2009年11月13日金曜日

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子育て最前線の育児論byはやし浩司   09年 11月 13日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●親子の形態(Types of Families)

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親子の形態を大きく分けると、つぎの
3つになる。

(1) 民主型親子(親子が友だち関係、平等主義)
(2) 独裁型親子(親絶対主義、権威主義的関係)
(3) 放任型親子(家族のつながりが希薄、独立型)

親子によって濃淡はあるが、これら3つが、
それぞれ入り混ざっているケースもある。
あるいは時と場合に応じて、微妙に変化するという
親子も珍しくない。
(参考:「心理学用語」(かんき出版))

+++++++++++++++++++++++

●家族

 親子といっても、基本的には、人間と人間の関係。
そのとき重要なポイントは、親が子どもの人格をどの程度認めているかということ。
1人の独立した人間として、どこまで認めているかということ。

 日本では、元来、子どもをモノ、つまり、「家」の付随物として見る傾向が強い。
上下意識、家父長意識が強く、親は、そのため権威主義的なものの考え方をする。
親(先祖)を絶対視する傾向も強い。

 上記、3つの類型から選ぶなら、(2)の独裁型親子が、大半を占める。

●子どもの人格

 よく日本の民主主義は、異質であると言われる。
理由のひとつに、日本人は、民主主義を、それを必要として、自分で勝ち得たものでない
ということがあげられる。
旧態依然の封建制度を温存したまま、敗戦と同時に、アメリカによって与えられた……と
いうよりは、押しつけられた。
だから表面的には民主主義国家になったが、中身は、そのまま残った。

 その一つが、(子どもの人格)ということになる。
戦後、女性は自分の地位を確立したが、子どもはそのまま残された。
子どもをモノとして見る見方は、今でも残っている。

●民主主義は家庭から

 日本人が本当に民主主義国家になるためには、家庭の中から、それを始めなければなら
ない。
わかりやすく言えば、『民主主義は、家庭から』ということ。
さらに言えば、子どもを1人の人格者として認める。
「友」として認めるということになる。

 が、ここで誤解してはいけないのは、友として認めると言っても、「放任して、好き勝手
なことをさせろ」ということではない。
対等の人間として認めることをいう。

●一長一短

 これら3つの類型には、それぞれ一長一短がある。
家族としてまとまりやすいのは、(2)の独裁型家族ということになる。
(1) の民主型家族は、家族としては、まとまりにくい。
が、ひとたびまとまれば、(2)の独裁型家族にはない、創造性と柔軟性、独立性を発揮す
る(参考、同書)。

 一方(3)の放任型親子は、それぞれに独立精神が旺盛だが、その分だけ家族間の絆(き
ずな)が希薄となる。

●放任型親子

 (3)の放任型家族の最大の問題点は、「家族」としての役割が、相互に希薄であること。
たとえば家族には、(教えあう)という機能がある。
そのため独立心は旺盛でも、知的、教育的な意味においては、高い成果を求めにくい。

 子どもというのは、その置かれた環境の中で、作られていく。
ここでいう「型」といっても、あくまでも(結果)でしかない。
言うなれば無責任な育児観が集合されて、その結果として(3)の放任型家族になったと
いうのであれば、好ましい点は、何もない。

●これからの親子

 親には3つの役目がある。
(1) ガイドとして、子の前に立つ。
(2) 保護者として、子のうしろに立つ。
(3) 友として、子の横に立つ。

 この中で、日本人がもっともおろそかにしてきたのが、(3)の「友として、子の横に立
つ」ということになる。
「友」というのは、同一の人格者という意味である。

 先日もあるラジオ番組(ニッポン放送)の中で、あるパーソナリィテイの人と話したら、
その人はこう言った。
「友となったら、家族がバラバラになってしまう。それでいいのか」と。

 「友」といっても、先にも書いたように、何も、子どもに好き勝手なことをさせろとい
う意味ではない。
1人の独立した、かつ対等の人間として認めることをいう。
今までの日本人にもっとも欠けていた部分ということで、むしろ積極的に、この部分を拡
大してもよいのではないか。

 つまり今の今でも、日本人は、子どもの前に立ったり、うしろに立ったりするのは得意。
しかし子どもの横に立つのが苦手。
どうしても子どもを、子ども扱いしてしまう。
それが親子関係を、ギクシャクしたものにする。

 が、「友」として子どもを見ると、子育ての世界が一変する。
子育ての仕方も変わってくる。
またそのほうが、子育ても楽しい。
子どももあなたに心を開くようになるだろう。
が、そうでなければそうでない。

 以上、親子の形態について、考えてみた。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●うつ病と自殺

++++++++++++++++++

うつ病の人が、自殺を企てやすいという話はよく聞く。
しかしそのうつ病の私(?)について言えば、
うつ秒イコール、自殺ではない。
(私が「うつ病」と診断されたわけではないが……。)

