2009年10月16日金曜日

*Oct 16th 2009

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 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      10月   16日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●娘の不登園

【N県のMさんより、はやし浩司へ】

はじめまして。年長の娘の登園拒否についての相談です。幼稚園に年中から入園して、一
週間後から1学期間登園拒否が続きました。
その後2学期以降はうそのように楽しく通園していたのですが、進級して年長になって夏
休み明けから再び登園拒否が始まりました。
習い事でも同様です。

夏休み後半には習い事でキャンプに出かけお友達とはじめて親元を離れてお泊りができ、
成長したなと思っていたところで、とてもショックでした。
頑張りすぎてしまったのかとも思いましたが、HPを拝見して、分離不安なのでは・・小
学生になって通えるのだろうか・・ととても不安です。

幼稚園では先生にも相談しています。先生は「一学期はとても頑張っていたんだと思いま
す。まだクラスに溶け込めていない感じがします。優等生タイプだと思います」「お友達と
遊んでいて自分の期待する答えが返ってこないといやみたいです」と話していました。娘
にも理由を聞いたりしていますが、その時々で違います。

幼稚園の帰りに友達と公園で遊んだり、近所の友達とは楽しく毎日遊んでいます。
娘は2歳から2年間幼児教室にも通っていたのですが、その時も始めだけは離れられなく
て毎回先生に抱っこでした。

どうしても嫌なら幼稚園お休みしてもいいんだよと言ってしまったこともありましたが、
明日はOOOがあるから行くと言います。でも幼稚園に入るとうつむいてしまい、離れる
ことができないのです。

どうしたらよいのでしょうか・・どうぞよろしくお願いいたします。

【はやし浩司より、Mさんへ】

M様へ

こんばんは

家族関係がよくわかりません。
相談のお嬢さんは、長女ですか?
下に弟か妹がいませんか。

分離不安かどうか、(赤ちゃん返りかどうか)、
そのあたりの症状がもう少し詳しくわかると、
適切なアドバイスができます。

それともうひとつは、あなた自身が、不安先行型の
子育てをしていないか。
過干渉気味ではないか。
過関心も疑われます。

子どもの問題というよりは、環境の問題と考えてください。

この際、不登園は、あきらめなさい。
まず子どもの心の問題を考え、子どもの心を守ることを
最優先します。

では、
返事をお待ちしています。

【Mさんより、はやし浩司へ】

早速返信いただきましてありがとうございます。

娘は長女で、一人っ子です。
外遊びの大好きな子供です。
朝から夕方までほんとに良く遊びます。
外で遊んでいるときの様子からは、とても想像がつきません。

私自身も一人っ子です。
そしてたしかに過干渉、過関心、不安先行型かもしれません。
口うるさく言ってしまう、怒ってしまっていると思います。
あまり言わないように・・と思っているのですが、
言わないと何もしない娘に、つい口が出てしまいます。

幼稚園行きたくない・・は正確には8月末の夏季保育から始まりました。
キャンプで最初の一日はお休みし、2日目から登園。
その日用事があり、預かり保育をして(迎えの時泣いていました)
そしてその翌日からのことでした。

2学期前日には奥歯が痛いと言い出し、歯科へ行きました。
原因はよくわからず、6歳臼歯のせいではないか・・といわれました。

そして今日まで行きたくない・・が続いています。

娘には幼稚園お休みしてもいいんだよ・・と言っています。
ただ明日はOO先生と約束しているから行かないと・・、
OOちゃんと約束しちゃったから・・と行こうとする気持ちもあるようです。
朝着替えのときになると、もじもじになってしまい、
幼稚園休むのは嫌だけど、でも行くのも嫌・・
今朝もその状態が続き、できるだけ話を聞いて、休むのが嫌だったら行ってみようか・・
と。
そして帰りは園に一番でお迎えに行く約束をして送りました。
教室の前まで送り、先生に引き離されてでした。

年中の時は始めての幼稚園で、泣いても仕方ないのかと休むことなく
連れて行き、夏休み明けからは楽しく行ってくれるようになりました。
今も行けば給食も花マル、運動会の練習も頑張っているようです。
娘は1歳のときくらいから、私がいないと、見えないとダメなタイプで、
公園に行っても離れられない子どもでした。

どうぞアドバイスよろしくお願いいたします。

【はやし浩司より、Mさんへ】

●基本的信頼関係

 返事が遅れて、ごめんなさい。
いろいろ心配さなっている様子は、よくわかります。
「不登園ならまだいいが、不登校児になったら、どうししょう?」と、悩んでおられる様
子もよくわかります。

が、全体的に判断すると、いわゆる(よくある問題)で、とくに子どもに問題があるとは
思われません。

で、このタイプの子どもは、(外の世界)でがんばる分だけ、(つまりそれだけ緊張感を解
放できない分だけ)、家の中では荒れるという症状が出てきます。
原因は、母子間の基本的信頼関係の構築に、やや失敗したかなというところです。
つまりその分だけ、外の世界でいい子ぶる、イコール、心を開いて、集団に溶け込めない
ということです。

さらにその原因はといえば、Mさん自身が、全幅に子どもに心を開いていない、開けない
という状態がつづいていると思います。
(詳しくは、「はやし浩司 基本的信頼関係」で検索してみてください。)

●家庭は休む場所

 このタイプの子どもにとっては、「家庭は休む場所」と心得てください。
「うちの子は、外ではがんばっている」と思い直して、家の中では、うんと緩めます。
(1) 暖かい無視と、(2)求めてきたときが与えどきを、大切にします。

