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彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10月 7日号
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●英語のジョーク
++++++++++++++++++++
オーストラリアの友人のBob君が、こんなおもしろい
ジョークを集めてくれました。
(Thank you Bob!)
++++++++++++++++++++
先生「マリア、地図のところへ行って、北アメリカがどこにあるか、見つけてきなさい」
マリア「(指をさしながら)、ここです」
先生「そうです。では、みなさん、だれが北アメリカを発見したか、知っていますか」
生徒たち「マリア!!」
KIDS ARE QUICK:
TEACHER: Maria, go to the map and find North America.
MARIA: Here it is.
TEACHER: Correct. Now class, who discovered America?
CLASS: Maria.
先生「どうしてあなたはかけざんを、床の上でしているの?」
ジョン「だって先生が、テーブル(机、掛け算表)を使ってしてはいけないと
言ったから」
TEACHER: John, why are you doing your math multiplication on the
floor?
JOHN: You told me to do it without using tables.
先生「グレン、あなたはワニは、どういうふうに綴るのですか」
グレン「KROKODIAL」
先生「あなたはまちがっている」
グレン「わかっている。でも、先生は、ぼくがどう綴るかを聞いたでしょ」
TEACHER: Glenn, how do you spell 'crocodile?'
GLENN: K-R-O-K-O-D-I-A-L'
TEACHER: No, that's wrong
GLENN: Maybe it is wrong, but you asked me how I spell it.
(I Love this kid)
先生「ドナルド、水の分子式を言いなさい」
ドナルド「HIJLLMNOです」
先生「何を言っているの?
ドナルド「だって、先生、先生は昨日、水は「H to O(HからOまで)と
言ったじゃない」
TEACHER: Donald, what is the chemical formula for water?
DONALD: H I J K L M N O.
TEACHER: What are you talking about?
DONALD: Yesterday you said it's H to O.
先生「ウィニー、私たちが10年前にもっていなかった、重要なものを言いなさい」
ウィニー「私!」
TEACHER: Winnie, name one important thing we have today that we
didn't have ten years ago.
WINNIE: Me!
先生「グレン、どうしてあなたはいつも、そんなに汚れているの?」
グレン「先生より、ぼくのほうが地面に近いからです」
TEACHER: Glen, why do you always get so dirty?
GLEN: Well, I'm a lot closer to the ground than you are.
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【名言集】
I CAN:
When I offend, I prefer it to be intentional.--Scott Adams
私は怒ったとき、よりい国際的になることを好む。
The last time I had a 36-inch waist was in the 8th grade.--John Madden
ぼくのウエストが、最後の36インチになったのは、中学2年生のときだ。
Drug misuse is not a disease; it is a decision, like the decision to move
out in front of a moving car.--Philip K Dick
ドラグの使用は病気ではない。それは心の決意の問題だ。
動いている車の前に飛び出すような決意だ。
++++++++++++++++++++++
FUNNY FORWARDS:
An invisible man marries an invisible woman. The kids were nothing to look
at either.
透明人間の夫が透明人間の妻と結婚した。
その子供たちは、何も見えなかった。
Two cannibals are eating a clown. One says to the other: 'Does this taste
funny to you?'
2人の人食い人種が、道化師を食べた。
1人がもう1人に言った。
「おもしろい味がしたかい?」
P.S. what do you call a fish with no eyes? A fsh!
目(アイ)のない魚(FISH)は、何と呼ぶか、知っているか?
