●逆・母子分離不安(byはやし浩司)
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母子分離不安というと、子どもだけの
問題と考える人は、多い。
しかし子どもほどではないが、母親側の
母子分離不安も多い。
称して、「逆・母子分離不安」(筆者)。
+++++++++++++++++
「母子分離不安」というと、子どもだけの
問題と考える人は多い。
つまり母子分離不安になるのは、子どもだけとはかぎらない。
母親側の、母子分離不安というのも、ある。
「子どもから離れられない」
「子どもがそばにいないと不安」
「子どもの様子がわからないと心配」と。
そして幼稚園や保育園でも、用もないのに、
出かけて行っては、そこで子どもの様子を見る。
園の先生が、「だいじょうぶですよ」「心配ないですよ」
「任せてください」と言っても、(実のところ、
そういう母親がいると、園にとっても、迷惑なのだが)、
そこにいる。
そこにいて、じっと子どもの様子を見ている。
ふつうの「母子分離不安」と逆の立場になるから、
「逆・母子分離不安」ということになる。
このタイプの母親の特徴としては、
(1) 静かで、いつも憂うつそうな顔をしている。
(2) 子どもから視線をはずさない。
(3) 表面的には、穏やかでやさしい母親に見える。
(4) 強く注意したりすると、おどおどしてしまう。
(5) 歩くときも、手をつないだりして、離れない。
(6) 「私は愛情豊かな母親」と誤解している。
原因は、母親側に、何らかの情緒的な欠陥、あるいは
精神的な未熟性。
とくに情緒的な欠陥、たとえばうつ病が原因となることがある。
当然、子どもにも、影響が出てくる。
そういう点では、母親の愛情を、過剰なまでに受けている。
そのため溺愛児プラス、過保護児プラス、過関心児を
統合したような症状を示す。
(1) 静かでおとなしい。
(2) ハキがない。積極性に欠ける。
(3) 全体に幼稚ぽいしぐさや、言動が目立つ。
(4) 人格の核形成(=この子はこういう子というつかみどころ)が遅れる。
(5) 他の子どもたちと交われない。
(6) 柔和でおだやかだが、積極性がない。
(7) 乱暴な指導になじまない。
(8) いつも親の視線を気にする、など。
T君(小1)という子どもがいた。
その子どものばあいも、親が授業を参観しているときと、
していないときとでは、別人のように違った。
親がいないときは、比較的表情が明るく、
積極的だった。
ものもしっかりと言うことができた。
親がいるときは、比較的……というより、明らかに
「いい子」という様子を見せた。
で、私はときどき「参観はもういいですよ」と
促した。
しかし効果は長つづきしなかった。
1、 2回くらいは、参観をやめるが、またやってきて、
いちばん奥の席に座って、じっと子どもを見つめていた。
私もその視線を強く感じた。
ときに私の体を、ズキンズキンと突き抜けた。
授業もやりにくかった。
が、そういうこちら側の気持ちは、理解できない。
どこまでも身勝手で、自分勝手。
しかし母親のかかえる心の問題は、それをしのぐほど、大きい。
根も深い。
無理に引き離したりすると、母親自身の精神状態が、おかしくなってしまう。
それがわかっているから、私の方が、引きさがるしかなかった。
この問題は子どもの問題ではない。
(たいていの母親は、「この子は私がそばについていてあげないと、
何もできません」と言うが)、母親自身の問題と考える。
もっと言えば、母親自身の心の問題。
それを治す。
しかしそれは「教育」の範囲を超える。
父親の協力も必要だが、たいていのばあい、父親(夫)も、
もてあましていることが多い。
それ以上強く言うと、家庭内騒動の原因となったり、
そのまま母親が子どもの手を引いて、園をやめてしまったりする。
子どもは、小学3年生前後(満10歳前後)に、
急速に親離れを始める。
親はそのときだけの様子を見て、「私たち親子は、いつまでもそういう
関係がつづく」と考える。
しかしこのタイプの子どもは、思春期に入るころ、豹変する。
「このヤロー! こんなオレにしたのは、テメーだア!」と。
母親を激しく罵倒したりする。
抑圧された別の心が、そのとき爆発する。
あるいは、極端なマザコンのまま、おとなになる。
比率としては、豹変して親を罵倒するようになる子どもが、70%、
マザコン化する子どもが、30%と、私はみている。
どちらであるにせよ、よいことは、何もない。
ひどいばあいには、そのまま激しい家庭内暴力へとつながる。
子どもを、自分の心の隙間を埋めるための道具に利用してはいけない。
【症例1】
毎朝、子ども(年中・女児)といっしょに幼稚園へやってくる母親がいた。
そして門のところで子どもを手放すと、そのまま門の端のほうに移動して
立っていた。
毎朝のことなので、園のほうも、あきらめていた
強く言ったこともあるが、そのときは、園の別の隅に移動し、やはり
そこで立って子どもの姿を見ていた。
ときどき家に帰ることもあった。
家までは、歩いて、5~10分程度。
しかし昼ごろになると、またやってきて、そこに立っていた。
たいていそのまま、帰りの時間まで、そこにいた。
いつも子どもの手を引いて、家まで帰った。
【症例2】
「娘が病気で幼稚園を休んでくれると、うれしい」と、その母親は言った。
「娘といっしょに、一日を過ごせるから」と。
その子ども(年長・女児)の髪は、芸術とも言えるほど、こまかく編んでいた。
私が「ずいぶんと時間がかかるでしょう?」と聞くと、母親はこう言った。
「いえ、1時間ほどですみます」と。
毎朝、1時間!
その母親の口癖は、いつも同じ。
「死ぬまで、(この子と」いっしょ」。
「子育てが生きがい」。
「この子は、私がいなければ、何もできません」。
「結婚したら、どうします?」と聞いたこともある。
母親は、臆面もなく、こう答えた。
「結婚はしません。するとしても、養子で、家(うち)に入ってもらいます」と。
で、ある日、その母親は、こうも言った。
「私、夫なんか、いてもいなくても、どちらでもいいような気がします。
娘さえ、家にいてくれれば……」と。
母親の実家は、かなり裕福な資産家だった。
毎月生活費の大半を、実家からの仕送りで、まかなっていた。
【症例3】
T君(中2)が、激しい家庭内暴力を繰り返しているという話は、その隣に住む
母親から聞いた。
最初は、親子で怒鳴りあう声が、近所中に聞こえたという。
が、そのうち静かになり、T君の家庭内暴力は、ますます激しくなっていった。
暴力が激しいため、家の中のガラス戸などは、すべてはずしてあったという。
父親も母親も、中学の教師をしていた。
母親は、T君が幼稚園へ入るころ、教師の職を辞した。
父親も母親も、T君の部屋の前を通るときは、両手ではって歩いたという。
立って歩いている姿が見えると、T君は、容赦なくモノを投げつけた。
そのT君は、小学3年生ごろまでは、学校でも優等生(?)だった。
勉強も、スポーツもよくできた。
おとなしく、親や先生の指示にも従順だった。
私もそのころまでのT君しか知らない。
で、T君の話を聞いて、心底驚いた。
隣に住むその母親は、こう言った。
「T君が子ども(幼児)のころは、母親が毎日、手をつないで、近くの
ピアノ教室に通っていました。
いつもいっしょなので、たいへん仲のいい親子に見えました。
母親は、明らかに溺愛していました。
ただ教育ママで、T君が学校のテストなどでまちがえたところがあったりすると、
夜遅くまで勉強を教えていました」と。
そう言えば、T君には妹が1人、いたはず。
それを聞くと、その母親は、「そう言えば、妹さんは、父親の実家から、学校に
通っていました」と。
(補記)
子どもは、小学3年生前後(満10歳前後)に、急速に親離れを始める。
男児だと、それまでは学校であったことを話していたのが、急に話さなくなる。
親や近親者を、露骨に毛嫌いし始める。
(本当に嫌っているというよりは、生意気な態度をわざとしてみせる。)
女児だと、それまで父親と風呂に入っていたのが、入らなくなる。
そこで大切なことは、
(1) じょうずに、親離れできるように、子どもを仕向けてやる。
(2) 子離れイコール、親子の断絶ではない。おおげさに考えない。
(3) 親自身が、子離れし、親は親で自分の人生を大切にする。
(4) 夫の役割を認め、夫に積極的に介入してもらう。
西洋では『子どもを産み育てるのは、母親の役目だが、
子どもに狩の仕方を教えるのは、父親の役目』と教える。
母子関係の是正と、社会性を教えるのは、父親の役目と心得る。
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Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司
●経済効果
●菅氏の「大ばか」発言
+++++++++++++++++
久々に、胸がスカッとした。
あの菅氏が、こう言い放った。
「霞が関なんて成績が良かっただけで、大ばかだ」と。
時事通信、09年10月31日は、つぎのように伝える。
+++++以下、時事通信+++++
「知恵、頭を使ってない。霞が関なんて成績が良かっただけで大ばかだ」。菅直人副総理兼国家戦略担当相は31日、民主党都連の会合での講演で、激しい言葉で官僚を批判した。
「効果のない投資に振り向けてきた日本の財政を根本から変える」と財政構造改革に取り組む決意を明かした菅氏は、官僚から「2兆円を使ったら目いっぱいで2兆円の経済効果だ」と説明を受けたことを紹介した後に、「大ばか」発言が飛び出した。
官僚嫌いで知られる菅氏は、学業は優秀でも過去の例にとらわれて柔軟な発想に欠けると言いたかったようだが、官僚の反発を招きそうだ。
+++++以上、時事通信+++++
問題は、「2兆円を使ったら目いっぱいで2兆円の経済効果だ」という部分。
私も、この部分に、カチンと来た。
官僚というのは、この程度の経済知識しかないのか?
●経済効果
経済効果について、説明しよう。
私は法科の出身だが、この程度のことは知っている。
話をわかりやすくするために、数字を簡略化した。
【例】
たとえばあなたが、商品Xを、100万円で購入したとする。
あなたはA商店に100万円(1)、支払った。
それを受け取ったA商店は、20万円を自分のものにし、残りの80万円(2)をB問屋に支払った。
B問屋は、受け取った80万円のうち、20万円を自分のものにし、残りの60万円(3)をC問屋に支払った。
C問屋は、受け取った60万円のうち、20万円を自分のものにし、残りの40万円(4)を、D製造会社に支払った。
D製造会社は、受け取った40万円のうち、20万円を自分のものにし、残りの20万円(5)を、材料代として、E会社に支払った。
以上の中で、(1)+(2)+(3)+(4)+(5)を計算すると、合計で、300万円になる。
つまりあなたが100万円のものを買うと、その向こうで、300万円のお金が、動いたことになる。
これが「経済効果」である。
繰り返すが、100万円で、300万円が動いたことになる。
もしあなたが100万円をタンス預金してしまえば、この経済効果は生まれない。
だから「2兆円を使ったら目いっぱいで2兆円の経済効果だ」というのは、ウソというより、認識不足。
要は、その使い方。
使い方しだいで、経済効果は、3倍にも、4倍にもなる。
時事通信は、「官僚の反発を招きそうだ」と書いている。
しかし心配、無用!
私たち庶民が味方についている。
いいか、官僚ども、いい気になるな!
もし菅氏を責め立てたら、我々、庶民が許さない。
怒りのマグマは、爆発寸前!
今こそ、みなが、立ちあがるべきときではないのか。
立ちあがって、官僚政治を是正していかなければならない。
官僚政治のすべてが悪いわけではないが、しかし今の官僚政治は、行き過ぎている。
民主主義そのものを、形骸化している。
知事も副知事も、みんな元官僚。
国会議員も、みんな元官僚。
大都市の首長も、みんな元官僚。
これは許せない。
菅さん、負けるな!
ひるむな!
(しかし菅氏も、元官僚ではなかったのか?
少し心配になってきた……?
腰砕けにならなければよいが……。)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 官僚政治 官僚制度 菅氏の官僚批判 菅直人 大馬鹿発言 大ばか発言 大バカ発言 はやし浩司 官僚政治 批判 民主党 菅直人)
Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司
2009年10月31日土曜日
*In the arly morning of Oct. 31st 2009
【10月31日】(2009)
●パソコンをもって、でかけよう
パソコンをもって、でかけよう
気が向いたところで、パソコンを開こう
ひらめいたことを、文にしよう
インターネットを楽しもう
ショッピングセンターの中の、休憩所
レストランのテーブルの上
電車やバスの中
それに旅行先
ちょっとした時間があれば、そこで開こう
開いたとたん、そこは別世界
知的遊戯の世界
文を叩き出したとたん、脳みその中が、一変する
モヤモヤしたものが、その向こうから、湧き出る
ネットにつなげば、その向うに世界が見える
それに形をつける
ひとつにまとめる
その爽快感
パソコンをもって、でかけよう
もうだれにも、「お宅族」とは言わせない
Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司
●2010年の企画
2008年は、「音楽と私」に力を入れた。
2009年は、「BW公開教室」に力を入れた。
2010年は……?
新しいHPを立ち上げるか?
それともマガジンに力を入れるか?
いろいろ考えている。
迷っている。
絶版になったまま、放置してある本が、10冊あまりある。
それをHPに収録したい。
この年末には、それを仕上げたい。
が、2010年は……?
いろいろ考えている。
迷っている。
実のところ、それが楽しい。
Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司
【青春の仇討ち】
●息子たちのこと
親が子どもを育てるのではない。
そういう時期もあるにはあるが、そういう時期は、あっという間に終わる。
親は、あるときから、子どもたちに励まされて生きるようになる。
子どもたちが、がんばって生きている姿を見ながら、「私も!」となる。
経営再建中の航空会社でパイロットをしている息子。
「お前は、だいじょうぶか?」と聞くと、「ぼくには、関係ない」と。
「でも、子会社の人たちが、かわいそう」と、ポツリ。
この先、1万人を超える、大リストラが始まる。
アメリカの大学でコンピュータ技師をしている息子も、同じようなことをいう。
「ぼくには、関係ない」と。
そうした言葉を聞いて、「本当かな?」と思いつつも、ほっとする。
一方、息子たちが、私たちのことを心配するたびに、私は、こう答える。
この日本でも、まだいたるところで不況の嵐が、吹きすさんでいる。
「ぼくには、関係ない」と。
仕事がある。
仕事が楽しい。
生きがいもある。
それに健康。
何とか、昨年に始まった、あの大恐慌も乗り切った。
あとは、今の状態を維持するだけ。
そうそう、もうひとつ負けたくないことがある。
二男夫婦は、今でもラブラブ。
ハートのマークを10個ほどつけてやりたい。
今度結婚した三男も、ラブラブ。
ハートのマークを20個ほどつけてやりたい。
で、私たち夫婦は……?
先日も、「あいつら、みんな楽しんでいる。
ぼくらもがんばろう」とワイフに言うと、ワイフも、すなおに応じてくれた。
「そうね」と。
……だから今は、2人で、遊んでばかりいる。
若いときは、仕事と子育てに追いまくられた。
その分を、今、取り返す。
あのころできなかったことを、今、する。
称して、「青春の仇(あだ)討ち」。
62歳といっても、運がよければ、人生はまだ20年はある。
10年としても、青春時代より長い。
使いようによっては、学生時代の2倍、楽しめる。
で、あのころしたくてもできなかったことを、懸命に思い出そうとする。
「何だったのかなあ?」と。
●青春の仇討ち
青春時代に、やり残したことは多い。
不完全燃焼のまま、終わったことも多い。
が、ふと今、頭の中をかすめたのは、今井さん(実名)。
私が浜松に住むようになって、最初の友人。
市立図書館の入り口あたりで、小さなデザイン事務所を開いていた。
人当たりいい、やさしい人だった。
心が広く、私のめんどうをよく見てくれた。
台風のときには、わざわざ私を迎えに来てくれた。
「うちへ来い」と。
私はそのとき、今にも壊れそうな、ボロ家の2階に間借りしていた。
今井さんとの思い出は多い。
が、その今井さんは、30歳になる少し前に、食道がんでこの世を去った。
タバコと焼酎が好きだった。
夢は、直木賞を取ることだった。
だから毎日、何かの原稿を書いていた。
さぞかし無念だっただろう。
その無念さが、今になって、ひしひしと私の胸に伝わってくる。
その無念さを考えたら、私がし残したことなど、なんでもない。
「青春の仇討ち」とは言うものの、それが考えられるだけでも、幸せなの
かもしれない。
仇討ちすらできないで、そのまま若くして、この世を去っていく人は多い。
そう言えば、近所に、60歳で定年退職した直後に、脳内出血で亡くなった
人(男性)がいる。
その人の奥さんは、こう言った。
「何のための人生だったのでしょうね」と。
現役時代は、したいこともできず、役所勤め。
黙々と働いてきて、「やっと楽になった」と思ったとたん、脳内出血。
そうそう、こうも言った。
「若いときから腎臓が弱く、食事制限ばかりしてきました。
こんなことなら、食べたいものを、もっと食べさせてやればよかったです」と。
そう言えば、あの今東光(こんとうこう)は、晩年、私にこう話してくれた。
「オレは、若いとき、修行、修行で、オレには青春時代がなかった。
今でも、『しまった!』と思って、女を買いに行く」と。
晩年の今東光は、ヌード画を書いていた。
「女を買う」というのは、「モデルの女性をさがしに行く」という意味だった。
大作家であり、政治家であり、かつある宗派の大僧正でもあった人物でも、
そう考える。
青春の仇討ちを考える。
●悔い
私は……。
私は早い時期に、サラリーマンに見切りをつけ、そのあと、自由気ままに生きた。
そのつどやりたいことだけをやって、生きてきた。
したくないことは、しなかった。
きびしい生活だったが、そういう点では、悔いはない。
ないというより、少ない。
あえて言うなら、「旅」ということになる。
息子たちが生まれてから、とくにそうだった。
が、だからといって、後悔しているわけではない。
息子たちがいたおかげで、がんばることができた。
息子たちがいなかったら、ああまでは、がんばらなかっただろう。
生きがいも生まれなかっただろう。
もちろん思い出も、できた。
ただ心の中では、いつも、「世界中をひとりで旅をしてみたい」と、
思っていた。
目的地を定めず、放浪の旅をする。
今なら、ワイフと2人で、旅をする。
青春の仇討ちということになれば、それか?
しかし今は、こう思う。
息子たちが、私の代わりに青春の仇討ちをしてくれている、と。
不思議なことに、みな、私がしたかったこと、できなかったことを、している。
自由奔放な長男。
アメリカに移住した二男。
空を飛んでいる三男。
みんなそれなりに、自分の人生を楽しんでいる。
それでよい。
それ以上に、私は何を望むことができるのか。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●今日で10月もおしまい
昨日、大急ぎで、マガジン11月号のHTML版(カラー版)の編集をした。
40分ほどで、できた。
あぶなかった!
ぎりぎり、セーフ!
数日前、「11月号は休刊にしようか」と、ワイフと話し合ったばかり。
このところ、ワイフですら、私のマガジンを読んでいない。
他人である読者なら、なおさら。
読んでいる人は、ほとんどいない?
自分でもよく、「どうしてこんなバカなことをしているのだろう?」と思う。
やる気になれば、40分でできる。
その「40分」を、自分の中で作るのが、たいへん。
子どもだって、そうだ。
30分でできるような宿題でも、なかなか、やらない。
「その気になって、早くすませばいい」と思うが、やらない。
その30分を作るのが、むずかしい。
今日は10月31日。
しめくくりに、午前中、近くの小学校で、講演というか、講話をしてくる。
時間が1時間しかないから、たいした話はできない。
雰囲気的には、雑談形式になってしまうかも?
で、そのあと、そのまま山荘へ。
今日は、山の草刈りをするつもり。
上半身の運動には、草刈りが、いちばんよい。
30分もつづけると、全身が汗だくだくになる。
それに今の時期から、落ち葉がひどくなる。
それを集めると、ふかふかのダブルベッドのようになる。
孫たちが近くにいれば、それで遊ぶだろう。
いつももったいと思いつつ、それを燃やす。
そうそう、昨夜、今度講演に行くことになっている、秋田県のY市を
ネットで調べてみた。
旅館の予約をしなければならない。
が、驚いた。
地図で見たら、浜松からだと、韓国のソウルと、同じ距離。
円を描いてみたら、ちょうど同じ位置だった。
「新潟の向うが秋田」と思っていた。
(たぶん、反対に、秋田の人たちは、「東京の向うが、浜松」と
思っているにちがいない。)
片道、7時間半。
秋田県は、はじめてなので、楽しみ。
もうひとつ驚いたのは、旅館の宿泊費が安いこと。
このあたりの半額といった感じ。
温泉旅館でも、一泊2食付きで、6~7000円前後。
ともかくも、今日も始まった。
がんばろう!
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●パソコンをもって、でかけよう
パソコンをもって、でかけよう
気が向いたところで、パソコンを開こう
ひらめいたことを、文にしよう
インターネットを楽しもう
ショッピングセンターの中の、休憩所
レストランのテーブルの上
電車やバスの中
それに旅行先
ちょっとした時間があれば、そこで開こう
開いたとたん、そこは別世界
知的遊戯の世界
文を叩き出したとたん、脳みその中が、一変する
モヤモヤしたものが、その向こうから、湧き出る
ネットにつなげば、その向うに世界が見える
それに形をつける
ひとつにまとめる
その爽快感
パソコンをもって、でかけよう
もうだれにも、「お宅族」とは言わせない
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●2010年の企画
2008年は、「音楽と私」に力を入れた。
2009年は、「BW公開教室」に力を入れた。
2010年は……?
新しいHPを立ち上げるか?
それともマガジンに力を入れるか?
いろいろ考えている。
迷っている。
絶版になったまま、放置してある本が、10冊あまりある。
それをHPに収録したい。
この年末には、それを仕上げたい。
が、2010年は……?
いろいろ考えている。
迷っている。
実のところ、それが楽しい。
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【青春の仇討ち】
●息子たちのこと
親が子どもを育てるのではない。
そういう時期もあるにはあるが、そういう時期は、あっという間に終わる。
親は、あるときから、子どもたちに励まされて生きるようになる。
子どもたちが、がんばって生きている姿を見ながら、「私も!」となる。
経営再建中の航空会社でパイロットをしている息子。
「お前は、だいじょうぶか?」と聞くと、「ぼくには、関係ない」と。
「でも、子会社の人たちが、かわいそう」と、ポツリ。
この先、1万人を超える、大リストラが始まる。
アメリカの大学でコンピュータ技師をしている息子も、同じようなことをいう。
「ぼくには、関係ない」と。
そうした言葉を聞いて、「本当かな?」と思いつつも、ほっとする。
一方、息子たちが、私たちのことを心配するたびに、私は、こう答える。
この日本でも、まだいたるところで不況の嵐が、吹きすさんでいる。
「ぼくには、関係ない」と。
仕事がある。
仕事が楽しい。
生きがいもある。
それに健康。
何とか、昨年に始まった、あの大恐慌も乗り切った。
あとは、今の状態を維持するだけ。
そうそう、もうひとつ負けたくないことがある。
二男夫婦は、今でもラブラブ。
ハートのマークを10個ほどつけてやりたい。
今度結婚した三男も、ラブラブ。
ハートのマークを20個ほどつけてやりたい。
で、私たち夫婦は……?
先日も、「あいつら、みんな楽しんでいる。
ぼくらもがんばろう」とワイフに言うと、ワイフも、すなおに応じてくれた。
「そうね」と。
……だから今は、2人で、遊んでばかりいる。
若いときは、仕事と子育てに追いまくられた。
その分を、今、取り返す。
あのころできなかったことを、今、する。
称して、「青春の仇(あだ)討ち」。
62歳といっても、運がよければ、人生はまだ20年はある。
10年としても、青春時代より長い。
使いようによっては、学生時代の2倍、楽しめる。
で、あのころしたくてもできなかったことを、懸命に思い出そうとする。
「何だったのかなあ?」と。
●青春の仇討ち
青春時代に、やり残したことは多い。
不完全燃焼のまま、終わったことも多い。
が、ふと今、頭の中をかすめたのは、今井さん(実名)。
私が浜松に住むようになって、最初の友人。
市立図書館の入り口あたりで、小さなデザイン事務所を開いていた。
人当たりいい、やさしい人だった。
心が広く、私のめんどうをよく見てくれた。
台風のときには、わざわざ私を迎えに来てくれた。
「うちへ来い」と。
私はそのとき、今にも壊れそうな、ボロ家の2階に間借りしていた。
今井さんとの思い出は多い。
が、その今井さんは、30歳になる少し前に、食道がんでこの世を去った。
タバコと焼酎が好きだった。
夢は、直木賞を取ることだった。
だから毎日、何かの原稿を書いていた。
さぞかし無念だっただろう。
その無念さが、今になって、ひしひしと私の胸に伝わってくる。
その無念さを考えたら、私がし残したことなど、なんでもない。
「青春の仇討ち」とは言うものの、それが考えられるだけでも、幸せなの
かもしれない。
仇討ちすらできないで、そのまま若くして、この世を去っていく人は多い。
そう言えば、近所に、60歳で定年退職した直後に、脳内出血で亡くなった
人(男性)がいる。
その人の奥さんは、こう言った。
「何のための人生だったのでしょうね」と。
現役時代は、したいこともできず、役所勤め。
黙々と働いてきて、「やっと楽になった」と思ったとたん、脳内出血。
そうそう、こうも言った。
「若いときから腎臓が弱く、食事制限ばかりしてきました。
こんなことなら、食べたいものを、もっと食べさせてやればよかったです」と。
そう言えば、あの今東光(こんとうこう)は、晩年、私にこう話してくれた。
「オレは、若いとき、修行、修行で、オレには青春時代がなかった。
今でも、『しまった!』と思って、女を買いに行く」と。
晩年の今東光は、ヌード画を書いていた。
「女を買う」というのは、「モデルの女性をさがしに行く」という意味だった。
大作家であり、政治家であり、かつある宗派の大僧正でもあった人物でも、
そう考える。
青春の仇討ちを考える。
●悔い
私は……。
私は早い時期に、サラリーマンに見切りをつけ、そのあと、自由気ままに生きた。
そのつどやりたいことだけをやって、生きてきた。
したくないことは、しなかった。
きびしい生活だったが、そういう点では、悔いはない。
ないというより、少ない。
あえて言うなら、「旅」ということになる。
息子たちが生まれてから、とくにそうだった。
が、だからといって、後悔しているわけではない。
息子たちがいたおかげで、がんばることができた。
息子たちがいなかったら、ああまでは、がんばらなかっただろう。
生きがいも生まれなかっただろう。
もちろん思い出も、できた。
ただ心の中では、いつも、「世界中をひとりで旅をしてみたい」と、
思っていた。
目的地を定めず、放浪の旅をする。
今なら、ワイフと2人で、旅をする。
青春の仇討ちということになれば、それか?
しかし今は、こう思う。
息子たちが、私の代わりに青春の仇討ちをしてくれている、と。
不思議なことに、みな、私がしたかったこと、できなかったことを、している。
自由奔放な長男。
アメリカに移住した二男。
空を飛んでいる三男。
みんなそれなりに、自分の人生を楽しんでいる。
それでよい。
それ以上に、私は何を望むことができるのか。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●今日で10月もおしまい
昨日、大急ぎで、マガジン11月号のHTML版(カラー版)の編集をした。
40分ほどで、できた。
あぶなかった!
ぎりぎり、セーフ!
数日前、「11月号は休刊にしようか」と、ワイフと話し合ったばかり。
このところ、ワイフですら、私のマガジンを読んでいない。
他人である読者なら、なおさら。
読んでいる人は、ほとんどいない?
自分でもよく、「どうしてこんなバカなことをしているのだろう?」と思う。
やる気になれば、40分でできる。
その「40分」を、自分の中で作るのが、たいへん。
子どもだって、そうだ。
30分でできるような宿題でも、なかなか、やらない。
「その気になって、早くすませばいい」と思うが、やらない。
その30分を作るのが、むずかしい。
今日は10月31日。
しめくくりに、午前中、近くの小学校で、講演というか、講話をしてくる。
時間が1時間しかないから、たいした話はできない。
雰囲気的には、雑談形式になってしまうかも?
で、そのあと、そのまま山荘へ。
今日は、山の草刈りをするつもり。
上半身の運動には、草刈りが、いちばんよい。
30分もつづけると、全身が汗だくだくになる。
それに今の時期から、落ち葉がひどくなる。
それを集めると、ふかふかのダブルベッドのようになる。
孫たちが近くにいれば、それで遊ぶだろう。
いつももったいと思いつつ、それを燃やす。
そうそう、昨夜、今度講演に行くことになっている、秋田県のY市を
ネットで調べてみた。
旅館の予約をしなければならない。
が、驚いた。
地図で見たら、浜松からだと、韓国のソウルと、同じ距離。
円を描いてみたら、ちょうど同じ位置だった。
「新潟の向うが秋田」と思っていた。
(たぶん、反対に、秋田の人たちは、「東京の向うが、浜松」と
思っているにちがいない。)
片道、7時間半。
秋田県は、はじめてなので、楽しみ。
もうひとつ驚いたのは、旅館の宿泊費が安いこと。
このあたりの半額といった感じ。
温泉旅館でも、一泊2食付きで、6~7000円前後。
ともかくも、今日も始まった。
がんばろう!
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
2009年10月30日金曜日
*Magazine Oct 30th
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彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
| ⌒ ⌒ | MM ⌒ ⌒ MM
q 0―0 MMMMM ∩ ∩ MM m
(″ ▽ M ⌒ ⌒ M″ v ゛)/ ̄)
凸/Σ▽乃q ・ ・ p ̄Σ▽乃 ̄` /
\ /(″ ▽ ゛)\ 厂 ̄偶
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10月 30日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●毎日数万個!(脳の謎)
++++++++++++++++++
毎日、数万個の神経細胞(ニューロン)が、
死滅しているという。
数万個だぞ!
……といっても、人間の脳の中には、1000億個もの
ニューロンがあるので、あわてて心配しなくてもよい。
仮に、100年生きたとしても、
数万x365x100=数万x約4万で……?
サッと暗算できなくなった。
私の神経細胞も、かなり減ってきたらしい。
で、指を折りながら計算してみると、約10億個という数字が出てきた。
1000億個もあるのだから、10億個くらい減っても、どうということはない。
少し安心したところで、つぎの話。
++++++++++++++++++
●再生しない神経細胞(ニューロン)
脳の神経細胞は死滅する一方で、再生しない。
もちろん、ふえることもない。
理由は簡単。
再生したり、ふえたりしたら、たいへんなことになる。
再生したり、ふえたりするたびに、その人の神経細胞は新しくなり、人格そのものまで変
化してしまうかもしれない。
「10年前と今年では、まるで別人のよう」では、困る。
(実際、そうなる人もいるには、いるが……。)
つまり脳は、その人の同一性を保つために、神経細胞を再生したり、ふえたりしないよ
うにしている。
●が、もしふえたら……
が、もしふえたら……。
ここからが私の得意分野。
もし神経細胞がふえたら、どうなるか?
そんな仮定を頭の中でしてみる。
が、脳は頭蓋骨によって取り囲まれているから、容量には限界がある。
約1000億個が限度ということになる。
そういう脳が、神経細胞をふやすとしたら、古い神経細胞から順に、除去していかなけ
ればならない。
しかしこのとき同時に、古い神経細胞がもっていた、もろもろの情報は、そのまま失われ
ることになる。
再生するばあいも、同じ問題が起きる。
●電話回線
たとえば電話回線で考えてみよう。
現在、053-452-xxxxへ電話をかければ、私の事務所につながる。
日本中のどこからかけても、つながる。
電話回線網が、できあがっている。
が、もしそのときある地域の、ある一部の電話回線網を切り取ってしまったとしたら、
どうだろうか。
その地域の電話が不通になることはもちろん、その地域を経由している電話回線も、すべ
て不通になってしまう。
そこで「再生」ということになるが、電話回線のばあいは、工事屋の人たちが配線図を
見ながら、新しく電話回線網をつなぎ合わせてくれる。
しかし人間の脳の中には、そういう機能は、ない。
へたをすれば、そのまま混線してしまうかもしれない。
●神経細胞がふえたら……
新しい神経細胞がふえたばあいも、同じ問題が起きる。
先にも書いたが、脳の容量には限界がある。
古い神経細胞が除去されるたびに、電話回線のつなぎ合わせのようなことをしなければな
らない。
もしそれをしなかったら、新しい神経細胞は新しい情報を蓄え、独自の働きをするように
なる。
つまり脳の中が、メチャメチャになってしまう。
新しくピアノを弾くことができるようになるかもしれないが、それまでに蓄えた、文を
書く能力を失ってしまうかもしれない。
あるいは楽譜をアルファベットを使って書くようになってしまうかもしれない。
だから脳は、一方的に、神経細胞を死滅させるしかない。
となると、ここで重大な疑問が生ずる。
毎日数万個というが、脳はどういう基準に従って、その数万個を選んでいるのか?……
という疑問である。
またどういう神経細胞が、死滅していくのか?
そのメカニズムがわかれば、逆に死滅するのを阻止することもできるはず。
もしそれができれば、人間は、生涯、1000億個の神経細胞を保持することができるは
ず。
またそれは可能なのか?
(疑問1)どういう神経細胞が死滅するのか。
(疑問2)死滅していく神経細胞を阻止する方法はないのか。
●死滅する神経細胞
常識的に考えれば、「使わない神経細胞は死滅する」ということになる。
しかし使わない神経細胞は、いくらでもある。
人によっては、脳の大部分を使っていない人もいる。
そういう人の神経細胞は、どうなるのか。
1日、数万個ではなく、数10万個の神経細胞が死滅していく人だっているかもしれない。
恐らく脳科学者たちは、そのあたりのことを知っているかもしれない。
たとえば「古い神経細胞から、死滅していく」とか、など。
(このばあいも、つぎの疑問が生まれる。
人間のばあい、乳幼児期にすでに1000億個の神経細胞をもつと言われている。
もしそうなら、「古い」とか「新しい」とかいう言葉すら、意味をもたなくなる。)
この世界は、おもしろい。
本当におもしろい。
今夜は高校生たちが私の教室に来るので、こんな話を余談の中でしてみたい。
そうそうついでに付記するなら、辺縁系の中にある海馬(かいば)の中の神経細胞だけは、
生涯、ふえつづけるのだそうだ。
海馬といえば、短期記憶の中枢部。
それについては、また別の機会に調べてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 神経細胞 ニューロン 神経突起 シナプス)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【走馬灯】(ぼくの少年時代)(My Boyhood Days)
●ゴム靴
ぼくの少年時代は、あのゴム靴で始まる。
黒いゴム靴で、歩くとキュッキュッという音がした。
子どもながらに安物ということが、よくわかった。
しばらく歩いていると、足の皮がこすれて、むけた。
ぼくが小学2年生か、3年生ころのことではなかったか。
やがてその靴ははかなくなったが、どういうわけか、「少年時代」という言葉を聞くと、あ
のゴム靴を思い出す。
当時は、靴下をはいている子どもは、ほとんどいなかった。
それでよけいに、はきにくかったのではなかったか。
●蛍光灯
そのゴム靴をはいて、近くの先生の家に遊びに行った。
当時としてはハイカラな家で、引き戸を開けて中へ入ると、そこにソファが置いてあった。
白い布製のカバーが、かかっていたように思う。
で、そのときは蛍光灯を見に行った。
「熱くない電気がある」と言うから、みなで、それを確かめに行った。
当時は、「電気」つまり、「電灯」というと、裸電球が当たり前で、そのときぼくは、はじ
めて蛍光灯というのを見た。
その蛍光灯は、家の一番奥にあった。
記憶はそこでやや途絶えるが、ぼくは触っても熱くない電気に驚いた。
それに明るく、色も白かった。
そのときゴム靴をはいていったから、ゴム靴をはいたのは、小学2年生のときというこ
とになる。
その先生というのが、ぼくが小学1年生と2年生のときの担任の先生だった。
名前を高井先生と言った。
●遊び場
あのころの町の様子は、よく覚えている。
目を閉じただけで、あのころの街並みが、走馬灯のように見えてくる。
ぼくたちの遊び場は、近くにある円通寺という寺だった。
当時のぼくには、広い境内に見えた。
その境内を出ると、角にお好み焼き屋があった。
靴屋もあった。
その横が菓子屋で、つづいて床屋・・・。
ぼくの家は、1ブロック離れた角にあった。
見る角度のよって、立派に見えたり、反対にみすぼらしく見える、不思議な家だった。
しかし寺の境内から帰る道から見るぼくの家は、それなりに立派に見えた。
●女たらし
当時のぼくたちは、女の子とは遊ばなかった。
女の子と遊ぶヤツは、「女たらし」と呼ばれて、仲間に軽蔑された。
ぼくも軽蔑した。
だから、女の子と遊ぶときは、内緒で遊ぶか、ずっと年上の女の子と、ということになる。
その年上の女の子というか、女の人に、「けいちゃん」という人がいた。
当時、高校生くらいではなかったか。
けいちゃんは、いつもぼくを自転車に乗せて、あちこちへ連れていってくれた。
ぼくの家のはす向かいにあった、薬屋の女の子だった。
今でもアルバムの中には、けいちゃんの写真は、何枚か、残っている。
●喧嘩
ぼくは、外では、明るく朗らかな子というイメージで通っていた。
よくしゃべり、よくはしゃぎ、よく笑った。
そうそう喧嘩もよくした。
気が小さく、弱いくせに、そのときになると、肝っ玉がすわる。
今でもそうだが、何か気になることがあると、即、解決しないと気がすまない。
それでよく喧嘩をした。
どんな形であれ、決着は早くつける。
それが今でも処世術として、ぼくの身についている。
だからみな、こう言った。
「林の浩ちゃん(=ぼく)と喧嘩すると、こわい」と。
ぼくは一度喧嘩を始めると、とことん、した。
相手を、相手の家の奥まで追いつめて、した。
●さみしがり屋
それだけぼくの心は荒れていたことになる。
ぼくに対して好意的な人に対しては、明るく、朗らかに・・・。
しかしそうでない人に対しては、容赦しなかった。
どこか独裁者的な子どもを想像する人もいるかもしれないが、事実は反対。
ぼくは、さみしがり屋だった。
自分でもそれがはっきりとわかるほど、さみしがり屋だった。
寝るときも、母のふとんの中にもぐりこんだり、祖父のふとんの中にもぐりこんで寝て
いた。
あるいはいつもだれかそばにいないと、不安だった。
だからだれに対しても、シッポを振った。
相手に合わせて、その場で、自分を変えた。
●集団教育
そういうぼくだから、その分だけ、気疲れをよく起こした。
多分、そのころのぼくを知る人には信じられないかもしれないが、ぼくは集団教育が苦手
だった。
運動会にしても、遠足にしても、集団で同じように行動するということが、苦手だった。
嫌いではなかったが、居心地はいつも悪かった。
が、先にも書いたように、だからといって、ひとりでいることもできなかった。
心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
その基本的信頼関係の構築ができなかった子どもということになる。
わかりやすく言えば、人に対して、心を開くことができなかった。
もっと言えば、人を信ずることができなかった。
いつも相手の心の裏を見た。
やさしい人がいたとしても、それを素直に受け入れる前に、その下心を疑った。
●粗製濫造
原因は、「母子関係の不全」ということになる。
しかしこんな言葉は、ずっとあとになってから知ったことで、当時のぼくに、それがわか
るはずもなかった。
またそれが原因で、当時のぼくがそうなったなどとは、知る由もなかった。
ぼくはぼくだったし、母は、母だった。
あえて言うなら、当時は、そういう時代だった。
戦後の混乱期で、家庭教育の「か」の字もなかった。
あるにはあったのだろうが、今とは比較にならなかった。
たとえば家族旅行にしても、ぼくの家族のばあい、家族旅行などといったものは、ただの
1度しかなかった。
小学6年生のときで、みなで伊勢参りをしたのが、最初で最後。
粗製濫造というか、ぼくたちは、戦後のあの時代に、濫造された。
ひらたく言えば、ほったらかし。
それがよかったのか、それとも悪かったのか・・・?
ぼくも含めて、当時の子どもは、みな、そうだった。
●父の酒
つぎに少年時、代というと、「酒」の話になる。
父は、酒癖が悪く、酒を飲むと、人が変わった。
これについては、もう何度も書いた。
が、おかしなもので、当時のぼくを知る従兄弟たちはこう言う。
「浩君(=ぼく)の家庭は、たいへん幸福そうに見えた」と。
そう言われるたびに、ぼくは、「フ~ン?」とか、「そうかなあ?」とか、思う。
まわりの人たちには、そう見えたかもしれない。
しかしあの時代をいくら思い起こしても、明るく楽しい思い出は、ほとんど浮かんでこな
い。
理由は、やはり「酒」ということになる。
父は、数日おきくらいに酒を飲み、家の中で大声を出したり、暴れたりした。
それがぼくが、5、6歳のころから、中学3年生くらいまでつづいた。
●兄弟
ぼくには、当時、1人の兄と、1人の姉がいた。
もう1人、兄がいたが、ぼくが3歳くらいのときに死んだ。
日本脳炎が原因だった。
母が言うには、暑い夏の日に、父が荷台に兄を乗せ、自転車で数時間もかけて母の在所
へ行ったのが原因ということだった。
ぼくが覚えているのは、その日、つまり葬式の日、土間に無数の下駄や靴が、散乱してい
たということだけ。
兄との思い出は、まったくといってよいほど、ない。
歳が離れていたこともある。
だから今でも兄弟と言えば、兄と姉ということになる。
●家族
兄弟との接触も少なかったが、父や母との接触は、もっと少なかった。
こんな話をしても、だれも信じないかもしれないが、生涯において、ぼくはただの一度も
父に抱かれたことがない。
手を握ってもらったこともない。
結核を患ったこともあるが、ほかにも深刻な理由があった。
しかしそれをここに書くことは、できない。
その代わり、祖父がぼくの父がわりなってくれた。
祭りに行っても、祖父は、最初から最後まで、ずっと、一度もぼくの手を放さなかった。
・・・ということで、何からなにまで、おかしな家族だった。
しかしそれがぼくの家族であり、ぼくは、ほかに家族を知らなかった。
家族というのは、そういうものと思っていた・・・というよりは、(それ)を、ぼくは受け
入れるしかなかった。
それがぼくの家族だった。
●子ども時代
今でもときどき、不思議に思うことがある。
とくに10歳とか、12歳の子どもを見ると、そう思う。
「ぼくにも、同じような時代があったはずだが・・・」と。
当時のぼくは、当然のことながら、(子ども)だった。
しかし記憶のどこをさがしても、(子どもとしてのぼく)が、浮かび上がってこない。
子どもらしく、父や母に甘えたという記憶も、ほとんどない。
父や母が、ぼくを子どもとして、扱ってくれたという記憶も、ほとんどない。
あるのは、ぼくをいつも子ども扱いしたこと。
(子ども扱い)というのは、ぼくを人間としてではなく、言うなればペットのようにしか
扱ってくれなかったこと。
あるいはモノ?
道具?
ぼくの意思や人格など、父や母の前では、腸から出るガスのようなものだった。
父や母が、ぼくの話に静かに耳を傾けてくれたことは、ほとんどなかった。
家族の談話など、そういうものがあることさえ知らなかった。
だからぼくにとって父や母は、一方的に命令するだけの存在だった。
口答えすれば、・・・というより、当時のぼくの家庭では、子どもが親に口答えするなどと
いうことは、考えられなかった。
親は、いつも絶対だった。
とくにぼくの父と母は、G県に本拠を置く、M教という、(親絶対教団)の熱心な信者だっ
た。
母ですら、ぼくが何かを口答えをすると、「親に向かって、何てことを言う!」などといっ
て、叱った。
「親に歯向かうと、地獄へ落ちる」と、よく脅された。
ぼくにとって、親というのは、そういう存在だった。
●恩着せ
父や母の子育ての基本は、(恩着せ)だった。
ことあるごとに、父や母は、ぼくにこう言った。
「産んでやった」「育ててやった」「言葉を教えてやった」と。
ぼくはそういう言葉を、耳にタコができるほど聞かされた。
が、何よりも恐ろしい言葉は、「~~をしなければ、自転車屋を継げ」というものだった。
ぼくは兄を見て育っているから、自転車屋というのは、恐怖以外の何ものでもなかった。
兄は、まるで奴隷のように、家の中では扱われていた。
「自転車屋になる」ということは、ぼくも、その奴隷になることを意味した。
●ぼくの夢
ぼくにもいくつかの夢があった。
「夢」と実感したというわけではなかったが、ぼくは、パイロットになりたかった。
いつも模型の飛行機を作って遊んでいた。
もう少し幼いころには、ゼロ戦のパイロットになりたかった。
が、中学校へ入学するころから近視が始まり、断念。
「近視の者はパイロットにはなれない」というのが、当時の常識(?)だった。
つぎにぼくはいつしか、大工になることを考えるようになった。
ものづくりは好きだったし、木工には、かなりの自信があった。
学校から帰ってくると、店の中で、木材を切ったり、金槌で叩いたりして、いろいろなも
のを作った。
小学5年生か、6年生のときには、組み立て式ボートというのを、作ったことがある。
手先も器用だった。
中学生になるころには、そこらの大工よりも、のこぎりや、かんなを、うまく使いこなす
ようになっていた。
だからぼくの身のまわりには、大工道具が、いつも一式そろっていた。
●ドラマ
こうした断片的な記憶は、無数にある。
しかしそれをつなげるドラマというのが、ない。
ドラマらしきものはあるが、どれも中途半端。
映画でいうような結末がない。
ないまま、終わっている。
子ども時代の思い出というのは、そういうものか。
いや、そのつど小さなドラマはあったのかもしれない。
クラス一の乱暴者グループと、ひとりで対決した話。
円通寺という小さな山をはさんで、山向こうの子どもたちと戦争ごっこをした話。
ほとんど毎日、学校から帰るときは、寄り道をして遊んだ話、などなど。
書き出したらキリがない。
しかしドラマはない。
こま切れになった映画のフィルムのよう。
言い換えると、ぼくは、あの当時、街角のどこにでもいるような、1人の子どもに過ぎな
かった。
よごれた下着を着て、当て布をした半ズボンをはいて、ジャイアンツのマークの入った野
球帽をかぶった、1人の子ども。
何か特別なことをしたわけでもない。
そんな子どもに過ぎなかった。
●母の在所
そんなぼくにも、楽しみはあった。
夏や冬、春などの休みのときは、母の在所(=実家)に行った。
そこはぼくにとっては、別天地だった。
従兄弟たちと山の中を歩き、川で泳いだ。
夜は、伯父たちの話す昔話に耳を傾けた。
今でもそんなわけで、「故郷」というと、自分が生まれ育ったあのM町ではなく、母の在
所のあった、I村のほうを先に思い出す。
川のせせらぎの音、近くの水車が、粉をつく音、それに風の音。
つんとした木々が放つ芳香も、好きだった。
夕方になると、ご飯を炊くにおいがする。
魚の缶詰を切る音がする。
ぼくたちは、いつも腹をすかしていた。
だから、何を食べてもおいしかった。
もちろん最高のぜいたくは、川でとれた鮎(あゆ)。
ときどきウナギもとれた。
当時は、アマゴ(=やまめ)や、ウグイには、目もくれなかった。
川魚といえば、鮎。
鮎の塩焼き!
●父
父の酒乱は、ぼくが高校生に入るころまでつづいた。
そのころ父は肝臓を悪くし、思うように酒を飲めなくなった。
たぶん悪酔いをするようになったのだと思う。
酒の量が減った。
家で暴れることも、少なくなった。
しかし父は、もともと体の細い人だったが、ますますやせていった。
一度だが、そんな父と殴り合いの喧嘩をしたことがある。
ぼくが中学3年生のときのことである。
体は、すでにぼくのほうが大きかった。
家の中で暴れる父に向かって、無我夢中で頭から体当たりをしていった。
そのあとのことは、よく覚えていない。
どこをどうしたという記憶はないが、あとで聞いたら、父はそのため肋骨を何本か、追っ
たということだった。
もちろんぼくには、罪の意識はなかった。
が、その日を境に、父は、ぼくの前ではおとなしくなった。
ぼくを恐れるようになった。
●みな、同じ
おとなになって、いろいろ話を聞くと、ぼくの家庭だけが、特別だったということでも
ないようだ。
当時は、その程度の話は、どこの家庭にもあった。
たとえばぼくの祖父母は、今で言う、「できちゃった婚」で、結婚した。
祖父には、たがいに結婚を約束した女性がいた。
が、ある日、祖父は別の女性と遊び、子どもができてしまった。
それがぼくの祖母であり、そのときできたのが、ぼくの父だった。
それがぼくの家の原点だったかもしれない。
祖父母の夫婦喧嘩は絶えなかった。
父は父で、不幸な家庭で生まれ育った。
そしてあの戦争。
終戦。
その2年後の昭和22年、ぼくは生まれた。
●ふつうでない家系
「林家」と「家」をつけるのも、おこがましい。
が、ぼくの家は、それでも、ふつうではなかった。
それから62年。
振り返ってみると、父方の「林家」にしても、母方の「N家」にしても、それぞれが例外
なく、深刻な不幸を背負っている。
ぼくの家も、長男が日本脳炎で死去。
つづいて兄、Jが生まれ、姉、Mが生まれた。
そのあともう一人兄が生まれたが、(流産)ということで、処理されてしまった。
ぼくはそのあと生まれた。
この程度の話なら、どこの家系にもある話だが、ぼくの家系はちがう。
例外なく、どの親族も、みな、深刻な不幸を背負っている。
が、それについてはここには詳しく書けない。
それぞれがそれぞれの不幸を懸命に隠しながら、あるいはその苦しみと闘いながら、今で
もがんばっている。
●少年時代
ときは今、ちょうど秋。
稲刈りのシーズン。
郊外を車で走ると、すずめの集団が、ザザーッと空を飛ぶ。
言うなれば、あの集団。
あの集団こそが、ぼくの少年時代ということになる。
個性があったのか、なかったのか。
どこに(ぼく)がいたかと聞かれても、その(形)すら、よく見えてこない。
近所の人たちにしても、そうだろう。
学校の先生にしても、そうだろう。
ひょっとしたら、父や母にしても、そうだったかもしれない。
ぼくは、すずめの集団の、その中の一羽に過ぎなかった。
当時は、そういう時代だったかもしれない。
町のどこを歩いても、子どもの姿があった。
通りでは、どこでも子どもたちが遊んでいた。
子どもの声が聞こえていた。
……一度、ここで走馬灯の電源を切る。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 「ぼくの少年時代」 少年時代 はやし浩司の少年時代)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●毎日数万個!(脳の謎)
++++++++++++++++++
毎日、数万個の神経細胞(ニューロン)が、
死滅しているという。
数万個だぞ!