 生活態度がだらしなくなったり、ぞんざいになったりしますが、暖かくそれを無視する
ということです。
また子どもは、その瞬間、瞬間、あなたに愛着表示(愛情を求める行為)を繰り返します
が、そのつどすかさず、抱いてあげるなどの反応を示してあげます。
「待っていてね」「今、忙しい」は、禁句です。
すかさずしてあげれば、たいてい1~2分で、子どもは満足し、あなたから体を離します。

●過負担

 不登園というより、全体に過負担が疑われます。
私が40年前に、幼稚園の世界に入ったころには、1年保育が主流、2年保育がふえてき
たという状況でした。
幼稚園へ通わないで、小学校へ入る子どもも10%前後いました。
が、今は、3年、4年保育が主流(?)。
子どもの質が変わったというよりも、幼稚園経営の問題、さらには共働きをしなければな
らないという社会的状況が変わってきたためです。

 オーストラリアでは、週3回の幼稚園があちこちにあります。
アメリカでは、4歳から子どもを、小学校内部のプレスクールで預かりますが、指導は、
きわめてゆったりとしたものです。
どうか日本の基準だけをみて、「幼児教育とはこういうもの」と考えないでください。
また現在の状況をみて、「小学校へ入ってから、心配」というのは、少し酷というものです。
もう少しおおらかに考えてあげてください。
先にも書いたように、この際、不登園はあきらめる。
子どもの心の回復を第一に考えて行動します。

●学校カルト

 「幼稚園など、適当に行けばいいのです」と書くと、幼稚園の園長に叱られそうですが、
そういうおおらかさが必要な子どももいるのも事実です。
同じ集団教育でも、子どもによって受け取り方がちがうということです。
Mさんの子どもも、その1人です。

 ですから、適当に休み、適当に様子を見て、子どもをゆとりのある目でながめてあげて
ください。
Mさんが、カリカリ、ギスギスしても、かえって逆効果です。
「幼稚園とは行かねばならないところ」「学校とは行かねばならないところ」と、もしあな
たが考えているなら、そのあたりの(学校神話)(学校カルト)を、ゆるめます。
一方で、そうした信仰は、子どもの心を圧迫します。

●母子分離不安

 母子分離不安については、何らかの精神心的ショックが原因で起こります。
迷子、母親の入院、家庭騒動などなど。
が、これは過去の話。

 基本的には、先にも書いたように、(心の緊張感)をほぐすことができない。
そこへ心配や不安が入り込んでくると、それを解消しようと、心の状態が一気に不安定に
なる。
グズグズしたり、ネチネチしたり、ベタベタしたりする。

 で、そういうときは、(1)突き放すのではなく、(2)子どもの求めに、そのまま応じ
てあげます。
無理に引き離せば、いったんは症状が消えたかのように見えますが、(なおった)わけでは
ありません。
私は(潜る)という言葉を使っています。
症状はいったん、潜るだけです。
また同じような状況になったとき、同じような症状が出てきます。

 しかし年齢的には、分離不安であれば、自立期に入っていますので、月ごとに症状は緩
和してきます。
自信を失っているようであれば、励まし、自信をもたせてあげます。
また食生活でも、情緒的に不安定な症状がつづけば、(1)白砂糖断ちをする。(甘い食品、
アイス、ジュース類、ジャンクフードを避ける)、(2)Mg、K、Caの多い食生活に心がけ
る(海産物を中心とした食生活にする)、(3)リン酸食品を避ける(インスタント食品類)
の3つに、心がけてみてください。

 カルシウムを多くしただけで、子どもの情緒はみちがえるほど、安定してきます。
一度試してみてください。

●明るく、さわやかに

 とにかく、今は、あまり深刻に考えないこと。
悪い面ばかりみて、取り越し苦労をすればするほど、あなたの(心配)は、そのまま子ど
もに伝わってしまいます。
心配そうに、あなたが、「幼稚園へは行きたくなかったら、行かなくてもいいよ」と言うの
ではなく、明るく、さわやかに、「お母さんと、今日は幼稚園をサボって、動物園へ行こう
か?」と話しかけてみます。
そうしたおおらかさが、子どもの心に、風穴をあけます。

 どうして(子どもといっしょにいるという至極の時)を、粗末にしてしまうのでしょう
か。
今だけですよ。
楽しいのは!

 小学3、4年生にもなると、子どもは、親離れをしていきます。
その時期は、あっという間にやってきます。
今の私なら、子どもたちを幼稚園など行かせないで、毎日、いっしょに遊びます。
(私の二男が、そういう教育方針をもっているようです。
HPを飾っている写真が、その孫たちです。)

 とにかく今は、無理をしないこと。
泣いていやがる子どもを、無理に幼稚園へ引っ張っていくなどという行為は、少し乱暴す
ぎます。
1時間でも2時間でも、時間をかけて、ゆっくりと説得します。
根気との勝負と心得てください。
子どもの心を休めることだけを考えて、対処してください。

 それができれば、不登園の問題は、(結果)として、解決します。
繰り返しますが、よくある問題で、それがトラウマになって……というような、深刻な問
題ではありません。
Mさん自身が、肩の力を抜いて、もっと子育てを楽しんでみてください。
あなたが楽しめば、子どもも楽しむようになります。
これは幼児教育のコツでもあります。

 私も、みなさんの子どもを教えるときは、(教えよう)などという気持ちは捨てて、子ど
もたちといっしょに、楽しむつもりで教えています。
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
の「公開教室」をまた見てください。
子どもといっしょに見てくだされば、うれしいです。

 では、今日は、これで失礼します。
メールの掲載許可に、感謝します。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 不登園 母子分離 分離不安 分離不安)