答え……「FSH」
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●本音と建前
+++++++++++++++++++
学生時代、オーストラリアの人たちはみな、
私に親切だった。
あの人口300万人と言われたメルボルン市でさえ、
日本人の留学生は、私、1人だけ。
もの珍しさもあったのかもしれない。
が、あるとき、どういうきっかけかは覚えていないが、
こう感じたことがある。
「友人としてつきあう分については、そうかもしれないが、
一線を越えたらそうではないだろうな」と。
++++++++++++++++++++++
●社会的距離尺度(ボガーダス)
たとえば(結婚)。
(友人)としての範囲なら、親しく接してくれるオーストラリアの人たち。
しかしその範囲を越えて、たとえば(結婚)となったら、どうだろうか。
当時の状況からして、それはありえないことだった。
1970年当時、白豪主義は、残っていた。
日本人は、まだ第二級人種と位置づけられていた。
仮に相手がオーストラリア人であっても、第二級人種と結婚したばあい、
そのオーストラリア人も、第二級人種に格下げされた。
こうした距離感を、「社会的距離尺度」(ボガーダス)という。
つまり表面的には受容的であっても、内面では、否定的。
その距離感のことをいう。
日本的に考えれば、(本音)と(建前)ということになる。
●心の遊び
日本人には、うつ病の人は少ないと言われている。
その理由のひとつに、日本人の心がダブル構造になっていることが
あげられる。
(本音)と(建前)というのが、それ。
表と裏を、うまく使い分ける。
それが心に穴をあける。
一方、それに比較して、欧米人は、なにごとにつけ、ストレート。
日本的に本音と建前を使い分けると、「うそつき」というレッテルを
張られる。
その分だけ、心の(遊び)がない。
だからうつ病になりやすい。
●本音で生きる
が、できれば、日本人の私たちも、できるだけ本音で生きるように
したい。
本音と建前を分ければ分けるほど、外から見ると、訳の分からない民族
ということになる。
その典型的な例というわけでもないが、よく話題になるのが、日本人の
(笑い)。
よく電車に乗り遅れたような人が、プラットフォームで苦笑いするような
ことがある。
ああした(笑い)は、欧米人には理解できないもの。
最近ではぐんと少なくなったが、デッドボールを当てたピッチャーが苦笑いを
するのもそれ。
内心と表情が、別々の反応を示す。
いやなヤツと思っていても、ニコニコと笑いながら接する。
そういう場面は多い。
しかしそういう生き様は、時分自身を見苦しくする。
あとで振り返っても、後味が悪い。
●「自分の心を偽るな!」
平たく言えば、「どうすれば社会的距離尺度を、短くすることが
できるか」ということ。
で、私はここ1年ほど、子どもたちを指導しながら、こんなことに
注意している。
幼稚園の年中児でも、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞くと、
みな、恥ずかしそうな顔をして、こう言う。
「嫌いだよ~」「いやだよ~」と。
そこですかさず私は、真顔で、子どもたちを叱る。
「ウソをつくな!」「好きだったら、好きと言え!」
「自分の心を偽るな!」と。
2、3度、真剣にそう叱ると、子どもたちはみな、
「好きだよ~」と、小さな声で答える。
つまり日本人独特の、本音と建前は、こうして生まれ、
子どもたちの心に根付く。
(少し大げさかな?)
●本音で生きよう
本音で生きるということは、勇気がいる。
しかしその分だけ、人生がわかりやすくなる。
すがすがしくなる。
自分を飾ったり、ごまかしても、後味が悪いだけ。
どうせ一回しかない人生。
だったら、思う存分、本音で生きてみる。
ものを書く立場で言うなら、ありのままをありのままに書く。
こう書くからといって、誤解しないでほしい。
読者あっての(文章)だが、私は、読者など、もうどうでもよい
とさえ思っている。
読んでくれる人がいるなら、それでよし。
読んでくれなくても、どうということはない、と。
どう判断されようが、私の知ったことではない。
大切なことは、こうして懸命に生きている人間がいること、
……過去にいたことを、何らかの形で、だれかに伝えること。
それができれば、御の字。
それ以上、何を望むことができるか?
話はそれたが、本音で生きるということには、そういう意味も
含まれる。
余計なことかもしれないが……。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●伊豆・熱川(あたがわ)温泉にて
+++++++++++++++++
今日は、講演のつづきで、伊豆の熱川温泉に泊まった。
きびしい海岸線にへばりついたような温泉街で、いたるところから白い蒸気が立ち上って
いるのがわかった。
ホテルに着くと私たちはすぐ、海岸へ出てみた。
やや荒い波が、黒っぽい砂浜に絶え間なく、打ち寄せていた。
何組のかの若い男女が、波と戯れていた。
私は、DVDカメラを回しつづけた。
泊まったホテルは、「ホテル・セタスロイヤル」。
「セタス」というのは、「クジラ座」という意味だそうだ。
駅からホテルまで運んでくれた運転手が、そう教えてくれた。
この地域は、何かのことでクジラと縁があるらしい。
9階の私たちの部屋から、そのまま太平洋が一望できた。
すばらしい!