自殺するには、もうひとつの重大な要因が必要である。
「絶望」という要因である。
うつ病だけでは、自殺願望は生まれない。
うつ病状態のところへ、絶望が加わると、その人は
一気に「死」に向かって歩み始める。

++++++++++++++++++++

自己否定、希望の喪失、虚無的無力感、閉塞感……。
こういったものが、同時に襲ってくる。
とたん、「死」が目の前を横切るようになる。
「自殺モード」というのが、それ。

この状態になると、死への恐怖感は、ほとんどなくなる。
あたかも「死」が、生きるためのひとつの方法のように
思えてくる。
「死ぬことによって、楽になろう」という考え方ではない。
「死」そのものが、生きるための(結論)ということになる。
だからこれはあくまでも私の想像だが、自殺する人というのは、
心の状態がたいへん穏やかなまま、それを選ぶ。

 力んだり、声をあげてギャーギャーと叫びながら自殺する
人はいない。
また力んでいたり、ギャーギャーと騒ぐようであれば、自殺など
しない。

 子どもの世界も、同じように考えてよい。
「死んでやる」「自殺してやる」と声に出して言う子どもは、
自殺などしない。
「死ぬ」ということがどういうことかわかっていない。
いないまま、それを口にする。

(ただしそれが途中で変化して、本当に自殺してしまうケースも
ないわけではないので、あまり油断してはいけないが……。)

●ではどうするか

 うつ病といっても、軽重はあるだろうし、症状もさまざま。
しかし一般論から言えば、「絶望感を与えない」。
「ああ、おしまいだ。これで私は何もかも失う」「失った」という
状況に、本人をもっていかない。
それが自殺防止の鍵ということになる。

 「あなたはひとりぼっちではない」
 「まだ何とかなる」
 「方法がある……」と。

 そうした希望、……それがどんなに小さなものであっても、その
希望があれば、その希望がその人(子ども)を自殺から、守る。

●メカニズムのちがい

 うつ病のメカニズムと、自殺のメカニズムは、相互に関連性は
あるものの、基本的に別のものと考えてよい。

 うつ病は、脳内ホルモンの問題。
脳内のホルモンが変調して、うつ病になる。
 自殺は、脳の機能の問題。
もっと言えば、脳内の特殊な機能が働いて、その人をして、「死」に向かわせる。

 (もちろん強度のうつ状態が、絶望感を招くことはある。
反対に、絶望感が、うつ状態を招くこともある。
その区別は、たいへんむずかしい。)

 わかりやすく言えば、うつ病だけでは、人は、自殺などしない。
初期の段階では、心の緊張感が慢性的に持続し、それが臨界点を
超えると、今度は、極端な弛緩状態になる。
最近話題になっている、「微笑みうつ病」(異様なほど、ニコニコ笑って
いるのが、特徴)にしても、すでにこの状態で、心は臨界点を超えていると
みる。

 こうした状態のとき、先に書いたように、絶望感を覚えると、
心は一気に自殺モードになる。
方法は問題ではない。
どんな自殺の仕方であれ、それはあくまでも結果でしかない。

 自殺を考えていて、ふと思いついたので、ここに書き留めておくことにする。


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

【怒りのメカニズム】

「こうでありたい」という欲望。
「こうであってほしくない」という欲望。
「これがほしい」という欲望。
「私」であるがゆえに生まれる、もろもろの欲望。
これらを総称して、「エゴ」という。

 そのエゴが何らかの形で抑圧されると、そのエゴを解放させようと、一気に
情緒は不安定になる。
知性や理性の、止め具がはずれる。
それが(怒り)という感情となって、爆発する。

つまり人がなぜ怒るかといえば、抑圧されたエゴを解放するため。
このメカニズムがわかれば、自分で自分の(怒り)をコントロールすることができる。
順に考えてみよう。

●自己のエゴ

エゴは、それが満たされないとき、さまざまな姿に形を変える。
心配、不安、不平、不満……。
それが臨界点を超えたとき、つまり、コントロールできなくなったとき、
ときとして、それは(怒り)となって爆発する。

 が、もしこの段階で、エゴを自分でコントロールできれば、(怒り)は、
起きない。
エゴは、抑圧された状態のまま、見た目には静かになる。

●他者に向かう怒り

 (怒り)には、つねに2つ方向性がある。
自分に向かう(怒り)と、他者に向かう(怒り)である。
しかし基本的には、(怒り)は、最初は自分に向かう。
まず(自分に向かう怒り)が始まり、それが(他者に向かう怒り)に変化する。
原因や理由が他者にあれば、(怒り)は、直接、他者に向かう。
が、そのばあいでも、他者を代償的に利用しているにすぎない。