【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【ズル賢い人】

++++++++++++++

ズル賢い人は、多い。
小ズルイというか、一事が万事。
万事が一事。
ズルいという点で、あらゆることに
つながっている。
一貫性がある。

ズル賢い人は、意識的にそれをするという
というよりは、ごく自然な形で、それをする。
ズル賢く生きることが、その人の生き様に
なっている。
その手口を並べてみた。

++++++++++++++

● 同情したフリして悪口を言う
「あの人はかわいそうですね。今度息子さんが事件を起こして、高校を退学に
なりました」などと、さも同情しているようなフリをして、その人の悪口を言いふらす。
ときに涙声になることもあるが、もちろん本物の涙は、一滴も出ない。
「本当は言いたくないのですが……」とか、「私はどちらでもいいと思っているので
すが……」とかいうような言い方も、よくする。

● 小悪をバラして大悪を隠す
「こんなものが落ちていました」といって、どうでもよいようなものを届け出て、
その一方で、価値あるものを、自分のものにしたりする。あるいはささいな
失敗を告白して、さも自分は正直ということを、相手に売り込んだりする。
あらかじめ価値のないことを承知の上で、「こんなものがありました。価値を
調べていただけませんか」などと、どうでもよいようなものを、相手に渡すことも
ある。

● 間に入って、たがいをモマす(トラブルを増幅させる)
「あの人がこう言っていましたよ」と、告げ口をしながら、あなたとその人の間に
トラブルを起こす。モメゴトを大きくする。そして自分は一歩退いたところから、
それを楽しむ。

● 他人の目を気にして善行を見せびらかす
行為がわざとらしく、演技ぽい。不自然。病気の人を見舞ったりしながら、ことさら
おおげさに看病してみせるなど。「私はよくできた人間です」というような演技が
うまい。看病をしながら、「私は、近所の老人宅を回って、世話をしてあげているので
すよ」などと言ったりする。年季が入っているため、ふつうの人には、それが見抜けな
い。

● 軽い会話に混ぜて承諾を得る
ペラペラと軽い会話をしながら、その間に、重要な会話を混ぜる。あとになって、
「あなたはOKと言ったはず」と、それを根拠にして、ものをいう。全体に口が
うまい。お世辞、へつらいもうまい。

● 拡大解釈、縮小解釈がうまい
相手が言ったことを適当に拡大解釈したり、縮小解釈したりするのが、うまい。
つまり自分のよいように、相手の言葉を解釈し、相手に抗議されないようにする。
軽い気持ちで、「いいよ」などと言おうものなら、それをどんどんと拡大解釈して
しまう。

● その場だけをうまく言い逃れる
 「1週間だけお願いします」などと最初は言ったりする。で、その1週間が過ぎる
  ころになると、事情が少し変わったことなどを理由にして、そのままの状態を
  つづける。約束は守らない。もちろん自分の言った言葉に、責任を取らない。
  
● トボけてその場をごまかす
自分に都合の悪いことがあると、最後はとぼけてすます。忘れたフリ、聞かなかった
フリをするのもうまい。さらに追及したりすると、ギャーギャーと泣き叫んだりして、
その場をごまかす。何かまずいことがあると、とりつくろい、ウソ、弁解を平気でする。

● 言いにくいことは他人に言わす
相手に相槌を打たせて、今度はその人の言ったこととして、ほかの人に話を伝える。
「~~さんが、こう言っていましたよ」とか、など。だからこのタイプの人には、
安易に相槌を打ってはいけない。あなたが「私も、そう思います」などとでも言おう
ものなら、今度はそれを、あなたの言った言葉として他人に伝えてしまう。

● 苦労話をしながら恩を着せる
「~~してやった」「~~で苦労した」と言いながら、相手に恩を着せる。「私は、
~~のことで、どれだけ苦労したかわからない」というような言い方をする。
自分の子どもに対しては、「産んでやった」「育ててやった」を、決まり文句にする。
会ったとたん、「あなたの家のゴミが、近所に散らかっていたので、掃除をしておきました」などと言ったりする。

● 他人をほめて相手に要求する
「義弟はすばらしい。毎年、年末になると、~~を送ってきてくれる」と言いながら、
言外で、相手に同じことをするよう要求したりする。このばあいも、義弟をほめる
という手段を使いながら、自分はそうされるにふさわしい人間であることを、言外に
におわす。「あのMさんは、すばらしい。毎年、冬になると、海産物を送ってくれる」
とかなど。

● 先手を打って相手の言葉をつぶす
相手が願っていることを、先に言ってつぶす。「うちは貧乏で、このところ内職も
減りました」と先に言うことで、自分への負担を軽くしようとする。以前、こんな
ことを言った人がいた。みなで飲み食いが終わるころのこと。「悪いが、ビール代だけ
でも、私に払わせてほしい」と。

● 事実にまぜてウソをつく
ズル賢い人の常套手段。1、2度、ボランティア活動をしただけなのに、それをもとに、
「毎週のように駆り出されて苦労しています」などと言う。あるいは1度しかして
いないボランティア活動を、角度を変えて、いろいろな話に仕立てる、など。そういう話術にたけている。

 ズル賢い人は、もともと小心で臆病。その上卑怯で、他人の批判、批評を許さない。
いつも人の目を盗んで、こまかい計算を重ねる。

で、こういうズル賢い人が近くにいたら、遠ざかること。
「いろいろな人と仲よくするのはいいこと」と言う人もいるが、ことズル賢い人に関して
言えば、遠ざかったほうがよい。
何かアクションがあっても、相手にしないこと。
反応したとたん、逆に利用されてしまう。
もともと口がうまいから、反感を買うと、今度はあなたの悪口が言いふらされる。
つきあっても、得るものは何もないばかりか、あなた自身も、その毒気に染まってしまう。

つまり人は、善人になるのは、難しい。
しかし悪人になるのは、簡単。
山登りに似ている。

 上り坂は苦しいが、下り坂は楽。
私も一時期、そのズル賢い人と、親密につきあったことがある。
が、おかしなもので、そのときはその人が、ズル賢いということがわからない。
が、離れてみて、はじめて、それがわかる。
同時に、そのときの自分も、いかにズル賢かったかがわかる。
だから遠ざかるのがよい。

 中には、ズル賢いことを自慢する人もいる。
あるいは自分の妻がズル賢いことを、自慢する夫さえいる。
「うちのカミさんは、値段を値切るのがうまいよ」とか、何とか。

(はやし浩司 ずるい人 ずる賢い人 小ずるい人 ずるい人間 ズルイ人間 ズルい人
ズル賢い 不誠実な人 はやし浩司 不誠実)

(補記)

●なぜ人はズル賢くなるか?