ワイフは、「私は海が好き」と、子どものようにはしゃいでいた。
+++++++++++++++++++++
●セタスロイヤル
実名を出してしまったので、評価することはできない。
しかし熱川温泉では、海に面した、見晴らしのよさでは、最高のホテル。
各部屋から、太平洋が、視界が届く限り、端から端まで、一望できる。
加えて6階にある露天風呂がすばらしい。
広くて、美しい。
ただ露天風呂までの通路が長いのが、やや気になる。
寒い冬などは、それだけで体が冷えてしまうだろう。
が、長い通路を通りぬけて行くだけの価値はじゅうぶん、ある。
私たちはそのホテルの最上階、つまり9階に部屋にあてがわれた。
で、このところ私たちは、ほかにホテルがあっても、その土地へ行ったら、
できるだけ同じホテルに泊まるようにしている。
新しいところで冒険するより、勝手がよくわかったホテルのほうが、落ち着く。
2度目より3度目。
3度目より4度目のほうが、落ち着く。
次回、何かの機会で熱川温泉へ来るようなことがあれば、まちがいなくセタスロイヤルに
泊まるだろう。
●旅のよさ
人生を旅に例える人は、多い。
たしかに旅だ。
もう少し詳しく表現すれば、人生は、(時の旅)。
旅は、(位置の旅)。
時間と空間のちがいということになるが、今では、時間と空間は、物理学の世界では、
「同じ」と考える。
たとえば時間が止まれば、物体の移動も止まる。
時間が動き出せば、物体もまた動き出す。
見た目には静止していても、分子レベルでは、猛烈な勢いで動き出す。
私たちは位置を移動することによって、そこに時間の動きを感ずることができる。
わかりやすく言えば、(変化)を感ずることができる。
(時間の変化)を感ずることができる。
その時間の変化を感ずるために、旅をする。
●時間の変化
わかりにくいことを書いた。
理屈っぽくすぎて、「?」と思った人も多いことだろう。
つまり旅をすることによって、それまで止まっていた時計が、
再び動き出す。
時間の変化を感ずることができる。
もし旅をしなかったら、今日は昨日のまま過ぎ、明日は今日のまま過ぎる。
「マンネリ」という言葉も、そういうときの状態を表現するためにある。
わかりやすく言えば、そういうこと。
が、旅は、その時の流れに、ひとつの区切りを入れてくれる。
今日と昨日の間に、区切りを入れてくれる。
今日と明日の間に、区切りを入れてくれる。
今度の旅は、確実に、その区切りを入れてくれた。
●朝、5時に起床
朝、5時に目が覚めた。
昨夜は、午後9時半ごろ、それまでの疲れがどっと出たのか、そのまま眠ってしまった。
それで5時。
静かにカーテンをあけると、そこに再び、太平洋が現れた。
窓を開けると、潮騒の音が、部屋中に響いた。
空はほんのりと、ピンク色。
紫色の雲が、左から右へと、ゆっくりと流れているのがわかる。
その下を細いひだになった波が、手前へと流れている。
壮大な景色である。
水平線だけの、壮大な景色である。
私はDVDを回し、つづいてカメラのシャッターを切る。
午前5時26分。
日の出。
真っ赤な、小さな光点が、水平線から顔を出す。
●リバウンド?
伊東もよい。
稲取もよい。
しかしここ熱川もよい。
伊豆半島の東岸には、すばらしい温泉地が並ぶ。
近く、下田の市民文化会館で、講演をすることになっている。
そのときは、下田市に一泊するつもり。
楽しみ。
そうそう昨夜は料理で、一夜にして、3日分を食べた。
量的には、それくらいあった。
あとで体重計に乗るのがこわい。
おそらく63キロ台に戻っているはず。
私は食べたら、食べた分だけ太る。
今日は、がまんして、絶食。
(浴場にあった体重計に乗ってみたら、意外や意外!
体重は、60キロを切っていた!
「?」と思いながら、数回、量りなおしてみる。
私は講演期間中は、食事の量を極端に減らしている。
講演中に眠くなってしまう。
今日も、口にしたのは、稲荷寿司、数個だけだった。
リバウンドしていなかったことを、喜んだ。)
●心の整理
ワイフが楽しそうなのが、うれしい。
家の中で見るワイフと、旅先で見るワイフは、別人のよう。
昔から、「電車に乗っているだけで、楽しい」と、口癖のように言う。
一方、私は実家の問題が、解決した。
実家から解放された。
ついでに姉夫婦とも、xxした。
いろいろあった。
ありすぎて、ここには書けない。
それに書けば、いろいろと問題になる。
姉の娘が、ときどき私のHPをのぞいている。
のぞいては、内容を、あちこちに知らせている。
ただできるなら、もう私たちのことは、放っておいてほしい。
気になるのはわかるが、あなたがたはあなたがたの人生を生きればよい。
私の家の心配をするよりも、あなたがたの家の心配をしたほうがよいのでは・・・?
