【ズル賢い人】
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ズル賢い人は、多い。
小ズルイというか、一事が万事。
万事が一事。
ズルいという点で、あらゆることに
つながっている。
一貫性がある。
ズル賢い人は、意識的にそれをするという
というよりは、ごく自然な形で、それをする。
ズル賢く生きることが、その人の生き様に
なっている。
その手口を並べてみた。
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● 同情したフリして悪口を言う
「あの人はかわいそうですね。今度息子さんが事件を起こして、高校を退学に
なりました」などと、さも同情しているようなフリをして、その人の悪口を言いふらす。
ときに涙声になることもあるが、もちろん本物の涙は、一滴も出ない。
「本当は言いたくないのですが……」とか、「私はどちらでもいいと思っているので
すが……」とかいうような言い方も、よくする。
● 小悪をバラして大悪を隠す
「こんなものが落ちていました」といって、どうでもよいようなものを届け出て、
その一方で、価値あるものを、自分のものにしたりする。あるいはささいな
失敗を告白して、さも自分は正直ということを、相手に売り込んだりする。
あらかじめ価値のないことを承知の上で、「こんなものがありました。価値を
調べていただけませんか」などと、どうでもよいようなものを、相手に渡すことも
ある。
● 間に入って、たがいをモマす(トラブルを増幅させる)
「あの人がこう言っていましたよ」と、告げ口をしながら、あなたとその人の間に
トラブルを起こす。モメゴトを大きくする。そして自分は一歩退いたところから、
それを楽しむ。
● 他人の目を気にして善行を見せびらかす
行為がわざとらしく、演技ぽい。不自然。病気の人を見舞ったりしながら、ことさら
おおげさに看病してみせるなど。「私はよくできた人間です」というような演技が
うまい。看病をしながら、「私は、近所の老人宅を回って、世話をしてあげているので
すよ」などと言ったりする。年季が入っているため、ふつうの人には、それが見抜けな
い。
● 軽い会話に混ぜて承諾を得る
ペラペラと軽い会話をしながら、その間に、重要な会話を混ぜる。あとになって、
「あなたはOKと言ったはず」と、それを根拠にして、ものをいう。全体に口が
うまい。お世辞、へつらいもうまい。
● 拡大解釈、縮小解釈がうまい
相手が言ったことを適当に拡大解釈したり、縮小解釈したりするのが、うまい。
つまり自分のよいように、相手の言葉を解釈し、相手に抗議されないようにする。
軽い気持ちで、「いいよ」などと言おうものなら、それをどんどんと拡大解釈して
しまう。
● その場だけをうまく言い逃れる
「1週間だけお願いします」などと最初は言ったりする。で、その1週間が過ぎる
ころになると、事情が少し変わったことなどを理由にして、そのままの状態を
つづける。約束は守らない。もちろん自分の言った言葉に、責任を取らない。
● トボけてその場をごまかす
自分に都合の悪いことがあると、最後はとぼけてすます。忘れたフリ、聞かなかった
フリをするのもうまい。さらに追及したりすると、ギャーギャーと泣き叫んだりして、
その場をごまかす。何かまずいことがあると、とりつくろい、ウソ、弁解を平気でする。
● 言いにくいことは他人に言わす
相手に相槌を打たせて、今度はその人の言ったこととして、ほかの人に話を伝える。
「~~さんが、こう言っていましたよ」とか、など。だからこのタイプの人には、
安易に相槌を打ってはいけない。あなたが「私も、そう思います」などとでも言おう
ものなら、今度はそれを、あなたの言った言葉として他人に伝えてしまう。
● 苦労話をしながら恩を着せる
「~~してやった」「~~で苦労した」と言いながら、相手に恩を着せる。「私は、
~~のことで、どれだけ苦労したかわからない」というような言い方をする。
自分の子どもに対しては、「産んでやった」「育ててやった」を、決まり文句にする。
会ったとたん、「あなたの家のゴミが、近所に散らかっていたので、掃除をしておきました」などと言ったりする。
● 他人をほめて相手に要求する
「義弟はすばらしい。毎年、年末になると、~~を送ってきてくれる」と言いながら、
