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彡彡人ミミ 彡彡彡彡彡
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子育て最前線の育児論byはやし浩司 10月 21日号
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選ばれました!
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●草食男子
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だれがつけた名前かは知らないが、「草食男子」という
言葉がある。
あちこちで耳にする。
「肉食男子」に対する言葉として、「草食男子」という。
ヤギとかウサギのような草食動物のように、おとなしく、ハキがなく、穏やかで、やさし
い。
そういう男性を、「草食男子」という。
「性欲も淡白な傾向が見られる」(Life、10月号)とか。
性欲も淡白?
そのほかの特徴としては、
(1) 恋愛に消極的
(2) 家庭的
(3) 繊細
(4) 優しそう
(5) 協調性が高そう(同書)とある。
全体的に見れば、マザコンタイプの男性ということになる。
本来なら、父親が、母子関係の中に割って入り、男児の女性化を修正しなければならない。
が、その父親の存在感が薄い。
あるいは父親自身が、マザコン的。
子どもがそうであっても、それに気づかない?
あるいはそのまま受け入れてしまう?
本来、男性というのは、「肉食的」。
女性とくらべても、肉食的。・・・のはず。
●性欲
たとえば視床下部に性欲を司る部位がある。
「内側視索前野」と呼ばれる部分だが、別名、「第一性欲中枢」とも呼ばれている。
ここから「セックスをしたい」という指令が発せられる。
この内側視索前野は、男性のそれは、女性のそれの2倍ほどの大きさがある。
つまり男性のほうが、その分だけ性欲に対する欲求が、はげしいということになる。
大きいから、それだけ「はげしい」と短絡的に結びつけることはできないが、長い進化
の過程でそうなったと考えるのが、妥当。
もし男性も女性も、同じように攻撃的になってしまったら・・・。
あるいは反対に、男性も女性も、同じように受動的になってしまったら・・・。
その時点で、人類は、滅亡していたことになる。
つまり本来、育て方で、男児が女性化するということはあっても、性欲まで「受動的」
になるということは、ありえない。
(それとも育て方次第で、内側視索前野が萎縮するとでもいうのだろうか?)
私が書きたいのは、「草食男子」であっても、こと性欲については、ふつうの男子と、と
くに大きなちがいはないということ。
●肉食女子
「草食男子」に呼応して、「肉食女子」という言葉も、流行っている。
男性に対して、攻撃的で積極的な女性をいう。
ネーミングとしては、おもしろいが、やはりこと性欲に関していえば、女性は女性。
ただ、私は食べ物によって、男性も、女性も、性欲に関しては、ある程度の影響を受ける
のではないかと考えている。
たとえばニンニクがある。
私はニンニクを食べると、そのあとなどは、いつも、(いつもより)、強力な性欲を感ずる。
そういうことはある。
が、肉食女子というから、性欲面においても、攻撃的で積極的ということにはならない。
ただ女性のばあい、セックス中枢が、満腹中枢(食欲中枢のひとつ。食欲中枢には、満
腹中枢と摂食中枢がある)に近いため、満腹度によって大きく影響を受けるとされる。
これに対して男性のばあいは、セックス中枢が、摂食中枢、つまり空腹感を覚える中枢に、
より近いところにあるため、空腹感によって大きく影響を受けるとされる。
●女性化する男子
男子の女性化は、すでに20年近くも前から、指摘され、問題になっている。
その中でもとくに注目されているのが、環境ホルモン説。
以前、私が書いた原稿をさがしてみた。
つぎのは、10年ほど前に書いた原稿である。
++++++++++++++++++++
【環境ホルモン(内分泌かく乱化学物質)と、男児の女性化】
小学校の低学年児について言えば、いじめられて泣くのは男の子、いじめるのは女の子
という、図式がすっかり定着してしまっている。それについて、以前書いた原稿を、先に
転載する。
++++++++++++++++++++++++
●進む男児の女性化(中日新聞に掲載済み)
この話とて、もう15年近くも前のことだ。花柄模様の下敷きを使っている男子高校生
がいたので、「おい、君のパンツも花柄か?」と冗談のつもりで聞いたら、その高校生は、
真顔でこう答えた。「そうだ」と。
その当時、男子高校生でも、朝シャンは当たり前。中には顔面パックをしている高校生
もいた。さらにこんな事件があった。市内のレコードショップで、一人の男子高校生が白
昼堂々と、いたずらをされたというのだ。その高校生は店内で5、6人の女子高校生に囲
まれ、パンツまでぬがされたという。こう書くと、軟弱な男子を想像するかもしれないが、
彼は体格も大きく、高校の文化祭では一人で舞台でギター演奏したような男子である。私
