2009年10月10日土曜日

*How can we be goo old men?

●老害問題

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「老害」という言葉が、使われ始めている。
この先、10年ほどで、3人に1人が、満
65歳以上の高齢者になると言われている。
(現在は、4人に1人。※)

その老害の中でも、とくに深刻味を帯びてきたのが、
認知症の問題。
いわゆるボケ老人の問題。

数日前、家に遊びに来た、N君(同級生)が、
こんな話をしてくれた。

N君の近くに、1人の女性(現在満72歳)がいた。
この女性は、現在、アルツハイマー型認知症になり、
そういった施設で入所生活を送っているという。
が、「そこに至るまでが、たいへんだった」(同級生)と。

近所とのトラブルは日常茶飯事。
親類とも、言った、言わないの、騒動の連続。
約束など、日なたの道路に昇る陽炎(かげろう)のようなもの。
何か約束しても、つぎの日には忘れてしまう……。
この繰り返し。
町内で預かったお金を、使い込んでしまった、
(あるいは紛失してしまった?)、こともあるという。

それについて預けた人が抗議すると、「私は、
預かった覚えはない」と、語気を強くして争う。
N君も一度、同じようなトラブルに巻き込まれた
ことがある。

N君の家の駐車場が、その女性の土地と入り組んでいて、
わかりにくくなっていた。
そこでその女性と話し合い、覚書の形で、N君の
土地のほうを直線的にした。
70万円ほどの土地代も、そのときその女性に渡した。

ところが、である。
1年もたたないうちに、その女性が、その土地を他人に
転売してしまった。
こういうケースのばあい、つまり不動産というのは、
一度登記簿上で移転されてしまうと、N君としては、
なすすべもない。

で、N君としては、その女性に抗議するしかなかった。
が、その女性は、「そんな話は知らない」「覚書を
書いた覚えもない」「私に責任はない」と。

そこでN君が、「この署名はあなた自身の直筆によるもの」
「印鑑はあなたのもの」と主張したが、「私の字ではない」
「印鑑はなくしてしまったから、ない」と。

すでにこのときその女性の認知症が始まりかけていた(?)。
結局N君は、泣き寝入り。
「民事調停をするような話でもないし……。
相手も相手だし……」と。

本来なら、土地を買ったとき、一度土地測量士に入ってもらい、
土地を分割し……という手順を踏まねばならなかった。
しかしN君は、それを怠った。

……というようなケースは、この先、ふえてくる。
行為能力に欠ける人には、禁治産者、準禁治産者
という制度がある。
認知症の老人も、同じように法律行為を制限するなど
の措置が、この先、必要となってくるかもしれない。
これは老人自身のためでもある。
が、これにはもうひとつ、問題がある。

家族がそれを認めたがらないという問題である。
N君の近くに住んでいた、その女性にしても、
ほぼ同年齢の夫と同居していたが、夫は最後の
最後まで、自分の妻がそうであることを認めよう
としなかったという。
親類の1人が、「一度、検査を受けさせてみたら」と
勧めたこともある。
が、夫は「オレの女房は、思い込みは激しいが、
頭はいい」と。
そのまま大激怒。
話し合いにならなかったという。

N君が言うには、「夫のほうも、血栓性の認知症の
疑いがあった」と。
 
そのN君は、こう言う。
「これから先、認知症患者は、100万人単位で
ふえていく。
そうなったとき、ぼくらはぼくらで対策を考えて
おかないと、それこそ、老害として、社会そのもの
から排斥されてしまう」と。

アルツハイマー型認知症に限らず、認知症の問題は、
その人自身にとっても、深刻な問題である。
それは認める。
しかし同時に、認知症の人たちが、そこに至る過程の
中で、多くの人たちに多大な迷惑をかけるという事実も
忘れてはいけない。

つまりこの問題は、現在進行形の、私たち自身の問題である。
あなた自身の問題である。
それを忘れてはいけない。

(補記)
この話を市内に住む義姉に話すと、義姉もこんな話をしてくれた。
義姉の義母(=夫の母親)も、最後は、認知症になった。
そして孫たちが遊びに来ると、孫たちがサイフからお金を盗んだ
といって騒いだという。
もちろん孫たちは、お金など、盗んでいない。
で、義姉の子どもたちが、それによって、ひどく傷ついた、と。
「今では、笑い話かもしれないけど、そのときは、本当に不愉快でした」
と義姉は付け加えた。

