2010年8月21日土曜日

*How to cope with Global Warming and another Problem we face

【温暖化、もうひとつの問題】(人心の荒廃)

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地球温暖化(地球火星化)の問題は、地球が
温暖化するというだけではすまないのではないか。
地球温暖化の問題には、実はもうひとつ
深刻かつ重要な問題が隠されている。
人の心の問題である。

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●自業自得

この先、地球温暖化が進むのはどうしようもない。
まさに自業自得。
人類が自ら選んだ道。
どんな結果になろうとも、受け入れるしかない。
が、そこまでの過程が問題。
その過程で、さまざまな社会的変化が起きてくる。
その変化が人の心に深刻な影響を与える。

たとえば今年(2010)ロシアでは、穀物の輸出を制限するという。
大規模な山林火災がつづき、穀物の収穫が大幅に減ったことによる。
それを受けて小麦の国際価格は、30%ほど上昇すると見積もられている。
豊かな国はそれ耐えられるかもしれないが、貧しい国はそうでない。
豊かな国の、何十倍もの衝撃を受ける。
その衝撃を貧しい国々の人たちが、黙って受け入れるとは、とても
考えられない。

●不測の事態

地球温暖化の過程では、こうした予期せぬ事態がつぎつぎと起こる。
当然のことながら、そうした事態は私たちの生活に大きな影響をおよぼす。
たとえば日本の食料不足も、時間の問題。
(不足)→(価格の高騰)を繰り返しながら、やがて食料の輸入もままならなくなる
だろう。
すでに世界の人口の約3分の2が、日常的な飢餓状態にあるという。
もちろん水問題もある。
水を取り合って、国々が戦争を始めるかもしれない。
あのインド・パキスタン紛争にしても、もとはと言えば、水問題。
その争奪戦が原因で、戦争が始まった(1970年前後)。

そうした事態になったとき、地球温暖化の問題は別として、
私たちは私たちの(心)を、はたして守ることができるのか?
今のように、見かけだけでも善人のフリをしていられるのか?
やがてそのメッキははがれるだろう。
それがここでいう「もうひとつの問題」ということになる。

●弱者の論理

 ところで近代経済学の中では、貧者は常に弱者であり、無視されて当然
と考えられている。
つまり「数」に入っていない。
が、実際に世界を動かしているのは、数の上で圧倒的に多い、貧者たちである。
社会を、ときとして、予期せぬ方向に動かしてしまう。

が、貧者には貧者の論理がある。
近代経済学が、そのときどきの経済の動きを読みまちがえるのは、また読みきれない
のは、こうした貧者の論理を組み入れていないからである。
つまり勝者の論理だけで組み立てられている。
(貧者の論理については、たびたび書いてきたので、ここでは省略する。)

 嫉妬とねたみ、被害者意識と妄想……。
そういったものが積み重なっていく過程において、人心そのものをゆがめる。
それがいつしか、社会秩序そのものを破壊する。
そうしたメカニズムそのものが、まだ未解明のまま。

●メルボルン市

 たとえば40年前、オーストラリアのメルボルン市は世界屈指の
豊かな都市として知られていた。
温暖な気候。
安全。
世界第1、2位を争う国民所得。
だれも迷わずオーストラリアのことを、「ラッキーカントリー」と呼んだ。
が、そのオーストラリアに異変が生ずるようになった。

 その10年後には、酸性雨が降るようになった。
議会の前の石像が、ただれるように溶け始めた。
20年後には、世界中から難民とも言ってもよいような移民が、ふえ始めた。
東南アジア、中近東の国々などから。
多くの人たちがその国を逃れて、オーストラリアへやってきた。
30年後には、・・・つまり最近に至っては犯罪もふえ、夜中の女性の
ひとり歩きは、できなくなってしまった。

