2012年10月7日日曜日

There's only one religion in the world

(58)宗教の謎(Mystery of Religions) 「世界はひとつの宗教で結ばれている」 When seen far from the Space, there is no difference between Christianity, Islam and Buddhism. This is the theme of this Video. 遠い宇宙から見ると、キリスト教もイスラム教も仏教も、何もちがわない。それを私はこのビデオを通して、みなさんにお伝えしたい。 2012年10月07日 http://youtu.be/KTXo4-GLCfI (Mystery of Religions 宗教の謎 Christianity Buddhism Islam Mystery of Painting in Bulgaria Aliens' Map of the World 世界は一つ 謎のルート 謎の宗教 はやし浩司 Hiroshi Hayashi Hamamatsu Japan UFO & Christianity and Islam Mysteries of Ancient Civilizations Ancient religions 宗教 世界の宗教) Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2012++++++はやし浩司・林浩司 【宇宙人的視点】byはやし浩司(2012-10-05) ●宇宙人(異星人)  宇宙人はいるかいないかということになれば、いるに決まっている。 遠い宇宙の果ての話ではない。 この地球に、いる。 この地球のどこかに、いる。 でないというのなら、私とワイフがあの夜見たUFOは、何だったのかということになる。 見たものは、見た。 たったそれだけのことだが、この日本では、それを口外することすら、タブー視されている。 科学や教育の世界においては、なおさらである。 ●国  その異星人。 異星人と言うより、異星人的視点。 ときには、そういう視点をもつことは、重要である。 ものの考え方が、一変する。 たとえば、この3か月、私は古代遺跡について調べている。 1000年とか、2000年前の遺跡。 ときには、数万年前の遺跡もある(?)。  そういうのを調べていると、「国」の概念が、吹っ飛んでしまう。 「ペルーの遺跡」といっても、現在、たまたまペルーに、それがあるにすぎない。 ペルーだのボリビアだのと言っている方が、おかしい。 ●学者の常識  それに今回、こんなことにも気づいた。 それぞれの遺跡には、専門家なる人たちがいる。 へばりついている(失礼!) それはそれで納得できるが、その説明が、へん。 おかしい。  ただの標識(例:三叉の大燭台)であるにもかかわらず、あれこれと意味づけをする。 その意味づけが、無理。 ナスカ平原の直線にしても、そうだ。 統一的な見解としては、冬至や夏至のときの太陽の方向を示す線と説明されている。  バカめ! どこのだれが、たったそれだけのために、幅20メートル、長さ10キロもの線を引くか! しかもその線というのは、飛行機に乗ってはじめて、わかる。 「ものごとは、常識で考えろ」という言葉がある。 そう、その常識がない。 その常識が通じない。 (もっとも彼らに言わせれば、私のほうが非常識ということになるが……。) ●自己否定  宇宙人の存在を認める。 UFOの存在を認める。 ……といっても、それは簡単なことではない。 それを認めたら、学者たちは、自己否定の世界に陥ってしまう。 「今まで、私は何をしてきたのか?」と。  だから私のような者の意見を聞いても、一方的に排斥する。 聞く耳、まったく、そこにあらず。 私たちにしても、発表する場もない。 だから直接、YOUTUBEを使い、世界に向け、情報を発信する。  あとの判断は、それぞれの読者の人たちに任せる。 無責任な言い方に聞こえるかもしれないが、あとのことは、私の知ったことではない。 ●無断流用、禁止  ビデオごとに、「無断転用、流用、盗作、禁止」の文言を入れている。 とても残念なことだが、この世界、つまりインターネットの世界では、「パクリ」は、日常茶飯事。 中には、1000ページ近くも、私の原稿を盗作した人もいた。 (この話は、本当だぞ! 「はやし浩司」の名前だけを、きれいに消し、自分の文章として発表していた。 