた、自己の同一性の確立がおぼつかなくなる。
自分が何をしたいのか、何をすべきなのかも、わからなくなる。
ついで、何をしてはいけないのかもわからなくなる。
これはよくない。
「危険な態度」と断言してもよい。

 そのため思春期の服従的態度は、えてして非行、犯罪行為につながりやすい。
またそういう集団を組みやすくなる。
それを避けるためには、どうするか。

 要するに、(自分で考え)、(自分で行動し)、(自分で責任を取る)という、「自由の
3原則」を、子育てに生かす。
これについては、たびたび書いてきたので、ここに、その原稿をさがして添付する。

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子育て自由論。

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●自由

 自由のもともとの意味は、「自らに由(よ)る」、あるいは、「自らに由らせる」という意味である。

 この自由には、3つの柱がある。(1)まず自分で考えさせること。(2)自分で行動させること。(3)自分で責任を取らせること。

(1)まず自分で考えさせること……日本人は、どうしても子どもを「下」に見る傾向が強いので、「~~しなさい」「~~してはダメ」式の命令口調が多くなる。しかしこういう言い方は、子どもを手っ取り早く指導するには、たいへん効果的だが、しかしその一方で、子どもから考える力を奪う。そういうときは、こう言いかえる。「あなたはどう思うの?」「あなたは何をしたいの?」「あなたは何をしてほしいの?」「あなたは今、どうすべきなの?」と。時間は、ずっとかかるようになるが、子どもが何かを言うまでじっと待つ。その姿勢が、子どもを考える子どもにする。

(2)自分で行動させること……行動させない親の典型が、過保護ママということになる。しかし過保護といっても、いろいろある。食事面で過保護になるケース。運動面で過保護になるケースなど。親はそれぞれの思い(心配)があって、子どもを過保護にする。しかし何が悪いかといって、子どもを精神面で過保護にするケース。子どもは俗にいう「温室育ち」になり、「外の世界へ出すと、すぐ風邪をひく」。たとえばブランコを横取りされても、メソメソするだけで、それに対処できないなど。

(3)自分で責任を取らせること……もしあなたの子どもが、寝る直前になって、「ママ、明日の宿題をやっていない……」と言い出したとしたら、あなたはどうするだろうか。子どもを起こし、いっしょに宿題を片づけてやるだろうか。それとも、「あなたが悪い。さっさと寝て、明日先生に叱られてきなさい」と言うだろうか。もちろんその中間のケースもあり、宿題といっても、いろいろな宿題がある。しかし子どもに責任を取らせるという意味では、後者の母親のほうが、望ましい。日本人は、元来、責任ということに甘い民族である。ことを荒だてるより、ものごとをナーナーですまそうとする。こうした民族性が、子育てにも反映されている。

 子育ての目標は、「よき家庭人として、子どもを自立させる」こと。すべてはこの一点に集中する。そのためには、子どもを自由にする。よく「自由」というと、子どもに好き勝手なことをさせることと誤解する人もいるが、それは誤解。誤解であることがわかってもらえれば、それでよい。
(01-11-7)

● 子どもは自由にして育てよう。
● 子育ての目標は、子どもをよき家庭人として、自立させること。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
子育て自由論 自由 自らに由る 自らに由らせる。)

+++++++++++++++++

が、過関心、過干渉が日常化すると、
子どもは自立できなくなってしまう。
もちろん人格の核(コア)形成も遅れる。
それについて、つぎのような原稿を
書いたことがある。

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【子どもの人格】

●幼児性の残った子ども

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人格の核形成が遅れ、その年齢に
ふさわしい人格の発達が見られない。

全体として、しぐさ、動作が、
幼稚ぽい。子どもぽい。

そういう子どもは、少なくない。

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 「幼稚」という言い方には、語弊がある。たとえば幼稚園児イコール、幼稚ぽいという
ことではない。幼稚園児でも、人格の完成度が高く、はっと驚くような子どもは、いくら
でもいる。

 が、その一方で、そうでない子どもも、少なくない。こうした(差)は、小学1、2年
生ごろになると、はっきりとしてくる。その年齢のほかの子どもに比べて、人格の核形成
が遅れ、乳幼児期の幼児性をそのまま持続してしまう。特徴としては、つぎのようなもの
がある。

(1) 独特の幼児ぽい動作や言動。
(2) 無責任で無秩序な行動や言動。
(3) しまりのない生活態度。
(4) 自己管理能力の欠落。
(5) 現実検証能力の欠落。

 わかりやすく言えば、(すべきこと)と、(してはいけないこと)の判断が、そのつど、
できない。自分の行動を律することができず、状況に応じて、安易に周囲に迎合してしま
う。

 原因の多くは、家庭での親の育児姿勢にあると考えてよい。でき愛と過干渉、過保護と
過関心など。そのときどきにおいて変化する、一貫性のない親の育児姿勢が、子どもの人
格の核形成を遅らせる。

 「人格の核形成」という言葉は、私が使い始めた言葉である。「この子は、こういう子ど
も」という(つかみどころ)を「核」と呼んでいる。人格の核形成の進んでいる子どもは、
YES・NOがはっきりしている。そうでない子どもは、優柔不断。そのときどきの雰囲
気に流されて、周囲に迎合しやすくなる。

 そこであなたの子どもは、どうか?

【人格の完成度の高い子ども】

○同年齢の子どもにくらべて、年上に見える。
○自己管理能力にすぐれ、自分の行動を正しく律することができる。
○YES・NOをはっきりと言い、それに従って行動できる。
○ハキハキとしていて、いつも目的をもって行動できる。

【人格の完成度の低い子ども】

○同年齢の子どもにくらべて、幼児性が強く残っている。
○自己管理能力が弱く、その場の雰囲気に流されて行動しやすい。
○優柔不断で、何を考えているかわからないところがある。
○グズグズすることが多く、ダラダラと時間を過ごすことが多い。

 では、どうするか?

 子どもの人格の核形成をうながすためには、つぎの3つの方法がある。

(1) まず子どもを、子どもではなく、1人の人間として、その人格を認める。
(2) 親の育児姿勢に一貫性をもたせる。
(3) 『自らに由(よ)らせる』という意味での、子育て自由論を大切にする。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

 以上、子どもの服従的態度について考えてみた。
古来より日本では、「親や先生の指示に、ハイハイと従う子どもほど、いい子」と
考える。
またそれを教育の目標にしてきた。
しかしそういう子どもほど、あとあと心配。
子ども自身も、「私探し」に苦労する。

 要するに、おとなしく覇気がないというのは、子ども本来のあるべき姿ではない。
アメリカでは、このタイプの子どもを、「問題児」として位置づけている。
そういうことも考えながら、子どもの服従的態度を、改めて見なおしてみてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 服従的態度 自由の3原則 三原則 問題児 育児姿勢)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

2010年3月30日火曜日

Be ashamed, NHTSA! Toyota cars are not spacedrafts!

●TOYOTA車は、宇宙船ではない!
Toyota Cars are not Spacecrafts!
Be ashamed, NHTSA!
Why NASA now?

++++++++++++++++++++

交通事故の95%は、運転手の操作ミスに
よるもの。
そのうちの何割かは、アクセルとブレーキの
不適切な操作によるもの。

ところで、こんな仰天ニュースが、読売
新聞に載っていた。
そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、読売新聞、2010-3-30日++++++++++

【ワシントン=岡田章裕】トヨタ自動車の車の急加速問題で、米航空宇宙局(NASA)と全米科学アカデミー(NAS)が、米高速道路交通安全局(NHTSA)の要請を受けて事故原因の調査に乗り出すことが30日、明らかになった。

 米ワシントン・ポスト紙が報じた。

 トヨタ車の急加速問題では、ラフード米運輸長官が2月に電子制御系の調査を数か月かけて行う方針を表明したが、事故原因は特定されていない。放射線などが電子制御系に影響を与えているとの見方もあり、NHTSAは両機関の協力を得てより科学的な調査を行う考えだ。

+++++++++++以上、読売新聞、2010-3-30日++++++++++

●悪玉づくり

 米高速道路交通安全局(NHTSA)は、何としても、TOYOTA車を、悪玉に仕立てあげたいらしい。
つまり引くに引けなくなった。
そこで今度は、NASAに事故調査依頼をいたという。
「放射線などが電子制御系に影響を与えているとの見方もある」とか?

 ハア~~~?

 電子制御装置を使用していない車など、いまどき、ない。
何らかの形で、使用している。
TOYOTA車だけが、電子制御装置を使用しているわけではない。
仮に放射線が電子制御装置に影響を与えるとするなら、すべての車に影響を与えるはず。
また与えるとしたら、平均して、すべての車に影響を与えるはず。
すべてのTOYOTA車に影響を与えるはず、でもよい。

 つまりすべてのTOYOTA車が、急加速現象を起こすはず。
そこでまたまた論理学の話。

●疑問

(1)「放射線が影響を与える」というのなら、(仮にそれがわかったとしても)、では、その放射線とやらは、どこから発せられたのか。
そこまで解明しなければならない。
仮に宇宙からの放射線ということであれば、すべての車にまんべんなく、影響を与えるはず。
アメリカを走るTOYOTA車全体が、急加速現象を起こしてもおかしくない。

(2)この発想は、絶縁体をはがして、電線をショートさせてみた、どこかのアホ教授のそれと、どこもちがわない。
「通常では起こりえない状態を人為的に作り、それでもって、急加速の原因」と。
もしこんな手法がまかり通るなら、あちこちの電線を切ってつないでみればよい。
それでおかしくならない車など、ない!
つまりバカげている。

(3)米航空宇宙局(NASA)と全米科学アカデミー(NAS)に、調査を依頼したとか?
TOYOTA車は、宇宙船ではない。
地上を走る車である。
素人の私でも、放射線が、(強弱の程度にもよるのだろうが)、電子制御装置に影響を与えるかもしれないという程度のことは、おおかた予想がつく。
もしそうなら、さらに宇宙線の影響を受けやすい、航空機はどうなのかという問題がある。
もし「YES」という結果が出たら、車の心配より、飛行機やミサイルの心配をしたほうがよい。

(4)仮に「YES」という調査結果が出たとしても、それでもって、急加速現象の証拠とはならない。
もしこんな論法がまかりとおるなら、この先、運転の操作ミスで事故を起こした人は、こぞって、放射線影響説を唱えるようになるだろう。
「運転ミスではない」と。

●振り上げた拳(こぶし)

 調査が進むにつれて、話がおかしくなってきた。
米高速道路交通安全局(NHTSA)は、ふりあげた拳(こぶし)を、おろすにおろせなくなってしまった。
そこで言うに事欠いて、今度は、NASAに調査依頼?

 バカげているというか、常軌を逸している。
もし米高速道路交通安全局(NHTSA)が調査すべきことがあるとするなら、両足を、アクセルとブレーキにかけて走っているドライバーが、アメリカには、何%いるか、だ。
飲酒運転をしているドライバーの数や、携帯電話をかけながら走っているドライバーの数でもよい。

 最後に、現在、TOYOTAのハイブリッド車は、全世界で、600万台以上も走っている。
そのうちの数百台に急加速現象が起きたという。
が、全体からみれば、1万分の1。
0・01%!
事故の95%は運転手の運転操作ミスという数字は、いったい、どうなるのか。
先にも書いたように、その大部分は、アクセルとブレーキの踏みまちがいによるもの。
アクセルとブレーキを踏みまちがえれば、どんな車だって、急加速する。

●放射線?

 それにしても、今度は、「放射線」というところがすごい!
先日も、TOYOTAのディーラーの人と話したが、この日本では、急加速問題は起きていないという。
つまり放射線なるものは、どうして日本には降り注がないのか、そのあたりもきちんと証明しなければならない。
(あるいは大病院の放射線照射ルームの近くで、そういう事故が多発したというデータでもあれば、話は別だが……。)

 また論理学の世界で考えるなら、「放射線が、電子制御装置に影響を与える」というだけでは、十分ではない。
「ほかの車の電子制御装置が、なぜ影響を受けないか」ということまで証明して、はじめて十分となる。
これ、称して、「必要十分条件」という。

●だいじょうぶか、アメリカ!

 私は、今度ほど、アメリカ人の脳みその程度を疑ったことはない。
また調査依頼を受けたNASAもNASA。
そのあたりの情報は、すでにもっているはず。
改めて調査するまでもなく、その情報を公開したらよい。

 なお私なら放射線より先に、たとえば静電気とか、稲妻とか、あるいは走行中の振動が与える影響について調べる。
ついでに肉食人種たちが出す、あの臭いおならでもよい。
さらに悪霊のたたりでもよい。
一度、そのあたりも、調査してみてほしい。

 NASAに調査依頼するよりは、スカリーとモウルダーに依頼したほうがよいのでは?
これぞまさしく、X-File!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 トヨタ車の急加速問題 米高速道路交通安全局(NHTSA) NASA 放射線の影響 放射線と電子制御装置 宇宙線と電子制御装置 影響 TOYOTA ハイブリッド車)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

*Hello, my Lonliness

●27キロ、走破!

++++++++++++++++++

昨夜遅く、自宅から山荘までを、
自転車で走ってみた。
片道、27キロ。
寒かった。
手が痛いほど、空気が冷たかった。
夜10時ごろ出発して、着いたのは、午前
1時半。

3時間半もかかったことになる。
その間、いろいろなドラマがあったが、
忘れた。
よく覚えているのは、コンビニのありがたさが、
改めてよくわかったということ。
「セブンiさん、ありがとう!」

+++++++++++++++++++

●静かな朝

 起きて、雨戸をみな、開けた。
とたん緑の山々と、水色の空がどっと視界に入ってきた。
手前のほうでは、枯れ木がやさしく揺れている。
冬の景色だが、どこか春めいてきた。

 ところでなぜ、昨夜、自転車で走ったか?
それにはいろいろな理由がある。
その第一。
家族のことをあれこれと考えていたら、
そのうち収拾がつかなくなった。
ほかのテーマなら、文章にして、モヤモヤを
はき出すということもできる。
しかし「家族」では、それができない。

●自責型人間

 ときどき自分がいやになるときがある。
このところめったに、他者という(個人)に対しては、(怒り)を
覚えることはない。
家族であれ、近隣の人たちであれ、あるいは親類の人たちであれ、
(怒り)を覚えることはない。
(怒り)を覚えても、どういうわけか、それがすぐ自分にはね返って
きてしまう。

 私は典型的な自責型人間。
外見的には、他責型人間に見えるかもしれないが、自責型。
何があっても、自分を責めてしまう。
そういう(怒り)が、自分に向かった。
それが頂点に達した。
だから自転車で家を飛び出した。

●徘徊

 言うなればボケ老人の徘徊(はいかい)のようなもの。
反対に、徘徊するボケ老人の気持ちが、私にはよくわかる。
体を動かしていれば、身のまわりのわずらわしいことを、
すべて忘れられる。
遠ざかれば遠ざかるほど、自分を忘れられる。
が、それだけではない。

 昨夜の私がそうだったが、孤独感すらどこかへ消える。
おかしな現象に思う人がいるかもしれない。
孤独な世界に自ら飛び込みながら、孤独感が消える?

 そこに(孤独)があるなら、思い切って、飛び込んでみる。
「こわい、こわい」と言って逃げ回っている間は、孤独の
ほうが、どんどんと追いかけてくる。
だから飛び込んでいく。
こちらから飛び込んでいく。
それは、子どもの喧嘩と同じ。

●暴力団の男

 私は子どものころから、気が小さいくせに、喧嘩ばやかった。
悶々と悩むことが苦手だった。
だからそこに相手がいるなら、その場で解決する。
パンパンと喧嘩して、それですます。
それが私のやり方だった。

 浜松へ来たころも、こんなことがあった。

 たまたま知り合った男が、アパートを探していた。
で、私の知り合いの人が、アパートを経営していので、
たがいに紹介してやった。
で、男は、その人のアパートに住むようになった。
が、数か月もすると、アパートの経営者から苦情が入るようになった。
「部屋代を払ってくれない」
「おかしな人たちが、出入りしている」と。

 で、私は即座に、アパートを借りた男に電話を入れた。
知り合ったときとは、声の調子がまったく変わっていた。
「貴様、命が惜しくなければ、○○町のxxという喫茶店へ来い。
部屋代は、そこで払ってやる」と。

 私は即刻、そこへ出かけた。
喫茶店へ入ると、一番奥のソファに、その男がいた。
両脇を、別の2人の男が囲んでいた。
見るからに暴力団の組員とわかる様子だった。

 私は自分の体が震えていることを隠しながら、ツカツカとその男の
前まで行った。
そして「部屋代を払って、今月中にアパートを出てくれ」と言った。
とたんその人の顔は、和らいだ。

 「お前って、度胸、あるな。気に入った」と。

●途中で

 以後、この私の行動パターンは、変わっていない。
昨夜も家を出るとき、「だいじょうぶかな?」と思った。
思ったが、そのときは、すでにペダルをこぎ始めていた。
最後の3分の1は、山の上り坂。
気温も、さらに下がる。
ここ数日、強力な寒気団が太平洋岸までおりてきて、最低気温は、
3~4度。
昨夜も、その程度だった。
山荘へ着いてストーブにスイッチを入れると、部屋の中で、3度を
示していた。

 が、私は来てしまった。
かかった時間は、先にも書いたように、3時間半!
途中で、何度か歩いて自転車を引いたが、そのつど、左足がこむら返しを
起こした。
痛かった。
床に入ったときも、こむら返しを起こした。
痛かった。

●今朝

 で、今朝は気分は悪くない。
何かをやり遂げたような充実感がある。
孤独感はそのままだが、どこかでその孤独感を楽しんでいる。
そんな自分が、別のところにいる。
時刻は現在、午前11時ちょうど。
もうすぐワイフも車で、ここへ来るはず。
ポットの湯もわいた。
これからカップヌードルを作って、食べる。
それと庭に除草剤をまく。
春草があちこちで、背丈をかなり伸ばしている。

●1+1=0 

 話を戻す。

 孤独といえば、みな、孤独。
孤独でない人はいない。
その孤独を見つめるのがこわいから、自分をごまかして生きている。
家族や、友だちや、仕事の輪に入って、自分をごまかして生きている。
しかし孤独は、ちゃんとそこにいる。
しっかりとそこに、いる。

 が、ここで不思議な足し算が成り立つ。
たとえばここに孤独な2人がいたとする。
その2人が寄り添えば、1+1=2になるはず。
が、こと孤独について言えば、1+1=0になる。
1+1+1も、0。
1+1+1+1も、0。

 が、それには条件がある。
たがいに無私無欲でなければならないということ。
たがいに相手を思い、たがいの孤独感を共鳴しあうこと。

●体重

 ・・・という話はここまでにして、ひとつだけがっかりしたこと。
このところ体重オーバーの日々がつづいている。
で、起きてすぐ、体重計に乗ってみた。
が、ぜんぜん、減っていなかった!
27キロもがんばったのだから、1~2キロは減っていると期待していた。
が、前日と同じ。

 これはどういう理由によるものなのか。
かなりのエネルギー(カロリー)を消耗したのだから、その分、体重が
減っていてもおかしくない。
が、同じ?

 ただおかしいなと思ったのは、昨夜、あれほど寒いのに、途中で、2度も
尿意をもよおしたということ。
それと山荘に着いてから、のどが渇いたので、お茶を数杯飲んだということ。
汗の替わりに、小便になった。
これはわかる。
その分だけ、お茶を飲んだ。
スポーツ医学については、まったく門外漢。
いちど、それについて調べてみたい。

 たった今、ワイフが来たので、この話はここまで。
あとは楽しむ。
せっかくの春休み。

●サガンの「悲しみよ、こんにちは」

 数日前、ワイフがDVDを借りてきた。
サガン原作の、「悲しみよ、こんにちは」というタイトルだった。
サガンの名前も、小説の名前もよく知っている。
が、本を読んだことはない。
映画化されていることも、知らなかった。
それについて、ワイフが、横に座って、内容を説明してくれた。

 その一部に、こんな話があった。

 何かのことで、母親と息子が絶交する。
以来、母親と息子は、何10年もたがいに会わない。
が、母親が臨終のときを迎える。
見るに見かねて、母親の近くにいた人が、息子を呼び寄せる。
息子は連絡を受けて、やってくる。
しかし母親は、息子に、会わない。
会わないまま、死んでいく。
(以上、ワイフの話なので、不正確。)

 それについてワイフは、「どうして会わなかったのかしら」と。
で、私はこう言った。
「ぼくだって、会わないよ」と。

ワ「どうして?」
私「母親のほうは、毎日のように自分と闘って生きてきた。
息子への恋慕を否定しながらね・・・。
いくら最後でも、会えば、そういう自分を否定することになる」
ワ「息子の方だって、さみしい思いをしたはずよ」
私「ちがうよ。息子は、母親を恨んだだけだよ。
しかし母親のほうは、そのつどはげしく自分を責めた。
(怒り)の向きがちがう。
愛する人どうしが離反したときは、その向きは、母親と息子とでは、ちがう。
母親は自分を責める。
息子は母親を責める。
だから会わなかった・・・」

ワ「映画『エデンの東』とは、逆ね」
私「あのときは、息子は父親から離反していない。
父親もそれをよく知っていた。
だから父親は、息子を許すことができた」
ワ「サガンのほうは、どうだったの?」
私「ぼくは小説は読んでないけど、母親の気持ちがよくわかるよ。
母親は、息子を恨んだり、息子を怒っているのではない。
そういう息子にした、自分に対して怒っている。
それは絶望感との闘いと言ってもいい。
最後の最後で、『お母さん!』『息子よ!』と抱き合うわけにはいかない。
日本映画なら、そういう終わり方をするだろうけどね・・・」と。

 『許して忘れる』は、子育ての基本。
相手が他者なら、許すことができる。
しかし相手が自分では、許すことができない。
サガンは、最後の最後まで、自分を許すことができなかった。
私はワイフの話を聞いて、そう解釈した。

●3月30日

 たった今、庭に除草剤をまいてきた。
焚き火をしようかと思ったが、風が強いのでやめた。
今年は30年に1度という寒い春という。
たしかに寒い。
風も強い。
(風が強いのは、毎年のことだが・・・。
このあたりでは、「遠州の空っ風」という。)

 こういう寒い日は、体の動きも鈍くなる。
何かをしたいという意欲も半減する。
「このまま山荘で午後を過ごそうか」という怠けた心もある。
「どうしよう?」と思ったところで、おしまい。

 やはりこういうときは、行動を開始するのが、いちばん!
悶々としていると、うつ状態になってしまう。
では、みなさん、今朝はここまで。
3月30日は、いつもとちがって始まった。

(補記)