が、「どうして、声を出さなかったのか」と聞くと、「こわかった……」と、ポツリと答え
た。
それ以後も男子の女性化は明らかに進んでいる。今では小学生でも、いじめられて泣く
のはたいてい男児、いじめるのはたいてい女児、という構図が、すっかりできあがってい
る。先日も一人の母親が私のところへやってきて、こう相談した。「うちの息子(小2)が、
学校でいじめにあっています」と。話を聞くと、小1のときに、ウンチを教室でもらした
のだが、そのことをネタに、「ウンチもらしと呼ばれている」と。母親はいじめられている
ことだけを取りあげて、それを問題にしていた。が、「ウンチもらし」と呼ばれたら、相手
の子どもに「うるさい!」と、一言怒鳴ってやれば、ことは解決するはずである。しかも
その相手というのは、女児だった。私の時代であれば、相手をポカリと一発、殴っていた
かもしれない。
女子が男性化するのは時代の流れだとしても、男子が女性化するのは、どうか。私はな
にも、男女平等論がまちがっていると言っているのではない。男子は男子らしく、女子は
女子らしくという、高度なレベルで平等であれば、それはそれでよい。しかし男子はいく
らがんばっても、妊娠はできない。そういう違いまで乗り越えて、男女が平等であるべき
だというのは、おかしい。いわんや、男子がここまで弱くなってよいものか。
原因の一つは言うまでもなく、「男」不在の家庭教育にある。幼稚園でも保育園でも、教
師は皆、女性。家庭教育は母親が主体。小学校でも女性教師の割合が、60%を超えた(9
8年、浜松市教育委員会調べ)。現在の男児たちは、「男」を知らないまま、成長し、そし
ておとなになる。あるいは女性恐怖症になる子どもすら、いる。しかももっと悲劇的なこ
とに、限りなく女性化した男性が、今、新時代の父親になりつつある。「お父さん、もっと
強くなって、子どもの教育に参加しなさい」と指導しても、父親自身がそれを理解できな
くなってきている。そこでこういう日本が、今後、どうなるか。
豊かで安定した時代がしばらく続くと、世相からきびしさが消える。たとえばフランス
は第一次大戦後、繁栄を極めた。パリは花の都と歌われ、芸術の町として栄え、同時に男
性は限りなく女性化した。それはそれでよかったのかもしれないが、結果、ナチスドイツ
の侵略には、ひとたまりもなかった。果たして日本の未来は?
++++++++++++++++++++++++
●環境ホルモン(内分泌かく乱化学物質)
こうした男児の女性化について、環境ホルモン(内分泌かく乱化学物質)原因説がある。
ここでいう「環境ホルモン」という言葉は、NHKが放送番組用に作った言葉で、正確に
は「内分泌かく乱化学物質」という。
この環境ホルモンは、ホルモンそのものではない。「生体のホルモン受容体に作用するな
どして、ニセのホルモンとして働いたり、その反対に、ホルモン受容体をブロックするこ
とで、ホルモン本来の作用を妨げたりする化学物質」(福島章著「子どもの脳が危ない」・
PHP新書)ということになる。
その結果、環境ホルモンは、さまざまな影響を、体におよぼす。そのうちでも、近年、
問題になっているのが、生殖機能への影響である。福島章氏の「子どもの脳が危ない」に
書かれている事例を、ここにあげてみる。
●多摩川のコイの7割が、メスであった(91年)。しかもオスの精巣の発達が不完全であ
り、雌雄同体のコイも発見された。原因は洗剤などに含まれる、ノニルフェノールだと言
われている。
●イギリスでは、ニジマスやローチという魚のオスの精巣がやはり不完全であった。原因
はやはりノニルフェノールと言われているが、ピルに含まれている女性ホルモンという説
もある。
●カナダのセントローレンス川では、白鯨のオスがメス化して、メスの妊娠率が低下した
だけではなく、ガンが多発していることがわかった。
●アメリカでは、ハクトウワシの孵化率が低下した。アジサシやカモメなどの鳥類では、
オスのメス化が進んでいる。
●フロリダ州のミッシシッピーワニのペニスが小さくなり、精巣機能が低下し、血中のテ
ストステロン(男性ホルモン)が低下しているのがわかった。
さらに人間に与える影響としては、「男子の精子数が減少しているだけでなく、元気がな
くなった」という報告も、多いという。たとえば、「91年に、デンマークのスキャケベッ
ク博士は、ここ50年の間に、男性の1回の射精に含まれる精子数が、1ミリリットルあ
たり、1億1000万から、6000万に、42%も減少し、さらに受胎に必要な精子数
2000万以下の男性は、この間に3倍に増加した」(同書)そうだ。
こうした影響からか、人間についても、男性の性衝動が弱くなったという報告もある。
男児の女子化が、その流れの中にあるとしたら、これはたいへん深刻な問題と考えてよい。
そこで私たち親は、この問題に対して、どう対処したらよいかだが、とりあえず注意す
べきことは、食器や調理道具から、プラスチック製品を取り除くということ。とくにプラ
スチック製品が、何らかの形で、熱湯とふれるようなときが、危険だという。環境ホルモ
ン、つまり内分泌かく乱化学物質の大半は、これらのプラスチック製品から溶けでるとい