(補記2)
アルツハイマー型認知症のばあい、「忘れる」というよりは、記憶そのものが、脳から「欠落」してしまう。
そのため、本人には、「忘れた」という自覚すらない。
事実や証拠をつきつけられても、初期の段階では、取り乱して混乱状態になってしまう。
自らその恐怖心からか、それを否定しようとする。
が、それも一巡すると、今度は、「わからない」という言葉をよく使うようになり、さらに(言い訳)(とりつくろい)がうまくなる。
ものごとを確認するため、(指差し行為)もふえてくる。
こうした経緯をたどりながら、病状は進行する。

(注※)(全日本病院協会資料)

高齢者の割合は最近では一貫して上昇しています。現在、高齢者は全人口の18.0%ですが、2010年には23%、2020年には28%に増加すると推計されています。日本では、高齢者のスピードが諸外国に比較して非常に速いのが特徴です。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司

●今日から、マガジン11月号

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今日から11月号!
マガジンは、ちょうど1週間遅れ!
本来なら今は、11月9日(月)号の
発行予約を入れていなければならない。
それが11月2日(月)号。

書きたいことは、多い。
頭の中はモヤモヤしている。
が、書こうとする前に、「つまらないからやめた」となる。
そこに書きたいことがあるのに、
それが何であるか、つかめない。
この歯がゆさ。
このもどかしさ。

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●人間のレベル

 ウソ、いんちき、小細工のかたまりのような人は、少なくない。
世間体を気にし、見栄、メンツにこだわる。
虚栄心が強く、ものの考え方が自己中心的。
自分勝手でわがまま。
少しでも批判されると、ささいなことにこだわり、大騒ぎする。
他人の心が読めない。
心の広さがない。
思慮の深さもない。

●一貫性

 「一貫性」という言葉がある。
ふつうは、よい意味で使う。
人格の完成度の高い人ほど、一貫性がある。
どんな状況になっても、動じない。

しかし悪い意味での一貫性もある。
一事が万事というか、なにかにつけて、小ずるい。
ある女性から、こんなメールが届いた。
何でも職場の上司(女性)が、そのタイプの人で、会社をやめるかどうか悩んでいるという。

「何か気分が悪いと、露骨な態度で、私を嫌ったり、避けたりします。そこで理由を聞くと、その2週間ほど前、その人が嫌っている人と、楽しそうに話していたのが気に入らなかったから」と。

●化けの皮

 しかし見た目には、ふつう。
むしろよくできた人という印象を与える。
とくに初対面の人には、そうだ。
しかしそれは仮面。

 このタイプの人は、男性、女性にかぎらず、つねに自分がどう見られているかを気にする。
またどうすれば、よい人間に見られるかを、研究している。
つまりそういうことも含めて、ウソ、いんちき、小細工がうまい。
が、先にも書いたように、仮面は仮面。
わかりやすく言えば、「化けの皮」。

●口がうまい

 このタイプの人は、口がうまい。
相手をその気にさせたり、喜ばせたりするのが、うまい。
それ自体は害はないのだが、反対に、悪口を言いふらすのもうまい。
涙声で、こう言う。

「かわいそうに、あの家の息子さんは、万引きをして警察に逮捕されたんですってねえ。これで前科者よねエ・・・」と。

 もちろん涙は一滴も出ない。

●接触を避ける

 私のばあい、そういう人とわかれば、接触を避ける。
(私のほうが避けられているのかもしれないが・・・。)
 つきあってよいことは、何もない。
ないばかりか、しばらくつきあっていると、その毒気に染まってしまう。
感覚が麻痺してくる。
ウソをウソと思わなくなる。
インチキをインチキと思わなくなる。
小細工を小細工と思わなくなる。
そしていつの間にか、自分も、同じことをするようになる。

●疑り深い
 
 話は変わるが、『泥棒の家ほど、戸締りが厳重』という。
これについては、もう何度も書いてきた。
同じように、ずるい人ほど、疑り深い。
小細工を重ねる人ほど、相手の小細工を警戒する。
さらに言えば、ウソつきほど、ウソをつかれると、激怒してみせる。

 言い換えると、もしあなたが、疑り深い人なら、相手を疑う前に、自分自身を一度、疑ってみたほうがよい。
実は私も、その疑り深い人間。
若いころは、だれにも負けないほど、ウソつきで、インチキで、小細工ばかり重ねていた。
しかしそんな私を正してくれたのが、オーストラリアでの留学生活だった。

●欧米人のウソ嫌い

 欧米人は、ウソを嫌う。
その嫌い方は、日本人からみると、ふつうではない。
日本人には何でもないウソでも、彼らは許さない。

 こんなことがあった。
ある日、友人が、昼食に誘ってくれた。
すかさず私は日本式に、「今、ちょうど終えたところだ」と言ってしまった。
ウソというよりは、軽く断るための方便として、そう言った。