フランソワーズ・サガン
『悲しみよこんにちは』
ウィキペディア百科事典より、転載。

『……ヒロインのセシルと鰥夫(やもめ)である父のレエモンはコート・ダジュールの別荘で夏を過ごしていた。セシルは近くの別荘に滞在している大学生のシリルと恋仲になる。そんな彼らの別荘に亡き母の友人のアンヌがやってくる。アンヌは聡明で美しく、セシルもアンヌを慕う。だが、アンヌと父が再婚する気配を見せ始めると、アンヌは母親然としてセシルに勉強のことやシリルのことについて厳しく接し始める。セシルは今までの父との気楽な生活が変わってしまったり、父をアンヌに取られるのではないかという懸念に駆られ、アンヌに対して反感の気持ちを抱くようになる。やがて、セシルは父とアンヌの再婚を阻止する計画を思いつき、シリルと父の愛人だったエルザを巻き込んで実行に移すが…』(以上、ウィキペディア百科事典より)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

2010年3月29日月曜日

*Possitive Learning

●2007年4月の原稿より

【子どもを伸ばす】

●やる気論

 人にやる気を起こさせるものに、二つある。一つは、自我の追求。もう一つは、絶壁(ぜ
っぺき)性。

 大脳生理学の分野では、人のやる気は、大脳辺縁系の中にある、帯状回という組織が、
重要なカギを握っているとされている(伊藤正男氏)。が、問題は、何がその帯状回を刺激
するか、だ。そこで私は、ここで(1)自我の追求と、(2)絶壁性をあげる。

 自我の追求というのは、自己的利益の追求ということになる。ビジネスマンがビジネス
をとおして利潤を追求するというのが、もっともわかりやすい例ということになる。科学
者にとっては、名誉、政治家にとっては、地位、あるいは芸術家にとっては、評価という
ことになるのか。こう決めてかかることは危険なことかもしれないが、わかりやすく言え
ば、そういうことになる。こうした自己的利益の追求が、原動力となって、その人の帯状
回(あくまでも伊藤氏の説に従えばということだが)を刺激する。

 しかしこれだけでは足りない。人間は追いつめられてはじめて、やる気を発揮する。こ
れを私は「絶壁性」と呼んでいる。つまり崖っぷちに立たされるという危機感があって、
人ははじめてやる気を出す。たとえば生活が安定し、来月の生活も、さらに来年の生活も
変わりなく保障されるというような状態では、やる気は生まれない。「明日はどうなるかわ
からない」「来月はどうなるかわからない」という、切羽つまった思いがあるから、人はが
んばる。が、それがなければ、そうでない。

 さて私のこと。私がなぜ、こうして毎日、文を書いているかといえば、結局は、この二
つに集約される。「その先に何があるかを知りたい」というのは、立派な我欲である。ただ
私のばあい、名誉や地位はほとんど関係ない。とくにインターネットに原稿を載せても、
利益はほとんど、ない。ふつうの人の我欲とは、少し内容が違うが、ともかくも、その自
我が原動力になっていることはまちがいない。

 つぎに絶壁性だが、これはもうはっきりしている。私のように、まったく保障のワクの
外で生きている人間にとっては、病気や事故が一番、恐ろしい。明日、病気か事故で倒れ
れば、それでおしまい。そういう危機感があるから、健康や安全に最大限の注意を払う。
毎日、自転車で体を鍛えているのも、そのひとつということになる。あるいは必要最低限
の生活をしながら、余力をいつも未来のためにとっておく。そういう生活態度も、そうい
う危機感の中から生まれた。もしこの絶壁性がなかったら、私はこうまでがんばらないだ
ろうと思う。

 そこで子どものこと。子どものやる気がよく話題になるが、要は、いかにすれば、その
我欲の追求性を子どもに自覚させ、ほどよい危機感をもたせるか、ということ。順に考え
てみよう。

(自我の追求)

 教育の世界では、(1)動機づけ、(2)忍耐性(努力)、(3)達成感という、三つの段
階に分けて、子どもを導く。幼児期にとくに大切なのは、動機づけである。この動機づけ
がうまくいけば、あとは子ども自身が、自らの力で伸びる。英語流の言い方をすれば、『種
をまいて、引き出す』の要領である。

 忍耐力は、いやなことをする力のことをいう。そのためには、『子どもは使えば使うほど
いい子』と覚えておくとよい。多くの日本人は、「子どもにいい思いをさせること」「子ど
もに楽をさせること」が、「子どもをかわいがること」「親子のキズナ(きずな)を太くす
るコツ」と考えている。しかしこれは誤解。まったくの誤解。

 3つ目に、達成感。「やりとげた」という思いが、子どもをつぎに前向きに引っぱってい
く原動力となる。もっとも効果的な方法は、それを前向きに評価し、ほめること。

(絶壁性)

 酸素もエサも自動的に与えられ、水温も調整されたような水槽のような世界では、子ど
もは伸びない。子どもを伸ばすためには、ある程度の危機感をもたせる。(しかし危機感を
もたせすぎると、今度は失敗する。)日本では、受験勉強がそれにあたるが、しかし問題も
多い。

 そこでどうすれば、子どもがその危機感を自覚するか、だ。しかし残念ながら、ここま
で飽食とぜいたくが蔓延(まんえん)すると、その危機感をもたせること自体、むずかし
い。仮に生活の質を落としたりすると、子どもは、それを不満に転化させてしまう。子ど
もの心をコントロールするのは、そういう意味でもむずかしい。

 とこかくも、子どものみならず、人は追いつめられてはじめて自分の力を奮い立たせる。
E君という子どもだが、こんなことがあった。

 小学六年のとき、何かの会で、スピーチをすることになった。そのときのE君は、はた
から見ても、かわいそうなくらい緊張したという。数日前から不眠症になり、当日は朝食
もとらず、会場へでかけていった。で、結果は、結構、自分でも満足するようなできだっ
たらしい。それ以後、度胸がついたというか、自信をもったというか、児童会長(小学校)
や、生徒会長(中学校)、文化祭実行委員長(高校)を、総ナメにしながら、大きくなって
いった。そのときどきは、親としてつらいときもあるが、子どもをある程度、その絶壁に
立たせるというのは、子どもを伸ばすためには大切なことではないか。

 つきつめれば、子どもを伸ばすということは、いかにしてやる気を引き出すかというこ
と。その一言につきる。この問題は、これから先、もう少し煮つめてみたい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●生きがいを決めるのは、帯状回?

 脳の中に、辺縁系と呼ばれる古い脳がある。脳のこの部分は、人間が原始動物であった
ときからあるものらしい。イヌやネコにも、たいへんよく似た脳がある。

その辺縁系の中に、帯状回とか扁桃体と呼ばれるところがある。最近の研究によれば、
どうやら人間の「やる気」に、これらの帯状回や扁桃体が関係していることがわかって
きた(伊藤正男氏)。

 たとえば人にほめられたりとすると、人は快感を覚える。反対にみなの前でけなされた
りすると、不快感を覚える。その快感や不快感を覚えるのが、扁桃体だそうだ。その快感
や不快感を受けて、大脳連合野の新皮質部が、満足したり、満足しなかったりする。

一方、その扁桃体の感覚を受けて、「やる気」を命令するのが、帯状回だそうだ(同氏)。
やる気があれば、ものごとは前に進み、それに楽しい。しかしいやいやにしていれば、
何をするのも苦痛になる。

 これは脳のメカニズムの話だが、現象的にも、この説には合理性がある。たとえば他人
にやさしくしたり、親切にしたりすると、心地よい響きがする。しかし反対に、他人をい
じめたり、意地悪したりすると、後味が悪い。この感覚は、きわめて原始的なもので、つ
まりは理屈では説明できないような感覚である。しかしそういう感覚を、人間がまだ原始
動物のときからもっていたと考えるのは、進化論から考えても正しい。もし人間が、もと
もと邪悪な感覚をもっていたら、たとえば仲間を殺しても、平気でいられるような感覚を
もっていたら、とっくの昔に絶滅していたはずである。

 こうした快感や不快感を受けて、つぎに大脳連合野の新皮質部が判断をくだす。新皮質
部というのは、いわゆる知的な活動をする部分である。たとえば正直に生きたとする。す
ると、そのあとすがすがしい気分になる。このすがすがしい気分は、扁桃体によるものだ
が、それを受けて、新皮質部が、「もっと正直に生きよう」「どうすれば正直に生きられる
か」とか考える。そしてそれをもとに、自分を律したり、行動の中身を決めたりする。

 そしていよいよ帯状回の出番である。帯状回は、こうした扁桃体の感覚や、新皮質部の
判断を受けて、やる気を引き起こす。「もっとやろう」とか、「やってやろう」とか、そう
いう前向きな姿勢を生み出す。そしてそういう感覚が、反対にまた新皮質部に働きかけ、
思考や行動を活発にしたりする。

●私のばあい

 さて私のこと。こうしてマガジンを発行することによって、読者の数がふえるというこ
とは、ひょっとしたら、それだけ役にたっているということになる。(中には、「コノヤロ
ー」と怒っている人もいるかもしれないが……。)

さらに読者の方や、講演に来てくれた人から、礼状などが届いたりすると、どういうわ
けだか、それがうれしい。そのうれしさが、私の脳(新皮質部)を刺激し、脳細胞を活
発化する。そしてそれが私のやる気を引き起こす。そしてそのやる気が、ますますこう
してマガジンを発行しようという意欲に結びついてくる。が、読者が減ったり、ふえな
かったりすると、扁桃体が活動せず、つづいて新皮質部の機能が低下する。そしてそれ
が帯状回の機能を低下させる。

 何とも理屈っぽい話になってしまったが、こうして考えることによって、同時に、子ど
ものやる気を考えることができる。よく「子どもにはプラスの暗示をかけろ」「子どもはほ
めて伸ばせ」「子どもは前向きに伸ばせ」というが、なぜそうなのかということは、脳の機
能そのものが、そうなっているからである。

 さてさて私のマガジンのこと。私のばあい、「やる気」というレベルを超えて、「やらな
ければならない」という気持ちが強い。では、その気持ちは、どこから生まれてくるのか。
ここでいう「やる気論」だけでは説明できない。どこか絶壁に立たされたかのような緊張
感がある。では、その緊張感はどこから生まれるのか。

●ほどよいストレスが、その人を伸ばす

 ある種のストレスが加えられると、副腎髄質からアドレナリンの分泌が始まる。このア
ドレナリンが、心拍を高め、脳や筋肉の活動を高める。そして脳や筋肉により多くの酸素
を送りこみ、危急の行動を可能にする。こうしたストレス反応が過剰になることは、決し
て好ましいことではない。そうした状態が長く続くと、副腎機能が亢進し、免疫機能の低
下や低体温などの、さまざまの弊害が現れてくる。しかし一方で、ほどよいストレスが、
全体の機能を高めることも事実で、要は、そのストレスの内容と量ということになる。

 たとえば同じ「追われる」といっても、借金取りに借金の催促をされながら、毎月5万
円を返済するのと、家を建てるため、毎月5万円ずつ貯金するのとでは、気持ちはまるで
違う。子どもの成績でいうなら、いつも100点を取っていた子どもが80点を取るのと、
いつも50点しか取れなかった子どもが、80点を取るのとでは、同じ80点でも、子ど
ものよって、感じ方はまったく違う。

私のばあい、マガジンの読者の数が、やっと100人を超えたときのうれしさを忘れる
ことができない一方、450人から445人に減ったときのさみしさも忘れることがで
きない。100人を超えたときには、モリモリとやる気が起きてきた。しかし445人
に減ったときは、そのやる気を支えるだけで精一杯だった。

●子どものやる気

 子どものやる気も同じに考えてよい。そのやる気を引き出すためには、子どもにある程
度の緊張感を与える。しかしその緊張感は、子ども自身が、その内部から沸き起こるよう
な緊張感でなければならない。私のばあい、「自分の時間が、どんどん短くなってきている
ように感ずる。ひょっとしたら、明日にでも死の宣告を受けるかもしれない。あるいは交
通事故にあうかもしれない」というのが、ほどよく自分に作用しているのではないかと思
う。

 人は、何らかの使命を自分に課し、そしてその使命感で、自分で自分にムチを打って、
前に進むものか。そうした努力も一方でしないと、結局はやる気もしぼんでしまう。ただ
パンと水だけを与えられ、「がんばれ」と言われても、がんばれるものではない。今、こう
して自分のマガジンを発行しながら、私はそんなことを考えている。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私とは何か

 「私」とは何かと考える。どこからどこまでが私で、どこからどこまでが私ではないか
と。よく「私の手」とか、「私の顔」とか言うが、その手にしても、顔にしても、本当に「私」
なのか。手に生える一本の毛にしても、私には、それを自分でつくったという覚え(意識)
がない。あるはずもない。

ただ顔については、長い間の生き様が、そこに反映されることはある。だから、「私の顔」
と言えなくもない。しかしほかの部分はどうなのか。あるいは心は。あるいは思想は。

 たとえば私は今、こうしてものを書いている。しかしなぜ書くかといえば、それがわか
らない。多分私の中にひそむ、貪欲さや闘争心が、そうさせているのかもしれない。それ
はサッカー選手が、サッカーの試合をするのに似ている。本人は自分の意思で動いている
と思っているかもしれないが、実際には、その選手は「私」であって「私」でないものに、
動かされているだけ? 

同じように私も、こうしてものを書いているが、私であって私でないものに動かされて
いるだけかもしれない。となると、ますますわからなくなる。私とは何か。

 もう少しわかりやすい例で考えてみよう。映画『タイタニック』に出てくる、ジャック
とローズを思い浮かべてみよう。彼らは電撃に打たれるような恋をして、そして結ばれる。
そして数日のうちに、あの運命の日を迎える。

 その事件が、あの映画の柱になっていて、それによって起こる悲劇が、多くの観客の心
をとらえた。それはわかるが、あのジャックとローズにしても、もとはといえば、本能に
翻弄(ほんろう)されただけかもしれない。電撃的な恋そのものにしても、本人たちの意
思というよりは、その意思すらも支配する、本能によって引き起こされたと考えられる。

いや、だいたい男と女の関係は、すべてそうであると考えてよい。つまりジャックにし
てもローズにしても、「私は私」と思ってそうしたかもしれないが、実はそうではなく、
もっと別の力によって、そのように動かされただけということになる。このことは、子
どもたちを観察してみると、わかる。

 幼児期、だいたい満四歳半から五歳半にかけて、子どもは、大きく変化する。この時期
は、乳幼児から少年、少女期への移行期と考えるとわかりやすい。この時期をすぎると、
子どもは急に生意気になる。人格の「核」形成がすすみ、教える側からみても、「この子は
こういう子だ」という、とらえどころができてくる。そのころから自意識による記憶も残
るようになる。(それ以前の子どもには、自意識による記憶は残らないとされる。これは脳
の中の、辺縁系にある海馬という組織が、まだ未発達のためと言われている。)

 で、その時期にあわせて、もちろん個人差や、程度の差はあるが、もろもろの、いわゆ
るふつうの人間がもっている感情や、行動パターンができてくる。ここに書いた、貪欲さ
や闘争心も、それに含まれる。嫉妬心(しっとしん)や猜疑心(さいぎしん)も含まれる。

子ども、一人ひとりは、「私は私だ」と思って、そうしているかもしれないが、もう少し
高い視点から見ると、どの子どもも、それほど変わらない。ある一定のワクの中で動い
ている。もちろん方向性が違うということはある。ある子どもは、作文で、あるいは別
の子どもは、運動で、というように、そうした貪欲さや闘争心を、昇華させていく。反
対に中には、昇華できないで、くじけたり、いじけたり、さらには心をゆがめる子ども
もいる。しかし全体としてみれば、やはり人間というハバの中で、そうしているにすぎ
ない。

 となると、私は、どうなのか。私は今、こうしてものを書いているが、それとて、結局
はそのハバの中で踊らされているだけなのか。もっと言えば、私は私だと思っているが、
本当に私は私なのか。もしそうだとするなら、どこからどこまでが私で、どこから先が私
ではないのか。

 ……実のところ、この問題は、すでに今朝から数時間も考えている。ムダにした原稿も、
もう一〇枚(1600字x10枚)以上になる。どうやら、私はたいへんな問題にぶつか
ってしまったようだ。手ごわいというか、そう簡単には結論が出ないような気がする。こ
れから先、ゆっくりと時間をかけて、この問題と取り組んでみたい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私とは何か

 たとえば腹が減る。すると私は立ちあがり、台所へでかけ、何かの食べ物をさがす。カ
ップヌードルか、パンか。

 そのとき、私は自分の意思で動いていると思うが、実際には、空腹という本能に命じら
れて、そうしているだけ。つまり、それは、「私」ではない。

 さらに台所へ行って、何もなければどうする? サイフからいくらかのお金を取り出し
て、近くのコンビニへ向かう。そしてそこで何かの食物を買う。これも、私であって、「私」
ではない。だれでも多少形は違うだろうが、そういう状況に置かれた同じような行動をす
る。

 が、そのとき、お金がなかったどうする? 私は何かの仕事をして、そのお金を手に入
れる。となると、働くという行為も、これまた必然であって、やはり「私」でないという
ことになる。

 こうして考えていくと、「私」と思っている大部分のものは、実は、「私」ではないこと
になる。そのことは、野山を飛びかうスズメを見ればわかる。

 北海道のスズメも、九州のスズメも、それほど姿や形は違わない。そしてどこでどう連
絡しあっているのか、行動パターンもよく似ている。違いを見だすほうが、むずかしい。
しかしどのスズメも、それぞれが別の行動をし、別の生活をしている。スズメにはそうい
う意識はないだろうが、恐らくスズメも、もし言葉をもっているなら、こう考えるだろう。
「私は私よ」と。

 ……と考えて、もう一度、人間に戻る。そしてこう考える。私たちは、何をもって、「私」
というのか、と。

 街を歩きながら、若い人たちの会話に耳を傾ける。たまたま今日は日曜日で、広場には
楽器をもった人たちが集まっている。ふと、「場違いなところへきたな」と思うほど、まわ
りは若さで華やいでいる。

「Aさん、今、どうしてる?」
「ああ、多分、今日、来てくれるわ」
「ああ、そう……」と。

 楽器とアンプをつなぎながら、そんな会話をしている。しかしそれは言葉という道具を
使って、コミュニケーションしているにすぎない。もっと言えば、スズメがチッチッと鳴
きあうのと、それほど、違わない。本人たちは、「私は私」と思っているかもしれないが、
「私」ではない。

 私が私であるためには、私を動かす、その裏にあるものを超えなければならない。その
裏にあるものを、超えたとき、私は私となる。

 ここまで書いて、私はワイフに相談した。「その裏になるものというのを、どう表現した
らいいのかね」と。本能ではおかしい。潜在意識では、もっとおかしい。私たちを、その
裏から基本的に操っているもの。それは何か。ワイフは、「さあねエ……。何か、新しい言
葉をつくらないといけないね」と。

 ひとつのヒントが、コンピュータにあった。コンピュータには、OSと呼ばれる部分が
ある。「オペレーティングシステム」のことだが、日本語では、「基本ソフト」という。い
わばコンピュータのハードウエアと、その上で動くソフトウエアを総合的に管理するプロ
グラムと考えるとわかりやすい。コンピュータというのは、いわば、スイッチのかたまり
にすぎない。そのスイッチを機能的に動かすのが、OSということになる。人間の脳にあ
る神経細胞からのびる無数のシナプスも、このスイッチにたいへんよく似ている。

 そこで人間の脳にも、そのスイッチを統合するようなシステムがあるとするなら、「脳の
OS」と表現できる。つまり私たちは、意識するとしないにかかわらず、その脳のOSに
支配され、その範囲で行動している。つまりその範囲で行動している間は、「私」ではない。

 では、どうすれば、私は、自分自身の脳のOSを超えることができるか。その前に、そ
れは可能なのか。可能だとするなら、方法はあるのか。

 たまたま私は、「私」という問題にぶつかってしまったが、この問題は、本当に大きい。
のんびりと山の散歩道を歩いていたら、突然、道をふさぐ、巨大な岩石に行き当たったよ
うな感じだ。とても今日だけでは、考えられそうもない。このつづきは、一度、頭を冷や
してから考える。
(02-10-27)※

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●私とは何か

 「私」というのは、昔から、哲学の世界では、大きなテーマだった。スパルタの七賢人
の一人のキロンも、『汝自身を知れ』と言っている。自分を知ることが、哲学の究極の目的
というわけだ。ほかに調べてみると、たとえばパスカル(フランスの哲学者、1623~
62)も、『パンセ』の中で、こう書いている。

 「人間は不断に学ぶ、唯一の存在である」と。別のところでは、「思考が人間の偉大さを
なす」ともある。

 この言葉を裏から読むと、「不断に学ぶからこそ、人間」ということになる。この言葉は、
釈迦が説いた、「精進」という言葉に共通する。精進というのは、「一心に仏道に修行する
こと。ひたすら努力すること」(講談社「日本語大辞典」)という意味である。釈迦は「死
ぬまで精進しろ。それが仏の道だ」(「ダンマパダ」)というようなことを言い残している。

となると、答は出たようなものか。つまり「私」というのは、その「考える部分」とい
うことになる。もう少しわかりやすい例で考えてみよう。

 あなたが今、政治家であったとする。そんなある日、一人の事業家がやってきて、あな
たの目の前に大金を積んで、こう言ったとする。「今度の工事のことで、私に便宜(べんぎ)
をはかってほしい」と。

 このとき、考えない人間は、エサに飛びつく魚のように、その大金を手にしながら、こ
う言うにちがいない。「わかりました。私にまかせておきなさい」と。

 しかしこれでは、脳のOS(基本ソフト)の範囲内での行動である。そこであなたとい
う政治家が、人間であるためには、考えなければならない。考えて、脳のOSの外に出な
くてはいけない。そしてあれこれ考えながら、「私はそういうまちがったことはできない」
と言って、そのお金をつき返したら、そのとき、その部分が「私」ということになる。

 これはほんの一例だが、こうした場面は、私たちの日常生活の中では、茶飯事的に起こ
る。そのとき、何も考えないで、同じようなことをしていれば、その人には、「私」はない
ことになる。しかしそのつど考え、そしてその考えに従って行動すれば、その人には「私」
があることになる。

 そこで私にとって「私」は何かということになる。考えるといっても、あまりにも漠然
(ばくぜん)としている。つかみどころがない。考えというのは、方法をまちがえると、
ループ状態に入ってしまう。同じことを繰り返し考えたりする。いくら考えても、同じこ
とを繰り返し考えるというのであれば、それは何も考えていないのと同じである。

 そこで私は、「考えることは、書くことである」という、一つの方法を導いた。そのヒン
トとなったのが、モンテーニュ(フランスの哲学者、1533-92)の『随想録』であ
る。彼は、こう書いている。

 「私は『考える』という言葉を聞くが、私は何かを書いているときのほか、考えたこと
がない」と。

 思想は言葉によるものだから、それを考えるには、言葉しかない。そのために「書く」
ということか。私はいつしか、こうしてものを書くことで、「考える」ようになった。もち
ろんこれは私の方法であり、それぞれの人には、それぞれの方法があって、少しもおかし
くない。しかしあえて言うなら、書くことによって、人ははじめてものごとを論理的に考
えることができる。書くことイコール、考えることと言ってもよい。

