2010年2月15日月曜日

*Magazine Feb. 15th

 彡彡人ミミ      彡彡彡彡彡
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 子育て最前線の育児論byはやし浩司      2月   15日号
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【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

■あなたが蒔いたように……
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As you sow, so we shall you reap. 「あなたが種を蒔いたように、あなたはそれを刈ら
ねばならない」。イギリスの教育格言。つまり因果応報ということか。子育てについて言
えば、ほとんどの親は、子どもに何か問題が起きると、「子どもをなおそう」とする。し
かしなおすべきは、子どものほうではなく、親のほうである。そういう視点から、子ども
の問題を見つめなおしてみる。

■引いて、発(はな)たず
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孟子(紀元前3世紀ごろの、中国の思想家。著書『孟子』は、儒学の経典のひとつとされ
る)が残した言葉である。子どもに矢の射り方を教えるときは、矢の引き方までは教える。
しかし、その矢を放つところまでは見せてはいけないという意味。教育といっても、やり
すぎはよくない。たとえば手取り、足取り教える教育法がある。一見、親切な指導法に見
えるかもしれないが、かえって子どものためにならない。

■子どもは人の父
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The Child is Father of the Man. 「子どもは人の父」、イギリスのワーズワースの詩の
一節である。子どもが成長し、やがておとなになっていくのを見ていると、この感を強く
する。つまり、子どもは、人の父、と。子育てというのは、子どもを育てることではない。
子どもに、子育ての仕方を見せておく。見本を見せておく。「あなたが親になったら、こ
ういうふうに、子どもを育てるのですよ」と。それが子育て。

■食欲のないときに……
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『食欲がないときに食べれば、健康をそこなうように、意欲をともなわない勉強は、記憶
をそこない、また記憶されない』。Studying without an inquiring desire will be not
retained in ones’ memory. レオナルド・ダ・ビンチ(1452~1519)の言葉であ
る。子どもの学習指導の常識と言ってもよい。日本では教育というと、「教え育てる」が
基本になっているが、それは昔の話。子どもから意欲を引き出し、それをじょうずに育て
る。あとは子ども自身がもつ「力」に任せればよい。

■忠告は密かに……
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Give advice secretly, and praise children openly. 「忠告は密かに、賞賛はおおやけ
に」。古代ローマの劇作家、シルスの言葉である。子どもを叱ったり、子どもの名誉をキ
ズつけるような行為は、だれもいないところでせよ。しかし子どもをほめるときは、みな
の前でせよ、という意味である。子育ての行動規範のひとつとして覚えておくとよい。

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■教育の秘法
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あのエマーソン(アメリカの詩人、思想家、1803~1882)は、こう書いている。
『教育に秘法があるとするなら、それは生活を尊重することである』と。欧米では、「自
立したよき家庭人」を育てるのが、教育の柱になっている。とくにアメリカでは、デュー
イの時代から、より実用的なことを教えるのが、教育の柱になっている。生活に根ざさな
い教育は、そも役に立たない。生活を尊重してこそ、そこに真の教育があるというわけで
ある。

■かわいくば……
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『かわいくば、五つ数えて三つほめ、二つ叱って良き人となせ』(二宮尊徳、江戸時代後
期の農政家、1787~1856)と。「子どもがかわいいと思ったら、叱るときでも、
一呼吸おいて、まずよいところを三つみつけて、それをほめる。そしてそのあと、二つく
らいの割合で、叱れ」という意味。子どもをほめる、子どもを叱る……。それは家庭教育
の要(かなめ)と言ってもよい。

■最初に受けた印象が……
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First impressions are most lasting. イギリスの教育格言。つまりものごとは、第一印
象が大切ということ。とくに子どもの教育では、そうである。その第一印象で、すべてが
決まるといっても、過言ではない。だから子育てをしていて、「はじめの一歩」を感じた
ときは、とくに慎重に! コツは、叱らない、おどさない。「小学校はきびしいのよ」「先
生はこわいわよ」と教えたため、学校へ行きたがらなくなる子どもは少なくない。

■玉、磨かざれば……
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『玉、磨かざれば、器(うつわ)ならず。人、学ばざれば、道知らず』(礼記、中国五経
の一つ)。脳の健康は、肉体の健康と似ている。究極の健康法などというものはない。同
じように、究極の思想などというものはない。運動を怠ったら、その日から、健康はくだ
り坂に向かう。同じように考えることを怠ったら、その日から、脳は老化する。人は、日々
に研鑽(けんさん)してこそ、人でありえる。学ばない人、考えない人は、それだけで、
大切な人生を無駄にしていると言える。

■馬を水場に……
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A man may lead a horse to the water, but he cannot make it drink. 「馬を水場に連
れて行くことはできても、その馬に水を飲ませることはできない」。イギリスの教育格言
である。子どもを伸ばす最大の秘訣は、まず楽しませること。楽しむことによって、自発
的行動(オペラント)が生まれ、それが強化の原理となって、子どもを伸ばす(スキナー)。
しかし無理は禁物。無理をしても、意味がない。それがこの格言の意味ということになる。