さらにN県警本部のHPでは、私の原稿を20~30作、盗作していた。 N県という、県警本部、だぞ! 私の書いた文章を、前後、切ったり、くっつけたりしてあった。 悪質!)  だから今、しつこいほど、「禁止」の言葉を並べている。 ●ビデオ  文章の世界と、ビデオの世界は、まったく、ちがう。 どうちがうかは、改めて書くまでもない。 たとえばここまで書くのに、30分もかからなかった。 一方、ビデオのほうは、10分前後の動画を作るのに、2~3時間はかかる。 ばあいによっては、3~4時間もかかる。 「どうして?」と思う人もいるかもしれないが、ビデオというのは、そういうもの。  加えて、私のしていることは、謎解き。 そのつど謎を解き始めると、そこで作業は休止する。 あちこちを調べながら、作る。 余計に時間がかかる。 が、それだけに作業が終わったときの解放感には、格別なものがある。 ●古代のハブ空港  異星人的視野の話に戻る。  謎解きで大切なことは、異星人の気持ちになりきること。 「異星人なら、どうするだろうか」と。 「どのように行動するだろうか」でもよい。 点と線をつなぐときは、「どのルートを通るだろうか」でもよい。 そう考えたとたん、それまでわからなかった謎が解けたりする。  たとえば……。  古代のパイロットたちは、メキシコのテオティワカンを、ハブ空港にしていた。 道に迷ったら、そんなわけでテオティワカンに戻ればよい。 そこを出発点にして、ものを考えればよい。 航路は、そのあと自然に浮かんでくる。 ●異星人vs人間    私の印象としては、異星人は、数学と土木には、きわめて長(た)けた人たちだなということ。 いたるところで、決まった数字が浮かんでくる。 たとえば重要拠点を指し示すときは、120度。 つぎに60度。 30度、90度というのも、多い。 加えて、土木に関しては、すぐれた技術をもっていた。 数10トンもの岩石を、サッサと切り刻み、それを好きなところに運んでいく。 またそういうふうに理解しないと、現在の遺跡は遺跡として、謎のままで終わってしまう。  一方、そういう異星人を前にした人間の気持ちもよく理解できる。 たとえばギザ周辺のピラミッド。 あれなどは、こう考えると、謎が氷解する。 つまりそのときどきの王たちは、ピラミッドを建設することによって、忠誠心を示した。 もちろん異星人に対して、である。 「私はこれだけ、あなたの熱心なファンです。 ですから、どうか永遠の命を、私にください」と。  だからその後に、彼らが作ったピラミッドは、チャチなものばかり。 途中で崩れたり、地盤沈下で形を失ったり……。 あるいは王の中には、(日本の仁徳天皇もその1人だったかもしれないが)、それまであったピラミッドを、あたかも自分が建設したものであるかのしてしまったのもいる。 もちろん権威づけのために、である。 ●サル  が、一部の例外をのぞき、異星人は、人間など相手にしない。 相手にするわけながない。 人間が、山の中の野生のサルを相手にしないのと同じ。 多少、親しくなることはあるかもしれない。 が、そこまで。  あんなサルたちに、警官がもっているようなピストルを渡したら、どうなる? それこそたいへんなことになる。  今回も「謎の点と線」を調べていて、それに気づいた。 異星人たちは、人間に、ある程度のところまでは協力する。 教える。 が、そこまで。 が、その限度をしっかりとわきまえている。 たとえば岩石を切り刻み、それを運んだのは異星人かもしれない。 しかし人間には、その技術を与えなかった。 教えなかった。  ついでながら、人間は異星人の奴隷だったという説もある。 ●異星人  では、私はなぜ、調べているか。 理由は、最初から今に至るまで、ただひとつ。 あの夜、ワイフと見たUFOの正体を知りたい。 それだけ。 それ以上のことは、何も考えていない。  宇宙人なら、宇宙人でよい。 (最近は異星人という言葉をよく使うが……。) 「あれは私たちの乗り物でした」とでも言ってくれれば、それでよい。 それを言ってくれないから、私は自分で調べる。 調べるしかない。 「安心して死ねる」とまではいかないが、それで私の心の中はすっきりする。 ●周囲科学  が、人間というのは、おかしな生き物だ。 見たこともない神や仏の存在は信ずる。 が、その一方で、そこにあっても、それを信じない。 信じようとしない。 ナスカ平原の直線にしても、そうだ。  でこぼこの平原に、直線を引く。 幅20メートル、長さ10キロ。 空から見れば、真直線。 そんな線もある。 