【北朝鮮による哨戒艦爆破事件】
●朝鮮半島(2010年5月22日夜)
少し前、韓国の哨戒艦が、北朝鮮の魚雷によって攻撃され、沈没した。
50名前後の若い兵士の命が奪われた。
この攻撃について、最初からどこの国が哨戒艦を攻撃したか、わかっていた。
わかりすぎるほど、わかっていた。
しかし相手を名指しするには、それなりの儀式が必要だった。
何しろその相手というのは、北朝鮮。
あの北朝鮮。
ふつうの論理の通ずる国ではない。
……と書いたところで、自然と筆が止まる。
「ふつうの論理」と書いたが、では「ふつうの論理」とは何か?
それがよくわからない。
私たちが「ふつうの論理」というときは、私たちを基準にした論理をいう。
その基準は、人によってみなちがう。
国や民族がちがえば、なおさら。
日本の論理は、けっして世界の論理ではない。
となると「ふつうの論理」とは、何か?
●北朝鮮の立場で
少しだけ、北朝鮮の立場になって考えてみよう。
(だからといって、北朝鮮を擁護するつもりは、まったくない。
ないが、「ふつうの論理」とは何か、それを考えるには、この問題は、よいテーマである。)
彼らの論理は、(在日の朝鮮人にしても、韓国のノ前大統領にしてもそうだが)、「自分たちは、あの戦争の犠牲者だった」ということを大前提にして成り立っている。
それが、すべての始まり。
日本の植民地になった。
やりたくもない戦争に巻き込まれた。
日本が敗れ、やっと平和になったと思った直後、今度は、アメリカとソ連の代理戦争をさせられた。
その結果として、多くの民が犠牲になり、国を2つに分断された。
「だから悪いのは日本だ、アメリカだ」となる。
が、北朝鮮には、もうひとつ別の論理が働く。
●何をしても裏目
韓国は戦後、日本の戦後補償金を得て、「漢江の奇跡」を成し遂げた。
今に見る経済大国になった。
が、一方北朝鮮は、何をしても裏目、裏目、また裏目。
今では世界の中でも、最貧国。
1990年代の後半には、数百万人の餓死者が出たとも言われている。
つまりここで北朝鮮には、別の論理が働くようになった。
「オレたちが貧しいのは、お前たちが富を独占するからだ」、
「同じ人間なのに、給料にしても、なぜこうまでちがうのか」、
「働いても働いても、生活は一向によくならない」と。
挫折感と劣等感、嫉妬と被害妄想。
これらが混在して、つぎの「論理」へとつながっていく。
「まちがっているのは、我々ではない。
世界がまちがっているのだ」と。
これを「貧者の論理」という。
●ひもじさ
こうした貧者の論理なるものを、今の若い人たちに説いても理解できないだろう。
生まれたときから、日本は今の日本だった。
言いかえると、今の若い人たちは、「貧しさ」そのものを知らない。
今では「ひもじい」という日本語すら、死語になっている。
が、私たちの世代はそれを知っている。
たとえば私たちが小学2~3年生のころ、バヤリース・オレンジというジュースが日本へ入ってきた。
「♪バ、バ、バヤリース……」というあのコマーシャルソングが、毎日のようにテレビで流された。
今でもよく覚えている。
そのジュースが、菓子屋の、一番奥の棚の、一番高いところに、5~6本並んでいた。
私たちは店先でラムネを買いながら、「あんな高いものをだれが飲むのだろう?」と思った。
値段は、一本、100円。
ラムネは一本、10円か15円だった(ラムネの値段は、記憶によるので、不正確)。
その場で飲んで、ビンを返した。
ビンを返すと、たしか5円を戻ってきた。
それで一日の小遣いは、消えた。
そういう時代の、100円である。
もっともだからといって、私たちが卑屈になったわけではない。
ただ私は、こう思った。
「アメリカって、すごい国だなあ」ということ。
「毎日、あんなすごいものを飲んでいる!」と。
●日本の高度成長期
が、そのあと日本は、世界の歴史の中でも類をみないほどの、経済発展を遂げた。
私たちが「矛盾」が露呈する前に、日本はアメリカに追いついていった。
私が商社へ入社したころ、1ドルは360円(固定相場制)。
商社にいるとき、1ドルが305円になった(1971年)。
その後、日本の「円(えん)」は、急速に力をつけていった。
日本は力を蓄え、同時に、覇者として世界に躍り出た。
が、もし日本があの当時のままだったとしたら……。