■ビロードのクッションより……
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It is better to sit on a pumpkin in the field rather than to sit on the soft velvet
cushion of the palace. 『ビロードのクッションより、カボチャの上に座っているほうがよい』(ソロー、アメリカの随筆家、1812~1862)。子どもにとって家庭とは、
すべからく、カボチャのようでなくてはならない。子どももある程度の年齢になったら、
家庭は、しつけの場から、心を癒す、憩いの場となる。またそうでなくては、いけない。

■教育は母のひざに始まり……
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●教育は、母のひざに始まり……

I・バロー(17世紀のイギリスの数学者)は、こう言っている。「Education starts in
mother’s lap and what children hear in those days will form their character.(教
育は母のひざに始まり、幼年時代に伝え聞くすべての言葉が、性格を形成する)」と。こ
の時期、母親の子どもへの影響は、絶対的なものであり、絶大である。母親が、子どもの
方向性のすべてを決定づけると言っても過言ではない。子どもの教育は、子どもをひざに
抱いたときから始まると、バローは言っている

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※さがしものができない子ども
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 さがしものができない子どもがいる。何かをさがさせると、すぐパニック状態になって
しまう。かんしゃく発作を引き起こすこともある。……というより、かんしゃく発作を引
き起こしやすい子どもは、さがしものが苦手。頭の中が混乱状態になったとたん、イライ
ラが増幅する。そんなわけで、静かにものをさがすことができない。

※整理ができない子ども
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カバンなど、持ち物の中を見れば、わかる。いくら注意しても、カバンの中は、ゴチャゴ
チャ。大切なものの、そうでないものもない。古いテスト用紙の間に、学校からの連絡表
がはさまっていたりする。見た感じ、まるでゴミ箱のよう。ときどきいっしょにカバンの
中を整理するが、効果は一時的。

※忘れ物が多い子ども
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集中力、あるいは緊張感そのものが、抜けたように欠けている子どもがいる。学校への提
出物を忘れるなどということは、日常茶飯事。反対に、学校には、いつも忘れ物してくる。
その前日、筆箱を忘れて置いていったから、それを渡しながら、「筆箱をちゃんともって
帰ってよ」と声をかけると、そのときは、「うん、わかった」と返事をする。しかしその
とき今度は、ノートを忘れていく。親や教師がいくら注意しても、効果はその場だけ。

※騒々しい子ども
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 いつもガサガサしている。静かな落ち着きがなく、始終、何かをしゃべっている。「静
かにしなさい」と言っても、効果はその場だけ。数秒から10秒もすると、またしゃべり
始める。話している内容は浅く、テーマもクルクル、目まぐるしく変わる。アメリカでは
ADHD児と考えられている。女児に多い。

※動作の鈍い子ども
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臨機応変に機敏な行動ができない。何かを言いつけても、ノソノソといった感じになる。
緊急時とわかっていても、動作が、それについていかない。「緩慢行動」「緩慢動作」と
いって、神経症による症状のひとつに考えられている。

※表情のない子ども
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表情がなく、能面のような子どもをいう。喜怒哀楽の情をほとんど、示さない。無表情の
まま、涙だけをスーッと流したりする。全体的に静かで、大声を出して騒いだりするとい
うこともない。集団の中でも、いるかいないかわからないほど、存在感が薄い。

※字の汚い子ども
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 乱雑な文字で、しかもワクから平気で飛び出したような字を書く。「きれいに書こう」
と指示すると、そのときだけはきれいな文字を書くが、その分だけ、異常に時間がかかっ
てしまう。が、しばらくすると、またもとの文字に逆戻り。よく観察すると、手の動きが
ぎこちなく、なめらかな動作ができないのがわかる。細かい作業が苦手という症状をあわ
せもつことが多い。

★幼児の計算力(2)
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(2) 黙読化……年長児になったら、「頭の中で数えなさい」、あるいは「口を閉じて
数えなさい」と指示する。声を出させない、口をもぐもぐさせない。

(3) 10ずつまとめて数える……(1、2、3,4,5,6,7,8,9,10、
1,2,3,4,5,6,7,8,9,20、1,2,3,4,5,6,7,8,
9,30……)と、(10)(20)(30)と数えさせていく。

方法としては、

(1) 手をパンパンとたたいて、それがいくつかを当てさせる。
(2) 反対に、子どもに、できるだけ早く、10(あるいは30)を、たたかせる。
そのときも、声を出させない、口を閉じてさせる。

数の信号化ができ、それが早くできるようになれば、あとあと計算力のある子どもに
なる。

たとえば(2+3)は、「ピピと、ピピピで、5」と。

(BW方式 計算力)

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★幼児の計算力(1)
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(BW方式)(早数え)

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幼児期においては、計算練習に先立って、早数えの練習をしておくとよい。
(ひとつ、ふたつ、みっつ……)ではなく、(イチ、ニ、サン……)と。
さらに慣れてくると、(イ、ニ、サ、シ……)となり、(ニ、シ、ロ、ハ……)となる。
ここでいくつかのコツがある。