が、そんな線でも、「私たちの祖先が描いた」と言い張る。  ……先日も、YOUTUBEでエジプトの観光案内を見ていた。 観光バスの中での様子だった。 そのバスの中で、ガイドが、実に誇らしげにこう言っていた。 「あのピラミッドは、~~王のものです」と。  バカめ!  エジプトの人たちには悪いが、エジプト人というより、人間にあんなものを作る能力はない。 今も、ない。 作っても意味がない。  ひとつの科学(土木工学でもよいが……)が、発達するためには、背景、つまり周囲科学が必要である。 学校があったり、それを支える教育制度があったり……。 何も天文学だけが、学問ではない。 周囲科学が熟成し、その結果として、ピラミッドが生まれる。 が、そういうものがまったくないまま、いきなりピラミッド!  同じことが、ほかの遺跡についても言える。 学者たちは、「高度な天文観測所」などと言って、説明したりする。  バカめ!  どこのだれが、たかが冬至や夏至の日を知りたくて、山の上に巨石まで運び、観測所など作るものか。 そんなことなら、庭先で、できる。 いくつかの小石を並べても、できる。 ●キリスト  あのイエス・キリストは、晩年をこの日本で過ごしたそうだ。 処刑されたのは、弟のほうだったという。 この2行を読んだだけでも、あきれる人は多いかと思う。 実は、私も、そうだった。  が、今回、「謎の点と線」を調べているうちに、私はこう考えるようになった。 「それもありえない話ではないなあ……」と。 この地球を、謎の点と線でつないでいくと、エルサレム→ギザ→北極→ジャパン・ラインとつながっていく。 (実際、つながってしまったが……。) 彼らの乗り物にすれば、数分以内の距離にちがいない。 ●距離と方向  で、気がついたことが、いくつか、ある。 (実際には、山のようにある。) そのひとつ。  異星人たちは、「距離」については、まったくと言ってよいほど、気にしていない。 その一方で、「方向(角度)」については、異常なまでに神経をつかっている。 また方向といっても、人間が使っているような、縦線(経度)、横線(緯度)で表すような方向ではない。 先にも書いたように、30度とか、60度、120度……という角度である。 このことから私は、異星人たちは、地球を正三角形、もしくは正六角形で分断した地図を使っていると推察した。 最終的には、正20面体を、想像した。 事実、その形に沿って、遺跡が並んでいたりする。  では、なぜ距離については、ほとんど気にしていないか……? 理由など、ここに改めて書くまでもない。 距離など問題にならない……というような乗り物に乗っている。 瞬時に1000キロ、2000キロを飛んでいく。  が、私たち人間は、距離を気にする。 方向よりも、距離。 「ここから○○町までは、~~キロ」とは言うが、「○○町は、北極線に対して、30度のところ」とは言わない。 ●敦賀市(つるがし)  話はそれるが、こんな経験をした。  岐阜市に住んでいる人なら、みな、そう感じているだろう。 が、あの敦賀原発のある敦賀市は、遠いところにある。 電車で行けば、一度米原で乗り換え、そこから北陸線に入る。 敦賀はその先にある。 しかもほとんどの人にとって、北陸というだけで、縁が薄い。  が、実際に調べてみると、岐阜市から敦賀までは、直線距離にして、たったの69キロ! 山をぐるりと回るから遠く感ずるが、たったの69キロ。 車で言えば、1時間の距離。 もし敦賀原発が事故を起こしたら、岐阜市も避難勧告地域になる。 「遠い」「近い」という感覚ほど、あてにならないものはない? ……というふうにして、「感覚」というのは、作られていく。 ●ノルマ  今回の「謎の点と線」では、ひとつ心がけていることがある。 そのひとつが、「毎日、1作」。 毎日1作ずつ、ビデオを発表していく。 またそうでもしないと、どうしても心が怠(なま)ける。  航海で言うなら、小さなヨットで大海へ乗り出したようなもの。 孤立無援。 前例もない。 だれも私にそれを望んでいない。 応援してくれる人さえ、いない。 まったくの未知の世界。  だからこそ、自分の脳みそにムチを打つ必要がある。 それにもうひとつ。  日々に体力、知力の衰えを感ずる。 ときに「明日は、ちゃんとものが見えるだろうか」と思うことさえある。 そういった自分とも闘わねばならない。 つまり「時間がない」。  そのためにも、「1日1作」。 今のところ、そのノルマは、果たしている。 と、同時に、その緊張感が、楽しい。 ●カルナック  今日(10月06日)は、フランスのカルナック(Carnac)の列石について調べた。 ……というほど、大げさなものではない。 簡単に線でつながった。  で、謎は、なぜ異星人たちは、あんなものを作ったかということ。 あちこちのサイトをのぞくと、「~~博士説」「~~博士説」という言葉が目に入る。  バカめ!  あんなのは、UFOの、ただの着陸台。 UFOには、飛行機のような着陸装置(着陸ギア)がない。 (直陸装置のあるものも、あるらしいが……。) そのままどこかの台の上に着陸する。  だから下に空間のある台が必要ということになる。 その台が、石。 (小船などは陸上では、似たような方法で、格納しているぞ!)  私の印象では、ある時期、多数のUFOがあの地帯に着陸したらしい。 そのために石を、あのように3000個近くも並べておく必要があった。 ……とまあ、そういうふうに考えれば、列石といっても、謎でもなんでもない。  ものごとは、常識で考えたらよい。 ●タブー  で、今日は、もう少し、フランスについて調べてみたい。 今日で、2回目。 が、タブーの地もある。 ルルドである。    私には、宗教を冒涜する意図はない。 (一方、UFOを超常現象ととらえ、カルト化している人も多いが……。) そこに敬虔な信仰者がいるなら、そういう人たちは人たちでそっとしておいてやる。 これはこういう謎解きをする人間の、最低限のマナーのようなもの。)  が、古代の異星人というと、どうしても古代の神々とつながってしまう。 たとえば釈迦にしても、キリストにしても、すでにつながってしまった。 (だからといって、釈迦やキリストを否定しているのではない。 どうか誤解のないように。)  ともかくも、こうした点については、どうしても慎重にならざるをえない。 とは言っても、そのルルドも、簡単に線でつながってしまった。 2つの遺跡を線でつないだら、その途中で、真直線でつながってしまった。 ●ダイナブック・R542  ところで数日前、新しいパソコンを買った。 TOSHIBAのダイナブック、R542。 現在使っている、R631の姉妹機。 ともにウルトラブック。 今、そのパソコンを使い、この文章を叩いている。 久しぶりの原稿である。  「たまには原稿も……」ということで、この原稿を叩いている。 原稿も、こうして日々に鍛えなければ、すぐサビつく。 書けなくなる。 ……ということで、今、ここまでの文章を読みなおしてみた。  どうかな? つまり腕はだいじょうぶかな? 鈍っていないかな? その判断は読者のみなさんに任すとして、今のところ好調。 こうしてパソコンをいじっていると、何とも言えない喜びを感ずる。 先ほどワイフに、「今夜はどこかのホテルに泊まろうか?」と声をかけた。 今夜はどこかのホテルで一晩中、こうしてパソコンを叩いていたい。  R542は、横長の14・1インチの、ノートパソコン。 横長だけに、縦の文字数(行数)が少なくなるが、それをのぞけば、まったく問題はない。 というか、高級感がズシリと指の先からも伝わってくる。 ●山荘で  今夜は、山荘で過ごすことにした。 私とワイフは、「大村屋コース」と呼んでいる。 途中に、大村屋という和食レストランがある。 このあたりでは、最高の和食を、驚くような低価格で出してくれる。 量も多い。 お勧めは、刺身定食。  そこで夕食をとり、山荘に泊まれば、旅館で一泊したような気分になれる。 だから「大村屋コース」。 西区庄内町。 「大むら屋」というのが、正式の名前。 いつ行っても、客がごった返している。 ●レストラン経営  レストランというのは、安くておいしければ、はやる。 そうでなければそうでない。 「高いな……」「まずいな……」と客が思ったとたん、そのレストランは、左前になる。 が、それだけではない。 客というのは、浮気者。 何回か通ううちに、味にあきる。 いくらおいしくても、あきる。 あきたとたん、別のレストランをさが始める。 だから努力、あるのみ。 つまり、それだけに、経営はきびしい。  大村屋へ行くたびに、こう感心する。 「よく、ここまでやるなあ」と。   今、その大村屋に向かっている。 お目当ては、刺身定食。 ●山荘にて  明日はこの村の、収穫祭。 近くの神社で餅まきがある。 その餅を拾う。  時刻は午後10時34分。 先ほどまでビデオを観ていた。 で、今、風呂から出たところ。 「寒いかな?」と思っていたが、扇風機の風が心地よい。 何としても、今夜中に、20ページは、書きたい。 (現在、12ページ。) 扇風機の風を感じながら、気合いを入れる。  ……ワイフは、横で髪の毛を乾かしている。 のどかなひと時。 平和なひと時。 ●書くべきこと  ふと今、書きたいことが途切れた。 が、ないわけではない。 ありすぎる。 ただ、もうどうでもよくなってしまった。 経済問題、政治問題、教育問題などなど。 何か、もっと大切なことがあるように感ずる。 大切な、何か。 残された時間を、無駄に使いたくない。 そのために、私はもっと別のことを書かねばならない。  今までがんばって書いてきたから、つづきは、後輩たちに任せればよい。 私は私で、つぎの道を模索する。 ア~ア……。  そこにあるはずなのに、その姿が見えない。 書きたいことがあるはずなのに、それが形となって、現れてこない。 このもどかしさ。 このはがゆさ。 ●山場  「謎の点と線」のビデオ作りも、山場を迎えた。 「山場」というのは、山場。 つまり異星人たちの意図や、目的が、おぼろげながら、わかるようになってきた。 最終的には、彼らの居場所も、わかるだろう。 すでに、その手掛かりは、いくつか、得た。 ……というか、怪しげな場所は、数か所、見つけた。  最終的には、今度の謎解きは、そこまで行く。 また行かないと、読者のみなさんも、満足しないだろう。 方法は、こうだ。  異星人の残したものを、大きく分類すると、(1)人間用と、(2)自分たち用(異星人用)に分けることができる。 人間の生活臭のある遺跡は、(1)の人間用ということになる。 一方、人間には、まったく意味のないものも、ある。 意味のわからない地上絵などが、それである。 が、その地上絵のほうに、実は、秘密が隠されている。 暗号と言ってもよい。 その暗号を解く。  たとえばA点とB点に、何かの地上絵やモニュメントがあったとする。 C点とD点にもあったとする。 そこでA点とB点、C点とD点を線で結んでみる。  こういうばあい、たいてい何かの規則性をもって、線が交わることが多い。 たとえば90度(直角)に交わる、など。 その交点が、あやしい。 そこに何かがある。 つまりこうして、私はその手掛かりを、得る。 (いいのかなあ……。こんなことまで話してしまって!) ●火山が基地?  つでに……。  その交点には、たいていどういうわけか、火山がある。 活火山のこともあるし、休火山のこともある。 最初は、「?」と思い、見過ごしてしまった。 しかしそれが、2つ、3つとつづくと、「まさか……」という思いが、「ひょっとしたら……」という思いに変わった。 これには、理由がある。  ある青年(30歳くらい)が、こんな話をしてくれた。 友人、5~6人といっしょに、九州の阿蘇山に登ったのだそうだ。 そのときのこと。 ●火口  明らかにUFOと思われる物体が、上空からやってきて、阿蘇山の火口の中につぎつぎと消えていったそうだ。  この話をしてくれたのは、友人の長男氏である。 信用のできる人である。 また私とワイフは、その長男氏から、その話を直接、聞くことができた。  で、聞いた直後は、「まさか!」と絶句。 いくらなんでも、火山の中?! が、ありえない話ではない。 火山の中には、人間は入ってこない。 この地球上で、もっとも安全に身を隠すことができる場所といえば、火山。 ●基準点  また今回「謎の点と線」を考えているとき、いくつかの基準点を発見することができた。 重要なのは、2つある。 イースター島→ギザ→プレア・ビヒア→……を結ぶ線と、赤道との交点である。 (この基準点が発見できたのは、ラッキーだった。 それまでバラバラだった点と線が、そこを中心に放射線状につながった。)  2つを、私は「クロス・ポイント(東)」と、「クロス・ポイント(西)」と名づけた。 この交点を基準にして、四方八方へと、線が散る。 その先に、遺跡が並ぶ。 が、この交点は、ギリギリ、陸(島)のそばにあるが、2つとも、海上にある。 何かの標識があるわけではない。 遺跡があるわけでもない。  おそらく異星人たちは、その交点に何かのしかけをしているはず。 そこが基準点とわかるように、だ。 ひょっとしたら、人間が使っている電波のようなものを出しているのかもしれない。 あるいは、磁場の変化を起こしているのかもしれない。 人間にはわからないが、彼らにはわかる。 そんなしかけをしているはず。 ●超常現象  ただたいへん残念なことは、この日本では、UFOを真顔で論ずると、変人扱いを受けるということ。 (実際、私は、変人かもしれないが……。) しかしUFO問題は、けっして超常現象ではない。 