……といっても、人間の脳の中には、1000億個もの
ニューロンがあるので、あわてて心配しなくてもよい。
仮に、100年生きたとしても、
数万x365x100=数万x約4万で……?
サッと暗算できなくなった。
私の神経細胞も、かなり減ってきたらしい。
で、指を折りながら計算してみると、約10億個という数字が出てきた。
1000億個もあるのだから、10億個くらい減っても、どうということはない。
少し安心したところで、つぎの話。
++++++++++++++++++
●再生しない神経細胞(ニューロン)
脳の神経細胞は死滅する一方で、再生しない。
もちろん、ふえることもない。
理由は簡単。
再生したり、ふえたりしたら、たいへんなことになる。
再生したり、ふえたりするたびに、その人の神経細胞は新しくなり、人格そのものまで変
化してしまうかもしれない。
「10年前と今年では、まるで別人のよう」では、困る。
(実際、そうなる人もいるには、いるが……。)
つまり脳は、その人の同一性を保つために、神経細胞を再生したり、ふえたりしないよ
うにしている。
●が、もしふえたら……
が、もしふえたら……。
ここからが私の得意分野。
もし神経細胞がふえたら、どうなるか?
そんな仮定を頭の中でしてみる。
が、脳は頭蓋骨によって取り囲まれているから、容量には限界がある。
約1000億個が限度ということになる。
そういう脳が、神経細胞をふやすとしたら、古い神経細胞から順に、除去していかなけ
ればならない。
しかしこのとき同時に、古い神経細胞がもっていた、もろもろの情報は、そのまま失われ
ることになる。
再生するばあいも、同じ問題が起きる。
●電話回線
たとえば電話回線で考えてみよう。
現在、053-452-xxxxへ電話をかければ、私の事務所につながる。
日本中のどこからかけても、つながる。
電話回線網が、できあがっている。
が、もしそのときある地域の、ある一部の電話回線網を切り取ってしまったとしたら、
どうだろうか。
その地域の電話が不通になることはもちろん、その地域を経由している電話回線も、すべ
て不通になってしまう。
そこで「再生」ということになるが、電話回線のばあいは、工事屋の人たちが配線図を
見ながら、新しく電話回線網をつなぎ合わせてくれる。
しかし人間の脳の中には、そういう機能は、ない。
へたをすれば、そのまま混線してしまうかもしれない。
●神経細胞がふえたら……
新しい神経細胞がふえたばあいも、同じ問題が起きる。
先にも書いたが、脳の容量には限界がある。
古い神経細胞が除去されるたびに、電話回線のつなぎ合わせのようなことをしなければな
らない。
もしそれをしなかったら、新しい神経細胞は新しい情報を蓄え、独自の働きをするように
なる。
つまり脳の中が、メチャメチャになってしまう。
新しくピアノを弾くことができるようになるかもしれないが、それまでに蓄えた、文を
書く能力を失ってしまうかもしれない。
あるいは楽譜をアルファベットを使って書くようになってしまうかもしれない。
だから脳は、一方的に、神経細胞を死滅させるしかない。
となると、ここで重大な疑問が生ずる。
毎日数万個というが、脳はどういう基準に従って、その数万個を選んでいるのか?……
という疑問である。
またどういう神経細胞が、死滅していくのか?
そのメカニズムがわかれば、逆に死滅するのを阻止することもできるはず。
もしそれができれば、人間は、生涯、1000億個の神経細胞を保持することができるは
ず。
またそれは可能なのか?
(疑問1)どういう神経細胞が死滅するのか。
(疑問2)死滅していく神経細胞を阻止する方法はないのか。
●死滅する神経細胞
常識的に考えれば、「使わない神経細胞は死滅する」ということになる。
しかし使わない神経細胞は、いくらでもある。
人によっては、脳の大部分を使っていない人もいる。
そういう人の神経細胞は、どうなるのか。
1日、数万個ではなく、数10万個の神経細胞が死滅していく人だっているかもしれない。
恐らく脳科学者たちは、そのあたりのことを知っているかもしれない。
たとえば「古い神経細胞から、死滅していく」とか、など。
(このばあいも、つぎの疑問が生まれる。
人間のばあい、乳幼児期にすでに1000億個の神経細胞をもつと言われている。
もしそうなら、「古い」とか「新しい」とかいう言葉すら、意味をもたなくなる。)
この世界は、おもしろい。
本当におもしろい。
今夜は高校生たちが私の教室に来るので、こんな話を余談の中でしてみたい。
そうそうついでに付記するなら、辺縁系の中にある海馬(かいば)の中の神経細胞だけは、
生涯、ふえつづけるのだそうだ。
海馬といえば、短期記憶の中枢部。
それについては、また別の機会に調べてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 神経細胞 ニューロン 神経突起 シナプス)
●新しいミニ・パソ
昨日、ネットで注文しておいた、新しい
ミニ・パソが届いた。
TOSHIBAのダイナブックUX。
少し前に買ったノート・パソコンのTXが、よかった。
「さすがTOSHIBA!」と感心した。
その印象がよかったので、またまたTOSHIBAを買ってしまった。
使い始めて今日で、2日目。
昨日は、UXを使って、「ぼくの少年時代」というのを書いてみた。
言うなれば、慣らし運転。
タッチパッドの感度がよすぎて、別の指が近づくだけで文字が飛ぶ。
それについては、コントロールパネルで調整した。
うまく調整できた。
今は、最高!
つまり気分は、最高!
キーボードを叩いているだけで、うっとりとしてくる。
軽い分だけ、作りがややチャチかなと思うところもないわけではない。
メーカーは、ここを誤解しているようだ。
つまり(軽さ)ばかりを強調するが、その分、作りがよければ、ユーザーは重さを、あま
り気にしない。
軽くなくても、作りがよければよい。
2キロが1・5キロになったところで、(ちがい)は、わからない。
ほかにミニ・ノートながら、キーピッチが19ミリもあるのも、うれしい。
2日目の今日だが、デスクトップのキーボードを叩いているような感じで、文章が書ける。
気持ちよい。
心地よい。
昨夜は、ワイフのかわりに、そのミニ・パソを抱いて寝た。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●巨大な台風
+++++++++++++++++
超巨大な台風が、現在、この日本に
向かって進行中!
昨日の報道によれば、中心部の気圧は
何と910ヘクトパスカル!
+++++++++++++++++
異常気象は、日本以外の国の話かと思っていた。
が、とうとうこの日本にもやってきた。
それが今度の台風18号。
昨夜ネットで調べてみたら、中心部の気圧は、何と910ヘクトパスカル!
「910」!
「910」という数字は、私の記憶の中にはない。
「950」とか「960」とかいう数字までなら、聞いたことがある。
が、「910」はない。
常識をはずれている!
その上、予想進路を見て、ドキッ!
昨夜の予想によれば、紀伊半島あたりから上陸し、東海地方を横断するコース。
もしそうなら、伊勢湾台風並みの、あるいはそれ以上の被害が心配される。
何とか東へそれてくれればよい。
今日は、10月6日。
10月8日、つまりあさっての午後9時ごろ、予想通りなら、東海地方を直撃。
今日と明日は、その対策で忙しくなりそう。
みなさんも、くれぐれも、ご注意ください。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●「スティグマ」
++++++++++++++++++
今朝は、「スティグマ」という言葉について
学習した。
差別につながる、その人の客観的な属性を、
「スティグマ」という。
たとえば街の中を歩いてみる。
いつもと変わりない風景。
そこへ少し見慣れない一行が歩いてやってくる。
彼らの話す言葉を聞いて、彼らが、中国人で
あることを知る。
とたん、ちょっとした緊張感が走る。
彼らに対する緊張感もあるが、同時に、彼らも
また私を見て、同じような緊張感をもつに
ちがいない。
それが逆に、私の心に伝わる。
私も、若いころ、香港や台湾で、私はいろいろな経験を
した。
だまされたことも多い。
意地悪されたこともある。
「中国人」というだけで、いろいろなイメージが
心に浮かぶ。
ばあいによっては、それが差別意識となってはねかえってくる。
その「中国人」というのが、客観的属性ということになる。
「スティグマ」というのは、体につけられた「刻印」を
いう。
昔、ギリシアでは、その人を社会的に差別するために、
その刻印を体に焼いてつけた。
一度その刻印をつけられると、その人のあらゆる部分まで
合わせて、否定されてしまう。
それが「差別」ということになる。
たとえば以前、手鏡を使って女性のスカートの下をのぞいた大学の
教授がいた。
行為そのものは許されないものだが、しかしそのためその
教授は、「変質者」という刻印を焼きつけられてしまった。
ほかのすぐれた部分まで、否定されてしまった。
「スティグマ」というのは、それをいう。
+++++++++++++++++++++
●実験
2009年10月6日、私は「スティグマ」について学習した。
いくつかの文献を読み、自分なりに解釈し、理解した。
しかしこの知識は、いつまで記憶に残るだろうか?
それが今日の実験ということになる。
今までの経験では、1、2か月ぐらいなら、何とか記憶に残るだろう。
しかし半年は、もたない。
半年後に、「スティグマって、何?」と聞かれたら、たぶん、私はこう答えるだろう。
「何だったけなア? 聞いたことがある言葉だな」と。
自分で自分の脳みそが、信用できない。
考えてみれば、これは深刻な問題である。
●刻印
「スティグマ(刻印)」という言葉を学んで、私は別の心で、『ダラカ論』に似ていると
感じた。
スティグマ、イコール、『ダカラ論』ではない。
しかし『ダカラ論』も、人にラベルを張ることによって、差別する道具として、よく使わ
れる。
「お前は、男だから……」「お前は、本家の息子だから……」と。
「ダカラ論」は、そのあと、「~~スベキ」「~~のハズ」と、『ベキ論』『ハズ論』へと
つながっていく。
ばあいによっては、それが「差別」となることもある。
実のところ、私も、長い間、この『ダカラ論』に苦しんだ。
(苦しんだというより、いじめられた?)
差別という差別ではないが、しかし私はそのつど、こう反発した。
「だからといって、それがどうしたの?」と。
●中身を見る
日本人は元来、地位や肩書によって、相手を判断する。
あるいは少し昔前までは、家柄によって判断した。
今でも、この日本は、その延長線上にある。
たとえば上下意識。
マスコミの世界では、知名度によって、上下関係が決まる。
そのまま「上」になって、国会議員や知事になっていく人さえいる。
つまり日本人に何が欠けているかといえば、(相手を中身を見て判断する)という能力では
ないか。
「スティグマ」という言葉を使うなら、「スティグマ」だけで、相手を判断する。
そしてその人のもつ、よい面まで、否定してしまう。
●文化性の問題
要するに相手を、中身を見て判断できるかどうかは、その国民の文化性の問題というこ
とになる。
文化性が高ければ高いほど、その国民は、相手の中身を見ることができる。
そうでなければそうでない。
表面的な部分だけを見て、判断する。
あるいは自分の経験だけをもとに、相手を判断する。
言い換えると、私やあなた自身が、いかに相手の中身まで見ることができるかという問
題につながる。
それができる人のことを、文化性の高い人といい、そうでない人を、低い人という。
が、これは簡単なことではない。
どうしてもスティグマに左右されてしまう。
つまり、自分の文化性を高めようと考えるなら、スティグマと闘う。
そういう努力を怠ってはいけない。
……ということで、スティグマの話はここまで。
さて、この記憶はいつまでつづくか。
実験開始!
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●毎日数万個!(脳の謎)
++++++++++++++++++
毎日、数万個の神経細胞(ニューロン)が、
死滅しているという。
数万個だぞ!
……といっても、人間の脳の中には、1000億個もの
ニューロンがあるので、あわてて心配しなくてもよい。
仮に、100年生きたとしても、
数万x365x100=数万x約4万で……?
サッと暗算できなくなった。
私の神経細胞も、かなり減ってきたらしい。
で、指を折りながら計算してみると、約10億個という数字が出てきた。
1000億個もあるのだから、10億個くらい減っても、どうということはない。
少し安心したところで、つぎの話。
++++++++++++++++++
●再生しない神経細胞(ニューロン)
脳の神経細胞は死滅する一方で、再生しない。
もちろん、ふえることもない。
理由は簡単。
再生したり、ふえたりしたら、たいへんなことになる。
再生したり、ふえたりするたびに、その人の神経細胞は新しくなり、人格そのものまで変
化してしまうかもしれない。
「10年前と今年では、まるで別人のよう」では、困る。
(実際、そうなる人もいるには、いるが……。)
つまり脳は、その人の同一性を保つために、神経細胞を再生したり、ふえたりしないよ
うにしている。
●が、もしふえたら……
が、もしふえたら……。
ここからが私の得意分野。
もし神経細胞がふえたら、どうなるか?
そんな仮定を頭の中でしてみる。
が、脳は頭蓋骨によって取り囲まれているから、容量には限界がある。
約1000億個が限度ということになる。
そういう脳が、神経細胞をふやすとしたら、古い神経細胞から順に、除去していかなけ
ればならない。
しかしこのとき同時に、古い神経細胞がもっていた、もろもろの情報は、そのまま失われ
ることになる。
再生するばあいも、同じ問題が起きる。
●電話回線
たとえば電話回線で考えてみよう。
現在、053-452-xxxxへ電話をかければ、私の事務所につながる。
日本中のどこからかけても、つながる。
電話回線網が、できあがっている。
が、もしそのときある地域の、ある一部の電話回線網を切り取ってしまったとしたら、
どうだろうか。
その地域の電話が不通になることはもちろん、その地域を経由している電話回線も、すべ
て不通になってしまう。
そこで「再生」ということになるが、電話回線のばあいは、工事屋の人たちが配線図を
見ながら、新しく電話回線網をつなぎ合わせてくれる。
しかし人間の脳の中には、そういう機能は、ない。
へたをすれば、そのまま混線してしまうかもしれない。
●神経細胞がふえたら……
新しい神経細胞がふえたばあいも、同じ問題が起きる。
先にも書いたが、脳の容量には限界がある。
古い神経細胞が除去されるたびに、電話回線のつなぎ合わせのようなことをしなければな
らない。
もしそれをしなかったら、新しい神経細胞は新しい情報を蓄え、独自の働きをするように
なる。
つまり脳の中が、メチャメチャになってしまう。
新しくピアノを弾くことができるようになるかもしれないが、それまでに蓄えた、文を
書く能力を失ってしまうかもしれない。
あるいは楽譜をアルファベットを使って書くようになってしまうかもしれない。
だから脳は、一方的に、神経細胞を死滅させるしかない。
となると、ここで重大な疑問が生ずる。
毎日数万個というが、脳はどういう基準に従って、その数万個を選んでいるのか?……
という疑問である。
またどういう神経細胞が、死滅していくのか?
そのメカニズムがわかれば、逆に死滅するのを阻止することもできるはず。
もしそれができれば、人間は、生涯、1000億個の神経細胞を保持することができるは
ず。
またそれは可能なのか?
(疑問1)どういう神経細胞が死滅するのか。
(疑問2)死滅していく神経細胞を阻止する方法はないのか。
●死滅する神経細胞
常識的に考えれば、「使わない神経細胞は死滅する」ということになる。
しかし使わない神経細胞は、いくらでもある。
人によっては、脳の大部分を使っていない人もいる。
そういう人の神経細胞は、どうなるのか。
1日、数万個ではなく、数10万個の神経細胞が死滅していく人だっているかもしれない。
恐らく脳科学者たちは、そのあたりのことを知っているかもしれない。
たとえば「古い神経細胞から、死滅していく」とか、など。
(このばあいも、つぎの疑問が生まれる。
人間のばあい、乳幼児期にすでに1000億個の神経細胞をもつと言われている。
もしそうなら、「古い」とか「新しい」とかいう言葉すら、意味をもたなくなる。)
この世界は、おもしろい。
本当におもしろい。
今夜は高校生たちが私の教室に来るので、こんな話を余談の中でしてみたい。
そうそうついでに付記するなら、辺縁系の中にある海馬(かいば)の中の神経細胞だけは、
生涯、ふえつづけるのだそうだ。
海馬といえば、短期記憶の中枢部。
それについては、また別の機会に調べてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 神経細胞 ニューロン 神経突起 シナプス)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【走馬灯】(ぼくの少年時代)(My Boyhood Days)
●ゴム靴
ぼくの少年時代は、あのゴム靴で始まる。
黒いゴム靴で、歩くとキュッキュッという音がした。
子どもながらに安物ということが、よくわかった。
しばらく歩いていると、足の皮がこすれて、むけた。
ぼくが小学2年生か、3年生ころのことではなかったか。
やがてその靴ははかなくなったが、どういうわけか、「少年時代」という言葉を聞くと、あ
のゴム靴を思い出す。
当時は、靴下をはいている子どもは、ほとんどいなかった。
それでよけいに、はきにくかったのではなかったか。
●蛍光灯
そのゴム靴をはいて、近くの先生の家に遊びに行った。
当時としてはハイカラな家で、引き戸を開けて中へ入ると、そこにソファが置いてあった。
白い布製のカバーが、かかっていたように思う。
で、そのときは蛍光灯を見に行った。
「熱くない電気がある」と言うから、みなで、それを確かめに行った。
当時は、「電気」つまり、「電灯」というと、裸電球が当たり前で、そのときぼくは、はじ
めて蛍光灯というのを見た。
その蛍光灯は、家の一番奥にあった。
記憶はそこでやや途絶えるが、ぼくは触っても熱くない電気に驚いた。
それに明るく、色も白かった。
そのときゴム靴をはいていったから、ゴム靴をはいたのは、小学2年生のときというこ
とになる。
その先生というのが、ぼくが小学1年生と2年生のときの担任の先生だった。
名前を高井先生と言った。
●遊び場
あのころの町の様子は、よく覚えている。
目を閉じただけで、あのころの街並みが、走馬灯のように見えてくる。
ぼくたちの遊び場は、近くにある円通寺という寺だった。
当時のぼくには、広い境内に見えた。
その境内を出ると、角にお好み焼き屋があった。
靴屋もあった。
その横が菓子屋で、つづいて床屋・・・。
ぼくの家は、1ブロック離れた角にあった。
見る角度のよって、立派に見えたり、反対にみすぼらしく見える、不思議な家だった。
しかし寺の境内から帰る道から見るぼくの家は、それなりに立派に見えた。
●女たらし
当時のぼくたちは、女の子とは遊ばなかった。
女の子と遊ぶヤツは、「女たらし」と呼ばれて、仲間に軽蔑された。
ぼくも軽蔑した。
だから、女の子と遊ぶときは、内緒で遊ぶか、ずっと年上の女の子と、ということになる。
その年上の女の子というか、女の人に、「けいちゃん」という人がいた。
当時、高校生くらいではなかったか。
けいちゃんは、いつもぼくを自転車に乗せて、あちこちへ連れていってくれた。
ぼくの家のはす向かいにあった、薬屋の女の子だった。
今でもアルバムの中には、けいちゃんの写真は、何枚か、残っている。
●喧嘩
ぼくは、外では、明るく朗らかな子というイメージで通っていた。
よくしゃべり、よくはしゃぎ、よく笑った。
そうそう喧嘩もよくした。
気が小さく、弱いくせに、そのときになると、肝っ玉がすわる。
今でもそうだが、何か気になることがあると、即、解決しないと気がすまない。
それでよく喧嘩をした。
どんな形であれ、決着は早くつける。
それが今でも処世術として、ぼくの身についている。
だからみな、こう言った。
「林の浩ちゃん(=ぼく)と喧嘩すると、こわい」と。
ぼくは一度喧嘩を始めると、とことん、した。
相手を、相手の家の奥まで追いつめて、した。
●さみしがり屋
それだけぼくの心は荒れていたことになる。
ぼくに対して好意的な人に対しては、明るく、朗らかに・・・。
しかしそうでない人に対しては、容赦しなかった。
どこか独裁者的な子どもを想像する人もいるかもしれないが、事実は反対。
ぼくは、さみしがり屋だった。
自分でもそれがはっきりとわかるほど、さみしがり屋だった。
寝るときも、母のふとんの中にもぐりこんだり、祖父のふとんの中にもぐりこんで寝て
いた。
あるいはいつもだれかそばにいないと、不安だった。
だからだれに対しても、シッポを振った。
相手に合わせて、その場で、自分を変えた。
●集団教育
そういうぼくだから、その分だけ、気疲れをよく起こした。
多分、そのころのぼくを知る人には信じられないかもしれないが、ぼくは集団教育が苦手
だった。
運動会にしても、遠足にしても、集団で同じように行動するということが、苦手だった。
嫌いではなかったが、居心地はいつも悪かった。
が、先にも書いたように、だからといって、ひとりでいることもできなかった。
心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
その基本的信頼関係の構築ができなかった子どもということになる。
わかりやすく言えば、人に対して、心を開くことができなかった。
もっと言えば、人を信ずることができなかった。
いつも相手の心の裏を見た。
やさしい人がいたとしても、それを素直に受け入れる前に、その下心を疑った。
●粗製濫造
原因は、「母子関係の不全」ということになる。
しかしこんな言葉は、ずっとあとになってから知ったことで、当時のぼくに、それがわか
るはずもなかった。
またそれが原因で、当時のぼくがそうなったなどとは、知る由もなかった。
ぼくはぼくだったし、母は、母だった。
あえて言うなら、当時は、そういう時代だった。
戦後の混乱期で、家庭教育の「か」の字もなかった。
あるにはあったのだろうが、今とは比較にならなかった。
たとえば家族旅行にしても、ぼくの家族のばあい、家族旅行などといったものは、ただの
1度しかなかった。
小学6年生のときで、みなで伊勢参りをしたのが、最初で最後。
粗製濫造というか、ぼくたちは、戦後のあの時代に、濫造された。
ひらたく言えば、ほったらかし。
それがよかったのか、それとも悪かったのか・・・?
ぼくも含めて、当時の子どもは、みな、そうだった。
●父の酒
つぎに少年時、代というと、「酒」の話になる。
父は、酒癖が悪く、酒を飲むと、人が変わった。
これについては、もう何度も書いた。
が、おかしなもので、当時のぼくを知る従兄弟たちはこう言う。
「浩君(=ぼく)の家庭は、たいへん幸福そうに見えた」と。
そう言われるたびに、ぼくは、「フ~ン?」とか、「そうかなあ?」とか、思う。
まわりの人たちには、そう見えたかもしれない。
しかしあの時代をいくら思い起こしても、明るく楽しい思い出は、ほとんど浮かんでこな
い。
理由は、やはり「酒」ということになる。
父は、数日おきくらいに酒を飲み、家の中で大声を出したり、暴れたりした。
それがぼくが、5、6歳のころから、中学3年生くらいまでつづいた。
●兄弟
ぼくには、当時、1人の兄と、1人の姉がいた。
もう1人、兄がいたが、ぼくが3歳くらいのときに死んだ。
日本脳炎が原因だった。
母が言うには、暑い夏の日に、父が荷台に兄を乗せ、自転車で数時間もかけて母の在所
へ行ったのが原因ということだった。
ぼくが覚えているのは、その日、つまり葬式の日、土間に無数の下駄や靴が、散乱してい
たということだけ。
兄との思い出は、まったくといってよいほど、ない。
歳が離れていたこともある。
だから今でも兄弟と言えば、兄と姉ということになる。
●家族
兄弟との接触も少なかったが、父や母との接触は、もっと少なかった。
こんな話をしても、だれも信じないかもしれないが、生涯において、ぼくはただの一度も
父に抱かれたことがない。
手を握ってもらったこともない。
結核を患ったこともあるが、ほかにも深刻な理由があった。
しかしそれをここに書くことは、できない。
その代わり、祖父がぼくの父がわりなってくれた。
祭りに行っても、祖父は、最初から最後まで、ずっと、一度もぼくの手を放さなかった。
・・・ということで、何からなにまで、おかしな家族だった。
しかしそれがぼくの家族であり、ぼくは、ほかに家族を知らなかった。
家族というのは、そういうものと思っていた・・・というよりは、(それ)を、ぼくは受け
入れるしかなかった。
それがぼくの家族だった。
●子ども時代
今でもときどき、不思議に思うことがある。
とくに10歳とか、12歳の子どもを見ると、そう思う。
「ぼくにも、同じような時代があったはずだが・・・」と。
当時のぼくは、当然のことながら、(子ども)だった。
しかし記憶のどこをさがしても、(子どもとしてのぼく)が、浮かび上がってこない。
子どもらしく、父や母に甘えたという記憶も、ほとんどない。
父や母が、ぼくを子どもとして、扱ってくれたという記憶も、ほとんどない。
あるのは、ぼくをいつも子ども扱いしたこと。
(子ども扱い)というのは、ぼくを人間としてではなく、言うなればペットのようにしか
扱ってくれなかったこと。
あるいはモノ?
道具?
ぼくの意思や人格など、父や母の前では、腸から出るガスのようなものだった。
父や母が、ぼくの話に静かに耳を傾けてくれたことは、ほとんどなかった。
家族の談話など、そういうものがあることさえ知らなかった。
だからぼくにとって父や母は、一方的に命令するだけの存在だった。
口答えすれば、・・・というより、当時のぼくの家庭では、子どもが親に口答えするなどと
いうことは、考えられなかった。
親は、いつも絶対だった。
とくにぼくの父と母は、G県に本拠を置く、M教という、(親絶対教団)の熱心な信者だっ
た。
母ですら、ぼくが何かを口答えをすると、「親に向かって、何てことを言う!」などといっ
て、叱った。
「親に歯向かうと、地獄へ落ちる」と、よく脅された。
ぼくにとって、親というのは、そういう存在だった。
●恩着せ
父や母の子育ての基本は、(恩着せ)だった。
ことあるごとに、父や母は、ぼくにこう言った。
「産んでやった」「育ててやった」「言葉を教えてやった」と。
ぼくはそういう言葉を、耳にタコができるほど聞かされた。
が、何よりも恐ろしい言葉は、「~~をしなければ、自転車屋を継げ」というものだった。
ぼくは兄を見て育っているから、自転車屋というのは、恐怖以外の何ものでもなかった。
兄は、まるで奴隷のように、家の中では扱われていた。
「自転車屋になる」ということは、ぼくも、その奴隷になることを意味した。
●ぼくの夢
ぼくにもいくつかの夢があった。
「夢」と実感したというわけではなかったが、ぼくは、パイロットになりたかった。
いつも模型の飛行機を作って遊んでいた。
もう少し幼いころには、ゼロ戦のパイロットになりたかった。
が、中学校へ入学するころから近視が始まり、断念。
「近視の者はパイロットにはなれない」というのが、当時の常識(?)だった。
つぎにぼくはいつしか、大工になることを考えるようになった。
ものづくりは好きだったし、木工には、かなりの自信があった。
学校から帰ってくると、店の中で、木材を切ったり、金槌で叩いたりして、いろいろなも
のを作った。
小学5年生か、6年生のときには、組み立て式ボートというのを、作ったことがある。
手先も器用だった。
中学生になるころには、そこらの大工よりも、のこぎりや、かんなを、うまく使いこなす
ようになっていた。
だからぼくの身のまわりには、大工道具が、いつも一式そろっていた。
●ドラマ
こうした断片的な記憶は、無数にある。
しかしそれをつなげるドラマというのが、ない。
ドラマらしきものはあるが、どれも中途半端。
映画でいうような結末がない。
ないまま、終わっている。
子ども時代の思い出というのは、そういうものか。
いや、そのつど小さなドラマはあったのかもしれない。
クラス一の乱暴者グループと、ひとりで対決した話。
円通寺という小さな山をはさんで、山向こうの子どもたちと戦争ごっこをした話。
ほとんど毎日、学校から帰るときは、寄り道をして遊んだ話、などなど。
書き出したらキリがない。
しかしドラマはない。
こま切れになった映画のフィルムのよう。
言い換えると、ぼくは、あの当時、街角のどこにでもいるような、1人の子どもに過ぎな
かった。
よごれた下着を着て、当て布をした半ズボンをはいて、ジャイアンツのマークの入った野
球帽をかぶった、1人の子ども。
何か特別なことをしたわけでもない。
そんな子どもに過ぎなかった。
●母の在所
そんなぼくにも、楽しみはあった。
夏や冬、春などの休みのときは、母の在所(=実家)に行った。
そこはぼくにとっては、別天地だった。
従兄弟たちと山の中を歩き、川で泳いだ。
夜は、伯父たちの話す昔話に耳を傾けた。
今でもそんなわけで、「故郷」というと、自分が生まれ育ったあのM町ではなく、母の在
所のあった、I村のほうを先に思い出す。
川のせせらぎの音、近くの水車が、粉をつく音、それに風の音。
つんとした木々が放つ芳香も、好きだった。
夕方になると、ご飯を炊くにおいがする。
魚の缶詰を切る音がする。
ぼくたちは、いつも腹をすかしていた。
だから、何を食べてもおいしかった。
もちろん最高のぜいたくは、川でとれた鮎(あゆ)。
ときどきウナギもとれた。
当時は、アマゴ(=やまめ)や、ウグイには、目もくれなかった。
川魚といえば、鮎。
鮎の塩焼き!
●父
父の酒乱は、ぼくが高校生に入るころまでつづいた。
そのころ父は肝臓を悪くし、思うように酒を飲めなくなった。
たぶん悪酔いをするようになったのだと思う。
酒の量が減った。
家で暴れることも、少なくなった。
しかし父は、もともと体の細い人だったが、ますますやせていった。
一度だが、そんな父と殴り合いの喧嘩をしたことがある。
ぼくが中学3年生のときのことである。
体は、すでにぼくのほうが大きかった。
家の中で暴れる父に向かって、無我夢中で頭から体当たりをしていった。
そのあとのことは、よく覚えていない。
どこをどうしたという記憶はないが、あとで聞いたら、父はそのため肋骨を何本か、追っ
たということだった。
もちろんぼくには、罪の意識はなかった。
が、その日を境に、父は、ぼくの前ではおとなしくなった。
ぼくを恐れるようになった。
●みな、同じ
おとなになって、いろいろ話を聞くと、ぼくの家庭だけが、特別だったということでも
ないようだ。
当時は、その程度の話は、どこの家庭にもあった。
たとえばぼくの祖父母は、今で言う、「できちゃった婚」で、結婚した。
祖父には、たがいに結婚を約束した女性がいた。
が、ある日、祖父は別の女性と遊び、子どもができてしまった。
それがぼくの祖母であり、そのときできたのが、ぼくの父だった。
それがぼくの家の原点だったかもしれない。
祖父母の夫婦喧嘩は絶えなかった。
父は父で、不幸な家庭で生まれ育った。
そしてあの戦争。
終戦。
その2年後の昭和22年、ぼくは生まれた。
●ふつうでない家系
「林家」と「家」をつけるのも、おこがましい。
が、ぼくの家は、それでも、ふつうではなかった。
それから62年。
振り返ってみると、父方の「林家」にしても、母方の「N家」にしても、それぞれが例外
なく、深刻な不幸を背負っている。
ぼくの家も、長男が日本脳炎で死去。
つづいて兄、Jが生まれ、姉、Mが生まれた。
そのあともう一人兄が生まれたが、(流産)ということで、処理されてしまった。
ぼくはそのあと生まれた。
この程度の話なら、どこの家系にもある話だが、ぼくの家系はちがう。
例外なく、どの親族も、みな、深刻な不幸を背負っている。
が、それについてはここには詳しく書けない。
それぞれがそれぞれの不幸を懸命に隠しながら、あるいはその苦しみと闘いながら、今で
もがんばっている。
●少年時代
ときは今、ちょうど秋。
稲刈りのシーズン。
郊外を車で走ると、すずめの集団が、ザザーッと空を飛ぶ。
言うなれば、あの集団。
あの集団こそが、ぼくの少年時代ということになる。
個性があったのか、なかったのか。
どこに(ぼく)がいたかと聞かれても、その(形)すら、よく見えてこない。
近所の人たちにしても、そうだろう。
学校の先生にしても、そうだろう。
ひょっとしたら、父や母にしても、そうだったかもしれない。
ぼくは、すずめの集団の、その中の一羽に過ぎなかった。
当時は、そういう時代だったかもしれない。
町のどこを歩いても、子どもの姿があった。
通りでは、どこでも子どもたちが遊んでいた。
子どもの声が聞こえていた。
……一度、ここで走馬灯の電源を切る。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 「ぼくの少年時代」 少年時代 はやし浩司の少年時代)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●毎日数万個!(脳の謎)
++++++++++++++++++
毎日、数万個の神経細胞(ニューロン)が、
死滅しているという。
数万個だぞ!
……といっても、人間の脳の中には、1000億個もの
ニューロンがあるので、あわてて心配しなくてもよい。
仮に、100年生きたとしても、
数万x365x100=数万x約4万で……?
サッと暗算できなくなった。
私の神経細胞も、かなり減ってきたらしい。
で、指を折りながら計算してみると、約10億個という数字が出てきた。
1000億個もあるのだから、10億個くらい減っても、どうということはない。
少し安心したところで、つぎの話。
++++++++++++++++++
●再生しない神経細胞(ニューロン)
脳の神経細胞は死滅する一方で、再生しない。
もちろん、ふえることもない。
理由は簡単。
再生したり、ふえたりしたら、たいへんなことになる。
再生したり、ふえたりするたびに、その人の神経細胞は新しくなり、人格そのものまで変
化してしまうかもしれない。
「10年前と今年では、まるで別人のよう」では、困る。
(実際、そうなる人もいるには、いるが……。)
つまり脳は、その人の同一性を保つために、神経細胞を再生したり、ふえたりしないよ
うにしている。
●が、もしふえたら……
が、もしふえたら……。
ここからが私の得意分野。
もし神経細胞がふえたら、どうなるか?
そんな仮定を頭の中でしてみる。
が、脳は頭蓋骨によって取り囲まれているから、容量には限界がある。
約1000億個が限度ということになる。
そういう脳が、神経細胞をふやすとしたら、古い神経細胞から順に、除去していかなけ
ればならない。
しかしこのとき同時に、古い神経細胞がもっていた、もろもろの情報は、そのまま失われ
ることになる。
再生するばあいも、同じ問題が起きる。
●電話回線
たとえば電話回線で考えてみよう。
現在、053-452-xxxxへ電話をかければ、私の事務所につながる。
日本中のどこからかけても、つながる。
電話回線網が、できあがっている。
が、もしそのときある地域の、ある一部の電話回線網を切り取ってしまったとしたら、
どうだろうか。
その地域の電話が不通になることはもちろん、その地域を経由している電話回線も、すべ
て不通になってしまう。
そこで「再生」ということになるが、電話回線のばあいは、工事屋の人たちが配線図を
見ながら、新しく電話回線網をつなぎ合わせてくれる。
しかし人間の脳の中には、そういう機能は、ない。
へたをすれば、そのまま混線してしまうかもしれない。
●神経細胞がふえたら……
新しい神経細胞がふえたばあいも、同じ問題が起きる。
先にも書いたが、脳の容量には限界がある。
古い神経細胞が除去されるたびに、電話回線のつなぎ合わせのようなことをしなければな
らない。
もしそれをしなかったら、新しい神経細胞は新しい情報を蓄え、独自の働きをするように
なる。
つまり脳の中が、メチャメチャになってしまう。
新しくピアノを弾くことができるようになるかもしれないが、それまでに蓄えた、文を
書く能力を失ってしまうかもしれない。
あるいは楽譜をアルファベットを使って書くようになってしまうかもしれない。
だから脳は、一方的に、神経細胞を死滅させるしかない。
となると、ここで重大な疑問が生ずる。
毎日数万個というが、脳はどういう基準に従って、その数万個を選んでいるのか?……
という疑問である。
またどういう神経細胞が、死滅していくのか?
そのメカニズムがわかれば、逆に死滅するのを阻止することもできるはず。
もしそれができれば、人間は、生涯、1000億個の神経細胞を保持することができるは
ず。
またそれは可能なのか?
(疑問1)どういう神経細胞が死滅するのか。
(疑問2)死滅していく神経細胞を阻止する方法はないのか。
●死滅する神経細胞
常識的に考えれば、「使わない神経細胞は死滅する」ということになる。
しかし使わない神経細胞は、いくらでもある。
人によっては、脳の大部分を使っていない人もいる。
そういう人の神経細胞は、どうなるのか。
1日、数万個ではなく、数10万個の神経細胞が死滅していく人だっているかもしれない。
恐らく脳科学者たちは、そのあたりのことを知っているかもしれない。
たとえば「古い神経細胞から、死滅していく」とか、など。
(このばあいも、つぎの疑問が生まれる。
人間のばあい、乳幼児期にすでに1000億個の神経細胞をもつと言われている。
もしそうなら、「古い」とか「新しい」とかいう言葉すら、意味をもたなくなる。)
この世界は、おもしろい。
本当におもしろい。
今夜は高校生たちが私の教室に来るので、こんな話を余談の中でしてみたい。
そうそうついでに付記するなら、辺縁系の中にある海馬(かいば)の中の神経細胞だけは、
生涯、ふえつづけるのだそうだ。
海馬といえば、短期記憶の中枢部。
それについては、また別の機会に調べてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 神経細胞 ニューロン 神経突起 シナプス)
●新しいミニ・パソ
昨日、ネットで注文しておいた、新しい
ミニ・パソが届いた。
TOSHIBAのダイナブックUX。
少し前に買ったノート・パソコンのTXが、よかった。
「さすがTOSHIBA!」と感心した。
その印象がよかったので、またまたTOSHIBAを買ってしまった。
使い始めて今日で、2日目。
昨日は、UXを使って、「ぼくの少年時代」というのを書いてみた。
言うなれば、慣らし運転。
タッチパッドの感度がよすぎて、別の指が近づくだけで文字が飛ぶ。
それについては、コントロールパネルで調整した。
うまく調整できた。
今は、最高!
つまり気分は、最高!
キーボードを叩いているだけで、うっとりとしてくる。
軽い分だけ、作りがややチャチかなと思うところもないわけではない。
メーカーは、ここを誤解しているようだ。
つまり(軽さ)ばかりを強調するが、その分、作りがよければ、ユーザーは重さを、あま
り気にしない。
軽くなくても、作りがよければよい。
2キロが1・5キロになったところで、(ちがい)は、わからない。
ほかにミニ・ノートながら、キーピッチが19ミリもあるのも、うれしい。
2日目の今日だが、デスクトップのキーボードを叩いているような感じで、文章が書ける。
気持ちよい。
心地よい。
昨夜は、ワイフのかわりに、そのミニ・パソを抱いて寝た。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●巨大な台風
+++++++++++++++++
超巨大な台風が、現在、この日本に
向かって進行中!
昨日の報道によれば、中心部の気圧は
何と910ヘクトパスカル!
+++++++++++++++++
異常気象は、日本以外の国の話かと思っていた。
が、とうとうこの日本にもやってきた。
それが今度の台風18号。
昨夜ネットで調べてみたら、中心部の気圧は、何と910ヘクトパスカル!
「910」!
「910」という数字は、私の記憶の中にはない。
「950」とか「960」とかいう数字までなら、聞いたことがある。
が、「910」はない。
常識をはずれている!
その上、予想進路を見て、ドキッ!
昨夜の予想によれば、紀伊半島あたりから上陸し、東海地方を横断するコース。
もしそうなら、伊勢湾台風並みの、あるいはそれ以上の被害が心配される。
何とか東へそれてくれればよい。
今日は、10月6日。
10月8日、つまりあさっての午後9時ごろ、予想通りなら、東海地方を直撃。
今日と明日は、その対策で忙しくなりそう。
みなさんも、くれぐれも、ご注意ください。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●「スティグマ」
++++++++++++++++++
今朝は、「スティグマ」という言葉について
学習した。
差別につながる、その人の客観的な属性を、
「スティグマ」という。
たとえば街の中を歩いてみる。
いつもと変わりない風景。
そこへ少し見慣れない一行が歩いてやってくる。
彼らの話す言葉を聞いて、彼らが、中国人で
あることを知る。
とたん、ちょっとした緊張感が走る。
彼らに対する緊張感もあるが、同時に、彼らも
また私を見て、同じような緊張感をもつに
ちがいない。
それが逆に、私の心に伝わる。
私も、若いころ、香港や台湾で、私はいろいろな経験を
した。
だまされたことも多い。
意地悪されたこともある。
「中国人」というだけで、いろいろなイメージが
心に浮かぶ。
ばあいによっては、それが差別意識となってはねかえってくる。
その「中国人」というのが、客観的属性ということになる。
「スティグマ」というのは、体につけられた「刻印」を
いう。
昔、ギリシアでは、その人を社会的に差別するために、
その刻印を体に焼いてつけた。
一度その刻印をつけられると、その人のあらゆる部分まで
合わせて、否定されてしまう。
それが「差別」ということになる。
たとえば以前、手鏡を使って女性のスカートの下をのぞいた大学の
教授がいた。
行為そのものは許されないものだが、しかしそのためその
教授は、「変質者」という刻印を焼きつけられてしまった。
ほかのすぐれた部分まで、否定されてしまった。
「スティグマ」というのは、それをいう。
+++++++++++++++++++++
●実験
2009年10月6日、私は「スティグマ」について学習した。
いくつかの文献を読み、自分なりに解釈し、理解した。
しかしこの知識は、いつまで記憶に残るだろうか?
それが今日の実験ということになる。
今までの経験では、1、2か月ぐらいなら、何とか記憶に残るだろう。
しかし半年は、もたない。
半年後に、「スティグマって、何?」と聞かれたら、たぶん、私はこう答えるだろう。
「何だったけなア? 聞いたことがある言葉だな」と。
自分で自分の脳みそが、信用できない。
考えてみれば、これは深刻な問題である。
●刻印
「スティグマ(刻印)」という言葉を学んで、私は別の心で、『ダラカ論』に似ていると
感じた。
スティグマ、イコール、『ダカラ論』ではない。
しかし『ダカラ論』も、人にラベルを張ることによって、差別する道具として、よく使わ
れる。
「お前は、男だから……」「お前は、本家の息子だから……」と。
「ダカラ論」は、そのあと、「~~スベキ」「~~のハズ」と、『ベキ論』『ハズ論』へと
つながっていく。
ばあいによっては、それが「差別」となることもある。
実のところ、私も、長い間、この『ダカラ論』に苦しんだ。
(苦しんだというより、いじめられた?)
差別という差別ではないが、しかし私はそのつど、こう反発した。
「だからといって、それがどうしたの?」と。
●中身を見る
日本人は元来、地位や肩書によって、相手を判断する。
あるいは少し昔前までは、家柄によって判断した。
今でも、この日本は、その延長線上にある。
たとえば上下意識。
マスコミの世界では、知名度によって、上下関係が決まる。
そのまま「上」になって、国会議員や知事になっていく人さえいる。
つまり日本人に何が欠けているかといえば、(相手を中身を見て判断する)という能力では
ないか。
「スティグマ」という言葉を使うなら、「スティグマ」だけで、相手を判断する。
そしてその人のもつ、よい面まで、否定してしまう。
●文化性の問題
要するに相手を、中身を見て判断できるかどうかは、その国民の文化性の問題というこ
とになる。
文化性が高ければ高いほど、その国民は、相手の中身を見ることができる。
そうでなければそうでない。
表面的な部分だけを見て、判断する。
あるいは自分の経験だけをもとに、相手を判断する。
言い換えると、私やあなた自身が、いかに相手の中身まで見ることができるかという問
題につながる。
それができる人のことを、文化性の高い人といい、そうでない人を、低い人という。
が、これは簡単なことではない。
どうしてもスティグマに左右されてしまう。
つまり、自分の文化性を高めようと考えるなら、スティグマと闘う。
そういう努力を怠ってはいけない。
……ということで、スティグマの話はここまで。
さて、この記憶はいつまでつづくか。
実験開始!
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 スティグマ 刻印 刻印論 人間の価値 中身)
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よろしくお願いします。 はやし浩司
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┃来月もよろしく┃
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*A Japanese well-known poet, Shimazaki Toson
●島崎藤村
+++++++++++++++++
島崎藤村といえば、『初恋』。
「まだあげ初(そ)めし前髪の……」の『初恋』。
そう思うのは、私だけか。
ほかにもいくつかあるが、島崎藤村といえば、『初恋』。
それが第一に浮かんでくる。
+++++++++++++++++
●初恋
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまうこそこひしけれ
●初恋(よみがな入り)
まだあげ初(そ)めし前髪の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれない)の秋の実に
人こひ初(そ)めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃(さかずき)を
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな
林檎畠の樹(こ)の下に
おのづからなる細道は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひたまうこそこひしけれ
●初恋(解説入り)
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の……「花櫛」→花の絵や彫り物がある櫛のこと
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり……「人こひ初めし」→初恋
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は……「おのずからなる」→自然にできた(細道)
誰が踏みそめしかたみぞと……「かたみ」→残したもの
問ひたまうこそこひしけれ
●島崎藤村
私は合唱が好きで、中学のときはコーラス部。
以後、高校、大学と、合唱部、合唱団に属していた。
ピアノを弾くことはもちろん、音譜もろくに読めない私が、合唱団にいたのだから、
恐ろしい。
合唱団では、島崎藤村の曲を、よく歌った。
『♪千曲川旅情』もそのひとつ。
組曲になっていた。
『小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
日に溶けて淡雪流る』
よく知られているのに、『高楼』がある。
小林明という歌手が、この歌を歌っていた。
私はこの曲も好きだった。
よく口ずさんだ。
『♪とほきわかれに(遠き別れに)
たえかねて(耐えかねて)
このたかどのに(この高楼に)
のぼるかな(上るかな)
かなしむなかれ(悲しむなかれ)
わがあねよ(我が姉よ)
たびのころもを(旅の衣を)
とゝのへよ(整えよ)』
●系譜
今どき、若い人たちに島崎藤村といっても、ピンとこないかもしれない。
私たちジー様世代よりも、さらに一昔前の詩人である。
で、年譜を調べてみると、1872年(明治5年)、長野県木曽郡山口村に生まれる。
小学校に入学当時から、『千字文』『勧学篇』を父から学ぶ。
中学校は、東京・芝の三田学校から、神田の共立学校に転校。
明治学院普通学部本科に入学とある。
明治5年生まれというから、教育的にかなり恵まれた環境に生まれ育ったことになる。
ふつうの家庭ではない。
ふつうの家庭の子どもは、尋常小学校へ通うだけで、精一杯。
あとは皇族、士族、大商人の師弟のみ。
そういう人たちだけが、今で言う大学へ進学することができた。
島崎藤村の代表作は、もちろん、『夜明け前』。
満56歳ごろから本格的に準備を始め、第一部は、60歳のとき新潮社より刊行されている。
そのあと63歳のときに第二部を、同じ新潮社より刊行。
同年、日本ペンクラブが結成され、会長に就任。
1943年(昭和18年)、脳溢血のため、大磯の自宅で死去。
享年71歳だったという。
●一考
島崎藤村の「初恋」に描かれた女性は、妻「フユ」ということになる。
そのフユは、4女出産後、出血多量で死去している。
島崎藤村、38歳の、1910年(明治43年)のことである。
で、そのあと、島崎藤村は、1913年(大正2年)4月に、フランスに向かって出発。
1916年(大正5年)に帰国している。
このあたりに島崎藤村の人生の中核が、形成されたとみてよいのでは?
フユの死去と、フランスへの旅。
この2つが、相互にからみあって、その後の島崎藤村を、島崎藤村にした?