(1) 数の信号化……(イチ、ニ、サン、シ……)ではなく、(ピ、ピ、ピ……)と
頭の中で信号化させる。

●Absence makes the heart grow fonder.
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●Absence makes the heart grow fonder.
そばにいない人への想いは強くなる。

総じて言うと、恋心というのは離れれば離れるほど燃えあがり、
そうでない関係は、疎くなるということか。
子どもが恋をしたら、そっとしておいてやるのが、最善。
無理に引き離そうとすればするほど、たがいに強く求めあうようになる。
が、それだけではすまない。

子どもの側からすると、「親を取るか、恋人を取るか」の択一に迫られる。
親を取ればそれでよし。
そうでなければ、その時点で、親子の関係は切れる。

●Accidents will happen ...
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●Accidents will happen in the best-regulated families.
事故というのは、もっとも管理された家庭で起こる。

子どもへの過干渉が悪いのは、子ども自身が自ら考える力を失ってしまうこと。
子どもを管理すればするほど、子どもは非常識になり、常識はずれの行動を
繰りかえすようになる。
家庭教育には、(いいかげんさ)が大切。
その(いいかげんさ)の中で、「子どもは自ら考え、自ら行動し、自ら責任をとる」
という自由の三原則を身につける。

●Actions speak louder than words.
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●Actions speak louder than words.
行動は、言葉よりも、効果がある。

子どもは家庭の緊張感に巻きこまれながら、伸びる。
親が寝そべっていて、「新聞をとってきて!」は、ない。
親もキビキビと行動し、その中に子どもを巻きこんでいく。
「ぼくがそれをしなければ、みなが困るのだ」という雰囲気を、用意する。
そういう力で、子どもを動かす。
よく「しつけ」が話題になるが、しつけというのは、言葉でするものではない。
しつけというのは、行動でするものである。

●Art is long, life is short
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「Art is long, life is short」は、日本では、人生は短いが、芸術は死んだあとも、長
く残ると解釈されている。しかしこれはまちがい。もともとの意味は、ヒポクラテスが、
「医療の技術(art)を手にするには、人生(life)は短すぎる」と言ったことによる。それ
が誤訳されて、西洋に伝わった。


【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●左右の感覚

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時事通信に、一枚の写真が載っていた。
興味ある写真だった。

時事通信の記事は、つぎのように伝える。

『・・・戦車が進む雪原の沿道に「中央高速道路、春川ー釜山、374キロ」と書かれた標識
のほか、韓国南部の都市「金海」の表示もあった。韓国の高速道路を進撃するのを想定し
ているとみられる』(以上、時事通信)と。

つまりあのK国が、軍事訓練をしたという。
そのときの写真が公表された。
写真には、どこか時代遅れの小型の戦車(TANK)
と同時に、「中央高速道路、春川ー釜山、374キロ」と
書かれた看板が載っていた。

それについて、時事通信は、「韓国の高速道路を進撃する
のを想定しているとみられる」とコメント書いている。

いつものことだから、記事自体には、興味はない。
興味をひいたのは、写真のほうだった。
戦車は、向かって左側から、右側に走っていた。
またそういう写真だった。
その写真に私はひきつけられた。

+++++++++++++++++

●常識?

 私はその写真を見たとき、一瞬、「あれっ!」と思った。
「向きが逆ではないか?」と。

 つまり報道された写真どおりとするなら、戦車は、北、つまり中国、もしくはロシア側
に向かって進んでいることになる。
そういう印象をもった。
K国が、韓国を「進撃する」というのなら、向きは、向かって右側から左側にしなければ
ならない。

 が、そのすぐあと、私は私のまちがいに気づいた。
日本から見れば、たしかにおかしい。
しかし一度、K国の首都のP市に視点を置いてみると、そうではない。
この(向き)でよいことがわかる。
P市に住む人たちなら、何もおかしく思わないだろう。

●進撃?

 こんなことはありえないが、そこで私は、こう考えた。
あくまでも想像上での話である。

 仮に私が住む遠州地方と、東北地方が、戦争状態になったとする。
そのとき私が、プロパガンダ(情宣)用の写真を撮ることになったとする。
そのとき私は、東北に向かう戦車を、どちらの向きにするだろうか、と。

 このばあい、私なら、戦車の向きを、向かって左側から右側に走っている写真を載せる。
(もちろんその写真を張る場所にもよるだろうが・・・。)
右側から左側に走っている写真だと、何だか退却しているような感じになる。

 もう少しわかりやすくするために、図示してみる。

(→■→)・・・東北地方に進撃(矢印は戦車が進む方向)
(←■←)・・・東北地方から退却

 こうした感覚には、個人差がある。
だから逆に考える人もいるかもしれない。
あるいは東北地方に住んでいる人なら、どちらの向きにするだろうか。

●老後の親

 こうして考えてみると、私たちがもっている常識的な感覚というのは、ずいぶんといい
かげんなもであることがわかる。
そのとき、自分がどういう立場にいるかだけで、それがいとも簡単に、ひっくり返ったり
する。
こういう例は、多い。

