●ずるい言い方
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ずるい言い方をする人は、多い。
たとえば重要な話を、どうでもいいような話に
くるんで、話したりする。
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●ある勧誘
たった今、ある通信会社から、電話がかかってきた。
かなり年配の女性の声だった。
いわく、「電話の基本料金が、今より1200円安くなります」と。
NTTという名前を、うまく混ぜて使った。
で、少し話を聞いていると、こう言った。
「トータルで、私どもの光通信にすると、今より、約1200円、安くなります」と。
私「何ですか、そのトータルというのは?」
女「光通信にするとですね、電話の基本料金が、1200円ほど、安くなります」
私「だからア、何と、トータルなのですか?」
女「インターネット、なさっていますね?」
私「しています」
女「インターネットと合わせて、トータルで安くなるということです」
私「だったら、プロバイダー(サーバー)を変えろということですか」
女「そういうことになります」
私「だったら、最初から、そう言うべきじゃ、ないですか」
女「ハア~」
私「最初から、プロバイダーを変えませんか、と」
女「そうですねエ」
私「あのね、プロバイダーなんて、簡単に変えられませんよ」
女「メールアドレスなんかも、全部、変えなければなりませんからね」
私「それだけでもないですよ。同じアドレスをあちこちで使っていますから」
女「そうですね……」
私「そういうずるい言い方をしては、だめでしょう。知らない人だったら、
『はい』って、言ってしまいますよ。で、あとでたいへんなことになる」と。
ずるい人は、大事な情報を、どうでもよい情報でくるみながら、話をする。
私は、この種のずるい言い方に出会うと、どういうわけか、頭にカチンとくる。
私の近くにも、そういうずるい言い方をする人がいた。
さんざん、ひどい目にあった。
そのときの(怒り)が、フラッシュバックしてくる。
許せない!、……ということで、電話の女性を相手に、言いまくった。
私「最初から、正直に言えばいい。人をだますような言い方はしてはいけない」
女「すみません」
私「そんな言い方で、相手を勧誘しておいて、あとで、知りませんでは、
通らないでしょ」と。
しかしなぜ、私がこうまで不愉快に思うかというと、もうひとつ、理由がある。
実は、私自身も、若いころ、ずるい人間だった。
ずる賢いというか、小ずるいというか……。
そういう人間だった。
だからずるい人を見ると、自己嫌悪感も重なって、そういう人に腹が立つ。
心理学では、「投射」という言葉を使って、それを説明する。
自分の醜い部分や、いやな部分を、相手に投げつけて、その相手を嫌ったり、
憎んだりすることをいう。
『ずるい人間は、ずるい人間に厳しい』ということ。
『泥棒の家は、戸締りに厳重』に近いが、『泥棒ほど、泥棒を憎む』のほうが、よい。
で、この話には、つづきがある。
そのあと、私とワイフは、夕食を、牛丼のY家で食べた。
ワイフが割引券をもっていた。
「セットもの、50円引き」とあった。
で、私は、牛焼肉セット、ワイフは、豚カレーというのを食べた。
店を出る直前、割引券を見ると、「10月31日まで」とあった。
ギリギリ、セーフ!
で、その券といっしょに料金を払おうとして、別の割引券を、もう一度よく見ると、
「午後3時まで」とあった。
割引券の有効期限が、10月31日の午後3時という。
が、そのときには、すでに店員が、50円引きで、レジを打ってしまっていた。
時刻は、午後7時を回っていた。
私「アノ~、有効期限が、午後3時までになっていますが、いいですか?」
店「……ああ、そうみたいですね。ハハハ。もう時間が過ぎていますね」
私「正直に言ったから、『まあ、いいです』ということにはなりませんか?」
店「ハハハ、申し訳ございません。そういうことにはなりません」と。
こうして私たちは、50円、損した(?)。
が、気持ちよかった。
損か得かということになれば、私たちは料理の半分も食べていない。
そちらのほうが、よほど、損。
それを言うと、ワイフは笑った。
Y家の牛丼にかぎらず、このところファーストフードの店は、どこも料理の
量が多すぎる。
とても1人では、食べきれない。