このままでは・・・?
この先のことは、あなたがたが、いちばん、よく知っているはず。
私が何も知らないと思っているのは、あなたたちだけ。
(わかりましたか、SRさん、それにMSさん!)
ともかくも、今は病気に例えるなら、病後の養生期。
ゆっくりと静養して、つぎの人生に備える。
●新しい人生
こうして私の新しい人生は、始まった。
太平洋に昇る朝日を見ながら、それを感じた。
老後なんて、私には関係ない。
これからが私の人生。
今まで苦しんだ分だけ、自由に、この大空をはばたいてみたい。
今日が、その第一歩。
2009年9月6日、日曜日。
Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司
●運命(Destiny)
++++++++++++++++++++
無数の(糸)がからんで、ときにその人の
進む道を決めてしまう。
社会の糸、家族の糸、生い立ちの糸などなど。
それを「運命」という。
が、「運命」は、自分で作っていくもの。
一見矛盾した考えに思う人もいるかもしれない。
自分の力では、どうにもならない力を運命という。
「しかしその運命は、自分で作るものとは、どういうことか」と。
しかしそのときは、こう考えたらよい。
その「糸」は、ふつうは見えない。
見えないが、自分のことがわかればわかるほど、
それが見えてくる。
それが見えるか見えないかは、その人自身の(視野の広さ)による。
視野さえ広めれば、そこにある(糸)が見えてくる。
糸さえ見えれば、自分で自分の運命をコントロールすることができる。
自分の運命を、自分で作ることもできる。
作り変えることもできる。
++++++++++++++++++++
●たとえば
たとえばこんな例で考えてみよう。
もちろんここに登場する母親は、架空の女性である。
いろいろなケースを、ひとつにまとめた。
●子どもの非行
最初に断っておく。
子どもが非行に走ったからといって、子育てに失敗したということではない。
今どき、非行など、珍しくも何ともない。
もう少しマクロな見方をすれば、まじめで(?)、何ごともなく青春期を過ごした
子どもほど、あとあと何かと問題を起こすことがわかっている。
あれこれと非行を経験した子どものほうが、のちのち常識豊かな子どもになる。
教育の世界では常識。
「教育がしにくい」というだけで、ほかに問題があるわけではない。
(だからといって、非行を奨励するわけでもないが……。)
●母親の視野
が、視野の狭い母親ほど、自分の子どもが何かの事件を起こしたりすると、
あわてふためく。
ギャーギャーと泣き叫んで、大騒ぎをする。
そして本来なら、軽く乗り越えられるような問題まで、より深刻にしてしまう。
こんな例で考えてみよう。
●3人も強制退学
その母親には、3人の子どもがいた。
上から、(男)(女)(男)である。
が、3人とも、高校生のとき、強制退学。
それぞれが傷害事件を起こした。
こういうケースのばあい、まず疑ってみるべきは、母親の育児姿勢。
1例とか2例なら、同じようなことがつづくことはある。
しかし3例ともなったら、原因は、環境にあるとみる。
なかんずく母親の育児姿勢にあるとみる。
が、残念なことに、その母親には、それを理解するだけの知的能力がなかった。
いや、自分では、「賢い、頭のいい女性」と思い込んでいた。
繰り返すが、子どもが強制退学になったからといって、「失敗」という
ことではない。
子どもたちに問題があったということでもない。
●夫の責任
子育てで何がこわいかといって、親の独善と独断ほど、こわいものはない。
その母親のばあいも、住んでいる世界そのものが、小さかった。
それに自分と同じレベルの人だけの世界で住んでいた。
が、それでいて、先にも書いたように、「私は賢い、頭のいい女性」と思い込んでいた。
で、こういうケースのばあい、そばにいる夫が妻を指導しなければならない。
しかしその夫も、趣味は、パチンコ。
これではたがいに、向上しあうことなど、夢のまた夢。
その女性は、いつもこう言っていた。
「子どもに教育をつけると、遠くへ行ってしまう。だから、損」と。
●レベルの高い人
母親は、つねに視野を広くする。
「視野を広くする」というのは、内面世界を豊かにすることをいう。
外面的な虚勢を張りあうことではない。
そのためには、つねに自分よりレベルの高い人と交際する。
これは恩師のTK先生が教えてくれたことである。
そしてできれば、……というより、同時に、自分の周囲からレベルの
低い人を遠ざけることも忘れてはいけない。
私もある時期、たいへん小ずるい男性と交際したことがある。
気がついてみると、私自身も、たいへん小ずるいものの考え方をしていることを知った。
人間というのは、こうしてたがいに感化しあう。
●長女、二男
長男が傷害事件を起こしたとき、その母親は、ガミガミというより、ギャンギャンと
子どもを叱った。
来る日も来る日も、子どもを叱った。
「私は苦労してあんたを育てた」「塾の送り迎えで苦労した」「親の恩を忘れたのか」
