2011年9月30日金曜日

*We live in an Unbelievable World

●9月30日(金曜日)(9月、最終日)

+++++++++++++++++

昨夜、仕事の帰りに、書店に立ち寄る。
「週刊新潮」誌を買う。
そのときついでに横に並んだ、女性週刊誌
を開くと、こんな記事が目にとまった。

何でも今度の皇太子妃のMさんの警備費に、
5000万円以上もかかったという。
(Mさんが、娘のサマーキャンプに同行した
ときの費用をいう。)
ホテルは、1泊、10万円。
プラス、あれこれ。
実際には、もっと多額の費用がかかったという(「週刊Z」誌)。

 女性週刊誌というと、皇室の(耳障りのよい)記事だけを
流していると思っていた。
その女性週刊誌が、皇室の批判記事。
こうした記事は、たいへん珍しい。
珍しいから、驚いた。

+++++++++++++++++

●北朝鮮の金ファミリー

 韓国の中央日報は、こんな記事を配信している。

 なんでも金正日(キム・ジョンイル)一家が、愛犬に年間10万~20万ドルを支出するなど豪華生活をしているという。

 いわく、『北朝鮮が2009-2010年に購入した米国製シードゥー・ジェットスキー10余台は元山(ウォンサン)などの専用別荘で金正恩(キム・ジョンウン)が使用している」とし「昨年10月にはロシアの代表的な馬を数十頭も購入し、金正恩とその家族が乗馬用に利用している」と明らかにした』と。

金ファミリーのぜいたく生活は、以前から報道されている。
ほかにも、『金正日一家は09年、中国から「ジョニーウォーカーブルーラベル」など高級ウイスキー200本を輸入、金正日が主管する宴会で消費した。昨年は仏ピカール社から購入した最高級ワイン600余本を金正日が準備した宴会で消費したという』(同)と。

 その一方で、今年の北朝鮮は、台風に見舞われ、米作が大被害を受けたという。
そんなニュースも伝わっている。

●国それぞれ

 お金のある人は、それなりの生活をすればよい。
お金のある国は、それなりの国家運営をすればよい。
日本は日本だし、北朝鮮は北朝鮮。
国民がそれに納得しているのだから、私としては、これ以上のことは、ここには書けない。
ただ、こういうことは言える。

 個人としての幸福感は、もっと別のところにあるのではないか、と。
満足感でもよい。

 警備にそれだけの費用がかかるのは、しかたないことかもしれない。
必要経費。
しかし警備されるMさん自身は、どうなのだろうか。
さぞかし迷惑したことだろう……と思う。
私なら、「うるさい! 私のしたいようにさせて!」と叫んだかもしれない。

 一方、北朝鮮の金ファミリー。
ジェット・スキーを10余台も購入していたという。
さらに愛犬に、年間10万~20万ドルを支出しているとか。
20万ドルということは、北朝鮮人の平均月収の、10万倍!
(日本円に換算しても、1400万円。)
もちろん愛犬の世話係として、何10人もの担当者が割り当てられているにちがいない。
こちらは必要経費というより、「ぜいたく」。

 しかしどうであれ、ともに桁外れ。
「そういう世界もあるのだなあ」と思ったところで、思考停止。
私がおととい泊まった旅館は、1泊、7500円。
なんだか自分がみじめになる……と書きたいが、私はゼンゼン、みじめとは思っていない。
メルボルン大学にいたとき、私はインターナショナル・ハウスにいた。
当時、ハウスの留学生は、そのほとんどが、各国からの王子や皇太子ばかりだった。
そういう学生と、1年間、寝食を共にしたことがある。
そのとき書いた原稿を、いくつか、紹介する。

【世にも不思議な留学記』byはやし浩司、より(中日新聞掲載済み)

隣人は西ジャワの王子だった【1】

●世話人は正田英三郎氏だった

 私は幸運にも、オ-ストラリアのメルボルン大学というところで、大学を卒業したあと、研究生活を送ることができた。

 世話人になってくださったのが正田英三郎氏。皇后陛下の父君である。

 おかげで私は、とんでもない世界(?)に足を踏み入れてしまった。私の寝泊りした、インターナショナル・ハウスは、各国の皇族や王族の子息ばかり。西ジャワの王子やモ-リシャスの皇太子。ナイジェリアの王族の息子に、マレ-シアの大蔵大臣の息子など。ベネズエラの石油王の息子もいた。

 「あんたの国の文字で、何か書いてくれ」と頼んだとき、西ジャワの王子はこう言った。「インドネシア語か、それとも家族の文字か」と。

 「家族の文字」というのには、驚いた。王族には王族しか使わない文字というものがあった。また「マレ-シアのお札には、ぜんぶうちのおやじのサインがある」と聞かされたときにも、驚いた。一人名前は出せないが、香港マフィアの親分の息子もいた。「ピンキーとキラーズ」(当時の人気歌手)が香港で公演したときの写真を見せ、「横に立っているのが兄だ」と笑った。

 今度は私の番。「おまえのおやじは、何をしているか」と聞かれた。そこで「自転車屋だ」というと、「日本で一番大きい自転車屋か」と。私が「いや、田舎の自転車屋だ」というと、「ビルは何階建てか」「車は、何台もっているか」「従業員の数は何人か」と。

●マダム・ガンジーもやってきた

 そんなわけで世界各国から要人が来ると、必ず私たちのハウスへやってきては、夕食を共にし、スピ-チをして帰った。よど号ハイジャック事件で、北朝鮮に渡った山村政務次官が、井口領事に連れられてやってきたこともある。

 山村氏はあの事件のあと、休暇をとって、メルボルンに来ていた。その前年にはマダム・ガンジ-も来たし、『サ-』の称号をもつ人物も、毎週のようにやってきた。インドネシアの海軍が来たときには、上級将校たちがバスを連ねて、西ジャワの王子のところへ、あいさつに来た。そのときは私は彼と並んで、最敬礼する兵隊の前を歩かされた。

 また韓国の金外務大臣が来たときには、「大臣が不愉快に思うといけないから」という理由で、私は席をはずすように言われた。当時は、まだそういう時代だった。変わった人物では、トロイ・ドナヒュ-という映画スタ-も来て、一週間ほど寝食をともにしていったこともある。『ル-ト66』という映画に出ていたが、今では知っている人も少ない。

 そうそう、こんなこともあった。たまたまミス・ユニバースの一行が、開催国のアルゼンチンからの帰り道、私たちのハウスへやってきた。そしてダンスパ-ティをしたのだが、ある国の王子が日本代表の、ジュンコという女性に、一目惚れしてしまった。で、彼のためにラブレタ-を書いてやったのだが、そのお礼にと、彼が彼の国のミス代表を、私にくれた。

 「くれた」という言い方もへんだが、そういうような、やり方だった。その国では、彼にさからう人間など、誰もいない。さからえない。おかげで私は、オ-ストラリアへ着いてからすぐに、すばらしい女性とデートすることができた。そんなことはどうでもよいが、そのときのジュンコという女性は、後に大橋巨泉というタレントと結婚したと聞いている。

 ……こんな話を今、しても、誰も「ホラ」だと思うらしい。私もそう思われるのがいやで、めったにこの話はしない。が、私の世にも不思議な留学時代は、こうして始まった。一九七〇年の春。そのころ日本の大阪では、万博が始まろうとしていた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

王子の悩み【11】

●王子や皇太子は皆、偽名!

 ハウスの留学生は、各国の皇太子や王子、あるいは、皇室や王家の子息ばかりだった。ほかの連中は、その国のケタはずれの金持ちばかり。このことは前にも書いた。


 しかし日本へ帰国したあと、その国から来た人に、そういう男を知っているかと聞いても、皆、「知らない」「そんな男はいない」と言う。そんなはずはない。そこである日、それも五年ほどもたってからのことだが、同じハウスにいたオーストラリアの友人にそのことを聞くと、こう教えてくれた。


 「ヒロシ、君は知らなかったのか。彼らは皆、偽名を使っていた」と。つまり警護上の理由で、ハウスでは、偽名を使っていたというのだ。しかも私が彼らの仲のよい友人だと思っていた男たちは、友人ではなく、それぞれの国の大使館から派遣された、護衛官であったという。

 もちろん私は本名で通した。護衛官など、私にはつくはずもない。が、こんなことがあった。

 ハウスでは、毎晩二人一組で電話交換をすることになっていた。外からかかってきた電話を、それぞれの部屋につなぐ係だ。その夜は、私とM国の王子が当番になっていた。しかし彼は約束の時間になっても来なかった。

 そこで私は彼の部屋に電話をつなぎ、「早く来い」と命令をした。しかしやってきたのは、彼の友人(あとで護衛官とわかった男)だった。私は怒った。怒ってまた電話をつなぎ、「君が来るべきだ。代理をよこすとは、一体、どういうことだ」と叱った。

 やがて「ごめん、ごめん」と言ってその王子はやってきたが、それから数日後のこと。その友人が私の部屋にやってきて、こう言った。「君は、わが国の王子に何をしているのか、それがわかっているのか。モスリム(イスラム教)には、地下組織がある。この町にもある。じゅうぶん気をつけろ」と。その地下組織では、秘密の裁判はもちろんのこと、そこで有罪と決まると、誘拐、処刑までするということだった。

 その王子。どういうわけだか、私には気を許した。許して、いろいろなことを話してくれた。彼の国では、日本の女性とつきあうことが、ステータスになっているとか、など。夜遊びをしたこともある。モグリの酒場に忍び込んで、禁制の酒を一緒に飲んだこともある。

 が、一見、華々しく見える世界だが、彼は、王子であるがゆえに、そこから生ずる重圧感にも苦しんでいた。ほんの一時期だけだったが、自分の部屋に引きこもってしまい、誰にも会おうとしなくなってしまったこともある。詳しくは書けないが、たびたび奇行を繰り返し、ハウスの中で話題になったこともある。

●「あなたはホテルへ帰る」

 そうそう私が三〇歳になる少し前のこと。私は彼の国を旅行することになった。旅行と言っても、ほんの一両日、立ち寄っただけだが、彼が王族の一員として、立派に活躍しているのを知った。街角のところどころに、王様と並んで、彼の肖像画がかかげられていた。

 それを見ながら、私がふと、タクシーの運転手に、「彼はぼくの友だちだ」と言うと、運転手はこう言った。「王子は、私の友だち。あなたの友だち。みんなの友だち」と。そこで私が「彼と一緒に勉強したことがある」と言うと、「王子は、私とも勉強した。あなたとも勉強した。みんなと勉強した」と。

 そこでさらに私が、「彼の家へ連れていってほしい。彼をびっくりさせてやる」と言うと、「あなたはホテルへ帰る。私は会えない。あなたも会えない。誰も会えない」と。まったく会話がかみ合わなかった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

最高の教育とは【15】

●私はとんでもない世界に!

 私の留学の世話人になってくれたのが、正田英三郎氏だった。現在の皇后陛下の父君。このことは前にも書いた。そしてその正田氏のもとで、実務を担当してくれたのが、坂本Y氏だった。坂本竜馬の直系のひ孫氏と聞いていた。

 私は東京商工会議所の中にあった、日豪経済委員会から奨学金を得た。正田氏はその委員会の中で、人物交流委員会の委員長をしていた。その東京商工会議所へ遊びに行くたびに、正田氏は近くのソバ屋へ私を連れて行ってくれた。そんなある日、私は正田氏に、「どうして私を(留学生に)選んでくれたのですか」と聞いたことがある。

 正田氏はそばを食べる手を休め、一瞬、背筋をのばしてこう言った。「浩司の『浩(ひろ)』が同じだろ」と。そしてしばらく間をおいて、こう言った。「孫にも自由に会えんのだよ」と。

 おかげで私はとんでもない世界に足を踏み入れてしまった。このことも前に書いたことだが、私が寝泊まりをすることになったメルボルン大学のインターナショナルハウスは、各国の王族や皇族の子弟ばかり。

 私の隣人は西ジャワの王子。その隣がモーリシャスの皇太子。さらにマレーシアの大蔵大臣の息子などなど。毎週金曜日や土曜日の晩餐会には、各国の大使や政治家がやってきて、夕食を共にした。

 首相や元首相たちはもちろんのこと、その前年には、あのマダム・ガンジーも来た。ときどき各国からノーベル賞級の研究者がやってきて、数カ月単位で宿泊することもあった。東京大学から来ていた田丸先生(二〇〇〇年度日本学士院賞受賞)もいたし、井口領事が、よど号ハイジャック事件(七〇年三月)で北朝鮮へ人質となって行った山村運輸政務次官を連れてきたこともある。山村氏はあの事件のあと、休暇をとって、メルボルンへ来ていた。

 が、「慣れ」というのは、こわいものだ。そういう生活をしても、自分がそういう生活をしていることすら忘れてしまう。ほかの学生たちも、そして私も、自分たちが特別の生活をしていると思ったことはない。意識したこともない。もちろんそれが最高の教育だと思ったこともない。が、一度だけ、私は自分が最高の教育を受けていると実感したことがある。

●落ちていた五〇セント硬貨 

 ハウスの玄関は長い通路になっていて、その通路の両側にいくつかの花瓶が並べてあった。ある朝のこと、花瓶の一つを見ると、そのふちに五〇セント硬貨がのっていた。だれかが落としたものを、別のだれかが拾ってそこへ置いたらしい。

 当時の五〇セントは、今の貨幣価値で八〇〇円くらい。もって行こうと思えば、だれにでもできた。しかしそのコインは、次の日も、また次の日も、そこにあった。四日後も、五日後もそこにあった。私はそのコインがそこにあるのを見るたびに、誇らしさで胸がはりさけそうだった。そのときのことだ。私は「最高の教育を受けている」と実感した。

 帰国後、私は商社に入社したが、その年の夏までに退職。数か月東京にいたあと、この浜松市へやってきた。以後、社会的にも経済的にも、どん底の生活を強いられた。幼稚園で働いているという自分の身分すら、高校や大学の同窓生には隠した。しかしそんなときでも私を支え、救ってくれたのは、あの五〇セント硬貨だった。

 私は、情緒もそれほど安定していない。精神力も強くない。誘惑にも弱い。そんな私だったが、曲がりなりにも、自分の道を踏みはずさないですんだのは、あの五〇セント硬貨のおかげだった。私はあの五〇セント硬貨を思い出すことで、いつでも、どこでも、気高く生きることができた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

非日常的な日常【19】
 
●ケタ違いの金持ちたち

 王族や皇族の子弟はもちろんのこと、公費留学生は別として、私費で留学してきたような連中は、その国でもケタ違いの金持ちばかりだった。

 アルジェリアのレミ(実名)、ベネズエラのリカルド(実名)などは、ともにその国の石油王の息子だった。フィージーから来ていたペイテル(実名)もそうだった。しかしその中でも異色中の異色は、香港から来ていたC君という学生だった。実名は書けない。書けないが、わかりやすく言えば、香港マフィアの大親分の息子ということだった。

 彼の兄ですら、香港の芸能界はもちろんのこと、映画、演劇などの興行を一人で牛耳っていた。ある日C君の部屋に行くと、彼の兄が「ピンキーとキラーズ」(当時の日本を代表するポップシンガー)や布施明と、仲よく並んで立っている写真があった。彼らが、香港で公演したときとった写真ということだった。

 いつかC君が、「シドニーにも、おやじの地下組織がある。何かあったら、ぼくに連絡してくれ」と話してくれたのを覚えている。

●インドネシア海軍の前で閲兵

 こういう世界だから、日常の会話も、きわめて非日常的だった。夏休みに日本でスキーをしてきたという学生がいた。話を聞くと、こう言った。

 「ヒロシ、ユーイチローを知っているか」と。私が「ユー……」と口ごもっていると、「ユーイチロー・ミウラ(三浦雄一郎、当時の日本を代表するスキー選手)だ。ぼくはユーイチローにコーチをしてもらった。君はユーイチローを知っているか?」と。しかも「日本の大使館で大使をしている叔父と、一緒に行ってきた」などと言う。

 そういう世界には、そういう世界の人どうしのつながりがある。そしてそういうつながりが、無数にからんで、独特の特権階級をつくる。それは狂おしいほどに甘美な世界だ。

 一度、ある国の女王が、ハウスへやってきたことがある。息子の部屋へ、お忍びで、である。しかしその美しさは、私の度肝を抜くものだった。私は紹介されたものの、言葉を失ってしまった。
「これが同じ人間か……」と。

 あるいはインドネシア海軍がメルボルン港へやってきたときのこと。将校以下、数一〇名が、わざわざバスに乗って、西ジャワの王子のところへ挨拶にやってきた。たまたま休暇中で、ハウスにはほとんど学生がいなかったこともある。私はその王子と並んで、最敬礼をする将校の前を並んで歩かされた、などなど。

●やがて離反

 が、私の心はやがて別の方へ向き始めた。もう少しわかりやすく言えば、そういう世界を知れば知るほど、それに違和感を覚えるようになった。私はどこまでいっても、ただの学生、あるいはそれ以下の自転車屋の息子だった。

 一方、彼らはいつもスリーピースのスーツで身を包み、そのうちのまた何人かは運転手つきの車をもっていた。そういう連中と張りあっても、勝ち目はない。仮に私が生涯懸命に働いても、彼らの一日分の生活費も稼げないだろう。

 そう感じたとき、それは「矛盾」となって私の心をふさいだ。最近になって、無頓着な人は、「そういう王子や皇太子と、もっと親しくなっておけばよかったですね」などと言う。「旅行したら、王宮に泊めてもらいなさい」と言う人もいる。今でも手紙を書けば、返事ぐらいは来るかもしれない。しかし私はいやだ。そういうことをしてペコペコすること自体、私にとっては敗北を認めるようなものだ。

 やがて私は彼らとは一線を引くようになった。彼らもまた、私がただの商人の息子とわかると、一線を引くようになった。同じ留学生でありながら、彼らは彼らにふさわしい連中と、そして私は私にふさわしい連中と、それぞれグループを作るようになった。そしてそれぞれのグループは、どこか互いに遠慮がちになり、やがて疎遠になっていった。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

王子、皇太子の中で【27】

●VIPとして

 夏休みが近づくと、王子や皇太子たちは、つぎつぎと母国へ帰っていった。もともと彼らは、勉強に来たのではない。研究に来たのでもない。目的はよくわからないが、いわゆるハクづけ。

 ある国の王子の履歴書(公式の紹介パンフ)を見せてもらったことがある。当時は、海外へ旅行するだけでも、その国では重大事であったらしい。それには旅行の内容まで書いてあった。
「○○年X月、イギリスを親善訪問」とか。

 一方、オーストラリア政府は、こうしたVIPを手厚く接待することにより、親豪派の人間にしようとしていた。そういうおもわくは、随所に見えた。いわば、先行投資のようなもの。一〇年先、二〇年先には、大きな利益となって帰ってくる。

 私のばあいも、ライオンズクラブのメンバーが二人つき、そのつど交互にあちこちを案内してくれたり、食事に誘ってくれたりした。おかげで生まれてはじめて、競馬なるものも見た。生まれてはじめて、ゴルフコースにも立った。生まれてはじめて、フランス料理も食べた。

●帝王学の違い?

 私たち日本人は、王子だ、皇太子だというと、特別の目で見る。そういうふうに洗脳されている。しかしオーストラリア人は、違う。イギリスにも王室はあるが、それでも違う。少なくとも「おそれ多い」という見方はしない。

 このことは反対に、イスラム教国からやってきた留学生を見ればわかる。王子や皇太子を前にすると、「おそれ多い」というよりは、まさに王と奴隷の関係になる。頭をさげたまま、視線すら合わせようとしない。その極端さが、ときには、こっけいに見えるときもある(失礼!)。

 で、こうした王子や皇太子には、二つのタイプがある。いつかオーストラリア人のR君がそう言っていた。ひとつは、そういう立場を嫌い、フレンドリーになるタイプ。もうひとつは、オーストラリア人にも頭をさげるように迫るタイプ。アジア系は概して前者。アラブ系は概して後者、と。

 しかしこれは民族の違いというよりは、それまでにどんな教育を受けたかの違いによるものではないか。いわゆる帝王学というのである。たとえば同じ王子でも、M国のD君は、ハウスの外ではまったく目立たない、ふつうのズボンをはいて歩いていた。かたやS国のM君は、必ずスリーピースのスーツを身につけ、いつも取り巻きを数人連れて歩いていた。(あとでその国の護衛官だったと知ったが、当時は、友人だと思っていた。)

●王族たちの苦しみ

 私は複雑な心境にあった。「皇室は絶対」という意識。「身分差別はくだらない」という意識。この二つがそのつど同時に現れては消え、私を迷わせた。

 私も子どものとき、「天皇」と言っただけで、父親に殴られたことがある。「陛下と言え!」と。だから今でも、つまり五六歳になった今でも、こうして皇室について書くときは、ツンとした緊張感が走る。が、それと同時に、なぜ王子や皇太子が存在するのかという疑問もないわけではない。ただこういうことは言える。

 どんな帝王学を身につけたかの違いにもよるが、「王子や皇太子がそれを望んでいるか」という問題である。私たち庶民は、ワーワーとたたえれば、王子や皇太子は喜ぶハズという「ハズ論」でものを考える。しかしそのハズ論が、かえって王子や皇太子を苦しめることもある。

 それは想像を絶する苦痛と言ってもよい。言いたいことも言えない。したいこともできない。一瞬一秒ですら、人の目から逃れることができない……。本人だけではない。まわりの人も、決して本心を見せない。そこはまさに仮面と虚偽の世界。私はいつしかこう思うようになった。

 「王子や皇太子にならなくて、よかった」と。これは負け惜しみでも何でもない。一人の人間がもつ「自由」には、あらゆる身分や立場を超え、それでもあまりあるほどの価値がある。「王子か、自由か」と問われれば、私は迷わず自由をとる。

 私はガランとしたハウスの食堂で、ひとりで食事をしながら、そんなことを考えていた。

(注:さらに読んでくださる方は、「はやし浩司のHP」より、「世にも不思議な留学記」へどうぞ!(http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●時代は変わった?

 まあ、書きたいことは、いろいろある。
正田氏から聞いた話も、たくさんある。
しかしこの話は、ここまで。

 私は良識ある日本国民。
国として、国が定めたことには、従う。
2011/09/30朝記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

*Equation Lesson for Age 6 Children at BW Study Club Hamamamatsu Japan Sep 2011

【小6クラス@BW教室byはやし浩司】(浜松)

●クラスの1コマをビデオに収めてみました。



【小1に、方程式を教える】

●いろいろ試行錯誤の結果、小学1年生に、方程式を教えることができました。
 その様子を紹介します。
 私も、うれしかったです!