う。カップヌードルなども、発泡スチロールの容器の中から一度、陶器の茶碗などに移し
てから、熱湯をかけるとよい。
なお女性のばあい、最近若い人の乳がんがふえているが、その原因も、ここにあげたノ
ニルフェノールではないかと言われている。注意するにこしたことはない。
(02-11-26)
●世の男性諸君よ、スケベであることを喜ぼうではないか。もっともっとスケベになって、
妻たちを、ハッピーにしてあげようではないか。種族を後世に残すために。
+++++++++++++++++++++++
●終わりに
「草食男子」……これからこの名前は、あちこちで使われるようになるだろう。
しかし一言。
動物の世界のことをよく知っている人なら、こう反論するだろう。
「草食動物がおとなしいというのは、ウソ」と。
草食動物が、草食動物的に見えるのは、あくまでも人間の目に、そう見えるだけ。
一方、肉食動物が、肉食動物的に見えるのは、あくまでも人間の目に、そう見えるだけ。
食べる餌が、動くか動かないかのちがい。
食べる餌が動かないから、草食動物は、はげしく動き回る必要はない。
が、食べる餌が動けば、肉食動物は、それに応じて、はげしく動かねばならない。
それが(見た目のちがい)となっている。
その時期になれば、草食動物だって、雌を取り合って、はげしい闘争を繰り返す。
肉食動物だって、おとなしいときには、おとなしい。
さらに、こと性欲に関して言えば、草食男子も肉食男子も、ちがいはない。
同じように、肉食女子も、草食女子も、ちがいはない。
ちがいはないが、もし本当に「性欲も淡白」(同書)ということであれば、ことは深刻。
環境ホルモンだけが原因とは言えないが、何らかの原因が、だれにもわかる程度に、この
10年で人間にも影響が出始めたとも考えられる。
で、もしそういう男性を、「草食男子」というのなら、ただ単なる言葉の遊びとしては、す
まされなくなる。
繰り返すが、ことは深刻!
(はやし浩司 草食男子 草食男性 肉食女子 性欲 男女の性欲 視床下部 内側視索
前野 環境ホルモン はやし浩司 内分泌かく乱化学物質 食欲中枢 満腹中枢 摂食中
枢 はやし浩司 男児の女性化)
【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●加齢と精神の完成度
+++++++++++++++++
加齢とともに、精神的に完成度が高くなる
ということは、まっかなウソ!
むしろ加齢とともに、精神的にガタガタに
なる。
そういう人のほうが、多い。
何かの精神的な病(やまい)をもてば、なおさら。
定番のうつ病(失礼!)のほか、パニック障害、
もろもろの人格障害、精神障害などなど。
何かの認知症になれば、なおさら。
何かの身体的な病気をかかえると、それがきっかけで、
ガタガタになる人も少なくない。
そういう人たちを身近に見ながら、
このところ「じょうずに老いるには、どうしたら
よいか」。
そんなことをよく考える。
+++++++++++++++++
●気力と精神病
骨だけでは、身体を支えることはできない。
筋肉があって、はじめて、私たちは身体を支えることができる。
同じように、精神力だけでは、私たちの精神を支えることはできない。
「気力」があって、私たちは精神を支えることができる。
たとえば何か困難な場面に遭遇したとする。
肉親の死や事故など。
そういうとき精神力だけで、自分の精神を支えることは難しい。
「乗り切ってやろう」という気力が必要である。
●仮面
私たちはみな、仮面をかぶって、生きている。
仕事をしている。
仮面をかぶることが悪いというのではない。
ショッピングセンターの女性店員ですら、仮面をかぶって仕事をしている。
穏やかでやさしそうな笑みを浮かべて、「いらっしゃいませ」と言って頭をさげる。
そういう姿を見て、「この女性は、人間的にすぐれた人格者」などとは思ってはいけない。
医師だって、政治家だって、企業家だって、みな、仮面をかぶっている。
もちろん私だって、仮面をかぶっている。
その仮面を裏から支えるのが、気力ということになる。
●持病
同じように、だれしも、何らかの持病をかかえている。
私のばあいも、上から、左耳の難聴。
右の上腕痛。
便秘。
それに脚痛など。
しかし今はまだ体力があるから、それらを何とか、カバーしている。……できる。
上腕痛は、2か月ほどまで、草刈機を使ったときから、起こるようになった。
便秘は、自分でセンナ茶を煎じて、何とかしのいでいる。
脚痛については、体重を減らしたり、運動量をふやしたりして対処している。
が、加齢とともに、体力そのものが弱くなる。
とたん、持病が表に出てくる。
●気力
精神疾患にも似たようなところがある。
私は元来、いじけやすい性格をもっている。
何かのことでつまずいたりすると、そこでいじけてしまう。
が、仕事の上で、いじけることはできない。
いつも先生面(づら)して、偉そうなことを言っている。
それをカバーするのが、気力ということになる。
持病をカバーする、体力。
精神的もろさをカバーする、気力。
これら両者の関係は、たいへんよく似ている。
つまり加齢とともに、気力も弱くなり、その下に隠れていた精神的もろさ、つまり人間