今でも棚の上のバヤリース・オレンジをながめながら、ラムネを飲んでいるとしたら……。
私たちははたして、矛盾を感じないまま、日々を過ごせるだろうか。
しかももし、世界の労働者の賃金が平等なら、まだ納得できる。
日本人が1時間働いた賃金と、アメリカ人が1時間働いた賃金が同じなら、納得できる。
しかし現実には、そうではない。
そうでないから、矛盾を覚える。
●2つの論理
言うなれば、北朝鮮の論理は、その「矛盾」を原点にしている。
その矛盾を肥大化させ、妄想に妄想を重ね、その上で、自分たちの独裁制を正当化している。
つまりここで私たちは、彼らの論理を2つに分けなければならない。
ひとつは、(戦争の犠牲となった民族が覚える矛盾)。
もうひとつは、(独裁政治そのものがもつ矛盾)。
北朝鮮の指導者たちは、後者の矛盾を前者の矛盾でくるむことによって、後者の矛盾を正当化している。
わかりやすく言えば、「弱者」と「悪(ワル)」。
「悪(ワル)」を「弱者」でカモフラージュしながら、自分たちを正当化している。
今回の哨戒艦爆破事件は、そういう流れの中で起きた。
このことが北朝鮮問題を、複雑にする。
現在の韓国の中身を見れば、それがよくわかる。
これほどまでに明白な事件であるにもかかわらず、韓国内部には、北朝鮮を擁護する政党がある。
金大中→ノ前大統領の流れをくむ政党である。
けっして一部の人たちではない。
事件が起きた当初から、「北朝鮮の攻撃のはずがない」と主張していた。
明らかな証拠が出てきても、北朝鮮の蛮行を非難する前に、「現政権がだらしないから、こういう事件が起きた」と。
現政権を非難する。
日本の中にも、そういう勢力がある。
独裁制の矛盾を見せつけられながらも、北朝鮮を擁護し、弁護する。
その延長線上にいるのが、中国であり、ロシアということになる。
あのマルクス・レーニン主義は、そのロシアで生まれた。
が、だからといって、同時に、前者の論理、つまり(戦争の犠牲者となった民族が覚える矛盾)を無視してよいというわけではない。
日本は、戦時中、してはいけないことをしてしまった。
いろいろに弁解し、日本を擁護する人は多いが、ともかくもしてしまった。
現在の北朝鮮が、戦時中の日本以上に日本的なのは、皮肉と言えば皮肉。
これほど大きな皮肉はない。
●ふつうの論理
つまり私たち日本人が考える「ふつうの論理」というのは、あくまでも日本人の論理。
それも現在の日本人の論理。
一見、まともに見えるが、けっしてまともではない。
たまたま日本人が今、現在のような豊かな(?)生活ができるのも、簡単に言えば、資本主義がもつ矛盾に支えられているから。
その上に、日本の繁栄が乗っている。
「強い通貨」と「弱い通貨」。
「強い軍隊」と「弱い軍隊」。
それが「強い国」と「弱い国」をつくり、さまざまな矛盾を生み出している。
アメリカドルといえば、世界中で通用する。
日本の円も通用する。
北朝鮮ウォンといえば、北朝鮮国内においてですら、ただの紙くず。
そこでだれしもこう思うだろう。
「北朝鮮よ、豊かになりたかったら、自ら努力しなさい」と。
しかしそれこそまさにアメリカの論理、日本の論理ということになる。
もちろんこの論理は、北朝鮮には通用しない。
通用しないから、そうした論理を北朝鮮にぶつけても意味はない。
●保護と依存
で、これはあくまでも補足だが、「保護と依存」について、少し書いておきたい。
保護と依存……。
2者の間に一度、この関係ができると、保護する側は、いつも保護する側に置かれるようになる。
依存する側は、最初こそ感謝するが、やがて依存することを当然と思うようになる。
「私たちは、助けてもらって、当然」と。
が、ここで止まるわけではない。
さらにその関係が進むと、今度は、依存する側の立場の者が、保護を請求するようになる。
「オレたちを、助けろ!」と。
現在の韓国と北朝鮮の関係が、それである。
戦後、一貫して北朝鮮を保護しているのは、韓国のほう。
北朝鮮のほうが、韓国に対して、何かの施(ほどこ)しをしたという話は、まったく聞いていない。
そういう事実もない。
が、それがさらに進んだ。
それが、今の状況。
韓国政府は、「援助を停止する」と発表した。
それについて北朝鮮は、「敵対行為だ」と。
わかるかな?