(1)



(2)



(3)




Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年9月29日木曜日

*Hamanko Kanzanji-So Hot Spring Spa, Hamamatsu Japan

【浜名湖かんざんじ荘にて】2011年9月28日水曜日

++++++++++++++++++

今夕は、浜名湖かんざんじ荘にやってきた。
久しぶり?
この温泉(旅館)は、いつ来ても、安心して泊まれる。
その安心感が重要。
サービスにムラがあると、不安になってしまう。
もちろん料金も、安い。
おとな1人1泊、7500円(夕食、朝食つき)。
(特別サービス期間ということで、その料金。)

が、何よりもすばらしいのは、部屋からの眺望。
文句なしの、浜松イチ。
夏場のシーズンも終わり、今はシーズンオフ。
閑散期。
客も少ない。
たった今、風呂から戻ったが、私1人だけだった。
貸し切り風呂。
ワイフも、風呂から戻り、同じことを言った。
「貸し切り風呂だったわ」と。

+++++++++++++++++


●人ごみ

 混雑している様を、「人ごみ」という。
「ごみ」は、「混み」と書く。
しかし「ごみ(trash)」の「ごみ」にも通ずる。
人間を「ごみ」と言うのではない。
雑多な不用品を、「ごみ(trash)」という。
が、その昔には、ごみはなかったはず。

……ということを、山の中で生活するようになって知った。
田舎の山村に住んでいる人というのは、ほとんどごみを出さない。
ごみというごみを作らない生活が、定着している。
現代のように、ごみが多くなったのは、現代になってから。
だから人ごみというのは、やはり「人混み」をいう。
「ごみ(trash)」とは、関係ない。

 回りくどい言い方をしたが、私は、人ごみが嫌い。
長くいると、それだけで頭が痛くなってしまう。
だからこうして、どこかへ行くときは、できるだけ人の少ない場所、日時を選んで行動す
る。
そういう点では、天才的な(?)、勘が働く。

●安眠

 ここ数日、私は穏やかなやさしさに包まれている。
心は静か。
気分も落ち着いている。
夢見も悪くない。
寝起きの悪夢(今朝は、地震の夢)は、相変わらずだが、それを除けば安眠状態。
昨夜は11時ごろ床に入った。
一度、トイレに起きたが、目を覚ましたのは午前7時半。

よかった……。

●90歳の老夫婦 

 今日の新聞によれば、この浜松で、こんな事件があった。
ともに90歳の老夫婦が、心中したという。
詳しくはわからないが、施設から自宅へ帰ってきたあと、心中したという。
私はその話を聞いたとき、すかさず、「いい夫婦だなあ」と思った。
この種の心中事件にありがちな、悲惨さを、まったく感じなかった。
きっとこんな会話をしながら、心中したにちがいない。

男「いっしょに、死のうか?」
女「いいわよ……」
男「じゃあ、お前が先に行けよ」
女「頼むわね」と。

 そこで男が女の首をしめる。
女が死んだのを見届けてから、自分も、首をつる。

 あるいはこんな会話もしたかもしれない。

男「いろいろあったね。楽しかったよ。ありがとう」
女「私も、楽しかったわ。ありがとう」と。

 90歳まで生きられれば、御の字。
その老夫婦のことを言っているのではない。
私たち自身のことを言っている。
むしろ私たち自身は、90歳まで生きたいとは、思っていない。
長生きをすればするほど、みなに迷惑をかける。
その迷惑を、みなにかけたくない。

●「週刊現代」2011年7月9日号

 今日は、古い週刊誌をもってきた。
「週刊現代」の(7月9日号)。
ちょうど3か月前の週刊誌ということになる。
(今日は、9月28日だが、週刊誌の発刊日付というのは、プラス1週間にしてある。)

 古い週刊誌を読むのは、それなりに楽しい。
読んだ瞬間、一度過去に戻り、読み終えたとたん、現在に戻る。
小刻みなタイムスリップを楽しむことができる。
が、それ以上におもしろいのは、週刊誌の正誤を採点できるということ。

 「このとき、こう言っていた人がいたけど、まったく、ハズレ」とか、反対に、「この人
はズバリ、未来を予測していた」とか、など。
たとえば7月9日号は、「放射能はこんなに出ている」という記事を特集していた。
「列島縦断、全国100か所を独自調査」と。

 で、今その記事を読み直しているが、当時の緊張感がまったくないのは、どうしてか?
状況は何も変わっていない。
放射線値も、とくにさがったというわけでもない。
今の今も、相変わらず、放射性物質は、空中に放たれたまま。

 脳のほうが、勝手に現状を受け入れてしまった。
今は、そんな感じがする。
気になるのは、東電のM副社長が、こう言っていたこと。
「7月中旬までに、原子炉の安定冷却を行う」と。

 が、ご存知のように、いまだ安定冷却は、ほど遠い状態。
先ごろの発表では、「今年度中に……」ということになっている。

●御前崎原発

 ついでに改めて、一言。
御前崎(浜岡)に中部電力の原子力発電所がある。
が、常識で考えるまでもない。
あんなところに原子力発電所があること自体、正気の沙汰ではない。
狂っている。
今度の福島第一原発の事故で、それが身にしみてわかったはず。
にもかかわらず、地元の御前崎市長は、まだ迷っている(?)。

 これはもう可能性の問題ではない。
事故があるとかないとか、そんな問題ではない。
良識の問題。
金(マネー)に目がくらんだ人には、その良識がわからなくなる。

●夕食

 かんざんじ荘の夕食は、信じられないほど、おいしかった。
仲居さんも、私のことを覚えていてくれた。
食堂を出るとき、コック長までわざわざ出てきて、あいさつしてくれた。
「またお願いします」と私が笑って言うと、「よろしくお願いします」と。

 2階へあがると、そのままカラオケ室へ。
前にも書いたが、これほどまでのカラオケ室は、そうはない。
小さいが、まるで劇場のよう。
ワイフが3~4曲、私が5~6曲、歌った。
定番は、「シェナンドー」「7つの水仙」ほか。
ワイフの定番は、「花」「翼をください」ほか。
通路に出てからも歌っていたら、ワイフに叱られた。

●7時30分

 時刻は7時30分。
系列の、「華咲の湯」(舘山寺温泉街にある温泉)へ行こうと予定していたが、キャンセル。
少し疲れた。
「華咲の湯」へは、ほとんど毎週のように来ている。
回数券を買うと、1回、600~1000円で入浴できる。
ここ、かんざんじ荘に泊まると、サービスでその割引券をくれる。

 が、今夜は、やめた。
書き忘れたが、このかんざんじ荘の風呂(温泉)は、これまた浜松イチ。
私が保証する。
こじんまりとした風呂で、どこがどうというわけではないが、清潔で、湯加減もよい。

眼下に、浜名湖が一望できる。

 ……ということで、このところ、やってくる温泉も決まってきた。

 弁天島では、「浜名湖リゾートホテル・ジ・オーシャン」。
舘山寺では、ここ「浜名湖かんざんじ荘」。
良心的で、手抜きがない。
料金の心配をせず、気楽に泊まれる。

●オーストラリアのD君へ

 日本人は、それに気づいていない。
それでふつうだと思っている。
しかし日本人の、二重マインド性は、外の世界から見ると、よくわかる。
「表」と「裏」を使い分ける。

 オーストラリア人には、それがない。
そのことも、日本という外の世界から見ると、よくわかる。
たぶん君たちは、それに気づいていないかもしれないが……。

 たとえば日本人は、よく知人に、こう言う。
「また遊びにおいでください」とか、「今度、こちらへおいでのときは、ぜひ寄っていって
ください」とか。
しかしそれは嵐の日に、「グッド・モーニング(おはよう)」と言うようなもの。
ただのあいさつ。
真に受けてはいけない。
だから言われたほうも、こう言う。
「はあ、また寄らせていただきます」と。

 表でニコニコ笑いながら、裏で、不平、不満を並べる。
日本人は、そういう芸当が平気でできる。
一方、君たちはできない。
だから貴君に、率直にアドバイスしたい。
「日本人と交際するときは、気をつけろ」と。

●表面(おもてづら)

 突然、オーストラリアの友人への手紙になってしまった。
ここで書くつもりはなかった。
しかしこの数日間、気になっていた。
いつか、ていねいに説明しなければ……と思っていた。

 オーストラリア人は、「遊びにおいで」と言われると、それをそのまま「招待」と受け取
ってしまう。
が、ここにも書いたように、それは単なる「あいさつ」。
日本人は、軽い気持ちで、そう言う。
言いながら、その責任を取らない。
本当にそのオーストラリア人がやってきたりすると、陰で不平、不満を並べる。

 長くつづいた封建時代という恐怖政治が、こういう国民性を作り上げた。
結論を先に言えば、そういうこと。

●老後の生きがい

 このあともう一度、温泉に入るつもり。
ワイフは、いつものようにDVDを見ている。
私は、こうしてパソコンのキーボードを叩いている。
平和なとき。

 そうそう食事のとき、生徒の話になった。
最近は、ワイフのほうが積極的に、生徒たちの世話をしてくれる。
生徒たちも、私より、ワイフのほうを慕っている。

私はいつも悪党。
悪役。
ワイフはいつも、正義の味方。
そんなふうに、私たちを位置づけている。

 その中でも、よくL君が話題になる。
父親がイギリス人。
孫の誠司によく似ている。
それにSさん。
同じく孫の芽衣によく似ている。
L君やSさんが教室へ来る日は、朝からワイフはL君やSさんの話ばかり。
よほど楽しみにしているとみえて、その日はいつもより早い時刻に、自宅を出る。
悲しくも、いじらしいバー様心。

 ワイフもやっと自分の「道」を見つけたらしい。
老後に必要なのは、「道」。
道がなければ、生きていかれない。
よく人は、こう言う。
「老後は、孫の世話と庭いじり」と。
しかしそんなものは、「道」ではない。
生きがいにはならない。
ないことは、自分がその歳になってみると、」よくわかる。

あのキング牧師はこう言った。
『そのために命をかけることができることを発見できなかった人は、生きているのに適し
た(fit)人と言えない』と。
キング牧師は、まさに老後の統合性を一口で、言い表した。

●就眠儀式

 ワイフが2度目の風呂から戻ってきた。
戻ってきて、何やらせわしなく部屋の中を動き回っている。
若いころからそうで、寝る前のワイフは、忙しそう。
それがワイフの就眠儀式にもなっている。

 私も眠いが、実は、いつまでもこうして文を書いていたい。
思いつくまま……。
考えるまま……。

 それ以上に、パソコンのキーボードを叩いていると、気持ちよい。
パタパタ……。
パタパタ……。

 「もう、寝る?」と聞くと、「まだ……」と、ワイフは答えた。
髪の毛が乾くまで、いつもしばらく起きている。
長い髪の毛は、手入れがたいへん。
私などは、仕事に出かける前、数分くらいで、整えてしまう。
水で濡らし、整髪料をかける。
あとは櫛でといて、自然に乾くのを待つ。
いつもそれだけ。
それ以上のことは、しない。

●相対論

 あくまでも相対論。
頭のよい人は、頭の悪い人が、よくわかる。
脳みその奥の奥まで、よくわかる。
一方、頭の悪い人は、頭のよい人がわからない。
わかっても「自分と同じ」と思う。

 そのことは子どもを見ていると、よくわかる。
わざと私が簡単な計算をまちがえてみせると、子どもたちは本気になって、それを怒る。
子どもたちは子どもたちのレベルで、私を判断する。

 同じように、……というか、最近多いのが、明らかに私を「下」に見てくる母親たち。
ものの言い方、態度から、言葉の端から、それがわかる。
年配者に対する、畏敬の念など、みじんもない。

もっともこれは老人側にも責任がある。
この世の中、バカな老人が多すぎる。

で、こういう仕事を40年もしていると、子どものことだけではない。
母親たちのことまで、手に取るようにわかるようになる。
生い立ちから、現在に至る人生まで、わかる。
性格や性質、知性や人間性まで、わかる。
わかるものはわかるのであって、どうしようもない。

 が、母親たちには、そういう私がわからない。
ただのジー様と思っている。
数年前だが、「林(=私)は本物の教師ではない」と言った母親がいた。
母親が直接そう言ったのではない。
子どもを通して間接的にそう言った。

 本物?

 かわいそうな母親だ。
化粧で身を飾り、化粧した姿を自分と思い込む。
同じように、相手もその化粧で判断する。
心理学の世界では、仮面(ペルソナ)という。
こういう生き方を繰り返していると、やがて仮面が仮面とわからなくなる。
自分の仮面もわからなくなるが、他人の仮面を見抜くこともできなくなる。
生涯、あっちをキョロキョロ、こっちをキョロキョロ……。
肩書きや地位で相手を判断する人というのは、たいていこのタイプの人間と思ってよい。

 話が脱線したが、しかしこれも相対論。
私より頭の悪い人も多いが、一方、私より頭のよい人も多い。
そういう人から見れば、私もただの馬鹿。
偉そうなことは言えない。

●歴史的観光地

 ワイフは部屋にあった観光案内を読んでいる。
このあたりには、歴史的観光地が散在している。
どれも聞きなれた観光地。
知らないところはない。

それに40年も住んでいると、一目見ただけで、その人が浜松の人かどうかも、わかる
ようになる。
……というのは、少しオーバーだが、浜松の人は、独特の雰囲気をもっている。
その雰囲気で、わかる。

……人口を60万人(旧浜松市)としても、毎日10人の人と会えば、1年間で、約40
00人。
10年間で、4万人。
40年間で、16万人になる。
延べにすれば、ほぼ半数の人と知りあいということになる。

 その観光地。
最近は、どこも元気がない。
世代を経るごとに、趣向が変わってきた。
これからはもっと変わっていくだろう。
寺巡りや、戦場跡巡りでは、若い人たちを引っ張ってくる力はない。

●日本人

 私が日本人であることを強く意識したのは、アメリカへ行ったときのことだった。
車から降り、平原にポツンと立ったとき、体がつぶされんばかりの孤独感に襲われた。
「ここは、ぼくの住む国ではない」と思った瞬間、「ぼくは日本人だ」と。

 日本語など、まったく通じない。
日本語を読める人もいない。
日本がどこにあるかさえ、みな、知らない。
加えて、私の体は小さい。

 そのとき、こう考えた。
「もし日本という国がなくなってしまったら、文章など、いくら書き残しても、だれも読
んでくれなくなる」と。
自己否定ならぬ、国否定。
それだけはぜったいに、許してはいけない。
……と考えたとき、私は日本人であることを、強く意識した。

●就寝

 そろそろ寝る時刻。
「髪の毛、乾いた?」と聞くと、「だいたいね」とワイフ。
先ほどから、勝手に独り言を口にしている。
鼻歌も口ずさんでいる。

 就眠儀式も、そろそろ終わりに近づいたようだ。

 ……では、今夜はここまで。
9月28日、夜記

●9月29日(午前5時)

 今朝は午前5時、起き。
私は、クーラーのかかった部屋では、どうも安眠できない。
サワサワと乾いた風。
それが苦手。
一晩中、気になる。

 が、無理して眠ることはない。
万事、自然体。
その分だけ、昼寝時間を長くすればよい。
で、今、時刻は、正確には4時53分。
窓の外を見ると、東名高速道路には、相変わらず車の列が並んでいた。
空は真っ暗。
「もう働いている人がいる」と思ったとたん、おかしなことに、元気がわいてきた。

●平凡

 今日の予定は、とくになし。
いつものように日課と仕事をこなす。
そう言えば、昨日の中日新聞のどこかに、こんな言葉が載っていた。
記憶によるものなので、正確ではないが、こんな言葉だった。
『平凡をつづけることが、非凡なのだ』と。
 
 『平凡は美徳』と説いた哲学者もいる。
が、私はそういう言葉を聞くと、すぐこう考えてしまう。
「英語(外国語)では、『平凡』を、どう言うのだろう」と。
つまりそれはそれで、まちがっているとは思わない。
しかし国によって、言葉の使い方が、微妙にちがう。
もとの言葉は、どんな言葉だったのか。

 たとえば「立派な人」。
「尊敬される人」でもよい。
英語では「respected man」という。
しかし英語で「respected man」というときは、身分や肩書きは関係ない。
日本語で「立派な人」というときには、身分や肩書きのある人をいう。

 つまり日本人のばあい、無意識のうちにも、そこに身分意識をからめて考えてしまう。
もちろん欧米人には、そういう意識はない。
同じように、「平凡」はどうか?
「何でもない生活」を「平凡」というのか。
しかしこの日本では、「平凡」というときは、どこかに軽蔑の念をこめて、そう言う。

言うなれば、今日の私は、その平凡な生活を繰り返そうとしている。
何か物足りない。
そのこともあって、「それが非凡」と言われると、すかさず、「本当にそれでいいのだろう
か」という疑問をもってしまう。

 平凡からは、何も生まれない。

 ただこういうことは言える。
「平凡であることには、すばらしい価値が隠されている」と。
日々に、何ごともなく過ぎていく。
「生活」という面では、とても大切なことのように思う。
つまり『平凡をつづけることが、非凡なのだ』というのは、生活のあり方を言ったもの。
生きザマを言ったものではない。
……これは私の勝手な解釈によるもの。

●朝風呂

 平たく言えば、私は足(脚)が、スカスカすると(=冷えると)、眠れない。
東洋医学では、体のバランスを重要視する。
足が冷えるとうことは、その分だけ、頭のほうが熱くなるということ。
だから頭が冴えてしまう。
眠られない。
理屈はともかくも、現象論的には、正しい。

 だから自宅では、夏場でも、私は厚めのパジャマをはく。
が、今朝は浴衣。
寝る前に、ワイフがこう言った。
「あら、今日はパジャマを忘れた」と。

 ……ということで、午前5時起き。
これから朝風呂に入り、足を暖めてくる。
そのあともう一度、眠りなおす。
私は、子どものころから、そういうことが、自由にできる。
昼寝のときも、そうだ。
30分もあると、すぐ昼寝をする。
横になって5分後には、もう眠っている。
そういう私を見て、ワイフは、いつもこう言う。
「あなたは、いわねえエ~。いつでもどこでも、すぐ眠られるからア……」と。

 これは私の特技かもしれない。
もちろんその反対に、寝損ねることもある。
そうなると、どうがんばっても眠られないときもある。
その朝風呂は、午前5時半から、となっている。
あと少し。

●貧しき根性

 朝風呂も、私、1人だけだった。
足を暖めていたら、軽い眠気が襲ってきた。
やはり、そういうものだった。
血圧とどう関係があるのかは、知らない。
しかし私は低血圧症。
今でも上が110前後。
下はときによっては、70以下になる。

 で、その風呂でのこと。
(温泉というよりは、風呂?)
シャンプーにしても、ボディソープにしても、自宅での量よりも、2倍以上も使ってしま
う。
そこが団塊の世代。
貧しき団塊の世代。
こんなところにも、体にしみこんだ貧しさが潜んでいる。
それが60年もたった今でも、こうして顔を出す。

●湖面

 窓の外には、幾重にも重なった山々が見える。
近くから濃紺、やや薄い紺色、そして灰色がかかった水色とつづく。
湖面は静か。
何そうかの漁船が、縦、横に走り、そのつど、湖面に筋が走る。
「さぞかし気持ちいいだろうな」と思う。

 それぞれの人には、それぞれの生き方がある。
どの生き方がよいとか、悪いとか、そういう判断はくだしてはいけない。
ただ私は、こう思う。
生き方を選ぶとしたら、やはり自然に包まれた生き方のほうが、よい、と。
そのほうが、ずっと人間らしく、生きることができる。
経営的にはたいへんかもしれないが、だからといって、その人の生き方がまちがっている
ということではない。
社会のほうがまちがている。

 銀行や証券会社のディーリングルームでは、20、30歳そこそこの若い人が、数秒単
位で、億単位のお金(マネー)を、儲けたり、損をしたりしている。
そういう世界のほうが、おかしい。
狂っている。
余計なことかもしれないが……。

●黄金色

 ワイフが、私と入れ替えに、朝風呂を浴びるために、部屋から出て行った。
ひとり残された私は、部屋で、お湯をすする。
ぼんやりと遠くの景色をながめる。
遠くを走る、ボートの音。
今しがた立って手前の木々を見ると、朝日を浴びて、黄金色に輝いていた。
風もなく、静かな朝。
 
 ……今ごろになって、眠気が襲ってきた。
が、朝食は、7時半から。
まだ1時間以上も、ある。



 ……眠い。
が、ワイフは部屋を出るとき、布団を丸めて出て行ってしまった。
これでは横になることもできない。
しかたないので、座椅子に座ったまま、こうして時間を過ごす。

 雑誌に目を通すほどの気力もない。
部屋の片づけもしなくてはならない。
が、その気力もない。
……眠い。

 そうそういいことを発見した。
先日、チリ産の安いワインを買ってきた。
英語で言えば、「ドライ・ワイン」。
甘みのないワイン。

 が、どうも口に合わない。
そこで昨夜、そのワインに、アセロラ・ジュースを少し混ぜてみた。
とたん、飲みやすくなった。
安いマグロの刺身に、マヨネーズをつけるとトロ味になる。
いつだったか、豊橋でかまぼこを作っているヤマサという会社の社長が、そう教えてくれ
た。
それと同じか?

 おかげで酒が飲めない私が、チビチビと何回も飲んでしまった。
今のところ二日酔いは起きていない。
だいじょうぶかな?