性が、表に出てくる。
●自分の「地」
わかりやすく言えば、若いときというのは、いい人ぶるのは、簡単なこと。
それらしい顔をして、それらしいことを言えばよい。
それを支えるのに、じゅうぶんな、気力がある。
が、加齢とともに、その気力が弱くなる。
長つづきしなくなる。
とたん、自分の「地」が、表に出てくる。
こんな話を耳にした。
●ある男性(75歳)
その男性は、現役時代は、XX局の副長をしていた。
人望もあり、統率力もあった。
晩年は、全国の関係機関を回り、その指導を繰り返していた。
が、それは(表)の顔。
晩年になると、とくに家の中では、様子がまったく違った。
夜中じゅう起きていて、大声で家人を呼びつけていた。
「水、もってこい!」「背中が痛いから、湿布薬を張れ!」と。
そのため妻や、息子夫婦は、みな、ノイローゼになってしまった。
とくに息子の妻(=嫁)は、痛々しいほどまでに体重を落としてしまった。
が、である。
仮面をかぶる気力がまったくなくなってしまったかというと、そうでもない。
弟夫婦が、遠方から訪ねてきたりすると、別人のように穏やかで、やさしい父親を演じて
みせていた。
そんなキャリアをもつ人でも、そうなる人は、そうなる。
●人間性
加齢とともに体力は落ちる。
同じように気力も、落ちる。
仮面を維持できなくなる。
そのときその人のもつ人間性が、そのまま(表)に出てくる。
その人間性がよいものであれば、問題ない。
加齢とともに、ますます円熟味に磨きがかかる。
が、そうでなければ、そうでない。
へたをすれば、邪悪な性格、醜い人間性が、そのまま表に出てくる。
これがこわい。
●人間性
その人の人間性は、10年とか20年とか、長い年月を経て、熟成される。
それも健康論に似ている。
先日、ワイフの友人(男性)が、98歳という年齢で亡くなった。
その男性は、92歳を過ぎても、テニスのコーチとして活躍していた。
いくつかの会場をもっていて、遠いところだと、20キロ近くもある。
その会場へ、毎週、自転車で通っていた。
その男性は、若いときからテニスが好きで、そのテニスを通して、体を鍛えていた。
同じように、人間性もまた、日々の鍛錬のみによって、熟成される。
難しいことではない。
(1)ウソをつかない、(2)約束は守る、(3)ルールに従う。
この3つだけでよい。
この3つだけを守ればよい。
それが10年、20年という年月を経て、その人の人格となり、人間性となって表に表れ
てくる。
●ズルイ人
一方、ズルイ人は、ズルイ。
何かにつけて、ズルイ。
一事が万事。
小細工に小細工を重ねる。
小細工を重ねているという意識がないまま、重ねる。
そうした行為が、ごく日常的なことして、できる。
だからしばらくつきあっていると、何がなんだか、訳が分からなくなる。
ウソとホントが、ごちゃ混ぜになり、ウソを指摘すると、そのつど巧みに、その場を逃げ
たりする。
あるいはとぼける。
さらに追及すると、興奮状態になったりする。
が、こういう生き方を、10年、20年とつづけていると、その人の人間性が狂ってく
る。
そしてそれがそのままその人の人間性となって、定着してしまう。
●有終の美
こうして考えてみると、老人になると、その人の人間性が、そのまま出てくると考えて
よい。
しかしこれが、先にも書いたように、こわい。
このことは、まわりにいる老人たちを観察してみると、それがわかる。
老人のなり方は、千差万別。
千人いれば、みな、ちがう。
そこにその人の、それまで歩んできた人生が、すべて凝縮される。
好ましい人格者の人もいれば、もちろんそうでない人もいる。
だからといって、つまりどういう老人であれ、人、それぞれ。
その老人がそれでよいと思っているなら、それはそれでよい。
が、これだけは言える。
どうせたった1回しかない人生。
自分の納得いく人生を送り、最後は、有終の美を飾って、死んでいきたい。
……というのが、今の目標。
自信はないが、その目標に向かって、今日も精進(しょうじん)あるのみ。
がんばろう。
2009年9月22日、火曜日。
【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
●雑感・あれこれ
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●もう9月も20日
昨日から、市内の鴨江寺で、秋の彼岸会が始まっている。
「秋だなア」と思うと同時に、「今年1年も、あと3カ月・・・」と
思ってしまう。
本当に月日のたつのは早い。
昨日、昔世話になったKさん(男性)を見舞った。
今年79歳になるという。
この5月に敷居でころんで以来、車椅子の生活になったという。
10年ほど前に、一度、すい臓がんを患ったが、そちらのほうは、治ったようだ。
見た目には元気そうだった。
子どもの世界を見ていると、10年単位で、どんどんと変わっていく。
同じように、老人の世界も、10年単位で、どんどんと変わっていく。
●クリスマス
日本人は、昔から「神様」には、おおらか。
「八百万(やおよろず)の神」というほどで、そのまま読めば、800万人の神様がいる
ことになる。
野にも山にも、小川にも家の中にも・・・。
