【浜名湖かんざんじ荘にて】2011年9月28日水曜日
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今夕は、浜名湖かんざんじ荘にやってきた。
久しぶり?
この温泉(旅館)は、いつ来ても、安心して泊まれる。
その安心感が重要。
サービスにムラがあると、不安になってしまう。
もちろん料金も、安い。
おとな1人1泊、7500円(夕食、朝食つき)。
(特別サービス期間ということで、その料金。)
が、何よりもすばらしいのは、部屋からの眺望。
文句なしの、浜松イチ。
夏場のシーズンも終わり、今はシーズンオフ。
閑散期。
客も少ない。
たった今、風呂から戻ったが、私1人だけだった。
貸し切り風呂。
ワイフも、風呂から戻り、同じことを言った。
「貸し切り風呂だったわ」と。
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●人ごみ
混雑している様を、「人ごみ」という。
「ごみ」は、「混み」と書く。
しかし「ごみ(trash)」の「ごみ」にも通ずる。
人間を「ごみ」と言うのではない。
雑多な不用品を、「ごみ(trash)」という。
が、その昔には、ごみはなかったはず。
……ということを、山の中で生活するようになって知った。
田舎の山村に住んでいる人というのは、ほとんどごみを出さない。
ごみというごみを作らない生活が、定着している。
現代のように、ごみが多くなったのは、現代になってから。
だから人ごみというのは、やはり「人混み」をいう。
「ごみ(trash)」とは、関係ない。
回りくどい言い方をしたが、私は、人ごみが嫌い。
長くいると、それだけで頭が痛くなってしまう。
だからこうして、どこかへ行くときは、できるだけ人の少ない場所、日時を選んで行動す
る。
そういう点では、天才的な(?)、勘が働く。
●安眠
ここ数日、私は穏やかなやさしさに包まれている。
心は静か。
気分も落ち着いている。
夢見も悪くない。
寝起きの悪夢(今朝は、地震の夢)は、相変わらずだが、それを除けば安眠状態。
昨夜は11時ごろ床に入った。
一度、トイレに起きたが、目を覚ましたのは午前7時半。
よかった……。
●90歳の老夫婦
今日の新聞によれば、この浜松で、こんな事件があった。
ともに90歳の老夫婦が、心中したという。
詳しくはわからないが、施設から自宅へ帰ってきたあと、心中したという。
私はその話を聞いたとき、すかさず、「いい夫婦だなあ」と思った。
この種の心中事件にありがちな、悲惨さを、まったく感じなかった。
きっとこんな会話をしながら、心中したにちがいない。
男「いっしょに、死のうか?」
女「いいわよ……」
男「じゃあ、お前が先に行けよ」
女「頼むわね」と。
そこで男が女の首をしめる。
女が死んだのを見届けてから、自分も、首をつる。
あるいはこんな会話もしたかもしれない。
男「いろいろあったね。楽しかったよ。ありがとう」
女「私も、楽しかったわ。ありがとう」と。
90歳まで生きられれば、御の字。
その老夫婦のことを言っているのではない。
私たち自身のことを言っている。
むしろ私たち自身は、90歳まで生きたいとは、思っていない。
長生きをすればするほど、みなに迷惑をかける。
その迷惑を、みなにかけたくない。
●「週刊現代」2011年7月9日号
今日は、古い週刊誌をもってきた。
「週刊現代」の(7月9日号)。
ちょうど3か月前の週刊誌ということになる。
(今日は、9月28日だが、週刊誌の発刊日付というのは、プラス1週間にしてある。)
古い週刊誌を読むのは、それなりに楽しい。
読んだ瞬間、一度過去に戻り、読み終えたとたん、現在に戻る。
小刻みなタイムスリップを楽しむことができる。
が、それ以上におもしろいのは、週刊誌の正誤を採点できるということ。
「このとき、こう言っていた人がいたけど、まったく、ハズレ」とか、反対に、「この人
はズバリ、未来を予測していた」とか、など。
たとえば7月9日号は、「放射能はこんなに出ている」という記事を特集していた。
「列島縦断、全国100か所を独自調査」と。
で、今その記事を読み直しているが、当時の緊張感がまったくないのは、どうしてか?