 たとえば親と子どもの関係。

 私たちの時代には、子どもが老後の親のめんどうをみるという意識は、当たり前のこと
だった。
常識以上の常識だった。
が、今は時代が変わった。
子どもたちの意識も変わった。
もう13年も前の調査だが、「老後の親のめんどうをみる」と答えた青年男女は、5人に1
人もいない(内閣府調査)。

それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たったの19%! 
この数字がいかに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。
さらに東南アジアの若者たちの、80~90%という数字と比較してみるとわかる。
しかもこの数字は、その3年前(94年)の数字より、4ポイントもさがっている(19
97年)。

●親子関係

 こう書くからといって、私の息子たちを責めているのではない。
批判しているのでもない。
私の息子たちも、今の若者たちの、ワン・オブ・ゼム。

 その息子たちと会話をしていても、老後の私たちのめんどうをみるという気持ちが、ま
ったくないことがわかる。
そういう雰囲気さえ、ない。
「家族を大切にする」とは言うが、今の若者たちにとっての「家族」というのは、自分と
配偶者、そして子どもたちでつくる家族をいう。
そこには親の姿は、どこにもない。
影もない。

 むしろ立場は逆で、子どものほうが、親に援助してもらうのが、当然と考えている?
わかりやすくするために、それを図示してみると、こうなる。

(親←子)・・・私たちの世代の考え方(矢印は援助の方向)
(親→子)・・・今の若者たちの考え方

●私たちの老後

 私たちは、私たちの老後を、そういう前提で考える。
幻想こそ、禁物。
もしあなたが、まだ幼い自分の子どもをみながら、「私はだいじょうぶ」「うちの子にかぎ
って・・・」と考えているとしたら、幻想以外の、何物でもない。

 実は、私もそう考えていた。
心のどこかでそれを信じていた。
だからこと学費について言えば、身銭を削って、息子たちに与えてきた。
どれだけ苦労しても、「苦労した」という泣き言を、息子たちに言ったことはない。
むしろ余裕があるような顔をして、息子たちには心配をかけないようにしてきた。
が、そんな親の気持ちなど、息子たちというより、今の若者たちには、通じない。  

 だから私はあえて言う。
『必要なことだけはしなさい。その限度をわきまえている親のみが、真の家族の喜びを与
えられる』(注)(バートランド・ラッセル)と。

(注:イギリスの哲学者でもあり、ノーベル文学賞受賞者でもあるバートランド・ラッセ
ル(1872~1970)は、こう書き残している。
『子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれ
ど、決して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを
与えられる』と。)

●ものの考え方

 遠州地方から東北地方を見る。
反対に東北地方から遠州地方を見る。
それだけで、戦車の向きが逆になる。

 同じように、若者たちの世界から老人を見る。
老人の世界から若者たちを見る。
それだけで、ものの考え方が、180度変わる。

 どちらが正しいとか、正しくないかということを論じても意味はない。
ただ言えることは、私たちも、かつては若者であったということ。
そして今の若者たちにしても、確実に、いつかは老人になるということ。

 が、今の若い人たちに、いくら警告しても意味はない。
若い父親や母親にしても、そうだ。
「それは幻想ですよ」といくら説いても、意味はない。
この問題だけは、自分が老人になってみないとわからない。
まず、苦労に苦労を重ねて、自分の子どもたちを育ててみる。
学費を払ってみる。
その結果として、それぞれが自ら発見していく。
今、言えることは、それだけということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 内閣府 親のめんどう バートランド・ラッセル)


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●2010年1月7日

+++++++++++++++++++

今日は、アメリカに住むデニースさん(嫁)の
誕生日。
時差が11時間ほどあるため、祝いの電話を
かけるタイミングがむずかしい。

Happy Birthday, Denise!
Hiroshi & Akiko Hayashi, Japan
Jan. 7th 2010

++++++++++++++++++++

●2050年には、2・6人に1人が、高齢者(満65歳以上)。

 今日の夕刊に、こんな記事が載っていた(中日新聞)。
それによれば、2050年には、なんと、2・6人に1人が、高齢者(満65歳以上)に
なるという。
比率でいえば、37・8%(2050年)。

2050年といえば、40年後。
現在、25歳前後の人が、満65歳になるころには、日本中は、老人だらけ・・・という
状態になる。
(今でも、老人だらけだが・・・。)

 こういう記事を読むと、がぜん、私は闘争心がわいてくる。
団塊の世代は、たくましい。
ちょっとやそっとのことでは、くたばらない。

●平均寿命は、男性79歳前後、女性86歳前後

 現在の統計によっても、男性の平均寿命は79歳前後、女性の平均寿命は86歳前後。
その一方で、「健康寿命」という言葉がある。
健康寿命というのは、「健康でいられる年齢」ということ。
平均して、(平均寿命)-(10年)が、健康寿命ということらしい。
それによれば、男性の健康寿命は、満69歳前後、女性の健康寿命は、満76歳前後。
残りの10年は、病気との闘いということになる。
そういう意味では、ポックリと死ねる人は、まだ幸福(?)ということになる。
私も、できれば、ある日、突然、ポックリと死にたい。