●相談

 たった今、メールを開いてみたら、1通、こんな相談が掲示板に載っていた。

【SKさんより、はやし浩司へ】

『はじめまして。息子のことで悩んでおり、こちらを見つけました。どうぞよろしくお願
いします。

息子は7歳(小一)で、下に3歳(年少)の妹がいます。父母との4人暮らしです。
ここ2年くらい、不機嫌なことが多く(波があっておだやかな時期もあるのですが)、イラ
イラしているとほんの些細なことで騒いだり、母親の私に乱暴をしたり(手加減はしてる
ようですが)、ものを倒したり本棚の本をぶちまけたりします。

今までは家の中で私に当たることが多く、幼稚園や公共の場で困ったことをすることはな
かったのですが、小学生になって1学期の終わりくらいから、家以外での問題行動が増え、
学校では授業中立ち歩いたり他の子にちょっかいを出したり、物を投げたりとにかく落ち
着きがないようで、先生も困っている様子です。

先生の記事もいくつか読ませていただいて、何か家庭で問題があるのかなと考えているの
ですが、なかなかよい解決方法が見つからずにいます。

うちは父親が厳しく、母親が優しいという感じの家庭です。
私自身は子供を信頼して口は出さないおおらかな母に育てられ、私の兄も私も反抗期もな
く自立しました。子供もそのように育てたいと思っています。できるだけ子供の話はよく
聴いて気持ちに共感しているつもりです。泣きたいときは我慢せずに泣かせたり。子供の
悪い部分には注目せずに頑張っているところやあたりまえの行動に注目して、子供のある
がままを認めてあげたいと思ってきました。なので、これ以上どうしたらいいのか悩んで
います。

息子の特徴としては、気が弱くて、ちょっと神経質なところがあります。小さいときから
ブランコなど恐くて乗れなかったり、自信のないものにはチャレンジできなかったり。運
動は苦手ですが、工作など物を作るのが大好きで、同年齢の子に比べると高度な物が作れ
ます。ただ完璧主義で思う通りに作れないと癇癪を起こしたりします。家族でも人が口を
つけたものは口にしません。ルールから外れるのを嫌がり、公共の場所では注意書きを気
にします。飲食禁止と書かれたところで妹に水を飲ませようとするだけでも怒ります。妹
が悪いことをするのも許せません。自分に何かされたわけでなくてもよく妹に怒っていま
す。

何かに遅刻しそうになると「もう行かない」などと、遅れることを嫌がります。学校へも
忘れ物するのが嫌で教科書などは全て毎日ランドセルに入れています。学校の勉強には充
分ついていけているようですが、宿題などで間違えに気づくと「お母さん消して!」「もう
やんない」と放り投げます。照れ屋で口が悪いので素直に友達に「入れて」と言えなかっ
たり、友達作りも苦手なほうです。同じマンションで仲のいい友達がいてそのこと遊べて
いるので楽しいときもあ……(以下、10行ほど、文字化け)……父親は弱虫でいつまで
も母親にべたべたしている息子に不満を持っていて、厳しく叱っています。

息子は父親の顔をかなりうかがっており、父親が家にいるときは悪いことはしません。父
親自身体罰ありの厳しい家庭に育っています。自分の思い通りにならないとすぐイライラ
して相手に怒りをぶつけます。よく考えると息子は父親にかなり似ています。主人には「お
前があまやかしてるからつけあがっているんだ。悪いことをしたらシバいたほうがいい」
と言われます。

確かに、息子は私に命令するときもあり、それをきかないと騒ぐので私も言うことをきい
てしまうことがあり、私はなめられているのかなという気もします。ただどうしても本人
も自分の性格をもてあまして苦しんでいるようにも思え、私にしか発散できないなら受け
止めてあげたほうがいいのかなとも思ったり。人を傷付けたり誰かに迷惑をかけるような
ときは厳しく言っているつもりですが、それ以外のことでは甘いのかなあと。

今はまだ押さえることができますが、もっと大きくなって暴れられたらどうしようという
不安もよぎり。その気持ちがあるということは心の底から子供を信頼できていないのかな。
それを息子は見抜いているのかなとも思ったり。
そんな感じで、どうすべきか今悩んでいます。何かよいアドバイスがあればよろしくお願
いします。

●愛情飢餓

 一口で言えば、「愛情飢餓」。
SKさんの息子は、慢性的な愛情飢餓状態にある。
原因は、「下の子が生まれた」こと。
こういうケースでは、親は、「平等にかわいがっています」と言う。
しかし上の子にしてみれば、「平等(=半分)」ということが、おもしろくない。
下の妹は、家族というより、自分から母親を奪った「恋敵(こいがたき)」ということにな
る。

 要するに家庭教育の失敗ということになる。
で、こういうケースのばあい、もう一度、全幅の愛情を、上の子(息子)に注ぎなおして
みるしかない。
(妹にはかわいそうだが、こういうケースのばあい、妹には、寛容力があるはず。)
添い寝、手つなぎ、抱っこ、いっしょの入浴など。
子どもがそれを求めてきたら、すかさず、愛情表現をしてやる。
「あとでね」とか、「今、ママは忙しいの」は、禁句。

 子どもの側からみて、安心感を覚えるような家庭環境を大切にする。
問題は、父親(=夫)だが、父親と対立するのは、まずい。
「あなたの言うとおりね」と言いながら、父親の言いたいこと、したいことを、先にまわ
ってする。
父親も、息子を相手に、飢餓状態にある。
つまり嫉妬している。
父親も、大きな駄々っ子と思えばよい。
権威主義的に見えるかもしれないが、それも自分の弱さを隠すための反動形成と考えれば
よい。
(詳しくは、「はやし浩司 反動形成」で検索。)

 コツは、息子を、けっして家族から孤立させないこと。
父親と息子を断絶させないこと。
親子の糸を切らないこと。
息子に、そう感じさせないこと。
キーワードは、先にも書いたが、「安心感」。
息子が安心しているかどうかだけを見ながら、接する。

 こういうケースで気をつけなければならないのは、親がアタフタすること。
叱ったり、説教したりするなど。
それが悪循環となり、息子をますます悪い方向に追いやってしまう。

 その安心感を覚えるようになれば、1週間単位で、症状はウソのように消える。
つまり息子は、そういう形で、母親のあなたを困らせる。
困らせて、自分へ関心を向けさせようとしている。

 この問題は、今日、自宅に帰ってから、もう一度、考えてみたい。
文字化けの部分が多くて、内容がよくわからない。
その旨、返信メールを送ったので、また連絡があるはず。

 ……少し眠気が取れたかな?

●帰り支度

 そろそろ帰り支度をしなければならない。
ワイフはすでに服を着て、スタンバイ。
私はまだ浴衣のまま。

 では、「浜名湖かんざんじ荘にて」は、ここまで。
予約電話は、053-48-0330。
そのつどいろいろなキャンペーンをしているので、こまめに料金などを問い合わせるとよ
い。
地元の電車会社である遠鉄系の旅館(ホテル)だから、安心して泊まることができる。
つまり従業員の人たちの教育も行き届いていて、サービスよし、接客マナーよし、料理よ
し……。
ついでにここへ来たら、カラオケルームも利用するとよい。
1曲200円で、歌える。
なお11月いっぱいまで、シーズンオフということで、現在の料金体系とか。
今が、チャンス。

(はやし浩司 浜名湖かんざんじ荘 浜名湖舘山寺荘 はやし浩司 浜松市舘山寺温泉 
はやし浩司 2011-09-28 舘山寺大草山 舘山寺かんざんじ荘にて)


Hiroshi Hayashi+++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年9月28日水曜日

*Religion and Sect

●「除霊?」で、中学生が死亡

+++++++++++++++++

思い込みというのは、だれにでもある。
私にもある。
あなたにもある。
しかしその思い込みにも、限度というものがある。
限度を超えたとき、それは事件になる。

TBS-inは、こんなニュースを載せている。

+++++++++++以下、TBS-iより+++++++++++++

……K県N町にある複数の建物。容疑者の自宅と同じ敷地に、宗教施設が設置されています。今年8月、ここで事件は起こりました。

 敷地の中へと進んで行くと、祭壇が見えます。そして、水が流れた跡。ここは「お滝場」と呼ばれる部屋です。ここで、中学2年生のMTさん(当時13、以下Tさん)が亡くなりました。一体なぜ、死に追いやられてしまったのでしょうか。

 事件現場で行われていたのは滝行。これにより、Tさんが窒息死したとして2人の男が逮捕されました。傷害致死の疑いで逮捕されたのは、Tさんの父親で熊本市の会社員、M容疑者(50)と、この施設の僧侶、K容疑者(56)です。2人は「除霊」と称して水を浴びせていたといいます。

 K容疑者の妻は・・・
 「いろいろ来られるたびに(雰囲気が)違っていた、Tちゃんって。だから、お父さんも本当のTちゃんではないと言っていました」(K容疑者の妻)

 Tさんは数年前から心身の病気になり、K市内の病院に通院していました。中学校にも通えなくなったTさんについて、M容疑者はK容疑者に相談。

 ところが・・・
 「(施設から)『痛いよ、ギャーギャー、痛いよ』と叫び声が」(宗教施設の近所の住民)

 Tさんが除霊のために受けたという滝行。固定した椅子に座らせ、ベルトやテープで縛り上げ、父親のM容疑者がTさんを押さえつけ、顔面に水が当たるようにしていたといいます。これを5分から10分継続。K容疑者がお経を唱える中、行われていたといいます……。

+++++++++++以上、TBS-iより+++++++++++++

●信者が30万人!

 同じくTBS-iによれば、信者は、30万人という。

「……K容疑者の宗教施設には、「N正宗」と書かれています。総本山はS県にあり、信者は全国に30万人ほどいるということです」と。

「……全国におよそ350か所の寺院や教会を抱える宗教法人の総本山。広大な敷地に荘厳な本殿や五重塔が見えます。今回の事件を受け、総本山は『除霊ということは教えていない。今後、破門も視野に処罰を検討する』とコメントしています」とも。

 全国に350か所の寺院や教会を抱えている。
信者数は30万人という。

●N正宗

 N正宗については、私はまったく知らない。
どんな教義をもち、どんな指導をしているかも知らない。
「お経を読んでいた」というところから、何かの経典を教義の柱にしていることは、わかる。
が、そこまで。
またN正宗側は、「除霊ということは教えていない」ということだから、そういうことなのだろう。
だからN正宗については、ここまでしか書けない。

 よく誤解されるが、宗教団体があるから信者がいるのではない。
それを求める信者がいるから、宗教団体は生まれ、成長する。
今回犠牲となった、Tさんの父親にしてもそうだろう。
報道によれば、Tさんは何か心の問題をかかえていたらしい。
不登校児にもなった。
それでTさんの父親は、当該宗教団体に、助けを求めた。
それが「滝行」という「除霊?」につながった。
結果、行きすぎた修行により、Tさんが死亡した。

 事故なのか、それとも狂った修行によるものなのか?
今のところ詳しくはわからない。
わからないが「固定した椅子に座らせ、ベルトやテープで縛り上げ、父親のM容疑者がTさんを押さえつけ、顔面に水が当たるようにしていたといいます」(TBS)というのは、ふつうではない。

●宗教団体

 現在、全国に20万団体以上の宗教法人がある。
(平成19年12月31日現在、届け済みの日本の宗教法人数は182,709となっている。
が、実際には、見届けの団体も含めると、もっと多い。
この世界では、「法人」と「団体」は区別して考える。)

 私個人は、宗教を否定する者ではない。
先にも書いたように、それを必要とする人は多い。
そういう人たちはそういう人たちで、そっとしておいてやる。
それが「宗教の自由」(憲法)ということになる。

 が、中には、金儲けのため、あるいは政治活動のために信者を利用している団体もある。
さらにカルト化(狂信化)している団体もある。
この日本では、そういうのが、平気な顔をして、のさばっている。
あの忌まわしい事件を引き起こした、O真理教を例にあげるまでもない。

●カルトから子どもを守る

 私が20年ほど前に書いた本(「ポケモン・カルト・三一書房)の一部を、ここにコピーして転載する。
この中で、フランスやベルギーでは、未成年者へのカルトへの勧誘を、きびしく戒めている点に注意してほしい。

img210.jpg

img211.jpg

img212.jpg

img213.jpg

img214.jpg

 子どもの心を守るための資料として、利用してもらえればうれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 カルト フランス ベルギー セクト カルト教団)2011/09/28記


*Religion and Sect

●「除霊?」で、中学生が死亡

+++++++++++++++++

思い込みというのは、だれにでもある。
私にもある。
あなたにもある。
しかしその思い込みにも、限度というものがある。
限度を超えたとき、それは事件になる。

TBS-inは、こんなニュースを載せている。

+++++++++++以下、TBS-iより+++++++++++++

……K県N町にある複数の建物。容疑者の自宅と同じ敷地に、宗教施設が設置されています。今年8月、ここで事件は起こりました。

 敷地の中へと進んで行くと、祭壇が見えます。そして、水が流れた跡。ここは「お滝場」と呼ばれる部屋です。ここで、中学2年生のMTさん(当時13、以下Tさん)が亡くなりました。一体なぜ、死に追いやられてしまったのでしょうか。

 事件現場で行われていたのは滝行。これにより、Tさんが窒息死したとして2人の男が逮捕されました。傷害致死の疑いで逮捕されたのは、Tさんの父親で熊本市の会社員、M容疑者(50)と、この施設の僧侶、K容疑者(56)です。2人は「除霊」と称して水を浴びせていたといいます。

 K容疑者の妻は・・・
 「いろいろ来られるたびに(雰囲気が)違っていた、Tちゃんって。だから、お父さんも本当のTちゃんではないと言っていました」(K容疑者の妻)

 Tさんは数年前から心身の病気になり、K市内の病院に通院していました。中学校にも通えなくなったTさんについて、M容疑者はK容疑者に相談。

 ところが・・・
 「(施設から)『痛いよ、ギャーギャー、痛いよ』と叫び声が」(宗教施設の近所の住民)

 Tさんが除霊のために受けたという滝行。固定した椅子に座らせ、ベルトやテープで縛り上げ、父親のM容疑者がTさんを押さえつけ、顔面に水が当たるようにしていたといいます。これを5分から10分継続。K容疑者がお経を唱える中、行われていたといいます……。

+++++++++++以上、TBS-iより+++++++++++++

●信者が30万人!

 同じくTBS-iによれば、信者は、30万人という。

「……K容疑者の宗教施設には、「N正宗」と書かれています。総本山はS県にあり、信者は全国に30万人ほどいるということです」と。

「……全国におよそ350か所の寺院や教会を抱える宗教法人の総本山。広大な敷地に荘厳な本殿や五重塔が見えます。今回の事件を受け、総本山は『除霊ということは教えていない。今後、破門も視野に処罰を検討する』とコメントしています」とも。

 全国に350か所の寺院や教会を抱えている。
信者数は30万人という。

●N正宗

 N正宗については、私はまったく知らない。
どんな教義をもち、どんな指導をしているかも知らない。
「お経を読んでいた」というところから、何かの経典を教義の柱にしていることは、わかる。
が、そこまで。
またN正宗側は、「除霊ということは教えていない」ということだから、そういうことなのだろう。
だからN正宗については、ここまでしか書けない。

 よく誤解されるが、宗教団体があるから信者がいるのではない。
それを求める信者がいるから、宗教団体は生まれ、成長する。
今回犠牲となった、Tさんの父親にしてもそうだろう。
報道によれば、Tさんは何か心の問題をかかえていたらしい。
不登校児にもなった。
それでTさんの父親は、当該宗教団体に、助けを求めた。
それが「滝行」という「除霊?」につながった。
結果、行きすぎた修行により、Tさんが死亡した。

 事故なのか、それとも狂った修行によるものなのか?
今のところ詳しくはわからない。
わからないが「固定した椅子に座らせ、ベルトやテープで縛り上げ、父親のM容疑者がTさんを押さえつけ、顔面に水が当たるようにしていたといいます」(TBS)というのは、ふつうではない。

●宗教団体

 現在、全国に20万団体以上の宗教法人がある。
(平成19年12月31日現在、届け済みの日本の宗教法人数は182,709となっている。
が、実際には、見届けの団体も含めると、もっと多い。
この世界では、「法人」と「団体」は区別して考える。)

 私個人は、宗教を否定する者ではない。
先にも書いたように、それを必要とする人は多い。
そういう人たちはそういう人たちで、そっとしておいてやる。
それが「宗教の自由」(憲法)ということになる。

 が、中には、金儲けのため、あるいは政治活動のために信者を利用している団体もある。
さらにカルト化(狂信化)している団体もある。
この日本では、そういうのが、平気な顔をして、のさばっている。
あの忌まわしい事件を引き起こした、O真理教を例にあげるまでもない。

●カルトから子どもを守る

 私が20年ほど前に書いた本(「ポケモン・カルト・三一書房)の一部を、ここにコピーして転載する。
この中で、フランスやベルギーでは、未成年者へのカルトへの勧誘を、きびしく戒めている点に注意してほしい。

img214.jpg

img212.jpg

img213.jpg

img211.jpg

img210.jpg

 子どもの心を守るための資料として、利用してもらえればうれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 カルト フランス ベルギー セクト カルト教団)2011/09/28記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

*Japan vs South Korea Economic War

【日韓経済戦争】(2011年9月28日記)


++++++++++++++++++++


たがいにつづく、はげしい消耗戦。
本来なら、隣国として助け合って生きていかねばならない。
しかし不幸にして不幸なことに、日本と韓国の間には、大きなわだかまりがある。
反日と嫌韓。
加えて、双方の民族に共通する、精神の二重構造。
わかりやすく言えば、キツネとタヌキの化かしあい。
たがいに、何が本当で、何がウソかわからない。


が、ここにきて韓国経済は、大きな岐路に立たされている。
9月26日(火曜日)、ここ数日の世界的な株価上昇傾向を受け、
日本の株価(日経平均)は、236円の上昇をみた。
が、韓国の株価は、はげしい動揺を繰り返している。


ウォン安と株安。
輸出に依存する韓国としては、ウォン安を維持したい。
しかしウォン安になればなるほど、国内の物価は高騰する。
食料やガソリンなど。
どれも国民生活に直結している。


が、もっと深刻なことに、韓国では国民負債(金融負債)が、73兆円前後もあると言われている。
(中央日報紙は、200兆円と報道している(2011年4月※)。)


多くはカード利用者。
日本の経済規模に換算すると、2・5倍の183兆円(韓国の人口は5000万人弱)。
中央日報紙の数字によれば、500兆円。
もしここで貸し出し金利をあげ、ウォン安を是正しようとすれば、その負担は即時に国民にはね返ってくる。
今さら貸し出し金利をあげることもできない。


韓国人は、現在、国家的な「ワーキングプア状態」にある。
が、その責任は、多くの韓国人が思っているように、日本にあるわけではない。


大半の銀行は、アメリカの資本下にある。
サムスン、ヒュンダイにしても、実質的にアメリカの会社とみてよい。
そういう事実を韓国人は、まったく知らない。
知らないというか、知らされていない。


日本も円高で苦しんでいる。
しかし日本の貿易収支は、意外と少ない。
全体の5~10%程度。
そのほかの部分は、資本収支、つまり「貸金業」で得ている。
私たちが学生時代には、「日本は貿易立国」というふうに学んだ。
しかし今は、実質的に、「高利貸し国家」に変身している。


(注※)(以下、中央日報、2011年4月4日より)


『1年間の収入が1100万ウォンで、負債が2500万ウォン。
韓国はこのような暮らしをしている。


企画財政部と韓国銀行(韓銀)は3日、昨年末基準で個人・企業・政府の金融負債は2586兆2754億ウォン(約200兆円)と明らかにした。09年(2408兆ウォン)に比べて7.4%増えた。


負債が最も多い経済主体は企業。昨年末基準で1281兆8392億ウォンの負債を抱えている。個人は937兆2873億ウォンで前年比8.9%増えた。年内に1000兆ウォンを超える見込みだ。


政府の負債は367兆1016億ウォンで、個人や企業より少ない。しかし02年と比較した負債増加率は政府(267.8%)が最も高く、企業(93.7%)と個人(88.6%)の順となった』(以上、中央日報紙より)と。


+++++++++++++++++++++


●日韓経済戦争

 日韓経済戦争については、長い間、書いてきた。
しかし3・11大震災以後は、停止。
日韓経済戦争どころではなくなってしまった。
あなたもそうだろうが、私もそうだった。
だれしも、こう思った。
「日本経済は、これでおしまい」と。


 これに小躍りしたのが、韓国の投資家たち。
日本株価の大暴落を横に見ながら、韓国の株価は大暴騰。
「大暴騰」という事実の中に、彼らの喜びが隠されていたとみる。
韓国人は、みな、こう思ったにちがいない。
「これで日本と韓国の立場は、逆転する」と。
事実、そうなるかのように見えた。
そこでイ大統領は、過激なとも思えるような手法で、ウォン安を誘導し、世界に向けて輸出攻勢をかけた。
が、これが裏目に出た。
モノを売りたくても、買い手がいない!
肝心のEUは、欧州金融危機の真っ最中。


 結局、そのシワ寄せは、国民に。
それが500兆円という国民負債である。
人口5000万人で割ると、1人あたり、100万円。


 が、私はとても、こんな額ではないと考えている。
基本的な部分で、韓国の政府統計を、私は信用していない。
「借金」すらも、「投資」と位置づけてしまう国である。
2009年の6月に書いた原稿を、そのまま再掲載する。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【日韓経済戦争】2009年6月28日号より


●韓国の資本収支(?)(Fake Income of South Korea)


++++++++++++++++++++


あなたが今、銀行から1000万円の借り入れ(借金)を
したとする。
その借り入れを、あなたは「収入」と呼ぶだろうか?
「収入」と位置づけるだろうか?
が、韓国では、どうやらそれを「収入」と位置づけている
らしい。


++++++++++++++++++++


●貿易統計


 このほど、韓国の貿易統計が公表された。
それによると、「5月の経済収支は、4か月連続の黒字となった」という。
その額、36億3000万ドル、とか(東亜N報)。
しかしその中身が、おかしい。
こうある。


『……資本収支は国内各金融会社の海外からの借入金が増えたことを受け、史上2番目に多い純流入を記録した』(同)と。
 ここを注意深くよく読んでほしい。
こうある。


「海外からの借入金が増えたことを受け、史上2番目に多い純流入を記録した」と。
 そしてその額は韓国銀行の統計によれば、『5月の資本収支は、67億2000万ドルの純流入により、4月(21億6000万ドルの純流入)に比べて流入規模が大幅に増えた。純流入では、史上最高を記録した、04年11月の76億7000万ドル以降、4年6ヵ月ぶりの最大規模だ』(同)そうだ。


 つまり、67億2000万ドルの「純流入?」なるものは無視したまま、資本収支は、大幅に黒字になった、と。
先に進む前に、もう一度、数字を整理してみよう。


(1) 5月の経常収支(貿易収支+サービス収支)は、36億3000万ドルの黒字を記録した。
(2)一方資本収支は、67億2000万ドルの「純流入?」だった。
 わかるかな?
この数字のマジック?


 簡単に説明しよう。


 ふつうどこの国でも、(もちろん日本でも)、資本収支というのは、(利息で得たお金)-
(利息として払ったお金)で計算する。
一家の家計にたとえて考えてみよう。


 あなたがAさんに1億円を貸した。
その利息が500万円入った。
つまりこれが資本収支でいう「収入」ということになる。


 一方、あなたはBさんから5000万円を借りている。
そのため利息を、250万円、支払わねばならなかった。
そこであなたの収支を計算すると、500-250=250万円となり、
250万円の黒字ということになる。
これを「流入」というのなら、話はわかる。


 ところが韓国では、「借金」まで、「流入資本」と位置づけ、「収入」としてしまう。
ここが恐ろしい。
もう一度、冒頭の記事をしっかりと読んでみてほしい。
こうある。


『……資本収支は国内各金融会社の海外からの借入金が増えたことを受け、史上2番目に多い純流入を記録した』(同)と。


 「借金がふえたことにより、史上2番目の純流入を記録した」と。


わかりやすく言えば、借金については、不問。
しかしこんなバカげた経常収支報告が、どこにある。
韓国では、銀行からの借金は、すべて「収入」もしくは、「投資」となるらしい。


 もちろん「借金」は、「収入」ではない。
また「借金」と「投資」は、まったく異質のものである。
「借金」というのは「借金」。
いつか返済しなければならない。


一方、「投資」というのは、投資方が、そのリスクを負担する。
 で、ここで韓国の「純流入」とやらを、借金として計算しなおしてみる。
(もちろんその中では、日本で言う資本収支も含まれているが……。)


商品収支(=日本で言う貿易収支)……50億2000万ドルの黒字
サービス収支……14億7000万ドルの赤字
これで(?)、36億ドルの黒字(?)。
ナルホド!