「世間に顔向けができない」と。
長女はと二男は、同時期に暴走族に加わった。
暴走族同士の抗争事件を引き起こし、警察に逮捕。
そのまま高校は強制退学。
再びその母親は、ガミガミというより、ギャンギャンと子どもを叱った。
来る日も来る日も、子どもを叱った。
●子どもは家族の代表
こういう話を見聞きすると、私はすぐこう思う。
「責められるべきは母親のほうであって、子どもたちではない」と。
子どもは家族の(代表)にすぎない。
それがわかるか、わからないかは、親の視野の広さによる。
が、たいへん悲しいことに、その母親には、その視野の広さがなかった。
ウソと虚栄のかたまり。
ひとつのウソをごまかすために、つぎのウソをついた。
あとは、その繰り返し。
子どもたちが強制退学になったことについても、「学校が正しい判断をしなかった」
「相手の子どもが悪い」「うちの子は、たまたま事件に巻き込まれただけ」と主張した。
その結果、子どもたち自身も、ますます自分を見失っていった。
●不幸の連鎖
長男と長女は、そのまま家出。
二男はしばらく家を出入りしていたが、母親は、「近所に恥ずかしい」という理由で、
それを許さなかった。
で、それから10年。
現在、長男と二男は、離婚。
これについても、「離婚したから、子育てで失敗した」と書いているのではない。
問題は、そのあと。
それぞれ2人の子ども(その女性の孫)がいるが、養育費すら満足に払えない状態が
つづいている。
これについても、その女性は、「(孫を)相手の嫁に取られたのだから、養育費など
払う必要はない」とがんばっている。
調停員が、「あなたは連帯保証人になっている」と、いくら説明しても、その女性には
それを理解する能力さえない。
●失敗
もしこういうケースで、「失敗」という言葉を使うとしたら、子どもたちが退学
させられたり、良好な家庭を築けなかったことではない。
離婚にしても、いまどき、何でもない。
「失敗」という言葉を使うとしたら、子どもたちの能力を、じゅうぶん、
引き出せなかったこと。
よき家庭人として、自立させられなかったこと。
ついでに言えば、孫たちの養育費すら払わず、責任逃れをしていること。
そういう無責任な人間になってしまったこと。
で、こうした一連の(流れ)を、外から見ると、そこに一本の(糸)があることが
わかる。
その糸が順につながって、その女性の現在の状況を作りあげている。
●自分で作る運命
その女性は、たぶん心のどこかで、自分の運命をのろっているかもしれない。
最初の話にもどるが、その女性が現在の状況になったのは、(なった)というよりは、
(作り出した)のは、その女性自身の育児姿勢にある。
自ら(糸)を作り、自らその(糸)に巻き込まれていった。
が、自分を見つめる視野そのものが狭い。
だからそういう(糸)があることにさえ、気づいていない。
私が知るかぎり、その女性は、口がうまく、不誠実だった。
言っていることのうち、10に1つも、本当のことがない。
そういう女性だった。
しかしその女性がそういう女性になったのは、その女性の生まれ育った家庭環境に
あった。
視野を広めていくと、そういうことまでわかるようになる。
●運命と闘う
そこにある運命と闘うためには、まず自分の視野を広くすること。
視野が広くなればなるほど、そこに(糸)が見えてくる。
その糸さえわかれば、自分でその糸をほぐすことができる。
運命の糸を、ほぐすことができる。
ではどうしたらよいか……ということをわかってもらいたかったから、
架空の女性だが、1人の女性を例にあげて、考えてみた。
私たちは、その反対のことをすればよい。
それが運命と闘う方法のひとつということになる。
(今日の教訓)
そこに運命があるなら、視野を広くせよ。
文化に親しみ、教養を深くせよ。
運命は、それを恐れれば、キバをむいてあなたに襲いかかってくる。
しかし一度受け入れてしまえば、向うからシッポを巻いて逃げていく。
不誠実、愚かさは、視野を狭くする。
その視野の狭さが、やがてあなたを袋小路に追いつめる。
あなたは運命に翻弄され、暗闇の中で、もがき、苦しむ。
あとは、あなたの勇気だけ。
それさえあれば、霧に包まれた原野の向うに、一本の道が見えてくる。
Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司
●9月4日
+++++++++++++++++++++++
古里と決別した。
実家を売り払い、家財を処分した。
かなりのモノが残ったが、それはそのままにしておいた。
つぎに入居する人のための、置き土産。
+++++++++++++++++++++++
●損論
わずかな財産だった。
モノは山のようにあったが、お金にはならなかった。
数十枚もあった着物が、全部で、たったの2万円。
漆(ウルシ)塗りの食器も、10数箱もあったが、一部を除いて、近所の人に
分けてやった。
「ほしい方はどうぞ!」と書いたら、みなが、もち帰っていった。
中には、大きな袋に入れて、もち帰っていった人もいた。
損?