 「私」が私であるためには、考えること。そしてその考えるためには、書くこと。今の
ところ、それが私の結論ということになるが、昨年(〇一年)、こんなエッセーを書いた。
中日新聞で掲載してもらった、『子どもの世界』(タイトル)で、最後を飾った記事である。
書いたのは、ちょうど一年前だが、ここに書いた気持ちは、今も、まったく変わっていな
い。

++++++++++++++++++++

~02年終わりまでだけでも、これだけの
原稿が集まった。

それ以後も、現在に至るまで、たびたび、
私は辺縁系について書いてきた。

最後に、こんな興味ある研究結果が公表されたので、
ここに紹介する。

「いじめは、立派な傷害罪」という内容の
記事である。

++++++++++++++++++++

 東北大学名誉教授の松沢大樹(80)氏によれば、「すべての精神疾患は、脳内の扁桃核
に生ずる傷によって起きる」と結論づけている。

 松沢氏によれば、「深刻ないじめによっても、子どもたちの扁桃核に傷は生じている」と
いうのである。

 傷といっても、本物の傷。最近は、脳の奥深くを、MRI(磁気共鳴断層撮影)や、P
ET(ポジトロン断層撮影)などで、映像化して調べることができる。実際、その(傷)
が、こうした機器を使って、撮影されている。

 中日新聞の記事をそのまま紹介する(07年3月18日)。

 『扁桃核に傷がつくと、愛が憎しみに変わる。さらに記憶認識系、意志行動系など、お
よそ心身のあらゆることに影響を与える。……松沢氏は、念を押すように繰りかえした。『い
じめは、脳を壊す。だからいじめは犯罪行為、れっきとした傷害罪なんです』と。

 今、(心)そのものが、大脳生理学の分野で解明されようよしている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
扁桃体 辺縁系 扁桃核 心 心の傷)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

*IAP Education

●IAP教育

+++++++++++++++++++++++++++

できない子どもを問題視してはいけない。
できる子どもは、さらにできるようにすればよい。
できない子どもについては、何かよい面を見つけ、それを伸
ばせばよい。
それがこれからの教育ということになる。

+++++++++++++++++++++++++++

 日本では、何かにつけて、(できない子ども)を問題視する。
しかしその一方で、(できる子ども)を伸ばすシステムもない。
むしろ「出る釘は叩く」式の教育が、平気でなされている。
これには日本人特有の、「型ワク意識」が、影響している。
明治以来の「もの言わぬ従順な民づくり」の亡霊と言ってもよい。

 一方、欧米では、できる子どもは、さらにできるようにする。
できない子どもについては、その子どもの才能を見つけ、それを伸ばすように
している。
私の想像ではない。

 メルボルンの郊外に、ジーロン・グラマー・スクールがある。
小学1年生から高校3年生までの一貫教育を施している。
(実際には、幼稚部も含まれている。)
あのチャールズ皇太子も1年間学んだことがある。
その学校では、子どもの能力と、方向性に応じて、自由にカリキュラムを
組んでいる。
自由にだぞ!
たとえば水泳の才能のある子どもは、毎日水泳の授業が受けられる。
木工が好きな子どもは、毎日木工の授業が受けられる。
何も、主要5教科(日本)だけが、教育ではない!
人間が学ばなければならない、知識と経験ではない!

 どうしてこの日本では、そういう教育を目指さないのか。
つまりそれが日本と欧米の、教育の基本的な姿勢のちがいということになる。

●自分で考える子ども
 
 TK先生は、かねてから、「Independent Thinker」という言葉をよく使う。
「自分で考える子ども」という意味である。
「これからは知識の時代ではない。
知識など、インターネットを使えば、その場で手に入る」と。

 そこでTK先生は、自身が東京R大の理学部長をしていたとき、独自の
入試方法を実施した。
それが今に見る、AO入試の原型となった。
で、今度はさらにそれを一歩進め、「Active Learning」という言葉を私に
教えてくれた。
意味はよくわからないが、直訳すれば、「行動的な学習」ということになる。
「教室の中だけではなく、外の世界に飛び出し、そこで能動的にものを
教え、学ぶ」ということか。
これから先、いろいろな情報が入ってくることと思う。

 で、「Active」があれば、当然、「Positive」もあるということになる。
つまり「積極的な学習」。
何でも前向きに、「やる!」「やりたい!」と、積極的に食いついてくる子どもを
育てる。

 で、これら3つを並べると、「Independent」「Active」「Positive」となり、
それらの3つの頭文字を取ると、「IAP」となる。
つまり「IAP教育」!

 「IPA教育」は、これからの日本の教育の(柱)とすべき理念ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 IAP教育 Independent Thinker Active Learning Positive Learning Active Education Positive Student)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

【雑感・あれこれ】

●55年目の夢実現

+++++++++++++++++

当時すでにヘリコプターという乗り物は、
よく知られていた。
私が小学2年生のときのことである。
私はそのヘリコプターのおもちゃが
ほしかった。

で、ある朝のこと。
その光景はよく覚えている。
みなでぞろぞろと、学校に向かっている
ときのこと。
私はおもちゃのヘリコプターと
いっしょに歩いている自分を想像した。
たいへんよくできたおもちゃで、
私の操縦どおりに、空を飛んだ。
おもちゃのヘリコプターが、
私のあとをかけてくる・・・。
どういうわけか、そのときの光景や、
私が思ったことを、よく覚えている。

が、その当時すでに、おもちゃで、
空を飛ぶというのは、あるにはあった。
手元にハンドルを回す箱があって、そのハンドルを回すと、
その動力が、ヘリコプターの本体へ伝えらる。
その力で空を飛ぶというものだった。

私は手のどこかに、そのハンドルを回した
記憶がある。
買ってもらったのか、それともおもちゃ屋で
遊ばせてもらったのかは、覚えていない。
しかし、まったくと言ってよいほど、
飛ばなかった。
それはよく覚えている。

飛び上がると同時に、墜落した。
それであの朝、学校へ行く途中、頭の中で、
そんなヘリコプターを想像したのだろう。

以来、55年。
その間、ラジコンの飛行機は、10機以上、
飛ばしてみた。
「みた」というのは、一応、「どれもあっと
いう間に墜落した」という意味。
ヘリコプターも、3機ほど、飛ばしてみた。
エンジン付の、かなり大きなものだった。
が、どれも長つづきしなかった。

が、10年ほど前から室内用のヘリコプターという
のが、売りに出されるようになった。
小型のおもちゃだったので、ミニ・ヘリコプター
ともいう。
当初は、本体だけで、3~4万円もした。
それが数年前から、5000円前後で買える
ようになった。

全部で、10~15機は買っただろうか。
当初は、ただ上昇するだけという簡単な
ものだった。
それがすぐ、2チャンネル、つまり(上昇・
下降)と、(左右・回転)のものになった。
何とか操縦はできたが、思うようには
飛ばなかった。

が、最近、3チャンネル仕様の、しかも
ジャイロスコープ付のものが売りに出された。
今までのミニ・ヘリコプターとちがい、
ボディは、金属製。
格段の進歩だった。
さっそく、購入。
イマイチという感じはあるが、それでも
10~15年前の、ラジコンヘリに匹敵
するほどの性能をもちわせている。
驚いた!

私はこのところ毎日のように、それを飛ばして
遊んでいる。
回を重ねるごとに、操縦もうまくなってきた。
まだ子どものころ想像したようには、
飛ばせないが、しかしほぼ満足。
ミニ・ヘリコプターを飛ばしながら、
別の心で、夢がかなった!、と、
まあ、そんなふうに思っている。

+++++++++++++++++

●夢

 「夢」には、2つの意味がある。
ひとつは、眠っているときに見る「夢」。
もうひとつは、将来に向かって描く希望的な像。
しかし考えてみれば、この2つはまったく異質のもの。
どうして日本語では、この2つをまとめて「夢」と言うのだろう。
しかし考えてみれば、これはおかしい。

 で、英語ではどうだろう。
英語でも「dream」というときは、2つの意味を兼ねる。
しかし悪夢は、「ナイト・メア」という。
眠っているときに見る夢も、「dream」と言うときがある。
が、あまり、そういう使い方をしない。

だから「dream」というときは、将来に向かって描く希望的な像ということになる。
だれかが「I had a dream last night.(ぼくは昨夜、
夢をもった)」と言えば、眠っているときに見る夢ではなく、「昨夜、将来に向かって
こんな希望をもった」というふうに解釈する。

 その夢だが、みなが同じ夢をもてば、やがてそれは集合され、実現される。
(眠っているときに見る「夢」ではなく、将来に向かって描く希望的な「夢」のこと。)
おもちゃのヘリコプターも、そのひとつということになる。
言い換えると、夢をもつことの大切さは、ここにある。
夢が、みなを、前向きに引っ張っていく。
そしてそれがいつか、大きな力となって、実現する。

 だからみなさん、夢をもとう。
みなで頭の中で、理想像を描こう。
みながいっしょにその理想像を描けば、やがてそれが集合され、大きな力となる。
人間の心を変え、社会そのものを変えていく。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 夢論 夢について dream)

+++++++++++++++

以前、「day dreamer」について書いた。
あのエジソンも、その1人。
以上の原稿とは関係ないが、
ここに拾ってみる。

+++++++++++++++

●ボンヤリは心の掃除

 日中、ときどきもの思いにふけってぼんやりすることがある。これを英語では「デイ・ドリーム」という。日本語に訳すと、「白昼夢」となるが、その言葉から受ける印象ほどおおげさに考える必要はない。

むしろ最近の研究では、このデイ・ドリームは、心のバランスをとるためには必要なものとわかってきた。それだけではない。すばらしい創造性や独創的なアイディアは、そのデイ・ドリームをしている間に生まれるとされる。たとえばエジソンやニュートンは、「デイ・ドリーマー(夢見る人)」というニックネームがつけられていた。

 幼児のばあい、ふとしたきっかけで、このデイ・ドリームの状態になる。時間的には数分程度から、長くても5分程度だが、ぽかっと魂が抜けてしまったかのようになる。時と場所に関係なく、運動場で体操をしているようなときにでも、そうなることがある。車の中やソファの上だったりすると、そのまま眠ってしまうこともある。そういうとき親は、「気がゆるんでいるからだ」とか、「学習に集中できないからだ」と考えるが、そのデイ・ドリームを無理に妨げると、子どもの情緒はかえって不安定になる。

私の印象では、子どもは(おとなもそうだが)、デイ・ドリームを見ることにより、心の緊張感をほぐすのではないかと思う。その証拠に、デイ・ドリームから戻った子どもは、実におだやかな表情を見せる。

 もちろんデイ・ドリームと集中力、あるいはデイ・ドリームと昼寝グセや睡眠不足は区別しなければならない。同じぼんやりといっても、それが日常的につづくようであれば、今度は別の問題を疑ってみなければならない。それはともかくも、そういった問題もなく、子どもがふとしたきっかけで、どこかぼんやりとするような様子を見せたら、できるだけそっとしておくのがよい。

(付記)私もときどき仕事の合間にぼんやりとすることがある。半覚半眠の状態になるのだが、そういうとき電話がかかってきたりすると、それだけで心臓の鼓動が変化するのがわかる。あるいは授業と授業の間の休み時間に、別の仕事が入ったりすると、そのあとの授業で強い疲れを感ずることがある。私のばあいも、ぼんやりとすることで、心を調整しているのだと思う。
 

Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

●ブーメラン効果

 子どもを説教しているとき、かえって逆効果に感ずることがある。ときに、子ども自身
が、こちら側の下心を読んでしまうときがある。そうなると、いくら説教しても、効果が
ないばかりか、かえって子どもの反発心をかってしまう。

 たとえば時間つぶしをしている子どもがいる。時計ばかり気にして、少しも勉強しない。
私の前では、まじめに勉強しているフリをしているだけ。

 そういうとき、私が、ふと、「では、まじめに勉強して人から順に、採点して、今日のレ
ッスンは、終わります」と言ったとする。そう言えば、たいていのばあい、子どもたちは、
自らに拍車をかけて、勉強し始める。

 が、そういうとき、時間つぶしをしている子どもは、先に、私の下心を読んでしまう。「ぼ
くに、勉強させたいために、先生は、そう言っている」と。

 とたん、それまでのフリをやめ、堂々と、勉強をサボり始める。「どうせ、ぼくが最後に
なるんだろ!」とか言ったりする。

 こういうのを、(ブーメラン効果)という。こちらの意図したことが、逆効果となって、
返ってきてしまう。

 子どもと接するときは、いつも本音で接するようにする。下心はもたない。子どもとの
信頼関係を守るためにも、そうする。
(はやし浩司 ブーメラン効果 (はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 逆効果 教師の下心)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

●ほめることの重要性

+++++++++++++++++

ほめることの重要性については、
繰り返し書いてきた。
『子どもはほめて伸ばせ』が、私の
持論にもなっている。
あちこちの本の中でも、そう書いた。

このほどその効果が、アカデミック
な立場で、証明された。

その記事を、そのままここに、
記録用として、保存させてもらう。

+++++++++++++++++

++++++++以下、ヤフー・ニュース(2010年3月)より++++++++

 親にほめられたり、やさしい言葉をかけられた乳幼児ほど、主体性や思いやりなど社会適応力の高い子に育つことが、3年以上に及ぶ科学技術振興機構の調査で分かった。父親の育児参加も同様の効果があった。「ほめる育児」の利点が長期調査で示されたのは初という。東京都で27日午後に開かれる応用脳科学研究会で発表する。

 調査は、大阪府と三重県の親子約400組を対象に、生後4カ月の赤ちゃんが3歳半になる09年まで追跡。親については、子とのかかわり方などをアンケートと行動観察で調べた。子に対しては、親に自分から働きかける「主体性」、親にほほ笑み返す「共感性」など5分野30項目で評価した。

 その結果、1歳半以降の行動観察で、親によくほめられた乳幼児は、ほめられない乳幼児に比べ、3歳半まで社会適応力が高い状態を保つ子が約2倍いることが分かった。また、ほめる以外に、目をしっかり見つめる▽一緒に歌ったり、リズムに合わせて体を揺らす▽たたかない▽生活習慣を整える▽一緒に本を読んだり出かける--などが社会適応力を高める傾向があった。

 一方、父親が1歳半から2歳半に継続して育児参加すると、そうでない親子に比べ、2歳半の時点で社会適応力が1.8倍高いことも判明した。母親の育児負担感が低かったり、育児の相談相手がいる場合も子の社会適応力が高くなった。

 調査を主導した安梅勅江(あんめときえ)・筑波大教授(発達心理学)は「経験として知られていたことを、科学的に明らかにできた。成果を親と子双方の支援に生かしたい」と話す。【須田桃子】

++++++++以上、ヤフー・ニュース(2010年3月)より++++++++

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 ほめる ほめる効用 子どもをほめる ほめることの大切さ はやし浩司 子どもはほめて伸ばす 伸ばせ 子供はほめて伸ばせ)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

*Active Learning

【Active Learning & 考える教育】

●春休み

 春休みになって、ひとつ心がけていることがある。
「遊ぶ」こと。
思い立ったら、即、実行!

 ……ということで、昨日は、掛川にある「つま恋・リゾートセンター」で一泊した。
が、寝苦しかった。
夜中に何度も、目が覚めた。
このままだと、今日の昼までもたない。
家に帰ったら、そのまま昼寝。

●近況

 ……おととい、「ファミリス」(静岡県教育委員会発行雑誌)の原稿を書かせてもらった。
子育て相談に関する原稿。
そのあと、TK先生から、Active Learningについての資料がないか、
問い合わせのメールが入った。
Active Learning(アクティブ・ラーニング)。
はじめて聞く言葉だが、意味は、すぐわかった。
要するに「実体験を伴った教育」をいう。

YOUTUBEにひとつ、こんなパロディが載っていた。
子どもに「火」を教える。
そのとき子どもは、マッチを使い、何かを爆発させる。
子どもは火傷(やけど)を負う。
子どもは火(fire)の意味を知る。
「これがActive Learning」と。

 もちろんパロディである。
もちろん実際に、こんな教え方をしてはいけない。
が、これからの教育のひとつの方向性を示している。
具体的に、実体験をさせながら、ものごとを教えていく。
わかりやすく言えば、子どもを教室に閉じこめておくのではなく、教室から
子どもを外の世界へ連れ出し、そこでものを教えていく。

●考える教育

 ついでに、「考える教育」について。

 子どもによって、何か新しい問題を出したとき、大きく2つに分かれる。
ひとつは、自分の学習経験に照らし合わせて、「まだ習ってない」「できない」と逃げて
しまう子ども。
もうひとつは、「やってやる」「やらせて」と、食いついてくる子ども。
この(食いつき)を、私はそのまま「食いつき」と呼んでいる。

 「食いつき」のある子どもは、すばらしい。
「食いつきのない」子どもは、教えていても、つまらない。
学習態度が、万事、受動的。
つまりpassive(パッシブ)。
言われたことはやるが、そこまで。
発展性がない。
どこか自分勝手。
私は、そういう子どもを、「満腹児」と呼んでいる。
何もかも満たされているため、ガッツ(=野生味)がない。

 そこで重要なことは、いかにすれば、その「食いつきのある子ども」に
することができるかということ。
以前、「満腹児」について書いた原稿をさがしてみた。

++++++++++++++++

2006年の原稿より。

++++++++++++++++

●満腹児

 「こうであってほしい」と思う描く自分。しかしそこには、現実の自分がいる。この両
者のギャップが大きいとき、そこから「渇望感」が生まれる。

 この「渇望感」のでわかりやすいのが、性欲。フロイトも、リビドーという言葉を使っ
て、それを説明している。「性欲こそが、生きるためのすべてのエネルギーの根源である」
と。

 性欲が、ムラムラと起きてきたとき、そこに性のはけ口としての、相手がいれば、その
時点で、性欲は解消される。しかし相手がいないとき、相手をもとめられそうにないとき、
渇望感は、さらに強くなる。

 渇望感は、性欲だけには、かぎらない。しかしこの渇望感が、姿を変えて、外の世界に
向っては、「欲」となって現れる。

 名誉欲、金銭欲、支配欲、独占欲などなど。

 そういう意味で、「欲」があるからこそ、人は自分らしさを保つことができるのかもしれ
ない。食欲にたとえていうなら、空腹感という渇望感を満たす、食物のようなもの。欲が
あるから、人は生きられる。

 しかしこの渇望感を、悪と考えてはいけない。渇望感は、性欲にかぎらず、その人を動
かす原動力となる。子どもの世界にも、「満腹児」(この名称は、私がつけた)と呼ばれる
子どもがいる。

 あらゆる面で満たされているため、渇望感がない。そのため、いつも満足げで、おっと
しりしている。欲がないというというだけではなく、生活力もない。ハキもない。

 子どもをじょうずに伸ばすためには、子どものどこかに、この渇望感を用意するとよい。
実際、伸びる子どもというのは、あらゆる方向に触覚がのびていて、好奇心が旺盛である。

(はやし浩司 渇望感 欲 欲望 欲望 満腹児  Active Learning 食いつき 子どもの積極性 考える子ども 独立して考える) 

+++++++++++++++

●この日本では……

 この日本では、子どもを批判的に評価する方法は、一般化している。
つまり後ろ向き。
たとえばやる気を示さない子どもについては、「燃え尽き症候群」「荷下ろし症候群」
「無気力児」などなど。
そういったいわゆる診断名らしきものをつけたあと、教育を考える。

 一方欧米では、ものの考え方が前向き。
言うなれば(できる子ども)を、さらに伸ばすには、どうしたらよいかという観点で
教育を組み立てる。
つまり「勉強ができない子どもがいてもよいではないか。
そういった子どもは、別の方面で、別の才能を伸ばせばよい。
それよりも、できる子どもを、さらに伸ばしてやろう」と。
そういう発想が強い。

 一方、この日本では、伝統的に、「落ちこぼれ」を嫌う。
たとえば子どもがズルをして、学校を休んだとする。
すると学校(幼稚園)の先生は、「後(おく)れる」という言葉を平気で使う。
後れる?
つまり一定のワクの中に、子どもを押し込もうとする。
(もちろん、出る釘も叩くが……。)

 で、こうしたちがいが、大きく現われているのが、Active Learning
ということになる。
「能動指導」とでも訳すのか。

 私もTK先生に教えてもらったばかりだから、中身はよくわからない。
これからしばらく、この問題について考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 アクティブ教育 能動教育 能動指導 active learning active education)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

*One Night Stay at Tuma-Koi YAMAHA resort center

●掛川へ

++++++++++++++++++++++

今、掛川へ向っている。
電車の中。
今日は、YAMAHAリゾート・センター、「つま恋」で一泊するつもり。
軽く運動をし、温泉につかる。
そう、今日から春休み。

で、今日のお供は、TOSHIBAのダイナブック(MX33)。
純白のパソコン。
それにワイフと長男。

++++++++++++++++++++++

●日本破綻

 相向かいの席の男が、週刊誌を読んでいる。
「週刊現代」。
その表紙に、「日本破綻……2012」と並んで、「人生は60歳から」とある。
それを見て、「ありえるなあ」「何言ってるんだ」と思う。

 日本破綻については、たいへん(ありえる)。
へたをすれば、2012年度ではない。
2011年度の国家予算すら、あやうい。
組めなくなる。
しかし日本破綻は、日本だけの問題にとどまらない。
世界を巻き込む。
日本破綻イコール、世界破綻と考えてよい。
正確には、「日本発、世界破綻」。

もっともそれ以前に、世界にばらまいた(円)が、日本へ逆流し始める。
そうなったとたん、ハイパーインフレが、日本を襲う。
が、これはきわめて短期間のうちに起こる。
たとえば逆流が土曜日に始まったとする。
その2日後の月曜日には、日本の経済は破綻する。
リーマンショック、ドバイショックのときもそうだった。
「あぶないぞ」とうわさが出ている段階では、まだだいじょうぶ。
「まだ、だいじょうぶかな?」と思っているときが、あぶない。

「逆流」という言葉で思い出したが、私はときどき逆流性食道炎になる。
今朝、知り合いの漢方医(薬剤師)に、たまたま電話でそれについて相談したところ。
「水気(すいき)逆上だから、半夏(ハンゲ)……半夏写心湯かな?」と。
漢方医の彼は、そう言った。
半夏厚朴湯(ハンゲコウボウトウ)なら、毎晩、眠る前にのんでいる。
これはもともとは、胃腸薬。
女性の精神安定剤としても、効く。
量を多くして、しばらく半夏厚朴湯をのんでみることにした。

 つまり、言うなれば、日本経済が、逆流性食道炎状態になる。
あまりよいたとえではないかもしれないが、そういった状態になる。
が、ほんとうに心配なのは、中国経済。
バブル経済はバブル経済だが、そのバブル経済が狂乱じみてきた。
つい先週末も公定歩合(貸し出し金利)をあげたが、まさに焼け石に水。
猛烈な勢いで、元が、市中に流れ込んでいる。
ドドーッ、ドドーッ、と。
近く、何か恐ろしいことが起きるような気がする。

●人生は60歳から
 
 「人生は60歳から……」という言い方には、大きな違和感を覚える。
お世辞?
励まし?
慰め?