 しかしこの世の中、生きるのもむずかしいが、死ぬのもむずかしい。
生きたいと思いつつ、生きることのできない人も多い。
が、死にたいと思っていても、死ぬことができない人もいる。
ア~ア。

●うつ状態

 正月明けから、調子が悪かった。
ずっと悪かった。
が、今日(7日)になって、やっと、調子が戻ってきた。
完全にうつ状態。
何を考えても、憂うつ。
何をしても、憂うつ。
気が晴れない。
そんな状態だった。

 が、今日は山荘へ行き、ワイフと日なたぼっこ。
縁側に椅子を出し、日光に当たりながら、ウトウトと眠った。
気持ちよかった。
それがよかった。
目が覚めたとき、周りの世界が一変しているのに、気がついた。
そして私は、こう宣言した。

「これからは、自分の人生を生きてやる!」と。

●子離れ段階論

 人は順に親離れし、子離れしながら、歳を取っていく。
しかし急に親離れし、子離れするのではない。
ちょうど階段を上り下りするように、何かのきっかけで、トントンと、親離れしたり、子
離れしたりする。
トントン・・・、とだ。

 で、最終的には、夫婦であれば、(2人ぼっち)、ひとりであれば、(独居老人)となる。
またそれを恐れる必要はない。
どうせそうなる。
みんなそうなる。
死後、白骨化した状態で、他人に発見されるかもしれない。
しかしそれも、それ。
それでもよい。

●意欲

 悔いのない人生を送る。
結局は、そこへ行き着く。
やりたいことをする。
思う存分、する。

 ・・・ということで、山荘からの帰り道、パソコンショップへ寄って、新しいハードデ
ィスクと、ハードディスクの交換ソフトを購入した。
64ビット・パソコンには、64ビット・パソコン対応用のソフトが必要。
つまり新しいパソコンには、新しいソフトが必要。
結構、出費が重なる。
が、そのとき、こう思った。
「こういった意欲も消えたら、おしまい」と。

 「~~したい」という意欲は、脳の中のドーパミンというホルモンで決まる。
フロイトは、それを「性的エネルギー」と呼んだ。
ユングは、「生的エネルギー」と呼んだ。
それが線条体の受容体に作用して、いろいろな条件反射反応を引き起こす。
それが「~~したい」という意欲につながる。

 が、もしそれもなくなったら・・・。
死んだも、同然。
墓場へ足を、半分、つっこんだも、同然。
だから意欲が消えないうちに、その意欲を満足させる。

 「もう遠慮しないぞ!」と、まあ、そんなふうに、自分で自分に言って聞かせる。

●団塊の世代へ

 だから生きてやる。
死ぬまで生きてやる。
いやなこともある。
つらいこともある。
くやしいこともある。
しかし生きていくしかない。
どうせ生きるなら、燃やして、燃やして、燃やし尽くす。
何が、高齢者だ!
何が、少子化だ!

 団塊の世代が、75歳までがんばれば、少子化の問題は解決する。
今、元気な人たちだけでよい。
そういう人たちが、75歳までがんばれば、まだこの日本は、何とかなる。
だからがんばろう!
みんなで力を合わせて、がんばろう!

 ・・・で、75歳になったら、どうする?
あとは、ポックリと死ねばよい。
どうせ病院も、本気で治療などしてくれない。
すでに今、そうなりつつある。
だから期待しないこと。
甘えないこと。
 
 ・・・とまあ、自分にそう言い聞かせながら、この文章を書いている。

●GOOD NEWS!

 悪いことばかりではない。
今朝、パソコンを開いてみたら、昨日のHPへのアクセス数が、軒並み、1000件を超
えていた。
私は全部で、20前後のHPを開いている。
単純に計算すれば、20x1000=2万件ということになる。

 たった1日で、2万件!

 中には、1人で何回もアクセスしてくれた人もいる。
だから実際には、2万件イコール2万人、ということではない。
が、同時に、HPのほかのページへ、ハイパージャンプして、アクセスしてきた人も多い
はず。
「ハイパージャンプ」というのは、HPのトップページを経由しないで、アクセスしてく
ることをいう。
ハイパージャンプのばあいは、HPへのアクセス数としてはカウントされない。
だから実際には、2万件どころか、その数倍は、ある。・・・とみる。
あるいはもっと多いかもしれない。

 それに加えて、BLOGへのアクセス数もある。
現在6誌ほど、発行している。
こちらも毎日、1誌につき、500~1200件ほどのアクセスがある。
それを合計すると・・・。
これはたいへんな数になる。
つまりそれだけ多くの人たちが、私の書いた文章に、目を通してくれている。

 みなさん、ありがとう!
本当に、ありがとう!
みなさんが、私に生きがいをくれる。
私はみなさんに、情報を与える。
ギブ&テイク!