だから神様なら、何でもよいということになる。
ある女性(当時、50歳くらい)は昔、私にこう言った。
「人がいいと言っていることは、何でもやったらいいのです」と。
・・・ということで、その女性は、複数(5、6)の信仰団体に出入りしていた。
仏教もキリスト教も、日本人にとっては、その一部でしかない。
だから仏教徒でありながら、クリスマスを祝ったところで、何ら違和感を覚えない(?)。
神様に対するおおらかさが、ちがう。
寛大さが、ちがう。
9月も終わりに近づくと、もうクリスマスが気になる。
年賀状が気になる。
その年賀状。
今年から、年賀状を再開。
虚礼を廃して、本当に大切にしたい人だけと交換することにした。
●天国
仏教には、「天国」という考え方はない。
ないものはないのであって、どうしようもない。
「天上」という言葉はあるが、それは釈迦以前からインドにあった、「先天(しょうてん)
思想」をいう。
それが釈迦仏教に混入した。
「天上」というのは、いうなれば「理想郷」をいう。
「生前、よい行いをすれば、その理想郷で生まれ変わることができる」(「哲学」宇都宮
輝夫・PHP)と。
実際、釈迦自身は、「来世(=あの世)」などという言葉など、一度も使っていない。
来世思想が混入したのは、釈迦入滅後のこと。
「前世」「来世」と言うようになったのは、ヒンズー教の輪廻転生思想の影響によるもので
ある。
そういう点では、釈迦は、たいへん現実的なものの考え方をしていた(法句経)。
たとえば『苦行では、悟りは得られない』と教え、「中正」という生き方を導く。
わかりやすく言えば、ごくふつうの人間として、ふつうの生活をしながら、その中で自分
を磨いていくことこそ、大切、と。
私はキリスト教徒ではないので、私には「天国」はない。
入りたくても、入れない。
まっ、ここはあきらめるしかない。
「メリークリスマス!」と言いながら、神の国を、横目で見るしかない。
●「我」
仏教では、「我」を認めない。
わかりやすく言えば、「私」を認めない。
これが「私」と思っているものでも、玉ねぎの皮のようなもの。
一枚ずつ、どんどんとめくっていくと、最後には、何も残らない。
「私は私」と思っているのは、ただの意識にしか過ぎない。
が、意識こそ、まさに「無」。
だから仏教では、「我」、つまり「私という意識」からの解脱を説く。
「解脱」というのは、「私という執着から、自らを解放すること」をいう。
その「私」に執着すかぎり、安穏たる日々は、ぜったいにやってこない。
そこから「一切皆苦(一切行苦)」という言葉も生まれた。
平たく言えば、「私の名誉」「私の地位」「私の財産」・・・などと、「私」にこだわってい
るかぎり、安穏たる日々は、やってこないということ。
が、その「私という意識」から解放されれば、そこは恐ろしく広くて、心静かな世界。
四法印で説く、『涅槃静寂(ねはんせいじゃく)』というのは、そういう世界をいう。
●孤独な世界
来世思想を否定すれば、そこに待っているのは、「孤独」という無間地獄。
・・・と考えていたが、このところ、私の考え方が、少し変化してきた。
大切なことは、「私という意識」をどうとらえ、どう解釈するかということ。
「私という意識」を、「私の肉体」に閉じ込めてしまえば、たしかに、そこに待っているの
は、「孤独」ということになる。
しかし「私という意識」には、連帯感をもたせることもできる。
たとえば今、この文章を読んでくれる人がいたとする。
多少の時間差、地域差はあるかもしれないが、(そんなものは、何でもない)、その瞬間、
私の意思と、その人の意思が、この文章を介して、つながる。
つまりこうして「私の意思」を、他人に伝えていけば、仮に肉体は滅びても、意思は残
る。
それを「生」ととらえれば、私は不滅ということになる。
孤独にならなければならない理由すら、ない。
Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司
●ルーム・ウォーカー使用記
++++++++++++++++++++++
ルーム・ウォーカーを使用するようになって、1週間が過ぎた。
いろいろなものを買ってきたが、これほど役に立ったものはない。
・・・と言えるほど、現在のところ、役に立っている。
毎日、計40分前後は、ルーム・ウォーカーの上で歩いている。
汗をかいている。
それが楽しい。
終わったあとは、気分もよい。
そのルーム・ウォーカーを使っていて、いくつか気づいた点がある。
これから買う人のために、メモの形で、残しておきたい。
++++++++++++++++++++++
(1)手はできるだけさげた姿勢で歩くのがよい。
取っ手が前と前上部についているが、それにつかまっていると、
だれかに引っ張ってもらいながら歩いているような感じになる。
これでは、運動の目的が半減する。
そのため手はできるだけさげた状態、つまり取っ手の下のほうに、
手を軽くあてているだけといったふうに、歩いたほうがよい。
(2)顔は45度くらい上を向けて歩く
最初のころは、どうしても顔が下向きになる。
姿勢が悪くなる。
だから顔を45度くらい上に向けながら、歩く。
姿勢がまっすぐ伸びて、その分だけ、足が前方にさっさと出るようになる。