 ズル賢い人を傍から観察してみると、第一に哲学のなさを感ずる。
一貫した哲学がない。
「一貫した」というよりは、「哲学の連続性」がない。
ものの考え方が享楽的で、その場その場で、哲学らしきものが、変化する。
もっと言えば、状況、あるいは相手に応じて、生きざまそのものが変化する。
金権教、あるいは親絶対教の信者であったりする。
ある女性(65歳くらい)は、何をどう誤解したか知らないが、私との会話の
中で、思わず、こう口走ったことがある。
「そんなことをしたら、貯金が減ってしまう」と。
たいていは金銭的な欲得感に支配され、その中でますますズル賢くなっていく。

が、それよりも気になるのは、自分で考える脳みそをもっていないこと。

 ときに「ハッ」とするようなことを口にするが、たいていはだれかの受け売りに
すぎない。
少しでも自分の脳みそで考える習慣が身についていたら、ズル賢いことを、恥じるはず。
一見、利発だが、心に余裕がなく、小さな世界で動き回っているだけ。
その(狭小さ)が、それを見る者を不愉快にする。
 

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●法事論

+++++++++++++++++++++++

今度、私自身が法事を執り行う立場になって、こんな
ことを知った。
「親の法事をしっかりとする人は、人格者である」という
考え方をする人が、意外と多いということ。
「親の法事もしないようなヤツは、子ども失格だね」と
言った人もいた。

私は、率直に告白するが、仏教式の法事には、意味を
認めない。
私の祖父も父も、墓参りをしたのを見たことがない。
(母は、ほとんど毎日、寺に足しげく通っていたが……。)
祖父や父が、仏壇に向かって、手を合わせている姿さえ、
記憶にない。
そういう私が、どうして、今、法事なのか?

+++++++++++++++++++++++

●法事

 宗派にもよる。
寺にもよる。
住職にもよる。
しかし全体としてみると、日本の仏教は、カルト化している。
この問題に決着をつけないかぎり、日本の仏教には、明日はない。
現に若い人たちを中心に、仏教離れが急速に進んでいる。
法事にしても、おそらく、我が家に関していえば、私の代で最後になる。
長男はしないだろうし、二男は、クリスチャン。
三男は遠くに住んでいるし、考え方もちがう。
私の教育が悪かったのか。
3人とも、先祖の墓参りをしたことなど、数えるほどもない。

 一方、私もワイフも、息子たちには、何も期待していない。
一応仏教徒ということになっているが、法事をしてくれなくても、一向に気にしない。
遺骨にしても、散骨でも何でもよい。
気が向いたときに、気が向いたように処分してくれればよい。
むしろ「法事など、するな」と遺言を残している。
「そんなヒマがあるなら、自分を磨け!」と。

●人それぞれ

 信仰は教えに従ってするもの。
先にも書いたが、その(教え)をきちんとしている宗派もある。
寺もある。
住職もいる。

 しかし今は、そのほとんどが儀式化し、宗教そのものが形骸化している。
本来、人々の魂の救済が目的である信仰が、金儲けの道具として利用されている。
それがだれの目にも、わかるようになっている。

 で、その反動というわけでもないだろうが、おかしな占星術や、占い、カルトが
勢力を伸ばしている。
スピリチュアル(霊)・ブームもそのひとつ。
人々が、もともと救いにならないものを救いと思い込んで、右往左往している。
こうした愚劣な社会現象を引き起こしているのも、宗教、なかんずく仏教の責任と
考えてよい。

 先頭に立って、そうした社会現象と戦うべき宗教が、だんまりを決め込んでいる。

 で、私はある高校生(高1女子)に、こう聞いてみた。
「仏教をどう思うか?」と。
するとその高校生(女子)は、こう言った。
「仏教というと、古臭い感じがする」と。

 今、古美術が、ボトム(最悪)状態にある。
古銭、古切手、古物が、二束三文どころか、むしろ引き取り料を請求されるほど、
売買が低迷している。
私の印象では、仏教も、同じ(流れ)の中にある。
現在は、その過渡期ということになるが、そのあとのことは、私にもわからない。
再び仏教ブームが来るのか。
それとも仏教は、このまま衰退していくのか。

 しかしこれだけは言える。
それを大切な行事と思っている人は、それを大切にすればよい。
人、それぞれ。
私は干渉しない。
が、世の中には、そうした行事に意味を感じない人もいる。
いるが、だからといって、そういう人を、批判したり、「おかしい」という
レッテルを張るのは、やめてほしい。
自分の頭で考えて、そう言うのならまだしも、そうでないなら、やめてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 日本の仏教 法事)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●9月15日

●民主党政権(Our Next Cabinet of Japan)

 「民主党の勝ちすぎ」という意見が、ネットをにぎわしている。
その一方で、AS首相(現在、まだ首相)が、「就任直後に選挙をしていたら、こんな
ベタ負けはしていなかったはず」と、おかしなことを言っている。

 自民党がここまでベタまけしたのは、AS首相、彼自身に原因がある。
「AS首相だけには、勝たせたくない」という民衆の思いが、民主党の大勝利への
原動力となった。

 で、たしかに民主党の勝ちすぎ。
その反動はやがて現れてくるはず。
現在、民主党は、HT代表が「代表」なのか、OZ氏が「代表」なのか、よくわからない。
「権力の二重構造」という言葉が、よく使われる。
HT代表は、OZ氏に対してだけは、敬語を使っている。
何か、おかしい?