これは私の勝手な解釈によるものだが、冒頭に書いた「初恋」をその上にダブらせると、それがよくわかる。
それにしても、ラッキーな人だと思う。
豊かな才能のみならず、環境にも恵まれていた。
明治の昔に、東京で中学、高校時代を過ごし、大学を出ている。
島崎藤村の出した詩集は、『若菜集』にはじまって、どれも大ヒット。
当時の文学界は、現在のテレビのような働きをしていた。
1作、本が当たれば、そのまま億万長者という時代だった。
かなりの収入にも、恵まれた。
で、フランスへ、3年という長旅。
明治維新直後の日本の国力は、当時のインドネシアと並ぶ程度であったという。
そういう時代の、3年間である。
これは最近の私の悪い癖かもしれないが、私は、そういう人がいたことを知ると、
自分の人生や年齢を、そのままその人に重ねてしまう。
私は、島崎藤村がフランスへ行っていた年齢のときには、何をしていただろう、と。
たとうば島崎藤村は、60歳のときに、ライフワークとも言える、『夜明け前』
(『第一部』を刊行している。
それを知るだけでも、大きな励みになる。
「まだ、がんばれる!」と。
たまたま書庫に島崎藤村の詩集を見つけた。
しばし読みふけった。
で、島崎藤村について、書いてみた。
+++++++++++++++++
島崎藤村といえば、『初恋』。
「まだあげ初(そ)めし前髪の……」の『初恋』。
そう思うのは、私だけか。
ほかにもいくつかあるが、島崎藤村といえば、『初恋』。
それが第一に浮かんでくる。
+++++++++++++++++
●初恋
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は
誰が踏みそめしかたみぞと
問ひたまうこそこひしけれ
●初恋(よみがな入り)
まだあげ初(そ)めし前髪の
林檎(りんご)のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛(はなぐし)の
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅(うすくれない)の秋の実に
人こひ初(そ)めしはじめなり
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃(さかずき)を
君が情(なさけ)に酌(く)みしかな
林檎畠の樹(こ)の下に
おのづからなる細道は
誰(た)が踏みそめしかたみぞと
問ひたまうこそこひしけれ
●初恋(解説入り)
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の……「花櫛」→花の絵や彫り物がある櫛のこと
花ある君と思ひけり
やさしく白き手をのべて
林檎をわれにあたへしは
薄紅の秋の実に
人こひ初めしはじめなり……「人こひ初めし」→初恋
わがこゝろなきためいきの
その髪の毛にかゝるとき
たのしき恋の盃を
君が情に酌みしかな
林檎畠の樹の下に
おのづからなる細道は……「おのずからなる」→自然にできた(細道)
誰が踏みそめしかたみぞと……「かたみ」→残したもの
問ひたまうこそこひしけれ
●島崎藤村
私は合唱が好きで、中学のときはコーラス部。
以後、高校、大学と、合唱部、合唱団に属していた。
ピアノを弾くことはもちろん、音譜もろくに読めない私が、合唱団にいたのだから、
恐ろしい。
合唱団では、島崎藤村の曲を、よく歌った。
『♪千曲川旅情』もそのひとつ。
組曲になっていた。
『小諸なる古城のほとり
雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も籍(し)くによしなし
しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ)
日に溶けて淡雪流る』
よく知られているのに、『高楼』がある。
小林明という歌手が、この歌を歌っていた。
私はこの曲も好きだった。
よく口ずさんだ。
『♪とほきわかれに(遠き別れに)
たえかねて(耐えかねて)
このたかどのに(この高楼に)
のぼるかな(上るかな)
かなしむなかれ(悲しむなかれ)
わがあねよ(我が姉よ)
たびのころもを(旅の衣を)
とゝのへよ(整えよ)』
●系譜
今どき、若い人たちに島崎藤村といっても、ピンとこないかもしれない。
私たちジー様世代よりも、さらに一昔前の詩人である。
で、年譜を調べてみると、1872年(明治5年)、長野県木曽郡山口村に生まれる。
小学校に入学当時から、『千字文』『勧学篇』を父から学ぶ。
中学校は、東京・芝の三田学校から、神田の共立学校に転校。
明治学院普通学部本科に入学とある。
明治5年生まれというから、教育的にかなり恵まれた環境に生まれ育ったことになる。
ふつうの家庭ではない。
ふつうの家庭の子どもは、尋常小学校へ通うだけで、精一杯。
あとは皇族、士族、大商人の師弟のみ。
そういう人たちだけが、今で言う大学へ進学することができた。
島崎藤村の代表作は、もちろん、『夜明け前』。
満56歳ごろから本格的に準備を始め、第一部は、60歳のとき新潮社より刊行されている。
そのあと63歳のときに第二部を、同じ新潮社より刊行。
同年、日本ペンクラブが結成され、会長に就任。
1943年(昭和18年)、脳溢血のため、大磯の自宅で死去。
享年71歳だったという。
●一考
島崎藤村の「初恋」に描かれた女性は、妻「フユ」ということになる。
そのフユは、4女出産後、出血多量で死去している。
島崎藤村、38歳の、1910年(明治43年)のことである。
で、そのあと、島崎藤村は、1913年(大正2年)4月に、フランスに向かって出発。
1916年(大正5年)に帰国している。
このあたりに島崎藤村の人生の中核が、形成されたとみてよいのでは?
フユの死去と、フランスへの旅。
この2つが、相互にからみあって、その後の島崎藤村を、島崎藤村にした?
これは私の勝手な解釈によるものだが、冒頭に書いた「初恋」をその上にダブらせると、それがよくわかる。
それにしても、ラッキーな人だと思う。
豊かな才能のみならず、環境にも恵まれていた。
明治の昔に、東京で中学、高校時代を過ごし、大学を出ている。
島崎藤村の出した詩集は、『若菜集』にはじまって、どれも大ヒット。
当時の文学界は、現在のテレビのような働きをしていた。
1作、本が当たれば、そのまま億万長者という時代だった。
かなりの収入にも、恵まれた。
で、フランスへ、3年という長旅。
明治維新直後の日本の国力は、当時のインドネシアと並ぶ程度であったという。
そういう時代の、3年間である。
これは最近の私の悪い癖かもしれないが、私は、そういう人がいたことを知ると、
自分の人生や年齢を、そのままその人に重ねてしまう。
私は、島崎藤村がフランスへ行っていた年齢のときには、何をしていただろう、と。
たとうば島崎藤村は、60歳のときに、ライフワークとも言える、『夜明け前』
(『第一部』を刊行している。
それを知るだけでも、大きな励みになる。
「まだ、がんばれる!」と。
たまたま書庫に島崎藤村の詩集を見つけた。
しばし読みふけった。
で、島崎藤村について、書いてみた。
*What is the Freedom in Education?
● CERN(サーン)(量子加速器※)
少し前、アメリカから帰ってきた三男が、声を高ぶらせてこう言った。
「S君(=二男の愛称)は、すごいことやってるよ、パパ!」と。
話を聞くと、インディアナ大学で、スパコンの技師をしているという。
そして今は、CERN(サーン)の研究員の1人として、働いている、と。
インディアナ大学といっても、端から端まで、車で2時間もかかるほど広い。
日本の常識では、ちょっと想像できない。
そこで二男は、世界中のスパコンをつなぎ、サーンからのデータを通信衛星で、受信。
その分析をしている。
そのことを今朝、二男にテレビ電話で話すと、いともさりげなく、「12月にスイスへ
出張で行ってくるよ」と。
ウィキペディア百科事典には、こうある。
++++++++++++++++++
(注※)大型ハドロン衝突型加速器 (Large Hadron Collide、略称 LHC) とは、
高エネルギー物理実験を目的としてCERNが建設した世界最大の衝突型円型加速器の名称。スイス・ジュネーブ郊外にフランスとの国境をまたいで設置されている。2008年9月10日に稼動開始した。
++++++++++++++++++
私はうれしかった。
どういうわけか、うれしかった。
私にはできなかったことを、二男は、している。
「自慢」とか、そういうことではない。
あの量子加速器の話は、前から聞いていた。
巨大なシステムで、総工費は、9000億円以上、とか。
「世界中の物理学者がスイスに集まりつつある」と、別のHPにはあった。
そういう研究の片鱗のその一部に、何と言うか、自分自身が加担できたような
うれしさである。
二男には、幼児のときから、惜しみなくコンピュータを買い与えてきた。
私も好きだったこともある。
二男が小学生のときには、一台40~50万円が相場だった。
ベーシック言語を教えたのは私だったが、C++言語は、中学へ入るころには、
自分でマスターしてしまった。
また高校生のときには、コンピュータ・ウィルスが問題になり始めていた。
二男は、自分でワクチンをつくり、そのワクチンを、そのとき立ち上がり始めていた
ウィルス対策ソフトウェア会社に、送り届けていた。
「無駄」という言葉は、あまり使いたくないが、「無駄にはならなかった」と。
ただ二男のばあいは、コンピュータもさることながら、作曲の才能のほうが、
すぐれていた。
二男が高校生のときに作曲、演奏した音楽を聴くたびに、そう思った。
そういう才能を伸ばしてやれなかった。
親として、何ともやるせない気持ちになったことは多い。
が、今度、その(やるせなさ)を、二男は、吹き飛ばしてくれた。
「あの、量子加速器の件で、スイスへ行くのか?」
「うん、サーンだよ」と。
サーン……全周27キロの円形加速器。
ときどき映画の中などでも紹介される。
これからは、それが紹介されるたびに、今までにない親近感を覚えるだろう。
息子たちよ、ありがとう!
私はいつも、お前たちに励まされて生きている。
が、まだまだ、私は負けない。
老いぼれてもいない。
お前たち以上に、がんばってやる。
さりげなく。
そう、さりげなく、がんばってやる!
おやすみ!
(09年10月29日夜記)
【教育の自由論】
●何をもって「自由」というか?
事実を書く。
二男の嫁のデニーズは、主婦業をしながら、受験勉強。
07年に、日本でいう司法試験に合格してしまった。
独学である。
で、当時、二男は、転職を考えていた。
アメリカでは、より大きなチャンスをねらって転職するのが、常識になっている。
そこで二男は、カルフォルニア州にある、グーグル社と、ラスベガスにある、
ウォール・マート社の2社のどちらかに、転職が決まった。
カルフォルニアは、物価も高く、息子と娘の教育にもよくないと、ウォール・マート社
への転職を決めていた。
が、そのとき、デニーズが全額奨学金付きの、司法試験に合格してしまった。
「自由に大学を選んでいい」と。
そこでデニーズは、インディアナ州のインディアナ大学(通称、IU)に、決めた。
その大学のロースクールに入学。
二男は、「デニ-ズ(妻)の夢をかなえさせてやりたい」と、転職をあきらめ、
自分もインディアナ州へ。
先にも書いたように、端から端まで、車で2時間もかかるような、広大なキャンパスを
かかえた大学である。
で、就職先をさがしていると、運よく、同じ大学内のコンピュータ技師としての仕事
が見つかった。
当初は、コンピュータの保守のような仕事をしていたと思う。
が、そのうち、大学のスパコン(スーパー・コンピュータ)を扱うようになった。
で、それがさらに進んで、少し前は、「世界のスパコンをネットとつないで……」という
ような話になった
が、今回は、とうとう、「サーン」という名前が、口から出てきた。
そしてそのために12月に、スイスへ出張で言ってくる、と。
わかるかな?
日本の教育システムの中で、こうした(登用)が可能か、どうか?
アメリカでは、力のある若い人が、学歴とか、職歴に関係なく、どんどんと登用され、
自分の道を登っていくことができる。
念のため、あとで、この原稿を、TK先生(東大名誉教授・元副総長)に送ってみる。
「日本では、こういうことが可能なのか」と。
たぶん、TK先生の答は、「No」だろう。
派閥と、子弟制度で、がんじがらめになっていて、研究者ですら、身動きできないはず。
つまり、それが日本とアメリカの教育システムの(ちがい)ということになる。
「自由」といっても、制度だけいじればそれでよいという問題ではない。
「意識」の問題ということになる。
その意識が整ってこそ、「日本の教育は自由化された」と、はじめて言える。
その二男だが、大学を卒業するとき、「NASAでも通用する男」という推薦状を
もらっている。
が、デニーズとの結婚を優先させて、地元のアーカンソー州にある、ソフトウェア
開発会社に就職した。
その入社試験でのこと。
二男は自分が作った、宇宙モデルを見せたという。
それで就職が決まった。
またコンピュータをつなぐという方法は、(今ではふつうになされているが……)、
二男が学生時代に開発したもの。
10台以上の古いコンピュータを回線でつなぎ、スパコンに似た仕事をさせるという
ものである。
一度、二男の大学を訪れたとき、その一部を見せてもらったことがある。
二男はいつもこう言っている。
「パパ、コンピュータの世界では、不可能という言葉はないよ」と。
どういうわけか、その言葉が、耳に強く残っている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 量子加速器 CERN サーン 教育の自由化 はやし浩司 自由な教育 教育自由化論 教育の自由とは)
(追記)
今朝(10月30日)、以上の原稿をTK先生に送ったら、さっそく返事が来た。
【TK先生より、はやし浩司へ】
林様:
ご丁寧なお便り有難うございました。私には CERN の位置づけがよく分かりませんが、兎に角すごいことのようですね。父親の資質を継いでよかったですね。素晴らしいことのようで、心からお祝い申し上げます。ご三男の方でしたっけ、航空士になろうとしておられたのは。三男は何をしておられますか。
私の婿のOYは、今月東京大学の工学部の教授になりました。ヴァージニア工科大学の教授でしたが、向こうで一億五千万ほどの研究費がつき、辞められないので、東京大学に60%、ヴァージニアに40%の兼任になります。日本での給料は向こうに比べて大幅に低いし、その上定年もありますので、大分迷っていましたが、結局兼任ということで決ったようです。
来週の「文化の日」には東大関係のTK研の卒業生が集まり、「TK会」を東京の学士会館でします。卒業生が皆よくしてくれますので、元気が出ます。
くれぐれもお元気で。
TK
デニーズさんで思い出しましたが、私の孫のMKは慶応大学法学部の4年生ですが、アメリカの law school に入ると言って、先日試験を受けました。いいところに入れるといいが、と決定を待っているところです。彼女は小学校の5年生まで向こうで育ちましたのでバイリンガルです。
少し前、アメリカから帰ってきた三男が、声を高ぶらせてこう言った。
「S君(=二男の愛称)は、すごいことやってるよ、パパ!」と。
話を聞くと、インディアナ大学で、スパコンの技師をしているという。
そして今は、CERN(サーン)の研究員の1人として、働いている、と。
インディアナ大学といっても、端から端まで、車で2時間もかかるほど広い。
日本の常識では、ちょっと想像できない。
そこで二男は、世界中のスパコンをつなぎ、サーンからのデータを通信衛星で、受信。
その分析をしている。
そのことを今朝、二男にテレビ電話で話すと、いともさりげなく、「12月にスイスへ
出張で行ってくるよ」と。
ウィキペディア百科事典には、こうある。
++++++++++++++++++
(注※)大型ハドロン衝突型加速器 (Large Hadron Collide、略称 LHC) とは、
高エネルギー物理実験を目的としてCERNが建設した世界最大の衝突型円型加速器の名称。スイス・ジュネーブ郊外にフランスとの国境をまたいで設置されている。2008年9月10日に稼動開始した。
++++++++++++++++++
私はうれしかった。
どういうわけか、うれしかった。
私にはできなかったことを、二男は、している。
「自慢」とか、そういうことではない。
あの量子加速器の話は、前から聞いていた。
巨大なシステムで、総工費は、9000億円以上、とか。
「世界中の物理学者がスイスに集まりつつある」と、別のHPにはあった。
そういう研究の片鱗のその一部に、何と言うか、自分自身が加担できたような
うれしさである。
二男には、幼児のときから、惜しみなくコンピュータを買い与えてきた。
私も好きだったこともある。
二男が小学生のときには、一台40~50万円が相場だった。
ベーシック言語を教えたのは私だったが、C++言語は、中学へ入るころには、
自分でマスターしてしまった。
また高校生のときには、コンピュータ・ウィルスが問題になり始めていた。
二男は、自分でワクチンをつくり、そのワクチンを、そのとき立ち上がり始めていた
ウィルス対策ソフトウェア会社に、送り届けていた。
「無駄」という言葉は、あまり使いたくないが、「無駄にはならなかった」と。
ただ二男のばあいは、コンピュータもさることながら、作曲の才能のほうが、
すぐれていた。
二男が高校生のときに作曲、演奏した音楽を聴くたびに、そう思った。
そういう才能を伸ばしてやれなかった。
親として、何ともやるせない気持ちになったことは多い。
が、今度、その(やるせなさ)を、二男は、吹き飛ばしてくれた。
「あの、量子加速器の件で、スイスへ行くのか?」
「うん、サーンだよ」と。
サーン……全周27キロの円形加速器。
ときどき映画の中などでも紹介される。
これからは、それが紹介されるたびに、今までにない親近感を覚えるだろう。
息子たちよ、ありがとう!
私はいつも、お前たちに励まされて生きている。
が、まだまだ、私は負けない。
老いぼれてもいない。
お前たち以上に、がんばってやる。
さりげなく。
そう、さりげなく、がんばってやる!
おやすみ!
(09年10月29日夜記)
【教育の自由論】
●何をもって「自由」というか?
事実を書く。
二男の嫁のデニーズは、主婦業をしながら、受験勉強。
07年に、日本でいう司法試験に合格してしまった。
独学である。
で、当時、二男は、転職を考えていた。
アメリカでは、より大きなチャンスをねらって転職するのが、常識になっている。
そこで二男は、カルフォルニア州にある、グーグル社と、ラスベガスにある、
ウォール・マート社の2社のどちらかに、転職が決まった。
カルフォルニアは、物価も高く、息子と娘の教育にもよくないと、ウォール・マート社
への転職を決めていた。
が、そのとき、デニーズが全額奨学金付きの、司法試験に合格してしまった。
「自由に大学を選んでいい」と。
そこでデニーズは、インディアナ州のインディアナ大学(通称、IU)に、決めた。
その大学のロースクールに入学。
二男は、「デニ-ズ(妻)の夢をかなえさせてやりたい」と、転職をあきらめ、
自分もインディアナ州へ。
先にも書いたように、端から端まで、車で2時間もかかるような、広大なキャンパスを
かかえた大学である。
で、就職先をさがしていると、運よく、同じ大学内のコンピュータ技師としての仕事
が見つかった。
当初は、コンピュータの保守のような仕事をしていたと思う。
が、そのうち、大学のスパコン(スーパー・コンピュータ)を扱うようになった。
で、それがさらに進んで、少し前は、「世界のスパコンをネットとつないで……」という
ような話になった
が、今回は、とうとう、「サーン」という名前が、口から出てきた。
そしてそのために12月に、スイスへ出張で言ってくる、と。
わかるかな?
日本の教育システムの中で、こうした(登用)が可能か、どうか?
アメリカでは、力のある若い人が、学歴とか、職歴に関係なく、どんどんと登用され、
自分の道を登っていくことができる。
念のため、あとで、この原稿を、TK先生(東大名誉教授・元副総長)に送ってみる。
「日本では、こういうことが可能なのか」と。
たぶん、TK先生の答は、「No」だろう。
派閥と、子弟制度で、がんじがらめになっていて、研究者ですら、身動きできないはず。
つまり、それが日本とアメリカの教育システムの(ちがい)ということになる。
「自由」といっても、制度だけいじればそれでよいという問題ではない。
「意識」の問題ということになる。
その意識が整ってこそ、「日本の教育は自由化された」と、はじめて言える。
その二男だが、大学を卒業するとき、「NASAでも通用する男」という推薦状を
もらっている。
が、デニーズとの結婚を優先させて、地元のアーカンソー州にある、ソフトウェア
開発会社に就職した。
その入社試験でのこと。
二男は自分が作った、宇宙モデルを見せたという。
それで就職が決まった。
またコンピュータをつなぐという方法は、(今ではふつうになされているが……)、
二男が学生時代に開発したもの。
10台以上の古いコンピュータを回線でつなぎ、スパコンに似た仕事をさせるという
ものである。
一度、二男の大学を訪れたとき、その一部を見せてもらったことがある。
二男はいつもこう言っている。
「パパ、コンピュータの世界では、不可能という言葉はないよ」と。
どういうわけか、その言葉が、耳に強く残っている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 量子加速器 CERN サーン 教育の自由化 はやし浩司 自由な教育 教育自由化論 教育の自由とは)
(追記)
今朝(10月30日)、以上の原稿をTK先生に送ったら、さっそく返事が来た。
【TK先生より、はやし浩司へ】
林様:
ご丁寧なお便り有難うございました。私には CERN の位置づけがよく分かりませんが、兎に角すごいことのようですね。父親の資質を継いでよかったですね。素晴らしいことのようで、心からお祝い申し上げます。ご三男の方でしたっけ、航空士になろうとしておられたのは。三男は何をしておられますか。
私の婿のOYは、今月東京大学の工学部の教授になりました。ヴァージニア工科大学の教授でしたが、向こうで一億五千万ほどの研究費がつき、辞められないので、東京大学に60%、ヴァージニアに40%の兼任になります。日本での給料は向こうに比べて大幅に低いし、その上定年もありますので、大分迷っていましたが、結局兼任ということで決ったようです。
来週の「文化の日」には東大関係のTK研の卒業生が集まり、「TK会」を東京の学士会館でします。卒業生が皆よくしてくれますので、元気が出ます。
くれぐれもお元気で。
TK
デニーズさんで思い出しましたが、私の孫のMKは慶応大学法学部の4年生ですが、アメリカの law school に入ると言って、先日試験を受けました。いいところに入れるといいが、と決定を待っているところです。彼女は小学校の5年生まで向こうで育ちましたのでバイリンガルです。
2009年10月29日木曜日
*Magazine for Nov. 30th
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. mQQQm 発行人 はやし浩司(ひろし)
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. みなさん、 o o β
.こんにちは! (″ ▽ ゛)○
. =∞= //
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 11月 30日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★ ★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
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http://bwhayashi2.fc2web.com/page015.html
メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●睡眠障害(ナルコレプシー)
このところ、朝早く、目が覚める。
理由が、ある。
もともとそういうことはあったが、
昼寝の時間が長くなった。
以前は、昼寝といっても、うたた寝程度。
時間にすれば、30分前後。
それが最近では、長いときは、1時間半ほど、
眠ってしまう。
それで、その分だけ、朝早く目が覚めるようになった。
(あるいは、その逆かもしれない。)
で、今朝も、午前4時に起きた。
先週くらいまでは、それでも……と思って、
目を閉じたまま、横になっていた。
加えて、外気が冷たかった。
起き上がるのが、つらかった。
が、そうしていても、頭の中は、どんどんと、冴えていくばかり。
だからこうして思い切って、起きることにした。
だから、午前4時。
睡眠障害といえば、ナルコレプシーがある。
日中、感情が高ぶったようなときに、ふいに眠ったような状態になる。
かくんと全身から、力が抜けたような状態になる。
が、本人は、「眠っていない」と、言い張る。
意識はしっかりとしている。
幼児では珍しい。
私も過去40年間に、1例しか経験していない。
しかし中高校生になると、急にふえてくる。
何かのことで強く叱ったり、あるいは本人自身が興奮状態に
なったようなとき、そうなる。
そのとき子どもによっては、(もちろんおとなもそうだが……)、
勝手な行動をすることもある。
つまり体が、勝手に動いてしまう。
こういうのを、「自動行動」と呼ぶ。
大切なお知らせを、ふいにゴミ箱へ捨てたりする。
「A先生に渡して」と言って、渡したメモを、B先生に渡してしまったりする。
「どうしてそんなことをするの?」と、たしなめても、
本人には、その自覚がない。
意識的な行為というよりは、無意識的な行為である。
健常者でも、似たような行為をすることがある。
たとえば、そこにかなり背の低い人がいたとする。
だから内心では、「身長の話題は避けよう」と思っている。
が、何かの拍子に、ふいに、身長の話をしてしまう。
こうした現象が、ナルコレプシーでは、極端な形で現れる。
原因は、睡眠障害と考えられている。
ふつう人は、睡眠中、ノン・レム睡眠→レム睡眠を、5~6回繰り返す。
そのリズムが乱れる。
それが慢性化する。
結果として、特異な症状を表すようになる。
そういう意味でも、規則正しい生活は、重要である。
夜遅くまで、興奮性の強いゲームをする。
徹夜で、受験勉強をする。
このタイプの子どもが、ナルコレプシーになりやすい(?)。
で、私のばあい、迷っている。
このまま今のように、昼寝時間を長くして調整するか。
それとも昼寝時間を短くして、夜の睡眠時間を長くするか。
たまたまおとといは、昼寝なしで、がんばってみた。
昨日も、昼寝をしないようにと、がんばってみた。
(夕方、15分程度、椅子に座ったまま、うたた寝をしてしまったが……。)
が、こういう日が数日もつづくと、頭の中がモヤモヤとするだけで、
ものが書けなくなってしまう。
注意力が散漫になってしまう。
やはり体のことは、自然に任せるのがよい。
何ごとにつけても、自然体。
それが一番。
国によっては、昼寝を日課にしているところもある。
ただ気になっていることが、ひとつ、ある。
私とワイフは、ときどき、仕事が終わってから、深夜劇場に足を運んでいる。
時間的には、午後9時以後~ということになる。
家に帰ってくるのは、そういう日は、夜中の12時前後。
そういう生活は、あまり好ましくない。
自分でも、よくわかっている。
これからは別の方法を考えよう。
++++++++++++++++++++
以前、ナルコレプシーではないかと思われる女性がいた。
その人について、その雇い主の方から、相談があった。
その女性は子どものころ、ADHDと診断され、
薬をのんでいたという。
で、今もそれではないか、と。
女性の年齢はわからないが、20歳前後と思われる。
で、立ち話だったので、私は「おとなのADHDは
珍しい。女性のばあい、多弁性が残ることが多いが、
症状としては、落ち着いてくる。子どものころ、
ADHDではなく、活発型自閉症児ではなかったのか」
と話した。
で、翌朝、その女性に症状について詳しく書かれた
メールが、届いていた。
その返事。
++++++++++++++++++++
(補足)ナルコレプシー
SW様へ
おはようございます!
メール、ありがとうございました。
「活発型自閉症」というのは、もう20~30年前までの用語です。
今は、「自閉症スペクトラム」と言います。
当時は、(今もそうですが)、活発型自閉症児と、ADHD児の区別は、
たいへんむずかしいです。
ADHD児は、思考や行動は明晰であるという点で、区別していました。
で、いただいた女性の件ですが、私は、「ADHDではないと思う」と言いました。
おとなになると、表面的な症状はわかりにくくなります。
女性のばあい、ふつうでない多弁性だけは残りますが、ほかの症状は、落ち着いて
きます。
しかしメールによれば、主症状は、注意力散漫、居眠りということですから、
活発型自閉症のおとな型というよりは、ナルコレプシーではないかと
思いました。
ご存知のように、私たちの年齢層には、睡眠時無呼吸症候群という
恐ろしいのもありますが、これは私たちの年代で、かつ肥満型の人に多いものです。
このタイプの人も、日中、突然の睡眠に襲われたりします。
ナルコレプシーのばあいも、突然眠ったような状態になります。
が、そのとき、意識は残ったままになるので、「私は眠っていません」となるのです。
で、ナルコレプシーについては、
以下のHPをさがしてみました。
いちばん詳しく書かれていると思います。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~narukohp/3100.html#Q102
(↑)をクリックしてみてください。
その女性のばあい、(内面的な激怒)が引き金となり、ナルコレプシーを
引き起こすのではないかと思われます。
過去のADHDは、関係ないと思われます。
というのも、ADHD児(子どものばあい)でも、居眠りは、起きません。
ADHDの症状はあったかもしれませんが……。
それは現在の症状とは、関係ないと思われます。
また子どもの世界にも、勝手に別の行動をしてしまう(自動行動)子どもも
ときどき見られます。
ふつう激怒をともないますので、かんしゃく発作ということで、
片づけてしまうことも多いです。
(というのも、私には診断権はないものですから……。)
その女性のばあいも、自動行動が見られるようですね。
もしそうだとするなら、医療従事者としては、不向きかもしれません。
薬をまちがえられたら、こわいですから……。
話は変わりますが、活発型自閉症児と呼んでいた子どもは、
始終、動き回り、勝手な行動を繰り返します。
健常児のような会話ができません。
ADHD児は、そのつど、会話はできます。
強く叱れば、瞬間ですが、シュンとおとなしくなったりします。
が、今では、自閉症による症状が、きわめて多岐にわたり、
また千差万別。
境界がはっきりしないということで、「自閉症スペクトラム」という
言葉を使います。
この点については、立ち話での応答ということもあり、いいかげんな
ものでした。
どうかお許しください。
つまり「おとなのADHDは珍しい」ということで、同じような
症状としては……ということで、「活発型自閉症児」という
言葉をあげました。
しかしメールによれば、ナルコレプシーでは(?)と思うように
なりました。
もちろんこれは私のひとつの意見にすぎません。
以前、そういう子ども(年長・女児)がいました。
睡眠指導をあれこれしてみましたが、効果はありませんでした。
しかしナルコレプシーは、子どもには、たいへん珍しく、
中学、高校くらいから、多くなります。
強く叱ったとたん、かくんと眠ったような状態になる、
あるいは、気を失ったような状態になります。
以上ですが、おとなの世界のことは、本当のところ、
よくわかりません。
ごめんなさい。
では、
はやし浩司
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●満62歳の誕生日に
+++++++++++++++++++++
明日、私は満62歳になる。
62歳?
62歳ねエ~?
「62歳」と言って、
最初に思い浮かんだ言葉が、これ。
「もう2年も、たったのかア」と。
つい先日、「還暦」という言葉に踊らされたばかり。
そんな感じがする。
つまり加齢とともに、脳のクロック数が
落ちるため(はやし浩司説)、
すべての活動のテンポが遅くなる。
そのため、時間が早く進むように感ずるように
なる(これも、はやし浩司説)。
たとえば若いころの脳のクロック数を、
毎秒100ヘルツとする。
現在は、半分の毎秒50ヘルツとする。
すると見かけは同じ状態でも、実感時間は、
若いころの半分になる。
つまり2倍、早く時間が過ぎることになる。
しかし脳全体の機能が速度的に落ちるため、それを
自分で実感することはできない。
(どこか、アインシュタインの相対性理論に似ている?)
このことは、幼児を教えてみると、よくわかる。
もし幼児を、私のもつテンポで教えたら、幼児は、
あっという間に、私のレッスンに飽きてしまうだろう。
そこで私は、幼児のもつクロック数で、教える。
幼児のもつクロック数は、おとなのそれよりも、
はるかに速い。
教える側が、もたもたしていると、すぐ、「つまんナ~イ」
という言葉がはね返ってくる。
(こうした様子は、HP(BW公開教室)で、公開中!)
一方、高齢者のクロック数は、低い。
50どころか、20とか、10にまで下がる。
見た目には、ゆったりと時間が流れるが、
その分だけ、高齢者にとっては、早く時間が過ぎる。
……というわけで、もう2年も過ぎた。
あっという間だった。
この2年間で、私は何をしたか?
何ができたか?
中身を見ていくと、結構いろいろあったような気がする。
母の介護と死去。
その間に、兄の死去。
先月は実家を売却して、故郷とは縁を切った。
精神的には、激動の2年間だった。
(少しおおげさかな?)
が、それでもあっという間に過ぎた。
そんな感じがする。
が、過去は過去。
私には、つぎの1年間が待っている。
いろいろ計画がある。
したいこともある。
すべきこともある。
しかし1年といっても、日々の積み重ねで決まる。
その日々は、今という、一瞬、一瞬の積み重ねで決まる。
大切なことは、クロック数を落とさないこと。
鋭敏さを失わないこと。
それは何度も書くが、健康論と同じ。
日々の体力づくりのみが、明日の健康を約束する。
立ち止まったとたん、そのときから、
健康は、下り坂に向かって、まっしぐら!
新聞を読もう。
本を読もう。
音楽を聴こう。
映画を見よう。
旅をしよう。
人に会おう。
新しいものに興味をもとう。
仕事をしよう。
体を動かそう。
それでクロック数があがるとは思わない。
が、しかし維持することはできる。
50ヘルツなら、50ヘルツでもよい。
その50ヘルツを、できるだけ長く維持する。
つまり長生きするといっても、クロック数が
5ヘルツや10ヘルツでは、しかたない。
で、今日、小学5年生の子どもたちに会うから、
つぎのような問題を出してみよう。
【問】
脳のクロック数が、毎秒100ヘルツの人が、
10年、生きたとする。
一方、脳のクロック数が、毎秒50ヘルツの人が、
20年、生きたとする。
どちらの人が、長生きをしたことになるか。
きっと子どもたちは、「20年、生きた人」と
答えるだろう。
そこで私は、コンピュータを例にあげて説明したあと、
おもむろに、こう教える。
100x10=1000
50x20=1000で、
「実は中身は、同じだよ」と。
平たく言えば、人生の長さは、年数の長さでは
決まらない。
大切なのは、密度。
密度で決まる。
それがわからなければ、あなたも一度でよいから、
あの特別擁護老人ホームにいる老人たちを
のぞいて見てみたらよい。
ホームのテレビの前に座っている老人たちは、
ぼんやりとしたまま、その日、その日を、
過ごしているだけ。
あとは食事をしているか、眠っているだけ。
毎日、同じことしか言わない老人もいる。
1年を1日のようにして、生きている。
やがて私たちも、ああなる。
まちがいなく、ああなる。
が、その時期は、できるだけ先に延ばしたい。
先に延ばして、自分の人生を、2倍にしたい。
3倍にしたい。
どうせ、たった1回しかない人生だから。
……というのが、満62歳の私の抱負と
いうことになる。
けっして立ち止まらない。
ただひたすら前に向かって進む。
そう、あのスティーブンソン(「宝島」の著者)も
こう書いている。
『我らが目的は、成功することではない。
失敗にめげず、前に進むことである』と。
この言葉をもじると、こうなる。
『我らが目的は、年齢に応じた生き方をすることではない。
年齢を無視して、前に進むことである』と。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
● 10月28日
平凡は美徳だが、その美徳に溺れてはいけない。
溺れたとたん、平凡のワナにはまる。
マンネリの世界に陥る。
そこは「虚」の世界。
変化がなく、退屈な世界。
そこで重要なことは、平凡を感じたら、平凡を旨(むね)としつつ、
変化と刺激を求める。
その変化と刺激が、人生を、潤い豊かなものにする。
……とまあ、自分にそう言い聞かせながら、今日も始まった。
昨夜は遅くまで、温泉へ行ってきた。
舘山寺にそういう温泉があって、1~2時間、そこで過ごすことができる。
「静岡県最大級の浴場」という。
平日の、午後7時以後に行くと、ガラガラ。
昨夜も、男湯のほうは、私と長男だけ。
途中、外人の男が2人、入ってきたが、サウナにしばらく入ったあと、すぐ、
出て行ってしまった。
雰囲気的に、同性愛者という感じがした。
その疲れというか、気(け)だるさがまだ残っている。
脳みその緊張感は緩んだまま。
いろいろ書きたいことはあるが、それが頭の中でまとまらない。
言うなれば、霧のよう。
それがモヤモヤと漂っている。
そうそう、ワイフの話では、昨日、山鳩の雛が2羽、私の家の庭に
戻ってきたという。
よかった!
おとといは雨。
冷たい雨だった。
その雨を見ながら、雛のことを心配していた。
で、今日は、私の誕生日。
どうということのない誕生日。
いつもと変わらぬ、1日。
昨夜、三男から電話があった。
「明日は、ぼくの誕生日だから、電話してよ」と言ったら、「わかった」と。
まあ、その程度。
昔から、誕生日は、家族だけで祝うようにしてきた。
それでここ10年は、さみしい誕生日になってしまった。
Happy Birthday to Me!
Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司
●絶望
++++++++++++++++++
Aさん(女性)が、こう言った。
「うちの母(87歳)は、特養(特別養護
老人ホーム)へ入れたとたん、歩かなく
なってしまった。
車椅子に座ったまま、動こうともしない」と。
それを聞いて、「しまった!」と思った。
ショックだった。
うすうす、そうではないかと感じてはいたが、
やはりそうだった!
+++++++++++++++++++++
●私の母
そのときは、そのつもりはなかった。
予約するつもりだけだった。
そのつもりで、近くの特養へ行くと、たまたま園長が応対してくれた。
そのときは、その女性が、園長ということも知らなかった。
で、園長はこう言った。
「ちょうど1人、病院へ移りました。
今なら、すぐ入れます」と。
家に帰って迷っていると、義姉がこう言った。
「すぐ、入れなさい。
順番を待っていたら、早くても1年後とか2年後になるわよ」と。
そこで母を、特養に入れることにした。
●特養の問題
最初、1週間は、毎日、母のところへ通った。
そのたびに、母は、こう言った。
「K村(=母の実家のある村)へ、帰りたい」と。
私とワイフは、そういう母を懸命になだめた。
が、それも一巡すると、母から急速に元気がなくなっていった。
それまでは、デイサービスのときも、どこかに緊張感があった。
その緊張感が、消えた。
その母も、特養では、まったくといってよいほど、運動をしなくなった。
私はそれは、特養のシステムのせいだと思っていた。
介護度が低い高齢者については、いろいろな療法がしてもらえる。
しかし介護度4以上の入所者については、しない、と。
が、いくら介護度が高くても、何かの療法は、必要ではないのか。
ただ座らせておくだけの特養に、心のどこかで不満を感じていた。
●絶望感
が、もし、あなたが、(私が)、ああいう部屋に閉じ込められたら、
あなたは、(私は)、どう思うだろうか。
まわりは、ぼんやりとした高齢者ばかり。
大きなベッドに、鼻からチューブを通されて寝ている高齢者もいる。
会話も通じない。
やることは、何もない。
昼間は、ガンガンと、見たくもないテレビを見せつけられる。
あなたなら、(私なら)、その瞬間、絶望感を覚えるにちがいない。
絶望感だ。
その絶望感を、母は覚えた。
確信はないが、入所したとき、母は、まだ冗談が通ずるほど、頭のほうは、
しっかりとしていた。
私の家でも、パイプをつたって、歩いていた。
が、特養に入ったとたん、元気がなくなった。
●死の待合室
絶望……その恐ろしさは、それを経験したものでないとわからない。
心が自分の体から、抜けてしまったかのようになる。
生きる気力そのものが、消えうせる。
「もうダメだ」という思いが、大波のように打ち寄せては消える。
しかしなす術(すべ)は、ない。
虚脱感。
空虚感。
やがて「死」が、すぐそこに見えてくるようになる。
死への恐怖は、そのときには、もう、ない。
特養へ入った母は、恐らくその絶望感を覚えたにちがいない。
もともと気が強い人だった。
プライドも高く、おまけに虚栄心も強かった。
そんな母だったから、まわりに、そういう人たちを見たとき、
自分がそういう立場であることを知った。
もしそれがあなたなら、(私なら)、そのとたん、生きる気力をなくすだろう。
まさにそこは、死の待合室。
●母の様子
それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。
「私にも、わからなかったわ。
お母さんには、快適な場所のように見えたわ」と。
しかしいくら歳をとっても、いくら頭の働きが鈍くなっても、
死への恐怖心はある。
死の恐怖心がある以上、絶望感もある。
(生きたい)という思いと、(死にたくない)という思いが、はげしくぶつかる。
その(生きたい)という思いが消えたとき、(死んでもいい)となる。
絶望した状態というのは、それをいう。
たしかに特養での母は、おだやかで、やさしかった。
すべてを受け入れ、すべてを許しているかのように見えた。
しかしそれはあくまでも、結果。
母は、絶望感を覚えた。
同時に、生きることをあきらめた。
●ワイフの意見
私「今の特養制度にも、大きな問題があるよ」
ワ「そうね」
私「老人をただ生かしておくだけ、という感じがする」
ワ「そう、そう言えば、そうね」
私「どんな老人にも、生きがいが必要だ。その生きがいを用意し、
それを助けてやるシステムが必要だ」
ワ「でも、みんな、精一杯よ。できるかぎりのことをしてるわ」
私「そうかもしれない。でも、もっとできることは、あるはず。
今のような隔離病棟のようなシステムにするのではなく、元気になって、
退所していくような人の姿が見えるようなシステムにする」と。
母も、毎月のように、特養で亡くなっていく人を、見ていたはず。
母にとっては、それがいかにつらいものであったことか。
私には、知る由もなかった。
目先のサービス、たとえば24時間看護、個別の献立、完全冷暖房、
近代的な入浴システム……。
そういったものばかりに目を奪われて、
母の心の中までは見なかった。
しかしそれでは高齢者の心は救えない。
あなただって、(私だって)、それも運がよければの話だが、
いつか、そういうところへ入る。
早いか遅いかのちがいだけ。
そのとき、あなたは、(私は)、どうしてほしいか。
それを考えれば、特養はどうあるべきか、それがわかるはず。
Aさんの母親も、特養へ入ったとたん、元気をなくしたという。
同じような話は、あちこちでも聞く。
しかしそれは、あなたの、(私の)、近未来の姿でもある。
それとも、あなたは、(私は)、もしだれかに、「君たち老人は、だまって
静かに死ね」と言われたら、それに耐えられるだろうか。
まだ言葉も話せない幼児にも、人権はある。
同じように、寝たきりになった高齢者にも、人権はある。
その視点をふみはずして、老人問題を語ることはできない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 老人の人権 高齢者の人権 特別養護老人ホーム 特養 絶望に
ついて 絶望論)
Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司
●マッサージ
今日、生まれてはじめて、マッサージ・パーラーなるものに行ってきた。
外国で、「マッサージ・パーラー」というと、男性に、(最近では女性専用
の所もあるそうだが)、性的なサービスをするところを意味する。
私が行ったのは、もっと健康的なところ。
息子が、サービス券を贈ってくれた。
2枚、あった。
で、私が1枚、ワイフが1枚、使った。
外国のホテルに泊まったようなときは、よくマッサージをしてもらう。
が、今回のように、市中にあるマッサージ・パーラーに行ったのは、はじめて。
私たちも、いよいよ老人の仲間入り!
リラックス・コースというのを選んだが、リラックスできたかどうかは、
わからない。
体中を、いじくり回されただけ。
あとで私が、「どうせするなら、チxチxのほうもしてくれたらよかった」と
言うと、ワイフが、「そんなことしたら、風俗店になってしまうわ」と。
とにかく楽しい経験だった。
料金は、1分で100円。
30分コースで、3000円+消費税。
50分コースで、5000円+消費税。
あとは希望に応じて、料金が決まる。
生まれてはじめての経験だったので、ここに記録しておく。
62歳の誕生日に、よい経験をさせてもらった。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●2012年
2012年に、なにやら、とんでもないことが起こるらしい。
それをテーマにした映画が、ローランド・エメリッヒ監督の、『2012』。
11月21日に、劇場で公開されるという。
楽しみ。
ぜったい、見に行く。
で、つぎからつぎへとこういう映画ができる。
ハリウッドに集まる映画マンには、本当に感心する。
まとめて、「ハルマゲドン映画」という。
迫り来る、危機。
人類滅亡の危機。
みなが恐怖におびえ、逃げまどう。
「もうだめだ」と思ったところに、勇敢なヒーローが現れる。
そのヒーローが地球を救う。
基本的には、ウルトラマン映画と変わらない。
月光仮面でもよい。
筋書きとしては、そういうもの。
あとはどう、それをおもしろおかしく演出するかということ。
で、今回は、真実味をつけるために、マヤの暦を利用した。
が、私はこういう映画が好き。
「2012年に、マヤの予言通り、世界は終わる」と。
映画案内には、こうある。
「高度な天文学、数学の知識をもち、栄えていたマヤ人。
彼らが残した暦には、ある時を境に、それ以降の記述がない。
昔から「世界終末の日」と言われてきた、その暦最後の日は……
2012年12月21日。
あと3年に迫った現在、マヤの予言だけではなく、現代科学も、「2012年
終末説」を裏づけるデータをつぎつぎと、発表している。
太陽の黒点問題。
地球温暖化。
度重なる、自然大災害……。
占星術師は星の中にその兆候を発見し、
数秘術師はそれを予言するパターンを見つけ、
地質学者は、それがいつ起きても不思議でないと言い、
政府関係者や科学者さえも、それを言及している。
もはや、このことを否定できる者はいない」と。
マヤの暦は、2012年12月21日」で終わっているという。
私の家のカレンダーは、2009年12月31日で終わっている。
……というような冗談はさておき、こうした予言は、当たったためしがない。
(当たってもらっては、困るが……。)
10年前には、ノストラダムスの大予言というのが、話題になった。
あれも、完全に、ハズレ!
興味深いのは、こうした予言をもとにして、デタラメな本を書いた人が、
1人とて、責任を取ったことがないこと。
世の中を不安にするだけ不安にしておいて、かつ莫大な印税を手にしておいて、
あとは「知らない」は、ない。
儲けた分くらいは、社会に還元してほしい。
もっとも、本気でそれを信ずる人は、いなかったが……(?)。
で、2012年。
マヤ文明は宇宙人とつながっているという。
私も若いころ、デニケンの本は、何冊か、読んだ。
おもしろかった。
人間だけが、宇宙の、ゆいいつの知的生物という考え方は、おかしい。
人間以外にも、知的生物は、いる。
しかもその知的生物は、私たちの想像をはるかに超えるほど、知的と
考えるのが、正しい。
人間と、庭に遊ぶ山鳩くらいの差は、あるかも。
そういう知的生物なら、かなり正確に、地球の未来を予測することができるはず。
(予言ではなく、予測。)
その予測を、宇宙人は、マヤの人々に伝えた。
デニケンなら、そう判断するだろう。
それが2012年ということになる。
しかしおかしなことに、「2012」という数字がどこから出てきたかというと、
それがよくわからない。
「マヤの暦によれば……」ということらしい。
しかし私が知るかぎり、彼らの文字は、いまだに解読されていないはず。
で、あちこちを調べてみたが、よくわからない。
仮に2012年で暦が終わっているからといって、それが「終末」を意味すると
考えるのは、おかしい。
カレンダーにも限界があるように、マヤの暦にも限界がある。
あったところで、おかしくない。
ひょっとしたら、その程度のことではないのか。
……とは言っても、楽しみ。
私は学生時代から、SF小説が大好き。
その類の本ばかり、読んでいた。
当時は、地球人と木星人との戦争とか、そういう単純なものばかりだった。
が、それでもおもしろかった。
脳みそを刺激するには、この種の映画が、いちばんよい。
なお占星術という言葉が出てきたので、一言。
以前、それについて書いた原稿をさがしてみた。
+++++++++++++++++++++++
●占星術
+++++++++++++++++
今、静かに、かつ密かに、
占星術なるものが、流行している。
街中の片隅で、あるいは、
どこか陰湿なビルの一室で、
あやしげな儀式がが、まこと、
しやかに、行われている。
占星術で占ってもらっているのは、
大半が、若い女性だが、男性もいる。
もちろんそれなりの年配者もいる。
+++++++++++++++++
占星術としてよく知られているのが、ギリシャで発達した、「黄道十二宮(ホロスコープ)
占星術」である。今、日本でいうところの占星術は、この流れをくんだものと考えてよい。
しかし占星術は、何も、それだけではない。星が見えるところ、すべての世界に、それが
ある。興味深いのは、イスラムの世界にも、それがあるということ。
で、占星術では、「万物は、神によって創造された。ならば、その万物の構成要素から、
神の意思を推し量ることができるはず」というのが、その基本になっている。わかりやす
く言えば、太陽も、星も、そして人間も、すべて神が創造したものである。だからそれら
万物は、一体となって、統一性と連続性をもって運行している、と。
そこで天体の星の位置や動きを知ることで、神の意思を知る。ついで、それらと一体と
して連動している、人間の運命を知る、と。
しかし常識で考えても、いろいろ矛盾がある。
たとえば黄道十二宮占星術では、その人の生年月日を基準にするが、母体から離れ出て
誕生した日を生年月日というのも、よくよく考えてみれば、おかしなこと。原理的には、
男の精子が、母親の子宮に着床したときをもって、生年月日と言うべきではないのか。例
がないわけではない。
中国では、年齢をいうとき、(数え年)で数える。つまり生まれたとき、すでに1歳とす
るのは、生まれる前の1年間を、母親の母体内で過ごしていると考えるからである。イス
ラムの世界でも、その人の星位は、受胎時の星位によって決まると考えられている。
ならば私やあなたの誕生年月日は、母体から切り離されたときではなく、ここにも書い
たように、受胎したそのときをもって、決まると考えるのが正しい。少なくとも、占星術
では、出産日ではなく、受胎日を基準にして、その人個人の運勢を占うべきである。
年齢だけではない。占星術といっても、ここに書いた出生によって、その人の運命を判
断する、「出生占星術」、太陽、月、星などの動きから、世界や国の動きを判断する、「全体
占星術」、いつどのような形で行動を始めるかを占う、「開始行動占星術」、そのつど天体の
動きを参考に、質問者の質問に答える、「質問占星術」などがある。
が、何といっても多いのが、ここに書いた、個人の運勢や運命を占う、「運命占星術」。
しかし仮に、万物が神の創造物であるにしても、それは人間という単位。あるいは生物
という単位で、ものを考えるべきではないのか。たとえば公園の広場に住む、アリを考え
てみればよい。もしそこにすむアリたちに、何かの異変が起きるとしたら、公園の工事や、
清掃作業によるもの。しかしこのばあいでも、一匹、一匹のアリがどうこうなるというわ
けではない。公園に住むアリ全体が、その影響を受ける……。
……という話を書くことすら、バカげている。
星の位置といっても、宇宙という3次元の空間にある星々を、地球という一点から、二
次元、つまり天空という平面で見ているにすぎない。星々までの距離は、計算に入れてい
ない。
つまり星の位置といっても、実に自己中心的な視点で、それを見て言っているにすぎな
い。サソリ座だの、何のと、真顔で、口にすること自体、バカげている。宇宙船で、10
0光年も先へ行けば、星座の位置、形、すべてが変わる。1000光年も先に行けば、も
っと、変わる。星位という概念すら、消えてなくなる。
もうひとつつけ加えるなら、占星術は、つねに数学と結びついて発達してきた。占星術イ
コール、数学と考えてよい。
その「数学」が何であるかもわからないような、そこらのオバチャンが、口八丁、手八
丁で、占星術をするから、話がおかしくなる。
こうした占いは、人々の心のスキマをついて、これからもなくなることはないだろう。
しかしこれだけは言える。
「生きることとは考えること」という人にとっては、占いを認めることは、その生きる
ことを放棄することに等しい。占いに頼るということは、考えることを、自ら放棄するよ
うなもの。それでもよいと言うのなら、それはそれでかまわない。そのあとの判断は、そ
れぞれの人の勝手。私の知ったことではない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
占星術 占い 黄道十二宮占星術 ホロスコープ占星術)
【追記】
●占星術(2)
超自然的な絶対性。それが占いの基盤になっている。占星術についても、例外ではない。
占星術も、もとはといえば、万物の創造主たる神の存在を、大前提にしている。つまり占
星術の世界では、この大宇宙も、そして地球上に住む、ありとあらゆる生物も、すべてが
一体として、統一化され、かつ連動しているという考えを、基本とする。
大宇宙は、そのまま私たちが住む小宇宙と、照応関係にあるとみる。
これは何も占星術にかぎらないことだが、占星術も含めて、あらゆる占いには、宗教性
がある。事実、イスラム教の世界では、イスラム教は常に、占星術とともに、歩んできた。
とくに占星術については、占星術イコール、イスラム教と考えてよい。
イスラム教の寺院の天井が、ドーム状になっているのも、そうした教えに基づく。つま
り、そのドームの形そのものが、大宇宙と連動する小宇宙を表現している。
反対に、仮に、占いから、その宗教性を消してしまえば、占いは、占いとしての意味を
なくす。たとえばだれかがあなたの生年月日を聞いたあと、何やら意味のわからない計算
盤を見つめながら、こう言ったとする。
「あなたの寿命は、あと5年です。それを避けるためには、毎晩、床の北東の位置に、
ローソクを立てて眠りなさい」と言ったとする。
信ずるか、信じないかは、あなたの勝手。……というより、それはあなたの宗教性によ
る。意識的であるにせよ、あるいは、ないにせよ、もしあなたが、不可思議なものにたい
して、それを超えた(何か)を、感ずれば、あなたには、その宗教性があるということに
なる。笑って無視すれば、あなたには、その宗教性がないということになる。
その宗教性は、ふとしたきっかけで、信仰心に変身する。信仰心といっても、おおざっ
ぱに言えば、2種類ある。ひとつは、教えを重要視するもの。もうひとつは、超自然的な
パワーを盲信するもの。前者を、哲学主義というなら、後者は、神秘主義ということにな
る。
もちろん、その中間もある。色の濃さも、それぞれの宗教によって、ちがう。宗派によ
っても、ちがう。しかしたいていのばあい、宗教は、信者を問答無用式に黙らせるために、
絶対的な存在を、信仰の中心に置く。「イワシの頭も信心から」とは言うが、イワシの頭で
は、信者を黙らせることはできない。
神や仏がよい。あるいは太陽がよい、月がよい。さらには、星がよい、と。
よく誤解されるが、宗教があるから、信者がいるのではない。宗教を求める信者がいる
から、宗教が生まれる。そしてその宗教も、ビジネスの世界と同じように、需要と供給の
バランス関係によって、発展したり、衰退したりする。
たとえば、私が子どものころには、占星術なるものは、日本には、存在しなかった。ど
こかには、あったのかもしれないが、少なくとも、私たちの目の届くところには、なかっ
た。ただ歴史的には、天空の異変を見ながら、その国の吉凶を占うということは、日本で
も、中国でもあったようだ。
中国における古代天文学は、そうした視点から発達した。
しかしそれが個人レベルの占星術、つまり運勢占星術として、日本で定着し始めたのは、
私の記憶によれば、1970年代以後のことではなかったか。こと「星」について言えば、
日本人は、元来、無頓着な民族と言える。星座、それにつづく天文学については、それに
ついて研究したという史料は、ほとんどといってよいほど、残っていない。(これは多分に、
私の認識不足によるものかもしれないが……。)
占星術も、その後、需要と供給のバランスの中で、発展した。(発達したのではなく、発
展した。誤解のないように。)もっと端的に言えば、心にスキマのある人たちが、より、も
っともらしい(占い)に飛びついた。占星術は、そういう意味で、日本人の需要に、うま
く答えたということになる。
それ以前には、手相、姓名判断、八卦(はっけ)などが、占いとして、日本人の心のス
キマを埋めていた。私の実家では、毎年正月に、近くの神社から配られる、運勢判断を見
ながら、その年の計画を立てる慣わしになっていた。
一方、占星術は、こうした旧来型の占いとちがい、どこか数学的であるという点と、「星」
そのものがもつロマンチックな雰囲気が、若者の心をとらえた。そして今に見る、占星術、
全盛期を迎えるにいたった。
書店でもコンビニでも、その種の本がズラリと並ぶ。占星術師なる人物が、テレビに顔
を出さない日は、ない。
しかしこうした現象が、子どもにとって望ましい現象かどうかということになると、そ
れは疑わしい。占いそのものがもつ非論理性もさることながら、ここにも書いたように、
占いは、神秘主義と結びつきやすく、それがそのまま宗教性へとつながっていく可能性が
高い。あの忌まわしいO真理教による、地下鉄サリン事件以来、カルトと呼ばれる狂信的
宗教団体は、表向きは、なりを潜めている。が、しかし今の今も、社会の水面下で、その
勢力を拡大していることを忘れてはならない。
こうした子どものもつ宗教性が、いつなんどき、そうしたカルトによって利用されるか、
わかったものではない。忘れてならないのは、占いは、立派な、信仰である。しかもその
信仰は、神秘主義そのものである。
何の批判もなく、何の制約もなく、占星術なるものが、大手を振ってこの日本を闊歩(か
っぽ)している。それは子どもたちの未来にとっては、たいへん危険なことと考えてよい。
ペルシャの散文家、ニザーミイー・アルーズィーは、こう書いている。
「占星術師は、魂も性格も清く、人に好かれる人物でなければならない。また外見上、
いくらかの精神錯乱、狂気、預言めいたことを言うのが、この術の必須条件である」と。
つまり「異常な霊感こそが重要」(学研「イスラム教の本」)と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
占星
術 子供の世界 占い 神秘主義 神秘主義的傾向)
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●受験生国家
+++++++++++++++++++++
韓国の受験教育の激しさは、日本の比ではない。
そういうこともあって、韓国のエリートたちは、
いつも(順位)にこだわる。
日本ではニュースにならないようなニュースでも、
彼らには一大事。
ときとして韓国系の新聞に目を通していると。
気分が重くなる。
それはそれとして、朝鮮N報(09・10・27)に、
こんな記事が載っていた。
「世界の豊かさ評価」というのである。
この中で、「日本は、16位」だ、そうだ。
+++++++++++++++++++++
+++++以下、朝鮮N報より+++++
英民間研究機関のレガタム研究所が世界104カ国・地域を対象に「豊かさ」の指標とし
て発表している「レガタム繁栄指数」で、フィンランドがトップとなり、韓国は26位に入
った。韓国経済新聞が26日、英フィナンシャル・タイムズ(FT)を引用して報じた。
フィンランドは経済基盤、統治能力などの側面で最も豊かな国と評価された。レガタム
は、▲経済基盤▲安全保障と治安▲企業家精神と革新▲民主主義▲統治能力▲個人の自由
など九つの要素を考慮し、指数を算出した。
フィンランドは昨年の3位から1位に浮上し、2位以下はスイス、スウェーデン、デンマ
ーク、ノルウェーとなり、北欧3カ国がそろって上位を占めた。上位20カ国のうち80%
は北米、欧州の国々で、米国は9位、英国は12位、フランスは17位、イタリアは21位だ
った。
アジアでは日本が16位でトップ。シンガポールが23位、台湾が24位で続いた。韓国は
26位で、アジアでは4番目だった。韓国は▲経済基盤▲企業家精神と革新▲教育▲統治能
力で高い評価を受けたが、個人の自由に対する評価は振るわなかった。
今回の調査では、新興のBRICs各国の間で格差が目立った。ブラジルが41位、インド
が45位に入ったのに対し、ロシアは69位、中国は75位にとどまった。レガタムのインボ
ーデン副会長は「ブラジルとインドは法治、透明性、責任性などでロシア、中国を上回っ
た」と説明した。内戦に苦しむジンバブエが最下位となり、イエメン、スーダンなども最
下位圏だった。
+++++以上、朝鮮N報より+++++
●豊かさ
「豊かさ」というのは、それを知っている人は、知っている。
知らない人は、知らない。
知らない人は、自分のレベルで、それを(豊かさ)と思い込む。
お金があるから、「豊か」ということにはならない。
モノがあふれかえっているから、「豊か」ということにもならない。
わかりきったことだが、それを知るためには、一度、自分の(豊かさ)を、
日本の外からながめてみる必要がある。
そういう点では、英民間研究機関のレガタム研究所の公表した順位には、
それなりの意味がある。
日本が16位というのを聞いて、「そうかなあ?」と思ってみたり、
「そんなものだろうな」と思ってみたりする。
記事には、「フィンランドは昨年の3位から1位に浮上し、2位以下はスイス、スウェー
デン、デンマーク、ノルウェーとなり、北欧3カ国がそろって上位を占めた」とある。
この記事に異論はない。
その一方で、「中国が75位」というのも、よ~く、わかる。
ここ10年以上、中国本土からやってきた中国人とは、どうも相性が合わない。
会えば、マネーの話ばかり。
その上、自信を持ち始めたのか、威張っている。
日本人を毛嫌いしていて、それを露骨に表現する。
そういう点では、日本人は、おとなになりつつある。
(豊かさ)というのが、どういうものか、知り始めている。
30~40年前の日本人は、現在の中国人に劣らぬほど、心が貧しかった。
今にして思うと、それがよ~く、わかる。
それにしても、韓国人は、何かにつけ、順位を気にする。
つまりそれだけ、心が貧しいということ。
「韓国は26位」というが、実際には、もう少し低いのでは?