損といえば、損。
が、私がした損は、そんなものではない。
たとえて言うなら、数千万円も損をした人が、10万円や20万円の損に
こだわるようなもの。
それよりも私は、実家のことで、自分の人生そのものを、犠牲にしてしまった。
失われた時間は、戻ってこない。
その「損」と比べたら、10万円や20万円の損など、なんでもない。
それよりも私は、こうして実家から解放された。
その解放感のほうが、うれしい。
金銭的な価値で計算することはできないが、今から20年も前だったら、
1億円でも高くない。
つまりあのとき、だれかが、「1億円出してくれたら、お前の重荷を代わりに担いで
やる」と言ったら、私は1億円を出しただろう。
そのときすでに私は、合計すれば、それ以上のお金を、実家に貢いでいた。
●財産
私はそうした財産を処分しながら、何度もこう思った。
祖父の時代から、父の時代。
そして兄の時代へと、3代つづいた自転車店だったが、その「3代」で、残ったものは、
何だったのか?、と。
ときどき、祖父や父や兄たちが、必死になって守ろうとしてきたものは、
何だったのか?、と。
35坪足らずの土地に、古い家屋。
私はその家で生まれ育ったが、その私だって、何だったのか?、と。
わかりきったことだが、モノ、つまり財産のもつ虚しさを、改めて感じた。
●未練
ワイフも、私の意見とまったく同じだった。
故郷を自分の中から消すということは、一度、自分自身を、(無)に
しなければならない。
未練が残ったら、故郷を消すことはできない。
そのときもし、実家に残っているモノを見ながら、そこに自分の過去を
重ねるようなことをすれば、故郷を去ることはできない。
何もかも棄てるというのは、そういう意味。
「惜しい」と思ったとたん、それは未練に変わる。
未練が残れば、前に向かって歩けない。
未練は、心を、うしろ向きに引っ張る。
だから心の中を、一度、無にする。
ある女性は、漆の食器を、大きな袋に詰めながら、私にこう聞いた。
「本当にいいのですか?」と。
つまり「本当に、もらってもいいのですか?」と。
私はそのつど、笑みを浮かべながら、「どうぞ」「どうぞ」を、繰り返した。
買えば、一個、1万円はくだらない。
お椀の模様にしても、手彫りで、その溝に、金箔が埋め込んである。
それがつぎつぎと消えていくのを見ながら、私はある種の快感を覚えていた。
言うなれば、古里を蹴飛ばすような快感だった。
●夢
その翌朝。
つまり今日、私は兄の夢を見た。
私は実家のあるゆるい坂道を、実家に向かって歩いていた。
そのときふと横を見ると、兄がいっしょに歩いていた。
ニコニコと笑っていた。
うれしそうな顔だった。
黄色いTシャツを着ていた。
私は、兄を、右手で抱いた。
兄といっても、いつからか、私の弟のようになっていた。
小さな体に、頼りない顔をしていた。
私は兄に、こう言った。
「仇(かたき)は、取ってやったぞ」と。
それを聞いて、兄は、さらにうれしそうに笑った。
私は夢の中だったが、涙で目がうるんだ。
●家の奴隷
兄は、一家の主人というよりは、家の奴隷だった。
母にしばられ、家にしばられ、社会を知ることもなく、この世を去った。
生涯において、母は、兄を、内科以外の病院へは連れていかなかった。
無知というよりは、兄を「家の恥」と考えていた。
晩年、母の認知症が進んだこともあり、(実際には、老人性のうつ病だったかも
しれない)、兄は母の虐待を受けるようになった。
一度、ワイフと2人で実家を見舞うと、兄は、何が悲しかったのか、
私の顔を見るやいなや、ポロポロと、大粒の涙をこぼした。
私はその涙を、私のハンカチで拭いてやった。
今にしてみれば、唯一の、それが、心残りということになる。
どうしてあのとき、私は兄を浜松へ連れてこなかったのか。
その気になれば、それができたはず。
あのときを思い出すたびに、胸が痛くなる。
が、迷ったのには、それなりの理由がある。
兄には、おかしな性癖があった。
私の目を盗んでワイフに抱きついたり、ワイフの入浴中に、風呂の中に、
勝手に入ってきたりした。
その性癖を、兄は、自分ではコントロールできなかった。
●総決算
その兄の夢が、私の人生の総決算かもしれない。