 
●今、「反米」は、たいへんまずい!(Why now “Anti-US Policy”?)
I can understand the Minsyu-Party (Democratic Party) dislikes USA, but why now
“Anti-USA Foreign Policy”? We need USA and we do not need China for our safeties of
Japan. We don’t have to open the back-door for a big lion, which wants to go away from
Japan now. Or why do we dare to do so now?)

 民主党政権は、かねてより、「対米追従外交」に強く反対している。
首相顧問になった、TJ氏(私の三井物産時代の同僚)も、たびたび「対米追従外交」に
反対の論文を発表している。

 しかし、今は、ま・ず・い!

 親アジア、新中国も結構だが、まだそこまで時期が熟していない。
同時に、今、日本がアメリカに見放されたら、この先日本はどうやって国際外交を
展開していくつもりなのか。
すでにボスワースは、かねての予想通り、米朝直接交渉に動き出している。
もし米朝間で、「友好条約」(名称は何でも構わない)のようなものが結ばれたら、
日本はそのときこそ、万事休す。

 日本は単独で、あのK国と対峙しなければならない。
アメリカの軍事力という後ろ盾を失う。
すでにK国は、中国を介して、戦後補償費を日本に打診してきている。
その額、驚くことなかれ、100兆円!
「払え! さもなければ戦争!」と、K国はしかけてくるはず。
そのとき日本は、どうするのか?

 あえて日本側から、「反米」を唱えなくても、すでにアメリカは、日本を見捨てている。
こちらが「あなたが好きではありません」と言う前に、相手は、日本を見捨てている。
だったら、なぜ今、あえて火に油を注ぐようなことをするのか?
逃げようとしているライオンに、どうして裏門を開けてやるようなことをするのか?

 鳩山外交の道筋がまだ見えてこないが、ここは慎重に!
「対米追従外交反対」を唱えるのは、K国が崩壊したあと。
今日本にとって重要なことは、ただの一発でも、K国のミサイルを、日本に
落とさせないこと。
もしそれでも「対米追従外交反対」を唱えるなら、日本中に、核シヘルターを用意し、
日本の子どもたち全員に防毒マスクを用意してからにしたらよい。

 今の日本は、丸裸以上に丸裸。
鉄道や道路を使って、戦車や大砲の移動もままならない。
仮に一発でも、東京の中心に、ミサイル(核、生物、化学)が落とされたら、それだけで
日本の経済は、奈落の底へと叩き落とされる。
勇ましい好戦論にまどわされてはいけない。

 政治、なかんずく国際政治は、(現実)が基本。
現実だけを見て、考える。
「卑怯だ」「おく病だ」と言われても、気にしてはいけない。
とくに戦争は、始めるのは簡単。
終えるのは、その100倍も、むずかしい。
今のイラク、アフガニスタンを見れば、それがわかるはず。

 「反米親中」も結構だが、何も今、あえて「反米」を唱えなければならない理由は、
どこにもない!
頭を冷やせ、民主党!
頭を冷やせ、TJ氏!
私のことを覚えているか?
あなたは私のうしろの席にいて、よくいっしょに社内の英会話研修に通った。
あのときの「林」が、私だ。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●古里

++++++++++++++++++

古里と決別して、2週間が過ぎた。
心静かな日。
穏やかな日。
今は、記憶という電車に、
ゆらゆらと揺られて
ぼんやりと乗っている。

古里は日に日に遠ざかり、
昔の風景が、窓の外を流れる。
そこに60年という歳月があるはずなのに、
その厚みが、まるでない。
ぼんやりとした、陽炎(かげろう)のよう。
「だれのことだったのか?」
「本当に私のことだったのか?」

父が酒を飲んで暴れたこと。
学校から家に帰るのがいやで、
道草を食いながら、遊んで帰ったこと。

その一方で、祖父に手をつながれ、
夜祭の道を歩いたこと。
川で、みなと、泳いだこと。
そういった思い出が、つながりなく、
窓の外を流れていく。

すべてが終わった。
今ごろはあの家には、私の見知らぬ人が
出入りしているはず。
あの部屋、あの土間、あの階段。
父もいない。
母もいない。
祖父母もいない。

みんな、そのときは懸命に生きていた。
日々に新しいドラマを作り、
しゃべったり、笑ったりしながら生きていた。
それが、あとへあとへと、
どんどんと消えていく。
闇の中へと、どんどんと消えていく。

さみしい?
切ない?
しかしそれ以上に、私は今、解放感に
浸っている。
「家」から解放された、解放感。
心の鎖がはずされた、解放感。
そう、この軽快感。

いったい、あの家は何だったのか?
みなが懸命に守ろうとしていたものは、
何だったのか?