●交通事故

 簡単な例で考えてみよう。

たとえばあなたが運転をしていて、うしろから別の車に追突されたとする。
幸い怪我はなかったが、買ったばかりの新車に、大きな傷がついた。

 こういうケースでは、あなたは追突した相手に、大きな(怒り)を覚える。
「君が、へたくそな運転をしていたからだ!」と。

 しかしもしそのとき、あなたが運転していた車が、ボロボロのポンコツ車
だったとしたら、どうだろうか。
あるいは、あなたがたいへんな金持ちで、同じような車を、何百台も
もっていたとしたら、どうだろうか。
あるいは「車の傷など何でもない」と考えるタイプの人だったとしたら、
どうだろうか。

あなたの(怒り)は、あなたのエゴの状態に応じて、変化するにちがいない。
つまりまず(自分への怒り)が起こり、それが(他者への怒り)へと変化する。

 「どうして大切な車に傷をつけてしまったのだ」と、まず自分への怒りが
始まる。
その怒りが限界を超えたとき、その怒りは、今度は、外に向かう。
「お前のせいで、私の車に傷がついた」と。

●エゴと怒り 

 ここが重要だから、もう一度、別の例で考えてみよう。

 つまりエゴが強大であればあるほど、(怒り)もまた、強大なものとなる。
たとえば何か、インチキな商品を売りつけられたとしよう。
私も最近、そういう商品を売りつけられた。

 「謎のUFO」というような商品だった。
販売店にビデオが用意されていて、それを見ると、UFOの模型が自由自在に、
空中を不思議な飛び方をしていた。

 値段は、3000円。
で、家で箱を開けてみると、空を飛ぶといっても、細い糸でつりさげるだけの
インチキ商品だった。
言うなれば、手品のようなもの。
「ナーンダ」と思って、そのままで終わってしまった。

 が、もしそれが3000万円だったとしたら、どうだろう。
「ナーンダ」で、すますことはできない。
3000円だったから、「ナーンダ」ですんだ。
3000万円だったら、「コノヤロー」となる。

 このばあいも、まずだまされた自分に怒りを覚える。
額が小さいときは、「ナーンダ」ですますことができる。
しかし額が大きいときは、だまされた自分に腹が立つ。
「どうして私は、あんなバカなものを買ってしまったのだ」と。

 そしてその怒りが臨界点を超えたとき、「どうしてあんなものを
私に売りつけたのだ」という怒りに変わる。
売りつけた相手に、怒りが向かう。

●死への怒り

 ところで人が感ずる(怒り)のうち、最大のものは、(死)に対する
怒りということになる。
人は、死によって、すべてを失う。
すべてを奪われる。
財産や名誉や地位のみならず、肉体をも、だ。

 最初、死を宣告されると、ほとんどの人は、混乱し、その混乱が一巡すると、
今度はげしい(怒り)を覚えるという。(「死の受容段階論」(キューブラー・ロス))。
このばあいの(怒り)も、「失いたくない」というエゴが、原点になっている。

●エゴとの闘い

 (怒り)との闘いというのは、そんなわけで、自分の中に潜む(エゴ)との
闘いということになる。
さらに言えば、「私」との闘いということになる。

 私の財産、私の家族、私の名誉、私の地位などなど。
もちろん私の生命というのも、ある。
そういったものが、さまざまな立場で、さまざまに形を変えて、エゴとなる。
そのエゴが、危険にさらされたとき、心配、不安、不平、不満となって姿を
現す。

●エゴの爆発

 が、もしエゴを消すことができたら……。
消すのは無理としても、最小限にまで減らすことができたとしたら……。
(怒り)の内容も、変わってくるにちがいない。
最近、私はこんな経験をした。

 書店で、ある育児本を読んでいたときのこと。
しばらく読んでいたら、頭の中が、カーッと熱くなるのを覚えた。
明らかに、私のパクリ本である。
あるいは私がHPなど書いたことを、ネタに使っていた。
巧みに内容を変えてはあるが、私にはそれがわかる。

たとえば「……チョークで、背中を落書きされた……」が、「……チョーク
で、かばんを落書きされた……」となっていた。
その上で、「いじめられっ子は、その分だけ、他人の心の痛みが理解できる
ようになる」と。
随所で、私の持論そのものを展開していた。

 そのときの(怒り)が、まさに私の(エゴ)から発したものということになる。
(私の考え)(私の文書)(私のHP)と。
が、それも一巡すると、つまり「この世界は、こういうもの」と割り切ると、
怒りが、スーッと収まっていく。

 実際には、そのとき、私はこう考えた。
「10回盗作されたら、新しい原稿を100回書けばいい」と。
そう自分に言って聞かせて、その怒りを乗り越えることができた。
 
●防衛機制

 こうして心は自分の心の動揺を、自ら守ろうとする。
これを心理学の世界では、「防衛機制」という。
もともと人間の心は、不安定な状態に弱い。
長くそういう状態をつづけることができない。