たとえば市内には、最近韓国からやってきた人が開いた飲食店が、いくつかある。
韓国料理は嫌いではないが、どうも、入りづらい。
そういう店は、どこか雰囲気がちがう。
店の中の座敷に、その飲食店の店主の子どもが、寝そべって本を読んでいたりする。
そういうのに、違和感を覚える。
その(違和感)こそが、(豊かさ)のちがいということになる。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●WINDOW7
WINDOW7が発売になって、ちょうど1週間が過ぎた。
評判は、よい。
昨日、コンビニで、『日経PC21』(12月号)を買ってきた。
表紙に、「全部見せます! Window7」とあった。
寝床へ入ってから、特集記事を読んだ。
(パート1)新機能編
(パート2)乗り換え編
(パート3)環境設定編
(パート4)互換性編
(パート5)PC購入編
ざっと読んでみたが、この世界、ついていくだけでも、たいへん。
それなりの専門家ならまだしも、私のような(ふつうの人)には、
その時間さえない。
読み終えたとき、「ますます二極化が進むだろうな」と思った。
(パソコンを使う人)と(まったく使わない人)。
それが両極端に分かれる。
とくに50代以上の人の間で、それが進む。
たとえばWINDOW7では、メールソフトなど、いわゆる定番ソフトは、
自分でインストールして使う。
しかし今の今でさえ、メールアカウントを、自分で設定できない人は多い。
それを、「自分でインストールして……」となると、さらにハードルが
高くなる。
インターネットをするといえば、メールのやり取りをいう。
どうしてWINDOW7では、それをはずしたのか。
理解に苦しむ。
なお、インターネット・エクスプローラ(IE)や、メディアプレーヤー
などは、最初から組み込まれているという。
やっとビスタを使い慣れてきたというのに、今度は、WINDOW7。
頭の刺激にはなるが、一方で、お金の問題も起きてくる。
ほんの10年前には、パソコンというと、20~30万円が相場だった。
高価なものだから大切に使ったが、今では周辺機器も含めて、すべてガラクタ。
だから今では、ことパソコンについて言えば、「大切に使っても意味がない」
という、おかしな感覚が働く。
「どうせ、4、5年もすれば、ガラクタになるから……」と。
パソコンというのは、(ビデオカメラもデジタルカメラも、そうだが)、
保証期間中は、使って使って使いまくる。
ボロボロになるまで、使いまくる。
少なくとも、磨いて、棚にしまっておくようなものではない。
もちろん骨董的価値が出てくるということは、ぜったいに、ない。
かく言う私も、今度の日曜日に、WINDOW7に、乗り換えるつもり。
その作業をするつもり。
楽しみ!
●同窓会名簿
昨日、同窓会名簿を、戸棚にしまった。
ああいうのは、あまり見ない方がよい。
一度見出すと、気になってしかたなくなる。
「あの人は、どうなった?」「この人は、どうなった?」と。
しかしその動機が問題。
のぞき趣味的な、イヤーナ好奇心。
それが自分でも、よくわかる。
私は私。
人は人。
それで、よい。
たぶん、中には、同窓会名簿を見て、私のことを調べている人もいるかも
しれない。
どうせ2度と会うこともないから、「ご勝手に!」と言いたいが、本音を
言えば、「放っておいてほしい」。
一度調べたことがあるが、アメリカやオーストラリアを含む欧米の学校には、
同窓会(Class Reunion Party)というのは、ない。
学校のシステムそのものが、ちがう。
(ただしカレッジごと、大学ごとの、同窓会はある。)
日本では、年齢別に学年が分かれ(学年制度)、かつ1つのクラスに担任の
教師がつく(担任制度)。
が、欧米には、そういった制度そのものがない。
が、日本では、同窓会を大切にする。
その中における、先輩、後輩意識も強い。
江戸時代の身分制度が、学歴制度に置き換わったという経緯(いきさつ)もある。
その人の出身校で、その人を判断するという意識も、いまだに根強く残っている。
が、同窓会には、もうひとつの意味が隠されている。
人も晩年になると、回顧性が強くなる。
未来を見る展望性より、過去をなつかしむ回顧性が強くなる。
そのために50歳をすぎると、同窓会の回数が、急速にふえてくる。
しかしそれをよしとしてはいけない。
回顧性などというものは、戦うべきものであって、受け入れるべきものではない。
私たちは常に、未来に向かって、前向きに生きていく。
そうでなくても、私たちの年代になると、くじけやすくなる。
過去を振り返りたくなる。
が、一度回顧性に毒されると、それこそ、毎日仏壇の金具を磨いて過ごすようになる。
そうなったら、片足を棺おけに入れたも、同然。
そこで時間は止まる。
回顧性に浸るのは、最後の最後でよい。
……ということで、同窓会名簿は、戸棚にしまった。
そうでなくても、他人の動向を詮索するのは、よくない。
昼のワイドショーのように、低劣で、不快。
タレントの私生活を暴いては、ワイワイと騒いでいる。
ああいう人たちのまねだけは、したくない。
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 11月 30日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●睡眠障害(ナルコレプシー)
このところ、朝早く、目が覚める。
理由が、ある。
もともとそういうことはあったが、
昼寝の時間が長くなった。
以前は、昼寝といっても、うたた寝程度。
時間にすれば、30分前後。
それが最近では、長いときは、1時間半ほど、
眠ってしまう。
それで、その分だけ、朝早く目が覚めるようになった。
(あるいは、その逆かもしれない。)
で、今朝も、午前4時に起きた。
先週くらいまでは、それでも……と思って、
目を閉じたまま、横になっていた。
加えて、外気が冷たかった。
起き上がるのが、つらかった。
が、そうしていても、頭の中は、どんどんと、冴えていくばかり。
だからこうして思い切って、起きることにした。
だから、午前4時。
睡眠障害といえば、ナルコレプシーがある。
日中、感情が高ぶったようなときに、ふいに眠ったような状態になる。
かくんと全身から、力が抜けたような状態になる。
が、本人は、「眠っていない」と、言い張る。
意識はしっかりとしている。
幼児では珍しい。
私も過去40年間に、1例しか経験していない。
しかし中高校生になると、急にふえてくる。
何かのことで強く叱ったり、あるいは本人自身が興奮状態に
なったようなとき、そうなる。
そのとき子どもによっては、(もちろんおとなもそうだが……)、
勝手な行動をすることもある。
つまり体が、勝手に動いてしまう。
こういうのを、「自動行動」と呼ぶ。
大切なお知らせを、ふいにゴミ箱へ捨てたりする。
「A先生に渡して」と言って、渡したメモを、B先生に渡してしまったりする。
「どうしてそんなことをするの?」と、たしなめても、
本人には、その自覚がない。
意識的な行為というよりは、無意識的な行為である。
健常者でも、似たような行為をすることがある。
たとえば、そこにかなり背の低い人がいたとする。
だから内心では、「身長の話題は避けよう」と思っている。
が、何かの拍子に、ふいに、身長の話をしてしまう。
こうした現象が、ナルコレプシーでは、極端な形で現れる。
原因は、睡眠障害と考えられている。
ふつう人は、睡眠中、ノン・レム睡眠→レム睡眠を、5~6回繰り返す。
そのリズムが乱れる。
それが慢性化する。
結果として、特異な症状を表すようになる。
そういう意味でも、規則正しい生活は、重要である。
夜遅くまで、興奮性の強いゲームをする。
徹夜で、受験勉強をする。
このタイプの子どもが、ナルコレプシーになりやすい(?)。
で、私のばあい、迷っている。
このまま今のように、昼寝時間を長くして調整するか。
それとも昼寝時間を短くして、夜の睡眠時間を長くするか。
たまたまおとといは、昼寝なしで、がんばってみた。
昨日も、昼寝をしないようにと、がんばってみた。
(夕方、15分程度、椅子に座ったまま、うたた寝をしてしまったが……。)
が、こういう日が数日もつづくと、頭の中がモヤモヤとするだけで、
ものが書けなくなってしまう。
注意力が散漫になってしまう。
やはり体のことは、自然に任せるのがよい。
何ごとにつけても、自然体。
それが一番。
国によっては、昼寝を日課にしているところもある。
ただ気になっていることが、ひとつ、ある。
私とワイフは、ときどき、仕事が終わってから、深夜劇場に足を運んでいる。
時間的には、午後9時以後~ということになる。
家に帰ってくるのは、そういう日は、夜中の12時前後。
そういう生活は、あまり好ましくない。
自分でも、よくわかっている。
これからは別の方法を考えよう。
++++++++++++++++++++
以前、ナルコレプシーではないかと思われる女性がいた。
その人について、その雇い主の方から、相談があった。
その女性は子どものころ、ADHDと診断され、
薬をのんでいたという。
で、今もそれではないか、と。
女性の年齢はわからないが、20歳前後と思われる。
で、立ち話だったので、私は「おとなのADHDは
珍しい。女性のばあい、多弁性が残ることが多いが、
症状としては、落ち着いてくる。子どものころ、
ADHDではなく、活発型自閉症児ではなかったのか」
と話した。
で、翌朝、その女性に症状について詳しく書かれた
メールが、届いていた。
その返事。
++++++++++++++++++++
(補足)ナルコレプシー
SW様へ
おはようございます!
メール、ありがとうございました。
「活発型自閉症」というのは、もう20~30年前までの用語です。
今は、「自閉症スペクトラム」と言います。
当時は、(今もそうですが)、活発型自閉症児と、ADHD児の区別は、
たいへんむずかしいです。
ADHD児は、思考や行動は明晰であるという点で、区別していました。
で、いただいた女性の件ですが、私は、「ADHDではないと思う」と言いました。
おとなになると、表面的な症状はわかりにくくなります。
女性のばあい、ふつうでない多弁性だけは残りますが、ほかの症状は、落ち着いて
きます。
しかしメールによれば、主症状は、注意力散漫、居眠りということですから、
活発型自閉症のおとな型というよりは、ナルコレプシーではないかと
思いました。
ご存知のように、私たちの年齢層には、睡眠時無呼吸症候群という
恐ろしいのもありますが、これは私たちの年代で、かつ肥満型の人に多いものです。
このタイプの人も、日中、突然の睡眠に襲われたりします。
ナルコレプシーのばあいも、突然眠ったような状態になります。
が、そのとき、意識は残ったままになるので、「私は眠っていません」となるのです。
で、ナルコレプシーについては、
以下のHPをさがしてみました。
いちばん詳しく書かれていると思います。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~narukohp/3100.html#Q102
(↑)をクリックしてみてください。
その女性のばあい、(内面的な激怒)が引き金となり、ナルコレプシーを
引き起こすのではないかと思われます。
過去のADHDは、関係ないと思われます。
というのも、ADHD児(子どものばあい)でも、居眠りは、起きません。
ADHDの症状はあったかもしれませんが……。
それは現在の症状とは、関係ないと思われます。
また子どもの世界にも、勝手に別の行動をしてしまう(自動行動)子どもも
ときどき見られます。
ふつう激怒をともないますので、かんしゃく発作ということで、
片づけてしまうことも多いです。
(というのも、私には診断権はないものですから……。)
その女性のばあいも、自動行動が見られるようですね。
もしそうだとするなら、医療従事者としては、不向きかもしれません。
薬をまちがえられたら、こわいですから……。
話は変わりますが、活発型自閉症児と呼んでいた子どもは、
始終、動き回り、勝手な行動を繰り返します。
健常児のような会話ができません。
ADHD児は、そのつど、会話はできます。
強く叱れば、瞬間ですが、シュンとおとなしくなったりします。
が、今では、自閉症による症状が、きわめて多岐にわたり、
また千差万別。
境界がはっきりしないということで、「自閉症スペクトラム」という
言葉を使います。
この点については、立ち話での応答ということもあり、いいかげんな
ものでした。
どうかお許しください。
つまり「おとなのADHDは珍しい」ということで、同じような
症状としては……ということで、「活発型自閉症児」という
言葉をあげました。
しかしメールによれば、ナルコレプシーでは(?)と思うように
なりました。
もちろんこれは私のひとつの意見にすぎません。
以前、そういう子ども(年長・女児)がいました。
睡眠指導をあれこれしてみましたが、効果はありませんでした。
しかしナルコレプシーは、子どもには、たいへん珍しく、
中学、高校くらいから、多くなります。
強く叱ったとたん、かくんと眠ったような状態になる、
あるいは、気を失ったような状態になります。
以上ですが、おとなの世界のことは、本当のところ、
よくわかりません。
ごめんなさい。
では、
はやし浩司
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●満62歳の誕生日に
+++++++++++++++++++++
明日、私は満62歳になる。
62歳?
62歳ねエ~?
「62歳」と言って、
最初に思い浮かんだ言葉が、これ。
「もう2年も、たったのかア」と。
つい先日、「還暦」という言葉に踊らされたばかり。
そんな感じがする。
つまり加齢とともに、脳のクロック数が
落ちるため(はやし浩司説)、
すべての活動のテンポが遅くなる。
そのため、時間が早く進むように感ずるように
なる(これも、はやし浩司説)。
たとえば若いころの脳のクロック数を、
毎秒100ヘルツとする。
現在は、半分の毎秒50ヘルツとする。
すると見かけは同じ状態でも、実感時間は、
若いころの半分になる。
つまり2倍、早く時間が過ぎることになる。
しかし脳全体の機能が速度的に落ちるため、それを
自分で実感することはできない。
(どこか、アインシュタインの相対性理論に似ている?)
このことは、幼児を教えてみると、よくわかる。
もし幼児を、私のもつテンポで教えたら、幼児は、
あっという間に、私のレッスンに飽きてしまうだろう。
そこで私は、幼児のもつクロック数で、教える。
幼児のもつクロック数は、おとなのそれよりも、
はるかに速い。
教える側が、もたもたしていると、すぐ、「つまんナ~イ」
という言葉がはね返ってくる。
(こうした様子は、HP(BW公開教室)で、公開中!)
一方、高齢者のクロック数は、低い。
50どころか、20とか、10にまで下がる。
見た目には、ゆったりと時間が流れるが、
その分だけ、高齢者にとっては、早く時間が過ぎる。
……というわけで、もう2年も過ぎた。
あっという間だった。
この2年間で、私は何をしたか?
何ができたか?
中身を見ていくと、結構いろいろあったような気がする。
母の介護と死去。
その間に、兄の死去。
先月は実家を売却して、故郷とは縁を切った。
精神的には、激動の2年間だった。
(少しおおげさかな?)
が、それでもあっという間に過ぎた。
そんな感じがする。
が、過去は過去。
私には、つぎの1年間が待っている。
いろいろ計画がある。
したいこともある。
すべきこともある。
しかし1年といっても、日々の積み重ねで決まる。
その日々は、今という、一瞬、一瞬の積み重ねで決まる。
大切なことは、クロック数を落とさないこと。
鋭敏さを失わないこと。
それは何度も書くが、健康論と同じ。
日々の体力づくりのみが、明日の健康を約束する。
立ち止まったとたん、そのときから、
健康は、下り坂に向かって、まっしぐら!
新聞を読もう。
本を読もう。
音楽を聴こう。
映画を見よう。
旅をしよう。
人に会おう。
新しいものに興味をもとう。
仕事をしよう。
体を動かそう。
それでクロック数があがるとは思わない。
が、しかし維持することはできる。
50ヘルツなら、50ヘルツでもよい。
その50ヘルツを、できるだけ長く維持する。
つまり長生きするといっても、クロック数が
5ヘルツや10ヘルツでは、しかたない。
で、今日、小学5年生の子どもたちに会うから、
つぎのような問題を出してみよう。
【問】
脳のクロック数が、毎秒100ヘルツの人が、
10年、生きたとする。
一方、脳のクロック数が、毎秒50ヘルツの人が、
20年、生きたとする。
どちらの人が、長生きをしたことになるか。
きっと子どもたちは、「20年、生きた人」と
答えるだろう。
そこで私は、コンピュータを例にあげて説明したあと、
おもむろに、こう教える。
100x10=1000
50x20=1000で、
「実は中身は、同じだよ」と。
平たく言えば、人生の長さは、年数の長さでは
決まらない。
大切なのは、密度。
密度で決まる。
それがわからなければ、あなたも一度でよいから、
あの特別擁護老人ホームにいる老人たちを
のぞいて見てみたらよい。
ホームのテレビの前に座っている老人たちは、
ぼんやりとしたまま、その日、その日を、
過ごしているだけ。
あとは食事をしているか、眠っているだけ。
毎日、同じことしか言わない老人もいる。
1年を1日のようにして、生きている。
やがて私たちも、ああなる。
まちがいなく、ああなる。
が、その時期は、できるだけ先に延ばしたい。
先に延ばして、自分の人生を、2倍にしたい。
3倍にしたい。
どうせ、たった1回しかない人生だから。
……というのが、満62歳の私の抱負と
いうことになる。
けっして立ち止まらない。
ただひたすら前に向かって進む。
そう、あのスティーブンソン(「宝島」の著者)も
こう書いている。
『我らが目的は、成功することではない。
失敗にめげず、前に進むことである』と。
この言葉をもじると、こうなる。
『我らが目的は、年齢に応じた生き方をすることではない。
年齢を無視して、前に進むことである』と。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
● 10月28日
平凡は美徳だが、その美徳に溺れてはいけない。
溺れたとたん、平凡のワナにはまる。
マンネリの世界に陥る。
そこは「虚」の世界。
変化がなく、退屈な世界。
そこで重要なことは、平凡を感じたら、平凡を旨(むね)としつつ、
変化と刺激を求める。
その変化と刺激が、人生を、潤い豊かなものにする。
……とまあ、自分にそう言い聞かせながら、今日も始まった。
昨夜は遅くまで、温泉へ行ってきた。
舘山寺にそういう温泉があって、1~2時間、そこで過ごすことができる。
「静岡県最大級の浴場」という。
平日の、午後7時以後に行くと、ガラガラ。
昨夜も、男湯のほうは、私と長男だけ。
途中、外人の男が2人、入ってきたが、サウナにしばらく入ったあと、すぐ、
出て行ってしまった。
雰囲気的に、同性愛者という感じがした。
その疲れというか、気(け)だるさがまだ残っている。
脳みその緊張感は緩んだまま。
いろいろ書きたいことはあるが、それが頭の中でまとまらない。
言うなれば、霧のよう。
それがモヤモヤと漂っている。
そうそう、ワイフの話では、昨日、山鳩の雛が2羽、私の家の庭に
戻ってきたという。
よかった!
おとといは雨。
冷たい雨だった。
その雨を見ながら、雛のことを心配していた。
で、今日は、私の誕生日。
どうということのない誕生日。
いつもと変わらぬ、1日。
昨夜、三男から電話があった。
「明日は、ぼくの誕生日だから、電話してよ」と言ったら、「わかった」と。
まあ、その程度。
昔から、誕生日は、家族だけで祝うようにしてきた。
それでここ10年は、さみしい誕生日になってしまった。
Happy Birthday to Me!
Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司
●絶望
++++++++++++++++++
Aさん(女性)が、こう言った。
「うちの母(87歳)は、特養(特別養護
老人ホーム)へ入れたとたん、歩かなく
なってしまった。
車椅子に座ったまま、動こうともしない」と。
それを聞いて、「しまった!」と思った。
ショックだった。
うすうす、そうではないかと感じてはいたが、
やはりそうだった!
+++++++++++++++++++++
●私の母
そのときは、そのつもりはなかった。
予約するつもりだけだった。
そのつもりで、近くの特養へ行くと、たまたま園長が応対してくれた。
そのときは、その女性が、園長ということも知らなかった。
で、園長はこう言った。
「ちょうど1人、病院へ移りました。
今なら、すぐ入れます」と。
家に帰って迷っていると、義姉がこう言った。
「すぐ、入れなさい。
順番を待っていたら、早くても1年後とか2年後になるわよ」と。
そこで母を、特養に入れることにした。
●特養の問題
最初、1週間は、毎日、母のところへ通った。
そのたびに、母は、こう言った。
「K村(=母の実家のある村)へ、帰りたい」と。
私とワイフは、そういう母を懸命になだめた。
が、それも一巡すると、母から急速に元気がなくなっていった。
それまでは、デイサービスのときも、どこかに緊張感があった。
その緊張感が、消えた。
その母も、特養では、まったくといってよいほど、運動をしなくなった。
私はそれは、特養のシステムのせいだと思っていた。
介護度が低い高齢者については、いろいろな療法がしてもらえる。
しかし介護度4以上の入所者については、しない、と。
が、いくら介護度が高くても、何かの療法は、必要ではないのか。
ただ座らせておくだけの特養に、心のどこかで不満を感じていた。
●絶望感
が、もし、あなたが、(私が)、ああいう部屋に閉じ込められたら、
あなたは、(私は)、どう思うだろうか。
まわりは、ぼんやりとした高齢者ばかり。
大きなベッドに、鼻からチューブを通されて寝ている高齢者もいる。
会話も通じない。
やることは、何もない。
昼間は、ガンガンと、見たくもないテレビを見せつけられる。
あなたなら、(私なら)、その瞬間、絶望感を覚えるにちがいない。
絶望感だ。
その絶望感を、母は覚えた。
確信はないが、入所したとき、母は、まだ冗談が通ずるほど、頭のほうは、
しっかりとしていた。
私の家でも、パイプをつたって、歩いていた。
が、特養に入ったとたん、元気がなくなった。
●死の待合室
絶望……その恐ろしさは、それを経験したものでないとわからない。
心が自分の体から、抜けてしまったかのようになる。
生きる気力そのものが、消えうせる。
「もうダメだ」という思いが、大波のように打ち寄せては消える。
しかしなす術(すべ)は、ない。
虚脱感。
空虚感。
やがて「死」が、すぐそこに見えてくるようになる。
死への恐怖は、そのときには、もう、ない。
特養へ入った母は、恐らくその絶望感を覚えたにちがいない。
もともと気が強い人だった。
プライドも高く、おまけに虚栄心も強かった。
そんな母だったから、まわりに、そういう人たちを見たとき、
自分がそういう立場であることを知った。
もしそれがあなたなら、(私なら)、そのとたん、生きる気力をなくすだろう。
まさにそこは、死の待合室。
●母の様子
それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。
「私にも、わからなかったわ。
お母さんには、快適な場所のように見えたわ」と。
しかしいくら歳をとっても、いくら頭の働きが鈍くなっても、
死への恐怖心はある。
死の恐怖心がある以上、絶望感もある。
(生きたい)という思いと、(死にたくない)という思いが、はげしくぶつかる。
その(生きたい)という思いが消えたとき、(死んでもいい)となる。
絶望した状態というのは、それをいう。
たしかに特養での母は、おだやかで、やさしかった。
すべてを受け入れ、すべてを許しているかのように見えた。
しかしそれはあくまでも、結果。
母は、絶望感を覚えた。
同時に、生きることをあきらめた。
●ワイフの意見
私「今の特養制度にも、大きな問題があるよ」
ワ「そうね」
私「老人をただ生かしておくだけ、という感じがする」
ワ「そう、そう言えば、そうね」
私「どんな老人にも、生きがいが必要だ。その生きがいを用意し、
それを助けてやるシステムが必要だ」
ワ「でも、みんな、精一杯よ。できるかぎりのことをしてるわ」
私「そうかもしれない。でも、もっとできることは、あるはず。
今のような隔離病棟のようなシステムにするのではなく、元気になって、
退所していくような人の姿が見えるようなシステムにする」と。
母も、毎月のように、特養で亡くなっていく人を、見ていたはず。
母にとっては、それがいかにつらいものであったことか。
私には、知る由もなかった。
目先のサービス、たとえば24時間看護、個別の献立、完全冷暖房、
近代的な入浴システム……。
そういったものばかりに目を奪われて、
母の心の中までは見なかった。
しかしそれでは高齢者の心は救えない。
あなただって、(私だって)、それも運がよければの話だが、
いつか、そういうところへ入る。
早いか遅いかのちがいだけ。
そのとき、あなたは、(私は)、どうしてほしいか。
それを考えれば、特養はどうあるべきか、それがわかるはず。
Aさんの母親も、特養へ入ったとたん、元気をなくしたという。
同じような話は、あちこちでも聞く。
しかしそれは、あなたの、(私の)、近未来の姿でもある。
それとも、あなたは、(私は)、もしだれかに、「君たち老人は、だまって
静かに死ね」と言われたら、それに耐えられるだろうか。
まだ言葉も話せない幼児にも、人権はある。
同じように、寝たきりになった高齢者にも、人権はある。
その視点をふみはずして、老人問題を語ることはできない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 老人の人権 高齢者の人権 特別養護老人ホーム 特養 絶望に
ついて 絶望論)
Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司
●マッサージ
今日、生まれてはじめて、マッサージ・パーラーなるものに行ってきた。
外国で、「マッサージ・パーラー」というと、男性に、(最近では女性専用
の所もあるそうだが)、性的なサービスをするところを意味する。
私が行ったのは、もっと健康的なところ。
息子が、サービス券を贈ってくれた。
2枚、あった。
で、私が1枚、ワイフが1枚、使った。
外国のホテルに泊まったようなときは、よくマッサージをしてもらう。
が、今回のように、市中にあるマッサージ・パーラーに行ったのは、はじめて。
私たちも、いよいよ老人の仲間入り!
リラックス・コースというのを選んだが、リラックスできたかどうかは、
わからない。
体中を、いじくり回されただけ。
あとで私が、「どうせするなら、チxチxのほうもしてくれたらよかった」と
言うと、ワイフが、「そんなことしたら、風俗店になってしまうわ」と。
とにかく楽しい経験だった。
料金は、1分で100円。
30分コースで、3000円+消費税。
50分コースで、5000円+消費税。
あとは希望に応じて、料金が決まる。
生まれてはじめての経験だったので、ここに記録しておく。
62歳の誕生日に、よい経験をさせてもらった。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●2012年
2012年に、なにやら、とんでもないことが起こるらしい。
それをテーマにした映画が、ローランド・エメリッヒ監督の、『2012』。
11月21日に、劇場で公開されるという。
楽しみ。
ぜったい、見に行く。
で、つぎからつぎへとこういう映画ができる。
ハリウッドに集まる映画マンには、本当に感心する。
まとめて、「ハルマゲドン映画」という。
迫り来る、危機。
人類滅亡の危機。
みなが恐怖におびえ、逃げまどう。
「もうだめだ」と思ったところに、勇敢なヒーローが現れる。
そのヒーローが地球を救う。
基本的には、ウルトラマン映画と変わらない。
月光仮面でもよい。
筋書きとしては、そういうもの。
あとはどう、それをおもしろおかしく演出するかということ。
で、今回は、真実味をつけるために、マヤの暦を利用した。
が、私はこういう映画が好き。
「2012年に、マヤの予言通り、世界は終わる」と。
映画案内には、こうある。
「高度な天文学、数学の知識をもち、栄えていたマヤ人。
彼らが残した暦には、ある時を境に、それ以降の記述がない。
昔から「世界終末の日」と言われてきた、その暦最後の日は……
2012年12月21日。
あと3年に迫った現在、マヤの予言だけではなく、現代科学も、「2012年
終末説」を裏づけるデータをつぎつぎと、発表している。
太陽の黒点問題。
地球温暖化。
度重なる、自然大災害……。
占星術師は星の中にその兆候を発見し、
数秘術師はそれを予言するパターンを見つけ、
地質学者は、それがいつ起きても不思議でないと言い、
政府関係者や科学者さえも、それを言及している。
もはや、このことを否定できる者はいない」と。
マヤの暦は、2012年12月21日」で終わっているという。
私の家のカレンダーは、2009年12月31日で終わっている。
……というような冗談はさておき、こうした予言は、当たったためしがない。
(当たってもらっては、困るが……。)
10年前には、ノストラダムスの大予言というのが、話題になった。
あれも、完全に、ハズレ!
興味深いのは、こうした予言をもとにして、デタラメな本を書いた人が、
1人とて、責任を取ったことがないこと。
世の中を不安にするだけ不安にしておいて、かつ莫大な印税を手にしておいて、
あとは「知らない」は、ない。
儲けた分くらいは、社会に還元してほしい。
もっとも、本気でそれを信ずる人は、いなかったが……(?)。
で、2012年。
マヤ文明は宇宙人とつながっているという。
私も若いころ、デニケンの本は、何冊か、読んだ。
おもしろかった。
人間だけが、宇宙の、ゆいいつの知的生物という考え方は、おかしい。
人間以外にも、知的生物は、いる。
しかもその知的生物は、私たちの想像をはるかに超えるほど、知的と
考えるのが、正しい。
人間と、庭に遊ぶ山鳩くらいの差は、あるかも。
そういう知的生物なら、かなり正確に、地球の未来を予測することができるはず。
(予言ではなく、予測。)
その予測を、宇宙人は、マヤの人々に伝えた。
デニケンなら、そう判断するだろう。
それが2012年ということになる。
しかしおかしなことに、「2012」という数字がどこから出てきたかというと、
それがよくわからない。
「マヤの暦によれば……」ということらしい。
しかし私が知るかぎり、彼らの文字は、いまだに解読されていないはず。
で、あちこちを調べてみたが、よくわからない。
仮に2012年で暦が終わっているからといって、それが「終末」を意味すると
考えるのは、おかしい。
カレンダーにも限界があるように、マヤの暦にも限界がある。
あったところで、おかしくない。
ひょっとしたら、その程度のことではないのか。
……とは言っても、楽しみ。
私は学生時代から、SF小説が大好き。
その類の本ばかり、読んでいた。
当時は、地球人と木星人との戦争とか、そういう単純なものばかりだった。
が、それでもおもしろかった。
脳みそを刺激するには、この種の映画が、いちばんよい。
なお占星術という言葉が出てきたので、一言。
以前、それについて書いた原稿をさがしてみた。
+++++++++++++++++++++++
●占星術
+++++++++++++++++
今、静かに、かつ密かに、
占星術なるものが、流行している。
街中の片隅で、あるいは、
どこか陰湿なビルの一室で、
あやしげな儀式がが、まこと、
しやかに、行われている。
占星術で占ってもらっているのは、
大半が、若い女性だが、男性もいる。
もちろんそれなりの年配者もいる。
+++++++++++++++++
占星術としてよく知られているのが、ギリシャで発達した、「黄道十二宮(ホロスコープ)
占星術」である。今、日本でいうところの占星術は、この流れをくんだものと考えてよい。
しかし占星術は、何も、それだけではない。星が見えるところ、すべての世界に、それが
ある。興味深いのは、イスラムの世界にも、それがあるということ。
で、占星術では、「万物は、神によって創造された。ならば、その万物の構成要素から、
神の意思を推し量ることができるはず」というのが、その基本になっている。わかりやす
く言えば、太陽も、星も、そして人間も、すべて神が創造したものである。だからそれら
万物は、一体となって、統一性と連続性をもって運行している、と。
そこで天体の星の位置や動きを知ることで、神の意思を知る。ついで、それらと一体と
して連動している、人間の運命を知る、と。
しかし常識で考えても、いろいろ矛盾がある。
たとえば黄道十二宮占星術では、その人の生年月日を基準にするが、母体から離れ出て
誕生した日を生年月日というのも、よくよく考えてみれば、おかしなこと。原理的には、
男の精子が、母親の子宮に着床したときをもって、生年月日と言うべきではないのか。例
がないわけではない。
中国では、年齢をいうとき、(数え年)で数える。つまり生まれたとき、すでに1歳とす
るのは、生まれる前の1年間を、母親の母体内で過ごしていると考えるからである。イス
ラムの世界でも、その人の星位は、受胎時の星位によって決まると考えられている。
ならば私やあなたの誕生年月日は、母体から切り離されたときではなく、ここにも書い
たように、受胎したそのときをもって、決まると考えるのが正しい。少なくとも、占星術
では、出産日ではなく、受胎日を基準にして、その人個人の運勢を占うべきである。
年齢だけではない。占星術といっても、ここに書いた出生によって、その人の運命を判
断する、「出生占星術」、太陽、月、星などの動きから、世界や国の動きを判断する、「全体
占星術」、いつどのような形で行動を始めるかを占う、「開始行動占星術」、そのつど天体の
動きを参考に、質問者の質問に答える、「質問占星術」などがある。
が、何といっても多いのが、ここに書いた、個人の運勢や運命を占う、「運命占星術」。
しかし仮に、万物が神の創造物であるにしても、それは人間という単位。あるいは生物
という単位で、ものを考えるべきではないのか。たとえば公園の広場に住む、アリを考え
てみればよい。もしそこにすむアリたちに、何かの異変が起きるとしたら、公園の工事や、
清掃作業によるもの。しかしこのばあいでも、一匹、一匹のアリがどうこうなるというわ
けではない。公園に住むアリ全体が、その影響を受ける……。
……という話を書くことすら、バカげている。
星の位置といっても、宇宙という3次元の空間にある星々を、地球という一点から、二
次元、つまり天空という平面で見ているにすぎない。星々までの距離は、計算に入れてい
ない。
つまり星の位置といっても、実に自己中心的な視点で、それを見て言っているにすぎな
い。サソリ座だの、何のと、真顔で、口にすること自体、バカげている。宇宙船で、10
0光年も先へ行けば、星座の位置、形、すべてが変わる。1000光年も先に行けば、も
っと、変わる。星位という概念すら、消えてなくなる。
もうひとつつけ加えるなら、占星術は、つねに数学と結びついて発達してきた。占星術イ
コール、数学と考えてよい。
その「数学」が何であるかもわからないような、そこらのオバチャンが、口八丁、手八
丁で、占星術をするから、話がおかしくなる。
こうした占いは、人々の心のスキマをついて、これからもなくなることはないだろう。
しかしこれだけは言える。
「生きることとは考えること」という人にとっては、占いを認めることは、その生きる
ことを放棄することに等しい。占いに頼るということは、考えることを、自ら放棄するよ
うなもの。それでもよいと言うのなら、それはそれでかまわない。そのあとの判断は、そ
れぞれの人の勝手。私の知ったことではない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
占星術 占い 黄道十二宮占星術 ホロスコープ占星術)
【追記】
●占星術(2)
超自然的な絶対性。それが占いの基盤になっている。占星術についても、例外ではない。
占星術も、もとはといえば、万物の創造主たる神の存在を、大前提にしている。つまり占
星術の世界では、この大宇宙も、そして地球上に住む、ありとあらゆる生物も、すべてが
一体として、統一化され、かつ連動しているという考えを、基本とする。
大宇宙は、そのまま私たちが住む小宇宙と、照応関係にあるとみる。
これは何も占星術にかぎらないことだが、占星術も含めて、あらゆる占いには、宗教性
がある。事実、イスラム教の世界では、イスラム教は常に、占星術とともに、歩んできた。
とくに占星術については、占星術イコール、イスラム教と考えてよい。
イスラム教の寺院の天井が、ドーム状になっているのも、そうした教えに基づく。つま
り、そのドームの形そのものが、大宇宙と連動する小宇宙を表現している。
反対に、仮に、占いから、その宗教性を消してしまえば、占いは、占いとしての意味を
なくす。たとえばだれかがあなたの生年月日を聞いたあと、何やら意味のわからない計算
盤を見つめながら、こう言ったとする。
「あなたの寿命は、あと5年です。それを避けるためには、毎晩、床の北東の位置に、
ローソクを立てて眠りなさい」と言ったとする。
信ずるか、信じないかは、あなたの勝手。……というより、それはあなたの宗教性によ
る。意識的であるにせよ、あるいは、ないにせよ、もしあなたが、不可思議なものにたい
して、それを超えた(何か)を、感ずれば、あなたには、その宗教性があるということに
なる。笑って無視すれば、あなたには、その宗教性がないということになる。
その宗教性は、ふとしたきっかけで、信仰心に変身する。信仰心といっても、おおざっ
ぱに言えば、2種類ある。ひとつは、教えを重要視するもの。もうひとつは、超自然的な
パワーを盲信するもの。前者を、哲学主義というなら、後者は、神秘主義ということにな
る。
もちろん、その中間もある。色の濃さも、それぞれの宗教によって、ちがう。宗派によ
っても、ちがう。しかしたいていのばあい、宗教は、信者を問答無用式に黙らせるために、
絶対的な存在を、信仰の中心に置く。「イワシの頭も信心から」とは言うが、イワシの頭で
は、信者を黙らせることはできない。
神や仏がよい。あるいは太陽がよい、月がよい。さらには、星がよい、と。
よく誤解されるが、宗教があるから、信者がいるのではない。宗教を求める信者がいる
から、宗教が生まれる。そしてその宗教も、ビジネスの世界と同じように、需要と供給の
バランス関係によって、発展したり、衰退したりする。
たとえば、私が子どものころには、占星術なるものは、日本には、存在しなかった。ど
こかには、あったのかもしれないが、少なくとも、私たちの目の届くところには、なかっ
た。ただ歴史的には、天空の異変を見ながら、その国の吉凶を占うということは、日本で
も、中国でもあったようだ。
中国における古代天文学は、そうした視点から発達した。
しかしそれが個人レベルの占星術、つまり運勢占星術として、日本で定着し始めたのは、
私の記憶によれば、1970年代以後のことではなかったか。こと「星」について言えば、
日本人は、元来、無頓着な民族と言える。星座、それにつづく天文学については、それに
ついて研究したという史料は、ほとんどといってよいほど、残っていない。(これは多分に、
私の認識不足によるものかもしれないが……。)
占星術も、その後、需要と供給のバランスの中で、発展した。(発達したのではなく、発
展した。誤解のないように。)もっと端的に言えば、心にスキマのある人たちが、より、も
っともらしい(占い)に飛びついた。占星術は、そういう意味で、日本人の需要に、うま
く答えたということになる。
それ以前には、手相、姓名判断、八卦(はっけ)などが、占いとして、日本人の心のス
キマを埋めていた。私の実家では、毎年正月に、近くの神社から配られる、運勢判断を見
ながら、その年の計画を立てる慣わしになっていた。
一方、占星術は、こうした旧来型の占いとちがい、どこか数学的であるという点と、「星」
そのものがもつロマンチックな雰囲気が、若者の心をとらえた。そして今に見る、占星術、
全盛期を迎えるにいたった。
書店でもコンビニでも、その種の本がズラリと並ぶ。占星術師なる人物が、テレビに顔
を出さない日は、ない。
しかしこうした現象が、子どもにとって望ましい現象かどうかということになると、そ
れは疑わしい。占いそのものがもつ非論理性もさることながら、ここにも書いたように、
占いは、神秘主義と結びつきやすく、それがそのまま宗教性へとつながっていく可能性が
高い。あの忌まわしいO真理教による、地下鉄サリン事件以来、カルトと呼ばれる狂信的
宗教団体は、表向きは、なりを潜めている。が、しかし今の今も、社会の水面下で、その
勢力を拡大していることを忘れてはならない。
こうした子どものもつ宗教性が、いつなんどき、そうしたカルトによって利用されるか、
わかったものではない。忘れてならないのは、占いは、立派な、信仰である。しかもその
信仰は、神秘主義そのものである。
何の批判もなく、何の制約もなく、占星術なるものが、大手を振ってこの日本を闊歩(か
っぽ)している。それは子どもたちの未来にとっては、たいへん危険なことと考えてよい。
ペルシャの散文家、ニザーミイー・アルーズィーは、こう書いている。
「占星術師は、魂も性格も清く、人に好かれる人物でなければならない。また外見上、
いくらかの精神錯乱、狂気、預言めいたことを言うのが、この術の必須条件である」と。
つまり「異常な霊感こそが重要」(学研「イスラム教の本」)と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
占星
術 子供の世界 占い 神秘主義 神秘主義的傾向)
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●受験生国家
+++++++++++++++++++++
韓国の受験教育の激しさは、日本の比ではない。
そういうこともあって、韓国のエリートたちは、
いつも(順位)にこだわる。
日本ではニュースにならないようなニュースでも、
彼らには一大事。
ときとして韓国系の新聞に目を通していると。
気分が重くなる。
それはそれとして、朝鮮N報(09・10・27)に、
こんな記事が載っていた。
「世界の豊かさ評価」というのである。
この中で、「日本は、16位」だ、そうだ。
+++++++++++++++++++++
+++++以下、朝鮮N報より+++++
英民間研究機関のレガタム研究所が世界104カ国・地域を対象に「豊かさ」の指標とし
て発表している「レガタム繁栄指数」で、フィンランドがトップとなり、韓国は26位に入
った。韓国経済新聞が26日、英フィナンシャル・タイムズ(FT)を引用して報じた。
フィンランドは経済基盤、統治能力などの側面で最も豊かな国と評価された。レガタム
は、▲経済基盤▲安全保障と治安▲企業家精神と革新▲民主主義▲統治能力▲個人の自由
など九つの要素を考慮し、指数を算出した。
フィンランドは昨年の3位から1位に浮上し、2位以下はスイス、スウェーデン、デンマ
ーク、ノルウェーとなり、北欧3カ国がそろって上位を占めた。上位20カ国のうち80%
は北米、欧州の国々で、米国は9位、英国は12位、フランスは17位、イタリアは21位だ
った。
アジアでは日本が16位でトップ。シンガポールが23位、台湾が24位で続いた。韓国は
26位で、アジアでは4番目だった。韓国は▲経済基盤▲企業家精神と革新▲教育▲統治能
力で高い評価を受けたが、個人の自由に対する評価は振るわなかった。
今回の調査では、新興のBRICs各国の間で格差が目立った。ブラジルが41位、インド
が45位に入ったのに対し、ロシアは69位、中国は75位にとどまった。レガタムのインボ
ーデン副会長は「ブラジルとインドは法治、透明性、責任性などでロシア、中国を上回っ
た」と説明した。内戦に苦しむジンバブエが最下位となり、イエメン、スーダンなども最
下位圏だった。
+++++以上、朝鮮N報より+++++
●豊かさ
「豊かさ」というのは、それを知っている人は、知っている。
知らない人は、知らない。
知らない人は、自分のレベルで、それを(豊かさ)と思い込む。
お金があるから、「豊か」ということにはならない。
モノがあふれかえっているから、「豊か」ということにもならない。
わかりきったことだが、それを知るためには、一度、自分の(豊かさ)を、
日本の外からながめてみる必要がある。
そういう点では、英民間研究機関のレガタム研究所の公表した順位には、
それなりの意味がある。
日本が16位というのを聞いて、「そうかなあ?」と思ってみたり、
「そんなものだろうな」と思ってみたりする。
記事には、「フィンランドは昨年の3位から1位に浮上し、2位以下はスイス、スウェー
デン、デンマーク、ノルウェーとなり、北欧3カ国がそろって上位を占めた」とある。
この記事に異論はない。
その一方で、「中国が75位」というのも、よ~く、わかる。
ここ10年以上、中国本土からやってきた中国人とは、どうも相性が合わない。
会えば、マネーの話ばかり。
その上、自信を持ち始めたのか、威張っている。
日本人を毛嫌いしていて、それを露骨に表現する。
そういう点では、日本人は、おとなになりつつある。
(豊かさ)というのが、どういうものか、知り始めている。
30~40年前の日本人は、現在の中国人に劣らぬほど、心が貧しかった。
今にして思うと、それがよ~く、わかる。
それにしても、韓国人は、何かにつけ、順位を気にする。
つまりそれだけ、心が貧しいということ。
「韓国は26位」というが、実際には、もう少し低いのでは?