 オーストラリアの友人はこう言った。
「今では白人のほうが貧しくなってしまった」と。

●宗教

 こうした状況の中で人心を守る方法があるとすれば、「宗教」を
おいてほかにない。
それに代わるものといえば、哲学や心理学ということになる。
が、個々の人の心ということになると、それでは間に合わない。
つまり温暖化にまつわる心の荒廃を救うために、哲学や心理学の発達を
待っていたのでは、間に合わない。
そうでなくても、現代人は忙しい。
「食べていくだけで精一杯」という人にしてみれば、なおさらそうであろう。

 だから「宗教」ということになる。
が、私たち日本人について言うなら、その「宗教」がない。
仏教にしても完全に形骸化、儀式化している。
「日本の仏教は葬式仏教」と揶揄(やゆ)する人も少なくない。
つまり現在の仏教には、これからつぎつぎと起こるであろう人心の荒廃を
救済するだけの力はない。

そう断定するのは危険なことかもしれないが、少なくとも私は期待していない。
だいたいこういう事態になっても、日本の仏教界にしても、だれ1人、声を
あげないというのは、どうしたことか!

●人心の荒廃

 話を戻すが、人心の荒廃を甘く考えてはいけない。
真偽のほどはともかくも、1990年代の終わりごろ、北朝鮮でこんな
事件があったという。

 ある日母親が気がついてみると、自分の子どもがいない。
3、4歳の幼児だったと記憶している。
そこでその母親は懸命になって自分の子どもを捜した。
たぶん徹夜で捜したのだろう。
が、数日後、母親はある露天の前に来ると、そこで気を失ってしまった。
あろうことか自分の子どもの腕と手が、露天につりさげられ、
そこで「肉」として売られていたという。
韓国の朝鮮N報に載っていた話である。

 人心の荒廃というのは、それをいう。
そういうことが日常的に、あちこちで起こるようになる。

●宗教の限界

 地球温暖化が進めば進むほど、同時に人心の荒廃も進む。
が、議論されるのは、気象的な問題ばかり。
精神的な問題は、置き去りになったまま。
しかし気象的な問題は、まさに自業自得。
それによって人類が滅亡することになっても、しかたない。
が、私たちはそこに至る過程で、地獄を経験する。
まさに究極的な阿鼻(あび)地獄。
人で人が焼かれる阿鼻地獄。

 その地獄に耐える能力が、私たちにはあるのか。
先に私は「仏教には期待していない」と書いた。
それに仮に宗教があったとしても、みながみな、宗教心をもつわけではない。
1人の悪人がいれば、10人の善人がいても、善人は無力でしかない。
10人の悪人がいれば、1000人の善人がいても、善人は無力でしかない。
その悪人が、私たちを否応なしに、地獄へと引き込んでいく。
あのメルボルン市で、女性のひとり歩きができなくなってしまった理由は
そんなところにある。
(なお最近では、男性のひとり歩きも危険になったという。)

 それに宗教心をもつことは、そんな簡単なことではない。
仮にもったとしても、熟成期間が必要。
「阿鼻地獄」に耐えるほどまでの宗教心をもつことは、容易なことではない。

●精神の崩壊

 地球温暖化は、不測の事態が不測の事態を呼び起こしながら、急速に進んでいる。
たとえば10年前、どこのだれが海流の変化まで予測しただろうか。
凍土の融解までは予測した人はいたが、それが自然発火することまで、どこの
だれが予測しただろうか。

 が、さらに不測の事態が起こる。
人心が荒廃すれば、社会秩序、法秩序が崩壊する。
倫理、道徳が崩壊する。
良識や常識も崩壊する。
そうなったとき、どこのだれが法を守り、排気ガスの節減に協力するようだろうか。

1リットルのガソリンを奪い合って、殺し合いが始まるかもしれない。
1滴の水を奪い合って、殺し合いが始まるかもしれない。
当然、戦争も頻発するようになるだろう。
欲望をコントロールする精神的環境、社会的環境の両方が崩壊する。
 
●人心の荒廃

つまり世界の荒廃をもたらすものには、2つある。
内的荒廃と外的荒廃。
人間の精神の内部から崩壊していくのを、内的荒廃。
善悪判断、良識、常識そのものが崩れていく。