状況は何も変わっていない。
放射線値も、とくにさがったというわけでもない。
今の今も、相変わらず、放射性物質は、空中に放たれたまま。
脳のほうが、勝手に現状を受け入れてしまった。
今は、そんな感じがする。
気になるのは、東電のM副社長が、こう言っていたこと。
「7月中旬までに、原子炉の安定冷却を行う」と。
が、ご存知のように、いまだ安定冷却は、ほど遠い状態。
先ごろの発表では、「今年度中に……」ということになっている。
●御前崎原発
ついでに改めて、一言。
御前崎(浜岡)に中部電力の原子力発電所がある。
が、常識で考えるまでもない。
あんなところに原子力発電所があること自体、正気の沙汰ではない。
狂っている。
今度の福島第一原発の事故で、それが身にしみてわかったはず。
にもかかわらず、地元の御前崎市長は、まだ迷っている(?)。
これはもう可能性の問題ではない。
事故があるとかないとか、そんな問題ではない。
良識の問題。
金(マネー)に目がくらんだ人には、その良識がわからなくなる。
●夕食
かんざんじ荘の夕食は、信じられないほど、おいしかった。
仲居さんも、私のことを覚えていてくれた。
食堂を出るとき、コック長までわざわざ出てきて、あいさつしてくれた。
「またお願いします」と私が笑って言うと、「よろしくお願いします」と。
2階へあがると、そのままカラオケ室へ。
前にも書いたが、これほどまでのカラオケ室は、そうはない。
小さいが、まるで劇場のよう。
ワイフが3~4曲、私が5~6曲、歌った。
定番は、「シェナンドー」「7つの水仙」ほか。
ワイフの定番は、「花」「翼をください」ほか。
通路に出てからも歌っていたら、ワイフに叱られた。
●7時30分
時刻は7時30分。
系列の、「華咲の湯」(舘山寺温泉街にある温泉)へ行こうと予定していたが、キャンセル。
少し疲れた。
「華咲の湯」へは、ほとんど毎週のように来ている。
回数券を買うと、1回、600~1000円で入浴できる。
ここ、かんざんじ荘に泊まると、サービスでその割引券をくれる。
が、今夜は、やめた。
書き忘れたが、このかんざんじ荘の風呂(温泉)は、これまた浜松イチ。
私が保証する。
こじんまりとした風呂で、どこがどうというわけではないが、清潔で、湯加減もよい。
眼下に、浜名湖が一望できる。
……ということで、このところ、やってくる温泉も決まってきた。
弁天島では、「浜名湖リゾートホテル・ジ・オーシャン」。
舘山寺では、ここ「浜名湖かんざんじ荘」。
良心的で、手抜きがない。
料金の心配をせず、気楽に泊まれる。
●オーストラリアのD君へ
日本人は、それに気づいていない。
それでふつうだと思っている。
しかし日本人の、二重マインド性は、外の世界から見ると、よくわかる。
「表」と「裏」を使い分ける。
オーストラリア人には、それがない。
そのことも、日本という外の世界から見ると、よくわかる。
たぶん君たちは、それに気づいていないかもしれないが……。
たとえば日本人は、よく知人に、こう言う。
「また遊びにおいでください」とか、「今度、こちらへおいでのときは、ぜひ寄っていって
ください」とか。
しかしそれは嵐の日に、「グッド・モーニング(おはよう)」と言うようなもの。
ただのあいさつ。
真に受けてはいけない。
だから言われたほうも、こう言う。
「はあ、また寄らせていただきます」と。
表でニコニコ笑いながら、裏で、不平、不満を並べる。
日本人は、そういう芸当が平気でできる。
一方、君たちはできない。
だから貴君に、率直にアドバイスしたい。
「日本人と交際するときは、気をつけろ」と。
●表面(おもてづら)
突然、オーストラリアの友人への手紙になってしまった。
ここで書くつもりはなかった。
しかしこの数日間、気になっていた。
いつか、ていねいに説明しなければ……と思っていた。
オーストラリア人は、「遊びにおいで」と言われると、それをそのまま「招待」と受け取