たとえば市内には、最近韓国からやってきた人が開いた飲食店が、いくつかある。
韓国料理は嫌いではないが、どうも、入りづらい。
そういう店は、どこか雰囲気がちがう。
店の中の座敷に、その飲食店の店主の子どもが、寝そべって本を読んでいたりする。
そういうのに、違和感を覚える。
その(違和感)こそが、(豊かさ)のちがいということになる。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●WINDOW7
WINDOW7が発売になって、ちょうど1週間が過ぎた。
評判は、よい。
昨日、コンビニで、『日経PC21』(12月号)を買ってきた。
表紙に、「全部見せます! Window7」とあった。
寝床へ入ってから、特集記事を読んだ。
(パート1)新機能編
(パート2)乗り換え編
(パート3)環境設定編
(パート4)互換性編
(パート5)PC購入編
ざっと読んでみたが、この世界、ついていくだけでも、たいへん。
それなりの専門家ならまだしも、私のような(ふつうの人)には、
その時間さえない。
読み終えたとき、「ますます二極化が進むだろうな」と思った。
(パソコンを使う人)と(まったく使わない人)。
それが両極端に分かれる。
とくに50代以上の人の間で、それが進む。
たとえばWINDOW7では、メールソフトなど、いわゆる定番ソフトは、
自分でインストールして使う。
しかし今の今でさえ、メールアカウントを、自分で設定できない人は多い。
それを、「自分でインストールして……」となると、さらにハードルが
高くなる。
インターネットをするといえば、メールのやり取りをいう。
どうしてWINDOW7では、それをはずしたのか。
理解に苦しむ。
なお、インターネット・エクスプローラ(IE)や、メディアプレーヤー
などは、最初から組み込まれているという。
やっとビスタを使い慣れてきたというのに、今度は、WINDOW7。
頭の刺激にはなるが、一方で、お金の問題も起きてくる。
ほんの10年前には、パソコンというと、20~30万円が相場だった。
高価なものだから大切に使ったが、今では周辺機器も含めて、すべてガラクタ。
だから今では、ことパソコンについて言えば、「大切に使っても意味がない」
という、おかしな感覚が働く。
「どうせ、4、5年もすれば、ガラクタになるから……」と。
パソコンというのは、(ビデオカメラもデジタルカメラも、そうだが)、
保証期間中は、使って使って使いまくる。
ボロボロになるまで、使いまくる。
少なくとも、磨いて、棚にしまっておくようなものではない。
もちろん骨董的価値が出てくるということは、ぜったいに、ない。
かく言う私も、今度の日曜日に、WINDOW7に、乗り換えるつもり。
その作業をするつもり。
楽しみ!
●同窓会名簿
昨日、同窓会名簿を、戸棚にしまった。
ああいうのは、あまり見ない方がよい。
一度見出すと、気になってしかたなくなる。
「あの人は、どうなった?」「この人は、どうなった?」と。
しかしその動機が問題。
のぞき趣味的な、イヤーナ好奇心。
それが自分でも、よくわかる。
私は私。
人は人。
それで、よい。
たぶん、中には、同窓会名簿を見て、私のことを調べている人もいるかも
しれない。
どうせ2度と会うこともないから、「ご勝手に!」と言いたいが、本音を
言えば、「放っておいてほしい」。
一度調べたことがあるが、アメリカやオーストラリアを含む欧米の学校には、
同窓会(Class Reunion Party)というのは、ない。
学校のシステムそのものが、ちがう。
(ただしカレッジごと、大学ごとの、同窓会はある。)
日本では、年齢別に学年が分かれ(学年制度)、かつ1つのクラスに担任の
教師がつく(担任制度)。
が、欧米には、そういった制度そのものがない。
が、日本では、同窓会を大切にする。
その中における、先輩、後輩意識も強い。
江戸時代の身分制度が、学歴制度に置き換わったという経緯(いきさつ)もある。
その人の出身校で、その人を判断するという意識も、いまだに根強く残っている。
が、同窓会には、もうひとつの意味が隠されている。
人も晩年になると、回顧性が強くなる。
未来を見る展望性より、過去をなつかしむ回顧性が強くなる。
そのために50歳をすぎると、同窓会の回数が、急速にふえてくる。
しかしそれをよしとしてはいけない。
回顧性などというものは、戦うべきものであって、受け入れるべきものではない。
私たちは常に、未来に向かって、前向きに生きていく。
そうでなくても、私たちの年代になると、くじけやすくなる。
過去を振り返りたくなる。
が、一度回顧性に毒されると、それこそ、毎日仏壇の金具を磨いて過ごすようになる。
そうなったら、片足を棺おけに入れたも、同然。
そこで時間は止まる。
回顧性に浸るのは、最後の最後でよい。
……ということで、同窓会名簿は、戸棚にしまった。
そうでなくても、他人の動向を詮索するのは、よくない。
昼のワイドショーのように、低劣で、不快。
タレントの私生活を暴いては、ワイワイと騒いでいる。
ああいう人たちのまねだけは、したくない。
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はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
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よろしくお願いします。 はやし浩司
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. ○ ~~~\\//
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.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
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2009年10月28日水曜日
*Astrology in 2012
●満62歳の誕生日に
+++++++++++++++++++++
明日、私は満62歳になる。
62歳?
62歳ねエ~?
「62歳」と言って、
最初に思い浮かんだ言葉が、これ。
「もう2年も、たったのかア」と。
つい先日、「還暦」という言葉に踊らされたばかり。
そんな感じがする。
つまり加齢とともに、脳のクロック数が
落ちるため(はやし浩司説)、
すべての活動のテンポが遅くなる。
そのため、時間が早く進むように感ずるように
なる(これも、はやし浩司説)。
たとえば若いころの脳のクロック数を、
毎秒100ヘルツとする。
現在は、半分の毎秒50ヘルツとする。
すると見かけは同じ状態でも、実感時間は、
若いころの半分になる。
つまり2倍、早く時間が過ぎることになる。
しかし脳全体の機能が速度的に落ちるため、それを
自分で実感することはできない。
(どこか、アインシュタインの相対性理論に似ている?)
このことは、幼児を教えてみると、よくわかる。
もし幼児を、私のもつテンポで教えたら、幼児は、
あっという間に、私のレッスンに飽きてしまうだろう。
そこで私は、幼児のもつクロック数で、教える。
幼児のもつクロック数は、おとなのそれよりも、
はるかに速い。
教える側が、もたもたしていると、すぐ、「つまんナ~イ」
という言葉がはね返ってくる。
(こうした様子は、HP(BW公開教室)で、公開中!)
一方、高齢者のクロック数は、低い。
50どころか、20とか、10にまで下がる。
見た目には、ゆったりと時間が流れるが、
その分だけ、高齢者にとっては、早く時間が過ぎる。
……というわけで、もう2年も過ぎた。
あっという間だった。
この2年間で、私は何をしたか?
何ができたか?
中身を見ていくと、結構いろいろあったような気がする。
母の介護と死去。
その間に、兄の死去。
先月は実家を売却して、故郷とは縁を切った。
精神的には、激動の2年間だった。
(少しおおげさかな?)
が、それでもあっという間に過ぎた。
そんな感じがする。
が、過去は過去。
私には、つぎの1年間が待っている。
いろいろ計画がある。
したいこともある。
すべきこともある。
しかし1年といっても、日々の積み重ねで決まる。
その日々は、今という、一瞬、一瞬の積み重ねで決まる。
大切なことは、クロック数を落とさないこと。
鋭敏さを失わないこと。
それは何度も書くが、健康論と同じ。
日々の体力づくりのみが、明日の健康を約束する。
立ち止まったとたん、そのときから、
健康は、下り坂に向かって、まっしぐら!
新聞を読もう。
本を読もう。
音楽を聴こう。
映画を見よう。
旅をしよう。
人に会おう。
新しいものに興味をもとう。
仕事をしよう。
体を動かそう。
それでクロック数があがるとは思わない。
が、しかし維持することはできる。
50ヘルツなら、50ヘルツでもよい。
その50ヘルツを、できるだけ長く維持する。
つまり長生きするといっても、クロック数が
5ヘルツや10ヘルツでは、しかたない。
で、今日、小学5年生の子どもたちに会うから、
つぎのような問題を出してみよう。
【問】
脳のクロック数が、毎秒100ヘルツの人が、
10年、生きたとする。
一方、脳のクロック数が、毎秒50ヘルツの人が、
20年、生きたとする。
どちらの人が、長生きをしたことになるか。
きっと子どもたちは、「20年、生きた人」と
答えるだろう。
そこで私は、コンピュータを例にあげて説明したあと、
おもむろに、こう教える。
100x10=1000
50x20=1000で、
「実は中身は、同じだよ」と。
平たく言えば、人生の長さは、年数の長さでは
決まらない。
大切なのは、密度。
密度で決まる。
それがわからなければ、あなたも一度でよいから、
あの特別擁護老人ホームにいる老人たちを
のぞいて見てみたらよい。
ホームのテレビの前に座っている老人たちは、
ぼんやりとしたまま、その日、その日を、
過ごしているだけ。
あとは食事をしているか、眠っているだけ。
毎日、同じことしか言わない老人もいる。
1年を1日のようにして、生きている。
やがて私たちも、ああなる。
まちがいなく、ああなる。
が、その時期は、できるだけ先に延ばしたい。
先に延ばして、自分の人生を、2倍にしたい。
3倍にしたい。
どうせ、たった1回しかない人生だから。
……というのが、満62歳の私の抱負と
いうことになる。
けっして立ち止まらない。
ただひたすら前に向かって進む。
そう、あのスティーブンソン(「宝島」の著者)も
こう書いている。
『我らが目的は、成功することではない。
失敗にめげず、前に進むことである』と。
この言葉をもじると、こうなる。
『我らが目的は、年齢に応じた生き方をすることではない。
年齢を無視して、前に進むことである』と。
++++++++++++++++++++++
Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司
●2012年
2012年に、なにやら、とんでもないことが起こるらしい。
それをテーマにした映画が、ローランド・エメリッヒ監督の、『2012』。
11月21日に、劇場で公開されるという。
楽しみ。
ぜったい、見に行く。
で、つぎからつぎへとこういう映画ができる。
ハリウッドに集まる映画マンには、本当に感心する。
まとめて、「ハルマゲドン映画」という。
迫り来る、危機。
人類滅亡の危機。
みなが恐怖におびえ、逃げまどう。
「もうだめだ」と思ったところに、勇敢なヒーローが現れる。
そのヒーローが地球を救う。
基本的には、ウルトラマン映画と変わらない。
月光仮面でもよい。
筋書きとしては、そういうもの。
あとはどう、それをおもしろおかしく演出するかということ。
で、今回は、真実味をつけるために、マヤの暦を利用した。
が、私はこういう映画が好き。
「2012年に、マヤの予言通り、世界は終わる」と。
映画案内には、こうある。
「高度な天文学、数学の知識をもち、栄えていたマヤ人。
彼らが残した暦には、ある時を境に、それ以降の記述がない。
昔から「世界終末の日」と言われてきた、その暦最後の日は……
2012年12月21日。
あと3年に迫った現在、マヤの予言だけではなく、現代科学も、「2012年
終末説」を裏づけるデータをつぎつぎと、発表している。
太陽の黒点問題。
地球温暖化。
度重なる、自然大災害……。
占星術師は星の中にその兆候を発見し、
数秘術師はそれを予言するパターンを見つけ、
地質学者は、それがいつ起きても不思議でないと言い、
政府関係者や科学者さえも、それを言及している。
もはや、このことを否定できる者はいない」と。
マヤの暦は、2012年12月21日」で終わっているという。
私の家のカレンダーは、2009年12月31日で終わっている。
……というような冗談はさておき、こうした予言は、当たったためしがない。
(当たってもらっては、困るが……。)
10年前には、ノストラダムスの大予言というのが、話題になった。
あれも、完全に、ハズレ!
興味深いのは、こうした予言をもとにして、デタラメな本を書いた人が、
1人とて、責任を取ったことがないこと。
世の中を不安にするだけ不安にしておいて、かつ莫大な印税を手にしておいて、
あとは「知らない」は、ない。
儲けた分くらいは、社会に還元してほしい。
もっとも、本気でそれを信ずる人は、いなかったが……(?)。
で、2012年。
マヤ文明は宇宙人とつながっているという。
私も若いころ、デニケンの本は、何冊か、読んだ。
おもしろかった。
人間だけが、宇宙の、ゆいいつの知的生物という考え方は、おかしい。
人間以外にも、知的生物は、いる。
しかもその知的生物は、私たちの想像をはるかに超えるほど、知的と
考えるのが、正しい。
人間と、庭に遊ぶ山鳩くらいの差は、あるかも。
そういう知的生物なら、かなり正確に、地球の未来を予測することができるはず。
(予言ではなく、予測。)
その予測を、宇宙人は、マヤの人々に伝えた。
デニケンなら、そう判断するだろう。
それが2012年ということになる。
しかしおかしなことに、「2012」という数字がどこから出てきたかというと、
それがよくわからない。
「マヤの暦によれば……」ということらしい。
しかし私が知るかぎり、彼らの文字は、いまだに解読されていないはず。
で、あちこちを調べてみたが、よくわからない。
仮に2012年で暦が終わっているからといって、それが「終末」を意味すると
考えるのは、おかしい。
カレンダーにも限界があるように、マヤの暦にも限界がある。
あったところで、おかしくない。
ひょっとしたら、その程度のことではないのか。
……とは言っても、楽しみ。
私は学生時代から、SF小説が大好き。
その類の本ばかり、読んでいた。
当時は、地球人と木星人との戦争とか、そういう単純なものばかりだった。
が、それでもおもしろかった。
脳みそを刺激するには、この種の映画が、いちばんよい。
なお占星術という言葉が出てきたので、一言。
以前、それについて書いた原稿をさがしてみた。
+++++++++++++++++++++++
●占星術
+++++++++++++++++
今、静かに、かつ密かに、
占星術なるものが、流行している。
街中の片隅で、あるいは、
どこか陰湿なビルの一室で、
あやしげな儀式がが、まこと、
しやかに、行われている。
占星術で占ってもらっているのは、
大半が、若い女性だが、男性もいる。
もちろんそれなりの年配者もいる。
+++++++++++++++++
占星術としてよく知られているのが、ギリシャで発達した、「黄道十二宮(ホロスコープ)占星術」である。今、日本でいうところの占星術は、この流れをくんだものと考えてよい。しかし占星術は、何も、それだけではない。星が見えるところ、すべての世界に、それがある。興味深いのは、イスラムの世界にも、それがあるということ。
で、占星術では、「万物は、神によって創造された。ならば、その万物の構成要素から、神の意思を推し量ることができるはず」というのが、その基本になっている。わかりやすく言えば、太陽も、星も、そして人間も、すべて神が創造したものである。だからそれら万物は、一体となって、統一性と連続性をもって運行している、と。
そこで天体の星の位置や動きを知ることで、神の意思を知る。ついで、それらと一体として連動している、人間の運命を知る、と。
しかし常識で考えても、いろいろ矛盾がある。
たとえば黄道十二宮占星術では、その人の生年月日を基準にするが、母体から離れ出て誕生した日を生年月日というのも、よくよく考えてみれば、おかしなこと。原理的には、男の精子が、母親の子宮に着床したときをもって、生年月日と言うべきではないのか。例がないわけではない。
中国では、年齢をいうとき、(数え年)で数える。つまり生まれたとき、すでに1歳とするのは、生まれる前の1年間を、母親の母体内で過ごしていると考えるからである。イスラムの世界でも、その人の星位は、受胎時の星位によって決まると考えられている。
ならば私やあなたの誕生年月日は、母体から切り離されたときではなく、ここにも書いたように、受胎したそのときをもって、決まると考えるのが正しい。少なくとも、占星術では、出産日ではなく、受胎日を基準にして、その人個人の運勢を占うべきである。
年齢だけではない。占星術といっても、ここに書いた出生によって、その人の運命を判断する、「出生占星術」、太陽、月、星などの動きから、世界や国の動きを判断する、「全体占星術」、いつどのような形で行動を始めるかを占う、「開始行動占星術」、そのつど天体の動きを参考に、質問者の質問に答える、「質問占星術」などがある。
が、何といっても多いのが、ここに書いた、個人の運勢や運命を占う、「運命占星術」。
しかし仮に、万物が神の創造物であるにしても、それは人間という単位。あるいは生物という単位で、ものを考えるべきではないのか。たとえば公園の広場に住む、アリを考えてみればよい。もしそこにすむアリたちに、何かの異変が起きるとしたら、公園の工事や、清掃作業によるもの。しかしこのばあいでも、一匹、一匹のアリがどうこうなるというわけではない。公園に住むアリ全体が、その影響を受ける……。
……という話を書くことすら、バカげている。
星の位置といっても、宇宙という3次元の空間にある星々を、地球という一点から、二次元、つまり天空という平面で見ているにすぎない。星々までの距離は、計算に入れていない。
つまり星の位置といっても、実に自己中心的な視点で、それを見て言っているにすぎない。サソリ座だの、何のと、真顔で、口にすること自体、バカげている。宇宙船で、100光年も先へ行けば、星座の位置、形、すべてが変わる。1000光年も先に行けば、もっと、変わる。星位という概念すら、消えてなくなる。
もうひとつつけ加えるなら、占星術は、つねに数学と結びついて発達してきた。占星術イコール、数学と考えてよい。
その「数学」が何であるかもわからないような、そこらのオバチャンが、口八丁、手八丁で、占星術をするから、話がおかしくなる。
こうした占いは、人々の心のスキマをついて、これからもなくなることはないだろう。しかしこれだけは言える。
「生きることとは考えること」という人にとっては、占いを認めることは、その生きることを放棄することに等しい。占いに頼るということは、考えることを、自ら放棄するようなもの。それでもよいと言うのなら、それはそれでかまわない。そのあとの判断は、それぞれの人の勝手。私の知ったことではない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 占星術 占い 黄道十二宮占星術 ホロスコープ占星術)
【追記】
●占星術(2)
超自然的な絶対性。それが占いの基盤になっている。占星術についても、例外ではない。占星術も、もとはといえば、万物の創造主たる神の存在を、大前提にしている。つまり占星術の世界では、この大宇宙も、そして地球上に住む、ありとあらゆる生物も、すべてが一体として、統一化され、かつ連動しているという考えを、基本とする。
大宇宙は、そのまま私たちが住む小宇宙と、照応関係にあるとみる。
これは何も占星術にかぎらないことだが、占星術も含めて、あらゆる占いには、宗教性がある。事実、イスラム教の世界では、イスラム教は常に、占星術とともに、歩んできた。とくに占星術については、占星術イコール、イスラム教と考えてよい。
イスラム教の寺院の天井が、ドーム状になっているのも、そうした教えに基づく。つまり、そのドームの形そのものが、大宇宙と連動する小宇宙を表現している。
反対に、仮に、占いから、その宗教性を消してしまえば、占いは、占いとしての意味をなくす。たとえばだれかがあなたの生年月日を聞いたあと、何やら意味のわからない計算盤を見つめながら、こう言ったとする。
「あなたの寿命は、あと5年です。それを避けるためには、毎晩、床の北東の位置に、ローソクを立てて眠りなさい」と言ったとする。
信ずるか、信じないかは、あなたの勝手。……というより、それはあなたの宗教性による。意識的であるにせよ、あるいは、ないにせよ、もしあなたが、不可思議なものにたいして、それを超えた(何か)を、感ずれば、あなたには、その宗教性があるということになる。笑って無視すれば、あなたには、その宗教性がないということになる。
その宗教性は、ふとしたきっかけで、信仰心に変身する。信仰心といっても、おおざっぱに言えば、2種類ある。ひとつは、教えを重要視するもの。もうひとつは、超自然的なパワーを盲信するもの。前者を、哲学主義というなら、後者は、神秘主義ということになる。
もちろん、その中間もある。色の濃さも、それぞれの宗教によって、ちがう。宗派によっても、ちがう。しかしたいていのばあい、宗教は、信者を問答無用式に黙らせるために、絶対的な存在を、信仰の中心に置く。「イワシの頭も信心から」とは言うが、イワシの頭では、信者を黙らせることはできない。
神や仏がよい。あるいは太陽がよい、月がよい。さらには、星がよい、と。
よく誤解されるが、宗教があるから、信者がいるのではない。宗教を求める信者がいるから、宗教が生まれる。そしてその宗教も、ビジネスの世界と同じように、需要と供給のバランス関係によって、発展したり、衰退したりする。
たとえば、私が子どものころには、占星術なるものは、日本には、存在しなかった。どこかには、あったのかもしれないが、少なくとも、私たちの目の届くところには、なかった。ただ歴史的には、天空の異変を見ながら、その国の吉凶を占うということは、日本でも、中国でもあったようだ。
中国における古代天文学は、そうした視点から発達した。
しかしそれが個人レベルの占星術、つまり運勢占星術として、日本で定着し始めたのは、私の記憶によれば、1970年代以後のことではなかったか。こと「星」について言えば、日本人は、元来、無頓着な民族と言える。星座、それにつづく天文学については、それについて研究したという史料は、ほとんどといってよいほど、残っていない。(これは多分に、私の認識不足によるものかもしれないが……。)
占星術も、その後、需要と供給のバランスの中で、発展した。(発達したのではなく、発展した。誤解のないように。)もっと端的に言えば、心にスキマのある人たちが、より、もっともらしい(占い)に飛びついた。占星術は、そういう意味で、日本人の需要に、うまく答えたということになる。
それ以前には、手相、姓名判断、八卦(はっけ)などが、占いとして、日本人の心のスキマを埋めていた。私の実家では、毎年正月に、近くの神社から配られる、運勢判断を見ながら、その年の計画を立てる慣わしになっていた。
一方、占星術は、こうした旧来型の占いとちがい、どこか数学的であるという点と、「星」そのものがもつロマンチックな雰囲気が、若者の心をとらえた。そして今に見る、占星術、全盛期を迎えるにいたった。
書店でもコンビニでも、その種の本がズラリと並ぶ。占星術師なる人物が、テレビに顔を出さない日は、ない。
しかしこうした現象が、子どもにとって望ましい現象かどうかということになると、それは疑わしい。占いそのものがもつ非論理性もさることながら、ここにも書いたように、占いは、神秘主義と結びつきやすく、それがそのまま宗教性へとつながっていく可能性が高い。あの忌まわしいO真理教による、地下鉄サリン事件以来、カルトと呼ばれる狂信的宗教団体は、表向きは、なりを潜めている。が、しかし今の今も、社会の水面下で、その勢力を拡大していることを忘れてはならない。
こうした子どものもつ宗教性が、いつなんどき、そうしたカルトによって利用されるか、わかったものではない。忘れてならないのは、占いは、立派な、信仰である。しかもその信仰は、神秘主義そのものである。
何の批判もなく、何の制約もなく、占星術なるものが、大手を振ってこの日本を闊歩(かっぽ)している。それは子どもたちの未来にとっては、たいへん危険なことと考えてよい。
ペルシャの散文家、ニザーミイー・アルーズィーは、こう書いている。
「占星術師は、魂も性格も清く、人に好かれる人物でなければならない。また外見上、いくらかの精神錯乱、狂気、預言めいたことを言うのが、この術の必須条件である」と。つまり「異常な霊感こそが重要」(学研「イスラム教の本」)と。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 占星
術 子供の世界 占い 神秘主義 神秘主義的傾向)
Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司
+++++++++++++++++++++
明日、私は満62歳になる。
62歳?
62歳ねエ~?
「62歳」と言って、
最初に思い浮かんだ言葉が、これ。
「もう2年も、たったのかア」と。
つい先日、「還暦」という言葉に踊らされたばかり。
そんな感じがする。
つまり加齢とともに、脳のクロック数が
落ちるため(はやし浩司説)、
すべての活動のテンポが遅くなる。
そのため、時間が早く進むように感ずるように
なる(これも、はやし浩司説)。
たとえば若いころの脳のクロック数を、
毎秒100ヘルツとする。
現在は、半分の毎秒50ヘルツとする。
すると見かけは同じ状態でも、実感時間は、
若いころの半分になる。
つまり2倍、早く時間が過ぎることになる。
しかし脳全体の機能が速度的に落ちるため、それを
自分で実感することはできない。
(どこか、アインシュタインの相対性理論に似ている?)
このことは、幼児を教えてみると、よくわかる。
もし幼児を、私のもつテンポで教えたら、幼児は、
あっという間に、私のレッスンに飽きてしまうだろう。
そこで私は、幼児のもつクロック数で、教える。
幼児のもつクロック数は、おとなのそれよりも、
はるかに速い。
教える側が、もたもたしていると、すぐ、「つまんナ~イ」
という言葉がはね返ってくる。
(こうした様子は、HP(BW公開教室)で、公開中!)
一方、高齢者のクロック数は、低い。
50どころか、20とか、10にまで下がる。
見た目には、ゆったりと時間が流れるが、
その分だけ、高齢者にとっては、早く時間が過ぎる。
……というわけで、もう2年も過ぎた。
あっという間だった。
この2年間で、私は何をしたか?
何ができたか?
中身を見ていくと、結構いろいろあったような気がする。
母の介護と死去。
その間に、兄の死去。
先月は実家を売却して、故郷とは縁を切った。
精神的には、激動の2年間だった。
(少しおおげさかな?)
が、それでもあっという間に過ぎた。
そんな感じがする。
が、過去は過去。
私には、つぎの1年間が待っている。
いろいろ計画がある。
したいこともある。
すべきこともある。
しかし1年といっても、日々の積み重ねで決まる。
その日々は、今という、一瞬、一瞬の積み重ねで決まる。
大切なことは、クロック数を落とさないこと。
鋭敏さを失わないこと。
それは何度も書くが、健康論と同じ。
日々の体力づくりのみが、明日の健康を約束する。
立ち止まったとたん、そのときから、
健康は、下り坂に向かって、まっしぐら!
新聞を読もう。
本を読もう。
音楽を聴こう。
映画を見よう。
旅をしよう。
人に会おう。
新しいものに興味をもとう。
仕事をしよう。
体を動かそう。
それでクロック数があがるとは思わない。
が、しかし維持することはできる。
50ヘルツなら、50ヘルツでもよい。
その50ヘルツを、できるだけ長く維持する。
つまり長生きするといっても、クロック数が
5ヘルツや10ヘルツでは、しかたない。
で、今日、小学5年生の子どもたちに会うから、
つぎのような問題を出してみよう。
【問】
脳のクロック数が、毎秒100ヘルツの人が、
10年、生きたとする。
一方、脳のクロック数が、毎秒50ヘルツの人が、
20年、生きたとする。
どちらの人が、長生きをしたことになるか。
きっと子どもたちは、「20年、生きた人」と
答えるだろう。
そこで私は、コンピュータを例にあげて説明したあと、
おもむろに、こう教える。
100x10=1000
50x20=1000で、
「実は中身は、同じだよ」と。
平たく言えば、人生の長さは、年数の長さでは
決まらない。
大切なのは、密度。
密度で決まる。
それがわからなければ、あなたも一度でよいから、
あの特別擁護老人ホームにいる老人たちを
のぞいて見てみたらよい。
ホームのテレビの前に座っている老人たちは、
ぼんやりとしたまま、その日、その日を、
過ごしているだけ。
あとは食事をしているか、眠っているだけ。
毎日、同じことしか言わない老人もいる。
1年を1日のようにして、生きている。
やがて私たちも、ああなる。
まちがいなく、ああなる。
が、その時期は、できるだけ先に延ばしたい。
先に延ばして、自分の人生を、2倍にしたい。
3倍にしたい。
どうせ、たった1回しかない人生だから。
……というのが、満62歳の私の抱負と
いうことになる。
けっして立ち止まらない。
ただひたすら前に向かって進む。
そう、あのスティーブンソン(「宝島」の著者)も
こう書いている。
『我らが目的は、成功することではない。
失敗にめげず、前に進むことである』と。
この言葉をもじると、こうなる。
『我らが目的は、年齢に応じた生き方をすることではない。
年齢を無視して、前に進むことである』と。
++++++++++++++++++++++
Hiroshi Hayashi++++++++OCT.09+++++++++はやし浩司
●2012年
2012年に、なにやら、とんでもないことが起こるらしい。
それをテーマにした映画が、ローランド・エメリッヒ監督の、『2012』。
11月21日に、劇場で公開されるという。
楽しみ。
ぜったい、見に行く。
で、つぎからつぎへとこういう映画ができる。
ハリウッドに集まる映画マンには、本当に感心する。
まとめて、「ハルマゲドン映画」という。
迫り来る、危機。
人類滅亡の危機。
みなが恐怖におびえ、逃げまどう。
「もうだめだ」と思ったところに、勇敢なヒーローが現れる。
そのヒーローが地球を救う。
基本的には、ウルトラマン映画と変わらない。
月光仮面でもよい。
筋書きとしては、そういうもの。
あとはどう、それをおもしろおかしく演出するかということ。
で、今回は、真実味をつけるために、マヤの暦を利用した。
が、私はこういう映画が好き。
「2012年に、マヤの予言通り、世界は終わる」と。
映画案内には、こうある。
「高度な天文学、数学の知識をもち、栄えていたマヤ人。
彼らが残した暦には、ある時を境に、それ以降の記述がない。
昔から「世界終末の日」と言われてきた、その暦最後の日は……
2012年12月21日。
あと3年に迫った現在、マヤの予言だけではなく、現代科学も、「2012年
終末説」を裏づけるデータをつぎつぎと、発表している。
太陽の黒点問題。
地球温暖化。
度重なる、自然大災害……。
占星術師は星の中にその兆候を発見し、
数秘術師はそれを予言するパターンを見つけ、
地質学者は、それがいつ起きても不思議でないと言い、
政府関係者や科学者さえも、それを言及している。
もはや、このことを否定できる者はいない」と。
マヤの暦は、2012年12月21日」で終わっているという。
私の家のカレンダーは、2009年12月31日で終わっている。
……というような冗談はさておき、こうした予言は、当たったためしがない。
(当たってもらっては、困るが……。)
10年前には、ノストラダムスの大予言というのが、話題になった。
あれも、完全に、ハズレ!
興味深いのは、こうした予言をもとにして、デタラメな本を書いた人が、
1人とて、責任を取ったことがないこと。
世の中を不安にするだけ不安にしておいて、かつ莫大な印税を手にしておいて、
あとは「知らない」は、ない。
儲けた分くらいは、社会に還元してほしい。
もっとも、本気でそれを信ずる人は、いなかったが……(?)。
で、2012年。
マヤ文明は宇宙人とつながっているという。
私も若いころ、デニケンの本は、何冊か、読んだ。
おもしろかった。
人間だけが、宇宙の、ゆいいつの知的生物という考え方は、おかしい。
人間以外にも、知的生物は、いる。
しかもその知的生物は、私たちの想像をはるかに超えるほど、知的と
考えるのが、正しい。
人間と、庭に遊ぶ山鳩くらいの差は、あるかも。
そういう知的生物なら、かなり正確に、地球の未来を予測することができるはず。
(予言ではなく、予測。)
その予測を、宇宙人は、マヤの人々に伝えた。
デニケンなら、そう判断するだろう。
それが2012年ということになる。
しかしおかしなことに、「2012」という数字がどこから出てきたかというと、
それがよくわからない。
「マヤの暦によれば……」ということらしい。
しかし私が知るかぎり、彼らの文字は、いまだに解読されていないはず。
で、あちこちを調べてみたが、よくわからない。
仮に2012年で暦が終わっているからといって、それが「終末」を意味すると
考えるのは、おかしい。
カレンダーにも限界があるように、マヤの暦にも限界がある。
あったところで、おかしくない。
ひょっとしたら、その程度のことではないのか。
……とは言っても、楽しみ。
私は学生時代から、SF小説が大好き。
その類の本ばかり、読んでいた。
当時は、地球人と木星人との戦争とか、そういう単純なものばかりだった。
が、それでもおもしろかった。
脳みそを刺激するには、この種の映画が、いちばんよい。
なお占星術という言葉が出てきたので、一言。
以前、それについて書いた原稿をさがしてみた。
+++++++++++++++++++++++
●占星術
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今、静かに、かつ密かに、
占星術なるものが、流行している。
街中の片隅で、あるいは、
どこか陰湿なビルの一室で、
あやしげな儀式がが、まこと、
しやかに、行われている。
占星術で占ってもらっているのは、
大半が、若い女性だが、男性もいる。
もちろんそれなりの年配者もいる。
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占星術としてよく知られているのが、ギリシャで発達した、「黄道十二宮(ホロスコープ)占星術」である。今、日本でいうところの占星術は、この流れをくんだものと考えてよい。しかし占星術は、何も、それだけではない。星が見えるところ、すべての世界に、それがある。興味深いのは、イスラムの世界にも、それがあるということ。
で、占星術では、「万物は、神によって創造された。ならば、その万物の構成要素から、神の意思を推し量ることができるはず」というのが、その基本になっている。わかりやすく言えば、太陽も、星も、そして人間も、すべて神が創造したものである。だからそれら万物は、一体となって、統一性と連続性をもって運行している、と。
そこで天体の星の位置や動きを知ることで、神の意思を知る。ついで、それらと一体として連動している、人間の運命を知る、と。
しかし常識で考えても、いろいろ矛盾がある。
たとえば黄道十二宮占星術では、その人の生年月日を基準にするが、母体から離れ出て誕生した日を生年月日というのも、よくよく考えてみれば、おかしなこと。原理的には、男の精子が、母親の子宮に着床したときをもって、生年月日と言うべきではないのか。例がないわけではない。
中国では、年齢をいうとき、(数え年)で数える。つまり生まれたとき、すでに1歳とするのは、生まれる前の1年間を、母親の母体内で過ごしていると考えるからである。イスラムの世界でも、その人の星位は、受胎時の星位によって決まると考えられている。
ならば私やあなたの誕生年月日は、母体から切り離されたときではなく、ここにも書いたように、受胎したそのときをもって、決まると考えるのが正しい。少なくとも、占星術では、出産日ではなく、受胎日を基準にして、その人個人の運勢を占うべきである。
年齢だけではない。占星術といっても、ここに書いた出生によって、その人の運命を判断する、「出生占星術」、太陽、月、星などの動きから、世界や国の動きを判断する、「全体占星術」、いつどのような形で行動を始めるかを占う、「開始行動占星術」、そのつど天体の動きを参考に、質問者の質問に答える、「質問占星術」などがある。
が、何といっても多いのが、ここに書いた、個人の運勢や運命を占う、「運命占星術」。
しかし仮に、万物が神の創造物であるにしても、それは人間という単位。あるいは生物という単位で、ものを考えるべきではないのか。たとえば公園の広場に住む、アリを考えてみればよい。もしそこにすむアリたちに、何かの異変が起きるとしたら、公園の工事や、清掃作業によるもの。しかしこのばあいでも、一匹、一匹のアリがどうこうなるというわけではない。公園に住むアリ全体が、その影響を受ける……。
……という話を書くことすら、バカげている。
星の位置といっても、宇宙という3次元の空間にある星々を、地球という一点から、二次元、つまり天空という平面で見ているにすぎない。星々までの距離は、計算に入れていない。
つまり星の位置といっても、実に自己中心的な視点で、それを見て言っているにすぎない。サソリ座だの、何のと、真顔で、口にすること自体、バカげている。宇宙船で、100光年も先へ行けば、星座の位置、形、すべてが変わる。1000光年も先に行けば、もっと、変わる。星位という概念すら、消えてなくなる。
もうひとつつけ加えるなら、占星術は、つねに数学と結びついて発達してきた。占星術イコール、数学と考えてよい。
その「数学」が何であるかもわからないような、そこらのオバチャンが、口八丁、手八丁で、占星術をするから、話がおかしくなる。
こうした占いは、人々の心のスキマをついて、これからもなくなることはないだろう。しかしこれだけは言える。
「生きることとは考えること」という人にとっては、占いを認めることは、その生きることを放棄することに等しい。占いに頼るということは、考えることを、自ら放棄するようなもの。それでもよいと言うのなら、それはそれでかまわない。そのあとの判断は、それぞれの人の勝手。私の知ったことではない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 占星術 占い 黄道十二宮占星術 ホロスコープ占星術)
【追記】
●占星術(2)
超自然的な絶対性。それが占いの基盤になっている。占星術についても、例外ではない。占星術も、もとはといえば、万物の創造主たる神の存在を、大前提にしている。つまり占星術の世界では、この大宇宙も、そして地球上に住む、ありとあらゆる生物も、すべてが一体として、統一化され、かつ連動しているという考えを、基本とする。
大宇宙は、そのまま私たちが住む小宇宙と、照応関係にあるとみる。
これは何も占星術にかぎらないことだが、占星術も含めて、あらゆる占いには、宗教性がある。事実、イスラム教の世界では、イスラム教は常に、占星術とともに、歩んできた。とくに占星術については、占星術イコール、イスラム教と考えてよい。
イスラム教の寺院の天井が、ドーム状になっているのも、そうした教えに基づく。つまり、そのドームの形そのものが、大宇宙と連動する小宇宙を表現している。
反対に、仮に、占いから、その宗教性を消してしまえば、占いは、占いとしての意味をなくす。たとえばだれかがあなたの生年月日を聞いたあと、何やら意味のわからない計算盤を見つめながら、こう言ったとする。
「あなたの寿命は、あと5年です。それを避けるためには、毎晩、床の北東の位置に、ローソクを立てて眠りなさい」と言ったとする。
信ずるか、信じないかは、あなたの勝手。……というより、それはあなたの宗教性による。意識的であるにせよ、あるいは、ないにせよ、もしあなたが、不可思議なものにたいして、それを超えた(何か)を、感ずれば、あなたには、その宗教性があるということになる。笑って無視すれば、あなたには、その宗教性がないということになる。
その宗教性は、ふとしたきっかけで、信仰心に変身する。信仰心といっても、おおざっぱに言えば、2種類ある。ひとつは、教えを重要視するもの。もうひとつは、超自然的なパワーを盲信するもの。前者を、哲学主義というなら、後者は、神秘主義ということになる。
もちろん、その中間もある。色の濃さも、それぞれの宗教によって、ちがう。宗派によっても、ちがう。しかしたいていのばあい、宗教は、信者を問答無用式に黙らせるために、絶対的な存在を、信仰の中心に置く。「イワシの頭も信心から」とは言うが、イワシの頭では、信者を黙らせることはできない。
神や仏がよい。あるいは太陽がよい、月がよい。さらには、星がよい、と。
よく誤解されるが、宗教があるから、信者がいるのではない。宗教を求める信者がいるから、宗教が生まれる。そしてその宗教も、ビジネスの世界と同じように、需要と供給のバランス関係によって、発展したり、衰退したりする。
たとえば、私が子どものころには、占星術なるものは、日本には、存在しなかった。どこかには、あったのかもしれないが、少なくとも、私たちの目の届くところには、なかった。ただ歴史的には、天空の異変を見ながら、その国の吉凶を占うということは、日本でも、中国でもあったようだ。
中国における古代天文学は、そうした視点から発達した。
しかしそれが個人レベルの占星術、つまり運勢占星術として、日本で定着し始めたのは、私の記憶によれば、1970年代以後のことではなかったか。こと「星」について言えば、日本人は、元来、無頓着な民族と言える。星座、それにつづく天文学については、それについて研究したという史料は、ほとんどといってよいほど、残っていない。(これは多分に、私の認識不足によるものかもしれないが……。)
占星術も、その後、需要と供給のバランスの中で、発展した。(発達したのではなく、発展した。誤解のないように。)もっと端的に言えば、心にスキマのある人たちが、より、もっともらしい(占い)に飛びついた。占星術は、そういう意味で、日本人の需要に、うまく答えたということになる。
それ以前には、手相、姓名判断、八卦(はっけ)などが、占いとして、日本人の心のスキマを埋めていた。私の実家では、毎年正月に、近くの神社から配られる、運勢判断を見ながら、その年の計画を立てる慣わしになっていた。
一方、占星術は、こうした旧来型の占いとちがい、どこか数学的であるという点と、「星」そのものがもつロマンチックな雰囲気が、若者の心をとらえた。そして今に見る、占星術、全盛期を迎えるにいたった。
書店でもコンビニでも、その種の本がズラリと並ぶ。占星術師なる人物が、テレビに顔を出さない日は、ない。
しかしこうした現象が、子どもにとって望ましい現象かどうかということになると、それは疑わしい。占いそのものがもつ非論理性もさることながら、ここにも書いたように、占いは、神秘主義と結びつきやすく、それがそのまま宗教性へとつながっていく可能性が高い。あの忌まわしいO真理教による、地下鉄サリン事件以来、カルトと呼ばれる狂信的宗教団体は、表向きは、なりを潜めている。が、しかし今の今も、社会の水面下で、その勢力を拡大していることを忘れてはならない。
こうした子どものもつ宗教性が、いつなんどき、そうしたカルトによって利用されるか、わかったものではない。忘れてならないのは、占いは、立派な、信仰である。しかもその信仰は、神秘主義そのものである。
何の批判もなく、何の制約もなく、占星術なるものが、大手を振ってこの日本を闊歩(かっぽ)している。それは子どもたちの未来にとっては、たいへん危険なことと考えてよい。
ペルシャの散文家、ニザーミイー・アルーズィーは、こう書いている。
「占星術師は、魂も性格も清く、人に好かれる人物でなければならない。また外見上、いくらかの精神錯乱、狂気、預言めいたことを言うのが、この術の必須条件である」と。つまり「異常な霊感こそが重要」(学研「イスラム教の本」)と。
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*Essays on My Birthday
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10月 28日号
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HAPPY BIRTHDAY TO ME, Hiroshi! I am 62 years old now!
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【人間の多様性について】
●人間の弱さ
+++++++++++++++++
欲望と理性が真正面からぶつかったら、どうなるか。
ふつう、理性に、勝ち目はない。
欲望はそれほどまでに強力で、根が深い。
とくに性欲においては、そうである。
どんな高徳な聖職者でも、あるいは高邁な
哲学者でも、たとえば性欲の前では、ひとたまりもない。
それなりの仮面をかぶることはできても、
仮面は仮面。
他人の目を気にした、仮面。
「私はそういうことには興味はありません」というような
顔をしているだけ。
……こう断言するのは、たいへん危険なことかもしれない。
中には、「私はそうでない」と反論する人もいるかも
しれない。
しかしそういう人は、まず、自分の肉体と精神の健康を
疑ってみたほうがよい。
あなたの肉体と精神が健康であるなら、もう一度、改めて、ここに
断言する。
欲望と理性が真正面からぶつかったら、どうなるか。
ふつう、理性に、勝ち目はない。
++++++++++++++++++++++++++++
●脳の構造
もし前頭連合野の働きが、脳全体をコントロールできるとするなら、
うつ病も含めて、もろもろの精神病は、そのまま解決する。
アルコール中毒も、ニコチン中毒も、そのまま解決する。
依存症もなければ、うまくいけば、人と人との争いもなくなる。
逆説的に考えるなら、そうでないから、そうでない。
前頭連合野のもつ力は、それほど強くない。
アルコール中毒ひとつとっても、それから抜け出るのは容易なことではない。
それがそのまま人間の精神力の限界ということになる。
前頭連合野の限界ということになる。
が、それにもし、性欲が理性でコントロールできるようなものであるとするなら、
人類は、とっくの昔に絶滅していたということになる。
人間がもつ臓器の中で、あれほどまでに不潔で、悪臭の漂う場所はない。
いくらその異性が好きになったとしても、もし理性のコントロールが働いているなら、
あの部分だけは、手で触れるとしても、最後の最後。
できるなら、見るのも避けたい。
そんな場所に、何と、種族存続のための、最重要器官が集まっている。
快楽の中心点になっている。
●「魔が差す」
少し前、手鏡を使って、女性のスカートの中をのぞいていた、どこかの教授が
いた。
それで有罪になったと思っていたら、今度は、電車の中で痴漢行為を働いたという。
その前にも、何かの事件で、一度、逮捕されている。
何もその教授の行為を弁護するつもりはない。
ないが、しかしどこのだれが、そういう教授を、「石をもって、打てるか」?
またそういうことをしたからといって、その教授がもつ、ほかのすぐれた部分
まで、否定しまうのも、どうかと思う。
その教授にしても、99・99%の時間は、教授として、師弟の指導に
尽力していたにちがいない。
すばらしい才能と能力に、恵まれていた。
彼が説いていた経済理論は、一級のものであった。
が、残りの0.01%の部分で、「魔が差した」。
●私だって……
「私だって……」という言い方をすると、誤解があるかもしれない。
しかし私は、けっして聖人ではない。
ふつうにスケベだし、スケベなこともたくさんしている。
頭の中は、この年齢になっても、スケベでいっぱい。
むしろ私は、生まれも育ちも、よくない。
動物的で、野蛮。
「魔が差す」という言葉からもわかるように、ほんの一瞬のスキが、私の
人生を狂わすということも、私のばあい、ありえないことではない。
たとえば私は、よくこんなことを考える。
●もし政治家だったら……
私が政治家だったとする。
その私のところへ、1人の土建業者がやってきた。
そして机の上に、1000万円の現金を積んだとする。
そしてこう言った。
「X町の土木部長に、よろしく」と。
そのときのこと。
だまってうなずけば、そのお金は自分のものになる。
土建業者は、何も言わず、その場を去る。
私なら……?