何も「60歳」という数字にこだわる必要はない。
あえて「60歳」にする必要もない。
「30歳」でもよい。
「40歳」でもよい。
「60歳」としたところに、意図的なイヤミを感ずる。
裏を返して言うと、つまり裏から解釈すると、「人生は60歳で終わる」となる。

また記事の内容など、読まなくても、おおよその推察がつく。
いろいろな人の老後の設計図を示しながら、60歳を過ぎても、こうして
がんばっている人もいるという内容。

 しかし実際には、私の年齢の人は、だれも「人生は60歳から……」とは思っていない。
この年齢になると、自分を支えるだけで、精一杯。
私も「人生は60歳から」と思いたいが、それ以上に強いパワーで、
容赦なく、押し戻されてしまう。

 ただこういうことは言える。
「人生の結論は、60歳で出る。
あとはその結論を、どう生かして生きるか」と。
その結論が、60歳以後の人生の内容を決める。

●論理

 論理学を使って、もう一度、「人生は60歳から……」を考えてみよう。
つぎのような問題がある。
あなたは、どう考えるだろうか。

【問】

 ここに4枚のカードがある。
表には、(△)か(□)が描いてある。
表が(△)のときは、裏には赤の(●)が、かならず描いてある。
このことが正しいことを証明するために、あなたはつぎの4枚のカードのうち、
どれをめくってみるか。

1枚目……(△) 
2枚目……(□) 
3枚目……赤の(●) 
4枚目……青の(●)

 単純に考えれば、1枚目と3枚目をめくればよいということになる。
1枚目をめくってみて、赤の(●)。
3枚目をめくってみて、(△)。

 しかしこれでは先の命題を、正しいと証明したことにはならない。
1枚目をめくったとき、裏に赤の(●)があれば、命題の条件に合致する。
3枚目の赤の(●)をめくってみたときも、そうだ。
表に(△)があれば、命題の条件に合致する。
が、これでは十分ではない。
だからといって、「(△)のカードの裏は、赤の(●)」ということが、証明された
わけではない。
つまり先の命題が、正しいことを証明したことにはならない。

 この命題が正しいと証明するためには、この命題はまちがっていない
ことを明らかにしなければならない。
が、その前に書いておかねばならない。
3枚目は、めくっても意味はない。 
仮に3枚目をめくったとき、表に(△)が描いてなくても、(つまり(□)で
あったとしても)、この命題の証明には、影響を与えない。

 では、どれをめくればよいのか。

 1枚目をめくって、赤の(●)が出てくることは、命題の証明には必要。
しかし十分ではない。
そこでこの命題はまちがっていないことを証明しなければならない。
それを決定するのは、4枚目のカードということになる。
4枚目は青の(●)。
もしこのカードをめくってみて、(△)が出てこなければ、この命題はまちがって
いることになる。
そこで4枚目をめくってみる。
表に(△)が出てくる。
この段階ではじめて、命題は、まちがっていないということになる。

 これが「論理」である。

●言葉の遊び

 話を戻す。
「人生は60歳から」というのは、一応正しいと仮定しよう。
「一応正しい」というのは、一応必要な条件を満たしているということ。
しかしこの命題が正しいというためには、「ほかの年齢からは人生は始まらない」という
ことを証明しなければならない。

「人生は、30歳からではない」
「人生は、40歳からではない」
「人生は、50歳からではない」と。
 それを証明しなければ、十分とは言えない。

 しかし人生は何も、60歳だけから始まるわけではない。
さらに言えば、「人生は70歳から」と言っても、何もおかしくない。
「人生は80歳から」と言っても、何もおかしくない。

 つまり「人生は60歳から」というのは、論理学的には、きわめて非論理的な
言い方ということになる。
わかりやすく言えば、ただの言葉の遊び。
人目を引くための、ただのキャッチフレーズ。

●掛川駅

 あっという間に、電車は掛川駅に着いた。
私のばあい、こうしてパソコンのキーボードを叩いていると、あっという間に時間が
過ぎていく。
電車に乗っているときは、とくにそうだ。
そういう意味では、退屈しのぎには、よい。

 そうそう、あえて言われなくても、60歳台の人たちは、みながんばっている。
「人生はこれからだ」と、自分をだましながら、がんばっている。
が、実際には、どうにもならない。
あっちを見ても、壁。
こっちを見ても、壁。
壁、壁、壁……。
それだけではない。

電話番号を聞いても、「覚えておられるだろうか?」という不安が、頭の中を、
ふと横切る。
「本当は人生は、終わっている」と、だれもが心のどこかで、感じている。
が、それを認めるのは、敗北。
だから、「まだまだ……」と。

 最後に、私はこう思った。
「あの原稿を書いた人は、本当に60歳なのだろうか」と。
本当に60歳なら、ラッキーな人だと思う。
私も、もうすぐ63歳になるが、とてもおこがましくて、そういう言葉は出てこない。
私がラッキーであるとするなら、よけいに、そうでない人たちに申し訳なくて、
そういう言葉は出てこない。
それはたまたま健康な人が、病気の人たちを前に、「健康は大切ですよ」と言うに
似ている。
励まされているというよりは、先にも書いたように、どこかイヤミに感ずる。

 もうひとつの「日本破綻……2012」というほうの記事は読んでみたい。
が、「人生は60歳から」という記事のほうは、読みたくない。
読む前から内容がわかる。
そんなことを考えながら、そそくさと電車を下りた。

++++++++++++++++

●つま恋

 敷地面積、55万坪!
約170万平方メートル。
総合健康スポーツ施設。
環境は最高。
ちょうど桜が満開のころで、感激!

 YAMAHA製品というと、高級ブランドイメージが強い。
それもあってか、施設内は、全体になにもかも、豪華+高額。
私たちは古いほうのホテル(サウス・ウィング)に泊まった。
それでも料金は、1人1泊、1万2000円(夕食なし、朝食のみ)。
部屋は都市のビジネスホテルの、約2倍ほど。
高いね!

 しかし本来なら、公共団体が開発、運営してもおかしくない施設。
それを一企業が、ここまで成し遂げたというところが、すごい!
さすがYAMAHA!

 ただし温泉(つま恋温泉・森林之湯)は、星が2つの、★★。
料金を考えると、星は1つの、★。
脱衣用のロッカーは、数がたいへん多い割に、化粧室は、たったの4席しかない。
脱衣用のロッカーは、200~250個。
化粧室は、6畳間くらいの部屋に、4席だけ。
たまたま春休みの日曜日ということで、入浴客で、中はごったがえしていた。
子どもが10~15人前後、走り回っていた。
ゆっくり、静かに……というわけにはいかなかった。

 食事は、中央棟(SMC)のレストランで。
スパゲッティ、カレーライスが、1800円前後。
おいしかった!

 ……今、ワイフと長男は、DVDを観ている。
私は背中を向けて、エッセーを書いている。


Hiroshi Hayashi+++++++March. 2010++++++はやし浩司

*My Childhood Days

【幼年期】

●古い記憶

 いちばん古い記憶は何か。
私の、いちばん古い記憶は何か。
ときどきそれを考える。
しかしそのつど、ちがう。
どれが古いのか、
どちらが古いのか、
それがよくわからない。

 ひとつ覚えているのは、大きな鐘。
大きな鐘が、薄暗い広い部屋の中で、
ゆっくりと揺れている。
斜め向こう側から、こちら側へ……。
こちら側へ来た鐘は、今度は反対側に揺れていく。

 鐘といっても、クリスマスに使うような形の鐘。
西洋式の鐘である。
黒い鐘で、鐘全体が、何かにつり下げられて、揺れる。
音は出ない。

 私はそれを夢の中で見たのだと思う。
よく夢の中に出てきた。
私がかなり大きくなるまで、よく夢の中に出てきた。
だから私はその夢を、すでに赤ん坊のときに
見ていたにちがいない。

 私にとって、いちばん古い記憶といえば、
その鐘の記憶である。
ただここで「鐘」と書いたが、
丸い大きな鉄球のようなものだったかもしれない。
「鐘」と思うようになったのは、
ずっとあとになってからかもしれない。

●トイレ

 それが古い記憶だったということは、
あとになってわかること。
たとえば私は兄が、死んだ日のことを覚えている。
土間に、無数の下足が、並んでいた。
今でも静かに目を閉じると、その下足が
まぶたの中に浮かんでくる。

 そのことをいつだったか、母に話すと、
母は、こう言った。
「あれは、健ちゃん(=兄)が、なくなった日の
ことや。
おまえは、まだ2歳やった」と。

 つまり私は2歳のときのことを覚えていることになる。
遠い昔のことと言うよりは、記憶の断片に過ぎない。

 ほかにもいろいろと、断片的な記憶はある。
しかしどれが古いのか、どちらが古いのか、よくわからない。
が、おもしろいことに、そのころの記憶というのは、
何かストーリー性のあるものではない。

 居間の板間の模様とか、天井の木の節穴とか、
そういったもの。
たとえば私はそのころから、家のトイレを使うことが
できなかった。
「そのころ」というのは、自分で排便するように
なったころをいう。
年齢的には、やはり2歳前後ではなかったか。

 私の家のトイレは、家の中でもいちばん奥の、
暗いところにあった。
ボットン便所。
明かりはない。

 そのトイレの壁の黒いシミが、ある日、動いている
ように見えた。
それでそのトイレへ入れなくなった。

 私は大便のほうは、トイレの前に一度紙を敷いてもらい、
その上でしていた。

●家族

 こうして私の幼児期は、始まった。
言い忘れたが、私には生まれたとき、2人の兄と、
1人の姉がいた。
もう1人、兄がいたが、私が生まれる前に
生まれるとすぐ、死んでいる。

 いちばん上の兄は、先に書いたように、
私が2歳前後のときに、死んでいる。
だから私には、兄弟といえば、兄と姉という
ことになる。

 私は「末っ子」として生まれ、育った。
そういう点では、母親の愛情をたっぷりと受けて育った。
「愛」というよりは、「溺愛」だったかもしれない。
そのことは、ずっとあとになって、伯父や伯母から
聞いた。
「おまえは、お母さんに、かわいがってもらったぞ」と。

私は毎晩、小学2年生になるころまで、母親の
ふとんの中で、いっしょに寝た。
ときどき、祖父のふとんの中で寝たこともある。
ひとりで寝ることは、めったになかった。
母の在所(実家)へ遊びに行ったときも、
伯父や伯母と寝た。

 これは母の生まれ育った在所の習慣だったようだ。
いとこの中には、小学2、3年生まで、親と
いっしょに寝た人は多い。

 そういう習慣が残っているのか、私は60歳を過ぎた
今でも、ひとりで寝るのが苦手。
いつもワイフとひとつの布団の中で、寝ている。
どんなはげしい夫婦げんかをしても、寝るまでには
仲直りする。
あるいはけんかをしていても、いっしょに、寝る。
たまに怒ってひとりで寝るときもあるが、2日つづいて
ひとりで寝ることはない。

 一方、兄や姉はどうだったかは、知らない。
兄とは9歳、年が離れている。
姉とは5歳、年が離れている。
たぶん、兄も、姉も、幼児のころは、母といっしょに
寝たにちがいない。

●父

 そのころの私にとって、父といえば、悲しい思い出
しかない。
父は生涯にわたって、一度も、私を抱いたことがない。
手をつないだこともない。
会話らしい会話も、したことがない。

 父は結核を患っていた。
そのため母は、私を父に近づけなかった。
……といっても、私が生まれたころには、
父の結核は、治っていた。
アメリカ軍がもってきた、ペニシリンという
強力な治療薬のおかげである。

 が、母は、そうは思っていなかった。
私が小学校に入学するころまで、母は毎回、
父の使った食器を、熱湯で消毒していた。
母には、そういう性癖があった。
潔癖症というか、不潔嫌悪症というか……。

 が、私と父を分けたのは、何よりも、父の
酒乱だった。
私が3、4歳になるころには、父は、数晩おきに
酒を飲み、暴れた。
ふつうの暴れ方ではない。

 障子戸をこわしたり、ふすまに穴を開けたりした。
食卓をひっくり返したこともある。
ふだんは学者肌の静かな父親だったが、酒が入ると
人が変わった。
私は恐ろしくて、父には近づけなかった。
静かなときでも、私にはそれが信じられなかった。
その向こうにある父の姿に、おびえた。

 そういう私だったが、祖父母と同居していたおかげで、
飢餓感はほとんどなかった。
今にして思えば、祖父が、私の父親がわりだった。
祖父は、私を、息子のようにかわいがってくれた。
ほしいものは、何でも買ってくれた。

●兄弟

 今でもときどき、仲のよい兄弟を見ると、こう思う。
「いいなあ」と。
しかし私のばあいは、ちがった。
年齢が離れていたせいもある。
私は兄といっしょに遊んだ記憶が、まったくない。
姉とも、ほとんど、ない。
町内でみなといっしょに、川へ泳ぎにいったようなとき、
近くでいっしょに泳いだ記憶はある。
あっても、その程度。

 しかし苦楽をともにしたとか、そういう思い出はない。
また当時は、男が女といっしょに遊ぶということは、
なかった。
遊び方も、ちがった。
だから私は、いつも近所の同年齢の子どもたちと遊んだ。
もちろん相手は、すべて男だけ。
女と遊ぶと、すかさず「女たらし」という
レッテルを張られた。
それは何よりも、不名誉なことだった。

 こうした傾向は、私が中学校を卒業するまで
つづいた。
そういうこともあって、私は家の中では、
いつも孤立していた。
話し相手もいなかった。

 母にしても、私を溺愛はしたが、親絶対教の
信者で、話し相手にはならなかった。
少しでも反抗めいたことを口にすると、すかさず
叱られた。
私の家では、親は絶対的な存在だった。

●故郷

 楽しかったのは、母の在所へ行くこと。
私は岐阜県の美濃市という田舎町で生まれ育った。
田舎といっても、町中にある商家だった。
全体でも33坪しかない。
その土地いっぱいの、2階建ての家だった。
もちろん庭などない。
家の奥に、天窓があり、そこからわずかに光が
差すところがあった。
その光が差すところが、土がむき出しの土間に
なっていた。
私は子どものころ、そこが「庭」と思っていた。

 が、母の在所は、ちがった。
岐阜県の山奥にあった。
板取村という小さな部落だった。
前に川が流れ、うしろに低いが、遊ぶのには
こと欠かない、山が連なっていた。

 私は母の在所では、思う存分、羽を伸ばす
ことができた。
みな、親切だった。
それにいとこたちの中でも、ほぼ最年少という
ことで、みなにかわいがられた。
そんなこともあって、私にとっての故郷といえば、
美濃市というあの町ではなく、
板取村という、あの村をいう。

 今の今でも、都会の街並みは、私の肌には
合わない。
田舎の緑が、好きというわけではないが、
緑の中にいたほうが、気が休まる。

【少年期】

●円通寺

 私は毎日、学校から帰ってくると、そのまま近くの
寺の境内へ遊びに行った。
仲間たちは、みな、そこにいた。
「円通寺」という、さんが住んでいる寺だった。

 缶蹴り、「駆逐・水雷・戦艦」、コマ回し、草履(ぞうり)取りなど。
「駆逐・水雷・戦艦」という遊びは、鬼ごっこのようなもの。
(駆逐艦は潜水艦より強く)、(潜水艦は戦艦より強く)、
(戦艦は駆逐艦より強い)という遊びである。
帽子のかぶり方で、それを決めた。
まだ戦時中の遊びが色濃く残っている時代で、
時には、「処刑ごっこ」というのもした。

 敵兵をつかまえてきたという想定で、鬼の子どもを
壁に立たせ、5~6メートル離れたところから、
ボールを当てるという遊びだった。
痛くはなかったが、恐ろしかった。

 その円通寺の向こうは、低い山になっていた。
私たちは山の中に「陣地」を作り、その中に入って
遊んだ。

●陣地

 陣地について、もう少し詳しく書いておきたい。

 私たちはその山をはさんで、隣町の子どもたちと、
毎日、戦争ごっこをした。
「ごっこ」というよりは、本気に近かった。
そのため、私たちは、山の中に、陣地を作った。
今風に言えば、「ゲリラ戦ごっこ」。

 まず地面に軽い穴を掘る。
まわりを木で覆い、その上から、枝や葉で小屋を隠す。
大きな陣地になると、ドアまでつくる。
中に、棚や、寝場所まで作る。

 けもの道のようになった「道」から、ぜったいに
見えないように作る。
もし敵に見つかったら、陣地は、容赦なく破壊された。
もちろん私たちも、敵の陣地を見つけたら、
容赦なく、破壊した。

 時には、敵の陣地の中に、人糞をばらまくこともあった。
だれかが大便をしたいというと、その子どもを
敵の陣地の中へ連れていき、そこで大便をさせた。

 ときどき破壊しているとき、敵に見つかることもあった。
そこでつかまると、敵に、リンチされた。

 いろいろな方法があったが、いちばんこたえたのが、
チxチxに、かぶれの木の樹液を塗られること。
あれを塗られると、そのあと1週間近く、チxチxが、
まっかに腫れた。
小便も、思うようにできなかった。

 私たちも敵を見つけて、つかまえると、同じような
ことをした。
石を投げ合ったこともある。
今でも私の頭には、そのときにできた傷が残っている。

●道草

 当時は、学校帰りに道草を食うということは、
子どもたちにとっては、当たり前のことだった。
私たちは学校からの帰り道、あちこちで遊びながら、帰った。
まともに、つまりまっすぐ家に帰るなどということは、
ほとんどなかった。

 学校のすぐ横に、小倉公園という公園があった。
公園といっても、小高い山。
小さな動物園もあった。
たいていはその山で、1~2時間は、遊んで帰った。

 それから町には、細い路地がいたるところにあった。
美濃市という町は、昔から和紙の産地として
知られている。
古い町である。
そのこともあって、大通りは直線的だったが、
一歩、大通りからはずれると、そこには、路地が
たくさんあった。
私たちはそれを、「探検ごっこ」と呼んでいた。

 ときに石垣に、はいつくばいながら、民家と民家の
間を抜けていったこともある。
あるいは民家の家の中を、すり通りしていったこともある。
昔からの商家は、どれも、細長いつくりになっていた。
そういうことをしながらも、思い出のどこをさがしても、
だれかに叱られたという記憶がない。

 私たちの要領がよかったのか。
それともまだ世間に、牧歌的な温もりが残っていたのか。
どうであるにせよ、子どもたちは、今よりずっと、
自由だった。
世間もおおらかだった。
あるいはそれだけ放任されていたのかもしれない。

 また「団塊の世代」と言われるほど、当時は、子どもたちは
どこにでもいた。
夕方になると、道路のあちこちから、子どもの声が
聞こえてきた。
一方、親たちは親たちで、生きていくだけで精一杯。
家庭教育の「か」の字もない時代だった。

●長良川

 美濃市といえば、長良川。
世界一の清流と言っても、過言ではない。
もっとも、それを知ったのは、おとなになってから。
あちこちを旅行するようになってから。
私にとって「川」というのは、長良川をいった。
また世界中の川も、長良川のようなものと思っていた。
が、これはまちがっていた。
 
 私はその長良川で、泳いで育った。
まだプールのない時代で、「泳ぐ」といえば、「川で泳ぐこと」を
いった。
また学校の水泳指導も、川でなされた。

 当時は、水泳能力に応じて、白帽子に黒い線を入れてもらえた。
こまかいことは忘れたが、1本線→2本線→3本線へと、進んでいった。
中学生になるころには、みな、2本線とか3本線になっていった。

 その長良川。
泳ぐだけが楽しみではない。
水中眼鏡をかけて泳ぐと、そのまま天然の水族館。
そこはまったくの別世界だった。
もちろん魚を釣ることもできた。
モリで、魚を突くこともできた。

 私は川での泳ぎは得意だった。
渦を巻くような激流の中でも、平気で泳いだ。
一見、危険な遊びのように思う人もいるかもしれない。
しかし川の渦は、巻き込まれるものの、
渦に身を任せていると、一度、川底に着いたあと、やや川下のほうで、
体がまた浮いてくる。
けっして、あわててはいけない。
渦に身を任す。
その瞬間は、洗濯機の中でグルグル回ったようになる。
それを知らない人は、そこであわてる。
あわててバタバタする。
だから溺れる。

 泳ぎ方も、川での泳ぎ方と、プールでの泳ぎ方は、ちがう。
川では、流れをうまくとらえ、その流れに乗って泳ぐ。
体をななめにして立ち泳ぎをすれば、たいした体力を使うこともなく、
川の向こう側まで渡ることができる。

 当時の子どもたちは、みなその泳ぎ方をよく知っていた。
 
●ひもじさ

 あの時代を総称して言えば、「ひもじさとの闘い」
ということになる。
子どもたちは、みな、いつも腹をすかしていた。
食べるものはそれなりにあったが、育ち盛りの
子ども用というものは、少なかった。

 私はもっと、肉類を食べたかった。
が、家で出される料理といえば、野菜の煮込んだのとか、
そういうものばかりだった。
ハムにせよ、ソーセージにせよ、私たちはめったに
口にすることはできなかった。
寿司にしても、正月か、あるいは風邪をひいて、
病気になったようなときだけ。

 よく覚えているのは、バナナ。
今でこそ、一房、7~8本、まとめて買う。
が、当時は、バナナは1本売り。
それが、ふつうだった。
ミカンも、1個売り、りんごも、1個売り。

 一方、学校の給食では、よくクジラの肉が出た。
私たちには、ごちそうだった。
それにおいしかった。
ミルクがたっぷりと入った、クリーム・シチューなどは、
家ではぜったいに食べられないものだった。

 で、ある日私は決心した。
「おとなになったら、腹一杯、ソーセージを
食べてやる!」と。
いつだったか、町内で旅行に行ったとき、
前に座った子どもが、それをおいしそうに
食べていた。
そのとき、そう決心した。

【思春期】

●思春期

 子どもには思春期という節目がある。
当時、すでに思春期という言葉は、使われていた。
「性にめざめる時期」という意味で、使われていた。
私とて例外ではない。
が、私がそれを意識したのは、かなり早い時期だった。
みなもそうだったのかもしれないが、そういった類(たぐい)の話は、
恥ずかしいものという先入観があった。
私の時代には、とくにそれが強かった。