ってしまう。
が、ここにも書いたように、それは単なる「あいさつ」。
日本人は、軽い気持ちで、そう言う。
言いながら、その責任を取らない。
本当にそのオーストラリア人がやってきたりすると、陰で不平、不満を並べる。
長くつづいた封建時代という恐怖政治が、こういう国民性を作り上げた。
結論を先に言えば、そういうこと。
●老後の生きがい
このあともう一度、温泉に入るつもり。
ワイフは、いつものようにDVDを見ている。
私は、こうしてパソコンのキーボードを叩いている。
平和なとき。
そうそう食事のとき、生徒の話になった。
最近は、ワイフのほうが積極的に、生徒たちの世話をしてくれる。
生徒たちも、私より、ワイフのほうを慕っている。
私はいつも悪党。
悪役。
ワイフはいつも、正義の味方。
そんなふうに、私たちを位置づけている。
その中でも、よくL君が話題になる。
父親がイギリス人。
孫の誠司によく似ている。
それにSさん。
同じく孫の芽衣によく似ている。
L君やSさんが教室へ来る日は、朝からワイフはL君やSさんの話ばかり。
よほど楽しみにしているとみえて、その日はいつもより早い時刻に、自宅を出る。
悲しくも、いじらしいバー様心。
ワイフもやっと自分の「道」を見つけたらしい。
老後に必要なのは、「道」。
道がなければ、生きていかれない。
よく人は、こう言う。
「老後は、孫の世話と庭いじり」と。
しかしそんなものは、「道」ではない。
生きがいにはならない。
ないことは、自分がその歳になってみると、」よくわかる。
あのキング牧師はこう言った。
『そのために命をかけることができることを発見できなかった人は、生きているのに適し
た(fit)人と言えない』と。
キング牧師は、まさに老後の統合性を一口で、言い表した。
●就眠儀式
ワイフが2度目の風呂から戻ってきた。
戻ってきて、何やらせわしなく部屋の中を動き回っている。
若いころからそうで、寝る前のワイフは、忙しそう。
それがワイフの就眠儀式にもなっている。
私も眠いが、実は、いつまでもこうして文を書いていたい。
思いつくまま……。
考えるまま……。
それ以上に、パソコンのキーボードを叩いていると、気持ちよい。
パタパタ……。
パタパタ……。
「もう、寝る?」と聞くと、「まだ……」と、ワイフは答えた。
髪の毛が乾くまで、いつもしばらく起きている。
長い髪の毛は、手入れがたいへん。
私などは、仕事に出かける前、数分くらいで、整えてしまう。
水で濡らし、整髪料をかける。
あとは櫛でといて、自然に乾くのを待つ。
いつもそれだけ。
それ以上のことは、しない。
●相対論
あくまでも相対論。
頭のよい人は、頭の悪い人が、よくわかる。
脳みその奥の奥まで、よくわかる。
一方、頭の悪い人は、頭のよい人がわからない。
わかっても「自分と同じ」と思う。
そのことは子どもを見ていると、よくわかる。
わざと私が簡単な計算をまちがえてみせると、子どもたちは本気になって、それを怒る。
子どもたちは子どもたちのレベルで、私を判断する。
同じように、……というか、最近多いのが、明らかに私を「下」に見てくる母親たち。
ものの言い方、態度から、言葉の端から、それがわかる。
年配者に対する、畏敬の念など、みじんもない。
もっともこれは老人側にも責任がある。
この世の中、バカな老人が多すぎる。
で、こういう仕事を40年もしていると、子どものことだけではない。
母親たちのことまで、手に取るようにわかるようになる。
生い立ちから、現在に至る人生まで、わかる。
性格や性質、知性や人間性まで、わかる。
わかるものはわかるのであって、どうしようもない。
が、母親たちには、そういう私がわからない。
ただのジー様と思っている。
数年前だが、「林(=私)は本物の教師ではない」と言った母親がいた。
母親が直接そう言ったのではない。
子どもを通して間接的にそう言った。
本物?