が、全部食べたら、自分の体を損(そこ)ねる。
だから半分は、残すようにしている。
正直が、いちばん。
正直に生きるのが、いちばん。
そのほうが、後味もよい。
まさに後(味)。
私たちは土曜日の夜を過ごすため、山荘に向かっていた。
Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司
●WINDOW7に
今日、ビスタ搭載のパソコンを、WINDOW7に、UPGRADEしようとした。
……といっても、その下準備。
UPGRADEしたいパソコンのウィルス対策ソフトは、WINDOW7に
対応していない。
しかし今度買った、XPパソコンのウィルス対策ソフトは、WINDOW7に
対応している。
そこで2つのパソコンにインストールしてある、それぞれのウィルス対策ソフトを
交換することにした。
一度、両方のウィルス対策ソフトを削除する。
その上で、改めて両方のウィルス対策ソフトを、インストールする。
口で言うと簡単そうに見えるが、その作業のために、何と、2時間もかかってしまった。
いろいろあった。
(わかりやすく言えば、ウィルス対策ソフトというのは、基本的には、別のパソコンに
再インストールできないようになっている。
それにXPに入っていたソフトは、一度、使用期限を延長して使っていた。
その更新手続きに、手間取った。)
そしていよいよWINDOW7へのUPGRADEというところで、時間切れ。
このつづきは、また来週。
●Sxx教団
コンビニで、週刊誌を読む。
その中に、いくつかのSxx教団の記事が載っていた。
世の中には、おかしな宗教がある。
宗教というよりは、カルト。
カルト教団。
その中のひとつでは、毎晩、祭壇でSxxをして、一日を終えるのだそうだ。
また別の教団では、何でもヨーグルトを塗ってから、Sxxをするのだそうだ。
バカ臭さを通り越して、あきれてしまった。
あきれたというよりは、笑ってしまった。
「人間はここまでバカになれる」と。
もっとも宗教というよりは、新しいタイプのSxxの楽しみ方かもしれない。
宗教は、大きく、神秘主義のものと、哲学主義のものに分かれる。
それらの混在型というのもある。
しかしここに書いたカルト教団は、神秘主義でもない。
もちろん哲学主義でもない。
生々しいほど、現実主義。
哲学など、もちろん、どこにもない。
物欲的で、享楽的。
死が宗教と大きく関係しているように、生もまた、宗教と関係している。
その「生」は、「性」によって、始まる。
人が死んだら、葬式をする。
同じように、Sxxによって、人は生まれる。
生まれるための儀式があっても、おかしくない。
生と死。
それをうまくこじつけたのが、Sxxを売り物にするカルト教団ということになる。
(生)→(性)→(Sxx)と。
事実、世界の宗教の中には、インドのヒンズー教を例にあげるまでもなく、Sxxを
神聖視している教団も少なくない。
しかしここで矛盾が、出てくる。
Sxxは、人間の欲望と深く、からんでいる。
その欲望と、どう切り離すのか。
欲望と切り離したら、Sxxは、成り立たなくなる。
一方、欲望を追求すれば、宗教性は、霧散する。
結論を先に言えば、Sxxには、神秘性もなければ、哲学性もない。
性に飢えた人間には、神秘的かもしれないが、Sxxなど、ただの排泄。
Sxxに意味をもたせるほうが、おかしい。
「性は無」。
どこまでいっても、「性は無」。
若いころ、今東光が、私にそう教えてくれた。
そのことは、男も更年期を迎えるとわかる。
私も55歳前後だったと思うが、一時期、Sxxに、まったく興味を失ってしまった
ことがある。
しかしあのとき感じた解放感は、今でも忘れない。
体中にからみついていた、細いクサリがほどけたような感覚だった。
私は、自分が、いかに性の奴隷であったかを知った。
もしSxxに、宗教性があるとするなら、食欲教団というのは、どうか?
どこかで食事をしながら、生と死を論ずる。
あるいは排便教団というのでも、よい。
みながトイレに一列に並んで、便を出す。
出しながら、生と死を論ずる。
そのほうが、よほど哲学的。
それに楽しい。
ともかくも、Sxx教団など、野に咲くあだ花のようなもの。
人間の世界を愉快にする、ジョーク。
が、笑ってばかりはおられない。
もしあなたの子どもが、そういう教団の餌食となったら、どうする?