 これからも、がんばります。

 ただ電子マガジンだけは、低迷している。
読者がふえない。
電子マガジンの時代は、終わったのか?
そういう感じがしないでもないが、しかし私にとっては、電子マガジンに載せる原稿が、
最終原稿。
一度BLOGなどで発表したあと、推敲したりして、電子マガジンに載せている。
だからみなさん、どうか電子マガジンを購読してほしい。
今年も、よろしくお願いします。


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司

●怒りについて

+++++++++++++++++

仏教では、人間の心は水のようなものと説く。
濁った水になることもあれば、色のついた
水になることもある。
火でわかせば、沸騰することもある。
しかし何よりも大切なのは、澄んだ、濁りのない水。
色のついた水では、真理は見えない。
沸騰した水では、正しく判断することはできない。

+++++++++++++++++

●清らかな心

 3大煩悩に、「貪、瞋、痴」がある。
はげしい怒りのことを、「瞋(しん、じん)」という。

『貪(どん)』というのは、「貪(むさぼ)ること」をいう。
『瞋(しん)』というのは、「激しく怒(いか)ること」をいう。
『痴(ち)』というのは、「無知なこと」をいう。

そのほかにもいろいろあるが、私たちの肉体は、これらの
煩悩に満ち溢れている。
これらの煩悩が、自分の内にある『菩提心』(すべての人々を愛すること)
が目覚めるのを邪魔する。
世親(300~400年ごろの人、パキスタン、ペシャワール
あたりの人とされる※)が、そう説いている。

だから世親は、菩提心を呼び起こすためには、心(精神)を、
一度、肉体から切り離さなければならないと説いた(『浄土三部経』)。

 とくに気をつけたいのが、「貪、瞋、痴」の「瞋」。
「沸騰」というのは、その「怒り」を意味する。
心が煮えたぎったような状態をいう。

●怒り

 (怒り)といっても、(1)感情的な怒りと、(2)非感情的な怒りがある。
感情的な怒りというのは、どこかの暴力団員が、大声でわめき散らしている姿を想像すれ
ばよい。
「瞋」とは、それをいう。
それについては異論はない。

 それに対して、非感情的な怒りがある。
拉致被害者のYTさんを思い浮かべてみればよい。
娘のMGさんは、あの金xxの指令によって、K国に拉致されている。
そのため休むことなく、全国を回って、拉致被害者の救済活動をつづけている。
その姿がテレビで報道されるたびに、私たちは、やりようのない、つまりガラス板を爪の
先でこするような(怒り)を覚える。
これを「非感情的な怒り」と表現してよいかどうかは、知らない。
そう表現すること自体、YTさんに失礼なことかもしれない。

 が、そうした怒りがあるからこそ、私たちはこうして抗議の念をこめて、K国を糾弾す
る。
金xxを糾弾する。
(名前を「金xx」と表記しているのも、そのため。)

つまり怒りを忘れたら、私たちは、真・善・美の追求すら、ままならなくなる。
(怒り)が、すべて煩悩というわけではない。

●知らぬが仏

 話は変わるが、『知らぬが仏』という諺もある。
何ごとも、「我、関せず」と、距離を置けば、仏のように静かな境地でいられる。
しかし考えてみれば、これほど、無責任な生き方はない。
またそういった無責任な生き方をしている人を、「仏」とは言わない。

 ただしこれには重要な条件がある。
知るにしても、関するにしても、宇宙的、地球的、人間的、生物的・・・。
そういった規模で、知ったり、関したりする。

 身近な痴話話(ちわばなし)は、知らなくてもよい。
関しなくてもよい。
たとえば以前、こんなことを言った知人がいた。
「ぼくは、毎朝、新聞のお悔やみ欄には、かならず目を通している」と。

 私自身は、めったに見たことがない。
見るとしても、ワイフに誘われて、月に、1、2度程度。
どこでだれが死のうと、私には関係ない。
興味もない。
どうせ「つぎは、私」。

●道理

 もっとも感情的な(怒り)をコントロールするのは、むずかしい。
むずかしいというより、(怒り)は常に、何らかの感情的な反応をともなう。
(怒り)と感情は、表裏一体。

が、もしその間に一線を引くとしたら、(道理)ということになる。
(怒り)を覚えたら、どんどんと自分の中に、道理を掘り下げていく。
道理を掘り下げていくことで、(怒り)と感情を分離する。

 が、それで(怒り)が消えるわけではない。
中には、(許しがたい怒り)というのもある。
どう理性で割り切ろうとしても、割り切れない(怒り)というのもある。
自分の力では、乗り越えられない(怒り)というのもある。

が、その(怒り)すらも否定してしまうと、そのあとにやってくるのは、乾いた絶望感。
虚脱感。

●痴話話(ちわばなし)

  たとえば信頼していた人に裏切られたようなケースを、想像してみればよい。
夫(妻)でもよい。
親や兄弟でもよい。
息子や娘でもよい。

卑近な例として、夫(妻)に愛人ができ、その愛人と不倫関係をもったばあいを想像して
みればよい。
そこはまさに、世親が説く、「瞋」の世界。
そのとき冷静でいられる人は、いったい、どれだけいるだろうか。
道理の世界でもない。
また道理だけでは、乗り越えることはできない。
しかし、これこそが、私が言う「痴話話」ということになる。