かわいそうな母親だ。
化粧で身を飾り、化粧した姿を自分と思い込む。
同じように、相手もその化粧で判断する。
心理学の世界では、仮面(ペルソナ)という。
こういう生き方を繰り返していると、やがて仮面が仮面とわからなくなる。
自分の仮面もわからなくなるが、他人の仮面を見抜くこともできなくなる。
生涯、あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ……。
肩書きや地位で相手を判断する人というのは、たいていこのタイプの人間と思ってよい。
話が脱線したが、しかしこれも相対論。
私より頭の悪い人も多いが、一方、私より頭のよい人も多い。
そういう人から見れば、私もただの馬鹿。
偉そうなことは言えない。
●歴史的観光地
ワイフは部屋にあった観光案内を読んでいる。
このあたりには、歴史的観光地が散在している。
どれも聞きなれた観光地。
知らないところはない。
それに40年も住んでいると、一目見ただけで、その人が浜松の人かどうかも、わかる
ようになる。
……というのは、少しオーバーだが、浜松の人は、独特の雰囲気をもっている。
その雰囲気で、わかる。
……人口を60万人(旧浜松市)としても、毎日10人の人と会えば、1年間で、約40
00人。
10年間で、4万人。
40年間で、16万人になる。
延べにすれば、ほぼ半数の人と知りあいということになる。
その観光地。
最近は、どこも元気がない。
世代を経るごとに、趣向が変わってきた。
これからはもっと変わっていくだろう。
寺巡りや、戦場跡巡りでは、若い人たちを引っ張ってくる力はない。
●日本人
私が日本人であることを強く意識したのは、アメリカへ行ったときのことだった。
車から降り、平原にポツンと立ったとき、体がつぶされんばかりの孤独感に襲われた。
「ここは、ぼくの住む国ではない」と思った瞬間、「ぼくは日本人だ」と。
日本語など、まったく通じない。
日本語を読める人もいない。
日本がどこにあるかさえ、みな、知らない。
加えて、私の体は小さい。
そのとき、こう考えた。
「もし日本という国がなくなってしまったら、文章など、いくら書き残しても、だれも読
んでくれなくなる」と。
自己否定ならぬ、国否定。
それだけはぜったいに、許してはいけない。
……と考えたとき、私は日本人であることを、強く意識した。
●就寝
そろそろ寝る時刻。
「髪の毛、乾いた?」と聞くと、「だいたいね」とワイフ。
先ほどから、勝手に独り言を口にしている。
鼻歌も口ずさんでいる。
就眠儀式も、そろそろ終わりに近づいたようだ。
……では、今夜はここまで。
9月28日、夜記
●9月29日(午前5時)
今朝は午前5時、起き。
私は、クーラーのかかった部屋では、どうも安眠できない。
サワサワと乾いた風。
それが苦手。
一晩中、気になる。
が、無理して眠ることはない。
万事、自然体。
その分だけ、昼寝時間を長くすればよい。
で、今、時刻は、正確には4時53分。
窓の外を見ると、東名高速道路には、相変わらず車の列が並んでいた。
空は真っ暗。
「もう働いている人がいる」と思ったとたん、おかしなことに、元気がわいてきた。
●平凡
今日の予定は、とくになし。
いつものように日課と仕事をこなす。
そう言えば、昨日の中日新聞のどこかに、こんな言葉が載っていた。
記憶によるものなので、正確ではないが、こんな言葉だった。
『平凡をつづけることが、非凡なのだ』と。
『平凡は美徳』と説いた哲学者もいる。
が、私はそういう言葉を聞くと、すぐこう考えてしまう。
「英語(外国語)では、『平凡』を、どう言うのだろう」と。
つまりそれはそれで、まちがっているとは思わない。
しかし国によって、言葉の使い方が、微妙にちがう。
もとの言葉は、どんな言葉だったのか。
たとえば「立派な人」。
「尊敬される人」でもよい。
英語では「respected man」という。
しかし英語で「respected man」というときは、身分や肩書きは関係ない。
日本語で「立派な人」というときには、身分や肩書きのある人をいう。
つまり日本人のばあい、無意識のうちにも、そこに身分意識をからめて考えてしまう。
もちろん欧米人には、そういう意識はない。
同じように、「平凡」はどうか?