そこで韓国政府は、「36億ドルの黒字だった」と、全世界に向けて発表した。
が、この額から、資本収支……67億2000万ドルの黒字(?)なるものを
引いてみると、どうなるか?
実は、31億ドルの赤字ということになる。
もう一度、家計にたとえて考えてみよう。


 あなたの現金収入は、50万円。
しかし子どもの学費、生活費などで、14万円、かかった。
だから36万円の収入ということになる。
が、同時に銀行から、67万円を借りた。
もちろんその67万円は、生活費に回した。


だから実際には、生活費は、14+67=81万円、かかったことになる。
今すぐ利息を返さねばならないというものではないが、借金は借金。
もしあなたがまともなら、こういう数字を見て、「我が家は今月も黒字だった」などとは、
言わないだろう。


実際には、31万円の赤字ということになる。


 つまりここに韓国流の経常収支の計算の仕方の、インチキ性がある。
日本の経常収支の計算方法とは、まったく異質のものである。
日本の貿易業者のみなさん、だまされるな!
(以上、2009年6月28日記)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


●危機感


 当時の私は、かなり過激的な意見を書いていた。
それだけ私は日本の将来に、危機感を覚えていた。


韓流ブームとか何とかで、日本中が、韓国の洗脳番組にわきたっていた。
よい年齢をしたオバチャンたちが、こぞって韓国詣で。
そういう日本人のお馬鹿ぶりを尻目に、韓国政府はしたい放題。
結果、今や、アメリカでは、50%のテレビが韓国製。
貿易面ではしかたないとしても、竹島問題、東海問題などなど。


●消耗戦


 が、今も、その状況は基本的には変わっていない。
むしろ韓国政府は、国民の不満を外にそらそうと、反日政策をさらに強く推し進めている。
「悪いのは、日本!」と。


 が、韓国をよく知る人は、よくこう言う。
「韓国人は、政治(反日)と経済(親日)を、使い分けている」と。


 本当にそうか?
そう考えてよいのか?
もちろん私は、そうは考えていない。
それが冒頭に書いた、「精神の二重構造性」ということになる。


 もし現在の状況のまま、日韓の経済的立場が逆転するようなことにでもなれば、それこそ日本は万事休す。
日本は、インドに負けるのは構わない。
ブラジルに負けるのも、構わない。
しかし韓国にだけは、負けてはいけない。
日韓経済戦争には、日本の浮沈に関する重大かつ、深刻な問題が内在している。
それについてここに書くのは、避けたい。
避けたいが、何がどう内在しているかは、ほんの少し想像力を働かせてみれば、だれにもわかるはず。


 今の今もつづく、はげしい消耗戦。
どちらが生き残るか。
それで、日韓経済戦争の勝者が決まる。
ここは、ただひたすら注視あるのみ。
2011/09/28朝記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年9月27日火曜日

*My BW Children's Club in Hamamatsu

【OBたちに支えられて……】(Mさん、連絡、ありがとう!)

●BW教室

 BW教室……始めて、もう40年になる。
当初は、「林才能教室」と呼んでいた。
これといった教材もなく、仕事で香港へ行ったような折、イギリスの教材を買い集め、それを翻訳して使っていた。

 「BW教室」という名前にしたのは、はじめて私の教材が、ある雑誌で紹介されることになったときのこと。
『主婦と生活』という雑誌だった。
そこに井上清という編集長がいて、「林じゃあ、おもしろくねエ。何か、別の名前にしろ」と。
それでBW、つまり「ブレイン・ワーク」という名前にした。
「頭を使う教室」という意味で、そうした。

 以来、40年。
早いものだが、最近では、教え子の子どもたちが多くなった。
……というか、ほとんどが、過去の生徒と関わりのある生徒ばかり。
この不況下。
生徒集めもたいへん。
しかし今、私は、そういうOBたちに支えられて仕事をしている。

●ハーバード大学

 20~30年前のこと。
私の夢は、「いつかは、生徒を東大に」だった。
「いつかは、うちの生徒を東大に送ってやろう」と。

 が、皮肉なもので、そうしてがんばっている間は、東大へ入る生徒は、1人もいなかった。
で、そのうち、そういうことを口にしなくなった。
が、これまた皮肉なもので、口にしなくなったとたん、東大や京大へ入る生徒が、当たり前のように多くなった。
名古屋大学や大阪大学となると、もっと多い。

 で、今は、そういう話をしない。
たまたま昨夜も、中学生たちがそんな話をし始めたので、私はこう言った。
「そんなことを売り物にする塾や予備校へ、行ってはだめだよ」と。

 しかし、である。
昨日、OBのMさんから、電話があった。
Mさんには2人の娘さんがいた。
娘さんは、2人とも、女医さんになった。
姉のほうは、現在、父親の医院を引き継いでいる。
妹のほうは、現在、何と、あのハーバード大学で研究室をもっているという。

 東大までは考えたが、ハーバード大学までは考えなかった。
ガツンとハンマーで叩かれたような衝撃を受けた。
驚きは、すぐ喜びに変わった。

 妹さんのほうは、よく覚えている。
みなで、キャンプに行ったときのこと。
道の途中でお漏らしをしてしまい、Mさん(母親)に、道ばたで下着を替えてもらっていた。
あの女の子が、ハーバード大学!

●アメリカの大学

 アメリカでは、大学といっても、それこそピンからキリまである。
町のビルを借りて運営している大学もあれば、IU(インディアナ大学)のように、端から端まで、車で1時間以上という大学まである。
私の息子夫婦は、現在、そのIUに在籍している。

 ハーバード大学については知らないが、規模はともかく、現在、世界の最高峰にある大学であることには、ちがいない。
私は、自分の夢がそのとき、かなったうように感じた。
幼児教室をつづけて、40年。

 Mさんは、こう言った。
「でね、先生、こんどうちの孫が、その年齢になりました。
ついては先生のところで教えてもらえないでしょうか」と。

 もちろん、大歓迎!
若いころは、「生徒というのは、去っていくもの」とばかり、思っていた。
当時の私は、幼稚園の年中児から高校3年生まで教えていた。
多くは、14年間、私の教室に通ってくれた。
それでもみな、去っていく。

 が、ここ10年は、その雰囲気が変わった。
OBたちが、自分の子どもを連れて、戻ってきた。
30~40年という年月を経て、戻ってきた。
が、うれしいというより、本当のところ、さみしい。

 この仕事ができるのも、あと10年?
5年?
今の生徒がおとなになるころには、私は確実に、もうこの世にはいない。
生徒の子どもを教えるということは、もう、ない。
それを思うと、さみしい。

●教え方

 私ができることと言えば、ともかく、毎日、懸命に教えること。
「頭を使うということは、こういうことだよ」と教えること。
たまたま今週は、小学1~2年生に、方程式を教えている。
来週は、正負の数。
一見、とんでもないレッスンに思う人もいるかもしれないが、教え方さえ工夫すれば、いくらでも教えられる。
生徒たちも笑っている間に、覚えてしまう。

で、今週は、同じ教材を使って、幼児を指導してみる。
子どもたちがどんな反応を示すか、楽しみ。
「幼児だから、幼稚ぽいことを教える」というのは、まちがっている。
またそんなことをしてはいけない。
幼児の頭脳は、私たちおとなが考えるより、はるかに広く、柔軟性に富んでいる。
ウソだと思うなら、一度、「BW公開教室」をのぞいてみてほしい。
子どもたちの笑い声に、その答がある。

 ……ということで、今朝は、久々に気分は最高!
Mさん、来週、待っています。
楽しみにしています。
ぜひ、おいでください。

(注:「BW公開教室」へは、「はやし浩司のメインHP」より。
「はやし浩司」で検索をかけてくだされば、たいていTOPに、HPが並んでいます。)

●さて10月

 9月も残り数日。
10月は、講演の季節。
あちこちで講演が待っている。
が、本当の楽しみは、講演を利用して、ワイフと旅をすること。
講演先で、旅館やホテルに泊まること。

 それと自動車工業界の雑誌に、6Pの巻頭言を書かせてもらうことになった。
全国誌である。
2012年中は、たぶんみなさんが、自動車の販売会社へ行ったら、その雑誌が目にとまるはず。

 また11月からは、中日ショッパー紙で連載が始まる。
タイトルは、『子どもの世界・こんな問題』。
小さなコラムだが、これもOBのようなもの。
10年ほど前、新聞本紙のほうで、原稿を書かせてもらっていた。
そのときのタイトルも、『子どもの世界・こんな問題』だった。

 ……ということで、人は、それがどんなに小さいものであれ、前に希望をかかげて生きていくもの。
希望があれば、生きていかれる。
希望が道を示してくれる。
とくに私の年齢になると、そうだ。

 道なき道に迷いこみ、立ち往生したとたん、孤独という悪魔が襲ってくる。
何としても、それだけは避けなければならない。
……とういうような暗い話は、やめ。

 がんばって、残りの数日を、有意義に過ごしたい。
2011/09/27朝記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●ラジウム温泉とピロリ菌

 最近気になっていることが、2つある。
ひとつは、「ラジウム温泉」。
もうひとつは、「ピロリ菌」。

 ラジウム温泉というのは、簡単に言えば、放射線風呂。
WHOはたびたび日本に向け、その危険性を警告している。
が、この日本では、堂々というか、逆に放射線の高さを宣伝に使い、営業している温泉が、50近くもある。
たとえば……。

 「ラジウム温泉やラドン温泉には通常の200倍以上の放射線を含んでおり、日本では島根県の池田、山梨県の増富、鳥取県の三朝、兵庫県の有馬などでは、40000倍以上の放射線が含まれています。

 ほかにも、放射線を含んだ温泉は日本各地に多数あり、特に花崗岩のある所には多いようです。放射線を含んだ温泉は人体に悪影響を与えるほど強くはありませんので、安心して温泉を楽しんで下さい」(某・温泉郷パンフ)と。

 先日入った温泉のパンフには、こうあった。
「当、温泉郷は、N県でも有数の高い放射線量を誇っています」と。
読むと、「源泉近くで、1~15マイクロ・シーベルト」とか!
ゾーッ!

 いいのか?

 また「ピロリ菌」というのは、ピロリ菌。
どんなものかはよく知らないが、先月検査してもらったら、私の体には、そのピロリ菌が居座っているという。
胃潰瘍や胃ガンの原因にもなるらしい。
医師は、退治したほうがいいと言う。
が、抗生物質を1週間ものまねばならない。

 いいのか?

●ユニバーサル・スタジオ

 10月の楽しみ。
ワイフとユニバーサル・スタジオに行くこと。
若いころ、一度、行ったことがある。
今度行くと、2度目。

 新幹線で行き、オフィシャルホテルに一泊するというコースがある。
団体バスで行くという方法もあるが、団体バスは、もうこりごり。
どこか別の惑星からやってきたような、オジチャン、オバチャンたちばかり。
……というのは、書き過ぎ。
それはわかっているが、しかし私たちの恨みも、大きい。
料金が2倍ほどの、プレミア何とかというコースでも、このザマ。

 自分たちは、大声でギャーギャー、ゲラゲラと騒ぎながら、私が使うパソコンの音がうるさい、と。
「もう少し小さな声で話していただけませんか?」と、ていねいに頼んでも、こう言い返される。
「私らア、おしゃべりが楽しみで旅行に来ているんだわサア」とか。

飛行機の中でも、電車の中でも、今ではパソコンは必携品。
どこの空港へ行っても、みな、パソコンを叩いている。
それがうるさい?
だから先月、私とワイフは、こう宣言した。

「2度と、死ぬまで、乗らない!」と。

 私たち夫婦にとっては、バスというより、拷問室。
静かに読書もできない。
だから、もう乗らない!

●放射線

 あのね、ラジウムであろうが、セシウムであろうが、問題はそこから発せられる放射線。
X線、アルファ線、ベータ線、ガンマ線、中性子線など。
セシウムだから危険、ラジウムだから安全ということは、ない。
こんな基本的なことも知らないで、「ラジウム温泉は安全」は、ない。

 たとえばこれらの放射線の中でも、アルファ線はヘリウムの原子核、ベータ線は電子、中性子線は中性子を、それぞれ放出する。
これに対してX線やガンマ線は、電磁波の仲間。
が、これらすべては、共通して、物質を電離させる能力をもっている。
わかりやすく言えば、原子をバラバラにする。
これが人体に、深刻な影響を与える。
人体というより、細胞のDNAに、深刻な影響を与える。

 が、ある旅館のパンフには、こうある。
「GT温泉郷の温泉はラドンを含むラジウム温泉(放射能泉)です。
温泉中のラドンから放出される微量の放射線を吸収することで、身体の細胞を刺激し、免疫力向上、血流の改善の効果があるといわれています」と。

 こういうのを、「ホルミシス効果」というらしい。
そこでホルミシス効果なるものを調べてみる。

●放射線ホルメシス効果

 ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『……放射線ホルミシス効果とは、1978年、ミズーリ大学のトーマス・D・ラッキー生化学教授が、自らは実験や研究を行っていないが、20世紀初頭から知られていた低線量の放射線による生物の各種刺激効果を、改めて他の多くの研究者の研究原著論文を総説(レビュー)の中で紹介、整理することによって使用した言葉であり、アメリカ保健物理学会誌1982年12月号に掲載された総説によって提唱された学説である。

この仮説では、低線量の放射線照射は、体のさまざまな活動を活性化するとされる。
ラッキー教授は小論文『原爆の健康効用』を発表し、原爆は健康を促進した面があるとしている。
ただし、WHOは低線量であっても天然ラドンの放射線の危険性を指摘しており、また米国もそれに倣うなど、主流の学説ではない』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

 が、同じくウィキペディア百科事典はこんな記事も載せている。

『……2006年、世界保健機構(WHO)は、ラドンの放射線が肺がんの重要な原因であることを警告した。
アメリカもWHOに準じており、環境保護庁(EPA)は、ラドンに安全な量というものは存在せず、少しの被曝でも癌になる危険性をもたらすものとしている。
また、米国科学アカデミーは、毎年15,000から22,000人のアメリカ人が屋内のラドンによる肺がんによって命を落としていると推計する。
日本政府は2011年現在、特に警告は発していない』(ウィキペディア百科事典)と。

 あとの判断は、みなさん、それぞれ。
ただし一言。

 先日、私たちが泊まった旅館は、何10室もあるような大きな旅館だったが、客は私たちだけ。
いくら「安全」と言われても、そう簡単には泊まれない。
しかもその根拠が、1978年の論文?
今から33年前。
「日本政府は2011年現在、特に警告は発していない」(ウィキペディア百科事典)というのも気になる。

●ピロリ菌

 ピロリ菌についても、いろいろ調べてみた。
抗生物質を服用したからといって、100%、除菌できるというものでもないらしい。
それに40歳以上の人では、70%が保菌者とか(ウィキペディア百科事典)。

 で、こういう記述も見つけた。
こちらのほうが、私にとっては、わかりやすい。

いわく、

『近年、食品によるピロリ菌の抑制効果が確認されている。
発芽3日目のブロッコリーの新芽(スプラウト)を2ヶ月間継続して食べた感染者において、胃の中に住むピロリ菌が減少したとの報告がされている。
ブロッコリーの新芽に含まれるスルフォラファンが有効成分の1つと考えられている。また、梅に含まれるシリンガレシノールというリグナンの一種もピロリ菌の増殖抑制や胃粘膜への感染防御に有効であることが発見された。
このほか、緑茶、緑茶カテキンやココア、ヨーグルト、コーヒー、わさび、ショウガ、ニンニク、キムチ などでも抑制が報告されている。
さらに、ニュージーランド特産の蜂蜜であるマヌカハニーも、ピロリ菌駆除力を持つことが報告されている。

ただし、これら多くの食品による抑制効果は限られた調査対象や動物実験を基にしたものがほとんどである。また、特定の食品だけを過剰に摂取することは(たとえピロリ菌に対しては効果があったとしても)、全身の健康にとって良くないことは容易に想像できる。

ヘリコバクター・ピロリ関連疾患の現実的かつ実践的な予防対策として、広範囲な疫学調査に基づき広く受け入れられているのは野菜と果物の摂取、および減塩である』(以上、ウィキペディア百科事典)と。

 ピロリの除菌については、もうしばらく様子をみてから、考えてみたい。


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年9月26日月曜日

*Love and Hatred

●愛と憎しみ(人間のもつ愛憎劇)

++++++++++++++++++++++++

昔から、「愛と憎しみは、紙一重」という。
深い愛が、ある日突然、深い憎しみに変化する。
そういうことはよくある。

「愛憎劇」という言葉もある。
人間が織りなすドラマの中でも、愛憎劇ほど、
すさまじいものはない。

愛にせよ、憎しみにせよ、その根底には
ものすごいエネルギーがある。
言うなれば精神のマグマ。
そのマグマが、時として、愛に向かい、
時として、憎しみに向かう。

++++++++++++++++++++++

●同じもの

 「愛するが故に、殺したいほど憎い」と。
一見、相反する感情だが、それほど強烈でなくても、似たような感情的動揺は、日常生活の中でも、よく経験する。
が、「愛」と「憎」を、2つに分けて考えてはいけない。
たとえば「愛は良性感情」、「憎は悪性感情」というように、別のものとして分けて考えてはいけない。
(フロイトは、「憎」を、「陰性感情」と位置づけたが……。)
両者は、その原点は同じ。
言うなればその地下にあるマグマと、直接、結びついている。
つまり根は同じ。

 わかりやすく言えば、時と状況に応じて、マグマは、愛にもなり、憎しみにもなる。
こんなことがあった。

 もう20年近くも前のこと。
1人の女子高校生が、いた。
私をたいへん嫌っていた。
態度にもそれがよく現れた。
何かにつけ、私に向かって暴言を吐いたり、反抗したりした。
で、私はある日、その女子高校生にこう言った。
「あのね、そんなに先生(=私)のことが嫌いなら、この教室をやめてもいいよ」と。

 その日を境に、その女子高校生は別人のように、静かでおとなしくなった。
が、「?」と思ったのは、そのあとのことだった。
やがて進学大学も決まった。
ふつうなら、そこでみな、私の教室を去っていく。
が、その女子高校生は、3月の終わりまで、私の教室に来てくれた。
理由を聞くと、「習慣になっているから……」と。

 で、その女子高校生には、弟(中3)がいた。
その弟も、私の教室に来ていた。
が、その弟が、私にこう言った。
「ぼくの姉ちゃんねエ、先生の写真を机の前に飾っているよ」と。

 これには驚いた。
いつだったか、みなでプリクラへ行き、3~4人の生徒といっしょに、写真を撮った。
その写真を、自分の部屋に飾っているという。
私はその女子高生には、すっかり嫌われていると思っていた。
が、事実は、どうやら逆だったようだ。

●正反対の感情

 同じエネルギーなのに、そのエネルギーがまったく別方向に向かうということは、よくある。
よく知られているのが、無神論と有神論。
徹底した無神論者が、ある日突然、熱心な有神論者になるということは、よくある。
(本物の有神論者は、静かで穏やか。)

 私も、スピリチュアルとか、オカルトという言葉は、それを聞いただけで、即座に拒絶反応を示す。
そういう話になると、その入り口で、私は逃げてしまう。

そういう私だが、ビデオショップへ行くと、反対の反応を示す。
そういう映画を、好んで、よく借りる。
またそういうビデオのほうが、おもしろい。

映画「シクス・センス」にしても、「ミラーズ」にしても、私にはたいへんおもしろかった。
現実の世界では嫌いながら、映画の世界では、それを求める?
これはどういう心理的反応によるものなのか?

●フリップ・フロップ理論

 心理学の世界に、「フリップ・フロップ理論」というのがある。
(日本では、ほとんど紹介されていないが……。)
私は「フラフラ理論」とか、「コロリ理論」とか呼んでいる。
フラフラしていると、突然コロリと変化する。

つまり人間というのは、中途半端な精神状態には、たいへんもろい。
たとえば有神論者が無神論者になったり、反対に無神論者が有神論者になったりするようなときが、それ。
どっちつかずの状態のときというのは、その人は精神の状態がたいへん不安定になる。
またそういう状態は、長つづきしない。
精神の消耗もたいへんはげしい。

 そこでどちらか一方に、転んでしまおうとする。
転んでしまえば、気が楽になる。
安定する。
精神の状態も落ち着く。

 だから一般論として、有神論者であるにせよ、無神論者であるにせよ、ワーワーと騒いでいる人は、それだけどっちつかずの人とみる。
先にも書いたように、本物の有神論者は、静かで穏やか。
どっしりとしている。

 反対に本物の無神論者は、静かで穏やか。
どっしりとしている。

●たとえば離婚劇

 愛と憎しみについても、このフリップ・フロップ理論を当てはめることができる。
「私はあなたを愛している」「私を信じて」と言う人ほど、本当は、相手を愛していない。
本当に愛していたら、どっしりとしている。
 
 反対に、「私はあなたを憎んでいる」「嫌いだ」と言う人ほど、本当は、相手を憎んでいない。
本当に憎んでいたら、どっしりとしている。

 愛にせよ、憎にせよ、中途半端な状態のとき、その人ははげしく動き回る。
ワーワーと騒ぐ。
このことは離婚劇を見れば、よくわかる。

 本当に離婚する夫婦は、静か。
会話もしない。
喧嘩もしない。
冷めきった状態で、どっしりとしている。

 が、たがいに相手をののしり、非難しあう夫婦のばあいは、離婚などしない。
離婚したくないから、相手をののしり、非難する。
「お前はなあ……」「あなただって……」と。
憎しみあっているということは、裏を返せば、愛しあっているということ。
だから昔からこう言う。
『夫婦喧嘩は犬も食わぬ』と。 

●愛と憎しみ

 話が脱線したが、マグマがあれば、……残っていれば、愛は憎しみにもなり、憎しみは愛にもなる。
表面的な様子にだまされてはいけない。
言い換えると、愛にせよ、憎しみにせよ、表面的に静かになってしまったら、おしまい。
人間関係は、すでに終焉している。
夫婦でも、親子でも、友人でも……。

 ……ということで、もしあなたがその相手に、強い愛を感じていたら、それはいつでも強い憎しみに変化する可能性があるということ。
反対に、もしあなたがその相手に、強い憎しみを感じていたら、それはいつでも強い愛に変化する可能性があるということ。
愛にせよ、憎しみにせよ、そのときの心の状態を、そのまま絶対視してはいけない。
ちょっとしたことで、たとえば憎しみを、愛に変えることもできる。

 『愛と憎しみは、紙一重』というときには、そういう意味も含まれる。
2011/09/26記

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 愛と憎しみ 愛憎劇 愛と憎しみは紙一重)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【指導6か月目の年中児(4~5歳児)】

●今年度も、私のねらいどおりの指導ができました。
 活発に意見を言いあう。
 その伸びやかさこそが大切ですね。
 子どもは伸ばすのは、たいへん。
 しかし抑えつけるのは、簡単。
 ですからこの時期は、伸ばすことだけを考え、指導します。
 年長(6歳)の後半になったら、少しずつ、抑えにかかります。
 それまでは、思う存分、羽を伸ばさせる。
 そういった指導+子どもの様子を、このビデオの中に見てくだされば、うれしいです。

(1)



(2)



(3)




(4)




【小3児に、方程式の概念を教えてみました】

●小2児用に使っている教材を、小3クラスで使ってみました。
 小3児には、やや簡単すぎたようです。
 で、次回、年長児(6歳児)クラスでも、実験的にこの教材を使い、指導してみようと  思っています。
どんな反応を示すか、楽しみです。

(1)



(2)




Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

*We have to say "Thank you" to Ex-Prime Minister Naoto Kan

☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆
.  mQQQm            
. Q ⌒ ⌒ Q  ♪♪♪……   
.QQ ∩ ∩ QQ         
. m\ ▽ /m 彡彡ミミ      
.  /~~~\  ⌒ ⌒      
. みなさん、   o o β      
.こんにちは!  (″ ▽ ゛)○  
.        =∞=  // 
□■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 
子育て最前線の育児論byはやし浩司   2011年 9月 26日
□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================
★★★HTML版★★★
HTML(カラー・写真版)を用意しました。
どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)
************************

http://bwhayashi2.fc2web.com/page013.html

メルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに
選ばれました!