この先のことは書かないが、多分、みなさんと同じような行動を取ると思う。
●欲望
人間が本来的にもつ弱さというのは、人間自身がもつ、欠陥と考えてよい。
あるいは、本来、人間というのは、そういう(動物)であるという前提で、考えたらよい。
つまり人間は知的な意味で、格段の進化を遂げたが、その一方で、それ以前の
動物的な部分を残してもっている。
それが悪いというのではない。
それがあるからこそ、人間は、子孫を後世に残すことができる。
誤解してはいけない。
性欲といっても、もろもろの(欲望)のひとつにすぎない。
が、そうした欲望を、すべて否定してしまったら、残された道はただひとつ。
人類は、そのまま絶滅する。
●欲望のない世界
子どもは人工授精によって生まれ、それ以後は人工飼育器の中で育てられる。
欲望は否定される。
もちろん人間は、去勢され、性欲そのものを失う。
……話が少し極端になってきたが、欲望を否定した世界では、そうした形で、
子孫を残すしかない。
すべての人間は平等で、競争もなければ、もちろん争いもない。
手鏡で、女性のスカートの下をのぞく人もいなくなるが、同時に、経済の研究を
する学者もいなくなる。
話が入り組んできたが、平たく言えば、善があるから悪があり、悪があるから善が
あるということ。
その2つがつねにぶつかりあうから、そこからドラマが生まれる。
人間がなぜ生きているかといえば、そこにすべての目的が集約される。
●人間の中味
犯罪にもいろいろある。
それによって起こる事件にも、いろいろある。
しかし私は、最近、こんな経験をした。
故郷のM町の民芸館の中を見て回っているときのこと。
そこにどこか顔なじみに男がいた。
中学時代の同級生である。
彼のことは、よく知っている。
親しくはなかったが、よく知っている。
彼は中学を卒業するとしばらくして、どこかの暴力団に入り、そのあと、
10年近く、刑務所で暮らしている。
同窓会に出るたびに、彼の話がよく出た。
が、である。
私はその男の温厚さに驚いた。
ふつうの温厚さではない。
体の芯からにじみ出るような、温厚さである。
人間的な深い暖かみも感じた。
私のことはよく覚えていて、たがいに話がはずんだ。
そのあと、ボランティアの案内人として、町の中を、観光客を案内するということだった。
別れてからワイフに、その男の過去を話すと、ワイフはたいへん驚いていた。
「そんな人には、ぜんぜん、見えないわね」と。
●罪を憎んで、人を憎まず
法律の世界には、『罪を憎んで、人を憎まず』という言葉がある。
そこに犯罪者がいたとしても、悪いのは、その「罪」であって、「人」ではないという
考え方である。
まさにそのとおりで、手鏡でスカートの下をのぞいたことは悪いとしても、だからと
いって、その人のすべてを否定してはいけない。
同じように、若いころ、刑務所にいたからといって、その後の彼の人生のすべてを
否定してはいけない。
その区別というか、境界をしっかりと引く。
それが『罪を憎んで、人を憎まず』の意味ということになる。
●魔が差す
考えてみれば、人間は、社会的動物である以上、いつも「悪」にさらされて生きている。
今、「私はだいじょうぶ」と考えている人にしても、明日のことはわからない。
それは事故のようなもの。
ふと油断したようなとき、悪の餌食になる。
『魔が差す』というのは、それをいう。
言い換えると、だれしも、そういうときはある。
私にもあるし、あなたにもある。
冒頭にあげた(欲望)というのは、そういうもの。
(理性)の緊張感がゆるんだ、その一瞬をついて、その人を狂わす。
だからといって、そういう人を擁護するつもりはない。
が、一方的にそういう人を、否定してしまってはいけない。
私は、それを書きたかった。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●多様性について
+++++++++++++++++++++++++++
知人、友人が、健康を害していくのを見るのは、つらい。
見た目には同じようでも、「今、○○病と闘っているよ」と
言われると、そのつど、ドキッとする。
同じように、知人、友人が、ボケていくのを見るのは、つらい。
明らかに頭の回転が鈍くなっている。
話し方も、かったるい。
会話から繊細さが消え、ぶっきらぼうな言い方をする。
たいていは、血栓性の脳障害(脳血管性認知症)によるもの。
独特の話し方をする。
それが最近は、素人の私にも、判断できるようになった。
+++++++++++++++++++++++++++
●意識
私たちがもっている(意識)ほど、あてにならないものはない。
「私は私」と思っている部分についても、では、脳の中で、どの部分がそう思っているか
となると、それがどうもよくわからないらしい。
たとえば理性の中枢部として、前頭連合野がある。
額の裏側にある脳である。
しかしその「前頭」と言われている部分についても、左脳と右脳に分かれている。
仕事を分担している。
(最近、とくに注目されている部分が、第46野と言われている部分だが、それについて
は、最後のところで書く。)
が、もちろん別々の仕事をしているわけではない。
「脳梁(のうりょう)」と呼ばれる、太い配線で結ばれている。
が、全体として、(1つ)ということではない。
脳は、そのときどきにおいて、いろいろな組み合わせを繰り返しながら、別人格を作りあ
げる。
一説によれば、8人格。
私の計算によれば、9人格。
さらには32人格まであると説く人もいる。
それぞれがそれぞれの人格のとき、別の意識をもつ。
今、「私は私」と思っている部分は、その中のひとつにすぎない。
●脳の奥で作られる無意識
たとえば「ジュース」という言葉を見たとする。
左脳の言語中枢は、それを「ジュース」と読み、読んだ言葉を、右脳に伝える。
右脳はその信号をとらえて、コップに入った黄色い飲み物を具体的に映像化する。
このとき、右脳は、すでに脳の中に格納された情報から、ジュースの情報を引き出し、「冷
蔵庫の中に、昨日買ってきた、オレンジジュースが残っているはず」と判断する。
が、もしここで、「マイロ」という言葉を見たとしたら、どうだろうか。
オーストラリアの飲み物である。
日本では、N社から、「ミロ」という商品名で、売りに出されている。
しかしオーストラリアに住んだことのない人は、「マイロ」と読んでも、意味がわからな
い。
右脳に情報を送っても、それがどんなものであるか、具体的に頭の中に浮かんでこない。
言葉だけは脳のあちこちをかけめぐるが、そのつど脳の壁に当たって、はね返されてしま
う。
「ジュース」という言葉を見たときには、それが具体的な映像となって、意識を動かす。
「飲みたい」という意識につながる。
が、「マイロ」という言葉を見たときには、具体的な映像は浮かんでこない。「飲みたい」
という意識は、当然、生まれない。
●操られる意識
ところが、「マイロ」について、だれかがこう説明したとする。
「ココアに似た味の、おいしい飲み物」と。
すると好奇心がわいてくる。
その好奇心が、「飲みたい」という意識を引き出す。
しかもそのとき、同時に、脳の別の部分では、別の意識が活発に動き出す。
「どこへ行けば手に入るか」
「値段は、いくらくらいか」
「どうやって飲むのか」などなど。
このときほとんどの意識は、意識されない世界、つまり無意識の世界で動き出す。
さらに脳の頭頂部あたりでは、「どんなカップに、どのようにして溶かして飲むか」まで考
えるかもしれない。
そこであなたは、「マイロ」について、調べる。
人に聞く。
最終的には、日本でも、N社から、「ミロ」という名前で売りに出されていることを知る。
で、あなたは近くの店に行き、それを手に入れる……。
●意識は、氷山の一角
こうした一連の意識活動で重要なことは、私たちが(意識している意識)というのは、
海に浮かんだ氷山の一角のようなものにすぎないということ。
一角どころか、「一微」と書いた方が、正確かもしれない。
で、そのあと、あなたは店へ行く。
店員に、「ミロはありますか?」と聞く。
それを見つけて、カートに入れる。
お金を払う。
家に帰って、飲む……。
そのつどあなたは、「私は、自分の意思で、そうしている」と思うかもしれない。
しかし実際には、それ以前、つまりあなたが「マイロ」という名前を読んだとき、脳の別
の部分が決めた行動に従って、そうしているにすぎない。
「意識」としては、意識できなかっただけ、ということになる。
これはほんの一例だが、私たちがもっている意識というのは、そういうものと考えてよ
い。
つまりアテにならない。
●多様人格
こうして考えていくと、どこからどこまでが「私」なのか、わからなくなってくる。
さらにその「私」にしても、冒頭に書いたように、脳の組み合わせによって、いくつもの
パターンに分かれる。
すばらしい映画を観たあとなどは、神々(こうごう)しい気持ちになる。
反対に殺伐とした暴力映画を観たあとなどは、イライラしたり、怒りっぽくなったりする。
どちらも「私」なのだが、どちらが本物の私で、どちらがそうでないかという判断をくだ
すのは、正しくない。
「神々しい私の方が、私」と思いたい気持ちはわかるが、それがすべてではない。
ときには、サスペンス映画、戦争映画、スリラー映画も、観たくなる。
SF映画も楽しい。
……となると、ますます訳が分からなくなる。
が、こうなったときの鉄則は、ひとつ。
ここは居直るしかない。
つまり私たちは、「常に(1人の私)ではない」と、考える。
1人の私に限定するから、話に無理が生じてくる。
自己矛盾に悩む。
脳の構造についていうなら、前頭前野の第46野が、「私」を作っている中枢部らしいと
いうことまでわかってきた。
その第46野は、簡単に言えば、3層(カラム)になっている。
それが左右の両方に、ひとつずつあるわけだから、組み合わせの数で言えば、3×3=9の、9通りということになる。
つまり私たちは、単純に計算すれば、いつも9通りの「私」をもっていることになる。
(もちろんどれが優勢か、劣勢かということはあるが……。
とくに優勢なのを、「主人格」という。)
ひとつにこだわらなければならない理由は、ない。
つまり多重人格であるのが、当たり前。
「多重人格」という言葉に抵抗があるなら、「多様人格」という言葉を使ってもよい。
私たちは、そのつど、時と場合に応じて、多様な意識をもって、ものを考えたり、行動
したりする。
学者のときは、学者。
父親のときは、父親。
酒が入ったときには、友人。
妻と裸で接するときは、スケベ人間……。
つまり「意識はアテにならない」と考えるのではなく、「どれも意識」と考える。
「どれも私」と考える。
さらに言えば、この多様性があるからこそ、その人のもつ(おもしろさ)が生まれる。
少し前、手鏡で女性のスカートの中をのぞいた大学教授の話を書いた。
が、それも人間が本来的にもつ、多様性のひとつとも考えられなくもない。
(だからといって、そういう行為を容認しているのではない。
ただ、ほかのすぐれた部分まで、いっしょくたに否定してしまってはいけないと書いてい
る。
誤解のないように!)
この考え方は、今後、変わるかもしれない。
しかし今は、これが私の意識についての結論ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 意識論 多様人格 人間の多様性 多重人格 はやし浩司の意識論)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●今日も終わった……(改)
●人を愛する
ぼくは、子どものころから、人を愛することができなかった。
愛することで、自分が傷つくのが、こわかった。
今も、そうで、人を愛しそうになると、その一歩手前で、立ち止まってしまう。
ぼくは、臆病者。
気が小さく、心が狭い。
いつも自分の殻(から)に閉じこもり、小さな穴から、外をのぞいている。
もちろん人を愛することのすばらしさは、知っている。
しかし同時に、人を愛することのきびしさも、つらさも知っている。
だから人を愛しそうになると、自分から先に逃げてしまう。
結婚してからもそうだった。
ぼくは心を開けなかった。
すべてをさらけ出して、妻に、「愛している」とは言えなかった。
そんなぼくを、妻は、いつもさみしく思っていたにちがいない。
この年齢になっても、また40年も連れ添っていても、
ぼくは自分が、こわい。
そう、ぼくはすべてをさらけ出すことができない。
いつも仮面をかぶって、自分の心をごまかしている。
裏切られるのがこわくて、先に、相手を裏切ってしまう。
つまらない人間ということも、よく知っている。
なさけない人間ということも、よく知っている。
しかしそんな自分を、どうすることもできない。
●徘徊
ぼくは、いやなことやつらいことがあると、よく徘徊する。
あてどもなく、ただひたすら、道に沿って歩く。
だれも通らない、細い道を選んで歩く。
そんなとき、妻はぼくを心配して、ぼくをさがす。
が、妻の運転する車を見ると、ぼくは、隠れてしまう。
助けてほしいのに、体は、別のほうを向いてしまう。
いじけた心。
ゆがんだ心。
すなおになりたくても、もう1人のぼくがいて、それをじゃまする。
もう残りの人生のほうが、はるかに短い。
ぼくは、ぼくらしく生きたい。
しかしそれができない、そのもどかしさ。
ときどき妻は、こう言う。
「あなたって、かわいそうな人ね」と。
自分で孤独を作って、その孤独の中で、もがき苦しんでいる。
「その人はどこにいるの?」と、1人の少女が、そう歌う。
昔、キングスクロスの劇場で観た、「ヘアー」の中でのことだった。
「私を導き、私を教えてくれる人は、どこにいるの?」と。
その少女は、つづけて、こう歌う。
「なぜ、私たちは生まれ、なぜ死ぬのか」
「私たちは、それを知るために、どこへ行けばいいの?」と。
話がそれたが、ぼくはなぜ歩くか。
理由は、簡単。
歩いているときだけ、ぼくは自分を忘れることができる。
●10月3日
静かな夜。
満月の夜。
心地よい、夜の冷気が、つんとぼくの乾いた心を包む。
洗い物をする妻のうしろ姿。
テーブルにころがった、もうひとつのメガネ。
その横には、小さな薬箱。
何でもない光景だが、それが今夜は、ひときわ動きを止めている。
息をひそめて、ぼくが何をするか、それを待っている。
が、ぼくは、ただそれをぼんやりとながめているだけ。
「時」だけが、こうして流れてきた。
今も、流れている。
これからも、流れていく。
人を愛することのできない、もどかしさ。
自分らしく生きられない、もどかしさ。
今のときを、自分の手でつかむことができない、もどかしさ。
みんなそうなのだろうか?
それともぼくだけが、そうなのだろうか?
あるいは、みんなは、こういうとき、どうしているのだろうか?
10月3日は、もうそろそろ終わる。
時刻は、午後10時30分。
ああ、今日も、何もできなかった……。
Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 09++++++はやし浩司
●自殺論
++++++++++++++++++++++
自殺というのは、それを考えない人には、
遠くにある。
「自殺するヤツは、バカ」と、平気で言う。
しかしそれを考える人には、手をのばせば
すぐそこにある。
その気になれば、いつでも死ねる。
自殺というのは、それを考えない人には、
恐怖かもしれない。
しかしそれを考える人には、最後の救い。
「死ぬことによって、自分の魂を解放させることができる」と。
死に向かって、迷わず、歩いていく。
+++++++++++++++++++++++
●絶望
絶望の恐ろしさは、絶望を味わったものでないとわからない。
すべての光が消えて、すべての目的が形を失う。
すべてのものが動きを止め、時間さえも、そのまま止まってしまう。
自分の人生の無意味さを思い知らされることくらい、恐ろしいことはない。
すべてのものが、色あせ、すべての人から、見放される。
そのとき「死」が、薄い氷の下で、手招きをして、ぼくを呼ぶ。
絶望こそが、死の魔手。
それがこわくて、人は、それがどんなに小さなものであっても、
希望に明日への命をつなぐ。
庭の芝生?
栗の木の上に造った、ハトの巣。
それとも明日の天気?
今、妻が、衣服を着替えながら、ぼくに微笑みかけた。
洗面所でいつものように顔を洗い、やがてこの居間にもどってきて、血圧を測る。
床につく時刻がやってきた。
明日こそは、妻を暖かい陽だまりで包んでやろう。
明日こそは、「今日はいい一日だった」と言えるようにしよう。
明日こそは……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 詩 はやし浩司の詩)
Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 09++++++はやし浩司
●10月4日(日曜日)
++++++++++++++++
遅い朝食をとっていると、ワイフが、こう言った。
「どこかへ行かない?」と。
で、「お前が決めろ」と言うと、ワイフは、
「浜名湖電車に乗りたい」と。
そこで急きょ、外出することにした。
++++++++++++++++
●浜名湖鉄道(天竜浜名湖鉄道)
ネットで時刻表を調べると、金指(かなさし)発、1時6分というのがあった。
それに乗ることにした。
言い忘れたが、「浜名湖鉄道」というのは、浜名湖の北を、掛川から、新所原(しんじょは
ら)まで、浜名湖を取り囲むようにして走っている電車である。
折しもフラワーパークでは、「モザイカルチャー博覧会」というのをやっていた。
が、日曜日ということもあって、やめた。
人が混雑したところを歩くのは、好きではない。
●1時6分発
途中、市内のパソコンショップに寄ったのが、まずかった。
時計を見ると、12時45分。
いくら急いでも、金指駅までは、20分はかかる。
とても間に合いそうにない。
が、こういうときは、(運命)に、身をゆだねる。
間に合うときには、間にあう。
間に合わないときには、間に合わない。
ジタバタしても、仕方ない。
ワイフの時計は、2、3分、進んでいた。
私の時計は、電波時計に合わせておいたから、正確。
「もうだめだね」と言いながら、駅に着くと、電車はそこで待っていた!
駅員さんに、車から降りながら、ちょっとだけ待ってくださいと声をかけると、「いいです
よオ!」と。
こういうところが、ローカル線。
人間の暖か味がちがう。
ワイフは、空き地に車を止め、ハーハーと息を切らしながら、駅へ走ってきた。
●森町でおりる
1日周遊券というのを買うと、1500円で乗り放題。
私たちはそれを買った。
しばらく、窓の外の景色を見る。
見慣れた景色だが、それだけに、ほっとする。
私はミニパソコンを取りだして、文を書き始める。
ワイフは、途中の駅で買った駅弁を開いて、それを食べる。
のどかな1日。
で、私たちは森町でおりることにした。
「森の石松」で有名な、森町である。
駅を出たところに案内所があって、そこの男性が、ていねいにいろいろと教えてくれた。
私たちは、蓮華寺と、その隣の民俗資料館を目指すことにした。
時間的に余裕があれば、その近くの町営浴場にも入ることにした。
●民俗資料館
もともとは役所だったという。
木造の二階家だった。
中にぎっしりと、農機具などが展示されていた。
私が子どものころ、どこかで見たようなものばかりだった。
なつかしいというより、どれも、小さいのに驚いた。
「ぼくが子どものころには、これはぼくの背丈より大きかった……」と話しながら、案内
人の案内を受けながら、館内を回った。
楽しかった。
で、そのあと、蓮華寺へ。
小さな寺だったが、住職がちょうど勤行(ごんぎょう)を始めるところだった。
私たちはその後ろ姿を見ながら、小銭を賽銭箱に入れた。
天井からつりさげられた鐘を鳴らした。
●町営浴場
このところ毎週のように、大きな浴場で風呂に入っている。
それもあって、帰りに、町営浴場へ入ることにした。
が、玄関を入ったとたん、Uターン。
ここから先は、森町の悪口になるから、慎重に書きたい。
私たちは、どうしてUターンをしたか?
入浴しないで、どうしてそのまま外へ出たか?
実は、玄関を入ると、通路をはさんで、左側が、デイサービスセンターになっていた。
独特の老臭と消毒臭。
右側が大浴場。
その右側には、広いロビーが、昼下がりの日光をさんさんと受けて明るく輝いていた。
が、見ると、80~90歳の老人たちが、椅子に座って、そこで休んでいた。
車椅子に座っている老人もいた。
よたよたと杖をついて歩いている老人もいた。
みな、腰の部分が不自然にふくらんでいる。
だから、Uターン。
老人を介護したことのある人なら、その理由を、みな、知っているはず。
●掛川へ
森町から、今度は掛川へ。
のどかな田園風景が、ゆっくりと流れるようにつづく。
私はパソコンのバッテリーを気にしながら、思いついたことを書きとめる。
こういうときというのは、書きたいことがつぎつぎと思い浮かんできて、頭の中がパニック状態になる。
で、掛川へ。
あちこちを歩いて、通りのそば屋に入った。
ほかの店は、どこも休息中だった。
味は、ふつう。
が、値段は高かった。
ざるそばが、850円!
店を出ると、そのまま駅へ。
みやげは、葛(くず)湯。
掛川名物。
そのときワイフが万歩計を見ると、9000歩近くを示していた。
つまり目的は達した。
家に着くころには、とっぷりと日が暮れていた。
私はネットで、新しいミニパソコンを注文した。
ワイフは、DVDを見始めた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 天竜浜名湖鉄道 浜名湖鉄道 浜名湖 浜松市 浜名湖)
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●文章
「文」というのは、生き物。
しばらく時間をおいて読み直してみると、まったく別の文になっている。
そんなことは、よくある。
そこで私のばあいは、文を一度書くと、しばらくそのままにしておく。
そのあと時間をおいて、再び、読み直す。
そのとき、できるだけ、声を出して読むようにしている。
たとえば昨日、私は、「人を愛する」というのと、「絶望論」というのを、書いた。
それを今朝、読み直してみた。
が、どこかヘン?
ぎこちない?
リズムが乱れている。
書いているときは気がつかなかったが、意味不明のところさえある。
だから改めて、書き直す。
だから楽しい。
だからおもしろい。
文を書くと言うのは、文という生き物を相手にすること。
……ということで、今週も始まった。
がんばろう!
10月5日、月曜日!
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●満62歳
++++++++++++++++++++
もうすぐ満62歳になる。
62歳だア!
その62歳が近づいて、うれしい報告がひとつある。
私は、ずっとこう考えていた。
「健康というのは、維持するもの」
「不可逆的に悪化するもの」と。
だから「現状維持ができるだけも、御の字」と。
ところが、である。
これがどうも、そうでないということがわかった。
まず体重を、68キロから60キロに減らした。
3か月ほどかけて、少しずつ減らした。
しばらくは、それまでに経験したことのない体の不調に
悩まされた。
体重が減ったのだから、その分、体は軽くなったはず。
が、それはなかった。
かえって、体を重く感ずるようになった。
抵抗力が落ちたせいか、皮膚病(とくに結膜炎)も含めて、風邪をひきやすく
なった。
ショックだったのは、いつもなら自転車でスイスイと登れる
坂が、登れなくなったこと。
筋肉そのものまで、萎(な)えてしまった。
で、それからさらに2か月あまり。
体重を60キロに維持したまま、運動量を多くした。
それに加えて、3週間ほど前から、ウォーキング・マシンを
購入し、暇を見つけてはそれを使い始めた。
1日、40~50分を目標にしている。
速度も時速6キロ前後に設定し、できるだけ、つま先で
歩くようにしている。
こうすると、軽いジョギングをしているような格好になる。
10~20分も使っていると、全身から汗が噴き出してくる。
こうした努力が功を奏したのか、最近では、自分の健康を、
はっきりと自覚できるようになった。
体も軽い。
睡眠も深くなった。
もちろんあの坂も、再び、スイスイと登れるようになった。
さらにうれしいことに、頭がサクサクと動くようになった。
朝起きたとき、それがよくわかる。
文章を書いていても、思ったことを、そのまま表現できる。
人と話していても、言葉が、なめらかに出てくる。
だから、こう書きたい。
「みなさん、還暦と言われて、あきらめてはいけない」
「60歳を過ぎても、健康は、じゅうぶん、増進できる」
「健康は維持するものではない。努力によって造るもの」と。
少し前、私の友人がこう言った。
「男がね、いちばん仕事ができるのは、60代だよ」と。
その友人は、日本でも最大手のペンキ会社の監査役をしていた。
私は、その友人の言った言葉を、信ずる!
花の60代!
我ら、ヤング・オールド・マンなのだア!
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 健康論 健康増進)
+++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●エピソード記憶
++++++++++++++++
●もの忘れ
昨日の昼に、何を食べたか。
おととい観た映画の題名は何だったか。
隣の息子の名前は何だったか。
そういうことを忘れるということは、よくある。
俗に言う、「ど忘れ」というのが、それ。
しかしその程度の(もの忘れ)は、むしろ正常なのだそうだ。
脳には、そういう機能がある。
それによって、脳はいつも脳への負担を軽くし、つぎの記憶に備える。
パソコンにたとえるなら、「クリーンアップ」ということか。
無駄な情報を消去して、メモリーを軽くする。
が、食べたことそのものを忘れてしまうのは、よくない。
映画を観たという事実を忘れてしまうのは、よくない。
自分の家の住所を忘れてしまうのは、よくない。
アルツハイマー型の痴呆症になると、記憶といっても、エピソード
(物語)そのものが記憶から抜けてしまい、それを忘れてしまうという。
実は、私の知人(現在60歳)も、この問題で、困っている。
6歳年上の姉がいるのだが、その姉が、最近、「私は相続放棄をした覚えは
ない」と言って、騒ぎ出したという。
ことのいきさつは、こうだ。
●知人のケース
知人の父親は、5年ほど前に他界した。
そのとき家を継いでいた知人が、何百万円かの現金を渡して、姉に相続を
放棄してもらった。
それに基づいて、知人は、土地、家屋の名義を、その知人のものに書き換えた。
で、それから5年。
変化が生じた。
知人の家の近くが、土地整理区画に指定された。
とたん、土地の価格が大暴騰。
どうしようもない荒地と思っていた土地が、住宅地になった。
姉が「相続放棄をした覚えはない」と言い出したのは、そのときのことだった。
で、知人は、当時の書類を姉に見せた。
それには、「協議により、全財産を兄、○○に譲ります」とある。
もちろん姉自身の実印による押印、直筆による署名もある。
「全財産」という箇所の上にも、実印による押印してある。
これについて、知人は、「とくに重要な箇所だから、あえて押印してもらった」
と言っている。
しかしその「協議書」を、姉は、「そんなものを書いた覚えはない」と。
で、知人が私に相談してきた。
一応、私は、元法学部の学生。
成績も悪くなかった。
それに専門は、民事訴訟法。
念のため、M市で弁護士をしている友人に、電話で確かめた上で、
知人にこう言った。
私「やりたいようにさせ、あとは無視したらいいですよ」
知「無視ですか?」
私「何か言うと、そういう人ですから、言葉尻をつかまれますよ」
知「姉というより、姉の娘が騒いでいるのですね。今年、40歳になるかな」
私「最近、そういうケースがたいへん多いですよ。弁護士をしている友人も
そう言っていました」と。
つまり当の本人(=相続権をもった相続権者)ではなく、その子ども
(=相続権をもたない息子や娘)が、「親の取り分が少ない」と言って騒ぐ。
●エピソード記憶
が、知人の姉のケースは、もう少し深刻である。
法務局でコピーを見せつけられたにもかかわらず、「私は書いてない」
「印鑑を押してない」と、がんばっているという。
さらには、「その協議書は、偽造されたもの」とまで、言い出した。
しかし偽造ということはありえない。
印鑑証明書にしても、本人以外は、取り寄せることさえできない。
実印にしても、そうだ。
筆跡をまねるとしても、限界がある。
さらに協議書の「全財産」という箇所の上に、実印が押印してある。
(実印の上に、「全財産」という文字が上書きしてあるなら、偽造という
こともありえるが……。)
……などなど。
が、知人の姉は、知人の話によれば、とぼけているとか、ウソをついているとか、
そういう雰囲気は、まるでないという。
まったく、シラフというか、本気で、そう信じこんでいるといったふう、と。
あるいは騒いだ分だけ、引っ込みがつかなくなってしまったのかもしれない(?)。
どうであるにせよ、話は、アルツハイマー病へと進んだ。
●アルツハイマー型認知症
知人の姉がその病気というわけではない。
しかし話の内容を総合すると、その心配は、ある。
あるいは私がその女性の夫なら、まずそれを疑う。
現在、満65歳をすぎると、アルツハイマー病の有病率は急激にふえることがわかってい
る(新潟大学脳研究所※)。
他の認知症も含めると、約10%の人が、そうなる。
で、アルツハイマー型の認知症のこわいところは、ここにある。
記憶の一部だけではなく、ある部分の記憶が、スッポリと抜けたかのように、
消えてしまう。
部分的に覚えているということもない。
たとえば夕食を食べたあと、しばらくすると、「私は夕食を食べていない」とか
言って騒ぎ出す。
さらに知人が困っているのは、電話。
数日おきに、姉から電話がかかってくるという。
(知人は、ナンバーディスプレイ装置を使って、姉からの電話には
出ないようにしているというが……。)
その電話というのが、高姿勢。
高慢。
留守番電話に向かって、言いたい放題。
妙に慇懃無礼な言い方をしたかと思うと、つぎの電話では、ギャンギャンと
怒鳴り散らす、など。
私「やはり、無視するしかないですね」
知「そうですね」
私「どうせ、あなたの姉さんは、何もできませんから」
知「しかし残念なのは、夫や娘も含めて、まわりの人たちがみな、姉を
たきつけていることです」
私「相続がからむと、そうみたいですよ」と。
認知症というと、とかく当の本人だけの問題と考えられがちである。
しかしそういう病気であると、まわりの人たちがわかっていればよい。
わからないから、その人に、振り回される。
予期せぬトラブルに巻き込まれていく。
不愉快な思いをする。
(教訓)
今ではこの病気も、早期発見が、第一。
治るということはないそうだが、進行を遅らせるという方法はある。
それに家族のだれかがそうなったら、できるだけ早く、周囲の人にそれを
伝えたほうがよい。
知人の姉のばあいは、かなりの電話魔らしく、夫の目を盗んでは、あちこちに
電話をかけまくっている。
そういう事実を、夫は知らない。
また「おかしい?」と気づいても、たいていのばあい、夫は、それを自ら
否定しようとする。
それを認めることは、夫にとっても、つらい。
が、こうした姿勢が、友人関係、近隣関係、親戚関係を破壊する。
アルツハイマー型痴呆症には、そういう問題も隠されている。
(注※)「65歳以上の認知症平均有病率は約10%である」
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 アルツハイマー 認知症 もの忘れ)
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
休みます
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【人間の多様性について】
●人間の弱さ
+++++++++++++++++
欲望と理性が真正面からぶつかったら、どうなるか。
ふつう、理性に、勝ち目はない。
欲望はそれほどまでに強力で、根が深い。
とくに性欲においては、そうである。
どんな高徳な聖職者でも、あるいは高邁な
哲学者でも、たとえば性欲の前では、ひとたまりもない。
それなりの仮面をかぶることはできても、
仮面は仮面。
他人の目を気にした、仮面。
「私はそういうことには興味はありません」というような
顔をしているだけ。
……こう断言するのは、たいへん危険なことかもしれない。
中には、「私はそうでない」と反論する人もいるかも
しれない。
しかしそういう人は、まず、自分の肉体と精神の健康を
疑ってみたほうがよい。
あなたの肉体と精神が健康であるなら、もう一度、改めて、ここに
断言する。
欲望と理性が真正面からぶつかったら、どうなるか。
ふつう、理性に、勝ち目はない。
++++++++++++++++++++++++++++
●脳の構造
もし前頭連合野の働きが、脳全体をコントロールできるとするなら、
うつ病も含めて、もろもろの精神病は、そのまま解決する。
アルコール中毒も、ニコチン中毒も、そのまま解決する。
依存症もなければ、うまくいけば、人と人との争いもなくなる。
逆説的に考えるなら、そうでないから、そうでない。
前頭連合野のもつ力は、それほど強くない。
アルコール中毒ひとつとっても、それから抜け出るのは容易なことではない。
それがそのまま人間の精神力の限界ということになる。
前頭連合野の限界ということになる。
が、それにもし、性欲が理性でコントロールできるようなものであるとするなら、
人類は、とっくの昔に絶滅していたということになる。
人間がもつ臓器の中で、あれほどまでに不潔で、悪臭の漂う場所はない。
いくらその異性が好きになったとしても、もし理性のコントロールが働いているなら、
あの部分だけは、手で触れるとしても、最後の最後。
できるなら、見るのも避けたい。
そんな場所に、何と、種族存続のための、最重要器官が集まっている。
快楽の中心点になっている。
●「魔が差す」
少し前、手鏡を使って、女性のスカートの中をのぞいていた、どこかの教授が
いた。
それで有罪になったと思っていたら、今度は、電車の中で痴漢行為を働いたという。
その前にも、何かの事件で、一度、逮捕されている。
何もその教授の行為を弁護するつもりはない。
ないが、しかしどこのだれが、そういう教授を、「石をもって、打てるか」?
またそういうことをしたからといって、その教授がもつ、ほかのすぐれた部分
まで、否定しまうのも、どうかと思う。
その教授にしても、99・99%の時間は、教授として、師弟の指導に
尽力していたにちがいない。
すばらしい才能と能力に、恵まれていた。
彼が説いていた経済理論は、一級のものであった。
が、残りの0.01%の部分で、「魔が差した」。
●私だって……
「私だって……」という言い方をすると、誤解があるかもしれない。
しかし私は、けっして聖人ではない。
ふつうにスケベだし、スケベなこともたくさんしている。
頭の中は、この年齢になっても、スケベでいっぱい。
むしろ私は、生まれも育ちも、よくない。
動物的で、野蛮。
「魔が差す」という言葉からもわかるように、ほんの一瞬のスキが、私の
人生を狂わすということも、私のばあい、ありえないことではない。
たとえば私は、よくこんなことを考える。
●もし政治家だったら……
私が政治家だったとする。
その私のところへ、1人の土建業者がやってきた。
そして机の上に、1000万円の現金を積んだとする。
そしてこう言った。
「X町の土木部長に、よろしく」と。
そのときのこと。
だまってうなずけば、そのお金は自分のものになる。
土建業者は、何も言わず、その場を去る。
私なら……?
この先のことは書かないが、多分、みなさんと同じような行動を取ると思う。
●欲望
人間が本来的にもつ弱さというのは、人間自身がもつ、欠陥と考えてよい。
あるいは、本来、人間というのは、そういう(動物)であるという前提で、考えたらよい。
つまり人間は知的な意味で、格段の進化を遂げたが、その一方で、それ以前の
動物的な部分を残してもっている。
それが悪いというのではない。
それがあるからこそ、人間は、子孫を後世に残すことができる。
誤解してはいけない。
性欲といっても、もろもろの(欲望)のひとつにすぎない。
が、そうした欲望を、すべて否定してしまったら、残された道はただひとつ。
人類は、そのまま絶滅する。
●欲望のない世界
子どもは人工授精によって生まれ、それ以後は人工飼育器の中で育てられる。
欲望は否定される。
もちろん人間は、去勢され、性欲そのものを失う。
……話が少し極端になってきたが、欲望を否定した世界では、そうした形で、
子孫を残すしかない。
すべての人間は平等で、競争もなければ、もちろん争いもない。
手鏡で、女性のスカートの下をのぞく人もいなくなるが、同時に、経済の研究を
する学者もいなくなる。
話が入り組んできたが、平たく言えば、善があるから悪があり、悪があるから善が
あるということ。
その2つがつねにぶつかりあうから、そこからドラマが生まれる。
人間がなぜ生きているかといえば、そこにすべての目的が集約される。
●人間の中味
犯罪にもいろいろある。
それによって起こる事件にも、いろいろある。
しかし私は、最近、こんな経験をした。
故郷のM町の民芸館の中を見て回っているときのこと。
そこにどこか顔なじみに男がいた。
中学時代の同級生である。
彼のことは、よく知っている。
親しくはなかったが、よく知っている。
彼は中学を卒業するとしばらくして、どこかの暴力団に入り、そのあと、
10年近く、刑務所で暮らしている。
同窓会に出るたびに、彼の話がよく出た。
が、である。
私はその男の温厚さに驚いた。
ふつうの温厚さではない。
体の芯からにじみ出るような、温厚さである。
人間的な深い暖かみも感じた。
私のことはよく覚えていて、たがいに話がはずんだ。
そのあと、ボランティアの案内人として、町の中を、観光客を案内するということだった。
別れてからワイフに、その男の過去を話すと、ワイフはたいへん驚いていた。
「そんな人には、ぜんぜん、見えないわね」と。
●罪を憎んで、人を憎まず
法律の世界には、『罪を憎んで、人を憎まず』という言葉がある。
そこに犯罪者がいたとしても、悪いのは、その「罪」であって、「人」ではないという
考え方である。
まさにそのとおりで、手鏡でスカートの下をのぞいたことは悪いとしても、だからと
いって、その人のすべてを否定してはいけない。
同じように、若いころ、刑務所にいたからといって、その後の彼の人生のすべてを
否定してはいけない。
その区別というか、境界をしっかりと引く。
それが『罪を憎んで、人を憎まず』の意味ということになる。
●魔が差す
考えてみれば、人間は、社会的動物である以上、いつも「悪」にさらされて生きている。
今、「私はだいじょうぶ」と考えている人にしても、明日のことはわからない。
それは事故のようなもの。
ふと油断したようなとき、悪の餌食になる。
『魔が差す』というのは、それをいう。
言い換えると、だれしも、そういうときはある。
私にもあるし、あなたにもある。
冒頭にあげた(欲望)というのは、そういうもの。
(理性)の緊張感がゆるんだ、その一瞬をついて、その人を狂わす。
だからといって、そういう人を擁護するつもりはない。
が、一方的にそういう人を、否定してしまってはいけない。
私は、それを書きたかった。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●多様性について
+++++++++++++++++++++++++++
知人、友人が、健康を害していくのを見るのは、つらい。
見た目には同じようでも、「今、○○病と闘っているよ」と
言われると、そのつど、ドキッとする。
同じように、知人、友人が、ボケていくのを見るのは、つらい。
明らかに頭の回転が鈍くなっている。
話し方も、かったるい。
会話から繊細さが消え、ぶっきらぼうな言い方をする。
たいていは、血栓性の脳障害(脳血管性認知症)によるもの。
独特の話し方をする。
それが最近は、素人の私にも、判断できるようになった。
+++++++++++++++++++++++++++
●意識
私たちがもっている(意識)ほど、あてにならないものはない。
「私は私」と思っている部分についても、では、脳の中で、どの部分がそう思っているか
となると、それがどうもよくわからないらしい。
たとえば理性の中枢部として、前頭連合野がある。
額の裏側にある脳である。
しかしその「前頭」と言われている部分についても、左脳と右脳に分かれている。
仕事を分担している。
(最近、とくに注目されている部分が、第46野と言われている部分だが、それについて
は、最後のところで書く。)
が、もちろん別々の仕事をしているわけではない。
「脳梁(のうりょう)」と呼ばれる、太い配線で結ばれている。
が、全体として、(1つ)ということではない。
脳は、そのときどきにおいて、いろいろな組み合わせを繰り返しながら、別人格を作りあ
げる。
一説によれば、8人格。
私の計算によれば、9人格。
さらには32人格まであると説く人もいる。
それぞれがそれぞれの人格のとき、別の意識をもつ。
今、「私は私」と思っている部分は、その中のひとつにすぎない。
●脳の奥で作られる無意識
たとえば「ジュース」という言葉を見たとする。
左脳の言語中枢は、それを「ジュース」と読み、読んだ言葉を、右脳に伝える。
右脳はその信号をとらえて、コップに入った黄色い飲み物を具体的に映像化する。
このとき、右脳は、すでに脳の中に格納された情報から、ジュースの情報を引き出し、「冷
蔵庫の中に、昨日買ってきた、オレンジジュースが残っているはず」と判断する。
が、もしここで、「マイロ」という言葉を見たとしたら、どうだろうか。
オーストラリアの飲み物である。
日本では、N社から、「ミロ」という商品名で、売りに出されている。
しかしオーストラリアに住んだことのない人は、「マイロ」と読んでも、意味がわからな
い。
右脳に情報を送っても、それがどんなものであるか、具体的に頭の中に浮かんでこない。
言葉だけは脳のあちこちをかけめぐるが、そのつど脳の壁に当たって、はね返されてしま
う。
「ジュース」という言葉を見たときには、それが具体的な映像となって、意識を動かす。
「飲みたい」という意識につながる。
が、「マイロ」という言葉を見たときには、具体的な映像は浮かんでこない。「飲みたい」
という意識は、当然、生まれない。
●操られる意識
ところが、「マイロ」について、だれかがこう説明したとする。
「ココアに似た味の、おいしい飲み物」と。
すると好奇心がわいてくる。
その好奇心が、「飲みたい」という意識を引き出す。
しかもそのとき、同時に、脳の別の部分では、別の意識が活発に動き出す。
「どこへ行けば手に入るか」
「値段は、いくらくらいか」
「どうやって飲むのか」などなど。
このときほとんどの意識は、意識されない世界、つまり無意識の世界で動き出す。
さらに脳の頭頂部あたりでは、「どんなカップに、どのようにして溶かして飲むか」まで考
えるかもしれない。
そこであなたは、「マイロ」について、調べる。
人に聞く。
最終的には、日本でも、N社から、「ミロ」という名前で売りに出されていることを知る。
で、あなたは近くの店に行き、それを手に入れる……。
●意識は、氷山の一角
こうした一連の意識活動で重要なことは、私たちが(意識している意識)というのは、
海に浮かんだ氷山の一角のようなものにすぎないということ。
一角どころか、「一微」と書いた方が、正確かもしれない。
で、そのあと、あなたは店へ行く。
店員に、「ミロはありますか?」と聞く。
それを見つけて、カートに入れる。
お金を払う。
家に帰って、飲む……。
そのつどあなたは、「私は、自分の意思で、そうしている」と思うかもしれない。
しかし実際には、それ以前、つまりあなたが「マイロ」という名前を読んだとき、脳の別
の部分が決めた行動に従って、そうしているにすぎない。
「意識」としては、意識できなかっただけ、ということになる。
これはほんの一例だが、私たちがもっている意識というのは、そういうものと考えてよ
い。
つまりアテにならない。
●多様人格
こうして考えていくと、どこからどこまでが「私」なのか、わからなくなってくる。
さらにその「私」にしても、冒頭に書いたように、脳の組み合わせによって、いくつもの
パターンに分かれる。
すばらしい映画を観たあとなどは、神々(こうごう)しい気持ちになる。
反対に殺伐とした暴力映画を観たあとなどは、イライラしたり、怒りっぽくなったりする。
どちらも「私」なのだが、どちらが本物の私で、どちらがそうでないかという判断をくだ
すのは、正しくない。
「神々しい私の方が、私」と思いたい気持ちはわかるが、それがすべてではない。
ときには、サスペンス映画、戦争映画、スリラー映画も、観たくなる。
SF映画も楽しい。
……となると、ますます訳が分からなくなる。
が、こうなったときの鉄則は、ひとつ。
ここは居直るしかない。
つまり私たちは、「常に(1人の私)ではない」と、考える。
1人の私に限定するから、話に無理が生じてくる。
自己矛盾に悩む。
脳の構造についていうなら、前頭前野の第46野が、「私」を作っている中枢部らしいと
いうことまでわかってきた。
その第46野は、簡単に言えば、3層(カラム)になっている。
それが左右の両方に、ひとつずつあるわけだから、組み合わせの数で言えば、3×3=9の、9通りということになる。
つまり私たちは、単純に計算すれば、いつも9通りの「私」をもっていることになる。
(もちろんどれが優勢か、劣勢かということはあるが……。
とくに優勢なのを、「主人格」という。)
ひとつにこだわらなければならない理由は、ない。
つまり多重人格であるのが、当たり前。
「多重人格」という言葉に抵抗があるなら、「多様人格」という言葉を使ってもよい。
私たちは、そのつど、時と場合に応じて、多様な意識をもって、ものを考えたり、行動
したりする。
学者のときは、学者。
父親のときは、父親。
酒が入ったときには、友人。
妻と裸で接するときは、スケベ人間……。
つまり「意識はアテにならない」と考えるのではなく、「どれも意識」と考える。
「どれも私」と考える。
さらに言えば、この多様性があるからこそ、その人のもつ(おもしろさ)が生まれる。
少し前、手鏡で女性のスカートの中をのぞいた大学教授の話を書いた。
が、それも人間が本来的にもつ、多様性のひとつとも考えられなくもない。
(だからといって、そういう行為を容認しているのではない。
ただ、ほかのすぐれた部分まで、いっしょくたに否定してしまってはいけないと書いてい
る。
誤解のないように!)
この考え方は、今後、変わるかもしれない。
しかし今は、これが私の意識についての結論ということになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 意識論 多様人格 人間の多様性 多重人格 はやし浩司の意識論)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●今日も終わった……(改)
●人を愛する
ぼくは、子どものころから、人を愛することができなかった。
愛することで、自分が傷つくのが、こわかった。
今も、そうで、人を愛しそうになると、その一歩手前で、立ち止まってしまう。
ぼくは、臆病者。
気が小さく、心が狭い。
いつも自分の殻(から)に閉じこもり、小さな穴から、外をのぞいている。
もちろん人を愛することのすばらしさは、知っている。
しかし同時に、人を愛することのきびしさも、つらさも知っている。
だから人を愛しそうになると、自分から先に逃げてしまう。
結婚してからもそうだった。
ぼくは心を開けなかった。
すべてをさらけ出して、妻に、「愛している」とは言えなかった。
そんなぼくを、妻は、いつもさみしく思っていたにちがいない。
この年齢になっても、また40年も連れ添っていても、
ぼくは自分が、こわい。
そう、ぼくはすべてをさらけ出すことができない。
いつも仮面をかぶって、自分の心をごまかしている。
裏切られるのがこわくて、先に、相手を裏切ってしまう。
つまらない人間ということも、よく知っている。
なさけない人間ということも、よく知っている。
しかしそんな自分を、どうすることもできない。
●徘徊
ぼくは、いやなことやつらいことがあると、よく徘徊する。
あてどもなく、ただひたすら、道に沿って歩く。
だれも通らない、細い道を選んで歩く。
そんなとき、妻はぼくを心配して、ぼくをさがす。
が、妻の運転する車を見ると、ぼくは、隠れてしまう。
助けてほしいのに、体は、別のほうを向いてしまう。
いじけた心。
ゆがんだ心。
すなおになりたくても、もう1人のぼくがいて、それをじゃまする。
もう残りの人生のほうが、はるかに短い。
ぼくは、ぼくらしく生きたい。
しかしそれができない、そのもどかしさ。
ときどき妻は、こう言う。
「あなたって、かわいそうな人ね」と。
自分で孤独を作って、その孤独の中で、もがき苦しんでいる。
「その人はどこにいるの?」と、1人の少女が、そう歌う。
昔、キングスクロスの劇場で観た、「ヘアー」の中でのことだった。
「私を導き、私を教えてくれる人は、どこにいるの?」と。
その少女は、つづけて、こう歌う。
「なぜ、私たちは生まれ、なぜ死ぬのか」
「私たちは、それを知るために、どこへ行けばいいの?」と。
話がそれたが、ぼくはなぜ歩くか。
理由は、簡単。
歩いているときだけ、ぼくは自分を忘れることができる。
●10月3日
静かな夜。
満月の夜。
心地よい、夜の冷気が、つんとぼくの乾いた心を包む。
洗い物をする妻のうしろ姿。
テーブルにころがった、もうひとつのメガネ。
その横には、小さな薬箱。
何でもない光景だが、それが今夜は、ひときわ動きを止めている。
息をひそめて、ぼくが何をするか、それを待っている。
が、ぼくは、ただそれをぼんやりとながめているだけ。
「時」だけが、こうして流れてきた。
今も、流れている。
これからも、流れていく。
人を愛することのできない、もどかしさ。
自分らしく生きられない、もどかしさ。
今のときを、自分の手でつかむことができない、もどかしさ。
みんなそうなのだろうか?
それともぼくだけが、そうなのだろうか?
あるいは、みんなは、こういうとき、どうしているのだろうか?
10月3日は、もうそろそろ終わる。
時刻は、午後10時30分。
ああ、今日も、何もできなかった……。
Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 09++++++はやし浩司
●自殺論
++++++++++++++++++++++
自殺というのは、それを考えない人には、
遠くにある。
「自殺するヤツは、バカ」と、平気で言う。
しかしそれを考える人には、手をのばせば
すぐそこにある。
その気になれば、いつでも死ねる。
自殺というのは、それを考えない人には、
恐怖かもしれない。
しかしそれを考える人には、最後の救い。
「死ぬことによって、自分の魂を解放させることができる」と。
死に向かって、迷わず、歩いていく。
+++++++++++++++++++++++
●絶望
絶望の恐ろしさは、絶望を味わったものでないとわからない。
すべての光が消えて、すべての目的が形を失う。
すべてのものが動きを止め、時間さえも、そのまま止まってしまう。
自分の人生の無意味さを思い知らされることくらい、恐ろしいことはない。
すべてのものが、色あせ、すべての人から、見放される。
そのとき「死」が、薄い氷の下で、手招きをして、ぼくを呼ぶ。
絶望こそが、死の魔手。
それがこわくて、人は、それがどんなに小さなものであっても、
希望に明日への命をつなぐ。
庭の芝生?
栗の木の上に造った、ハトの巣。
それとも明日の天気?
今、妻が、衣服を着替えながら、ぼくに微笑みかけた。
洗面所でいつものように顔を洗い、やがてこの居間にもどってきて、血圧を測る。
床につく時刻がやってきた。
明日こそは、妻を暖かい陽だまりで包んでやろう。
明日こそは、「今日はいい一日だった」と言えるようにしよう。
明日こそは……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 詩 はやし浩司の詩)
Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 09++++++はやし浩司
●10月4日(日曜日)
++++++++++++++++
遅い朝食をとっていると、ワイフが、こう言った。
「どこかへ行かない?」と。
で、「お前が決めろ」と言うと、ワイフは、
「浜名湖電車に乗りたい」と。
そこで急きょ、外出することにした。
++++++++++++++++
●浜名湖鉄道(天竜浜名湖鉄道)
ネットで時刻表を調べると、金指(かなさし)発、1時6分というのがあった。
それに乗ることにした。
言い忘れたが、「浜名湖鉄道」というのは、浜名湖の北を、掛川から、新所原(しんじょは
ら)まで、浜名湖を取り囲むようにして走っている電車である。
折しもフラワーパークでは、「モザイカルチャー博覧会」というのをやっていた。
が、日曜日ということもあって、やめた。
人が混雑したところを歩くのは、好きではない。
●1時6分発
途中、市内のパソコンショップに寄ったのが、まずかった。
時計を見ると、12時45分。
いくら急いでも、金指駅までは、20分はかかる。
とても間に合いそうにない。
が、こういうときは、(運命)に、身をゆだねる。
間に合うときには、間にあう。
間に合わないときには、間に合わない。
ジタバタしても、仕方ない。
ワイフの時計は、2、3分、進んでいた。
私の時計は、電波時計に合わせておいたから、正確。
「もうだめだね」と言いながら、駅に着くと、電車はそこで待っていた!
駅員さんに、車から降りながら、ちょっとだけ待ってくださいと声をかけると、「いいです
よオ!」と。
こういうところが、ローカル線。
人間の暖か味がちがう。
ワイフは、空き地に車を止め、ハーハーと息を切らしながら、駅へ走ってきた。
●森町でおりる
1日周遊券というのを買うと、1500円で乗り放題。
私たちはそれを買った。
しばらく、窓の外の景色を見る。
見慣れた景色だが、それだけに、ほっとする。
私はミニパソコンを取りだして、文を書き始める。
ワイフは、途中の駅で買った駅弁を開いて、それを食べる。
のどかな1日。
で、私たちは森町でおりることにした。
「森の石松」で有名な、森町である。
駅を出たところに案内所があって、そこの男性が、ていねいにいろいろと教えてくれた。
私たちは、蓮華寺と、その隣の民俗資料館を目指すことにした。
時間的に余裕があれば、その近くの町営浴場にも入ることにした。
●民俗資料館
もともとは役所だったという。
木造の二階家だった。
中にぎっしりと、農機具などが展示されていた。
私が子どものころ、どこかで見たようなものばかりだった。
なつかしいというより、どれも、小さいのに驚いた。
「ぼくが子どものころには、これはぼくの背丈より大きかった……」と話しながら、案内
人の案内を受けながら、館内を回った。
楽しかった。
で、そのあと、蓮華寺へ。
小さな寺だったが、住職がちょうど勤行(ごんぎょう)を始めるところだった。
私たちはその後ろ姿を見ながら、小銭を賽銭箱に入れた。
天井からつりさげられた鐘を鳴らした。
●町営浴場
このところ毎週のように、大きな浴場で風呂に入っている。
それもあって、帰りに、町営浴場へ入ることにした。
が、玄関を入ったとたん、Uターン。
ここから先は、森町の悪口になるから、慎重に書きたい。
私たちは、どうしてUターンをしたか?
入浴しないで、どうしてそのまま外へ出たか?
実は、玄関を入ると、通路をはさんで、左側が、デイサービスセンターになっていた。
独特の老臭と消毒臭。
右側が大浴場。
その右側には、広いロビーが、昼下がりの日光をさんさんと受けて明るく輝いていた。
が、見ると、80~90歳の老人たちが、椅子に座って、そこで休んでいた。
車椅子に座っている老人もいた。
よたよたと杖をついて歩いている老人もいた。
みな、腰の部分が不自然にふくらんでいる。
だから、Uターン。
老人を介護したことのある人なら、その理由を、みな、知っているはず。
●掛川へ
森町から、今度は掛川へ。
のどかな田園風景が、ゆっくりと流れるようにつづく。
私はパソコンのバッテリーを気にしながら、思いついたことを書きとめる。
こういうときというのは、書きたいことがつぎつぎと思い浮かんできて、頭の中がパニック状態になる。
で、掛川へ。
あちこちを歩いて、通りのそば屋に入った。
ほかの店は、どこも休息中だった。
味は、ふつう。
が、値段は高かった。
ざるそばが、850円!
店を出ると、そのまま駅へ。
みやげは、葛(くず)湯。
掛川名物。
そのときワイフが万歩計を見ると、9000歩近くを示していた。
つまり目的は達した。
家に着くころには、とっぷりと日が暮れていた。
私はネットで、新しいミニパソコンを注文した。
ワイフは、DVDを見始めた。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 天竜浜名湖鉄道 浜名湖鉄道 浜名湖 浜松市 浜名湖)
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●文章
「文」というのは、生き物。
しばらく時間をおいて読み直してみると、まったく別の文になっている。
そんなことは、よくある。
そこで私のばあいは、文を一度書くと、しばらくそのままにしておく。
そのあと時間をおいて、再び、読み直す。
そのとき、できるだけ、声を出して読むようにしている。
たとえば昨日、私は、「人を愛する」というのと、「絶望論」というのを、書いた。
それを今朝、読み直してみた。
が、どこかヘン?