窓の外には、ぼんやりとした景色が
つぎつぎと現れては、また消える。
今はその景色を追いかける気力も弱い。
疲れた体をシートに沈め、
静かに心を休める。

そのうちこの電車も、どこかの駅に
着くだろう。
着いたら、そこで降りて、
またゆっくりと考えよう。

++++++++++++++++++

【思い込み論】

●200本のヒット数

 アメリカのイチローが、9年連続で、200本のヒット数を記録したという。
その瞬間、試合を見ていた人たちは、総立ちになって、イチローを祝福したという。
「すばらしい」と書きたいが、ふと意地悪な心が顔を出す。

 これは何も野球にかぎらないことだが、「たかが(失礼!)、棒で、ボールを叩いただけ
ではないか?」と。
「ひょっとしたら、私たちは、それをすばらしいことと思い込んでいるだけでは
ないのか?」と。

 こんなことを書けば、この日本では、私のほうが袋叩きにある。
それはよくわかっている。
それに私は何も、イチローを批判しているわけではない。
「野球がつまらない」と書いているのでもない。
私自身、イチローのファンである。
先の日米戦では、私も、涙を流してイチローの活躍に感動した。

 私が書きたいのは、その先。
つまり「思い込みについて」。

●思い込み

(思い込み)は、どんな世界にもある。
たとえば、「今、私はここに生きている」という(思い)ですら、(思い込み)
でしかない。
この光と分子の織りなす世界で、私は私と思っている。
本当は、私など、どこにもない。
脳みその中を行き交う、無数の信号。
その中で、私は私と思っているだけ。

 それがわからなければ、あなた自身の手を見つめてみることだ。
「どうしてこれが私の手なのか?」と。
あなたは爪ひとつ、自分で作ったわけではない。
あなたの意思の命令によって指は動くかもしれないが、その指にしても、
あなたが自分で作ったわけではない。
「私の手」「私の指」と、あなたがそう思い込んでいるだけ。

が、(思い込み)が悪いわけではない。
人は、ものごとを思い込むことによって、それに価値を付加する。
野球にかぎらず、サッカーにしてもそうだ。

 たかが(失礼!)、ボールの蹴りあいなのに、選手たちは、そこに命をかける。
観客もかける。
そうしたエネルギーの原点になっているのが、(思い込み)。
その(思い込み)が、人生を楽しくしている。

●たまごっち

 こうした(思い込み)のプロセスは、子どもの世界をのぞいてみると、よくわかる。
たとえば1990年の終わりごろ、(たまごっち)というゲームが、大流行した。

 小さなゲーム機器で、その中で、子どもたちは夢中になって、電子の生き物(?)を
飼育した。
そんなある日のこと。
1人の女の子(小学生)が、そのゲームをしていた。
で、私がそれを借りて、あちこちをいじっていたら、その生き物(?)が、死んで
しまった(?)。
それを知って、その女の子は、「先生が、殺しちゃったア!」と、大泣きした。

 私は「これはゲームだよ」「死んではいないよ」「ごめんね」と何度も言ったが、
最後までその女の子は、私を許してくれなかった。

 当時も、そして今も、こうした(思い込み)は、いたるところにある。
子どもの世界だけではない。
おとなの世界にもある。
私たちは、そうした(思い込み)の中で、生きている。

●論理

 しかし(思い込み)には、いつもブレーキをかけなければならない。
(思い込み)だけで生きていると、それこそとんでもない世界に迷い込んでしまう。
占星術だの、心霊現象だの、などなど。
「カルト」と呼ばれる、狂信的な宗教団体を例にあげるまでもない。

そのブレーキの働きをするのが、「論理」ということになる。
映画『スタートレック』の中のミスタースポックの説くところの、
「ロジック(論理)」である。

野球を楽しむにしても、サッカーを楽しむにしても、ある(範囲)で楽しむ。
けっして、それをすべてと錯覚してはいけない。
錯覚したとたん、自分を見失う。
先にあげた、たまごっちを殺したと泣き叫んだ女の子も、その1人ということになる。

●世にも不思議な留学記

 が、こうした(思い込み)は、いたるところにある。
私たちの仕事にしてもそうだ。
私たちはときとして、大切でないものを、大切なものと思い込んだり、
価値のないものを、価値あるものと思い込んだりする。

それだけですめばまだよい。
その一方で、大切なものを、大切でないと思い込んでしまうかもしれない。
価値のあるものを、価値のないものと思い込んでしまうかもしれない。
それがこわい。

それについて書いたのが、つぎの原稿である。
『世にも不思議な留学記』というのがそれ(中日新聞発表済み)。
(http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page195.html)

++++++++++++++

イソロクはアジアの英雄だった【2】

●自由とは「自らに由る」こと

 オ-ストラリアには本物の自由があった。自由とは、「自らに由(よ)る」という意味だ。
こんなことがあった。

 夏の暑い日のことだった。ハウスの連中が水合戦をしようということになった。で、一
人、2、3ドルずつ集めた。消防用の水栓をあけると、20ドルの罰金ということになっ
ていた。で、私たちがそのお金を、ハウスの受け付けへもっていくと、窓口の女性は、笑
いながら、黙ってそれを受け取ってくれた。

 消防用の水の水圧は、水道の比ではない。まともにくらうと学生でも、体が数メ-トル
は吹っ飛ぶ。私たちはその水合戦を、消防自動車が飛んで来るまで楽しんだ。またこんな
こともあった。

 一応ハウスは、女性禁制だった。が、誰もそんなことなど守らない。友人のロスもその
朝、ガ-ルフレンドと一緒だった。そこで私たちは、窓とドアから一斉に彼の部屋に飛び
込み、ベッドごと2人を運び出した。運びだして、ハウスの裏にある公園のまん中まで運
んだ。公園といっても、地平線がはるかかなたに見えるほど、広い。

 ロスたちはベッドの上でワーワー叫んでいたが、私たちは無視した。あとで振りかえる
と、2人は互いの体をシーツでくるんで、公園を走っていた。それを見て、私たちは笑っ
た。公園にいた人たちも笑った。そしてロスたちも笑った。風に舞うシーツが、やたらと
白かった。