【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●私と母(1)

 若いときは、あれほどまでにモノにこだわった母。
その母が死んだとき、手元にあったのは、コップ1個と、寝間着3枚。
たったそれだけ。
その少し前、私はこう聞いた。
「母ちゃん、お金をあげようか?」と。
するとあの母が、こう言った。
「お金で命は、買えん」と。

 その母を、私は心底、恨んだ。
私は結婚する前から、収入の約半分を、母に送っていた。
それだけではない。
若いときから、母は私から容赦なく、お金を奪っていった。
私の土地の権利書や印鑑を預けると、それを売ってしまったこともある。
で、私が泣きながら抗議すると、母は平然とこう言い放った。
「親が、先祖を守るために息子の財産を使って、何が悪い!」と。
母を責めているのではない。
それがその当時の母というより、世間の常識だった。

 で、母との関係は、そのあと10年近く、途切れた。
それを心配し、あれこれ世話を焼いてくれる人も、何人かいた。
しかし一度できた深い溝は、簡単には埋まらない。
私は「親捨て」と呼ばれ、母は母で、ちぎり絵に没頭することで、さみしさをしのいだ。
いや、1、2度、連絡を取り合ったが、すぐ喧嘩になってしまった。

 が、母が倒れた。
姉の家に2年近くいたあと、この浜松へやってきた。
いやがる母を抱きかかえて、車に乗せた。
が、体調を崩したのか、来た直後、1週間、下痢を繰り返した。
その世話をしているとき、母がこう言った。
「お前に、こんなことをしてもらうようになるとは、思わなかった」と。
私はそれに答えて、「ぼくも、こんなことをしてやるようになるとは、思わなかった」と。
とたん、私と母をさえぎっていた壁は、音もなく静かに消えた。

 母は1年、私の家にいたあと、特別養護老人ホームに入居した。
今にして思うと、それが母にはショックだったらしい。
とたん、それまでの元気もどこかへ消えてしまった。
見舞いに行くたびに、大きな部屋の中央で、いつもぼんやりとテレビを見ていた。
が、ホームの人たちのていねいな介護もあり、母は、1年間、そこで生活をすることがで
きた。
が、最後の時がやってきた。

 母が亡くなる2日前のことだった。
仕事を終え、私とワイフが母の病室を訪れたときには、午後11時を回っていた。
私とワイフは、黙ってベッドの横に座っていた。
が、見ると、右目の付け根で、小さな涙が真珠のように光っていた。
それを見て、ワイフが反対側に回った。
ワイフがこう言った。
「あなた、お母さん、目を開いている!」と。
 
 私がそちら側に行くと、左目が、開いていた。
私は自分の顔を、その視線の中に置くと、母に、「ぼくやぞ、浩司やぞ」と、数回叫んだ。
母は聴力をほとんど失っていた。
が、とたん、母は、ウォーウォーと、2、3度叫んだ。
動物のような叫び声だった。
が、それが最後だった。
私と母の最後の会話だった。
それが終わると、母は深い眠りに落ちるように、目を閉じた。

 こうして私は母を失った。
享年94歳。
勝ち気で気丈夫な人だった。
見栄っ張りで、虚栄心も強かった。
そんな母だったが、浜松へ来てからの母は、まったくの別人だった。
やさしく、どこまでも穏やかで、一言も不平、不満を漏らさなかった。

 で、ある夜、母の体を拭きながら、私は母にこう言った。
「あのなあ、10年早く、今のような母ちゃんだったら、よかったのになあ」と。
母は何も答えなかった。
黙ったまま、下を向いていた。
今にして思うと、その無言が、鋭く私の胸を突き刺す。

 母は、まさにすべてを捨て、裸のまま、あの世へと旅だっていった。

2011/09/13記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【小1児にグラフを教える】

運動会が近づき、子どもたちは疲れ気味。精神状態もハイになっています。そのためちょ
っとしたことで、すぐ興奮状態になってしまいました。もともとにぎやかな子どもたちで
すが、今日は、いつもよりさらににぎやかになりました。抑えるのに苦労しながら、とに
かく棒グラフの勉強をしてみました。疲れましたが、たいへん楽しい教室でした。私はこ
ういう子どもたちと、ワイワイと騒ぎながらレッスンを進めるのが、大好きです。親たち
には、評判はよくないかもしれませんが……。

(1)



(2)



(3)



【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●日本を救った、管直人前首相と吉田昌郎所長

+++++++++++++++++

あの日、あのとき、管直人前首相は、
日本を救った。
それはまぎれもない事実である。

読売新聞は、以下のように内幕を伝える。

+++++++++++以下、読売新聞、2011-9-12+++++++++++

 枝野幸男前官房長官は7日、読売新聞のインタビューで、東京電力福島第一原子力発電
所事故後の3月15日未明、東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同
原発から全面撤退させたい、との意向を伝えられたと語った。

 東電関係者は、これまで全面撤退の申し出を否定している。菅前首相や海江田万里前経
済産業相は「東電が作業員の撤退を申し出てきた」と説明してきたが、枝野氏は今回、撤
退問題に関する具体的な経過を初めて公にした。

 枝野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有してい
る。そういう言い方だった」と指摘した。

 枝野氏によると、清水氏はまず、海江田氏に撤退を申し出たが拒否され、枝野氏に電話
したという。枝野氏らが同原発の吉田昌郎所長や経済産業省原子力安全・保安院など関係
機関に見解を求めたところ、吉田氏は「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は不
要との見方を示した。

 菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応につい
て明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得
ない」と幹部らに迫った。

 枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間はあの
人が首相で良かった」と評価した。

+++++++++++以下、読売新聞、2011-9-12+++++++++++

●管直人前首相の大英断

 東京工業大学出身の管直人前首相であったからこそできた、大英断である。
もしあのとき東京電力が、福島第一原発を放棄していたら、管直人前首相が言うように、「東
京ですら、人っ子1人、いない状態になっていた」。

 もう一度、読売新聞の記事を整理してみる。

(1)東電の清水正孝社長(当時)と電話で話した際、作業員を同原発から全面撤退させ
たい、との意向を伝えられたと語った。

(2)が、東電側は、これまで全面撤退の申し出を否定している。

(3)しかし政府側は、東電側が全面撤退を申し出てきたと、全員が認識した。いわく、『枝
野氏は、清水氏の発言について「全面撤退のことだと(政府側の)全員が共有している。
そういう言い方だった」と指摘した』と。

 つまり東電側は、そういう言い方をしてきた。
その後の東電側の動きを重ね合わせてみると、東電側は、事故直後早々と、「全面撤退」を
考えていたことがわかる。
「政府側の安全基準を満たしていたから、(私たちには責任はない)」などという発言もそ
のひとつ。

(4)原発の直接責任者である吉田氏は、「まだ頑張れる」と述べるなど、いずれも撤退は
不要との見方を示した。

 これはあとになってわかることだが、吉田氏は、東電側のあいまいな指示を無視、海水
を注入しつづけ、原子炉の爆発を防いだ。
もしあの段階で、吉田氏の英断がなければ、福島第一原発は大惨事を招いていたはず。

(5)ここからがとくに重要。
読売新聞は、つぎのように伝えている。

『菅氏はこの後、清水氏を首相官邸に呼んで問いただしたが、清水氏は今後の対応につい
て明言しなかったという。このため、菅氏は直後に東電本店に乗り込み「撤退などあり得
ない」と幹部らに迫った』と。

●福島第一原発・吉田昌郎所長

 「The Wall Street Journal」(2011年5月27日)、日本
語版は、以下のように伝える。

++++++++++++The Wall Street Journal++++++++++++

本社の停止命令に背いて注水を続けていた福島第1原発の吉田昌郎所長、彼の判断をどう
評価すべきか、社会人としていろいろ考えた人が多かったのではないだろうか。
同所長は、会社の命に背いて注水を続けたことに加え、その報告を怠って政府や国会を混
乱させたことの責任を問われ処分されるという話だ。
昨日、テレビに大写しになった吉田所長は、うつろな顔をしていた。
会社の判断を無視したのは確かだ。しかし、会社の注水停止判断は、技術者なら誰でも認
めるような明らかな間違いだったのだ。
確かに、もう少し早く報告できただろうという気はする。

++++++++++++The Wall Street Journal++++++++++++

 この吉田氏の行為に対して、管直人前首相は、『視察後、首相が名指しで謝意を表明した
のは東京から同行した武藤栄副社長ではなく、吉田所長だったそうだ』(日本経済新聞・4
月8日)とある。

 なお東京電力側が海水の注入をためらったのは、一度「海水」を注入すると、原子炉そ
のものが使い物にならなくなるのを心配したためという。

●もしあのとき……

 もしあのとき管直人前首相ならびに、吉田昌郎所長の英断がなければ、日本は完全に沈
没していた。

 事実を、よく見てほしい。

 100万キロワット(福島第一原発の原子炉1機分のみ)の加圧水型軽水炉(PWR)
が事故を起こしたする。
内蔵する核分裂精製物の量は、11577京ベクレル。
うち20%が放出されたとして、2290京ベクレル。
とほうもない量である。

(電気出力100万キロワットの原発を、数年運転すると、1万3600京ベクレルの放
射性物質が生まれる。
その量は、広島型原爆の数千発分に相当する」(横尾試算「原発事故」宝島社))と。
ちなみに、チェルノブイリでは、1880京ベクレルの放射性物質が放出されたという(京
大グループ調査。)

 が、もしあのとき福島第一原発が放棄されていたら、原子炉の爆発は避けられなかった。
それが4機+2機。
つぎつぎと爆発。

 それで計算すると、1・1万京ベクレルx4=4・4万京ベクレル(以上、瀬尾試算に
よる。「原発事故」宝島社)
チェルノブイリの比ではない。
東京都も含めて、東北地方には、人はだれも住めなくなっていた!

 その深刻さを鑑みるにつけ、管直人前首相、吉田昌郎所長を、日本を救った大英雄と言
わずして何という。
ともに東京工業大学出身であったからこそ、こうした判断ができた。
だから、枝野氏は菅氏の対応について「菅内閣への評価はいろいろあり得るが、あの瞬間
はあの人が首相で良かった」と評価した。

●後書き

 やがてあの事故が、詳細に検証される日がやってくるだろう。
そしてそれがわかったとき、みな、こう言うにちがいない。

 「管直人さん、ありがとう! 吉田昌郎さん、ありがとう!」と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 日本の英雄 日本を
救った2人の英断。)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●9月11日(日曜日)午後8時45分

++++++++++++++++++

今日は、今朝から、体、だるし。
午後を過ぎても、体、だるし。
原因がわからないまま、昼寝。
日曜日ということもあって、2時間。
2時間も!、眠った。
その間、ワイフは、横で、DVDプレーヤーで
何かの映画を観ていた。
一応、看病のつもりらしい。
が、気がついたときには、もういなかった。

夕方になって風邪の症状。
「風邪だったのか?」と思いつつ、うがい。
葛根湯を2袋、のむ。

夕食は、金目鯛の焼き物。
食欲はあった。
明日までに治す。

今は、こうしてテレビで、日本vs中国戦を観ている。
ロンドン五輪・アジア最終予選。
日本女子サッカーの五輪出場は決まっている。
応援はしているが、どうも気が入らない。
緊張感がない。
中国側サポーターにしても、そうだろう。
結果は1-0で、日本の勝ち。

+++++++++++++++++++

●色気

 63歳のジジイが、こう書くのも失礼ないこと。
それにワイフに言わせると、私はまったく「男」を感じない男とか。
自分が男っぽいから、よけいにそう思うらしい。
私のワイフは、「女」の体をした「男」。
結婚したときから、私はそう思っている。

 「こう書く」というのは、つまり女性にも、「女」を感じる女性もいれば、まったく「女」
を感じさせない女性もいるということ。
私のようなまったく風采のあがらない「男」が、「女」について書くのも、どうかと思う。
そういう意味で、「失礼なこと」と書いた。
女性がこの文章を読んだら、こう思うにちがいない。
「何を、偉そうに!」「あんたなんか、もう男じゃ、ない」と。

●好意の返報性

 「女」を感ずるというのは、要するに、「色気」を感ずるということ。
体つき、雰囲気、服装、話し方などなど。
そういうものが総合されて、「色気」につながる。

 が、ここで重要なポイントがある。
「好意の返報性」である。
イギリスの格言に、「相手は、あなたが相手を思うように、あなたを思う」というのがある。
つまりあなたがその人を、いい人だと思っていると、相手も、あなたのことをいい人だと
思っているもの。
もちろん、その反対もある。
つまり人間の心というのは、「鏡」のようなもの。
相手は、あなたの心を映す鏡ということになる。

●反応

 63歳の私を、「男」と思う人は、もういない。
若い母親なら、なおさら。
が、それがわかったとたん、私も、その女性を、「女」とみない。
たがいにサバサバした関係になる。

 が、たまに、本当にたまに、私を「男」と意識する母親がいる。
その瞬間、ビリビリと私は、それを感ずる。
とたん、私もその母親の中に、「女」を感ずる。
これも「好意の返報性」ということになる。

 つまり人間というのは、(ほかの動物たちもそうなのだろうが)、相手の反応に応じて、
そのつどこちらも反応する。
「男」と「女」は、とくにそうである。

●薬物乱用頭痛

 話はそれる。
実は、この2~3週間、軽い頭痛が消えなかった。
そのつど市販の頭痛薬をのんだ。
が、おかしなことにのめばのむほど、頭痛がひどくなった。

 少し前、「同じ頭痛薬をのみつづけると、かえって頭痛がひどくなる」と書いた論文を、
読んだことがある。
肝臓が、頭痛薬を毒物ととらえるためらしい。
しかしこれは重要なこと。
ネットで調べてみる。

Hiroshi Hayashi++++++++++++林浩司・はやし浩司

●薬物乱用頭痛

 大阪・樋口脳神経外科のサイトにはつぎのようにある。
そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、樋口脳神経外科サイトより+++++++++++
 
 薬物乱用頭痛とは、過剰に使用された頭痛治療薬と、脳に感受性のある頭痛持ちの患者さ
んとの間の相互作用です。
頭痛を起こしやすい患者さんにおいて、頭痛頓挫薬(トリプタンやエルゴタミン製剤などの
片頭痛特効薬や一般の鎮痛薬、もしくはその両方)の乱用により、「さらに頭痛を引き起こす」
ことをいいます。
まさに「頭痛薬が頭痛を生む」という状態です。
薬物乱用頭痛は頭痛患者さんが頭痛を恐れるあまり、薬を飲み過ぎてしまう(薬物乱用)こと
から始まります。
毎日のように頭痛がある上に、「以前は効いていた鎮痛薬が効かなくなった」、「薬をいくら
飲んでも頭痛が以前より(数か月前よりも)ひどくなってきた」、という場合には
薬物乱用頭痛の可能性が高いのです。

興味深いことに、「薬物乱用頭痛の発症は元々頭痛もちである患者さんに限る」という報告
があります。
例えば、腰痛など頭痛以外の疼痛に対して鎮痛薬を乱用した場合、片頭痛の既往の無い人な
ら薬物乱用頭痛を発症せず、片頭痛の既往歴や家族歴がある患者さんでは薬物乱用頭痛を
発症しやすい、というものです。

 薬物乱用頭痛は、患者さんが急性期治療薬を乱用している間は、予防薬にもほとんど反応
せず、一旦発症すると治療にも難渋するため、その診断と認識は臨床的に極めて重要です。
「片頭痛などの慢性頭痛の患者さんが薬物乱用頭痛に陥らないように対応する」ことは、頭
痛専門医の最も大切な仕事の一つです。

+++++++++++以上、樋口脳神経外科サイトより+++++++++++

●偏頭痛(片頭痛)

 簡単に言えば、同じ頭痛薬をのんでいると、かえって頭痛がひどくなることもあるとい
うことらしい。
私は若いころから、偏頭痛に悩んだ。
だからよけいに、薬物乱用頭痛になりやすいということになる。

●変更

 そこで今日、薬局へ行き、頭痛薬の種類を変えてみた。
昼食時に、いっしょにのんでみた。
とたん、頭痛が消えた。

 これは頭痛薬にかぎらない。
どんな薬でも、一種類を長期間にわたってのまないほうがよい。
薬というのは、「毒物」。
肝臓はそう判断する。

 もっとも今日は、風邪の症状もあった。
ここ数日、頭痛が消えなかった。
偏頭痛でもない。
緊張性の頭痛でもない。
・・・とまあ、自分でも判断しかねていた。
が、風邪の症状が出てきて、風邪による頭痛とわかった。

 「薬物乱用頭痛」・・・そういう頭痛もあることを、覚えておこう。

Hiroshi Hayashi++++++++++++林浩司・はやし浩司(薬物乱用頭痛)

●「女」

 サッカーの試合を観ているかぎりでは、サッカー選手に、「女」を感じない。
(そういう不謹慎な見方をしているのは、私だけかもしれないが・・・。)
とくに中国の女子選手は、女性というより、「男」。

 再び、「男らしさとは何か」「女らしさとは何か」について考えてみる。
が、この問題は、脳下垂体にも関係している。
平たく言えば、男性の性欲中枢部は、女性のそれの2倍の大きさがあるという。
つまりその分だけ、男性はより攻撃的。
女性は比較的、受動的ということになる。

 先日も1人の女子中学生が私に、こう聞いた。
「先生、どうして男子って、女子のパンティを見ると、大騒ぎするの?」と。
そこで私が、「では、君は、男子のパンツを見ても、何も感じないのか?」と。
するとその女子中学生は、キョトンとした表情で、「ゼンゼン!」と答えた。

 男と女は、基本的な部分で、大きくちがう。
女性のことはいまだによくわからないが、男性は、視覚的に「女」をとらえる。
女性のように、男性に触れられたから、興奮状態になるということは、ない。
(私のばあいは、ない。)
重要なのは、視覚。
若いころは、胸元や露出した足を見ただけで、興奮状態になってしまった。

もっとも、だからこそ、男と女の関係は、うまくいく。
またそのちがいがあるからこそ、男と女の関係は、楽しい。
多様性も、そこから生まれる。

●老齢期の「性」

 私1人だけのサンプルで、「男」を論ずることは、危険なこと。
よくわかっている。
が、こういうことは言える。

 63歳になったからといって、「女」への関心がなくなったわけではない。
しかし若いときのように、四六時中というわけではない。
「ときどき・・・」という感じ。
また感じたとしても、スーッと消えていく。
長つづきしない。
関心だけではない。
「機能」そのものも、長つづきしない。

 また男というのは、(女性もそうらしいが)、空想力の助けを借りることが多い。
その空想力そのものが、弱る。
そこでその種のDVDを借りてきて、助けを借りることもある。
しかしこれも長つづきしない。
すぐ飽きてしまう。

 これは女性のばあいも、そうらしい。
ワイフもよくこう言う。
「発情するのは、1か月に数回程度かな?」と。
ということは、たがいの発情期が重なるのは、きわめてマレということになる。

 ・・・とまあ、若い人たちには意味のないエッセーになってしまった。
しかしその若い人たちも、やがて私と同じ年齢になるときがやってくる。
遠い未来のことで、ピンとこないかもしれない。
ひょっとしたら、「私は100歳になっても、今と同じ」と考えているかもしれない。
しかし、それはありえない。
髪の毛が薄くなり、顔のシワがふえるように、「性」も確実に年齢の影響を受ける。
そういうときにみなさの役立つよう、老齢期に性について書いてみた。

 最後にオーストラリアの友人が送ってくれたジョークをひとつ。

Hiroshi Hayashi++++++++++++林浩司・はやし浩司

●90歳の老人

 90歳の老人が病院へ行くと、ドクターがこう言った。
 「精子の数を検査しますから、明日までに精子をとって、このビンの中に入れてきてく
ださい」と。

 が、その翌日、その老人がカラのビンをもって病院へやってきた。
 そこでそのドクターが「どうしたのですか?」と聞いた。
 すると、その老人はこう言った。

 「いえね、先生……
 右手でやってもだめでした。
 左手でやってもだめでした。
 それでワイフのイーボンに頼んで
 手伝ってもらったのですが、だめでした。
 イーボンが右手でやってもだめでした。
 左手でやってもだめでした。
 
そこでイーボンは、入れ歯を全部はずして
 口でやってくれましたが、それでもだめでした。
 しかたないので、隣のメアリーに頼んでやってもらいました」

 ドクターは驚いて、「隣の家のメアリーに!」と聞いた。

 するとその老人は、

 「はい、そうです。メアリーも最初は右手でやってくれましたが、
 だめでした。
 左手でやってくれましたが、それでもだめでした。
 メアリーも口でやってくれましたが、だめでした。
 最後に、足の間にはさんでやってくれましたが、それでもだめでした」と。

 ドクターが目を白黒させて驚いていると、老人はこう言った。

 「でね、先生、どうやっても、このビンのフタをあけることができませんでした。
 イーボンにも、メアリーにもやってもらいましたが、
 フタをあけることができませんでした。
 それで精子をとることができませんでした」と。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 2011+++++++++はやし浩司・林浩司

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 はやし浩司のホームページ http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■  
まぐまぐプレミア版(有料版)のお申し込みは……
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page141.html
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 
■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

【BW生・募集中!】

 (案内書の請求)

   http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page228.html

 (教室の案内)

    http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page025.html

●小学生以上の方も、どうか、一度、お問い合わせください。

■□コマーシャル★★★★★★コマーシャル□■

***********************************

このマガジンがお役にたてそうな人が、あなたのまわりにいませんか?
よろしかったら、どうか、このマガジンのことを、お友だちの方に
話していただけませんか?