 心配、不安、不平、不満がつづくと、それを解消しようと、さまざまに心が働く。
というのも、そういう状態は、ものすごいエネルギーを消耗する。
その消耗に、人はそれほど長くは耐えられない。
そのため、心は自分で自分の心を防衛しようとする。
それが防衛機制と言われるもので、それらには、合理化、反動形成、同一視、
代償行動、逃避、退行、補償、投影、抑圧、置き換え、否認、知性化などがある。

 この中のどれとは特定できないが、私は私なりのやり方で、エゴの爆発を、最小限に
抑えたことになる。

●無私
 
 再び、死について考えてみたい。
死を宣告されると、最初、人は、はげしい怒りを覚えるという。
このことは先にも書いた。
中には、医師や家族に、その怒りをぶつける人もいるという。

このばあいも、「エゴ」があるから、(怒り)が起こる。
そこで話を一歩前に進めると、こういうことになる。
そのエゴが集合されたものが「私」であるとするなら、私から
「私」を取り除いていく。
かぎりなく、取り除いていく。
その結果、(怒り)の原因となる、エゴが消える。

 たとえば(死)についても、「私」があるから、それを恐れる。
不安や心配を呼び起こす。
が、もし「私」がなければ、(死)についての考え方も、大きく変わってくる。
「無私」という考え方である。
「死は不条理なり」と説いた、あのサルトルも、最後は、「無の概念」という
言葉を口にする。
「死という最終的な限界状況を乗り越えるためには、無に帰するしかない」と。
この哲学は、釈迦の説いた「無」の思想に通ずる。

●現実世界では

 私たちは生きている。
生きている以上、現実の世界の中で、他人とかかわっていかねばならない。
仕事もしなければならない。
納得できなくても、上司の意見には従わねばならない。
家族もいる。
子どももいる。
その過程で、他人との摩擦をつねに経験する。

 実際問題として、生きている以上、「私」を消すことはできない。
そこで「妥協」という言葉が生まれる。
それについてはまた別の機会に考えてみたい。

 ただ大切なことは、(怒り)は、常にその人の人間性の範囲で起こるということ。
人間性の低い人は、ささいなことで激怒し、心をわずらわす。
一方、人間性を高めれば高めるほど、私たちは(怒り)を、自分の心の
中で処理できるようになる。

 かく言う私などは、今、死の宣告をされたら、取り乱し、ワーワーとわめき
散らすほうかもしれない。
情けないほど、私の人間性は低い。
それがわかっているから、今から努力するしかない。
少しでも無私の状態に近づき、そのときが来たら、静かにそれを受容したい。

 
Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

●文を書く

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悲しいとき、うれしいとき、さみしいとき、
つらいとき、私は文を書く。

しかし怒ったときは、書かない。
とくに個人的な怒りを覚えたときには、書かない。
そういうときに書いた文は、あと味が悪い。
残しておきたくない。
だから書かない。

それに怒りをぶつけた文というのは、どうしても
愚痴ぽくなる。
愚痴を聞きたい人はいない。
それに愚痴は、その人を小さくする。
つまらなくする。

それがわかっているから、よけいに書かない。

+++++++++++++++++++++

●喧嘩

 怒っているときは、私は一気に喧嘩に向かう。
それが私のやり方。
子どものときからのやり方。
ネチネチしたやり方は、しない。
一気にケリをつける。

 しかしこのやり方は、平和的ではない。
ときに法に触れる。
だからぐいとがまんする。
が、そのがまんが、つらい。
私には、つらい。

 よく裁判映画などで、原告と被告が、冷静な様子で、席に着いているのを見る。
ああいうのを見るたびに、「たいしたもんだな」と思う。
私なら、その場で相手に食ってかかるだろう。
「コノヤロー!」と。
もちろんそんなことをすれば、即、退席!
私にとって、(怒り)というのは、そういうもの。
グチグチ言うのは、私のやり方ではない。

●怒り

 (怒り)というのは、もともと自分自身に向けられたもの。
不平、不満、心配、不安が、臨界点を超えたとき、それが(怒り)に変わる。
が、自分を怒っても仕方ない。
そこでその(怒り)を、外部の対象物に向ける。
そこで「お前が悪い」「あいつが悪い」となる。

 そういう意味では、(怒り)の基盤は、弱い。
自分さえその気になれば、そのまま消すことだってできる。
(怒り)を忘れることだってできる。

●静かな怒り

 一方、本当に怒っている人というのは、静か。
驚くほど、静か。
それに穏やか。

 一方、ワーワーと大声をあげて怒る人は、そんなにこわくない。
が、静かで、動揺しないで怒っている人は、こわい。
人も本気で怒ると、そういう様子を見せる。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●意識の連続性(補足)