●「外交官はブタの仕事」

 そしてある日。友人の部屋でお茶を飲んでいると、私は外務省からの手紙をみつけた。
許可をもらって読むと、「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。そこで私が「お
めでとう」と言うと、彼はその手紙をそのままごみ箱へポイと捨ててしまった。「ブタの仕
事だ。アメリカやイギリスなら行きたいが、99%の国へは行きたくない」と。彼は「ブ
タ」という言葉を使った。

 あの国はもともと移民国家。「外国へ出る」という意識そのものが、日本人のそれとはま
ったくちがっていた。同じ公務の仕事というなら、オーストラリア国内のほうがよい、と
考えていたようだ。また別の日。

フィリッピンからの留学生が来て、こう言った。「君は日本へ帰ったら、軍隊に入るのか」
と。
「今、日本では軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の、伝統
ある軍隊になぜ入らない」と、やんやの非難。当時のフィリッピンは、マルコス政権下。
軍人になることイコ-ル、出世を意味していた。

 マニラ郊外にマカティと呼ばれる特別居住区があった。軍人の場合、下から二階級昇進
するだけで、そのマカティに、家つき、運転手つきの車があてがわれた。またイソロクは、
「白人と対等に戦った最初のアジア人」ということで、アジアの学生の間では英雄だった。
これには驚いたが、事実は事実だ。日本以外のアジアの国々は、欧米各国の植民地になっ
たという暗い歴史がある。

 そして私の番。ある日、一番仲のよかった友だちが、私にこう言った。「ヒロシ、もうそ
んなこと言うのはよせ。ここでは、日本人の商社マンは軽蔑されている」と。私はことあ
るごとに、日本へ帰ったら、M物産という会社に入社することになっていると、言ってい
た。ほかに自慢するものがなかった。が、国変われば、当然、価値観もちがう。

 私たち戦後生まれの団塊の世代は、就職といえば、迷わず、商社マンや銀行マンの道を
選んだ。それが学生として、最良の道だと信じていた。しかしそういう価値観とて、国策
の中でつくられたものだった。私は、それを思い知らされた。

 時、まさしく日本は、高度成長へのまっただ中へと、ばく進していた。

●作られる職業観

 私はこの中で、私たちがもっている職業観すら、そのときどきの体制の中で作られる
ということを書きたかった。
軍事国家では、軍人になること。
経済国家では、経済人になること。

が、もちろんだからといって、そうした仕事がつまらないとか、意味がないとか、そんな
ことを書いているのではない。
私たちには、私たちの(思い込み)があった。
その(思い込み)によって、動かされた。
それをわかってもらいたくて、この原稿を抜き出してみた。

●問いかける

 こうした(思い込み)と闘うには、つねに、自分に問いかけてみること。
意味のあるもの・ないもの。
価値のあるもの・ないもの、と。
この問いかけが、やがて論理へとつながっていく。

 簡単な方法としては、「だから、それがどうしたの?」と問いかけてみるという
方法がある。
レストランで食事をした……だから、それがどうしたの?
電車で旅行をした……だから、それがどうしたの?
前からほしいと思っていたものを買った……だから、それがどうしたの?、と。

 私がそれをいちばん強く感じたのは、大学の同窓生たちの会話を聞いたときのこと
だった。
今からもう30年以上も前のことである。
そのときすでに私は今で言う、フリーターをしていた。

A君(A銀行勤務)「君んとこは、35歳で課長か? いいなア」
B君(B銀行勤務)「君んとこは、何歳だ?」
A君「うちは、早くても、40歳にならないと、課長職には就けないよ」
B君「40歳かア……。遅いなア……。君んとこは、都市銀行だからなア」と。

 私はその会話を横で聞きながら、「だから、それがどうしたの?」と考えていた。
彼らとて、日本の高度成長経済の中で、踊らされているだけ。
私はそう感じた。

 その結果として今の日本があることは認めるが、同時に、その結果として、今の
彼らもある。
A君も、B君も、ともに50歳を過ぎるころには、リストラされ、さらに60歳を
過ぎた今、リストラ先でも、退職期を迎えつつある。

●脳の欠陥

 こうした(思い込み)が起きる背景には、脳そのもの中に、欠陥があるためと
考えてよい。
たとえば今、同時に2つの問題が起きたとする。
わかりやすい例としては、(地球温暖化)と(相続問題)の2つを考えてみよう。

 こういうとき人は、脳の中で、問題の軽重、大小を的確に判断できない。
より身近な問題を、重く、大きな問題として、とらえてしまう。

 またひとつの問題が起きると、それによって脳内ホルモンが脳全体を満たし、
それがほかの問題にまで、影響を与える。
俗にいう『八つ当たり』という現象も、これによって説明される。

 このことは、うつ病を患っている人の思考形態を観察してみると、よくわかる。
ささいな問題にこだわり、悶々と悩む。
悩むだけならまだしも、それが思考全般に影響を与える。

 もちろんその反対の例もある。
イチローが200本目を打ったと聞いたときは、心も晴れ晴れとする。
気分もよくなり、「今日は、何かいいことが起きそうだ」と思ったりする。
これもつきつめれば、脳の欠陥による現象のひとつとも、考えられなくはない。

 そこで問いかけてみる。
「だから、それがどうしたの?」と。
意地悪な見方かもしれないが、それがよきにつけ、悪しきにつけ、私たちを
(思い込み)から守る。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi
林浩司 BW はやし浩司 思い込み こだわり 錯覚)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●9月16日(情報格差)(The Second Industrial Revolution)

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昨日、ルーム・ウォーカー(ランナー)を
ネットで注文した。
ネットショップで注文すると、電気店で買うよりも、
1~2割、安く買うことができる。
在庫があれば、即、配送してくれる。