どこかのオバちゃんが、「あなたの背中に、ヘビの霊がまとわりついている」と言うのとは、基本的な部分で、わけがちがう。 UFO問題は、科学の分野で論じられるべき問題である。 現実の問題として、論じられるべきである。  いくらあなたが否定しても、ナスカの地上絵は、厳然とそこに存在する。 これは現実である。 「超常」ではない。 現実である。 ●UFO  が、敵もサルもの……。 なかなかシッポをつかませない。 目撃したことはあるという人は多い。 写真やビデオに撮った人も多い。 ……というか、そこまで。 それ以上の証拠を、残さない。  彼らには彼らなりの理由があるのだろう。 それは私にもわからないが、しかし追い詰めることはできる。 追い詰めて、叩き出すことはできる。 ……というのは、少し過激な意見だが、しかし私に残された時間も少ない。 私も急がなければならない。  もっとも今、ここで異星人たちが姿を現したら、世界中がひっくり返ってしまう。 宗教もめちゃめちゃになってしまう。 同時に秩序が、崩壊する。 つまり異星人たちも、それを恐れているのではないか。 ●最終戦争  が、さらに深刻な問題もある。 これはホーキング博士の説だが、ひとつの惑星に、2種類の知的生物は同居できないそうだ。 たがいに覇権を競いあい、最終的には、どちらか一方が抹殺される。 言い換えると、人間は、異星人とは同居できない。 異星人にしても、人間とは同居できない。 力関係が、はっきりとしている間はよい。 が、その力関係がきっ抗してくると、最終戦争が始まる。  ……もしそうなれば、残念ながら、人間には勝ち目はない。 ●敵  人間の最大の敵は、釈迦も説いているように、私たち人間内部に(いる)。 「欲望」という名前の敵である。 この欲望が、曲者。 どこかの国の独裁者を見れば、それがわかるはず。 ひとつの国と、すべての人たちを、手に入れてもまだ満足しない。 またそのためには、手段も選ばない。  そこで道徳だ、哲学だ、宗教だ……となる。 が、ゲーテやシラーを生んだドイツですら、そのあとユダヤ人の大量虐殺を引き起こしている。 日本も似たようなことをした。  つまり人間の最大の敵はここにある。 欠陥と言い換えてもよい。 この欠陥を、どう補正していくか。 それができれば、それでよし。 そうでなければ、そうでない。 異星人たちは、そういう人間を許さないだろう。 つまりそういう人間が、地球を離れ、宇宙へ進出してくることを、許さないだろう。 人間のような生物が宇宙へ出てきたら、それこそ今度は、自分たち自身の生存が脅(おびや)かされる。 ●異星人の意図  異星人たちはどういう意図をもって、人間と接してきたか? が、残念ながら、これについては、私にもわからない。 わからないというより、そのときどきによって、異星人たちのほうも、変化している。 人間の味方なのか。 敵なのか。 それすらも、よくわからない。  今回も「点と線」を調べているときも、それは強く感じた。 あるところでは、たいへん友好的。 が、別のあるところでは、たいへん敵対的。 今日もフランスの遺跡を調べているときも、そうだ。  フランスの西端に、バルヌレ(Barnenez)の石塚と呼ばれる遺跡がある。 その遺跡は、ルルド、ポンペイと真一直線でつながっている。 ルルドといえば、キリスト教の聖地。 ポンペイといえば、火山で死滅した都市。  あのモヘンジョダロにしても、そうだ。 モヘンジョダロとカッパドキアは、密接に結びついている。 モヘンジョダロは、核攻撃で滅んだと言われている。 カッパドキアは、核シェルター都市と言われている。 一方で人間を滅ぼすようなことをしながら、他方で人間を助けるようなことをしている。 異星人たちの意図が、私にはよくわからない! ●笑いたければ笑え  ともかくも、笑いたければ笑えばよい。 「あのはやし浩司は、昔から頭がおかしかった」と。 しかし最終的に本当に笑うのは、どちらか? つまりそれを証明するために、私は、こうして「謎の点と線」を調べている。 が、今のところ、どうも私のほうが、勝ちそうな気配が濃厚である。 調べれば調べるほど、そうなのだから、どうしようもない。  たとえば数日前も、ナスカ平原の直線について調べた。 そのときのこと。 7~8か所の遺跡から、ナスカ平原へ直線を引いてみた。 が、すべて、ビンゴー! 例外なく、その遺跡を直線的に示す、直線があることがわかった。  (こう書くと、「当然」と考える人もいるかもしれない。 ナスカ平原には、無数と言ってよいほど、多くの直線が入り乱れている。 