「助けてくれないから、敵」と。
「保護と依存」の関係というのは、そういうもの。
●もうひとつ補足
ついでに、もうひとつ補足……。
独裁色が濃い国家ほど、独裁者の心理状態が、そのまま強く繁栄される。
そういう意味では、現在の北朝鮮は、独裁者である金xxの心理状態を、そのまま反映しているとみてよい。
そこで問題。
金xxは、さまざまな病気にかかっている。
糖尿病もそのひとつだが、人工透析を受けなければならないほど、病状は重いという。
そこでこんなことも考えられる。
私も過去、この種の病気の人たちを、何人か見てきた。
最近、その病気で亡くなった男性(58歳)もいる。
で、共通しているのは、どの人も、晩年、精神的にまともではなかったということ。
かなりおかしかった。
夜中に突然暴れ出した人もいる。
大声で、息子の嫁の名を呼びつづけた人もいる。
怒りっぽくなり、ささいなことで錯乱状態になった人もいる。
そういう人たちを順に頭の中に思い浮かべみると、では金xxは、だいじょうぶか?……ということになる。
そんな疑惑の念がわいてくる。
『……精神科医で透析療法も行っているHK医師(松江青葉クリニック)によれば、病気の予後、肉体能力・体力、経済面、仕事などに対する「現実的な不安」、人間関係、孤立感、自尊心の低下、同病者の死、将来計画の挫折などの「実存的な不安を抱えている人が多く、睡眠障害、食欲不振、意欲の減退、自殺願望、自殺企画といったうつ状態を示す人もいるという……』(岩波新書の椎貝達夫著「腎臓病の話」)と。
金xxは、はたして、だいじょうぶか?
もっと端的に言えば、今回の攻撃にからんで、北朝鮮の意図について多くの論者が、自分の意見を書いている。
しかしそういうことを論じても意味は、ない。
「頭のまともでない人が、突発的な思いつきで、韓国の哨戒艦を攻撃した」。
それでじゅうぶん。
●一触即発?
……というわけで、にわかに朝鮮半島がきな臭くなってきた。
一触即発……とまではいかないにしても、何が起きてもおかしくない状態になってきた。
アメリカと韓国は、東シナ海の双方で、大規模な軍事演習をするという。
ひとつまちがえば、演習は、そのまま戦争になる。
その可能性は、きわめて高い。
しかし私たちは、ここで冷静にならなければならない。
独裁制の矛盾だけを一方的にとりあげて、北朝鮮を攻撃しても意味はない。
またそんなことをしてはいけない。
もし朝鮮半島で有事ということにでもなれば、この日本だって、ただですまない。
そうでなくても日本経済は今、薄い氷の上を歩いているようなもの。
日本……というより日本経済は、そのまま奈落の底に叩き落される。
株価は大暴落。
債権も円も大暴落。
赤字国債(=国の借金)にしても、だれが日本の国債など買ってくれるだろうか。
仮に戦争ということになったら、その被害は計り知れない。
戦後、朝鮮半島で起きたあの「朝鮮動乱」のときとはわけがちがう。
日本は韓国とはもちろん、ほかの国々と、網の目のように細かいネットワークでつながれている。
日本だけが無事ということは、ありえない。
仮にたった一発でも、東京にミサイルが撃ち込まれたら……。
想像するだけでも、ゾッとする。
●では、どうするか
結論を先に言えば、日本は、北朝鮮と心中してはいけない。
あんな国と心中してはいけない。
その価値もない。
その必要もない。
韓国にしてもそうだ。
あんな国と心中してはいけない。
その価値もない。
その必要もない。
ただひとつ追加したいことは、こういう状況になってはじめてわかるのだろうが、このアジアで、韓国の真の友人はだれであるか、それを知ってほしい。
肝に銘じておいてほしい。
過去はともあれ、今の今は、韓国にとって真の友人は、この日本をおいてほかにない。
その上で、あとは国連という場で、粛々と、国際法にのっとり、事務的に北朝鮮を追いつめていけばよい。