「何でもない生活」を「平凡」というのか。
しかしこの日本では、「平凡」というときは、どこかに軽蔑の念をこめて、そう言う。
言うなれば、今日の私は、その平凡な生活を繰り返そうとしている。
何か物足りない。
そのこともあって、「それが非凡」と言われると、すかさず、「本当にそれでいいのだろう
か」という疑問をもってしまう。
平凡からは、何も生まれない。
ただこういうことは言える。
「平凡であることには、すばらしい価値が隠されている」と。
日々に、何ごともなく過ぎていく。
「生活」という面では、とても大切なことのように思う。
つまり『平凡をつづけることが、非凡なのだ』というのは、生活のあり方を言ったもの。
生きザマを言ったものではない。
……これは私の勝手な解釈によるもの。
●朝風呂
平たく言えば、私は足(脚)が、スカスカすると(=冷えると)、眠れない。
東洋医学では、体のバランスを重要視する。
足が冷えるとうことは、その分だけ、頭のほうが熱くなるということ。
だから頭が冴えてしまう。
眠られない。
理屈はともかくも、現象論的には、正しい。
だから自宅では、夏場でも、私は厚めのパジャマをはく。
が、今朝は浴衣。
寝る前に、ワイフがこう言った。
「あら、今日はパジャマを忘れた」と。
……ということで、午前5時起き。
これから朝風呂に入り、足を暖めてくる。
そのあともう一度、眠りなおす。
私は、子どものころから、そういうことが、自由にできる。
昼寝のときも、そうだ。
30分もあると、すぐ昼寝をする。
横になって5分後には、もう眠っている。
そういう私を見て、ワイフは、いつもこう言う。
「あなたは、いわねえエ~。いつでもどこでも、すぐ眠られるからア……」と。
これは私の特技かもしれない。
もちろんその反対に、寝損ねることもある。
そうなると、どうがんばっても眠られないときもある。
その朝風呂は、午前5時半から、となっている。
あと少し。
●貧しき根性
朝風呂も、私、1人だけだった。
足を暖めていたら、軽い眠気が襲ってきた。
やはり、そういうものだった。
血圧とどう関係があるのかは、知らない。
しかし私は低血圧症。
今でも上が110前後。
下はときによっては、70以下になる。
で、その風呂でのこと。
(温泉というよりは、風呂?)
シャンプーにしても、ボディソープにしても、自宅での量よりも、2倍以上も使ってしま
う。
そこが団塊の世代。
貧しき団塊の世代。
こんなところにも、体にしみこんだ貧しさが潜んでいる。
それが60年もたった今でも、こうして顔を出す。
●湖面
窓の外には、幾重にも重なった山々が見える。
近くから濃紺、やや薄い紺色、そして灰色がかかった水色とつづく。
湖面は静か。
何そうかの漁船が、縦、横に走り、そのつど、湖面に筋が走る。
「さぞかし気持ちいいだろうな」と思う。
それぞれの人には、それぞれの生き方がある。
どの生き方がよいとか、悪いとか、そういう判断はくだしてはいけない。
ただ私は、こう思う。
生き方を選ぶとしたら、やはり自然に包まれた生き方のほうが、よい、と。
そのほうが、ずっと人間らしく、生きることができる。
経営的にはたいへんかもしれないが、だからといって、その人の生き方がまちがっている
ということではない。
社会のほうがまちがている。
銀行や証券会社のディーリングルームでは、20、30歳そこそこの若い人が、数秒単
位で、億単位のお金(マネー)を、儲けたり、損をしたりしている。
そういう世界のほうが、おかしい。
狂っている。
余計なことかもしれないが……。
●黄金色
ワイフが、私と入れ替えに、朝風呂を浴びるために、部屋から出て行った。
ひとり残された私は、部屋で、お湯をすする。
ぼんやりと遠くの景色をながめる。
遠くを走る、ボートの音。
今しがた立って手前の木々を見ると、朝日を浴びて、黄金色に輝いていた。
風もなく、静かな朝。
……今ごろになって、眠気が襲ってきた。
が、朝食は、7時半から。
まだ1時間以上も、ある。
●
……眠い。
が、ワイフは部屋を出るとき、布団を丸めて出て行ってしまった。
これでは横になることもできない。
しかたないので、座椅子に座ったまま、こうして時間を過ごす。
雑誌に目を通すほどの気力もない。
部屋の片づけもしなくてはならない。
が、その気力もない。
……眠い。
そうそういいことを発見した。
先日、チリ産の安いワインを買ってきた。
英語で言えば、「ドライ・ワイン」。
甘みのないワイン。
が、どうも口に合わない。
そこで昨夜、そのワインに、アセロラ・ジュースを少し混ぜてみた。
とたん、飲みやすくなった。
安いマグロの刺身に、マヨネーズをつけるとトロ味になる。
いつだったか、豊橋でかまぼこを作っているヤマサという会社の社長が、そう教えてくれ
た。
それと同じか?