ぎこちない?
リズムが乱れている。
書いているときは気がつかなかったが、意味不明のところさえある。
だから改めて、書き直す。
だから楽しい。
だからおもしろい。
文を書くと言うのは、文という生き物を相手にすること。
……ということで、今週も始まった。
がんばろう!
10月5日、月曜日!
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●満62歳
++++++++++++++++++++
もうすぐ満62歳になる。
62歳だア!
その62歳が近づいて、うれしい報告がひとつある。
私は、ずっとこう考えていた。
「健康というのは、維持するもの」
「不可逆的に悪化するもの」と。
だから「現状維持ができるだけも、御の字」と。
ところが、である。
これがどうも、そうでないということがわかった。
まず体重を、68キロから60キロに減らした。
3か月ほどかけて、少しずつ減らした。
しばらくは、それまでに経験したことのない体の不調に
悩まされた。
体重が減ったのだから、その分、体は軽くなったはず。
が、それはなかった。
かえって、体を重く感ずるようになった。
抵抗力が落ちたせいか、皮膚病(とくに結膜炎)も含めて、風邪をひきやすく
なった。
ショックだったのは、いつもなら自転車でスイスイと登れる
坂が、登れなくなったこと。
筋肉そのものまで、萎(な)えてしまった。
で、それからさらに2か月あまり。
体重を60キロに維持したまま、運動量を多くした。
それに加えて、3週間ほど前から、ウォーキング・マシンを
購入し、暇を見つけてはそれを使い始めた。
1日、40~50分を目標にしている。
速度も時速6キロ前後に設定し、できるだけ、つま先で
歩くようにしている。
こうすると、軽いジョギングをしているような格好になる。
10~20分も使っていると、全身から汗が噴き出してくる。
こうした努力が功を奏したのか、最近では、自分の健康を、
はっきりと自覚できるようになった。
体も軽い。
睡眠も深くなった。
もちろんあの坂も、再び、スイスイと登れるようになった。
さらにうれしいことに、頭がサクサクと動くようになった。
朝起きたとき、それがよくわかる。
文章を書いていても、思ったことを、そのまま表現できる。
人と話していても、言葉が、なめらかに出てくる。
だから、こう書きたい。
「みなさん、還暦と言われて、あきらめてはいけない」
「60歳を過ぎても、健康は、じゅうぶん、増進できる」
「健康は維持するものではない。努力によって造るもの」と。
少し前、私の友人がこう言った。
「男がね、いちばん仕事ができるのは、60代だよ」と。
その友人は、日本でも最大手のペンキ会社の監査役をしていた。
私は、その友人の言った言葉を、信ずる!
花の60代!
我ら、ヤング・オールド・マンなのだア!
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 健康論 健康増進)
+++++++++++++++++++++++++はやし浩司
●エピソード記憶
++++++++++++++++
●もの忘れ
昨日の昼に、何を食べたか。
おととい観た映画の題名は何だったか。
隣の息子の名前は何だったか。
そういうことを忘れるということは、よくある。
俗に言う、「ど忘れ」というのが、それ。
しかしその程度の(もの忘れ)は、むしろ正常なのだそうだ。
脳には、そういう機能がある。
それによって、脳はいつも脳への負担を軽くし、つぎの記憶に備える。
パソコンにたとえるなら、「クリーンアップ」ということか。
無駄な情報を消去して、メモリーを軽くする。
が、食べたことそのものを忘れてしまうのは、よくない。
映画を観たという事実を忘れてしまうのは、よくない。
自分の家の住所を忘れてしまうのは、よくない。
アルツハイマー型の痴呆症になると、記憶といっても、エピソード
(物語)そのものが記憶から抜けてしまい、それを忘れてしまうという。
実は、私の知人(現在60歳)も、この問題で、困っている。
6歳年上の姉がいるのだが、その姉が、最近、「私は相続放棄をした覚えは
ない」と言って、騒ぎ出したという。
ことのいきさつは、こうだ。
●知人のケース
知人の父親は、5年ほど前に他界した。
そのとき家を継いでいた知人が、何百万円かの現金を渡して、姉に相続を
放棄してもらった。
それに基づいて、知人は、土地、家屋の名義を、その知人のものに書き換えた。
で、それから5年。
変化が生じた。
知人の家の近くが、土地整理区画に指定された。
とたん、土地の価格が大暴騰。
どうしようもない荒地と思っていた土地が、住宅地になった。
姉が「相続放棄をした覚えはない」と言い出したのは、そのときのことだった。
で、知人は、当時の書類を姉に見せた。
それには、「協議により、全財産を兄、○○に譲ります」とある。
もちろん姉自身の実印による押印、直筆による署名もある。
「全財産」という箇所の上にも、実印による押印してある。
これについて、知人は、「とくに重要な箇所だから、あえて押印してもらった」
と言っている。
しかしその「協議書」を、姉は、「そんなものを書いた覚えはない」と。
で、知人が私に相談してきた。
一応、私は、元法学部の学生。
成績も悪くなかった。
それに専門は、民事訴訟法。
念のため、M市で弁護士をしている友人に、電話で確かめた上で、
知人にこう言った。
私「やりたいようにさせ、あとは無視したらいいですよ」
知「無視ですか?」
私「何か言うと、そういう人ですから、言葉尻をつかまれますよ」
知「姉というより、姉の娘が騒いでいるのですね。今年、40歳になるかな」
私「最近、そういうケースがたいへん多いですよ。弁護士をしている友人も
そう言っていました」と。
つまり当の本人(=相続権をもった相続権者)ではなく、その子ども
(=相続権をもたない息子や娘)が、「親の取り分が少ない」と言って騒ぐ。
●エピソード記憶
が、知人の姉のケースは、もう少し深刻である。
法務局でコピーを見せつけられたにもかかわらず、「私は書いてない」
「印鑑を押してない」と、がんばっているという。
さらには、「その協議書は、偽造されたもの」とまで、言い出した。
しかし偽造ということはありえない。
印鑑証明書にしても、本人以外は、取り寄せることさえできない。
実印にしても、そうだ。
筆跡をまねるとしても、限界がある。
さらに協議書の「全財産」という箇所の上に、実印が押印してある。
(実印の上に、「全財産」という文字が上書きしてあるなら、偽造という
こともありえるが……。)
……などなど。
が、知人の姉は、知人の話によれば、とぼけているとか、ウソをついているとか、
そういう雰囲気は、まるでないという。
まったく、シラフというか、本気で、そう信じこんでいるといったふう、と。
あるいは騒いだ分だけ、引っ込みがつかなくなってしまったのかもしれない(?)。
どうであるにせよ、話は、アルツハイマー病へと進んだ。
●アルツハイマー型認知症
知人の姉がその病気というわけではない。
しかし話の内容を総合すると、その心配は、ある。
あるいは私がその女性の夫なら、まずそれを疑う。
現在、満65歳をすぎると、アルツハイマー病の有病率は急激にふえることがわかってい
る(新潟大学脳研究所※)。
他の認知症も含めると、約10%の人が、そうなる。
で、アルツハイマー型の認知症のこわいところは、ここにある。
記憶の一部だけではなく、ある部分の記憶が、スッポリと抜けたかのように、
消えてしまう。
部分的に覚えているということもない。
たとえば夕食を食べたあと、しばらくすると、「私は夕食を食べていない」とか
言って騒ぎ出す。
さらに知人が困っているのは、電話。
数日おきに、姉から電話がかかってくるという。
(知人は、ナンバーディスプレイ装置を使って、姉からの電話には
出ないようにしているというが……。)
その電話というのが、高姿勢。
高慢。
留守番電話に向かって、言いたい放題。
妙に慇懃無礼な言い方をしたかと思うと、つぎの電話では、ギャンギャンと
怒鳴り散らす、など。
私「やはり、無視するしかないですね」
知「そうですね」
私「どうせ、あなたの姉さんは、何もできませんから」
知「しかし残念なのは、夫や娘も含めて、まわりの人たちがみな、姉を
たきつけていることです」
私「相続がからむと、そうみたいですよ」と。
認知症というと、とかく当の本人だけの問題と考えられがちである。
しかしそういう病気であると、まわりの人たちがわかっていればよい。
わからないから、その人に、振り回される。
予期せぬトラブルに巻き込まれていく。
不愉快な思いをする。
(教訓)
今ではこの病気も、早期発見が、第一。
治るということはないそうだが、進行を遅らせるという方法はある。
それに家族のだれかがそうなったら、できるだけ早く、周囲の人にそれを
伝えたほうがよい。
知人の姉のばあいは、かなりの電話魔らしく、夫の目を盗んでは、あちこちに
電話をかけまくっている。
そういう事実を、夫は知らない。
また「おかしい?」と気づいても、たいていのばあい、夫は、それを自ら
否定しようとする。
それを認めることは、夫にとっても、つらい。
が、こうした姿勢が、友人関係、近隣関係、親戚関係を破壊する。
アルツハイマー型痴呆症には、そういう問題も隠されている。
(注※)「65歳以上の認知症平均有病率は約10%である」
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
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2009年10月27日火曜日
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 11月 27日
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メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【子どもを伸ばすために】
++++++++++++++++++
子どもを伸ばすには、どうしたらよいか。
それについて書いてみたい。
(まとまりのない文章で、すみません。)
++++++++++++++++++
●八つ当たり
脳みそというのは、器用なようであって、器用でない。
基本的には、不器用。
「自分ではこうしたい」と思っていても、脳のほうが、勝手に反応してしまうことがある。
その一つの例が、八つ当たり。
何かのことでいやなことがあったとする。
ムシャクシャする。
するとそのはけ口を、ほかのものや、人に向ける。
向けられた人こそ、えらい迷惑。
そういう心理状態を、心理学では、「置き換え」という言葉を使って説明する。
しかしそれも道理。
一度、ある種のホルモン、たとえばサイトカインなどが分泌されると、
それは脳内全体に作用する。
部分的に、ここだけに作用して……というわけには、いかない。
だから一度、サイトカインが分泌されると、いや~な気分は、脳全体に影響を与える。
それが八つ当たりの原因ということになる。
が、その八つ当たりをコントロールするのが、理性。
つまり前頭連合野の働きということになる。
が、この前頭連合野の働きは、あまりアテにならない。
個人差も大きい。
つまり本能的な脳の働きの前では、理性の力といっても、風の中で揺れる
ローソクの光のようなもの。
とくに私のばあいは、そうである。
何かにつけて、すぐ八つ当たりしてしまう。
では、どうすればよいのか。
●アクセルとブレーキ
少し話が脱線するが、許してほしい。
心理的反応の大きさは、脳に刻み込まれたトラウマ(心的外傷)の大きさによる。
トラウマが大きければ大きいほど、心理的反応は、大きくなる。
私のばあいも、ふつうの人にとっては何でもないことでも、あること(人)になると、
反応が過剰になることがある。
たとえば「酒」。
私は酒のにおいが、嫌い。
酒臭い人も、嫌い。
ふつうの人にとっては、何でもないにおいでも、私にとっては、そうでない。
理由は、わかっている。
私の父は、酒癖が悪く、酒を飲むたびに、家の中で暴れたり、大声を出して叫んだ。
それがトラウマになっている。
若いときほどではないが、いまだに、その残像が残っている。
そういう自分を観察してみて、気がついたことがある。
「置き換え」も、そのときの気分によって、左右される、と。
たとえば親しい友人が、酒を飲んだとする。
そういうときは、ほとんど気にならない。
ワイフの酒も気にならない。
しかし電車に乗り込んできたような人が、酒臭かったりすると、ムッとする。
あるいは日ごろ、不愉快に思っている人が、酒臭かったりする。
そういうときも、ムッとする。
条件反射論で考えるなら、こういうことはないはず。
どの人に対しても、反応は平等に起きるはず。
つまり条件反射も、別の何かによって、影響を受けることになる。
なぜだろう?
そこで自分を観察してみる。
同じ条件反射なのに、強弱はどうして起こるのか、と。
このことは、少し汚い話で恐縮だが、「便」で考えてみるとわかる。
あのソクラテスは、「自分の糞(おならではない)は、いいにおい」と言った。
しかし便というのは、みな、同じようなもの。
同じように、においも、人によってそれほど、違わない。
が、どうしてか、自分のおなら(便ではない)は、よいにおいがする。
他人のは、そうでない。
そういうとき、頭の中でこんな反応が起きるのが、わかる。
一度は、臭いと思うが、それを発展的に(?)、「臭い」と思うときもあれば、
「臭くない」と、否定的に(?)、思うときがある。
他人のものであれば、発展的に、「臭い」と思う。
自分のものであれば、(ワイフのも、そうだが)、「臭くない」と思う。
つまりアクセルを踏むか、ブレーキを踏むかのちがいが、起きる。
その作用が、そのあとの心理作用に、影響を与える(?)。
脳のどこかに、そういうメカニズムがあるらしい。
●潜在意識
児童心理学の世界には、「好子」「嫌子」という言葉がある。
同じことなのに、それを前向きにする子どもがいる。
一方、それをいやがり、逃げ腰になる子どもも、いる。
こうした現象を、「好子」「嫌子」という言葉を使って説明する。
これもアクセルとブレーキに似ている。
可能性として考えられるのは、表の意識が、裏の意識、つまり潜在意識に
操られているということ。
そのことによいイメージをもっていると、そのイメージが、アクセルとなって働く。
悪いイメージをもっていると、ブレーキとなって働く。
たまたま今日も、年中児の男の子に、簡単な文章を読ませようとした。
そのときのこと。
その子どもは、その文章から目をそらし、悲しそうな目つきで、私の顔をじっと見つめた。
明らかに拒否反応である。
文字に対して、どこかで悪いイメージをもってしまったらしい。
それがブレーキとなって働いた。
そこで何とかその子どもに、その文章を読ませた。
少しずつ私が読み、それを復唱させた。
文字などはスラスラと書くので、その程度の文章が読めないということはない。
で、読んだあと、みなの前でほめ、そしてみなに、手を叩かせた。
とたん、表情がぱっと輝いた。
で、もう一度、レッスンの終わるころ、その男の子に同じ文章を読ませた。
今度は、大きな声で読んだ。
今度は、アクセルが働いた。
●イメージ・トレーニング
こうして考えてみると、条件反射をコントロールするのは、実は理性(=前頭
連合野)ではなく、潜在意識ということになる。
あるいは潜在意識のほうが、パワー的には、前頭連合野より強力ということになる。
こうして生まれた指導法が、イメージ・トレーニング法ということになる。
これは航空大学校に通っていたころの三男から学んだ方法である。
パイロットの卵というのは、訓練の過程で、いつもイメージ・トレーニング法を
使うという。
簡単な例では、たとえば頭の中に飛行機を思い浮かべ、その飛行機が横風を
受けて、流されていく様子など。
そういうイメージを描きながら、自分はどう飛ぶべきかを、頭の中でトレーニング
する。
私も幼児教室で、このイメージ・トレーニン法を多用している。
たとえば、私が何を言っても、「やりたい!」と子どもたちに言わせる。
大声で言わせるのが、コツ。
「お手伝いをしたいか」「やりたい!」
「ひらがなの勉強をしたいか」「やりたい!」
「お母さんを助けたいか」「やりたい!」と。
(「YES!」「NO!」と言わせるときもある。
「いやだア!」と大声で連呼させるときもある。)
反対に、「いやだ!」と言わせるときは、こうする。
「ゴキブリの天ぷらを食べたいか」「いやだア!」
「ミミズのラーメンを食べたいか」「いやだア!」
「ねずみのウンチのから揚げを食べたいか」「いやだア!」と。
こうしてはずみをつけたあと、少しずつ、内容を現実に近づけていく。
「タバコを吸ってみるか」「いやだア!」
「ちょっとおじさんと、遊びに行かないか」「いやだア!」
「いいところへ連れていってやるから、車に乗ってよ」「いやだア!」と。
(実際の指導風景は、YOUTUBEのところどころに、収録してある。
興味のある人は、そちらを見てほしい※。)
●トラウマつぶし
こうして子どもたちの脳の中に、前向きな潜在意識を作っていく。
同時に、それを自分自身に応用してみる。
何かのトラウマがあったとしても、(もちろんそれが何であるかを、先に
知らなければならないが……)、そのトラウマをつぶす。
これを私は勝手に、「トラウマつぶし」と呼んでいる。
たとえば私は、幼稚園に勤め始めたころ、できの悪い子どもが苦手だった。
そういう子どもに接すると、そばにいるだけでイライラしたこともある。
しかしそれでは仕事にならない。
数か月や半年は、ごまかすことはできても、そこまで。
そのうち子どものほうが、「林先生は嫌い」とか、「幼稚園へ行きたくない」とか
言い出す。
そこで私は、(実のところ、5~7年もたってから、それに気づいたのだが)、
初対面のとき、「この子はいい子だ」と、自分をだますようにした。
「この子はすばらしい」「この子は伸びる」と。
それ以後、見違えるほど、子どもたちの表情が明るくなったのを覚えている。
教えるのも楽になった。
で、今でも、そうだ。
……というより、今は、自然な形でそれができる。
だから私が教えている子どもは、例外なく、どの子どもも、表情が明るい。
(表情が明るい子どもにするのが目的だから、当然のことだが……。)
その様子も、YOUTUBEに収録してあるので、ぜひ、見てほしい。
反対に、その子どもの中に、何らかのトラウマを見つけたら、この方法で
つぶす。
先に、文字に対して拒否反応を示した子どもについて書いた。
レッスンが終わったとき、母親には、こう言って指導した。
「あとは、家で、おおげさにほめてあげてください。
じょうずに読めたね。
お母さんが、うれしかったと言うだけで、効果があります。
お父さんの前でそれを言うと、もっと効果的です」と。
子どもを伸ばす、本当の力は、子ども自身の内部にある。
その内部を、教育する。
「それが幼児教育」とまでは断言できないが、ここに書いたことはまちがっていない。
あとは、子ども自身が本来的にもつ力で、伸びていく。
「子どもを伸ばすには」というテーマで書いたつもりだが、何ともまとまりのない
原稿になってしまった。
切り口をまちがえた。
八つ当たりから、話を始めたのが、まずかった。
ボツにしようかと考えたが、このまま発表する。
ごめんなさい!
(注※:YOUTUBEへは、私のHPのトップページより、「BW公開教室」へ。)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●映画『沈まぬ太陽』
静岡県では、今日、参議院議員の補欠選挙がある。
その投票に行く途中で、この文章を書いている。
(もちろん車の中で……。)
が、道路が、日曜日ということもあって、大渋滞。
少しイライラしていたら、ワイフが、「このまま映画に行かない?」と。
こういうとき、夫は、妻に従うのがよいそうだ。
先日買った雑誌(「プレジデント」)に、そう書いてあった。
熟年離婚の危機はかろうじてかわしたが、安全圏に入ったわけではない。
「時間的には、『沈まぬ太陽』がいいわ」ということで、そのまま劇場へ。
投票は、劇場からの帰りにすますことにした。
●日本映画
日本映画のつまらない点は、自然ぽさがないところ。
役者の個性を利用するというよりは、無理な役作りをするところにある。
知性の感じさせないような人が、科学者の役をしたり、スケベそうな男が、
正義を説いたり……。
その(無理)が、映画を、つまらないものにする。
先日も、「火TENの城」というのを見てきたが、途中で出てきてしまった。
ああいう(できすぎた映画)を見ていると、かえって不愉快になる。
何もかも、頭の中で先に予想ができてしまう。
「このつぎは、こうなるぞ」と。
そのとおりに、役者が演じ、ストーリーが運ぶ。
だからおもしろくない。
(この間、『沈まぬ太陽』を見た。長い映画だった。)
●『沈まぬ太陽』
主演の渡辺腱(父親役)と、名前は知らないが、息子役の男優。
この2人の演技が、きわだって光った。
よかった。
あとの俳優は、率直に言って、見るに耐えないというか、「これが演技です」
というような演技。
つまらなかった。
たぶん、監督の演技指導のままに演技していたのだろう。
語り方はもちろん、視線のはずし方まで、みな、同じだった。
映画を見れば、どこの航空会社がモデルになっているかは、一目瞭然。
「よく、あの会社が、こんな映画を許可したね」と、何度も、ワイフと言いあう。
最後の結末がさわやかだったからよかったが、もし醜いまま終わっていたら、
訴訟問題になっていたかも。
時期が時期だけに、あの会社にとっては、たいへんまずい。
現在、経営再建中。
内容的には、シリアスな社会派映画を見た感じ。
私も若いとき、M物産という会社にいた。
そういう立場で言うと、「現場は、あんなものではない」というのが、私の感想。
もっと生々しく、毒々しい。
それに日本の映画は、どうしてこうまでお説教がましいのだろう?
お金を出して、劇場まで足を運ぶのだから、もう少しサービス精神を旺盛にしてほしい。
つまり私たちを、楽しませてほしい。
ときに安っぽい論理で、人生観を語られたりすると、その場でシラケてしまう。
見終わったとき、ワイフに私も、こう言った。
「早く、M物産をやめて、よかった」と。
もしあのままあの会社で働いていたら、今ごろは、死んでいるか、身も心も、
ズタズタにされ、私は廃人になっていたはず。
同時に、以前書いた原稿を思い出した。
『休息を求めて、疲れる』(イギリスの格言)という原稿である。
いくつか書いたので、そのまま掲載する。
+++++++++++++++++++++
●休息を求めて疲れる(ロマンを求めて)
いまだに悪夢と言えば、修学旅行のときのものだ。集合時刻が近づく。私は大部屋で寝
ている。皆はすでにカバンを整理して外へ出ようとしている。私は自分の靴がどこにある
かもわからない。トイレはどこだ。まだ朝食も食べていない……。記憶にはないが、多分
私は子どものころ、旅行でそういう思いをしたのだろう。いや、それ以上に私たち団塊の
世代は、どんなことでも、乗り遅れるのを何よりも恐れていた。
前年までのクラスは五クラス。しかし私たちの学年からは、一一クラス。しかも一クラ
ス、五五人平均。粗製濫造とはまさにこのことで、私はサッカーにしても、一チーム、二
五人で戦うものだとばかり思っていた。
確かに私たちの世代は、いつもうしろから何かに押されていた。立ち止まっただけで、
言いようのない不安感に襲われた。はげしい競争。そしてまた競争。こうしてあの会社人
間、仕事人間は生まれたが、そうであってはいけないと思っていても、休暇で一週間も休
みが続いたりすると、それだけで申し訳ない気持ちになる。
私が見る悪夢は、その延長線上にあるにすぎない。「日本は資源のない国だ」「貿易で国を
支えるしかない」「欧米に追いつけ、追い越せ」「立派な社会人となれ」などなど。私たち
はこういう言葉を、毎日のように、それこそ耳が痛くなるほど聞かされた。結果、今のよ
うな日本がなったが、そこでまたふと立ち止まってみると、やはり言いようのない不安感
に襲われてしまう。
そうそうイギリスの格言に、「休息を求めて疲れる」というのがある。「いつか楽になろ
う、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、何もできなくなる」という
意味だが、イギリスでは、愚かな生きかたの代名詞にもなっている。オーストラリアの友
人も、何かのことで私があせっていると、「ヒロシ、気楽にせよ。休息を求めて疲れるな」
と、よく言ってくれた。しかし今になっても、その「休息」はどこにもない。なぜだろう
か。
貯金といっても、底が知れている。退職金などもちろんないが、年金にしても、本当に
もらえるかどうかわからなくなってきた。息子たちにしても、私が世話をすることはあっ
ても、その反対は、まず期待できない。期待もしていない。私はこうして死ぬまで働くし
かない。
話は変わるが私の友人の弟は、四二歳の若さで会社勤めをやめ、退職金をもってマレー
シアへ渡った。そしてそこで中古のヨットを買って、航海に出たという。「今ごろね、あい
つね、マレーシアで知り合ったフランス人女性と二人で、インド洋を航海しているはずで
す」と。その友人は笑って話してくれたが、私には夢のような話だ。いや、夢ではない。
私にだってできる。いつかはできる。それをしなければ、いつまでたっても、あの悪夢か
ら解放されることはない。
今回は私たち団塊の世代の、挫折とロマンを聞いてもらいたくて筆をとった。この中に
一つの教育論を感じとっていただければ幸いである。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●今を生きる子育て論
英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもなって
いる格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、
結局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生き方をしてはい
けません」と教えている。
たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人がいる。
同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大学へ入るため。
そして大学は、よき社会人になるため、と。
こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未来」のために犠牲にするという生き方は、ここで
いう愚かな生き方そのものと言ってもよい。いつまでたっても子どもたちは、自分の人生を、自
分のものにすることができない。あるいは社会へ出てからも、そういう生き方が基本になってい
るから、結局は自分の人生を無駄にしてしまう。
「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた……」と。
ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、偽ら
ずに生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、一人の高
校生が自殺に追いこまれるという映画である。
この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて疲れる』という生き方の、正反対の位置に
ある。これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれない。しかし今、あな
たの周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映るのは、「今」という現実であって、過去や未
来などというものは、どこにもない。あると思うのは、心の中だけ。だったら精一杯、この「今」
の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではないのか。
子どもたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そういう子
ども時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、大切ではないのか。
もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」と
いうことは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといっても、その
つどなすべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。
たとえば私は生徒たちには、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。
それでいい。結果はあとからついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、真っ先に
追い求めたら、君たちの人生は、見苦しくなる」と。
同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親たちは子ど
もに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。日本では「がんばれ!」
と拍車をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。
ごくふつうの日常会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観の基本的な違い
を感ずる。その違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の意味がわからないので
はないか……と、私は心配する。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●「休息を求めて疲れる」。
イギリスの格言である。愚かな生き方の代名詞にもなっている格言でもある。
「いつか楽になろう、なろうと思っているうちに、歳をとってしまい、結局は何もできな
くなる」という意味である。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた」と。
ところでこんな人がいる。
もうすぐ定年退職なのだが、退職をしたらひとりで、四国八八か所を巡礼をしてみたい、
と。
そういう話を聞くと、私はすぐこう思う。「ならば、なぜ今、しないのか?」と。
私はこの世界に入ってからずっと、したいことはすぐしたし、したくないことはしなかっ
た。
名誉や地位、それに肩書きとは無縁の世界だったが、そんなものにどれほどの意味がある
というのか。
私たちは生きるために稼ぐ。稼ぐために働く。これが原点だ。
だから○○部長の名前で稼いだ100万円も、幼稚園の講師で稼いだ100万円も、100
万円は100万円。
問題は、そのお金でどう生きるか、だ。
サラリーマンの人には悪いが、どうしてそうまで会社という組織に、義理立てをしなけれ
ばならないのか。
未来のためにいつも「今」を犠牲にする。
そういう生き方をしていると、いつまでたっても自分の時間をつかめない。
たとえばそれは子どもの世界を見ればわかる。
幼稚園は小学校の入学のため、小学校は中学校や高校への進学のため、またその先の大学
は就職のため……と。社会へ出てからも、そうだ。
子どものときからそういう生活のパターンになっているから、それを途中で変えることは
できない。
いつまでたっても「今」をつかめない。つかめないまま、人生を終わる。
あえて言えば、私にもこんな経験がある。
学生時代、テスト週間になるとよくこう思った。「試験が終わったら、ひとりで映画を見に
行こう」と。
しかし実際そのテストが終わると、その気力も消えてしまった。
どこか抑圧された緊張感の中では、「あれをしたい、これをしたい」という願望が生まれる
ものだが、それから解放されたとたん、その願望も消える。
先の「四国八八か所を巡礼してみたい」と言った人には悪いが、退職後本当にそれをした
ら、その人はよほど意思の強い人とみてよい。
私の経験では、多分、その人は四国八八か所めぐりはしないと思う。退職したとたん、そ
の気力は消えうせる……?
大切なことは、「今」をどう生きるか、だ。
「今」というときをいかに充実させるか、だ。明日という結果は明日になればやってくる。
そのためにも、「休息を求めて疲れる」ような生き方だけはしてはいけない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 沈まぬ太陽 映画「沈まぬ太陽」 休息を求めて疲
れる 休息を求めて、疲れる 今を生きる子育て論)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●パソコン
パソコンの世界では、つぎつぎと新製品が発売になる。
そのたびに、機能は向上し、デザインもよくなる。
そのたびに、新しいのが欲しくなる。
こういうのをビョーキという。
ドーパミンの分泌がさかんになる。
線条体で条件反射が起きる。
自分でもそれがよくわかっている。
わかっているが、それがなくなったら、私もおしまい。
つまり「欲しい」と思ううちが、花。
たとえばこの2か月ほど、政治に関して、興味をなくしてしまった。
どうでもよくなってしまった。
とくに先の衆議院議員選挙以来、気が抜けてしまった。
が、これではいけない。
……というより、あちこちのサイトを見ていたら、私の原稿が、
いくつかの政治団体で、紹介されているのを知った。
羽田空港問題、成田空港問題について書いた原稿も、それぞれのサイトで、
紹介されているのを知った。
(ついでに旅行記も、紹介されていた。)
それがよい刺激になった。
久しぶりに、政治問題を考えたくなった。
で、最近の話題は、何と言っても、鳩山首相の「東アジア共同体構想」。
ASEANの各国を、日本のワクの中に取り込もうという構想である。
しかしこんな構想は、最初から、うまくいくはずがない。
失敗するに決まっている。
だいたい、「ASEANプラス3」って、何?
「3」というのは、「日本、中国、韓国」の3か国をいう。
3か国といっても、呉越同舟というか、水と油と砂が混ざっているようなもの。
中国を連れていったら、まとまる話もまとまらなくなる。
もともとASEANというのは、中国の脅威に対抗して始まったもの。
韓国だって、どんな下心をもっているか、わかったものではない。
……とまあ、政治問題について書くときは、かなりの(怒りのエネルギー)を
要する。
そのエネルギーがないと、書いていても、つづかない。
途中で、どうでもよくなってしまう。
しかしこのところ、気力が弱くなった。
(怒りのエネルギー)が、あまりわいてこない。
平和というか、平穏というか……。
たとえて言うなら、おいしいごちそうを、腹いっぱい食べたあとのような感じ。
そこで、あえて(怒りのエネルギー)を奮い立たせる。
カーッ!
あのね、鳩山首相。
アメリカを日本から離反させるのは、まずい。
なぜ、この時期に、脱・アメリカ追従外交なの?
一方、どうして今、日本は中国に擦り寄らなければならないの?
日本は、自由主義貿易陣営の一員ではなかったの?
いろいろと問題はあるが、だからといって今、社会主義体制を求めているわけではない。
それになぜ、鳩山首相は、こうも急ぐの?
こうした日本の命運を左右するような外交問題は、じっくりと基盤を固めてからする。
それが常識。
政権を奪ったとたん、「東アジア共同体構想」は、ない。
今、鳩山首相、あなたがすべきことは、官僚政治をつぶすこと。
やりたい放題のことをしている官僚たちに、ストップをかけること。
民主主義を、国民の手に戻すこと。
その本命を忘れて、大きなアドバルーンばかりあげて、どうするの?
こんな稚拙な外交を繰り返していると、自民党が喜ぶだけ。
ついでに中国や韓国が喜ぶだけ。
K国だって、喜ぶ。
怒る前に、何だか、日本の政治が心配になってきた。
もう少しすると、あのASO前首相が、「それ、見たことか!」と、声をあげ始めるかも。
●10月25日の終わりに……
いろいろ考える。
(どう生きるか?)vs(どう死ぬか?)。
この2つが、交互に私の心の中で闘う。
(まだがんばれる)vs(だいじょうぶだろうか?)。
この2つが、交互に私の心の中で闘う。
(年齢など気にしない)vs(あと10年かな?)。
この2つが、交互の私の心の中で闘う。
おとといの夜も、深夜劇場へ行く途中、足の不自由な人を見かけた。
年齢は私より少し若かった。
50代の半ばごろの人か。
背も高く、ほっそりとした人だった。
脳卒中?
懸命に一本杖で身を支えながら、ゆっくりと歩いていた。
私はその人をよけながら、エレベーターの中に身を隠した。
「明日はわが身?」。
明日はだいじょうぶでも、あさってはわからない。
あさってはだいじょうぶでも、そのつぎの日は、わからない。
1年の命を10年に延ばして、何になる?
10年の命を20年に延ばして、何になる?
明日は明日。
明日は、確実に、そこにやってくる。
たまたまその男の人は、そこにいる。
たまたま私は、ここにいる。
ちがいなど、どこにもない。
ゆいいつのちがいは、私は私の目を通して、その男の人を見ていること。
その男の人は、その男の人の目を通して、私を見ていること。
私がその男の人で、その男の人が私であっても、何も不思議でない。
しかし……。
私は、その苦痛に耐えられるだろうか。
その男の人の目を通して、私を見る私に、耐えられるだろうか。
その自信は、まったくない。
今日の健康など、明日は、あてにならない。
明日はよくても、あさっては、あてにならない。
そう思いながら、ウォーキング・マシーンの上で、歯をくいしばる。
「あと、10分……、あと5分……」と。
私にあるのは、「たぶん、明日もだいじょうぶだろう」という小さな希望だけ。
その希望に、自分をつなげて、今日という1日を終える。
(少し、今夜は暗いかな……?)
みなさん、今日も、楽しい1日をありがとう!
今日は、朝、8時まで寝ていました。
午後に、山荘へ行き、昼寝。
帰りに、パソコンショップで、WINDOW7を見て、
それから書斎へ。
夕食まで、1時間ほど、YOUTUBEで音楽を聴きました。
明日もがんばります!
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
【寿命論】
++++++++++++++++++
●労働寿命
「平均寿命」という言葉がある。
「健康寿命」という言葉もある。
健康寿命というのは、健康でいられる年齢をいう。
ふつう(平均寿命)-10年が、健康寿命
と言われている。
だれしも、ポックリと死ぬわけではない。
晩年の10年は、病気との闘いということになる。
それに対して、「労働寿命」という言葉を
私は考えた。
仕事ができる年齢をいう。
これには個人差があるが、おおよそ(健康寿命)-
5年が、ひとつの目安になる。
これで計算すると、現在、男性の平均寿命は、
79歳、女性は86歳(厚生労働省)
だから……、
(健康寿命)…男性、69歳、女性、76歳
(労働寿命)…男性、64歳、女性、71歳
ということになる。
●記憶寿命
が、最近、私は、こんなことを考えるようになった。
人は死ねば、うまくいけば、墓石になれる。
最近は、墓石すらも作らない人が、ふえている。
が、問題は、そのあと。
先日も、車で郊外を走っていたら、小さな墓地を
見つけた。
田舎へ行けば行くほど、立派な墓地が目につく。
が、そこはちがった。
墓石も風化し、文字も読めないほどになっていた。
それを見たときのこと、ふと、こう思った。
「人は、いつまでみなの記憶に残ることができるか」と。
私たちは、死ねば、やがて忘れ去られる。
私の祖父母にしても、私たちの代の者が死ねば、
もうその名前を語られることすら、ないだろう。
父や母にしても、そうだ。
仏事の世界には、33回忌というのがある。
50回忌、100回忌というのも、ある。
しかしそこまでしてもらえる人は、例外中の例外。
ふつう、3回忌を最後に、死んだ人は、急速に
人々の記憶から消える。
そこで私が考えたのが、「記憶寿命」。
●消えていく私たち
たとえば私はこうして、文章にして日々の(思い)
を書いている。
書籍(本)にしても、寿命は、10年前後。
インターネットだったら、もっと短い(?)。
教育の世界で、昔、一世を風靡した人に、
「吉岡たすく」という人がいた。
10年ほど前に、亡くなった。
が、すでに今の若い母親たちは、その名前すら知らない。
ネットで検索してみたが、現在では、1万1000件。
今でも生きていたら、検索件数は、100万件を軽く
超えていただろう。
それくらい知名度の高い人だった。
が、やがて消えていく。
もちろん、私も、あなたも消えていく。
その寿命が、「記憶寿命」ということになる。
●寿命を延ばす
私たちは死んだあと、息子たちや孫たちも含めて、
何年ほど、彼らの記憶に残るだろうか。
残れることができるだろうか。
私自身の経験から言えば、50年を超えることは
まずない。
残ったとしても、ほんの一部の子孫にすぎない。
あとは痕跡もなく、消えていく。
ちょうど、私が見た、あの墓石のように。
で、自分がしていることを振り返る。
何か作品のようなものがあれば、記憶寿命は延びる
かもしれない。
作家や画家などは、そうして記憶寿命を延ばす
ことができる。
しかしそれにしても、あくまでも(結果)。
結果として残るだけ。
私にしても、「今を生きるために」、ものを書いている。
死んだ後のことは、ほとんど考えていない。
人々に支持されれば、記憶寿命は延びる。
支持されなければ、そのまま消える。
私のHPにしても、「金の切れ目が縁の切れ目」。
プロバイダーへの更新料を払わなければ、そのまま消える。
無料のHPサービス会社にしても、「~~か月、更新が
なければ、削除します」というのが、多い。
長くて、1年。
10年を超えることは、まず、ない。
今、こうして書いている文章にしても、私が死ねば、
1年足らずで消える。
(残さなければならないような文章でもないが……。)
だれかが引用してくれれば、その人のHPや、BLOG
で生き残ることはできるかもしれない。
しかしその人も、私と同じ運命をたどる。
こうして、私は、今、こう考える。
今のように仕事ができるのも、あと5年?
生きていられるのも、あと15年?
そのあと、30年もすれば、跡形もなく、消える?
それで私の「命」はおしまい。
●「形」から「心」
……とまあ、ネガティブに考えれば、お先真っ暗
ということになる。
しかしこれは私のやり方ではない。
そこでこう言って自分に言い聞かせる。
私の肉体、文章も含めて、「形」は消える。
それはもう事実。
が、私の書いた文章を読んだ人の中には、何かが残る。
その残ったものが、別の形になる。
別の形になったものが、こうして順送りに、未来に
つながっていく。
もちろんそのときは、「はやし浩司」の名前は、
どこにもない。
しかし、それでもよいのではないか、と。
大切なのは、(形)ではなく、(心)。
あの墓石の人にしても、そうだ。
先にも書いたように、今では、その名前すら読めない。
しかしその子孫の人は、その近くにも住んでいるはず。
そして何らかの形で、その人の(心)を残しているはず。
それでいい、と。
しかしそれにしても、この一抹のさみしさは、
いったい、どこから来るのか?
「生きる」ということは、そういうことであって
よいのか?
「死ぬ」ということは、そういうことであって
よいのか?
何かもっと別の考え方があるような気がする。
しかし今の私には、まだそれがわからない。
●補記
ついでに書く。
若いときには、その時計の音は聞こえない。
しかし60歳も過ぎると、その音が聞こえてくる。
「寿命時計」という時計の音である。
カチコチカチコチ……、と。
その心境は、時計を飲み込んだワニに追いかけられる、
フック船長(ピーターパン)のそれに似ている。
時計の音におびえて、逃げ回る……。
一説によると、作者のジェームズ・バリーは、
それによって、時間に追われて仕事をする現代人を
象徴したという。
しかしジェームズ・バリーがそこまで考えて
いたかどうかは別として、こうも言える。
つまりあの時計は、刻々と時間が短くなっていく
老人の心境を象徴している、と。
今の、私がそうだ。
もっともそういう心理状態を、「強迫観念」という。
心理学の世界では、そういう言葉を使って、説明する。
何かにおいまくられているような心理状態をいう。
その強迫観念ほどおおげさではないにしても、
しかしそれに近い。
「生きるということは、時間との勝負」。
そう考えることも多い。
たとえば私は、満65歳を過ぎたら、再度、
宗教論に挑戦するつもりでいる。
宗教論といっても、カルト教団との戦いをいう。
「どうして65歳?」と思う人もいるかも
しれない。
しかしそれまでは、今しばらく、静かにしていたい。
この世界でカルト教団を相手に、宗教論を書く
ということは、命がけ。
周囲が騒然としてくる。
それを覚悟で書くことができるのは、65歳と
いうことになる。
何とかそれまで脳みそが、健康であればよい。
肉体の方にも、がんばってほしい。
だから「時間との勝負」ということになる。
私が「寿命」という言葉にこだわるのは、
ここにある。
+++++++++++++++++++++
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 寿命論 健康寿命 労働寿命 記憶寿命 はやし浩司 寿命 091
026)
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●A氏の再婚問題
++++++++++++++++++++
私の知人に、再婚問題で苦労している人がいる。
現在、年齢は、60歳。
自営業。
娘は2人いたが、嫁いで、今は独り暮らし。
妻は、15年ほど前、事故で死亡。
近所の人の話では、自殺したという説もある。
++++++++++++++++++++
●再婚の条件
その知人のばあい、50歳を過ぎるころから、再婚の話が、たびたび、もちあがった。
しかし条件がきびしかった。
その男性を、A氏としておく。
A氏の求める女性は、(1)40代(自分の年齢より、10~15歳、若いこと)。
つぎに(2)できれば初婚。再婚でも、子どものない人、ということだった。
しかしこんな条件で、再婚に応ずる女性は、い・な・い!
女性の立場で考えてみれば、それがわかる。
A氏は、自分の老後を心配して、再婚を考えている。
つまり妻を、老後の家政婦か介護士か、その程度にしか考えていない。
さらに具体的な記事が、『プレジデント』(09年10月号別冊)にも載っていた。
「こんな男は結婚できない」というタイトルで、5つの項目が並べられている。
(1) 会社の地位や肩書にのみ、存在価値を見だす。
(2) 己の年齢を顧みず、10歳以上若い女性に固執。
(3) 介護や家事要員としての妻を求める。
(4) 服装や見かけに無頓着で、所作にも若々しさがない。
(5) 離婚の被害者意識にとらわれ、前妻の悪口ばかり言う。
A氏のケースでは、このうちの(2)と(3)に該当する。
●家父長意識
さらにA氏について言えば、最大の問題点は、家父長意識が強すぎるという点。
「夫が上で、妻が下」という、封建時代の亡霊をそのまま引きずっている。
それが問題。
A氏の母親は、7、8年前に他界。
近所でも評判の、気の強い女性だった。
そのため嫁・姑戦争が、絶えなかった。
が、今でもA氏の愛唱歌は、森進一の『おふくろさん』。
「母の悪口を言うヤツは、許さない」も、口癖。
あなたが女性なら、こんな男性との結婚を考えるだろうか。
雑誌「プレジデント」は、こうも書いている。
「(最低でも)年収が800~1000万円。さらにいくつかのハードルがある」と。
こうなってくると、再婚は、ますますむずかしい。
が、A氏にはそれがわからない。
加齢とともに、人は腰が低くなるものだが、A氏は逆。
ますます威張りだしている。
家父長意識というのは、わかりやすく言えば、上下意識をいう。
娘たちの嫁ぎ先の両親が、自分より若いこともある。
そのため、盆暮れのつけ届けを、自分では出したこともないのに、相手からそれが
届かないと、「無礼だ」「失敬だ」と言って、怒る。
これでは娘たちでさえ、実家に寄りつかなくなる。
……ということで、再婚話が、現れては消える。
それを繰り返している。
が、これは私たちの世代の男性にとっては、切実な問題。
まさに「明日は我が身かな」。
私「ぼくは、お前が死んだら、さっさと再婚するよ」
ワ「そうね、あなたは、ひとりでは生きられない人だから……」
私「でもね、相手はいないよ」
ワ「そうね、62歳だからね」
私「だから、決めた!」
ワ「何を?」
私「どんなことがあっても、ぼくは、お前より、先に死ぬ」
ワ「そうね、それしかないわよね」と。
しかしどうすれば、自分やワイフの寿命を調整できるのか。
人間というのは、因果な動物。
生きるのもたいへんだが、死ぬのもたいへん。
生きたいと思っても、それができない人もいれば、死にたいと思っても、
それができない人もいる。
50代以上の男性の再婚には、そういう問題も隠されている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 再婚問題 男性の再婚 50代の再婚)
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●小さな別れ、2つ
+++++++++++++++++++++++++++++++++
今日、小さな別れが、2つあった。
ひとつは、山鳩の雛(ひな)が、どこかへ行ってしまったこと。
もうひとつは、もっとも愛用していた、小型のパソコンを、
生徒の1人にあげてしまったこと。
しんみりとした、さみしさが、そのつど、スーッと心の中を駆け抜けた。
+++++++++++++++++++++++++++++++++
●山鳩
私の庭に野生の山鳩が住みつくようになって、もう20年以上になる。
もっと長いかもしれない。
私は、ほとんど毎日、庭に餌をまいている。
最近では、私たちの姿を見ても、逃げない。
ときに私たちの数メートル先で、餌を食べることもある。
その山鳩。
ときどき「ドバト」と書いたが、これはまちがいだそうだ。
ドバトというのは、街の中で飛び交う、あの鳩をいう。
私の家に来るのは、山鳩。
別名、キジ鳩とも言うらしい。
たいへん警戒心の強い鳩で、人間には慣れないと言われている。
で、その山鳩が、毎年、私の庭にある木の上で、巣作りをし、雛を育てる。
が、この5、6年、リスが出没するようになった。
そのせいか、餌は食べにくるが、巣作りは別のところでするようになった。
今年も、そうだった。
雛が庭にやってくるまで、どこでどのようにして雛を育てたか、私たちは知らない。
が、ちょうど1週間ほど前、親鳥たちが雛を2羽連れて、私の家の庭にやってきた。
私たちは、大歓迎した。
いつもより餌をたくさんまいた。
犬のハナには、鳩を襲わないよう、しっかりと言いつけた。
ハナには、それがわかったらしい。
山鳩たちが庭へ来ると、自分は、犬小屋の中に身を潜めた。
ところで、ふつう山鳩は、2個の卵をかえす。
ほかの山鳩のことは知らないが、私の家ではそうである。
その中で巣立つのは、1羽だけ。
いつもそうだ。
あとの1羽は、もう1羽に巣から追い出される。
追い出された雛は、地面に落ちて、やがて死ぬ。
もっともその段階で、追い出された雛を私たちが救いあげ、育ててやることがある。
毎年、1羽くらいは、そうしている。
が、今年は、珍しく、2羽の雛を連れてきた。
見ると、栗の木の枝に止まっていた。
尾羽がまだ伸びきっていなかった。
枝から枝へと、移動するのがやっとという雰囲気だった。
近くに兄貴格の雛がいたが、そちらはほぼ自由に、枝から枝へと、飛ぶことが
できた。
が、もう1羽は、枝の上でじっとしていた。
その雛に、数日前、私の手を近づけてみた。
いつもだと、それくらいの大きさでも、山鳩は逃げる。
が、その雛は逃げなかった。
私の指先に乗った。
うれしかった。
かわいかった。
それからというもの、毎朝起きると、いちばんに庭へ出て、その雛をさがした。
そのつどキーウィの木とか、栗の木に止まっていたが、だいたいそのあたりにいた。
数日も同じことを繰り返していると、雛は、私をこわがらなくなった。
喜んで指に止まるということはなかったが、指の上でも安心して、目を閉じたり、
羽をつくろったりした。
夜も仕事から帰ってくると、私は庭で、その雛をさがした。
それまでにワイフが雛の居場所を定めていてくれる。
そこを捜せばよかった。
が、今朝、10月26日の朝。
まだ薄暗いうちに起きて、庭に出てみた。
が、雛の姿は見えなかった。
昨夜もあちこちを捜してみたが、見えなかった。
つんとしたさみしさが、心の中をかけぬけた。
で、私はそのまま書斎へ。
いつもの日課をこなした。
それから数時間後。
朝食のとき。
ワイフに呼ばれて、台所へ行くと、ワイフが私の顔を見るやいなや、こう言った。
「いなくなってしまったわ」と。
もう一度、いそうな場所を捜してみたが、やはりいなかった。
「どこかへ行ってしまったみたい」「そうだな」と。
おかしなことだ。
私の息子たちが巣立ったときも、同じようなさみしさを覚えたが、まだその先には、
希望があった。
「いつか帰ってくるだろう」という希望である。
しかし山鳩の雛は、そうでない。
言い忘れたが、山鳩には、山鳩の縄張りのようなものがある。
たとえ自分が産み育てた雛でも、やがて自分の縄張りから追い出してしまう。
そんなわけで、一度巣立った雛は、まれに戻ってくることはあっても、そのまま
どこかへ行ってしまう。
二度と、私の庭に戻ってくることはない。
山鳩の習性というか、これは自然界のきびしい掟(おきて)でもある。
で、今日は一日中、小雨が降っていた。
私とワイフは、何度も、あの雛のことを心配した。
が、である。
午後になって、ちょうど仕事に出通うとするとき、庭に3羽の鳩がいるのが
わかった。
親鳥たちと、兄貴格のもう1羽の山鳩である。
それを見て、「いないか?」と声をかけると、ワイフが、「いないみたい」と。
それがその雛との別れだった。
親鳥たちは、兄貴格の1羽の雛にさえ、もう餌を与えようともしなかった。
自分たちの分だけを食べ終えると、そのまままたどこかへ飛んでいってしまった。
「うちへ来れば、ぼくが餌を食べさせてやるのに……」と、私はつぶやいた。
それが最後だった。
私は職場へと向かった。
しんみりとした、さみしさが、スーッと心の中を駆け抜けた。
●古いパソコン
もうひとつの別れは、使い古した、愛用のパソコンを、生徒にあげたこと。
使い古したといっても、買ったときは、20数万円もしたパソコンである。
TOSHIBAのSS。
当時としては珍しい、モニターが10インチの超小型パソコンである。
そのときはうれしくて、毎日それをピカピカに磨いて、枕元に置いて寝た。
そのパソコンで、3冊ほど、本を書いた。
私にとっては、思いで深いパソコンである。
ほかにも当時使っていたパソコンが、4~5台残っていた。
が、そちらのほうは、あまり迷わず処分できた。
しかしそのパソコンだけは、処分できなかった。
外観はボロボロ。
が、キーボードの感触は忘れない。
今でも指先に、しっかりとそれが残っている。
で、今は、もっぱら……というより、2008年になってから発売された、
ミニ・パソコンを使っている。
価格はSSの6分の1程度だが、性能は、最近のミニ・パソコンのほうがダントツによい。
が、それでも、愛着というのは消しがたい。
そのミニ・パソコンを使っていたら、NY君(小4)が、「いいなあ、先生は
パソコンをたくさん、もっていて……」と。
「全部でいくつくらい持っている?」と聞いたので、「7台くらいかな」と、私が
答えたときのことだった。
私はその言葉に、ググーッときた。
つい数週間前には、今年の4月に買ったミニ・パソコンを、中3のOKさんに
あげたばかり。
内心では、あげようか・どうしようかと、大きく迷った。
しかし顔にはそれを出さないで、一通り、TOSHIBAのSSから、個人情報を
消した。
そのあと、NY君にこう言った。
「このパソコン、あげようか?」と。
とたんNY君は、目を輝かせた。
「いいのオ!」と。
私「ああ、でも、これではインターネットはできないよ。
ワープロとか、ゲームはできるけど……」
N「うん……」と。
こうして私は今日、TOSHIBAのSSを手放した。
しんみりとした、さみしさが、スーッと心の中を駆け抜けた。
「これでいい」と、同時に、何度も、言い聞かせた。
長くつきあった友に、別れを告げたような気分だった。
……こうして今日、私は、2つの小さな別れを経験した。
小さな別れかもしれないが、心の奥までジンと響いた。
あとどれだけの人生か、私にはわからない。
が、一生、この2つの別れは忘れないだろう。
長調の二重奏。
ゆっくりとしたテンポの、やさしい曲。
この文章を書いている今でも、その音色が、心の中で響いている。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●迷い
私はよく迷う。
たとえばたった今も、こう迷った。
「こんなことをして、何になるのだろう」と。
YOUTUBEに、昨日の教室の様子を、UPLOADしたときのことだった。
しかしやるしかない。
笑いたい人がいたら、笑えばよい。
アホなことをしていると思う人がいたら、そう思えばよい。
そういう人にかぎって、自分では何もしない。
平凡は美徳かもしれないが、穴の中に引っ込んでいたら、何もできない。
何かをするためには、穴の中から出る。
私は私。
あとの判断は、他人に任せればよい。
つまらないものでれば、やがて消える。
そうでなければ、生き残る。
それを決めるのは、私ではない。
ただ言えることは、「これが私の人生」ということ。
だれの人生でもない。
私の人生。
迷いながら、そう言って自分に言い聞かせる。
言い忘れたが、消えたところで、どうということはない。
どうせみな、消えるのだから……。
●日本の「円」
日本政府は、「円」を、世界中にばらまいている。
ジャブジャブどころか、まるで……。
「ジャブジャブ」以上のジャブジャブ。
「ジャブジャブ」以上の言葉は、ない。
そのこともあって、円の為替レートが、メチャメチャ。
今、オーストラリアでも、ニュージーランドでも、ふつうのホテルの一泊するだけでも、
日本円で、4~5万円はかかる。
ヨーロッパでもそれくらい。
外国のホテル代が高いのではない。
日本の(円)が、安い。
安いというより、価値がない。
価値がさがった。
今はまだよい。
日本の(円)は、かろうじてという状態だが、国際通貨として通用している。
世界中の人が、(円)を、ほしがっている。
しかしこんな状態は、いつまでもつづかない。
先日も、千葉市に住む息子を訪ねてみた。
市の中心部にあるホテルに泊まった。
一泊、2人で、1万4000円(食事なし)だった。
ほどほどの料金だった。
が、あたりを散歩してみて驚いた。
近くに焼き肉店があったが、どれも4000~5000円。
そんなメニューばかり!