それ以外のことは、無視。
ただひたすら、無視。
で、ひとつ忘れていけないのは、同じように2つの論理で動いている中国。
その中国が動かないかぎり、北朝鮮問題は解決しない。
その中国は、北朝鮮という「利権」を手放すことを、何よりも恐れている。
アメリカ軍が38度線を越えて、現在の中朝国境までのびてくるのを、何よりも恐れている。
さらに言えば、朝鮮半島の混乱を何よりも恐れている。
つまり北朝鮮の問題は、対中国問題と考えてよい。
そう考えた上で、中国を追い詰める。
「さあ、お前の血友ではないか。何とかしろ!」と。
多くのマスコミが書いているように、「中国に責任を取ってもらう」。
●6か国協議
6か国協議など、最初から失敗するに決まっていた。
同じ2つの論理をかかえる中国と北朝鮮。
あのおバカ・ヒル(前国務次官補)が北朝鮮に与えたのは、時間と金と音楽(ニューヨーク・フィル)。
それに「テロ支援国家解除」という、おまけつき。
が、何よりも(時間)が痛い!
その間に、北朝鮮は核兵器を完成させてしまった!
で、具体的には、北朝鮮のもつ独裁制という矛盾を、しっかりとついていく。
人権問題で攻めるのもよい。
韓国も日本も、けっして武力を使ってはいけない。
武力を使ったら最後、今度は収拾がつかなくなる。
いつの時代も、「戦争」というのは、そういうプロセスを経て、一気に拡大する。
「勝つ」とか「敗れる」という話ではない。
仮に勝った(?)としても、その収拾には、その何十倍ものエネルギーとマネーが必要になる。
日本にその覚悟があるなら、よし。
そうでないなら、ただひたすら無視。
無視して、北朝鮮を、(自然死)に追い込む。
北朝鮮といおうより、金xx体制を、崩壊に導く。
それが北朝鮮の人たちにとっても、もっともよいシナリオということになる。
もちろん中国は、それでは困るだろう。
だったら、38度線以北は、中国に任せればよい。
任せて、核兵器のない、親中政権を樹立させればよい。
あとは時間が解決してくれる。
10年とか20年はかかるかもしれない。
しかしやがて韓国からはアメリカ軍が撤退し、北朝鮮からは中国が撤退する。
もともとはひとつの民族。
やがて合流する。
最後に、もう一度。
日本よ、韓国よ、あんなつまらない国を本気で相手にしてはいけない。
それとも日本よ、韓国よ、あんなつまらない国と、本気で心中でもするつもりなのか。
●最後に……
ふつうの論理とは何か?
さらに言えば、「ふつう」とは何か?
北朝鮮をテーマに、それを考えてみた。
たとえば現在の北朝鮮を見て、「あの国はふつうではない」と言うのは簡単なこと。
(実際、ふつうではないが……。)
しかし同時に、では私たちのもつ論理がふつうかどうか、それを疑ってみる。
日本だって、無数の矛盾をかかえている。
矛盾だらけと言ってもよい。
そういう矛盾を棚にあげ、「私たち日本人の論理は、ふつう」と、果たして私たちは胸を張って言えるだろうか。
それを北朝鮮に押しつけることができるだろうか。
いくら日本人の私たちが、「私たちは戦前の日本とはちがう」と叫んでみたところで、世界の人たちから見れば、「戦前の日本も、戦後の日本も同じ」。
「北朝鮮も日本も同じ」。
そういうことになる。
つまり私が言いたいのは、「日本よ、日本人よ、もっと謙虚になれ」ということ。
さらに言えば、「日本よ、日本人よ、もう一度、原点に立ち返ってものを考え直してみよう」ということ。
「私たちの論理は、はたしてふつうなのか?」と。
北朝鮮問題は、そういう点で、私たち日本人にとっては、すばらしい反面教師ということになる。
2010年5月23日記
Hiroshi Hayashi+教育評論++May.2010++幼児教育+はやし浩司
2010年5月23日日曜日
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