よろしくお願いします。              はやし浩司
***********************************
                     
.   *※※
.※※  ***※
.*※※…※}※**   
. **++ ※))
. {※}※※ /
. ※*… /mQQQm
.**/| |Q ⌒ ⌒ Q  Bye!
.  = | QQ ∩ ∩ QQ   
.       m\ ▽ /m~= ○
.       ○ ~~~\\//
.=================================
.みなさん、次号で、またお会いしましょう!
.=================================

2011年9月25日日曜日

*One Life

●天上がり(?)(「ここまでやるか、官僚政治!」)(毎日新聞・2011年・9・25)

++++++++++++++++++

どうして、この日本では暴動が起きないのか?
不思議でならない。

官僚たちは、まさにやりたい放題。
が、今度は、天下りならぬ、「天上り」!

毎日新聞の記事をそのまま転載させてもらう。
この記事の中で、とくに注意してほしいのが、
「抜け道」という言葉。

官僚たちは何かの法案を考えるとき、かならず「抜け道」を作る。
何かの規制をかけようとすればするほど、その抜け道を作る。
作って、官僚たちは、身の保全を図ろうとする。

 だから何も変わらない。
旧態依然のまま。
行政改革など、どこ吹く風。

+++++++++++以下、毎日新聞より転載+++++++++++++

 「天下り」でもたれ合ってきた霞が関と電力会社。
逆に電力会社に籍を残したまま、社員が非常勤の国家公務員として採用される「天上がり」も盛んに行われ、行政との一体化の象徴となってきた。
01年の中央省庁再編以降、電力会社からの天上がりは少なくとも99人に上り、内閣官房や文部科学省、内閣府などの中枢部門に配属され、原子力委員会など電力会社の利害に直接かかわる業務も行ってきた。

 国の民間からの人材登用は人事院規則に基づく公募採用が原則。
しかし、電力会社の場合は「専門知識を有する場合は公募しなくても良い」との特例を適用した『抜け道採用』が常態化している。

 政府によると、これまでの非常勤国家公務員としての採用実績は東電のほか、北海道、関西、中部、東北、四国、九州電力など。
その多くが、原子力安全委員会事務局(内閣府)や原子力研究開発課(文科省)など原子力行政の中枢で勤務。

 採用期間は2~3年程度で、その間は国から給与を受ける。
期間が満了すると、間をおかずに同じ電力会社から別の社員が連続して採用されるケースも頻繁。
文科省原子力研究開発課は東電から、同ライフサイエンス課は北海道電力から、内閣府政策統括官は関西電力からそれぞれ連続採用され、各社の「指定席」となっている。

 東電の天上がり社員の一人は、天下り規制を担当する「公務員制度改革推進本部事務局(内閣官房)」で勤務。
過去には公益法人改革を担当する部署にも配属されたが、天下りの最大の受け皿である電力会社社員が霞が関改革部門で働く姿はブラックジョークにも映る。

 電力会社の天上がり問題については、5月の衆院経済産業委員会で吉井英勝委員(共産)が「まるで『東京電力・霞が関出張所』ではないか」と是正を求めている。

+++++++++++以上、毎日新聞より転載+++++++++++++

●抜け道

 こういうインチキが積もりに積もり、今回の原発事故につながった。
そういう点では、まさに人災。
が、不思議なことに、本当に不思議なことに、この日本では、こうした官僚が何かの責任を取ったという事実は、一例もない。
今回もそうだ。

 だれも責任を追及しない。
だいたいだれが責任者かもわからない。
だれも責任を取らない。
みな、逃げてしまう。
またそういうしくみになっている。

 この日本人の(従順さ)は、いったいどこからくるのか?
だれも怒らない。
だれも抗議しない。
外国でなら、暴動が起きても不思議ではない。
暴動が起きないどころか、「日本人の美徳」と片づけてしまう。
まさに不思議国、日本!

 私はこの記事を読んで、久々に、頭に血が上るのを覚えた。
が、そのやり場がない。
この歯がゆさ。
虚しさ。

 みなさんは、どうか?
そんなふうに感ずるのは、私だけか?


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●経済の勉強(先を読む経済)

+++++++++++++++++

月刊「東洋経済」誌を買ってきた。
読んでみた。
が、専門用語ばかり。
よくわからない。
わからないから、結論だけを読んで終わりにしようとする。
しかしこれではいけない。
こんな読み方ではいけない。

さらに考えてみれば、私たちが得る情報は、いつも「結果」ばかり。
途中のプロセスがない。
今回の恐慌にしても、ある日、突然、やってくる。
「結果として、世界経済はこうなりました」と。

株価を例にあげるまでもない。
が、これでは先が読めない。
そこで今朝は、経済の勉強をしてみることにした。

+++++++++++++++++

●専門用語

★リスクオフ……投資家のリスク許容度のこと?
★ナンピン買い……株価がさがったようなとき、追加資金で購入し、購入コストをさげること?
★ドルペッグ制……ドルとの連動性が高いこと?
★購買力平価の理論……物価が相対的にあがると、その国の通貨の購買力は低下し、為替レートが下落すること?(反対に物価がさがると、為替レートは、上昇しやすい?)
★キャリートレードのメカニズム……その国の金利が相対的に高いと、金利裁定が働いて、低金利の国からマネーが流れ込み、その国の通貨が上昇すること?
★金利裁定……各国の金利の動向を見ながら、マネーが流動すること? その国の金利が低いと、マネーは金利の高い国を求めて移動する?
★逆張り……たとえば自分のもっている株価がさがったようなとき、さらに買いつづけ、株価を下支えすること?
★ソブリンリスク……国家そのものの危険性? たとえばデフォルト(国家破綻)の可能性があることをいう?
(以上、私の勝手な解釈のよるものなので、信頼性ゼロ。)

 雑誌を読みながら、専門用語を少しずつ脳の中で消化していく。
結構、頭を使う。
疲れる。
たとえば、同誌P52には、こうある。

『……日本はデフレだが、米欧はインフレ率がプラスなので、ゼロ金利であれば、実質金利はマイナス。ドルやユーロを売って、金、あるいはデフレ通貨であるスイスフランや円に換えることは、合理的な投資行動だ』と。

 私の脳みそが鈍ってきたのか、この部分を理解するだけでも、私は2、3度読みなおしてしまった。

●先を読む

 経済学者の仕事は、先を読むこと。
結果の分析など、してもあまり意味はない。
意味があるとすれば、それをどう未来に向けて、利用していくかということ。
この点、発達心理学と、視点が逆。

 発達心理学では、常に(現状)の分析を大切にする。
「今、どうしてこの子どもは、こうなのか」を考える。
そこを原点として、その子どもに問題があれば、その問題の解決に全力を尽くす。
言うなれば、発達心理学の世界は、「個人」という「ミニ」の世界。

 一方、経済学の世界では、経済学者の力は、ほとんどない。
あえて言うなら、気圧配置を見、雨量を予想し、洪水の可能性を述べる気象予報士の仕事に似ている。
言うなれば、そこは「世界」という「マクロ」の世界。
そういう点では、経済学には別のおもしろさがある。

 たとえば経済学の世界では、先、つまり未来を読む。
未来を予測する。
(発達心理学では、子どもの未来を予測するのは、わかっていても、タブー。
「あなたの子はこうなりますよ」と言っただけで、大問題になる。)
P51(同誌)を参考に、私なりに日本の近未来を予想してみる。
それを箇条書きにしてみる。

(1)個人投資家は日本で暮らしているから、(つまり日本という井の中の蛙だから)、日本の円高は変だと思っている。
(2)だからいつか、そこかでかならず円安に転換するはずと思っている。
(3)そこで個人投資家は、円を売り、外債に手を出す。
(4)当然、円を売れば、円安に向かう。
(5)また円を売れば、日本に対するヘッジになると考える。
(6)円安になれば、日本の企業は輸出しやすくなり、企業にメリットがある。
(7)景気は回復する。
(8)日本の株価は、上昇する。

 ……というところまでなら、私でも読める。
つまりこの程度の「未来」ならわかる。
しかしここからが、問題。
そうはいかないところに、経済学の(深み)がある。
同誌の中で、同志社大学の浜のり子教授はこう述べている。

(9)そのころには、輸出企業は、全部海外に移転しているので、円安になっても企業は円安メリットをほとんど享受できないのではないか、と。

 ナルホド、そういうことか!
円安に戻るころには、日本の企業は総崩れになっている(?)。
だったら、モタモタしていないで、今すぐ円安を是正する。
早ければ早いほど、よい。

が、ミニの世界とちがい、相手は世界。
マクロの世界。
海千山千の怪物どもがしのぎを削りあう、化け物の世界。
言うなれば、戦場。
ものごとは理屈どおりには、動かない。
言い換えると、経済学……というより世界経済のおもしろさは、ここにある。

●外国の常識vs日本の常識

 話題を変えよう。
おととい、A氏(55歳)から、こんな電話があった。
いわく「11月に、オーストラリアの友人のB氏が妻を連れて、日本へやってくるのだが、今年に入って、もう2度目。
数年前から来るようになって、この数年間だけでも、5回目。
たまに来るのはいいのだが、ぼくも疲れました。
林さん(=私)は、どうしていますか?」と。

 現在、オーストラリアドルは、最強通貨。
日本人の私たちにとっては、オーストラリアでは、すべてのものが高い。
自動販売機のペットボトルにしても、1本が300~400円(実勢交換レート)。
(ただしボトルのサイズは、日本のそれの1・5倍前後。)
ホテルが、どこも一泊3~4万円。

 反対にオーストラリア人にしてみれば、日本では、すべてのものが安い。
日本の旅館に泊まるとき、一泊2食付きで、2~3万円と聞くと、私たちはそれを「高い」と感ずる。
が、オーストラリア人にしてみると、その2~3万円が、5000円程度の感覚になるのでは?
つまり私たちが高級旅館と感ずる日本の旅館に、彼らは、5000円~1万円程度の感覚で宿泊することができる。

私「だから、オーストラリア人は、日本へ来たがるのです」
友「しかしこうも頻繁に来られると、私の方も疲れてしまいます」
私「それはたいへんですね」
友「それに習慣のちがいというか、彼らはたいしたみやげも持ってこないで、平気で2、3週間も泊まっていきます。それにね、林さん、帰国しても一通の礼状さえくれないんですよ」

私「欧米人は、そうでしょうね。そういう習慣がないから……」
友「でね、林さんのところへも、よく来るでしょ」
私「この10月にも、来ます」
友「そういうとき、どうしてますか?」と。

 欧米人というより、相手がオーストラリア人のばあいは、何でもストレートにものを言うのがよい。
いやだったら、いやと言えばよい。
忙しかったら、忙しいと言えばよい。
「今日は午後から仕事だから、6時ごろまで、君のめんどうをみられない」とか。
オーストラリア人は、そういうことを、まったく気にしない。
失敬なこととは思わない。
だから正直にありのままを言う。
正直に言えば、「ライト(わかった)」ですんでしまう。
(反対に、ウソには、敏感に反応する。
オーストラリア人には、ウソだけは言ってはいけない。)

 が、日本人はそうではない。
日本人は、「表」と「裏」を使い分ける。
内心ではいやだと思っていても、表面的には、「また遊びにおいでください」などと言う。
こういう言葉が、かえって彼らを混乱させる。

私「たまたま今は円高だから、Aさんが今度は、オーストラリアへ遊びに行けばいい」
A「そうは言っても、この不景気ですからね……。
先のことを考えると、気軽に遊びに行くわけにもいかないのですよ」
私「そこが日本人の悲しいところですね。
円高なら、本来なら喜んでいいはずなのに、それが喜べない。
円高を生かして、外国へ遊びに行くこともできない」と。

●再び経済論

 話をもとに戻すが、マクロの世界でも同じことが言える。
日本人も、もっと率直に、そして正直に、本音を言えばよい。
へたにいい子ブルから、苦労する。
あとがたいへんになる。
もっと野性的に、もっとドロ臭く、もっと貪欲に生きる。
このままでは通貨危機どころか、日本国という「国」が危うくなる。

 「このままでは日本企業は全滅する。
手持ち外貨(ドル)の5%を、金(ゴールド)に換える」と。
「復興資金にする」でもよい。
それくらいの宣言は、してもよいのでは?
アメリカは怒るだろうが、日本が破産するよりはよい。

 東洋経済誌にもあるように、「やっと円安になったと喜んだときには、日本国内に会社はなし」では困る。

 今朝は、そんなことを考えた。
2011/09/25


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年9月24日土曜日

*Black Monday

●9月23日夜記(不況風、いやですね!)

●経済雑誌

仕事の合間に、書店に足を運んだ。
何冊か、経済雑誌に目を通した。
が、どれも恐ろしい記事ばかり。
読めば読むほど、暗い気持ちになってしまった。

ギリシアの経済破綻は、もうどうしようもない。
問題は、スペインとイタリア。
「大きすぎて潰せない」「大きすぎて救えない」(某誌)ということらしい。
このままでは、リーマンショックのときとは比較にならないほど、巨大な嵐がやってくる。
・・・というか、すでに危機は始まっている。
書店を出るとき、そんな印象をもった。

●証券会社

 私は景気の動向を知る、ひとつのバロメーターとして、証券会社の株価に注目している。
(こんなことをしているのは、私だけかと思うが・・・。)
証券会社というのは、言うなれば、資本主義の総本山。
証券会社が健全ということは、資本主義も健全。
そうでなければ、そうでない。

 その証券会社だが、Nホールディングズも、D證券も、この1年と少しで株価が、半値近くにまで、下がっている。
現在ともに、300円前後。
かなりあぶない状況になってきた?
私の勝手な判断だが、私はそう思っている。

●大恐慌

 全体としてみると、リーマンのときは、銀行にまだ余力があった。
その余力で、何とか、危機をしのいだ。
が、今回は、その余力もない。
その上、アメリカ、EU、中国の同時危機。
日本もご存じのように、余裕、ゼロ。
だから「どれも恐ろしい記事」となる。

●韓国の株価、大暴落(9月23日)
 
 たまたま今日は、祭日。
株式市場は休み。
それがよかったのか、悪かったのか?
韓国の株式市場は、5%以上も値をさげている。
ほかの市場にくらべて、下げ幅がきつい。

 日本があの3・11大震災に襲われたとき、韓国では、株価は、大幅に上昇した。
その上昇幅が突出していた。
なぜそうなったかについては、今さら、その理由など、書くまでもない。

●ブラック・マンデー

 ネット上では、すでに「ブラック・マンデー」という言葉が飛び交っている。
今日は9月23日(金曜日)。
9月26日がその月曜日。
その月曜日に、日本の株式市場は、どう反応するか?

 自分のもっている株の価格がさがれば、さらに株を買いつづけ、下支えをする。
これが個人投資家と呼ばれる人たちの、常識的なやり方ということになる。
が、その個人投資家の「力」にも限界がある。
つまりいつか息切れする。

 ここからは私の予想だが、月曜日に、日本の株価も大暴落するはず。
まさにブラック・マンデー。
が、こわいのは、「事実」ではなく、私のようにみなが思い始めること。
恐慌というのは、風説が風説を呼び、その風説が「嵐」になったときに、始まる。
(すでに始まっているが・・・。)

●最後は日本!

 アメリカもあぶない。
EUも中国も、あぶない。
しかし最終的に、いちばんあぶないのは、この日本(?)。

 アメリカもEUも中国も、じゅうぶんな食糧、資源をかかえている。
強力な軍事力も、もっている。
が、この日本には、そのどれも、ない。
結局は、最終的に生き残るのは、アメリカ。
ドル以外に基軸通貨がない。
そのドルの印刷機を、アメリカはもっている。
お金がなくなれば、印刷機を回せばよい。

●ふんばる

 問題は、では、どうすればよいかということ。
その点、私たち団塊の世代は、幾多の修羅場をくぐり抜けてきた。
そのつど、得もしたし、損もした。
が、鉄則は、ただひとつ。
「ふんばる」。
歯を食いしばって、ふんばる。
ふんばった人だけが、修羅場をくぐり抜けることができる。

 たとえば20年前には、浜松の中心部だけでも、10~15前後の幼児教室があった。
が、失われた10年が、失われた20年になった。
結果、生き残った幼児教室は、私の教室だけ。
(そのあと、また1~2の幼児教室が生まれてはいるが……。)
今も、基本的には、この状況は変わっていない。
つまり目下、ふんばり中!
……ふんばるしかない。

●D氏 

 そんなこともあって、このところどこの店に顔を出しても、景気の悪い話ばかり。
たとえば30年来の友人にD氏がいる。
市内で3店舗、レストランを経営している。
そのD氏の口癖は、いつも同じ。
顔を合わせるたび、こう言う。
「林さん(=私)、何か、いい話、ないですかねエ?」と。

 そう言えば、どこも元気がない。
レストランの客が、さらにガクンと減ったように感ずる。
一部のファーストフード店は、低価格とサービスのよさで、見た目にはにぎわっている。
しかし実際は、どうか?
D氏は、いつだったか、こんな話をしてくれた。

 1人の客が、何分で食事をし、いくら落としてくれる(=払ってくれる)かで、勝敗が決まる、と。
「うちは料理では儲からないから、ワインで儲けている」とも。
が、そのワインを注文する客が減っているという。
 
 先日会ったとき、別れ際、D氏は、こう言った。
「林さん、あと3、4年で、失業者がふえますヨ~」と。

 ……とは言っても、台風と同じ。
私のような者がいくら心配しても、どうしようもない。
やってくるものは、やってくる。
それに戦いようがない。
私たちは恐慌という嵐の中で、右往左往するだけ。

 ……今日のレッスンを、UPして、今夜はこのままGOOD NIGHT!


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【年長6歳児と言葉(文字)遊び】

●今日は予定を変更して、言葉遊びをしました。スケジュールでは、「手作業」になっていましたが、突然の変更をお許し下さい。新入会の生徒がいたからです。で、一言。「勉強」というと、大学生が研究室でするような姿勢を求める親が多いのには、驚かされます。黙々とデスクに向かって、何かの作業をする……。そんな学習態度を、幼児に求めても無理ですね。この時期大切なことは、「勉強は楽しい」「おもしろい」という印象作りをすること。+子どもたちの心を開かせること。まず言いたいことを言わせる。それが原点です。子どもを抑えるのは簡単ですが、伸びやかにするのは、たいへんです。なお、私はよくふざけますが、これは子どもの脳みそを柔軟にするためです。どうか誤解のないように!

(1)



(2)



(3)



Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年9月23日金曜日

*A Letter to Ms. K

K子様へ

拝啓

 長い電話をし、すみませんでした。
久しぶりのことで、楽しかったです。
お元気そうで、たいへんうれしかったです。
いろいろ勉強になりました。
同時に、いろいろ考えさせられました。
ありがとうございました。

順に、自分の考えをまとめてみたいと思っています。

●信仰について

 信仰は、基本的には、人、それぞれです。
それを大切に思う人もいれば、そうでない人もいます。
宗教や宗派によっても、考え方もちがうでしょう。
大切なことは、それぞれの人の考え方を尊重するということではないでしょうか。

 自分が「する」からといって、しない人を、非難するのは許されません。
反対に「しない」からといって、する人を、非難するのは許されません。
たがいに、そっとしておいてやる。
それが「信仰」と、私は考えています。

●伝統的儀式について

 「伝統」を背中に背負っている人は、強いです。
たとえば盆の墓参りにしても、「昔から、みな、そうしている」と言えば、すべてが正当化されます。
言うなれば、水戸黄門の葵三つ葉の紋章のようなものです。
それを高くかかげ、「控えおろう」と。

 しかしそれほど楽な生き方はありません。
あとからまたそれについて書くことになりますが、自分では何も考えなくてすむからです。
昔からの(?)、言い伝えだけを、守ればよい。
世間的にも(?)、人との摩擦を避けることができます。

 しかし今、その伝統が、大きく崩れ始めているのも事実です。
都会地域では、直葬といって、病院で死んだあと、葬儀をしないまま火葬するというケースがふえています。
全体の30%ほどと聞いています。
またこのあたりでも、墓をもたないで、散骨という方法を選ぶ人もふえてきました。

 浜松市の郊外でも、このところ無住の寺が増えてきました。
さらにこれは長野県の友人(北信)に聞いた話ですが、無縁仏が増え、寺ごとにそうした遺骨を集めた納骨堂を建てているということです。
この傾向は、ここ浜松市でも見られます。

 要するに、人、それぞれ、ですね。
それぞれがそれぞれの生き方を選び、死に方を選ぶ。
大切なことは、先にも書いたように、それぞれの人の生き方、死に方を、そっと見守るということです。

 「私が正しい」と思うのは、その人の勝手ですが、返す刀で、「あなたはまちがっている」と切り返すのは、許されません。
それこそ、傲慢というものです。

●肉親関係

 Kさんも、いろいろ問題をかかえておられることは、よくわかりました。
しかしどの家族も、似たような問題をかかえています。
いろいろな話を聞いていますが、Kさんの家族のケースは、その中でも「軽い」(失礼!)ほうではないでしょうか。

 深刻なケースとなると、まさに想像を絶するといったふうです。
最近でも、玄関先で兄弟同士が怒鳴りあったという話も聞いています。
この世界、まさに何でもござれ!
で、それなりの人たちとは、それなりのつきあい方をする。
他人でも、身内でも、です。
一定の距離を置く。
それでよいのではないでしょうか。

 ただ人も、60歳を過ぎると、(50歳でもよいのですが……)、仮面(ペルソナ)をかぶってつきあうのも、疲れます。
つまりいい人ぶるのは、疲れます。
私のばあいは、こうしてものを書くのが仕事ですから、一言でもその人を悪く書いたり、批判したばあいは、以後、交際を絶つようにしています。
一方で悪く書きながら、一方で笑顔で話すなどということは、私には、できません。
またそういうことを繰り返していると、脳みそがバラバラになってしまいます。

 あとは、ありのまま生きる。
今さら身を飾っても、意味はありません。

●生き様

 ある人の手記を読みました。
アメリカ人の青年が書いた手記です。
その青年は、20代でHIV(エイズ)を発症。
余命、半年余りと宣告されました。

 その青年は、こう書いています。
「無駄な人と、無駄な交際はしたくない。時間を無駄にしたくない」と。

 20代の青年がそう書いたことに驚きました。
しかしこの話は、何も、20代の青年だけの話ではありません。
私たちだって、すでに「死の宣告」を受けているわけです。

 私も平均余命まで、16年を切りました。
今のところ、とくに大きな病気はありませんが、一般論から言えば、平均余命から10年を引いた年齢が、健康寿命ということになります。
最後の10年は、病魔と闘いながら、徐々に死に向かっていく……。