「どこから引いても、1本や2本は、あるはず」と。 が、実際には、ランダムに引いた線だと、ぴたりと一致するということは、まず、ない。 直線というのは、そういうもの。 私の説を疑う人は、自分で確かめてみたらよい。 ちなみに、私が「大十字架」と呼んでいる、ナスカの十字架は、縦線はズバリ、テオティワカン。 横線はズバリ、エジプトの古代文明あたり(ギザの南)を指している。  「偶然」という言葉で、処理できるような事実ではない! ●アクセス数  ところで、YOUTUBEへのアクセス数について。  よくアクセス数が話題になる。 ビデオによっては、数百万件とか、中には数千万件というものがある。 しかし私のは、数百件とか、その程度。  それについて、ある高校生がこう教えてくれた。 「先生、YOUTUBEのばあいはね、最初から最後まで見終わったばあいのみ、1件としてカウントされるんだよ」と。  ナルホド。 それで納得。 途中まで見た人は、カウントされない。  で、私のビデオのばあいは、短くても20分前後。 長いのになると、1時間前後。 最後まで見てくれる人は、その分だけ、少ない。 アクセス数をふやそうと思えば、短いビデオにする。 長くても、数分程度。 1~2分ものなら、さらによい。 ●カルト  前にも書いたが、こうした話、つまり私のしていることは、どこかでカルト(狂信的信仰団体)とつながりやすい。 それには警戒している。 現に今、(とくに夏場になると多くなるが)、あちこちの山の上で、UFO乞いの儀式を繰り返している団体がある。 (総じてみれば、宗教という宗教には、そういった側面は、みなあるが……。)  で、それについても、ときどき考える。 つまり「UFO乞いの儀式」。 が、残念ながら、そんなことで、UFOは、姿など現さない。 「念力」という言葉を使う人もいる。 「念力を使えば、UFOを呼ぶこともできる」と。  ……しかし今回、こうして「謎の点と線」を調べてみて、異星人たちの限界も知ることができた。 30度、60度、90度、120度……と。 角度を決めているのも、それ。 異星人たちは異星人たちなりに、地球をわかりやすく設計している。 その(わかりやすくしている部分)が、ここでいう「限界」ということになる。  ……ともかくも、カルトには、じゅうぶん、警戒したらよい。 ●証明  要するに私がしていることは、異星人の存在の証明。 それを数学的に、している。  今のところ反感をもった人からの反応は、ゼロ。 反対に、アメリカ人の科学者からは、こんなメールも届いた。 「数学者の同僚といっしょに、君の意見を分析している」と。  少しずつだが、反響が広がりつつある。 それが実感として、自分でも、よくわかる。 何しろ、この世界では、こんなことを書いているのは、私、ただひとり。 前例もない。 つまりパイオニア。 前人未到の大原野を、ただひとりで、先頭を歩いている!  ……ということで、予定の20ページになったので、今夜は、ここまで。 ワイフは、すでに床に入った。 私も眠い。  最後にもう一度。 私を笑いたければ、笑え。 私は、そんなことでへこたれるような、ヤワな人間ではない。 見たものは見た。 だれが何と言おうとも、見たものは見た。 それが今、私を支える原動力となっている。 ハハハハ。  では、おやすみ。 ダイナブック・R542は、本当によいパソコンだ。 あっという間に、20ページ、書いたぞ。 2012年10月06日夜記 (補記) ●謎の絵画  まず、この絵画を見てほしい。 「中世に描かれた絵画」ということになっている。 が、「中世」とはいつか?  この絵画で注目すべき点は、いくつかある。 (1) 無数のUFOが描かれていること。 (2) キリスト(神)らしき人物が、女性とつりがね型の飛行物体に乗っていること。 (3) 地上では、人々が、何かの儀式をしていること。 (4) 地面に描かれた、白いオブジェは、何かということ。  (1)と(2)はわかりやすい。 問題は、(3)。 ここに集まった人たちは、空を見上げることもなく、何かの儀式をしている。 で、問題は、中央の人間。 きわめて特徴的な帽子をかぶっている。 丸く、細長い。 この人物だけが、白い手袋をはめているようにも見える。 この人物は、いったい、だれなのか。 どういう身分の人なのか。   Hiroshi Hayashi+++++++Oct. 2012++++++はやし浩司・林浩司

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