++++++++++++++++++++

私たちがもっている意識というのは、パルス信号のような
ものと考えてよい。
ピッピッピッ……と。
コンピュータのように、何ヘルツというように
測定しようと思えば、それも可能かもしれない。
脳波そのものも、パルス信号として認識される。

つまり(意識)というのは、時間的経緯の中で
拡大してみると、瞬間的に現れては消える、現れては消える……。
それを小刻みに繰り返している。
そのサイクルが短いため、私たちは連続した意識として
それをとらえる。
が、連続しているわけではない。
ここにも書いたように、連続しているように、見えるだけ。

映画のフィルムのコマを思い浮かべれば、わかりやすい。
1コマずつ画面に画像が表示されるが、網膜に残った
残像が消える前に、次の画像が表示される。
そのため、私たちはスクリーンに映る映像を、連続した画像として、
とらえる。
人間の意識も、それに似ている。

このことをさらに裏づける事実が、明らかになりつつある。
最近の脳科学によれば、脳の中の視床下部あたりから、
強力なシグナルが発せられていることがわかってきた。
このシグナルが、いわゆる(生命の源)と考えてよい。
このシグナルに応じて、たとえばもろもろの欲望(=ドーパミンの分泌)
などが、引き起こされる。

+++++++++++++++++++++++++

●迷う

 たとえば今、「今夜は夕食に何を食べようか」と考える。
「天丼にしようか、カレーライスにしようか」と。

 こうして迷っている間にも、そのつど無数のシグナルが、四方八方に
発せられる。
たとえばアルファ波(脳の中の電気的信号)のばあい、秒間8~13ヘルツと
言われている。
ベータ波は、14~30ヘルツ。
ガンマ波は、30ヘルツ以上。

こうした信号は、そのつど脳のあちこちで取捨選択され、最終的に、
たとえば「天丼」が優勢になったところで、こう判断する。

「今夜は、天丼にしよう」と。

●パルス説

 こんな例がある。
たとえば交通事故にあった人などの話を聞くと、ほとんどの人は、こう
言う。
「その瞬間のことは覚えていない」と。

 これについては2つの仮説が立てられる。

 ひとつは記憶として残る前に、脳自体が記憶する(=記銘する)のを
停止してしまう。
(衝撃が脳に伝わるよりも早く、衝撃を受けると同時に、脳が記憶を
停止してしまう。だから記憶に残らないという説が、一般的である。)

 もうひとつは、意識そのものが、その瞬間、停止してしまう。

 もし後者であるとするなら、パルス説が、がぜん有力になる。
こうした瞬時の反応は、パルス説以外では、説明できない。
つまり脳が衝撃を受けた瞬間、意識はそこで途絶える。

●意識と死
 
 意識がパルスであるとするなら、私たちはつねに、(意識)と(死)
を繰り返していることになる。
デジタル信号にたとえるなら、(+)と(-)を繰り返していることになる。
(-)のとき、私たちの意識はゼロになる。
その状態を、私たちは「死」と呼ぶ。

 もう少し具体的に説明しよう。

 脳の神経細胞(シナプス)から信号が発せられると、それは神経突起を経て、
ニューロンに伝えられる。
そのニューロンを介して、信号はつぎの神経突起を経て、神経細胞に伝えられる。
こうした伝達方式を、「ドミノ倒し」という言葉を使って説明する学者もいる。
脳の神経細胞は、つねに新しいシグナルを発し、それをつぎの神経細胞に伝える。
が、その瞬間、つまりシグナルを発したあと、脳は、死んだ状態になる。

 もちろん神経細胞のメカニズムは、そんな単純なものではない。
神経細胞の数にしても、1000億個もあるとされる。
それぞれがそれぞれの無数のシグナルを発し、私たちが「意識」と呼ぶものを
作りあげている。

 意識がパルスであり、かつ瞬時、瞬時に、私たちが(生)と(死)を
繰り返しているとすると、生と死についての考え方が、一変する。
私たちは生と死を、絶え間なく、繰り返していることになる。
ただその間隔があまりにも、短いため、……というより、(死)の状態の
ときには、意識そのものが消滅するので、(死)そのものを認識できない。

●意識が消えたとき

 たとえばこんな例で考えてみよう。

 ある人のパルスの間隔が、5秒間隔であったとする。
5秒間、意識が戻り、つぎの5秒間、意識が消えたとする。
これを交互に繰り返した場合、その人の意識は、意識の上では、つながって
いることになる。
意識が消えたとき、その人は意識が消えたことそのものを意識できない。
だからそれを外部から観察していた人が、「あなたは5秒間、死んでいましたよ」
と告げても、その人は、それを否定するだろう。