 もうひとつは社会環境が崩壊し、外部から崩壊してくのを、外的荒廃。
社会秩序、規範、法律そのものが崩れていく。
が、2つに分けてもあまり意味がない。

それらは同時進行の形で起こり、社会を荒廃させる。
「地獄」というのはまさに、そういった究極の崩壊状態をいう。
つまり私たちはその地獄を経験する。
その地獄に耐えうる能力はあるのか。
またそれを防ぐ方法はあるのか。
その準備はできているのか。

●欲望

 地球温暖化は、まさの人間の欲望が結晶したもの。
その欲望が地球環境そのものを破壊する。
同じ欲望が、同時に内部から人間を破壊する。
言うなれば、人間の欲望が地球を破壊し、ちょうどがん細胞のように、
自らも破壊する。

 なお人心の荒廃が一度起きれば、自然破壊は一気に進む。
不測の事態の中で、もっとも恐ろしいのは、人心の荒廃ということになる。
これは先にも書いたが、言うなれば、人類全体が、食料援助も水もない、
そんな難民キャンプに置かれたような状況になる。

●では、どうすればよいか

 地球温暖化というと、ほとんどの人にとっては、(どうしようもない
問題)ということになる。
私自身も、どこからどう手をつけてよいのかわからないでいる。
「車に乗るのは控えよう」と思ってはいても、道路へ出れば無数の車が
猛スピードで走っている。
何かをしようと思えば思うほど、無力感に襲われる。

 一方、人心の荒廃ということになると、私たち1人ひとりの問題と
いうことになる。
今からそれに備えて準備する。
早ければ早いほど、よい。
あるいは組織を形成し、計画的に行動する。
精神の荒廃を受け入れるに足る哲学を構築する。
力を合わせる。
まさに絶望的な闘いになるかもしれない。
が、それが私たちに残された唯一の選択肢ということになる。

●ラッキーカントリー

 だからそれでよいという話ではない。
しかし地球温暖化により、地球が火星化するにしても、最後の最後まで生き残る国が
あるとすれば、この日本と言われている。
四方を大洋に囲まれ、中央には、3000メートル級の山々を連ねる。
そのため「水」の心配はない。
中緯度帯に位置するのも幸いしている。
局地的な洪水、渇水は起こるだろうが、大陸的なあの大洪水や砂漠化は起こらない。
中緯度帯に属し、他民族の侵略も受けにくい。
難民も、海を隔ててそこで阻止できる。

 すでに富と知識を蓄積している。
科学力も工業力もある。
唯一の難点といえば、資源をもたないこと。
が、火星化の過程では、資源はそれほど意味をもたない。
大切なことは、生き延びること。
いざとなれば、人工たんぱく質の合成も可能。
(現在でも可能だが、製造をひかえているだけ。)

 であるならなおさら、日本は、世界のリーダーとして、世界の人たちを
指導していかなければならない。
またその地固めをしておく。
精神的基盤を確立しておく。
「日本だけはだいじょうぶ」と、高をくくっているわけにはいかない。

●近未来図

 それにしても……

 やがて日本人は、山脈の山奥に掘られたトンネルの中で生活をするようになる
のだろうか。
人工太陽で作られた食物を食べて生きるようになるのだろうか。
世界中の人たちが阿鼻地獄でもがき苦しむのを見聞きしながら、ビクビクと
おびえながら生きるようになるのだろうか。
それが私たちの近未来図とは思いたくないが、しかし現実は私たちが考えているより
はるかに深刻な方向に向かって進みつつある。
しかも急速に!