それが今日中には、届くはず。
今日は、それが楽しみ。
これからは家の中にいて、散歩できる(?)。

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●ネット販売の時代

 少し古い資料で恐縮だが、5年前ですら、ネットの広告販売高は、年間33%前後の
伸びを見せていた。

(eNネット)は、つぎのように書いている。

『米国におけるネット広告の業界団体Interactive Advertising Bureau (IAB)が、
4月28日発表した統計によると、2004年のインターネット広告販売高は前年比
33%増の96億ドルとなり、ドットコムブーム期の2000年を超える規模となった』と。

 昨年(08年)には、この日本でも、デパートやショッピングセンター、商店街での
売上高よりも、ネットを通しての販売高のほうが高くなったと聞いている。
たとえばあの丸井も、ネット販売を始めたが、「2007年3月期の50億円に対して、
2009年3月期は3倍の150億円。今3月期は200億円の計画」という。

 数字を見るかぎり、年々、倍々で販売高がふえているのがわかる。
つまりその分だけ、店で直接ものを買う客が減っているということ。

●ネットショップ

 私も今回、ネットで、ルーム・ウォーカーを購入してみた。
簡単な登録するだけで、OK。
送料は無料。
値段を比較してみる。

J店内にあるC店(大型電気店)……10万9800円
最近できたK(大型電気店)  ……12万9800円
ネット大手の、A・CO    …… 9万0800円(+代引手数料など約500円)

 値段を見ただけで、もう決まり。
近くの店で買うよりも、4万円近くも安い!
というより、店は、ただの陳列場。
客はそこで商品を見て、試しに使ってみる。
それをネットを通して、注文する。

 一方、ネットショップは、店舗を構える必要がない分だけ、商品を安く売ることが
できる。
今ではそうしたネットショップが、都会の中心部にあるのではなく、長野県の山の中に
あったりする。
巨大な倉庫を構え、そこを拠点に、商品をネットで販売している!

●情報格差

 そんなわけで、インターネットを使っている人と、使っていない人の間で、
大きな格差が生まれてくる。
インターネットをうまく使っている人は、より多くの情報を手に入れ、ものを買うとき
なども、より安く買うことができる。
一方、そうでない人は、そうでない。
それが(格差)となる。
称して「情報格差」。

 今後、この情報格差は、拡大することはあっても、その反対はない。
ということは、これからは、インターネットをしていない高齢者は、ますます不利になる。
「不利」といっても、はっきりと目に見える不利ではないため、ことはやっかい。
「インターネットなど、なければないで、一向に困らない」と豪語する(?)人も
少なくない。
私の年齢以上の人に、そういう人が多い。

で、問題は、こうした高齢者たちを、どうフォローしていくかということ。
インターネットというより、パソコンという文明の利器は、使いこなせるようになるまで
が、たいへん。
その上での、インターネットである。

 が、どうしようかと考えたところで、思考停止。
この問題だけは、本人がその気にならないかぎり、どうしようもない。
仮に……ということで、私の義兄(70歳代)たちを思い浮かべてみるが、キーボードを
叩くことにさえ、拒絶反応を示す。
最近も、こんなことがあった。

●「パソコンが動かない!」

 ある女性(40歳)から電話がかかってきた。
「パソコンが動かないから、助けてほしい」と。

 で、出かけてみると、新しくノートパソコンが、そこにあった。
(その横には、それよりも1、2年古いタイプのデスクトップパソコンが置いてあった。)

 両方とも、電源を入れても、なかなか立ちあがらない。
その女性は、「中学生の息子がいじったから、動かなくなった」と言っていたが、
少し調べてみて、私は、絶望感を覚えた。

私「リカバリー(再セットアップ)するしかないです。ディスクはありますか」
女「そんなもの、ありません。もらってきたパソコンですから」
私「……」
女「これでテレビ電話(SKYPE)をしてみたいので、それをできるようにしてほしい」
私「ウィルス対策ソフトの期限が、とっくの昔に切れていますよ」
女「でも、ちゃんとソフトは、入っています」
私「毎年、お金を払って、更新しなければいけませんよ」
女「……」と。

 ついでにIEの履歴から、息子氏がどんなところへアクセスしていたかを見てみた。
予想通り、そこにスケベサイトがズラリと並んだ。

私「このパソコンには、ウィルスやスパイボットが、きっと、ぎっしりと入っていますよ」
女「スパイボット?」
私「つまり、ばい菌だらけということです」
女「どうすればいいですか?」
私「だからここまでくると、リカバリーして、ソフトを新しく、インストールしなおす
しかないです」
女「先生、やっていただけますか?」
私「……。時間があれば、できますが、時間がないので、ごめんなさい」と。

 あれほど重症のパソコンとなると、満足に使えるようになるまでに、5~6時間は
かかる。
テレビ電話(SKYPE)などというのは、その後の後。
その女性は、パソコンを、テレビかラジカセのようにしか考えていない。
つまり、お手上げ!

 こうした現状がわかればわかるほど、思考停止となってしまう。

●第二の産業革命

 で、たった今、ネットで調べてみたら、「商品は、浜松市内現在配送中」と出てきた。
今では、ネットでそこまでわかるようになっている。
そこで宅配会社に電話を入れ、伝票番号を伝えると、「12時前後に配達の予定です」と
教えてくれた。

 すごい!

 これを第二の産業革命と言わずして、何と言う?
配送状況から、配達予定時刻までわかる。
私たちは人間の歴史に残る革命を、今、こうして目の当たりに、経験している!

 2009年9月16日、水曜日。
100年後の人が、このエッセーを読んだら、どう思うだろうか?


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