 が、そのあと別の場所で、別の友人たちと食事をしているところと、先の友人に見つかってしまった。
とたん、その友人は、激怒。
「ヒロシ、どうして君は、ぼくにウソをついたのか?」と。

●独裁国家

 またまた話が脱線するが、独裁国家ほど、独裁者の人間性が、そのまま外に表れる。
独裁性が強ければ強いほどそうで、それは道理にかなっている。

 どこの国と今さら、言うまでもない。
あの国である。
ウソとインチキと小細工のかたまり。
その上、世間体を気にし、見栄、メンツにこだわってばかりいる。
そんなにすばらしい国なら、外国の人たちに公開すればよい。
自信をもって、自国の人たちを、外の世界に出してやればよい。

 いろいろな報道を聞いていても、「ここまでやるか!」と感心するほど、小細工を重ねる。

●K国 

 金xxが存命中は、核兵器の放棄など、ありえない。
それはどこかの教団が、本尊を否定するようなもの。
K国は、全体としてカルト化している。
その本尊が、核兵器。
核兵器あっての、金xx。
K国。
核兵器の放棄など、ありえない。

 が、09年10月はじめ、K国が核兵器を放棄するかもしれないというビッグ・ニュースが世界を駆け巡った。
しかしこういうニュースは、まず疑ってかかる。
というか、案の定、そのニュースは、数日後には、消えた!
今までの経緯を見れば、そんなことがありえないことは、だれにもわかるはず。
むしろ反対に、K国が、5000トン近い、化学兵器と生物兵器をもっていることが明らかになった。

 威力という点では、核兵器も、化学兵器も、生物兵器も、それほどちがわない。
一発で、約20万人の人を死傷できるという。

●悟りの境地

 人間のこうした、ウソ、いんちき、小細工は、もとはといえば、醜い欲望に根ざしている。
その欲望が姿を変えて、ウソ、いんちき、小細工へとつながる。
世間体、見栄、メンツにしても、そうだ。
で、それをコントロールするのが、理性であり、知性ということになる。
もっと具体的には、人間性であり、その人がもつ文化性ということになる。

 が、それがない人には、ない。
さらに悲しいことに、加齢とともに、こうした人間性や文化性は、そのまま退化していく。
それは健康論に似ている。
究極の健康法というのがないのと同じように、究極の人格完成法というのはない。
よく「私は、仏の境地に達した」とか「悟りの境地に達した」とか言う人がいるが、それを口にする人というには、まず疑ってかかってみてよい。

 たまたま何も問題なく、不自由なく暮らしているだけ。
何も問題なく、不自由もなく暮らしている間は、だれだって善人になれる。
善人らしく振舞うことができる。
それを「悟りの境地」と錯覚する。
が、問題が起きたとたん、化けの皮がはがれる。

●では、どうするか

 そこでまたまた同じ結論。
「日々に精進(しょうじん)あるのみ」。

 その努力を怠ったとたん、健康はもちろん、人格は後退する。
若いときは、体力や気力があるから、ある程度はごまかせる。
しかし50歳を過ぎると、そうはいかない。
60歳をすぎると、そうはいかない。
認知症が加われば、なおさら。

●自分を高める

 気持ちよく生きるというのは、たいへんなこと。
『平凡こそ美徳』というが、その平凡がむずかしい。
そのためにも、身のまわりから、ウソ、いんちき、小細工を排除していく。
努めて排除していく。

 また見栄、メンツ、世間体については、それを気にしないほどまでに、自分自身の人間性と文化性を高めるしかない。
高めた上で、相手を見おろす。
見くだすとか、軽蔑するということではない。
大きな視野で、相手を見る。
マズローという学者は、そういう人を、道徳の完成度の高い人と定義づけた。

●後記

 とかく人の世には、トラブルは、つきもの。
こちらにその気はなくても、向こうから飛び込んでくる。
ふとした油断をついて、やってくる。
そういうケースは、多い。

 人はこうしたトラブルを乗り越えながら、より賢くなっていく。
しかしそれ以上に大切なことは、こうしたトラブルで無駄な時間とエネルギーを使わないこと。
もしそうした時間とエネルギーがあるなら、それらはもっと有効なことに使いたい。
より賢くなるにしても、正攻法というものがある。
できるだけこうしたトラブルは避ける。
それ自体が、賢い生き方ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司

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