●未来に向けた怒り

 そこで(怒り)をさらに掘り下げてみる。
するとその(怒り)にも、2種類あるのが、わかる。
(1)過去に向けた(怒り)と、(2)未来に向けた(怒り)。

 「今は、常に過去の結果」と考えると、(怒り)は、常に過去に向かう。
夫(妻)に愛人ができ、不倫しているのがわかったとき、妻(夫)がどのように反応する
か。
それが過去に向けた怒りということになる。
「私の人生は、何だったのよ!」「私の人生を返して!」と。
このばあいは、喪失感がからんでくるため、(怒り)は、どうしても感情的になりやすい。
どんなに悔やんでも過去を取り戻すことはできない。
だから感情的になる。・・・ならざるをえない。

 一方、未来に向かう(怒り)というのもある。
この地球が、やがて火星のようになった状態を想像してみればよい。
このばあいは、(怒り)は常に、道理をともなう。
道理として処理できるから、感情的になることはない。

 つまり(怒り)というのは、過去に向けたものであってはならないということ。
一方、それが、「瞋」であれ、未来に向けたものであれば、許される。
またその(怒り)こそが、私たちが今、なぜここにいて、生きているかという理由にもな
る。

●では、どうするか?

 「今が過去の結論」と考えてはいけない。
・・・とっぴもない結論に思う人もいるかもしれない。
しかし(怒り)を分析していくと、そうなる。

 つまりなぜ私たちが(怒り)を覚えたとき、感情的になるかといえば、(思うようになら
なかった過去)を引きずるからである。
が、「今」は、けっして過去の結論ではない。
「今」は、常に未来へのスタート点である。

 そういう視点で、身の回りを見ると、世界が一変する。
今、そこにあるものがなんであれ、それを受け入れてしまう。
そしてそこを原点に、未来に向かって、ものを考える。
とたん感情的な(怒り)、過去に向かった(怒り)が、消える。

 だから「今は過去の結論」と考えてはいけない、・・・ということになる。

●まとめ

 自分でもよくわからない。
わからないまま、この文章を書き始めてしまった。
そのためまとまりのない文章になってしまった。
が、こういうことは言える。

要するに「心」というのは、澄んだ、清らかなほうが、よいということ。
そのためにも、「貪、瞋、痴」は、心の大敵ということ。
それは世親が説いたとおり。

ただ(怒り)については、それを頭から否定してしまってはいけない。
ここにも書いたように、内容は、そのときどきによって、大きく変わる。
ときには、生きる原動力になることもある。

もちろん感情的な怒りや、過去に向かった怒りは、避ける。
心を腐らせる。
それを避けるためには、心は常に、未来に向かって大きく開く。
過去ではなく、未来に向かって、である。
(怒り)を覚えたときには、とくにそうである。
それこそ「私の知ったことか!」と叫んで、前に進めばよい。

 私がここで書きたかったことをまとめると、そういうことになる。
しばらく時期をおいて、再び、この問題につて考えなおしてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hay
ashi 林浩司 BW はやし浩司 世親 貪、瞋、痴 怒りについて、菩提心 心につ
いて)

+++++++++++++++++

(怒り)について考えているとき、
以前、尾崎豊の「卒業」について書いた
原稿を思い出しました。

それをそのまま転載します。
(中日新聞掲載済み)

+++++++++++++++++

【若者たちが社会に反抗するとき】

●尾崎豊の「卒業」論

学校以外に学校はなく、学校を離れて道はない。そんな息苦しさを、尾崎豊は、『卒業』の
中でこう歌った。「♪……チャイムが鳴り、教室のいつもの席に座り、何に従い、従うべき
か考えていた」と。「人間は自由だ」と叫んでも、それは「♪しくまれた自由」にすぎない。
現実にはコースがあり、そのコースに逆らえば逆らったで、負け犬のレッテルを張られて
しまう。尾崎はそれを、「♪幻とリアルな気持ち」と表現した。

宇宙飛行士のM氏は、勝ち誇ったようにこう言った。「子どもたちよ、夢をもて」と。しか
し夢をもてばもったで、苦しむのは、子どもたち自身ではないのか。つまずくことすら許
されない。ほんの一部の、M氏のような人間選別をうまくくぐり抜けた人だけが、そこそ
この夢をかなえることができる。大半の子どもはその過程で、あがき、もがき、挫折する。
尾崎はこう続ける。「♪放課後街ふらつき、俺たちは風の中。孤独、瞳に浮かべ、寂しく歩
いた」と。

●若者たちの声なき反抗

 日本人は弱者の立場でものを考えるのが苦手。目が上ばかり向いている。たとえば茶パ
ツ、腰パン姿の学生を、「落ちこぼれ」と決めてかかる。しかし彼らとて精一杯、自己主張
しているだけだ。それがだめだというなら、彼らにはほかに、どんな方法があるというの
か。そういう弱者に向かって、服装を正せと言っても、無理。尾崎もこう歌う。「♪行儀よ
くまじめなんてできやしなかった」と。彼にしてみれば、それは「♪信じられぬおとなとの
争い」でもあった。