おかげで酒が飲めない私が、チビチビと何回も飲んでしまった。
今のところ二日酔いは起きていない。
だいじょうぶかな?
●相談
たった今、メールを開いてみたら、1通、こんな相談が掲示板に載っていた。
【SKさんより、はやし浩司へ】
『はじめまして。息子のことで悩んでおり、こちらを見つけました。どうぞよろしくお願
いします。
息子は7歳(小一)で、下に3歳(年少)の妹がいます。父母との4人暮らしです。
ここ2年くらい、不機嫌なことが多く(波があっておだやかな時期もあるのですが)、イラ
イラしているとほんの些細なことで騒いだり、母親の私に乱暴をしたり(手加減はしてる
ようですが)、ものを倒したり本棚の本をぶちまけたりします。
今までは家の中で私に当たることが多く、幼稚園や公共の場で困ったことをすることはな
かったのですが、小学生になって1学期の終わりくらいから、家以外での問題行動が増え、
学校では授業中立ち歩いたり他の子にちょっかいを出したり、物を投げたりとにかく落ち
着きがないようで、先生も困っている様子です。
先生の記事もいくつか読ませていただいて、何か家庭で問題があるのかなと考えているの
ですが、なかなかよい解決方法が見つからずにいます。
うちは父親が厳しく、母親が優しいという感じの家庭です。
私自身は子供を信頼して口は出さないおおらかな母に育てられ、私の兄も私も反抗期もな
く自立しました。子供もそのように育てたいと思っています。できるだけ子供の話はよく
聴いて気持ちに共感しているつもりです。泣きたいときは我慢せずに泣かせたり。子供の
悪い部分には注目せずに頑張っているところやあたりまえの行動に注目して、子供のある
がままを認めてあげたいと思ってきました。なので、これ以上どうしたらいいのか悩んで
います。
息子の特徴としては、気が弱くて、ちょっと神経質なところがあります。小さいときから
ブランコなど恐くて乗れなかったり、自信のないものにはチャレンジできなかったり。運
動は苦手ですが、工作など物を作るのが大好きで、同年齢の子に比べると高度な物が作れ
ます。ただ完璧主義で思う通りに作れないと癇癪を起こしたりします。家族でも人が口を
つけたものは口にしません。ルールから外れるのを嫌がり、公共の場所では注意書きを気
にします。飲食禁止と書かれたところで妹に水を飲ませようとするだけでも怒ります。妹
が悪いことをするのも許せません。自分に何かされたわけでなくてもよく妹に怒っていま
す。
何かに遅刻しそうになると「もう行かない」などと、遅れることを嫌がります。学校へも
忘れ物するのが嫌で教科書などは全て毎日ランドセルに入れています。学校の勉強には充
分ついていけているようですが、宿題などで間違えに気づくと「お母さん消して!」「もう
やんない」と放り投げます。照れ屋で口が悪いので素直に友達に「入れて」と言えなかっ
たり、友達作りも苦手なほうです。同じマンションで仲のいい友達がいてそのこと遊べて
いるので楽しいときもあ……(以下、10行ほど、文字化け)……父親は弱虫でいつまで
も母親にべたべたしている息子に不満を持っていて、厳しく叱っています。
息子は父親の顔をかなりうかがっており、父親が家にいるときは悪いことはしません。父
親自身体罰ありの厳しい家庭に育っています。自分の思い通りにならないとすぐイライラ
して相手に怒りをぶつけます。よく考えると息子は父親にかなり似ています。主人には「お
前があまやかしてるからつけあがっているんだ。悪いことをしたらシバいたほうがいい」
と言われます。
確かに、息子は私に命令するときもあり、それをきかないと騒ぐので私も言うことをきい
てしまうことがあり、私はなめられているのかなという気もします。ただどうしても本人
も自分の性格をもてあまして苦しんでいるようにも思え、私にしか発散できないなら受け
止めてあげたほうがいいのかなとも思ったり。人を傷付けたり誰かに迷惑をかけるような