実家への思いを、それで断ち切ることができた。
兄も、それで断ち切ることができた。
一抹のさみしさがないと言えば、ウソになる。
しかしそれ以上に、実家から解放されたという(ゆるみ)のほうが、
大きい。
長い旅が終わって、気が抜けたような状態。
緊張感そのものが、消えた。
私はその陶酔感に浸りながら、何度も何度も、肩の力が抜けていくのを覚えた。
●世間体
母は母で苦しんだ。
それはわかる。
しかし母の人生観が、ほんの少しちがっていたら、その(苦しみ)の
中身もちがっていたことだろう。
私たちの人生も、大きく変わっていたことだろう。
母が悪いというよりは、母はあまりにも通俗的だった。
自分の人生というよりは、「世間体」の中で生きていた。
いつもそこに他人の目を気にしていた。
その通俗性の中で、母は、自分を見失ってしまっていた。
通俗的になればなるほど、何が大切で、何がそうでないか、それがわからなくなる。
晩年の母は、仏具ばかり磨いていたが、私はそこに、哀れさというよりは、
もの悲しさを感じていた。
●「まんじゅう……1個、80円」
実家を整理しているとき、兄の残したノートが出てきた。
その1ページに、「まんじゅう……1個、80円」とあった。
その日、どこかでまんじゅうを1個買って、食べたらしい。
それが80円、と。
それを見たとき、ぐいと胸がふさがれるのを感じた。
貧しい生活。
慎ましやかな生活。
1個80円のまんじゅうまで、ノートに書きとめていた。
それをワイフに話しながら、ふと、こう漏らした。
「ぼくたちのしたことは、まちがっていなかったね」と。
母は、そのつど、私から、お金を(まきあげていった)。
額は計算できないが、相当な額である。
そういったお金は、実家の生活費だけではなく、母の実家へと流れていった。
もう一か所、別のところへ流れていき、残ったお金は、母の通帳の中へと消えた。
10数年ほど前だが、現金だけで、母は、3000~4000万円程度は
もっていたはず。
その一部を、兄は母からもらいうけ、それでまんじゅうを買って食べていた。
兄は生涯にわたって、給料らしい給料を手にしたことはなかった。
いつも「小遣い」と称して、小額のお金を、母から受け取っていた。
それだけ。
兄は、自閉傾向(自閉症ではない)はあったかもしれないが、頭はよかった。
65歳で私の家に来たときも、小学3~4年生の算数の問題を、スラスラと
解いてみせた。
●のろわれた家系
母が守ったものは、何だったのか。
守ろうとしたものは、何だったのか。
よくわからないというより、あまり考えたくない。
母は母で、自分の人生を懸命に生きた。
それが正しいとか、正しくないとか、そういう判断をくだすこと自体、まちがっている。
母は母でよい。
が、全体としてみれば、「林家」は、(「家(け)」と家付けで呼ぶのも、
おこがましいが)、(のろわれた家系)である。
ひとつの例外もなく、どの家族も、深い不幸を背負っている。
みな、それぞれ、必死にそれを隠し、ごまかしている。
が、人の口には戸は立てられない。
他人は気づいていないと思っているのは、本人たちだけ。
みな、知っている。
知って、知らぬフリをしている。
●象徴
私には、その象徴が、兄だったように思う。
いつしか兄が、そうした不幸を、一身に背負っているように感じるようになった。
だから兄が死んだときも、その通夜のときも、私はうれしかった。
兄が死んだことを喜んだのではない。
私以上に、重い苦しみを背負い、兄は、もがいた。
健康でそれなりの仕事をしている私だって、苦しんだ。
兄の感じた苦しみは、私のそれとは比較にならなかっただろう。
「家」という呪縛感。
重圧感。
母の異常なまでの過干渉と過関心。
それでいて、それに抵抗する力さえなかった。
つまり兄は、死ぬことで、その苦しみから解放された。
自分の運命に翻弄されるまま、またその運命と闘う力もないまま、この
世を去っていった。
最後は、やらなくてもよいような治療を受け、体中がズタズタにされていた。
食道や胃に穴をあけ、そこから流動食を流し込まれていた。
動くといけないからと、体は、ベッドに固定されたままだった。