 もっと極端な例として、こんなこともありえる。

 あなたは宇宙船に乗って火星に向かっている。
あなたは宇宙船に乗り込んだとたん、冷凍された。
それから2年間、あなたは宇宙船の中で、ずっと眠りつづける。
が、火星に到着する寸前、解凍された。
そのときあなたは、きっとこう答えるにちがいない。
「私は、あっという間に、火星に着きました」と。

●意識の覚醒

 となると、……あくまでも意識パルス説によるものだが、
先にも書いたように、私たちは日常的に、生と死を経験していることになる。
そして「死」とは、パルスが(-)になったとき、そのままの、停止した
状態ということになる。

 このことは、反対に「生」を考えるとき、たいへん役に立つ。
「意識」、つまり「意識の覚醒」をもって、「生」とするなら、
生きるということは、意識の覚醒を保つことということになる。
(ただし意識の覚醒がないから、死んでいるということにはならない。
誤解のないように!)

●仮説

 そこで私の仮説。

 加齢とともに、このパルスの周期が、長くなるのではないか。
若いころは、1秒間あたりのパルス数が多い。
多いから、同じ1秒でも、長く感ずる。

 しかし加齢とともに、パルスの周期が長くなる。
パルス数が少なくなる。
あるいは意識の覚せい状態が短くなる。
だから同じ1秒でも、短く感ずる。

 だからみな、こう言う。
「40代は、あっという間に過ぎた。しかし50代は、もっとあっという間に過ぎた」と。

 これはあくまでも私の仮説である。
つまり加齢とともに、時間の長さをますます短く感ずるようになったり、時間が早く
過ぎるように感ずるようになるのは、パルスの周期数そのものが、減少するためでは
ないか。

 いろいろ調べてみたが、視床下部から発せられるパルス信号について、年令別の
周波数を調べた研究は、見当たらなかった。
が、そのうち、私の仮説が立証されるかもしれない。
「加齢とともに、視床下部パルス数は、変化する」と。

……ということを期待しつつ、意識の連続性の話は、ここまで。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 意識の連続性 視床下部のパルス信号 加齢とともに、どうして時間を
短く感ずるようになるのか 加齢と時間 はやし浩司 仮説)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●10月14日、千葉へ来る

+++++++++++++++++++

10月14日、三男夫婦に会うため、
千葉県千葉市にやってきた。
三男の自宅は、千葉市から、来るまで20分
前後のところ。
今夜は、千葉市内のビジネスホテルに一泊。

新幹線の品川駅で落ち合い、そこから三男の
車で、千葉市へ。
市内のレストランで、1時間半ほどかけて、
夕食をとった。

少し前、三男は、ホテルから出る。
明日、三男の自宅へ。
朝、9時ごろ、迎えにきてくれるという。

ワイフは、風呂に入っている。
私は、こうしてパソコンに向かう。
左には小さなテレビ。
久しぶりに、どっきりカメラ(テレビ
番組)を見た。
おもしろかった。

++++++++++++++++++++

●嫁

 三男の嫁は、私のことを、「パパ」と呼ぶ。
三人の息子たちも、私のことを「パパ」と呼ぶ。
それで嫁も、「パパ」と呼ぶ。

 しかし私には、娘をもった経験がない。
そのため若い女性に「パパ」と呼ばれると、どこかくすぐったい。
悪い気はしないが、どうもピンとこない。
しかしどんな呼ばれ方をしても、このくすぐったさは、変わらないだろう。
「お父さん」でも、「お父様」でも、くすぐったい。
英語式に、「ヒロシ」のほうが、気が楽でよいのだが……。
友人たちは、息子の嫁に、何と呼ばれているのだろう。
一度、だれかに聞いてみよう。

 明日、その嫁に会う。
楽しみ。

●10月15日

 金価格が暴騰している。
昨日は、グラム3200円前後。
現在、ドル・円の為替レートは、1ドルが90円弱。
1年半ほど前には、120円だったから、それで計算すると、
グラム4000円以上。
が、今は、残念ながら(?)、1ドルが90円弱!

 数か月前、IMFが、金を売却すると言った。
本来なら、そこで金価格は下落するはずだった。
しかしすかさず中国が、買いに出た。
「買った」というよりは、手持ちのドルを、金に交換すると宣言した。
世界がそれに追従した。

 そして今、10月はインドでは、金の需要期に入る。
それで大暴騰。
おまけにドルは、ガタガタ。
こういうときは、様子を見ながら、少しずつ売る。

●朝、6時

 今朝は朝6時に目が覚めた。
ホテルの朝風呂に入って、ヒゲを剃る。
ヒゲを剃りながら、若いとき、私の父と母が、浜松へ私たちに会いに来てくれた
ことを思い出す。

 立場がちょうど逆になった。
今度は私たちが三男の家に、遊びに行く。
昼飯をどこかでいっしょに食べることになっている。
楽しみというより、心のどこかで、しんみりとした切なさを覚える。