(3)音に注意
これは自分でしてみて気がついたことだが、右足と左足が作る足音の質が異なる
ときがある。
たとえば、パタ・ペタ・パタ・ペタ……と。
利き足とそうでない足のちがいかと思ったが、そうではない。
原因は歩き方。
歩き方が、まずい。
そこで自分の足音を聞きながら、どうすれば同じような足音になるかを調整する。
まっすぐ、交互に同じように力を入れてあるくと、パタ・パタ……と同じような
音になる。
これで自分の歩きかたを、矯正することができる。
(4)歩き方
右足と左足の流れを平行にして歩く……これを「平行歩き」という。
右足と左足が一直線になるよう歩く……これを「直線歩き」という。
右足が、左足ラインを、左足が右足ラインを歩くようにして歩く……これを「ちどり足歩
き」という。
ほかに「小また歩き」「大また歩き」など。
自分でいろいろな歩き方を試してみた。
うしろ歩きに歩く方法試してみた。
横歩きに歩く方法も、試してみた。
私の印象では、上記の「ちどり足歩き」というのは、美容効果もあるのではないか。
腰部がそのつど、ぐいぐいとひねられるような感じになる。
ただし長くつづけるのは、無理。
そのうち歩くだけで精一杯といったふうになり、汗がジワリと出てくるようになると、
いろいろな歩き方を試す余裕がなくなってくる。
今は、1回、20分が限度。
もう少し先になったら、30分はつづけてみたい。
テレビを見ながら、あるいは雑誌を読みながら歩くのもよい。
そんなわけでメーカーに一言。
雑誌を読みながらできるように、雑誌を置けるような、パネルのようなものを取りつけて
ほしい。
(補記)60歳を過ぎて、「健康を取り戻すなんて無理」と考えている人へ
自分でやってみて気がついたが、60歳すぎても、健康は増進できる。
今回のルーム・ウォーカーもそうだが、毎回、回を重ねるごとに、足腰が軽くなっていく
のを実感できる。
あきらめてはいけない!
現在、体重は、60キロ。
数か月前までは、68キロ台もあった。
苦しい闘いがつづいたが、今は、その状態で、以前と同じような生活ができる。
足の裏の痛みも、かなり楽になった。
頭の働きも快調になった。
だから、あきらめてはいけない!
まだまだ、人生、これから!
(はやし浩司 ルーム・ウォーカー ルームウォーカー ルーム・ランナー
ウォーキングマシン ウォーキング・マシン ランニング・マシン ランニング
マシーン)
Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司
●前頭連合野
+++++++++++++++++++++++++++++++
前頭連合野は、言うなれば、知性と理性のコントロール・センター。
その働きを知るためには、ひとつには、「夢」の内容を知るという方法
がある。
夢を見ているときには、前頭連合野は、働いていない。
そのため、人は、支離滅裂な、前後に脈絡のない夢を見る。
言い換えると、もし前頭連合野の働きが弱くなれば、私たちの思考は、
ちょうど夢を見ているような状態になる。
もしそうなれば、自分でも、何をどう考えているか、さっぱりわからなく
なるだろう。
もちろん自分の考えをまとめることさえできない。
電車に乗り遅れる夢を見るように、ただあわてふためくだけで、それで
終わってしまう。
いつもの私の夢が、そうだ。
+++++++++++++++++++++++++++++++
●前頭連合野
人間の脳みその、約3分の1は、前頭連合野と呼ばれる部分だそうだ。
人間は、とくにこの部分が発達している。
そのため、猿やチンパンジー、古代人の骨格と比べても、人間の額は大きく、広い。
言うなれば、知性と理性のコントロール・センター。
それがこの前頭連合野ということになる。
が、もしこの前頭連合野の働きが鈍くなったら・・・。
私たちの思考は、ちょうど夢を見ているときのような状態になると考えられる。
というのも、人間が眠っている間というのは、前頭連合野も、眠った状態になっている。
反対に、そのことから、前頭連合野の働きを、私たちは知ることができる。
●今朝の夢
実のところ、今朝の夢というのは、よく覚えていない。
夢というのは不思議なもので、半日もたつと、それが今朝の夢だったのか、それとも何日
も前に見た夢だったのか、わからなくなる。
が、今朝見た夢は、こんなものだった。
山の中の、どこかの駅に向かっている。
新幹線の中のようだが、窓がなく、貨物室のようになっている。
それが川沿いを走ったり、山の中を走ったりしている。
ところどころ線路が切れているが、新幹線は、そのまま走り続けている。
が、やがて、森のようなところをぐるりと回ったところで、新幹線は止まる。
中央にプラットフォームがあって、その向こうには、別の電車が待っている。
ローカル線である。
切符を買うために、駅舎へ向かうが、料金がわからない。
長野を通って、仙台へ行く・・・というようなことを、私は話している。
途中、高い山を電車は越えるらしい。
山の途中には、ひなびた温泉街がいくつも並んでいる・・・。
●小鳥の思考
理屈で考えれば、矛盾だらけの夢である。
夢の内容に連続性がない。
それに非合理。
そこで私は、ふとこう考えた。