 いろいろな経験をした。
が、それとて、ごくふつうの子どものそれだった。
私も、小学5、6年生のころから、女性に猛烈に
興味を引かれるようになった。
女性というより、「女の体」のほうだった。

 しかし先にも書いたように、私の時代には、女の子と遊ぶことさえ
タブー視されていた。
「男」と「女」の色分けが、たいへんはっきりしていた。
今でこそ、男が赤いシャツ、赤い靴下、赤い下着を身に着けても
だれもおかしいとは思わない。
が、当時は、そういうこと自体、考えられなかった。

 その上、母はきわめて男尊女卑意識、家父長意識、上下意識の
強い人だった。
そのこともあって、たとえば私のばあい、台所に立っただけで、
母に叱られた。
「男が、こんなところに来るもんじゃ、ない!」と。

●愛情飢餓

 私はいつも愛情に飢えていた。
それはおとなになってからわかったことだが、私はいつもだれかに
恋をしていた。
幼稚園児のときも、幼稚園から帰ってくるたびに、「Y子ちゃんが
好きだ」と言っていたという。
私は覚えていないが、母がそう言っていた。

 つづいて小学3年生のころは、山口K子さんという女の子。
小学5、6年生のころは、相宮F子さんという女の子。
中学に入学すると、小坂Y子さんという女の子。
つぎつぎと恋をしていった。

 私のばあい、すぐ「結婚」という言葉を使った。
「好き」という代わりに、「結婚しよう」と言った。
「好き」という言葉の意味を知らなかったせいだと思う。
「好きどうしなら、結婚する」と、そんなふうに考えていた。
ほかの男たちが、どう考えていたかは知らない。
しかし私のばあいは、そうだった。

 しかし私が中学2年生になるまで、どれも、秘められた思いでしか
なかった。
自分の心を打ち明けるということはなかった。
あの日も、そうだった。

●はじめての電話

 中学に入ってから、小坂Y子さんという女の子が好きになった。
毎日、Y子さんのことばかり考えていた。
そのY子さんというのは、私が幼稚園児のときに好きだったという
女の子である。
幼稚園児のときから、6年を経て、再び好きになったということになる。

 で、ある日、爆発しそうな心を抑えることができず、10円玉を
もって、電車駅のところまで自転車で走った。
家にも電話はあったが、家からは、かけられなかった。
それで電車駅を出たところにある、公衆電話を使うことにした。

 心臓は、今にも爆発しそうだった。
はげしい動悸だけは、よく覚えている。
そして交換手を通して、電話をかけた。
電話はつながり、Y子さんの母親が、電話口に出た。
つづいてY子さんを、その向こうで呼ぶ声がした。
「Y子!」「Y子!」と。
私は夢中だった。
何も考えられなかった。
 
 しばらくすると、……というより、数秒もすると、
受話器を取る音がして、Y子さんが、電話に出た。

「何?」と。

 その瞬間、私ははじめて気がついた。
電話をしなければとは思ったが、何も用事はなかった。
「何?」と聞かれたものの、そのあとの言葉がつづかなかった。
私は、「ぼくです……」と言っただけで、あわてて電話を切った。

 切なくも、淡い初恋は、こうして終わった。

●ゆがんだ心
 
 私の心はゆがんでいた。
「好きだったら、好き」と言えと、私は今、生徒たちにそう教える。
が、私には、それができなかった。
Y子さんのことを好きなはずなのに、私はそれ以後、むしろ嫌っている
ような態度を繰り返した。

 ひどくプライドが傷つけられたように思ったのかもしれない。
理由はわからないが、ともかくも、私は、私のほうからY子さんを
避けるようになった。

 思春期特有の子どもの心理とも考えられるが、それ以上に、私の
心はゆがんでいた。
今にして思うと、それがよくわかる。

 私の中には、いつも、もう1人の「私」がいた。
いつその「私」ができたのかは知らないが、その「私」が、そのつど
現れては、本当の「私」をじゃました。

 よく覚えているのは、小学5年生のとき、好きだった相宮F子さんとの
事件である。
私はある日、F子さんがいないときを見計らって、F子さんの机の
中からノートを取り出し、それに落書きをしてしまった。

 そのあとの記憶は断片的でしかないが、F子さんは、さめざめと
泣いていた。
その泣いている姿を見て、2人の「私」が私の中で、別々のことを
言っているのを覚えている。
「どうして、そんなバカなことをしたのだ」と、私を責める「私」。
「ザマーミロ!」と、それを喜ぶ「私」。

●2人の「私」

 ……と書いても、この程度の思い出は、だれにでもある。
私だけが特別だったとは思わない。
が、私のばあい、この事件が、2人の「私」を知るきっかけになった。

 話は教育的になるが、ふつう「素直な子ども」というときは、
(心の状態)と(表情)が一致している子どものことをいう。
うれしかったら、うれしそうな顔をする。
悲しかったら、悲しそうな顔をする。
もちろん好きだったら、「好き」という。

 が、私のばあい、そのつど、もう1人の「私」が、それをじゃました。
じゃまするだけならまだしも、正反対の「私」となって、外に現れた。
そのため、私はよくいじけた。
ひがんだ。
すねた。
それに意味もなく、つっぱった。

 わざと相手を悲しませたり、苦しめたりすることもあった。
で、そのたびに、つまりいつもそのあとに、深い後悔の念にとらわれた。

●成績

 私は子どものころから、心の開けない人間だった。
母子関係が不全だった。
父はいたが、先のも書いたが、「形」だけ。
形だけの父親。
母の心は、父から完全に離れていた。
それもあって、落ち着かない家庭だった。

 が、子どものころの私を知る人は、みな、こう言う。
「浩司(=私)は、朗らかな、明るい子だった」と。

 しかし当の私は、そうは思っていない。
私はいつも仮面をかぶっていた。
つまり、だれにでもシッポを振るタイプの子どもだった。
シッポを振りながら、自分の立場をとりつくろっていた。

 だから家に帰ると、いつもドカッとした疲れを感じた。
それなりにみなと、うまくやるのだが、そんなわけで集団が苦手だった。
運動会も遠足も、自ら「行きたい」と思ったことは、めったになかった。
小学生のころのことは、よく覚えていないが、中学生になってからは、
その傾向がさらに強くなった。
 
 それが思春期になると、攻撃的な性格となって
現れてきた。
攻撃的といっても、自分に対する攻撃。
私は典型的な、ガリ勉となった。

 当時、私の中学には、1学年、550人の生徒がいた。
11クラス、550人である。
その学校で、3年生のとき、1度たりとも、2番になったことはない。
当時は9教科で順位を争った。
(主要4教科)x100点、(英語、保健、技術、美術、
音楽の5教科)x50点の、合計で、650点満点。
そうした定期試験で、640点を取ることもあった。
2番の男とは、いつも40~50点の差があった。

 勉強を楽しんだというより、自虐的な勉強だった。

●中学時代

 そんなわけで中学時代の思い出は、どこかみな、
灰色ぽい。
というより、中学生になって、思い出か、
色が消えてしまった。
が、思い出が、ないわけではない。

クラブは、コーラス部に属していた。
小学時代は、大の音楽嫌いだった。
その私がコーラス部?

 これにはちゃんとした理由がある。
きっかけは、映画『野ばら』を観たこと。
ウィーン少年合唱団が主演する映画だった。
それを観て、突然、音楽が好きになった。
……ということで、中学へ入学すると、同時に、
私はコーラス部に籍を置いた。

 ほかに毎週、柔道場へ通っていた。
かなりいいとろまで行ったが、左肩の鎖骨を2度つづけて骨折。
それをきっかけに、柔道からは遠ざかった。

 多感な少年だった。
何でもした。
その上、器用だった。
魚釣りもした。
山登りもした。
何でもした。
したが、どれもストーリーとしては、つながっていない。
毎日がバラバラだった。
だから記憶としては、どれも断片的。
こま切れになったまま、そこに散らばっている。

●飛行機
 
 少し話は前後する。 
小学生のころの私は、パイロットにあこがれた。
空を飛ぶ飛行機を見ただけで、興奮状態になった。
実際、木で翼を作り、2階の窓から飛び降りたこともある。
それに当時は、ロケット作りが流行(はや)った。

 短い鉛筆を長くして使う道具がある。
名前は知らない。
細い金属製の管で、ロケット作りには最適だった。
長さは10センチほど。
それに花火の火薬をほぐして詰め、それを飛ばして遊ぶ。
うまく作ると、数十メートル近く、シューッと
音を立てて飛んだ。

 もうひとつは、ピストル。
市販のおもちゃんの鉄砲を改造して、本物に近いピストルを作って
遊んだ。
結構、威力はあった。
至近距離からだと、1~2センチの板なら、簡単に撃ち抜いた。
ときに3センチくらいの板を撃ちぬくこともあった。
私たちは、その威力を競いあった。

 ……こんなことを書くと、なんとも殺伐とした子どもを
思い浮かべる人もいるかもしれない。
しかし当時は、そういう時代だった。
町中で、空気銃を使ってスズメを撃ち落して遊んでいるおとながいた。
川へダイナマイトを放り投げて、魚を採っているおとなもいた。

 が、仲間のひとりが、それで自分の手のひらを撃ち抜くという
事件が起きた。
まぬけな男だった。
おかげでその直後、その遊びは、学校からきびしく禁止されてしまった。

 ともかくも、私は「飛ぶ」ということが好きだった。
今でも飛行機は、模型であれ、戦闘機であれ、あるいはラジコンであれ、
鳥であれ、何でも好きである。

●夢

 で、ある時期は、本気でパイロットになることにあこがれた。
しかしその夢は、あっさりとつぶれた。
「近眼の人は、パイロットになれない」と言われた。
そのころから私は、近眼になり始めた。

 かわりに……というわけではなかったが、私はモノを作るのが、
一方で、好きだった。
工作の時間だけは、楽しかった。
とくに木工が好きだった。
学校から帰ってくると、いつも家の中で、何かを作っていた。
そのためいつしか私は、「大工になる」という夢を持ち始めた。

 学校からの帰り道、新築の家があると、私はその家を近くでじっと
見ていた。

 ほかに……。

 が、何よりも強く思ったことは、「いつか、この町を出る」ということ。
美濃市という町は、三方を、それほど高くはないが、山々に囲まれている。
その中央に長良川が流れ、私の家の近くにも山がある。
「息苦しい」と感じたことはないが、その反動からか、
海の見えるところへ行くと、言いようのない解放感を覚えた。

 だからいつもこう思っていた。
「おとなになったら、海の見える町に住もう」と。
「仕事が何であれ、海の見える町に住もう」と。

●家族

 再び家族のこと。

そういう点では、私の家族は、関係が、
たがいにきわめて希薄なものだった。
父と母が、しんみりと話し合っている姿など、
記憶のどこをさがしても、ない。
母はわがままな性格の女性で、いつも「私がぜったい、正しい」という
姿勢を崩さなかった。
一見、腰の低い人に見えたが、それは母一流の仮面だった。
(表で見せる顔)と、家の中で見せる(裏の顔)は、正反対だった。
また好き嫌いのはげしい人で、自分が気に入った人には、とことん
親切にする。
その一方で、自分が嫌っている人には、とことん意地悪をした。

 それに迷信深く、一貫性がなかった。
足の靴を買うにも、「日」を見て決めて買っていた。
「今日は大安だからいい」とか、「仏滅だからだめ」とか。
「時間」も決めていた。
「昼過ぎには、靴を買ってはいけない」と、母に何度も叱られたのを
よく覚えている。

あるいは、「靴は、脱いだところで履け」とも、よく叱られた。
ふとんにしても、頭を北向きにしただけで、母は狂乱状態になった。
実際には、北向きにしたことは、なかったが……。

 そういう母に、父ははげしく反発していたにちがいない。
私が小学生のころには、さらに酒の量がふえ、数日おきに、近くの
酒屋で酒を飲んでは、暴れた。
祖父母も、70歳を超えるころには、急速に元気をなくしていった。

 私は孤独だった。
さみしかった。
心細かった。
それに不安だった。
「この家は、どうなるのだろう」と、毎日、そんなことばかり考えていた。

●自転車店

 稼業は、自転車屋だった。
「自転車屋」というと、どこか嘲笑的な響きがある。
これは私自身の、多分に偏見によるものだが、私はいつもそう感じていた。

が、大正時代の昔には、花形商売だったらしい。
戦後まもなくまで、そうだった。
またそれなりに、儲かった。
祖父の道楽ぶりは、町でも有名だった。
「芸者を10人連れて、料亭ののれんをくぐった」というような話は、
よく聞いた。
祖父の自慢話のひとつにもなっていた。

 が、私が小学生のころには、すでに家計は火の車。
中学生になるころには、祖父も引退し、それがさらに拍車をかけた。
近くに大型店ができ、そこでも自転車を売るようになった。
何とかパンク張りで生計をたてていたが、それにも限界がある。

 店といっても、7~8坪もない。
そんな狭いところに、自転車を20~30台並べていた。
おまけに、そのうちの半分以上は、中古車だった。
「中古自転車の林」と、よく言われた。
 
 ……いろいろあった。
ということで、私は、自転車は好きだが、自転車屋という商売は好きではなかった。
商売そのものが、好きではなかった。
ウソと駆け引き。
その繰り返し。

美濃市という町は、商圏は名古屋市に属しながら、商習慣は、関西の影響を
強く受けていた。
「売り値」などというものは、あってないようなもの。
その場での客とのやり取りの中で、決まる。
こういった世界では、口のうまい人、うそが平気でつける人でないと、
務まらない。

 が、私が自転車屋という職業を嫌っていたのは、今から考えると、
母の影響だと思う。
母は、自転車屋という職業を、心底、軽蔑していた。
いつも、「ド汚ねえ(どぎたねえ)」と、嫌っていた。
「たいへん汚い仕事」という意味である。
手にほんの少し油がついただけで、母は、それが落ちるまで、何度も
何度も手を洗っていた。

 事実、母は、自転車屋の親父と結婚しながら、生涯にわたって、
ドライバーすら握ったことがない。
それについて、一度、私が母を揶揄(やゆ)したことがある。
すると、母は、こう言った。
「結婚のとき、おじいちゃん(=私の祖父)が、
女は店に立たなくていいと、言いんさったなも(=言ったから)」と。

 つまり父との結婚の条件として、店を手伝わなくていいと、
祖父が言ったという。
それを母は、かたくななまでに、守った。
守ったというより、それを口実に、店には立たなかった。

 そういう母を見ながら、私は私の心を作っていった。
私も自転車屋という職業を嫌うようになった。

●親絶対教

 今でこそ、こうして稼業や母の悪口を書けるようになった。
しかし当時の、私を取り巻く環境の中では、考えられなかった。
父は、親絶対教で知られる、「M教」という教団の熱心な信者だった。
宗教団体ではなかった。
正式には、「倫理団体」ということになっていた。
が、宗教団体的な性格も帯びていた。
宗教的儀式こそしなかったが、天照大神を「神」とたたえ、
天皇を絶対視していた。

 私の家でも、毎月のように、よく会合がもたれた。
その「M教」。
ここに書いたように、「親絶対教」。
私はいつしか、その教団を、そう呼ぶようになった。
「親(=先祖)は、絶対」と考える。

 いろいろな教義はあるが、核心を言えば、そういうこと。
父も母も、私が何かのことで口答えしただけで、私を叱った。
「親に向かって、何てことを言う!」と。
そしてそれと並行して、私は「産んでやった」「育ててやった」
という言葉を、それこそ耳にタコができるほど、聞かされた。

 そこである日、私は、キレた。
私が高校2年生のときのことだったと思う。
母に向かって、こう言って、怒鳴り返した。

「だれがいつ、お前に、産んでくれと頼んだア!」と。
それは私と母の決別を意味した。
私が決別したというよりは、今にして思えば、母のほうが
私を切り捨てた。

●高校時代

 高校は地元のM高校に入った。
トップの成績で、答辞を読んだ。
が、それからの3年間は、私にとっては、2度と戻りたくない時代となった。
とくに高校3年生のときには、笑顔の写真が一枚もないほど、
私には苦しい時代だった。

 ある秋の夕暮れ時のことだった。
補習の授業を受けながら、私はこう思った。
「こんな日々は、いつ終わるのか。
早く終わるなら、命の半分を捨ててもいい」と。
私は赤い太陽が、山の端に沈むのを、ぼんやりとながめていた。

 私には、友だちがいなかった。
みなも、私のことを、いやなヤツと思っていたにちがいない。
私には、それがよくわかっていた。

 だから今でも、こう思う。
神様か何かがいて、もう一度、私をあの時代に戻してやろうかと聞かれたら、
私は、まちがいなく、こう答える。
「いやだ!」と。

●デート

 暗い話がつづいたので、明るい話もしたい。 

 中学時代はコーラス部に属していた。
そのこともあって、私は高校に入ると、合唱クラブに入った。
もうひとつ、化学クラブにもはいっていたが、こちらのほうは、
受験勉強を兼ねたものだった。

 その合唱クラブで、浅野Sさんという女の子を知った。
一目ぼれだった。
スラッとした、本当に美しい人だった。
笑顔がすてきだった。
それに色が白く、声もきれいだった。
しかし自分の気持ちを伝えるのに、1年以上もかかった。
私は子どものころから、「女性」が苦手だった。
女性の心が理解できなかった。

 その浅野Sさんにしても、私は、便をしない人だと思っていた。
つまりそれくらい、私の女性に対する感覚は、常識をはずれていた。

 が、高校2年生になったころ、打ち明けた。
「好きです」と。
それがきっかけで、2、3度、デートすることができた。
が、この話は、どういうわけか、みなが知るところとなってしまった。
同時に、担任の教師の耳に入るところとなった。

 私は職員室の別室に呼び出された。
叱られた。
「受験生が、何をやっている!」と。

●いとこ

 私には、60数人もの、いとこがいる。
母方の伯父、伯母が、12人。
父方の叔父、叔母が、4人。
それで60数人。
正確に数えたことはないが、それくらいはいる。
親戚づきあいの濃厚な家系でもある。

 このことは、ずっとそのあとになって、ワイフの家系と比べてわかった。
私の家系がふつうなのか、それとも、ワイフの家系がふつうなのか。
(ふつう)という言い方には、いろいろと問題がある。
あるが、相対的にみて、私の生まれ育った家系は、少なくともワイフの
生まれ育った家系とくらべると、「異常」。
つまりそれくらい、大きな(差)はある。 

 だから当初、つまりワイフと結婚してから、私は
ワイフの親類とつきあうのに、かなり戸惑った。
私がもっている生来的な常識は、ことワイフの家系では通用しなかった。

 が、悪いことばかりではない。
多くのいとこに恵まれたおかげで、私はそれなりにバラエティ豊かな
親戚づきあいをすることができた。

相手の家に自由に入ることができる。
遠慮なく、ものを言ったり、食べたりすることができる。
何か失敗をしても、すべて父や母のせいにできた。
そういう点では、親戚というのは、気が楽だった。

 言い換えると、いくら親しくても、相手が他人では、
そこまではできない。

●モノづくり

 木工が好きになったのには、理由がある。
昔は、自転車というのは、問屋から、木の箱に入れられて送られてきた。
自転車屋は、それを組み立てて売る。
そのときの木箱、それが残る。
だから自転車屋の店先には、木の廃材が、どこも山のようになっていた。

 厚さは1センチほど。
幅は10センチほど。
長さはまちまち、だった。
私はその廃材を使って、いろいろなものを作って遊んだ。
夏休みの工作にと、組み立て式のボートまで作ったことがある。
小学5年生ごろのことだと思う。

 私はそんなこともあって、モノを作るのが好きだった。
ある時期は、プラモデルに、夢中になったこともある。
当時は、マルサンという会社が、小さな飛行機を売りに出していた。
たしか「マッチボックス・シリーズ」とかいう名前がついていた。
値段は、30円。
よく覚えている。
組み立てると、私は手それを手でもち、家の中を走り回った。

 今でも、モノを作るのは好きだが、そういう「私」が
相互にからみあいながら、今の「私」になっている。
40歳を過ぎたころ、山荘を建てようと思ったのも、
その結果ということになる。
私とワイフは、毎週、現地へ出かけ、ユンボを操縦して、
土地の造成をした。
そのために、6年という年月を費やした。

●卒業

 私は何とか、高校を卒業した。
今で言うなら、いつ不登校児になってもおかしくない状態だった。
しかし不登校を許してくれるような、家庭環境でもなかった。
いくら学校がつらくても、家よりは、ましだった。
……というより、私には逃げ場がなかった。
学校からも、家からも追い詰められた。

 今、覚えているのは、ときに学校に向う自分の足が、鉄のように
重く感じたことがあるということ。
本当に、鉄のように感じた。
その足を引きずりながら、歩いた。

 だから「何とか卒業した」ということになる。
この言葉に偽りはない。

 このつづきは、また別の機会に書いてみたい。
(2010年3月2日記)

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2010年3月28日日曜日

*Moral Education

●もしあのとき……(子どもの道徳教育について)

++++++++++++++++++++

子どもに道徳を教えることはできるのか。
現在、教育の世界では、「子どもに論語を」という
声が高まりつつある。
しかしどうして今、論語なのか。
またそれでもって、そうして道徳教育なのか。

論語についてはたびたび書いてきたので、
ここでは「道徳とは何か」について、
その基本的な部分を書いてみたい。
ひとつの例として、たまたま今夜、ワイフと
あの阪神・淡路大震災が話題になったので、
そのあたりから、書き出してみる。
少し回りくどいエッセーになると思うが、
許してほしい。

++++++++++++++++++++

●阪神・淡路大震災

1995年1月17日、午前5時46分、
あの「阪神・淡路大地震」が起きた。
死者6400人あまり。
負傷者4万4000人弱の、大惨事となった。

一説によると、自衛隊がもっと早く出動
していれば、これほどの大惨事にはならなかった
とも言われている。
というより、実際には、法整備の不備もあり、
自衛隊は、出動できなかった。

(一部の、近くの自衛隊は、「近傍派遣」という
ことで、地震直後に、活動を開始している。
他の部隊は、知事の要請を待ちながら、待機
状態にあったという。
現在は、知事レベルだけではなく、市町村長または、
警察署長などからも要請が行えるようになっている。)

加えていくつかの連絡ミスが重なった。
当時の兵庫県知事のK氏は、「情報が正しく伝えられ
てこなかった」というようなことを、あとになって
述べている。

結局、自衛隊の派遣要請は、4時間後になされた。
それも偶然電話がつながった、兵庫県消防交通安全課
課長補佐(当時)の機転によるものだったという。
(以上参考、ウィキペディア百科事典)

●道徳論

 ここであの大地震について書くつもりはない。
しかしもし、あのとき、私が所轄地域の自衛隊司令官だったら、どうしただろうか。
私でなく、あなたでもよい。
当時は、知事の要請がなければ、自衛隊は、救援活動に出動できなかった(自衛隊法第83条1項)。