 こうして人生は、順送りに回りながら、新しい人たちの世界になり、
その世界から私たち老人族は、この世界から、はじき飛ばされていく。
息子たちの自立は、同時に、私たちの自立を意味する。
おかしなことだが、この年齢になってはじめて、絶壁の縁(ふち)に
立たされた。
そんな感じがした。

 この先、息子たちには迷惑をかけないよう、私たちは私たちで、
自分を懸命に支えて生きていかなければならない。
心のどこかに残っている、(依存性)を、さらにつぶさなければならない。
が、本当の問題は、(生きがい)。

●空の巣症候群

 今までは、息子たちを成長させるのが、生きがいだった。
無我夢中でがんばってきた。
それが消えた。
ポッカリと心の中に穴があいた。
「空の巣症候群」という言葉がある。
子どもたちが巣を去ったあと、親たちが感ずる無気力症状を総称したものだが、
空の巣をどうやって埋めていくか。

 まさに待ったなしの人生。
それがこれからの人生。
若いときとちがって、これからの人生には、タイムリミットがある。
若いときは時間を気にせず、放浪の旅ができた。
今は、時間を気にしながら、限られた世界を生きる。
しかも失敗は許されない。

 そこに見えるのは、絶壁。
今、その縁を、恐る恐る、歩きだそうとしている。

●朝食

 ホテルの朝食は、バイキング。
7時から~ということだったが、7時10分ごろ食堂へ入ってみて、びっくり。
どこにこんな客がいたのかと思うほど、多くの人たちが、すでに朝食をとっていた。
60~80席あるテーブルは、ほぼ満席。
私たちは窓際の丸いテーブルに座った。

「都会の人たちは、こんなに朝早くから、仕事をしているんだね」と、
ワイフに話しかける。
「みな、東京へ行くのかもね」とワイフ。
千葉から東京まで、電車で1時間半ほどだそうだ。

 40代後半の女性客が、けっこう多い。
20人前後はいた。
ビジネス客でもないだろうに……と思いながら、今朝はサラダを中心に
軽くすませた。

 昼は、三男夫婦といっしょに食事をすることになっている。

●ビジネス

 商社マン時代は短かったが、こうした朝の風景は、当時と、ほとんど
変わらない。
林立するビルの間の、モダンなホテル。
大きな窓からは、コンクリートの道路や塀が見える。

 ザワザワとした会話。
「さあ、これから仕事!」という意気込み。
それが私にも伝わってくる。
それぞれがそれぞれの思いをもって、今日、1日を始める。

 窓の外を見ると、スーツを半分着ながら、ホテルから出て行く男が見えた。
年齢は、私くらい。
つづいてぞろぞろと、男たちが出て行く。
その間を仕事場へ向かう、男女が、右へ、左へと歩いている。

●ビジネス

 この風景を垣間(かいま)見ただけでも、人間の数よりも多くの、工夫や発明が
容赦なく飛び込んでくる。
人間の英知の結集というほど大げさなものではないかもしれない。
しかしガラス窓の下には、人口大理石の窓枠。
その窓枠とガラスの間には、細いステンレスの金具、ゴムのシールド、
それにコーティング。
窓の外からは、黒い樹脂が、隙間を埋めている。

 1枚のガラスを支えるだけでも、これだけの工夫や発明が折り重なって
いる。

 一方でビジネスマンの人たちを見やりながら、改めてその凄さに驚く。
つまり私の知らない世界で、私の知らない、無数の人たちがいて、それぞれ
が、それぞれの仕事をしている。
無数の英知を積み重ねている。
まるで細かい時計仕掛けのよう。
その凄さに驚く。

●散歩

 朝食のあと、ワイフと近くを散歩した。
通りへ出てみると、見慣れない看板、サイン、……どこか疲れた裏通り。
「入浴料、5000円」という看板を見て、そこが歓楽街と知った。
「写真を見るだけなら、無料」という看板もあった。

 乾いた道路を、いかにもそれらしい男が、フラフラと歩いていた。
千葉市は、浜松市よりも、ずっと大きい。
モノレールも走っている。
大通りを行きかう人たちも、いかにも都会の人という感じがする。
そういう人たちが、千葉駅のほうから、ゾロゾロと手前に向かって
歩いてきた。

 私が写真を撮ると、ワイフが、「どうして?」と聞いた。
「……ハハハ、ぼくには珍しい光景だから……」と。

●ビジネス

 私はこういう世界が、嫌いだった。
嫌いだったから、逃げた。
逃げたというより、追い出された。

 以来、こういう世界とは無縁の世界を生きてきた。
あえてこういう世界を避けてきた。
避けてきたというより、背を向けてきた。
その結果が今。

 私はすっかり田舎人になった。
田舎人の目を通して、都会の人たちをながめている。
それがまた私には、珍しい。
楽しい。

●うつ?