言外で、相手に同じことをするよう要求したりする。このばあいも、義弟をほめる
という手段を使いながら、自分はそうされるにふさわしい人間であることを、言外に
におわす。「あのMさんは、すばらしい。毎年、冬になると、海産物を送ってくれる」
とかなど。
● 先手を打って相手の言葉をつぶす
相手が願っていることを、先に言ってつぶす。「うちは貧乏で、このところ内職も
減りました」と先に言うことで、自分への負担を軽くしようとする。以前、こんな
ことを言った人がいた。みなで飲み食いが終わるころのこと。「悪いが、ビール代だけでも、私に払わせてほしい」と。
● 事実にまぜてウソをつく
ズル賢い人の常套手段。1、2度、ボランティア活動をしただけなのに、それをもとに、
「毎週のように駆り出されて苦労しています」などと言う。あるいは1度しかして
いないボランティア活動を、角度を変えて、いろいろな話に仕立てる、など。そういう話術にたけている。
ズル賢い人は、もともと小心で臆病。その上卑怯で、他人の批判、批評を許さない。
いつも人の目を盗んで、こまかい計算を重ねる。
で、こういうズル賢い人が近くにいたら、遠ざかること。
「いろいろな人と仲よくするのはいいこと」と言う人もいるが、ことズル賢い人に関して
言えば、遠ざかったほうがよい。
何かアクションがあっても、相手にしないこと。
反応したとたん、逆に利用されてしまう。
もともと口がうまいから、反感を買うと、今度はあなたの悪口が言いふらされる。
つきあっても、得るものは何もないばかりか、あなた自身も、その毒気に染まってしまう。
つまり人は、善人になるのは、難しい。
しかし悪人になるのは、簡単。
山登りに似ている。
上り坂は苦しいが、下り坂は楽。
私も一時期、そのズル賢い人と、親密につきあったことがある。
が、おかしなもので、そのときはその人が、ズル賢いということがわからない。
が、離れてみて、はじめて、それがわかる。
同時に、そのときの自分も、いかにズル賢かったかがわかる。
だから遠ざかるのがよい。
中には、ズル賢いことを自慢する人もいる。
あるいは自分の妻がズル賢いことを、自慢する夫さえいる。
「うちのカミさんは、値段を値切るのがうまいよ」とか、何とか。
(はやし浩司 ずるい人 ずる賢い人 小ずるい人 ずるい人間 ズルイ人間 ズルい人
ズル賢い 不誠実な人 はやし浩司 不誠実)
(補記)
●なぜ人はズル賢くなるか?
ズル賢い人を傍から観察してみると、第一に哲学のなさを感ずる。
一貫した哲学がない。
「一貫した」というよりは、「哲学の連続性」がない。
ものの考え方が享楽的で、その場その場で、哲学らしきものが、変化する。
もっと言えば、状況、あるいは相手に応じて、生きざまそのものが変化する。
金権教、あるいは親絶対教の信者であったりする。
ある女性(65歳くらい)は、何をどう誤解したか知らないが、私との会話の
中で、思わず、こう口走ったことがある。
「そんなことをしたら、貯金が減ってしまう」と。
たいていは金銭的な欲得感に支配され、その中でますますズル賢くなっていく。
が、それよりも気になるのは、自分で考える脳みそをもっていないこと。
ときに「ハッ」とするようなことを口にするが、たいていはだれかの受け売りに
すぎない。
少しでも自分の脳みそで考える習慣が身についていたら、ズル賢いことを、恥じるはず。
一見、利発だが、心に余裕がなく、小さな世界で動き回っているだけ。
その(狭小さ)が、それを見る者を不愉快にする。
Hiroshi Hayashi+++++++Sep 09+++++++はやし浩司
●法事論
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今度、私自身が法事を執り行う立場になって、こんな
ことを知った。
「親の法事をしっかりとする人は、人格者である」という
考え方をする人が、意外と多いということ。
「親の法事もしないようなヤツは、子ども失格だね」と
言った人もいた。
私は、率直に告白するが、仏教式の法事には、意味を
認めない。
私の祖父も父も、墓参りをしたのを見たことがない。
(母は、ほとんど毎日、寺に足しげく通っていたが……。)
祖父や父が、仏壇に向かって、手を合わせている姿さえ、
記憶にない。
そういう私が、どうして、今、法事なのか?