【想定】
(1)あなたは、自衛隊の司令官である。
(2)ある地域で大地震が起き、かなりの被害が出ているという内部報告を受けた。
(3)ただちに出動したいが、知事とは連絡が取れない。
(4)首相と連絡を取ろうとしたが、それも取れない。
(5)ジリジリと時間だけが過ぎていく。
(6)被害の模様は刻一刻と、テレビなどで報道されている。

 こういうとき、あなただったら、どうするだろうか。

●エスの人vs超自我の人(フロイト)

 ここでいくつかの意見に分かれる。
まず頭に浮かんだのが、フロイト。
フロイトの「パーソナリティ論」。

(1)法律は法律だから、いくら大惨事であっても、司令官は法を守るべき。
(2)国家的な大惨事だから、自衛隊は独自の判断で行動すべき。
ほかにもいろいろな意見が考えられる。

 以前、「エスの人vs超自我の人」というタイトルで、こんな原稿を書いたことがある。
人間の「パーソナリティ」を考える、ひとつの見方について書いてみた。
少し話が脱線するが、許してほしい。

+++++++++++++++++

●ショッピングセンターのカート

 たとえばショッピングセンター。1人の女性が、カートに荷物を載せて自分の車のところにやってきた。そして荷物を、車に載せ終わると、カートを、駐車場の壁に押しつけるようにして、そこに残した。残したまま、自分の車で、立ち去った。

 本来なら、カートは、カート置き場に戻さなければならない。またそんなところにカートを置いたら、つぎに駐車した人が困るはず。

 そういう情景を見たりすると、私は、ふと、こう思う。「こういう女性なら、チャンスがあれば、浮気でも不倫でも、何でもするだろうな」と。
理由がある。

 人間の脳みそというのは、それほど器用にはできていない。『一事が万事』と考えてよい。AならAという場面では、小ズルく振る舞い、BならBという場面では、誠実に振る舞うということはできない。小ズルイ人は、万事に小ズルく、誠実な人は、万事に誠実である。

 つまりショッピングセンターのカートを、そのように平気で、そのあたりに置くことができる人というのは、そのレベルの人と考えてよい。フロイトという学者は、そのレベルに応じて、「自我の人」「超自我の人」「エスの人」と、人を分けて考えたが、超自我の人は、どこまでいっても超自我の人であり、エスの人は、どこまでいっても、エスの人である。

●エスの人

 フロイトは、人格、つまりその人のパーソナリティを、(1)自我の人、(2)超自我の人、(3)エスの人に分けた。

 たとえば(1)自我の人は、つぎのように行動する。

 目の前に裸の美しい女性がいる。まんざらあなたのことを、嫌いでもなさそうだ。あなたとのセックスを求めている。一夜の浮気なら、妻にバレることもないだろう。男にとっては、セックスは、まさに排泄行為。トイレで小便を排出するのと同じ。あなたは、そう割り切って、その場を楽しむ。その女性と、セックスをする。

 これに対して(2)超自我の人は、つぎのように考えて行動する。

 いくら妻にバレなくても、心で妻を裏切ることになる。それにそうした行為は、自分の人生をけがすことになる。性欲はじゅうぶんあり、その女性とセックスをしたい気持ちもないわけではない。しかしその場を、自分の信念に従って、立ち去る。

 また(3)エスの人は、つぎのように行動する。

 妻の存在など、頭にない。バレたときは、バレたとき。気にしない。平気。今までも、何度か浮気をしている。妻にバレたこともある。「チャンスがあれば、したいことをするのが男」と考えて、その女性とのセックスを楽しむ。あとで後悔することは、ない。

●一事が万事

 これら三つの要素は、それぞれ一人の人の中に、ある程度のハバをもって、同居する。完全に超自我の人はいない。いつもいつもエスの人もいない。しかしそのハバが、ちがう。超自我の人でも、ハメをはずことはあっても、その範囲で、ハメをはずす。しかしエスの人は、いくらがんばっても、超自我の状態を長くつづけることはできない。

 だから「超自我の人」「エスの人」と断定的に区別するのではなく、「超自我の強い人」「エスの強い人」と区別するのが正しい。

 それはともかくも、これについて、京都府にお住まいの、Fさんから、こんな質問をもらった。

 Fさんには、10歳年上の兄がいるのだが、その兄の行動が、だらしなくて困るという。

 「今年、40歳になるのですが、たとえばお歳暮などでもらったものでも、無断であけて食べてしまうのです。先日は、私の夫が、同窓会用に用意した洋酒を、フタをあけて飲んでしまいました」と。

 その兄は、独身。Fさん夫婦と同居しているという。Fさんは、「うちの兄は、していいことと悪いことの判断ができません」と書いていた。すべての面において、享楽的で、衝動的。その場だけを楽しめばよいといったふうだという。仕事も定食につかず、アルバイト人生を送っているという。

●原因は幼児期

 そのFさんの兄に、フロイトの理論を当てはめれば、Fさんの兄は、まさに「エスの人」ということになる。乳幼児期から少年期にかけて、子どもは自我を確立するが、その自我の確立が遅れた人とみてよい。親の溺愛、過干渉、過関心などが、その原因と考えてよい。もう少し専門的には、精神の内面化が遅れた。

 こうしたパーソナリティは、あくまでも本人の問題。本人がそれをどう自覚するかに、かかっている。つまり自分のだらしなさに自分で気づいて、それを自分でコントロールするしかない。外の人たちがとやかく言っても、ほとんど、効果がない。とくに成人した人にとっては、そうだ。

 だからといって、超自我の人が、よいというわけではない。日本語では、このタイプの人を、「カタブツ人間」という。

 超自我が強すぎると、社会に対する適応性がなくなってしまうこともある。だから、大切なのは、バランスの問題。ときには、ハメをはずしてバカ騒ぎをすることもある。冗談も言いあう。しかし守るべき道徳や倫理は守る。

 そういうバランスをたくみに操りながら、自分をコントロールしていく。残念ながら、Fさんの相談には、私としては、答えようがない。「手遅れ」という言い方は失礼かもしれないが、私には、どうしてよいか、わからない。

●話を戻して……

 自分の中の(超自我)(エス)を知るためには、こんなテストをしてみればよい。

(1) 横断歩道でも、左右に車がいなければ、赤信号でも、平気で渡る。
(2) 駐車場に駐車する場所がないときは、駐車場以外でも平気で駐車できる。
(3) 電車のシルバーシートなど、あいていれば、平気で座ることができる。
(4) ゴミ、空き缶など、そのあたりに、平気で捨てることができる。
(5) サイフなど、拾ったとき、そのまま自分のものにすることができる。

 (1)~(5)までのようなことが、日常的に平気でできる人というのは、フロイトがいうところの「エスの強い人」と考えてよい。倫理観、道徳観、そのものが、すでに崩れている人とみる。つまりそういう人に、正義を求めても、無駄(むだ)。仮にその人が、あなたの夫か、妻なら、そもそも(信頼関係)など、求めても無駄ということになる。もしそれがあなたなら、あなたがこれから進むべき道は、険(けわ)しく、遠い。

 反対に、そうでなければ、そうでない。

++++++++++++++++++++

話を戻す。
「県知事の派遣要請があるまで待つ」のがよいのか、それとも、
「県知事の派遣要請を無視して、出動する」のがよいのか。
あなたなら、どうするだろうか。

が、フロイトのパーソナリティ論だけでは、判断できない。
「派遣要請がないから待つ」というのは、どこかカタブツ的。
だからといって、超自我の人、つまり人格が高邁とは、言えない。

反対に「派遣要請がなくても出動する」からといって、その人がエスの人、つまり欲望に支配された人とは私は思わない。
この問題を考えるときは、もうひとつ別の尺度が必要ではないか。

そこでコールバーグ。

++++++++++++++++++++

●コールバーグの道徳論

 コールバーグもフロイトの影響を強く受けた人と考えてよい。
(心理学者で、影響を受けなかった人はいないが……。)
で、話を戻す。
こうした問題、つまり「人間としての選択」の問題を考えるときに、まっさきに思い浮かぶのが、コールバーグということになる。
彼の「道徳論」については、たびたび取り上げてきた。

 選択の仕方によって、コールバーグは、

(1)結果主義者(賞罰によって、判断する。)
(2)相対主義者(そのつど相手の立場で考える。)
(3)動機主義者(動機のよしあしで決める。)
(4)社会秩序派(社会秩序を重んじる。)
(5)超法律主義者(法よりも、正義を重んじる。)
(6)普遍的価値派(普遍的な価値を基準にしてものを考える。)
の6段階に分けた。
(参考:無藤隆著、「心理学とは何だろうか」)

 大震災を前にしたあなたの判断を、この6段階に当てはめてみる。

(1)結果主義者(あとで罰せられるから、出動しない。)
(2)相対主義者(直接的な自分への被害でないから、様子を見て判断する。)
(3)動機主義者(自衛隊は、国防のためのもの。災害救助は、消防庁がすべき。)
(4)社会秩序派(知事もしくは首相の判断に任せる。)
(5)超法律主義者(知事からの要請がなくても、出動する。)
(6)普遍的価値派(人を救うという観点から出動する。責任はすべて自分で取る。)

 かなり荒っぽく当てはめてみたから、細部では無理があるかもしれない。
しかしコールバーグは、(1)いかに公正であるか、(2)いかに自分を超えたものであるか、その2点で、その人の道徳的な完成度を計る目安にしている。
それによれば、少なくとも(1)よりは、(6)のように判断した人のほうが、道徳的な完成度が高いということになる。

●私なら……

 さてあなたの判断は、どうだっただろうか。
「ケースバイケースで考える」という人もいるかもしれない。
あるいは「あのときは、あれでしかたなかった」と考える人もいるかもしれない。
「連絡不通」という、いくつかの不運が重なった。

 で、私はこう考える。

 ……といっても、それをここに書いても意味はない。
(あなたは(あなた)。
(私)は(私)。

 ただ今でもときどきワイフと、この問題が会話のテーマになることがある。
今夜もそうだった。
「お前ならどうする?」「あなたならどうする?」と。

 私のばあいは、かなりふつうの人とは、ちがった生き方をしてきた。
そのため、法を守ることは重要と考えるが、必要であれば、法を破ることも、これまた許されると考える。
また破ったところで、ほとんど罪悪感はない。
それで責任を取らされて、司令官をクビになったところで、一向にかまわない。
地位や肩書きには、ほとんど興味がない。
ないから、一向にかまわない。
が、ここにも書いたように、これは私が、かなりふつうの人とは、ちがった生き方をしてきたことによる。
つまりこうした問題には、その人の生き様が集約される。

 たぶん自衛隊員として長年、そういう職業をしてきた人なら、私とはちがった考え方をするだろう。
またしたところで、その司令官を責めることはできない。
「知事からの出動要請がないから、待機する」と、がんばるかもしれない。

++++++++++++++++++

どうもよくわからない。
今夜は、思考がうまくまとまらない。
道徳とは何か?
頭の中で同じテーマがクルクルと回ってしまう。

そこで「善と悪」。
それについて書いてみたいが、しかいこのテーマも、
それこそ腐るほど、書いてきた。

その中の1つを、再掲載してみる。

++++++++++++++++++

善と悪

●神の右手と左手
 
昔から、だれが言い出したのかは知らないが、善と悪は、神の右手と左手であるという。善があるから悪がある。悪があるから善がある。どちらか一方だけでは、存在しえないということらしい。

 そこで善と悪について調べてみると、これまた昔から、多くの人がそれについて書いているのがわかる。よく知られているのが、ニーチェの、つぎの言葉である。

 『善とは、意思を高揚するすべてのもの。悪とは、弱さから生ずるすべてのもの』(「反キリスト」)

 要するに、自分を高めようとするものすべてが、善であり、自分の弱さから生ずるものすべてが、悪であるというわけである。

●悪と戦う

 私などは、もともと精神的にボロボロの人間だから、いつ悪人になってもおかしくない。それを必死でこらえ、自分自身を抑えこんでいる。

トルストイが、「善をなすには、努力が必要。しかし悪を抑制するには、さらにいっそうの努力が必要」(『読書の輪』)と書いた理由が、よくわかる。もっと言えば、善人のフリをするのは簡単だが、しかし悪人であることをやめようとするのは、至難のワザということになる。もともと善と悪は、対等ではない。しかしこのことは、子どもの道徳を考える上で、たいへん重要な意味をもつ。

 子どもに、「~~しなさい」と、よい行いを教えるのは簡単だ。「道路のゴミを拾いなさい」「クツを並べなさい」「あいさつをしなさい」と。しかしそれは本来の道徳ではない。人が見ているとか、見ていないとかということには関係なく、その人個人が、いかにして自分の中の邪悪さと戦うか。その「力」となる自己規範を、道徳という。

 たとえばどこか会館の通路に、1000円札が落ちていたとする。そのとき、まわりにはだれもいない。拾って、自分のものにしてしまおうと思えば、それもできる。そういうとき、自分の中の邪悪さと、どうやって戦うか。それが問題なのだ。またその戦う力こそが道徳なのだ。

●近づかない、相手にしない、無視する

 が、私には、その力がない。ないことはないが、弱い。だから私のばあい、つぎのように自分の行動パターンを決めている。

たとえば日常的なささいなことについては、「考えるだけムダ」とか、「時間のムダ」と思い、できるだけ神経を使わないようにしている。社会には、無数のルールがある。そういったルールには、ほとんど神経を使わない。すなおにそれに従う。駐車場では、駐車場所に車をとめる。駐車場所があいてないときは、あくまで待つ。交差点へきたら、信号を守る。黄色になったら、止まり、青になったら、動き出す。何でもないことかもしれないが、そういうとき、いちいち、あれこれ神経を使わない。もともと考えなければならないような問題ではない。

 あるいは、身の回りに潜む、邪悪さについては、近づかない。相手にしない。無視する。ときとして、こちらが望まなくても、相手がからんでくるときがある。そういうときでも、結局は、近づかない。相手にしない。無視するという方法で、対処する。それは自分の時間を大切にするという意味で、重要なことである。考えるエネルギーにしても、決して無限にあるわけではない。かぎりがある。そこでどうせそのエネルギーを使うなら、もっと前向きなことで使いたい。だから、近づかない。相手にしない。無視する。

 こうした方法をとるからといって、しかし、私が「(自分の)意思を高揚させた」(ニーチェ)ことにはならない。これはいわば、「逃げ」の手法。つまり私は自分の弱さを知り、それから逃げているだけにすぎない。本来の弱点が克服されたのでも、また自分が強くなったのでもない。そこで改めて考えてみる。はたして私には、邪悪と戦う「力」はあるのか。あるいはまたその「力」を得るには、どうすればよいのか。子どもたちの世界に、その謎(なぞ)を解くカギがあるように思う。

●子どもの世界

 子どもによって、自己規範がしっかりしている子どもと、そうでない子どもがいる。ここに書いたが、よいことをするからよい子ども(善人)というわけではない。たとえば子どものばあい、悪への誘惑を、におわしてみると、それがわかる。印象に残っている女の子(小三)に、こんな子どもがいた。

 ある日、バス停でバスを待っていると、その子どもがいた。私の教え子である。そこで私が、「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけると、その子どもはこう言った。「いいです。私、これから家に帰って夕食を食べますから」と。「ジュースを飲んだら、夕食が食べられない」とも言った。

 この女の子のばあい、何が、その子どもの自己規範となったかである。生まれつきのものだろうか。ノー! 教育だろうか。ノー! しつけだろうか。ノー! それとも頭がかたいからだろうか。ノー! では、何か?

●考える力

 そこで登場するのが、「自ら考える力」である。その女の子は、私が「缶ジュースを買ってあげようか」と声をかけたとき、自分であれこれ考えた。考えて、それらを総合的に判断して、「飲んではだめ」という結論を出した。それは「意思の力」と考えるかもしれないが、こうしたケースでは、意思の力だけでは、説明がつかない。「飲みたい」という意思ならわかるが、「飲みたくない」とか、「飲んだらだめ」という意思は、そのときはなかったはずである。あるとすれば、自分の判断に従って行動しようとする意思ということになる。

 となると、邪悪と戦う「力」というのは、「自ら考える力」ということになる。この「自ら考える力」こそが、人間を善なる方向に導く力ということになる。釈迦も『精進』という言葉を使って、それを説明した。言いかえると、自ら考える力のな人は、そもそも善人にはなりえない。よく誤解されるが、よいことをするから善人というわけではない。悪いことをしないから善人というわけでもない。人は、自分の中に潜む邪悪と戦ってこそはじめて、善人になれる。

 が、ここで「考える力」といっても、二つに分かれることがわかる。

一つは、「考え」そのものを、だれかに注入してもらう方法。それが宗教であり、倫理ということになる。子どものばあい、しつけも、それに含まれる。

もう一つは、自分で考えるという方法。前者は、いわば、手っ取り早く、考える人間になる方法。一方、後者は、それなりにいつも苦痛がともなう方法、ということになる。どちらを選ぶかは、その人自身の問題ということになるが、実は、ここに「生きる」という問題がからんでくる。それについては、また別のところで書くとして、こうして考えていくと、人間が人間であるのは、その「考える力」があるからということになる。

 とくに私のように、もともとボロボロの人間は、いつも考えるしかない。それで正しく行動できるというわけではないが、もし考えなかったら、無軌道のまま暴走し、自分でも収拾できなくなってしまうだろう。もっと言えば、私がたまたま悪人にならなかったのは、その考える力、あるいは考えるという習慣があったからにほかならない。つまり「考える力」こそが、善と悪を分ける、「神の力」ということになる。

++++++++++++++++++

フ~~ン、まだよくわからない。
道徳、つまりそれぞれの人がもつ倫理規範とは、
何なのか。
またそれは教育になじむものなのか。

++++++++++++++++++

●道徳論

 こうして考えてみると、「道徳」というのも、つまるところその人の日々の生活の中で、作られていくものということがわかる。
つまり明らかに個性をもっている。
それぞれによって、基準も異なる。
(絶対的に正しい)とか、(絶対的にまちがっている)とか、そういうふうに決めつけて考えることはできない。
またそういうものではない。

 で、コールバーグは、(1)いかに公正であるか、(2)いかに自分を超えたものであるかによって、道徳の完成度をみるが、それとて相対的な見方にすぎない。
だから子どもに道徳を教えるとしても、「正解・不正解」という判断は、基本的な部分で、おかしいということになる。
それぞれがそれぞれの道徳観をもち、それぞれの考え方をする。

 もし(教える)ということになれば、より、公正な見方、より普遍的な見方を、子どもに示していくことでしかない。
教えて教えられるものではない。
いわんや(きれいごと)だけを並べる子どもを育てるためでもない。
もちろん「善」を教えたからといって、その子どもが善人になるわけではない。

●道徳教育

 これが私の結論ということではないが、こと教育ということになれば、私は道徳教育は不要ということになる。
道徳教育によって(教えられる部分)よりも、道徳教育によって(人間性が統制される部分)のほうが大きいばあいには、なおさらである。
たとえば戦前には、「修身」という科目があった。
明鏡国語辞典には、こうある。

「(1)身をおさめて正しい行いをするように努めること。
(2)旧学制下の小・中学校で、教育勅語をよりどころに道徳教育を授けた教科名。
◇昭和20(1945)年廃止。現在の「道徳」に当たる」と。

 そういう危険な側面もある。

 と、同時に、「道徳」というのは、先にも書いたように、「個性」がある。
一元的な道徳を押しつけることによって、その個性をつぶしてしまうことにもなりかねない。

 どうもうまく原稿をまとめられない。
このつづきは、また明日にでも考えてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 道徳 道徳教育 コールバーグ エスの人 超自我の人 道徳の完成論 道徳完成度 はやし浩司 道徳の完成度 修身 教育勅語 倫理規範)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

2010年3月27日土曜日

*Everything is Nothing

●「Nothing(無)」論

++++++++++++++++++

今朝、パソコンを開くと、TK先生から
メールが届いていた。
先生について書いたときには、かならず、
その原稿を、先生に届けるようにしている。
これは暗黙の、つまり紳士協定のような
もの。
で、TK先生からの、その返事。

++++++++++++++++++++++++++++

林様: 大変に長い文書をよく書けますね。何か分かったような分からないような
nothing の問題について。それだけでも感心しています。

毎日英国のケンブリッジのSir John Thomas さんが書いてくれるという私の話はと
ても楽しみになっている一方で、Berlin の Haber Institute の創立百年祭が来年に
大きくあるというのでH子も一緒に行こうよと言ってくれていますが。亡父が創立時
の研究職員に抜擢されているだけに、向こうでも今更ながら私を大事に注目していま
すので、思いがけない親孝行でした。当時新設でも世界一の研究所でしたから。アイ
ンシュタインの他ノーベル賞が幾人もいましたし。昔の輝かしい歴史を大幅に宣伝す
るらしいです。「空気からパンを作って」人類の危機を救ったハーバーの偉業に亡父
が大変に貢献したというので。 私のホームページにあるハ―バーの話を書いてくれ
という依頼も国内できています。もう消えていい時期なのですが。長生きしていると
思いがけないことがあります。貴方も貴重な人生ですからくれぐれもご自愛の上お
元気に過ごして下さい。素晴らしい奥さんによろしく。

TK

++++++++++++++++++++++++++++++

●科学vs哲学

 科学は「命」を救い、哲学は「魂」を救う。
科学と哲学のちがいを一言で言えば、そういうことになる。
が、どちらが優位性をもつかと言えば、当然、哲学ということになる。
(たぶん、TK先生は、猛反発するだろうが……。)

 人間は、そしてあらゆる動物は、科学なしで、数億年という長い年月を生き延びてきた。
哲学という「形」があったわけではないが、(生きるための常識)が、生命を支えた。
鳥は水にもぐらない。
魚は陸にあがらない。
そんなことをすれば、死んでしまうことを、知っていたからだ。

哲学は、その(生きるための常識)が、昇華したもの。
言い替えると、人間は、そしてあらゆる動物は、科学なしでも生きていかれる。
しかし哲学なしでは、生きていかれない。
が、相互に補完関係がないわけではない。

 哲学のない科学は、ときに人間の生存に脅威をもたらす。
原子爆弾や化学兵器にその例をみる。
一方、科学性のない哲学は、ときとして、人間を誤った方向に導く。
狂信的なカルト教団にその例をみる。

●「だからどうなの?」

 私たちは、常に、「だからどうなの?」を問いかけながら、生きる。
それが哲学ということになる。

 一方、科学は、「なぜ?」を繰り返す。
あのアインシュタインも、「問いつづけることが重要」と書き残している。
が、そこに落とし穴がある。
TK先生もいつか言っていたが、そのためどうしても視野が狭くなる。
「中には、こんな研究をして、何になるのかと思われるようなのもある」と。
ひとつの例として、中国南部の民族楽器の研究をあげてくれた。
ときとして科学者は、細分の、そのまた細分化された世界で、自分の立場を権威づけようとする。

 つまり視野が狭くなる分だけ、外の世界が見えなくなる。
先生が書いた、ハーバー博士にしても、空中窒素固定法で、「空気からパン」を作った。
が、その一方で、第一次大戦中は、毒ガスの研究にも手を染め、毒ガス戦の一線に立ってしまった。
もしそのときハーバーが、「だからどうなの?」と一言でも、自分に問いかけていたら、毒ガスの研究には、手を染めなかっただろう。

 やがてハーバーは、ユダヤ人であることにより、ドイツを追われる。
しかしアウシュビッツで使用されたチクロンBは、そのハーバーによって開発されたものである。

●「Nothing」論

 仏教でも、「一切皆空」(後述)を、その根本理念としている。
それから約2000年を経て、実存主義を私たちに教えた、あのサルトルも、最後は「無の概念」という言葉を使って、「無」を説いた。

 TK先生が言う、「Nothing」というのは、「ナンセンス」という意味である。
つまり私を痛烈に批判している。
一読すると、私をほめているようにも見えるが、本当は、心底、私をバカにしている。
が、ちょっと待ってほしい。
私には、そういうTK先生が、ありがたい。
今の私に、そこまで面と向かってものを言ってくれる人は、いない。
言われた私は、何も怒っていない。
こういう言い方を、たがいにしあいながら、すでに40年になる。
(40年だぞ!)