一度、見舞いに行くと、私の声とわかったのか、目だけをギョロギョロと
左右に振った。
三角形の小さな目だった。
兄は死ぬことで、その苦しみからも解放された。
私はそれがうれしかった。
が、それだけではない。
●犠牲になった兄
兄は、林家にまつわる(のろい)を、一身に背負っていた。
いや、私が兄だったとしても、何も不思議ではない。
兄が、私であったとしても、何も不思議ではない。
たまたま生まれた順序がちがっていただけ。
で、もし反対の立場になっていたら……。
あの兄なら、私のめんどうをみてくれたことだろう。
収入の半分を、私に分け与えてくれただろう。
兄は、私より、ずっと心の温かい、やさしい人間だった。
その兄が(のろい)のすべて背負って、あの世へ旅立ってくれた。
私はそれがうれしかった。
だから祭壇に手を合わせながら、私はこうつぶやいた。
「準ちゃん(=兄名)、ありがとう」と。
●礼の言葉
葬儀が終わったとき、私は参列者にこう言った。
「今ごろ、兄は、鼻歌でも歌いながら、金の橋を、軽やかに渡っているはずです」と。
それについて、その直後に、寺の住職が、「そういうことはまだです。
四九日の法要が終わってから決まることです」と言った。
つまり「まだ、極楽へ渡ってはいない」と。
もともと『地蔵十王経』という偽経を根拠にした意見だが、何が四九日だ!
私の人生は61年。
兄の人生は69年。
アホな「十王」どもに、人生の重みがわかってたまるか!
兄は、あの夜、まちがいなく、金の橋を渡って、極楽へと旅立った。
●終焉
こうしてあの「林家」は、終わった。
が、すべてがハッピーエンドというわけではない。
問題は残っている。
残っているが、これからはそのつど、蹴飛ばしていけばよい。
私の知ったことではない。
いまさら誤解を解きたいなどとは思わない。
●運命
最後に、これだけは、ここで自信をもって言える。
もしあなたが運命に逆らえば、運命は、キバをむいてあなたに
襲いかかってくる。
しかし運命というのは、一度受け入れてしまえば、向こうから尻尾を
巻いて逃げていく。
もともと気が小さくて、臆病。
そこに運命を感じても、おびえてはいけない。
逃げてはいけない。
受け入れる。
そしてあとはやるべきことをやりながら、時の流れに身を任す。
あとは必ず、時間が解決してくれる。
つまりこうして今まで、おびただしい数の人の人生が流れた。
あたかも何ごともなかったかのように……。
準ちゃん、ぼくももうすぐそちらへ行くからな。
またそこで会おう!
(補記)(のろい論)
私はここで(のろい)という言葉を使った。
しかしスピリチュアル(=霊的)な、のろいをいうのではない。
ひとつの大きな運命が、つぎつぎと別の運命の糸を引き、ときとして
それぞれの家族を、翻弄する。
それを私は、(のろい)という。
ふつうの不幸ではない。
ふつうの不幸ではないから、(のろい)という。
が、それは偶然によるものかもしれない。
たまたまそうなっただけかもしれない。
しかし私はそうした(不幸)に間に、一本の糸でつながれた、
運命を感ずる。
それについて書くのは、ここではさしひかえたい。
まだ生きている人も多いし、みな、それぞれの運命を引きずりながら、
懸命に生きている。
私とて例外ではない。
ある時期、私は、心底、そっとしてほしいと願ったときもあった。
けっして、問題から逃げようとしたわけではない。
どうにもならない袋小路に入ってしまい、身動きできなくなってしまった
ときのことだった。
しかしそういうときにかぎって、事情も知らないノー天気な人たちが、
あれこれと世話を焼いてくる。
わずか数歳、年上というだけで、年長風を吹かしてくる。
その苦痛には、相当なものがある。
私はそれを身をみって、体験した。
だから、……というわけでもないが、もしその人が、今、苦しんで
いるなら、そっとしておいてやることこそ、重要ではないか。
もちろん相手が求めてくれば、話は別。
そうでないなら、そっとしておいてやる。
それも気配りのひとつ。
思いやりのひとつ、ということになる。
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