関東地方は、物価が高い。
物価が高いというよりは、インフレがジワジワと進んでいる。
それは知っていた。
しかし千葉市までそうだったとは、知らなかった。
こうした流れは、やがてこの浜松市にも及んでくるはず。
時間の問題。
わかりやすく言えば、手持ちの資金の価値が、どんどんと目減りしているということ。
「貯金が500万円から1000万円になった」と喜んでいたら、実際の価値は、100
万円しかない。
そういう状況になりつつある。
本来ならレートを調整するために、円高に向かわねばならない。
オーストラリアのホテルでも、一泊、1万4000円程度で泊まれるようにならなければ
ならない。
が、もうメチャメチャ。
日本政府は、こうした(メチャメチャ)を、どのように考えているのか。
このままでは、一度、急速な、今までに例がないほどの速度で、円高が進み、そのあと日
本の(円)は、大爆発する。
大爆発して、日本中を、猛烈なハイパーインフレが襲う。
それこそ焼き肉一皿、1万円。
あるいは10万円。
そうなる。
あるいは(その時)は、すでに始まっているのかもしれない。
不気味。
想像するだけでも、ぞっとする。
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 11月 27日
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
【子どもを伸ばすために】
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子どもを伸ばすには、どうしたらよいか。
それについて書いてみたい。
(まとまりのない文章で、すみません。)
++++++++++++++++++
●八つ当たり
脳みそというのは、器用なようであって、器用でない。
基本的には、不器用。
「自分ではこうしたい」と思っていても、脳のほうが、勝手に反応してしまうことがある。
その一つの例が、八つ当たり。
何かのことでいやなことがあったとする。
ムシャクシャする。
するとそのはけ口を、ほかのものや、人に向ける。
向けられた人こそ、えらい迷惑。
そういう心理状態を、心理学では、「置き換え」という言葉を使って説明する。
しかしそれも道理。
一度、ある種のホルモン、たとえばサイトカインなどが分泌されると、
それは脳内全体に作用する。
部分的に、ここだけに作用して……というわけには、いかない。
だから一度、サイトカインが分泌されると、いや~な気分は、脳全体に影響を与える。
それが八つ当たりの原因ということになる。
が、その八つ当たりをコントロールするのが、理性。
つまり前頭連合野の働きということになる。
が、この前頭連合野の働きは、あまりアテにならない。
個人差も大きい。
つまり本能的な脳の働きの前では、理性の力といっても、風の中で揺れる
ローソクの光のようなもの。
とくに私のばあいは、そうである。
何かにつけて、すぐ八つ当たりしてしまう。
では、どうすればよいのか。
●アクセルとブレーキ
少し話が脱線するが、許してほしい。
心理的反応の大きさは、脳に刻み込まれたトラウマ(心的外傷)の大きさによる。
トラウマが大きければ大きいほど、心理的反応は、大きくなる。
私のばあいも、ふつうの人にとっては何でもないことでも、あること(人)になると、
反応が過剰になることがある。
たとえば「酒」。
私は酒のにおいが、嫌い。
酒臭い人も、嫌い。
ふつうの人にとっては、何でもないにおいでも、私にとっては、そうでない。
理由は、わかっている。
私の父は、酒癖が悪く、酒を飲むたびに、家の中で暴れたり、大声を出して叫んだ。
それがトラウマになっている。
若いときほどではないが、いまだに、その残像が残っている。
そういう自分を観察してみて、気がついたことがある。
「置き換え」も、そのときの気分によって、左右される、と。
たとえば親しい友人が、酒を飲んだとする。
そういうときは、ほとんど気にならない。
ワイフの酒も気にならない。
しかし電車に乗り込んできたような人が、酒臭かったりすると、ムッとする。
あるいは日ごろ、不愉快に思っている人が、酒臭かったりする。
そういうときも、ムッとする。
条件反射論で考えるなら、こういうことはないはず。
どの人に対しても、反応は平等に起きるはず。
つまり条件反射も、別の何かによって、影響を受けることになる。
なぜだろう?
そこで自分を観察してみる。
同じ条件反射なのに、強弱はどうして起こるのか、と。
このことは、少し汚い話で恐縮だが、「便」で考えてみるとわかる。
あのソクラテスは、「自分の糞(おならではない)は、いいにおい」と言った。
しかし便というのは、みな、同じようなもの。
同じように、においも、人によってそれほど、違わない。
が、どうしてか、自分のおなら(便ではない)は、よいにおいがする。
他人のは、そうでない。
そういうとき、頭の中でこんな反応が起きるのが、わかる。
一度は、臭いと思うが、それを発展的に(?)、「臭い」と思うときもあれば、
「臭くない」と、否定的に(?)、思うときがある。
他人のものであれば、発展的に、「臭い」と思う。
自分のものであれば、(ワイフのも、そうだが)、「臭くない」と思う。
つまりアクセルを踏むか、ブレーキを踏むかのちがいが、起きる。
その作用が、そのあとの心理作用に、影響を与える(?)。
脳のどこかに、そういうメカニズムがあるらしい。
●潜在意識
児童心理学の世界には、「好子」「嫌子」という言葉がある。
同じことなのに、それを前向きにする子どもがいる。
一方、それをいやがり、逃げ腰になる子どもも、いる。
こうした現象を、「好子」「嫌子」という言葉を使って説明する。
これもアクセルとブレーキに似ている。
可能性として考えられるのは、表の意識が、裏の意識、つまり潜在意識に
操られているということ。
そのことによいイメージをもっていると、そのイメージが、アクセルとなって働く。
悪いイメージをもっていると、ブレーキとなって働く。
たまたま今日も、年中児の男の子に、簡単な文章を読ませようとした。
そのときのこと。
その子どもは、その文章から目をそらし、悲しそうな目つきで、私の顔をじっと見つめた。
明らかに拒否反応である。
文字に対して、どこかで悪いイメージをもってしまったらしい。
それがブレーキとなって働いた。
そこで何とかその子どもに、その文章を読ませた。
少しずつ私が読み、それを復唱させた。
文字などはスラスラと書くので、その程度の文章が読めないということはない。
で、読んだあと、みなの前でほめ、そしてみなに、手を叩かせた。
とたん、表情がぱっと輝いた。
で、もう一度、レッスンの終わるころ、その男の子に同じ文章を読ませた。
今度は、大きな声で読んだ。
今度は、アクセルが働いた。
●イメージ・トレーニング
こうして考えてみると、条件反射をコントロールするのは、実は理性(=前頭
連合野)ではなく、潜在意識ということになる。
あるいは潜在意識のほうが、パワー的には、前頭連合野より強力ということになる。
こうして生まれた指導法が、イメージ・トレーニング法ということになる。
これは航空大学校に通っていたころの三男から学んだ方法である。
パイロットの卵というのは、訓練の過程で、いつもイメージ・トレーニング法を
使うという。
簡単な例では、たとえば頭の中に飛行機を思い浮かべ、その飛行機が横風を
受けて、流されていく様子など。
そういうイメージを描きながら、自分はどう飛ぶべきかを、頭の中でトレーニング
する。
私も幼児教室で、このイメージ・トレーニン法を多用している。
たとえば、私が何を言っても、「やりたい!」と子どもたちに言わせる。
大声で言わせるのが、コツ。
「お手伝いをしたいか」「やりたい!」
「ひらがなの勉強をしたいか」「やりたい!」
「お母さんを助けたいか」「やりたい!」と。
(「YES!」「NO!」と言わせるときもある。
「いやだア!」と大声で連呼させるときもある。)
反対に、「いやだ!」と言わせるときは、こうする。
「ゴキブリの天ぷらを食べたいか」「いやだア!」
「ミミズのラーメンを食べたいか」「いやだア!」
「ねずみのウンチのから揚げを食べたいか」「いやだア!」と。
こうしてはずみをつけたあと、少しずつ、内容を現実に近づけていく。
「タバコを吸ってみるか」「いやだア!」
「ちょっとおじさんと、遊びに行かないか」「いやだア!」
「いいところへ連れていってやるから、車に乗ってよ」「いやだア!」と。
(実際の指導風景は、YOUTUBEのところどころに、収録してある。
興味のある人は、そちらを見てほしい※。)
●トラウマつぶし
こうして子どもたちの脳の中に、前向きな潜在意識を作っていく。
同時に、それを自分自身に応用してみる。
何かのトラウマがあったとしても、(もちろんそれが何であるかを、先に
知らなければならないが……)、そのトラウマをつぶす。
これを私は勝手に、「トラウマつぶし」と呼んでいる。
たとえば私は、幼稚園に勤め始めたころ、できの悪い子どもが苦手だった。
そういう子どもに接すると、そばにいるだけでイライラしたこともある。
しかしそれでは仕事にならない。
数か月や半年は、ごまかすことはできても、そこまで。
そのうち子どものほうが、「林先生は嫌い」とか、「幼稚園へ行きたくない」とか
言い出す。
そこで私は、(実のところ、5~7年もたってから、それに気づいたのだが)、
初対面のとき、「この子はいい子だ」と、自分をだますようにした。
「この子はすばらしい」「この子は伸びる」と。
それ以後、見違えるほど、子どもたちの表情が明るくなったのを覚えている。
教えるのも楽になった。
で、今でも、そうだ。
……というより、今は、自然な形でそれができる。
だから私が教えている子どもは、例外なく、どの子どもも、表情が明るい。
(表情が明るい子どもにするのが目的だから、当然のことだが……。)
その様子も、YOUTUBEに収録してあるので、ぜひ、見てほしい。
反対に、その子どもの中に、何らかのトラウマを見つけたら、この方法で
つぶす。
先に、文字に対して拒否反応を示した子どもについて書いた。
レッスンが終わったとき、母親には、こう言って指導した。
「あとは、家で、おおげさにほめてあげてください。
じょうずに読めたね。
お母さんが、うれしかったと言うだけで、効果があります。
お父さんの前でそれを言うと、もっと効果的です」と。
子どもを伸ばす、本当の力は、子ども自身の内部にある。
その内部を、教育する。
「それが幼児教育」とまでは断言できないが、ここに書いたことはまちがっていない。
あとは、子ども自身が本来的にもつ力で、伸びていく。
「子どもを伸ばすには」というテーマで書いたつもりだが、何ともまとまりのない
原稿になってしまった。
切り口をまちがえた。
八つ当たりから、話を始めたのが、まずかった。
ボツにしようかと考えたが、このまま発表する。
ごめんなさい!
(注※:YOUTUBEへは、私のHPのトップページより、「BW公開教室」へ。)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●映画『沈まぬ太陽』
静岡県では、今日、参議院議員の補欠選挙がある。
その投票に行く途中で、この文章を書いている。
(もちろん車の中で……。)
が、道路が、日曜日ということもあって、大渋滞。
少しイライラしていたら、ワイフが、「このまま映画に行かない?」と。
こういうとき、夫は、妻に従うのがよいそうだ。
先日買った雑誌(「プレジデント」)に、そう書いてあった。
熟年離婚の危機はかろうじてかわしたが、安全圏に入ったわけではない。
「時間的には、『沈まぬ太陽』がいいわ」ということで、そのまま劇場へ。
投票は、劇場からの帰りにすますことにした。
●日本映画
日本映画のつまらない点は、自然ぽさがないところ。
役者の個性を利用するというよりは、無理な役作りをするところにある。
知性の感じさせないような人が、科学者の役をしたり、スケベそうな男が、
正義を説いたり……。
その(無理)が、映画を、つまらないものにする。
先日も、「火TENの城」というのを見てきたが、途中で出てきてしまった。
ああいう(できすぎた映画)を見ていると、かえって不愉快になる。
何もかも、頭の中で先に予想ができてしまう。
「このつぎは、こうなるぞ」と。
そのとおりに、役者が演じ、ストーリーが運ぶ。
だからおもしろくない。
(この間、『沈まぬ太陽』を見た。長い映画だった。)
●『沈まぬ太陽』
主演の渡辺腱(父親役)と、名前は知らないが、息子役の男優。
この2人の演技が、きわだって光った。
よかった。
あとの俳優は、率直に言って、見るに耐えないというか、「これが演技です」
というような演技。
つまらなかった。
たぶん、監督の演技指導のままに演技していたのだろう。
語り方はもちろん、視線のはずし方まで、みな、同じだった。
映画を見れば、どこの航空会社がモデルになっているかは、一目瞭然。
「よく、あの会社が、こんな映画を許可したね」と、何度も、ワイフと言いあう。
最後の結末がさわやかだったからよかったが、もし醜いまま終わっていたら、
訴訟問題になっていたかも。
時期が時期だけに、あの会社にとっては、たいへんまずい。
現在、経営再建中。
内容的には、シリアスな社会派映画を見た感じ。
私も若いとき、M物産という会社にいた。
そういう立場で言うと、「現場は、あんなものではない」というのが、私の感想。
もっと生々しく、毒々しい。
それに日本の映画は、どうしてこうまでお説教がましいのだろう?
お金を出して、劇場まで足を運ぶのだから、もう少しサービス精神を旺盛にしてほしい。
つまり私たちを、楽しませてほしい。
ときに安っぽい論理で、人生観を語られたりすると、その場でシラケてしまう。
見終わったとき、ワイフに私も、こう言った。
「早く、M物産をやめて、よかった」と。
もしあのままあの会社で働いていたら、今ごろは、死んでいるか、身も心も、
ズタズタにされ、私は廃人になっていたはず。
同時に、以前書いた原稿を思い出した。
『休息を求めて、疲れる』(イギリスの格言)という原稿である。
いくつか書いたので、そのまま掲載する。
+++++++++++++++++++++
●休息を求めて疲れる(ロマンを求めて)
いまだに悪夢と言えば、修学旅行のときのものだ。集合時刻が近づく。私は大部屋で寝
ている。皆はすでにカバンを整理して外へ出ようとしている。私は自分の靴がどこにある
かもわからない。トイレはどこだ。まだ朝食も食べていない……。記憶にはないが、多分
私は子どものころ、旅行でそういう思いをしたのだろう。いや、それ以上に私たち団塊の
世代は、どんなことでも、乗り遅れるのを何よりも恐れていた。
前年までのクラスは五クラス。しかし私たちの学年からは、一一クラス。しかも一クラ
ス、五五人平均。粗製濫造とはまさにこのことで、私はサッカーにしても、一チーム、二
五人で戦うものだとばかり思っていた。
確かに私たちの世代は、いつもうしろから何かに押されていた。立ち止まっただけで、
言いようのない不安感に襲われた。はげしい競争。そしてまた競争。こうしてあの会社人
間、仕事人間は生まれたが、そうであってはいけないと思っていても、休暇で一週間も休
みが続いたりすると、それだけで申し訳ない気持ちになる。
私が見る悪夢は、その延長線上にあるにすぎない。「日本は資源のない国だ」「貿易で国を
支えるしかない」「欧米に追いつけ、追い越せ」「立派な社会人となれ」などなど。私たち
はこういう言葉を、毎日のように、それこそ耳が痛くなるほど聞かされた。結果、今のよ
うな日本がなったが、そこでまたふと立ち止まってみると、やはり言いようのない不安感
に襲われてしまう。
そうそうイギリスの格言に、「休息を求めて疲れる」というのがある。「いつか楽になろ
う、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、何もできなくなる」という
意味だが、イギリスでは、愚かな生きかたの代名詞にもなっている。オーストラリアの友
人も、何かのことで私があせっていると、「ヒロシ、気楽にせよ。休息を求めて疲れるな」
と、よく言ってくれた。しかし今になっても、その「休息」はどこにもない。なぜだろう
か。
貯金といっても、底が知れている。退職金などもちろんないが、年金にしても、本当に
もらえるかどうかわからなくなってきた。息子たちにしても、私が世話をすることはあっ
ても、その反対は、まず期待できない。期待もしていない。私はこうして死ぬまで働くし
かない。
話は変わるが私の友人の弟は、四二歳の若さで会社勤めをやめ、退職金をもってマレー
シアへ渡った。そしてそこで中古のヨットを買って、航海に出たという。「今ごろね、あい
つね、マレーシアで知り合ったフランス人女性と二人で、インド洋を航海しているはずで
す」と。その友人は笑って話してくれたが、私には夢のような話だ。いや、夢ではない。
私にだってできる。いつかはできる。それをしなければ、いつまでたっても、あの悪夢か
ら解放されることはない。
今回は私たち団塊の世代の、挫折とロマンを聞いてもらいたくて筆をとった。この中に
一つの教育論を感じとっていただければ幸いである。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●今を生きる子育て論
英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもなって
いる格言である。「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、
結局は何もできなくなる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生き方をしてはい
けません」と教えている。
たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人がいる。
同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大学へ入るため。
そして大学は、よき社会人になるため、と。
こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未来」のために犠牲にするという生き方は、ここで
いう愚かな生き方そのものと言ってもよい。いつまでたっても子どもたちは、自分の人生を、自
分のものにすることができない。あるいは社会へ出てからも、そういう生き方が基本になってい
るから、結局は自分の人生を無駄にしてしまう。
「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた……」と。
ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、偽ら
ずに生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、一人の高
校生が自殺に追いこまれるという映画である。
この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて疲れる』という生き方の、正反対の位置に
ある。これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれない。しかし今、あな
たの周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映るのは、「今」という現実であって、過去や未
来などというものは、どこにもない。あると思うのは、心の中だけ。だったら精一杯、この「今」
の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではないのか。
子どもたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そういう子
ども時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、大切ではないのか。
もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」と
いうことは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといっても、その
つどなすべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。
たとえば私は生徒たちには、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。
それでいい。結果はあとからついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、真っ先に
追い求めたら、君たちの人生は、見苦しくなる」と。
同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親たちは子ど
もに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。日本では「がんばれ!」
と拍車をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくてもいいのよ」と。
ごくふつうの日常会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観の基本的な違い
を感ずる。その違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の意味がわからないので
はないか……と、私は心配する。
Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司
●「休息を求めて疲れる」。
イギリスの格言である。愚かな生き方の代名詞にもなっている格言でもある。
「いつか楽になろう、なろうと思っているうちに、歳をとってしまい、結局は何もできな
くなる」という意味である。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた」と。
ところでこんな人がいる。
もうすぐ定年退職なのだが、退職をしたらひとりで、四国八八か所を巡礼をしてみたい、
と。
そういう話を聞くと、私はすぐこう思う。「ならば、なぜ今、しないのか?」と。
私はこの世界に入ってからずっと、したいことはすぐしたし、したくないことはしなかっ
た。
名誉や地位、それに肩書きとは無縁の世界だったが、そんなものにどれほどの意味がある
というのか。
私たちは生きるために稼ぐ。稼ぐために働く。これが原点だ。
だから○○部長の名前で稼いだ100万円も、幼稚園の講師で稼いだ100万円も、100
万円は100万円。
問題は、そのお金でどう生きるか、だ。
サラリーマンの人には悪いが、どうしてそうまで会社という組織に、義理立てをしなけれ
ばならないのか。
未来のためにいつも「今」を犠牲にする。
そういう生き方をしていると、いつまでたっても自分の時間をつかめない。
たとえばそれは子どもの世界を見ればわかる。
幼稚園は小学校の入学のため、小学校は中学校や高校への進学のため、またその先の大学
は就職のため……と。社会へ出てからも、そうだ。
子どものときからそういう生活のパターンになっているから、それを途中で変えることは
できない。
いつまでたっても「今」をつかめない。つかめないまま、人生を終わる。
あえて言えば、私にもこんな経験がある。
学生時代、テスト週間になるとよくこう思った。「試験が終わったら、ひとりで映画を見に
行こう」と。
しかし実際そのテストが終わると、その気力も消えてしまった。
どこか抑圧された緊張感の中では、「あれをしたい、これをしたい」という願望が生まれる
ものだが、それから解放されたとたん、その願望も消える。
先の「四国八八か所を巡礼してみたい」と言った人には悪いが、退職後本当にそれをした
ら、その人はよほど意思の強い人とみてよい。
私の経験では、多分、その人は四国八八か所めぐりはしないと思う。退職したとたん、そ
の気力は消えうせる……?
大切なことは、「今」をどう生きるか、だ。
「今」というときをいかに充実させるか、だ。明日という結果は明日になればやってくる。
そのためにも、「休息を求めて疲れる」ような生き方だけはしてはいけない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 沈まぬ太陽 映画「沈まぬ太陽」 休息を求めて疲
れる 休息を求めて、疲れる 今を生きる子育て論)
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●パソコン
パソコンの世界では、つぎつぎと新製品が発売になる。
そのたびに、機能は向上し、デザインもよくなる。
そのたびに、新しいのが欲しくなる。
こういうのをビョーキという。
ドーパミンの分泌がさかんになる。
線条体で条件反射が起きる。
自分でもそれがよくわかっている。
わかっているが、それがなくなったら、私もおしまい。
つまり「欲しい」と思ううちが、花。
たとえばこの2か月ほど、政治に関して、興味をなくしてしまった。
どうでもよくなってしまった。
とくに先の衆議院議員選挙以来、気が抜けてしまった。
が、これではいけない。
……というより、あちこちのサイトを見ていたら、私の原稿が、
いくつかの政治団体で、紹介されているのを知った。
羽田空港問題、成田空港問題について書いた原稿も、それぞれのサイトで、
紹介されているのを知った。
(ついでに旅行記も、紹介されていた。)
それがよい刺激になった。
久しぶりに、政治問題を考えたくなった。
で、最近の話題は、何と言っても、鳩山首相の「東アジア共同体構想」。
ASEANの各国を、日本のワクの中に取り込もうという構想である。
しかしこんな構想は、最初から、うまくいくはずがない。
失敗するに決まっている。
だいたい、「ASEANプラス3」って、何?
「3」というのは、「日本、中国、韓国」の3か国をいう。
3か国といっても、呉越同舟というか、水と油と砂が混ざっているようなもの。
中国を連れていったら、まとまる話もまとまらなくなる。
もともとASEANというのは、中国の脅威に対抗して始まったもの。
韓国だって、どんな下心をもっているか、わかったものではない。
……とまあ、政治問題について書くときは、かなりの(怒りのエネルギー)を
要する。
そのエネルギーがないと、書いていても、つづかない。
途中で、どうでもよくなってしまう。
しかしこのところ、気力が弱くなった。
(怒りのエネルギー)が、あまりわいてこない。
平和というか、平穏というか……。
たとえて言うなら、おいしいごちそうを、腹いっぱい食べたあとのような感じ。
そこで、あえて(怒りのエネルギー)を奮い立たせる。
カーッ!
あのね、鳩山首相。
アメリカを日本から離反させるのは、まずい。
なぜ、この時期に、脱・アメリカ追従外交なの?
一方、どうして今、日本は中国に擦り寄らなければならないの?
日本は、自由主義貿易陣営の一員ではなかったの?
いろいろと問題はあるが、だからといって今、社会主義体制を求めているわけではない。
それになぜ、鳩山首相は、こうも急ぐの?
こうした日本の命運を左右するような外交問題は、じっくりと基盤を固めてからする。
それが常識。
政権を奪ったとたん、「東アジア共同体構想」は、ない。
今、鳩山首相、あなたがすべきことは、官僚政治をつぶすこと。
やりたい放題のことをしている官僚たちに、ストップをかけること。
民主主義を、国民の手に戻すこと。
その本命を忘れて、大きなアドバルーンばかりあげて、どうするの?
こんな稚拙な外交を繰り返していると、自民党が喜ぶだけ。
ついでに中国や韓国が喜ぶだけ。
K国だって、喜ぶ。
怒る前に、何だか、日本の政治が心配になってきた。
もう少しすると、あのASO前首相が、「それ、見たことか!」と、声をあげ始めるかも。
●10月25日の終わりに……
いろいろ考える。
(どう生きるか?)vs(どう死ぬか?)。
この2つが、交互に私の心の中で闘う。
(まだがんばれる)vs(だいじょうぶだろうか?)。
この2つが、交互に私の心の中で闘う。
(年齢など気にしない)vs(あと10年かな?)。
この2つが、交互の私の心の中で闘う。
おとといの夜も、深夜劇場へ行く途中、足の不自由な人を見かけた。
年齢は私より少し若かった。
50代の半ばごろの人か。
背も高く、ほっそりとした人だった。
脳卒中?
懸命に一本杖で身を支えながら、ゆっくりと歩いていた。
私はその人をよけながら、エレベーターの中に身を隠した。
「明日はわが身?」。
明日はだいじょうぶでも、あさってはわからない。
あさってはだいじょうぶでも、そのつぎの日は、わからない。
1年の命を10年に延ばして、何になる?
10年の命を20年に延ばして、何になる?
明日は明日。
明日は、確実に、そこにやってくる。
たまたまその男の人は、そこにいる。
たまたま私は、ここにいる。
ちがいなど、どこにもない。
ゆいいつのちがいは、私は私の目を通して、その男の人を見ていること。
その男の人は、その男の人の目を通して、私を見ていること。
私がその男の人で、その男の人が私であっても、何も不思議でない。
しかし……。
私は、その苦痛に耐えられるだろうか。
その男の人の目を通して、私を見る私に、耐えられるだろうか。
その自信は、まったくない。
今日の健康など、明日は、あてにならない。
明日はよくても、あさっては、あてにならない。
そう思いながら、ウォーキング・マシーンの上で、歯をくいしばる。
「あと、10分……、あと5分……」と。
私にあるのは、「たぶん、明日もだいじょうぶだろう」という小さな希望だけ。
その希望に、自分をつなげて、今日という1日を終える。
(少し、今夜は暗いかな……?)
みなさん、今日も、楽しい1日をありがとう!
今日は、朝、8時まで寝ていました。
午後に、山荘へ行き、昼寝。
帰りに、パソコンショップで、WINDOW7を見て、
それから書斎へ。
夕食まで、1時間ほど、YOUTUBEで音楽を聴きました。
明日もがんばります!
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
【寿命論】
++++++++++++++++++
●労働寿命
「平均寿命」という言葉がある。
「健康寿命」という言葉もある。
健康寿命というのは、健康でいられる年齢をいう。
ふつう(平均寿命)-10年が、健康寿命
と言われている。
だれしも、ポックリと死ぬわけではない。
晩年の10年は、病気との闘いということになる。
それに対して、「労働寿命」という言葉を
私は考えた。
仕事ができる年齢をいう。
これには個人差があるが、おおよそ(健康寿命)-
5年が、ひとつの目安になる。
これで計算すると、現在、男性の平均寿命は、
79歳、女性は86歳(厚生労働省)
だから……、
(健康寿命)…男性、69歳、女性、76歳
(労働寿命)…男性、64歳、女性、71歳
ということになる。
●記憶寿命
が、最近、私は、こんなことを考えるようになった。
人は死ねば、うまくいけば、墓石になれる。
最近は、墓石すらも作らない人が、ふえている。
が、問題は、そのあと。
先日も、車で郊外を走っていたら、小さな墓地を
見つけた。
田舎へ行けば行くほど、立派な墓地が目につく。
が、そこはちがった。
墓石も風化し、文字も読めないほどになっていた。
それを見たときのこと、ふと、こう思った。
「人は、いつまでみなの記憶に残ることができるか」と。
私たちは、死ねば、やがて忘れ去られる。
私の祖父母にしても、私たちの代の者が死ねば、
もうその名前を語られることすら、ないだろう。
父や母にしても、そうだ。
仏事の世界には、33回忌というのがある。
50回忌、100回忌というのも、ある。
しかしそこまでしてもらえる人は、例外中の例外。
ふつう、3回忌を最後に、死んだ人は、急速に
人々の記憶から消える。
そこで私が考えたのが、「記憶寿命」。
●消えていく私たち
たとえば私はこうして、文章にして日々の(思い)
を書いている。
書籍(本)にしても、寿命は、10年前後。
インターネットだったら、もっと短い(?)。
教育の世界で、昔、一世を風靡した人に、
「吉岡たすく」という人がいた。
10年ほど前に、亡くなった。
が、すでに今の若い母親たちは、その名前すら知らない。
ネットで検索してみたが、現在では、1万1000件。
今でも生きていたら、検索件数は、100万件を軽く
超えていただろう。
それくらい知名度の高い人だった。
が、やがて消えていく。
もちろん、私も、あなたも消えていく。
その寿命が、「記憶寿命」ということになる。
●寿命を延ばす
私たちは死んだあと、息子たちや孫たちも含めて、
何年ほど、彼らの記憶に残るだろうか。
残れることができるだろうか。
私自身の経験から言えば、50年を超えることは
まずない。
残ったとしても、ほんの一部の子孫にすぎない。
あとは痕跡もなく、消えていく。
ちょうど、私が見た、あの墓石のように。
で、自分がしていることを振り返る。
何か作品のようなものがあれば、記憶寿命は延びる
かもしれない。
作家や画家などは、そうして記憶寿命を延ばす
ことができる。
しかしそれにしても、あくまでも(結果)。
結果として残るだけ。
私にしても、「今を生きるために」、ものを書いている。
死んだ後のことは、ほとんど考えていない。
人々に支持されれば、記憶寿命は延びる。
支持されなければ、そのまま消える。
私のHPにしても、「金の切れ目が縁の切れ目」。
プロバイダーへの更新料を払わなければ、そのまま消える。
無料のHPサービス会社にしても、「~~か月、更新が
なければ、削除します」というのが、多い。
長くて、1年。
10年を超えることは、まず、ない。
今、こうして書いている文章にしても、私が死ねば、
1年足らずで消える。
(残さなければならないような文章でもないが……。)
だれかが引用してくれれば、その人のHPや、BLOG
で生き残ることはできるかもしれない。
しかしその人も、私と同じ運命をたどる。
こうして、私は、今、こう考える。
今のように仕事ができるのも、あと5年?
生きていられるのも、あと15年?
そのあと、30年もすれば、跡形もなく、消える?
それで私の「命」はおしまい。
●「形」から「心」
……とまあ、ネガティブに考えれば、お先真っ暗
ということになる。
しかしこれは私のやり方ではない。
そこでこう言って自分に言い聞かせる。
私の肉体、文章も含めて、「形」は消える。
それはもう事実。
が、私の書いた文章を読んだ人の中には、何かが残る。
その残ったものが、別の形になる。
別の形になったものが、こうして順送りに、未来に
つながっていく。
もちろんそのときは、「はやし浩司」の名前は、
どこにもない。
しかし、それでもよいのではないか、と。
大切なのは、(形)ではなく、(心)。
あの墓石の人にしても、そうだ。
先にも書いたように、今では、その名前すら読めない。
しかしその子孫の人は、その近くにも住んでいるはず。
そして何らかの形で、その人の(心)を残しているはず。
それでいい、と。
しかしそれにしても、この一抹のさみしさは、
いったい、どこから来るのか?
「生きる」ということは、そういうことであって
よいのか?
「死ぬ」ということは、そういうことであって
よいのか?
何かもっと別の考え方があるような気がする。
しかし今の私には、まだそれがわからない。
●補記
ついでに書く。
若いときには、その時計の音は聞こえない。
しかし60歳も過ぎると、その音が聞こえてくる。
「寿命時計」という時計の音である。
カチコチカチコチ……、と。
その心境は、時計を飲み込んだワニに追いかけられる、
フック船長(ピーターパン)のそれに似ている。
時計の音におびえて、逃げ回る……。
一説によると、作者のジェームズ・バリーは、
それによって、時間に追われて仕事をする現代人を
象徴したという。
しかしジェームズ・バリーがそこまで考えて
いたかどうかは別として、こうも言える。
つまりあの時計は、刻々と時間が短くなっていく
老人の心境を象徴している、と。
今の、私がそうだ。
もっともそういう心理状態を、「強迫観念」という。
心理学の世界では、そういう言葉を使って、説明する。
何かにおいまくられているような心理状態をいう。
その強迫観念ほどおおげさではないにしても、
しかしそれに近い。
「生きるということは、時間との勝負」。
そう考えることも多い。
たとえば私は、満65歳を過ぎたら、再度、
宗教論に挑戦するつもりでいる。
宗教論といっても、カルト教団との戦いをいう。
「どうして65歳?」と思う人もいるかも
しれない。
しかしそれまでは、今しばらく、静かにしていたい。
この世界でカルト教団を相手に、宗教論を書く
ということは、命がけ。
周囲が騒然としてくる。
それを覚悟で書くことができるのは、65歳と
いうことになる。
何とかそれまで脳みそが、健康であればよい。
肉体の方にも、がんばってほしい。
だから「時間との勝負」ということになる。
私が「寿命」という言葉にこだわるのは、
ここにある。
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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
BW はやし浩司 寿命論 健康寿命 労働寿命 記憶寿命 はやし浩司 寿命 091
026)
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●A氏の再婚問題
++++++++++++++++++++
私の知人に、再婚問題で苦労している人がいる。
現在、年齢は、60歳。
自営業。
娘は2人いたが、嫁いで、今は独り暮らし。
妻は、15年ほど前、事故で死亡。
近所の人の話では、自殺したという説もある。
++++++++++++++++++++
●再婚の条件
その知人のばあい、50歳を過ぎるころから、再婚の話が、たびたび、もちあがった。
しかし条件がきびしかった。
その男性を、A氏としておく。
A氏の求める女性は、(1)40代(自分の年齢より、10~15歳、若いこと)。
つぎに(2)できれば初婚。再婚でも、子どものない人、ということだった。
しかしこんな条件で、再婚に応ずる女性は、い・な・い!
女性の立場で考えてみれば、それがわかる。
A氏は、自分の老後を心配して、再婚を考えている。
つまり妻を、老後の家政婦か介護士か、その程度にしか考えていない。
さらに具体的な記事が、『プレジデント』(09年10月号別冊)にも載っていた。
「こんな男は結婚できない」というタイトルで、5つの項目が並べられている。
(1) 会社の地位や肩書にのみ、存在価値を見だす。
(2) 己の年齢を顧みず、10歳以上若い女性に固執。
(3) 介護や家事要員としての妻を求める。
(4) 服装や見かけに無頓着で、所作にも若々しさがない。
(5) 離婚の被害者意識にとらわれ、前妻の悪口ばかり言う。
A氏のケースでは、このうちの(2)と(3)に該当する。
●家父長意識
さらにA氏について言えば、最大の問題点は、家父長意識が強すぎるという点。
「夫が上で、妻が下」という、封建時代の亡霊をそのまま引きずっている。
それが問題。
A氏の母親は、7、8年前に他界。
近所でも評判の、気の強い女性だった。
そのため嫁・姑戦争が、絶えなかった。
が、今でもA氏の愛唱歌は、森進一の『おふくろさん』。
「母の悪口を言うヤツは、許さない」も、口癖。
あなたが女性なら、こんな男性との結婚を考えるだろうか。
雑誌「プレジデント」は、こうも書いている。
「(最低でも)年収が800~1000万円。さらにいくつかのハードルがある」と。
こうなってくると、再婚は、ますますむずかしい。
が、A氏にはそれがわからない。
加齢とともに、人は腰が低くなるものだが、A氏は逆。
ますます威張りだしている。
家父長意識というのは、わかりやすく言えば、上下意識をいう。
娘たちの嫁ぎ先の両親が、自分より若いこともある。
そのため、盆暮れのつけ届けを、自分では出したこともないのに、相手からそれが
届かないと、「無礼だ」「失敬だ」と言って、怒る。
これでは娘たちでさえ、実家に寄りつかなくなる。
……ということで、再婚話が、現れては消える。
それを繰り返している。
が、これは私たちの世代の男性にとっては、切実な問題。
まさに「明日は我が身かな」。
私「ぼくは、お前が死んだら、さっさと再婚するよ」
ワ「そうね、あなたは、ひとりでは生きられない人だから……」
私「でもね、相手はいないよ」
ワ「そうね、62歳だからね」
私「だから、決めた!」
ワ「何を?」
私「どんなことがあっても、ぼくは、お前より、先に死ぬ」
ワ「そうね、それしかないわよね」と。
しかしどうすれば、自分やワイフの寿命を調整できるのか。
人間というのは、因果な動物。
生きるのもたいへんだが、死ぬのもたいへん。
生きたいと思っても、それができない人もいれば、死にたいと思っても、
それができない人もいる。
50代以上の男性の再婚には、そういう問題も隠されている。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 再婚問題 男性の再婚 50代の再婚)
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●小さな別れ、2つ
+++++++++++++++++++++++++++++++++
今日、小さな別れが、2つあった。
ひとつは、山鳩の雛(ひな)が、どこかへ行ってしまったこと。
もうひとつは、もっとも愛用していた、小型のパソコンを、
生徒の1人にあげてしまったこと。
しんみりとした、さみしさが、そのつど、スーッと心の中を駆け抜けた。
+++++++++++++++++++++++++++++++++
●山鳩
私の庭に野生の山鳩が住みつくようになって、もう20年以上になる。
もっと長いかもしれない。
私は、ほとんど毎日、庭に餌をまいている。
最近では、私たちの姿を見ても、逃げない。
ときに私たちの数メートル先で、餌を食べることもある。
その山鳩。
ときどき「ドバト」と書いたが、これはまちがいだそうだ。
ドバトというのは、街の中で飛び交う、あの鳩をいう。
私の家に来るのは、山鳩。
別名、キジ鳩とも言うらしい。
たいへん警戒心の強い鳩で、人間には慣れないと言われている。
で、その山鳩が、毎年、私の庭にある木の上で、巣作りをし、雛を育てる。
が、この5、6年、リスが出没するようになった。
そのせいか、餌は食べにくるが、巣作りは別のところでするようになった。
今年も、そうだった。
雛が庭にやってくるまで、どこでどのようにして雛を育てたか、私たちは知らない。
が、ちょうど1週間ほど前、親鳥たちが雛を2羽連れて、私の家の庭にやってきた。
私たちは、大歓迎した。
いつもより餌をたくさんまいた。
犬のハナには、鳩を襲わないよう、しっかりと言いつけた。
ハナには、それがわかったらしい。
山鳩たちが庭へ来ると、自分は、犬小屋の中に身を潜めた。
ところで、ふつう山鳩は、2個の卵をかえす。
ほかの山鳩のことは知らないが、私の家ではそうである。
その中で巣立つのは、1羽だけ。
いつもそうだ。
あとの1羽は、もう1羽に巣から追い出される。
追い出された雛は、地面に落ちて、やがて死ぬ。
もっともその段階で、追い出された雛を私たちが救いあげ、育ててやることがある。
毎年、1羽くらいは、そうしている。
が、今年は、珍しく、2羽の雛を連れてきた。
見ると、栗の木の枝に止まっていた。
尾羽がまだ伸びきっていなかった。
枝から枝へと、移動するのがやっとという雰囲気だった。
近くに兄貴格の雛がいたが、そちらはほぼ自由に、枝から枝へと、飛ぶことが
できた。
が、もう1羽は、枝の上でじっとしていた。
その雛に、数日前、私の手を近づけてみた。
いつもだと、それくらいの大きさでも、山鳩は逃げる。
が、その雛は逃げなかった。
私の指先に乗った。
うれしかった。
かわいかった。
それからというもの、毎朝起きると、いちばんに庭へ出て、その雛をさがした。
そのつどキーウィの木とか、栗の木に止まっていたが、だいたいそのあたりにいた。
数日も同じことを繰り返していると、雛は、私をこわがらなくなった。
喜んで指に止まるということはなかったが、指の上でも安心して、目を閉じたり、
羽をつくろったりした。
夜も仕事から帰ってくると、私は庭で、その雛をさがした。
それまでにワイフが雛の居場所を定めていてくれる。
そこを捜せばよかった。
が、今朝、10月26日の朝。
まだ薄暗いうちに起きて、庭に出てみた。
が、雛の姿は見えなかった。
昨夜もあちこちを捜してみたが、見えなかった。
つんとしたさみしさが、心の中をかけぬけた。
で、私はそのまま書斎へ。
いつもの日課をこなした。
それから数時間後。
朝食のとき。
ワイフに呼ばれて、台所へ行くと、ワイフが私の顔を見るやいなや、こう言った。
「いなくなってしまったわ」と。
もう一度、いそうな場所を捜してみたが、やはりいなかった。
「どこかへ行ってしまったみたい」「そうだな」と。
おかしなことだ。
私の息子たちが巣立ったときも、同じようなさみしさを覚えたが、まだその先には、
希望があった。
「いつか帰ってくるだろう」という希望である。
しかし山鳩の雛は、そうでない。
言い忘れたが、山鳩には、山鳩の縄張りのようなものがある。
たとえ自分が産み育てた雛でも、やがて自分の縄張りから追い出してしまう。
そんなわけで、一度巣立った雛は、まれに戻ってくることはあっても、そのまま
どこかへ行ってしまう。
二度と、私の庭に戻ってくることはない。
山鳩の習性というか、これは自然界のきびしい掟(おきて)でもある。
で、今日は一日中、小雨が降っていた。
私とワイフは、何度も、あの雛のことを心配した。
が、である。
午後になって、ちょうど仕事に出通うとするとき、庭に3羽の鳩がいるのが
わかった。
親鳥たちと、兄貴格のもう1羽の山鳩である。
それを見て、「いないか?」と声をかけると、ワイフが、「いないみたい」と。
それがその雛との別れだった。
親鳥たちは、兄貴格の1羽の雛にさえ、もう餌を与えようともしなかった。
自分たちの分だけを食べ終えると、そのまままたどこかへ飛んでいってしまった。
「うちへ来れば、ぼくが餌を食べさせてやるのに……」と、私はつぶやいた。
それが最後だった。
私は職場へと向かった。
しんみりとした、さみしさが、スーッと心の中を駆け抜けた。
●古いパソコン
もうひとつの別れは、使い古した、愛用のパソコンを、生徒にあげたこと。
使い古したといっても、買ったときは、20数万円もしたパソコンである。
TOSHIBAのSS。
当時としては珍しい、モニターが10インチの超小型パソコンである。
そのときはうれしくて、毎日それをピカピカに磨いて、枕元に置いて寝た。
そのパソコンで、3冊ほど、本を書いた。
私にとっては、思いで深いパソコンである。
ほかにも当時使っていたパソコンが、4~5台残っていた。
が、そちらのほうは、あまり迷わず処分できた。
しかしそのパソコンだけは、処分できなかった。
外観はボロボロ。
が、キーボードの感触は忘れない。
今でも指先に、しっかりとそれが残っている。
で、今は、もっぱら……というより、2008年になってから発売された、
ミニ・パソコンを使っている。
価格はSSの6分の1程度だが、性能は、最近のミニ・パソコンのほうがダントツによい。
が、それでも、愛着というのは消しがたい。
そのミニ・パソコンを使っていたら、NY君(小4)が、「いいなあ、先生は
パソコンをたくさん、もっていて……」と。
「全部でいくつくらい持っている?」と聞いたので、「7台くらいかな」と、私が
答えたときのことだった。
私はその言葉に、ググーッときた。
つい数週間前には、今年の4月に買ったミニ・パソコンを、中3のOKさんに
あげたばかり。
内心では、あげようか・どうしようかと、大きく迷った。
しかし顔にはそれを出さないで、一通り、TOSHIBAのSSから、個人情報を
消した。
そのあと、NY君にこう言った。
「このパソコン、あげようか?」と。
とたんNY君は、目を輝かせた。
「いいのオ!」と。
私「ああ、でも、これではインターネットはできないよ。
ワープロとか、ゲームはできるけど……」
N「うん……」と。
こうして私は今日、TOSHIBAのSSを手放した。
しんみりとした、さみしさが、スーッと心の中を駆け抜けた。
「これでいい」と、同時に、何度も、言い聞かせた。
長くつきあった友に、別れを告げたような気分だった。
……こうして今日、私は、2つの小さな別れを経験した。
小さな別れかもしれないが、心の奥までジンと響いた。
あとどれだけの人生か、私にはわからない。
が、一生、この2つの別れは忘れないだろう。
長調の二重奏。
ゆっくりとしたテンポの、やさしい曲。
この文章を書いている今でも、その音色が、心の中で響いている。
Hiroshi Hayashi++++++++Oct. 09+++++++++はやし浩司
●迷い
私はよく迷う。
たとえばたった今も、こう迷った。
「こんなことをして、何になるのだろう」と。
YOUTUBEに、昨日の教室の様子を、UPLOADしたときのことだった。
しかしやるしかない。
笑いたい人がいたら、笑えばよい。
アホなことをしていると思う人がいたら、そう思えばよい。
そういう人にかぎって、自分では何もしない。
平凡は美徳かもしれないが、穴の中に引っ込んでいたら、何もできない。
何かをするためには、穴の中から出る。
私は私。
あとの判断は、他人に任せればよい。
つまらないものでれば、やがて消える。
そうでなければ、生き残る。
それを決めるのは、私ではない。
ただ言えることは、「これが私の人生」ということ。
だれの人生でもない。
私の人生。
迷いながら、そう言って自分に言い聞かせる。
言い忘れたが、消えたところで、どうということはない。
どうせみな、消えるのだから……。
●日本の「円」
日本政府は、「円」を、世界中にばらまいている。
ジャブジャブどころか、まるで……。
「ジャブジャブ」以上のジャブジャブ。
「ジャブジャブ」以上の言葉は、ない。
そのこともあって、円の為替レートが、メチャメチャ。
今、オーストラリアでも、ニュージーランドでも、ふつうのホテルの一泊するだけでも、
日本円で、4~5万円はかかる。
ヨーロッパでもそれくらい。
外国のホテル代が高いのではない。
日本の(円)が、安い。
安いというより、価値がない。
価値がさがった。
今はまだよい。
日本の(円)は、かろうじてという状態だが、国際通貨として通用している。
世界中の人が、(円)を、ほしがっている。
しかしこんな状態は、いつまでもつづかない。
先日も、千葉市に住む息子を訪ねてみた。
市の中心部にあるホテルに泊まった。
一泊、2人で、1万4000円(食事なし)だった。
ほどほどの料金だった。
が、あたりを散歩してみて驚いた。
近くに焼き肉店があったが、どれも4000~5000円。
そんなメニューばかり!
関東地方は、物価が高い。
物価が高いというよりは、インフレがジワジワと進んでいる。
それは知っていた。
しかし千葉市までそうだったとは、知らなかった。
こうした流れは、やがてこの浜松市にも及んでくるはず。
時間の問題。
わかりやすく言えば、手持ちの資金の価値が、どんどんと目減りしているということ。
「貯金が500万円から1000万円になった」と喜んでいたら、実際の価値は、100
万円しかない。
そういう状況になりつつある。
本来ならレートを調整するために、円高に向かわねばならない。
オーストラリアのホテルでも、一泊、1万4000円程度で泊まれるようにならなければ
ならない。
が、もうメチャメチャ。
日本政府は、こうした(メチャメチャ)を、どのように考えているのか。
このままでは、一度、急速な、今までに例がないほどの速度で、円高が進み、そのあと日
本の(円)は、大爆発する。
大爆発して、日本中を、猛烈なハイパーインフレが襲う。
それこそ焼き肉一皿、1万円。
あるいは10万円。
そうなる。
あるいは(その時)は、すでに始まっているのかもしれない。
不気味。
想像するだけでも、ぞっとする。
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