前頭連合野がまだ未発達だったころの人間は、こうした思考方法を、日常的にしていたの
ではないか、と。
もちろん目の前に見える(現実)に対しては、現実的な行動をする。
餌となる食べ物があれば、それを口にするまでの行動を開始する。
危険が迫れば、それを回避するための行動を開始する。
しかしこと(思考)ということになると、それをまとめあげ、合理的に判断し、前後を論
理的につなげる能力はない。
恐らく、目を閉じたとたん、私たち人間が夢を見ているときのような状態になるのではな
いか。
ミミズが地面をはっている。
その横に、大きな木の枝がある。
木の枝の中には、おいしそうな種がいっぱいつまっている。
それを高い空を飛びながら、上から見ている、と。
小鳥なら、きっとそんな光景を思い浮かべるかもしれない。
もちろん言葉もないから、それを的確に、別の鳥に知らせることもできない。
●理性の源泉
が、人間のばあいは、目を閉じても、それで前頭連合野の活動がそこで停止するわけで
はない。
目を閉じていても、言葉を使って、ものごとを論理的に考え、理性的な判断をくだすこと
ができる。
それがしっかりとできる人のことを、理性的な人といい、そうでない人を、そうでない人
という。
程度の差は、当然、ある。
言うなれば、神に近いほど、理性的な人もいれば、反対に、動物に近いほど、そうでない
人もいる。
その(ちがい)は何によって生まれるかといえば、結局は行きつくところ、(日々の鍛錬)
ということになる。
このことは幼児期前期の子どもたちを見れば、よくわかる。
エリクソンが、「自律期」と名づけた時期である。
●自律期
年齢的には、満2歳から4歳前後ということになっている。
実際には、乳幼児期を脱し、少年少女期へ移行する、その前の時期までということになる。
この時期の子どもは、親や先生に言われたことを忠実に守ろうとする。
この時期をとらえて、うまく指導すると、いわゆる(しつけ)がたいへんしやすい。
が、この時期に、(いいかげんなこと)をしてしまうと、子どもはやがて、ドラ息子、ドラ
娘化する。
ものの考え方が享楽的になり、自己が発する欲望に対して、歯止めがきかなくなる。
わがままで、自分勝手。
感情のコントロールさえ、ままならなくなる。
つまりこの時期に、前頭連合野の働きが活発になり、ある程度の形がその前後に形成さ
れると考えてよい。
もちろんそれ以後も、前頭連合野の形成は進むだろうが、原型は、その前後に形成される
と考えてよい。
●夢と前頭連合野
そこでこう考える。
夢の中でも、前頭連合野を機能させることはできないものか、と。
しかしそれでは、睡眠が妨げられることになる。
ただ、ときどき、ほとんど起きがけのころだが、夢と現実が混濁するときがある。
そういうときというのは、かなり理性的な判断(?)ができる。
「これは夢だぞ」と、自分で、それがわかるときさえある。
あるいはこんなこともあった。
この話は少し前にも書いたが、こんな夢を見たことがある。
歩いていて、その男女の乗った車に、体をぶつけてしまった。
中から男が出てきて、ワーワーと大声を出して、私に怒鳴った。
で、私は目を覚ましたが、そのときのこと。
私はそれが夢だったと知り、もう一度、夢の中に戻りたい衝動にかられた。
夢の中に戻って、その男女の乗った車を、足で蹴飛ばしてやりたかった。
が、このとき、脳のほとんどは覚醒状態にあったが、前頭連合野だけは、まだ半眠の状
態であったと考えられる。
前頭連合野が正常に機能していたら、「蹴飛ばしてやる」ということは考えなかったかもし
れない。
それ以前に、「夢は夢」と、自分から切り離すことができたはず。
・・・などなど。
前頭連合野の働きをわかりやすく説明してみた。
今度の高校生のクラスで、こんな話を、子どもたちにしてみたい。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 前頭連合野 前頭前野 理性の府 夢と理性)
Hiroshi Hayashi++++++++SEP.09+++++++++はやし浩司
●帰すう本能(The Last Home)
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晩期の高齢者たちは、ほとんど例外なく、
「~~へ帰りたい」と、よく言う。
母もそうだったし、兄もそうだった。
母は、自分が生まれ育った、K村の実家に、
兄は、やはり自分が生まれ育った、M町の実家に。
私の30年来の友人も、昨年(08年)に亡くなったが、
その友人は、九州の実家に帰りたいと、いつも言っていた。
こうした現象から、みな、人は死が近づくと、自分の
生まれ育った実家に帰りたがるようになると考えてよい。
それをそのまま「帰すう本能」と断言してよいかどうかは、
私にもわからない。
というのも、記憶と言うのは、加齢とともに、新しく
記銘された分から、先に消えていく。
古い記憶ほど、脳の奥深くに刻まれている。
そのため歳をとればとるほど、子ども時代、さらには
幼児期の記憶のみが残るようになる。
だから「帰る」となると、幼児期に育った世界へ、となる。
++++++++++++++++++++++++++
●私の場合は、どうか?