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●法事
宗派にもよる。
寺にもよる。
住職にもよる。
しかし全体としてみると、日本の仏教は、カルト化している。
この問題に決着をつけないかぎり、日本の仏教には、明日はない。
現に若い人たちを中心に、仏教離れが急速に進んでいる。
法事にしても、おそらく、我が家に関していえば、私の代で最後になる。
長男はしないだろうし、二男は、クリスチャン。
三男は遠くに住んでいるし、考え方もちがう。
私の教育が悪かったのか。
3人とも、先祖の墓参りをしたことなど、数えるほどもない。
一方、私もワイフも、息子たちには、何も期待していない。
一応仏教徒ということになっているが、法事をしてくれなくても、一向に気にしない。
遺骨にしても、散骨でも何でもよい。
気が向いたときに、気が向いたように処分してくれればよい。
むしろ「法事など、するな」と遺言を残している。
「そんなヒマがあるなら、自分を磨け!」と。
●人それぞれ
信仰は教えに従ってするもの。
先にも書いたが、その(教え)をきちんとしている宗派もある。
寺もある。
住職もいる。
しかし今は、そのほとんどが儀式化し、宗教そのものが形骸化している。
本来、人々の魂の救済が目的である信仰が、金儲けの道具として利用されている。
それがだれの目にも、わかるようになっている。
で、その反動というわけでもないだろうが、おかしな占星術や、占い、カルトが
勢力を伸ばしている。
スピリチュアル(霊)・ブームもそのひとつ。
人々が、もともと救いにならないものを救いと思い込んで、右往左往している。
こうした愚劣な社会現象を引き起こしているのも、宗教、なかんずく仏教の責任と
考えてよい。
先頭に立って、そうした社会現象と戦うべき宗教が、だんまりを決め込んでいる。
で、私はある高校生(高1女子)に、こう聞いてみた。
「仏教をどう思うか?」と。
するとその高校生(女子)は、こう言った。
「仏教というと、古臭い感じがする」と。
今、古美術が、ボトム(最悪)状態にある。
古銭、古切手、古物が、二束三文どころか、むしろ引き取り料を請求されるほど、
売買が低迷している。
私の印象では、仏教も、同じ(流れ)の中にある。
現在は、その過渡期ということになるが、そのあとのことは、私にもわからない。
再び仏教ブームが来るのか。
それとも仏教は、このまま衰退していくのか。
しかしこれだけは言える。
それを大切な行事と思っている人は、それを大切にすればよい。
人、それぞれ。
私は干渉しない。
が、世の中には、そうした行事に意味を感じない人もいる。
いるが、だからといって、そういう人を、批判したり、「おかしい」という
レッテルを張るのは、やめてほしい。
自分の頭で考えて、そう言うのならまだしも、そうでないなら、やめてほしい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 日本の仏教 法事)
Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司
●9月15日
●民主党政権
「民主党の勝ちすぎ」という意見が、ネットをにぎわしている。
その一方で、AS首相(現在、まだ首相)が、「就任直後に選挙をしていたら、こんな
ベタ負けはしていなかったはず」と、おかしなことを言っている。
自民党がここまでベタまけしたのは、AS首相、彼自身に原因がある。
「AS首相だけには、勝たせたくない」という民衆の思いが、民主党の大勝利への
原動力となった。
で、たしかに民主党の勝ちすぎ。
その反動はやがて現れてくるはず。
現在、民主党は、HT代表が「代表」なのか、OZ氏が「代表」なのか、よくわからない。
「権力の二重構造」という言葉が、よく使われる。
HT代表は、OZ氏に対してだけは、敬語を使っている。
何か、おかしい?
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