ときは厳しく言っているつもりですが、それ以外のことでは甘いのかなあと。
今はまだ押さえることができますが、もっと大きくなって暴れられたらどうしようという
不安もよぎり。その気持ちがあるということは心の底から子供を信頼できていないのかな。
それを息子は見抜いているのかなとも思ったり。
そんな感じで、どうすべきか今悩んでいます。何かよいアドバイスがあればよろしくお願
いします。
●愛情飢餓
一口で言えば、「愛情飢餓」。
SKさんの息子は、慢性的な愛情飢餓状態にある。
原因は、「下の子が生まれた」こと。
こういうケースでは、親は、「平等にかわいがっています」と言う。
しかし上の子にしてみれば、「平等(=半分)」ということが、おもしろくない。
下の妹は、家族というより、自分から母親を奪った「恋敵(こいがたき)」ということにな
る。
要するに家庭教育の失敗ということになる。
で、こういうケースのばあい、もう一度、全幅の愛情を、上の子(息子)に注ぎなおして
みるしかない。
(妹にはかわいそうだが、こういうケースのばあい、妹には、寛容力があるはず。)
添い寝、手つなぎ、抱っこ、いっしょの入浴など。
子どもがそれを求めてきたら、すかさず、愛情表現をしてやる。
「あとでね」とか、「今、ママは忙しいの」は、禁句。
子どもの側からみて、安心感を覚えるような家庭環境を大切にする。
問題は、父親(=夫)だが、父親と対立するのは、まずい。
「あなたの言うとおりね」と言いながら、父親の言いたいこと、したいことを、先にまわ
ってする。
父親も、息子を相手に、飢餓状態にある。
つまり嫉妬している。
父親も、大きな駄々っ子と思えばよい。
権威主義的に見えるかもしれないが、それも自分の弱さを隠すための反動形成と考えれば
よい。
(詳しくは、「はやし浩司 反動形成」で検索。)
コツは、息子を、けっして家族から孤立させないこと。
父親と息子を断絶させないこと。
親子の糸を切らないこと。
息子に、そう感じさせないこと。
キーワードは、先にも書いたが、「安心感」。
息子が安心しているかどうかだけを見ながら、接する。
こういうケースで気をつけなければならないのは、親がアタフタすること。
叱ったり、説教したりするなど。
それが悪循環となり、息子をますます悪い方向に追いやってしまう。
その安心感を覚えるようになれば、1週間単位で、症状はウソのように消える。
つまり息子は、そういう形で、母親のあなたを困らせる。
困らせて、自分へ関心を向けさせようとしている。
この問題は、今日、自宅に帰ってから、もう一度、考えてみたい。
文字化けの部分が多くて、内容がよくわからない。
その旨、返信メールを送ったので、また連絡があるはず。
……少し眠気が取れたかな?
●帰り支度
そろそろ帰り支度をしなければならない。
ワイフはすでに服を着て、スタンバイ。
私はまだ浴衣のまま。
では、「浜名湖かんざんじ荘にて」は、ここまで。
予約電話は、053-48-0330。
そのつどいろいろなキャンペーンをしているので、こまめに料金などを問い合わせるとよ
い。
地元の電車会社である遠鉄系の旅館(ホテル)だから、安心して泊まることができる。
つまり従業員の人たちの教育も行き届いていて、サービスよし、接客マナーよし、料理よ
し……。
ついでにここへ来たら、カラオケルームも利用するとよい。
1曲200円で、歌える。
なお11月いっぱいまで、シーズンオフということで、現在の料金体系とか。
今が、チャンス。
(はやし浩司 浜名湖かんざんじ荘 浜名湖舘山寺荘 はやし浩司 浜松市舘山寺温泉
はやし浩司 2011-09-28 舘山寺大草山 舘山寺かんざんじ荘にて)
Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司
2011年9月29日木曜日
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