 私は今、無駄に時間を過ごすことに、たいへん神経質になっています。
つまらないことで、半日もつぶしたりすると、「しまった!」と思うことが、よくあります。

●ゆがんだ心

 電話で「ゆがんだ心」について話しました。
心も、顔と同じように、生き様によって、ゆがんできます。
生き様が醜いと、心もゆがんでくるということです。
で、ここが恐いところですが、一度ゆがんだ心は、もとには戻らないということ。
青年期までにゆがむと、その状態は、生涯にわたって、つづきます。
「改心」という言葉もありますが、それは昔の時代劇の話です。
脳の中に、一度できた思考回路を変えることは、簡単なことではありません。
学者ぽい人は、一生、学者ぽい。
ヤクザぽい人は、一生、ヤクザぽい。

 「ゆがむ」ということは、ものの考え方が、悪魔的になったりすることをいいます。
人を恨んだり、妬(ねた)んだり、しやすくなります。
ウソをウソと思わなくなるのも、そのひとつです。
自分の欲望を満足させるために、平気で人を傷つけたり、だましたりします。

 以前、こんな女性(80歳くらい)の話を聞きました。
何でもその女性は、朝早く、散歩にでかけては、近所の植木鉢を持ち帰ってしまうというのです。
私はこの話を聞いたときには、少なからず、混乱しました。
(盗むという行為)と、(美しい花を楽しむ)という行為は、完全に矛盾するからです。
私には……という言い方は避けたいですが、盗んできた花を楽しむということは、私にはとてもできません。
花を見るたびに、いやな気分になるでしょう。

 が、心がゆがんでいる人は、それが平気でできます。

●絶縁

 私もこの10年のうちに、何人かの人と絶縁しました。
それまで何十年も交際してきた人も、含まれています。
たとえば、B氏。

 B氏は、他人の不幸をのぞいては、平気でそれを酒の肴にするような人です。
私の母が、倒れたときもそうです。
妹氏を連れて、見舞いにやってきたそうです。
もちろん心配して見舞いに来たのではなく、ただの見物です。
つまり野次馬。

 それがそうであるかないかは、その人自身の生き様を見ればわかります。
「一貫性」の問題です。
生き様には、よい意味においても、悪い意味においても、一貫性があります。
母にしても、見舞いになど来てほしくなかったのでは、ないでしょうか。
見舞いに行くなら行くで、一度、相手の気持ちを確かめてから行く。
私はそれが常識と考えています。

 中には、(よほど親しい人は別として)、自分の無様(ぶざま)な様子を見せたくない人もいます。
反対に私やあなた自身が、そういう状態になったときのことを考えてみれば、よくわかるはずです。

 無頓着というより、失敬。
失敬というより、あまりにも人道をはずれている。

 が、B氏は、そのあとさらに、事情も知らず、イヤミまで言ってきました。
自分では、ご存知のように、介護の「か」の字も経験したことがない。
父親が倒れて入院したときも、最期まで一度も見舞いに行かなかった。
そういうB氏が、年長風を吹かし、私にイヤミまで言う。

 その瞬間、私とB氏との関係は、切れました。

●人を選ぶ
 
 話が脱線しましたが、50歳を過ぎたら、人を選ぶ。
60歳を過ぎたら、さらに、人を選ぶ。
世界の賢人たちも、異口同音に、こう言っています。
「老後は、少数の人たちと、濃密な関係をもつのがよい」と。

 この考え方は、先に書いたアメリカ人の青年の考え方と共通しています。
本当に心のわかり合える人と、心を通わせて生きる。
反対に言うと、表面的な部分だけで、キツネとタヌキの化かし合いを繰り返す。
私はそれこそ、時間の無駄と考えます。
もちろん私たちは同時に社会的動物ですから、生きていくためには、表面的なつきあいをしなければならないときもあります。

 たとえばこれから私は、ある農家の友人を訪ねることになっています。
頼んでおいた、お茶ができたという連絡を受けたからです。

(今では、お茶も安心して飲めません。
それでその友人に、お茶を頼んでおきました。
その友人が作ったお茶なら、飲めるからです。)
そういう交際まで、無駄と言っているのではありません。

 さわやかに交際し、さわやかに生きる。
それもときには、大切なことですね。

●浅瀬にあだ波

 ただ注意してほしいことがあります。
昔から、『浅瀬にあだ波』と言います。
「思慮の浅い人ほどよくしゃべり、あれこれとうるさく騒ぎ立てるということ。
川の浅瀬には、さざ波がたつところから。
「仇波」はむやみに立ち騒ぐ波のこと」(ウィキペディア百科事典)という意味です。

 K子さんの周りにもそういう人がいると思いますが、一方的な意見だけを聞いて、判断すると、判断を誤ります。
人間関係については、とくにそうです。
同じAさんでも、見る人によって、評価が180度ちがうということは、よくあります。
一見、人道にはずれた(?)行為でも、理由を聞くと、そうでないということは、よくあります。

 私にかぎらず、人がそうした行動に至るには、それなりの前提なり、理由があるということです。
もっとも、私のばあい、いちいち説明するのが面倒なときは、それから逃げてしまいます。
相手次第というわけです。
それなりの人なら、説明も必要かもしれません。
そうでなければ、そうでない。
何か、疑問に思うようなことがあれば、どうか、率直に私に聞いてください。

 K子さんが言われたように、あのM子さんは、悪人ではありません。
ただ気が小さい人だけ。
世間体ばかりを、気にしている。
もともと自分(=コア)のない人ですから、10のうち、9までがウソと考えてよいと思います。
だから言うことが、コロコロと変わる。
一貫性がないという、一貫性(?)。
そういう人です。

●伝統

 が、K子さんは、強気ですね。
「伝統」を背負っているからです。
「昔からのしきたり」と言えば、みな、黙ります。
それをよいことに、自説を展開する。
返す刀で、相手、つまり私を非難する。

 「あの浩司(=私)は、偉そうなことを書いているが、人間のクズ」と。

 でも、そんなことで、地獄へ落ちるというのなら、私はあの世へ行ったら、真っ先にデモ行進でも何でもしてやります。
さらに言えば、地獄へ落ちるのは、この私。
私の心配までしていただかなくても、結構。
K子さんは、K子さんなりのやり方で、「極楽」へ行けばよいのです。

●いい人ぶる

 大切なことは、いい人ぶらないこと。
いい人ぶればぶるほど、疲れます。
英語の格言にも、『2人にはいい顔はできない』というのがあります。
自分のことを悪く言う人もいれば、そうでない人もいます。
若いころなら、誤解を解いて・・・というエネルギーも働きましたが、今は、その元気もありません。
成り行き任せといった感じです。
もう少し辛辣な言い方をすれば、「どうでもいい」?

 どうせ・・・という言い方は失礼かもしれませんが、どうせその程度の人たちです。
総じてみても、日々に精進、努力している人のほうが少ないです。
そこらのオジチャン、オバチャン(私も含めてですが・・・)を相手にしても、しかたないでしょう。
本気に相手にしても、それこそK子さんが言われたように、みなが喜ぶだけです。
私も、そう考えます。

●迷い

 私もよく迷います。
が、そういうときは、「すべてをする」という方法に切り替えます。
たとえば旅行先。

 「Aへ行こうか、Bへ行こうか」と迷ったら、両方とも行きます。
(もちろん費用の問題はありますが……。)
時間というのは不思議なもので、作れば作れるものです。
怠惰に過ごすのも1日。
朝からキビキビと過ごすのも1日。

 ご存知ですか。
あのネズミの脳の周波数を100倍に広げてみたら、人間の脳の周波数と一致したというのです。
つまりネズミは、人間の100倍の速さで、生活しているということになります。
わかりやすく言えば、人間の1秒は、ネズミの100秒に相当するということです。
ですからネズミの寿命を知り、「ネズミは寿命が短い」と考えるのは、まちがいです。

 さらにハチがいます。
スズメバチ(雄)の寿命は、約3か月程度と言われています。
しかしスズメバチは、その3か月で、人間の50~60年分を生きているのかもしれません。

 つまり人生というのは、「時間」ではなく、「密度」の問題ということです。
そこにある時間をどう使うかで、人生を長く生きることもできるということです。

 だから迷ったら、両方する。
費用の問題が生じたら、2倍、仕事をすればよい……ということになりますね。

●心配ごと

 もちろん私にも、心配ごとはあります。
家族、仕事などなど。
老後の問題は、目下、現在進行中。
あとは健康。
とくにボケ(認知症)が恐いです。
ボケると、私が私でなくなってしまう。

 今は、まだこうしてものを書くことができますが、ボケたら、それもできなくなります。
だから今は、こう考えます。
ピンコロこそ、私の死に方、と。

 無駄に長生きをしても、みなに、迷惑をかけるだけ。
この先、私たち老人組は、ますます嫌われることはあっても、好かれることはないでしょう。
若い人たちの書くBLOGを読んでいると、それがよくわかります。
で、そういうのを読んでいると、「では、自分の人生は何だったのか」とよく思います。
たとえば私は結婚前から、収入の約半分を、実家へ納めてきました。
加えて盆や暮れに帰省するたびに、20~30万円を納めてきました。
それを40歳までつづけ、40歳から45歳までは、毎月10万円、納めてきました。
いろいろあって、その額にしてもらいました。

 27、8歳以後は、法事の費用全額、税金、商品などの仕入れ金なども支払ってきました。
その間に、実家の建て直しもありました。
一方、母は母で、そうしたお金で、親戚の人たちの生活を助けていました。

 私は私なりに懸命に働かざるをえなかったわけです。
1か月に、休みが1日だけという年も、何年かつづきました。
が、結果はどうか。

 この先、今までしてきたことが報われるということは、ないでしょう。
また期待していません。
無縁死、孤独死は、当然。
60%の人がそうなると言われていますから、もうあきらめています。
「孤独死、それもいいではないか」と、です。

 もっとも、70歳までには、有料の老人ホームへ入ることも考えていますが、それもたいへんです。
現在の今ですら、7年待ちといった状況です。
しかも入居条件の第一が、「健康で、自活できること」となっています。

 ボケたら、そこへ入ることもできません。

●「今」が常にゴール

 そういうことも考えていくと、何のために生きてきたか、わからなくなります。
人生の最後に、「死」がある。
生きるのもたいへん。
しかし死ぬのもたいへん。

 だからこう考えるようになりました。
要するに人生には、ゴールはない、と。
あるとすれば、「今」が、その「ゴール」。
常に今があり、常にゴールがある。
そう考えれば、「何のために・・・」という部分が、少しは和らぎます。

 だから私のばあい、「とにかく今をがんばろう」という気持ちで生きています。
「明日は、今の結果としてやってくる」と。
たとえば健康にしても、今日、運動をこなす。
「今日、こなせば、明日も健康でいられるだろう」という思いが、あるからです。

 ただ、「道」だけは、大切にしています。
道のない人生を歩むことほど、つらいものはありません。
何度も経験しました。
だから「道」を見失わない。
わかりやすく言えば、仕事ということになります。
どんな形であれ、死ぬまで、仕事をする。
できればピンコロ・・・。
そう願っています。

●目的

 自分のことばかり書きましたが、K子さんのことを書くと、K子さんがだれか、わかってしまいます。
この世界にも、いろいろあります。
いろいろな人がいます。
こうして私は自分のことを洗いざらい書いているものですから、中には、興味本位で私の私生活をのぞいている人もいます。
それはそれで仕方のないことですが、みながみな、好意的というわけではありません。
先日も、こう言ってきた人がいました。

 「浩司くんは、毎日、あんなことをしていますが、何の役に立つのですか」と。
「あんなこと」というのは、毎日、こうして私が原稿を書いていることをいいます。
悪気があってそう言ったのではないと思います。
「本を出すとか、そういう方法なら、利益にもなるし、私が死んだ後も残る」という意味で、そう言いました。

 が、私はもうそういうことが、どうでもよくなりました。
本を出しても、どうせ売れないでしょうし、死んだ後のことは、その後の人たちに任せればよいのです。
それよりも大切なことは、「今」、それを「生きがい」とできるかどうかということです。
それができれば、それでよし、です。
たとえば朝、起きますね。
今の私は軽い運動をすますと、まっすぐ書斎へ入ります。
おもむろにパソコンに電源を入れ、キーボードを叩き始める。
それがたまらなく楽しいです。
ときどきそういう私を、私は、幸福と感じます。

 他人の批評など、気にすることはない、ですね。
そういう点では、どこかカルト的ですが、しかし同時にときどき、こう思います。
「1人くらい、私のような馬鹿がいてもいいのではないか」とです。
どうであるにせよ、今の私には、それしかできませんし・・・。
今さら、自分の道を変えることもできません。
「無駄だった」と認めることは、そのまま「自己否定」につながってしまいます。
その心配があるならなおさら、目を閉じて生きていくしかありません。

●終わりに

 とにかく1日でも長く、健康に。
若い時は、こんなことは考えもしませんでした。
しかし今は、ちがいます。
健康であることが、かくも重要なこととは、知りませんでした。
だから「一日でも・・・」となります。

 がんばって生きていきましょう。
いつも長電話になってすみません。

 台風一過。
秋の気配を感じます。
朝夕などは、寒いほどです。
どうか、お体を大切に。
今日は、これで失礼します。

はやし浩司

2011/09/23記


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

●9月23日(金曜日)

 1人のバカ親父がいる。
たいした仕事もせず、道楽三昧。
毎日していることと言えば、庭いじり。
一本何百万もするような庭木を植えては、それを楽しんでいる。
10年前に離れの家を建てたばかりなのに、今度は茶室も造るという。

 3人の息子と2人の娘がいる。
5人とも、朝早くから、夜遅くまで働いている。
給料は悪くはないが、毎月、月末になると、バカ親父が、金を借りに来る。
その額、すでに10億円。
5人の息子や娘の年収の、約20倍。

 そこで息子や娘たちが、こう言った。
「お父さん、道楽も、もうほどほどにしてよ」と。
が、そんな願いなど、どこ吹く風。
バカ親父は、相も変わらず、道楽三昧。

 が、ここにきて、問題が起きた。
息子や娘たちの勤めている会社が、このところ様子がおかしい。
売り上げが落ちてきた。
株価が下がってきた。
当然、給料も下がってきた。
息子や娘たちは、バカ親父の道楽を支えるだけで、精一杯。
……というか、限界。
と、思っていたところ、大事件。

 息子の家が、火事で燃えてしまった。
が、それを知ってもバカ親父は、道楽はそのまま。
「オレがここで庭いじりをやめたら、庭師たちが生活に困る」と。

 そこでバカ親父は、残った4人に、さらなる借金を申し込んだ。
「もっと、金を出せ」と。

 現在の日本の現状を、ひとつの家族にたとえると、だいたいこんな感じになる。


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

【今日のBW教室】(折れ線グラフの学習)

+++++++++++++

今週は、小1児、小2児に
折れ線グラフを教えてみました。
試行錯誤を重ねた結果、今回は、何とか
ねらい通りのレッスンができました。

使った教材は同じものですが、
(また同じように教えてみましたが)、
子どもたちの反応によって、
雰囲気がまったくちがったものに
なりました。

重要なことは、教える私のほうが、
楽しむこと。
そうすれば、子どもたちもそのまま
自然な形で、学ぶことを楽しんで
くれます。
ややふざけたレッスンになりましたが、
「折れ線グラフの勉強は楽しかった」という
印象が、つぎの学習意欲へとつながって
いきます。

+++++++++++++

【小1児】

(1)


(2)


(3)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【小1・小2児、混成クラス】

(1)


(2)


(3)



Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

*Why do South Koreans hate the name of Japan?

●Why is "The Japan Sea " "The East Sea"? (なぜ「日本海」が「東海」なのか?)

【坊主憎ければ、袈裟まで憎い】(South Korea now plays a nasty trick on Britain to annoy them on the Falkland Islands.

South Korean Government now tries to insist to alter the name of "The Falkland Island" into "The Marubinasu Island", since the British Government has denied to alter the name of "The Japan Sea" into "The East Sea" as South Korean wants to be so.
This is a kind of revenge against the British Government.
But why?
We say that those who hate priests hate even their robes, as a Japanese proverb says.

Then South Korea now plays a nasty trick on Britain to annoy them on the Falkland Islands.
Before all why is the sea "The East Sea"?
The Japan Sea situates in the north of Japan or north-west of Japan?
Never to the east of Japan.
There would be hundreds of "East Seas", if what South Koreans insist is correct, or Mexico Gulf would be "The South Sea" of the USA.

●ここまで、やるか、韓国!

++++++++++++++++++

イギリス政府は、「日本海は日本海のままでいく」と表明した。
それに対して、韓国中央日報誌(反日姿勢でよく知られる韓国の有力紙)は、
「イギリスは、日本に肩入れしすぎ」と題して、以下のような記事を掲載した。
つまりその「報復措置として、イギリスが『フォークランド海(島)』と表記している海を、『マルビナス海(島)』と表記する」と。
しかしこの呼称を認めることは、事実上、フォークランド島をアルゼンチンの領土と認めることに等しい。

つまり「イギリスが、日本海を、『Japan sea(日本海)』と呼ぶなら、その報復措置として、フォークランド海(イギリス名)を、『マルビナス海』と呼ぶ」と。

 韓国とアルゼンチンの関係は知らないが、イギリスを怒らせてまで、アルゼンチンを守らなければならない立場でもないはず。

もしそうなら、メキシコ湾を、アメリカ湾に改名すればよい。
アメリカの南にあるから、「南海」でも構わない。

なぜ「東海」なのか?
どこの国に対して、「東」なのか?
韓国は最終的には、日本海を韓国海にする。
そう疑われても、反論できないだろう。
自己中心性もここまでくると、「自己愛」ということになる。
つまり自意識過剰!

+++++++++++以下、中央日報紙からの抜粋+++++++++++

韓国政府が南米のアルゼンチンから東に480キロメートル離れた英領フォークランド諸島に近いフォークランド海を、アルゼンチン側呼称の「マルビナス海」と併記する方策を推進している。
韓国政府当局者は19日、「これまでフォークランドが英国領であることを考慮して韓国の地図にはフォークランド海と表記してきた。
しかし英国とアルゼンチン間の領有権紛争が終結しておらず、加速化しているという点を考えマルビナス海を併記することを積極的に検討中だ」と話した。

韓国政府のこの方針は、フォークランドが紛争地域という側面のほかに、国際水路機関(IHO)の「大洋と海の境界」冊子での「東海(トンヘ、日本名・日本海)」、「East Sea」表記問題と関連した英国の反対立場のためという。
世界の海洋名称を定める準拠として活用されるこの冊子は、現在、東海を「日本海(Sea of Japan)」と表記しており、政府は来年4月のIHO総会を控え東海と日本海の併記を推進中だ。

++++++++++以上、中央日報紙からの抜粋+++++++++++

●韓国の論理

 韓国の論理は、単純明快。
「日本海を、日本海と呼ぶなら、フォークランド海(イギリス名)を、マルビナス海(アルゼンチン名)で呼ぶ」と。
記事では「併記」となっているが、韓国は、最初から「併記」なぞ、望んでいない。
「日本海」を「東海」へ、「改名」させるため、そのつど前回各国へ特使を派遣している。
(特使だぞ!)
 
 しかしこのやり方が、実に姑息!

●日本よ、いい子ぶるのはやめよう!

 今、日本は、韓国のウォンを、円高にもの言わせて買いまくることもできる。
韓国の輸出産業を叩きつぶすことができる。
が、日本は、それをしない。
「先進国としてのプライドと責任があるから」(政府筋)と。

 事実、一国だけの通貨をねらいうちにし、売買することは、先進国として、やってはいけないことになっているらしい。
タブーとは言わないが、先進国には先進国としての責任がある。
それはわかる。
しかし相手の韓国は、それを隠れ蓑に、したい放題。
堂々と政府が介入し、ウォン安政策をつづけている。
日本をねらいうちにし、円を円高に誘導している。

 日本ももうそろそろいい子ぶるのを、やめよう。
相手が特使を派遣するなら、日本も特使を派遣すればよい。
「どうして『東海(East Sea)』なのか」と。

 数年前には、それが無理と判断したためか、「平和海(Peace Sea)」にしようとした動きもあった。
が、再び、「東海」。
今度は、「併記」と。

 韓国はやがて日本海を、なし崩し的に「東海」にするはず。
さらに「韓国海」にするはず。
少しずつ既成事実を積み重ね、事実をねじ曲げていく。
今の竹島を見れば、それがわかるはず。

●自己矛盾

 韓国の今回の主張は、自己矛盾もはなはだしい。
フォークランド海が、フォークランド海であっても、韓国は何も困らないはず。
イギリスにしても、そうだ。
日本海が日本海であっても、何も困らない。
それを知りつつ、横やりを入れる。
合理的な理由はない。
「日本」という名前が気に入らないのだ。

(ただしフォークランド島とアルゼンチンの間の海域は、「マゼラン海峡」と呼ぶ。
「フォークランド海」というのは、私が地図で調べたかぎり、存在しない。)

 もしこんな論理がまかり通るなら、「東海(East Sea)」という名前は、世界中で何十も生まれるだろう。
またフォークランド島(海ではない)は、アルゼンチンの東方にある。
だったら、なぜ韓国は「東島(East Island)」にすると、主張しないのか?
アルゼンチン名で、「マルビナス海」と呼ぶことは、当然、つぎに「マルビナス島」と呼ぶことを目的とする。
つまりイギリスの領土であることを、否定するに等しい。

 が、韓国は、ここまでやる!
またそういう国である!
イギリスは、そこまで知っているのか?
……ということで、この原稿は、英文にし、イギリスのWebsiteに投稿することにした。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教室 育児 教育論 Japan はやし浩司 フォークランド島 マルビナス島 東海 日本海)