私もあと10~15年もすると、そうした老人の仲間入りをする。
うまく特別養護老人ホームに入居できればよし。
そうでなければ、独居老人となり、毎日悶々とした孤独感と闘いながら、暗い日々を送る
ことになる。
そのときのこと。
私は、どこへ帰りたいと言うだろうか?
理屈どおりに考えれば、私は、生まれ育ったM町の実家に帰りたいと言い出すにちがい
ない。
M町の記憶しか残らなければ、そうなる。
が、私は子どものころから、あのM町が、嫌いだった。
今でも、嫌い。
そんな私でも、その年齢になったら、「M町に戻りたい」と言いだすようになるのだろうか。
●放浪者
私は基本的には、放浪者。
ずっと放浪生活をつづけてきた。
夢の中に出てくる私は、いつも、行くあてもなく、あちこちをさまよい歩いている。
電車に乗って家に帰るといっても、今、住んでいるこの浜松市ではない。
この家でもない。
もちろん実家のあるM町でもない。
ときどき「これが私の家」と思って帰ってくる家にしても、今のこの家ではない。
どういうわけか、大きな、ときには、大豪邸のような家である。
庭も広い。
何百坪もあるような家。
見たこともない家なのに、どういうわけか、「私の家」という親近感を覚える。
が、たいていそのまま、目が覚める。
が、その家は、いつもちがう。
つぎにまた見るときは、今度は別の家が、夢の中に出てきたりする。
つまり私は基本的には、放浪者。
●M町の実家
ここ5、6年は、ときどき、M町の実家が夢の中に出てくることが多くなった。
表の店のほうから中へ入ると、そこに母がいたり、兄がいたりする。
祖父や、祖母がいたりすることもある。
先日は、家に入ると、親戚中の人たちが集まっていた。
みんな、ニコニコと笑っていた。
もちろんいちばん喜んでくれるのが、私の母で、「ただいま!」と声をかけると、うれしそ
うに笑う。
兄も笑う。
が、私は、実家ではいつも客人。
私の実家なのだが、実家意識は、ほとんど、ない。
●徘徊老人
こう考えていくと、私はどうなるのか、その見当がつかない。
認知症になり、特別養護老人センターに入居したとする。
そんなとき、私は、どこへ帰りたいと言うだろうか。
それをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。
「あなたは、まちがいなく、徘徊老人になるわよ」と。
つまりあてもなく、あちこちをトボトボと歩き回る老人になる、と。
しかしこの意見には、異論がある。
先にあげた友人にしても、九州出身だったが、いつも浜松市内を徘徊していた。
距離が遠いから、まさか九州まで歩いて帰るということはなかった。
しかし気持の上では、九州まで歩いて帰るつもりではなかったか。
今にして思うと、友人のそのときの気持ちが、よく理解できる。
●さて、あなたはどうか?
さて、あなたはどうか?
そういう状況になったとき、あなたなら、どこへ帰りたいと言いだすだろうか。
たいていの人は、自分が生まれ育った実家ということになる。
確たる統計があるわけではないが、90%近くの人が、そうなるのではないか。
が、残り10%前後の人は、帰りたい場所もなく、浮浪者のように、そのあたりをさま
よい歩く。
ところで徘徊する老人は多いが、そういう老人をつかまえて、「どこへ帰るの?」と聞く
と、ほとんどが、「うちへ帰る」と答えるという。
たぶん、私も、「うちへ帰る」と答えるだろうが、その「うち(=家)」とは、どこのこと
を言うのだろうか。
帰りたい家があり、その家が、あなたをいつまでも暖かく迎えてくれるようなら、そん
なすばらしいことはない。
しかし現実には、住む人の代もかわり、家そのものもないケースも多い。
こう考えただけでも、老後のさみしさというか、悲哀が、しみじみと心の中にしみ込ん
でくる。
「老人になることで、いいことは何もない」と、断言してもよい。
そういう時代が、私のばあいも、もうすぐそこまで来ている。
(付記)
最近、ワイフとよく話し合うのが、「終(つい)の棲家」。
で、結論は、終の棲家は、この家の庭の中に建てよう、である。
街の中のマンションも考えた。
病院やショッピングセンターに近いところも考えた。
しかし、私たちの終の棲家は、どうやらこのまま、この場所になりそう。
今、別のところに移り住んでも、私たちは、そこには、もうなじめないと思う。
頭の働きが鈍くなってきたら、きっと、今のこの家に帰りたいと、だだをこねるように
なるだろう。
だったら、終の棲家は、ここにするしかない。
・・・というのが、今の私たちの結論になりつつある。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi
Hayashi 林浩司 BW 終の棲家 帰すう本能 帰趨本能 徘徊 徘徊老人)
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