 反対にTK先生の周囲には、私のように、TK先生を批判する人はいない。
……できない。
だからこのところ、TK先生を、いつも怒らせてばかりいる。

 話を戻す。

 この「Nothing」という言葉だが、むしろそこに、真理のすべてが凝縮されている。
「だからどうしたの?」と問いつづけると、そのいきつくところが、「Nothing」ということになる。
私が言っているのではない。
あの老荘思想に始まり、西田幾多郎へとつづく。
西田幾多郎は、東洋的な無の概念から、「絶対無」という言葉を使って、「無」を論理化、体系化させている。

●死の克服

 人は裸で生まれて、裸で生きて、そして裸で死ぬ。
その間のプロセスは、「無」。
いかに無であるかによって、魂の解放が完成される。
あのサルトルも、「死は不条理なり」という言葉を、一度は、使った。
「自由刑」という言葉も使った。
そして「いくらがんばっても、死がある以上、人間には真の自由はない」と、一度は、説いた。
(このあたりは、学生時代に学んだ記憶なので、不正確。)

 しかし最後は、「無の概念」という言葉を使って、サルトルは、死を克服する。
私には、それが何であるか、今のところまだよくわからない。
あえて言えば、仏教的な「空」の概念に通ずるものではないか。
「一切皆空」……「色即是空(しきそくぜくう)」ともいう。
仏教では、すべてのもの、それは自己、他者、万物を問わず、すべてのものは、実体のない空であると説く。

 私たちがなぜ「死」を恐れるかと言えば、そこに「私」があるからである。
私の財産、私の家族、私の名誉、私の地位などなど。
しかしその「私」から、「私」を取り去ってしまう。
残るのは、「裸の私」ということになる。
が、こうなってしまうと、もうこわいものはない。
失うものがないのだから、何も恐れる必要はない。
あとはただひたすら、自分を燃焼させて生きていく。
(その日)が来たら、「ああそうですか」と言って、この世を去っていけばよい。
それが結局は、「真の自由」ということになる。

 久々に、「Nothing」について考えてみた。
このつづきは、またの機会にしたい。
今朝は、昼からの仕事の説明会の準備をしなければならない。
私とTK先生の、おおきなちがいは、ここにある。

 ともかくも、私は死ぬまで、「札」という金銭を稼がねばならない。
がんばろう!
がんばります!

2010年3月27日

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 無 無の概念 一切皆苦 色即是空 西田幾多郎 絶対無 はやし浩司 Nothing)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩

2010年3月26日金曜日

*"Nine" *What is Me?

● 映画『NINE』

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昨夜遅く、映画『NINE』を劇場で
観てきた。
ほかに観たい映画がなかった。
しかたないので、『NINE』にした。
(失礼!)
もう少し若いころなら、「おとなっぽい映画
だな」と思ったかもしれない。
しかし今は、ちがう。
映画の観方が変わった。
いうなれば、「ドーパミン映画」。
そんな映画だった。

快楽追求行動を調整している神経伝達物質※がある。
それがドーパミン。
視床下部からの指令を受けて、その
ホルモンが分泌される。
そのドーパミン漬けのような映画。
タバコと酒、それに踊りと音楽。
どこか薄汚く、どこか退廃的。
「おとなの映画というのは、こういうもの」
という、監督の意図、見え見え。
それで星は2つの、★★。

若い人なら、監督の隠された意図を
見抜けないかもしれない。
「これぞ、おとなの映画」と賞賛する
かもしれない。
が、私にはできない。
それには、もうひとつ理由がある。

私は50歳を少し過ぎたころ、「男の
更年期?」なるものを経験した。
そのときのこと。
私は性欲からの解放を味わった。
それは実に軽快な気分だった。
と、同時に、それまでの私が、いかに
「性的エネルギー」(フロイト)の奴隷で
あったかを知った。

もろもろの人間の活動は、どこかでその
性的エネルギーの指令を受けている。
男は女を意識し、女は男を意識する。
つまりそういう意識から解放された。

幸か不幸か(?)、そのあとしばらくして、
再び私の中に「男」が戻ってきた。
女性が再び、「女」に見えてきた。
が、それでも、元に戻ったわけではない。
60歳を過ぎた今は、「男」も、ぐんと
薄くなってきた。
それが自分でもよくわかる。

そういう現在の「私」から見ると、ドーパミン
というホルモンが、どういうものか、よくわかる。
それに操られた人間が、どういうものか、
よくわかる。

映画『NINE』は、そういう映画だった。
中身があるようで、まったく、ない。
ウソとインチキとゴマカシ。
人生を知り尽くしたようなセリフ。
「これが人生」と言わんばかりの高飛車なセリフ。
それをあえて、けばけばしい音楽と踊りで飾る。
私はああいう世界が、あるべき(おとなの世界)とは
思わない。
あるべき(おとなの世界)というのは、
どこかに童心を残した、純粋な世界をいう。
またそういう世界を恥じることはない。
パブロ・ピカソの絵画を例にあげるまでもない。

あのピカソも若いころは、精一杯、背伸びした
ような絵を描いていた。
が、晩年のピカソは、幼児の描くような絵に
戻っている。
残念ながら、ピカソの絵画が幼児の描く絵より
すぐれていると言っているのではない。
ピカソの絵画よりすぐれた絵を描く子どもは、
いくらでもいる。
が、そういう子どもでも、やがて俗化し、
薄汚いおとなの世界に、紛れ込んでいく。
子どものころの純粋さを見失っていく。
その結果が、映画『NINE』ということになる。

二度目は、ぜったいに見たくない映画。
いくら「賞」で飾っても、一度でこりごり。
途中で眠くなったほど。

(注※)
ドーパミン……快楽追求行動を調整している神経伝達物質
条件づけ反応……報酬と喜びに関連する脳の刺激に対する反応。これによって
       条件づけ反応が生じ、その環境に身を置いただけで、反応が起こる
       ようになる(以上、日経「サイエンス」07-12、p54) 

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●The Howie Brothers(ホウイ兄弟)

今朝起きてすぐ、「The Howie Brothers」のことを書いた。
オーストラリアの音楽家である。
大学の同窓生でもある。
1970年のときの写真と、2010年の写真を並べて、BLOGに掲載した。
その2つの写真を見比べなら、こう思った。

 たいていの人は、(私のワイフもそうだが)、現在の写真を見て、「こんな人たちにも、若いときがあった」と思う。
この見方は、まちがってはいない。
しかし空白の40年を縮めてみると、見方が逆になる。
「こんな青年にも、やがてくる老年期があった」と。

 もちろん青年期には、それはわからない。
老齢期という未来は、まだ存在しない未知の世界。
しかし実際には、どんな青年にも、すでに老齢期はある。
あって、どこかに潜んでいる。

 このことは、幼児たちを見ているとわかる。
年中児(4歳児)から、高校3年生まで。
そういった子どもを毎年繰り返し見ていると、やがて幼児を見ただけで、その子どもがそのあとどうなっていくか、おおかたの輪郭がわかるようになる。
幼児の中に、中学生になったときの様子、高校生になったときの様子がわかるようになる。
同じように・・・というわけでもないが、1970年のホウイ兄弟の写真を見ていると、見た目には青年かもしれないが、その中に、現在のホウイ兄弟を見てしまう。

 どちらが先で、どちらが後ということではない。
その人たちの中で、人生がひとかたまりになっている。
だから私は、1970年の写真を見ながら、こう思う。

「この人たちにも、今のような老齢期があったのだ」と。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●春休み

 私にも春休みがある。
10日間ほどある。
いろいろ計画している。
が、こうした計画というのは、浅瀬にわく、泡のようなもの。
ポッポッと現れては、その一方で、ポッポッと消えていく。
若いころなら、「本を1冊、書いてやる」などと思ったもの。
しかし今の私は、「本を書くこと」には、まったく興味がない。
書いたものを本にしたいという意欲さえ、わいてこない。
今は、インターネットの時代。
これからはインターネットの時代。

 ひとつの例だが、10年ほど前までは、パソコン関連のソフトが、たくさん店に並んでいた。
ゲームソフトはもちろん、画像編集ソフト、ビデオ編集ソフト、宛名書きソフト、家計簿ソフトなどなど。
20年前には、もっとたくさんあった。
しかし今は、そのほとんどが、無料ソフトに置き換わった。
画像加工ソフトにしても、無料加工ソフトのほうが、内容が濃い。
使い勝手もよい。

 同じように、(情報)にしても、少し前までは、「安かろう、悪かろう」という思いが、まだ残っていた。
ニュースにしてもそうだ。
今ではインターネットで配信される(情報)のほうが、はるかに質が高い。
(もちろん低いものもあるが・・・。しかしこれは選択の問題。)
何よりも瞬時、瞬時・・・というところがすごい。
朝に記事を配信すれば、昼を待たずして、反応が入ってくる。
(実際には、BLOGに書き込むと同時に、検索されるようになる。)

 どうしてこういう時代に、「本」なのか?
収入にはならないかもしれないが、私には、そのほうが楽しい。
つまりインターネットを利用して、好き勝手なことを書いているほうが、楽しい。
ということで、新年度からの新しい企画に挑戦したい。
(2009-2010年度は、「BW公開教室」に力を入れた。)


●同性愛

++++++++++++++++++

数日前、浜松市の男性教師が、児童買春で
逮捕された。
東京で、逮捕された。
相手は女の子かと思ったが、男の子だった。
つまりその教師は、同性愛者であった。
別の同性愛者に段取りをつけてもらい、
東京まで出かけていって、売春行為を
していたらしい。

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●「濃い男」

 「濃い男」「薄い男」という言葉は、私が最初に考えた。
今では広く、あちこちで使われている。
「肉食系」「草食系」と同じような意味で使われているが、私が使い
はじめたときには、すこし違った。
まったく女性にしか興味を示さない男を、「濃い男」という。
同性でもか構わないという男を、「薄い男」という。
私は、その中でも、「たいへん濃い男」。
同性の男に、肌をさわれただけで、ゾッとする。
一方、女性なら、だれでも構わない。
歯医者などに行って、女性の看護士に肌をさわられただけで、うっとりする。

 だから、こういうニュースを聞くたびに、「ヘエ~~?」と思ってしまう。
そんなに同性に興味があるなら、温泉か、大浴場へ行けばよい、と。
(あるいはそういうところは、飽きてしまったのか?)

●同性愛

 同性愛がどうこう言うのではない。
好ましくないとか、そういうことを言っているのでもない。
そういうことを言うと、今では「偏見」と考えられ、評論すること自体、許されない。
(今まで、一度もしたことはないが・・・。)
しかし「東京まで行って・・・」というところに、私は別の何かを感じてしまう。
当人も何かしらの(うしろめたさ)を感じていたのだろう。

 それについてワイフは、「地元じゃあ、バレるからじゃない」と。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
年齢は53歳というから、あちこちの学校で教壇に立っていたはず。
現在の学校に移る前は、市内のN中学校で、教壇に立っていたという。
顔も広く知られている。
「だから東京で・・・」ということになった(?)。

 しかし考えてみれば、不思議な世界と思う。
人間の世界にも、(男)と(女)がいて、さまざまな人間模様を繰り広げている。
ときにそれが(男)と(男)になり、(女)と(女)になったりする。
どうでもよい世界だが、そこに子どもを巻き込む。
それはいけない。

この浜松市でも、毎年教師によるハレンチ事件が、1~2件はある。
親レベル、学校レベルでもみ消される事件まで入れたら、もっと多い。
当人どうしだけの秘密のままですまされるケースを含めると、さらに多い。
つまりこうした事件は、氷山の、そのまた氷山の一角。

 バレたら、教師生命どころか、世俗的な名誉、地位すべてを失う。
それほどまでの危険を感じたら、ふつうの良識のある人は手を引く。
「教職」という立場にあるなら、なおさらである。
そう言えば、どこかの小学校の校長が、校長室で、児童の母親と密会を重ねていたという事件もあった。
これもつい先日のできごとである。
が、人間のもつ欲望のパワーは、それをはるかにしのふほど、強い。
逮捕された教師も、こう言ったという。
「自分を抑えきれませんでした」と。

 ・・・こういう事件は、モグラ叩きのモグラのようなもの。
人間がそこにいるかぎり、なくなることはない。
これからも頻繁に起こるだろう。
止めようとして、止められるものではない。
が、一言。

 私には、同性愛者の気持ちが、どうしても理解できない。
頭の中を、180度ひっくり返してみるのだが、それでも理解できない。
「どうして男が、男に、性的な関心をもつのだろう」と考えたところで、思考が停止してしまう。
だからこそ、不思議な世界と思う。
同じ人間であり、同じ男なのに、これだけは、私の理解の範囲を超えている。


Hiroshi Hayashi++++++MARCH.2010++++++はやし浩司

●今日、あれこれ(3月27日)

●経済問題

 ひとつだけはっきりしていること。
このまま進めば、日本経済は、やがてにっちもさっちもいかなくなるということ。
国の借金は、雪だるま式にふえつづける。
その一方で、大量の円を市中にばらまきつづける。
へたをすれば、デフレ状態のまま、ハイパーインフレを迎える。
そうなれば円の大暴落。
札も国債も、紙くずと化す。
(もともと「紙」だから、私は驚かないが・・・。)

●中国の干ばつ
 
 中国南部と、ベトナム北部が、大干ばつに見舞われている。
原因は、地球の温暖化。
が、本当の問題は、これから。
この先、世界各地で、「水戦争」が起きるようになる。
1960年代に始まった、インド・パキスタン紛争(印パ紛争)も、
もとはと言えば、水の奪い合いだった。
そうした「火種」ならぬ、「水種」は、世界各地に散らばっている。
すでに中国とベトナムの関係が、ぎくしゃくし始めている。

農耕地が被害を受ければ、そのまま食料不足につながる。
そうなれば影響は、この日本にも及ぶ。
遠い海の向こうの話では、すまされなくなる。

●民主党政権

 「日本は左傾化し、中国に接近しつつある」と。
私はそうは思っていないが、アメリカ人も、オーストラリア人も、
そう思っている。
今の民主党政権になって、日本は、かなり誤解されているようだ。
前回の衆議院議員選挙では、多くの日本人は、反麻生、反自民に
傾いた。
しかしだれも民主党が、左派政権とは、思っていなかった。
左派政権を求めて、民主党に一票を入れたわけではない。
社民党などと連携がわかってはじめて、「?」と思い始めた。
(これはあとの祭り!)

 が、何よりも失望したのは、小沢一郎幹事長。
小沢一郎幹事長が臭わす醜悪さは、麻生前総理大臣の比ではない。
そればかりか、やがてマスコミ各誌は、民主党をさして、「小沢独裁政権」
と揶揄(やゆ)するようになった。
まさに独裁政権。
派閥政治にもいろいろと問題はあるが、自民党の派閥政治のほうが、民主的(?)。
そんな印象をもってしまった。

 が、小沢一郎幹事長は、この場に及んでも、まだ強気。
夏の参議院議員選挙では、民主党の選挙参謀を務めるとか。
その姿勢は、麻生前総理と、同じ。
まるで自分の姿が見えていない。
「どうぞ、ご勝手に!」。

Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

●「私」さがし

+++++++++++++++++++++

だれでも、「私のことは、私がいちばんよく
知っている」と思っている。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
しかし、「私」を知ることは、むずかしい。
本当にむずかしい。
あのソクラテスも、そう言っている。
「私は私のことを、何も知らなかった」と。
『無知の知』というあのよく知られた言葉も、
そこから生まれた。

++++++++++++++++++++++

 「私」をさがす。
それはつまりところ、「自分の乳幼児期」を見ること。
「私」という人間の「核(コア)」は、そのほとんどが、乳幼児期に作られる。

 たとえばあなたが、さみしがり屋で、心の開けない人だったとしよう。
たとえばあなたが、冷たく、嫉妬深い人だったとしよう。
あるいはたとえばあなたが、ものごとにこだわりやすく、うつ的であったとしよう。
しかしそれは(あなた)の責任ではない。
あなたが求めて、そういう(あなた)になったのではない。
(あなた)という人は、乳幼児期の環境の中で、そういう(あなた)になっていった。

(1) たとえば発達心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
わかりやすく言えば、「心を開いて、相手を信じること」をいう。
その基本的信頼関係は、豊かな母子関係の中で、はぐくまれる。
(絶対的なさらけ出し)と(絶対的な受け入れ)。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。
その上に、基本的信頼関係が築かれる。
が、たとえば親の育児拒否、家庭内騒動、無視、冷淡、虐待などがあると、子どもはその基本的信頼関係を築けなくなる。
そのため他人に対して、心を開けなくなる。
「基底不安」もそこから生まれる。
「いつ、どこで、何をしていても、不安」と。

(2) また子どもの発育には段階があることがわかっている。
そしてその段階ごとに「臨界期」があることもわかっている。
その臨界期をのがすと、脳細胞そのものが発達を停止してしまう。
こうして人間性そのものも、乳幼児期に決まる。
「決まる」と断言してよい。
そのよい例が、1920年代にインドで見つかった野生児。
「オオカミ姉妹」ともいう。
発見されたあと、2人の姉妹は、インド政府によって手厚く保護され、教育
を受けたが、最後まで人間性を取り戻すことはなかったという。
その人間性についても、最近では、「マターナル・デプリベイション(母性欠落)」という
言葉を使って、説明される。
乳幼児期に心豊かな母子関係に恵まれた人は、大きくなったときも、心の温かい、やさしい人になる。
そうでなければ、そうでない。
他人との共鳴性を失い、心の冷たい人になる。
仲間をいじめても、心が痛まなくなる。

(3)さらに最近の研究によれば、うつ病の「種」も、乳幼児期にできることがわかってきた。

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●うつ病の原因

引きこもりも含めて、うつ病の原因は、その子どもの乳幼児期にあると考える学者がふえている。

たとえば九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子どもは、「母親から保護される価値のない、自信のない自己像」(九州大学・吉田敬子・母子保健情報54・06年11月)を形成すると説く。

さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になることもあるという。それが成人してから、うつ病につながっていく、と。

++++++++++++++++++++++

 こうして(あなた)という人は、できあがった。
その結果が(今のあなた)ということになる。
つまり「私」をさがすということは、自分の過去、かなんずく、自分の乳幼児期の環境を
知るということになる。
あなたは、乳幼児期に、心豊かで、両親の暖かい愛情に恵まれ、穏やかな環境の中で
育っただろうか。
もしそうなら、それでよし。
が、もしそうでないなら、まず、それに気づくこと。

 というのも、恵まれた環境の中で、何一つ問題なく育った人など、ほとんどいない。
多かれ少なかれ、みな、何かの問題をもった家庭に生まれ育っている。
言い換えると、心に問題をもっていない人は、いない。
心に傷をもった人だって多い。
ただまずいのは、そういう過去があることに気づかず、私の中の「私」に振り間ウェアされること。
同じ失敗を繰り返すこと。
さらにこの種の問題は、親から子へと、世代連鎖しやすい。
もしあなたの過去に問題があったとしても、またその結果、現在の(あなた)に問題が
あったとしても、それをつぎの世代に伝えてはいけない。
あなたの代で、それを断ち切る。
そのための努力はしなければいけない。
そのためにも、まず「私」を知る。

 あとは、時間が解決してくれる。
10年とか20年はかかるかもしれない。
しかし時間が解決してくれる。
それもまた人生。
(あなた)の人生。
そう思って、そういう(あなた)自身と、仲よくつきあう。

 つまるところ、生きるということは、最後の最後まで、「自分探し」ということに
なる。
それくらい「私」を知ることは、むずかしい。
私はなぜ「私」なのか。
私がなぜ「私」なのか。
それを知ることは、本当にむずかしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 私探し 私さがし 私とは 私の中の私 自分探し 自分さがし 乳幼児期 うつ病の原因 九州大学 吉田 母子保健情報)


Hiroshi Hayashi++++++March .2010++++++はやし浩司

*What is the Time for us?

【時間とは何か?】

+++++++++++++++

「時間」のとらえ方は、物理学と哲学
の世界では、まるでちがう。
ちがうが、そこには相互性がある。
それについて、考えてみたい。

2002年に書いた原稿(フェムト秒について)と、
2009年に書いた原稿(クロック周波数について)の
2作を、まずここに再掲載する。

+++++++++++++++

●今朝・あれこれ(4月13日)

●「無」の世界(The World of “Nothing”)
This universe was born from nothing, or the smallest dot or line. Whatever it is, if so, our exisitance stands on this “Nothing”. Then we ask ourselves, what we are. Some people say, there is another world beyond this world. But from that another world, this world where we live is another world itself. Is there another world beyond this world?

+++++++++++++++++

昨夜、こんなことを書いた。

「ひょっとしたら、あの世というのは、
あるのかもしれない」と。

私にとっては、生まれてはじめて書いた
言葉である。

理由がある。

私たちは今、大宇宙と呼ばれる、この宇宙の
中で生きている。
空の星々を見れば、それがわかる。

しかしこの大宇宙は、一説によると、
ビッグバンと呼ばれる、大爆発によって
生まれたものだという。

この説を疑う学者はいないが、問題は、
それ以前の宇宙は、どうであったかということ。

これについては、いろいろな説がある。
あるが、共通している点は、最初は、
「無」もしくは、それに近い状態であったということ。
それが爆発して、現在のような大宇宙になった?