ものごとは、ここから考える。
身を捧げ(?)、マネーを捧げ(?)、最後は人生を捧げる(?)。
そうなったとき、あなたはそれを果たしてジョークと言って、笑えるだろうか。
カルト教団には、いつもそういう問題がからむ。
けっして、安易に考えてはいけない。
攻撃の手を緩めてはいけない。
こうしたカルト教団は、いつも私やあなたの心の隙間をねらっている。
私やあなたの子どもの心の、すき間をねらっている。
攻撃こそ、最大の防御。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW Sxx教団 カルト教団 カルト問題)
Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司
●早朝
目の前には幾重にも重なった、山々が見える。
今、数えてみたが、5層になっている。
手前のほうが、より色が濃く、遠くへ行けばいくほど、淡く、水色を帯びている。
今朝は、まったくの無風。
山では、朝方と夕方、一度、風の動きが止まる。
それにしても、まったくない日というのは、珍しい。
スチル写真のように、動きを止めている。
空には、厚い雲。
よく見ると、その雲も、動きを止めている。
どこか肌寒く、どこか湿っぽい。
今日から11月。
昨夜、ワイフは、もう一台のパソコンを使って、DVDを見ていた。
私は、お茶を飲みながら、雑誌を読んでいた。
床に入ったのが、午後11時半ごろ。
で、起きたのが、午前5時半ごろ。
6時間の睡眠ということになる。
ワイフは、今日は、愛知県のほうまで紅葉を見に行こうと言っている。
昨夜、山荘へ来るとき、そう言っていた。
しかし私は休みの日に、計画を立てるのは好きではない。
万事、成り行き。
そのときは、そのとき。
だからこう言った。
「明日になったら、考えよう」と。
で、その(明日)になった。
沈んだ景色。
先にも書いたように、厚い雲。
夕方には雨になるという。
それに今日は、どこかで昼寝をしなければならない。
遠出は無理かな……?
●ダイナブックUX
ダイナブックUX(TOSHIBA)に、6セルバッテリーをつけてみた。
計算上では、これ1本で、カタログによれば、10時間の連続使用が可能。
で、数日前、本当にそうかどうか、調べてみた。
(使用した時間)÷(バッテリーの減った%)で、計算できる。
たとえば、2時間使用して、バッテリーが、27%減ったとすると、
このばあい、120(分)÷0・27=7・4(時間)ということになる。
それで計算してみたら、7・4時間という数字が出てきた。
悪くない。
「10時間」というのは、あくまでも目安。
実測時間は、その半分程度というのが、この世界では常識。
しかし7・5時間もあれば、じゅうぶん。
もう一本のバッテリー(3セル)と合わせて、10時間以上。
これならどこでも、時間を気にせず、使用できる。
で、今のところ、このダイナブックUXが、いちばん気に入っている。
キータッチの感触がよい。
横に、16インチのノートパソコンがあっても、UXを使って文章を叩いている。
指先でいじっているだけで、気持ちよい。
ボケ防止にもなる。
●厚い雲
先ほど、「厚い雲」と書いた。
午前6時前には、そうだった。
しかし今、空を見ると、ナント、雲の間に、水色の空が見えるではないか。
その向こうには、白い雲まで見える。
1時間もしない間に、空の様子が、一変した。
「こういうこともあるんだ」と、今、そう思った。
もうすぐワイフが、起きてくるはず。
「どこかへ行こう」と言うはず。
どうしよう?
「妻を退屈させないのは、夫の役目」。
何かの雑誌に、そう書いてあった。
一方、ワイフは、私の生きがいに、あれこれと気をくばってくれている。
やりたいように、させてくれている。
こういうのを、ギブ&テイクという。
あとの判断は、ワイフに任せよう。
愛知県のほうまで紅葉を見に行きたいと言えば、それに従うしかない。
Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司
●教師の本音(「教職の仕事は、こりごり」)
昨日、74歳になる元教師という人と、しばらく話をさせてもらった。
YN氏という名前の人だった。
ときどき近くの小学校へ行って、ボランティア的な仕事をしているという。
で、その話を聞いたとき、私は、こう言った。
「どんな先生も、退職すると同時に、『教育なんて、もうコリゴリ』と言って、
教育の世界から遠ざかっていきます。が、珍しいですね」と。
するとそのYN氏は、こう言った。
「私も若いころ、退職していく先生が、そう言っているのを聞いた。
しかし40年近くも仕事をしながら、退職するときに、そう言うというのは、
自己否定もはなはだしい。
だから私は若いころ、自分は一生、教育と何らかの形で、関わっていきたいと
思っていた。
もちろん退職したあとも、ね。
しかしね、林先生(=私)、本音を言えば、そうですよ。
私も教育は、もう、こりごりです」と。
教職は別として、サラリーマンの世界は、もう少しきびしい。
『退職したら、ただの人』と言う。
いくら肩書きや地位があっても、退職したら、ただの人。
まわりの人も、そうとらえるが、自分自身でも、「ただの人」になる。
またそうならないと、老後を楽しく暮らすことはできない。
みなに嫌われる。
では、教職の世界は、どうか?