 私たちが子どものころは、気温が30度を超えれば真夏日。
めったに30度を超えることはなかった(岐阜県M市)。
それが今では、この8月に入ってからは、連日35度を超えている(岐阜県M市)。
例年通りとするなら、9月下旬まで、30度を超える日々がつづく。

体感気温でみるかぎり、この半世紀の間に5度は気温があがったのではないか?
精神的荒廃が世界各地で始まるのは、もはや時間の問題とみてよい。

(補記)

 たいへん暗く、悲観的なことを書いた。
この原稿を読んだ人も、憂うつな気分になるにちがいない。
しかし地球が温暖化しているという現実は、もうだれの目から見ても、疑いようがない。
そしてその温暖化は、今の今も、つづいている。
仮に今ここで二酸化炭素の排出量をゼロにしても、一度できた「温室」がそれで
なくなるわけではない。
気温の上昇は、そのままつづく。
また「2100年までには……」という言葉をよく聞く。
しかし2100年で、気温の上昇が止まるわけではない。
気温の上昇は、それ以後もつづく。

 が、気温の上昇ひとつとっても、そんな単純な問題ではない。
「異変」につづく「異変」。
不測の事態がさらに別の不測の事態を呼び、さらに別の異変をもたらす。
いかに想像力を働かせても、異変はその想像力をはるか超えたところで起こる。

 たとえば10年前に、(たった10年前だぞ!)、北極の白クマが絶滅品種に入る
などと、だれが想像しただろうか。
あのモスクワが、放射性を帯びた有毒ガスで覆われるなどと、だれが
想像しただろうか。
チェリノブイリ発電所の事故で飛び散った放射性物質が、今度は山林火災による灰
と共に、モスクワまでやってきた!

そうした異変が繰り返され、さらに年を追うごとにその数は加速度的にふえていく。

 しかし問題なのは、そうした異常事態がそこにあることではなく、あえて目を
そむけ、知らぬフリをしている私たちにある。
こうした無関心は、やがて環境問題が臨界点に達したとき、人の心を内部から崩壊
させる。
野生化するとか、野蛮化するとか、そういう単純な問題ではない。
利口であるがゆえに、人間は、やっかいな動物ということになる。
何をしでかすかわかったものではない。
少なくとも白クマのように、静かには絶滅しない。
つまりそのための心の準備を、今から始める。
さらに言えば、やがて人類が経験するであろう、阿鼻地獄に耐えうるだけの
哲学や人間性を確立する。
そのために私たちは、何をどう考えたらよいのか。

この原稿が、それをみなでいっしょに考えるきっかけになればうれしい。
 
(補記2)

 ところで最近私は、キリスト教の聖書によく目を通す。
その聖書を読みながら、先日は、ふと、こんなことを考えた。
「この聖書というのは、そのときのために書かれた書物ではないか」と。

 「そのとき」というのは、まさに「人類滅亡」のとき。
世界各地で起こるような戦争のようなものをいうのではない。
もっと大きな問題。
人類全体にかかわるような、大きな問題。
それを「最後の審判」と位置づける人もいる。
そのときにどう生きるか。
その道筋を示したのが、聖書ではないか、と。
聖書の冒頭が、天地創造、および人類創造で書き始まるのも、そのひとつ。

 言い替えると、聖書でいうところの「神」は、人類を見捨ててはいないという
ことになる。
もし見捨てているなら、こんな書物を残さない。
つまり聖書というのは、個々の生き様を示したものではなく、人類全体の生き様を
示したもの。
が、そう考えると、それが最後の希望ということになる。

 ただ誤解しないでほしいのは、だからといって、どこかのカルト教団の人たちの
ように、自分だけが救われればよいとは、私は考えない。
彼らは2、3か月に一度は私の家にやってきて、こう説く。
「神を信じた者だけが、救われます」と。

 どうであれ、私自身は地球が火星化するまでに死ぬ。
平均寿命まで、あと16年。
健康寿命まで、あと6年。
生き残ってほしいのは、私のつぎの世代の人たち。
さらにつぎのつぎの世代の人たち。
生き残るというより、ここに書いたような地獄だけは、経験してほしくない。
そのために今の私たちはどうあるべきか。
どう考えるべきか。
それをこの先も考えていきたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 地球温暖化 地球火星化 精神の荒廃 人心の荒廃 社会秩序の崩壊 道徳の崩壊 不測の事態)


Hiroshi Hayashi+++++++Aug. 2010++++++はやし浩司

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【今週の幼児教室より】(形の学習)2010-8-20(年少児+年中児)




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