実際この世の中、偽善が満ちあふれている。年俸が二億円もあるようなニュースキャスタ
ーが、「不況で生活がたいへんです」と顔をしかめて見せる。いつもは豪華な衣装を身につ
けているテレビタレントが、別のところで、涙ながらに難民への寄金を訴える。こういう
のを見せつけられると、この私だってまじめに生きるのがバカらしくなる。そこで尾崎は
そのホコ先を、学校に向ける。「♪夜の校舎、窓ガラス壊して回った……」と。もちろん窓
ガラスを壊すという行為は、許されるべき行為ではない。が、それ以外に方法が思いつか
なかったのだろう。いや、その前にこういう若者の行為を、誰が「石もて、打てる」のか。

●CDとシングル盤だけで二〇〇万枚以上!

 この「卒業」は、空前のヒット曲になった。CDとシングル盤だけで、二〇〇万枚を超
えた(CBSソニー広報部、現在のソニーME)。「カセットになったのや、アルバムの中
に収録されたものも含めると、さらに多くなります」とのこと。この数字こそが、現代の
教育に対する、若者たちの、まさに声なき抗議とみるべきではないのか。

(付記)
●日本は超管理型社会

 最近の中学生たちは、尾崎豊をもうすでに知らない。そこで私はこの歌を説明したあと、
中学生たちに「夢」を語ってもらった。私が「君たちの夢は何か」と聞くと、まず1人の
中学生(中2女子)がこう言った。「ない」と。「おとなになってからしたいことはないの
か」と聞くと、「それもない」と。「どうして?」と聞くと、「どうせ実現しないから」と。

もう1人の中学生(中2男子)は、「それよりもお金がほしい」と言った。そこで私が、「で
は、今ここに1億円があったとする。それが君のお金になったらどうする?」と聞くと、
こう言った。「毎日、机の上に置いてながめている」と。ほかに5人の中学生がいたが、皆、
ほぼ同じ意見だった。今の子どもたちは、自分の将来について、明るい展望をもてなくな
っているとみてよい。このことは内閣府の「青少年の生活と意識に関する基本調査」(20
01年)でもわかる。

 15~17歳の若者でみたとき、「日本の将来の見とおしが、よくなっている」と答えた
のが、41・8%、「悪くなっている」と答えたのが、46・6%だそうだ。

●超の上に「超」がつく管理社会

 日本の社会は、アメリカと比べても、超の上に「超」がつく超管理社会。アメリカのリ
トルロック(アーカンソー州の州都)という町の近くでタクシーに乗ったときのこと(2
001年4月)。タクシーにはメーターはついていなかった。料金は乗る前に、運転手と話
しあって決める。しかも運転してくれたのは、いつも運転手をしている女性の夫だった。「今
日は妻は、ほかの予約で来られないから……」と。

 社会は管理されればされるほど、それを管理する側にとっては便利な世界かもしれない
が、一方ですき間をつぶす。そのすき間がなくなった分だけ、息苦しい社会になる。息苦
しいだけならまだしも、社会から生きる活力そのものを奪う。尾崎豊の「卒業」は、そう
いう超管理社会に対する、若者の抗議の歌と考えてよい。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●補足

 この中で私は、2人のタレントを批判した。
あの人とあの人である。
「・・・年俸が二億円もあるようなニュースキャスターが、『不況で生活がたいへんです』と
顔をしかめて見せる。いつもは豪華な衣装を身につけているテレビタレントが、別のとこ
ろで、涙ながらに難民への寄金を訴える」と。

 当時、こう書けば、みな、(あの人)が、だれであるかわかった。
で、この原稿を書いてから、10年。
彼らがいかに偽善者であったかは、この10年だけをみてもわかる。

たとえば難民救済活動をしていた、あの人。
その周辺部分、つまり連続性が、まるで浮かび上がってこない(?)。
その後、別の(あの人)に、活動をバトンタッチしてからは、いっさい、音沙汰なし!

 それほどまでに高徳なボランティア活動をしながら、したのは、(そのときだけ)。
最近でも、また別の(あの人)が同じようなことをしている。

 そこに至る過程の中で、たとえばホームレスの人たちのために、炊き出しをしたとか、
貧しい子どもたちを家で預かったとか、そういう経緯があればよい。
それをいきなり、アフリカの難民救済運動?
一度、ラオスで、そういった活動をしている人に会ったことがある。
当時、50歳くらいの女性だった。
もの静かな女性で、腕を白い包帯で巻いていた。
活動しているときに、けがをし、日本へ一時帰国していた。
もちろん無名の女性である。
そしてその女性がそういう活動をするようになった背景には、10年単位の歴史がある。

 が、これらの(あの人)には、周辺部分もなかれば、連続性もない。
積み重ねもない。
つまりインチキ。
偽善。
もっと言えば、難民の人に対する冒涜!
集められた寄金なるものは、どこにどう消えたことやら?

 つまりこれが私が言う(怒り)である。
この(怒り)を忘れたら、それこそ、この世界は、闇!
・・・と思いつつ、こうして文章を叩いている。


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