何とも不可思議な世界だが、言いかえると、
私たちの存在そのものも、その不可思議な世界を基盤と
しているということになる。

逆に、こんなふうに考えてみてもよい。

よく「宇宙には果てがない」という。
しかし宇宙の向こうに、別の宇宙があるというわけでも
ないらしい。
ホーキング博士によれば、私たちが住んでいるような
大宇宙は、ここにも、そこにも、どこにでもあるという。
しかも、それが無数にあって、まるで泡(バブル)の
ようになっているという。

そこに見えないからといって、簡単に否定してはいけない。

そもそもこの宇宙では、時間も、空間も、アテにならない。
「時間」といっても、それは人間にとっての時間であって、
絶対的な時間ではない。

人間がいう「1秒」の間に、誕生から死まで繰りかえす
生物だっているかもしれない。
もし人間が、フェムト秒単位で生きることができるとするなら、
私たちは、その「1秒」を使って、3100万年分も
生きることができる※。

(3100・万・年だぞ!)

空間にいたっては、さらにアテにならない。

私たちが見ている、この世界にしても、
「見ている」と思っているだけで、
実は、何も見ていないのかもしれない。
わかりやすく言えば、「見ている」と思っているのは、
脳の後頭部にある視覚野に映し出された
電気的信号を、大脳が知覚しているにすぎない。

「見えないから何もない」と言うのは、
幼児のたわごとにも、ならない。

が、ホーキング博士が言う、別の宇宙を、
私たちは、知ることも、見ることもできない。
私たちの宇宙から見れば、そこは「無」の
世界ということなる。

(この宇宙にしても、もともと「無」であった
ものが、2つに分かれて、今の大宇宙を作った
という説もある。)

が、このことを反対に言えば、向こうの宇宙から見れば、
私たちの宇宙のほうが、無の世界という
ことになるのでは?

どちらが「無」なのかと論じても、意味はない。
それはたとえて言うなら、日本人とアルゼンチン人の、
どちらが逆さまに立っているかを論じるようなもの。

日本人から見れば、アルゼンチン人は、逆さまに
立っていることになる。
アルゼンチン人から見れば、日本人のほうが、
逆さまに立っていることになる。

もう少しわかりやすく言えば、こうだ。

日本からアルゼンチンを見れば、アルゼンチンは
外国(=あの世)ということになる。

しかしアルゼンチンから見れば、日本は外国(=あの世)
ということになる。

しかし、現実には、私はここにいる。
あなたは、そこにいる。
この世であろうが、あの世であろうが、
私は、ここにいる。
あなたは、そこにいる。

……と考えていくと、何がなんだか、わけが
わからなくなってくる。

もっと言えば、私たちの存在すらも、わけの
わからないものになってくる。

私たちが住むこの宇宙が無であるとするなら、
私という存在も、無ということになってしまう。

が、現実に、私は、この世に住んでいる。
「無」ではない。
だとするなら、私があの世にいても、何も、おかしくない。

(ゾーッ!)

つまりあの世がこの世かもしれない。
この世があの世かもしれない。

もっとはっきり言えば、この世があるなら、
あの世があっても、何もおかしくないということになる。

ただ誤解しないでほしいのは、ここでいう(あの世)
といっても、どこかのカルト教団の人たちが
好んで使う(あの世)ではないということ。
天国とか、極楽とかいう概念とも、ちがう。

さらに仮に死んだあと、あの世へ行くにしても、
今、私たちがもっている意識が、そのまま
連続性をもって、つながっていくとはかぎらない。

「意識」といっても、脳の中をかけめぐる
電気的信号に過ぎない。
死ねば同時に、こうした信号は、光となって空中に霧散する。
その時点で、「私」という意識は、消滅する。

私がここでいう「あの世」というのは、
そこにある「無」の世界の中の、別の大宇宙ということ。

するとまた、謎が振り出しに戻ってしまう。

あの世がこの世かもしれない。
この世があの世かもしれない。

今住んでいる、この世界が、すでにあの世かも
しれない。
となると、私たちは、かつてこの世に住んでいたことになる?

????????????????

わけがわからなくなってきたので、この話は、ここまで。

アインシュタインは、「問いつづけることこそが
大切」と言った。

私も、この先、この問題については、問いつづけて
みたい。

この世はあの世なのか。
あの世はこの世なのか、と。

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※「フェムト秒」という言葉を
最初に教えてくれたのは、
田丸謙二先生です。

それについて書いた原稿です。

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●フェムト秒

 ある科学の研究者(田丸謙二先生のこと)から、こんなメールが届いた(02年9月)。いわく……

「今週(今日ですと先週と言うのでしょうか)は葉山の山の上にある国際村センターで日独のジョイントセミナーがありました。私の昔からの親しい友人(前にジャパンプライズを受けたノーベル賞級の人)が来ると言うので、近くでもあるし、出させてもらいました。 今は固体表面に吸着した分子一個一個を直接見ながら、それにエネルギーを加えて反応を起こさせたり、フェムト秒単位(一秒を10で15回繰り返して割った短い時間)でその挙動を追っかけたり、大変な技術が発達してきました」と。

 このメールによれば、(1)固体表面に吸着した分子を直接見ることができる。(2)フェムト秒単位で、その分子の動きを観察できる、ということらしい。それにしても、驚いた。

ただ、(1)の分子を見ることについては、もう二〇年前から技術的に可能という話は、その研究者から聞いていたので、「へえ」という驚きでしかなかった。しかし「フェムト秒単位の観察」というのには驚いた。

わかりやすく言うと、つまり計算上では、1フェムト秒というのは、10の15乗倍して、やっと1秒になるという時間である。反対に言えば、1000兆分の1秒ということになる。さらにかみくだいて言えば、1000兆秒というのは、この地球上の3100万年分に相当する。計算するだけでも、わけがわからなくなるが、1フェムト秒というのは、そういう時間をいう。

こういう時間があるということ自体驚きである。もっともこれは理論上の時間で、人間が観察できる時間ではない。しかしこういう話を聞くと、「では、時間とは何か」という問題を、考えざるをえなくなってしまう。もし人間が、1フェムト秒を、1秒にして生きることができたら、そのたった1秒で、3100万年分の人生を生きることになる! ギョッ!

 昔、こんなSF小説を読んだことがある。だれの作品かは忘れたが、こういう内容だった。

 ある惑星の知的生物は、珪素(けいそ)主体の生物だった。わかりやすく言えば、体中がガチガチの岩石でできた生物である。だからその生物が、自分の指を少し動かすだけでも、地球の人間の時間で、数千年から数万年もかかる。一歩歩くだけでも、数十万年から数百万年もかかる。

しかし動きというのは相対的なもので、その珪素主体の生物にしてみれば、自分たちがゆっくりと動いている感覚はない。地球上の人間が動いているように、自分たちも、ごく自然に動いていると思っている。

 ただ、もしその珪素主体の生物が、反対に人間の世界を望遠鏡か何かで観察したとしても、あまりに動きが速すぎて、何も見えないだろうということ。彼らが一回咳払いする間に、地球上の人間は、数万年の時を経て、発生、進化の過程を経て、すでに絶滅しているかもしれない!

 ……こう考えてくると、ますます「時間とは何か」わからなくなってくる。たとえば私は今、カチカチカチと、時計の秒針に合わせて、声を出すことができる。私にとっては短い時間だが、もしフェムト秒単位で生きている生物がいるとしたら、そのカチからカチまでの間に、3100万年を過ごしたことになる。となると、また問題。このカチからカチまでを一秒と、だれが、いつ、どのようにして決めたか。

 アインシュタインの相対性理論から始まって、今では第11次元の世界まで存在することがわかっているという。(直線の世界が一次元、平面の世界が二次元、立体の世界が三次元、そしてそれに時間が加わって、四次元。残念ながら、私にはここまでしか理解できない。)ここでいう時間という概念も、そうした次元論と結びついているのだろう。

たとえば空間にしても、宇宙の辺縁に向かえば向かうほど、相対的に時間が長くなれば、(反対に、カチからカチまで、速くなる。)宇宙は、永遠に無限ということになる。たとえばロケットに乗って、宇宙の果てに向かって進んだとする。

しかしその宇宙の果てに近づけば近づくほど、時間が長くなる。そうなると、そのロケットに乗っている人の動きは、(たとえば地球から望遠鏡で見ていたとすると)、ますますめまぐるしくなる。地球の人間が、一回咳払いする間に、ロケットの中の人間は、数百回も世代を繰り返す……、あるいは数千回も世代を繰り返す……、つまりいつまでたっても、ロケットの中の人間は、地球から見れば、ほんのすぐそばまで来ていながら、宇宙の果てにはたどりつけないということになる。

 こういう話を、まったくの素人の私が論じても意味はない。しかし私はその科学者からメールを受け取って、しばらく考え込んでしまった。「時間とは何か」と。

私のような素人でもわかることは、時間といえども、絶対的な尺度はないということ。これを人間にあてはめてみると、よくわかる。たとえばたった数秒を、ふつうの人が数年分過ごすのと同じくらい、密度の濃い人生にすることができる人がいる。

反対に一〇年生きても、ただただ無益に過ごす人もいる。もう少しわかりやすく言うと、不治の病で、「余命、残りあと一年」と宣告されたからといって、その一年を、ほかの人の三〇年分、四〇年分に生きることも可能だということ。反対に、「平均寿命まで、あと三〇年。あと三〇年は生きられる」と言われながらも、その三〇年を、ほかの人の数日分にしか生きられない人もいるということ。どうも時間というのは、そういうものらしい。

いや、願わくば、私も1フェムト秒単位で生きて、1秒、1秒で、それぞれ3100万年分の人生を送ることができたらと思う。もちろんそれは不可能だが、しかし1秒、1秒を長くすることはできる。仮にもしこの1秒を、たったの2倍だけ長く生きることができたとしたら、私は自分の人生を、(平均寿命まであと30年と計算して)、あと60年、生きることができることになる。

 ……とまあ、何とも理屈っぽいエッセーになってしまったが、しかしこれだけは言える。幼児が過ごす時間を観察してみると、幼児のもつ時間の単位と、40歳代、50歳代の人がもつ時間の単位とはちがうということ。

当然のことながら、幼児のもつ時間帯のほうが長い。彼らが感ずる1秒は、私たちの感ずる1秒の数倍以上はあるとみてよい。もっとわかりやすく言えば、私たちにとっては、たった1日でも、幼児は、その1日で、私たちの数日分は生きているということ。あるいはもっとかもしれない。

つまり幼児は、日常的にフェムト秒単位で生活している! これは幼児の世界をよりよく理解するためには、とても大切なことだと思う。あくまでも参考までに。
(02-9-17)※


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司

●1秒は、1秒なのか?(One second for mice is equivalent to 100 seconds for men)

●クロック数(クロック周波数)について(2009年6月の原稿より)

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今日の夕刊(4月30日、中日新聞)に、
こんな興味ある記事が、載っていた。
『人とマウス、行動似てる』というタイトルの
ものだった。
『(人とマウスに関して)、活動時間
や休息時間について、長いものや短いものが、
どんな頻度で現れるかを分析すると、
パターンはまったく同じで、人の動きを100倍
の速さで早回しすれば、マウスと同じになることが
わかった』と。
大阪バイオサイエンス研究所(大阪府吹田市)と
東京大学の研究チームによる、研究結果である。
記事には、『生物の行動の背後に、種を超えた基本法則
が存在する可能性を示すもの』(同)ともあった。

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●庭のスズメ

たとえば庭に遊ぶスズメたちを見てみよう。
小枝から小枝へと、小刻みなリズムで、飛び回っている。
少し前、私は、それを見ながら、こんなことを考えた。
「もし人間が、同じ行動をしようとしたら、
スズメの何倍の時間がかかるだろうか?」と。
スズメたちは、数秒単位で、枝から枝へと、
ピョンピョンと飛び回る。

で、同じような枝を、パイプが何かでつくり、
人間に同じ行動をさせたら、どうだろう?
オリンピックに出るような体操選手ですら、
その10倍の時間は、かかるかもしれない。
またつぎにこんなことを考えたこともある。
一匹の蚊を頭の中で、想像してみてほしい。

その蚊が、人間の足の高さから、頭の高さまで
あがるのに、何秒くらいかかるか、と。
正確に計測したことはないのでわからないが、
ブーンと飛べば、3~4秒もかからないのでは
ないか?

そこで蚊の体長を、5ミリとして計算すると、人間の
170センチの身長は、蚊の体長の340倍の高さという
ことになる。

そこで身長が1・7メートルの人間の高さに換算すると、
1・7メートルx340=578で、約580メートル
の高さということになる。

つまり蚊は、人間にしてみれば約580メートルの
山を、3~4秒で登ったり、おりたりすることが
できるということになる。
3~4秒である。
が、これで驚いてはいけない。

●ハエは、音速の3倍以上!

ときどき家の中を、体長1センチ前後の、大きな
ハエが飛び回ることがある。
私たちが「クソバエ」と呼んでいる、黒いハエである。
あのハエは、7~8メートル四方の部屋を、
ビュンビュンと飛び回る。

そのハエについても、正確に計測したことがないので
わからないが、やはりブ~ンと飛べば、7~8メートルの
部屋を横切るのに、1秒もかからないのではないか。
そこでこれらの数字をもとにして、ハエの速度を計算してみると、
秒速7メートルとして、同じように170倍すると、
秒速1190メートルということになる。
さらにこの数字を、60x60=3600倍すると、
時速になる。

その時速は、何と、4284万000メートル。
キロメートルになおすると、4284キロメートル。
つまりあのハエは、人間の大きさで考えると、
時速4000キロ以上のスピードで、部屋の中を飛び回って
いることになる!
時速4000キロだぞ!

この数字を疑う人は、一度、自分で計算してみるとよい。
つまり音速の約3倍!
こうして考えてみると、スズメにせよ、蚊にせよ、
はたまたあのハエにせよ、私たちとはちがった(時間)を
もっているのがわかる。

前にも書いたが、もしハエが今のまま進化し、
時計を作ったとしたら、秒針のほかに、1秒で1周する
もう一本の針を考えるかもしれない。
つまりスズメにせよ、蚊にせよ、はたまたハエにせよ、
私たち人間がいうところの「1秒」を、10秒とか、
100秒で生きていることになる。

●マウスは、人間の100倍!

・・・というようなことを、今回、大阪バイオサイエンス
研究所というところが、はからずも証明した?
もう一度、新聞記事を読みなおしてみよう。
そこには、こうある。

『(人とマウスに関して)、活動時間
や休息時間について、長いものや短いものが、
どんな頻度で現れるかを分析すると、
パターンはまったく同じで、人の動きを100倍
の速さで早回しすれば、マウスと同じになることが
わかった』と。

もう少し専門的に言えば、「体内のリズムをつくる
時計遺伝子の働きは、マウスのばあい、人間の
それより100倍も速い」ということになる。
だから単純に、「マウスは人間の100倍の
速さで生きている」というふうに考えることは
できないとしても、「少なくともマウスは、
人間とはちがった時間の尺度をもっている」ということだけは
確かである。

同じ1秒を、人間は、それを1秒として生きている。
が、マウスにしてみれば、100秒にして生きている
かもしれない。

だからたとえば、マウスの寿命を仮に1年としても、
それを「短い」と思ってはいけない。
マウス自身が感ずる1年は、ひょっとしたら人間の
100年分に相当するかもしれない。

●幼児の世界でも

実は、私は、このことは幼児を指導している
ときにも、よく感ずる。
私の教室では、常にテンポの速いレッスンに心がけて
いる。
そうでもしないと、子どものほうが、飽きてしまう。
レッスンに乗ってこない。

で、そういうとき、私はよくこう思う。
幼児のもつ体内時計は、おとなのもつ体内時計より、
数倍は速い、と。
わかりやすく言えば、幼児にとっての1分は、
おとなに3~4分に相当する。
おとなが3~4分ですることを、幼児は、1分でする、と
言いかえてもよい。

「アウ~、それでエ~、エ~ト・・・」などというような、
どこか間の抜けたようなレッスンをしていたら、
それだけで教室はザワついてしまう。
収拾がつかなくなってしまう。

反対に、老人ホームにいる老人たちを見てみると、
このことがさらによくわかる。
そこにいる老人たちは、1日中、何かをするでもなし、
しないでもなしといった状態で、その日、その日を
過ごしている。

そこにいる老人たちは、明らかに私たちとは、ちがった
体内時計をもっている。
ひょっとしたら、1日を、私たちがいう、1時間、
あるいはそれよりも短く感じながら生きている
かもしれない。

長い前置きになってしまったが、結論を急ぐと、こういう
ことになる。
私たちが感じている1秒、1分、1時間は、
けっして絶対的なものではないということ。
過ごし方によっては、1秒を1時間にして生きることもできる。
反対に、1日を、1分のようにして過ごしてしまう
かもしれない。

つまり(時の長さ)というのは、時計的にはみな、同じでも、
過ごし方によっては、何倍もにして生きることもできる。
反対に、数分の1にして生きることもあるということ。
もっと言えば(時の長さ)には、絶対的な尺度はないということ。
要は、その人の過ごし方、ということになる。
それにしても、『人の動きを100倍の速さで早回しすれば、
マウスと同じになることがわかった』とは!
100倍だぞ!

この「100倍」という数字を読んだとき、私は
改めて、(時間とは何か)、さらには、(生きるとは何か)、
それを考えさせられた。

余計なことかもしれないが、日々を、野球中継だけを見ながら過ごすのも
人生かもしれない。が、それでは、あまりにももったいない。
日々を、パチンコだけをしながら過ごすのも、
人生かもしれない。が、それでは、あまりにももったいない。
あるいは日々を、魚釣りだけをしながら過ごすのも、
これまた人生かもしれない。が、それではあまりにももったいない。
・・・というのが、このエッセーの結論ということになる。

●脳みそのクロック数

ついでに……。
宇宙には、私たちがいう「1秒」の間に、人間の世界でいう数100年、
あるいは数1000年分の人生を生きる生物がいるかもしれない。
あるいは反対に、私たちがいう「1万年」が、寿命という生物も
いるかもしれない。

そういう生物(?)は、指を1本、動かすのに、20年とか、
30年もかかる。
岩石のようなものでできた生物を想像してみればよい。
・・・という話は、どこか荒唐無稽な感じがしないでもない。
しかしこんなことは言える。

脳みそにも、コンピュータでいうところの「クロック数」の
ようなものがあるのではないか、ということ。
たとえばワイフは、8年前に買ったパソコンを使っている。
私は、昨年(07年)に買ったパソコンを使っている。
ワープロとして使っている間は、それほどの(差)を
感じない。

が、画像を表示したり、ゲームをしたりするときには、
はっきりとした(差)となって、ちがいが出てくる。
情報を処理するための基本的な速度、つまりクロック数そのものが
ちがう。

俗な言い方をすれば、(頭の回転の速さ)ということになる。
子どもにしても、頭の回転の速い子どもは、速い。
そうでない子どもは、そうでない。
反応も鈍い。
仮に脳みそのクロック数が、2倍ちがうとすると、クロック数が
2倍速い子どもは、そうでない子どもの、2倍長く時間を使う
ことができるということになる。

全体に、クロック数が速いから、当然、計算するのも速い。
文章を書くのも、速い。
思考する力も、速い。
だからクロック数が2倍速い子どもにとっては、同じ「1秒」でも、
そうでない子どもの、「2秒分」の時間に相当する。
同じ「1年」でも、「2年分」の時間に相当する。
ただし誤解しないでほしいのは、クロック数が速いからといって、
時間を有効に使っているということにはならないということ。
(時間を長く使う)ということと、(時間を有効に使う)という
ことは、まったく別のことである。

そのことは、冒頭に書いたスズメの話を思い出してもらえば、わかる。
庭に遊ぶスズメたちは、目まぐるしく、活動している。
しかし、それだけのこと。
わかりやすく言えば、(中身のない人生)を、忙しそうに
繰りかえしているだけ。

恩師の田丸謙二先生は、いつも口癖のように、こう言っている。
「せっかく、いい頭をお持ちなのですから・・・」と。
私に対して、そう言っているのではない。

東大という大学に入ってくる学生たちに、いつもそう言っている。
先生がいう、「・・・なのですから・・・」というのは、
「もっと自分の頭で考えなさい」という意味だが、
先生の言葉をもう少し、自分なりに解釈すると、こうなる。
「せっかく速いクロック数の頭をもっているのだから、
脳みそを有効に使いなさい」と。

●最後に・・・

脳梗塞のようなダメージを受けないかぎり、実際には、
脳みそのクロック数などというものは、みな、それほどちがわない。
ちがっても、2倍とか3倍とかいうものではなく、
1・1倍とか、1・2倍とかいう範囲の、わずかなものかもしれない。
しかもそのクロック数というのは、訓練によって、速くすることができる。
このことも、子どもの世界を見れば、よくわかる。

言いかえると、同じ人生でも、それを長くして生きるか、
それとも、短くして生きるかは、その人、個人の問題ということ。
そのためにも、頭は使って使って、使いまくる。
そうでなくても、脳みそのクロック数は、加齢とともに、落ちてくる。
老人ホームにいる老人たちにしても、ある日、突然、ああなったのではない。
ある時期から、徐々に、そして少しずつ、長い時間をかけて、
ああなった。

今の私やあなたがそうかもしれない。
クロック数というのは、そういうもの。
全体に脳みその機能が低下していくため、その人自身が、それに気づくと
いうことは、まずない。

知らぬ間に、クロック数は低下し、また低下しながらも、低下したこともわからない。
だから歳をとったら、なおさら、頭は使う。
使って使って、使いまくる。

それがとりもなおさず、私たちの人生を、より長くすることになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 クロック数 クロック周波数 人間のクロック数 クロック周波数 生きる密度)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   
●時間とは……

 改めて書くまでもなく、時間とは生き方の問題ということになる。
「そこに時間がある」ということではなく、「どう生きるか」。
それが時間ということになる。
もし「時間」という概念があるなら、「その時間を、どう使うか」。
それがここでいう「生き方の問題」ということになる。

 怠惰に過ごすのも1年なら、懸命に生きるのも、これまた1年。
「長さ」は、その「密度」によって決まる。
言い替えると、生き様の追求は、密度の追求ということになる。
いかに無駄を省き、密度を濃くしていくか。
それによって1年を10年にすることもできる。
1年を100年にすることもできる。

 もちろん回り道をすることも、よくない。
私たちも「生命」の一部でしかない。
その「生命」という部分には、限界がある。
ちょうど鉄がさび、やがて朽ちていくように、私たちの細胞も、さび、
やがて朽ちていく。
「急ぐ」という言い方は好きではないが、少なくとも、
無駄にする時間はない。
物理的な時間をいうなら、100年でも足りない。
1000年でも足りない。
真理の探究というのは、それほどまでに深淵で、道は遠い。

 「時間とは何か?」。
それを考えていくと、その先に、どう生きるべきかが見えてくる。
そういう意味で、物理学でいう(時間)と、哲学でいう(時間)には、
相互性がある。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 時間とは何か)


Hiroshi Hayashi+教育評論++March.2010++幼児教育+はやし浩司