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司

2011年9月22日木曜日

*Forgive & Forget


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【親や先生の悪口はタブー】
 心理学の世界にも、「三角関係」という言葉がある。わかりやすく言えば、父親、母親、子どもの関係が、それぞれバラバラになった状態をいう。
 よくあるのは、母親が父親の悪口を言うケース。「お父さんの給料が少ないから、生活が苦しいのよ」「あなたはお父さんのようにならないでね」と。 
 母親は同情を買うためにそう言うかもしれない。子どもはそのときは、それに同調するかもしれない。が、やがて母親の指示にも、父親の指示にも従わなくなる。つまりこの時点で、家庭教育は、崩壊する。
 同じように、園や学校の先生の悪口、批判もタブー。同調するのもタブー。子どもが先生の悪口を言ったら、すかさず、こう言う。「それは、あなたが悪いからでしょ」と。
 先生の悪口を言ったり、批判したりすると、子どもは先生の指示に従わなくなる。
 教育というのは、信頼関係で成り立つ。その信頼関係が崩壊したら、先生とて生身の人間。やる気をなくす。これは子どもにとっても、たいへん不幸なことと考えてよい。 
 なお先生に問題があるときには、子どもとは関係のない世界で、おとなどうしで解決する。
 たがいに高い次元で、尊敬しあう。それを平等という。「あなたのお父さんはすばらしい人よ」「あなたの先生はすばらしい人よ」を、口ぐせにする。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【逃げ場を大切に】
 どんな動物にも、最後の逃げ場というのがある。子どもも、またしかり。子どもは、その
逃げ場に逃げ込むことによって、身の安全をはかり、心をいやす。たいていは自分の部屋
ということになる。
 その逃げ場を荒らすようになると、子どもの心は、一挙に不安定になる。だから子どもが逃げ場に入ったら、その逃げ場を荒らすようなことはしてはいけない。追いつめ、叱ったり説教したりしてはいけない。それが日常化すると、「家出」ということにもなりかねない。
 ある子どもは、トイレや公園の電話ボックスに逃げていた。犬小屋の中に逃げていた子どももいた。
 同じように、子どもとて、1人の「人格者」。中には子どもの机の中まで調べる親がいる。それがいかに不愉快なものであるかは、逆の立場で考えてみればわかるはず。
 …というような話を、ある会場でしたら、「親子の間で秘密は作らない方がいい」と言った母親がいた。が、個人の尊厳と秘密は、区別する。守るべきは個人の尊厳。さらに言えば、信頼関係。相手の秘密が気になるようであれば、すでにたがいの信頼関係は、危機的状態とみる。友人や夫婦の関係も同じ。
 子どもが逃げ場に入ったら、そっとしておく。しばらくすると、子どもは心をとりなおし、そこから出てくる。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【赤ちゃん返りに注意】
 年長6歳児にぬいぐるみを見せると、「かわいい」と言って、やさしそうな表情を見せる子どもが、約80%。しかし残りの20%は、ほとんど反応を示さないか、中には、キックしてくる子どももいる。
 一般的に豊かな愛情に包まれて育った子どもは、心が穏やかで、やさしくなる。そうでなければ、そうでない。とくに気をつけたいのが、嫉妬。
 たとえば下の子どもが生まれたりすると、ばあいによっては、上の子どもがはげしく嫉妬することがある。その嫉妬が心をゆがめる。「赤ちゃん返り」という現象も、それによって生まれる。
 ネチネチと赤ちゃんぽくなるタイプと、下の子に攻撃的な暴力を繰り返すタイプがある。「突然、下の子が生まれた」という状況にすると、そうなりやすい。親は「平等にかわいがっています」と言うが、下の子にしてみれば、それまでの愛情が半分に減らされたことが不満。
 なお赤ちゃん返りは、本能的な部分で原発的に起きる現象なため、叱ったり、説教したりしても、意味はない。症状がひどいようであれば、もう一度、100%の上の子に愛情を注ぎなおしてみる。「求めてきたときが与えどき」と心得る。「あとでね…」「今、忙しいの」は、禁句。すかさずぐいと抱いてやる。それだけで子どもは落ち着く。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【国語力は母親が決める】
 子どもの国語力は、母親の会話力によって決まる。たとえば幼稚園バスがやってきたとき、母親が「ほらほら、バス。ハンカチ? 帽子? 急いで」というような言い方をしていて、どうして子どもに、国語力が育つというのか。そういうときは、めんどうでも、「バスがきます。あなたは急いで、外に行きます。ハンカチをもっていますか。帽子をかぶっていますか」と話す。
 あるいは夕日を見ても、「すてきね」「すばらしいわ」「美しいわね」と、いろいろな言い方で表現してみせる。みせるだけでは足りない。実際、子どもに使わせてみる。
 相手が乳幼児でも、幼稚発音、幼児語(たとえば自動車を「ブーブー」)を使う必要はない。
 また世界広しといえども、幼児期に発音教育をしないのは、この日本。「口をしっかりと動かし」「息をたくさん吐き」「あいまいな音を避ける」。もちろん正しい発音で!
 最近では、「メリー・クリスマス」と言うときでも、鼻から「メリー・クリスモ~ス」という話し方をする女性がいる。流行語、あるいは流行的な言い方というのは、その時代のアワのようなもの。使うとしても、心のどこかで一線を引く。
 国語力は、ほかの科目のでき・ふできにも、大きな影響を与える。小学3年生レベルで、算数の応用問題が読み切れない子どもは、30%はいる。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【崩壊する、家族意識】
 「将来親のめんどうをみる」と考えている若者は、30%もいない。同時に親のようになりたくないと考えている中高校生は、60%もいる(内閣府)。
 もし今、あなたが「私はだいじょうぶ。私たち親子の絆は絶対」と思っているなら、それは幻想。今、親に感謝しながら、高校や大学へ通っている子どもは、ゼロ。これを私は、「家族崩壊」という。
 もっとも欧米社会では、家族崩壊は、常態化している。「家族」というときは、そこには祖父母の姿は、ない。それを前提として、その分、介護制度も完備している。が、この日本では、そうでない。意識だけが欧米化し、制度がそれに追いついていない。その結果が、孤独死、無縁死ということになる。
 日本の公的教育支出費は、世界でも最低(OECD)。その分、親の負担が大きいということ。『子ども大学生、親、貧乏盛り』ともいう。退職時に貯金ゼロという家庭が、50%もある(F投信調査)。が、親は爪に灯ををともすようにして、子どもの学費を送りつづける。
 が、子どもがやっと社会人になったと思ったら、ドカッとそこに待っているのは、老後。だから私はこう言う。
 「親として、必要なことはしなさい。しかし限度をしっかりとわきまえなさい。余裕があったら、自分の老後を先に考えなさい」と。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【子どもを伸ばす三種の神器】
 ウソ、悪口、盗み。この3つを子どもを伸ばす3種の神器という。
 それを奨励せよというわけではないが、それができないほどまでに、子どもを抑え込んでしまっていけない。子どもはこれら3つを通して、おとなを操ることを覚え、おとなのもつ優位性を打破する。自立期(幼児期後期・4~6歳)の重要なテーマと考える(エリクソン)。
 まず、ウソ。代表的なものにウソ寝、ウソ泣きがある。2歳ごろから始まる。
 つぎに悪口。親に向かって「クソババア」と言ったりする。
私に向かっても、「ジジイ」とか言ったりする。そこで私のばあい、つぎのように指導する。
私「もっと悪い言葉を教えてやろうか。でも使ってはだめ」
子「教えて、使わないから」
私「…ビダンシ(美男子)…」
子「ビダンシ、ビダンシ!」と。
 盗みについては、「欲望」と深くからんでいる。慎重な指導が必要。子どものばあい、金銭欲は、年長から小学2年生くらいまでの間に完成する。幼児のころは、100円の菓子で満足していた子どもでも、小学生になると1000円、中学生になると1万円……とエスカレートしやすい。
 親は軽い気持ちで、100円のものを買い与えるが、そによって子どもは、「お金によって欲望を満足させる」ことを覚える。それが盗みにつながる。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【抑圧が作る、心の別室】
 Aさん夫婦は、ともに75歳。が、夫婦げんかになると、40年前、50年前の話を持ち出す。
「あのとき、お前はア!」「あなただってエ!」と。
 強い不平や不満があると、人は心の別室を作り、それをそこへ押し込む。こうした現象を心理学の世界では『抑圧』という言葉を使って説明する。この抑圧には、時効が効かない。40年でも、50年でも、心の別室にそのまま残る。
 またワープロの世界でいう、上書きも効かない。そのあといくら楽しい思い出があったとしても、心の別室にあるため、そのまま残る。残って、時折、顔を出す。「こんなオレにしたのは、テメエだア!」と。
 子どもの世界では、心の別室を作らせない。そのつど、不平や不満を吐き出させる。またそれが自然な形でできる子どもを、素直な子どもという。
 が、一度作ると、子どもは仮面をかぶるようになる。いい子ぶるようになる。見た目には、従順で穏やか。しかしその裏で、不平や不満をためこむ。が、そのままですむことはない。先にも書いたように、折りにつけ爆発する。ふつうの爆発ではない。錯乱状態になる。
 で、もしあなたが、「うちの子は何を考えているかわからない」「話しかけるのもこわい」と感じているようなら、一度、育児姿勢が強圧的、威圧的になっていないか、反省してみる。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【親子の絆(きずな)論】

 イギリスでは、『釣りザオを買ってやるより、いっしょに釣りに行け』と教える。子どもの心をつかみたかったら、「モノより思い出というわけである。
 が、この日本では、「より高価なものを買って与えれば、それだけ子どもは喜ぶはず。親子の絆も太くなるはず」と考える傾向がある。しかしこれは幻想。むしろ逆効果。子どもはかえってドラ息子、ドラ娘化する。
 自分勝手で、わがまま。自分のことしかしない。享楽的で、忍耐力もない。思い通りにならないと気がすまない。根気もつづかない。
 そもそも物欲は、中毒化しやすい。わかりやすく言えば、アルコール中毒、ニコチン中毒と同じ。それがほしいから求めるのではなく、(得た)という満足感を得るために、求める。そうなると、いくら買い与えても、キリがない…という状態になる。
 さらに言えば、親子の絆を深めるのは、「苦労」ということになる。ともに苦労をしたという思いが、絆を深める。そのためにも、「いっしょに釣りに行け」となる。ためしにこんなテストをしてみてほしい。
 あなたの子どもの目の前で、重い荷物を苦しそうに運んで見せてみる。そのとき、「お母さん、もってあげる!」と言って助けにくればよし。そうでなければ、親子の絆はかなり細い…とみる。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【マシュマロ・テスト】
 2~4歳児といえば、幼児期前期。「自律期」(エリクソン)に相当する。
 その4歳児を対称に、1960年代、スタンフォード大学で興味ある実験がなされた。それがマシュマロ・テストである。試験官が、こう指示する。
 「テーブルの上にマシュマロが1個ある。食べたい人は、食べていい。でも、おじちゃんが帰ってくるまでがまんできた人には、マシュマロを2個あげる」と。
 このテストでは、マシュマロを食べた子どもと、がまんして2個手にした子どもの2つのグループにはっきり分かれた。
 で、このテストの興味深いところは、その後、長い年月をかけて追跡調査がなされたという点にある。
 がまんしてマシュマロを2個手にした子どもは、その後、SAT(大学入試検定試験)でも、200点以上の差をつけ、社会人になってからも、責任ある地位で責任ある仕事をするようになったという(ゴールドマン)。
 子どもにとって忍耐力というのは、「いやなことをする力」をいう。マシュマロを食べないでがまんできた子どもには、その忍耐力(情動の自己規制力)が備わっていたということになる。そのためにはどうするか。
 子どもは使う。家事の緊張感の中に巻き込む。自律期の最大のテーマということになる。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【アルバム&名前を大切に】
 おとなは過去をなつかしんで、アルバムを見る。しかし子どもは、自分の未来を見るため
に、アルバムを見る。が、それだけではない。アルバムには、心をいやす作用がある。ある子ども(小学生)は、何かいやなことや、つらいことがあると、いつもアルバムを開いて見ていた。それもそのはず。悲しいときやつらいときを、写真にとって残す人は、いない。つまりアルバムには、楽しい思い出がぎっしりと詰まっている。
 そんなわけで、親子の絆(きずな)を太くするためにも、アルバムを、部屋の中央に置いておくとよい。
 ついでに、名前。子どもの名前は大切にする。「あなたの名前は、すばらしい」「いい名前だ」と、ことあるごとに言う。子どもは、自分の名前を大切にすることをとおして、自尊心を学ぶ。そしてその自尊心が、何かのことでつまずいたようなとき、子どもの進路を、自動修正する。
 たとえば子どもの名前が、新聞や雑誌に載ったようなときは、それを切り抜いて、高いところに張ったりする。そういう親の姿勢を見て、子どもは、名前のもつ意味を知る。
 心理学の世界では、これを「自己評価力」という。「私はすばらしい」「できる」と信じている子どもには、プラスの力(強化の原理)が働き、ますます前向きに伸びていく。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【子どもの体で考える】
 体重10キロの子どもに缶ジュースを一本与えるということは、体重50キロのおとなが、5本、飲む量に等しい。体重20キロの子どもがソフトクリーム1個食べることは、体重60キロのおとなが、3個、食べる量に等しい。そんな量を子どもに与えておきながら、「どうしてうちの子は、小食なのかしら」は、ない。子どもに与える量は、子どもの体で考える。
 とくに注意したいのが、白砂糖。「砂糖は白い麻薬」ともいう。砂糖を多量に摂取すると、インシュリンが分泌される。血糖値がさがったあとも、さらにインシュリンは、血中に残り、血糖値をさげる。結果として、子どもは低血糖になり、低血糖児特有の症状(イライラしたり、カッとキレやすくなったりする)が現れる。脳の抑制命令が変調するためと考えられている。
 さらに最近の研究によれば、「砂糖断ち」をすると、麻薬に似た禁断症状が現れることもわかってきた(アメリカの国立薬物乱用研究所、N・D・ボルコフ)。使うとしても、精製されていない黒砂糖を使うとよい。
 なお子どもの小食は、母親の買い物習慣を改めないと直らない。しばらくは母親も注意して減らすが、それが過ぎるとまた以前の買い物習慣が顔を出す。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【ペルソナとシャドー】
 だれしも何かの仮面(ペルソナ)をかぶる。ビジネスのときは、とくにそうだ。それはそれでしかたのないこと。大切なことは、それを仮面と意識し、家に帰ったら、それを脱ぐこと。
それを忘れると、本当の自分がどれなのか、それがわからなくなる。
 で、中に、すごく人間味あふれる親を演ずる人がいる。やさしく穏やかで、話し方も温かい。「私、ひとり住まいの老人を見ると、放っておけなくて…」と言っては、ボランティア活動の自慢話を始める。
 が、他人はだませても、自分の子どもはだませない。子どもはうしろから、いつも親を見る。そして親が隠している、邪悪なシャドー(影)を、そのまま引き継いでしまう(ユング)。
 こうしてすばらしい親(?)から、信じられないほど、邪悪な子どもが生まれる。欧米では、牧師による性犯罪が話題にならない日がない。牧師の子どもほど、非行に走りやすいとよく言われる。では、どうするか。
 子どもがそこにいても、いなくても、ルールを守る。ウソはつかない。この2つだけをかたくなに守る。それが10年、20年とつづいたとき、その人の人格になる。またそれを見て、子どもは親を評価するようになる。「私の母は、すばらしい人だった」と。もちろんあなたの子どもも、すばらしい子どもになる。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【心の持病】
 若いときは、何かの持病があっても、それを気力でカバーすることができる。が、歳を取ると、それがドッと表に出てくる。
 同じように、邪悪な「私」も、歳を取ると、それがドッと表に出てくる。いわゆる「地」が出てくる。これがこわい。
 それがよいものであれば、それでよし。そうでなければ、結局はあなた自身が、みなから見放される。
 そこで釈迦は「精進」という言葉を使った。たゆみない努力こそが重要、と。それは健康論に似ている。
 究極の健康法というのはない。1週間もだらければ、その時点から健康は下り坂に向かう。同じように、究極の境地というのはない。1週間もだらければ、その時点から精神は下り坂に向かう。
 さらに人も40歳を過ぎると、脳みその底に穴があいたような状態になる。知識や知恵、経験は容赦なく、そこからこぼれ出て行く。ではどうするか。
 日々に、親は親として、自分を磨く。こぼれ出る以上のものを、補給していく。つまり日々に鍛錬、あるのみ。
 もしあなたが、妬みやすい、いじけやすい、ひがみやすい、意地悪、ウソつき…ということであれば、日々にそれと闘う。あなたの子どもは、それを見て、すばらしい子どもになる。『子は親の背中を見て育つ』というのは、そういう意味。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【タイタニック・シンドローム】
 恋愛こそ、すべて。人生の一大事。恋愛したとたん、何か大偉業でも成し遂げたかのように錯覚する。これを「タイタニック・シンドローム」、つまり恋愛至上主義という。
 今や、結婚についても、親に相談したり、親の許可を求める若者は、まずいない。ある日突然、相手を連れてきて、「結婚します」と。
 まさに問答無用。が、その程度の恋愛なら、そこらのイヌやネコでもしている。恋愛も、脳内ホルモンの作用によって起こることがわかっている。フェニルエチルアミンというホルモンである。賞味期限は、せいぜい3~4年。そのせいか、離婚率もウナギ登り。平成19年度に結婚した人の数が約72万人に対して、離婚した人の数は25万5000人(厚労省)。単純に25万人を72万人で割ってみると、離婚率は、35・4%!
 が、タイタニック・シンドロームも、つまるところ、ドラ娘・ドラ息子症候群のひとつと考えてよい。欲望の趣くまま行動し、理性によるブレーキがきかない。日本の若者…というより、日本人は、飽食とぜいたくの中で自分を見失ってしまった。よい年齢のオバチャンたちが、韓流スターを追いかけ回したりする。そういうことをしながら、みじんも恥じない。
 恋愛至上主義は、亡国への第一歩。強く警戒したい。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【同一性の確立】
 「こうありたい」という自己像。が、そこには現実の自分がいる。この両者が一致した状態を、「同一性の確立」という。思春期最大のテーマである(エリクソン)。
 同一性の確立した子どもは、ものの考え方が前向き、かつ積極的。非行に対しても強い抵抗力を示す。そうでなければ、そうでない。
 が、これは何も子どもだけの問題ではない。退職後の私たちの問題でもある。
 よく誤解されるが、庭いじりと孫の世話。それはけっして老後の理想の姿ではない。退職後であっても、道なき人生を歩む苦しみに、変わりはない。そこで私たちは、(すべきこと)を発見し、そこに自分を統合させていく。これを「統合性の確立」という。
 が、(すべきこと)を発見するのは、むずかしい。それこそ20年単位の準備期間が必要である。そこでエリクソンは、遅くとも人生の正午と言われる40歳ごろから、その準備をせよと教える。
 で、子どもを伸ばす、三種の神器といえば、夢、目的、希望。しかし今、夢のない中学生がふえている。「明日は、きっといいことがある」と思って、一日を終える子どもは、男子30%、女子35%にすぎない(「日本社会子ども学会」、04年)。これでは同一性の確立など、望むべくもない。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【子どもの人格と完成度】(1)
 今、思春期の子どもの心の中では、猛烈な「生的エネルギー」(ユング)が、わき起こっている。
 最近の研究によれば、脳の中の視床下部というところが、どうやらそういった信号の発信源ということがわかってきた(サイエンス誌・08年)。その視床下部からの命令を受けて、ドーパミンという脳間伝達物質が放出される。
 このドーパミンが、脳の中の線条体というところを刺激すると、猛烈な(欲望)となって、その子ども(人)を支配する。ふつうの反応ではない。そうした欲望をコントロールするのが、大脳の前頭前野(理性の中枢部)ということになる。が、「意志の力だけで、こうした衝動を克服するのはむずかしい」(N・D・ボルコフ)。
 もちろん欲望といっても、その内容はさまざま。性欲のほか、食欲、生存欲、物欲、支配欲に始まって、もろもろの快楽追求もその中に含まれる。わかりやすく言えば、脳の中で、どのような受容体が形成されるかによって決まる。たとえばアルコール中毒患者やニコチン中毒患者は、それぞれ別の受容体が形成されることがわかっている。
 では、どうするか? そこでEQ論の登場ということになる。「情動の知能指数」と訳されているが、わかりやすく言えば、「人格の完成度」。(つづく)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【子どもの人格と完成度】(2)
 EQ論では、つぎの3つを重要視する(P.サロベイ)。
(1) 自己管理能力
(2) 良好な対人関係
(3) 他者との良好な共感性
 その中でもとくに重要なのが、自己管理能力。その自己管理能力は、どこまで(1)自分で考え、(2)自分で行動し、(3)自分で責任を取るかによって決まる。
 親の過干渉、過関心が度を越せば、子どもは自分で考えられなくなる。非常識な行動をする。
 親の過保護が度を越せば、自分で行動できなくなる。いわゆる「温室育ち」になる。
 また親の溺愛が度を越せば、依存性、服従性が強くなり、その分だけ、行動に責任を取らなくなる。
(A)小遣いを手にしたとき、将来の自分の夢を達成するために、それを貯金に回す。あるいはささいなことでもルールを守り、約束を守る。疲れていても、家事の手伝いなど、やるべきことは、きちんとやる。
(B)小遣いを手にしても、そのときどきに欲しいものがあると、使ってしまう。家庭の中でもルールなど、あってないようなもの。約束を守るということは、まずない。「疲れている」「やりたくない」という言葉をよく使い、家事を手伝わない。
 (A)のようであれば、あなたは自分の子どもを、「すばらしい子ども」と自信をもってよい。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【許して、忘れる】
 親の愛にも3種類、ある。まず本能的な愛。親は子どもがかわいいしぐさをして見せると、いたたまれない気持ちになる。
 つぎに代償的愛。子どもを自分の支配下の置き、自分の思い通りにしたいと願う。一見、愛だが、愛ではない。よい例が子どもの受験競争に奔走する親。
 3つ目が、真の愛。その真の愛の深さは、どこまで子どもを許して忘れるかで、決まる。英語では、『for・give & for・get 』という。
 この単語をよく見ると、「与えるために、許し、得るために忘れる」とも訳せる。(forgive= 許す、 forget=忘れる。「フォ・ギブは、与えるため」、「フォ・ゲッは、得るため」とも訳せる。)
子どもに愛を与えるために、親は許し、子どもから愛を得るために、親は忘れるということになる。
 子育てをしていて、袋小路に入り、行きづまりを覚えたら、この言葉を思い出してほしい。心が軽くなるはずである。
 ただし一言。「許して、忘れる」は、相手に対してはできる。しかし自分に対しては、できない。たとえば親バカ。必要以上のことをしてしまい、子どもがドラ息子、ドラ娘になったとき、親は、深い悔恨の念に襲われる。
そういうとき、親は、自分を許し、忘れることはできない。悶々とした罪の意識を背負って生きる。そのためにも、親自身も、日々に努力し、賢くなる。


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司


【袋小路の3原則】
 ときとして親は、袋小路に入る。そういうときの3原則。
(1)子どもの横を歩く
 親には、三つの役目がある。ガイドとして、前を歩く。プロテクター(保護者)として、うしろを歩く。そして友として、子どもの横を歩く。
(2)ほどよい親である
 やりすぎない。子どもが求めてきたら、与えどきと考えて、そのときは、ていねいに答えてやる。昔から『肥料のやりすぎは、根を枯らす』という。
 いつも、「子どもがそれを求めているか」ということを、自分に問いかけながら、子どもに対処するとよい。手のかけすぎ、サービス過剰は、かえって、子ども自身が自ら伸びていく芽をつんでしまうことになる。
●暖かい無視
 親の過剰期待、過関心、過干渉ほど、子どもの負担になるものはない。「まあ、うちの子は、こんなもの。親が親だから…」という割りきりが、子どもを伸ばす。
 親は、いつも子どもから一歩退いた位置で、子どもを見守る。野生動物保護団体には、『暖かい無視』という言葉がある。その言葉は、そのまま、子育てにも当てはまる。
 ちょっと心配のしすぎかな? 手のかけすぎかな? と、感じたら、心のどこかで、暖かい無視を思い浮かべる。子どもを暖かい愛情で包みながら、無視する。


Hiroshi Hayashi++++++Sep. 2011++++++はやし浩司・林浩司