 ところでこの10日ほど、原稿をほとんど書いていない。
「とうとうボケたか?」と思うほど、書いていない。
パソコンに向かっても、空回りするだけ。
何を書いても、つまらない。
「こんなことを書いて、何になるのだろう?」という思いばかりが、先に立つ。
あるいは「こんなことは、前に書いたことがある」というところで、手が止まって
しまう。

 ワイフは、「うつ病の症状よ」と言った。
そうかもしれない。

 で、昨日は千葉市まで、このパソコンをもってきた。
今、愛用のミニ・パソコン。
TOSHIBAのUX。

 これから三男の家に向かう。
嫁が気を使うだろうということで、昨夜はホテルに泊まった。
私たちも気を使う。
が、朝方、たくさんの夢を見た。
あまり熟睡できなかったようだ。

……ということで、10月15日は始まった。
2009年10月15日。
さわやかな季節。
がんばろう!
三男夫婦には、ジジ臭い様子だけは、してみせたくない。

●三男の自宅

 三男の家に向かう途中、大型のショッピングセンターに寄った。
そのときのこと。
私とワイフは、買い物をしながら、三男夫婦のうしろをついて歩いた。
おかしな気分だった。
私が息子のうしろをついて歩く……?

 いくらがんばっても、そこにいるのは、私の子ども。
子どもにしか見えない。
自分がその年齢だったころのことを思い出しながら、「こいつはもう子どもではない」
と自分に言い聞かせる。
が、その意識を抜くのは、むずかしい。

 ……たぶん、息子夫婦から見れば、私たちは、ジー様、バー様なのだろう。
若いころ、50歳になった知人が、たいへんな老人に見えた。
そういう自分を知っているからこそ、私は静かに三男に従った。
だまってあとをついて歩いた。
スゴスゴ……、と。

●古家

 三男は、三男の友人から古家を借りて住んでいる。
家賃はx万円という。
破格の家賃である。

 二階建てで、一階部だけで、4部屋もある。
家具がない分だけ、がらんとしている。
部屋の使い方が、オーストラリア人風。
オーストラリア人なら、こういうふうに部屋を使うだろうなというような
使い方をしている。

 三男は、横浜K大を出て、航空大学へ入る前、南オーストラリア州の
フリンダース大学に留学していた。
大きな影響を受けたということは、部屋の使い方だけを見てもわかる。

●再び、父と母

 再び、若いころ、父と母が、私の浜松の家に遊びに来たときのことを
思い出す。
あのときは、6畳と4畳だけの小さなアパートに住んでいた。

 「父は、どんな気持ちで来たのだろう」、
 「母は、どんな気持ちで来たのだろう」と。

 私がワイフと浜松に住むようになったとき、母は、「悔しい」「悔しい」と、
親戚中に電話をかけていたという。
最近になってそれを知ったが、私には、そういう気持ちはない。
さみしさがないと言えばウソになるが、私の人生も、ここまで。
子育てから解放されたことを、まず喜ぶ。
それが私の限界。
その限界を知る親が、賢い親ということか。

●品川駅で

 帰るとき、三男が品川駅まで送ってくれた。
みやげまでもらった。
私たちが車を出ると、私たちの姿が見えなくなるまで、ドアのところに
立って、見送ってくれた。
うれしかった。
少しさみしかった。

 「来週、チェックがある」と、別れ際に言った。
チェックというのは、定期試験のようなもの。
「飛行機は毎回新型になっていくし、空港も、どんどんと変わっていく」と。
厚さが15センチもある大型のファイルブックを、10冊ほど、車のトランク
に積んでいた。
「たいへんだね?」と言うと、「この仕事は、一生、勉強だよ」と言って笑った。

 私のほうが、ずっと子どもに見えた。……思えた。

(補記)

●大都会

 品川駅から千葉市へ、そして品川駅へ、今回は高速道路を利用して、移動した。
途中、東京タワーが見えた。
が、その東京タワーが、周囲のビル群に囲まれて、小さく見えた。
私が中学生のときに感じた、あの(高さ)は、もうなかった。

 東京は、やはり都会だった。
恐ろしく大きな、都会だった。

 車でビル群をながめているだけで、自分がどんどんと小さくなっていくのを感ずる。
この無力感。
同じ人間なのに、同じ日本人なのに、私と都会の間に、厚い壁を感ずる。
ぜったいに越すことができない、厚い壁を感ずる。
ビルの中から私を見おろしている人たちには、私はきっと、川原の石ころの
ように見えるはず。
それがわかるから、自ら身を引く。

 三男に会いに行って、よかった。


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