退職したら、ただの人なのか?
またそうであって、よいのか?
キャリアをもっと生かす方法とか、道とかはないのか。
もっとも教職の世界にも、天下りというのがある。
たいていの教師は、退職と同時に、公共の施設で何らかの仕事をする。
図書館の館長とか、公民館の館長というのが、多い。
子育て相談や、いろいろな会合で講師をする人もいる。
大学の教壇に立つ人もいる。
こうして満65歳くらいまでは、たいていの教師は働く。
しかし「本音を言えば、こりごり」と。
「今ではね、体育館で子どもが怪我をしても、教師はその子どもの家まで
行って、頭をさげなければなりません。
それだけでも1~2時間は、かかってしまいます。
昔なら、電話一本ですんだ話でも、今は、そういうわけにはいきません。
1~2時間も取られると、翌日の教材の用意もできなくなります。
したくもない雑用ばかりで、本来の教育が、どこかへ行ってしまっています。
そういうのも、理由のひとつではないでしょうか」と。
多くの教師は、今の今も、(したい仕事)と(したくない仕事)のはざまで
もがいている。
が、残念なことに、実際には、(したくない仕事)のほうが、多い。
重圧感もある。
その場にいた、現役の校長(小学校)も、こう言った。
「今では学校に、親が介入してきます。
子どもに神経を遣う部分が、70%。
親に神経を遣う部分が、30%。
その30%のほうで、教師は、疲れてしまうのです」と。
そうした負担感が積もりに積もって、「もう、こりごり」となる。
それが教師の本音ということになる。
が、日本の教育にとって、これほど、まずいことはない。
だったら、どうするか?
カナダのように、徹底して、(教育)を(学校)から抜き出す。
「学校は教育をするところ」と位置づけて、それ以外の雑務から、教師を
解放する。
日本の大病院の医療制度を想像すればよい。
医師は、自分の診察室内でのことには、責任をもつ。
しかし患者が一歩、診察室を出たら、医師はいっさいの責任から解放される。
同じように、教師は、自分の教室内でのことについては、全責任を負う。
しかし子どもが教室から一歩でも出たら、いっさい、関係なし。
そういうしくみを早急につくりあげないと、現場の教師は、みな、つぶれてしまう。
今のように、生活指導も含めて、「何からなにまで先生が……」というしくみの
ほうが、おかしい。
世界的に見ても、異常。
まず、そのことを、政治が気づき、ついで、親たちが気づいたらよい。
また学校の教師にしても、できないことはできないと、はっきりと声に出して
言えばよい。
へたに何でも引き受けるから、自分で自分の首を絞めてしまう。
EU諸国(ドイツ、イタリア、フランス)では、クラブ制度が発達している。
子どもたちは基本的な授業は学校で受けるが、それが終わると、みな、クラブ
(塾)へ通っている。
たとえば英語教育にしても、そういったものは、民間の英語教室に任せればよい。
その費用は、バウチャー券でも、子ども券でも何でもよい。
そういう形で、政府が負担すればよい。
(英語教育が必要と考える人)もいる。
(必要でないと考える人)もいる。
(自分の子どもに、英語を教えたいと思う人)もいる。
(自分の子どもに、英語を教えたくないと思う人)もいる。
(英語を勉強したいと思う子ども)もいる。
(英語を勉強したくないと思う子ども)もいる。
(英語以外の言葉を勉強したいと思う子ども)もいる。
そういう現状を無視して、北海道から沖縄まで、「平等で、同じ教育を」と
言うこと自体に、無理がある。
……とまあ、少し話が脱線したが、こうした無理も、教師からやる気を奪う
理由のひとつになっている。
では、私は、どうか?
私は死ぬまで、今の仕事をつづける。
つづけたい。
年金の問題もあるが、(というのも、国民年金など、アテにならないので)、
それ以上に、こうして自由にものを考えたり、書いたりする時間があるのが、
楽しい。
もし今の仕事をやめたら、そのとたん、私は、生きる屍(しかばね)になって
しまう。
自分でも、それがよくわかっている。
それに楽しいか、楽しくないかということになれば、幼児を相手に、ものを
教えることぐらい、楽しいことはない。
その子どもの、未来を創ることができる。
親がそこにいることも、気にならない。
だから62歳をすぎたが、「こりごり」という言葉は、私からは出てこない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 教育の現場 現状 元教師 悩み 苦悩 教育論 はやし浩司 教育はどうあるべきか 教育の現場 問題点)
Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司
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